Monday 31 May 2021

Duolingo 61日目。

語学学習アプリDuolingoでフランス語を学び始めてきょうで連続61日を達成した。3月の春休みに帰省できず、なにかひとつ新しいことに取り組もうと思ったのがきっかけだった。Duolingoは今までも何度も使ったことがある。「かじる」程度だがいろいろな言語をやった。ただ、仕組みもいまいち分かっていなかったのもあり、長く続けたことはなかった。それが、一日も欠かさずに61日目を迎えたのだ。だいぶ習慣づいてきた。

フランス語は大学時代に1年ほど講義を取ったことがある。文法も語彙もイタリア語と良く似ていて、イタリア語がわかる者にとっては、かなりお得に、楽に学べる言語だ。そしてフランスとその文化には長年関心がある。ほかのどの言語よりも、「このフランス語が読めたらなあ」と思うことが多いので学ぶことにしたわけだ。無理のない程度に、1日最低2レッスン、10分間くらい勉強している。

なにごとも、初級というのは楽しい。特に外国語学習は。どんどん身に付く感じがするのは快感だ。それがある時点でつまずく。どこかで理解していなかったり、あるいは理解しているのに身についてなかったりする。そこに新しい事項を積み重ねると見事にぐらつく。ジェンガとか、ああいう積み重ねてタワーを作る感じに似ていると思う。だからどうしても復習をしないといけない。レッスンが完了すると次に進むことができるが、少しずつ戻って復習をする。まさに水前寺さんの歌った通りだ。

「一日一歩 三日で三歩 三歩進んで二歩下がる」

すると見事に過去の単語を忘れていることがある。いや、忘れているというよりは「ああそんなのあったな」と思う。

今のところ身近に話せるフランス人もいないので自分のフランス語がどの程度通じるのかはわからない。ただ、私の場合、学習動機は「フランス人と話したい」というよりは「フランス語を読めるようになりたい」のほうが強い気がする。

イタリア語と似ている、と先に書いたが、学習するうちに英語とのつながりもだいぶ見えてきた。英語はフランス語の影響を多大に受けてできた言語だ。ずーっと昔の英国の王様は、フランス語話者(というかフランス人)だったという歴史を考えると英仏のつながりは本当に強い。

今のところこのDuolingo学習にゴールたるゴールもないのだが、とりあえずは100日連続学習を目指そう。1000日連続を達成、という人もいるくらいなので道はまだまだ長い。

Monday 24 May 2021

パジャマを作った。

パジャマできた。連休終わりごろにいつものように「もめんやまきの」をうろうろしていたときのこと。ふと思い立ってパジャマのレシピを買うことにした。本当は子のズボンをつくるための綿麻の生地を買いに行っただけだったのだが、店員さんの声にのせられてつい買ってしまった。本当に作れるのか?と思いながらもやってみた。おそらく40年以上前に作られたのではないか、と思うようなレトロで不親切な説明書と格闘すること数日間。ついに完成した。
襟のところが発狂レベルに難しかった。あらためて、服作る人ってすごいなと思った。それにしても洋裁というのは料理と違って適当が許されない。もう少し経験をつめばその「適当」具合もわかってくるのかもしれないけど。横着なことをすると痛い目に遭う。直線縫いのバッグぐらいならいいけど。

ということでこの一着を作ってみて学んだのは「とりあえず言うことを聞け」ということ。

平日はミシンを出す余裕がないので毎週末ごとに少しずつ作っていった。大変だったんだけど、ふしぎと「次はどの生地で作ろうかな」とすでに考えている私。自分で作るのは楽しい。これは料理も同じですね。 

Thursday 20 May 2021

合気道の帯をなくした

 梅雨が始まったとしか思えない。毎日ジメジメしている。洗濯物は2日かかっても乾かない。

そんな中でもカッパを着て自転車で出勤している。公共交通機関にはまったく頼りたくない。しかもこの程度の雨で。朝から、そんなに他人とくっつきたくはない。首都圏の人々の抱える多くの不調の原因は電車通勤にあると思うのだが、電車通勤している人々はそれが当然になっているので疑問に思うことすらないだろう。

合気道の帯をなくした。道場にも忘れていないらしい。その日は、リュックに道着を入れて帰り、帰り道には図書館とスーパーに寄った。図書館とスーパーにも聞いてみたけど帯の落とし物はなかったということだった。財布等と違って誰かが盗むなんてことは到底考えられない。だって帯なのだ。

道着をリュックから取り出してカゴに入れたところまでは覚えている。そのときに帯があったかどうかは覚えていない。洗って干したときに「そういえば帯がない」と思った。たぶん。全然覚えていない。

これが気になって仕方ないのだ。ここ数日そのせいで悶々としている。どうしてなくしてしまったんだろう。ショックが大きい。いくつかの可能性を探ってみるがちっとも見当がつかない。

こういうときは考えるのも探すのもやめたときに出てくる場合が大きい。先日も、病院の診察券をなくして、探し続けていたがもう見つからないので再発行の手続きをとったらその翌朝になくしたほうの診察券が出てきた。そういうこともある。とりあえず探すのをやめて別のことに集中しよう。

Monday 17 May 2021

ケール、合気道

おとといの夕飯。ケールです。ついここ2、3年でスーパーでも簡単に手に入るようになった気がする。ほかの葉野菜に比べると割高だけど。 

栄養価がすごいというのはよく聞く話だが、何かがきっかけで食べてみたらとても美味しかった。苦くも固くもない。そしてレタスなどに比べると扱いやすい。洗いやすいし、切りやすい。ハサミでぱつん、ぱつん、と切ってちょうどいい。
これを自分で育てたいなあとよく思う。今のところ私の家にはそんなスペースはない。小さくていいので自分のための庭が欲しい。畑から収穫して野菜を食べることができたらどんなにいいだろう。

さて、緊急事態宣言延長により相変わらず近所のプールが閉まっている。こんなに、泳ぐには最適の季節だというのに残念で仕方ない。泳ぎたくて仕方ない。気がつくと「およぎたいなあ〜」とつぶやいている最近。

たいてい日曜の朝は9時ちょうどからプールに行っていたが、そうもいかないこの1ヶ月は、代わりに合気道に行っている。生活から水泳がなくなるとほんとうに運動量が足りないということがわかる。心拍数が上がるくらいの運動をしていないとどうも体が鈍ったような感じになる。というわけで合気道の頻度が上がった。といってもそんなに熱心に通っているわけではなく、珍しく先週と今週、2週連続で行った、というくらい。普段は「月に1回行けたらok」と思っている。

合気道をはじめてもう6年になる。「行ってない自分を責めない」がテーマで、ずっと続けている。月に一回行けたらok。

行くとこれが本当に気持ち良い。マスクしながらの稽古なので息が上がると辛いが、稽古が終わったときの爽快感はほかの何にも変え難い。そしてそのあとから来る疲労がまた気持ちいいのだ。夜はぐっすり眠れる。稽古後の昨夜は久々に夢を見ずに寝た気がする。そして今朝は筋肉痛。この程度の筋肉痛はちっとも痛くない。痛い部分の筋肉を普段使っていなかったということだ。これもまた気持ちいい。普段の生活にも知らないうちにメリットがある。たとえばどこか自信がついたような、精神的に強くなったような感じがして、姿勢もきれいになる。さらに合気道をしている間は余計な考え事をしない。ほかにそういうことってない気がする。

2ヶ月くらい行けないときもあるけど、とりあえず10年続けてみる、というのは自分で心に決めていることである。10年くらい続けないと「合気道やってます」と一丁前にはまだ言えない。やめない限りは続けていることになる。

Saturday 15 May 2021

ピッツァ、コロナ、「スマホ脳」

これは先週のpizza。なんと4種類。右半分は有機全粒粉100%が生地なので夕方に炭水化物を摂取する罪悪感が減って良いです。

口を開けばもはやコロナ関連の不満しか出てこないここ最近。もう少しパッと明るく生きたいものだなと思う。しかし文句言うのもこの国に住む一員としてやるべきことの一つであるようにも思う。ぼーっと生きてたらとんでもない方向に進んでいくのです。


プールに行きたいのにプールが閉まっている。前回の緊急事態宣言では開いてたのに。そして図書館も閉まっている。もういい加減にしてくれ…一年前と同じことやってるよ…。実家にも帰れるわけもなく。近くに住んでいる友達にさえ会えない。最近、疲れもあってズドーンと気持ちが沈むときがある。特に夕方。こういう波は以前はなかったと思う。抜け出したいのに抜け出せないような感じ。たくさん寝て朝になったら元気になっているんだけど。こういうときは運動するに限る。

先日、アンデシュ・ハンセンの「スマホ脳」を読んだ。これはもっと早く読むべきだった。めちゃくちゃ面白かったです。スマホを持ってない私ですら「こりゃいかん」と背筋が伸びる思いになったので、スマホの奴隷になっているそこのアナタにはぜひ読んでいただきたいと思います。といってもスマホに限らず脳についての有益な話が盛りだくさん。

その中にあった、「やっぱり運動はいいですよ」という話を読んでますます体動かすことを意識せねばと思うようになった。具体的には一週間に45分間x3回の運動。それ以上やってもあまり効果はないらしい。ウォーキングでも良いんだけどある程度心拍数が上がるような運動、だそうです。そうすると合気道なんて完璧にこの条件に当てはまっている。水泳もなんだけどね、本当は…。週三回もできてないけど私の場合は30分近くを自転車に乗って職場に通っているので、これもある程度運動だろうと思っている。

さて、ピッツァは美味しかったです。一回で食べ切れるわけもなく。朝も晩も風が気持ちいいなあ。なんていい季節なんだろうなあ。そろそろポロシャツを出そうかなと思っている。

Wednesday 5 May 2021

連休5日目。特別なことをしなくてもよい。

やろうと思っていた万年筆の手入れ。インクを変える前に一晩、水に漬けておく。毎回、ガラス瓶と色水が美しくて写真をとってしまう。面倒でも楽しいのが万年筆いじりである。

さて、5連休最終日。

どうなることかと思っていたが平和に終わりつつある。よかった。どこにも行けずに毎日同じことをするしかないけど「毎日同じことができる」という喜びもある。

だいたい毎日天気が良く、公園へ行っている。朝10時ぐらいに私が先に出て、公園のベンチで1時間くらい本を読み、子たちは後からくる。保育園の友達と会えることが多く、喜んで遊んでいる。どんなおもちゃより遊び道具より、友達に勝る魅力的なものはない、というのが見てわかる。どの子を見てもそうだ。友達に会うと表情がいっきに変わる。この4日間でだいぶ転けて怪我したりしているのだが、それもよかったと思う。というのもこの数日でより活動的に、よりたくましくなったように見えるから。


どこか、近場の子供向け施設へ連れて行ってあげたほうがいいのだろうかと考えることもあるが、それは大人の思い込みなのかもしれない。何か特別なことをしてあげるのが「子」孝行であり理想の親である、みたいな固定観念があるだけなのかもしれない。

というのも本人はもうじゅうぶん楽しそうで、そもそも「おやすみ」がこれだけ続き、親と一緒にいられるということだけでこんなに幸せそうである。何がしたい、と聞くと「自転車で公園に行きたい」と言う。

普通が一番しあわせなのかもなあ、と思う。これはコロナでもたらされた考え。いやもちろんそんなことは、言葉では分かっているんだけど、実感できたのはコロナのおかげ。ちょっといいアイスクリームを買ってあげようかと思うんだけど本人が欲しいのはあくまでもいつもの「ピノ」。

さて、おかげで読書がはかどった。土井善晴さんの「くらしのための料理学」と「料理と利他」をいっきに読んだ。それからロアルド・ダールのAn African Storyを読み終え、A Piece of Cakeを読み直した。そして今はアンデシュ・ハンセンの「スマホ脳」を4割くらい読んだ。これらすべて、公園のベンチで読む。どの場所よりも私にとっては読書がはかどる。少しだけ人の話声が聞こえてくるぐらいの場所。こどもが駆け回っていたり、時々ボールが飛んできたり、いろんな世代の人が散歩で通る場所。見上げると5月の空はこんな感じ。最高の季節である。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...