Friday 18 December 2015

Noと言えるか

昨日の夕方、「明日5:30~臨時会議があります」というメールが入った。なんで5:30なんだろう。勤務時間は5:15までである。ひどいもんだ。言えばみんな残って当然だと思っている。そんなに振り回されてたまったもんじゃない。そしてそんなに暇じゃない。仕事だけに人生を費やしているおじさんたちとは違う。所用があるので途中退席するつもり。ここで大人しく言うことを聞く必要はない。なぜって、勤務時間外だから。途中退席したり欠席したりすることにうしろめたさを感じてはいけない。

仕事のストレスで精神的にも肉体的にもダメになった人の話をよく聞く。もちろんそんな人たちばかりではないと思う。だけど少なくともこの首都圏に住む多くの人たちの生活がほぼ仕事のみによって成り立っていることは、確かだと思う。友達と会いたくてもろくに会えなかったりするのがそれを示している。

さらに問題なのは、楽しくないのにそれの仕事をやっていること、そして「生きるために働く」のではなく「働くために生きる」状態になっていることに当事者たちがほとんど無意識だということだ。

疑問に感じずにそのまま生きて行ける人はいい。だけど心身が不調を訴え始めたらそれは危機だと思わなければいけない。

調子が悪くなるのは、特に若い人たちに多い。

会社やその集団が年齢を基準に動いているという場合は特にそうなりやすい。若い人はNOと言えないから。声をあげずに、周りと同じように行動するように日本では小さい頃からしつけられていて、そういう人たちが年功序列型とか先輩-後輩文化が強い組織に入るとどういうことが起きるかは目に見えている。

ひどいものだ。

というわけで昨日のメールを思い出して今日は朝から「怒」です。
怒りは悪いことではない。ほかのエネルギーにつながるから。

今は人に雇われている身分だけど、いつか自由業になりたいなあとこういうときに思う。そのためにはやはり手に職がないと。スキルをこつこつ磨こう。

私は、おかしいと思ったらNOと言える人間でいたいし、それが周りに勇気を与えられたらと思う。

万年筆、外出

なくなったと思っていた万年筆が職場の引き出しから出てきた。一本千円のものなので、なくなってもあきらめはつくのだが少し気になっていたのは事実だった。中のインクは空っぽだが一体何色を入れていたのかさえ判然としない状況だった。家に連れて帰って洗うことにした。  翌朝の万年筆カートリッジ...