Pico Iyerという人のことを最近知った。
New York Style Magazineという雑誌を呼んでいた時に"In Japan, History Has No Place"という記事を見つけた。写真が大きくて興味深かったので読み始めたのだが、じっくり読んでみると、とても良くできた、魅力的な文章であることに気づいた。
それで偶然、作者であるピコ・アイヤーさんのことを知ることになったわけだ。どうやらTED talkにも出ている人らしかったので、少し見てみた。「故郷とは何か」というスピーチをひとつ見た。なかなか興味深い。
"Where do you come from?" means, "Which place goes deepest inside of you?"
という部分を聞いて少し考えてしまった。「心のもっとも奥深くにある場所」とは、どこだろう?
もちろん私にとってのそれは生まれて18年間を過ごした場所であり、それを私は故郷と呼んでいる。今のところそれは揺るがないが、これはもしかしたら時間が経つと変わるのかもしれない。故郷を故郷として意識しているのは、そこから離れて過ごしているが故のことかもしれない。東京を故郷とは到底呼べないし呼ばないが、もしかしたらここから離れて数年間を過ごすと、故郷として見なすのかもしれない。故郷とは何だろう。そもそも故郷が無ければいけないのか。故郷を持っていたいというのはどこかに属していたいという勝手な考えの結果なのかもしれない。「故郷」に帰りたいとは今のところ思わないし、今、もう一度住もうとは思えない。故郷というのは帰る前提で存在するものなのか?私は故郷とどのくらいの距離を保っているべきなのか?かれこれ10年以上自分自身に問い続けている。
ところで「故郷」のこの季節はとても過ごしやすい。コスモスが「激しく」咲き乱れ、栗や柿がこれでもかというほどに実り、空は澄んで、すすきがサワサワと音を立て始める。それを思い出すと、やはり東京にいて季節を感じるのは無理だ、と思う。