Monday 22 August 2022

東京に戻った

 東京に戻った。17日間も実家にいた(去年はもっと長かった)。毎度、考えることの多い滞在となる。移動して違う場所に寝泊まりするというのはそういうことなのだ。つまり、それが実家であれ、海外であれ、ある程度の刺激、ストレス、影響、変化を受ける。しかもそれが3泊4日くらいでは到底起こり得ないことが起こるし、感じ得ないことを感じる。それが良かったり悪かったりするかもしれないが私はそういった刺激を「悪い」と感じることはない。一箇所にずっと止まっていると当然ながら変化は起きない。移動し、人に会い、話すことが、悪い影響を及ぼすわけはない。ストレスのかかる分、得るものは必ずある。自分の子もそう思って6年間育てている。圧倒的に大量の人間との交流によって、新しい価値を創り出す能力が育つ。

さて、狭い東京に戻ってきても、30分もあれば環境の変化に慣れ、だいたいものごとが元に戻り始める。20年も住んでいるのだ、ここに。

子は早速きょうから保育園へ行った。ためらいもなく、楽しそうに、いつもより早めに行った。長い間いなかったので、子の登園を楽しみにしていた友達Yくんが、子の名前を叫んで飛びついていた。親としてはこういうの何よりも嬉しいです。そして夕方迎えに行くと、迎えが早すぎると言ってそのYくんが私に「なんでこんなに早いの」と怒り始める。さらに明日からはYくんは家族旅行らしいです。「またらいしゅうね〜」と言われた。たった1日でも一緒に遊べて良かったと思う。

Friday 19 August 2022

雨のあとの散歩

昨日、雨が上がって気持ちよく晴れた。晴れているけど暑くない。いっきに涼しくなった。ちょうど9月を思わせるような爽やかな晴れだ。盆をすぎると涼しくなるというけど、やっぱりそうだなと今年も思う。田舎にいて自然に囲まれているとそれを余計に感じやすい気がする。

朝9時前ごろにこどもを連れて近くの川まで散歩した。大雨のあとなので川の勢いがすごい。田んぼの水が澄んでいる。「あ、おたまじゃくしが」と言って近寄ると、子は「どれ?」という。近寄って「これ、これ」と言ってもわからない。見たことがないのだ。おたまじゃくしを見る経験がないまま6年間を東京で過ごしている。絵本で見るおたまじゃくしとはだいぶ違う。仕方がないとはいえ、ああそうかと少し残念に感じざるをえない。タニシをみて「くろいのがいっぱい」と言うので、これはタニシというんだよ、と教えてあげた。

ほんの少しの時間だったけど、手をつないで道を歩きながら、私の通っていた小さな学校の話や幼稚園のバスについて話をした。やわらかい手をにぎりながら、手もにぎりやすくなったし、同じスピードで歩きやすくなったなあと思った。

親子だけど、違う時代を、違う環境で、それぞれの幼少期を暮らしている。同じ経験をさせたいようにも思うが、それはそれなのだ。この人にはこの人の人生がある。

Thursday 18 August 2022

『ブリティッシュ・ベイクオフ』

 雨が降り続いている。15日夜にすごい勢いで降ってきて、そのあとは突然土砂降りになったり止まったりの繰り返し。そして昨日は一日中降っていた。しかも強い雨だった。今朝は少しおさまったように見える。暑いのも困るが雨も困る。少しの雨ならいいけど降り続くと気持ちが晴れない。昨年の、災害級の雨にくらべると、まあそれほどではない。

家のなかにいて何をするかと言えば読書やらテレビやら。きのう、珍しく新聞の番組表を見てみると、『ブリティッシュ・ベイクオフ』と書いてある。Eテレでやっているらしい。知らなかった。英国BBCの番組で、存在は知っていた。アマチュアの"baker"たちが集まってお菓子作りその他"bake(焼く)"料理を競う。見たいなあと思いながらも実際に見たことも見ようとしたこともなかった。午後1時半、忘れないようにテレビの前に座った。

これが!とても面白かったのである。お菓子作りや料理について、私は手の込んだものはまったく作らないが興味はある。そういう人にとってはこの番組は相当面白い。昔、日本でやっていたTVチャンピオンを思い出す。

お菓子作りに関係ない点だが、イギリス英語が面白い。久しぶりにこれだけ大量のイギリス英語を聞いた。それはまあBBCニュースなんて聞いてればいくらでも聞けるんだけど、それとはわけが違う。というのは、出てくる人々が、一般人で、アクセントがそれぞれに異なるから。10人以上の人物が登場するが、居住、年齢、性別、背景、肌の色がすべて異なる。そして飾らない、ごく普通の英語。聞き取りにくい。これがおもしろい。司会役はもちろん聞き取りやすい英語を話すが、ベイカーたちの英語にはかなり差がある。

Eテレでは30分間しか放映されなかったが番組としてはその倍あるようだ。続きが気になる。木曜夜に放映されるらしい。が、これはもしかしてと思ってアマゾンプライムで探してみたら、あった。探し当てて、続きを見た。もっと早く気づいていればよかった。こんなに面白いものがあったとは。

いい番組だなと思うもう一つの理由は、途中にその食物についての歴史が解説されるところ。これがきちんとしていて、面白い。ちゃんと再現ビデオまで作ってある。きのう見たビスケットの回では、funeral biscuitsというのが紹介されていた。なんとお葬式の招待にはビスケットを使っていたらしい。ビスケットを葬式の内容が書かれた紙でつつんで、それをカゴに入れて、歩いて配り歩いた、という話。おもしろい。あとは、飽食で太り過ぎかつ病気になった人たちのために、カロリー計算された健康に良いビスケットというのが開発された話とか。

ちなみに「クッキー」はアメリカの言葉です。イギリスはいわゆるクッキーのことを「ビスケット」と呼びます。

Tuesday 16 August 2022

テレビの存在について

 何度か書いたが、東京の家にはテレビがない。

3年か4年ほど存在していたが、PC画面をコードでつないで映し出すというディスプレイとしての役割のみで、その間一度もつけたことがなかった。リモコンのありかも、わからなかった。それでも誰も困らなかった。

それでも最後に見たときのことは覚えている。育休から復帰した初めての冬、羽生結弦がメダルをとるかもという日だった。2月だったと思う。つまりオリンピックだったのだろう。大会を職場で途中までみて、羽生結弦は家でみるしかない、となったときだった。どうにかして家で見れるようにと、床で寝る我が子を起こさないようにそのケーブル(コード?)を探しあて、つないでみたのだった。

それからはTVはディスプレイとしての役割に徹した。そしてある日、壊れた。つかなくなった。廃棄するとなったとき、多額の費用がかかることを知った。予測はしていたが、テレビに関しては粗大ゴミの枠に入らない。業者に依頼しなければいけない。新しいものを買えば引き取ってもらえたのかもしれないが、新しいテレビは買わなかった。必要だとも思う人が家にはいなかった。

そんなこんなで文字通りのテレビなし生活になった。

そういう生活をしていて、実家に戻ると、テレビの音にびっくりすることがある。そして流れる情報のレベルの低さに唖然とする。見ない方がましではないかと思うものが大半である。まさに「垂れ流し」である。ただの騒音と変わらないような時もある。口をあけていてどんどん食べ物が入ってくるような感じがする。

食事中に流れているとこどもが「ぽかん」としてくる。

とくに凄惨な事件について食事中に流れてきたりすると、私は気持ちが暗くなる。「かわいそうにねえ」という同情の気持ちに行き着く先は何だろうか、と思う。そしてそれをこどもに見せる意味について考えてしまう。世の中ってこういうもんなんだよ、と知らせる手段としては確かにありなのかもしれない。しかし、たとえば日々報道されるこどもの虐待についてこどもが知る必要はあるのか。窃盗集団について、交通事故について、振り込め詐欺について。「ねえなにが起きたの」と言われると、たしかに説明する義務は親としてはあるのだろうが、あまり言いたくないときもある。

しかし、だ。自分自身もこうやって育ったのだ。テレビのある環境で。祖父母とごろごろしながら夕方のテレビをよく見ていた。それによって害があったのだろうか。ある程度の制限はあっただろうが。同時に、テレビ以外の媒体は新聞とラジオしかなかった。ざわざわと騒音のように降り注ぐ、それらの情報を選びとる力が、もしかしたらそれによってついていたのかもしれない。

いま、あふれる情報の渦のなかでどれを選びとっていくのか、リテラシーが問われるなかで、テレビという昔からあった媒体について、逆にこうやって考えている。

Saturday 13 August 2022

サマセット・モームの"the Pool"を読んだ

 ここにきて1週間。ようやく読書らしい読書をした。サマセット・モームの"the Pool"を読んだ。短編といっても結構長い。しかし後半ぐいぐい引き込まれてあっという間に読んでしまった。おもしろかった。英語はそれほど難解ではない。舞台はサモアで、以前読んだ、同じくモームの"Rain"を思い出した。1921年に出た作品らしい。Rainもそうだったけど、今読むと驚くほど差別的な箇所がいくつもある。しかしそうだったのだ、その時代は。英国が世界を支配していた当時。そしてサモアと英国の気候の差は印象的。

それにしても英国というのはおもしろい。こういうの読んでるとそう思わずにはいられない。あんなに小さくて、気候もまったく素敵ではない。しかしこの国の人たちが、政治、文化、科学その他の場面において世界にもたらす影響力の大きさたるや。うーん。気候の最悪さは確実に影響していると思う。天気が良くないからこそ外に出たんだろうなあと。

さて今日は何を読もうかなあ。

Thursday 11 August 2022

朝の習慣

朝の習慣について。

1. duolingoのmatching madness(カード合わせ)で、制限時間内にようやく最後まで到達できるようになってきた。それで点数を稼いでいるので今のところリーグ1位。きょうで497日目。本当に毎日フランス語を勉強している。少しずつだけど続ければだんだんものになってくる。たとえばSNSにある、フランス語話者が書いたフランス語が読めるようになってきた。私がフランス語を学ぶ目的は、話すというより読むためのほうが大きい。多くの人が外国語を学ぶ目的とちょっと異なるかもしれない。フランス語で書かれたものをみて「なんて書いてあるんだろう」と思うことがとても多いのだ。読めるようになりたいと思う。日本のニュースだけでは情報量が少ない、ということは英語でニュースを読んでいて気づいたことだ。そうしているうちに「フランス人の考えが知りたい」と思うことが多くなってきた。ここ数年の話ですが。もちろん、話せるようになりたいと思うけど。それは2番目の目的。

2. きょうのwordleは気持ちよく正解できた。(まだやってない人は見ないでください。)久しぶりにスクリーンショットに値する出来だった。
 3. しかしその後のspelling beeでパングラムが見つからない。どうしても思い浮かばなかった。

4. 同僚が夏休みの間ずっと配信してくれている英単語の問題を40問解く。だいたい3問くらい間違う。ずっとやってるけど全問正解したことがない。

5. 英語の日記を添削。数日前に依頼からあって、それに英語で返事をする。これは自分のライティングのためにもなるのでとても良い。

こういう、朝の習慣を続けながら夏休みを過ごしています。やることが少し増えているけど夏休みだからそれも余裕がある。

Monday 8 August 2022

七夕、雨、梨泰院クラス

 こちらは七夕が7月ではなく8月。ということできのうの朝、短冊や飾りをつけて竹を立てた。ところがその30分〜1時間後、大雨が降る。狙ったかのようなタイミングでものすごい勢いの雨だ。案の定、みごとに飾りが取れてしまった。いくらかは残っているけど、雨で落とされた分のお願い事は叶えられたということにしよう。

さて、ここにいると、日中眠い。こんなに眠いことは、東京にいる日中であればまずないのだが、ここでは眠い。いつも緊張状態で東京では過ごしているのだと思う。本当にリラックスなどできていないのだ。ここに来ると本格的にダラダラする。畳の上に転がったが最後、寝てしまう。おとといも、きのうも、昼に寝た。意識せずとも寝てしまった。くりかえすけど、東京ではこんなことは無いのです、まず。

見かけていた「梨泰院クラス」をみている。大きなソファでごろごろしながら見ている。おもしろい。日本のドラマも面白いのかもしれないけどまともにみたのが20年前の「王様のレストラン」なので最近のものとはあまり比べられない。韓国行きたいなあ、と切実に思う。夏の韓国。

Sunday 7 August 2022

登山から始まる移動続きの8月はじめ

8月に入ってからの振り返り:

 8月1日〜3日、林間学校。7年ぶりの登山。避けて通れない行事。いや、避けて通ることもできたのだが立場上、参加しないわけにはいかなかった。はじめて子と離れて2泊過ごす。山は、以前登っていたものよりもだいぶ負荷の低いものだと聞いていたのでそれほど心配することはなかった。実際、行ってみたら難なく登れた。やはり過酷な山、つまり辛い経験を一度でもしているといろんなことが楽に見えるものだ。とはいえ睡眠は不足するし、筋肉痛はするしで、回復までには時間がかかる。

これ、毎回のことなのだが登山の後は体重が増える。1kg~2kgは増える。痩せるんじゃないのか、と思いますよね。体組成計で測ると、増えた分は筋肉だということがわかるんです。これはほんとうにびっくり。いつもそうだけど、7年ぶりでもやっぱりそうだった。具体的には、体脂肪率が3~5%減り、体重が1~2kg増え、体内年齢が5歳ほど若返り、筋肉が1~2kg増えて筋肉量レベルが0から2に上がっている。人間の体ってすごい。しばらくするとこれがだんだんと元に戻ってくる。

4日。休息の日。荷物を片付けたり洗濯をしたり。図書館に返すべき本を持っていったり。しかしスーツケースはしまわないまま、次の出発の準備をする。

というのも5日は郷里に帰る日だから。このスケジュールに不安はあった。だいたい登山の疲れがそんなに簡単にとれるわけはないのに、たった1日あけただけでまたもや長距離移動をしても大丈夫なのか。コロナ持ち込んだり、具合悪かったり、準備が不足したりするのではないか。そういう心配があった。

それでも、帰省日を6日にしてしまうと、新幹線の席が取れないかもしれないという恐れもあった。お盆前の週末だから。いろんな心配はあったが、えいやっ、と5日に出発することに決めていた。

5日。朝は7時半より早く、子を連れて家を出る。準備といっても、登山の装備みたいなものもいらないし、国内だからパスポートも不要。私の着替えは実家にある。じゃあ何の準備が必要かというと、こどもの服だけだ。しかも、足りなかったら買えば良い。

8時30分ちょうどののぞみに乗って、いざ西へ。3月にもこの移動をしていたので、2回目は1回目ほど大変に思えなかった。そして、そのたった2日前に新潟から東京への移動(4時間くらい?)と登山を経験していたので新幹線の5時間はむしろ快適に過ごせた。登山の、暑くてきつくて汗ドロドロで、汚れて…という不快さに比べると、こんなものはなんてことない。特急も合わせて6時間半かけて到着。

これらすべての疲れが回復するまでは時間がかかる。昨日の午前中は、畳に横になったらいつの間にか眠っていた。顔もむくんでいるしあちこちがボロボロ。まあいいんです、ここでゆっくり休暇をとる。いくらかの仕事を持ち帰ってはいるがそれ以外は何もしないつもり。子は祖父母に会えて、好きなことをさせてもらって、とても嬉しそうだ。のびのびしている。自然はいい。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...