Wednesday 24 October 2018

ひとつ歳をとっての感想

一つ歳をとったのだが「老いたな」という感じがますますなくなってきた。5年くらい前のほうがそういうこと、というか数字を気にしていた気がする。というのも当時は子供がいなかったから。子供が産めるかどうかというのは冗談じゃなく重要な問題で、30代を過ぎて歳をとるたびにどんどん妊娠しにくくなっていると考えると誕生日なんて喜ぶべきものでもなく、その可能性が狭まった日みたいな感じがしたものだった。肌のツヤとか体力の衰えとかそういう理由で「若い方がいい」とは思わなかった。ひたすら気にしていたのは妊娠のことのみ。

だから、子供が生まれてからは(当然だが)その考えがなくなったので、誕生日と言われてもなんとも思わなくなった。一気に楽になった。その代わり日々の大変さはその当時と比べられないほど大変である。自由はほぼない。時々、32歳頃を思い出す。ものすごい自由だったな、自分、と。何にも縛られず、行きたいところにいつでも行けた。仕事も結構自由がきいていて、大変なところもあったかもしれないけど自分の裁量でどうにでもなり、苦痛でもなんでもなかったしむしろ楽しかった。こどものことは気になっていたけど。

それでもこどもが生まれた2年前に比べると自分の自由は格段に増えた。あのとき24時間文字通り付きっ切りだったなんて今となっては信じられない。そして意思疎通ができるようになってきたのでますます楽になってきたし楽しくなってきた。そう、子どものおかげで人生が楽しい。

私の人生が2年前から「こどものいる人生」になった。それは事実。しかし私が2人になったわけではないし私に特別な何かが加わったわけではない。あくまでも私は私であり、こどもはこどもである。我々はくっついているわけではない。

日々、「おっかさん」を前面に出すのはやめたいと思っている。こどもの話をするのはいいがあくまでもクールに。化粧まったくしなくなった、とか服も買わなくなった、とか美容院にも行けないとかそういう時期もあったけど自分のことは第一に自分が気遣わないといけないし、産後の体型が戻らないことはこどものせいにはできない。(だって自分の身体!)

ところで最近誕生日を迎えた同じ歳の友人にメッセージを送るとみんな同じようなことを書いて返事がきた。それは「これからが自由なことができる時期という気がする」ということ。やっぱりみんなそう思うのだな。ひとつ、吹っ切れたというか、そういう年齢なのかもしれない。

ありがとうとカルボナーラ

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