Tuesday, 8 April 2025

新年度が始まってしまった

 新年度が始まった。始まってしまった。あまり実感がないのだが周りは少し興奮状態というか張り切っている。当然だろう。桜と一緒にすべてがスタートする。誰もが新しい出会いにドキドキしている。この1週間が、とにかく疲れるのだ。みんな一斉に始めなければいいのに、と思う。全体的にもっと遅く、ゆっくり始めればいいのに、前の年度がおわってたったの1週間のうちに次の準備ができてしまっている。どれだけ自分を追い込んでがんばるのだろう、日本人は。それが美しいとも言えるのだが、あまりに一斉すぎる。そして短期間すぎる。4月7日に「すみませんまだ準備できてません」という人がいてもいいだろうに。この国の空気はそれを決して許さない。誰がそうしているわけでもないし、誰のせいでもないけど春のこの時期はみんながんばってしまう。そういうふうにできているのだ。あえて言うなら桜のせいかもしれない。

満開の桜の下を自転車で通りながら、入学の時期を9月にする話があったなあと思い出した。実現していないが。もし桜が9月に咲くなら可能かもしれない。

Sunday, 6 April 2025

『映画ドラえもん のび太の絵世界物語』

 ドラえもんの映画を見に行った。

金曜の夜、ふと「連れて行くか」と思い立った。しかも自分が。普段だったらこんなことはしない。そもそも電車に乗ってどこかに出かけること自体が億劫だし、お金もかかる。最近は映画も高い。そこで自分が連れて行くとなるとやりたいこともできなくなるしスケジュールが狂う。

なのに、「連れて行くか」と思ったのだ。

実家にいる間、Mちゃん(弟の妻)の子育て(というか甥っ子であるうちの子をひっくるめた子ども全般の扱い方)っぷりを見ながら感心させられることが多かった。たったの数日で、我が子はMちゃんのおかげで8年間で一度もやったことのない経験をたくさんして成長の機会を与えられた。なんでもやらせてみないとダメだなと思った。我が子をみて臆病者だなあと思っているけど臆病者にさせているのはほかでもない親なのかもしれない、と思った。

だからといって、映画に連れて行く程度でそんな大袈裟なと思うかもしれないけど、連れていこうという気持ちになれたのは紛れもなくMちゃんのおかげなのだった。

あまり迷うことなく、近郊の映画館を探して席を予約した。

土曜朝、早くに合気道に行くので7時半ごろにはすでにフリーである。合気道は2週間ぶりで、だいぶ疲れた。2週間空いただけでこんなに疲れる。でも気持ちよかった。

映画館へは9時ごろに出かけた。

劇場は子どもたちでいっぱいだった。小学生以下から中学生までいる。こんなにこどもに囲まれて映画を見るのは初めてだった。

見たのは『のび太の絵世界物語』。これが期待以上に面白かった。大人だってじゅうぶん楽しめる。最初は「とくにドラえもんに興味はないんだけどな〜、これに1900円も払うのか〜」と思っていたが、とんでもない。十分以上の価値があった。後半あたりはもはや誰が何をしても泣けるようになってしまって、のび太の下手な絵やしずかちゃんが飛んできたシーンだけで涙が出てきた。そうかこどもたちはこんなにいい作品を楽しんでいたのか。

久しぶりに全編とおして見てみて、ドラえもんの道具が出てくるときのワクワクする感じ、想像力が掻き立てられる感じが、小さい頃見たときの気持ちを思い出させた。この先に、常に希望がある、なんとかなる、という気持ちにさせる。

いつだったかドラえもんは刷新されて、自分が幼少期に見たドラえもんからはだいぶ変わっている、ということは知っていた。声優も違うしドラえもんのしゃべり方も性格もちょっと違う。圧倒的しっかり者のドラえもんとおっちょこちょいのび太だったはずが、ドラえもんもすこしおっちょこちょい度が増している。だんだんとこっちに慣れてきているのも事実。

そして気づくのはしずかちゃんの変化だ。それは自分がこの年になって女性の権利などが気になりアニメでの女性の絵が描かれ方などが以前より目に留まるようになったせいなのかもしれないけど、以前より勇敢になったような気がする。果たして30年以上前のしずかちゃんはこんな感じだっただろうか。今回はほうきにまたがり空を飛び、大活躍で、ドラえもんとはまた別枠の確固たるヒーロー像を構築していた。本当にかっこよかった。危機の寸前でみなを救う。

さて我が子は、2時間近くの間、席に座って集中して映画を見ていた。終わってから、言葉にならないようだったけど興奮していて、「おもしろかったねー」と言ったら「うん」と言った。感じるものがたくさんあったようだった。来年の春も見にいこう、と約束した。

それにしても子どもたちに囲まれて見る映画はいい。笑い声がある。同じところでみんなが笑うのだが、大人が面白いと思うタイミングとちょっと違う。これがまた新鮮。ジャイアンの行動が面白くても、そっちで笑うのか、というときに笑う。ふきだすのではなくアハハと笑う。まあ5歳の子供が笑いを抑えるわけはない。海外の映画館では、笑い声があったり同情の声があがったりするのが珍しくないけど、日本の映画館では静寂だ。だから昨日のように子どもたちとみる、映画館はにぎやかでいいなと思った。

ところで映画の中に出てくる「アートリア公国」、調べてみたらイタリアがモデルらしい。中世ヨーロッパの衣装や建造物を振り返ってみたくなった。

Friday, 4 April 2025

東京に戻った

東京に戻った。行きの便での揺れとは大違いで、ちっとも揺れなかったし、定刻より15分か20分早く着いた。通路側の席だったが、窓際の席の人が最初からブラインドを閉めていて外の様子はまったくわからなかった。降下が開始されてしばらくしたころにゴゴーっと音がしたので何事かと思ったらなんともう着陸していた。おもわず「えっ」と声を上げてしまう早さだった。

東京は小雨で、空は灰色。寒い。ちっとも春な感じがしない。電車はそこそこ混んでいた。ゆっくり帰っても1時過ぎには帰宅できたので、家にあったうどんの乾麺をゆでて、わかめをもどしてのせて食べた。なんの変哲もない、家。しかしこの家を呼ぶのに「我が家」という言葉がスッと出てくることはなかなかない。

揺れが少なくて楽だったはずなのにどっと疲れていて、なんだか頭に何かつまったような感じがする。天気、気圧のせいもあるのかもしれない。たまった仕事のメールを返したりして午後はぼうっとして過ごした。姪っ子たちの写真を見て、すでに懐かしがっている。

今朝は5時に起きている。今日こそ天気が良さそうだ。1週間、ろくに運動もせず、食べたいものを食べて過ごしたので身体がふわふわしていて、弱くなっているのがわかる。今朝体重計に乗ったら体重だけではなく体脂肪も増えていた。太る人というのはこの状況に歯止めがかからなくなるんだろうな。まあいい。休暇で痩せても困る。ゆるめた証拠。だんだんと元に戻していこう。

Wednesday, 2 April 2025

春休み7泊8日

実家に帰っている。周りに迷惑をかけるのを承知での7泊8日。仕事では各方面に頭を下げ、戻ってからは誠心誠意働きます、ということになっている。こういうのはあとでいくらでも取り戻せる。休みに入る前も、休みがあるほうが集中して仕事を終わらせることができる。メールをチェックするかどうか迷ったが今回は少しずつ、1日1回は確認することにした。

姪が1歳と2歳で、家のなかはだいぶ賑やかである。姪っ子たちのひとつひとつの行動がコミカルで、目が離せない。面白い。3月に1歳になったばかりの姪はすでにとことこ歩いていて、放っておくと梯子でも登り始める。あちこちで転んだり、落ちているものを口に入れたりしている。泣きはするけどそれほど泣かない。おおらかな環境で育っている。

ここにいる間ずっと寒かった。日中は真冬の服装をしているし、夜も真冬のパジャマをきている。東京はもっとずっと寒かったようで、こちらはまだマシだったようだ。きょう、ようやく晴れて気温が上がったので、自転車でスーパーまで行ってみた。菜の花と桜があちこちで咲き誇っていて、春のにおいがした。気持ちがよかった。気づけばもう4月なのだ。それにしても寒い3月だった。

明日、東京に帰る。帰ったら何事もなかったかのように日々が始まるのだろう。わたしの日常は東京にある。ときどき日常から離れて、故郷で頭も体もスイッチオフする。故郷があるのは幸せなことだ。

Thursday, 27 March 2025

アルバムを見て

先日は雪が降っていて、やっと暖かくなったと思ったら30度近くまで上がった。なんなのだろう。春はどこへいったのか。

先日、こどもに「誕生日はいつ」とか「きょうは何曜日」とかきいてみた。時々答えられないときがあるので思い出したように聞く。ひとつレベルをあげて、「ではあなたは何年生まれか」という質問をしてみた。これはわからない。じゃあ今は何年か、ときいたらすぐに2025年と答える。これは意外だった。じゃあいまの年齢がわかれば、もうわかるでしょう、と言ってもこれがなかなかわからない。時間がかかる。一年ずつ数えてようやくわかった。

1年ごとにアルバムが一冊あるので、じぶんが生まれた年の写真を探したら、そこに書いてある年が自分の生まれた年だから、と言ったら探し出してきてページをめくりはじめた。今までだって何度も見たことがあるはずだが、えー、とか、わー、とか言いながら食い入るように見ていた。生後1ヶ月ではじめて飛行機にのったとき、スタッフから手紙をもらったのだが、それもはさんであった。泣き叫ぶ赤ちゃんをあやす祖父母や、おさんぽ中のようすや、まあとにかくいろんな人に抱っこされている写真がたくさんある。

しばらくしてふと気づくと、子、写真を見ながらうるうるしている。涙はこぼれていないけどすこし口がへの字になっていた。「どうした?感動しちゃった?」と聞いたら「みんなありがとう、と思って」と言う。優しい子だなと思った。大事にされて育ってきた、ということを知ってはいても生後すぐを覚えているわけではないので、こうやって見て知る。

成長過程によって感じ方や見方が変わるのでアルバムはおもしろい。

Thursday, 13 March 2025

読み聞かせと授業参観

 今年度最後の読み聞かせ当番だったので朝8時半から小学校へ行ってきた。読み聞かせの本を選ぶにあたり、どの本にしようか、と相談すると子も楽しそうで、選んで、2人で練習をする。読み聞かせに行くと子どもたちの反応が楽しいので私にとってまったく苦ではなく、今年度は2回担当した。3月12日はおそらく今年度最後。とりまとめをしてくださっている保護者がいて、これもありがたい。

終わってからそのまま帰らず、算数と外国語の授業を参観していった。実は2月の授業参観以来、見かねたFが週に2回、3回と授業に行っている。保護者が授業に行く小学校なんて聞いたこともないのでこれは行き過ぎなのではないか、せめて週1にしたほうが良いのではないかと思っていた。

しかし、特段問題がないどころか効果が出ている。まず、担任は「いつでもどうぞお願いします」と言う。おかげで授業中に大きな問題は起きず、担任からの電話は2月の間、こなかった。私は授業の様子を聞き、情報を共有できている。そして子は、きのう見てみたら、とりあえず座って周りと同じことをやろうとしている。結果的に、よかった。

イタリア人だからできたことだろう。つまり、親が学校に行って様子を見る、などという思い切ったことは、私だったらできない。どうみられるかわからないし、先生に迷惑がかかると思ってしまうし、何よりもほかにそういう人はいないから。しかし日本の学校を知らず、いわゆる「常識」にとらわれない彼にとっては、「子がいうことをきかなくて先生がお手上げ状態なら親がなんとかするしかない」というシンプルな考えから授業参観に行き着いたわけだ。

話は昨日に戻る。2月のはじめに私が授業参観に行った時、あらゆる指示に対して「いやだ」と反抗しまくっていた我が子は、座って算数の問題に取り組んだ。「ママがいるとやる気がでるなあ」と言いながら次々に解いていった。1ヶ月前とは全然違う。これはもちろん親がいないとこうはいかないのかもしれない。でも2月は親がいても反抗していたくらいなのだから、大きな進歩ではないか。

最初からまったく席につかない子が数人いる。お手伝いの大人がずっと付きっきりでいる。ある子は読み聞かせの間ずっと廊下に座ってi padをいじっていた。またある子は私のいた3時間の間結局一度も座らず、空席のままだった。(そもそも遅刻してきた。)急に「校庭に出てサッカーする」と言い出し、どこかに行った。座っている子もいるけどずっとi padで遊んでいる。うちの子もこうだったのだ。

別の話題になるがi padの使用は本当に困ったものである。もはやi pad無法地帯となっている。課題プリントが終わった人は何をやってもいいことになっている。お絵描きや読書などいろいろな選択肢はあるが、子どもたちは当然i padに手を出す。これについて私は先日担任に「制限してほしい」と訴えたが「特にi padをやりなさいと指示しているわけではありません。どうすればよいか一緒に考えてください。i padじゃないことをやっている生徒もいる」とのこと。しかしきのう見に行った限りではほとんどの子がi padを開いている。課題プリントが10分くらいで終われば残りの35分はゲームし放題なのだ。小学2年生にこれはないと思う。

幸か不幸かi pad故障中の我が子は粘土で遊ぶことにした。わたしも一緒に作ってこれは楽しかったが、これって授業なのか。小学校のことはわからないけど、授業の大半が「好きなこと」というのは、学年末だからこうなっているのか。日々の様子を子から聞く限り、どうもそうではないと思う。

さまざまなことが、来年度から切り替えられることを願う。

いったん帰って、昼を食べにいった。行った先で「麻婆春雨」があったのだがこれが美味しかった。チャンプルーとは違う。自分でも作ってみようと思った。「ほめる」を早速実践しようと思ってスタッフの人に「麻婆春雨がとても美味しかったです」と伝えた。嬉しそうだった。やっぱり、心掛けないと、褒める言葉は出てこない。

Wednesday, 12 March 2025

人間関係、ほめること

 同じ職場に長年いるとうんざりすることも増えてくる。同僚どうし、お互いの性格や特徴を知っているので動きやすいがその反面、その性格や特徴にうんざりすることもある。さらにその性格や特徴によって仕事の量や質が変わってきてフェアじゃないなと感じることも多くなる。昨年あたり、タイミングよくここらでいったん外に出てみるかと思ったことがある。思っただけで実行はしなかった。ちょうど腰のMRIを撮ったりしていたし子どもも手がかかるし、なんだかんだ迷いがあった。年をとって腰が重くなっているのかもしれない。というわけで、出なかった。環境が嫌になって自分が出たら負けだ。負けと言ってもとくに戦ってはいないけど相手に主導権を握らせたことになってしまう。イタリア人がよくいう。「相手にpotenza(権力、主導権)を握らせるな」と。自分の人生だから自分が進むのみ。

きのう。ある同僚曰く「アドラーによるとね、人間の悩みはすべて、人間関係によるものだって」。なるほど、そう言われればそうかもしれない。相続、ご近所、いじめ、家族、友人、仕事、国際問題まで、すべては人間関係。世の中問題だらけなんだけど、いっぽうで人間関係で問題が起きないタイプの人間、というのがいて、どこでも好きな場所で生きられる。何人かそういう人を知っているけど、とにかくしがらみがない、そして当たり前だけど人当たりが良い。

先日、「ほめことばの見つけ方」という講座に行ってきた。無料だったので申し込んでみたわけだ。これが、とてもよかった。講座の前後で人生が変わった感じがする。大袈裟かもしれないが、そのくらい自分にとっては影響が大きかった。参加者のほとんどは高齢の女性だった。みんな一生懸命メモをとっていた。男性ももちろんいたけど圧倒的に女性が多かった印象。

前提として、人は、ネガティブなことばが無意識に出てくるようになっている。その逆のポジティブな言葉というのは相当意識しないとなかなか出てこない、ということ。たしかに。ほめるというのは、人、もの、イベントに対して価値を見出すこと。ダメ出しをやめた途端に営業成績があがる職場の例などがあった。面白かったので講師の本を読んでみようと思う。この、人生が変わるような、前向きな気持ちはいったいいつまで続くだろう。ずっと続けたいと思った。その日だけじゃなくて、意識してほめるようにしたい。

新年度が始まってしまった

 新年度が始まった。始まってしまった。あまり実感がないのだが周りは少し興奮状態というか張り切っている。当然だろう。桜と一緒にすべてがスタートする。誰もが新しい出会いにドキドキしている。この1週間が、とにかく疲れるのだ。みんな一斉に始めなければいいのに、と思う。全体的にもっと遅く、...