カナダを発つ。
あっという間に3週間が過ぎてしまった。
過ごしやすい気候で、朝晩は寒いくらいの毎日だった。
これから日本に戻ってその湿度と気温の変化に耐えられるのか不安である。
ここではいつも厚手のパーカーやカーディガンが手放せないのだが、日本に着いた途端にこれらは急に魅力的に見えなくなってくるのだろう。
これだけの期間いて気づいたことの一つをメモしておく。
英語を読む速度が上がった。
話すことと聞くことのレベルが上がるのはまあもちろんなのだが、「読み」も上がった気がする。
そもそも心理的な壁が無い。
つまり、苦だと思わない。
スイスイ言葉が入ってくる。
情報を得るために目を通す、という作業が早くなった。
やはり慣れなのだろうと思う。
イギリスにいるときもそうだった。
滞在後しばらくしてから、英文テキストを見るのが苦ではなくなったことに気づいたのを覚えている。
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さっき書いてから数時間後。
今はシアトルの空港にいます。
東京行きの便が8時発なので、待ち時間が3、4時間ある。
気のせいか、周りの人たちがless friendlyになったような気がする。
あと、いろんなものが、でーん、と大きくなったような気がする。
この滞在で、カナダはアメリカと全然違う、ということが分かった。
以前聞いたジョークで「カナダ人とは洗練されたアメリカ人である」というものがあった。彼らは決してアメリカ人ではないが、本当に、うんと洗練されているし、とても常識的な人々である。
困っている人を助ける、欲張らない、譲り合うー
そういったことがカナダでは「普通」なのだ。
ありとあらゆるものがニュートラルで、"in between"という感じがした。
つまり、食べ物や人間のサイズも大きすぎない。
英語も世界中のいろんな人に対して聞き取りやすい。
どこをとっても極端なところがない。
「個性が無い」とも表現できる。
だが、「異」なものに対してとにかくオープンであり、人々が共存していくための妥協点を見つけた結果なのだと思う。
住んでいる人たちはそのようなことを意識さえしていないのだが。
ゴミのリサイクルや分別は推進されているし、健康志向の人々が多い。
資源も土地も、有り余るほどある。
だからだろうか、人間にあまり欲があるように見えない。
これを見ると、東京人がいかに殺気立っているかを思い知らされるのである。
東京という場所では、神経質にならざるを得ない。
カナダの人々が特別に何かを行っているわけではないと思う。
すべてが自然なのだ。
人と人とのつながりを大切にするだけで、人間はここまで“豊か”になれるのである。
Sunday, 24 August 2014
お父さんの回復、12月の疲れ
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