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mercoledì 16 settembre 2026

最近読んだ本

読んだ本メモ。

1. 『外の世界の話を聞かせて』江國香織
久しぶりの江國香織。雑誌の書評で見たのでメモしておいた。それで図書館の予約が回ってきたから読んだ。東京の人が書いた東京のせまいエリアの話。大きな事件が起きるわけでもなくたんたんと、静かに進んでいく。江國香織らしい静謐な空気が漂う。

2. 『大人の愛着障害』高橋和巳
精神科医である高橋氏の本は何冊も読んでいる。最新作が出ていたのですぐに予約した。2、3時間で読んでしまった。愛着障害について知っているつもりではあったが、読んだことはなかった。愛着障害レベルを3つに分けて考えると、誰しもが、少なくともレベル1に該当するらしい。何かしらを抱えているが、それを調整しながら生きている、ということ。なるほど。私もきっと1か2だと思う。妹はどうだろうか。自分の子はどうだろうか。最後には希望が持てるように書いてある。面白かった。ふと、高橋氏のカウンセリングを実際にクリニックで受けるとどうなるのか、調べてみたら、6ヶ月〜1年待ちだそうだ。さすが…。高橋氏はスーパーヴィジョン(精神科医の指導、指南役)もされている。

ほかにもなにか読んだ気はするが、忘れてしまった。読みかけているまま図書館の返却期限が来てしまって『戦国日本vsヨーロッパ』は全部読めていない。が、ものすごく面白い。こんな見方で歴史を読みたかった、と思った。すぐにもう一度予約したのでじきにまた手元にくるはず。
夏休み以来、洋書を読めていない。何を読もうか考えているうちに今に至る。

giovedì 20 agosto 2026

A Pale View of the Hills

カズオ・イシグロのA Pale View of the Hillsを読み終えた。1週間もかからずに読んでしまった。長編はいい。短編もいいけど長編を読むとその世界に入り込めるので良い。長崎に行った直後に読めたのがよかった。平和記念像や路面電車が出てくるので、行った直後の今読むといろいろと想像がしやすかった。時代は違うけど。

カズオ・イシグロならではの「あとからじわじわ」くる感じがなんとも言えない。「あれってつまりそういうことだったのか」が、読んだあと、しばらくしてからわかる。というか気づく。

1982年に書かれたものらしい。5歳のときに日本から英国へ渡った著者の人生が表れている。その経験のない、ほかの人だったら書けないだろう。

帰省中に読書が捗ってよかった。

venerdì 14 agosto 2026

"A Manual for Cleaning Women" Lucia Berlin と名前の区別

A Manual for Cleaning Womenを先日読み終えた。長くかかった。春からずっと読んでいたと思う。言い訳のようだが、平日の朝稽古に参加することが増えたので、朝読書する時間が減った。毎日読まないとなかなか定着しない。そして朝から暑い。さらに、短編なので次が特に気にならないので手が伸びない…と、そんなこんなで夏休みまでかかってしまった。図書館でペーパーバックを借りて読んでいたがいったん返却し、もともと買っていた電子書籍のほうで続きを読んだ。

自伝に近いのではないかと思う。いや、自伝か?舞台は米国で、馴染みのない環境なので想像しながら読んだ。岸本佐知子による翻訳もあったが原典のほうを読んだ。これは女にしか書けないし、翻訳したいと思う人も女だろうなと思った。女性の抱える痛みがありありと伝わってくる。川上未映子が絶賛するのもわかる。

ひとつひとつの文が短く、もはや詩に近いところがあった。会話もたくさん出てくる。英語は簡単なほうだと思う。文法を気にしていては読めないな、というくらい、文法のルールが当てはまらない箇所だらけだ。しかし感覚で読んでいても「あれ、今のなにが起きたの」というところもある。

そう思ってしまう原因のひとつに、人名で混乱させられる、ということが挙げられるかもしれない。よくありそうなアメリカ人の名前が3つも4つも出てくるともはや誰が誰だったかわからなくなる。洋画を見ている日本人が、登場人物の白人を区別できなくなるのと同じようなものです。「あれ、この人さっき死ななかったっけ?」とか「娘と思ったら奥さん?」とか。典型的だ。どうしようもないな、とほほと思う。メモでもとりながら読めば違うのかもしれないけど。

というわけで久しぶりに、きちっとした文章からなる、長編を読みたいと思ったので電子書籍でKazuo IshiguroのPale View of Hillsを買った。タイミングの良いことに、長崎の話なので、読むなら今だ!と思った。きょう1章読んだけど、日本人女性の名前が4つ出てきた。わたしはこれらの区別をつけながら読めるけど、慣れない読者は「日本人の名前区別つかない」と思っているのかもしれない。

domenica 5 luglio 2026

これはもしかして跳び受け身、と夏帆

先週6月最後の合気道にて。小手返しの受けをとっていたら先生がきて「とべそうですね」と言う。跳び受け身ができるんじゃないか、ということ。跳び受け身の練習となると、怖くてできない。どうやったらそんなことができるのか、もはや謎だった。2年前には首をひねってたいへんだった。それからもっと怖くなった。それでもいつかきっとできるだろう、と思いながらここまでの時間が経っている。

ここで、跳び受け身単独の稽古をとばして、実際に技の稽古のときにやってみたらできるんじゃないの、と言われたわけだ。正直なところ、一体どこでどうやって跳んだらああいうふうになるのか見当もつかなかったのだが、言われてみるとちょっとやってみるかという感じになった。それでもう一回お願いしたら、「あ、たぶんこれ?」という感覚がわかった。まだまだ形になっていないけど、回れた。ほかの人にとっては大したことないはずだけど、これは私にとってものすごく大きなことだった。記念日にすべきかな、とさえ思った。続けて10年以上たって、はじめて、あ、ここでこうやるのか、というのを体感した。もちろん相手による。背の高さや柔らかさによって受け身の取りやすさも変わる。

焦らなくても、だんだんできるようになることがあるのだ。一生無理かと思っていたことが、できるようになった。いや、まだ「できる」とはいかないが、ひとつ大きな関門を突破したと思っている。ここからまだまだ伸びそうな気がする。

小さい頃できなかったらそれで終わり、ではない。この年になったからこそ、ここまで生きてきたからこそできるようになったことがある。年をとるということはいいことなのだ。できなかったことが、できるようになる。こんなに単純で喜ばしいことはない。

きのうの稽古では、跳び受け身単独の稽古があった。以前だったら「できないんです」と言って逃げ腰になっていたところだが、今回は「よし」と思えた。以前のような恐怖心はなくなってきた。焦らずに頑張ろうと思う。
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仕事もだんだんと休み前の片付け期間に入ってきていた。先日は、新幹線の切符を買いに行った。インターネットで予約するのがたいへん煩わしく、ええいいっそのこと行ってしまえと思った。周りは年配の方だらけだったが…。窓口はすばらしい。てきぱきとこなしてくれるし相談にも乗ってくれる。やっぱりコミュニケーションが大事だと思う。

だんだんと夏休みの予定もかたまってきた。すいすい動けるように、身の回りの片付けとメンテナンスをしたい。
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村上春樹の『夏帆』が発売になった。と言っても雑誌でこの3年?2年?にわたって公開されていたのでわたしはすでに全部読んでいる。別に買う必要ないし…と思ってはいるのだが、うーん、やっぱり本になったものを手に取りたい気もする。本棚にスペースはない。それでも村上さんのためなら、あるのだ。スペースは作れる。

domenica 21 giugno 2026

『菜食主義者』、シフォンケーキ、とうもろこしごはん

 呼吸が浅いなと気づくことがある。最近本で読んで、意識するようになったせいかもしれない。つまり、そもそも呼吸は浅かったんだけど、そのことに気づくようになっただけ、ということ。

先日読んだ本『ゾーンに入る』のなかで、「いま」に集中するためのメソッドとして4-4-4の呼吸法があった。マインドフルネス(のことが何かよくいまだにわかっていないが)でもよく言われる方法だと記憶している。4秒吸って、4秒止めて、4秒吐く、それだけ。はっきり言って、呼吸関連にはそれほど興味がないわたしだったが、これは、ちょっとやってみたら結構気持ちがよかった。意外だった。やってみるものだな、と思った。スピリチュアル系、とまでもいかず、単純に気持ちがいい。目の前のことに集中しているかどうかはわからないけど。

先日カルボナーラを作ってもらった。卵白が4つ余っているというので、何かやらなければと思っていて1週間くらい経った。卵白消費にはフィナンシェが最適だが、この季節、バターを使いたい気分にはならない。そもそも最近バターを買ってないし使ってない。泡立て器でメレンゲを作りたい気分だったのでシフォンケーキを焼いた。卵白4に対して卵黄2。あとは適当だ。なんとかなる。そして実際なんとかなった。久しぶりに焼いた。卵白4:卵黄3の時よりも、端がしっかりしている。

韓国へ行くことが決まった。旅行ではない。行かせてもらえる。ありがたい。こういうのに応募できるようになったということは、子がだいぶ成長したということだよな、と自分で思う。そしてこういうのに応募したい、と思えるだけの柔軟性、冒険心、好奇心、オープンさが自分にまだ残っていたことに実はすこし安心している。

きのうは土曜出勤だった。朝6時半に家を出て、帰ってきたのが夕方6時前。長かった。特に何もすることのない、いればいいという1日なので、それが逆につらかった。腰も痛いし、退屈この上ない。ようやく図書館の予約がまわってきた(韓国行きの通知と同時のタイミングだった)ハン・ガンの『菜食主義者』を読んだ。すごい話だった。あっという間に読んでしまった。こんなにすごい作家がいるんだな。本から韓国のにおいがしてきそうな、それくらいの強烈さを感じた。ところで日本語訳された韓国の小説をわたしは読んだことがあっただろうか?もしかして初めてかもしれない。

帰りは雨が降っていた。天気予報を見ていてよかった。駅のホームで乗り換えの電車を待つ間、霧のような雨が顔にかかってくる。これはこれで風情があっていいかもしれない、と思った。

倒れ込むように帰宅。疲れた。子は「きのうのとうもろこしごはん」が美味しかったらしく、解凍して連日でまた夕飯に食べた。金曜の夕方、スーパーで見つけたとうもろこしを、とりあえず買って帰った。ゆでようかと思っていたら子が「とうもろこしごはんにしようか」と言ったの久々に作ったのだった。ごはんと一緒に、ただ炊くだけで、なんの味付けもいらない。「旬のものがやっぱりおいしいよね」。そういえばびわもそろそろ旬だけどここにはないなあ。田植えもちょうど今頃かなあ。私には生まれながらの、故郷を基準としたカレンダーがある。

domenica 3 maggio 2026

5月はじめの2日

 1日。鎌倉で仕事。家を出る時間はいつもと変わらないけどなにがゆううつかって、雨が降っていること。しかもしれは普通の雨ではなく豪雨であること。そして行っても途中で中止の連絡がくるってことを出発前からわかっていること。だったらなんのために。

考えても仕方ないので雨具を全身に身につけて出発した。いつもだったら上だけでいいだろうけどこの雨だったら5歩歩いただけで濡れるとわかっていたので下もはいた。それから登山靴。1時間半かけて、電車に乗る。

しめきった電車内は本当に気持ちが悪くなる。それほど混んでいなくて、座れているのに、それでもこんなに気持ちが悪い。短時間だったらいいだろうけど1時間となると、やっぱり疲れる。こんなのに乗って毎日通勤・通学している人たちがいるっていうのは、もう、わたしには信じられんのやわ。みんなもっとほかの人生あるで、と言いたくなる。

この日は何の本をかばんに入れるかがとても大事だ、ということがわかっていたので、朝、本棚の前にたってじっとながめたら、村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』が目に止まった。そもそも本棚には村上さんの本しかないのだが、なんとなくこの作品をもう一回読みたい気分になった。まともに読んだのがいつだったか覚えてないくらい昔。

久しぶりに読んだら、やっぱりかっこいいなあ!たまらんなあ!83年の話ということになっていた。そうだったのか。電話と手紙はあるけどパソコンもスマホもない時代の話。だからこそかっこいい。小説に出てくることを片っ端から真似したくなる。ローストビーフ・サンドイッチを食べたくなる。

読書というと深い意味を考えてしまう人が多いけど、わたしは何も考えない。その本から得られる教訓、などどうでもよい。20代で村上春樹の作品を読み始めたとき、そうだった。みんないろいろいうけど、わたしはこの世界と空気が心地よいので読んでいる、それだけ。そもそもほかの小説はあまり読まないので比べようもない。次から次に読んでいるうちに、根底に流れる共通したなにかが、なんとなくわかってくるようになった。わかるようになったのは、わたしが歳をとったのが大きいと思っている。

そういえば7月に、村上さんの新作が出るらしいです。といってもすでに、この3年間くらいで、雑誌「新潮」に公開されたものを順番に読んできたので、わたしはすでにぜんぶ読んでいる。「夏帆」という主人公の話。それでも本の形でまたきっと読む。

話はもどって1日は、中止の連絡が入るや否や電車にのって帰った。といってもそこから1時間半。遠いよ。おなかがすいたので駅前の蕎麦屋に行ってみた。いつか行こうと思っていたところ。きのこおろしそばを食べた。テレビでは徹子の部屋がやっていて、山本リンダが出演していた。細くてシュッとした容姿だけど顔は不自然だった。ゆがんでないのにゆがんで見えた。有名人はいろいろあるよな。

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2日。これでもかというくらいいい天気。朝は1週間ぶりの合気道。気持ちがよかった。膝や肩に負担がくるのは、受け身の取り方がおかしいのだと思う。改善の余地あり。それにしても1週間あけると、ブランクがある感じになるなあ。週2は行きたいところ。

家の掃除と洗濯をした。昼に、知人に会うことになった。久しぶりに会う人たち。たくさん話して楽しかった。やっぱり顔を合わせて話すというのは大事なことだなと思った。昼の前とあとで、具体的に何かが変わったわけでもないけど、満ち足りた気持ちになった。人とのつながりってこういうことだろう。

午後、図書館にいって新聞と雑誌を読んだ。宇野昌磨がeスポーツチームに入ることになった、など。家でやれる筋トレの紹介、など。

夕飯はどうしようもなくて結局チャーハンを作ってあげた。「あげた」というのは、子のためで、自分が食べたいものではないから。わたしは豆腐が食べたい。というのも最近とてもおいしい豆腐に出会ったから。豆腐屋さんではなくスーパーのやつだけど、これなら毎日食べたいと思う。黒酢をかけて食べる。わたしは豆腐が食べたい。

そうか、5月なのか。いつのまにやってきたんだよおまえ。

martedì 28 aprile 2026

『マンションポエム 東京論』『おいしいものだけ、たべていこう』

最近読んだ本の記録。
『マンションポエム 東京論』 大山顕
これは傑作だった。90年代から今に至るまでのマンションの広告コピーを1600超集めて、分析したもの。と書くと簡単に聞こえるが、それはもう深い世界。建築、地理、社会学、言語学、歴史、ジェンダー、そのへんをいっきにカバーしてしまう。300ページを超える分厚い本だが、実際の広告も入ってくるのでさほど苦なく読める。世の中の見方が変わる。マンションの広告を馬鹿にしているわけではなく、愛あるからこそできることだろう。これぞライフワークだろう。おもしろい本を読みたい人に、ぜひおすすめしたい本。傑作だ。

『おいしいものだけ、たべていこう』登坂淳一
人気の元NHKアナウンサーの登坂さんが、いつの間にかパパになっていたらしく、家族のために料理をつくる記録。ろくに料理をしないと、こんなところにつまずくのか、とまさか想像もしない目線が加わる。登坂さんといえば、当時の人気っぷりはすごかった。東日本大震災のときに、応援として東京に戻ってきたときの、あの全国での驚きと喜びをリアルタイムで見ていた。「まろ」というニックネームがあって、テレビに出たときはTwitter上がたいへんな騒ぎだったのをよく覚えている。そして黒い髪がなぜ突然白くなったのか、とか、いろいろな憶測がとんでいた。15年前、世界はとても平和だったのだ。NHKをやめたというのはどこかできいたけど、その後どうなっていたか知らなかった。自分がテレビを持たなくなったのもあるだろう。もう54歳だそうで、こどもが生まれたのは最近。結婚するにしても、家庭を持つにしても、有名なひとは大変だろうな。。。読んでいて誠実さ伝わってくる。これに励まされて料理をはじめる人が増えればいいと思う。

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ここ1年?2年くらいだろうか、読書の仕方が変わったと思っている。
どうせ読むなら質の良い本を読みたいと思う。だけど何を読めばいいかわからない、という状況が多かった。なんとなく手にとっても大したことないことも多い。それが、たいてい「次に読んでみたい本」が常にあるようになった。

何が変わったかというと、雑誌の書評を参考にするようになったため。とくに文春の「今週の必読」は毎週必ず読む。そのほかの雑誌も読んでみると同じ本が紹介されていることがある。ピンときたものだけ、携帯にメモをとっている。思い出したら図書館で予約をする。自分の手元に回ってくるまでに半年以上かかるものもあるがそれでも気長に待っている。(わざわざ買うことはない。ものを増やしたくないため。)待ちに待った本が手元に回ってくるときの「予約確保」のメールは、じんわりと嬉しい。サプライズでプレゼントをもらうような感じがする。待ったからこその喜びもある。借りると、だいたい次に予約が入っているので、なんとかして2週間で読み切ってしまわなければいけない。これもまた借りることのメリットである。買ったらがんばって読もうとはしないから。というわけでわたしの生活に図書館は必要不可欠なのである。

domenica 12 aprile 2026

落ち着こうぜ、とNocturnes

 珍しく夜に書いている。

なんとか1週間を乗り切った。若いときよりも楽に感じるのは、恐れるものが減ったのと、慣れた職場だからだろう。世の中のみなさん、今週はたいへんでしたよね。ほんとによくやったと思います。金曜の夕方は職場で、「がんばった自分へ」ということでみんなで拍手した。たぶん1年間で一番たいへんだと思う。

日本社会にあふれる4月のエネルギーと、やる気というものはすごい。発電できてしまうんではないか、とさえ思う。気候は寒くもなく暑くもなく、桜も咲いて、気持ちがよい。さわやかさとともに、ここから切り替えていこうぜ「ワンチャン」あたらしい俺生まれる、的なという真剣さもあり、「新年」と「新年度」はまったく別の種類の新しさがある。

これがしばらく前からわたしにとってはやる気よりも「どうどう、みんなおちつけよ」と感じるようになってきた。一歩引いた目で見ている。昔からそうだったのかもしれないけど…。冷静にならないと、じきにつぶれるよ、と。平常心でいこうぜみんな。このやる気はどうしたって続かないんだから。

とは言うもののこの、4月にしかない、今しか発電できないこのエネルギーの力を借りてこそえいやっと成し遂げられるものもあるわけで、4月の勢いを否定しているわけではない。むしろ、なんかやりはじめるならチャンスだと思う。これ以上ない切り替えのときです。

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さてきのうは1週間ぶりに合気道へ。1週間ぶりというのはいままでにもあったことなのだが、その前は2週間空いているので、身体はまだ慣れていない。その証拠にきょうの筋肉痛はすさまじい。珍しくふくらはぎの筋肉が痛い。そして首から鎖骨にかけて。なんでこんなところが痛むかというと、受け身のときに使う筋肉だから。これが春休みにゆるゆるになっていて、きのうはきちんと受け身をとれていない。背中から倒れたときにうける衝撃を支えられていないのだ。じょじょに戻していこう。平日の稽古も少しずつ入れていかないと。

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カズオ・イシグロの”Nocturnes"を読み終えた。タイトルにもなっている"Nocturnes"という短編はとても素敵で、読み返したいと思えるものだった。おもしろかった。人生で何回か出会う「抱きしめたくなるような短編」に出会えた。村上春樹の短編集に続く。はあ、人生ってすばらしいな。架空の話でも他人の話でも、こういうのを読むとそう思えるよ。明日を楽しみに生きることができる。

martedì 31 marzo 2026

"Come Rain or Come Shine" Kazuo Ishiguro

とんでもなく良い短編を読んだ。カズオ・イシグロの"Come Rain or Come Shine"です。いま同氏の"Nocturnes"を読んでいるのだが、そのなかの2作目。日本語でも当然、翻訳が出ていて、本のタイトルは『夜想曲集』。カズオ・イシグロはいままで長編しか読んだことがなかったが、ためしに、と思って図書館で予約して借りてみたのだった。

語り手が、学生時代の友人宅を訪ねる話。誰にでもありそうなプロットなのでよけいに傑作と思える。カズオ・イシグロにはめずらしいコメディ感がいっぱいで、笑える、吹き出してしまうようなシーンもある。どうなるのか気になって本が置けない。

それでも、ただのコメディでは決して終わらない。ラストが良い。読み終わって24時間くらい経っているけど、いま、じわじわと響いている。

単語は難しくない。辞書はいらなかった。手元に置いておきたいと思うし、もう一度読み返したいと思える。傑作。「英語は上級で、何か面白いものを読みたいけど長編の体力と根気はない」という人にはぜひおすすめしたい。

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さて、きょうで3月が終わる。あっという間だったなあ。去年のきょうもここにいたはずだけど、なんだかつい最近のことだったような気さえする。去年の今ごろ歩き始めたばかりの姪が、今年は走り、両足で跳んで、言葉で意思疎通をしている。わたしは成長しているのだろうか。一年前の今と、何が変わったのか。成長、あるいは衰え。衰えるのが当たり前と思わずに過ごしたい。

ここ数日、よく眠れていて、疲れもとれている。きのうの午前中は暑いくらいだったが、午後からは予報通り雨が降った。もうすぐ満開、という桜だったが散ってしまったかもしれない。

mercoledì 25 marzo 2026

3月振り返り

花粉のせいか、なんだかスッキリしない3月だった。と言ってもまだ終わっていないけど。朝すっきり起きることができずに、目覚ましが鳴って一度止めても横になったまま、という朝がたいていだったような気がする。寝ているけど寝不足。そのせいでめまいがして、そのせいで吐き気もする、というのが先週。

合気道は行った。行っているあいだは問題なかったけどちょっと休憩したくなって回数は減った。

花粉症は薬を飲んでいて、大したことなく終わった、と思ったら先週あたりからくしゃみ鼻水がすごい。ちょうど3月上旬で、飲み続けていた薬も切れたので、そのせいもあるかもしれない。そしてスギではなくヒノキなのだろう。原因はどちらなのかわからないし、どちらもあるかもしれない。いずれにせよこれは病院に行かないとやってられないと思っておとといは病院に行った。薬を飲んだおかげか、きのうはだいぶマシだった。

3月といえば、WBCは盛り上がった。テレビを見ない私にとってNetflix独占配信はありがたかった。そして、その延長でBTSの復活もライブで見ることができた。嬉しかった。BTSの曲が好きというよりは彼らの存在が嬉しい。わたしもがんばろう、と思える。それにしても軍隊に行って戻って来て、さらに年月もこれだけ過ぎているというのに、少しも衰えが見えない7人。むしろ、友人曰く、「輝きが増している」。確かに。

読んだ本

冴えない3月とは言うものの、本は読んだ。長い間かかってようやくカート・ヴォネガットの"The Sirens of Titan"を読み終えた。とても難しかった。なんども諦めかけたけど、終盤いきなり面白くなってきたので読み終えられた。それにしても辞書なしではとても太刀打ちできない語彙レベル。電子辞書の電池を何度交換したことだろう。

日本語と英語の本を同時進行している。当然ながら日本語のほうが早く読める。

『忙しいのに退化する人たち やってはいけない働きかた』を読んだ。分厚いけど文字が大きくて読みやすい。結論を読みたいのに先延ばしにされる感覚は少しイライラするけど、労働の歴史についてまとめてある箇所はよかった。週休2日が定着しているのは近年だから、であってこれがずっと常識だったわけではない。そして世の中、なくても困らない仕事がたくさんある。いなくても気づかれないような仕事がたくさんある。世の中便利になっているはずだけどそのぶん仕事は増える。増え続ける。以前は表舞台に出ている人、いわゆるエッセンシャルワーカーだけだったはずが、それを管理する裏舞台の人たちが出現している。筆者はそれをpseudowork(偽仕事)と呼ぶ。これを意識しているだけでも働きかた、生き方にいい影響があると思う。

『世界自炊紀行』を読んだ。どの雑誌でも書評が出ていて、相当評判が良いようだったので予約をしてやっと借りることができた。500ページ超でこれもかなり分厚い。しかし写真が多いのと旅の記録なのでスラスラと読める。「ふだんのご飯」を作るのにプレッシャーやストレスを感じている人はぜひ読んでほしい。日本は食について興味がありすぎる/真面目すぎるのかもしれないという考察は、分かってはいたけどあらためてまとめてあるとなるほどと思う。

ほかにも何か読んだ気がするけど、なんだったかな。

さてきょうは3月最後の勤務日。明日からも仕事はあるけど全部休むことにしている。休暇が必要だ。

martedì 3 marzo 2026

眠れないときの過ごし方

 日曜の夜、どろぼうの夢を見た。わたしの家ではないところで、泥棒と対面して、なにか会話をしたと思う。対面といっても顔がみえない。絵本なんかでよくあるような、真っ黒な人影がどろぼうその人だった。しかもふと、「来週締め切りのあの仕事の担当はもしかして私じゃなかったか」と思い出してしまって、担当の表を確認せずにはいられなくなった。いったん気になると夜の思考は魔物のように襲ってくる。どうしても眠らせてくれない。

というわけで夜中1時すぎに起きた。担当を確認すると、わたしではなかった。よかった。これで眠れるか、というと、そんなにすぐには眠れない。そもそも9時から寝ているので、1時にはそこそこの睡眠がとれていて、うとうとするような眠さはないのだ。というわけで、眠れないときにお決まりの本を読んだ。カロリーヌ・ド・メグレの"Older, But Better, But Older"だ。(日本語のタイトルは「40歳過ぎてパリジェンヌの思うこと」といういかにもなタイトル。)

 

30代はもっと眠れない夜がたくさんあって、そういうときもカロリーヌ・ド・メグレの本にだいぶお世話になった。当時は「パリジェンヌのつくりかた」だった。20代後半から30代のまるごと、この本にどれだけ励まされ、助けられただろう。もはやバイブル的存在。永久保存版だなと確信したので、図書館の人が使うようなシール?ラベル?でコーティングしてある。

2作とも、読むというより気が向いたページから見る感じだ。

著者はわたしより年上で、40代になってから次作を書いたわけだが、続編をいまかいまかと待ち望んでいた私はすぐに買った。当時まだわたしは30代。買って読んでもいまいちピンとこなかった。

それがどうしたことか最近だとしっくりくるのである。40過ぎてから読むべきだなとあらためて思う。

それにしても最近は「うすーく」眠っているようなときが多い。なんだろう。睡眠時間の後半になると、うすーく眠って、現実なのかどうか判別つかないようなクリアな夢をたくさん見ている。そして自然と5時に起きるわけではなく、そのまま6時まで寝てしまうことができる。疲れているんだろう。仕事のストレスもある。花粉症もあるかもしれない。季節の変わり目というやつか。

週末に読んだ数々の雑誌のなかで、ためになる情報がいくつかあった。藤田晋さんだったと思うけど「謙虚で、気が利く」社員について書いていた。昇進する人の特徴だったっけ…。気が利くというのは、気を利かせようと思ってもなかなかうまくいくものではないのだ。謙虚さについては、意識するといくらか変わるかもしれない。

さて、きょうは1日雨。昼になにを食べるか、きのうの夜から考えている。

mercoledì 4 febbraio 2026

友人に会った、"Dear Life"読みおわった

3日はいつもと違う場所に仕事に行くことになっていて、2日はその経路検索などをしていた。そのとき、Aに会おう、と思った。友人Aは行き先の近くに住んでいるのでもしかしたら会えるかもしれない。ダメもとで連絡をとったらちょうど時間が合い、会えることになった。連絡してみるものだなあと思う。

久しぶりに会うようでそうでもなかったりするのだが、いつものように話は尽きず、お互いしゃべりたおした。短時間でも会えてよかったし、おかげで1日が特別にいいものになった。

この年になると、友人は、心がけて会おうとしない限り、会わなくなってくる。信じられないけど10年ぶりだね、みたいなことが簡単にある。特にこどもが生まれて家庭を持つと優先順位が変わるので、当たり前だと思う。そういえば誰にも会ってないな、と思うことがよくある。かといって働き始めて以降の新しい友人ができるかというと、大学時代ほどのくだけた間柄はなかなか築けていないので、やっぱり当時の友人は貴重だなと思う。ただしそれが誰でもいいわけではなく、自分にとって大事だと思う人、自然と会いたいと思う人はやはりそうでない人との間に線がある気がする。

日差しはあるけど北風のつめたい1日だった。そろそろ花粉症の薬を処方してもらいに行かねば、と思った。

今朝、Alice MunroのDear Lifeをようやく読み終えた。ノーベル賞作家の短編集。買ったのは、それこそ、10年くらい前だったと思う。全然入り込めず、何回挑戦しても最初の話を読み終わらない、それが続いた。長編に慣れ、読めるようになった今となっては、この本も読めるようになっていた。もっと言うと、長編に慣れると短編が物足りなくさえ感じる。慣れの力はすごいなと思う。

おもしろかった。いくつか、とても印象に残る、気に入った話がある。そうでもないのもあった。カナダが背景の話は読んだことがなかった。女性の目線で書かれているが、なるほどこれは男性に書けはしないなと思う。川上未映子を読んだときもやっぱりそう思った。自分の年齢もあると思うけど。

人生は面白いよな。なんてことない自分の毎日でさえ面白く見えてくる。事実は小説より奇なり。そんなことが積み重なってできている、人生。

さてきょうは普通の1日。はやく暖かくならないかなあ。

lunedì 2 febbraio 2026

1月の振り返りと日曜のきろく

さて2月になった。

1月は長く感じた。知人の死をはじめいろんなことがあった。どうやったら自分がつぶれることなく、折れることなく過ごせるのか、よく考えた1ヶ月だった。体調不良にならないように毎日努力した。よく寝てよく動くようにした。合気道はこの1ヶ月で14回も稽古に行った。こんなことは今までになかったと思う。寒稽古の効果は大きい。よく動くので、お腹もすくし、ほどよく疲れてよく眠れた。食べたいものを食べたいときに食べているが、それでも体は軽かった。一年で一番寒さの厳しい月を、元気で過ごすことができた。 これは良かったと思う。


こども作のレゴ。写真も自分で撮っていた。ブログに載せてよ、と言われたので。
細部までよくできている。
これはまた別の日に作っていたものだったと思う。

昨日の午前中はいつものようにこどもとプールへ。毎週行っている。泳ぎ方は相変わらずだが、とにかく浮かんで、息継ぎしながら25メートル泳げる。

新しい椅子を買うかどうか迷い続けて数日、ネットで見ただけではなかなか決められなかったので、きのうは思い切って店舗まで行ってみた。昼を食べに出かけたあとで、渋谷へ。驚くべき人の多さ。少し暖かい日曜の午後に、渋谷に人が多くないわけはないと思っていたけど、想像以上の多さだった。正確に言うと「観光客の」多さ。日本人は半分いるだろうか?前に人がいて、道を、進めない。ハロウィンかと思うくらい。自分が何をしにここまできたのかを忘れそうになった。

本来の目的ではなかったが、久しぶりにロフトに入ってみたら売り場がすべてお土産物になっている感じがした。桜や富士山がモチーフになったものばかり。すごい。2月でこれだとすると、もっと暖かくなった花見シーズンなんて一体ここはどうなってしまうんだろうか。近寄ることもできないんじゃないかと思った。いろんな言語がきこえる。英語をしゃべる人たちが、「オマイガー、イッツソーキュート」と言いながらジブリの小さな置物のようなものへ駆け寄っていて、写真を撮っていた。そのあとも、上まで上がってみたけど日本語はほとんど聞こえなかった。

それでも、帰りにスクランブル交差点を渡りながら、ちょっと爽快な気分がした。東京という街を1人で歩くときの爽快感。私にはわかる。自由と一緒に闊歩する。私はここからどこにでも行ける、誰にも支配されない、私は自立していて、私は自由。そんな気持ち。少し傾いた日差しが暖かくて、眩しかった。もうすぐ春だ。

帰ってからいつものようににんじんラペを作ったりした。試しに座った甲斐あってどの椅子を買うか決めた。ここ数日、どの椅子にするかインターネットばかり見て考えていたのでネットを見るのはもう疲れて、本を読んだ。『ドイツ人のすごい働き方』。こう言っちゃなんだけど、すでに実践していることばかり。3週間の休暇とか、定時に帰る、とか。あとは、いわゆる会社に勤めていない私にとっては、読み飛ばすところも多かった。あっという間に読んでしまった。

ドイツ人の片付けについては参考になるところがあった。ドイツ人は片付けが好きだというのは、以前友人から聞いたことがあった。ベルリンに行ったときに借りた家が本当によく片付いていたのも覚えている。

こどもの宿題をみたり、明日の準備をしたりして、夜はバーガーキングを食べて寝た。いい日曜だった。

venerdì 30 gennaio 2026

「自分に厳しすぎる」と、光浦の本

 先日の合気道で、先生が、門人について「自分に厳しいんですよね…」と言っていた。20代の女性が「私なんてまだまだ」と言うらしいが、これがどうも厳しすぎるようなときもある、とのこと。

少しこれについては考えた。

女性全般についてのコメントというわけでもなかったけど、もしかしてそれはあるかもしれない、と思った。「がんばって、いい子であること」を幼いときから期待されている傾向が、女の場合はある気がする。そのうちに男がある程度「あいつはまったく」で許されるところを、女は許されないどころか自分でも許さなくなってくる。先日なくなった知人のことも考えた。

女性が責められやすいのはその分期待が大きく、そういう目があるからだ、と極力意識して、それは自分のせいではないと思えばいいのだがたいていはそうはいかない。少し何かが欠けたときに、想像以上にこれがこたえてしまう人たちが、私の周りにも何人もいる。

なるべくいろんな人に会っていろんな経験をし、自分の視野を広げる努力をしていこうと思う。折れない心を育てるのは、こどもだけではなくて、年取った大人だって同じことだ。それを意識しながら生きたい。

ウクライナの友人にもらったチョコレートがとてもおいしい。物流は止まっていないそうだが、それでも、戦争下にある国から食べ物をもらっているのだから、貴重だと思う。

今朝は光浦靖子の「ようやくカレッジに行きまして」を読み終えた。相変わらずの面白さだ。この人は本当に応援したくなる。裏も表もない、さらに、気取った感じが全然ないこの文章がストレートに響く。ワークパーミットが取れた状態で今カナダにいるということがよくわかった。あと2年くらいだろうか、どうかがんばってほしい。彼女の存在がたくさんの人に希望を与えていることは間違いないだろう。

mercoledì 31 dicembre 2025

読書家ではない人の読書記録

25日に仕事おさめをするやいなや、帰省している。遅くなればなるほど航空券代は高くなり、空港は混むということは明らかだ。今回はなんと6月に予約していた。それもあって夏以降、そわそわすることはなく過ごせた。これで良いのだろう。

冬に郷里以外のどこかへでかけたいとはあまり(いや、ほとんど)思わない。この短い期間にいっせいに人が動くわけだから、どこへ行っても混むし高い。海外に行く人の話を聞くたびに「よく行こうと思うよなあ」と、むしろ感心してしまう。羨ましくはない。いってもたったの1週間程度だ。英国留学中を除いて一度も、お正月を海外で過ごしたことはない。

読書の記録。

カズオ・イシグロのThe Remains of the Dayの最後の一章を残して、図書館での返却期限が来てしまったためやむなく返却をしたのが数週間前。仕方がなかったので読みかけていたアリス・マンローのDear Lifeに戻った。読みかけといっても短編なのでスタートしやすい。こういうときに短編はいいなと思う。最初の一話しか読んでいなかったので二つめの話から順番に読んでいる。二話以降もとても面白い。女性の視点から語られるので共感しやすい。場面が想像できる。こんなに面白いものをよく今まで何年も本棚に放置していたものだ。

しかし今朝読んだ"Pride"という話が今までと全然違った感じがしたので、気になっていろいろな書評や、読者の感想を読んでみた。まず語り手が男性だったという点。これに終盤まで気づかなかった。そして会話はほとんどなくて、語り手が淡々と語っていく形式。「いつものアリスマンローではない」というコメントがいくつか見つかった。発表?された雑誌も違う。the New Yorkerが多かったのにこれはHarper'sらしい。編集者とどういうやりとりがあったんだろう、と書かれたものもあった。わたしもそう思う。そしてタイトルとの関連性も考えさせられる。

さてきょうで2025年が終わる。2015年は自分にとっていろいろあった年だった、とよく記憶しているのだが、そうかあれからもう10年も経ったということか。振り返ってもどうしようもないのでいつもふりかえらない。一つ、よかったことを挙げるとすれば、読書の習慣が身についてきたことだろう。8月から、英語の本を、毎日少しずつ読んだ。

Never Let Me Go
The Buried Giant
How to Pronounce Knife
Klara and the Sun
Slaughterhouse-Five
Dear Life(途中)
The Remains of the Day(途中)

誰も知らない自分だけの深い世界を持っているようで楽しい。生きる楽しみが増えたようにさえ感じる。日本語の本もいくつも読んだけど、良質の洋書を読んでいると日本語はおまけ程度に感じる。そもそも、さほど重い内容のものを読んでいないためだが、英語に比べてあっという間に読んでしまうのもある。

先日、恩師から、読書家の私に、と図書カードをもらった。読書家と呼ばれるにはほど遠いと思っていたけど実際に本は読んでいる。わたしが想像する読書家というのはもっとずっとレベルが違うのだが、読書家について定義があるわけでもない。そう呼ばれたことは嬉しかった。もっと若いときから、もっとたくさん読んでいればよかっただろう。この年になってようやく楽しさに目覚めた感はある。遅くはない。「村上春樹以外読まない人」からは脱した感じがする。

venerdì 28 novembre 2025

Slaughterhouse-Five 読み終わった

 今朝、カート・ヴォネガットの"Slaughterhouse-Five"を読んでしまった。買ったのは2年前で、当時、読もうと試みても全然頭に入ってこなかったので放置していたものだった。しかし今回はスッと入っていけた。初めて読む作家はその書き方に慣れるまでの時間も必要だ。今回読めたのは、「カズオ・イシグロを読んだ」という事実があるからだ。英文を読むことに慣れ、長編小説に物おじしなくなった。自信がついたのだ。夏休みから連続してカズオ・イシグロを3作と、How to Pronounce Knifeを読んだことで、また別の世界ができた。「これが読めるということは、これも怖くないはず」と思える。優れた作家の優れたインプットがあるというのは素晴らしいことで、こうやって朝、洋書を読む習慣が身についたことがありがたいと思う。

さて、スローターハウス・ファイヴは、簡単にいうと戦争の話。ドレスデン爆撃について。これだけ聞くとだいぶ重そうな雰囲気があるが、全くそうならない。なぜかというと、登場人物がタイムスリップをするから。笑えるほどに場面も時代も変わる。ずっと戦争の話を読んでいたらそれは暗くなるだろうけど、この小説は違うのだ。文も短く、回りくどくない。あっさりした感じが最初から最後まである。

ドレスデン爆撃について、聞いたことはあったのだがよく知らなかった。あらためてウィキペディアで調べたり読んだりした。これをアメリカ人の視点から書かれているところが面白い。

アメリカ英語の小説を読むのはもしかしたらカーヴァー以来?で興味深かった。知らない単語がたくさんあって、どうしようかと思った。普段オンラインの辞書を使っていて、家に紙の辞書がない。そして電子機器を開かずにペーパーバックを読むという状況を自分で作っている。つまりここでパソコンやi padを開くとおそらく読むことをやめてしまう。電子機器の魅惑に紙は簡単に負けてしまうということを経験上よく知っている。さてどうするか。結局、電子辞書を使うことにした。昔の電子辞書で、もう出番はないのではと思っていたけど、ついに電池を入れ替えた。そうすると、やっぱり使いやすい。この10日間くらいで大活躍している。電池の消耗だけが気になるが仕方ないだろう。

次に何を読もうかと考えているが、まずは棚にあるものを片付けたほうがよさそう。そのいっぽうで、カズオ・イシグロをもう1冊読みたいとも思っている。

giovedì 20 novembre 2025

Klara and the Sunと、語彙と

 「あと3日か〜」と子が言う。もちろん、休みまで、あと3日ということ。週が始まるやいなや「あと◯日」と数えている。気持ちはよくわかる。寒くなってくるとよけいにそう思う。

今週は子とわたしと、2人暮らしである。なんだかんだうまくいっている。鍵を持たせることにも慣れてきたし、わたしも休みをとったり早く退勤したりしながら日々を過ごしている。特に困ることはない。もしここでわたしが具合悪くなったりしたら、それはもう大変だろうなと想像がつく。絶対に具合悪くならない、と毎日自分に言い聞かせて過ごす。それは今週2人で過ごしているからというわけでもなく、周りにインフルエンザが流行している今だからこそ、そう思う。

栄養をとって、とにかくよく寝る。9時から5時まで寝ているが、それでももっと眠れそうな時がある。だいたいこの季節はそうなので、おそらく夏の間に不足している睡眠をここで取り返そうとしてるんだろうと思っている。

週末だったと思うけど"Klara and the Sun"を読み終えた。衝撃はそれほど大きくはないが、だいぶ考えさせられる本だった。いつものように、読み終わったあとになって世の中の人々の感想をネットで読んでみたら(これまたいつものように)読んでいる間は自分がわかっていなかったことがたくさんあった。なかでも"lifted"という言葉や、登場人物が具合悪い理由については全然想像もしていなかったので「ああそうだったのか」と、愕然とした。誰かが書いていた読後の感想にもあったが、これを翻訳で読むとなると、ヒントがありすぎるだろう。このliftedをどう訳すかは、翻訳者の腕の見せ所なのだろうなと思った。そう考えると、やっぱり原文で読んだほうがいい。なんだろうなこれは、という表現がたくさん出てくるけど、それはネイティヴでも同じように「なんだろうなこれは」と思いながら読んでいる場合がある。

次の本をどれにしようかと、選ぶのを楽しみにしていたが、やはり家の本棚にあって読んでいなかったものから片付けていこうと思い、カート・ヴォネガットのスローターーハウス・ファイヴ"Slaughterhouse Five"を読んでいる。タイムトラベルをする話なので、頭がついていかない時もある。語彙は、Klara and the Sunよりだいぶ難しい。The Buried Giantも、Never Let Me Goも、それほど困らなかったのにこの本はピタッととまることがある。カズオ・イシグロはそれほど難解なわけではないのだ。

さすがに調べないと無理だなと思うけど紙の本で読んでいるのでキンドルのように触って意味が出てきたりはしない。辞書を引くにもうちには紙の辞書がない。電子辞書を使おうと思ったら電池がない。オンラインの辞書にしようかとも思うが、紙の本を開いているときにi padなどの電子機器を開くことに抵抗がある。なぜかというと本を読むのをやめて画面を見つめそうだから。やっぱり頭のなかに辞書がある(つまり語彙が豊富)と苦労が少ないのは当然だ。語彙力は無敵。まだまだである。

というわけで「朝起きてすぐ洋書を読む」が夏休みから続いている。「習慣」になりつつある。

giovedì 13 novembre 2025

眠い、読書

自分でも抑えられないほどイライラするときがあって、これは更年期というやつだろうかとふと思った。睡眠不足のせいだろうとも思う。

おととい、11日の夜。7時ごろにすでに眠くて、本を読んでいたら眠りかけていた。こういうことは滅多にない。11日は仕事が休みだったから、体が緩んだのだと思った。9時ちょっと前に寝て、それからあとは本当にぐっすり寝た。夢も見ただろうけど途中で起きることもなかった。

図書館でようやく予約が回ってきた『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』を読んだ。2日で読んでしまった。読むと、仕事をしててもしてなくても、少し生きやすくなるなと思った。それから先週は、光浦靖子の『ようやくカナダに行きまして』を読んだ。これもあっという間に読んだ。本当におもしろくて、ずっと読み続けたいような気持ちだった。まったく飾っていない、ありのままの留学生活。続きはあるんだろうか、と思ったら、ちょうど10月末に発売されたばかりだそうだ。これも図書館で借りようと思うが、順番が回ってくるまで果たして待てるだろうか。

洋書は、電子書籍なりペーパーバックを買って読むが、日本語の本はざっと読むだけのこともあるし本当に気に入った場合と村上春樹の本を除いてわざわざ買おうとすることはない。図書館で読む雑誌の書評、「今月のおすすめ」をメモして帰り、ネットで図書館で借りる予約をする、というのがここ数年の流れ。これは文春を読んでいてわかったことだが、書評はかなり参考になる。選りすぐりの本が紹介してあり、かなり質が良い。

繰り返すが私は読書家には程遠い。それでも「読んでいる本」というのはある。夏以降は、毎朝洋書を読んでいる。並行して、日本語の本も読んでいるので常時2冊は手元にある状態だ。それで、以前も書いたが、洋書を読んでいると、日本語の本を読むのがとにかく早く感じる。こんなにすらすら読めていいんだろうか、と思える。圧倒的に楽なのだ。そういうわけで、日本語の、面白い本だったら1日で読んでしまうことも珍しくない。

子がレゴで作る作品が、やはりレベルが高くて驚く。こちらはガンダムに出てくる「ズゴック」らしい。似ている。
それから、買ったプラモデルを見ながら、同じものをレゴで作り始めた。細かい色まで再現されていて驚いた。
これは才能だろうなと思う。当然ながら設計図やレシピのようなものは何も見ていない。

天気がイマイチ冴えない。

martedì 28 ottobre 2025

『全員タナカヒロカズ』、算数プリント

「全員タナカヒロカズ」という本を読んでいる。図書館で雑誌を読むのだが、あらゆる雑誌の書評に最近よく登場する本。しばらく前に予約して、ようやく手元に回ってきた。「田中宏和」さんが同姓同名の人と集まってギネス記録を作る。もちろん実話。バカみたいに笑えるところがたくさんあって、ひとりで読んでいるのに涙流すほど笑った。図書館とかカフェとか静かにしなければいけないところで読んだらこれはたいへんなことだったなと思った。

ばかばかしいかと思いきや、読んでいるうちにいろいろ考えさせられることもあり、しかも学術的な内容も書いてあり、もはやこの人、いや、田中宏和氏のまぎれもない「研究」であるということが感じられる。社会実験であり研究。ふざけではない、真剣なのだ。

同じ名前というだけで仲良くなれる− そんなことはないと思うかもしれないけど、この取り組み?運動?が始まったのはもう何十年も前だということで、そこに田中宏和どうしの強い絆があることは間違いない。

人間ておもしろいな、と思うべきなんだろうけどなんだか今回は「日本人っていいな」と思える。名前の在り方が、各国で大きく異なるのでこの日本での条件下でタナカヒロカズ運動をやれる田中宏和氏たちが、とても、よく思える。

さてきのうは、わたしは仕事だったが子は休みだった。運動会はきょうなのだが、もともと設置してあった代休というわけ。宿題はないけど、やってなかった分のプリントをやっておくように言ってわたしは出勤した。

かなり抵抗していたが帰宅するとこれが机の上にあった。ちゃんとやってる…!

私は育て方を間違っていないだろうか、と思うことがよくある。親だから当たり前だと思う。基本的な信頼関係がわたしたちの間にはあるのだろうか。どうしてもいままで自分の人生で見てきた数々の親子関係のなかに自分をタイプファイしようとする。もしかしたらどれにも当てはまらない親子なのかもしれない。

きょう、子は運動会で、わたしは仕事がない。合気道に行こうと思えば行けたが、きょうはちょっと休もうと思った。休憩。

giovedì 16 ottobre 2025

朝顔、朝読書、扇風機

夏休み、家をあけていた間に、せっかく育った朝顔は枯れ果てていた。しばらくしたら種ができていたのでそのまま土に埋めたら自然と育ってきて、10月の今、うちには朝顔が咲いている。10月でも咲く。
これはおととい、火曜の空。これはこれできれいだけど9月のような明るいピンク色にはならない。薄い紫というか。やっぱりあれは9月だけの醍醐味なのだと思う。

先日も書いたけど、この本を毎朝読んでいる。独立した短編集。ラオスからの難民、という点では共通しているがそれぞれの話はつながっていない。今朝の話Edge of the Worldは特によかった。

難民にも移民にもなったことのないわたしはその視点が完全に欠けている。想像したこともないことがたくさんある。そのことを思わされる。「世界にはいろんな人が」と簡単に(偉そうに)言うけど、その、どの程度を知っているのか。常に自分が「こっちがわの人」で彼らは「あっちがわの人」と考えたがるのが人間で、そうならないように、相当意識していないといけないと思う。

暗くて寒い季節に入ってきて、どうも寂しいというか名残惜しい。これは毎年のことなんだけど10月に入っても半袖を着ている。家でも真夏と同じ格好をしているときがある。太陽にすがりつくかのように。明るい季節は終わりか…。

月曜に、扇風機をきれいにして、しまった。来年またよろしくという気持ちをこめて、きれいに磨く。かれこれ20年以上使っているのだが今年ついに断線した。それでも使える。とりあえず苦労を労って、ほこりをはらってよごれをふきとった。衣替えもした。毎年訪れる、せつない作業である。

そうは言ってもあっという間にまた冬がきて春がきて夏がくるのだろう。超スピードで過ぎていく。からだにいいものを食べて、いまあることに感謝をして、1日を大事に生きよう。

風邪ぎみ、とマリオのスター

 乾燥に弱い。喉が。 先週ちょっと喉が痛いかなと思った。よくあるビリビリした痛さはなくて、3連休はのどをそれほど使うこともなく休んだので悪化しなくてよかったと思った。たいていパターンは決まっていて、「ビリビリ」がおわると鼻水が始まり、咳が残る。そしてきのうがその「鼻水期」の始まり...