Thursday, 25 October 2018

バイリンガル記録 2歳と25日

こどもの言葉がものすごい勢いで出てくる。「増えていく」というのにも少し抵抗がある。というのも今になって身についたわけではなくずっと前からこどもの「中」には入っていたものもたくさんあるはずだから。だからそれが外に出て来ているのだと考える。もちろん増えているのも事実なのだが。

バイリンガル環境なのだが、家で話すイタリア語の割合が増えてきた。ひとりごとは日伊混合のようだ。言葉の出始めは日本語だけだったことを思い出すと、イタリア語が後から追いついて来ているかんじかもしれない。先日は、朝、一人でブロックの前に座り、それぞれを指差しながら色の名前をイタリア語でつぶやいていた。ピンク色を指差し、「ろーさ」と言いかけて、私が見ていたのに気づき、「ぴんく」と言い換えていた。arancione(オレンジ色)だけは難しかったらしく、指差してピタッと止まって私を振り返り答えを求めていたので「あらんちょーね」と言ってあげるとつたないながらも繰り返していた。

9月ごろまでは毎日youtubeを見たがっていたのだがある時からぱたっとそれがなくなった。ひたすらミニカーたちで遊んでいる。まるで車庫にいるかのように壁にきれいに等間隔に並べて横から眺め、そして「しゅっぱつ」させて、そこからまた戻る(これはイタリア語でtornaと言いながら戻す)という遊びを延々と繰り返している。きのうは「きゅうきゅうしゃ しゅっぱつ する」と言っていた。しばらくしてそれがイタリア語になり「きゅうきゅうしゃ えっしぇ(esce=出る)」と言い始めた。面白い。そしてどうやら人によって使い分けている。

しかも相手によって使い分けている。先日友達(日本人)がきたのだが、救急車を探しながら「どーゔぇ(dove=どこ)」とイタリア語でしゃべっていた子供に友達が「どうしたの」と話しかけたらすぐに「どこ」と切り替えた。コードスイッチング、すげえ、という感じである。

日本語のイントネーションがやたらイタリア語っぽいのも面白い。ゼロの状態からネイティブに習うので発音も表現の仕方も「本物」が身についていく。そのうち私のイタリア語を超えるのではないだろうか。すでに私が知らない単語を知っている、という場合があって驚かされる。ちなみに「ひし形」が「ロンボ」だとは知らなかった。

確実に言えてるイタリア語はこんな感じ:
C'e' (ある)
Non c'e'(ない)
grande(おおきい)
rosso(赤い)
bianco(白い)
nero(黒い)
giallo(黄色)
verde(緑)
uova(たまご)
pesce(魚)
cane(犬)
bici(自転車)
esce(出る)
torna(戻る)
eccolo/la(ほら、ほら来た、等)
aperto(開いてる)
chiuso(しまっている)
bagnato(濡れている)
nonno(祖父)
nonna(祖母)
libro(本)
marmellata(ジャム)
pane(パン)
treno(電車)
macchina(車)
crema(クリーム)
torta(ケーキ)
pantaloni(ズボン)
dove(どこ)
frittata(たまごやき)
mela(りんご)
acqua(水)
pista(線路)
occhio(目)
そしてもちろんciaoとciao ciao

ほかにもたくさんあるけど今思いつくのがこんな感じ。すくなくとも毎日「えっ、今なんていったの?」「この単語も知ってたの?」という驚きがあるのでメモが追いつかない。

そして恐るべきことに、もしかしたら女性名詞と男性名詞も使い分けているかもしれない。きのう、車で遊びながらeccolaと言っていたから。その物が男性名詞ならeccoloというのだがこれを使い分けているかどうかは今後観察してみよう。

まだ言葉を喋り始める前に私の父が「バイリンガル環境はきっと混乱するだろう」と言っていたのを覚えている。私もそう思ったのでなるべく混乱のないよう、と思いながら2年がたったわけだが、こどもの柔軟さはわたしたち大人の想像の域を軽く超えているのである。「おじいちゃん、マンマ、心配はいらんよ」とこどもに言われているような気がする。

お父さんの回復、12月の疲れ

父が入院している。経過は良いようで、退院が見えてきたらしい。よかった。毎日のようにテレビ電話で様子をきいているが、話す様子が1日、1日と元気になっていくのがわかる。人間の身体はすごいなあ。 話を聞くたびに、普段の姿勢とか、動き方とか、注意しなければと思う。身体に負担をかける動きを...