Thursday 7 August 2014

カナダ、日本人

カナダに来ている。

どうしても私とカナダという組み合わせにピンと来ない。いまだに。

カナダという国は「いつか行く機会がきっとあるだろう」という気がしていて今まで訪れ
ようともしていなかった。
というか、意識したことも無かったと思う。
ここ10年くらいの傾向として海外旅行の行き先としてまず考えようともしないのが、オーストラリアとカナダ。(シドニー行ったことあるけど。)

理由は単純で;
・平和だろうし
・英語しゃべる国だし
・物価もだいたい日本みたいなもんだろうし
・食べる物には困らないだろうし
・なんとなく街の様子が想像できちゃうし
・人間も常識的だろうし
・歴史にそれほど魅力を感じないし
・まあ年とってからも行けるし

で、来てみたらまあだいたい予想は当たっていた。
ヨーロッパほど強い個性もプライドも感じられない。
まあとにかく平和である。
念のため言っておくがカナダを馬鹿にしているわけではない。
つまりは、めちゃくちゃ良い国なのである。
若さが無くなっても問題なく行けそうな国に今わざわざ行こうとはしない、ということ。

研修で来ているのだが、そもそも周りにいる人たちが全員日本人なので、実はまだカナダに来た実感がわいていない。
日本人同士ですべて情報交換が行われ、英語を使う必要はほぼ無いので、初めて来る国なのに困ることが一つもない。

それが嫌なので、着いた翌日からひたすら単独行動をしている。
経験上、一人で動くといろいろな人と話す機会ができるということを知っている。
昨日と今日だけで、色々な人たちと会話をすることができた。

おとといの夜着いて、昨日が研修初日なのだが、集団で行動することに耐えられなくて極度のストレスを感じていた。
同時に、ちょっとぐらいの我慢ができない自分を不思議に思いもした。

思えば最初の記憶は幼稚園のときである。全員でマイムマイムを踊ることになっていたその日、集団で同じ動きをすることに一人激しく抵抗と疑問を感じていた私は、どうしても足(脚)が上がらなかった。円になることまでは受け入れられても全員同時に脚を上げることに違和感を感じており、適当な動きしかしていなかった。「適当でいいや」と思った。とりあえず動いてりゃおこられることはない、と。
そのことは、今もまだ覚えている。

幼いころ何かトラウマ的な経験があったのだろうか?
集団行動に関してはそれが求められていると頭では分かっていても身体が拒否反応を示すことがあるのだ。
頭痛とかじんましんとかが出そうになる。

昨日はそれで、また日本人の集団と一緒に午後行動していたら目の前にバスがやってきたので、ほとんどそれに飛び乗るような形でそこから離れた。
それから運転手に「ダウンタウンに行きたいんですが」と伝えたらちゃんとそこでおろしてくれた。

一人になって、街を歩いて、生き返ったような気がした。
有名な議事堂前にたどり着いた。
議事堂はもう閉まっていて入れなかったけど、芝生に寝転がった。
高い高ーい空の下で、いっぱいに空気を吸い込んだ時、初めて自分がカナダに来たと感じた。
ああ、私は自由だ、と思った。


今日はスーパーの先へてくてく歩いて行ったら海が見えてきたので、そのまま進んだら砂浜に出た。
こんな感じ↓

そこのベンチで知り合った86歳のおじいちゃんと友達になった。
1時間くらい話した。
主に、人生について。


細かい気づきその他はまだまだあるけどとりあえず今日はこれでおしまい。
また明日書く。

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