Thursday, 24 November 2022

やっぱり早起きで、やっぱり料理している

 朝5時起きが定着してきた。5時半だったのが5時になったということ。時々4時半のこともある。今朝は4時40分ごろ。起きてすぐ、3日間水に漬けておいた玄米を炊く。

まだ外が真っ暗なうちに、紅茶をいれてシーンとした空気の中、朝の習慣をこなしていく。

この光景がとても好きです。

そして相変わらず料理ばかりしている。きのうはキャロット・ラペ、チョコレート・ケーキ、レーズン入りのパン、ゆでたまご、ごぼうサラダ、ゆであずきを作った。それとロメインレタスを洗ってステンレスのケースに入れておく。そしてこどものためのごはんを。昼は寒かったので味噌汁を作った。ねぎとブロッコリーとソーセージ入り。自分にはサラダ。ずっとキッチンに立っている。


きのうのチョコレート・ケーキはいつもと違うレシピにしてみた。若山曜子さんの「おいしいルール」という本が手に入ったのでそれに従って。いつもよりチョコレートの量が60gも少ない。軽い感じがした。好みが分かれるところ。卵黄、砂糖、バターを泡立て器で混ぜるというところもいつもと違う。洗い物が増えるのでこれは面倒。


この写真は先々週につくったパプリカのマリネ。あまりに綺麗だったので写真に撮った。

これもしばらく前に撮ったものだけど、たいていこういうのばかり食べている。今までサラダを夜に食べていたけど、できる限り昼に食べることにした。しかもなるべく時間をかけて。水菜とかケールとか、葉野菜を職場に持っていく。あればにんじんやごぼうも。職場にはバルサミコ酢とオリーブオイルを常備していて、それをかけて食べる。

が、それだけでは物足りないのでナッツと、玄米を入れる。つまりライスサラダです。私の好みで、クミンもふりかける。ときどきツナも加える。

同じものばかり食べていて飽きないのか?飽きないのだこれが。何が食べたいかって、これが一番食べたい。身体が一番心地よくいられる。酢の味が好きなんだろうなと思う。

昼にしっかり食べておくと夜ほとんどいらない。納豆やアボカドを食べて終わる。そして朝早く起きているので、夜はもう眠くて仕方ない。食欲より睡眠欲が勝る。

そうすると朝起きたときに胃が空っぽになっていて気持ちがいい。

こどものレゴは相変わらずレベルアップしていく。基本はスターウォーズ。これはジェダイと帝国軍の闘い、だそうです。





Monday, 7 November 2022

『心地よさの発見』、自分でなんでも作れる

時間さえあれば料理をしている。ここ最近、自分で作ったものが一番おいしいと思える。料理の腕が上がったというよりは自分の考え方が変わったのではないだろうか。

先日読んだ『心地よさの発見』という本がまさにLife changing(人生を変える)だった。快食、快眠、快便の3点について、健康にはランクがある、という観点から書かれてある。著者の高橋和巳さんは精神科医。彼の本は今までも何冊も読んでいる。一見難しそうだが、内容は全くそんなことはない。読んでから、自分の「今」が快適かどうかを 意識するようになった。この本は、精神的なこと、考え方についての指南書とはちょっと違う。「病気じゃなければ健康」ではなく、今ある健康をさらに高めることができるのだと知った。高度の健康状態を自分で作り出す。

自分の作ったものがおいしいと思えるのはここにも影響があるのではと思っている。

さて、天気が良いので公園でピクニックをよくする。公園にも、コンビニ食ではなくて冷蔵庫にあるものをささっと組み合わせて持参する。ケールと、前日に作ったごぼうサラダ。これに酢とオリーブオイルとマスタードをかけて持って行く。ゆで卵は常備しておく。


そういえば最近はあずきも自分で炊くようになった。難しそうに感じていたけど実際にやってみると大したことはなかった。甘いものが食べたければ自分で作る。寒い朝、ほかほかの小豆を食べるのはおいしい。

なんでも自分で作れるのだ。

先日、キャロットラペ(にんじんサラダ)を作ったらこどもが食べたいというので、それをフォカッチャにはさんでサンドイッチを作ってあげた。フォカッチャも、自分で焼いたものだ。子に手渡しながら(あ、これ全部私が作ったものだ)と気づいた。自分でできる。そしてそれが美味しい。

きのう子がレゴで制作していた傑作。AT-AT。スターウォーズに出てくるやつ。足と脚がすごくうまい。

バトル・ドロイド軍とストームトルーパー軍の戦闘。






Tuesday, 18 October 2022

「びっくり」ケーキを焼いた


 日曜日。若山曜子さんのレシピで「ヴィクトリア・ケーキ」を作ってみた。いわゆるスポンジケーキをまじめに作ろうとしたのは初めてのことではないか、とこれまでを振り返る。シフォンケーキなら何度も作ったことある。メレンゲを作るとふくらむのがわかっているのでシフォンケーキを作ることが多い。シフォンケーキはバターもいらないし、できあがりが美味しいのもわかっている。それがこういう普通のケーキというのは作ったことがなかった気がする。なぜ作る気になったか。それは、借りていた若山さんの本の返却期限が日曜だということがわかったため!

食べた感想:おいしい!

クリームを周りにぬるわけではなく、間にジャムとマスカルポーネチーズを挟むだけのものなのだが、そのシンプルさが逆に良かった。軽いので、ぱくぱく食べて翌日には無くなってしまった。

そして、ふくらまないことはなかったです。本当に忠実にレシピどおりに作ったらちゃんと高さのあるケーキができた。

ちなみに若山さんは東京外大フランス語専攻出身の料理研究家。珍しい経歴だと思う。「フランス料理の前にその土地の文化と言語を知るべきだと思った」ということです。外大生だなあ。フランス語が読めて話せて聞けて書けるフランス料理人の言うことは、そうじゃないフランス料理人のそれより断然説得力があると思う。

当然ながら親近感が湧いていて、最近ひいきにしている料理家。ちなみに借りていた本は『おいしいがつまってる わたしの好きな10のお菓子』。表紙の写真にあるケーキと同じものを作ったのでした。もっとジャム多めでもよかったかもしれない。

子に「ビクトリアケーキって言うんだって」と言ったら「びっくりケーキ!」と言った。かわいいなあ。気に入ったらしいのでもう一度作ろうと思う。

Sunday, 9 October 2022

5時まで待たなくていい朝型の話

 最近朝の起き方を変えた。というのは杉田敏さんの習慣について読んで刺激を受けたから。(杉田敏さんと言うのは説明不要の、NHKラジオビジネス英語講師を32年間務められた方です。)

最近買った「実践ビジネス英語 ニューヨークシリーズ ベストセレクション」から以下引用:

では、情報収集に充てる時間はどうすればいいのか。時間は作らなければなりません。一つアドバイスをするとしたら、朝の時間の有効利用ではないかと思います。

私は早い時には夜7時に寝てしまうこともあるし、11時、12時まで起きていることもあります。でも、朝は4時10分に目覚ましをかけています。それ以前に目が覚めた時は3時以降だったら起きてしまいます。眠い時に寝て、起きられそうな時に起きる、というのは私の理想です。無理をしない程度で体調を考えながら、起きて「仕事ができるな」と思ったらやるし、夜は「もう今日はやめた」っていう時にはやめる、という感じですね。(引用終わり)

わー、これだ。と思った。4時10分。4時でいいんだ、と思った。待たなくていいのだ。

私は通常5時半に起きで夜9時に寝る。そう決めている。夜9時に寝ると朝4時過ぎに目覚めてしまうことが時々ある。じゅうぶんぐっすり眠っているから。それでも「まだ早いな」と思って頑張って寝ようとする。でも寝付けない。7時間眠っているので当然である。せめて5時まで待とうと思って一応横になっている。そして少し外が明るくなったくらいで起きる。この、待っている時間が結構辛い。杉田さんのインタビューを読んで「待たなくていいんだ」と思ったわけだ。

というわけで最近は、4時台に目が覚めて「起きられそう」であれば起きることにした。これには朝の時間が充実するのに加えてもうひとつメリットがあった。夜眠い、ということである。しっかり眠れるのだ。だって4時台に起きているのだから。9時に電気を消して2分後には寝ているのではないだろうか。

なぜ5時すぎるのを待っていたかというとそれは睡眠不足になることを恐れていたからだろう。それならその分早く寝ればいいだけである。そして寝たければ5時半まで寝ればいいのだ。

静かな朝の時間が好きで、この時間のことを考えるとワクワクする。英字新聞に、フランス語の勉強に、英単語に、ブログに、写真整理に…と考えると、寝る前も、早く朝にならないかなあと思う。考えてみれば高校時代からこうだった。根っからの朝型だが、杉田さんのインタビューを読んですこしそのあり方が変わったという話。

Thursday, 6 October 2022

たいへんなぎょうざ

 

「ぼくはぎょうざが食べたい」

というリクエストに応えて餃子を作ることになった。無意識に「皮から手作り」をイメージしていたのには理由がある。

先日、Netflixで「クレヨンしんちゃん」を子に見せた。これが思ったとおりの大ヒット。今の、子の年齢にピタッとくる面白さだ。アンパンマンにはかなわないけど、数十年の間しんちゃんがずっと人気であり続けている理由がわかる。私も一緒にみていて面白い。Youtubeをダラダラ見せ続けるより断然いい。

話は戻って、しんちゃんとみさえが餃子を手作りするという話を見た。そのなかでみさえは皮から手作りしていた。私にできないこともないだろうなと思ったし、小麦粉をこねるのはきっと楽しい。そして水曜は比較的、私は時間に余裕がある。なによりも、まともにやったことがないのでやってみたい。子がイメージする餃子はきっと皮から手作りだろうと思った。

職場で、ウー・ウェンさんと栗原はるみさんの餃子の作り方を検索し、材料を確認した。雨の中、帰りにスーパーに寄った。

夕方5時ごろから小麦粉をこねはじめた。ねかせているあいだに「あん」をつくる。子はこの「あん」という言葉をしんちゃんのおかげでしっかり覚えていて、「あんこ」の「あん」ではないということをよく理解している。おもしろい。

あんができたので皮を伸ばす。これがたいへんだった。ものすごい時間がかかる。生地を12等分x3=36枚。ようやくできたときには日が暮れてお風呂に入るべき時間もとっくに過ぎていた。

そしてようやく包もうとしたその時…

「ああああー!!!」

なんと、薄く伸ばした皮が全部くっついてしまっている。打ち粉をしっかりふっていなかったせいだ。典型的な「失敗」である。やってしまったと思ったが、ここからは3人総出でやりなおすことになった。大人は皮を作り、子は包む。せっかく伸ばした皮をまたこね直して、一枚一枚作り直し。

しかし、これが3人でやりはじめると面白いほどに早く終わってしまった。なんだ、最初からみんなでやればよかった。

できた餃子は…うまい!

不恰好でもなんの問題もない。ほぼすべて子がつつんだ。「おばけぎょうざ〜」と言いながら丸くしたり、「はみでたからフタして」と言ってもう一枚上にのせたりしながらできた餃子はとても美味しかった。スターウォーズの「ハン・ソロ」をイタリア語発音で「アン・ソロ」と言い、「アン・ソロっていうのはハン・ソロが餃子のあんの中に入って、わー、って言ってるんだよ」と言っていたのがおもしろかった。

またやろうね、と言いながら食べました。

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振り返って考えてみる。餃子のような形をした、小麦粉に具をつつんだ食べ物は世界各地にある。イタリアのラヴィオリや、ウクライナのヴァレニキも同じ。誰がどうやっても、それが家庭料理である限り、そして機械を使わない限り、私がやったように一つ一つに時間がかかるだろう。

これは家庭に、台所の主となる人がいて、料理そのものに時間をかけられたからこそできた料理なのだと想像できる。3時ごろからゆっくり小麦粉をこねられる条件がそろっているのだ。

これが共働き家庭や、食事の準備にかけられる時間が30分くらいしかない人が日常的に作ることができる料理ではないことはすぐにわかる。

さらに、食べる人がいる。これを1人で作って1人で食べることは考えにくい。家族があってみんなで食卓を囲むからこそできあがる料理なのだろう。

しかし、時代は変わって、食事を準備することに時間をかけられる人も減り、1人でも餃子を食べる人が増えた。そうすると、自然と「餃子の皮」というものがスーパーに出現する。そして冷凍食品の餃子の登場だ。

きのう、スーパーのレジで、豚ひき肉とにらと小麦粉を持って列に並びながら、ふと横にあった冷凍ケースを見たら、味の素の冷凍餃子が188円で売られていた。「冷凍餃子か… 188円か…」と思いながら眺めたことはたぶんしばらく忘れられない。しかしそこで「買おうかな」とは思わなかったけどね。手作りすることに意を決していたから。次回は最初から、他者をひっくるめてやろうと思う。失敗を重ねてできるようになっていくものです。

Saturday, 24 September 2022

『ウヨンウ弁護士は天才肌』

Netflixの「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」がおもしろい。しばらく前から週末ごとに見ている。自閉症の弁護士の話で、Netflixでは「梨泰院クラス」や「愛の不時着」と並んでランキング上位にある。

自閉症を含む、「障害」がすべてに絡んでくるわけだ。こんなドラマはほかに見たことがなかったのでとにかく感心させられてばかりである。扱いにくいテーマを、タブーにせず、真っ正面から扱っている。日本のドラマはよく知らないので簡単に比べようがないが、ふと気づくと「日本でこれができるだろうか?」と考えてしまう。

法律事務所が舞台なので裁判の場面が毎回必ず出てくる。法律の世界をまったくと言っていいほど知らなかった私にとってはすべてが新しい。それぞれのエピソードに一つの事件があり、世の中本当にいろんな人のいろんな人生があるなあ、と思う。そんな我々を「弁護」してくれる人がいるのだ。すごい職業だと思う。

ちなみに字幕翻訳を担当しているのが私の友人。それもあってこちらの見方もちょっと違う気がする。「この訳は苦労しただろうな」とか「うまいなあ」とか思いながら見ている。なかでもダジャレの訳は翻訳家の腕の見せ所。外国語で実際に言われているのとは違うものを日本語で、翻訳家が、考え出さなければいけない。

感動あり、笑いありのドラマだ。まだ見たことがない人がいたらぜひ見てほしい。

Friday, 16 September 2022

弟が父に、アレルギー科と歯医者

弟にこどもが産まれた。きのうの夜のことだ。今朝起きて、何かいいことがあったような、と考えて2秒後に思い出して心でにやける。心がぽっとあたたかくなる。(いいことがあると、朝よくこうなる。) 七つ下の弟がついにお父さんになった。電話でしばらく話した。なんていい日なんだろうと思った。涙が出るほど嬉しい。感慨深いとはこのことだろう。弟が生まれて三十年ちょっと、私にとっておそらく世界一の「どうしようもないけどかわいい」人として君臨し続けていた弟が、父親になったのだ。時のめぐりを感じる。

妹の子とあわせて、私のこどもに、いとこが2人できて、私は2人の「おば」になった。ますます、実家周辺に自分がいないことが惜しい。妹も弟は「あっち」で、自分だけが「こっち」にいる。会いたい時に会えればいいのに。

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こどもの朝ごはんを準備するとき「あ、きれいだ」と思う瞬間がある。サッとカメラにおさめる。朝の光にかなうものはないなと思う。



15日、きのうは丸一日かけて成育医療センターのアレルギー科に行ってきた。子は重度のピーナッツアレルギーだ。

生まれる前に一度行ったことがあるが、それ以降は初めてなので初診である。とにかく時間がかかった。9時ごろに着き、9:45〜アレルギーについての動画視聴。なんと1時間半‼︎ i padの前に座ってひたすら動画を見る。本当は対面での講座だったらしいがコロナで動画視聴に変わったとのこと。

やれやれと思いながら動画を見る。これが実はとても面白かった。いろいろな実験結果や、どうやって治していくかの説明がある。「むやみな除去は逆効果」という話は特に、なるほどと思った。アレルギーを防ぐには早いうちから食べたほうが良いのか、避けたほうがいいのか、という話は昔からよく聞くがちゃんとした結論は知らないままだった。

答えは、食べたほうがいいらしいです。

ある実験が紹介されていた。121人の4~5ヶ月の赤ちゃんを61人と60人の2グループに分ける。前者にはカボチャだけ、後者にはカボチャ+ゆで卵を与えて6〜11ヶ月を過ごす。すると1歳時点での卵アレルギー発症率が前者38%に対して後者8%だったそうだ。つまり食べたほうが、発症率が8割低かった。ということで漫然と除去するのはよくないらしい。

1時間半は長かったが、勉強になった。11時過ぎには視聴終了し、それから11時半以降に診察に呼ばれますと言われたものの、これが12時半になる。成育医療センターはこどもが遊べるようになっているもののそれでもさすがにきつい。こどもには限界がきている。診察が終わったのは1時過ぎ。きつい。だいぶ疲れて帰る。

4時から子の歯医者の予約をしていたので、連れて行ったが、疲れで機嫌が悪すぎて話にならなかった。しかも、歯医者さんによると口内炎ができているらしい。それで磨いてもらうこともほとんどできなかった。口内炎に薬を塗ってもらうと、泣き叫び「もう歯医者さんなんかいやだ!!!」とその場を飛び出していった。怒りを通り越してどうしようもない。先生たちに頭を下げて「出直してきます」と挨拶した。最近こういうことがよくあってつらい。気持ちの置き所がない。

その子どもは、おととい、歯が抜けた。そしてきのう2本目が抜けた。この写真は1本目が抜けたときの写真。

なぐさめというわけでもないが最近のおいしかったものの写真。

つやつやのカルボナーラ。

そしてきのうの夕飯、ピッツァ。ほぼ1枚食べてしまう勢い。おいしかった。

Tuesday, 13 September 2022

えんぴつのはなし

鉛筆を使うようになったのはここ数ヶ月のことである。もう何十年も、鉛筆なんて身近ではなかった。ずっと前、マーク式の試験を受けるときにあわててコンビニで買ったHBの鉛筆があって、それを持っている。買っただけで試験でもない限り全然使わない。そんな感じだったのにどうして使うようになったのか。

こどもとwordleがきっかけである。こどものドリルのためにと思っていつだたか4Bのえんぴつを買った。それが、その後結局6Bのさんかく鉛筆に移行することになる。えんぴつけずりも買った。縦型の、しっかりしたやつ。もしかして自分で鉛筆削りを買うなんてこれが初めてかもしれないと思った。これらがきっかけでペン立てに削られた鉛筆が立つことになる。

毎朝、4月からずっとwordleを解いている。5つの文字からなる1つの単語を当てるゲーム。1日1個、毎朝楽しみにして解いている。手元で書かないとどうしても解けないときがよくあって、そんなときにふと鉛筆を手に取るようになったのだった。しかもHBではなく4Bの鉛筆。

さらさらと書けて気持ちがいい。万年筆を好んでいたが、万年筆はインクが乾いていて書けないことがとにかく多い。パッと手に取って書くのに鉛筆がちょうどいい。シャーペンではなく、鉛筆。

さらにえんぴつをけずるのが楽しい。ちょっとした趣味になってきた。いままでカッターで削っていたのだが、手間がかかりすぎるのでここはがりがりとえんぴつけずりで。

思考に影響があるかどうかはしらないが、そんなこんなで鉛筆を好んで使っている。ちょうどきのう5Bのえんぴつを持っている人に会って、少し欲しくなった。

Monday, 22 August 2022

東京に戻った

 東京に戻った。17日間も実家にいた(去年はもっと長かった)。毎度、考えることの多い滞在となる。移動して違う場所に寝泊まりするというのはそういうことなのだ。つまり、それが実家であれ、海外であれ、ある程度の刺激、ストレス、影響、変化を受ける。しかもそれが3泊4日くらいでは到底起こり得ないことが起こるし、感じ得ないことを感じる。それが良かったり悪かったりするかもしれないが私はそういった刺激を「悪い」と感じることはない。一箇所にずっと止まっていると当然ながら変化は起きない。移動し、人に会い、話すことが、悪い影響を及ぼすわけはない。ストレスのかかる分、得るものは必ずある。自分の子もそう思って6年間育てている。圧倒的に大量の人間との交流によって、新しい価値を創り出す能力が育つ。

さて、狭い東京に戻ってきても、30分もあれば環境の変化に慣れ、だいたいものごとが元に戻り始める。20年も住んでいるのだ、ここに。

子は早速きょうから保育園へ行った。ためらいもなく、楽しそうに、いつもより早めに行った。長い間いなかったので、子の登園を楽しみにしていた友達Yくんが、子の名前を叫んで飛びついていた。親としてはこういうの何よりも嬉しいです。そして夕方迎えに行くと、迎えが早すぎると言ってそのYくんが私に「なんでこんなに早いの」と怒り始める。さらに明日からはYくんは家族旅行らしいです。「またらいしゅうね〜」と言われた。たった1日でも一緒に遊べて良かったと思う。

Friday, 19 August 2022

雨のあとの散歩

昨日、雨が上がって気持ちよく晴れた。晴れているけど暑くない。いっきに涼しくなった。ちょうど9月を思わせるような爽やかな晴れだ。盆をすぎると涼しくなるというけど、やっぱりそうだなと今年も思う。田舎にいて自然に囲まれているとそれを余計に感じやすい気がする。

朝9時前ごろにこどもを連れて近くの川まで散歩した。大雨のあとなので川の勢いがすごい。田んぼの水が澄んでいる。「あ、おたまじゃくしが」と言って近寄ると、子は「どれ?」という。近寄って「これ、これ」と言ってもわからない。見たことがないのだ。おたまじゃくしを見る経験がないまま6年間を東京で過ごしている。絵本で見るおたまじゃくしとはだいぶ違う。仕方がないとはいえ、ああそうかと少し残念に感じざるをえない。タニシをみて「くろいのがいっぱい」と言うので、これはタニシというんだよ、と教えてあげた。

ほんの少しの時間だったけど、手をつないで道を歩きながら、私の通っていた小さな学校の話や幼稚園のバスについて話をした。やわらかい手をにぎりながら、手もにぎりやすくなったし、同じスピードで歩きやすくなったなあと思った。

親子だけど、違う時代を、違う環境で、それぞれの幼少期を暮らしている。同じ経験をさせたいようにも思うが、それはそれなのだ。この人にはこの人の人生がある。

Thursday, 18 August 2022

『ブリティッシュ・ベイクオフ』

 雨が降り続いている。15日夜にすごい勢いで降ってきて、そのあとは突然土砂降りになったり止まったりの繰り返し。そして昨日は一日中降っていた。しかも強い雨だった。今朝は少しおさまったように見える。暑いのも困るが雨も困る。少しの雨ならいいけど降り続くと気持ちが晴れない。昨年の、災害級の雨にくらべると、まあそれほどではない。

家のなかにいて何をするかと言えば読書やらテレビやら。きのう、珍しく新聞の番組表を見てみると、『ブリティッシュ・ベイクオフ』と書いてある。Eテレでやっているらしい。知らなかった。英国BBCの番組で、存在は知っていた。アマチュアの"baker"たちが集まってお菓子作りその他"bake(焼く)"料理を競う。見たいなあと思いながらも実際に見たことも見ようとしたこともなかった。午後1時半、忘れないようにテレビの前に座った。

これが!とても面白かったのである。お菓子作りや料理について、私は手の込んだものはまったく作らないが興味はある。そういう人にとってはこの番組は相当面白い。昔、日本でやっていたTVチャンピオンを思い出す。

お菓子作りに関係ない点だが、イギリス英語が面白い。久しぶりにこれだけ大量のイギリス英語を聞いた。それはまあBBCニュースなんて聞いてればいくらでも聞けるんだけど、それとはわけが違う。というのは、出てくる人々が、一般人で、アクセントがそれぞれに異なるから。10人以上の人物が登場するが、居住、年齢、性別、背景、肌の色がすべて異なる。そして飾らない、ごく普通の英語。聞き取りにくい。これがおもしろい。司会役はもちろん聞き取りやすい英語を話すが、ベイカーたちの英語にはかなり差がある。

Eテレでは30分間しか放映されなかったが番組としてはその倍あるようだ。続きが気になる。木曜夜に放映されるらしい。が、これはもしかしてと思ってアマゾンプライムで探してみたら、あった。探し当てて、続きを見た。もっと早く気づいていればよかった。こんなに面白いものがあったとは。

いい番組だなと思うもう一つの理由は、途中にその食物についての歴史が解説されるところ。これがきちんとしていて、面白い。ちゃんと再現ビデオまで作ってある。きのう見たビスケットの回では、funeral biscuitsというのが紹介されていた。なんとお葬式の招待にはビスケットを使っていたらしい。ビスケットを葬式の内容が書かれた紙でつつんで、それをカゴに入れて、歩いて配り歩いた、という話。おもしろい。あとは、飽食で太り過ぎかつ病気になった人たちのために、カロリー計算された健康に良いビスケットというのが開発された話とか。

ちなみに「クッキー」はアメリカの言葉です。イギリスはいわゆるクッキーのことを「ビスケット」と呼びます。

Tuesday, 16 August 2022

テレビの存在について

 何度か書いたが、東京の家にはテレビがない。

3年か4年ほど存在していたが、PC画面をコードでつないで映し出すというディスプレイとしての役割のみで、その間一度もつけたことがなかった。リモコンのありかも、わからなかった。それでも誰も困らなかった。

それでも最後に見たときのことは覚えている。育休から復帰した初めての冬、羽生結弦がメダルをとるかもという日だった。2月だったと思う。つまりオリンピックだったのだろう。大会を職場で途中までみて、羽生結弦は家でみるしかない、となったときだった。どうにかして家で見れるようにと、床で寝る我が子を起こさないようにそのケーブル(コード?)を探しあて、つないでみたのだった。

それからはTVはディスプレイとしての役割に徹した。そしてある日、壊れた。つかなくなった。廃棄するとなったとき、多額の費用がかかることを知った。予測はしていたが、テレビに関しては粗大ゴミの枠に入らない。業者に依頼しなければいけない。新しいものを買えば引き取ってもらえたのかもしれないが、新しいテレビは買わなかった。必要だとも思う人が家にはいなかった。

そんなこんなで文字通りのテレビなし生活になった。

そういう生活をしていて、実家に戻ると、テレビの音にびっくりすることがある。そして流れる情報のレベルの低さに唖然とする。見ない方がましではないかと思うものが大半である。まさに「垂れ流し」である。ただの騒音と変わらないような時もある。口をあけていてどんどん食べ物が入ってくるような感じがする。

食事中に流れているとこどもが「ぽかん」としてくる。

とくに凄惨な事件について食事中に流れてきたりすると、私は気持ちが暗くなる。「かわいそうにねえ」という同情の気持ちに行き着く先は何だろうか、と思う。そしてそれをこどもに見せる意味について考えてしまう。世の中ってこういうもんなんだよ、と知らせる手段としては確かにありなのかもしれない。しかし、たとえば日々報道されるこどもの虐待についてこどもが知る必要はあるのか。窃盗集団について、交通事故について、振り込め詐欺について。「ねえなにが起きたの」と言われると、たしかに説明する義務は親としてはあるのだろうが、あまり言いたくないときもある。

しかし、だ。自分自身もこうやって育ったのだ。テレビのある環境で。祖父母とごろごろしながら夕方のテレビをよく見ていた。それによって害があったのだろうか。ある程度の制限はあっただろうが。同時に、テレビ以外の媒体は新聞とラジオしかなかった。ざわざわと騒音のように降り注ぐ、それらの情報を選びとる力が、もしかしたらそれによってついていたのかもしれない。

いま、あふれる情報の渦のなかでどれを選びとっていくのか、リテラシーが問われるなかで、テレビという昔からあった媒体について、逆にこうやって考えている。

Saturday, 13 August 2022

サマセット・モームの"the Pool"を読んだ

 ここにきて1週間。ようやく読書らしい読書をした。サマセット・モームの"the Pool"を読んだ。短編といっても結構長い。しかし後半ぐいぐい引き込まれてあっという間に読んでしまった。おもしろかった。英語はそれほど難解ではない。舞台はサモアで、以前読んだ、同じくモームの"Rain"を思い出した。1921年に出た作品らしい。Rainもそうだったけど、今読むと驚くほど差別的な箇所がいくつもある。しかしそうだったのだ、その時代は。英国が世界を支配していた当時。そしてサモアと英国の気候の差は印象的。

それにしても英国というのはおもしろい。こういうの読んでるとそう思わずにはいられない。あんなに小さくて、気候もまったく素敵ではない。しかしこの国の人たちが、政治、文化、科学その他の場面において世界にもたらす影響力の大きさたるや。うーん。気候の最悪さは確実に影響していると思う。天気が良くないからこそ外に出たんだろうなあと。

さて今日は何を読もうかなあ。

Thursday, 11 August 2022

朝の習慣

朝の習慣について。

1. duolingoのmatching madness(カード合わせ)で、制限時間内にようやく最後まで到達できるようになってきた。それで点数を稼いでいるので今のところリーグ1位。きょうで497日目。本当に毎日フランス語を勉強している。少しずつだけど続ければだんだんものになってくる。たとえばSNSにある、フランス語話者が書いたフランス語が読めるようになってきた。私がフランス語を学ぶ目的は、話すというより読むためのほうが大きい。多くの人が外国語を学ぶ目的とちょっと異なるかもしれない。フランス語で書かれたものをみて「なんて書いてあるんだろう」と思うことがとても多いのだ。読めるようになりたいと思う。日本のニュースだけでは情報量が少ない、ということは英語でニュースを読んでいて気づいたことだ。そうしているうちに「フランス人の考えが知りたい」と思うことが多くなってきた。ここ数年の話ですが。もちろん、話せるようになりたいと思うけど。それは2番目の目的。

2. きょうのwordleは気持ちよく正解できた。(まだやってない人は見ないでください。)久しぶりにスクリーンショットに値する出来だった。
 3. しかしその後のspelling beeでパングラムが見つからない。どうしても思い浮かばなかった。

4. 同僚が夏休みの間ずっと配信してくれている英単語の問題を40問解く。だいたい3問くらい間違う。ずっとやってるけど全問正解したことがない。

5. 英語の日記を添削。数日前に依頼からあって、それに英語で返事をする。これは自分のライティングのためにもなるのでとても良い。

こういう、朝の習慣を続けながら夏休みを過ごしています。やることが少し増えているけど夏休みだからそれも余裕がある。

Monday, 8 August 2022

七夕、雨、梨泰院クラス

 こちらは七夕が7月ではなく8月。ということできのうの朝、短冊や飾りをつけて竹を立てた。ところがその30分〜1時間後、大雨が降る。狙ったかのようなタイミングでものすごい勢いの雨だ。案の定、みごとに飾りが取れてしまった。いくらかは残っているけど、雨で落とされた分のお願い事は叶えられたということにしよう。

さて、ここにいると、日中眠い。こんなに眠いことは、東京にいる日中であればまずないのだが、ここでは眠い。いつも緊張状態で東京では過ごしているのだと思う。本当にリラックスなどできていないのだ。ここに来ると本格的にダラダラする。畳の上に転がったが最後、寝てしまう。おとといも、きのうも、昼に寝た。意識せずとも寝てしまった。くりかえすけど、東京ではこんなことは無いのです、まず。

見かけていた「梨泰院クラス」をみている。大きなソファでごろごろしながら見ている。おもしろい。日本のドラマも面白いのかもしれないけどまともにみたのが20年前の「王様のレストラン」なので最近のものとはあまり比べられない。韓国行きたいなあ、と切実に思う。夏の韓国。

Sunday, 7 August 2022

登山から始まる移動続きの8月はじめ

8月に入ってからの振り返り:

 8月1日〜3日、林間学校。7年ぶりの登山。避けて通れない行事。いや、避けて通ることもできたのだが立場上、参加しないわけにはいかなかった。はじめて子と離れて2泊過ごす。山は、以前登っていたものよりもだいぶ負荷の低いものだと聞いていたのでそれほど心配することはなかった。実際、行ってみたら難なく登れた。やはり過酷な山、つまり辛い経験を一度でもしているといろんなことが楽に見えるものだ。とはいえ睡眠は不足するし、筋肉痛はするしで、回復までには時間がかかる。

これ、毎回のことなのだが登山の後は体重が増える。1kg~2kgは増える。痩せるんじゃないのか、と思いますよね。体組成計で測ると、増えた分は筋肉だということがわかるんです。これはほんとうにびっくり。いつもそうだけど、7年ぶりでもやっぱりそうだった。具体的には、体脂肪率が3~5%減り、体重が1~2kg増え、体内年齢が5歳ほど若返り、筋肉が1~2kg増えて筋肉量レベルが0から2に上がっている。人間の体ってすごい。しばらくするとこれがだんだんと元に戻ってくる。

4日。休息の日。荷物を片付けたり洗濯をしたり。図書館に返すべき本を持っていったり。しかしスーツケースはしまわないまま、次の出発の準備をする。

というのも5日は郷里に帰る日だから。このスケジュールに不安はあった。だいたい登山の疲れがそんなに簡単にとれるわけはないのに、たった1日あけただけでまたもや長距離移動をしても大丈夫なのか。コロナ持ち込んだり、具合悪かったり、準備が不足したりするのではないか。そういう心配があった。

それでも、帰省日を6日にしてしまうと、新幹線の席が取れないかもしれないという恐れもあった。お盆前の週末だから。いろんな心配はあったが、えいやっ、と5日に出発することに決めていた。

5日。朝は7時半より早く、子を連れて家を出る。準備といっても、登山の装備みたいなものもいらないし、国内だからパスポートも不要。私の着替えは実家にある。じゃあ何の準備が必要かというと、こどもの服だけだ。しかも、足りなかったら買えば良い。

8時30分ちょうどののぞみに乗って、いざ西へ。3月にもこの移動をしていたので、2回目は1回目ほど大変に思えなかった。そして、そのたった2日前に新潟から東京への移動(4時間くらい?)と登山を経験していたので新幹線の5時間はむしろ快適に過ごせた。登山の、暑くてきつくて汗ドロドロで、汚れて…という不快さに比べると、こんなものはなんてことない。特急も合わせて6時間半かけて到着。

これらすべての疲れが回復するまでは時間がかかる。昨日の午前中は、畳に横になったらいつの間にか眠っていた。顔もむくんでいるしあちこちがボロボロ。まあいいんです、ここでゆっくり休暇をとる。いくらかの仕事を持ち帰ってはいるがそれ以外は何もしないつもり。子は祖父母に会えて、好きなことをさせてもらって、とても嬉しそうだ。のびのびしている。自然はいい。

Saturday, 30 July 2022

夏休み、ピリピリメモとおいしいもの

夏休みですね。仕事はあるんだけど、夏休み前と比べると格段にゆるい。時間も気持ちもだいぶゆるい。なんといっても人前に出たりしゃべったりする機会がないので、それはもう緊張感がなくなる。服装や表情にも影響が出る。オフィス・ワーカーになるとこういう感じなのかもしれないと思う。そうなると自分をピリッと保つのが大変そうだなあ。

毎日続けているwordleとspelling bee。考えるときに書く必要があるので、毎日メモ用紙を手に取る。それで、先日職場で出力失敗した用紙が大量にあったのでそれでメモ帳を作ることにした。例の、ぴりぴりー、とはがすタイプのメモ帳が自分でも作れるのではないかと思って検索してみた。なんと水のりとティッシュで作れるらしい。早速試して見たら、作れた!これまで裏紙をクリップで止めたりしていたけど、こっちのほうが断然いいです。実物が、左。考えるためのメモで、右側のリングノートは正答を記録するためのもの。同じ語が出てくることはないだろうから迷ったらこのメモを見返すことにする。


最近の(作ってもらった)おいしいもの。アマトリチャーナ。おいしいいいいい!パスタはブカティーニ。穴の空いたスパゲッティみたいな感じ。


デザートにヨーグルトとアプリコットのケーキ。全然重くない。家族みんなが好き。ぱくぱく食べた。

きのう大きな仕事が終了。Done.


そのご褒美かのようなピッツァ!これも軽い。全粒粉で、お店で食べるよりおいしい。

ああイタリア行きたいなあといいながら過ごしている三年間。あの、ゆるい空気が恋しい。

Sunday, 17 July 2022

ピアノ、インド綿、『最強脳』

そうか三連休なのか、と気づいたのは先週。3連休でも2連休でも、もはやあまり関係ない。夏休みはもう目の前である。

土曜。

雨が降ったり止んだりの1日。友人が講師をしているピアノ教室の発表会に行ってみた。どんな感じなのか興味があったのと、少し外に出て日常にないことをしたいという気持ちがあった。何かしらの刺激が欲しかった。短時間でも良いから、電車に乗ってどこかに行って誰かと話したい、と思った。 

小さい子たちが一生懸命ピアノを弾いていた。自分はなぜピアノがうまくいかなかったのか、を考えずにはいられなかった。それでも、今だって「ダメ」ではないのではないか?と思った。ピアノにおいて自分を「失敗した」と決めつけているのは自分なのだ。まだ人生終わっていない。始めるなら今でも遅くない…。そんなことを考えながらいわゆる「一般の人々」のピアノ演奏を聴いた。小さい子から大人まで。ここに至るまでにどれだけの苦労があったのだろう。

最後に友人が講師としてステージに出て、演奏をした。弾き始めてもいないのに涙が出てきた。1人の人が、これだけの技能を身につけるのに、どれほどの努力と時間を要するのだろう。そして、何十人もの生徒たちの「ピアノが弾きたい」というごくシンプルな願望に寄り添う、ピアノの先生。なんてすばらしい職業を彼女はしているんだろう。ピアノという楽器が発明されたずっとずっと昔から、この世の中に存在した職業だろうけど、今も昔もその根本は変わっていないのだ。

いろんな想いがこみあげて泣けてきた。

そもそも音楽の生演奏を聴きに行くということがない。脳の、普段あまり刺激されていない部分をガツンと刺激された感じがした。短時間だったけど行ってよかった。

だいたいいつもそうなのだ。誰かの誘いであれなんであれ、外出するのに「行こうかどうしようか」と思って「行かなければよかった」というのは滅多にない。ほとんどの場合が行ってよかったと思える。これは私の人生における経験値による。

帰り道、いつもの生地屋さんでインド綿を衝動買いした。

この発色と、軽さと柔らかさを目の前にして買わないわけにはいきませんでした…。買っただけで結局何も作らず、ということになるのかもしれない。それでも買った。昨日からずっと肩にかけたり体に巻き付けたりしながら機嫌よく過ごしている。気に入った布が手元にある、それだけで機嫌がよくなるのです。

きょうは11時ごろにオンラインでの仕事が1件あったため、合気道は行けず。その代わりに、早めにプールへ行った。人の少ないうちに30分しっかり泳ぐ。なるべく息が上がって心臓がドキドキするくらいに早く泳ぐ。『スマホ脳』の作者、アンデシュ・ハンセンの『最強脳』を最近読み始めた影響だ。『スマホ脳』に書いてあったことの繰り返しだけど、やっぱり運動は脳に大事だということ。脳を鍛えたければ脳以外のところを鍛える必要がある、と。なるほど。

Tuesday, 12 July 2022

採血騒ぎ

 興味があるものもたくさんあるが、興味がないもの、というのをあえて挙げてみる。すぐ出てくるのが

・スマホ

・スタバ

です。これらには興味がない。興味がないので否定するにも至らない。ただ、お金がないとか騒いでいる人たちはこういうものにお金を使いすぎているのではないかと思う。

スタバについて。

コーヒーに詳しくはないけど、スタバのコーヒーは高すぎるのではないか。コンビニのコーヒーは100円だが、それとどれほどの品質の差があるのだろう。スタバというブランドに値段をがついているだけなのではないか。いっそのこと中身をインスタントコーヒーと入れ替えてもそれに気づく人はいないのでは?

まあいい。

私は飲料を買うことがあまりない。水以外のペットボトルを買うことがない。最後に買ったのがいつか覚えてないくらいだ。年に1回、あるかないか、というくらい珍しいことだ。そもそも魅力的に見えない。ジュース類は砂糖と着色料と添加物の混じった液体にしか見えない。わざわざ病気になろうとするようなものだ。お茶も買わない。ジュースもお茶も、原価でいうと10円にも満たないだろう。喉が渇いているなら水だ。身体のなかを流れていくものでなければいけない。

いやもちろんジュースもお茶も飲むんだけど「買う」という習慣はないってことです。

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きのう。子の採血のために小児科へ行った。何のための採血か?アレルギー検査です。ピーナツと胡桃にアレルギーがあり、ピーナツに至っては食べたら死ぬレベル。実際そうなりかけてこの世のものとは思えない恐怖を味わった。あの時の救急車内の光景は一生忘れない。最後に検査したのが2歳の時なので、久しぶりにまた検査してみようということになった。もしかしたら何か変化があるかもしれないから。念のために避けているカシューナッツやアーモンドも一緒に調べてもらうことにした。

問題は、採血である。

ワクチン接種などと違って、針を刺す時間が一瞬では終わらない。これをどう5歳児に説明するか。「血をとる」と言っても、こどもにとっては所詮「注射」と同じである。長い注射、みたいなものだ。看護士さんが「採血には難しい年齢だと思う…」と言っていたが、まさにその通りだった。一度、膝の上に座らせて血管を見せてゴムで腕をしばるところまでやったのだが、どうしてもそのあと腕を出そうとしない。引っ張っても力が強いのでまったく動かない。嫌だ嫌だの連発である。怒っても何の効果もない。

「はい、そしたら待合室にいったん戻って落ち着いてきて下さい」

と言われて戻る。しょんぼり。イライラ。

説得を続けながらも、別のことをした。アンパンマンの本があった。それを読んだりしているうちに落ち着いてきた。アンパンマンを普段読むことはないが、助けられた。

5〜10分経ったころ、ふたたびお呼びがかかった。2回目。今度は腕を出した。案の定、叫ぶ。採血している間、お医者さんは「よし、かっこいいぞ」と励ましてくれていた。血をとっている間は泣かなかったくせに、針が抜けたとたんに号泣する。「もう病院なんかきらいだ!こわしてやる!」とかなんとか言って泣き叫んでいる。大袈裟すぎる。いつもこうだ。しまいにはこちらも「うるさい!」と叫ぶ。

病院の外に出てからもわんわん泣いている。イライラしながらも「がんばったじゃーん。よかったよかった。」と声をかけ、自転車の後ろにのせて帰ろうとするとぐしゃぐしゃの顔のまま「Qualcosa Buona(なにかおいしいもの)買わないの」と言う。

ちゃっかりしている。注射の類が終わると「よくがんばりました」のご褒美に病院の近くのセブンイレブンでチョコレートを買ってあげることになっているのだ。泣いているからもう覚えてないかと思ったが、しっかり覚えているしわかっている。ちゃっかりしているな、こいつは。

セブンイレブンに入り、アンパンマンのペロペロチョコを見つけた。なぜか昔からこれなのだ。ほかにもチョコレートはたくさんあるし、チョコレートじゃなくても美味しいものはたくさんあるのに、なぜかアンパンマンのペロペロチョコなのだ。しかも特にアンパンマンが好きと言うわけではないのに。ふと子の顔を見ると、全然泣いていない。ピタッと泣き止んでいる。またしてもアンパンマンに助けられた。いくらか種類があるが、アンパンマンよりバイキンマンのほうがいいらしく、それを手に取った。

ちなみにこのチョコレート、これっぽっちなのに80円もする。このかけらが、80円なのだ。信じられない… 

そしていつのまにか「がんばったから二つ買っていい」というルールが子のなかでできている。前回買って気に入ったアポロチョコを手に取った。「まあいっか」と言って支払う。

自転車に戻ると再び泣きが始まる。「うあああああきらいだー病院なんてもうきらいだー!!おいしゃさんなんていやだー!!」

もはや、放っておくしかない。

そして家にたどり着き、手を洗って、ペロペロチョコを食べ出すと、途端に無言になる。「よかったね、がんばったね、あれ、もう泣かないんだね」と言うと、ニコニコしている。ケロッとした顔で「しってる?アンパンマンよりバイキンマンのほうがおいしいんだよ」と言う。


その後、夕飯を食べながら。

子「ぼくの血はいつ返してもらえるの」

私「あれは、返してもらえないんだよ。このまま科学者のところにいくんだよ。検査してもらって、いろいろわかる。返してもらわなくても、体の中で新しい血が作られているから、大丈夫」

子「ほねのなかだよ」

一瞬「ん?」と思った。2秒くらいして「ああ、あのことか!」と思い当たった。しばらく前に「からだのしくみ」についての本を読んであげたときに「骨髄で血が作られる」という説明があったのだ。それをこの子は覚えていたということか。

「すごいねーまったくこの子は!ほんとにすごいね、よく覚えているね」と頭をなでながら褒めた。ニヤニヤしている。あんな一文を、よく覚えていたものだ。私は忘れていたのに。本当に感心してしまった。

こどもはおもしろい。自分も昔はこどもだったんだけどね。こういうひとつひとつのことが、すべてが、新鮮です。

それにしても、どっと疲れた。本来の目的を忘れてしまうほどだ。検査結果は木曜以降にわかります、と言われた。「また病院にいくの?」と子がきくので「そうだよ、一緒にいく?」というと手のひらを私のほうに向けて「いや、いい」と答えた。最近、大人の言う「いいえ」の意味にちかい、「いや…」の言い方を覚えている。

Thursday, 7 July 2022

少し涼しくなった

今週は涼しい。ようやく息ができるようになった、という感じだ。6月末は、どうしようかと思った。6月に冷房をつけっぱなしで寝たことは今までになかったのではないか。温暖化は結局のところ自分たちが撒いた種だ。私が生きている間は、これよりひどい夏しか来ないのかと思うと悲しくなる。

先週の(作ってもらった)おいしいものをいくつか写真に撮っておいた。まずはピッツァ。一枚全部ひとりで食べちゃうかというくらい美味しかった。
焼いた茄子とパルミジャーノがかかっている。

そしてブルーベリーケーキ。冷凍ではない、生のブルーベリー。割引だったから、ということだったが、これはほんとうにおいしかった。



 我が家ではこのケーキが定番になっている。タルト型に、ヨーグルトとマスカルポーネを混ぜたものを入れたケーキ。砂糖もあんまり入っていない。このくらいがちょうどいい。

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「庭が欲しい」

最近切にそう思う。好きなハーブや果物を育てたい。私の人生、目指す方向はそっち側にある。人生もう半分終わったから、引退の方向ばかり考えている。

Sunday, 19 June 2022

6月18日 土曜日

 今年初めての冷やし中華。

土曜。

来週行われる、保育園の運動会。小学校の体育館を借りて行われる予定になっている。園庭で行うことができればよかったのだが、園の説明では「騒音に対する近所からの苦情」のため、やむを得ず離れた小学校で行うことになったそうだ。なんという世の中だろう、と思う。子どもが声を上げられない世界なんて。少子化?あたりまえじゃん?

時間もあったので自分の予習も兼ねて、自転車の後ろに子を乗せて場所を確認しに行ってみた。思ったより行きにくく、途中で迷って同じ場所をぐるぐる回る羽目に。なんとかたどり着いて確認。残念ながら中には入れない。保育園ではすでに先生たちが小学校の体育館で撮影した動画を子供達に見せて説明している。なんというご苦労なことだろう…。

図書館に行き、予約していた本を借りる。スターウォーズのキャラクター辞典が面白かったので2回目の予約をしたところだった。あとはおばけずかん。公園のベンチでしばらく読む。

昼に、遠いほうのレストランに行った。行くつもりはなかったがふと自転車の後ろに乗っていて子が思い出したようで、きょうに限って、そこに行くという。4月以来だと思う。まあ、いっかと思って行ったら、なんと順番待ちの人たちのなかに保育園の友達が!びっくりした。

そこで今年初めての冷やし中華を食べたというわけです。家でもこのくらい美味しく作れるようになろう、と毎年夏思うのだがどうも面倒さが先立ってしまう。そして4月に比べて10〜20%くらい値段が上がっている。ああ、どこもかしこも。なんでもかんでも。たとえば去年の今頃デザートセットは1600~1700円だったのがきのうは2000円。嘆くしかない。給料は上がっていません。

食べたあとしばらく、そのばったり出会ったクラスメイトと遊んでいた。ほんとによく駆け回っていて、やっぱりこどもはこどもと遊ぶのが一番だなあとしみじみ思った。

夕方、本を読もうと思ってソファに横になったらそのまま眠ってしまった。睡眠不足だ。私にしては珍しい。

4時過ぎに起きて、3人でプールに行った。気持ちがよかった。子はいっこうに水に顔をつけようとしない。

Friday, 17 June 2022

初夏の夕方

初夏の夕方。暑くもなく寒くもなく。ふと外を見ると空がピンク色になっていた。 


そしてすぐに暗くなった。

夕飯はアマトリチャーナ。おいしかった。子と競って食べた。

初夏が好きだ。故郷にいると初夏らしさがもっとあふれているはずだ、と思う。東京ではそれがだいぶ薄い。湿度が上がるくらいで、自然が見えてこない。しかしそれはそれとして私にとっての「東京の初夏」として身についている。

きのうから子が「アイムソーリー ヒゲソーリー♪」と歌っている。何十年経っても子供のあいだで流行ることばは同じなのだなと思って聞いているとそのあとに「すがソーリー」と加わって、おっ、と思った。そしてどうも発音が英語っぽいのが興味深い。

Tuesday, 14 June 2022

イタリア的助言が欲しくて

 きのう仕事で問題が起きた。家でイタリア人に話をすると「で…大したことではないんじゃ?」と言われた。

この一言で私はどれだけ救われているだろう。もしかしたら「私は真剣に話しているのにそんな言い方はないでしょう」と思う人もいるかもしれない。だが私は「そっか」と思う。仕事に限らず、なにかできごとやものごとに対処するときに「イタリアだったらどうだろう」と頭のどこかではいつも思っている。そしてイタリア的な助言が欲しくてイタリア人にきく。その出来事がイタリア的に見てもありえないことであれば「やっぱりひどい」と思うし、大したことないと心の中で思っているときは「やっぱり大したことない」と思う。

もちろん、日本人でも同じようなことはあるだろう。つまり客観的な見方が欲しくて利害関係のない人に意見を求めるということ。ただイタリアはさらに客観的だ。「なるほどそう考えるのか」と思う。私がイタリアをいくらか知っているからというのもある。もちろん「わかってないな」と思うこともあるが。

この差、この違いが楽しい。少なくとも私にとっては。

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ようやくスーパーでケールを見かけるようになった。今年は例年に比べて少ない気がする。硬くてゴワゴワしていても、千切りして食べると美味しいです。自分の庭でいつか育てられたらいいなと思う。庭、ないけど。庭がほしいなあ、庭。自分で野菜を育てたい。



Sunday, 12 June 2022

リアルに思い出した子の赤ちゃん時代

 友人から連絡が来て、会いに行くことになった。8ヶ月の子がいる。「赤ちゃんざかり」でそれはそれはかわいかった。あったかくて、やわらかくて、軽い。永遠に抱っこしていられるとさえ思う。20kgある自分の子に比べると、本当に軽く感じる。

「週末は夫が不在でワンオペ」らしい。昼を食べてから、家におじゃますることになった。こどもが自由に動き回るにはやはり家がいいだろうから。ハイハイはまだしない。片手でずり這いするような感じ。だけど自由にどこにでも動き回る。何にでも興味があって、家の隅々まで行っていろいろなものを触っている。振り返ってニコーっとする。ああ、赤ちゃんだ。かわいい。

そうしているうちに思い出してきた。この赤ちゃんの時期がいかに大変だったかを。動き回る子を見つめて、「さて、どうする」と思うわけだ。絶望する。一日中家にいるわけにもいかない。かと言って放っておくわけでもないので5秒でも目を離すことができない。話そうにも、会話ができるわけでもない。誰か、助けてくれ、と思う。手あたり次第友人に連絡してみる。週末に限らず、会う人と予定を決めておく。特に昼食。そうでもないとやってられない。ああ、ありありと思い出してきた。自分がご飯を食べている間に抱っこしておいてくれる人を見つけるため。トイレ行っている間にみてくれている人を見つけるため。そして何よりも、話し相手になってくれる人を見つけるため。私の、話し相手。8ヶ月ともなるとだいぶ身体も丈夫になってきているのであちこち連れ回ることもできる。だから朝から夕方までずっと外出していることも多かった。人の手が欲しかった。思い切って飛行機に乗せて実家に帰ったことが何度あっただろう。あのころ。用もないのに職場に何度も連れて行った。仕事に戻りたかった。でも保育園は見つかりそうになかった。今思うと、それはもう充実した日々だった。8ヶ月なんてもう最高にかわいいのだから。
だけど、たとえばPCの画面を見る(本当に、少し、見るだけの)時間とか、本を読む時間とか、そういうものはまったくと言っていいほど取れなかった。起きていれば早く寝てくれと思うし、寝ていれば早く起きた顔が見たいとも思う。これはもう、本当に(こういう言い方は良く無いと思うけど)経験した人にしかわからないと思う。そして数ヶ月後、1歳の誕生日がきて、一緒に歩んだ日々を振り返り、あふれる涙。

(赤ちゃんはかわいいけど、他人の赤ちゃんを抱っこするので十分だ…。)

そこらじゅうを這い回り、なんでも口に入れる赤ちゃんを見ながらそう思った。あの時期に戻りたいか?答えはNOだ。かけがえのない日々だったが、過去は過去だ。かけがえがないのは、いま、目の前にいる我が子なのだ。

Thursday, 9 June 2022

ざくざくおぼろどうふ

最近ハマっているもの。 

おぼろ豆腐にいろいろのせて夕飯に食べること。(昨夜の写真↑)

栗原はるみさんのインスタをよく見ているのだが「冷蔵庫にあるものなんでものせた豆腐」が時々出てくる。名前は「ごちそう豆腐」だったか。

ぬか漬けを千切りして豆腐にかけ、胡麻油と醤油で食べるのは時々やっていたが、もっといろいろかけてみようと思った。

初夏はとにかく豆腐が美味しい季節だ。食事制限も含めて似たようなのをやってみようと思い、スーパーに行ったところ、98円で「味の濃いおぼろ豆腐」を見つけた。300g。大きい。ためしに、その時に安かったしらすも買い、ネギ(めったに買わない)も買ってみた。ぬか漬けを千切りにして、ざくざくとのせてみたところ

…これはおいしい!!

ゆずごしょうとしょうがものせています。その数日後に「あ、かつおぶし!」と思いついて買った。さらにおいしい。

しょっちゅう「なにをのせるとおいしいかなー」と考えている。さっきふと遠山顕さんのブログを読んで「あ、シソ!」と思いついた。いっそのこと花屋で苗を買って家に植えてしまったほうが良い。

ざくざくおぼろ豆腐。これだけで立派に一食完結する。

Friday, 3 June 2022

朝の習慣とこどもメモ

6月になってしまった。早い。

いろいろな変化があったと思う。が、案の定、記録していない思考は消える。できごとや事実は覚えているがその時何を考えていたかというのはもはや残っていない。「忙しかった」「あっという間に過ぎた」に尽きてしまう。

相変わらずwordleを毎日やっている。今日のはこんな感じで、爽快感がありました。 

かれこれ66回も続いているらしい。画面下にあるspelling beeも、流れでやることになって最近ハマっている。朝の習慣がもう一つ増えた。Duolingo, Wordle, Spelling Beeの3つ。これが楽しみで毎朝早く起きる。

最近Spelling Beeにほんの数個単語を入れただけで「はいクリア〜」モードになってしまうのはなぜだろう。やはりそれはsubscribeしていないからだろうか?単語を作るだけではなくて、その場にある7文字全部を使って一つの語を作るパングラムにはまっていて、わからないときはその一語を一日中考えている。

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こどもメモ。

6月2日、きのうは子が4時半に起きた。日の出とともに起きた。この季節が来てしまったか、という感じがする。しかし昨年までと違うのは、4時半であっても1人で遊ぶ、ということだ。こちらは寝ていて、あちらはレゴがかちゃかちゃ音を立てている。5時すぎに「もうあさですよ〜」と起こしに来てくれたが、いや、まだまだ早いよ…。我々は寝続けた。それにしても疲れないのだろうか。保育園に出かける9時ごろにはもうすでに5時間近くが経過していることになる。

相変わらずレゴが好きだ。レゴ生活が始まってもう1年以上になる。好きなものは消防士から警察、ゴーストバスターズ、西部劇(具体的には「夕日のガンマン」。)、ジュラシックパーク、スターウォーズ、と移行してきたがその間、並行してレゴはずっと好きだ。ここ数ヶ月はスターウォーズとレゴの組み合わせがだいぶヒットしている。スターウォーズはちゃんと映画も見ているのでストーリーもよくわかっている。日本語吹き替えの映画が見つからなくてもイタリア語で全編見られるあたりがすごい。我が子ながら、そのバイリンガルぶりに感心してしまう。選べるってすごいな。どちらの言語にしても負担はあまり変わらないように見える。

夏になっても相変わらずユニクロの黒いレギンスを履きたがる。特に赤いTシャツとの組み合わせがかっこいいらしい。暑くても関係ないらしい。保育園のある日は「かっこいい」しかダメだという。「かわいい」がゆるされるのは土日だけ。というわけで昨年私が作った麻のズボンは土日用と認定されてしまった。黒のズボンがかっこいい、というこのセンスはどこから来ているのだろう。実際、私もズボンといえば黒だし黒さえあれば困ることはないと思うがそれを教えこんだことはない。

とりあえずひらがなが全部読めるようになった。冬休みから毎日少しずつくもんのドリルをやり続けた。根気強く毎日やったらひらがなだけで三冊を終えることができ、それにともなって読むことができるようになった。あれだけ心配したひらがなの読みだが、なんとかできるようになってよかった。まだ書けない。なぞるのはできるが自信を持ってかけない。失敗してしまうから、と言う。手を添えてあげながら少しずつ書いている。この人のスピードは、こう、ということなのだなと思いながら見ている。毎日私も相当イライラしているが、鉛筆を持とうとするだけですでに上出来だと思うようにしている。

Monday, 16 May 2022

5月15日

 5月が半分終わった。早い。乗ってくると早く感じるものだ。

暑かったり寒かったり、雨が降ったり止んだり。もう少しさわやかで過ごしやすい日々が続くと期待していたのだが?きょうもまた雨が降るらしい。

曇り空のなか、きのう日曜は合気道に行き、昼は家族でピクニックをした。雨さえ降らなければピクニックはできる。外食であれピクニックであれ、昼ごはんは外で食べるのが良い。

夏が近づくと、イタリアに行きたいなあと思う。しかしコロナと戦争が落ち着かない限り、渡航は難しい。そして仕事がどうなるのか不明なところがかなりある。

さて今週もがんばろう。

Wednesday, 11 May 2022

やることリスト

 いい季節だ。空気が本当に気持ちいい。

自転車で走るのが爽快だ。公園のベンチで本を読むのもいい。ピクニックをするのもいい。プールに行くのも合気道に行くのも気持ちいい。夜風も気持ちいい。ビールが飲みたくなる。ふらっと友達に会いに行きたくなる。

こういういい季節は長くは続かなくてあっという間に暑くなるのだよな… やりたいと思ったことはその時にやらなければいけない。

それにしてもやることが多い。毎日のようにリストを作る。そうでないと処理できない。あれやらなきゃ、と思いついたときに紙に書いておかないと忘れてしまう。1日のうちにすべて処理できないときは翌日に持ち越して新しくリストを作る。やらなければいけないことに加えて「できたらいいな」という願望も含めたりする。「ラーメン食べたい」とか。

リストを作る理由は、やることを忘れないというのに加えて職場に着いてからぼけっとせずに効率良く時間を使いたいからというのもある。リストがないと座ってから「えーっと、なんだっけ…」と結局優先順位の低いことに時間を使ってしまったりする。退勤時間が制限時間なのだ。その時間内で業務をなるべく片付けたい。

Wednesday, 4 May 2022

留学時代の友人と、こどものドリルのこと

ろくでもない夢ばかり立て続けに見る。おとといはガンになった夢、昨夜はストーカーに追い回される夢(これはほんとうに怖かった)。

今朝のWordle。たぶん1分かそれ以下で終わってしまった。楽勝。35日連続で解決できている。本当に面白い。1日のうちの一番の楽しみと言ってもいい。夕方までとっておくことができず、朝一番、Duolingoの次にやっている。Duolingoはもうすぐ400日連続が達成される。
きのうは雨も降らず、ほんとうに気持ちのいい天気だった。家族でピクニックに行ったが公園も思ったほど人がいなかった。みんなどこかに出かけているのだろう。

昼過ぎから、友達に会いにいった。留学時代の友人。あの9ヶ月間に出会った人たちについては、時が止まっているような気がする。知り合ったのが英国で、学年という考え方はなかったのもあり、年齢もよく知らずに付き合っていた。先輩後輩という感覚がまったくない。そしてみんな下の名前しか知らない。漢字でその名前は見たことない、そんな感じだった。そして結構仲が良い。日本ではない場所で出会ったことが、こんなに特別な関係として残るのだなと、あれから20年近くが経過して思う。ともあれ皆元気そうで何より。

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こどもの話。

年中になってもひらがなをいっこうに読もうとしなかったのでだいぶ心配していた。が、冬休みに祖父母に、くもんのドリルを買ってもらったのだが、それがきっかけで少しずつ読めるようになってきた。毎日1枚ずつ取り組んでいる。そのドリル1枚にかかる時間はそれほどではないのだが、その前にカレンダーを見て「きょうは◯月◯日間◯曜日」という練習と、これまでやったドリルをみながらひらがなを声に出す復習をしている。それらを合わせてたぶん10分くらい、毎日やっている。「もじ」と「かず」を合わせて今のところ三冊終了した。嫌々ながらやっていたが、少し読めるようになってからはまんざらでもなくなってきている。そして一枚終わるごとに貼るシールで達成感を得ている。ちなみに「かず」のドリルの途中、ドリルが嫌いになりそうな時期があった。これは無理強いせずやれることをやろうと思い、「もじ」に戻った。しばらくこのまま「もじ」で行こうと思っている。

うちはテレビがないので、Youtubeで少し動画を見るのを子は毎晩楽しみにしている。その前にやるべきこととして「自分の洗濯物たたみ」と「ドリル」である。これがだいたい7時半前後に行うこと。そして8時になったら歯を磨き、トイレに行って寝る準備をする。本を読んで、9時消灯。(ついでに私も寝る。)

大人であれ子供であれ、習慣がすべてだなと、我が子をみながらあらためて思う。毎日同じ時間に同じことをやる、ひたすらその繰り返しである。時間がきたら時間切れ、なのである。延長はない。そのために逆算して行動を始める必要がある。ただし、何かやりそこねたら「まあいっか」で済ませる。新しい1日は必ず来るしチャンスはいくらでもあるから。そして時々休みを入れて一息つくこと。

Sunday, 1 May 2022

夢に子が出る、『子は親を救うために「心の病」になる』

 夢に我が子が出てきた。同僚もたくさん出てきた。あまり良い夢ではなかった。ずっと焦っていた。覚えている限りでは…私を訪ねて職場へ子がやってくる。たぶん祖母が連れてきてくれている。職場といっても建物は全然違う。見たこともないし知らない。いったん子と一緒になるものの、そのあと自分が荷物をあちこちに置いていて、それを回収するためにうろうろするのだが周りがどんどん暗くなってきて、しかも子はどこにいるかわからなくなる、という夢だった。そして、あるおかしな同僚について、ほかのみんなと話していた。おかしい、と。

気づいてみると、最近ようやく我が子が夢に出るようになった。しばらく前まで、「この人だけは絶対に夢に出てこないなあそういえば」と思っていた。「自分にとってこれほどまでに大事な存在であるというのに、なぜ夢には出てこないのだろう。大事だからこそ夢には出ないのだろうか」と考えていた。それが最近、出てくるようになった。もしかしたら気のせいかもしれない。というのも、夢ってすぐに忘れるものだし、記録もしないとすると形として残っていないので、どんな夢を見ているかは確かではないから。

子は寝るときに「マンマ、手つなごう」という。手をつなぐと安心するらしい。これは本当に小さい時からずっとこうだった。時々それが足だったりもする。

きのう、寝る前に「手をつないで寝ているのに、どうしてマンマが先に起きてるの」と訊ねてきた。かわいい。

私「それは、寝ているあいだ、朝までずっと手をつないでいるわけじゃないからね」

子「ぼくはマンマといっしょに起きたい」

私「ゆっくり寝てていいよ」

子「やだ、いっしょにおきる」

そうやってつないだ手はいつの間にか離れていて、私はいつものように5時台に起きた。

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同僚から借りた本を、きのうの午前中に読んだ。実は借りたのは去年の秋か冬で、ずっと読んでいなかった。そのまま返しかけていたのだが昨日の朝、公園に持って行ってベンチで読んだ。

『子は親を救うために「心の病」になる』

という本。たんに読むのを後回しにしていた、というのもあるが、実は向き合うのが怖かったというのもある。とても良い本だった。

誰しも、自分のこどもをしっかり育てようと思うのだが、その前に自分自身に向き合わなければいけない。自分のなかにある矛盾を認め、すべてを受け入れなければいけない。子に問題があるとき、それは親の問題であり、その親がどう育ってきたかまでさかのぼる。問題は三代かそれ以上にわたる。読みながら、自分のことじゃないかこれは、と思うことがいくつもあった。人を許せる人間になりたい、と思う。私は厳しく育てられたぶん、その通りに強く育ち、なんでも自分でできる、と思ってきた。そのぶん、自分に甘い人のことが許せないし、わからないのだ。このことで我が子を苦しめることにならないだろうか、と思う。ときどき。

ところでこの季節は公園で読書が一番良い。きのうはそれに最適でした。寒かったけど日差しは暖かかった。毎年、新緑の季節になると公園の、いつものベンチに座る。すると読書が捗る。これも2年前のコロナ緊急事態宣言下で得たこと。

Friday, 29 April 2022

日々を坦々と暮らすこと

 あっという間に4月が終わろうとしている。始まりの週は永遠に続くかと思うほど長く感じた。ずっと昔のことのように思える。新しい生活パターンに慣れ始めてからは、すべるように毎日が流れていく。

日々を坦々と過ごすことに心がけている。休日だろうが平日だろうが、同じ時間に起きて同じ時間に寝ること。

だいたいいつも、同じようなものを同じ時間に食べている。朝は、あれば何か甘いもの。昼はスパゲティとゆでたまご。夕飯には、この季節は水菜が美味しい。一袋買って、ぜんぶハサミでばさばさと切って食べる。

以前に比べて、休日がそれほど苦ではなくなってきた。子といっしょにいるのが大変ではなくなったおかげだ。着替えも歯磨きもトイレも自分でできるようになった。焦らずとも前に進むものだ。

この季節になると、2年前を思い出す。休校、休園が続いた2ヶ月間のことを。今考えると、やはりあれば非常事態だった。そして異常事態だった。どうやって毎日を過ごそうかと考えた。こどもと、3人で家にいる。スーパーと公園と家の行き来で、なんとか楽しみを見出そうとしたものだった。

結局のところ楽しみは日々のなかにあることに気づいたのだった。やるべきことをこなしていれば1日は確実に過ぎていくということがわかった。その当時、A5のノートを一冊買って、朝一番にその日の日付(年号から)を書き、やるべきことを書き出した。たとえば「豆をゆでる」「読書」「運動10分」など。終わったら赤いマジックで消していく。休校の2ヶ月が終わってもその習慣をしばらく続けた。

あの2ヶ月は自分のなかで大きな意味を持っている。生きていくこと、そのものを見直した期間だったと思う。そして、こうやって生きていけば何があっても大丈夫だという自信につながっている。

坦々、といえば、先日、どうしても坦々麺が食べたくて某有名中華料理屋に行ってみた。これが大ハズレ。参った。「オリジナル坦々麺」という名前を信じるべきではなかった。有名店なので行ったことで話題にはなるだろうけど、それだけだった。

Wednesday, 20 April 2022

Wordle 305(これからやる人は見ないで)と水曜のジーンズ

きのうに引き続きワードル。またしても奇跡が!

びっくりした。これは限りなく1回であてたようなものだ 。開始1分くらいだった。朝から1人で「うおおおおお」と叫びました。ワタシ天才かしら!とさえ思ったね。いやーびっくり。冴えてるなあきょうは。こんなこともあるんだなあ。こういう記念すべき出来のときはスクリーンショットをとっておくことにしました。

さて、4月といういい時期のはずなのにパッとしない天気。そして結構寒い。ヒートテックがいつまでも手放せない。子とその父は、きょう2人で高尾山に行く予定だったがきょうは天気がよくないので延期することになりそうだ。

先週の水曜のことを書いておこう。久しぶりにジーンズを買った話。子を保育園に送ったあと、家に帰り、10時から歯医者へ行った。初期虫歯が見つかり、がっかりしていったん帰宅。それから速攻で駅へ向かい、新宿へ。行き先はGAP。試着するものをすでに決めていた。GAP着は11時。ジーンズを試着し「こっちのサイズで」「こっちの色で」とすぐに決めて、レジに行こうと思ったらTシャツを見つけた。そういえば合気道の仲間が素敵なTシャツを持っていて、これがGAPだった。試しに来てみたら、しばらくぶりに「おっ」と思える、自分に合うものに出会った。合いそうなサイズをいくつか試して、黒いTシャツをひとつ買った。ほかにはどこにも行かず、12時に帰宅。正味1時間。それから1時過ぎには子を迎えに行くことになっていたので、新しいジーンズをはいて迎えに行った。

ジーンズとかTシャツとか、これらに限ってはどうしても試着が必要だ。店舗に行く機会がないかなあとずっとうかがっていたこの日、自分にあたえられた1時間を有効活用しない手はない、と思ったのだった。

それにしても久しぶりにジーンズを買った。これがまた嬉しい。大したことなさそうだけど、ほかのどんな服よりも嬉しい気がしたよ。だいぶ気分がよかった。ずっと、なんとなく欲しいなあと思い続けていたものだった。ちなみにフレアです。やっぱりスキニーよりもいい。スキニーは、ふくらはぎがパツパツで快適ではなかった。

その数日後にネットでまったくおなじ形のジーンズを色違いで一本、そしてまったく同じTシャツを白と、黒をもう一枚注文した。幸いにもセールだったけど、GAPってたぶんセールの価格が標準の価格な気がする。overpricedだよね。

Tuesday, 19 April 2022

Wordle 304

きょうのワードル。まだやってなくて今からやろうとしている人はすみません、みないほうがいいかも。また今日も奇跡のようなあて方をした。適当に入れたら3回で当たった。やっぱり私はついているのかもな、とか、できるやつなのかもな、とか、前向きになる。朝起きて一番最初にやることのひとつだが、これはやっぱり朝やったほうがいいです。当たった時にいい気持ちになるし、きょう1日いいことがありそうな気がするから。

ネタバレしちゃってすみません、とあらかじめ断っておくが、このFOYERという単語は、ちょうどここ数日Duolingoに出てきている単語。つまりフランス語です。"mere au foyer"というのがstay-at-home mom つまり主婦のこと。 pere au foyerだと男性バージョン。こういう言い方をするんだなあと思っていた矢先でした。foyerだけだと、玄関、ロビー、ホール、待合室などを指す。

職場に「ホワイエ」という、カタカナの場所がある。しばらく前に同僚と「なんでしょうねこれ」と話したこともあった。誰かが調べて「玄関のことだって」とか言っていたけどまさにそれです。

さて今週は土曜まで勤務である。どこかで休みを取ろうと思っているが、どこにも休める日がない。身体が持つのか心配である。こういうときは、日々を7割程度の力でこなしていくしかない。「ぼちぼち」である。家庭も仕事も、7割できたら上等じゃないだろうか。とりあえず生きる。忙しい忙しいと言っても、誰かに助けを求めない限りは誰も助けてくれない。社会人ってのはそういうもんだろう。

Sunday, 17 April 2022

天気の良い4月の土曜

土曜日。村上春樹の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」を思い出させるような、そんな天気のよい爽やかな4月の朝。

珍しく母子2人で、丸一日を過ごした。朝は眼科へ。気になっていた、こどもの左目の腫れを診せた。やっぱり目のこすりすぎで、バイキンが入っていますとのこと。先日とは異なる目薬をもらって、1日4回さすように言われた。天気の良い土曜だから眼科も薬局も混んでいるのではないかと思ったが、どちらも比較的空いていた。よかった。

それから図書館へ行き、公園へ。迷路でひとしきり走り回ってそろそろ帰ろうかというときに、こどものクラスメートの保護者にあった。しばらく登園していないからきっとコロナだろうと思っていたけどやっぱりそうだった。1日熱が出て、それ以外は特に何もなかったらしい。「気をつけたほうがいいですよ」と言われて、確かにと思った。

こどもがクア・アイナのサンドイッチが食べたいというので、電車にのってはるばる表参道へ。窓側の席に座ってみたが椅子が高すぎてひっくり返りそうになる。お腹いっぱい食べたあと、消化させるために代々木公園まで歩くことにした。

歩きながら、何がきっかけだったか忘れたが「けっこん」の話になった。

子「結婚って、いつも男と、女なの?」
私「そうじゃないときもあるね。男と男、とか女と女ていうのもある。日本ではそれができないけど」
子「なんで日本ではできないの」
私「うーん、それをだめって言う人がいるんだろうね。認めたくない人がね。イタリアはできるようになったんじゃなかったかな、確か。」
子「イタリアはできるよ」
私「あ、そうなの。というか、なんで知ってるの。」
子「だってね、◯◯と、パパと、ノンナと、ノンノと、◯◯のけっこんの写真あるから」
私「あー!そういうことか」

こどものおばが結婚したときの写真がうちにはあり、そこには新婦側の家族5人が写っている。それを「けっこん」だと思ったらしい。

私「いやいや、あれはね、結婚式のときにみんなで撮った写真、ていうこと。◯◯と結婚したのは別の人だよ」
子「だれ?」

という感じで会話が続いた。こどもは本当に面白い。

代々木公園の水飲み場で、子が水を飲もうとしたら、ちょうど良い程度に水を出すのが難しい水道で、噴水状態になり、だいぶ濡れてしまった。まあいい。

ところで原宿駅周辺は様変わりしていて、驚いた。この周辺に来たのは3、4年前なのではないか。もしかするともっとかもしれない。代々木公園に最後に来たときのことを覚えていない。もしかすると子が生まれる前だったかもしれない。

家に帰って、少し片付けをしている間に友達がやってきた。ふらっと立ち寄ってくれるのがありがたい。新年度の話をする。wordleやってる?と聞いたら、やっぱりやってた。

近すぎず遠すぎずの良き友が何人かいる。友達の数は多くはないけどゆるく長く続くつながりがいくつかある。

「親友」という呼び方はしない。その呼び名を使った瞬間にほかの友達は除外されてしまうから。

NETFLIXで「39歳」というドラマをやっていて、とても面白いのでみている。しかし同時に「こんなに仲の良い3人組というのが可能なのだろうか」と不思議な気持ちにもなる。ほかにたくさんつながりを持っているはずの39歳の女性が、これだけ特別な3人という枠を作ることができるのだろうか。まあこのへんは韓国特有の同性どうしの親密さが起因しているかもしれないけど。

Monday, 11 April 2022

外から自分自身を変えられないために

先日から始めたwordleはまだ続いている。12日連続。面白いので毎日楽しみにしている。

さて、4月になってとにかく忙しい日々が続いた。土日がやってきて少しマシになったかなと思うが、緊張感は抜けない。

4月4日の月曜から子は保育園を再開させた。と思ったら翌日、保育園から電話がかかってきた。「濃厚接触者になりましたので来週まで登園できません」。もう、がっくりである。春休みで1週間休んでいたのもあり「保育園行きたくない〜」を繰り返していたのが、ようやく「やっぱり保育園楽しかった」とのってきたところだったのに。たった1日でこんなことになるとは。

翌日からの仕事はどうしようかと絶望的になったが、相方がなんとかしてくれた。3食、掃除、洗濯、通院と散髪までやってくれた。ありがたや。

濃厚接触者のルールを変えないとこれではやっていけない。日本は過剰反応しすぎだと思う。子供たちにとっては、インフルエンザとそんなに大差なくなっているのに、1人かかっただけで周りの30人強が在宅を強いられる。そこに関わる家族はどう動けというのだろう。

そしてマスク。これももはや自分の頭で考えられなくなっている人たちが多すぎる。案の定、である。日本人とマスクは最強?の組み合わせだ。「号令」をかけてもらわないと、外すことはできない。1人で、しかも屋外でマスクをしている人が普通にいるようになってしまった。顔の半分を隠した状態を「普通」とすることがいかに異常かを、いつも頭でわかっていなければいけない。マスクに反対なのではない。マスクの意義を考えてマスクをつけるべきだと思うだけだ。

周りのルールや雰囲気によって自分自身が変えられてしまう危険性を意識していたい。

Thursday, 31 March 2022

WordleとRain

さてこれはなんでしょう。 


Wordle 285 5/6

⬛🟩⬛⬛⬛

⬛🟩⬛⬛⬛

⬛🟩🟨⬛⬛

⬛🟩🟩⬛🟨

🟩🟩🟩🟩🟩

Wordle(ワードル)という単語あてクイズです。NYtimesにある。知ってはいたけどやったことがなかった。まず、五つの文字からなる英単語をひとつ考えて、入力してみる。その単語のなかにその文字が使われていたら、黄色で表示される。緑で表示されていたら、その文字は使われているし、さらに位置も正しい。入力のチャンスは6回。

というわけできょうは第2回目をやってみた。難しかったです!知らない単語だった。上の緑と黄色と黒の四角は、私が5回で正解したということ。

辞書も使いました。これ、毎日やったら相当勉強になるなあと思いました。英語を知っているに越したことはないが、特に知らなくても、ゲームなので予測すれば誰でもできる。クロスワードよりハードルは低いです。明日の問題が楽しみ。

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きのうはモームのRainを読み終えた。短いと思っていたら結構長くて、途中であきらめようかと思ったけど後半はスルスルと読み進めることができた。そしてオチが…!面白かった!なんだそういうことだったのか、といくらかRainを読んだ人の感想をネット読んで確認した。さすがだよなあ。ひたすら降り続く雨のなかで起こる話です。

というわけで、(というわけでもないだろうけど)きょうはここは雨が降っている。ひどい雨だ。桜はこれで散ってしまうだろう。きのうが見納めでした。


Wednesday, 30 March 2022

自転車とバーベキュー

実家5日目(もう5日も経つのか)。

きのうのこと。

日中、モームの短編「Rain」を読む。短編だからすぐ読み終えるかと思っていたら終わらなかった。途中までで終わり。

立派な自転車が家にあるので、タイヤに空気を入れ直して少し走ってみた。この道を自転車で行くと気持ちいいだろうなと思いながら毎日散歩をしていたところだった。少し走ってみたら、それはもう最高でした。人がいないのでぶつかる心配がまずない。こんなにストレスフリーに走れるものなのか、と思った。よそ見して人にぶつかるよりも畑に落ちる可能性のほうが高い。

あまりにも人に会わず、目印となるような建物もなく、音さえないので、だんだん不安になってくるくらいである。同じような道が続くと時間の感覚がまったくわからなくなってきた。

と言っても高校時代まではずっとこの道を走っていたので、初めてのことではない。そうかこんな感じだったっけなあと思いながら爽快な気分で走った。いい自転車なのでスイスイ進む。ここに住むのも悪くないなあと思った。

夜は弟夫婦がきて庭でバーベキュー。こちらは東京に比べて日没が1時間くらい遅い。だから6時すぎても外でバーベキューができる。そして、日中の太陽が残っているかのように、夕方までほんのり暖かかった。

Tuesday, 29 March 2022

ブラック・ユーモア

 ただひたすらにのんびりして過ごしている。仕事はしない。仕事道具たるものは持ってきていない。こういうときにできる「仕事」といえば読書だ。どの小説を扱うか選ぶ。今まで読んだものを読み直したり新しいものを買ったりしている。こういうときにkindleは便利です。思いついたときに買えるので。

長すぎず、おもしろい短編を探している。きのう、あらためてDahlのGalopping FoxleyとLamb to the Slaughterを読んだ。やー、面白い。最高だ。ただこれが教育的かと言われると答えに屈する。

ブラック・ユーモアを理解できる、というのは(特に日本人は)クリアすべき課題だと思うのだがそもそもブラックでさえないただのジョークさえ過敏に反応してしまう人たちなのでなかなか難しいところがある。なにもかも「失礼」「不謹慎」と言ってプリプリ怒ってしまう。そういう点において私は英国が大好きです。英国のすべてが好きなわけではないですよ。ユーモアのセンスと趣味について、です。

きのう、モームの短編集を買ったのできょうはいくらか新しいものを読んでみようと思う。

Monday, 28 March 2022

故郷の春

26日、帰省した。今回は新幹線を使ってみた。子の乗り物酔いがひどいのと、それにともなって私も飛行機が苦手になってきているので、試しにやってみたわけだ。新幹線とどっちがいいかを比べながら移動した。家から家まで計8時間。いい点と悪い点を並べてみるとどちらもあるが、新幹線悪い点は「時間がかかる」というだけだ。早く降りたくて仕方ないものの、揺れは少ないし3席をのびのびと使えたのはよかった。

2年ぶりに郷里の春を感じている。桜も菜の花も満開だ。田舎の春はいろいろな匂いがする。これは田舎で育った人にしかわからないだろう。ひさしぶりにつくしを見て「あっ」と思った。東京で見たことはなかったのではないか。自然が、ものすごい勢いで春を告げている。なにかを突き破るような生命感。散歩が楽しい。

Monday, 21 March 2022

バッグとスーツのメンテナンス日

 20日朝。

目覚ましをかけずに寝てみることにした。それでも6時過ぎに目が覚めた。少し頭がフラフラしたが、前日よりだいぶ良くなっている。よし、起きよう、と思った。そして、きょうは大人しくしておこうと自分に言い聞かせた。というのも日曜の朝は私にとっては合気道か水泳のための貴重な時間なのである。二週連続で合気道に行ったので、もう一週連続で行けるかと思っていたが、きのうはやめておくことにした。行ったら行ったで問題なかっただろうけど、丸一日、休養の日ということにした。そういうのも、必要だろう。

代わりに何をしたかというと、片づけをした。まず、クローゼットにかけっぱなしでほとんど使っていないスーツ類を窓辺にかけて空気を通した。それから二段分の棚に入っているものを全部出した。まず持っているバッグを全部床に出した。バッグのポケットに入れ忘れているものなどを全部出す。カビや汚れを拭き取る。それからしばらくして、箱に入れ直す。

だいぶキズだらけのバッグがたくさんある。革製品をもう少し上手に扱うべきなのだろう。わかってはいるが、私が保管したものをみると、フリーマーケットで行き場なく売られているくたくたのバッグを連想させる。いまにもイタリア人の声が聞こえそうだ。袋に入れるべきとか、こういうクリームを塗るべきとか、これはもうダメだわ、とか。彼らは革製品や洋服の手入れについて驚くほどよく知っている。教科書で習うわけでもない。まるで遺伝子に組み込まれたかのように皆同じことを言う。そして私はイタリア人のそういうところが好きだ。

スーツのなかにはおそらく一度もクリーニングに出したこともないものがいくつかある。そのなかでひとつ目に止まったスーツがあった。大学入学時に母に買ってもらったものだ。2002年に買ったものなので、かれこれ20年前のもの。大事にとっている。今着てみると、驚くほどブカブカである。体型も流行も変わった。よし、これクリーニングに出してみよう、と思った。見えてないだけでカビや汚れがついているにちがいない。新学期に使ってみよう。汚れる理由は、使うからではなくむしろ使わないから、である。

そして先週補正に出したズボンを受け取りに行くことにした。ユニクロで買ったコーデュロイのズボン。おしりのあたりが広すぎるので詰めてもらうことにしたのだった。もう一つ小さいサイズを買えばよかったのかもしれないがそれではウエストがきつく感じるだろうと思った。ユニクロなので、安い。2900円で買ったものなのに、補正に3700円かかった。だったらもっと良いものを最初から買えばよかったのだろうが、この3700円はあまり惜しいとは感じない。

いっきに3つの用件を済ませるために外に出た。まず、着られなくなった子ども服を4つ、リサイクルに持っていく。それからクリーニングにスーツを持っていく。ついでにダウンジャケットも持っていった。3月中なら30%割引だったから。それから補正したズボンの受け取り。

こういう、持ち物のメンテナンス日が私には必要だ。まずは持っているものを把握する。空気を通す。いらないものといるものをわける。いらないものはリサイクルに出す。壊れているけどまだ使いたいものは直す。好きなもの、愛着のあるものに囲まれて暮らすには定期的な見直しが必要である。

お昼は家族でいつものレストランに行き、スパゲティとサラダを食べた。家に帰ってからはだいぶゆっくりした。きんぴらごぼうとにんじんのサラダを作った。夜はアボカドと納豆を食べて9時過ぎには寝た。

Sunday, 20 March 2022

体調不良、『心に折り合いをつけてうまいことやる習慣』

 きのうは1日、具合が悪かった。図書館に行ったり蕎麦を食べに行ったりはしたもののそれ以外は横になっていないとダメだった。具体的には、起き上がると吐き気がする。吐き気というのはめまい由来の吐き気で、船酔いや車酔いのような類の気持ち悪さがある。育休後、職場に復帰してから何度も経験があるのでもはやパターンがつかめてきた。そして原因も、対処法も自分でよくわかっている。原因は、疲れ。対処法はとにかく休んで、寝ること。睡眠も足りていると思っているのだが、少しでも不足するとこういうことになる。ひどいときはまったく立ち上がったり歩いたりできない。メニエル病ではないかと思って病院で検査をしてもらったこともあるが、それではないという結果だった。いずれにせよ、ほどほどに過ごしていかないとこういうことになる。先週1週間は働き詰めで、きつかったのだ。金曜の朝にはイライラがマックスに達していた。

具合の悪さもこうやって記録しておくと少し周期がわかってくるだろう。具合が良くなると、具合が悪かったことなんてすぐに忘れてしまうものだ。

それにしてもいつも活動していないと気が済まない私のような人間にとって、天気の良い休日の午前中に横になっているというのは結構つらいものがある。具合が悪いのに起き上がって動きたくなってしまう。あれやんなきゃ、これやんなきゃ、と頭のなかにたくさんのことが浮かぶ。

休まないと、となんとか自分に言い聞かせ、ソファに横になって、おじちゃんから送ってもらった本を読んだ。『心に折り合いをつけてうまいことやる習慣』。あっという間に読んでしまった。よくあるタイプの本かと思いきや、そうではない。押し付けがましさがない。心にじわー、と響いてくる。読み終わったときに、ツー、っと涙が出てきた。感動というわけでもなくて、楽になった感じがした。今の私には必要な本だった。読み返すだろうと思った。

折り合いをつけるということなのだ。父がいつも言っていたことと同じ。この本には読んでいると「あれ、どこかで聞いたような」という言葉がたくさん出てきた。折り合い。完璧はない。

こどもが生まれてからというもの、好き放題やっていた私の生活は一変した。そういうもんだろう、とは思うけどこれは子が生まれないと決してわからないことだったと思う。他人と、それから自分の心と、折り合いをつけるということ。わかっているけどなかなかできない。永遠の課題。

お風呂から上がったこどもをバスタオルで包もうとすると、何となしに、服も着ずに私に抱きついてきた。生まれたときの赤ちゃんみたいで、とてつもなく愛しかった。バスタオルをかけてそのまましばらくぎゅーっとしていた。

Friday, 18 March 2022

アリババと40人の盗賊


きのう夕飯に作ってもらったアマトリチャーナ。おいしくて、たくさん食べた。

今週はなかなか花粉がつらい。鼻水は大したことがないが、目がかゆい。今年はなんてことなかったなあなんて思った矢先、だった。

さて。人を育てることばかりに必死になっているけど、自分がちゃんと生きなければ、と思う。私がよく生きなければ、子は親の矛盾をかかえて生きていくことになる。親子に限らず言えることだろう。人をどうにかするよりもまずは自分、だ。そういう本を同僚からしばらく前に借りた。まだ読み終えていないが、ずばり自分について指摘されたような気がしてちょっと読み進められずにいた。

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話変わって、先日「アリババと40人の盗賊」を子に読んだ。ものすごく久しぶりに読んだので、読みながら「えー」「こんなだったっけ」「ああそうそう」と言いながら読んだ。しかし壮絶な話である。「むかしむかしペルシャというくにに」という設定が、こどもにはどう感じられるのだろう。日本や西洋の昔話とはまたちがった風情というか空気が、大人の私にも感じられる。

内容をふりかえってみると、タイトルに出てくる「アリババ」は結局なにひとつ賢い動きをしていない。すべては機転のきく女、「モルジアナ」のおかげである。タイトルを「モルジアナと40人の盗賊」に変えても良いのではないだろうか。

この話は、私が小さかったころは佐々木マキさんの絵本で読んだ。幼少期の佐々木マキインプットのおかげで、ああいう線のはっきりしたテイストの絵が好きになったと思う。

Wednesday, 16 March 2022

85歳で毎日合気道

 合気道の話。最近、あらためて感心したことがある。

85歳の門人がいらっしゃる。85である。まさかそんな歳だと思っていなかった。というのも、歩き方も若者とまったく変わりなく、ふるえひとつない。なんと合気道を始められたのが定年退職後だそうだ。69歳で始め、それから今まで毎日稽古に参加しているという。私が合気道を始めた時、私は週に3回ほど通っていたが、その当時も必ず毎回お会いしていた。それもそのはずだ。毎日なのだから。しかも69歳なんて何に対しても「もう引退」と思う歳ではないのか。仕事は引退しても、彼は自分自身から引退しなかった。

この方、とにかく気さくで、爽やかで、まったく偉そうでない。この謙虚さは一体どこから来るのだろうと思ってしまう。いつもやさしい。高齢だからと言って特別扱いする必要がまったくない。周りの人(といっても一番若いのは中学生)とまったく同じ動きができる。そして体のどこどこが痛いとか、きついとか、そういうことを言われることがまずない。

先日、彼を紹介したビデオが道場で作成された。10分間くらいのビデオだが、うなってしまうほど感心した。レジェンドだ。生ける伝説。行動で示すとはこういうことだ。多くを語らず、毎日ただ稽古に参加し続ける。ビデオのなかで「自分に負けない」ということを語っておられた。

私は85歳になったとき、誰にも頼らず、自分で歩けるだろうか?自分に負けずに生きられるだろうか?

Sunday, 13 March 2022

にんじんサラダ、75歳

ある日の夕食。にんじんサラダとアボカド。もう何年も前に栗原はるみさんのレシピでにんじんサラダを作った。それがとてもおいしかったので気に入っている。材料と分量をメモしている。
とくに栗原さんのファンというわけでもなかったが、近年、栗原さんのインスタグラムを眺め続けていたら、いつの間にかファンになっていた。生きる気力が湧いてくる。朝に希望を持って1日を迎えられる。なんと75歳だということを知って心底驚いた。75?本当に?私の両親より年下だと思っていたのに。こんな生き方ができるものなのか、と感心する。ひとつロールモデルができる。私はその年齢になったときに希望と気力を持って生きていられるだろうか。

だからというわけではないけどタイミングが合って、栗原さんブランドのパスタ鍋を買った。一般的な日本の家庭よりも圧倒的にパスタをゆでる機会の多い我が家なのできっと役に立つと思った。

先日作ってもらった我が家のピッツァ。3人でぺろりとたいらげた。


モッツァレッラに加えてパルミジャーノがのっていたのでとても美味しかった。

Tuesday, 8 March 2022

言い訳、スーパーセール、検診

 先日、合気道に行った。2月は結局行けなかったので久しぶりである。仕事が…とかいろいろ言い訳はできる。が、結局のところ寒さに負けていただけなのです。言い訳はしない。合気道で学ぶことは多いが、これが一番かもしれない。言い訳をしない、ということ。先日読んだ本に「言い訳をしていると人生は一瞬で終わってしまう」と書いてあった。そのとおりです。「忙しくて…」とか口先まで出かかったら、止められるようでありたい。

やることが多いながらもここ最近の楽しみは「楽天スーパーセール」です。と言っても散財するほど多くのものを買うわけでもない。ああこんなのがこれだけ安くなっている、と見てまわるだけでも楽しい。今のところ、パネットーネ、クリームパン、ハンバーグ、メンチカツ…などなど食べ物を買った。これだけお得に美味しいものが手に入ると、実店舗で買い物をする必要も魅力もなくなってくる。外出はますます億劫になるのです。

きのうは検診の日。3月は定期検診と決めている。いつも行っている病院から「気軽にがん検診」という案内が来ていたので、いつもの検診に加えた。そこで話した医師がとても自分に合う感じの人だったので、嬉しかった。見つけた、という感じがした。

Sunday, 6 March 2022

お盆に出会った

暖かくなると、あれやろうかなこれやろうかなと、家のなかの片付けや掃除に意欲が湧いてくる。そうなのです、ようやく暖かくなったのです。朝起きて暖房つける必要もなくなった。

      
この季節に毎年、駅前で行われる陶器や木工品市を楽しみにしている。今年は皿を二つと、茶碗ひとつ、それからお盆を買った。

念願のお盆。外国産ではない、国産の、使い勝手の良いお盆が欲しかった。私が使っているのは無印良品のもの。使いやすいが、木ではない何か(ウレタン?)も使ってくっつけてある。使いはじめて数年経って裏面が劣化してきた。なにか剥がれてきている。そしてこどもが使っているものは100円のプラスチック製。一年も立たずに劣化する。これも替えたかった。

駅前の市に、毎日通い詰めた。品物が入れ替わって、欲しいサイズが入ってくるかもしれないから。しかしこれがなかなかないのだ。大きいサイズのものとなると、金具がついていて高さも高くなる。金具のついていないものは小さすぎる。

それでもしぶとく通ったある日、もう一回り大きいものを見つけた。これだと思ってお店の人と話をしたら、おそらく小さいお盆の下に隠れてこれまで見えなかったのだろう、と言われた。

実はさらにもう一回り大きいものが希望だったが、こどものお盆にはこれで良いだろうと思った。1300円。使いやすいのと見た目が良いので結局私も使っている。

以前読んだ土井善晴さんの本で「お膳は出会い」というようなことが書いてあった。お膳が必要だからといって適当に買うというよりは民芸品店などにふらっと立ち寄って出会ったものが良い、という話。わかる気がしたので、この言葉を信じて焦らずに探し求めていたのだった。

今回買ったものは通販でもお店でも手に入らないだろう。ブランド名もない。いい買い物をしたと思う。大事に使おう。

Tuesday, 1 March 2022

「ウクライナってどこ」からはじまる

ようやくあたたかくなった。日曜は家族で近くの公園へピクニック。買ってきたハンバーガーと、家から持ってきたおにぎりを食べた。咲き誇る梅の下でピクニックシートを広げる家族がたくさんいた。同じことを考える人たちは多いようだ。あたたかくて、皆嬉しそうにしていた。春だ。ようやく春だ。今年の冬はずっと寒かった。つまり、寒い期間が長かった。よく耐えた。



2月末にはウクライナにロシアが侵攻するという信じ難いニュースが飛び込んできた。24日の夜はちっとも眠れなかった。というのもウクライナには友人がいる。私はその友人を訪ねてウクライナに行ったことがある。友人の安否が気になって落ち着かない。

戦争は過去のものではないし教科書のなかでのみ起きるものでもないのだ、ということを普通の生活で感じている。警報が鳴って避難する、というのはなにも地震発生時に限らないのである。ロシアをはさんで向こう側にいる友人がそれをいま体験しているのだ。

ウクライナのことをよく知らないという日本人が多いと思う。私も、ウクライナに行ったことがなければおそらくそうだったろう。遠い国だと思っていたに違いない。

たとえばウクライナの出来事を、「自分の生活には関係がないことだ」と思う人たちは、そのことについて特に語らない。なぜかというと、「知らない」から。もっと言えば、「知らない、と言えない」からだ。何かについて知らないことを恥ずかしいと思っているのかもしれない。無意識に。

それならまず「ウクライナってどこ」という疑問を口にすればいい。そこから話題になる。知らないのは自分だけじゃない。意外と周りも知らないものだ。たとえばアメリカ大統領選のときに、仕組みが分かっていなくて同僚に質問したら誰も知らなかった。なんだ、私だけじゃないのか、と思った。

知らないことは何も恥ずかしくない。特別に詳しくなくていい。話題にするのをやめる、タブー化するのは、愚かさへの第一歩だ。

こどもはこれができる。つまり「ウクライナってどこ(あるいは何)」という疑問が自然に出る。大人になってもこれを失ってはいけないと思う。「お前そんなことも知らないのか」と言われても質問し続ければ良い。そして自分で調べてみればよいと思う。おかしいと思ったらそれを表現、あるいは表明すればよい。勉強はそのためにやっている。正しく読み書きができて、わかりやすい表現で相手に伝えることができるように、勉強をやっている。

5歳の子はウクライナとロシアの関係に興味津々でした。35個くらい質問されたので頑張って答えてみたものの、時々返答に困る。「それはいい質問だねえ」「確かに、そう言われれば、なんでだろうねえ」と何回か答えた。質問に答えているうちに、自分は何が分かっていないかが、わかるようになる。やりとりは大事だ。

Sunday, 20 February 2022

まさかのコモドホテル

ご多分にもれず『愛の不時着』にハマっている。第2話まで見て「これは面白いな」と思っていたところ、その翌朝、主演の2人が結婚するというニュースが飛び込んできた。なんとめでたい。

さて、昨日。
第5話と第6話を見ていたところ、「平壌ホテル」という場所が出てきた。なんとなく、馴染みがあるように見えた。が、そもそもドラマのストーリーのほうに夢中なのでそれほど建物に気をつけて見ることはなかった。

が、それでも、だ。
どうもこの壁、見覚えがある。(以下、写真はスクリーンショット)

 そしてこのロビーからの眺め。

さらに受付。

そしてこのエントランスを見た時に「これは」と思った。釜山のコモドホテルに酷似している。


そのあとはドラマが面白すぎて特に調べることもなく第6話まで見終わった。

それから寝る前に「そういえばあのロケ地調べてみよう」と思い出して「愛の不時着 こ」まで検索したところすぐに「愛の不時着 コモドホテル」と出てきた。「やっぱり!」と心のなかで叫んだ。

実は、釜山のコモドホテルは仕事で4回も滞在したことがある。4回というのは多い数字だと思う。国内のホテルでもそんなに何度も同じ場所に泊まることはないだろう。下見を含めて4回。泊数で言うと計10泊を超えるのではないだろうか。丸一日、ロビーで待機しつつ仕事をしていたこともある。海外旅行でワクワクする、というよりはもはや慣れすぎていて「勝手のわかる」場所になっていた。

調べたあとでもう一度ドラマの場面を見てみた。
確か船をモデルにした建物だった。建物が弓のようにカーブしているのが特徴だ。そう思って見ると、確かにこの廊下、こんな感じでした。曲がってた。
ロケ地になったということはきっと予約が多いのだろうか。いや、コロナだからそれほどではないか。そうかあの場所か、と思うと急に韓国が懐かしくなった。というか海外渡航自体がリアルに遠くなってしまったことを感じた。行きたいな、韓国。

お父さんの回復、12月の疲れ

父が入院している。経過は良いようで、退院が見えてきたらしい。よかった。毎日のようにテレビ電話で様子をきいているが、話す様子が1日、1日と元気になっていくのがわかる。人間の身体はすごいなあ。 話を聞くたびに、普段の姿勢とか、動き方とか、注意しなければと思う。身体に負担をかける動きを...