Friday, 13 December 2024

お父さんの回復、12月の疲れ

父が入院している。経過は良いようで、退院が見えてきたらしい。よかった。毎日のようにテレビ電話で様子をきいているが、話す様子が1日、1日と元気になっていくのがわかる。人間の身体はすごいなあ。

話を聞くたびに、普段の姿勢とか、動き方とか、注意しなければと思う。身体に負担をかける動きを、無意識のうちにたくさんしている。

12月ももう半ばにさしかかろうとしている。なんだか疲れた。1年間のバッテリーがこの辺で切れる。充電のためにコンセントにつながないといけない。この時期はワクワクするはずなんだけど今年は疲れのほうを余計に感じている気がする。夜に出歩きたいとか、微塵も思わない。人生の優先順位はその時々で変わる。

 

Thursday, 12 December 2024

パネットーネとパンドーロ

先月、イタリアから巨大な荷物が届いた。パネットーネ3つと、パンドーロ3つが入っていた。日本でもようやくパネットーネは見かけるようになってきたが、値段はイタリアの3~5倍くらいする。パンドーロはほぼ見かけることはない。イタリアではこの季節、切り分けながらこれを食べる。じつにイタリアらしい、シンプルなお菓子(パン)。自然とパネットーネ派とパンドーロ派が発生する。日本の「きのこの山vsたけのこの里」みたいなものだろう。

これはパンドーロ。

それで、最近困っているのが、食べるのをやめられないということ。いや、やめればいいんだけど視界に入っている以上、手を出さないわけにはいかない。あわせて6つもあるのだ。食べない日はない。体重が増えて困る、とイタリアのおじいちゃんとおばあちゃんに言うと「1年にこの1ヶ月だけだよ」と言って笑っていた。

パネットーネはだいぶ知られるようになってきたのでパンドーロを紹介すると、上の写真のようなものです。1kgある。人の頭より大きい。最初からこんなに白いわけではなくて、粉砂糖をかけるから白い。

粉砂糖はこれで、なんと60gもあった。60gっていうと、チーズケーキ1個作るときに入れる量に近い。この粉砂糖を、パンドーロの入った袋に入れて、振る。単純。作る側がやるんではなくて、食べる人が、袋を開けたときにやる。がっさがっさ、と降る。

日本の繊細なお菓子はこういうことしないと思う。砂糖は最初からかかっているはず。イタリア菓子はざっくりしている。すべてがシンプル。

日本でのパネットーネの扱い方をネットのどこかで前に見たけど、わざわざ切ってラップで包んで冷凍したりしていた。想像するに日本人はたぶん本当にうすーく、しか食べないんだろう。我が家にそんな心配はなくて、パネットーネも、パンドーロも、1kgあっても3日でなくなる。 がっつり切ってむしゃむしゃ食べる。密閉する必要もない。すぐ食べるから。(いや、私も日本人なんだけどね。)

それにしても視界に入ると手が伸びてしまうのは困るので、きのうは「どこかに隠そうか」という話にまでなった。そうなったら必死で探し回るに違いない。体重は増える一方である。

Wednesday, 11 December 2024

相談室で話したこと


 12月4日に撮影。「あっ」と思って撮った。この季節は自転車を止めているとこういうことが多い。上にある木から落ちた葉っぱは大きいものだとそのまま運んでいく。嬉しくなる。

10日、きのうは朝から子を連れて病院へ。具合が悪いわけではない。アレルギーの定期的な検診で、久しぶりの血液検査もあった。いつもより時間がかかった。学校には遅れて送っていった。

3時半から小学校の相談室へ。最近の様子について話した。先生からしょっちゅう電話がかかってきていること。怒られてばかりだけど改善はみられる、ということ。カウンセラーの先生には、しかし、先生→子だけでなく先生→親→子の流れがうまくいっていない気がする、とのこと。そうかもしれない。先生から電話がくるとひたすら申し訳ないので、謝り、その分を子に注意する必要がある。正直いって電話には私は気が滅入っていて、電話が来るとそのあとから寝るまでの間はずどーんと暗い感じになる。「ママがどうやったら元気になるかと思って」「ぼくのこと悪い子だと思う?」と言って子は健気に明るくふるまったりする。これがまた申し訳なくて、自己嫌悪に陥る。

カウンセラーのすすめはこういう感じだった:

・先生からの電話は、事実として受け入れる

・子からは、子の言い分も聞いてあげる

・先生から言われたことを一方的に子に注意するのはしばらくやめておく

この辺を上手にやる必要がある。とても難しい。しかし今の状態では悪循環で、子の自尊心はつぶれまくっている。カウンセラーからきいた興味深い情報:

「子どもは、注意すればするほど、その注意された内容をやってしまう、という傾向があるんですよ。不思議なんですけど。」

そう言われればそうかも。どこかで聞いた内容だった気もするけど、もしかしたらまさに今がその状態なのかもしれない。

Tuesday, 3 December 2024

先生の電話と、父の入院と

学校での、子の様子を知らせるために先生から電話が来る。以前はそれほどこなかったのだが、知らされない限りこちらは「問題ないんだな」と思い込んでいるので、電話をもらうのは本当にありがたいと伝えたら1週間に1回くらいは電話が来るようになった。こちらも「そろそろだな」とかまえる。

声かけ?の成果あって、授業中の態度は以前よりマシになってきたらしい。これはよかった。ほめるに値すること。しかし体育と音楽はまだまだ問題だらけ。机、席がなくなるとコントロールできない。マット運動のときにほかの生徒のマットに行って邪魔になるしあぶない、と。

生活態度はあいかわらず困ることが多い、と。きょう言われたのは:

・列に並んで移動するときに一緒に並ばず1人で駆け出し、周りの生徒からも非難された

・「いただきます」を待たずに食べた

電話を切ったあと、本人に聞いてみたところ「たったそれだけで注意されるなんて」と納得いかない様子。とくに「いただきます」については驚いている様子でもあった。集団生活にはルールがあるんだから守らないといけないんだよ、というとふてくされて「ぼくはルールに従うと苦しくなる人なの」という。参ったなこれは、と思ったけど、これを「わかった、そうするよ」というまで言い聞かせたところで逆効果な気がしたので、小言は終わりにした。どうしたものか。

1年生の時からすると、進歩していることはたくさんある。たとえば、どうしたって宿題をしようとしなかったのに今学期始まってから自らすすんでやっていることがほとんどだ。私が帰宅してから「まだ宿題やってないの?」と怒ることがあまりない。そしてなによりも、朝学校に行こうとしなかったのに、それがない。朝ご飯、着替えを何も言われずともやり、ランドセルをしょって登校時間になるのを待っている。こんな日が来るとはなあ、と、去年と比べると別の人間のように思う。

別の話。

きのうから父が入院している。脊柱管狭窄症で手術をするからだ。手術は4日、明日なのに2日から入院する。振り返ってみても、父が病気、入院、手術をしたことは一度もない。手術することになった、と聞いた時は、やっと楽になれるんだなと思って「よかったね」と言っていたというのに、日にちが決まっていざ入院となるとどうもそわそわする。私の子は、おじいちゃんが手術するって、と聞いて「わー、聞かなきゃよかった」と言っていた。こわくていたそうでかわいそうだから、だろう。気持ちはわかる。「日にちが決まってもぼくには教えないでおいてよ」と言っていた。明日、弟が仕事を休んで母と病院に付き添うらしい。ちなみに私も仕事は休みなのに、付き添えない。ここにいるから。遠いから。なんだろうな、私も休みなんだけどな、なんかできるのにな、と、少しの無力さと、手の届かなさとを感じて涙が出る。そんな早朝。

Friday, 29 November 2024

おこのみやきつくろう


「そういえばおこのみやき食べたことないかもね」


月曜の朝、長時間を小児科で過ごしたときのこと。待合室にある絵本を何冊も読んだ。なかにはおなじみの「ばばばあちゃん」シリーズがあり、すべて読み切った。「読んで読んで」と子が持ってくる。そのうちのひとつが「おこのみやき」の話だった。読みながら「おいしそう〜」という子。そういえば、作ってあげたこともないし、私もおそらく家で作ったことはない。外に食べに行ったこともない。もしかするとこの子が生まれてから以降、我が家の誰も、一度も食べたことがないのではないか。
「そっかー、じゃあ今度作ろうねえ」
その日はそれで終わった。

子が無事に、ふたたび学校へ登校した水曜日はおどろくほど暖かい1日だった。家にいられたので、買い物は朝済ませた。すると豚バラが割引。「…あ、お好み焼き」と思い出した。Today is the day きょうこそその日ではないだろうか。

何が必要か、スーパーに売っているお好み焼きソースやお好み焼き粉の裏に書いてある材料を参考にしてとりあえず基本のものだけ手に取った。

ソース
豚肉
キャベツ

これがあればなんとか作れる。ばばばあちゃんの本では小麦粉を使っていた。お好み焼き粉じゃなくても作れるだろう。

その夜、オタフクソースのウェブサイトを見ながら作ってみた。ホットプレートがないのでフライパンを使った。キャベツが多いので「生地」っぽさがない。もはやキャベツにからまった生地、という感じ。ひっくり返すのもうまくいって、2人で拍手した。

2枚焼けたが、これが思った以上に美味しかった。こんなにおいしいなんて、驚いた。生地が「キャベツ」なので、全然重くない。おいしい、おいしい、と言って2人で食べた。私は最近イタリアから届いたパンドーロを食べ過ぎているのと、そもそも昼ごはんにランチビュッフェなんてものを1人で楽しんだので、夜は食べないでおこうと思っていたのに、焼きたてのお好み焼きに抗うのはとうてい無理だった。



こんなに簡単でおいしいんだったら、また作ろうね、と言って満足して夕飯を終えた。 

子の「はじめて」に立ち会うのは興味深く喜ばしいことだがこれまでその多くは「食」であったと思う。4歳ぐらいのときにハンバーガーを食べに連れて行って、本人以上に私が喜んでいた気がする。この子の、体験の幅が広がると思うと嬉しかった。ここ最近は、さすがに8年も生きていて、あまりそういう経験がなかったような気がする。給食でもいろんなものを食べているだろうし。そんなときにこのお好み焼きの体験は私にも子にも新しく、嬉しかった。シンプルだけど、嬉しかった。

Tuesday, 26 November 2024

まさかの救急センター

 「まさか人生でこんなことがおきるなんて…」

夜10時過ぎ、救急にて息子の発言。そうなんですきのうは大変だったんです。

11月10日の夜、寝ている間に子ののどから「ひゅーひゅー」という音が聞こえる。珍しいなと思った。翌日なんだかぐったりしていて、熱はないけど苦しそうで、私にしては珍しく、これは学校無理だなと思って休ませた。夕方病院に行って吸入。

その週は結局元気になり、普通通り過ごした。

薬が切れたころ、咳がはじまった。寒くなってきたしそういうものかなと思いながらも11月20日、ふたたび受診。薬をもらって、飲み続けることに。

23日と24日、週末はプールに行ったり友達と学園祭に行ったりして過ごした。24日の昼すぎから咳込み始めた。結構ひどい。

25日朝6時前「苦しい」と言って涙を流しながら起きてきた。そうか苦しいか、と言いながらとりあえずごはんを食べさせて、病院に行くことに。仕事には遅れて行くことにした。幸い時間割変更があったので10時半に間に合えばよかった。

4番目の患者だった。診察→吸入→診察→吸入 が続き、結局1時間半も病院にいた。だんだんと仕事に間に合わなくなってきたので、パパと交代しようということになって病院に来てもらった。本当に助かった。そこからわたしは仕事へ、子は学校へ。元気になったので学校は行っていいだろうと思った。私は仕事に間に合った。

大丈夫だろうと思ってはいたが念の為、仕事は早めに切り上げて4時すぎには帰宅。すると子は午前中よりもっと苦しそう。「行かなきゃよかったよ学校に」という。苦しい苦しいと言っている。休めばよくなるだろうと思っていたがFは「吸入器を処方してもらわないとだめだ」と強くいう。そんなこと言われても、午前中は今の段階では処方できないと言われたので仕方ない。そのうち本当に苦しそうになってきた。これは夕方、吸入のためにもう一度受診すればよかった、と思ったときにはちょうど6時で、もう遅かった。夜間診療に行くしかないな、と思ったけどそれは7時半から開始なので、待つしかない。そのうち子は眠った。ものすごく苦しがっていた。しゃべれないほど息ができないのに途中に「つらいな」とか「なるべく親のいうことをきこう」とか言っていて見ていていたたまれなかった。朝も早かったし、ちゃんと眠れてないだろうし、そもそもこれだけ息ができていないので体が本当に疲れている。学校に行かせるべきではなかった、と悔いた。しかし悔いても仕方ない。終わったことだ。

7時半まで子の寝顔を見ながら、頭をなでながらすごした。少しもお腹がすかない。原因が知りたいという思いはなく、それより、いつものうるさくて元気にとび回っている姿がとても昔のように思えた。この子の「苦しい」は本当に苦しかったのだろう、私にはそれがわからなかった。

7時半になるや否や、電話をかけた。急患は、家のすぐ近くにある。本当に恵まれていると思った。子を起こして、上着をかけて、自転車の後ろにのせて行った。比較的すぐ診てもらえた。寝たあとなので、さっきよりだいぶマシになっていて、しゃべれるようになっている。よかった、と思った。もうあんな姿は見たくない。

とても優しいお医者さんだった。酸素を測って、「もしもし」をして「うーん、こんなに酸素が入っていない状態で、しゃべれているのがおどろき」と言われた。「このまま夜を迎えて、夜になって酸素が必要になる」そうで、「入院レベル」と言われた。

なんと。

入院。

頭のなかに、翌日以降の予定と自分の持ち物その他がぐるぐるーっと回りながら通って行った。入院か。それは嫌ですとは言えない。私の身体ではない。

成育医療センターなら、結構粘って治療してくれるので家に帰れる可能性が高い。ほかの医療機関だったらおそらくすぐに入院です、と。成育のカルテ持ってます、というと医師の声がパッと明るくなって「そうですか」と。結局成育に行くことになった。9時が近づいていた。普段寝る時間なのに。こんなに寒いのに。しかし「このまま家に帰すわけにはいかない」と。医師の説明を聞いて、そんなに苦しかったとは、とその日の朝涙を流しながら起きてきた子の様子を思い浮かべた。大袈裟に泣くことがあるので、「またまた」と思ったのだが、あれは本当だったんだろう。なぜこうも疑ったり厳しくしたりしてしまうんだろう、と思った。

紹介状を書いてもらって、薬局で一粒薬をもらった。Fはいったん家に帰って、必要と思われるもの、もし入院したら使うかもしれないものを取りにいってくれた。こういうとき2人いるというのは心強い。しかし医師の説明を私がイタリア語でできないので、コミュニケーションが壊れる。結果的にお互いイライラする。いつもそうだ。

タクシーをつかまえて、成育へ向かった。9時。15分くらいで着きますと言われた。救急センターにかかるのは初めてである。あの苦しそうな顔を見た時に、これは救急車かもしれないと思った。もしかしたら救急車を呼んでいたらここにきたのかもしれない。

成育についたら、なんだかついただけでホッとした。ここなら、何があっても絶対に大丈夫。絶対に守ってもらえる。世界最強の小児科だとわたしは思っている。待って、吸入して、レントゲンを撮って、これはほぼ確実にぜんそくだろう、ということだった。

暗くなった夜の病院を息子と歩くのはなかなか珍しい体験だった。診察をうけながら「はあ、まさか人生でこんなことが起きるなんて」と息子がぼやく。「そうだね、でも前にもこうやって急に病院にかかったことはあるよ。入院したこともあるよ」というとたいそう驚いていた。

病院から出たのは夜11時過ぎていた。もう完全に眠くて仕方ない時間。タクシーの運転手さんがおしゃべりな方で、結構話が面白かった。息子はぐったりしている。症状はだいぶよくなって、いまはただ眠い。

病院でこどもようマスクを買うために、100円が必要だったのでセブンイレブンに行っておにぎりを買ったのだが、そのおにぎりを「いつ食べられる?」と聞いていた。家に帰ってから、開けてあげるとたいそう喜んで食べた。夕飯を何も食べていなかった。食欲が出たのは何より。私はまだお腹が空かなかった。

イタリアから届いた大きな荷物を開けて、おもちゃで遊んだりして、いつもの子に戻ってきた。よかった。本当によかった。「はぁ〜、家がいちばんだなあ」と言って、ふとんにくるまって眠りについた。今日は学校を休ませたほうが良いように思っている。

Thursday, 14 November 2024

溶ける平日やすみ

きのう、水曜は出勤しない日だった。これでもかというほどの素敵な天気で、なにをしようかとワクワクする。空気は澄んで、空には雲一つない。8時に子を送り出す。掃除と洗濯をして、そのまま家にいることもできるけどやはり朝はいったん外に出たいタイプの人間なので、仕事道具を持って近くの保健センターへ。カフェがあって、Wifiが使えないので、そこがわたしにはちょうどよく、集中して何かを読んだり書いたりしなければいけないときにはここにくる。生徒から預かった添削問題が、レベッカ・ブラウンの小説で、柴田元幸訳だったのでこれは興味深かった。

1時間くらいして、家に帰って、本日の課題である服の整理をした。引き出しから全て出してたたみ直す。定期的にこれをしないと、どんな服を持っているか把握できない。それにしても多い。馬鹿馬鹿しくなるような「山」ができた。

座って作業をすると腰と背中が痛くなる。だから机の上に置いてやった。必要ないものがたくさんある。リサイクルに出したり誰かに譲ったりしようと思う。

昼ごはんには焼いたサバと、サラダを食べた。食べながらアップルパイを焼いた。200度で30分はやはり焼き過ぎなのだろう、焦げた。

お茶の水の病院へ行く。ミレーナの調子をみるため。1時40分に予約なのに、呼ばれたのは2時40分。テレビでは各都道府県からのニュースをやっている。山口県の小学生がイルミネーションを作った、とか。前日から頭が痛かったのと関係がある。

待っている途中でうとうとした。疲れているときのパターンなので自分でもわかる。前日に、同僚から言われた「気が休まってないんじゃないですか」というのを思い出して、そういうことだ、とあらためて思う。

子供の体調不良からの回復にホッとしただけではなく、日曜のセミナーが終わってホッとしたのもあるのだろう。いっきに緊張が解けてどっと疲れが襲ってくる。いつものパターンだ。体調不良はいちばん大変なときにくるのではなく、ホッとしたとき、つまり緩んだときに出てくる。人間の体はよくできているなと思う。

帰ってから、溶けるように横になった。熱はない。

きょうは溶けるべき日なのだ。

Wednesday, 13 November 2024

いつまで読んでくれるかな

 「まま!!がんばって!」

ハッと目を開ける。これを繰り返す。

何のことかというと、寝る前に子に本を読むときのことだ。毎日こうではないが、昨日はうとうとがすごくて最後のほうはずっとこんな感じだった。

文字もなにもわからない頃から、寝る前に本を読むというのが親子の習慣である。無理矢理ではない。私も好きでやっているし、子も「読んで」というのでずっと続いている。10分くらいしか読めないときもあるし30分以上読んでいるときもある。読む本の種類も変わり続けていて、おそらくここ1年ぐらい?は「グレッグのダメ日記」という、小学校中学年〜高学年向けの本を読んでいる。音読するようなものではなくてひとりで黙って読むものだと思うけど、これを読んでいる。絵本ではない。主人公グレッグのダメさが現実的にせまってきて私でも共感できることが多い。子はこれが気に入っていて、シリーズを読み始めてついに14冊目まできてしまった。発行されているのは18までということがわかっていて、だんだん終わりに近づいてきていることを2人とも感じている。

ある日のこと。「まま、ゆっくり読もうか」

と言われて、うんなるほどねと思った。ほかの本と交代に読めば長く読めるかもよ、と言ったら「たしかに」と言っていた。

いつまでこうやって本を読んでくれるかなあ、と言うと「ま、おとなになったらないだろうけどね、さすがに」と答える。いつまでも読んでいたい気がする。

さて、私自身、寝不足のつもりはなかったのだが、きのうはなんだか日中頭が痛かった。たぶん前の日(月曜)に早く起き過ぎたのと、子が体調不良だったのがあると思う。ぜんそくみたいにヒューヒュー喉から音がして、学校を休み、夕方に病院に行ったけど、吸入を2回もやって時間がかかって、それから薬局に処方箋を出しに行って、いったん家に帰って、そのあと薬局に戻って薬を受け取る、ということをやった。結構疲れた。心配もしたし、時間もかかった。翌朝、つまりきのうはだいぶ良くなっていたので、ほっとして、張り詰めていた緊張がとけたのかなと思う。頭が結構痛い、と同僚にいうと、気が休まってないのではないか、と言われた。

きょうは休みだから、すこしゆっくり過ごそうと思う。5時におきてアップルパイの中身を作ったので、パイシートを出して、これから焼く。

Monday, 11 November 2024

セミナー終了

 日曜日。セミナーが終わった。いつもだったら自分が聞く側だけど、今回は自分がしゃべる側。これは滅多にないことなので、優先順位が高かった。この日を中心にいろんなことを考えてきた。風邪をひかないようにとか、怪我をしないように、とか。と言っても話すのは私だけではなく数名で話すので私はたったの15分間。わざわざ時間をとって、お金を払ってきてくれる人がいるということなので、すこしでもためになることを話そうと思った。

気合を入れて、遅延や事故に巻き込まれてもなんとかなるようにだいぶ早めに行ったら1時間前に着いてしまった。場所は東京駅。来たのはおそらく1年ぶり。それにしても駅構内の人が多い。すごい人だった。人の多さでいうとそれはもちろん渋谷や新宿もすごいんだけど、なんというか、駅にいる人たちの種類が違う。新幹線の発着があるので、東京の外から来た人たちが多い印象だった。スーツケースを持っている人も多い。しばらく駅をうろうろしてみたが、店の数もめまいがするほど多かった。ついていけない感。。。

セミナーはうまくいった。緊張するかと思ったけど、早く着いてほかの登壇者と話していたら気持ちもほぐれた。なにも間違ってないのだから堂々としていいのだ、と思った。なによりも、毎日人前でしゃべっているだけあって、声が震えるようなことはまずない。自分も勉強になることが多くて、有意義な時間だった。

夜の東京駅はとても綺麗だった。観光客になった気分で「わー、きれい」と言いながらあたりを見回す。

食事会も参加して、7時すぎに家に帰ると家族がいた。家族っていいなありがたいなと、不思議ときのうは2人が貴重な存在に見えた。もちろんいつもそうなんだろうけど、外でこういう、大きな仕事がひとつ終わると、この人たちがいてこそやっていけるんだという気持ちになる。なぜかはわからないけど。

Wednesday, 6 November 2024

こればっかりは誰にも代わってもらえない

 全身全霊で子育てに関われたらいいのかもしれない、と思うことがある。仕事もほどほどにして、たとえばパートタイムで働き、子が帰宅する時間にはいつも家にいて、宿題を一緒に見てあげて、夕方にはすでに時間ができていて、夕飯を何にするかは日中から考える時間があって、そのための買い物に行けて、子の通院予約は仕事の予定を気にせず、子ども最優先で決めることができる、など。

ゆっくり暮らせていいだろうなと思うけど実際にそうしたいかというと、子から離れた時間も自分にとっては必要なので、この働き方を変えるつもりはいまのところない。そして家族のサポートがあるので、たとえば洗濯物の心配をすることがないし、子が帰ってくる時間に私がいなくてもなんとかなっている。

ただ、週に1回、週末以外の日で、半日だけでも余裕があると、家のいろいろなことが片付き、心にも体にもやさしい、ということを最近あらためて感じている。というのも先月、腰のMRIをとってから以降、休めるときは休もうと決めた。10月は、偶然だけど、平日、水曜に代休がとれることがたくさんあって、有給休暇も使いながら毎週1回、水曜または木曜に休んだ。仕事が片付くかというと片付かないのだけど、職場から離れることで少し心の余裕がうまれた気がする。子どもにおやつを作ってあげたり、本を読んだり、片付けをしたり、という少し時間がかかることが、できた。11月もできる限りだけどそうしてみようと思っている。

ということできょうは出勤しない。堂々と出勤しない。

軽度ではあるけど腰椎がよくないということを還暦過ぎた同僚と話した。「これから、いろいろ堂々と断ろうと思います」というと「それがいいよ、うん」と言われた。「身体大事にしないとですね」というと「こればっかりは誰にも代わってもらえないからねえ」。

当たり前のことだけど、ハッとした。そう、代わってもらえない。義務と責任感のもと、周りからどう思われるかを考えて迷惑をかけないように頑張り過ぎた結果に身体がボロボロになってしまってももう遅いのである。優先順位を、あらためて考え直すときにあると思っている。

Monday, 4 November 2024

朝の習慣、11月の連休

 11月は良い。三連休の初日は、一日中雨だったが、きのうときょうはしっかり晴れていて気持ちがいい。空気が澄んでいて、気温もちょうど良い。朝、5時過ぎにもう少し横になってようかなと思うときもあるけど、朝焼けが見たいので体を起こす。ほんの数分のあいだに、真っ暗な東の空が、だんだん赤くなってきて、朝が来る。これが見られるのはいまの季節から冬にかけてのみ。ちょっとした楽しみである。

この季節だけの楽しみは紅茶。別にお茶好きでもないが紅茶を飲むのはこの季節だけ。イギリスにいたときに身についたことだ。濃い、もはや黒い紅茶。あればヨークシャー・ティーを飲む。ティー・バッグを入れてから7分タイマーをかける。その間に「杉田敏のビジネス英会話」を再生する。1レッスン分だけ。words & phrasesを書き取る。そのときには万年筆を使う。万年筆は使わないでいるとあっという間に乾いて書けなくなるので、毎朝つかうようにしている。使っているのは無印の、裏うつりしないA5のリングノート。今まではききながら買ったテキストを眺めたり知らない語にマーカーをひいたりしていたが、どうやら書き取るほうが集中して聞くということがわかった。ここ最近はこの方法にしている。いずれにせよ1レッスンは7分くらいで終わるので紅茶を待つ時間にちょうどいい。

そのあと相変わらずwordleを解き、6時になったらduolingoを解く。duolingoもフランス語だけをとりあえず解いていたけど、最近は韓国語もやっている。イタリア語と英語とラテン語もやっている。知っている言語であっても解いてみることにしている。知っているからいいやと思っていたけど、やってみると知らないことはまだまだあって、じゅうぶん価値はあるということがわかった。英語であっても、だ。「自分は大丈夫」と思わないことだ。謙虚であるべし。

spelling beeにじゅうぶん時間がとれず、解ききることができない。週末まで溜めがちである。これは仕方ないかな。

きのうはりんごのタルトを焼いた。その前の日はチーズケーキと食パンとショートブレッドを焼いた。心配せずともちゃんと消費できる。

きょうはきのう読み始めた本を読み切るつもり。「わたしは、あなたとわたしの区別がつかない」。読書家ではないが、毎週読みに行く「週刊文春」の読書コーナーに書いてある本の紹介は本当に面白そうなので、携帯にメモして帰り、図書館でリクエストをする。

Wednesday, 23 October 2024

41歳。腰椎その後。

 誕生日。アラームが聞こえないことが最近多い。5時15分に起きた。空は暗いけど向こうのほうが少し赤い。明るい、じゃなくて赤い。

足のしびれが気になっていたのでふたたび整形外科に行き、21日にはMRIを撮りに行き、22日、きのうは診察にいった。MRIを撮った保健センターの所見では

「腰椎の生理的湾曲は減少しています。

L4/5では椎間板膨隆にて左右椎間孔の軽度狭小化を認めます。」

と書いてあった。医師からは、日常生活で気を付けることと、有効なストレッチや運動を受けた。毎日続けられる程度の負荷でやること、と言われた。それは得意とするところなので地道にやっていこうと思った。

やれやれ。年をとるというのはこういうことなのである。こうなると、同じように生活していて腰椎に問題のない人たちがうらやましく思えてくる。わたしは、人のことを「うらやましい」と思うことがあまりない。お金のある人や容姿のよい?人をうらやましいとも思わない。母が私の子をみて「髪の色がうらやましい」と言うのだがこの感覚がまったくわからない。

しかし、だ。身体の不自由さとなると、自由のきく人たちをみて「いいなあ」という感じがする。これが「うらやましい」にあたるのかはわからない。腰椎の症状は軽度なのでもちろん自分も自由がきくのだけど。なぜ自分がこうなってしまったのかなとか思ったところで過去は消せないのでこれから努力していくしかない。

年をとるというのはこういうことだ。41歳。冗談じゃない年齢になってきたなと思う。

ここ数年、父が「脊柱管狭窄症」になっていて、よくその話を聞いていた。聞いているうちに自分の症状も同じ感じがしていたのだが、まさにそれだった。脊椎の特徴は遺伝もある、と前に頚椎を診てもらったときに言われたので、遺伝の要素もあるだろう。父は、40代から座った姿勢での仕事が増えた。振り返ってみるとそこに原因があるとも言えるわけだ。40代のわたしが何に気をつけなければいけないかがわかる。

避けなければいけないことリスト:

・中腰、前傾姿勢

・床に座る。どうしても座らなきゃいけないときは正座。

・座りっぱなし、立ちっぱなし、歩きっぱなし。姿勢を変えればそこで「リセット」されるらしい。

というわけでそろそろ書くのをやめて立ち上がるべき。

41歳。体重60.5kg。体脂肪26%。視力、左目だけ悪い。物欲、それほどなし。昼食は毎日、玄米、にんじん、葉野菜、ナッツ、卵。がんばっていること、歯磨き。もっぱらの課題、子育て。

Tuesday, 1 October 2024

病院2件。腰椎と骨盤が接触。

月曜。午後休みがとれるのでチャンスと思って皮膚科の予約を入れておいた。紫外線の多い4月から9月までは、肌は休憩中。つまりあれこれ試さない時期。10月になるので顔の写真をとったり、これからの相談をしたり。

終わったのは確か4時前。まだ時間があるなと思って通りの向かい側にある整形外科へ。首の右川が痛いのと、足のしびれと、右のおしりらへんの痛さと、右の腰から股関節にかけて変な音がするのを、思い切って相談しようと思った。こういうのは急ぎじゃないので「まあいっか」と思って先延ばしにしがちだが、きょうは勢いがついたのでえいやっと行くことにした。脊椎専門の整形外科で、4月に怪我をしたときに緊急でかかったことがある。予約をしていなかったけど4番目に案内できるということだったので待った。

相談をしたけど、首としびれは別件だろうし、どれがいつから始まった症状なのかはっきりしないし、痛い箇所もはっきりしないので、自分の言っていることがとにかくぼんやりしているのがわかる。これでは医師もたいへんだろうな、とさえ思う。

首は4月にレントゲンを撮ったのでまあいいとして、腰のレントゲンを撮ることになった。正面、横、斜めで4枚。

結果:

腰椎の5番目、右側と、骨盤が接触してしまっている。腰椎というのは羽みたいなものが左右に出ているのだが、それと骨盤が「くっついちゃってる」と言われた。通常、腰椎は5つで動くべきところを、右側だけ4つで動いている。食器を洗うときに右腰の上あたりが痛すぎて継続できなくなることがあるのだが、これが原因だった。自覚症状としてはこどもが産まれて以降である。右側に負担がかかりすぎてとにかく痛かったが、こどもが小さいとどうしようもなかった。右の腰の奥の辺りからする音も、もしかしたらこれなのかもしれない。関節が問題かと思っていたがそうではなかった。おかしいと思うところとだいたい一致している。

気をつけるべきこと:

・同じ姿勢を20分〜30分以上続けない。座りっぱなしもよくないし、立ちっぱなし、歩きっぱなし、すべて負担がかかる。

・運動はしてよいのか、ときくと、陸上の運動で腰に良いものは一つもない。水泳はいいけど、やるならバタ足。平泳ぎは反るので腰によくない。

・寝るときは、右に負担がかかっているわけだから右を上にして寝る。脚をまっすぐ伸ばすのも腰によくない。脚の下にクッションなど敷いて、まげて寝る。

今後:

MRIを撮ってみてもよいけど、それほど痛くなければ様子をみて、日常の生活で改善できることを改善していく、でもいいよと言われたのでとりあえずそうすることにした。しびれについても、どうしようもないレベルのしびれではないので。先生に言われて気づいたのは、しびれがあるので足首より下の部分だけで、ふくらはぎや腿のしびれはないようだ。意識していなかった。

感想:

長く生きるといろんなことがあるなあ。ひずみもゆがみも出てくる。

Saturday, 28 September 2024

授業参観

今朝。2週間ぶりに合気道に行った。涼しくなったからそんなに汗をかかないだろうと思っていたら大間違いだった。いわゆる「滝のような汗」をかく。基本の動きが多くてとても良い稽古になったと思う。大きく動き堂々と構えることを意識した。

子の授業参観。9時前から国語の授業に行ってみた。想像していたとおり、ついていくのが相当大変そうだと思った。「書いたら見直す」という授業で、作業が中心だった。一番後ろに座っていたので、少しいっしょにやってあげた。先生がつきっきりになるわけにもいかないだろうから。

なんとか形を仕上げて提出。常時、ぐにゃぐにゃの姿勢。次の授業では箸の使い方の練習。これも、本当に下手。思うように手先が動かない。しかし家での訓練だけではもはやあきらめることも、学校でならやれる。練習用の厚紙を使うと、改善された。

2時間分みて、こちらも結構疲れてきた。中休みになり、運動場で走り回る姿を見届け、帰ろうとしたときにご近所さんと会った。カメラマンをされている。ヨーロッパに住んだこともある人。「どうでしたか」とお互いに話して、「いやー、大変だなこれはと思いました」と答えた。すると「でも◯◯は個性的でいいですよ。父ちゃんがあんな感じで育ててるし、愛情いっぱいだし、めっちゃいいなって俺思ってます」と。「なにかにintoできるってすげーいいから。うちの子にはそれはない。いまはもしかしたら、ただのへんなやつかもしれないけど、ねえ、これからがすごいたのしみなんですよ。あとから絶対開花するから。」

なにげない一言がすごく嬉しかった。素直にありがとうございますと言えなかったのを悔いている。「そうですね、ゆくゆくは、ですね〜」と答えた。2人で歩いて帰った。彼のこどものクラスは、図工の授業だったらしく「自由度が足りないし、個性に欠けるし、いろいろ言ってきちゃいました」と。まあそうでしょうね、と笑った。

Friday, 27 September 2024

おやすみのあとはつかれる

首も肩も腰も痛い。首が特に痛い。右側の、首と肩のあいだ。一時的なものだと信じたい。きのうの夜は全然眠れなかった。仕事のいろいろもあるが、主に、蚊のせいだ。まだ蚊がいるなんて!いったん起きるとそのあと、そんな簡単に眠れなくなる。家族もあまりよく眠れていないようだった。こういう日ってあるよね…。

「ながいおやすみのあとは、どうしてつかれるのでしょう?」

きのう受け取った、小学校からのおたよりにこういう一言があった。相談室からのプリント。月1で配布される一枚の紙にほっとすることがある。「だよね、やっぱりそうだよね」と思うことがある。子ども向けに、短く、わかりやすく書かれている。

息子の素行について、担任の先生と電話で話す。連絡帳でもまめにやりとりをしている。授業中にしゃべったり遊んだりすること。状況を知らせてもらえるのが本当に助かっている。先生と話さないと本当の状況はわからない。というのも当然ながら本人は自分に都合の悪いことは言わないから。ひたすら頭を下げて、ありがとうございます、よろしくお願いします、と言う。先生への疑問も要望もなにも、ない。先生と話すと、学校でやるべきこと、家庭ができることを整理することができる。

小学校からはいろいろとヒントをもらっている。

それにしても疲れる。疲れが取れない。

Thursday, 26 September 2024

「アンダーグラウンド」村上春樹

 少しずつ読んでいた、村上春樹の「アンダーグラウンド」を読み終えた。1週間なにも読まないときもあるくらいなので、3ヶ月くらいかかった。夏休みに結構読み進めた。電子書籍なので、いつの間にか終わりがくる。著者によるあとがきがたいへん深いものだった。読んでよかった。久しぶりにズシンとくるものを読んだ。すべての村上作品、ことばに通じている一つのものがあると、あらためて思った。これが書かれたのが1997年。そこからこれだけの歳月が経っても大きく響く。その時に読んだらまた違ったのかもしれないけど。すごい作品を残したものだと思う。マスメディアで報道されることではなく、そのとき地下鉄で「ほんとうに」何が起こったのかを知りたかった、という村上さんの、この本を書くにあたっての動機だが、実際にそのとおりにできているのだということがわかった。アンダーグラウントという言葉が、「地下鉄」という意味だけではないということも、あとがきまで読んでわかった。

さて、きょうはきのうより5度くらい暑くなるらしい。いってきます。

Saturday, 21 September 2024

暑すぎる9月

 おかしいよなこの暑さ。きのうの朝、雨は降るのか一応チェックしておこうと思って天気予報をみたらなんと37度と書いてあって一瞬くらっとした。毎朝「今日こそはマシかな〜」と思って、起きてから窓の外を見るけど全然涼しくならない。きょうは35度らしい。勘弁してくれ。少しも涼しくならない。35度を超えるというのは、夏です。夏。もう9月最終週に入ろうとしているというのに。秋の気配は微塵も感じない。相変わらず、夜はエアコンなしでは寝られない。実家から送られてきた梨を食べているが、梨を食べる季節というのはこういう気温ではなかった。秋だなあと思える気温だった。しかし自分の子のことなど考えるに、この子たちにとっての9月というのはこういうイメージで定着していくのだろうか。ちがうんだよ、秋っていうのはもう少しさわやかな風が吹くんだよ。。。この調子で行くと10月の、ほんの2週間程度しかいい時期が続かないということになる。

きょうは土曜だが仕事。ちょっと遠いところまで行く。のんびりしたいなあ。誰かマッサージとかしてくれんかな。

Sunday, 15 September 2024

合気道と水泳

暑い。もう9月も15日だというのにこんなに暑い。秋は一体どこにいるのだろう。気持ちの良い季節はおそらく2週間も続かないのではないか。きょうも朝から汗だくである。

脚がしびれやすい。昔からそうなのだが最近はますますそう。正座などせずともしびれる。おそらく脊椎とかそのへんに問題があるのではないかと思う。右半身のずれ方と、右腰の上の痛みはここ8年ずっと付き合ってきているが、これらもすべて関連しているのだと思う。もう40歳なのだ。40年も生きていたらそれはひずみとかゆがみとかずれとかは出てくるだろう。

10日と14日、合気道に行った。8月末に昇段した。きのうは、自分のできていないところを相手に教えてもらっていたら「あなたのほうがキャリアはずっと長いんだから、教えてもらってたらダメでしょう」と言われてハッとした。もっと堂々としなければいけない。いつまでも「どうせダメだから」という態度でいたのだ。こうやって注意されるという経験は、合気道にでもいかない限りは、ない。ありがたいことだと思った。ほどよい緊張感と、自信を持つべき。

それにしても汗をかく。真夏よりは息がしやすいが、それでも、汗がとまらない。「ぽたぽた」ではない。頭を傾けると「ツツツー」と汗が落ちる。こんなことは日常生活ではなかなかない。

合気道は、運動の強度としてはかなり強いはずで、体への負担も相当ある。以前に比べるとあざは少なくなってきたが、それでも毎回あざをつくっている。

それに比べると水泳は、やはり身体に優しい。一ヶ所に負担がかかることもない。水泳で怪我をすることは、まずない。今朝は家族でプールに行き、浮かびながらあらためて感じた。

合気道と水泳。この二つを軸に運動を続けている。これからもできる限り続ける。一つではなく、二つ。都合と、調子により使い分けていくつもり。週に何回、などと決めてはいけない。行けるときに行くし、行きたくなければ無理して行かない。継続のコツだと思う。そして「行けてない自分を責めない」。やめていない限り、続けていることになる。

きのう久しぶりにフィナンシェを焼いた。パンケーキも焼いた。暑いながらも、だんだんとオーブンの感覚を取り戻している。お菓子は家で作るものが断然おいしい。

Wednesday, 11 September 2024

もう11日。8連勤。

もう11日か。忙しかった、というか体調を崩さないようにするのに必死だった。2日、仕事が再開するその日の朝はなんだか動悸みたいなのがあって、これは緊張しているということだろうなと思った。当然ながら興奮状態が続いて1日が終わるころにはもうぐったりしていた。3日か4日の朝、めまいがした。恒例のめまい。やばいなこれはと思ったけどとりあえずその日は乗り切り、翌日の朝はあまり早く起きないようにした。10時間寝てもまだ寝れる。時差ぼけの影響もまだあるのだと思った。めまいはその日でおさまった。その後も決して調子は整わなかったが、なんとか土日出勤も乗り越えた。月曜までぶっ通しで8日間、働き続けた。秋が近づいているはずだけど、まだまだ暑い。先週だったか、ついにエアコンなしで過ごせた日があったけど、また戻ってしまった。

Sunday, 1 September 2024

夏の終わり、子の誕生日

夏の間はエアコンをつけっぱなしにして寝る。今朝起きて部屋から出たら、部屋の外と中の気温が同じだった。差を感じなかった。むしろ外が涼しいくらい。ああそうか、きょうから9月なのだ。なんだかやっぱり寂しい気がする。夏は暑くて暑くて早く涼しくなってくれないかなと願っているというのに、終わってしまうとやはりかなしみがある。青い空と太陽が見えないとふと気持ちが落ち着いてしまうというか、「はあ」となる。気持ちが落ち着くのに問題はないのだが、高揚感はなくなる。夏のはじまりと夏のおわりはこうも違う。

イタリアから帰って1週間。イタリアにいるあいだは「そんなに特別な感じがしないな」と思っていた。帰ってきた直後もさほどイタリアへ憧憬の念、つまり恋焦がれるような、あこがれるような感じはなかった。「そんなに遠い感じもしないし、まあ日本は暮らしやすいし」と思っていた。

が、こうやってしばらくたって、空気が涼しくなって夏の太陽がどこかへ行ってしまうと「ああイタリア」と、ようやく、思う。あの開放的な、カラフルな空気。やっぱり行ってよかった。

きのうは合気道へ。1ヶ月以上ぶり。6時半からの朝稽古に行こうとしたら6時から土砂降りだったのであきらめた。きょうはあきらめよう、と思っていたところ、カレンダーをみたら来週の土日は勤務でまた行けないということがわかった。そうすると、1ヶ月半以上あくことになる。あまり望ましくない。間があけばあくほど、身体は動かなくなり、気持ちが遠ざかるということはよくわかっている。どうしたものかな、と思った。日曜に行くか、と思ったけど日曜も雨の予報が出ている。ふと、土曜朝は2回稽古があるということを思い出した。7時半の回ならいけるかもしれない。雨雲レーダーとしばらくにらめっこすると、まあ行けなくもないくらいの雨。これはもう行くしかない。

子の誕生日なので、起きたときに誰もいないのはかわいそうだなと思ったが、まあそれはどうにかなると思って行った。結果、行きと帰りに雨は降らなかった。そこまでの運動量ではなくてもすごい汗をかいた。やっぱり気持ちが良い。湿度は89%。

帰ってみると、なんとまだ子は寝ていた。時差ぼけがなおっていない。寝過ぎとは思ったが、起きて私がいない、という状況は避けられた。

そうなのです、子は8歳になりました。早い。5歳あたりから今までについて思い出そうとしたけどあまり思い出せなかった。怒涛の日々なんだろうな。おかげでいろいろ学ばせてもらっている。怒ってばかりだけど。

夜、雨が降っていたけどよく行くレストランで子の誕生日会を行った。みんなきてくれてとにかく嬉しかった。あっという間に時間がすぎて、9時ごろ解散。こうやってきてくれるみなさんに感謝、いつもよくしてくれるレストランに感謝、である。人のつながりは本当に大切。

ちょうど雨があがって自転車で帰った。誕生会帰り、生ぬるーい夜の空気を、ゆるーくきりながら自転車でゆく。「楽しかったねえ」と言いながら。毎年おなじ。これが8月の〆である。8月のシメ、夏休みの最終日、夏のおわり。すこし切なさと寂しさが残る。1月1日とはまた違う、切替の日。いいタイミングに子は生まれてきたものだなと思う。

Thursday, 29 August 2024

帰国後の雑感

 きょうはじめて、まともに5時まで眠ることができた。帰国したのが25日、それから4日が経過している。

きのう28日は、朝(というか夜)の2時半に起きてそのあと眠れなくなり、3時半にハーブティーを飲みながら暗闇にひとりぼーっと座っていた。どうしようもなくて活動し始めたら4時半という、ちゃんとした「朝」になっていて、そのまま私の1日は始まったのであった。電車に乗っているとウトウトした。日常生活で「ウトウト」することは滅多にないので、これは普通ではない、というバロメーターにもなる。8時半には寝た。そこからきょうの5時まで寝たのだ。

時差ぼけに逆らっても仕方がない。眠れないとなると当然焦るが、段々と戻っていくので、日をかけて従うしかない。だから調節するためには帰国後1週間は大きな用件を入れないことが肝心だと思っている。日にちを間違う恐れすらある。

さて、思いつくままに以下:

■筋肉が減る

当然ながらこの3週間、特に運動もせず、食べたいものを食べてダラダラと過ごしたので体が弱くなっている感じがする。3週間、体組成計にのらなかったので一体どうなっているのだろうと思い帰国後まっさきに測定してみた。体脂肪と体重が少しだけ増えている。思ったほどではなくて安心した。

それでもやはり運動をしていない分の影響は自分が一番よくわかっている。筋肉が減った感じがするのだ。疲れやすい。体重は重くなくてもなんだか体が重く感じる。次の土曜には合気道に行くつもり。

■食べ物

帰ってから豆腐、納豆、めかぶをよく食べている。美味しくて体にもよい、こういう食材がどこでも手軽に入手できる国にいて本当によかったなと思っている。そして日本の食はすばらしいなと思う。たとえば早朝からきびきびと散歩している老人の身体が、何を食べてできているか。想像するとやはりそれは野菜、大豆、魚を中心とした食事に違いない。

今回、イタリアで海に行って、思ったのは、やっぱりおなかが出ているなということ。手足は細くて顔は引き締まっていても、お腹はしっかり出ている。(それでも、イタリアは、欧米の国々のなかではだいぶ引き締まっているほうではないかと思う。)まあ、炭水化物と肉中心の生活をしているとそれはそうなるよなと思う。運動さえすれば良いだろうけど、しないとお腹は出る。日本でもお腹出ている人はもちろんいるけど、より「出にくい」感じがする。

■「異国」な感じがない

イタリアに行った時も、戻ってきたときも、不思議なほどに違和感?異国感?がない。日常の続きのように、どちらにも入っていける。例えば、まっさきにコンビニのおにぎりを食べて感動したり、家に帰ってから「わー、フローリングの床を裸足で歩けるなんて」と感動したり、ということが、以前ほど、ない。イタリアに行ったときも同じだった。空港について「ローマの空港のにおい」に異国っぽさを感じていたはずなのに、今回はほぼ何もそれがなかった。空港でしかなかった。

なぜだろうか。ここ数日、いやむしろこの1ヶ月間考えている。

おそらく理由として一番大きいのが、飛行機だ。かれこれ20年前、学生時代にイタリアに行っていたときは経由便で

成田→欧州のどこか(ドイツ多め)→イタリア

が定番だった。

これが、子が生まれてからは直行便を選ぶようになり

成田→イタリア

になった。

そしてさらに今回、驚くべきことに成田まで行く必要がなくなっている。

羽田→イタリア

という夢のような最短経路で行けるのである。(ITAエアウェイズの良し悪しは別として。)行った人なら当然わかると思うけど、成田までの距離は洒落にならんくらい遠い。例えば12時のフライトに乗るとして、2時間前の到着を目指すと、10時。10時に到着するためには8時に家を出ても間に合わない。長距離バスの時刻によっては7時だろう。そうすると空港に着いたときにはとんでもなく疲れている。これが、羽田となると、10時到着を目指すには8時半にでれば大丈夫。

そして経由地がないとなると、飛行機を降りたらそこはもうイタリア、なのだ。タイムスリップというか、ぽん、と自分だけ空間を移動されたようなそんな感じがした。はるばる、長旅をしていたときとはだいぶ違う。今は飛行ルートが、北をまわれないので、遠くなっているがこれでもし以前のようにロシア上空をいけるとなるとさらに時間は短くなるはず。

そんなこんなで「あれ、もう着いた」という感覚なのかもしれない。じわじわ移動していく感じがない。

それ以外にはきっと、こどもと一緒であること、自分が歳をとってきたこと、なども挙げられるだろう。

Tuesday, 27 August 2024

26日、仕事に戻る

27日、朝。4時すぎに子に起こされる。「おしっこしちゃった」だそうだ。布団が濡れたのかと思ってひぇっと飛び上がると、そうでもないらしい。めちゃくちゃ眠くて頭も重かったので睡眠の続きを…と思ったがこれが意外と眠れない。子も同じである。5時が近づいてきて「ままー、日本はもうすぐ朝なの?」「うん、そうだよ…」もう日本に帰ってきているのになぜ「日本は」なんだ、いい加減に寝かせてほしいと思いながら答える。しばらくして立ち上がりカーテンから外を見て「もうそろそろ起きてもいいんじゃないの」と言うので、起きていいし、1人で遊んでていいよ、と答えると「だってぼく寂しいんだもん」「えー…」

このやりとりをしばらくつづけ、5時過ぎ、ついに私も起きた。起こされなければもう少し寝れただろうに。

きのうの夜は猛烈に眠かった。横になるまではそんなことなかったのだが歯磨きを終えて8時半ごろ、横になったら、体の全体重が、ふとんに引っ張られているというか、物理?でいう矢印がすべて下向きにどーんと向かっているような、猛烈な眠気で、寝てしまった。のび太には敵わないけどいい勝負だったと思う。ウトウトするとか、あくびがでるとか、そういうレベルではなかった。疲れているのともちょっと違う。

それでも、仕事に行ったのはよかったと思う。帰国して翌日に仕事に行ったのは初めてではないか。そもそも無理だと思っていたけど、子といっしょだとどうしても思うように休憩できないので無理にでも普段の時間に戻さざるを得ない。

職場に入ったのは1ヶ月ぶりで、そんなに休みが取れるのか、というと取れるんですね。いや、イタリアに行く前にも働いているんだけど単に場所が職場ではなかったから。

ひさびさに同僚にあって「おー、ひさしぶり」と言われた。けど夏休みなんてこんなもので、私以外も結構「おーひさしぶり」状態である。そもそも、誰がいて、誰がいないかを、それほど誰も気にしていない。いなくて申し訳ない、と思っているのは本人だけ。自意識過剰というか。今年1ヶ月離れてみて、さほど大きな問題はなかったので、今後もこれでいこうと思った。

久々に仕事に戻るとリハビリが大変なのでは、と思われるかもしれないが、そんなことはない。30分で戻る。育休明けに、おなじように育休をとった友人に聞いたら「30分で戻るよ」と言われたのをよく覚えている。実際そうだったので、いわんや休暇明けをや。そもそも職場が好きなんだろうと思う。

Monday, 26 August 2024

絶賛時差ボケ祭り

24日の14:55にローマを出て、12時間後、25日の10:15に日本に到着。あっという間に時間が経ってきょうはもう26日。この、時間を失う感じ、なんとも言えない。

そして現在、絶賛時差ボケ祭り。しかも単独ではなく息子とともに。

26日今朝3時ごろ、目が覚めてゴロゴロしていたら子も動き始めていて頭をなでたら「まま、もうおきてる?」と言う。うん、起きてるよ。ぼく、眠れない。そうね、わたしも眠れない。体がまだイタリアだからね。イタリアはなんじ?夜だね。日本はあと何時間で朝?うーん、あと3時間くらい。眠れないね。ぼくね、きょうこの歯抜けそうな気がするよ。あらそうなの。

水を飲みに行って、トイレに行って、もう一回横になる。しばらくして

「ぬけた!」

なんと、歯が抜けた。前歯の隣の歯が、イタリアにいる間に1本抜けたのだが、今回は反対側の、前歯の隣。対象に2箇所抜けている。抜けた歯を洗って、皿に置く。「ちいちゃいねえ」「うん」

このとき4時50分くらい。5時までがんばって横になることにした。

「もう10分たった?」

「まだだよ」

「あと何分?」

「あと5分くらい」

これを繰り返し、ついに5時になったので2人で起きることにした。本来なら今の時間から就寝、なので、もう完全にバグっている。2人でコンビニに行くことにした。5時なんて、人がいないだろうね、と私が言うと「えっ、おみせの人もいないの」というので、「いやいや、お店の人はいるだろうけど、お客さんはいないだろうねってこと」と言いながら店に入ると、なんとお店の人も本当にいなかった。仮眠中なんだろうなきっと。

好きなもの買っていいよ、ということでおにぎり、パン、ゼリー、ヨーグルトを1000円くらい買って帰った。ものすごく久しぶりにメロンパンを食べてみたけど、コンビニの質はすごいなあ。たったの130円でこんなの作れるのか。

眠いはずなのに、眠れない。息子はずっとレゴをやっている。経験上、完全に戻すには一週間以上がかかる。こちらからヨーロッパに行く時とは全然違う。どうしようもないのできょうは勤務することにする。

Saturday, 24 August 2024

23日、ローマ

出発前日は予定を入れずに荷物整理したりローマでしたいことをする日、ということにしていた。午前中は特に何もせず。

お昼は量り売りのピッツァ。

出かけるのは3時ごろからにした。中心部まで車で行っても駐車できないので地下鉄を使うことに。おそらく10年くらい乗っていないと思う。

フラミニオにいくためにテルミニからA線にのる。スリがいる。見てわかる。イメージするのは「いかにも悪そうな人」かもしれないけど、そうじゃなくて若い女の子の集団。きのう見た子は妊娠していてお腹が大きかった。

地下鉄、以前よりきれいになったと思った。

が、まず問題はどっち行きなのかが不明。どこにも書いてない。乗ってみて、中に路線図があるけど、みてもどっちかわからない。ダメ元で乗ってみたら反対方向。ハズレ。一駅乗って、別方向に乗り換える。つまり元いたテルミニに戻ってくる。

するとテルミニで止まり全員降ろされる。なにかというと8月いっぱいはテルミニ以降は運行停止、と。

こういうことを地下鉄入口に書かれていない。知るわけがない。切符の払い戻しをしてもらおうにも、誰に言っても肩をすくめて、終わり。誰も責任を取ろうとしない。たったこれだけのことが、できないのだ!日本のみなさん、信じられないかもしれないけど、こういうことが日常茶飯事。ストレスで爆発寸前。

かわりにバスに乗ってみたけどまあ渋滞で時間かかるのなんの。ようやくポポロ広場に開放されたときには地下鉄に乗ろうと試みてから1時間以上が経過していた。距離としては、大したことはないのである。歩こうと思えば歩けたくらいの距離。調べてみたらたったの5kmでした。

これを「仕方ないじゃん」と諦めながら生きていかないと、ここでは暮らせない。そうじゃなかったら毎回、怒りとストレスで爆発することになる。あきらめているうちに、自分も「責任なんて取りたくない」「まじめにやっているのは損」「働かなくていいじゃん」になる。間違いない。勤勉さを発揮しても、それが自分1人だと、力として不足で、ただの損になる。

ぐったりしていたけどやっぱりポポロ広場も双子教会もとてもきれいで、オベリスクを見上げて「はぁー、ほんとすごい」と声が出る。これをエジプトから持ってきたのか。

コルソ通りを歩いたものの、買い物の欲はまったく出ない。円安もあるけど、以前と違って「イタリアでないと買えないもの」ではなくなった。グローバル化は、ありがたい反面、つまらなくもある。

パンテオンに行きたかったので、行ってみたけどなんと入場料が5ユーロに跳ね上がっていた。無料だったのに、無料から5ユーロとは大きい。ラファエッロの墓参りでもと思ったのだが、チケットを買う列を見て入場は諦めた。

ボルゲーゼ家を入り口から見学。

この時点でだいぶがんばって歩いて疲れていた。ジョリッティでジェラートを食べたら元気が出た。すごく美味しい。さすが老舗。しかしスモールサイズで3.5ユーロは高い。

ここからがんばって、Largo Argentinoを経由してかの有名な「真実の口」まで。
なんと、1分遅れて入れなかった。信じられない。入れてくれてもいいだろうに!しかも無料なのに!同じように残念がる人たちがたくさんいた。心底残念がる息子が気の毒だった。

22日、フレジェネとトレヴィの泉

21日にローマに戻り、22日。

朝から聞こえる喧騒は、ローマだなあと思う。

叔母さん一家を訪ねてフレジェネへ。車で20〜30分くらい。空港に近い。

それはもう豪邸で、庭はもはや公園サイズ。プールもあるが、これがしっかり泳げる、深さも広さもあるプール。海よりやっぱりこっちのほうが良い。水はつめたかったけど嬉しくてずいぶん泳いだ。

叔母さん一家も、知り合って15年くらいになる。どこの馬の骨?か知らないジャポネーゼ、という存在だったはずの私でも、イタリアに行くたびに挨拶してこれだけの年月が経つと、やはり気楽さが増すし距離が近くなった。

運動するとおなかがすいてお昼もおいしい。

それにしても裕福な人たちというのはやさしい。損得を考えていなくて、裏がなくて、ただその場にいる人たちが心地よく気持ちよく幸せに過ごしていることを願っている。生まれ故郷どころか東京でもあまり出会うことのない層の人たちなので、あらためてそれを感じる。

ローマに戻ってから、日が沈むころ。空がピンクで、きれいだったので撮りたかったけど難しくてこんなになった。

9時過ぎに、トレヴィの泉を見に行くことにした。9時に外出なんて、と思うだろうけどローマは夜の散策のほうが断然良い。日中は暑く、混んでいて、そもそも車で中心部まで入ることができない。
相変わらずの大迫力でした。そしてこの時間でもものすごい人の多さでした。初めて行ったときは、イメージしていたよりも大きいということにだいぶ驚いた覚えがある。そう、ひとつひとつの彫刻がかなり大きい。その辺の噴水とはわけが違う。そしてまた驚くのはごく普通の細い、石畳の道を歩いていてこれがズドーンと現れる、ということ。遠くから見えて「あ、あれだよ」とかそんな感じではまったくない。予期せぬ出現の仕方をする。
ジェラートを買って食べたけどやはり観光客向けの店はただひたすらに甘くて必要以上に大きく、胃にもたれてしまった。子は嬉しそうだったが思ったとおり、食べきれなかった。

Friday, 23 August 2024

トゥスカーニャ散策 ラツィオ州 Tuscania, Lazio ②

21日、トゥスカーニャの続き。
この小さな町は、これがとにかくきれいで、よく管理されている。イタリアの有名な観光地は人が殺到して汚れるがここはそんな感じがしない。

チェントロ・ストリコ(中心街)をゆっくり歩いてみた。いい風が吹く。
ふと横を見るとこういう感じ。絵画のよう。ヨーロッパではこういう石畳のシーンが当たり前すぎるのだが写真にとってあとから見ると「わーきれいだ」と思う。
つたで覆われたこの建物、レストラン。木がにょきにょきはえていて、その間にテーブルがある。
ここにしましょうか、ということでお昼休憩。人気の店なのか、テーブルはあいていなかった。ほんの数分たったら座れた。
「特徴的なのは、メニューがないこと」とマリア。ええっ、と驚くが、考えてみればイタリアでこういう店に出会うのは初めてではない。その日にある、その場のメニューを、言われてサッサと選んで答える。店員がでてきて、「ニョッキかタリアテッレ」x「トマトソースかラグー」というメニューをすごいはやさで伝える。わたしはタリアテッレのラグーにした。メニューがないということは値段も不明。

まあ美味しかったけど特別に美味しいとは感じなかった。なので写真もなし。私にとっては量が少なかった。
ながめのいいところに行こう、ということで少し歩くと、これまたよく管理された公園のようなところに出た。ここからトゥスカーニャのパノラマが見渡せる。これは本当にきれいだった。

よく晴れているけどそれほど暑くはない。30度台の前半だと思う。汗もかかない。気持ちが良い。
遠くに見えるのはお城か、教会か、と思っていたら「さっき行った教会」ということ。そうか、あっちからこっちにきたのか。
中世(より前)からこれがまるごと残っているというのはもはや奇跡に近いなと思う。シルヴィアは「有名な観光地はたくさんあるけどトゥスカーニャは真珠だと思う」と言っていた。perla(真珠)と。ちっちゃく、宝物のように、きれいに管理されて、そのまんま残っている町。
かつて演劇が行われていた場所。
かわった椅子があるなあと思っていたら、女性への暴力防止の啓発のため近年作られているらしい。赤い色がそれを表す、とのこと。

女性といえば、ほんの数時間だったけど女3人で出かけたのは楽しかった。自分が年取ったのもあるけど、イタリアの女性がどう生きているのかというのはとても気になる。話す内容や、立ち振る舞いが日本人とは違う。どっちがいい悪いではない。それでもなんだかのびのび、かつ堂々としている雰囲気はどこからきているものなのか、会話をしているうちに感じるものがある。

マリアは自分より20歳か30歳年上。小柄。小麦色の肌だけどシミがない。背筋が伸びていて、落ち着いて話す様子がとても知的だと思った。

シルヴィアは私と同世代。あちらは2歳と5歳の男の子の母親であり、私は7歳の男の子の母、という時点で共通して話せることは尽きることなく、ある。日伊の違いについてお互いに興味があってたくさん話した。お互いに、母親であるというのは、やりがいはあるけどやはりすごく大変なことであり、言語や環境が違っても共感できることはたくさんある。

家に着いたら、男5人はまだ帰ってきていなかったので「もう少しだけ静かな時間があるわ〜」と言いながらゆっくりした。どこの国に行っても、同じだ、と思った。こどもが生まれてから、そして40過ぎた今となってからのイタリアの見方は、自分のなかでちょっと変わった気がする。なんというか、欧米人に対して抱く劣等感が以前に比べて減ったと思う。子供うまれて、年取って「いろいろたいへんよね」はどこの国行っても変わらず、こどもがいるという経験を経た今は、以前より堂々としている。
本当はもう1泊する予定だったけど、翌日の予定を考えると厳しい、ということに気づいて1日早めてローマに戻ることにした。モンタルトの駅を18:18に出る。まだまだ日が高い時間。
友人に別れを告げる。今度会うときにはきっとお互いのこどももずいぶん大きくなっているだろうね、と。

トゥスカーニャ散策 ラツィオ州 Tuscania, Lazio ①

 21日。数時間お出かけする。友人の母、マリアさんが"Approfittiamo"と言ったのがなんだか忘れられなくて、なるほどこうやって使うんだなと思った。approfittareというのは「利用する」という意味だけど、特にこの日のように「男5人が海に行っていて、残りの女3人だけで静かに過ごせるというまたとない機会を利用する」ときにはぴったりの言葉。語彙の習得はエピソード記憶だなとあらためて思う。

寝不足だったのでごろごろしていたい気もしたが行ってみたらそんな気持ち、いや、そんなことを考えていた事実すら忘れてしまった。

さて、Tuscaniaというまちについて。カタカナ表記だと「トゥスカニア」とか「トゥスカーニャ」とかが近いだろう。大事なのは「トスカーナ」と間違えないことだ。私も最初にきいたときはきっとトスカーナ州にある町なのだろうと完全に勘違いしていた。トスカーナ州ではなくラツィオ州にある。そしてトスカーナは州で、トゥスカーニャはコムーネ(基礎自治体)である。これは本当に間違えやすい。Tuscaniaと検索すると「トスカーナの間違いでは?」と出てくるくらいだ。

ここにあるChiesa di San Pietro (サン・ピエトロ教会)とChiesa di Santa Maria Maggiore(サンタ・マリア・マッジョーレ教会)を訪ねた。

まずサン・ピエトロ教会。ファサードの美しさが際立つ。一瞬で、これは古いなと思った。


ロマネスク建築。私にでもわかる中世っぽさ。

中はこんな感じ。ロミオとジュリエットの、古いほうの映画はここで撮影されたらしい。

地下に降りて行く。ひんやりしてくる。ローマでカタコンベに行った時と同じような空気。


下りてみて、息で、しずかに「わあああ」と声が出た。スペインはコルドバのメスキータを思い出した。
なにが嬉しいかというと、この場所を本当に中世の人たちが歩いたんだな、と思うこと。興奮せずにはいられない。そして観光客が全然いないので余計にそれを感じられる。
柱の影から聖職者が出てきそうな感じがした。
別にもともと行きたかった場所というわけではないのに感激、感無量である。
イタリアはどこにいってもこういう歴史的建造物があり、観光客が殺到していない場所もたくさんある。こういった壁の絵なんかも「触らないでください」とか注意書きはない。触らないのが当然なので。

ふたたび上に上がった。
地面のモザイク。


誰が何の目的で書いたのだろう。

11世紀ぐらいですかね、とマリアにきいてみたら、解説を読んでくれた。始まりはもっと古く、7世紀ごろだということだ。日本だと大化の改新とか、そのへんかな。
メモとして解説の部分もとっておく。

それから聖マリア・マッジョーレ教会。同じ名前は各地にある。
閉められる直前だったので、最後の訪問者としてほんの5分くらい見せてもらった。
中は改装中。
カラーで残っている。
このへんは比較的新しい感じがした。
新しいといっても、調べてみたらこの教会の始まりは8世紀らしい。レベルが違う。
この階段の上に上がって、聖職者が説教をする。登れないようになっていたけど、実際今使われているのかどうかは謎。
やはりファサードが印象的だった。
(つづく)

お父さんの回復、12月の疲れ

父が入院している。経過は良いようで、退院が見えてきたらしい。よかった。毎日のようにテレビ電話で様子をきいているが、話す様子が1日、1日と元気になっていくのがわかる。人間の身体はすごいなあ。 話を聞くたびに、普段の姿勢とか、動き方とか、注意しなければと思う。身体に負担をかける動きを...