Tuesday 26 August 2008

雨の夕方にエヴァンスを聴くにあたって

すっかり秋になってしまった。もうしばらくすれば、きっとまた日差しの強い日々が戻るのだろうと思う。それでもやはり、一時期の暑さは終った。
実に、一時期、であった。7月末~8月上旬にかけての数週間。
それは燃えるようだった、けれどやはり終息する。
ものごとはやはり、いずれは終息するようにできていると思う。
たいていのことは、放っておけば時間が解決するのである。

「すべては時間が解決する」

もう何年も前に、尊敬するおじから聞いたこの言葉。何度励まされただろうか。

けれどここ最近(具体的に言うと仕事を始めてから)、このフレーズから遠ざかっていた。
今さっき、夏の暑さについて考えて(書いて)いたらちょうど思い出したのである。

事実、しばらくのあいだ「時間が解決するだろうから」という方向に考えをもってくることがなかった。それができずにいたというよりは、むしろ、そうすることを忘れていたと言ったほうがいい。今ふと思いついた。

…余裕が無かったんだなあ。

何をするにも焦っている。明日のことも仕事のことも恋人のことも将来のことも。
頑張ってもどうしようも無いとき、というのが存在するはずだ。ある程度まで行ったら、自分自身に調子をうかがってみることも大事である。
最後に頼りにできるのは、自分自身だろう。
25年経った今もまだ自分自身をよくつかめていない。だけど、ほかの人に自分を伝えたいと思う。人にわかって欲しいと思う。ときどきそれだけで手一杯になっているけど。もっと単純になりたいと思う。

すべては時間が解決するのである。自分自身へ言い聞かせているにほかならないけれど、今のところ"効く"言葉はそれしかない。

雨が降るとどうしてもビル・エヴァンスを聴きたくなる。complete riverside recordingsをランダムに流し続けている。ほかのジャズでも良さそうな気がするものの、結局この人でないといけないのだ。ほかのものに変えたところで、結局納得がいかずにディスクを取り出す羽目になるだろう。私はジャズ通でも無いし、適切な言葉で評価をするようなことは決してできない。だってみんなみんな凄いからね。

けれど、詳しいことを分かっていない-たとえば私のような人-が、雨が降ると無意識のうちにそのCDを選んでしまうような、そういう演奏をしているジャズ・ピアニストは、音楽の分かってない人からであっても「すごい」とか「いい」とか言われていいのではないかと思う。
つまり音楽の分かってない人でも「すごい」とか「いい」とか、稚拙ではあってもそういう感想を述べていいのではないかと思う。

繰り返すようだけど、私は音楽がよく分からない。
けれど、その音楽のどこがどのように良いのか、言葉で表現できなかったとしても、心が何かを受け取っているのは事実であって、言ってみれば音楽を提供する人たちというのは、そういう音楽を純粋に目指すべきなのである。
つまり、「よくわけがわからないけど、これってなんだかいい感じがする」みたいなセンセーションを与えること。
音楽に限らず、映画も、絵画も、写真も、そう。
ふわっと目の前に何かが降り立つような、あるいは心臓をきゅううとしめつけるような、そういうセンセーション。
相手が1人であっても、地球規模であっても、そういうのってひどく素敵だと思う。

万年筆、外出

なくなったと思っていた万年筆が職場の引き出しから出てきた。一本千円のものなので、なくなってもあきらめはつくのだが少し気になっていたのは事実だった。中のインクは空っぽだが一体何色を入れていたのかさえ判然としない状況だった。家に連れて帰って洗うことにした。  翌朝の万年筆カートリッジ...