Friday, 23 January 2026

寒稽古効果

12日から1週間続く寒稽古に皆勤した。7日間連続で、朝6時半からの稽古に参加したということだ。今までの人生になかったことだった。自分でそう言うのはたいへんおこがましいが「快挙だ、よくやったぞ」と思った。一年で一番寒い時期に、朝6時に家を出るのはとても勇気がいることだったが、なんとかやり遂げた。最初は皆勤するつもりはなかったが、1日目に行くと、おや、明日も来れそうだなと思った。3日目は休もう、と思っていたときに小学2年生から「あなたは(明日くる)?」と聞かれて、行かないと言えるわけもなく、言葉につまりながら「うん行くよ」と答えた。そこで3日目がつながり、皆勤が見えてきた、というわけだ。きっかけはどこで降ってくるかわからない。平日はドーナッツを買ってそのまま職場に行った。寒稽古中に食べたドーナッツは8個。

やってみなければわからないもので、寒稽古が終わってから、予想を超える効果を感じている。朝稽古がさほど「おおごと」ではなくなり、今週の通常稽古も火曜と木曜に参加した。7日連続参加したことが自信につながっている。自分はできるのだ、と思える。行けない理由がない。

さらに、こども。寒稽古中、平日の朝はわたし無しでこどもは過ごし、朝ごはんを食べて学校に行っている。これが不安だったけど、問題なくできているので、つきっきりじゃなくてもいいらしい、ということがわかった。私がいないことによって、父子の朝のリズムができたのかもしれない。これができたのは、やはり寒稽古前にYさんと話した、子にだんだん任せる、ということが影響していると思う。「ままが合気道に行って楽しいなら、僕はそれでいいよ」と言っていた。

そして、体。頭でいろいろ考えるより先に体が朝稽古に慣れている。1週間も続けると、体が自然と動くようになっているのだ。筋肉ができかけているのでいちいち筋肉痛になることもない。そして、当たり前だけど、体が軽くて、ごはんがおいしくて、夜はよく眠れる。少しぐらい寒くてもビクビクぶるぶるしない。体を動かして通勤すると、さわやかに1日が始まり、イライラもないし心の余裕が違う。

合気道に会えてよかったなと思う。こういう、「ずっと続けるといいことある」ことに、人生のどこで出会うか、はカギとなると思う。顔を上げて、前を向いて、息をするように行動をすること。

Sunday, 11 January 2026

ほんとは見てるんだけど、見てない

3連休初日。新年最初の合気道に行ってきた。しっかり汗をかいた。汗なんて家を出るときは想像もつかない。動くとすっきりする。肩や背中のこりがとれる。なにかしらこの2週間つまっていたものがとれた感じがする。気持ちよかった。

稽古前、Yさんに「きょうは、ジュニアは」と聞かれた。「寝てるとありがたいんですけど、まあ、朝ごはんとか、8時前に帰ったらなんとかなるかなと思って。わたしがいなくても冷蔵庫開けてくれれば。だんだん慣れてきました。」

「なるほどね。いなくても大丈夫だよ、お母さんの好きなことやっていいよってね」

「むしろいないほうがいい、みたいなこともよくあります」

「そうかもね。だんだんそうなるよね。ほんとは見てるんだけど、見てない、ぐらいがいいかもね。あんまり、あれしなさいこれしなさいって言うよりは。世話されたくなくなってくるから。特に男の子はね」

「なるほど。最近は、みないで、とか、こないで、とか多いですね」

「うん、合気道と同じで、適度な間合いが必要。相手の懐に入り込んじゃうと技かからないけど少し距離をとったぐらいがいい。離れすぎてもいけないけど」

という、たいへんためになる会話だった。もちろん自分でもわかっているつもりだけど、こうやって人と話すことであらためて気付かされることがある。人生の先輩からの言葉は貴重なのである。

帰ってから掃除、洗濯、買い物をし、クロスタータを焼いた。昼には味噌煮込みうどんを食べて、図書館で3時間くらい雑誌を読みあさった。栄養補給したような気持ちで図書館をさる。

1月の、新年があけて次の週末がとても好きだ。寒くても、好きだ。たいていの場合とくに予定がなくて、家にいてぬくぬくしながら好きなことをする。すこし新しい気持ちで家の整理をしたり作ったことのない料理を作ったりする。

きょうは少し気温が上がったようだ。太陽は出ていなくて風が強い。なのにそんなに寒くはない。変な天気。

Thursday, 8 January 2026

始業もろもろ

 寒い。さすが1月。12月とは違う。仕事は問題なく再開し、まだ2日しか働いていないのに冬休みが遠いことのように感じられる。あっという間に日常に戻った。そういうものだろう。

読みかけで返却せざるをえなかった"The Remains of the Day"がふたたびめぐってきたので、早速借りて昨日から読んでいる。久しぶりだけどすらすら読める。読み始めがあんなに読みにくかったスティーブンスの語りがいまでは心地よく感じられる。あと1章で読み終えるのが惜しい。

きょうから子の学校も再開する。上履きと、宿題と、ぞうきんを持たせて登校させる。3学期はあっと言うまに終わってしまう。

この2週間くらい、体重が正常に戻っていて、なんだか動きやすい。とくにダイエットしたわけでもなかったけど。1kg重いとやっぱり重く感じるものだ。

さてきょうも仕事。

Tuesday, 6 January 2026

冬休みを終えて

きのう東京に戻った。航空券を6月に買っていたので前方の席を選ぶことができた。これに限る。来年の航空券だっておそらく今買うことができる。

東京はいつものように晴れていてそれほど寒くなかった。いつもこうだ。年始の天気予報を見ても東京だけは晴れている。空港は混んでいたが、電車とちがって、混んでいることによる混乱はさほどない。なにしろ席が確保されているのだから。

姪っ子たちと楽しい冬休みを過ごすことができた。郷里に帰るかどうか、を何年も考えていた。これだけは答えが出なかったのだが、なんとなく私の居場所は東京のような気がしてきた。これといって決定的な出来事があったわけではないが、自然とそう感じている。考えているというより感じている。きょうだいの家族が実家に住み始めたことや、合気道が楽しいと思えていることなど、要因はいくつか考えられる。それでも、家というものを持ちたいという気持ちはある。その場所がどこなのかはまだ答えは出ない。いずれ降ってくるのかもしれない。焦ることでもないと思う。

東京の賃貸はとても小さいが、コンパクトに暮らすのが心地よくもある。わたしは多くのものを所有したくないタイプの人なので、自由に使える場所は限られたほうが良い。

時間も、スペースも、終わりや限りがあるおかげで、動きが軽くなる。

さてきょうは仕事始め。久しぶりに働くときには「ちゃんと戻れるんだろうか」と気にかかった時期もあるが、たいてい30分も経てば戻る。1年の育休から戻ったときだってそうだった。そもそも、わたしが「ちゃんと戻っている」かどうかなんて気にしている人は誰もいないのである。

Friday, 2 January 2026

私は後悔するだろうか

 あけましておめでとうございます。1日にも書けたんだけど書かなかった。

庭の見える縁側に座って毎朝読書をしている。きょうはDear LifeのなかのCorrieを読み終えた。

ブラインドをあけて空の色が変わるのをみながら過ごすのだがきょうは山の輪郭がいっこうに見えてこない。めずらしいなと思っていたらなんと雪が降っている。これは驚いた。寒いとは思っていたけどこんなことになっていたとは。

郷里で雪が降るのを見るのはいつぶりだろうか、と考えたけどもう思い出せない。きれいに切り揃えられた庭の植木はたいそう美しく、カレンダーの写真のようだ。

元日は、家族が体調不良というのもあり、初詣にはいかなかった。こういう年もあるだろう。家でおめでとうを言って、めいめいにごろごろすごした。ネットフリックスを見たり、オセロをしたりして楽しんだ。これでいい。

新しい誓いがなにかあるだろうか?と考えるが、やはりとくにかわったことはなく、健康に過ごすことに尽きる。新年だからと言って何か新しいことが降ってくるわけでもない。たいてい思いついたそのときがきっかけなので気張ることはない。毎年同じことを言っているようだけど、やっぱりそう。どんなにがんばっても「今年の目標」は出てこない。そういうもんだろうと思う。

「後悔しないように生きる」ということばをよく聞く。先日も海外の俳優がインタビューで、英語でそう言っている動画をみて、なるほどそうかと思って、ときどき思い出して考えてみるけど、わたしは果たして後悔をするだろうか。

たとえば今までの人生での後悔はない。「あのときああしていれば」と思うことはあるけどその先は「あのときああしていればどうなっただろうか」であって「あのときああしていればよかった」ではない。選んだ道を悔いてはいない。つまり今が不幸ではないから。もし今、不幸を感じていたら「あのときああしていればよかった」になるのかもしれない。

たとえばピアノがひけたらよかった、とは、確かに思う。でもピアノにかけられたかもしれない時間は別のことを経験していたわけで、その時間が無駄だったとは思わない。弾けるに越したことはないが弾けなくても楽しく生きられる。

健康に生きるためには毎日決まった時間に行うことがたくさんある。つまり習慣。習慣によって1日が成り立つので、それ以外のことが入り込む隙間はあまりない。(よき)習慣を繰り返している間に時が過ぎていく。

それによって目指すところは、結局なんだろうか。究極のところ、人の役に立つことなのかもしれない。自分がまともに立っていられることで、倒れそうな誰かを支えられるかもしれない。いや、人の役に立つこと自体が目標ではなく、子でも親でも同僚でも友人でもなく自分の人生をしっかり生きることで、そういう、おまけとしての「人のための自分」も出てくるのかもしれない。中心は自分にある。主体的に生きること。

Wednesday, 31 December 2025

読書家ではない人の読書記録

25日に仕事おさめをするやいなや、帰省している。遅くなればなるほど航空券代は高くなり、空港は混むということは明らかだ。今回はなんと6月に予約していた。それもあって夏以降、そわそわすることはなく過ごせた。これで良いのだろう。

冬に郷里以外のどこかへでかけたいとはあまり(いや、ほとんど)思わない。この短い期間にいっせいに人が動くわけだから、どこへ行っても混むし高い。海外に行く人の話を聞くたびに「よく行こうと思うよなあ」と、むしろ感心してしまう。羨ましくはない。いってもたったの1週間程度だ。英国留学中を除いて一度も、お正月を海外で過ごしたことはない。

読書の記録。

カズオ・イシグロのThe Remains of the Dayの最後の一章を残して、図書館での返却期限が来てしまったためやむなく返却をしたのが数週間前。仕方がなかったので読みかけていたアリス・マンローのDear Lifeに戻った。読みかけといっても短編なのでスタートしやすい。こういうときに短編はいいなと思う。最初の一話しか読んでいなかったので二つめの話から順番に読んでいる。二話以降もとても面白い。女性の視点から語られるので共感しやすい。場面が想像できる。こんなに面白いものをよく今まで何年も本棚に放置していたものだ。

しかし今朝読んだ"Pride"という話が今までと全然違った感じがしたので、気になっていろいろな書評や、読者の感想を読んでみた。まず語り手が男性だったという点。これに終盤まで気づかなかった。そして会話はほとんどなくて、語り手が淡々と語っていく形式。「いつものアリスマンローではない」というコメントがいくつか見つかった。発表?された雑誌も違う。the New Yorkerが多かったのにこれはHarper'sらしい。編集者とどういうやりとりがあったんだろう、と書かれたものもあった。わたしもそう思う。そしてタイトルとの関連性も考えさせられる。

さてきょうで2025年が終わる。2015年は自分にとっていろいろあった年だった、とよく記憶しているのだが、そうかあれからもう10年も経ったということか。振り返ってもどうしようもないのでいつもふりかえらない。一つ、よかったことを挙げるとすれば、読書の習慣が身についてきたことだろう。8月から、英語の本を、毎日少しずつ読んだ。

Never Let Me Go
The Buried Giant
How to Pronounce Knife
Klara and the Sun
Slaughterhouse-Five
Dear Life(途中)
The Remains of the Day(途中)

誰も知らない自分だけの深い世界を持っているようで楽しい。生きる楽しみが増えたようにさえ感じる。日本語の本もいくつも読んだけど、良質の洋書を読んでいると日本語はおまけ程度に感じる。そもそも、さほど重い内容のものを読んでいないためだが、英語に比べてあっという間に読んでしまうのもある。

先日、恩師から、読書家の私に、と図書カードをもらった。読書家と呼ばれるにはほど遠いと思っていたけど実際に本は読んでいる。わたしが想像する読書家というのはもっとずっとレベルが違うのだが、読書家について定義があるわけでもない。そう呼ばれたことは嬉しかった。もっと若いときから、もっとたくさん読んでいればよかっただろう。この年になってようやく楽しさに目覚めた感はある。遅くはない。「村上春樹以外読まない人」からは脱した感じがする。

Thursday, 25 December 2025

まえむきな病み上がり

きのうは私も子も遅刻した。わたしは10時ごろ出勤し、子は10時半ごろ登校した。無理だろうかと思いながらも起こしてみたら元気になっていて、すっかり学校に行きたい気分だったようだ。いつも休みたいといいながらも時間になるとスッと出かけていくし、1日休んだ翌日に至ってはもはや楽しみなようだった。少しも引き続き休みたい様子はなかった。大きくなったものだ。

子は4時間だったようで、1時過ぎには帰宅した。心配でもあったので私も4時ごろには帰った。どうだった、と聞くと、たくさん話をしてくれた。疲れてはいるだろうけど、前向きな表情だった。3、4時間目と給食だけなので、さほど負担もなく行けたのだろうと思う。

姿を現すと、先生も仲間も名前をよんで喜んでくれたらしい。元気にはなったものの、夜はやはり早めに寝たほうがいいだろうと思い、ゲームもYoutubeもいつもより少なく制限した。

「なんでー、ぼくもう熱ないのに」
「やみあがりだからだよ」
「やみあがりってなに」
「具合悪いのが治ったばかりってこと」

8時前に布団にごろごろし始めた。大の字になりながら「2学期お疲れ様会の"最後の言葉"はぼくがやるんだよ」という。ほお、そうなの?と聞き返すと「うん、もうだいたい覚えた」と。試しに言ってみてと言うと、すらすら言ってくれた。こういう情報が出てくることは珍しい。寝ころがりながらきょう1日を反芻しているんだろうなと思った。

さらに「2時間目から行きたかったな、だって道徳だったんだもん」とも言ってびっくりした。道徳は好きらしい。

やっぱり集団の力は大きいなと思う。集団の影響力にはかなわない。こんなに前向きになれる。

きょうは2学期最後の日。担任の先生にひとことお礼を書こうと思う。

寒稽古効果

12日から1週間続く寒稽古に皆勤した。7日間連続で、朝6時半からの稽古に参加したということだ。今までの人生になかったことだった。自分でそう言うのはたいへんおこがましいが「快挙だ、よくやったぞ」と思った。一年で一番寒い時期に、朝6時に家を出るのはとても勇気がいることだったが、なんと...