Friday 31 July 2015

親知らず、着いて2日目の雑感

目が覚めて、さて朝ご飯だ、と張り切っていたのだがふと時計を見るとまだ午前3時半だった。いつもの体内時計で動いているのだろう。もう一回寝て、7時頃朝ご飯を食べて来た。コルネットとカプチーノ。朝はこの組み合わせが一番好きだ。例えば和定食もありがたいけど、とりあえず甘いものが食べたい。

ぐっすり眠ったつもりだが、疲れは取れていない。顔色も良くないし目の下のくまも取れないし、全体的にむくんだように見える。

先週から親知らずの痛みが続いていた。最初は大したこと無かったし、左側だけだったのだが、これが今週に入り右側にも痛みが移ってきた。そして出発の前日、痛みがピークに来た。しゃべるのもつらいし、食べ物を口に入れることもできない。ここまでひどい痛みは今まで無かったし、はっきり言って人ごとだと思っていた。冗談にもならない痛みである。

長期の旅行でこれが続いたら困ると思ったので、29日夕方、緊急に歯医者へ行った。左は半分くらい生えているのが見えるのだが、右は何も見えない。で、レントゲンを撮って、7年前と比べてみた。左はだいぶ出て来たようだが、右は「これはもう出て来ないかなー」らしい。なんと、転がったような形で生えて来ていてた。つまり、まっすぐじゃないのだ。あー、これも人ごとだと思っていたのに。

これと一緒に生きて行くなんて…。もちろん抜くこともできる。しかし歯肉の下にあるものを抜くということは切開することになりこれは大手術になる。怖いし、できることなら避けたい。

寝る間も、ずっと続いた痛みは、飛行機の中でなんとか終息したが、痛み止めがなかったら大変なことになっていたと思う。実際、痛み止めの効き目が切れたときがはっきり分かるくらいにまで痛みがぶり返していたから。

だましだまし、一緒に生きて行くしかない。とりあえず、ヨーロッパにいるこの三週間の間に復活しなければ良いと願っている。

きょうはこれからウクライナに行く。飛行機は13時10分。午前中はホテルでのんびり過ごすことにする。わざわざローマ観光をつめ込んだりしない。

昨日、レストランのカメリエーレと話していて初めて知ったが、フィウミチーノ空港近くで火災があり出発便に大幅な遅れが発生したらしい。そのことについて朝の討論番組でもだいぶ盛り上がっていた。

それから番組は「イタリア人のバカンスについて」にテーマが移った。そもそも人の話を聞くつもりの無い人たちが5人も6人も集まって話すのだが、これがイタリアの番組はスタンダードである。チャンネルを回すと必ずこのタイプの番組が目に入ってくる。

空港の件もこんな感じ:
「首都の空港でこんなことがあるなんて」
「問題は、責任をとれる人がいないってことよ」
「もっとちゃんとしてくれないと」

それから、「日本人のカップルが全然違う場所にタクシーで連れてかれた」話が出て来て、「恥ずかしいわ、まったく」と嘆く。

本当に恥ずかしいと思っているかどうか分からないが、イタリアのいい加減さ改善される様子はまったくないし、むしろこの人たちはそれも自分たちの魅力の1つだと認識している。日本人はまじめで純粋な国民で、その対局にあたるこの国では永遠にだまされ、同時に好意的に見られ続ける。

きのうのシェフも"sempre ammirato",つまり「日本はいつも賞賛の対象」と言っていた。

ローマに着いた

朝6時ちょうどに家を出て、成田へ。
フランクフルトを経由してローマへ。
乗り継ぎがあるので、やっぱりニューヨーク直行便などと比べると、とにかく体力と気力が要る。まあこの10年でだいぶ慣れたけど。

2年ぶりのイタリアである。この空気が嬉しくて仕方ない。
特別な感じも何もしないのだが、ずっとここに来たかったのだ、と思う。
明日すぐにまた空港に戻る予定なので、きょうは空港からすぐのホテルに泊まっている。
海の近くなので、日没を眺めた。それから適当なレストランに入ったらこれが美味しかった。
カメリエーレもシェフもすぐに声をかけてきて、色々しゃべる。
この人たちの、肩の力の抜け方を肌で感じる。「人間」に興味津々なのだ。
 ヴォンゴレとポルチー二のタリオリーニ。めちゃくちゃ美味しかった。どうやって作ったのか考えながら食べていたら、「オリーブオイル、にんにく、塩、パルミジャーノをすこし、だよ」と言われた。てっきりバターが入っていると思っていたのだが。美味しいものに限って、シンプルなのである。こういう瞬間に、この民族の哲学を感じる。
色々書きたいことはあるけど、とりあえず今日はこれで終わり。
元気であることと、イタリアに身を置けて幸せだということをここに報告します。

Wednesday 29 July 2015

新しいこと

夜が明けて、かならず新しい1日がやってくる。
文字通り、毎日が新しい。
そして新しいことが少なくとも一つは起きる、またはある。
知らなかったことを知り、できなかったことができるようになる。
歩いたことのなかった道に入ってみたり、昨日まで他人だった人と会話を交わす。
生後六ヶ月の子どもであれ、40才の大人であれ、そのことについて変わりは無いのである。

さて、この夏さいごの仕事に行ってきます。

Tuesday 28 July 2015

ゆるい職場、夏の睡眠

やはり暑過ぎると睡眠の質が落ちる。おとといの夜は、今年初めてエアコンをつけて寝てみたものの、やっぱりつけっぱなしは身体に良くないので途中から扇風機に変えた。それでもぐっすり眠れた感じはしない。まあ夏の睡眠なんてこんなものだろう。

昨日は仕事だった。午後からの予定だったが、朝から行かないとどんどん暑くなってしまうので、7.30ごろには出た。

夏休みモードの職場は、全体的にとてもゆる〜い感じが漂う。そしてとても静かだ。結構この季節の職場は好きだ。

カフェに行って考え事をして日記を書いた。ここ数年、インプット量が少ない。特に、本を読んでいない。読書というものから遠ざかったきっかけは電車通勤じゃなくなったことだ。これは大きい。常に「今読んでる本」というのがあったのに。

さて、きょうもそろそろ仕事に行くとします。昨日よりはだいぶ涼しそう。

Monday 27 July 2015

ネパール料理、動物占い

月曜になりました。目覚ましをかけずに6時に起きた。今朝は昨日ほど暑くない気がします。気がするだけかなあ。体重がいっこうに減らないのだが、だからといって特に何をするわけでもなく、普通に食べて普通に生きる。これで良いのだろうと信じながら…。きょうは久しぶりに仕事に行く。午後からで良いのだが、午後から出るとなると暑くて死にそうになるので涼しい午前中のうちに出かけることにする。

昨日は友達とネパール料理屋さんに行った。かおるさんという方が1人で経営している小さなレストランで、住宅地のなかにある。
前菜のプレート↑
ズッキーニのカレー。

そういえば前日のお昼もカレーだった。
でも種類が全然違う。ここの料理はスパイスをたくさん使っていて、同時に日本人の味覚に合うように料理されている。昨日はお店が始まって17周年だそうだ。

かおるさんはとても気さくで笑顔が素敵な方だ。1度行ったことがあったのだが、なんと私のことを覚えていた。「お元気ですか」と言われて、嬉しかった。

ところで昨日、レストランに「動物占い」という本が置いてあって、気になったので見てみた。昔流行ったらしいが、今初めて試した。これがびっくりするほど当たっている。まるで私のことを知って書いたのかと思うくらいだ。

ちなみに私はペガサスで、12いる動物の中で、1つだけ架空の動物である。

「束縛されるのが大嫌い」で「面倒くさがり」で「直感に従う」らしい。一番当たっていると思ったのが「集団で行動しているといつの間にか姿を消している」そうだ。これは幼稚園の頃からそうで、遠足であれお散歩であれお遊戯であれ輪や列の中に身をおくことができなかった。その場にいたとしても違和感を感じていた。今だってそうだ。みんなで揃って歩いたり、輪になることが本当に苦手なので、実際にふらっとどこかに行ってしまったりすることがある。とにかく型とか枠にはめられるのが、苦手(というより生理的に嫌う)のである。

血液型占いはまず信じていないが、生年月日によるものはまだ信憑性がある気がする。友人のなかに1人だけ同じ生年月日がいるが、彼女もやはりペガサスに該当する。

同じように家族の誕生日で調べてみたのだが、これは全然当たっていなかった。ま、やっぱり占いは占いに過ぎないのかな。

Sunday 26 July 2015

国立博物館、ライブ

部屋にいて、暑くて暑くて、もうどうしようかと思っていた。そこでアイスクリームを食べてみたところ、汗がひきました。本当に身体の温度が下がるらしい。すごいですね。

今朝は、額をつたう汗で目が覚めました。朝から、かんかん照り。干した洗濯物があっという間に乾くのは嬉しいんだけど、もう少し気温が低くてもいいかもしれない。

昨日(7/26)のレビュー:

ふと思い立って国立博物館に行くことにした。定期的に「ふと」1人で行きたくなる場所のひとつ。前回はたぶん冬に行ったと思う。それと、カレーを食べたいと思った。私の場合、上野に行くこととカレーを食べにいくことはもはやセットになっている。

近くにある国立西洋美術館や東京都美術館などよりも国立博物館の常設展を見る方がいい。というのは、特別展はとにかく人が多い。展示よりも人間を見にいくようなものだ。しかも、鑑賞マナーがなってない人が多い。欧米でいくつも美術館に行った経験から、日本人の鑑賞態度は良いとは言えないと思っている。具体的には、展示に近づきすぎる、人にぶつかりまくる、など。それに、とにかく「チケット代の元をとろう」としている人ばかりに見えてくる。

で、国立博物館は展示内容が夏仕様になっていた。着物のコレクションが興味深かった。麻などの記事でできた帷子(かたびら)や小袖は見るからに涼しそうだった。

2階、第10室の浮世絵も夏仕様だった。「猫のすずみ」↓は面白かった!
やっぱり行くたびに新しい発見がある。

5時頃帰ってから、すぐに合気道へ。暑すぎて目が回りそうになった。それでもやっぱり行って良かったと思った。汗だくになる(ぽたぽたと汗がしたたりおちて、拭いても拭いても汗が止まらない)ことが習慣化すると、日常生活で汗をかくことがさほど不快ではなくなってくる気がしている。むしろ気持ち良い。そして、手ぬぐいさえあれば快適に過ごせる。

終わってからすぐに、うちの近くのライブハウスへ。友達が演奏するので久しぶりに聴きに行くことにした。いやー、良かった!ブラジル音楽がとても夏らしくて、心地よかった。CDとは違う。生の音楽に敵うものは無い。ビールがますます美味しい。

テレビの制作にかかわる友人が「衣食住ではないけど、なにか大事なものを提供したい」と以前話していたのをときどき思い出す。こういった、展示物や音楽、映画などの、形で残らないけど大事なものに触れることは、実は、衣食住と同じくらいに欠かせないものである。無くても困らないかもしれない、だけど、だんだん心がすさんでくる。あると心は豊かになるし、より人生が楽しくなる。細胞に時々吸収させなければいけない。水をあげると、ぐったりしているひまわりがしゃきんとなるのと同じことである。

きょうのことも書こうと思ったけど、きのうのことだけでいっぱいになったのできょうはこれで終わり。

Friday 24 July 2015

山から帰還して稽古

昨日、山から戻った。
2回の登山に耐えた。今年は体調がよろしくなく、調子よく登れなかった。
特に2回目のほうは息があがり、頭痛がして、さらに親知らずまで痛み始め、辛かった。天気が良すぎたというのもある。そもそも3時40分起床で2回も山に登るわけだから、寝不足なのだ。そりゃ頭痛もする。

1年間でもっとも苦痛であるこの5日間を終えた。これが私にとっての年明けである。ここからようやく新しい年が始まると言っても過言ではない。

帰ってから体組成計に乗ると、いつものように筋肉が2kg増え、筋肉レベルが2上がり、同時に体重が2kg増えていた。体脂肪は減る。体内年齢は19歳。毎年のことである。これが、数週間のうちにだんだん元に戻って行く。

帰路、登山に耐えた自分への小さなご褒美として、サービスエリアでハンカチ等を買う。2年前は小風呂敷、去年は自転車模様のハンカチを買った。
今年は言うまでもなく、手ぬぐいである。
買ったのはこれ↓

ちっちゃい侍がいっぱい。
本当は、合気道の柄だったらもっと良かったのだが、まあ立ち振る舞いは基本的に似ているのでこれで良い。かわいい。
この画像ではよく分らないけど、背景はまったくの白ではなく、少しシックな感じの白である。気に入ったので今日1日はこれを持ち歩き、稽古にもこれを持って行った。

きょうは約1週間ぶりの稽古。
昼ごろ雨が降ってきたので、夕方は行けなくなるのではないかと心配したが、結局雨が止んでよかった。

とても暑かったし、身体が重い感じがしたし、筋肉痛も残っているので、行こうかどうしようか最初は迷ったけど、稽古が終わったらとても気持ちが良かった。滝のような汗をかいた。やっぱり行ってよかった。

稽古の何が良いかというと、色々な人に挨拶をし、会話ができるということである。天気のことから、仕事のことまで。
「こんにちは」
「こんにちは」
「暑いですね」
「そうですね」
たったこれだけのやりとりで爽やかな気持ちになる。

みんな違うけど、共通しているのは合気道で、道場に入るとみんなフラットな関係になる。先生の言う「白紙」である。礼儀正しくあること、相手に敬意を払うこと、大事なのはそういったこと。宗教も、年齢も、職業も、関係ない。

きょうの先生の話で印象に残ったのは「いつも初心で」ということ。
経験があるからといって偉そうな顔をして道場に入って行くのではない。

年も経験も性別も関係ない。みんなが白紙状態で始める。

合気道を初めて2ヶ月が経つ。自分に合っている気がするのは、たぶん、合気道のこういった精神が肌に合うからだと思う。スポーツには(独特の、変な)上下関係がつき物のような気がしていた。だから部活でうまくいったためしがなかった。しかしそうでは無いことを身をもって知った。こういう居心地の良い場もあるのだ。

変な上下関係の厳しさが無いスポーツ。素敵だと思いませんか。

Saturday 18 July 2015

仕事納めに2つの「新」

昨日は2つの「新」があった。

いったん昨日で仕事に区切りがついた。大きなトラブルもなく4月からここまで来れて良かった。同僚を含め、助けくれた色々な人たちに感謝である。4時前には帰宅。

それからヨドバシカメラへ。携帯を新調することにしたのだ。ガラケーから、ガラケーへ、である。いまどき珍しいのだが、スマホを特に必要だと思ったことが無い。しかも、今、毎月1200円程度しか払っていないのにわざわざその倍以上の値段を選択することも無い。今の携帯を買ったのは、覚えている限りでは2007年か2008年。それから買い換えることもなくずっと使い続けてきたのだが、ついに壊れ始めた。キーが言うことをきかなくなったり、赤いランプが点滅することが最近あった。その間、友達からの電話とメールを受け付けなかった。バッテリーもかなり古い。

今までも、電源がつかなくなることはあったのだが、今回ばかりはさすがに、これはついに買い替え時かなと、思った。おかげでここ数日は家族に電話ができなかった。いや、電話しても大丈夫だったのかもしれないけど、あの赤いランプを見ると、まさに携帯が「息も絶え絶え」であることを身をもって感じてしまい、それを使うとなると、たとえばヨボヨボの90歳のおじいちゃんを走らせているような、そういう申し訳なさがあった。以前は「これが壊れたら、持たなくても良い」と言っていたのだが、いざ、電話さえできないとなると不便だと思った。

しかも昨日、「ハッ」と思い出したことがある。先月、インターネットを新しく契約したのだが、そのときにヨドバシからもらった「1万円分 クーポン引換券」があったのだ。そのことを今までずっと忘れていた。家に帰って確認をしたら、なくしていなかったので、そのまま券を持って、ヨドバシへ。

これは、携帯を買い換えろということなのだろう、と思った。訪れるべきタイミングだったのだ。しかも今まで使ったことのなかったauのポイントというものを全部使ったら、結局自分で払った額は11000円ぐらいだった。お得だ。

そもそも携帯というものにそんなにお金をかけるのはバカバカしいという考えがあるので、この額で新調できたというのは、私としては満足である。電話さえかけられればそれでいいのだ。

そこから恵比寿へ。友達に会う。金曜の夜、恵比寿、というと少し良い店に行きそうなイメージがあるのだが、友達が指定した場所はなんとサイゼリヤ。「恵比寿で?」と思わず聞き返してしまった。

サイゼリヤ初体験、である。なんとなく、食べ物はスカスカで、素材を馬鹿にしたようなものが出てくるのではないかと思っていた。パスタを作るのであれば自分で作ったほうが断然美味しく作れる。

しかし、予想を裏切る質だった。「満足」というほどの質ではないが、あの値段にしてよくこれだけのものが作れるなあという感想である。安さも、想像以上(以下?)の値段だった。サラダが300円以下、パスタが500円以下。馬鹿にできないなあと思った。2人で食べたい放題頼んで(ハンバーグ、サラダ、パスタ、ピラフ)各1000円ぐらい。

友達の話が面白すぎた。めちゃくちゃ笑った。話をきいてるだけで、愉快で仕方が無い友達がいる。というかその存在自体が嬉しい。人とのつながりはどこで始まってどこで終わるか分らないけど、続けたいものに関しては、その関係に敬意を払い、会おうとする手間は惜しむべきではない。

Thursday 16 July 2015

ブルーベリーヨーグルト

雨が降っている。今夜は友人に会う予定なのだが、それまでには雨が弱まっているといい。

9年間使っている携帯がついに壊れかけている。メッセージを受信できなかったり電話できなかったりすることがある。ここ2ヶ月、集中的に携帯を使わねばならないことが多かったので、たぶんそれで疲れたんだろう。9年ということは携帯年齢で言うと90歳ぐらいである(たぶん)。いたわってあげなければいけないのだが、なにせ、本当に満身創痍なので安らかに眠ってもらったほうが携帯も本望かもしれない。

さて、軽い話をひとつ。

明治エッセルのスーパーカップというアイスクリームがあるが、その「ブルーベリーヨーグルト」が驚くべき美味しさだ、という話。

最近、合気道が終わって家に帰る途中、スーパーでCCレモン(またはファンタ)とアイスクリームを買って帰るのが習慣している。CCレモンは店の出口のところで飲む。爽快だ。
スーパーだとアイスクリームもジュースも安く買えるからいい。
かつて使っていたスーパーには、高級アイスクリームしか売っていなかった。だからスーパーカップも無かった。ただ最近使い始めたこのスーパーには、なんでも置いてあって、あるときふとスーパーカップが目に留まった。運動をして汗をかいた直後は、バニラやチョコレートというより、シャーベットなどのさっぱりしたものが食べたい。でも、100円前後で買えるシャーベットは、砂糖と水でできました感が強いものが多い。そこでその中間をいくような「ブルーベリーヨーグルト」が目に留まった。ためしに買ってみることにした。

これが、驚くべき美味しさなのだ。
繰返す。驚 く べ き 美味しさ!

スーパーカップというとそもそも量も多いし、バニラやチョコレートだと「食べ応え」があるし、重いと感じるときもある。なのに、ブルーベリーヨーグルトはさっぱりしている。たぶん季節限定で発売されたのだと思うが、これは定番化しても良いのではないだろうか。それで、昨日とおととい、同じものを求めてスーパーに行ったのだが、売り切れていた。仕方ないので「爽」の「冷凍みかん」を買った。これもまた美味しかったのだが、やっぱりブルーベリーヨーグルトには敵わない。

ところで最近体重が増えて、運動しても減らない。どうしてかなと考えてみたけど、間違いなく、食べすぎだろう。しかも食事に加えて、甘いものと身体を冷やすものばかり食べている。分っているんだけどね。やめられないよね。だって美味しいんだもんね。

Wednesday 15 July 2015

続けること

昨日はちょっといいことがあった。
合気道で昇級したのだ。
昇級と言っても、「新入門者」から「五級」になったので、本当に最初のステップ、という感じだ。
それでも嬉しい!日々のつみかさねが人に認められるというのはこんなにも嬉しい。合気道を始めてちょうど2ヶ月になる。あっという間の2ヶ月だった。
初めの初めに比べると、だいぶ慣れてきたと思う。まだまだ考えてしまうので、「頭を白紙にして」できるほどではないが、それでも最初よりはマシだ。

「稽古を続けると、できなかったことが、できるようになるんですねえ」

というのは、先生のセリフ。
これを聞くといつもうなずいてしまう。

努力は人を裏切らない。
継続は力なり。
何かを極めるのに近道は無い。

30年以上を生きているけど、こういった言葉を私はまるごと信じている。それを実感した経験が何度もあるからだ。継続による恩恵をたくさん受けている。
私はもともと、辛抱ができる人間であり、かつ、楽観的である。私のような人間にとって、何かを毎日こつこつ続けることは、合っていると思う。
もちろん、興味の無いことには徹底的に興味が無いし、飽きるときは飽きるのだが。

長く続けるコツは、

1、毎日
2、少しずつ

これに尽きると思う。規則正しい生活を好む私にとっては特にうまく行くスタイルだと思う。
そういう中でも、ひらめきや、勢いといった、感覚的な部分、つまり直感のままに動くときもあるわけだが、直感というのはルーティンがあるからこそ養われていくのかもしれない。

さて、仕事行ってこよう。

Tuesday 14 July 2015

夏はすてき

夏は紫外線が気になるし、汗をかくし、何より暑い。

それでも、だ。
嫌いになれない。なんでだろう?
汗をかくと、生きている感じがする。
特に夏の夜が好きで好きで仕方ない。あんなに素敵な時間帯と、空気がほかにあるだろうか。
空が変な色になって、それから生暖かい風が吹いて、だんだん涼しくなってくる。日中の熱が収まったあとの夜の街を歩くと、とても自由な気持ちになる。そこから、手ぶらでどこへでも行けるような自由さ。気ままに友人に会ってその辺でビールを飲んだり、音楽を聴きに行ったり。自転車で駆け抜けるのも良い。
短い夏を存分に楽しもう。

やっぱりそう考えると人生結構おもしろくて、欠かせない瞬間がたくさんある。まだ会ったことない人と会う瞬間が、一秒一秒過ぎて行っている。面白いことが起こる可能性もそこらじゅうに転がっている。たとえば夏は、家でじっとしているよりは外に出たくなる。楽しいことがいっぱい待ってる季節なのだ。

Sunday 12 July 2015

粋な与三郎手ぬぐい

アマゾンで買うのはあまり粋じゃないかもなんて書いたけど結局買ってしまった。与三郎の手ぬぐい。ただデザインが良いからというわけではなくこの演目を実際に見たというところに意味があると思っている。美術館などで絵はがきを買うときにも同じことを考える。実際に見て、心を揺さぶられたような場合には、その絵はがきをミュージアム・ショップなどで購入することがある。今回も、やはり与三郎の話をとても面白いと思って見たからこそこの手ぬぐいを(わざわざアマゾンを通してまで)買おうと思った。

それにしても紺と白の二色っていうのが粋だ。「紺」である。「ネイビー」じゃなくて。格好良すぎて、窓枠にかけて眺めては満足している。なんという幸せ。大した買い物では無いのにこんなに満たされる。


ところで、手ぬぐいの裾はどうして切りっぱなしになっているのか、という点についてずっと気になっていた。つまり、裾が縫われていない。使っていると糸がほつれてくる。はじめ、それが気になって使うのを避けていた。洗濯もしにくいような気がした。

だけど少し調べてみたら、気にせずに使っていればほつれなくなってくる、とあった。さらに、切りっぱなしのほうが汚れがたまることもないし、清潔だということだ。なるほど、そう言われればそうである。確かに、手ぬぐいの裾が縫ってあったら「野暮」だ。

「野暮」という言葉は先日の歌舞伎で学んだ。お金を欲しがる蝙蝠安が、もらった額が少なくて受け取らないという場面があった。5万円あげられるのに2000円しかあげない、そしてそれを受け取るのを「野暮」だと言っていた。格好悪い、みたいな感じだろうか。「粋」の反対だと思えば分かりやすい。

となると、たいていのことは「粋」か「野暮」で片付いちゃうなあ。

洗濯したての手ぬぐいが、7月の太陽の下で風にひらひら翻る様子は、たいそう美しく、粋である。江戸の人々もこんな感じで洗濯物を干していたのだろうか。

Friday 10 July 2015

7月大歌舞伎

昨日は歌舞伎座へ。

7月大歌舞伎。想像以上に面白かった。今まで、何回か歌舞伎を見に行ったことはあるのだが、一番面白かった。ストーリーも分りやすかったし、役者の動きも面白くて、目が離せなかった。さらにアドリブみたいなやりとりもあって、笑う場がたくさんあった。

役者の顔ぶれが豪華である。海老蔵、獅童、玉三郎、中車、猿之助…。
「与話情浮名横櫛」では、海老蔵と玉三郎が共演する。

こんなに楽しめたのは、歳のせいだろうか?とも思ったが、たぶんこの7月大歌舞伎が特別に面白
かったのだろう。それでもこれまでと違った視点があったのは、衣服や舞台の色づかいである。あまり今まで気づかなかったのだが、例えば与三郎の着物の水色。(ほかに言葉を知らない。たぶんあの色を表す、ちゃんとした言葉があるはず。)江戸で放蕩する若旦那のしゃれた様子がこれで分るのだ。粋である。

そして、あの浄瑠璃と三味線と太鼓の音が好きだ。リズムが何ともいえない。全体を合わせて、とにかく「粋」である。これが「粋」だとされる場所に生まれたことを幸運に、誇りに思った。

歌舞伎に詳しくはないのだが、これはまた見に行ってみようかなと思えた。


気に入った手ぬぐいを一枚、毎日洗っていつも使っているのだが、昨日、与三郎の手ぬぐいを見かけたので買おうと思ったら売り切れだった。うーん、欲しいなあと思ったらアマゾンにあったから買おうかな。本来は歌舞伎座でその日に買うのが良いんだけど…。アマゾンで買ったらあんまり粋じゃないかな。笑

Thursday 9 July 2015

涼しい7月朝のつぶやき

合気道で出会ったロシア、ウラジオストクの人からチョコレートをもらった。2週間滞在するので宜しくお願いします、だそうだ。キリル文字が読めないので、なんと書いてあるか分らない。この夏にはウクライナへ行く予定である。それまでに少しでも勉強してから行こうと思っている。それが礼儀ってもんだ。なんちゃって。
今朝、チョコレートを食べてみたら、美味しかった。レーズンとヘーゼルナッツ入り。ロシア語の挨拶なんて「ズドラストヴィーチェ」ぐらいしか知らなくてきちんと御礼が言えなかった。「ありがとう」を習ったんだけど「ダース・ヴィ・ダーニェ」みたいな感じだった気がする。もう忘れた。また使わないとすぐ忘れるんだ。

朝起きてすぐは、甘いものが食べたい。チョコレートとか、つぶ餡とか、ビスケットとか。かれこれ10年ぐらいそういう生活である。健康に良いかどうかは別として、とりあえず元気でいるので、まあこれでいいかなと思っている。あとは、紅茶かコーヒー。和定食を食べられるならそれに越したことは無いが、まあ、朝から料理をする気にはならないので。

ところでさっきイタリア語講座を聞いていたら、「この蚊はうっとうしい」を"Questa zanzara e' noiosa."と言っていて、「?」と思った。noiosaとは、「つまらない」という意味である。うっとうしい、と言うならfastidiosaではなかろうか。おかしいなあ。でもnoiosaにもうっとうしいという意味があるのかもしれないなあ、と思った。

そしたら番組の終わりごろの復習コーナーで「この蚊はうっとうしい、questa zanzara e' fastidiosa」と言っていた。どうやらはじめのnoiosaは間違いだったらしい。しかしながら間違いは訂正されることもなく、講座は終了した。これを編集している人たちも、イタリア語ができるとは限らないだろうし、間違いに気づく人が誰もいなかったのだろう。ブログでも繰返し書いているが、英語以外の語学講座はかなりユルい。そういうところが好きでもあるのだが。

今日はこれから歌舞伎を見に行く。7月大歌舞伎。天気はちっとも夏っぽくないのだが、この季節がやってくると、おお、夏休みが近づいてきたな、という感じがする。

村上春樹のエッセイが発売されるということを昨日知った。「村上さんのところ」に続いて、「職業としいての小説家」である。夏休みに読めるかと思ったら、9月の発売だそうだ。いずれにせよ嬉しいニュースである。

上記のとおり私の「つぶやき」は長い。facebookやツイッターではおさまらない。

Saturday 4 July 2015

10年前のJorge Ben Jor

「サンバ」という映画を見た。その中で主演のシャルロット・ゲンズブールが踊るシーンがあるのだが、そこで使われている曲を聴いて急に懐かしくなった。いつの間にか一緒に口ずさんでいた。
"Take it easy my brother Charlie"。
検索してみたら、Jorge Ben Jorという名前が目に入った。

あ、と心の中で声が出た。

かれこれ10年前の夏、まるまる1ヶ月をイタリアのフィレンツェで過ごした。4人でシェアするアパートに住んだ。クロアチアから来た姉弟、ブラジル人のアナ、それから私の4人。

「アンナ」ではなくて「アナ」と名乗る人にそれまで会ったことがなかったので、珍しいなと思った。
本当に、小麦色の肌の持ち主で、当時おそらく17歳とか18歳だったと思う。
最初の二週間は4人だったが、クロアチア人の2人は2週間で去ってしまったので、残りの時間はアナと私の2人で過ごした。その日会った変なイタリア人のこととか、色々話した。お互い、イタリアに慣れていなかったし、イタリア語は全然しゃべれなかったから、会話の手段は英語だった。

壊れそうなCDプレイヤーでアナがいつも聴いていたのはブラジルの音楽だった。CDと一緒によく歌っていた。私にとっては初めて聴く種類の音楽だった。

そのときのやり取りまでは覚えていないが、私もそれを気に入って、当時持っていたパソコンに取り込ませてもらったのだった。当時そのアーティストを知っていたわけではなかったのだが、アナのCDに書いてあったアーティストの名前をそのままデータに書いた。

Jorge Ben Jor


それから10年、もらったデータを焼いたCDはそのまま残っている。昨夜、あらためて聴いてみたらその中の1曲はTake it easy my brother Charlieだった。

彼女が今どこで何をしているか知らない。あの1ヶ月しか一緒に過ごしていないし、その後会ってもいない。

当時の、つまり2005年の7月のことを私は鮮明に記憶している。どこまでも高く青い空、市場のにおい、雨上がりの石畳、ワイングラスに反射する夕陽、白いシャツとヘルメット。

たったの1ヶ月が、1人の人間にこれだけ大きな影響を及ぼすことを私は知っている。2005年の7月、それは、私とあの街だけが知っている秘密である。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...