Thursday, 1 March 2012

フェイスブック、誕生日お知らせ

Facebookは危ない。
知らぬ間にありとあらゆる情報が漏れていく。
知人友人が生年月日や職歴学歴、交際、家族などの情報をどんどん書き込んでいくのを見ながら、どうして恐れもせずこんなにたくさんの情報を書けるのだろうと不思議になる。
私は、情報はまず書き込まない。書き込んだ情報や写真は、できる限り制限をかけている。
You can never be too careful in dealing with your information だと思っているからだ。
(情報管理についてはどれだけ気をつけても気をつけすぎることはない。)

ちょくちょく「アカウント設定」をチェックすることにしている。というのも、フェイスブック自体が設定や仕組み自体を変更することがあるからだ。これまでにも何度もあった。友達以外には見えないようにしていたつもりの写真がいつの間にか友達外にもオープンになっていたりした。気味が悪かったし、これは信用ならない、と思った。

自分の情報は自分で守る。

話は変わるが、フェイスブックなどは「きょうは○○さんの誕生日です」と知らせてくれる。
それを見て「ああそうか、きょう誕生日だったな、おめでとうって書き込んでおくか」と書き込むのが本当に好きになれない。書き込むのも、書き込まれるのも、嫌だ。
そんなのに頼らず、誕生日を覚えて祝ってくれる人こそ大事な存在だと信じたいし、「とりあえず書かれる」おめでとうのなかにどれくらい真の祝福が含まれているか、答えは言うまでも無いだろう。

一昨年だったか、大量の「おめでとう」が誕生日に書き込まれたのを見て一瞬嬉しかった。しかし、ふと、「とりあえず」感を受けずにはいられなかったので、ためしに前年、誕生日の表示をはずしてみた。

そしたら、Facebook上に「おめでとう☆」と書き込むお調子者は誰一人いなくなった。
届いたメッセージはすべて、Facebookの壁ではなく、メールだった。
送ってくれたのは、よく連絡を取る友人たちからだった。

フェイスブック以前に、コンピューターが無いころは、誕生日を意識する作業も「能動的」だったはずだ。なんて受身な世の中になってしまったことか。私は嘆く。

朝起きてスマートフォンを見れば「○○さんの誕生日」と教えてくれる。
そのテクノロジーの力を借りている一人として、私は嘆く。

お父さんの回復、12月の疲れ

父が入院している。経過は良いようで、退院が見えてきたらしい。よかった。毎日のようにテレビ電話で様子をきいているが、話す様子が1日、1日と元気になっていくのがわかる。人間の身体はすごいなあ。 話を聞くたびに、普段の姿勢とか、動き方とか、注意しなければと思う。身体に負担をかける動きを...