Sunday, 30 October 2016

小人の家

東京に戻った。

家に着いて、その空間の奥行きの無さに唖然としてしまった。


小人の家か、ここは??



部屋は目に見える範囲にあるだけ。行き止まりをくらったような気持ちになった。
あまりにショックで、これから先のことを考えたら頭が痛くなった。


こんなところで、これまで、どうやって暮らしていたのか?
こんなところで、これから、どうやって暮らしていくのか?



それから数日が経過して、今は慣れつつある。
現実と向き合って、自分で切り開いていくしかない。すべては自分次第。

ただ、いつでも帰る場所はある。
無条件に私を受け入れてくれる場所が、ある。

Wednesday, 26 October 2016

故郷の秋

この季節はとても過ごしやすい。
もちろん日本中どこにいても、過ごしやすいのには違いないだろうが、郷里の秋はそれに加えてとにかく美しい。特別なのである。
毎年、秋にはこの空気がどうしても恋しくなる。
澄みきった空気と、どこまでも高い空。
山の緑と、空の青が360°きれいに接している。

高校時代、空気があまりに気持ち良くて、自転車で通学するところをあえて歩いて通学したこともあった。

東京に戻ることにした。

ずっとここにいても大きな差し支えは無いが、とりあえずいったん、現実に戻ることにした。いろいろ整理するために。
こんなに長い間東京を離れたのは久しぶりである。
これだけ離れると、戻ってもいいかなという気もしてくる。

ところで「戻る」はどっちからどっちに行くときに使う言葉だろう?
私の場合、「戻る」場所はどこなのだろう?

Sunday, 23 October 2016

赤ちゃんとお風呂

先日、赤ちゃんとお風呂に入ることについて、両親と少し話題になった。
母親は「親子の大事なスキンシップ」だと言う。

確かにそう思う。

生後1ヶ月まではでっかい桶をつかって沐浴をさせていたのだが、実家にいて母親の助けを借りれるのもあり、1ヶ月を過ぎてからは一緒にお風呂に入っている。お湯に触れている間はまず泣くことがなく、とても機嫌が良い。気持ちがいいのだろう。そのせい、というわけでもないだろうがとにかくこちらも幸せな気持ちになる。やわらかい皮膚に触れて、洗ってあげると、その間こどもはきょとんと、まるい目で、こちらを見つめている。せっけんのいいにおいがする。おたがいに身体は温まり、肌はきれいになる。恍惚、とでも言おうか、たまらなく幸せな時間だ。

確かに大事なスキンシップだと思う。

が、お風呂に浸かる文化の無い人々が世界にはたくさんいるわけで、その人たちが愛情を得ずに育ったかというとそういうわけでもない。だから、人によって違っていいのでは、と私は言った。

そこで疑問が湧いた。
むしろ、シャワーで済ませる(たとえば)欧米人のほうが日常的にスキンシップがあるのはなぜだろうか。

日本人のスキンシップはとても少ない。というかほとんど無いと言ってもいいくらいだ。家族どうしで触れ合うことは、例えば私の場合、まずない。(これは家族にも寄るだろうけど、平均的に、ということ。)日本人がこれだけ毎日お風呂で赤ちゃんとのスキンシップをはかるのに、成長したら、世界一と言っても良いくらいスキンシップの少ない民族になる。

そもそも「親とお風呂に入る」ということが、日本独特だと思う。(データがあるわけではないので印象に過ぎませんが。)

もっと言うと、温泉や銭湯などで他人とお風呂に入ることが文化となっていてそれに抵抗を感じないのは日本人ならではだと思う。

だけどやっぱり挨拶のハグもキスもしないし、一般的に、他人との距離は結構ありますよね…。

それとも、日本人が幼いときにお風呂で得たスキンシップを通じた愛情は、どこかに別の形でたくわえ(?)られていて、別の形で生きているのかもしれない。

これに関する賛否両論は、きっとすでにあちこちでたくさん出ているはずで、たぶん論文なんかもあるのではないだろうか。

いずれにせよ、赤ちゃんとお風呂に入るのは、とーってもいい。自分にも、赤ちゃんにもいい。これをいつまで続けるのかという問題も出てくるだろうけど、それはまたいつか考えることとして、繰り返すけど、赤ちゃんとお風呂に入るのは、とーってもいいです。

Friday, 21 October 2016

機内販売でトリロジー

飛行機の中で買ったのはこれ。
トリロジーのスキンケアセット。

トリロジーのオイルを、年に1回ちょうどこの季節に買う。
1本だいたい4000〜5000円くらいするのだが、このセットはそのオイルにクレンジング・クリーム、保湿クリーム、バーム、タオルがついて5000円。
さらにANAカードで買うと、10%引きで4500円。
オイル以外のものをほぼ無料で手に入れたも同然。

機内販売というものは自分にとって無縁だと、なんとなく、理由もなしに思っていたのだがあるとき、ためしに買ってみたらこれが結構使えるということが分かった。自分に必要が無いものの場合は買うことはないが機内販売の冊子をめくるのは飛行機に乗ったときのささやかな楽しみである。

以上、珍しく化粧品関連の話でした。

Thursday, 20 October 2016

忙しい

赤ちゃんと過ごしていると、あっという間に時間が経つ。気づいたら1日が終わっているのだ。

やらねばならないことはたくさんあるのにちっとも片付かない。すき間の時間を見つけても、やれることは限られている。まず、ゆっくり座るのはほとんど不可能に近い。それどころか歯を磨くとか顔を洗うとかそういうレベルの自分のことができなくなる。実家にいてこれだけ忙しいのは初めてではないだろうか。

で、今ようやく(おそらく初めて)あやされることなく自力で子どもが眠りについた。ふにゃふにゃしていて自分で眠ることは今までもあったが、号泣しながらそのあと自分で眠るのはたぶん今まで無かったと思う。大きな成長である。

授乳とおむつ替えさえしていれば良かったのが最初の数週間だった。飲むか寝るかのどっちかだったので、飲ませさえすればすぐに寝て、3時間くらいは自由な時間がとれた。

しかしながら、最近のように起きている時間が長くなってからはそうはいかない。寝るといっても3時間連続で寝ることはほとんどなくなった。30分〜1時間まとまって寝てくれたら御の字である。

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陣痛の痛みは一生忘れない、と思っていたのに、見事に忘れつつある。こどもの可愛さがそれをはるかにしのいでいる。噂には聞いていたけど、私も例外ではなかったらしい。

Friday, 14 October 2016

良い食器

実家では有田焼の食器を使っている。
食器と言えば陶磁器で、陶磁器と言えば有田。私ときょうだいにとってはそう。
質が良いものだが、質が良いかどうかあまり疑問も持たずに上京するまでずっとそれで暮らしてきた。

それで大人になった今思うのは、質の良い食器を使っていると、質の良くない食器を見たらすぐに分かるということ。
1枚1000円と1枚100円の皿、お互いに似たような模様で同じ形をしていたとしても、手に取るとなんとなく違いが分かる。これは100円ショップだろうなと。

どちらに入れても料理の味は実質変わることはないだろうが、やはり良い食器に乗った食べ物は美味しく見えるし目でも楽しめる。

質の良い食器を使うことの問題点は、唯一、「割ったらもったいない」ということ。
しかしそれを恐れて使わずにいると、ずっと食器は使われないままである。

これは洋服に似ている。
質の良い、あるいは高級な服を「汚したらどうしよう」と思ってよそゆき用にとっておいても、結局のところほとんど着られないままに終わってしまう。
「フランス人は10着しか服を持たない」にも同じようなことが書いてあった。お気に入りの服「しか」持たないようにして、いい服を普段から切るようにするべき、と。そうすれば所持する服の量も減る。確かそういうことが書いてあったと思う。

洋服も食器も、思い切って普段から使うべきなのである。
割れたら、または汚れたら、それはそれで仕方が無い。
そういう運命にあると思うしか無い。

ただ、東京の家にそういう良い食器を持っているかというと、残念ながら、無い。
IKEAで買った99円の皿や、ヤマザキ春のパンまつりでもらった白い皿、あとは300円(100円ではない)ショップの皿。自分で絵付けをした皿もある。

ただ、そのなかで最も活躍しているのはどの皿かと言うと、2年くらい前に有田陶器市で買った黄色と緑の椀なのである。
高級と呼ぶにはほど遠いが、質は良いと思い、気に入って、自分で選んで買ったもの。
なんとなく棚にある食器というわけではないのだ。
自然とこの食器に手が伸びるし、(2年前のブログによると)邪魔になるかなと思いながらも結局一番よく使っている。

事実、有田焼の食器は30年以上、割られることなく活用されている。
良い食器を使えば毎日付き合っているうちにその扱い方は子どもでも学ぶようになるのだと思う。繊細なものの扱い方。
「割りそうだから子どもには触らせない」ではなく、むしろ小さい頃から本物に触れさせるのは大切かもしれない。
いやもちろん勇気は要りますけど。

どうして食器のことを書き始めたかというと、もちろん今、実家にいて、いい食器を使っているからなのだが、それに加えて先日、友人に香蘭社の食器を贈ったこともある。
カタログを見てやっぱりきれいだなと思ったし、手の届かない値段ではないので、自分もいつか自分のために買ってみたいと思った。

こういうことに考えが及ぶようになったのも、成長したということだろう。(これを「歳をとった」と言う人もいるかもしれないけど。)

私も詳しくはないけど、香蘭社のデザインは洗練されていて、値段も手頃です。
実家の食器棚にもたくさん並んでいる。
(画像はウェブサイトから借りました。)

贈答用や、自分用にも、ぜひ。

Thursday, 13 October 2016

マルチタスクが得意なのは

1日が過ぎるのが早い。
新生児に合わせて3時間きざみで暮らしているためだと思う。
読書やら料理やらといった、少し集中を要する仕事はまったくと言っていいほど手につかない。それでもうまく3時間まるまる時間がとれれば、それを有効活用しない手は無い。掃除や片付けはそういうときに一気にやってしまうしかない。

「女性のほうが、子育てと家事をしているから、二つのことを同時進行させたり仕事を片付けるのがうまいんだよ」

と、かつて年上の同僚に言われたことがある。
「子育てと家事は女性のやること」という前提がどうも気に入らなかったので「?」と思いながらも当時は「はあ、そうですか」と答えた。

子育てをしていなくてもマルチタスクが得意な女性は山ほどいる。そして男性も。

男女で差があるとすればそれは子育てによる違いではなく、そもそも脳のつくりが違うからだと言える。
同僚の発言は、実に時代遅れで、浅かったと思う。


が、こうやって3時間刻みの授乳、おむつ替えなどと自分のことをやりくりしていると、「案外そうなのかもな」と思わなくもないのである。

Wednesday, 12 October 2016

コスモス

1日から郷里に帰っている。
そろそろ東京に戻りたいと思うのだが、たぶん戻ったら戻ったで、また郷里に帰りたくなってくるに違いない。

実家の周りにはコスモスがたくさん咲いている。幼い頃からコスモスは野生でたくさん見るものだったので、上京してから高額で売られているコスモスを花屋で見かけたときには驚いた覚えがある。

植物としての生命力は結構強く、手で握ると強烈なにおいが残る。それほど繊細な花ではなく、放っておいても、わーっと咲く。(田舎育ちはこういうのが感覚として分かるんです。)

だから特に、花としての価値(たとえばバラのような)は、コスモスにはあまり見いだしていなかった。漢字で「秋桜」と書きはするものの、桜の華やかさと繊細さには到底及ばない、という印象がある。もっとずっと土臭い感じがする。

いかにも「野生」だった実家のコスモスだが、ここ最近切りそろえられたらしく、見かけがとても上品になっていた。いわゆる「コスモス畑」と呼べる様であった。私が家に着いたころには満開を迎えていた。

この時期に郷里に帰るのは稀であるため、ふだん見ることの無いコスモス畑はことさら美しく目に映った。

満開だね、きれいだね、と言いながら写真に撮ったその翌日、台風がやってきた。
まさにcosmos(宇宙)の星々ようにふわふわと、緑のなかに浮かんでいた花々はもののみごとになぎ倒されてしまった。

はいこの通り↓

台風前に写真を撮っておいてよかったよね、と言いながら2,3日が経過した。

ふと見ると、なぎ倒されたコスモスがぐいっと頭を持ち上げているではないか。
やっぱり、すさまじい生命力だ。

畑全体に、もう一度色が戻ってきた。
花のピークは過ぎたものの、まだまだ楽しめる。

家の周りだけではなく、近所を歩くとあちこちに咲いている。
先日は近所の子どもたち(保育園児ぐらい)が駆け寄ってきて「ほら、これ、やる」と、摘んだピンク色のコスモスの花をいくつか手のひらに乗せてくれた。

「明日もやるけん来てね」
と言う。

手に残ったコスモスのにおいと、その生命力の強さはきっと、ずっと覚えているだろう。
もし、いつの日か、郷里をあとにしてもこの花のことは感覚として残っているだろう。

「じゃあね、バイバーイ」

と言いながら走り去る子どもたちに、二十数年前の自分の姿を重ね合わせたのだった。

Monday, 10 October 2016

1ヶ月と10日のメモと仕事について

朝早く起きてコーヒーなり紅茶なりを飲みながらPCの前に座るというのがとても好きなのだが子どもが産まれてからはその余裕もない。きょうは珍しく時間ができたので書いてみることにする。

メモとして、ここ一週間ぐらいの子どもの変化:

・人の動きなどを目で追うようになった
・よく目が合うようになった
・よく笑うようになった
・手脚のジタバタが激しくなった
・起きている時間が長くなった

体重が増えてほっぺたの肉付きがよくなり、赤ちゃんっぽくなってきた。

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さて、本題。

祝日ではあるが月曜で、さわやかな朝を迎えて最初に思ったのは「仕事がしたい」ということ。

月曜か〜、仕事か〜、あ〜あ、と言いながらも自転車ですいすい通って朝から活動をしていた日々がたいへん懐かしい。あれはあれでやっぱり幸せだった。自由に動き回れるって素晴らしい。

文句を言いつつも、やっぱり仕事が好きだし自分に合った仕事を選んだと思っている。復帰したらやりたいことがたくさんある。戻ったら戻ったでまた文句は言うんだろうけど。

仕事で楽しいことがあったりやりがいを感じたりすると、自分がこの仕事を通じて社会に関わっていることにありがたみを感じるし、誇らしく思う。これからあともそういう働き方ができるだろうか。



Wednesday, 5 October 2016

かわいいから許す

午前3時。

授乳に目覚める。
ちょうど雨が降り出し、台風がやってきたな、というタイミング。

乳→おむつ→寝

理想はこうだけど、これで終わるわけはなかった。
おむつを替えてたらおしっこをひっかけられた。
仕方が無いので着替える。
それからやっぱりおなかがすいているらしく、再度授乳。
そのうちに「音」がして、2度目のおむつ替え。
替えている間にさっき飲んだばかりの乳を吐く。
仕方ないので服を着替えさせる。
そうこうするうちにどんどん元気になっていく。

らんらんと まなこが輝く 午前3時

わたくし、めちゃくちゃ眠かったけど、同時に激しい空腹に襲われたのでこの一時間でお菓子二つ食べた。そして私も目が覚めてしまった。

しかし、だ。
これだけ振り回されても、「ハハー」みたいな満面の笑みを見せられると「かわいいから許すよ」と言わざるを得ない。何やっても愛しい、赤ちゃん。

かわいくなかったら?許さないんだろうなあ、きっと。

さて、ようやく寝ることにする。

お父さんの回復、12月の疲れ

父が入院している。経過は良いようで、退院が見えてきたらしい。よかった。毎日のようにテレビ電話で様子をきいているが、話す様子が1日、1日と元気になっていくのがわかる。人間の身体はすごいなあ。 話を聞くたびに、普段の姿勢とか、動き方とか、注意しなければと思う。身体に負担をかける動きを...