「これはいつの時代の話だっけ」
と、時々ふと、我に返ったように思うことがある。そして「何月何日、何曜日で、何をしているはずの時間なんだっけ」と。「あれ。」と。平日なのに仕事に行ってない。学校もやってない。保育園もやってない。そして天気は最高にいい。公園で空を見上げて「そろそろお昼だな」なんて思う。紛れもなくそれは2020年の4月24日、金曜日の午前11時40分ごろなのだが。非現実的なこの状態にだんだんと慣れ始めた気がする。学校が閉まるときいた最初、今度子どもたちがくるのはいつだろうなと思ってその2秒後に何も検討がつかないことにやはり日現実感を覚えた。あれからもう2ヶ月近くが経とうとしている。
2ヶ月。
いつもだったら、何をしていただろう。2ヶ月あればたくさんの、色々なことが進行する。しかもこの新緑の輝く、いい季節。やる気に満ち溢れた季節。それらを一切やらない状態でこうやって時間だけが過ぎていく。時間だけが過ぎていくんだけど、一応のところ生活が回っている。いつもやっていたあれやこれやの事柄はもともとやらなくてもよかったことなのか?人々に「忙しい」と言わせている多くのことは、もともとやらなくても良いことがほとんどなのかもしれない。
たとえば全員集まっての2時間以上にわたる会議。これがまったくなくなった。みんな日々「必要ない」と言いながらもこれを行わない勇気は誰にもなかった。今回コロナによってむりやり、会議の形式は変わることを余儀なくされた。これで問題ない。
コロナ後について誰もが語り出す最近。今までと同じ世界を取り戻したいとは思わない。誰だってそうなのではないか。価値観はこの数ヶ月で大きく変わった。しかし本当にコロナ後私たちは変わっていけるのだろうか。私は思う。終わったら終わったで、このことを忘れてしまいそうな気がする、と。もちろん小さな変化はあるだろう。仕事や教育でよりオンライン化が進む、とか。ただ、今抱えているこの、日々のモヤモヤした気持ちや「社会は今後こうあるべき」という考えや、「何をやってるんだあいつらは」という政治家に対する怒りは収束したら「あの時は大変だったね」の一言でまとめられてしまいそうな気がする。
それも仕方ないことなのかもしれない。コロナ後、2時間超の会議をダラダラと続けている職場の様子はやはり簡単に想像できてしまう。私たちは何を目指していくべきなのだろう。
Saturday, 25 April 2020
Never Let Me Go
夏休みの間ずっと読んでいた"Never Let Me Go"をやっと読み終えた。カズオ・イシグロの名作。 もしかすると長編を英語で読んだのは初めてかもしれない。20章以上あるので、1日1章読めればいいかなと思って読んだ。読んだ直後の、今の気分は、うーん、たいへ...
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