Friday 24 August 2018

映画はすごい

久しぶりに映画館で映画を見たら想像していた以上に大きな刺激といい影響を受け心なのか頭なのかわからないけどスカッと洗われたというかほどけたような気持ちになった。そうなんだよな、もっとカッコよく生きなきゃな、こうしちゃおれんよなという気持ちと自信と力がみなぎってきた。どこから来るのかわからんけどものすごい元気になったし気持ちが明るくなった。見た映画がよかったのもあるし久しぶりにひとりで映画を見にいくという贅沢な時間を過ごしたのもある。

で、何を見たかというと:

OCEAN'S8

です。
あのオーシャンズの女性版が撮影中、と聞いた時には「うーんなんだかなあ」と思った。フェミニズム丸出しっていうか男だけじゃなくて女もやればできるのよ、女性のみなさん輝いていきましょう(キラキラ)みたいな感じがしたし、なんつーか、キャスト見てもいかにも、な感じがしたから。

けど、想像より断然よかったです。アジア系の役者がメンバーの中で一番注目度低いっていうのは毎回気になるところではあるけど。(それ考えるとやっぱりチャーリーズエンジェルのルーシーリューは良かった…)

ケイト・ブランシェットがかっこよかった。どんな役でもやれるんだろうけどこの「ルー」役は痺れるかっこよさでした。あらためて、この人の作品ちゃんと見なきゃと思った。

あと、見ていて気持ちよかったのがアン・ハサウェイがあまりにもそのままというか適役だったこと。そして産後初めての映画ということだが、めっちゃ綺麗だと思った。明らかに身体つきが違うと思ったけど、それがきれいだった。

あまりにも映画から遠ざかりすぎている、と見た後に思った。こんなに面白いことを人生から欠かしているなんて。ほとんど唖然としてしまった。こどもにまだまだ手はかかるけどなんとかして自分の時間をとって映画を見るようにしようと思った。欠かすにはあまりにも惜しい時間である。

Monday 20 August 2018

ラジオ体操、五感を使う

今朝はこどもと一緒に、地域のラジオ体操に行ってきた。きょうから始まった。近くの公民館で行われる。私が小さいころは夏休み中ずっとやっていたような気がするのだが、こどもが少なくなって期間が短くなったのだろう。私は毎日ラジオ体操をやっている。日本にいてラジオが使える限りは。実家にいる間も6時半には庭に出て体操をする。今朝こどもは体操をする人々を少しも動かずにじっと立って見ていた。十分間ずっと。通常少しもじっとしていないのでこんなに静止していることは珍しい。緊張していたのかもしれない。

田舎の生活で子どもは五感をフルに使って生きている。と、その様子を見ながら思う。カエルやとんぼをつかまえたり土をさわったり芝生を裸足で歩いたり。こういう機会をなるべく与えなければいけないとわかっていても東京ではなかなか難しい。明日東京に帰る。なるべく自然のなかでのびのびさせる機会は失わないようにしたい。

Sunday 19 August 2018

久しぶりに読書

お盆が終わってだいぶ涼しくなった。一歩も外に出られないような暑さが嘘のようだ。また暑さは戻ってくるらしいが、この過ごしやすさはありがたい。

帰省中に本を一冊読み始めたのだがようやく半分に達した。鈴木孝夫の本。子どもを追っかけるのが大変でも一冊くらいは読めるのではないかと思って夏休みに入る前に注文した。内容は難しくないのだが、何せ読める時間が子どもの睡眠中に限られるのでなかなか読み進めない。そして子供が昼寝をする時間は当然ながら自分も眠い。読み始めて2ページくらいで寝落ちてしまう。

それでも、だ。久しぶりに読書らしい読書をしていると思う。鈴木先生のキレのある文章がなんとも言えない。大学時代に結構読んで影響を受けたのだが、今の考え方の元になっている部分がかなりある。ちなみにタイトルは『閉ざされた言語・日本語の世界』。日本語です。

小説が読みたい気もするがこれと言って読みたい小説がない。村上さんの次回作を期待しよう。いや、それだったらどちらかというとエッセイが読みたいかもしれない。

あとは、これは読書ではないのだがタイ語にちょっと興味があって、CDエクスプレスのタイ語を眺めている。眺めているだけで音声を聞いたりペンを手にしたり、はしていない。文字抜きだとだいぶ簡単に学べそうな言語だということは分かったのだが文字の仕組みに少し手をつけられないだろうか、と思って、とりあえず、眺めているだけ。

Tuesday 14 August 2018

海外に行かない長期休暇

長期の休暇は必ずと言っていいほど海外に行っていた。最低でも三週間くらいは行っていたと思う。

それが、海外に行かなくなって3年目である。2016は妊娠していたので行けなかった。去年と今年はこどもが小さくて海外行くのは絶対大変だろうということで行っていない。イタリアに行ったことはあるけど夏休みではなかった。

来年こそ行けるかなあとは思うがいずれにせよこどもを連れて、である。自由度は相当低いはず。そう考えると自分だけで、あっち行こう、こっち行こうと考えながらホテルや航空券予約して海外の道を歩く、という経験は考えてみれば2015年が今のところ最後だったわけだ。今度そういうことができるのは、と考えると少なくともあと10年、いや、15年くらい後のことではないだろうか。なんということだ。

そう考えるとやっぱり20代でたくさん海外を見ておいたのはよかったと思う。ああ、国際線の空気が恋しいなあ。

Monday 13 August 2018

こどもの生活リズム

ここに来て十日。仕事のメールを見ようと思うがURLを幸か不幸か忘れてしまっているので仕事からは本当に離れていて何も考えずに済む。

まとまった夏休みがとれていいね、とよく言われる。確かにそうだと思う。だけど日々の疲労具合は半端ない。全然休んでいない。夏休みといえどこどもも夏休みなわけで、24時間一緒にいるのである。めちゃくちゃ疲れる。いつも書くことだが仕事をしている平日のほうが断然楽なのである。今朝も6時から子どもを追いかけて外に出た。

とは言え、十日もたったらこの大変さにちょっと慣れてきた感じもある。普段こんなに長い時間一緒にいることがないので一日がとても長く感じるが、それでも一日のこなしかたとでも言おうか、しのぎ方がちょっとわかってきたような。いや、疲れていることには間違いないのだが。

こどももここでの生活にだいぶ慣れてきて、リズムが作られてきた。5:45~6:00ごろ起床、午前中いっぱい遊ぶ。買い物に行ったりもする。プールにも入る。11時半~12時ごろ昼食。1時過ぎ~昼寝。そのあとまた遊び、植物の水やり(と言ってもかなり大規模)を手伝って、お風呂に入り、6時半~7時ごろ食事。それから8時に寝る。

靴を履かないと外に出していなかったのだが裸足で出るのを「まあいっか」と一度許可したら最後、平気で外に出るようになってしまった。日中は、日の照っている地面ははだしで歩くには熱いので「あちー」と言いながら戻ってくるのだが、朝の涼しい時間帯は地面が冷たいのでどこまででも歩いていく。今朝も近くの家に犬を見に行こうとしたり山にブルーベリーを取りに行こうとしたりしたので慌てて阻止した。

ズボンをはかないのがここではデフォルトになってきた。さらにおむつさえ「まあいっか」と思うようになってきた。

いい感じに野生化してきたと思う。

Sunday 12 August 2018

二十歳過ぎればただの人

最近気に入っている言葉の一つである。
「十で神童
十五で才子
二十歳過ぎればただの人」
いやはやよく言ったものだ。誰しも「わが子は特別かもしれない」と思う。私も思う。ほかの子と違った点を無意識に探し出してしまう。特別に活発だとか比較的明るいとか。友人知人もそうだ。フェイスブックやInstagramに出てくる投稿には少なからずわが子自慢のにおいがする。「寝返りした」「えっ、早くない?」とか「これ、うちのモンスター」「やんちゃんなんだね」みたいなやりとりですら「うちの子は特別」という思いがこもっている。
昔からみんな自分のこどもについて同じように思ってきたのだろう。こどもを育てるようになるまでは「二十歳過ぎればただの人」なんて言葉は知らなかったのだがつい先日この言葉を聞いて笑ってしまった。まさに自分の考えを見透かされたような感じがしたのだ。参ったな、と。

と、同時に不思議と安心したし、それ以降いろんなことに対して楽に構えるようになった。それは育児がどうでもいいかではなくていい意味で気を張らなくなった。いずれ普通の人になるんだみんなと思ったら、寝返りとかしゃべりはじめとかおむつのはずれる時期とかどうでもよくなった。いずれできるようになる。そして三十数年たった今、だれがそんなことを気にしているか?

Tuesday 7 August 2018

疲れと川へ行ったこと

ここに来て5日目。こどもの睡眠が安定せず、なかなか苦労している。初日の発熱が原因としては大きいかもしれない。いや、睡眠が安定しなくて苦労というよりはこどもと丸一日×5日間過ごしていて疲れているだけかもしれない。ただ、私の両親がここにはいて、家は広くて人手があるので東京とは全然違うが。

いずれにせよ疲れている。一日中、ずっと眠い。なんでだろうな、いや、毎回こうか。今までたまっていた疲れがどっと押し寄せるのだ。数か月の間ずっと気を張って生きていたのだなと思う。ここに来るともちろん仕事はしなくていいし日常から物理的に離れて本気で「気を抜く」ことができる。そうやって気を抜いた結果一気に心身ともにゆるみまくり、一日中眠かったりぐったり疲れていたりする。実家に帰ると毎回こうなのである。

誰に会う予定もたてず、毎日、やることといえば子どもの世話のみ。しかも人手と物理的スペースがある。

今朝は父の思い付きで、こどもを連れて近くの川まで行ってきた。川といってもかなりでかくて緑がわさわさしているところの川なのでそんなちょろいものではない。車を15分くらい走らせると着く。着いたところには誰もいない。これぞ田舎の良さである。車を降りると、空気が違うのがすぐ分かった。涼しい。竹を切ったような、いいにおいがする。川辺に行くともっと涼しかった。子どもはとても喜んで靴のままばしゃばしゃと水に入って行った。とにかく涼しくて、ここで昼寝でもできそうだねと言いながら長居せずに家に帰った。なんとも贅沢だ。全体がキラキラしてまるで目がよくなったような感じがした。夏の思い出がひとつできた。

Monday 6 August 2018

帰省中。19回目の飛行機。

というわけで。
3日から帰省しています。「子連れ沖縄」とか「子連れビーチ」とかをSNSにアップする人がしばしばいるけど、1歳のこどもがいる状態で一番いい場所はやっぱり実家ではないでしょうか。海外に行っても人手が増えるわけではないしその旅路を考えただけで、もう。人手があって周りに遠慮がいらない、という、もうそれだけで実家は最高であります。ほかに何も求めない。

こどもはこれで19回目、つまり10往復目の飛行機である。(国内、国際線合わせて。)何回乗っても「慣れてるから問題ない」とは言い切れないが、乗ったことない場合よりは圧倒的に「慣れている」と言える。たとえば飛行機の離着陸のときに耳が不快に感じるのは大人にも起きることだが、これに関してはこどもには問題がない。ちょっと不快そうなときは耳に手を当てたりしているようだがどうやら自分なりの対処法があるらしい。生後2か月からほぼ2か月ごとに乗り続けているのだ。さすがだなあと思う。特に着陸時には「ギャー」と泣き出す子どもがいくらか見受けられるが同じタイミングで泣くことはない。

今回は席を選ぶときに通路側ではなく窓側を選んだ。というのも飛行機自体に興味が出てきたのと、外から空の様子を見て「おっ」と思えるようになってきた、と私が判断したから。春ごろから窓側でうまくいったことが何度かあった。今までだったら立ち上がってあやしたり、後ろまで歩いていったり、トイレに行ったりという必要があった。その必要がだいぶなくなってきた。

連れていくこちら側もいろいろなテクニック、コツを学んだ。どの時間帯の便が最適か、何を持っていくべきか(どのバッグを持っていくか)、どのタイミングで手荷物チェックを通るべきか、いつ何を食べさせるべきか、などなど。やはり経験がすべてなのである。だんだんと無駄がそぎ落とされてきたし、こどもの成長に応じて変化してきた。

ところできょうは、昨日聞きそびれた「村上RADIO」をyoutubeで聞いています。なんとも心地よい。村上さんの声がこうやって聴ける日が来るなんて。ああ生きててよかった。

Saturday 4 August 2018

味のないレタス麺を中心とした出来事

7月31日になんとなく自分のなかで仕事納めをした。本当は2日あたりも仕事に行こうかと思っていたけど控えめに言って本当にやることがないので行かないことにした。31日まではそこそこ我慢できる程度の暑さだったが1日になるとまた急に暑さが舞い戻ってきた。いや、舞うというほど軽やかな感じもしないな…。

1日。
久しぶりに何もない午前中ということで何かしようかと思ったが家のなかにとどまった。こどもを保育園に送った後、家でパソコン開いたりして過ごした。1時から用事があるので11時ごろにでかけて昼ご飯を食べてからと思ったもののそのまま家に残り、賞味期限の迫った中華麺とソーセージを調理して食べた。12時ごろ出かけたが、これがまた暑い。駅に歩くまでの道でだんだんと気分が悪くなってきた。用が済んで帰宅してからめまいと吐き気で動けなくなった。こどもが夕飯を食べるとなりで横になってちょっと休んだ。暑さ、睡眠不足、育児疲れ、栄養不足…そのあたり全部が症状になって出た感じ。

2日。
ぐっすり、とまではいかないがまあよく眠れて、本当に何もない平日休み。とても暑い時間に出かけてしまった前日の反省を生かしてこの日は11時ごろに出かけた。用はないけど吉祥寺へ。豆乳担々麺だったか、先日の試験の際に食べたのがあまりにおいしかったのでそれと同じものをと思って麻布茶房へ。

ここでひとつおもしろいことが起きたので書いておこう:

豆乳担々麺は残念ながらなかった。かわりに冷やしレタスなんとかという冷たい麺があったのでそれを頼んだ。去年も何度か食べたことがありおいしいことは間違いないと思っていたからそれにした。

しばらくして出された麺、レタスにドレッシングらしきものがかかっている。その下の麺を見てみると…麺しかない。つまり、タレ的なものが何もないのだ。ええっとこれは混ぜて食べろということだろうか、と思ってレタスと混ぜてみた。レタスにくっついていたドレッシングがかろうじて味を加えてくれたが、いやいやどうして、こんな量のドレッシングで全体に味が付くわけはない。麺は白いままである。どうしたって味がない。

何かかけろ、ということだろうかと思ってテーブル上を見回してみた。酢とか醤油とかそういったものは何も見当たらない。

(どうしよう)

心の中でつぶやいた。これを聞くことは失礼にあたるのかもしれない。この味のなさがこの店のこだわりというか「品」の現れなのかもしれない。聞いてみて「こういうメニューですけど」と言われたらそれで終わりだ。

無言で白い麺を見つめる私。

尋ねてみよう、と心に決めた。だって、これ、全然おいしくない。特に、去年も同じものを食べたことがあるので、こんなはずはないと確信できた。

私「あのう、これは何かかける、とか、そんな感じでしょうか。それとも混ぜるべき…」
店員(息をのんで)「全然足りないですね、というかないですね、タレが。すみませんでした、持ってくるときに気が付かなかった」

そんなこんなで私の麺は作り替えられ、しばらくしてちゃんと味のある料理が運ばれてきた。やっぱり言って良かったと思った。あれで我慢して食べていたらお金を失うだけだった。私以外にあの状況に気づけた人はいなかったのだから。コミュニケーション能力ってこういうところで大事なのかもなとちょっと思った。

それからぶらぶらと涼しいところでウインドウショッピングをして、また別の店で抹茶白玉パフェを食べて3時ごろ帰宅。

こどもを保育園に迎えに行き、それから合気道へ袴を取りに。稽古は不参加。それでも顔出せたのはよかった。

それから、翌日に北海道へ引っ越してしまうご近所の友達のところへ挨拶に。訪ねていこうとおもいながら結局前日になってしまった。連絡もせずにピンポンをしたら友達と、犬と、こどもが出てきた。仲良しが遠いところへ行ってしまうのはさみしいが、気持ちよく送り出した。

そんなこんなで慌しく過ごす8月。私たちも3日からは九州へ行く。しばらくいつもの生活場所を離れるとなると休暇前はいつも最後の後始末というべきか、やるべきことが立て込む。それでも夏のこういう感じきらいじゃない。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...