Thursday 31 March 2022

WordleとRain

さてこれはなんでしょう。 


Wordle 285 5/6

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Wordle(ワードル)という単語あてクイズです。NYtimesにある。知ってはいたけどやったことがなかった。まず、五つの文字からなる英単語をひとつ考えて、入力してみる。その単語のなかにその文字が使われていたら、黄色で表示される。緑で表示されていたら、その文字は使われているし、さらに位置も正しい。入力のチャンスは6回。

というわけできょうは第2回目をやってみた。難しかったです!知らない単語だった。上の緑と黄色と黒の四角は、私が5回で正解したということ。

辞書も使いました。これ、毎日やったら相当勉強になるなあと思いました。英語を知っているに越したことはないが、特に知らなくても、ゲームなので予測すれば誰でもできる。クロスワードよりハードルは低いです。明日の問題が楽しみ。

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きのうはモームのRainを読み終えた。短いと思っていたら結構長くて、途中であきらめようかと思ったけど後半はスルスルと読み進めることができた。そしてオチが…!面白かった!なんだそういうことだったのか、といくらかRainを読んだ人の感想をネット読んで確認した。さすがだよなあ。ひたすら降り続く雨のなかで起こる話です。

というわけで、(というわけでもないだろうけど)きょうはここは雨が降っている。ひどい雨だ。桜はこれで散ってしまうだろう。きのうが見納めでした。


Wednesday 30 March 2022

自転車とバーベキュー

実家5日目(もう5日も経つのか)。

きのうのこと。

日中、モームの短編「Rain」を読む。短編だからすぐ読み終えるかと思っていたら終わらなかった。途中までで終わり。

立派な自転車が家にあるので、タイヤに空気を入れ直して少し走ってみた。この道を自転車で行くと気持ちいいだろうなと思いながら毎日散歩をしていたところだった。少し走ってみたら、それはもう最高でした。人がいないのでぶつかる心配がまずない。こんなにストレスフリーに走れるものなのか、と思った。よそ見して人にぶつかるよりも畑に落ちる可能性のほうが高い。

あまりにも人に会わず、目印となるような建物もなく、音さえないので、だんだん不安になってくるくらいである。同じような道が続くと時間の感覚がまったくわからなくなってきた。

と言っても高校時代まではずっとこの道を走っていたので、初めてのことではない。そうかこんな感じだったっけなあと思いながら爽快な気分で走った。いい自転車なのでスイスイ進む。ここに住むのも悪くないなあと思った。

夜は弟夫婦がきて庭でバーベキュー。こちらは東京に比べて日没が1時間くらい遅い。だから6時すぎても外でバーベキューができる。そして、日中の太陽が残っているかのように、夕方までほんのり暖かかった。

Tuesday 29 March 2022

ブラック・ユーモア

 ただひたすらにのんびりして過ごしている。仕事はしない。仕事道具たるものは持ってきていない。こういうときにできる「仕事」といえば読書だ。どの小説を扱うか選ぶ。今まで読んだものを読み直したり新しいものを買ったりしている。こういうときにkindleは便利です。思いついたときに買えるので。

長すぎず、おもしろい短編を探している。きのう、あらためてDahlのGalopping FoxleyとLamb to the Slaughterを読んだ。やー、面白い。最高だ。ただこれが教育的かと言われると答えに屈する。

ブラック・ユーモアを理解できる、というのは(特に日本人は)クリアすべき課題だと思うのだがそもそもブラックでさえないただのジョークさえ過敏に反応してしまう人たちなのでなかなか難しいところがある。なにもかも「失礼」「不謹慎」と言ってプリプリ怒ってしまう。そういう点において私は英国が大好きです。英国のすべてが好きなわけではないですよ。ユーモアのセンスと趣味について、です。

きのう、モームの短編集を買ったのできょうはいくらか新しいものを読んでみようと思う。

Monday 28 March 2022

故郷の春

26日、帰省した。今回は新幹線を使ってみた。子の乗り物酔いがひどいのと、それにともなって私も飛行機が苦手になってきているので、試しにやってみたわけだ。新幹線とどっちがいいかを比べながら移動した。家から家まで計8時間。いい点と悪い点を並べてみるとどちらもあるが、新幹線悪い点は「時間がかかる」というだけだ。早く降りたくて仕方ないものの、揺れは少ないし3席をのびのびと使えたのはよかった。

2年ぶりに郷里の春を感じている。桜も菜の花も満開だ。田舎の春はいろいろな匂いがする。これは田舎で育った人にしかわからないだろう。ひさしぶりにつくしを見て「あっ」と思った。東京で見たことはなかったのではないか。自然が、ものすごい勢いで春を告げている。なにかを突き破るような生命感。散歩が楽しい。

Monday 21 March 2022

バッグとスーツのメンテナンス日

 20日朝。

目覚ましをかけずに寝てみることにした。それでも6時過ぎに目が覚めた。少し頭がフラフラしたが、前日よりだいぶ良くなっている。よし、起きよう、と思った。そして、きょうは大人しくしておこうと自分に言い聞かせた。というのも日曜の朝は私にとっては合気道か水泳のための貴重な時間なのである。二週連続で合気道に行ったので、もう一週連続で行けるかと思っていたが、きのうはやめておくことにした。行ったら行ったで問題なかっただろうけど、丸一日、休養の日ということにした。そういうのも、必要だろう。

代わりに何をしたかというと、片づけをした。まず、クローゼットにかけっぱなしでほとんど使っていないスーツ類を窓辺にかけて空気を通した。それから二段分の棚に入っているものを全部出した。まず持っているバッグを全部床に出した。バッグのポケットに入れ忘れているものなどを全部出す。カビや汚れを拭き取る。それからしばらくして、箱に入れ直す。

だいぶキズだらけのバッグがたくさんある。革製品をもう少し上手に扱うべきなのだろう。わかってはいるが、私が保管したものをみると、フリーマーケットで行き場なく売られているくたくたのバッグを連想させる。いまにもイタリア人の声が聞こえそうだ。袋に入れるべきとか、こういうクリームを塗るべきとか、これはもうダメだわ、とか。彼らは革製品や洋服の手入れについて驚くほどよく知っている。教科書で習うわけでもない。まるで遺伝子に組み込まれたかのように皆同じことを言う。そして私はイタリア人のそういうところが好きだ。

スーツのなかにはおそらく一度もクリーニングに出したこともないものがいくつかある。そのなかでひとつ目に止まったスーツがあった。大学入学時に母に買ってもらったものだ。2002年に買ったものなので、かれこれ20年前のもの。大事にとっている。今着てみると、驚くほどブカブカである。体型も流行も変わった。よし、これクリーニングに出してみよう、と思った。見えてないだけでカビや汚れがついているにちがいない。新学期に使ってみよう。汚れる理由は、使うからではなくむしろ使わないから、である。

そして先週補正に出したズボンを受け取りに行くことにした。ユニクロで買ったコーデュロイのズボン。おしりのあたりが広すぎるので詰めてもらうことにしたのだった。もう一つ小さいサイズを買えばよかったのかもしれないがそれではウエストがきつく感じるだろうと思った。ユニクロなので、安い。2900円で買ったものなのに、補正に3700円かかった。だったらもっと良いものを最初から買えばよかったのだろうが、この3700円はあまり惜しいとは感じない。

いっきに3つの用件を済ませるために外に出た。まず、着られなくなった子ども服を4つ、リサイクルに持っていく。それからクリーニングにスーツを持っていく。ついでにダウンジャケットも持っていった。3月中なら30%割引だったから。それから補正したズボンの受け取り。

こういう、持ち物のメンテナンス日が私には必要だ。まずは持っているものを把握する。空気を通す。いらないものといるものをわける。いらないものはリサイクルに出す。壊れているけどまだ使いたいものは直す。好きなもの、愛着のあるものに囲まれて暮らすには定期的な見直しが必要である。

お昼は家族でいつものレストランに行き、スパゲティとサラダを食べた。家に帰ってからはだいぶゆっくりした。きんぴらごぼうとにんじんのサラダを作った。夜はアボカドと納豆を食べて9時過ぎには寝た。

Sunday 20 March 2022

体調不良、『心に折り合いをつけてうまいことやる習慣』

 きのうは1日、具合が悪かった。図書館に行ったり蕎麦を食べに行ったりはしたもののそれ以外は横になっていないとダメだった。具体的には、起き上がると吐き気がする。吐き気というのはめまい由来の吐き気で、船酔いや車酔いのような類の気持ち悪さがある。育休後、職場に復帰してから何度も経験があるのでもはやパターンがつかめてきた。そして原因も、対処法も自分でよくわかっている。原因は、疲れ。対処法はとにかく休んで、寝ること。睡眠も足りていると思っているのだが、少しでも不足するとこういうことになる。ひどいときはまったく立ち上がったり歩いたりできない。メニエル病ではないかと思って病院で検査をしてもらったこともあるが、それではないという結果だった。いずれにせよ、ほどほどに過ごしていかないとこういうことになる。先週1週間は働き詰めで、きつかったのだ。金曜の朝にはイライラがマックスに達していた。

具合の悪さもこうやって記録しておくと少し周期がわかってくるだろう。具合が良くなると、具合が悪かったことなんてすぐに忘れてしまうものだ。

それにしてもいつも活動していないと気が済まない私のような人間にとって、天気の良い休日の午前中に横になっているというのは結構つらいものがある。具合が悪いのに起き上がって動きたくなってしまう。あれやんなきゃ、これやんなきゃ、と頭のなかにたくさんのことが浮かぶ。

休まないと、となんとか自分に言い聞かせ、ソファに横になって、おじちゃんから送ってもらった本を読んだ。『心に折り合いをつけてうまいことやる習慣』。あっという間に読んでしまった。よくあるタイプの本かと思いきや、そうではない。押し付けがましさがない。心にじわー、と響いてくる。読み終わったときに、ツー、っと涙が出てきた。感動というわけでもなくて、楽になった感じがした。今の私には必要な本だった。読み返すだろうと思った。

折り合いをつけるということなのだ。父がいつも言っていたことと同じ。この本には読んでいると「あれ、どこかで聞いたような」という言葉がたくさん出てきた。折り合い。完璧はない。

こどもが生まれてからというもの、好き放題やっていた私の生活は一変した。そういうもんだろう、とは思うけどこれは子が生まれないと決してわからないことだったと思う。他人と、それから自分の心と、折り合いをつけるということ。わかっているけどなかなかできない。永遠の課題。

お風呂から上がったこどもをバスタオルで包もうとすると、何となしに、服も着ずに私に抱きついてきた。生まれたときの赤ちゃんみたいで、とてつもなく愛しかった。バスタオルをかけてそのまましばらくぎゅーっとしていた。

Friday 18 March 2022

アリババと40人の盗賊


きのう夕飯に作ってもらったアマトリチャーナ。おいしくて、たくさん食べた。

今週はなかなか花粉がつらい。鼻水は大したことがないが、目がかゆい。今年はなんてことなかったなあなんて思った矢先、だった。

さて。人を育てることばかりに必死になっているけど、自分がちゃんと生きなければ、と思う。私がよく生きなければ、子は親の矛盾をかかえて生きていくことになる。親子に限らず言えることだろう。人をどうにかするよりもまずは自分、だ。そういう本を同僚からしばらく前に借りた。まだ読み終えていないが、ずばり自分について指摘されたような気がしてちょっと読み進められずにいた。

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話変わって、先日「アリババと40人の盗賊」を子に読んだ。ものすごく久しぶりに読んだので、読みながら「えー」「こんなだったっけ」「ああそうそう」と言いながら読んだ。しかし壮絶な話である。「むかしむかしペルシャというくにに」という設定が、こどもにはどう感じられるのだろう。日本や西洋の昔話とはまたちがった風情というか空気が、大人の私にも感じられる。

内容をふりかえってみると、タイトルに出てくる「アリババ」は結局なにひとつ賢い動きをしていない。すべては機転のきく女、「モルジアナ」のおかげである。タイトルを「モルジアナと40人の盗賊」に変えても良いのではないだろうか。

この話は、私が小さかったころは佐々木マキさんの絵本で読んだ。幼少期の佐々木マキインプットのおかげで、ああいう線のはっきりしたテイストの絵が好きになったと思う。

Wednesday 16 March 2022

85歳で毎日合気道

 合気道の話。最近、あらためて感心したことがある。

85歳の門人がいらっしゃる。85である。まさかそんな歳だと思っていなかった。というのも、歩き方も若者とまったく変わりなく、ふるえひとつない。なんと合気道を始められたのが定年退職後だそうだ。69歳で始め、それから今まで毎日稽古に参加しているという。私が合気道を始めた時、私は週に3回ほど通っていたが、その当時も必ず毎回お会いしていた。それもそのはずだ。毎日なのだから。しかも69歳なんて何に対しても「もう引退」と思う歳ではないのか。仕事は引退しても、彼は自分自身から引退しなかった。

この方、とにかく気さくで、爽やかで、まったく偉そうでない。この謙虚さは一体どこから来るのだろうと思ってしまう。いつもやさしい。高齢だからと言って特別扱いする必要がまったくない。周りの人(といっても一番若いのは中学生)とまったく同じ動きができる。そして体のどこどこが痛いとか、きついとか、そういうことを言われることがまずない。

先日、彼を紹介したビデオが道場で作成された。10分間くらいのビデオだが、うなってしまうほど感心した。レジェンドだ。生ける伝説。行動で示すとはこういうことだ。多くを語らず、毎日ただ稽古に参加し続ける。ビデオのなかで「自分に負けない」ということを語っておられた。

私は85歳になったとき、誰にも頼らず、自分で歩けるだろうか?自分に負けずに生きられるだろうか?

Sunday 13 March 2022

にんじんサラダ、75歳

ある日の夕食。にんじんサラダとアボカド。もう何年も前に栗原はるみさんのレシピでにんじんサラダを作った。それがとてもおいしかったので気に入っている。材料と分量をメモしている。
とくに栗原さんのファンというわけでもなかったが、近年、栗原さんのインスタグラムを眺め続けていたら、いつの間にかファンになっていた。生きる気力が湧いてくる。朝に希望を持って1日を迎えられる。なんと75歳だということを知って心底驚いた。75?本当に?私の両親より年下だと思っていたのに。こんな生き方ができるものなのか、と感心する。ひとつロールモデルができる。私はその年齢になったときに希望と気力を持って生きていられるだろうか。

だからというわけではないけどタイミングが合って、栗原さんブランドのパスタ鍋を買った。一般的な日本の家庭よりも圧倒的にパスタをゆでる機会の多い我が家なのできっと役に立つと思った。

先日作ってもらった我が家のピッツァ。3人でぺろりとたいらげた。


モッツァレッラに加えてパルミジャーノがのっていたのでとても美味しかった。

Tuesday 8 March 2022

言い訳、スーパーセール、検診

 先日、合気道に行った。2月は結局行けなかったので久しぶりである。仕事が…とかいろいろ言い訳はできる。が、結局のところ寒さに負けていただけなのです。言い訳はしない。合気道で学ぶことは多いが、これが一番かもしれない。言い訳をしない、ということ。先日読んだ本に「言い訳をしていると人生は一瞬で終わってしまう」と書いてあった。そのとおりです。「忙しくて…」とか口先まで出かかったら、止められるようでありたい。

やることが多いながらもここ最近の楽しみは「楽天スーパーセール」です。と言っても散財するほど多くのものを買うわけでもない。ああこんなのがこれだけ安くなっている、と見てまわるだけでも楽しい。今のところ、パネットーネ、クリームパン、ハンバーグ、メンチカツ…などなど食べ物を買った。これだけお得に美味しいものが手に入ると、実店舗で買い物をする必要も魅力もなくなってくる。外出はますます億劫になるのです。

きのうは検診の日。3月は定期検診と決めている。いつも行っている病院から「気軽にがん検診」という案内が来ていたので、いつもの検診に加えた。そこで話した医師がとても自分に合う感じの人だったので、嬉しかった。見つけた、という感じがした。

Sunday 6 March 2022

お盆に出会った

暖かくなると、あれやろうかなこれやろうかなと、家のなかの片付けや掃除に意欲が湧いてくる。そうなのです、ようやく暖かくなったのです。朝起きて暖房つける必要もなくなった。

      
この季節に毎年、駅前で行われる陶器や木工品市を楽しみにしている。今年は皿を二つと、茶碗ひとつ、それからお盆を買った。

念願のお盆。外国産ではない、国産の、使い勝手の良いお盆が欲しかった。私が使っているのは無印良品のもの。使いやすいが、木ではない何か(ウレタン?)も使ってくっつけてある。使いはじめて数年経って裏面が劣化してきた。なにか剥がれてきている。そしてこどもが使っているものは100円のプラスチック製。一年も立たずに劣化する。これも替えたかった。

駅前の市に、毎日通い詰めた。品物が入れ替わって、欲しいサイズが入ってくるかもしれないから。しかしこれがなかなかないのだ。大きいサイズのものとなると、金具がついていて高さも高くなる。金具のついていないものは小さすぎる。

それでもしぶとく通ったある日、もう一回り大きいものを見つけた。これだと思ってお店の人と話をしたら、おそらく小さいお盆の下に隠れてこれまで見えなかったのだろう、と言われた。

実はさらにもう一回り大きいものが希望だったが、こどものお盆にはこれで良いだろうと思った。1300円。使いやすいのと見た目が良いので結局私も使っている。

以前読んだ土井善晴さんの本で「お膳は出会い」というようなことが書いてあった。お膳が必要だからといって適当に買うというよりは民芸品店などにふらっと立ち寄って出会ったものが良い、という話。わかる気がしたので、この言葉を信じて焦らずに探し求めていたのだった。

今回買ったものは通販でもお店でも手に入らないだろう。ブランド名もない。いい買い物をしたと思う。大事に使おう。

Tuesday 1 March 2022

「ウクライナってどこ」からはじまる

ようやくあたたかくなった。日曜は家族で近くの公園へピクニック。買ってきたハンバーガーと、家から持ってきたおにぎりを食べた。咲き誇る梅の下でピクニックシートを広げる家族がたくさんいた。同じことを考える人たちは多いようだ。あたたかくて、皆嬉しそうにしていた。春だ。ようやく春だ。今年の冬はずっと寒かった。つまり、寒い期間が長かった。よく耐えた。



2月末にはウクライナにロシアが侵攻するという信じ難いニュースが飛び込んできた。24日の夜はちっとも眠れなかった。というのもウクライナには友人がいる。私はその友人を訪ねてウクライナに行ったことがある。友人の安否が気になって落ち着かない。

戦争は過去のものではないし教科書のなかでのみ起きるものでもないのだ、ということを普通の生活で感じている。警報が鳴って避難する、というのはなにも地震発生時に限らないのである。ロシアをはさんで向こう側にいる友人がそれをいま体験しているのだ。

ウクライナのことをよく知らないという日本人が多いと思う。私も、ウクライナに行ったことがなければおそらくそうだったろう。遠い国だと思っていたに違いない。

たとえばウクライナの出来事を、「自分の生活には関係がないことだ」と思う人たちは、そのことについて特に語らない。なぜかというと、「知らない」から。もっと言えば、「知らない、と言えない」からだ。何かについて知らないことを恥ずかしいと思っているのかもしれない。無意識に。

それならまず「ウクライナってどこ」という疑問を口にすればいい。そこから話題になる。知らないのは自分だけじゃない。意外と周りも知らないものだ。たとえばアメリカ大統領選のときに、仕組みが分かっていなくて同僚に質問したら誰も知らなかった。なんだ、私だけじゃないのか、と思った。

知らないことは何も恥ずかしくない。特別に詳しくなくていい。話題にするのをやめる、タブー化するのは、愚かさへの第一歩だ。

こどもはこれができる。つまり「ウクライナってどこ(あるいは何)」という疑問が自然に出る。大人になってもこれを失ってはいけないと思う。「お前そんなことも知らないのか」と言われても質問し続ければ良い。そして自分で調べてみればよいと思う。おかしいと思ったらそれを表現、あるいは表明すればよい。勉強はそのためにやっている。正しく読み書きができて、わかりやすい表現で相手に伝えることができるように、勉強をやっている。

5歳の子はウクライナとロシアの関係に興味津々でした。35個くらい質問されたので頑張って答えてみたものの、時々返答に困る。「それはいい質問だねえ」「確かに、そう言われれば、なんでだろうねえ」と何回か答えた。質問に答えているうちに、自分は何が分かっていないかが、わかるようになる。やりとりは大事だ。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...