Friday 8 August 2014

住みやすさとは人のよさ

夜中に目が覚めた。
時計も見ずに夜中だ、と思っていた。
暗かったから。
おなかがすいたのだろうか、と思ったのでパンとかチョコレートとかバナナとか食べた。
でも本当の原因は空腹ではなく、時差ぼけだろうと思う。
こちらに着いてから時差ぼけたる時差ぼけは今のところ無い。
飛行機の中で半端に眠って、到着してからさらにぐっすり眠ったので、ごく普通に朝起きて、夜寝て、という生活ができている。
が、思い返してみると確かにほぼ毎日、暗い時間に一度ぱちっと目が覚める。
それで、今日は起き出してしまった。
時計を見ると5時でもう朝に近かったのでこのままでいようと思う。

で、今日書きたいことは、ここは本当に住みやすいところですよ、という話。

もう、なにより、人間が良すぎる。
一般化はしないとしても、圧倒的なまでに明らかなのは、人が人に対して心理的な壁を作らない、ということだ。

一人でうろうろすると色々な人と少しずつ会話する機会がある。
いや、もちろんこっちが口を開かなければ会話は始まらない。
イタリア人みたいに、こっちが黙っていてもあちらから話しかけてくるなんていうことは無い。

こちらから何気なく話題を振ってみるのだ。
日本ではまずありえないことかもしれないが私の連れ合いはいつもこうやって色々な人に話しかけるので世界中の人とすぐ知り合いか友達になる。その様子を日々見ているのでなんとなく私もそれができてしまう。いや、彼と知り合う前から実際そういう人間ではあったが。

お店の人なんかはもちろんあちらから話しかけてくるのだが、問題はそのあとどう会話を続けるか、である。
用が済んだら話しかけないのが日本では普通だ。

だけど、むしろその後から会話をどう続けるかがカナダという社会でうまくやっていけるかどうかのカギなんですよ、と昨日、先生が言っていた。
small talkの重要性。

どこの大学を出たか、ももちろん見られるだろうけど、カナダについて言えば、その辺はカウントされないに等しいらしい。
仕事を得るためには、30秒から1分くらいの会話を毎日色々な人と普通に続けられるスキルが絶対必要だ、と。

だから少しだけ話しかけてみると、その返し方がとにかく自然で、少しだけの会話が必ず続く。
昨日もスーパーの店員と5分くらい話した。

「よその国だと多分スーパーの店員なんて人と話す気もないでしょ?だけどここでは普通なのよね〜。フレンドリーであることに慣れてる。本当にいろんな人たちがいるからさ。」

と、ゴス系のお姉ちゃんは言った。

カナダしか知らない人だと、これが普通だと思うのだろう。
そして、一般的にも、欧米人が「ハーイ」とか挨拶をするのは当たり前またはよくあると思うかもしれない。実際、ヨーロッパにいても、すぐ隣の人と簡単に話すという文化は、ある。

だけど、例えばイギリスだったら、人種によって扱い方が変わる場合が多い。
また(これはまた別の話題として書こうと思うが)イギリスだったら、並大抵の英語のでき方だと話についていけないし、相手にされない。

それがどうだろう、移民を多く受け入れていることもあり、アジア系だろうがアフリカ系だろうが、カナダでは、軽蔑する様子が少しもない。
まず、じっと見られることがない。
黒髪でアーモンド型の目なんて全然珍しくないのだ。

さらに、つたない英語であっても、ちゃんと耳を傾けてくれるのだ。
そして分かりやすい英語で答えてくれる。

んま〜、これは留学先としてはいいだろうなあ、というのを身をもって感じる。

さて、顔でも洗おうかな。今は朝の6時ぐらいです。太陽が出てきた。

写真は、ここで作ったパスタ。モッツァレラがイタリアよりだいぶおかしな味するけど。

どこに行ってもこれだったら作れるし、一番食べたいと思うし、食べて一番おいしいと思えるもの。

万年筆、外出

なくなったと思っていた万年筆が職場の引き出しから出てきた。一本千円のものなので、なくなってもあきらめはつくのだが少し気になっていたのは事実だった。中のインクは空っぽだが一体何色を入れていたのかさえ判然としない状況だった。家に連れて帰って洗うことにした。  翌朝の万年筆カートリッジ...