Sunday 2 February 2014

アマンダ・ノックスのこと

おやおや、2月になってしまった。だからと言って1月がそんなに早く過ぎた感じもしない。あけましておめでとうなんて言っていたのがだいぶ昔のことのように思える。

2月とは思えないあたたかな日が続いている。またどうせ寒くなるのだろうけど、今のところ助かっている。今年はまだ雪も降っていない。

先日からアマンダ・ノックス逆転有罪の件が気になって仕方ない。パソコンを開くとそのことばかり読んでいる。
日本ではあまり有名になっていないので、日本語の記事はロイターとAFP通信くらいしか見当たらない。
これはイタリア、イギリス、アメリカを巻き込む大きな事件なので、世界的にはかなり大きく注目を浴びている事件である。
Daily MailもLa Repubblicaもトップニュースで報じていた。
イタリアのTVショーも、アパートの部屋の模型を出して解説をしたり、ラファエッレ被告の弁護士にインタビューしたりしている。

詳細は省略するが、2007年に起こった事件。
だいぶ歳月が経つのだが、有罪になったり無罪になったりで結局真相が分からない。
アマンダ・ノックスが否定すればするほどあやしく思えてきたりもする。
別に私は探偵ではないのだが、調べ甲斐があるというか、まるでフィクションのようで、気になってしまう。

事件の背景をきくと、想像ができる。
2007年、夏のペルージャ。
ペルージャには行ったことがない。
だけどその数年前の夏にフィレンツェに1ヶ月滞在したし、そのさらに1年前には友人の住むシエナに滞在した。
そこで色々な国から来た人たちと会った。
アパートを何人もの人たちとシェアした。

夜な夜なパーティに明け暮れる欧米人留学生はいた。
現地の人、つまりイタリア人はそんなにひどく酔っ払ったりしないのだが留学生となると別だ。
若さと自由を謳歌していた。
そもそも、夏のイタリアには人をそうさせる魔力みたいなものがある。
開放的になる。

“英語をしゃべる人たち”が特にそうだった。
というか、イタリアという地でだらしない英語が聞こえてくることが、どうしても私には「興ざめ」だった。
アメリカ、オーストラリアあたりの留学生が集団でワインを飲みながら英語をしゃべりながらぐでんぐでんになって道路にねっころがったりしているのを見て、品位が無いなあと思った。
水着みたいな服を着て、ぺたんこのサンダルをはいて。
酔っ払うためにここに来る、というのも理由の一つなのかもしれない。
でもワインってそういう飲み方しないよなあ。
同時に、毎晩夜中2時まで踊って暮らせるそのテンションは一体どこから来るのだろうなあと思った。家で落ち着きたいと思わないのだろうか。翌日結構ケロッとしている顔を見たりすると、「西洋人の体力」を思い知らされたような気になった。

まあアマンダ・ノックスもその人たちの一部だったのだろう。
有罪無罪は私には分からない。
だけど、殺した人が絶対どこかにいるのだからねえ。うーん。

ありがとうとカルボナーラ

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