そろそろ夏の終わりがやってくる。切ないけど、あの暑さが過ぎ去ったのは喜ばしい。私の幼いころはきっとこのくらいの気温が「夏」だったのだろう。これ以上の猛暑を受け止められる余裕が、地球にはあるのだろうか。
ガスコンロが壊れて料理のできない日々が続いている。火を使わずに食べられるものを考えて調理するのにいよいよ疲れてきたので昨晩は馴染みのレストランに行った。
読みかけの本がたくさんある。きのうは「一冊でわかる イタリア史」を読んだ。読んだと言っても読みはじめは1ヶ月くらい前で、図書館で貸し出し延長手続きまでしてそろそろ返却日が迫っていたから。
ムッソリーニが処刑されるところまで読んだが、なんだろう、なんかこう読みにくいというか入ってこない。それは自分のせいなのかもしれない。18歳で、世界史選択者だったころは入ってきた情報が、不思議なことに今となってはなかなか入ってこない。それとも、本のせいかもしれない。深みが足りないというか。事実がひたすら書いてあるだけなのだが、少し感想みたいなのが入ったり考えさせたりしても良いんじゃないかと思った。そこが池上彰の本(賛否両論あるけど)とはだいぶ違う点。この手の本に関しては、やっぱり流れにのせる工夫みたいなのがあると良いなと思う。自分の勉強する姿勢さえあれば違うのかもしれないけど。
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で、本当に書きたかったのはこっち:
これも読みかけだけど、面白い。10歳に向けて書かれた教科書の翻訳と、それを読んだ日本の大学生の感想が交互に書いてある。おそらく子供むけかもしれない。読むと考え方がよりクリアに、シンプルになる。そうか、そう生きていいんだよね、と思う。基本的に「スウェーデン>日本」の姿勢で書かれてあるけど、まあ事実なので仕方ない。こんな国になれたらいいな、素晴らしいなと思わずにはいられない。
その中で私がいい影響を受けられたのがSNSに関する部分。以下第2章『メディア』より。
あなたも影響を与えることができる
メディアが、あなたやあなたの価値観、そしてあなたの意見に影響を与えるのと同じように、あなたも自分のためにメディアを利用することができます。たとえば、学校のカフェや自由時間の遊び場が閉鎖されないように、あなたが誰かに影響を与え
るためには「サポート」が必要です。そのような決定にうまく影響を与えるためには、なるべく多くの人々から賛同を得なくてはいけません。
通例、このことを「世論を形成する」と言います。もし、あなたがオピニオンリーダーとなれば、より多くの人々があなたの考えを支持するようになるでしょう。
以下に、あなたが世論を形成し、それによって決定に影響を与えるためのコツを示しておきます。
・あなたの友人や親類から、署名による支援を集めましょう。
・地方の新聞に投書しましょう。
・フェイスブックでグループを作りましょう。
・人々を集めてデモを行いましょう。
・責任者の政治家に、直接連絡を取りましょう。
この若者たちは、社会の犯罪に対する世論を形成したいと考えています。
いやはや、グレタ・トゥンベリのようなリーダーが生まれる国はこういう教育をしているのだ。納得がいく。日本はおそらくあと30年たってもこうはならないだろう。「人を集めてデモを行いましょう」って。ほかの章を読むとわかるが、スウェーデンでは老若男女、すべての国民が世界に影響を与えることができ、より良い場所にできる、ということを一貫して教えている。そして「規則やきまりごとは変わるものである」という常識。目から鱗である。外に目を向けないと、頭は凝り固まっていくばかりだなあ。
ちなみにスウェーデンについては「日本よりだいぶ進んだ北欧の国」ぐらいにしか思っていなかったのだが、スウェーデンの友達ができてからやっぱりこれは「だいぶ進んだ」どころではないんではないか、と思うようになり、興味がわいた。話をきくと何もかもが、次元の違う「良さ」で、驚くことばかりである。医療や福祉に関しては「あ、それは日本も同じ」と思うこともあるのだが、その他は呆れるくらいに違う。システムだけなら日本も作れるが、そもそも人の心というか、考え方、価値観が違う。これが教育の違いなのだなと思う。そして国民が政府を信用している、というのは今までに出会ったスウェーデン人たち(10人ぐらい)を思い出しても、理解できる。だから今回のコロナウイルスに関しても、スウエーデンの人々がどう考えてどう動いているかが、遠いながらもなんとなく想像がつく。
で、話は戻って、この章を読んで「メディアは受信するもの」というより「発信するもの」ということに気づいた。どちらの役割も果たしているのだが、日本ではあまりにも前者に偏っているのではないだろうか。総務省の行った2015年の調査の結果がこの本には載っている。
「自ら情報発信することよりも他人の書き込み等を閲覧することの方が多い」が43%、
「自らはほとんど情報発信せず、他人の書き込み等の閲覧しか行わない」が41%、
「自ら情報発信を積極的に行っている」が15%
らしい。
以下訳者によって書かれた部分引用:
日本のメディアの教育といえば「どうやって有害な情報から身を守るか」が重視されているように思われます。これに対して、スウェーデンの教科書では「どうやって有益な情報を発信できるか」が重視されています。そして、その先にあるのは、メディアが「民主制の道具」であるという発想です。
このあたりを読んで「そっか、発信か」と思った。フェイスブックやInstagramをたくさんの友人知人がやるようになったこの10年間で気づいたことがある。意見や感想、写真一枚でもそこに発信すると、SNSを始めた当初よりも友人の反応が気になるようになった。理由は二つある。読む相手が多いから。そして、当時と違ってそれぞれに家庭や仕事を持っていて置かれている立場がだいぶ異なってきたことで考え方も異なり「これは誰かを傷つけないだろうか」とか「傲慢とか自慢しているとか思われないだろうか」と気を遣うようになってきたから。個人情報を出しすぎていないだろうか、という懸念もあるかもしれない。そうしているうちに私にとってSNSは受信するためのメディアになってきていた。
内容に気を使うのは当たり前だが、発信していいのだ。何に怯えて「閲覧者」になろうとしていたのだろう。意見を表明する自由は、この国にはまだ残されているのだから。これで国民全体が「閲覧者」になってしまうと、極端な例だけど独裁国家を作るのもより簡単になる。メディアは「民主制の道具」。なるほど。
私は長年このブログというものを続けているのだが、これは発信している例の一つ。どこまで個人的にするか、など、悩んだ時期を経て、バランスも取れてきて今に至る。もう少し読者を確保する方向に行ってもいいかもしれないとは思うが、読んでください、というよりは勝手に書いているゆるい感じがまた長く続く理由の一つかもしれない。
ところで、こういう海外についての本を読んで「こんな国のあり方すばらしいな、こんなふうになれたらいいな」と思うのは年をとったせいかもしれない。10年前だったらきっと「日本を出てこんな国に住みたいな」とリアルに可能性を探っていただろうから。