Saturday 10 February 2018

週末ピッツァの定点観測

9月、つまり仕事に復帰してから恒例となっていることがある。週末に子どもをつれてピッツァを食べに行くこと。顔なじみのレストランであり、行くようになってから何年も経つ。オーナーにもよく声をかけてもらい、「おまけしといたよ」というようなこともしばしばある。ちょっとした集まり、パーティー、友達と会うときにはよく使わせてもらっている。

この9月以降のピッツァ通いのきっかけはそもそも「お昼作りたくない」から来ている。育休中は毎日子供と一緒だったので土日の特別な感じはなかったしそんなに「作りたくない」を毎日いい続けるわけにもいかなかった。復帰してからは平日は保育園に預けているのでお昼を作る必要もない。ただ土日となったときに育休中と同じことをするだけなのにこれが面倒で仕方ない。そして、私もいいもの食べたい。

そんなこんなで始まったピッツァはもはや習慣となっている。文字通り「毎週」行っている。9月から今までに行かなかった日は、12月に40度の熱を出した日と、郷里へ帰った日くらい。

毎週、朝は子育て支援施設に行き、そこからまっすぐ電車でレストランへ向かう。どのくらいに出てどのくらいの電車に乗れば良いか、だんだんと感覚でつかめるようになってきた。毎週同じ時間に同じ場所を通るため、少しでも変化があるとよくわかる。

もっとも変化しているのは子どもである。レストランに通うこの数ヶ月の間に歩けるようになったのだから。毎週同じ席に座り、同じものを食べている。そうするとやはり変化に気付きやすい。

まず「レストランに来たのだ」「ピザを食べに来たのだ」ということを子供が認識するようになった。場所に近づくと「っつぁ!!」を繰り返す。それが「ピッツァ」を意味するのかどうかはわからないが少なくとも「これからなにか食べる」という興奮がみてとれる。

そしてスタッフの顔を覚えている。窯の火がめらめらしている方向に行くとピッツァイオーロ(ピッツァを焼く人)がいるというのもわかる。

きょうはドアが開くと同時に、一番のお客さんとして子どもが入った。自分の足で、歩いて入って行った。食べる前と食べた後は自分から厨房のほうへ歩いて行きピッツァイオーロに挨拶をしていた。

9月の時点ではしっかり抱えてないといけなかったのに。そもそも靴さえ履いていなかった。

私もだいぶ慣れてきたので「泣いて暴れるかも」とか「皿を落として割るかも」とかいうような心配はまったくしなくなった。ひざに子供を乗せて、ちょっと遠いところにピザを置いて、切り分けてあげる。そのときにどれくらいの距離が必要かも感覚でわかるようになった。

持ち物もそんなにいらない。朝9時ごろ、遊びに連れて行くときにバッグに入れるのは:

・財布
・携帯
・鍵
・おむつ1枚
・おしりふき
・替えのよだれかけ2枚

そしてポケットにPASMO。

これだけである。それでも困らない。「いざという時」のための「モノ」類はなくても困らないということがわかっている。

もはや「訓練」である。毎日ストレッチをしたり基礎英語を聞いたりするのと同じ。規則正しい生活を送るのと同じ。リズムがひとつ作られているのだ。

そもそも子供向けのレストランではない。騒いでも良いように作られている場所とは違う。だからもし騒ぐようであればこんな小さな子供は連れていけないと思う。そうなると子どもが小さいうちは、自分一人でない限りまったく外食ができなくなってしまう。いやいやなんとかして外食できるはず、と、育休中、そして育休明けの私は思ったに違いない。(だから育休中からやたら外に連れて行っていた。)そして1歳の誕生日にピッツァを食べに連れて行ったときに上手に手づかみで食べていたのを思い出し、ほかの料理だと面倒だけどこれならストレスなく手軽に食べさせられるということに気づいたのだ。

食べた後に電車にのって帰るが、これがだいたいの場合12:10ごろの電車。ゆっくり家へ帰ると、遅くとも1時には眠りにつく。泣きわめいたりすることもなく、ふとんをしいてあげるとすーっと寝入る。そこから3時まで眠る。こうすることでお互いにストレスなく、週末を過ごすことができる。

リズムがすべてなのだ。いつも同じ時間に同じことを淡々とする意味は、時間が経たないとわからないし効果も見えない。

それにしてもピッツァ一枚では足りなくなってきた。以前は、(六等分されたうちの)せめて二切れくらいは私の口に入っていたのだがここ最近は「みみ」の部分だけしか食べられていない。あとは、あっという間にこどもの口に運ばれて行く。ワインとサラダがせめてもの救いだ。きょうも、かろうじてモッツァレッラを少し食べられたけど、あとは「みみ」だけでした。これも定点観測からの気付きの一つ。いやはや。

ありがとうとカルボナーラ

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