Sunday, 31 August 2025

時差ぼけ、こんなに暑い誕生日

 29日と30日の夜は寝ることができた。

【29日】

30日(土)は合気道の朝稽古に行くつもりでいたので、それに向けてちゃんと寝ようと意気込んでいた。寝るのに意気込む、というのもへんな感じがするが、なんてったって1ヶ月以上ぶりの合気道なのだ。優先順位は高い。体調は整えておきたい。

9時から10時の間に寝入った。

【30日】

朝は5時に起きられた。途中、子に起こされもしたが眠れなくて困ることはなかった。29日は仕事再開2日目だったというのもあるかもしれない。ある程度ストレスがかかっているぐらいがいいのかもしれない。合気道には遅れずに行き、やっぱり行ってよかったと思った。体が思い出すまでに少し時間はかかったけど、やっぱり気持ちが良いと思った。めぐまれた環境にいる。これからも合気道に通える位置に住もう、と思いながら帰った。その後は一日中、エアコンのなかで過ごした。暑すぎて外に出られない。リンゴジャムでタルトを作った。それからバナナとココナッツのドロップクッキーと、パンも焼いた。久しぶりに日常が戻ってきた感じ。

体を動かしたおかげか、この日の夜もスーッと眠れた。

【31日】

今朝も5時に起きた。やっぱり5時台の起床が良いのだろう。Ruby Thandorという人がいて、知っている人はすぐにわかるだろうけど、「ブリティッシュ・ベイクオフ」にかつて出てきた人。この人が最近、The New Yorkerでブリティッシュ・ベイクオフについてのエッセイを書いた。Inside the World of "The Great British Bake Off". どうにかして読めないかなと思っていたら、今朝、朗読を聞くことができた。30分近くかかる。これは偶然かもしれないと思っていたら、どうやらきょうついにpaywallがはずれて無料で読めるようになっているらしい。スクショもコピーもして、ソファに寝っ転がってi padで読んでいたらだんだん眠気がおそってきた。10時ぐらいだったか、少しわたしは寝たようだ。午前中にに眠くなるなんてとても珍しい。やっぱりまだ安定していないなと思った。

きょうは子の誕生日なので朝からお祝いをしたところだった。無事に大きくなっている。きのうの夜は「なんでかわからないけど悲しい気持ちになる」と言っていた。なんでだろう、と言いながらいろいろな可能性について2人で話してみた。イタリア、日本間での混乱があるかもしれないし、そもそも毎日きちんと眠れていないのは原因として大きいかもしれない、そしてもうすぐ学校が始まるので戸惑いがあるかもしれない、など。大きくなっていろいろ感じたり考えたりできるようになっているので、ものごとが単純にいかなくなるのは自然なことかもよと言った。

それにしてもこんなに暑い誕生日があっただろうか。きょうは外に人影がない。災害と似ている。

Friday, 29 August 2025

まだまだ続く時差ぼけ 真夜中の自由研究

きのうはリハビリの4時間勤務で、3時ごろには帰宅できた。

職場で子育て中の同僚が「終わった?宿題」と聞いてきた。毎年のことだ。子の宿題は終わったがこれから自由研究が待っている。

というわけで夕方から張り切って自由研究に取り掛かる。もはや親である私の仕事になっている。これを言い始めるとキリがないが「私が小学生のころはこうじゃなかった」。すすんで自分でやっていたし親に手伝ってもらうことは、もはやなかったと思う。これがどの子にも当てはまるわけではない、ということはこの数年で身に染みて理解している。宿題は、もはや親の宿題。お膳立てをしなければいけない。

もっとも意味と価値があり、効率よくできる自由研究は、イタリア滞在のまとめだ。はさみとのりを持って、作業が始まる。

「きょうこそちゃんと眠りたいよね」とお互いに話す。前夜のことを考えると、もう辛さしかない。

キャベツを買ってきたことを話すと、お好み焼きが食べたいというので、冷凍してあった豚バラを使って夕飯にお好み焼きを作った。大きなのを2枚焼いて、1枚は明日にでも食べられるようにしておく。久しぶりに作ったけどうまくいったようだった。

そしていざ夜になり、9時に横になった。「ぼくより先に寝ないでよ」と言いながら子はさほど問題なく眠りについた。よかった。きょうこそ眠れているじゃないか。

問題は私である。全然眠れない。少し眠りがやってきたかと思うときがあるけど結局眠れない。11時半ごろ、諦めて起き出すことにした。

こういうときはやはり単純作業が良いので、自由研究の続きをやることにした。のりとはさみを持って、無心に作業をする。ちょうど12時になったので、寝てみたら、それほど長い時間経たずに寝られた。

翌朝、これで7時まで寝てはいけないと思い、自分に鞭打って5時過ぎにアラームをセットしておいた。なんとか起きてきて今にいたる。当然、睡眠不足。

気づいてみたら自分が帰国してもう1週間以上経っている。この1週間は寝不足に起因する便秘肌荒れ頭痛もずっと続いている。しかも暑い。

通常運転に戻るには、やっぱり1週間以上かかる。

先日ふとコーヒーの香りがしたときに「あ、イタリア…」と思った。嗅覚は記憶と結びつきやすいというが、本当にそうだと思う。帰国して数日はイタリアが恋しいと思わなかったけどここ最近はすでにイタリアのいろいろなものが懐かしい。今すぐ戻りたいというわけでもないけど、食べ物と、テレビの音と、外の空気と、石けんのにおいと、空の色と…と日常のいろんなものが、今自分の手に届かないところにあることがもどかしい。すでに来年の夏もきっとイタリアに行くんだろうなと思っている。

Thursday, 28 August 2025

時差ぼけ日記

時差ぼけのせいで我が家はたいへんなことになっている。

24日〜26日まで、私は泊まりがけの仕事があった。いっぽう、26日には家族がイタリアから帰国。私だけ先に帰ってきていたが、これで3人そろった。

私はだんだんと時差ぼけから回復しつつあったが、この2泊の仕事は疲労がたまる上に睡眠が安定せず睡眠不足に陥った。それに加えて異様な暑さで、最終日は頭痛がして「これはもしかして熱中症のはじまり…」と感じた。

問題は、子である。26日は飛行機で眠ったと言っていたが、その後全然眠くなることもなかった。夜はおそらく10時ごろには寝たが、3時半ごろ「ぼく眠れない」と言って我々を起こす。眠れないのはわかるが起こさないでほしい。こっちだって寝たい。

それから27日、きのうの朝は、私も8時過ぎまで寝て、子は9時まで寝た。放っておくと昼まで寝そうだったので9時に起こしたのだった。幸い、27日は用事を入れておらず、仕事も休みにしていたので家で過ごした。片付けたり、勉強させたりしながらゆっくり過ごした。

夜9時ごろ、寝ようとしたが子はまったく眠くない。放っておいて私は寝た。子がその後眠りについたのかどうかわからなかったけど、例によって夜中「ぼく眠れない」が始まった。「もういい加減にしてよ」と言いながらも、いったんおこされるとこちらも再度入眠するのはとても難しい。さらに時間が経った頃、ようやくこちらも夢に入りかけたときに、次は子が泣き始めた。しくしくと。たまったもんじゃない。「ぼくはひとりぼっち」など、よく聞こえないが何か言っている。慰める余裕はこちらにもない。

3時。別の部屋に行って横になった。しばらくすると子がついてくる。「何してるのかなと思って」というので「1人にしてほしい」と言った。こちらも泣きそうである。

無理に寝ようとするのを私はやめて、ちょうど届いたばかりのアルバムで写真整理をすることにした。こういうときは無心になる作業がいい。

そのあと、時間はもはや見なかったけど、寝室に行ってみたら子は寝ていた。さぞつらいと思う。1ヶ月以上イタリアにいたのだから、もとに戻るには1週間では足りないはず。

しかしこればっかりは仕方ないのだ。私も横になって、寝た。そして7時ごろ、やっと起きてきたというわけ。きょうは仕事に行かねばならないのだ。

幸い、きょうは昨日より気温が下がったようだ。睡眠不足で頭がふらふらする。勤務時間を9時からにしておいてよかった。遅く行って早く帰ってくるつもり。その前に、きょうはせめて8時ごろには子を起こさなければいけない。そうしないと今夜もまたたいへんなことになる。

Sunday, 24 August 2025

『賢い医師生活』見終わってしまった

昨夜ブログを書きながら「眠いな」と思った。少し眠い、という程度ではなく猛烈に、しかも突然くる感じの眠気。気がついたらPCを開いたまま、座ったまま寝ていた。どれくらい時間が経っていたのかわからないけど、9時過ぎていたので1時間くらい座ったまま寝てたのではないか。普段はこういうことはまず起きない。時差ぼけならでは。

とはいえ、就寝時間は普段と結局それほど変わらず、9時過ぎで、今朝は5時過ぎに起きた。きょうは日曜だけど仕事です。そのために、家族より早めに帰国した。

きのうついに『賢い医師生活 シーズン2』を見終わってしまった。有名な大ヒット韓国ドラマ。見終わったらいつものように、寂しい。ロス状態。最終回の前は「もうこいつらに会えなくなるのか」と思うと、見るのをためらう。

いつもだったら「何を見ようかな〜」と、迷っている時間がとても長くて、しかも第1回を見たらそのあとから結構時間が空いたりする。第5、6回目あたりからハマってきてあとはどーっと見る、というパターンが多い。

しかしこのドラマは第1回からハマった。何か大きな事件が起きるというより、それぞれのストーリーがたんたんとしている感じで、それがよかった。病院の話なのでドタバタコメディ系とも違う。しかし深刻すぎない。

しかしこんなのよく作れるよなあと、感心する。韓国ドラマを見るとたいてい思うけど、今回のは12話x2シーズン=24話で、一話あたりが最低1時間半。2時間超えているものもあった。ひとつの映画が2時間と考えるとやっぱりすごい。

先日、友人がラジオに出た。日韓の制作現場を知る友人で、その違いについて話していたが、韓国は「若い」そうだ。つまり現場で働く世代が若く、動きも理解も早い。業界の新陳代謝が早い、と。ラジオの共演者は「日本の撮影現場では年配の男性が多くて恐縮する」と言っていた。なるほど、なんとなくそういう気はしていたけどやっぱりそうなんだな。そうじゃないとこれだけのドラマ作れないだろう。

イタリアにいる間も『賢い医師生活』を見ていて、「韓国行きたいな〜」と思っていた。日頃からなんとなく思っているだけで行動に移していない。次の春あたり思い切って行こうかなと考えている。

ちなみに『賢い医師生活』、わたしの好きな登場人物は、主人公5人は当然として、ト・ジェハクとチュ・ミナです。人間くささ?がいい。

Saturday, 23 August 2025

時差ぼけの記録

「今回は時差ぼけないかも?」と思ったら帰国3日目くらいにわかる、というのが毎回のパターン。というわけで記録。

【21日、帰国日】
途中までは前回の投稿参照。昼間に寝るのを1時間におさえておけば、夜はぐっすり眠る。9時過ぎに寝た。

【22日】
疲れているからといってここで寝たいだけ寝てはいけない(と思っている)。5時半に起きた。本当は5時に起きたかったけどイタリアではずっと6時半ごろ起きていて、いきなり5時台ではなくだんだん戻していくことにしようかなとおもった。6時台に買い物に行った。つめたいコーヒーを飲みたかったが粉がなかったのでスーパーへ。それからセブンイレブンでメロンパンを買った。9時に歯医者の予約を入れていたのだが、歯医者が終わってそのまま仕事に行ってみた。在宅勤務の予定だったが、ちょっと行きたくなった。自転車をこぎたかった。2時間だけ働いた。同僚はすくなくて、みんな休んでいるようだった。良いこと。翌朝きっと早く起きると思って、9時ではなく10時に寝た。

【23日】
いつものパターンでは、ここで崩れる。思ったとおりだった。朝3時台に目覚めた。もう全然眠くない。無理して寝るのをやめて、起きた。そのまま普通に過ごした。6時台に宅急便出したり。日中、ぜんぜん眠くなかった。これが、今、めちゃくちゃ眠い。書きながら寝てしまった。

Thursday, 21 August 2025

帰国しました


日本に戻った。20日の朝8時半ごろ家を出て、子を祖父母宅へ預け、車でフィウミチーノへ。高速道路を2時間半。アドリア海からティレニア海側へ、長靴のちょうど反対側へ行く形になる。距離にして180kmくらいあるらしい。

イタリアの高速を走っていると急に中世の村みたいなのが出てくる
絵本の中みたいだけど、普通に人が暮らしている。教会と広場があるのが普通。

高速は130kmぐらいスピード出ていて途中で「タイヤおかしい」と言い出すので生きた心地がしなかったです。送ってくれたFはそのまま帰る。朝からたいへんな苦労をかけてしまったので来年はおとなしく高速バスを使おうと思った。たとえ3時間以上かかっても。それにしてもありがたかった。

14:55発なので、12時半に空港に着けば十分と思っていたら12時前に到着し、だいぶ余裕があった。ターミナル1。ゲートの番号さえまだ決まっていない。チェックインは前日にオンラインで済ませたので荷物だけ預けた。東京行きのチェックインが、そもそも始まっているのかもわからないが、預かってもらえたのでこれでよし。

荷物を持って店などをうろうろ見て回る気力も特にないのでそのまま手荷物検査を終え、パスポートコントロールへ。手荷物検査はPCなどをかばんから出す必要はないのでかなりスムーズ。パスポートも、来たときと同じでThird Countriesに登録されている国は別のレーンから進める。自分でパスポートを「ピッ」とやって、終わり。

機内持ち込み荷物のメモ。最近はリュックと貴重品ポシェットを持っていたが機内で必要なもの(まくら、スリッパ、着圧ソックス、アイマスク、歯ブラシ)をがさっと入れられるものがあるといいなと思ってためしに大きな薄いトートバッグに入れてみたら行きも帰りもこれが便利だった。滞在している間も、特に買い物袋として大活躍だった。

ゲートはEのエリアだということだけわかっていたのでそちらに進んだ。ベネトンの店舗があったので見てみたけどあまり買う気にはならなかった。


奥の方に行くと簡単なレストランみたいなのがある。6年前もここで食事をしたなあ。あのときもゲートはEだったのかなあ。迷ったけど12.5ユーロの"Tuna Poke"にした。ツナのサラダです。だいぶ大きくて、おいしかった。このへんはやっぱりイタリアだよなと思う。一食分あるくらいしっかりした量。空港の12ユーロは仕方ない。日本円にして2000円超える。円安…

席についてゆっくり食べることができてよかった。今回はコンセントにつなぐ、形を帰るやつ(名前がわからない)を持ってくるのを忘れたので、ここで充電はできなかった。来年以降の反省。

搭乗時刻の1時55分がようやく近づいてきたので席を立って移動。歯磨きしたりして待っていたらEの21という案内が。トコトコ歩いて到着。乗客は、またしてもほとんどイタリア人。8割くらいいるのではないだろうか。行きもイタリア人多かったのに。これから日本に行くということは、夏休みをこれからとる人たちもいるのだろう。

帰りもITAエアウェイズの直行便。残念ながら機体は、間違いなくかつてのアリタリアのものを使っている。白いから。外から見てもわかるボロボロ具合だった。これで本当に飛ぶのか、と思いたくなる。

基本的に、席の掃除はされない。というか掃除自体されない。座席ポケットは埃だらけ。床も髪の毛だらけ。飲み物をこぼして固まった跡が席の脇のところについている。そして画面が汚い。タッチパネルなのにタッチしたくない。運ばれてきた食事をテーブルにのせると、すーっ、と前にすべってくる。何回やっても同じ。つまりテーブルがまっすぐじゃない。これは初めてじゃないし、以前は手で支えながら食べなければいけなかったので今回のは許せた。

極め付けは、トイレの鏡が割れている‼︎しかもテープで貼ってある…。これはひどい。ここにかける金くらいあるだろうに。本当にこれでスターアライアンスに入るというのだろうか。ルフトハンザに怒られないのか。怒られてほしい。

それでも直行便の魅力には抗えないのだった。

まず搭乗すると大音量でイタリアの歌謡曲がかかっている。降りるときも同じだった。周りを見回すと、行きと同じように、italo-giapponese 親のどちらかが日本でどちらかがイタリア人、という子供たちが結構いた。イタリア語と日本語が混ざって出てくる。聞いていて面白い。それに親が何語をしゃべるかも面白い。日本語を話すイタリア人のお父さんもいれば、イタリア語を話す日本人のお母さんもいる(←これ多い)。ただし居住はどこかわからない。こどものイタリア語の流暢さを聞くと、これはイタリア在住だろう、と思うけど。

見た映画は、ブリジット・ジョーンズの日記(最新作)、バードマン、ミナリ。どれもかなりよかった。

ブリジット・ジョーンズは期待を超える良さだった。自分に子供がいるのもあるだろうけど泣いてしまった。そして演技がいい。続編をつくると大抵コケるのに、この映画はよくなっている。昔のやつもう一回見たいな。あれでどれほど英語を学んだだろう。

バードマンは一度見たことがあって気に入っていたので久しぶりにもう一回見たくなった。レイモンド・カーヴァーの小説を舞台でやる、という設定なので、小説も読み直したくなる。それにしてもカメラワークがすごすぎる。有名な話だが、この映画は2時間ずっとカメラの画面が切り替わらない。すごい映画だと思う。

ミナリ、これがよかった。韓国ドラマを見るようになって以来、欧米の映画やドラマを連続して見ているともの足りなさを感じる。嘘くさい、とまでは言わないけど自分から遠い感じ。ということで「ミナリ」を見た。とてもいい映画だった。案の定、たくさんの賞をノミネート、受賞しているらしい。

あとはひたすらテトリスをやって、到着まであと3時間というときにアイマスクをつけてみたらいつの間にか寝ていたようだ。2時間もないくらいしか寝ていないけど、なんだかそのあとがすごく楽だった。

揺れさえなければもう少し寝ていられただろう。あんなに揺れたのはきっと機体が古かったからじゃないのか?(と思いたくなるくらいボロボロの飛行機だった。)

到着と同時に拍手が起きて、旅の最後までイタリアだった。行きの飛行機よりさらにイタリア人が多いフライトだったし、これから日本観光をするワクワクでいっぱいの人たちなのでこうなる。

10時すぎに着いたので11時間半くらいで到着したことになる。たいていはほぼ寝ない状態でふらふらしながらリムジンバスに乗るのにきょうは余裕があり、しかも帰宅してから洗濯や荷物の片付けもできた。倒れ込むように寝ることはなく、2時から3時まで、1時間だけ寝た。

「すん」としていて静かな日本。これだけ人がいるのに電子音しか聞こえない。
そのあと買い物したり郵便ポストのチェックをしたりして今にいたる。

帰ってきてからの感想:

日本はまだまだ暑い。久しぶりに、ちょっと歩くだけで汗が出ている。まだ夏休みという人たちもいるのだろう、なんだか静かな感じもする。帰国してもいつもより「わー、久しぶりだなあ」という感じがしない。なぜだろうか。

気持ちがいいと思うことと、寂しく感じること:

東京は、人がきびきびと働いて、あちこちがキュッキュッと磨かれている。いいなと思う。いつもどこかで誰かがペコペコしている。日本の人は体が小さくて、細い。

バスから建物を眺めながら、こんなに狭いところに、こんなにたくさんの人がいるのに、整然と機能しているというのはやはり奇跡的なことだなと思う。その代わり一人一人の抱える我慢の度合いは高いし、ほかの文化圏の人たちが気づかないところまで気づくがゆえに、神経を使っている。無意識に。

仕事で頑張っている分なのか、ほかの場面ではコミュニケーションをとらない。とるのが下手、なのではなく、とらないのが普通。たとえばバスに乗車するときに挨拶はしないし、スーツケースを運転手から渡されても「ありがとうございます」の一言は出ない。

それでも、去年に引き続き、帰国して「日本いいな」と肯定的に感じている。豆腐と納豆が気軽に買える。自転車でどこにでも行ける。すぐ近くに病院も歯医者もある。銀行や役所が決められた通りに動いている。落ち着いていて、静かで、余計なことに口出ししてこない、黙っているだけで自分のテリトリーに誰かが入ってくることはない。出産やコロナを経てものの見方も変わった気がする。イタリアと日本、それぞれのいいところを都合よく使いながら生きていくつもり。

Wednesday, 20 August 2025

明日イタリアを出る

16日のパリオは、私が見たのは別の街のパリオだったらしい。まさかシエナ以外の街でもやっていたとは。翌朝にインターネットで見て、全然違うな…と思って、おばあちゃんたちに聞いたら、シエナのは4時過ぎからだったということがわかった。というわけで、一体いつ本物を見られることやら。

さて、明日イタリアを出発する。しかも私だけが出発するので、なんだかもう悲しくて仕方ない。

夏休みは間違いなく楽しかったし充実していた。リラックスできた。その日の朝になって「さてきょうの予定は…」と考えるという理想の休暇の過ごし方だった。きょうの予定は…と言っても特に何もなく過ごすことも多かった。基本的に文字通り、食べることと寝ることばかりを考えて過ごした。

食べ過ぎ飲み過ぎには気をつけて…いたけど、途中から規制が外れて、毎日ワインを飲んでいる。ビールもおいしい。何も気にせずダラダラ過ごしている。

朝起きて、扉をあけると猫が待っている。どこの猫か知らないけどエサあげることになっている。

子が撮った。

それからカフェッティエラでカフェをいれて、外に出て、山を見ながら本を読む毎日だった。KindleでNever Let Me Goを読んでいる。いま6割くらい読んだ。私が長編を読むのは珍しい。音のない環境で、だいぶはかどった。
庭で座って遠くを眺める。目が良くなる。これは朝。

結局ずっとアブルッツォ州にいた。どこかに行きたいともそれほど思わなかった。ずっと前とはイタリアの楽しみ方が変わったと思う。その年齢ごとにものの見方も変わる。

車から見える景色。アブルッツォはどんなところか、と聞かれると「モナリザの背景の丘みたいな…」と説明する。

どこかに行きたいと思わない理由のひとつにオーバーツーリズムもあるだろう。観光地にいってもどうせ観光客ばかりだと思うと、わざわざ人のいるところに行きたいとは思わない。東京で、日々あれだけたくさんの人たちを見ているので、むしろ静かに過ごしたい。

そして、買い物したいと思わない。この違いは20代、30代と違う。円安もあるだろうけど、イタリアに限らず、何かを買いたいと思わない。今回買ったのは、日曜日のメルカートでシャツ4枚。合計50ユーロ。

きょうはグアンチャーレを使ってアマトリチャーナを作ってもらった。

日本に帰ってあれこれ恋しくなるだろうな…。事実を受け止めるしかないです。






Sunday, 17 August 2025

フェッラゴストとパリオ

日本に帰るのが「来週の火曜日」だと思っていたのだが、20日はどうやら水曜日ということがわかった。しかも先日「はぁ、もう14日か…」と思って1日を過ごし、その日の終わりごろに、その日は14日ではなく13日だったということに気づいた。カレンダーを見ないので日付や曜日の感覚が無茶苦茶である。同時に得した気分にもなったので、まあよし。ピチカート・ファイヴの歌のなかに「飛行機に 間に合えば それはそれで いいんじゃない」という歌詞がある。最終的に飛行機に乗れれば、いい。

少し振り返る。

8月15日はFerragosto(フェッラゴスト)という、祝日。「聖母マリアの被昇天の日」だそうです。奇しくも日本のお盆と日にちが重なっているので覚えやすい。イタリアの場合は必ずしも家族と過ごすとは限らない。8月15日にイタリアにいたことが今までも何回かあるけど、その度に違うことをやっている気がする。

今年は祖父母宅でお昼をいっしょに食べた。フェラゴストじゃなくてもお昼は2日に1回くらいいっしょに食べているのだが、この日は手の込んだスプリを作ってもらった。

おじいちゃん特製。つまりはライスコロッケなのだが、特徴的なのは、パン粉が非常に細かいのと、中にモッツァレッラが入っていること。米はトマトソースと調理されているので赤い。揚げ物なのに、胃にもたれず、軽い。こんなに大きなものを、と思うのに、あっという間に食べ終える。

揚げるときに崩れてしまったものは「自分が食べるから」と言って別の皿にとるおじいちゃん。どこの国でも似たようなことがある。

日本のお盆のようすが家族から送られてきたのでおばあちゃんに写真を見せると、たいへん興味深そうにいろいろな質問をしてきた。家の作りや食事の様子など。特に、畳に座って食べているのが珍しくて仕方ない様子。「いつもこうなのか」というので、人が多いときはこの方法が一番良い、普段はこうではなくて椅子を使う、と説明した。総勢19名の写真をみて、大家族が集まるのは本当にいいことだ、と言っていた。

喧嘩もせずによくこれだけのひとたちが集まれるなあと思う。私の親戚一同が喧嘩しない理由のひとつに、ほどよい距離感があるからだと思っている。大事なことは連絡を取り合うし、よく顔を見せ合うけど、べったりしていない。この距離感が実現されているのは、それぞれが自立しているからだろう。

16日。特に何事も起こらない日だが、そういえばシエナのパリオが行われる日なのでテレビで見ようと思っていた。パリオというのは馬のレースで、シエナという街で行われる。なんと12世紀から続くお祭りで、毎年7月2日と8月16日に開催される。

3時から始まるというので構えていて、2レースみたが、いったい本番がいつなのかわからない。これが本番なのか?あっけなすぎじゃないか?と思ったけどとりあえずテレビはいったん終わり。そして今朝になって、そのずっと後にフィナーレが行われたと知って、なーんだそういうことだったのか、と思った。

2005年のパリオ当日にわたしはシエナにいたのだが、とてもじゃないけど会場に近づける状態ではなかったので何も見なかった。去年もイタリアにいたけど見逃した。テレビでもいいからまともに見られるのは一体いつになるのだろう。

中世の格好をする、というのは日本でいう「平安時代を再現」みたいな感じだろうか。

Thursday, 14 August 2025

偏見と思い込みから抜け出すために外に出る

きょうの午前中は台風が来たのかというほどすごい風が吹いた。雨はちょっと降っただけで、お昼ごろには風も止んで普通の天気になった。今は暑い。2週間前、ここに着いたときは寒いくらいだったのが、だいぶ気温が上がって夏らしくなった。きのうの夜は初めて、暑くて起きた。

来週の火曜に日本に帰る。もう木曜なので、1週間も残っていないのか、という事実を認めようと努力している。日本もお盆ということで、インターネットを見ている限り、なんとなく「お休み」な感じが伝わってくるので、こっちも遠慮せず休む。仕事のメールも見ない。多分1週間以上見ていない。こうやって「すべてを止める」期間をもう少し日本も確保していいだろうにな。たぶんお休みっぽくなるのは今週くらいだろう。

日本にくらべるとイタリアのほうががっつり休むだろう。イタリアの夏休みは3ヶ月。ただしこれは「学校の」夏休みである。全国民がいっせいに3ヶ月休んでいるわけではない。この前会ったイタリア人も「明日から仕事」とか「来週の金曜に戻る」とか言っていた。自分が休みをとれるところで取るのだろう。

こういうのは実際に来てみないとわからないものだなと思う。下手すると、イタリア人が3ヶ月ずっと休んでいるように思い込んでしまう可能性はある。日本にいて「いいなあガイコクは…」と思っていると。

思い込み、偏見、バイアスは怖いなと思う。相当意識しないといけない。頭ではわかってはいるけど、いったん自分が住んでいる場所を強制的にでも出てみないと、それらからはなかなか抜け出せない。あるいは統計を調べてみるなど。人間は偏見のかたまりです。

たとえば「◯◯人は〜〜している人が多い」というようなフレーズは簡単に使わないようにしている。せめて「…多いらしい」と断定を避けたり、「こういう人を見たことがある」とか、自分の経験から話すべき。

日本人でもイタリア人でも、3ヶ月休む人はいるだろうし、逆に1日しか休みがないという人もいるだろう。

また、地域差もある。イタリア人はとても明るくてフレンドリーですぐに話しかけてくる、と思われている。日本と比較すると、それは本当にそうだと思う。ただし今私がいるところでは、人々はおとなしめ。観光地で当然のスリも泥棒もない。安全で穏やかそのものである。ローマ、ヴェネツィア、フィレンツェ、ナポリ…といった観光地を訪ねた人たちがここにくるとおそらく驚くはず。

スーパーで撮ったこの写真。

何かというと、全部ビール。ワインをよく飲む国というイメージがある。「イタリア」という言葉から連想されるイラストを描くと、パスタとピッツァに並んでワイングラスを描く人もいると思う。

実際、ワインはとても一般的で身近な存在だが、ビールもたくさんの種類があるし、よく飲まれている。違いとして面白いのは、缶入りはほとんどなく、瓶入りという点。


これらは「バイアスかかってますよみなさん」と知らせたいというよりは、自分への戒め。実物を見たり、データを見たり、経験をつんでいない限り断定をしてはいけない、ということ。繰り返すが、かなり意識しないと、バイアスから抜け出すのは難しい。

海に行った

肌の話の次は、海です。

月曜に行くはずが、前日の夜が遅かったせいで起きたのが遅く、では明日こそ、という話だったはずが、案の定この日(13日火曜)も男たちは10時ごろ起きてきた。(ちなみに私は毎日6時〜7時には起きています。)諦めそうになっていたので、遅くても行こうと私は言った。というのも信用ならないから。翌日の朝8時ごろまでに起きてくるとは思えない。

正直なところ、こうやって「海に行こう」と言う自分に驚いている。これはここ数年における変化ではないだろうか。なぜかというと毎回「海か…」と、むしろ渋々ついて行く感じだったのだ。それが「行きたい」と思えている。なんとなく「海に行かないと夏休みな感じがしない」と思っている自分を、正直なところ認めざるをえない。なんということだろう。

一年前、海についてどう思っていたのだろうと思ってブログを見てみた。うまいこといろいろ書いているけど、やっぱり気は進まないし日焼けを怖がっている。


去年と同じくぺスカーラに行った。車で1時間近く。観光地ではない。混んでもいない。アジア系は私だけ。水がすごくきれいなわけではない。太陽は強烈。

正直に言おう:

行ってよかった。楽しかった。

ぺスカーラの様子も、周りのあらゆる条件も昨年と変わっていないけど自分は変わっている。この海に行くのは5回目ぐらい。ようやく苦に感じなくなってきたということか。

パラソルの装飾?が、すずらんテープみたいなやつでできていて、当然、はげ、落ちまくる。落ちたすずらんテープ、つまりプラスチックは砂のなかに混じり、海に入る。これだけプラスチック減らすとか大騒ぎしているのにこういうのは認めるのか?

長い時間水の中にいた。深さも冷たさもちょうどよかった。海のなかにいるといろんなことがどうでもよくなった。水平線を眺めて、これは地中海?アドリア海?と思った。月並みだけど、この先には何があるかな、と思った。

ここにいる人たちはおそらく9割以上がイタリア人。生後、一体何ヶ月だろう、というくらいの、小さい赤ちゃんもいれば、老人もいる。みんなこんがり焼けていて、肌が白いと逆に目立つ。

パラソルの下に戻って本を読み始めたらものすごーく気持ちのよい風が吹いてきて、いつのまにか寝ていた。どのくらい寝てたのだろう。気づいたらひざより下に日差しが当たっていた。

5時ぐらいにピッツァを少し食べた。昼は食べていなかった。


でいう「海の家」みたいなのが陣地(?)ごとに海岸に並んでいる。パラソルとlettinoという、寝そべることのできる椅子が用意されている。きのうは海に近いほうで35ユーロで借りた。朝早く行けば選べる場所がもっとあったはず。ピッツァは2切れで5ユーロ。

帰り道、車のなかで感じる日差しも風も気持ちよかった。いろんなことがどうでもよくなった。少しくらい焼けるのも、勲章みたいなものかなと思った。夏を楽しんだ証。


に帰ったら、それほど焼けていなかった。首から胸にかけては赤いけど、何年か前のように肩から背中にかけて肌がヒリヒリして困ることもなかった。日焼けしないために必死になるより、いっそ水のなかにいる時間が長いほうがいいのかもしれない。だんだん慣れてきたのだろう。

スーパーに寄って、家に帰って、ビールを飲んで、チキンとかサラダとかいろんなものを食べた。とてもおいしかった。

また海に行きたいかと言われると、今年はもういいです。次に行きたいと思えるときまで。

Tuesday, 12 August 2025

肌について不思議に思うこと

肌の話。

昨夜、レストランでの夕食にはいわゆる子育て世代の人たちが集まっていて、私以外に女性が3人いた。その中の1人はスイス在住。夏休みでイタリアに帰ってきているらしい。その人に向かってほかの2人が"bella abbronzata”(よく日に焼けている)と言っていた。これは褒めているのだ。「焼けちゃったね」ではなく「焼けてきれい」なのだ。確かにきれいな小麦色。そう言っている2人も、小麦色。いや、小麦より濃いかもしれない。しかし茶色ではない。

この文化圏では、焼けているのが健康的で良いとされる。東アジアでは「陶器のような白い肌」が良しとされるので、ところ変われば美の基準は変わるというとてもわかりやすい例だと思う。

それにしても、だ。どうしてシミがないのだろう。40代どころか50代、60代の人たちも、シミがない。ほくろもない。これは体質、もっと言うと細胞?の違いなのだろうか。メラニン形成の仕方が違うとしか思えない。南ヨーロッパはアフリカ大陸に近く、黒人の肌みたいな、強さ?もあるのだろうか。ちょうどよく焼けるようになっているのだろうか。

ちなみに日焼け止めは、海に行く時くらいしか塗ってないように思う。それ以外で塗っていたとしても、日本ほど、日常で使うものとされていない。そもそもそんなに種類もない。日本(や、おそらく韓国)が、国をあげて日焼け対策に必死になっているいっぽうで、ほぼ対策をしていないこの人たちが、シミもなくきれに全体が焼けるというのは、どういうことだろうか。むしろ対策をしないほうがいいのだろうか、とさえ思ってしまう。

日焼け対策をしないからシミができないのか?

シミができない体質だから日焼け対策をしないのか?

もはや卵が先かニワトリが先かの議論。

ちなみにイタリア人にシワはある。そして紫外線の影響による肌のたるみも、ある。手元首元は、ある程度の年齢の人たちを見ると確かに傷んでいる。

しかしながら顔のシワはそもそもほとんど気にならないくらい。なぜか。

顔が小さいから。そしてほりが深いから。

骨格が根本的に違って、顔の面積が東洋人とは全然違う。そもそも彫りが深いと、もはやシワなのか何かわからない。

首元手元については、年をとったときのために肌を覆いながら過ごすほど若さを惜しみながら暮らしてはいない。大事なのは「今」が楽しいことで、将来のために我慢しない。

…というのはあくまでも、私が今まで出会った人たちを見て思うことです。もちろんある程度の貯蓄などはするだろうけど、肌に関していえば、焼けないための努力などあまり存在しなさそうだなと思う。繰り返すけど、海に行くときだけは別。海だけは、しっかり日焼け止めを塗ります。

Monday, 11 August 2025

終わりがなかなかこない夜の外出

Fが昔の友達と食事に行くことになり、私と子も一緒に行った。日曜夜、開始は8時半。イタリアの夏は9時ごろようやく日没なので8時ごろはまだ「夕方」な感じがする。すぐ近くのレストランに歩いて行く。地元の人たちがちらほらとやってくる。我々の場合は「友人とその家族」が集合して結局15名だった。小さな子どもがたくさんいた。
イタリアの食事は、アンティパスト、プリモ・ピアット、セコンド・ピアット、ドルチェ、と続く。全部頼まなくてもいい、ということはもしイタリアのレストランに行く予定の人がいたら覚えておくといいかもしれない。

しかしきのうの場合は全部頼んでいた。分けあって食べられるように大きな皿で運ばれてきた。きのうは店の人がなんと1人しかいなかったらしく、ウエイターとシェフ役を1人でやっている女性は本当に大変そうだった。

そのせいで料理が出てくるのはとても遅くて、ようやく肉が出てきたときには食欲より眠気が勝っていた。時計は見ていないけどおそらく11時ごろだったと思う。

そこからさらにデザートを頼み始め、エスプレッソも出てきて、ついに12時をまわったころには私はイライラし始めた。子供たちはレストラン中を駆け回り、鬼ごっこをしている。いつものように「もう帰ろう」と言い始めてから少なくとも1時間はかかる。いい加減にしてくれと思う。

わたしのように朝型で、睡眠時間を何よりも優先させて日々を過ごしている人間には苦痛以外のなんでもない。20代のころは、日付が変わるような遅さに付き合えていたのだがだんだん無理になってきて、40過ぎた今となってはこの通りである。ただひたすらにつらい。「異文化体験だ」と言い聞かせて耐えている。

寝たのは1時を過ぎていた。ワインを飲んだのもあって、おかげできょうは頭が重く、朝から何をする気にもならない。夜ダラダラして、翌日、特に午前中をつぶすというのは愚かなことだと思う。昨夜の人たちが自分の友人だったら違ったのかもしれないが…。

イタリアの人たちにとっては、夜出かけて遅くまでいるのは当たり前のことで、楽しい時間はあっという間に過ぎるものだという共通認識(イタリア人に限らずそんなことは知っているけど、イタリアではもっとそんな感じがする)があり、日付が変わっても「楽しいならいいじゃん」「休暇だし」と、誰もが言う。いつも朝6時より前に起きている、なんて知ると「何か理由があるのか」とたいへん驚かれる。説明するのが面倒なので特に言わない。私のように朝型で、人と出かけるよりも早く寝たい人もいるのかもしれないけどきっと変わり者の部類に入るだろう。

Saturday, 9 August 2025

9日目の雑感

イタリアにきてあっという間に1週間が過ぎた。そう言っている間に10日、つまり休暇の半分が過ぎ、最後の1週間がやってくる。休暇が始まるやいなや「あとxx日か」と考えはじめる。まあそういうものだろう。

旅立つ前には「あれも要る、これも要る」と準備するものの実際に滞在してみるとさほど必要ではない。経験からじゅうぶんわかっているはずだが、渡航前はやはりいろいろな心配が出てくるものだ。服も、ほんのいくつかで十分足りる。

ヨーロッパではYahooが使えないので、日本でなんとなく見ていたYahooニュースに費やす時間が減った。これはよかったと思っている。あれは無駄な時間だった。ほとんど無意識に、ダラダラと閲覧することが多かった。しかもほぼ毎日。Yahooニュースには必要なニュースも含まれているけどたいていが無駄で、出どころのよくわからない記事の寄せ集めだ。それがわかっているのに見てしまう。日本でもいっそのこと見れなくなるといい。自分が見なければいいだけなのだが。その勇気があるだろうか。

日本のことを考える。自転車に乗って、平和に生活できるあの日常がいかにありがたいものか、を考える。必要なものがきゅっとまとまって、清潔で、安全で、いろんなものがよく機能する日本。極端に働き者で、人の話を聞き、周りのことを考えて動く日本人。もう少し楽に生きていいのに。

Tuesday, 5 August 2025

イタリアに縁を持つようになるまでの人生

 日本は相当暑いようで、ここにいてよかったと本当に思う。ここは涼しい。今も長袖を着ている。昨日なんかはもう寒いくらいだった。雨が降ったり止んだりしていた。ここにきてまだ汗をかいていない。このあと、たとえ気温があがったとしても湿気がないので汗だくになることはないだろう。イタリアの夏はこう。

当然のようにこうやってイタリアに来ている今。夏が近づくとイタリア行きの航空券を買うわけだがほかの行き先を考えることもない。自分がどうしてこれほどにイタリアと「縁」を持つことになったのか、と人生をふりかえってみることがここ数日あった。

イタリアに初めて行ったのは2005年のことで、英国に留学中だった。3月にイタリアに行ったらおもしろかったので6月にも行くことになった。そして7月をまるごと過ごした。英国で生活していた身としてはイタリアはたいそう魅力的だった。天気、食べ物、人。すべてが魅力的だった。イタリアに限らず他の国もたくさん訪れたのだが、そうさせたのは英国の「冴えない感じ」だったのかもしれないと思う。

メイフラワー号がアメリカ大陸に渡ったのも、英国が雨と曇りばっかりだったからじゃないのかと思う。ビートルズやoasisの音楽はイギリスからしか生まれないと思う。わたしがイタリアに行くきっかけを得たのは滞在先が英国だったから。すべては、食べ物も天気もパッとしない環境だからこその、産物。英国を否定するわけではないです。

さかのぼって、なぜ英国に留学したかというと、朝鮮語専攻だったから。当時、朝鮮語には、私を惹きつけるほどの魅力がなかった。言語の壁を突破したいと思うほどの強い「おもい」が自分にはなかった。朝鮮語に責任はない。どこまでいっても「西洋かぶれ」で、まだ見ぬ欧州への強い憧れがあった。実際、選考試験で選ばれたときに「あなたは語科間のバランスをとるために選ばれた」と教授に明かされたくらいで、私以外の2人は英語専攻の学生だった。つまりもし私が英語専攻だったら留学の試験には選ばれなかった。

さらにさかのぼって、なぜ朝鮮語専攻にしたかというと、センター試験でB判定の専攻語を選んだから。C判定の中国語を選ぶ勇気はなかった。「中国がダメなら朝鮮にしろ」という、父親の、一見適当極まりない一言が人生を決定づけることになった。これは私の人生の歴史に残る。This  goes down the history. 朝鮮語になんのこだわりもなかった。

人生は不思議で、おもしろい。2005年以降に起きた数々の出来事はさらにイタリアとの縁を強めることになるがそれはまた別の話。
人生が、こうやって振り返ることができるほどの長さになってきた。精一杯生きてきたなと思う。まだ人生終わってないけど。興味のあることに突き進めるのは、打たれ強さ、柔軟性、明るさが育つ家庭環境だったから。なにかと運が良いわたしの人生。

歴史を語る人たち

 きのうの午後、ふらっと親戚が来た。50代か60代?の女性。15分くらい話して帰る。「もうすぐ広島の日ですよね」と言われて、「そうです」と答えた。「もう一つは、長崎でしたっけ」「はい」

原子爆弾のことはイタリア語でbomba atomicaという。ボンバ・アトミカ。正直なところ、日本にいるよりもイタリアにいたほうが、広島と長崎の話を聞くことが多い気がする。世界でほかにない悲惨な歴史を抱えた国として、日本のことを認識していて、イタリアにいるとよく話題に出てくる。日本人より詳しいのではないかと思うことさえある。「原爆の後どうやって立ち直ったのか」「原爆を落としたアメリカとなんで仲がいいのか」など、興味津々で聞かれたことが、数えきれないほどある。

彼女はテレビで見たドキュメンタリーについて話していた。

こういうところが、イタリア人を良いと思う理由のひとつかもしれない。がっしりとした歴史に支えられていること。歴史を語ることが当たり前であること。歴史といっても紀元前から続くとてつもなく大きな流れをとらえていて、世界全体をながめる余裕があること。イタリア人の、ゆったりと、堂々とした生き方のベースはおそらく歴史にある。

この国では学校教育で徹底的に歴史を学ぶ。歴史を語ることは、一部の知識人の作業ではない。これはもしかしたらイタリアに限らずヨーロッパ各国は似たような傾向があるのかもしれない。

今朝、内田樹氏のブログを読んだらまさにイタリアの話題が出ていて面白かった。歴史修正主義は英語でrevisionismというらしいです。知らなかった。

以下引用。

イタリア人はとても親切である。まして同じ武道を修行する道友であるから、遠くから笑顔で手を振ってくれる。以前、神戸の私の道場に遊びに来てイタリア人の合気道家たちとおしゃべりをしていた時に、近代史の話になった。第二次世界大戦が始まった直後、ドイツがフランスを電撃的に攻略した時に、イタリアもフランス領土の一部を占領したことがある。45年の7月には三国同盟を反故にして日本に対して宣戦布告をしている。そのような自国の歴史の「あまり自慢にならない話」をあっさりと話してくれた。少し驚いて、「どうして、自国の歴史の暗部についてそんなに率直に話せるの?」と言ったら、しばらく考えて「昔、一度世界を支配したことがあるからじゃないかな」と答えてくれた。
 なるほどと思った。イタリア半島の住人たちはかつて世界を支配していたのである。だから、「余裕」があるのだ。いちいち「イタリアはすごい」と言挙げしなくても、ローマ帝国が世界帝国であったことを否定する人はどこにもいない。
 英国でもスペインでも中国でもたぶん事情は似ているのではないかと思う。一度は世界帝国になるだけの力を持っていた国である。その国民であるということの自信が歴史修正主義的なふるまいを自制させるということがあるのではないか。
 自国の歴史を虚偽を以て装飾しようとするのは(ドイツ、フランス、日本が適例だが)、そう望んだけれどついに世界帝国になることができなかった国の通弊なのかも知れない。 

Sunday, 3 August 2025

干草、お祭り

前日、寝る時間はすでに日付が変わって8月2日になっていた。それでも6時半ごろ目が覚めたのは、朝型のためか、時差ぼけのためか。いずれにしても朝は気持ちがいい。世界中どこにいたって朝が好きだけど、ここの朝はとても気持ちがいい。家からはこの眺め。

イタリアに行く前、負荷試験に行くバスのなかで、子と話していた時のこと。
「ままは、イタリアに行ったら何がしたい?」
「うーん… モッツァレッラ食べたいな」
「…えっ、それだけ?」
「うーん…」
考えてみたもののこれといった答えが出てこない。のんびりしたい、と思うがそれがアクティブな「したいこと」なのか、というとちょっと違うだろう。観光大国イタリアで「したいことがない」というのも変な話だが正確にいうと「何もしたくない」が答えである。これといって買いたいものもないし行きたいところもない。いや、行ってみたいところはいくつかあるけどそれはイタリアに行ってから考えてじゅうぶんな気がする。
ヨーグルト、ナッツ、アプリコットにオリーブオイル。イタリアではこうする、というわけではなくて私がこれを好むというだけのこと。

子といえば、子にはきのう久しぶりに会った。というのも1週間以上先に父子で旅立っていたため。あたたかく出迎えてくれたが、1週間会えなくて寂しかったね〜、というようなことはあまりなく、まるでこの1週間がなかったかのようにいつもの調子で注意したり怒ったりしている。再会を喜ぶやいなや日常に戻る。そういうものだろう。1週間いなかったからといって急に聞き分けのいい子になるわけがない。そんな調子の良いことはドラマの中でしか起こらない。

子は、祖父母宅ではだいぶ可愛がられていて、親としてはありがたい限り。「親は教育しなきゃいけないけどね、祖父母っていうのは孫を甘やかしていいんだよ、そのためにいるんだよ」と笑いながら言うおじいちゃん。自分の祖父母もそうだった。絶対的に自分の味方をしてくれる、逃げ場だった。

自分の祖父母が海外にいるっていうのはどういう感じがするんだろうな、と、我が子ながら興味深く思う。
とりあえずアンティパストを、と、この皿が出てきた。日本では「チーズとハムとサラミ」でしかないものが、ここでは膨大な数の種類が存在する。
そしてラザーニャが出てきた。表面カリカリで美味しかった。おなかいっぱいになった。

食事が終わってもさっさと片付けたりしないのがイタリアの家庭。誰かがまだ食事をしているのに席を立ってテレビを見に行ったりするのは、タブーとまではいかないが、その場に合った行為ではないだろう。ケンカでもしない限り。

では何をするのか。「おかわりは?」「コーヒーいる?」「デザートあるよ?」「果物はどう?」
これらのやりとりが必ずあり、世間話や、なんてことない家族の会話が続く。ようやく席を立つのは2時半くらいになる。家庭にもよるだろうけど。

いきなりイタリアの家庭で過ごすことになった外国人がいたら、この、ゆっくり流れる時間には戸惑うかもしれない。

帰り道、スーパーに寄った。Bio製品が多い。知ってはいるけどあらためて思う。オーガニック、無農薬の国産品がこんなに多くて、安い。乳製品コーナーに行くと、Avena(麦)のミルク、アーモンドミルク、米のミルク、豆乳、これらがすべてオーガニックで1ユーロ代で買える。日本だと健康志向の高い人のためのオシャレ製品になってしまって500~600円する。そもそもこんなに種類ないけど。

途中で降りて写真を撮ることにした。fieno(フィエーノ)という、干草を丸くしたやつがあちこちにあって、そこで写真を撮るといいね、と前から言っていたのだった。
ひらけた景色

帰ってから庭のプールで遊び、夕飯を食べて、9時ごろから近くのお祭りに行った。

最初から行こうと思っていたわけではなく、帰り道に、上の写真のようななだらかな丘で、何か準備しているなと思っていたらどうやらそこでコンサートをやる、とのこと。じゃいってみるか、ということになった。ここではなにもかもが自然発生的、不随意的に起こる。spontaneousという英単語がぴったりの人たち。
バンドの演奏といくつかの屋台。日本の屋台のような、けばけばしい感じはない。数も少ない。来ている人たちは年齢層が高めだが、子供も、中高生も、子育て世代もいる。300人はいると見た。小さな村の、小さなお祭りに、こんなに人が。注意書きなどはほとんどなく、椅子とテーブルが並んでいるだけ。

クレープと、すぐこわれそうなおもちゃ屋さん。剣のおもちゃをねだる我が子にうんざりする。当然買わない。
後半になると前に出てきて踊る人たちが出てくる。スマホを見ている人がほとんどいない。
走り回る子どもたち。「子どもは寝る時間」というのは、存在しなそう。

だんだん寒く、眠くなってきて11時半ごろに帰った。「帰ろうか」と言い始めてから本当に帰るまでに1時間くらいかかる。知っている人みんなに挨拶をしてから帰るから。イタリアでは、こういう場で知人がしれっといなくなることはまずない。

倒れた椅子を起こそうとしていた子供たちがいたので手伝ってあげたら、女の子が
"Grazie. Come ti chiami?(ありがとう。名前は?)"と聞いてきた。教えてあげると"Io sono Alessandra." と教えてくれた。アレッサンドラ。写真左の子です。

そのあと前歯が抜けたらしく、これまた報告に来てくれた。コミュニケーションに壁がない。わたしを見て「アジアっぽいな、なんか違うな」と思わないのだろうか。日本でもそうだろうか、それともこの子がイタリア人だからか。

Saturday, 2 August 2025

イタリアに着いた

あっという間にイタリアに着いた。こんなに簡単に着いていいのかという気さえする。去年も思ったけど、
・成田ではなく羽田
・経由便ではなく直行便
ただこれだけの違いが、大きな違い。イタリアに行き始めて(?)20年くらい経つけど、当時のこと(つまり成田、経由便)を考えるとそれはもう楽になったと思う。

8:20に家を出て、電車とバスで10時前に空港着。12:45発で14〜15時間。

なんというか、「いよいよ近づいてきたな」という感じがしない。どこでもドアというと大袈裟かもしれないが、降りたらそこは目的地、という、あっけないような感じもする。
派手な色の機体

楽に感じた理由のひとつとして、今回は特に、席の指定をしたこともある。席が指定できるなんて当たり前じゃないかと思うだろうが、違うんですこれが。ITAエアウェイズだと席を指定するだけでお金がかかる。エコノミークラスでもそう。(ほかの航空会社ももしかしたらコロナ以降はそうなっているかもしれないけど。)指定しないとどうなるかというと、チェックインで自動的に割り当てられたところに座るしかない。

昨年、指定なんてするわけがないと思って当日まで放っておいたら案の定、両脇に人がいる席になってしまった。それはそれでなんとかなったけど、やっぱり立ちたい時に立てる席がいい。お金を払う価値はある、と思って往復ともに指定。あわせて9000円くらいかかった。

特に今年は、腰の問題があるので極力同じ姿勢を続けないように、しょっちゅう立った。水を飲みに行ったり、トイレに行ったり、歯磨きに行ったり、ただ立ったり、体操したり。これだけでだいぶ、膝や腰への負担は減ったと思う。これからも席は指定しよう。

着いたあと、夕焼けに照らされた機体を見ながら、当たり前だけど「そうかもう着いちゃったのか」と、あらためて気づく。これだから直行便はやめられないよな。2〜3万円の違いなら断然価値はある。他の会社に比べてITAのサービスに劣るところがあったとしても、直行便の魅力はほかの何にも代え難い。そしてもうすぐスターアライアンスに加盟するというから、ますます選ばない理由がない。

「日本国籍多めです」と、搭乗するときにスタッフがやり取りしているのが聞こえた。「多め」だけど、どちらが多いのだろう。日本からイタリアに帰るイタリア人が多いように感じるのは、とにかくしゃべるから。存在感が、すごい。

今さらいうことではないだろうけど、イタリア人はしゃべる。しゃべる、しゃべる、しゃべる。しゃべってなんぼの人たちである。搭乗して隣のイタリア人が自分と同じように日本への旅行を終えたばかりとわかると"Piacere(はじめまして)"と名乗りながら、この旅行で撮ってきた写真を見せ合う。

わかりやすいのがCAたちである。男女半々くらいのスタッフがいるが、後方にたまって立ったり座ったりしながら15時間しゃべりつづけている。話が聞こえないように声を小さくすることはない。これが誰かにとって迷惑かというと、そんなことはまったくない。そもそも乗客もしゃべるので、誰も気にしない。

残り3時間くらい、というところで少し眠った。寝れても1時間程度。映画を3つ(コンクラーベ、10 giorni con i suoi、Anora)見て、テトリスで遊んだ。字幕もなくてコンクラーベは全然意味がわからなかった。飛行機のなかで字幕なしで映画を見るというのは、最も高度な外国語の聞き取りのうちの一つだと思う。飛行機の音がすごいから。
到着時刻は8時半だったが、8時ごろには着いた。パスポートのチェックは、昨年と違って列に並ばなくてよかった。いままではEUとその他、だったけど、今年は日本とほかのいくつかの国は「その他」から除外されていて、早いレーンに行けた。機械の読み取りだけで外に出られた。荷物も問題なく、結構すぐに出てきた。

空港はだいぶ整備されていて、昔とは全然ちがう。良いこと。しかし昔が懐かしくもある。
ローマは、いつものあのぬるい空気がなくて、だいぶ涼しい。20度台だそうです。迎えにきてもらって、車でアブルッツォまで、2時間以上走る。11時くらいに着いて、空を見上げたら、落ちてきそうなくらいの星。どわっと、降り掛かってくるような勢い。

8連勤とアルファルファ

もういい加減にこの暑さに疲れてきたなあ。雨が降る前よりだいぶマシになったと思うけど、それでもこの季節はもっとこう、スーッと風が吹いてほしい。もう体力がもたない。今週は土日勤務で、9月第1週は長い。8連勤。毎年のことだ。きょうは7日目。 なるべく元気に過ごしたいけどまだ身体は夏休み...