天気も良かったのでひたすら洗濯機を回した。確か、3回くらい。そのうちの1回は袴。手洗いをすると良いと聞いていたのだが、あの大きさを全部洗いきれる自信がなかったので洗濯機の「手洗いコース」に任せることにした。乾いてからはアイロンをかけた。プリーツがだんだん消えかけていたので。
夜は友人に会いに出かけた。遅くまでいろいろ話して帰った。
友達について。
私は友達が多い方ではないし、小さいときから友達との付き合い方(に悩むほどではないにしても)分からなかった。小学校の時に、リーダー格の女の子―たいてい、美人でスポーツが得意―の周りに何人かの女子が集まり、グループを形成しているのがとても苦手だった。苦手と思っている一方で、実はうらやましくもあったし、グループに入れず、特定の友達がいないことに引け目を感じていたのかもしれない。
たいてい行事のとき、宿泊ともなれば、布団に入ったまま女子が、こそこそと、好きな人の話などを続けるのはお決まりだった。これは小学校から高校までずっとそう。話は嫌でも耳に入ってくるし、そういう「イケテる」女子からすると自分がすごく「遅れて」いるような気がした。
そういう女子の集団からはひたすら距離を置いて生きてきた。彼女たちが「親友」という言葉を使うのを見て、「私には親友がいない」ことに気づかされた。実際、誰かを親友と呼んだことはない。
仲良くなりたいと思うような友達がいたとしても、あるいは友達というものが欲しかったとしても、距離の取り方が分からないがために、他人に対してあえて冷たい態度を取るという結果になることもあった。
これが高校までの話。
大学に入り、グループというものに相変わらず違和感を抱きながら、好きなように生きるようにした。1人暮らしを始めたのもあって、近くにいる人たちと色々なことを話し、色々な経験を共有した。
それから10年以上経った今、ようやく、自信を持って友達と呼べる人たちができた。些細なことを、気を張らずに食事をしながら話す関係の人といえば、家族だけだった、そんな私に。
仕事を始めて5年間くらいは、ドタバタしていて友達に連絡を取ろうとすることも少なかったのだが、少し余裕が出て来た今は頻繁に友達に会えるようになった。
家族とは「血縁」というものがあり、夫婦には「婚姻」というものがある。一生続いたり、手続きをして解消したり、書類上でも証明できる関係が存在するが、友達には証明書も何も無い。「友達」という関係はどこにも書いていない。いつ始まっていつ終わるか分からない。だから終わることを恐れてはいけないし、終わらせないような努力もある程度は必要なのではないかと思う。そして新しい関係に対して常にオープンであること。人間同士の関係なんて本当に脆い。血縁関係のある人たちでさえろくにコミュニケーションが取れないことも普通にあるのだ。いわんや友人をや、である。
努力というのはつまり、「がんばる」ほどのことではなくて、声をかけてみるとか、連絡を取るとかそういうこと。学生時代であれば同じキャンパスにいるし、同僚であれば同じ職場にいるので、顔を会わせるが、仕事を始めると、意識して会おうとしない限りはまず顔を合わせることがない。会いたくない人に会う必要は全く無いし、お互いにそう思っている場合は自然と距離が開いていく。だけど自分にとって大切な存在であるということがお互いに分かっている場合は、時間をとって会おうとする気持ちは大事だと思う。結果的に、良いものは自然と、ずっと残っていく。
以上、決して人付き合いが得意ではない私がここ数年間で分かった、友達との関係について、でした。あくまでも、私の場合、です。