Friday 23 September 2011

要領よさとお菓子作り

台風後の公園に行ってみたら、刈られたあとの草が雨風によって綺麗に紋様をえがいていた。
最近、いかにも現実にありそうな夢をみる。まあ昨日の夢はブラジルとイタリアを高速で移動していたのでそれはあまり現実にありそうにないけど。ふと「ん?あれは夢だったんだっけ?」と思うことがある。


台風が過ぎたらだいぶ涼しくなった。もう9月も後半なのである。今日は秋分の日。涼しくならないとおかしい。暦の上ではすでに秋なのだから。

昨日はガトー・ショコラを作った。ガトー・ショコラって英語じゃありません。フランス語。チョコレート・ケーキという意味。だからどっちで呼んでも良いと思う。

お菓子作りは楽しい。うちの台所は広くないのだが、その狭いスペースをいかに上手く使って、そしていかに短時間で、洗い物も少なく、正確に、おいしいお菓子を作れるか。

食事を作る時もほとんど同じことが言える。

料理をするときはむしろ、正確すぎたり、神経質だったり、こだわりすぎたりするとうまくいかない。必要以上に時間がかかったり、シンプルなものもシンプルに作れなくなってしまう。

「塩梅」がわかるようになるには、ある程度の適当さが必要だと思う。

しかし、お菓子づくりの場合はこれに「正確さ」が加わる。これは料理とは全然違う点である。
肝心なところが少しでも欠けると、本当に「失敗」をする。
料理の場合は、よほどのことをしでかさない限り「大」失敗は起こらない。
(多少、野菜が固くても、野菜炒めは野菜炒めとして成り立つ。)

というわけでお菓子作りこそ、要領のよさが試される。

簡単に済ませられそうな種類の、ある程度の量の仕事が一気に降りかかってきたときに、ちゃかちゃか片付けるあの感覚に少し似ている気がする。

自慢じゃないが自分は業務処理能力は結構高いほうだと思っている。
というのも「適当さ」があるから。
時々、度を過ぎますが。

****************

今日は曇り空。半袖短パンでは寒いですねこれは。
サンダル好きの私はまだサンダルをしまいたくないんですが。

Thursday 22 September 2011

台風一過

久しぶりに九州の台風を思い出すような雨風だった。
いや、雨はそれほど強くなかったのだ。風がすごかった。
電車に乗る用事は午前中のあいだに済ませておいてよかったと思った。
夕方には強風のため電車が完全に止まってしまったらしく、駅は待ちぼうけをくらった人たちであふれていた。
近くの店の人に聞いたら、「2時間くらいこんな感じ」らしい。
地べたに座って待っている人もたくさんいた。
それだったらいっそのこと近くの飲食店で時間をつぶせばいいのに、と思った。
その気力も無かったのだろうけれど、ボウリング場もカラオケも居酒屋もある駅なのだからこのさい、楽しんでしまえばよいのに、と暗い顔のおじさんたちを見て思った。
FacebookやMixiを見ていたら、どうせ帰れないからと言って漫画喫茶で漫画をよみあさる友人や、居酒屋でのむという友人は何人もいた。そっちのほうが良いと思う。

と言っても、実際、きのうのような電車ストップの事態に自分も巻き込まれたらたまったもんじゃないです。
2泊3日の海外旅行なんてとんでもない話だった。

台風がおさまってから、実家の母親と電話で話していたら、次は地震がきた。
たいした揺れではなかったが、んー、まー、なんという災害大国…!

昨日はそんなこんなでうちに居たので、パンを2斤と、ブルーベリー・マフィンを6つ、ひさしぶりに焼いて、これまたひさしぶりにごはんを炊き、夕飯には豆とトマトと卵の料理をつくった。これ、なんという名前なのか分からないけど、作り方はだいたいカレーに似ている。暑くない季節は、うちではこれをしょっちゅう作る。

台風一過。
今日は良い天気。
お散歩にでもでかける。

Wednesday 21 September 2011

家と、こころと、身体には手入れを

ようやくお休み。

土日祝日も休まず働き続けた。
しっかり寝たつもりだが疲れがとれない。
はじめは、この連休を使って近場の海外にでも行こうかとしていたのだが、行かなくて良かったと今となっては思う。
疲れをとるのに、そして仕事を忘れるのに、少なくとも3日は必要である。

ここ数日間はずっと、夜に会議があった。
あまり参加する意味の無い会議だが、強制参加が求められる。
出勤時間は変わらないのに、退勤時間は遅い。
12時間、つまり1日の半分を職場で過ごすのである。
たとえば8時間の睡眠を確保したら、残りは4時間しかない。
通勤が往復だいたい2時間。

ということは、家にいて起きている時間はたったの2時間。
その時間は、お風呂に入るか食べるかという、人間として生理的欲求を満たすために使うのみである。

これはもっとも避けたいと思う生活パターンである。

掃除も洗濯も料理も、ここ数日全然できなかった。
手入れをされていない状態が続くと、家は雑然としてくる。
手の込んだ料理を食べることもなく、自分の身体をゆっくり休めて労わることもなく。
するとだんだんとこころも荒んでくるようなきがする。

たった4,5日間、これが続いただけで、自分の身体と心が故障しそうになっているのがわかる。
それは目に見えるものではなく、「不調」としてだんだんと感じられるようになる。

一般的な話。
仕事に時間をかければかけるだけ良いと思っている人たちが世の中には多すぎる。
中高生、学生だってそうだ。
要領よく業務を片付けるすべを知らぬまま大人になってしまい、結局毎日残業してストレスをためる羽目になる。

きのう同僚とその話をしていたちょうどその時、目の前にあった本(というか雑誌)のタイトルが「仕事が速いひとになる」とかいう類のものだった。

下には小さく

「6時に帰る仕事術」
等の見出しが書き連ねてあった。


本当に仕事がはやい人は、こんな本を買わない。

Thursday 15 September 2011

息をつくこと

水曜日は重い。
スケジュール的にはなんてことないはずなのに、会議があるから。
なんというか、あの、午後4時をすぎてからの始終見張られている感じがとてつもなく居心地を悪くさせます。


そんな重い一日だからこそ、時間を見つけて職場を抜け出します。
スタッフィーな職場を。
 少なくとも、週に1回は、30分以上、外の空気を吸うのです。 
そうしないと息がつまっちゃうから。

(といっても一時間の休憩は認められているから悪いことでも何でもないのだけれどうちの職場ではだれもゆっくりと休憩をとろうとしませんからこういうのはめずらしいのです) 

やるべきことはのこっていたけど、とりあえず、ちいさなカメラをもって近くのうどん屋さんまで歩きました。 

オフィス街のうどん屋。 
ピーク時を避ければ、ここは結構ゆっくりできます。 

ちなみに私は冷たいうどんが好きです。 
冬でも、冷たいうどんが好きです。 


Tuesday 13 September 2011

7年前のきょう

9月13日は、たしか、留学に旅立った日だったと思う。
2004年のことだ。かれこれ…7年も前になる。
留学のことを話すときはいつも「5年くらい前」と、きまり文句のように口にしていたというのに、実際のところ「5年前」は2年前に過ぎていた。

あの日は両親がとても心配していた。
家族が空港までついてきた。
朝早くに家を出た。
母親が、例によって、緊張のあまり眠れなかったらしかった。
おにぎりを作っていた。

家族のなかで海外に住んだ経験のある者は誰もいない。
それどころか日本を出た経験さえ乏しい。
ほとんど頼りになる情報の無い状態で、両親は私を送り出した。

空港まで父親が運転をした。
みんなで、空港で食事をした。

ろくに準備もしないまま、そして着いて最初の日にどこに寝るかも未定のまま、スイス行きのシンガポール・エアラインに乗り込んだのだった。

当時は、北周りでヨーロッパに行くのは南回りでいくのよりも断然時間が短縮されるし疲れずに済むのでよい、なんてことも知らなかった。
1度もヨーロッパに行ったことがない状態で、ヨーロッパに住もうと決めたのである。

怖いもの知らずだったなあと本当に思う。

ただ、大げさな言い方かもしれないが、あの日から色々なことがまわり始めた。
人生が大きく転換しはじめた時だった。
若干、20歳。

いつか自分に子供ができたら、地球の裏側に、ひとりで、送り出してやることができるだろうか。
不安ながらも私に留学を許してくれた両親に感謝してもしきれない。
彼らの援助がなければ今のわたしは無い。

(なんだか英文法の教科書に出てくる例文みたいですね。)


さて今日は、クロスタータを作っている。(この、写真の、アプリコットジャムがいちばんおいしい。)
夕飯はゴーヤ・チャンプルーだった。
ゆっくり、時間がとれるときは、洗濯をして、ちょっと片付けをして、お菓子を焼く。

こういう生活が好きなんですよ、本当は。
今の生活は、標準的な日本人にとっては「ふつうじゃないですか」レベルだろうが、私にはちと忙しい。
願わくば、DVDを見る時間もあると良い。
だからと言って主婦になりたいとは思わないのだけれど。

ということは、あれですね、午前中で仕事終了、というのが望ましいのかしらん。

さてと、ラジオ英会話を聞いて、ストレッチングをして寝るとしよう。
そういえば最近眠りの質が良い気がする。
もしかして、そして願わくば、ストレッチングのおかげなのかもしれない。

Monday 12 September 2011

12日。まだまだ暑い


目覚ましよりも前に起きた。5時50分ごろ。
それでも結構平気だった。やはり昨日の夜はやく寝たのが良かったのだろう。
パンにジャムを塗ったのを食べて、ゆっくり家を出る。

9月は、毎年のことだが、まだまだ暑い。汗だくになる。
いくら水を飲んでも足りない。

最近、江國香織の「抱擁、あるいはライスには塩を」を読んでいる。
長いこと、読みたかったものだ。
やっと図書館で予約の順番が巡ってきたのである。

村上春樹以外に、「欠かさず」読む作家である。
おもしろくて仕方ない。
やっぱりこの人しか書けないな、と思う。
我を忘れて「ワールド」に入り込む感覚、これこそが小説の醍醐味だなあと、久しぶりに、そしてあらためて思う。

きょうは半日お休みをもらって早く帰った。
吉祥寺に行った。平日だが、人はいる。
病院と、役所に行く用事があった。
すべてが終ったころにはもう、普段の退勤時間と大して変わらないくらいになっていた。

日差しがまだ強い。

とおりにあるマンションのガラス戸に映った自分の姿をみて、日焼けしていることを確認する。
別に望んでいるわけではない。
見るたびに「黒いなあ私」と思う。
イタリアから帰ってもう2,3週間が経つのだが、ここ最近でますます焼けたような気がするのはどうしてだろう。
イタリアにいたときのほうが絶対に、日光を浴びる時間は長かったはずなのに。

今日の夕飯はカルボナーラ。
ペンネをつかった。
スパゲティじゃなくても、カルボナーラはできる。

ちなみに、何度もくりかえすが、カルボナーラはクリームスパゲティではない。
クリームなどというものは1滴も使わない。

卵、おろしたパルミジャーノ、ベーコン、それから塩。
それだけだ。
これ以外に入れるとすれば、ベーコンを炒めるときに白ワインを使うくらいだろうか。
むしろこれ以外に入れてしまったら、それはもはやカルボナーラではなくなっている。
どうして日本では
「カルボナーラ=白いクリームスパゲティ」
という式が定着してしまったのだろうか。
いまだに謎である。

ゆでたパスタに、上の材料をすばやく、そして手早く混ぜる。
これがカルボナーラ。

クリームじゃないから、全然重くない。まったくもたれない。

さて、ストレッチングをして寝るとします。
「ターザン」のバックナンバーの中から、「ストレッチ特集」を手に入れた。

ちなみに「ストレッチ」ではなく「ストレッチング」が名詞としては正しいですよね。
では、おやすみなさい。

Sunday 11 September 2011

日曜朝のうれしいできごと

今日は早く起きてしまった。7時半ごろだったと思う。
日曜なのに。
もっと身体は寝たがっていたのだが、なにせ、電車がうるさい。そして暑い。
あきらめて、起きる。コーヒーを飲む。
先日、富澤商店で入手したりんごジャムサンド(気まぐれにしか扱っていないのでいつも手に入るとは限らない)をざくざくと食べる。

混まないうちに、と思って9時過ぎからプールへ。

その帰りにふらりと立ち寄ったスーパーにて。
日曜はいつも朝市でにぎわう。
チーズケーキでも作ろうかと思って、タカナシの生クリームを手にし、レジへ。

すると、後ろからおばあちゃんが「ちょっと」といいながらついてきた。
赤い口紅と、赤いマニキュアをぬった小柄な女性だ。
帽子をかぶっている。
きれいなひとだ。

私に用があるらしい。

「はい」
と返事をすると

「あなた、姿勢がいいわね!」

と褒められた。
たいそうびっくりした。
それほど姿勢に気をつかっていたつもりはなかった。

私「ありがとうございます」
おばあちゃん「あなた、日本のかた?」
私「はい、そうです」
お「めずらしいわ、今の若い子はみんな背が曲がっちゃってねえ。姿勢わるいもの。なにか、スポーツでもやってらっしゃる?」
私「さっき、プールいってきました」
お「あのね、エアロビはいいわよ」
私「はあ、そうなんですか」
お「そうよ、人生変わるわよ」
私「へえー やったことないですけど」
お「私なんか80になるんだけどね」
私「えっ、80歳…!?」

おばあちゃんは人差し指を口にあてて、「内緒よ」と言うようなジェスチャーをした。
これには驚いた。
肌がつやつやしている。
足腰もしっかりしているようだ。

(そこでわたしが「じゃあ一緒にエアロビやります」とでも言えばよかったのかもしれないのだが今のところ残念ながら興味は無いので、まあご参考までにというレベルで話はおさまる。)

「なかなかこんなに姿勢のいい若い人を見ないものだから、これは伝えてあげなくちゃと思って、うしろからおっかけてきた」

のだそうだ。
なんとも光栄なことではないか。

さらに、私は赤いTシャツを来ていたのだが
「赤がとってもお似合いね。赤は元気をくれるわよね。」
と言っていた。

実際に、好きな色はと訊ねられたらと、赤と答えるのだが、似合うといわれると嬉しい。

おたがいに「これからも元気でがんばってください」と言って別れた。

そのあとも私は、このおばあちゃんのおかげですこぶる気分良く過ごせた。

「姿勢がいい」と言われた、ただそれだけなのに、こんなに嬉しい!

やっぱり良いと思ったことはその人に伝えないと、もったいない。
会いたいと思った人には会いたいって言わないと、もったいない。
今浮かんだこの感情を、そのまま流してしまうのはもったいない。
大学生ごろこういうことをよく思っていたし、言っていたし、書いていたのに、今になってそれを思い出した。
ここ数年間忘れていた。

こうやって明るく人とコミュニケーションをとることができるのは、私の経験では、たいていお年寄りである。若い人は、話しかけられるとぎょっとした顔をする場合が多い。まさに「こころの準備ができていない」ような感じだ。

むかしはきっと、もっと、話しかけやすい社会だったのかしら、と想像する。
今80歳ということは、1930ごろに生まれたわけだ。
隣近所どうし、助け合っていかないとやっていけなかった時代、東京はどんな感じだったのだろうか。

もっと住みよい世の中にするには、そんなに難しいことはしなくていいのかもしれない。
意外とシンプルなやりかたで、人は、ご機嫌になれる。
とりあえず今日おきたことと、思ったことを、人に伝えようと思った。

Saturday 10 September 2011

ピクニック土曜日

少し涼しくなったかと思ったら、なんとまあ、昨日と今日の暑いこと!

今日は仕事を早々と切り上げ、友人と待ち合わせをして公園でピクニック。
おたがいに、おにぎりを準備してきていた。
私が玄米で、友達が白米。
友達は、甘めのたまごやきと、ソーセージを焼いたのを持ってきてくれた。
人間観察をしながらぱくぱく食べる。


「おいしいねえ。」
「うん、おいしいねえ。」
「公園で食べるのもいいねえ。」
「うん、いいねえ。」

まじめにピクニックを計画し、朝からおにぎりを準備し、一銭も使わず遊べる友達、そしてこの場所。かけがえが無い。

公園のよさに気付いたのは仕事を始めてからだ。
東京にこんなに大きな公園があったのも知らなかったくらいである。

日陰に入るとだいぶ涼しい。
その点は夏と違うようだ。

私は夏のあいだ日本にいなかった。
日本に帰ってきた頃にはだいぶ涼しくなっていたのだが、やはり今年の夏も相当暑かった、と友達は教えてくれた。

セミがなく。
「つくつくぼーしかなあ」
「うーん。でも、つくつくぼーし、って言ってないよ」
「ほんとうだね」
「みんみんぜみかなあ」
「そうかもね」

ちなみにセミのことをイタリア語で「チカラ」という。
初めて聞いたときは冗談でしょう、と思った。
2匹以上だと「チカレ」。
あくまでもアクセントは「カ」のところにおく。

駅へ向かっていると、ふと明治神宮のくらやみが見えた。
ためしに歩いてみよう、ということになり、砂利道をじゃりじゃり歩く。

じゃりじゃり。

あっという間に、神社の出口へ到着。
それから10分も歩くと、代々木駅に着いた。
原宿駅と、代々木駅がこんなに近かったなんて全然知らなかった。

もういっそのこと、ということで、新宿駅までそのまま歩いた。
私はそこから電車に乗ったが、友人はそこからさらに北上して、歩き続けた。

夕飯は、リガトーニにした。トマト缶と、ツナと、たまねぎ。
今回は唐辛子も入れてみた。
そのほかには、(何度も書くが)、オリーブオイルと塩だけ。
このシンプルさが良い。

なんだか身体がバキバキいう。
きょうはもうこれくらいで寝ることにしよう。
そういえば先週の土曜は、9時前に寝たんだったなあ…

Friday 9 September 2011

スーパーのレジ打ち、秋刀魚のねだん

今日も、なかなか、くたびれた。昨日より暑かったのもあるかもしれない。

朝、いつもと同じ時間に起きるはずが、目覚ましの音に気付かず、ふと起きたときにはそれから20分が経過していた。

携帯のアラーム機能を使っているのだが、どうやら、テーブルや窓枠などに置いておかないと音が聞こえないようだ。ベッドの上に置いておくと、布が音を吸収してしまう。

昨日の夜作ったゴーヤ・ちゃんぷるーをお弁当に持っていった。
最近、ゴーヤを食べる頻度がたいそう高い。
なんとかの一つ覚え、みたいな感じで同じ材料ばかりを買っている。

今日は早く帰ってマフィンかクロスタータを焼く予定だったというのに、結局疲れきっていてそれどころではなかった。


そういえば今日、おもしろいことがあった。
しばらく前から目をつけていた秋刀魚のすしが安くなっていないだろうかと、ふとスーパーに寄った。
質の良いものを売るスーパーなので美味しい。当然ながら、値段もそれなりである。
3つ入りと、6つ入りがあったのだが、6つ入りに3つ入りと同じ値段がついている。
その隣にある6つ入りのお寿司は680円だというのに、この6つ入りのお寿司は340円。
ラベルを貼り間違っているとしか考えられない。

店員が気付いたらそれまで、と思ってレジに持って行ったら、何も言われなかったのでそのまま買って帰った。いわくつきではないはず。おいしくいただきました。


ところでスーパーのレジ打ちの人々って思考停止してますよね。
いつも同じセリフ、同じ動作をやっているとああならざるを得ないのだろうか。
ロボットと同じように見える。
少なくとも私が行くスーパーでは、マニュアルに書いてないことをされると、途端にパニックに陥る。

かれこれ10年前、シドニーに行ったことがあった。
当時まだ高校生だったのだがそこで、レジの人とお客さんが世間話をしている姿にたいそう驚いた記憶がある。
しゃべるくらいなら早く済ませてくれ、と思った。
しかし、なにかしらコミュニケーションをとっていないと、レジの人もそりゃ苦しいだろう。

イタリアでも、スーパーや店では、店員と客どうしでよくしゃべる。
昨日のサッカーの試合結果はどうだったか、とか、訪ねられて盛り上がったりしている。

日本でそういうことしたらきっと店長に叱られてしまうのだろう。
マニュアルに書かれてないことをするな、と。

だとしたら彼らはいったいどこで自分を表現するのだろう。



だったらもういっそのことロボットを雇ってしまえばいい。
そしたら人件費もいらない。

飲食店の店員の態度が悪いからと言って激怒し、窓を割ったというニュースを昨日きいた。
それだったらもう、ロボットにしてしまえばいいのだ。
ちゃんとおじぎのできるロボット。

そうやってみんなコミュニケーションの場を失っていく。
人間の相手をするべく、そこに人間がいるという意味は一体何なのだろうか。



ちょっとくらい天気の話とかしてもいいだろうに。
マニュアルに無いことをやってもいいだろうに。

そもそも、私が知る限りでは、ヨーロッパのレジ打ち係はたいてい椅子に座っている。
それで十分ですよ。欲しいものは買えるわけだし。
(ただし、計算さえ間違えなければ…)

Thursday 8 September 2011

日本人働きすぎ

いやあ、すばらしい天気。やっと夏が終った感じがする。
暑いけど、湿度がだいぶ下がった。

今日は休日。朝は寝たいだけ寝て(と言っても、遅くとも8時には目が覚める)、雑用を済ませ、料理をして、プールに行く。吉祥寺にも行く。

きのうは仕事で腹の立つことがあって、しばらく嫌な気分が続いた。

世に言われることではあるが、職場での自分と、家での自分を切り替えられない人たちが本当に多いと思う。

私生活を投げ打ってでも、仕事に全力投球することが良いことだと履き違えている人たちが、ほんとうに多い。
いや、もしかすると多くないのかもしれないけど、一部にそういう人たちがいると、いやいやながらも従わざるを得ない犠牲者がいっぱい出てくる。

「そこまでしなきゃいけないんでしょうか」とみんな思っているんだけど、怖くて言えず、従う。
そんな日々が続いていくうちに、私生活を犠牲にすることが「文化」あるいは「慣習」となってくる。
慣れは怖い。
自由な時間を優先させようとすると「非国民」ならぬ「非職員」となる。

そうやってギリギリ、限界のところまで自分を追い詰めて体調を崩したり精神を病んだりする人たちがいる。体調を崩すだけではない。顕著なのは「家での自分」がすっかり無くなることだ。つまり、24時間のうち100パーセントが「仕事」になってしまっている人。

朝から晩まで仕事に明け暮れて、家に帰ってもひとり、という状況がたいていの大人たちが過ごしている毎日だと思う。
友達に連絡をとる暇も、会う暇も無く。

とくに女性は、仕事に打ち込んでいて、気がついたら子供を産める年齢を過ぎていた、というのはよくある話なのだと思う。
考えるだけで恐ろしいが、実際、社会はその傾向を推し進めてきた。
バリバリ仕事をする「キャリアウーマン」が女性のモデルとして掲げられてきた。
それで今さら問題となっている「少子化」。


人生は仕事でなりたっているわけではない。
職場での顔もあれば、家庭人としての顔もある。
夫として、妻として、親として、子供として、友人として、さまざまな顔がある。

さらに自分の身体という、必要不可欠かつ優先順位の高いコンディションがもうひとつある。

それらすべてのバランスがとれて初めて、いろんなことが動き出すのではないか。

あまりにも自分の身体の声を聞けない人が多い。
周りの人は忙しすぎてそういう同僚がいることに、気付けない。

友人と会う時間も無く、まともな食事をとる時間もなく、恋愛さえできなくなっている人たちを、どうにかして「ゆるめ」てあげられないのだろうか。

我々はロボットではない。身体には限界がある。いくら体力があっても、生物として生まれた以上、いつか滅びるし、生物としての欲求がある。
身体が出すサインを無視し続けると、怖いことになると思うんですが。
私はこの社会に危機感を抱いている。

Tuesday 6 September 2011

6日のこと


とりあえず何か書いてから寝るかな。

今日の朝は、ヌテラをぬったパンを食べました。幸せな気分になります。
昼にはお弁当を持っていきました。
玄米とトマトとたまご。これ、ものすごい頻度で作るんだけど、サラダなのか、ごはんなのか分かりません。オリーブオイルと塩かけただけなのにほんとうにおいしくて飽きない。
夜はゴーヤをいためました。
それと、そうめんを1わ、ゆでました。
ゴーヤは最近よく食べます。

きょうもつかれました。
きょうが何曜日なのかもわからなくなってきました。

明日まで働けば、あさっては休みです。
さてそろそろ寝ることにします。
おやすみなさい。

Sunday 4 September 2011

踊るコマーシャル・メッセージ

「日本のCMはどうして踊ってばかりなの」


とイタリア人から聞かれたことがある。
「そんなことは無い」といいながらもちょっと見てみると確かに踊ってばかりである。
いや、でもCMってそもそもそんなものでしょと思ったけどふと気付くとイタリアでこれほど踊るCMは見ない。変わりに官能的な映像とナレーションが多い。携帯電話のCMでも水着のお姉さんが出てくる。人間の本能に訴えかけるという点では後者の方が強いのかもしれない。
しかしダンスも悪くないのではと思う。コミカルな動きで印象を残そうというねらいなのだろうけれどとにかくみなさんちょっと気にして見てみて下さい。
本当に踊るのばっかりなんですよ。

万年筆、外出

なくなったと思っていた万年筆が職場の引き出しから出てきた。一本千円のものなので、なくなってもあきらめはつくのだが少し気になっていたのは事実だった。中のインクは空っぽだが一体何色を入れていたのかさえ判然としない状況だった。家に連れて帰って洗うことにした。  翌朝の万年筆カートリッジ...