Thursday 31 December 2020

箱根とゴーストバスターズ

 今年は帰省せずに東京で年末年始を過ごす。変な感じだ。帰省しないのは留学していた2004年以来のことだ。まあ仕方ない。子も「まあしかたないか〜」と言っている。

せめて、と思って箱根に一泊してきた。家族3人で。楽しかったけどなかなか疲れる旅だった。自分の意志で気軽に動けないのは苦痛なのです。他人と旅をするのはやはり苦手だとあらためて思い知った。それでも後から振り返れば良い思い出になるだろう。

きのうは、午前中で移動を終え、昼には帰宅していた。散歩にでも出ようかと思ったけど子も動きたがらないのでまあいっか、と家にいることにした。「ゴーストバスターズ2が見たい」と言い出す子。なんとなく見たことはあったけどちゃんと見てなかったのでいっしょに見ることにした。以前見たときは怖がって早送りしてと頼んでいた子がきょうは「早送りしない」と言って全部みた。2度目だけあってストーリーもよくわかっているようだった。面白かった。クリスマスから年末にかけての話なので、今見たのはタイミングがよかった。

見た後からは、子は案の定さらに興奮してゴーストバスターズの話をしていた。興奮しすぎて話しながらぐるぐる回っていた。子どもというのは一般的に興奮したときはこういう動きをするものだ。

はっきり言ってこの話題についていける4歳児の友達はいない。保育園の先生のなかでも、20代の先生となるとほとんど知らないのではないか。先日、「クリスマスのプレゼントはゴーストバスターズのファイヤーハウスなんだよ」と副園長先生に言ったらしく、先生は喜んで「なんで(ゴーストバスターズを)知ってるの??」と興味津々で私にきいてきた。それはそうだろう。そんな園児はほかにきっといない。箱根の宿でも、ほかのお客さんに突然ゴーストバスターズの説明を始めていた。「あらそうなの〜」と、子の相手をしてくれたおばさま、ありがとうございました。

登場人物の名前が全て言える。「ゴーストバスターズ」と「ゴーストバスターズ2」の違いがわかる。ちなみに子のおもちゃはplaymobil(プレイモビル)という外国製のおもちゃだ。レゴよりも大きい。これが完璧にゴーストバスターズの世界を再現している。playmobilはネットでは買えるがあまりどこのおもちゃ屋にでも売っているというわけでもない。我が子は自分が持っている製品の「製品番号」まで言える。数はまだ数えられないが。

ほかの友達がハマっているもの(仮面ライダーとか)にも興味はあったかもしれないが、結局あまり好きにはなれないらしい。少し、周りの話題に合わせたいという気持ちもあるようだがそれでも本来の興味には勝てないのだろう。

ところでこのプレイモビルを何ヶ月も見ている間に私もだんだんと愛着が出てきた。特に今回のファイヤーハウスはかわいい。シルバニアファミリー級の細かさで様々な調度品(?)や道具が作られている。これは、いつか子がプレイモビルに興味がなくなったときでもオブジェ的に家に飾っておきたいと思うレベルのかわいさである。

Friday 25 December 2020

24日のプレッシャーを免れている

昨日、午後3時ごろ、街を自転車で通ると、ケーキ屋さんには列ができていた。おそらく予約のケーキを受け取りに来る人々なのだろう。予約しても列に並ぶんだなあ、ほほう、と思いながら通り過ぎる。同僚は昨夜、「きょうはケンタッキーです」と言っていた。やけくそ気味に「チキン買って帰ります!」と強く言っていた同僚もいた。

うちはそういうのがない。

イタリア人と十数年一緒に住み、その子どもが生まれて4年となると、なんだかんだで生活はイタリア式になる。食生活への影響は最も大きいだろう。文化や言語も、家のなかだけとはいえ少なからずイタリア的である。

となると、クリスマスなどのイベントに関してもまさにイタリアの影響を受けている。なんと言っても、もともとクリスマス文化のないはずの日本なのでいわゆる「本場」であるイタリアの言うことを聞かざるを得ない、とでも言おうか。

そういうわけで、イタリア式にはお祝いをするのは24日ではなくて25日。豪華なディナーはクリスマスイブには食べない。当然「チキン」も食べない。ケーキも買わない。チキンを食べるという変わった習慣は日本で独自に根付いたものなのでこれは本当に不思議かつ面白いもんだなあと思う。

そんなこんなでこの十数年にわたり、日本にいながらクリスマスイブにケーキやチキンを買うというプレッシャーを免れることができている私はラッキーだ。「家族のために」となると、もし買うとしたらよけいに使命感も大きいだろうが、買う必要がない。成人式に着物を着なければ、というプレッシャーににている気がする。こういうのからフリーでいられるのはとても心地がよい。それにしても24日のプレッシャーって大きかったなあ、特に大学時代。ひとりでいるのは泣けるほど寂しかった。

ちなみにイタリアでは24日は魚を食べます。そしてきょうはラザーニャ。いずれの日もやっぱり、ケーキはない。クリスマスじゃない日に落ち着いて食べればよいと思う。

Monday 21 December 2020

ゴーストバスターズ漬けの毎日

こどものことを少し。思うままに。

4歳と4ヶ月。「ゴーストバスターズ」の熱狂的ファンである。

以前からゴーストバスターズのことは知ってはいた。自粛期間中の4月、紙にゴーストバスターズの絵(オバケに赤の丸で「中止」してある、例のマーク)を父親に書いてもらい、たいへん喜び、ジャケットにセロテープで貼り付けて公園に出かけ、保育園の友達に会ったので「ほらみてゴーストバスターズだよ」と言ってもまったく分かってもらえず、認識していたのはその子の親だった。というできごとを覚えている。80年代の映画を知っている日本在住4歳児はなかなかいないだろう。

ここ2、3ヶ月のはまりかたがすごいのだ。8月の誕生日にゴーストバスターズのplaymobil(というブロックとか人形とか)をもらった時はまだ今ほどではなかった気がする。そのおもちゃの影響なのか、生活の中心がもはやゴーストバスターズになっている。映画は2作とも見ている。リュックをしょってそこからソードというかピストル的なものを出し、おばけ退治をする、という一連の流れをゴーストバスターズになり切ってやる。毎日。

おかげでこちらは毎日テーマソングを聴く羽目になる。これがまた「耳タコ」で、一度聞いたら耳から離れない。この11月と12月は仕事中も脳内スーパー・リピートであった。1時間ぶっ続けで同じ曲を再生するものがyoutubeにあり、これを聴いていたのだが、しだいにアレンジしたバージョンを聴くようになってきた。最近は、お風呂から上がったあとはきまって「リミックスやって」と言われるのでyoutubeを再生する。通常より速いバージョンのゴーストバスターズが流れる。

私の37年間の人生において、ここまで毎日ゴーストバスターズという言葉を聞くことになるとは誰が想像しただろうか。こどものおかげで広がる世界、である。

Wednesday 2 December 2020

インターネットでの買い物の良さ

 12月になった。コロナコロナ言っているあいだにもう最終月の2020年。振り返って、何があったかを考えてみるけどやっぱりコロナ。今年のハイライトといえば自粛期間だろう。あんなのは今までの人生になかった。しかし人は勝手というか不思議なもので、あれだけ感じた無力感をすでに忘れつつある。仕事にも学校にも保育園にも行かないという前代未聞の日々を、どうやって過ごすか誰もが考えたはずなのだがまるでその時のことがなかったかのように、今を過ごしているきがする。そういうものなのだろう。人は忘れる生き物。そしてcreature of habitである。マスクをして表情が隠れている状態がデフォルトになってしまっているという恐ろしさ。そこに疑問も感じず毎日を過ごすとこれは危ういのではと思ってあえて、周りに誰もいないときはマスクを外すことにしている。そうでないと、慣れてしまうから。表情が「ダラーン」としてくる。

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とはいえ、11月末から12月のこの時期というのは楽しげな季節だ。クリスマスでワクワクするのはもちろんのこと、寒いので「家であっためてゴロゴロ」が喜ばしくさえある。そんな私の楽しみはもうすぐ楽天スーパーセールだ、ということ。と言っても何か書いたいものがあるわけではない。ネット「ウインドウ」ショッピングというか、何を買おうかなとうろうろとお得情報を探っているだけでだいぶ楽しい。

インターネットで買い物をすると無駄遣いをしてしまうのではないかと思っている人もいるだろう。私もかつてそう思っていた。ところがどっこい、である。どうやら逆な気がする。ネットのほうが消費が少ないのだ。大きな理由は以下:

店舗に行く場合は、その店舗にたとえば翌日買いに戻る可能性は極めて低いので、その場で思い切って買ってしまうことが多い。それにくらべてネットだといつでも見られるので、よーく考えてその場で「やっぱ明日まで考えよう」と持ち越すことができる。

これは大きいのではないか。そして慎重になって買った結果、使ったのはたったの1000円だったりする。店舗だとあっさり払ってしまう。あとは、ネットだと店員に勧められる、というのがないのも逆にいいかもしれない。そういった「ほかの要素」がまったくないまま、純粋に買い物だけに向き合うことができる。

みなさんはそうは思いませんか。私はこんな感じだからもはや店舗で物を買うことが食料品以外なくなってきた。ネットのほうが熟考できるから。

Thursday 26 November 2020

体調を崩して思うこと

 月曜夜、いつものように自家製のpizzaを食べて長い(長すぎる)週末を終えた。そして深夜、どうも胃の調子がおかしい。まったく消化していないような気がする。吐いたり下痢したりするほどでもなく、一度起き上がったけどそのまま寝た。

翌朝、6時前に起きたものの調子が悪い。頭がふらふら、少しめまいもする。それから胃も痛い。寒気もするし全体的にだるい。何がどういう症状だったかを今思い出して書いてこんな感じだが結局全体てきに調子が悪い。トイレに何度か行った。しばらく横になったらまた7時すぎまで眠った。朝もう一度起きて眠るということは私の場合滅多にない。これは疲れているのだ、と思った。8時過ぎに出勤してやるべきことが一つあったけどそれは同僚にかわってもらい、幸い仕事は10時半からだったのでギリギリまで横になっておくことにした。

どうにかこうにか仕事はこなしたが、まったく食欲がわかない。固形物を食べたいと思えない。この日に口にしたのはウィダーインゼリーを二つと、すこしの水。6時ごろ帰宅し、こどもをお風呂にいれたら自分だけすぐに横になった。するとまた眠りつづけた。9時ごろ一度起きたが、そのあと翌日(25日)の朝までずっと眠った。

25日はとりあえず元気で過ごせた。26日、つまりきょうは頭がちょっとふらふらする。たぶん食べてないせいだろう。ようやくものが食べられるようになってきたのでさっきパンを食べた。この間、発熱はない。

ずっと前に同僚が、たいていの体調不良は寝れば治る、と言っていたがやっぱりあたっているなと実感を伴ってわかった。毎日しっかり眠っているつもりでもやはり少しずつ不足している。そして三連休の心労と疲労が大きいと思う。間違いないだろう。本当に大変な三連休だった。早く仕事始まってくれと涙ながらに思った。途中爆発寸前になったことが2回あった。ここでガクーンときたのだ。

「身体症状に出る」というのはこういうことだと思う。単純にピッツァの食べ過ぎかと思っていたけどそんな簡単なことでもない。それだったらお腹を下して終わりのはずだから。疲れているのだ。

考えてみればこういうことが一年に1回か2回、起きる。こどもが生まれてからのことだ。ひとりでいるときはこういう疲れ方をすることはなかった。毎日ギリギリのところで生きている。そして時々限界がくる。私なんてだいぶサポートがあってめぐまれているほうだと思うが、これが共働きで、相方がまったく家事しないタイプだったりする場合、その人はいったいどれだけの苦労をしているのだろうかと思いやられる。

無理はよくないとわかっていながらも、それに気づくのはだいたいの場合無理をして体調を崩してからのことだ。こういうときの「無理しない」生き方は、イタリアの人々なんて見てると本当に上手だなあと思う。日本人には、それどころか「無理してでもがんばっている」という姿が美しく見えたりする。こまったものです。無理なら無理と自分で言わないと誰も助けてくれないのだ。

滅多にない体調不良なので思ったことをこうやって記録しておく。元気になるとまたすぐに忘れてしまうし弱者の気持ちをわかってあげることが難しくなるから。

Sunday 22 November 2020

シナモンロールを作ってみた

昨日、シナモンロールを作ってみた。

今朝食べかけて「あ、そっか」と思ってとりあえず撮った一枚。欠けているけどとりあえず。 裏から。

レシピは6月ぐらいに買ったELLE groumetという雑誌から。検索したら簡単に出てきました。これです。ここでも何度か書いているけど、いつになく「使える」レシピが多い号だった。(ここで知ったパンのレシピはもう何度繰り返して作っているか分からない。もはや分量も覚えてしまった。そしてこの半年間一度も、いまだに、菓子パン含めてパンを買っていない。)

さて、なんでも最初に作るときはとりあえずレシピどおりに作ったほうがいい。わかり始めてから調整すれば良い。と思ったものの、作りながら目を疑うような数字が出てくる。

バター60gを混ぜる上にさらに60g塗る?

ふりかける砂糖が100g?


そんなに必要なのか、と疑いながら作ったらやはり従えなかった。普段、ただのパン、さらにお菓子を作ることに慣れているとこれらは異様な多さに思える。そう、お菓子と比べてもだいぶ多い。

結果的に砂糖は40gぐらい、バターも40gぐらいで止めた。そしてカルダモンはまあなくてもいいやと最初から思っていたのでなし。

出来上がった姿を見て思ったこと:

「バラバラじゃん…」

渦巻上にした最後の部分はしっかりくっつけていないと、開いた状態で出来上がる。そりゃそうだなあ。味は申し分なく美味しかった。しかし、一般的にイメージされるシナモンロールに比べるとより「パンっぽい」し、乾いている感じがする。ということはやはりレシピに従って砂糖とバターはもっと遠慮なく入れるべきだったのだろう。うーむ。

しかしわたしはこれで良い気がする。こういうのが手作りの良いところだ。店で買う、あのしっとりしたおいしいシナモンロールは、もっと砂糖とバターを含んでいるというわけだ。そして上にアイシングもかかっているもんなあ。おいしいわけだよ。

Sunday 15 November 2020

坂さんとしゃべった

 建築家の坂茂(ばんしげる)氏と話をすることができた。と言ってもほんの数秒だけど。

坂茂氏は世界的に有名な建築家。教科書でも扱われている。有名な建築物はたくさんあるけどなかでも被災地への貢献が大きい。紙管を使った建築で有名である。つい最近だと、ガラス張りのトイレが話題になった。

その彼のオフィスが近所にある、ということを知ったのがつい2年前。驚いた。

オフィスでは紙管でできた机や椅子があり、それをつかってミーティングが行われている様子が外からでもわかる。一度、坂さんを見たことがあった。それから今年5月の自粛期間中、自転車で出かけていたとき、すれ違ったことがあった。その時は話す勇気が持てず「見た、見ちゃった」と言っていただけだった。

だけど昨日はついに話しかけた。すれ違う直前、視界に入ってすぐ「坂さん!」と声が出た。そう、話しかけたというより声が出たのだ。ほんの数秒だけど「応援してます」と伝えることができた。坂さんは突然話しかけられてびっくりした様子だったが「ありがとうございます」と言った。

ほんの数秒だったけどだいぶ満たされた気持ちでその場を去った。

Thursday 5 November 2020

大統領選

昨日は 大統領選の結果が気になって仕方なく、仕事がほぼ手につかなかった。どこで開票結果をみるかというとNYTimes。ほかでも良いんだろうけどこれが見易い。昨日の午後、フロリダとテキサスが赤く染まった頃、「あーあ」とがっかりし始めた。アリゾナを除くほかの州はほぼトランプ優勢だった。ためしに電卓を出して、選挙人数を足して予測したりもした。するとやはりトランプ。がっかりしながら帰宅。

それが今朝起きてみると、あれ?逆転してる?ウィスコンシンとミシガンでバイデン優勢になっているではないか。びっくりした。一気に目が覚めた。こんなこともあるのか。今回の選挙は本当に接戦だ。完全に諦めていた昨日は何だったんだろう。

現時点(5日朝)でNYTではアリゾナ州をカウントしていない。が、ほかのメディア(たとえばthe guardian)ではカウントしているのでバイデン248-トランプ218となっている。

以下はガーディアンの記事より↓

「トランプが勝つためには
ペンシルベニア州とほか少なくともあと3州、
または
ペンシルベニア州で負けてほか残りの州をすべて勝つ必要がある」
いまのところトランプ優勢なのは
ペンシルベニア、ジョージア、ノースカロライナの3州。このあと逆転が起きない限りは勝つ見込みがない。


「バイデンは以下のどちらかで当選します
・ペンシルベニアと、ネバダかミシガンのどちらかで勝つ
・ペンシルベニアで負けてネバダとミシガン両方勝つ」

今のところネバダとミシガンはバイデン優勢なので後者は十分にありうる。うーん、目が離せないなあ。きょうも仕事どころではない。

Saturday 17 October 2020

ユニクロで冬支度

この季節になると冬支度が楽しい。寒さに備えることが楽しいなんておかしな感じもするがやっぱり楽しい。具体的にはユニクロのウェブサイトをみるのが楽しい、ということなんだけど。

ヒートテックやカシミヤを使った商品や、期間限定の新商品を眺めながら送料無料ラインを超える程度の買い物をする。この秋すでに3回もした。

1回目はオンライン限定のウルトラストレッチジーンズ。しかもハイライズ。しかもヒートテック!すべての条件を備えている。買わないわけにはいかない。それに、オンライン限定のフリース 。毛のたってないやつ。これはユニクロだと太すぎるので脇のあたりを自分で縫ってしぼった。いずれも黒。

2回目はブロックテックコート。これもオンライン限定。冬支度というほどではないけど。買おうかどうしようか毎年悩んで結局買っていなかったが今年はついに買った。というのも、防水加工で軽めのコートがあれば突然雨が降り出したときに便利だ。自転車に乗る私のような者にとっては、突然の雨のときに雨具を持っていない状況は困る。「しまったー」となるので、毎朝、天気予報を見てから出勤しないといけない。逆に雨具さえあればなんとかなる。ということで思い切って、雨具としてだけではなく普段も使えるブロックテックのコートを買った。これが大正解だった。軽い。なのに防風で寒くない。防水、なのに暑くない。これすごい機能性じゃないか?スポーツ用品店で買うと「万」は軽くするよ、と弟に言われたのを思い出す。確かにそうだと思う。ちなみに7900円だった。これは意外と冬まで行けそうな気がする。

3回目は、これも冬支度ってわけではないけどエアリズム のかけ布団カバー。ユニクロの「寝具」はほぼ毎日ネットで確認している。新商品が出たとしても確実にオンライン限定なので、見ていないと見逃す。そして結構すぐに売り切れる。私と子供のシーツはここ数年ずっとエアリズム である。とにかく乾きやすい。そして真っ白なのに汚れていかない。綿じゃないから、なのだろうけどそれにしても使いやすい。このカバーも2つ持っているのだが、あと1個欲しかった。春から夏にかけては売っていなくて、まだかなーと思っていたら10月中旬発売の文字がついに出た。待ち構えていた昨日、ついに発売開始になったのですぐに買った。ちょうど5000円くらいだった。届くのを楽しみにしている。

このように、オンライン限定品には良いものがたくさんある。店舗で試着等できないので少し「賭け」な部分もありながらも、サイズについてはほかの商品が大いに参考になるので、大きく外して失敗することはない。もう少ししたら、ヒートテックの靴下を買う予定。お金はかかるんだけどやっぱりワクワクするのです。

Tuesday 13 October 2020

そっかおじいちゃんいないのか

時々、「あ、そっか、おじいちゃんはいないんだ」と思うことがある。それ以上は何もない。「そっかそっか」と思うだけ。毎日会っていたわけでもなく、亡くなる時に一緒にいたわけでもないので余計にそう思うのだろう。

母方の祖父は数年前になくなった。子供が8ヶ月ぐらいだったか、イタリアに連れてっている間に亡くなった。5月だった。わたしのブログをよく読んでくれていた。「そぞろうた、ね」とこのタイトルを言っていたことを時々思い出す。それから「そっかもういないんだ」と思う。

人の死って、うーん。なんだろう。先日亡くなった友人とか、竹内ゆうことか三浦春馬とかのことも考える。消えてしまう命。終わってしまったら、もうそこまで。ぷつっ、と途切れる感じ。

Monday 12 October 2020

ガチャマシーンとバッグを作った

 最近の作品二つ。

先日こどもに「めばえ」を買ってあげた。8月に買って、買う価値はありそうだということがわかったのでなんだかんだで毎月買ってあげている。今回で三冊目。付録が毎月変わる。今月は「アンパンマンのハロウィン ガチャガチャマシーン」だった。とんでもないものがきたぞ、と組み立て前の紙類を見て思った。雨の夕方、仕事のあとでかなり疲れていたので「ちょっとさ、もう少し元気のあるときに作るからさ」と言ったものの「作って作って」という子供。まあそりゃそうだよねえ、買ったばかりでこんなのが入ってるんだから作って欲しいのは当然だろう。意を決して、いっちょやってみっかと腰を上げたが最後、1時間近くかかった…。かなり複雑かつ根気のいる作業であった。出来上がったのはこんな感じ。紙でできているのにかなりしっかりしている。作りながら、この設計?デザイン?をした人はすごいよなあとつくづく感心した。

作品その2。トートバッグ。

またトートバッグかよ、という感じがする。作っても作ってもキリがない。しかし一つずつ、ややこれを目指して実験的につくってきたとも言える。

去年の冬だったか、ユザワヤで「名画シリーズ」が売っていて、とりあえず気に入ったのを買っておいた。モナリザとフェルメール。それからちっとも縫わず、月日は経つ。暇な時に縫えると思って実家に持っていってとりあえず横だけ縫ったりしたのが3月。なぜここまで長い間縫わなかったかというと、暇がないというのは理由の一つだが、もっと大きな理由は、気に入った生地なので納得のいくものを作りたい、というのがある。

春ごろ、モナリザを使ってひとつトートバッグを作った。裏地なし。大変使いやすい。くしゃっとなるのでエコバッグ等に最適。

それから時が経ち、夏。裏地をつけたものを縫ってみることにした。ミシンを買ったときについてきたレシピがあり、それを参考にした。家にある生地を消費すべく、こどものシーツを作ったときの余りと、クッションカバーを作ったときの余りを使った。それについては前にも書いた。そこで、使ってみてわかったが、裏地を使うと、やたらかさばるというか布の塊みたいになって使いにくい。「もめんやまきの」の店主に相談するとやはり接着芯というものを使うといいらしい。

接着芯…。

いろんな本に書いてあるし、使うといいんだろうけど使ったことがない。以前、服を縫おうかと思って(結局作ってない)買った接着芯があるのでそれの出番がついにやってくるわけだ。

ついにフェルメールに手を出すことになった。しかしこれは絶対に失敗が許されない。どこか間違って切ったりしたら取り返しのつかないことになるし。

そこで裏地探しから始まる。なんとなーく構想を練りながら何週間も経過。とりあえず30cmくらいの赤い布を買ってみた。その名もイタリアン・レッド。すごくきれいな赤で、ほかに何か作りたくなる。イタリアではこの色確かによく使われているかもなあ、と思った。この色のベッドもキッチンも見たことある。で、フェルメールと合わせてみたら、うーんなんとなくしっくりこない気が。縫わないままにまた何週間も経過。

暇さえあればユザワヤにいく私。なんとなく「青はどうだろう」と思った。そもそも表布が黒なのだから黒にしておけば問題ないものの、それは避ける。なぜか?バッグの中が暗いと何を入れているかよく見えないからだ。だから赤、と思っていたんだけど。話は戻って、青を買ってみた。真珠の耳飾りの少女は青いターバンをしている。だからたぶん合うはず、と。

これが正解だったようだ。昨日(日曜)、子は父と連れ立って遊びに出掛けたのでふと自由時間が手元に転がってきた。暑くもなく寒くもない最高の週末。ミシンは子のいない時しか稼働できない。よっしゃいっちょやってみっか、と重い腰を上げた。表地を買ってからおそらくほぼ一年が経つ。

寸法その他はバッグの場合適当にできるので良い。当然だが型紙もいらない。裏地のある場合の縫い方、というのをレシピ通りに作る。結局一番時間がかかったのは接着芯をつけることだった。思った以上に時間がかかった。面倒というより時間がかかる。しかしこういうのは慣れというもので、一回やってみると「なるほどこういうものね」と思える。

完成品はこちら。

これは想像以上の出来。青い裏地が正解だった。ちょうどいい。そして接着芯は(用途によるけど)絶対入れるべき。出来上がりが全然違う。もめんやまきのの店主に聞いてよかった。気に入って、昨夜はずっとこれをながめていた。きょうの仕事はこれで行くことにする。芸術と一緒に歩く秋。

Saturday 3 October 2020

ばばばあちゃんで思い出した草にまつわる思い出

 歳を経るごとに、あるいは子育ての最中であるせいか、両親が自分をどう育ててきたかについてよく考えるようになった。特に嫌なことを思い出すことが多い。まあそういうもんだと思う。娘が25歳だという同僚が「今になって、『私を育ててくれたのはおばあちゃん』とか言うんだよね〜。いやまいったよね〜」と言っていた。

昨夜、こどもに「ばばばあちゃん」シリーズの「よもぎだんご」を読み聞かせていた。子どもたちがいろいろな草を採る場面で、ふと小学校一年のときに宿題をしていなくて母親にとてもひどく怒られたことを思い出した。宿題というのも、確か、オオバコという植物をとってくる、という内容だったと思う。なぜその宿題をやっていなかったのか、思い出せない。悪意はもちろんなかった。面倒だからさぼろうとか、そういうことはない。なんてったって小学1年生だ。30年前の記憶だが、悪意はなかったということだけはわかる。号泣しながら家の近くの、オオバコの生えているところに、摘みに行った。場所までしっかり覚えているし光景が今も頭に残っている。涙で景色がにじんでいた。

今考えてみると、先生が軽く出した宿題が我が家ではおおごとになってしまったのだなあ。親から受けた指導のなかで「嫌な記憶」として残っているので、その記憶が思い出されそうになった瞬間に頭のなかで考えを必死に追いやろうとしたのだが、無理だった。なぜ嫌な記憶なのか。なぜ宿題をしなかったかとか宿題の意義を考えるのではなく、一方的に怒鳴られ続けたせいだと思う。人を叩くのが悪いこと、とかいうのはわかる。それとはちょっと違う。当時の私には、宿題をやらないということが悪いことだとさえわかっていなかったのかもしれない。ぼけっとした、ありがちな小学校一年生の春。反論さえできない、7歳の、その怒られたことに対する理不尽さみたいなものがいまだに刻み込まれている。

子どもに読み聞かせながらも頭ではそういうことを考えていた。機械的にひらがなをなぞって声に出しているだけでも読み聞かせることはできるので読み聞かせ中はこういうことが時々おきる。

子どもっていうのはそういうことがあるのかもしれない。今振り返って思う。悪いことを叱られるとき、心の中では「ちょっと待ってよ」みたいな感じなのかもしれない。子どもの気持ちに歩み寄る、寄り添う、と言っても大人になって忘れてしまった感覚を取り戻すのはなかなか厳しい。

ばばばあちゃんの世界に出てくる「のびる」とか「よもぎ」とかの、たくさんの草の名前を読みながら、今住んでいる環境にはそれらに出会うのは極めて珍しいことを悲しく思った。私の子供のころは植物と一緒に暮らしているようなものだったので大人になった今も草の特徴がわかる。私の子はそれらを肌で感じることなく育つのだろうか。早く田舎に連れて行って遊ばせてあげなければ、と思うが今年は3月以来一度も帰省できていない。3〜4歳のこの時期に田舎の秋を感じずにこの子は過ごす。だんだんとそれが当たり前になっていくのだろう。

Wednesday 23 September 2020

友人が亡くなった

今朝6時ぐらい。起きてFacebookをみると、イタリア語がたくさん目に飛び込んできた。同じ人物に対してたくさんの投稿がされていて、どうやら何か起きたらしいということはわかった。そして落ち着いて読んでみたら、なんと友人が亡くなっている。信じられない。こう書いている今でも信じられない。交通事故が原因のようだ。それを報じている地元の新聞のリンクもあった。

「エンポレーゼ通りで死亡事故 チェルバイアとサン・ヴィンチェンツォ間 57歳男性死亡」とある。事故現場の写真もあったけど痛ましくてみていられない。

友人の友人として知り合ったのが2004年のこと。とにかく優しくて穏和な、いわゆる典型的イタリア人のイメージとはだいぶかけ離れた、控えめで大人しい人だった。(もうひとりの友人はほんとにいわゆる「イタリア人」で、それとはかなり対照的な性格だった。)イタリアに行くたびに会っていた。最後に会ったのは2015年で、人生いろいろあって、という話を湖のほとりのレストランでした。いつも、アパートの下まで迎えにきてくれて、着いたらクラクションを鳴らして知らせてくれた。コロナが始まる前だったか「元気?イタリアになかなか来ないね」というメッセージがきて少しやりとりをした。それが最後だった。

こんなことってあるかよ…。とさっきから自問している。まだ信じられない。そして手の届かない、遠い地に、今自分がいることが悔しくもある。ワインのためのブドウの収穫に行ったらしくて、その写真が彼のFacebookに投稿されていたのはつい昨日のことだった。それを考えると、いかに、事故が「一瞬」の出来事なのかを思い知らされる。さっきまで元気だった人が一瞬で逝ってしまった。残された友人たちのことを考える。今もまだ信じられない。

Tuesday 22 September 2020

消防博物館へ

21日。きのう。朝起きて、曇り空をみる。寒くもないし暑くもない。チャンスだな、と思った。よし、消防博物館に行こう。

子どもが8時まで起きてこなかったので起こしに行った。それから消防博物館の話をすると「行こう!」と張り切ってすぐ玄関に向かっていった。おいおい、ちょっと待って。

結局9時すぎには出かけた。

夏休みからずっと行きたかったのだ。暑すぎるゆえに先延ばしになっていた予定の一つである。4連休は家の周辺でのんびり過ごすことも考えたが、このくらいのイベントはあってもいいんではないかと思った。そして、こんなに消防消防言っているのもいつまで続くかわからないのだ。この消防熱のあるうちに行けるところには連れていってあげようと思った。

四谷三丁目駅には30分くらいで着いた。ベビーカーなしで、お出かけができるようになるといろいろと身軽になる。しかも新宿で地下鉄に乗り換えるなんていうことができるようになったんだからなあ。大きくなったなあ。子供と手を繋いで歩きながらしみじみ思った。

消防博物館はとても面白かった。大人が行ってもだいぶ楽しめる。というのは私が子どものおかげで消防関連に身近になっているからかもしれないが。コロナウイルスのせいで、様々なコーナーが中止になっていたのは残念だったがそれでも十分に楽しめた。

博物館の来館者は、というと、我が子とまさに同じような子たちを連れた家族ばかり。『じぷた』という古い消防車の本があるのだが、地下一階のクラシックカーをみながら「ほら、じぷたみたいだよ」とか「じぷたに出てきたねこれ」とか言っている人たちを何組も目にした。どこの家も同じなのだと思って苦笑した。

私にとっては、消防の歴史についてのフロアが面白かった。うちには『むかしのしょうぼう いまのしょうぼう』というかがくのともの本があって、まさにそれに出てきた消防の服が展示されていた。馬でひっぱられる消防車など。この時代はラッパを吹いて放水開始の合図を出していたのだ。そして「消防士」でなくて「消防手」だった。かっこよすぎる。

おかげで私はアーレンス・フォックスとか、スタッツとかきいて、なんのことかわかる。わかってしまう。あの本を何十回と読んだからだ。

クラシックなポスター。かっこいい。


これがスタッツ。

子どもがいなかったらきっといかなかったであろう場所、知らなかったであろうことがたくさんある。勉強させられている。ありがとう。

午前中のうちに帰った。用事は午前中に済ませるに限る。おかげで充実した1日になった。

Monday 21 September 2020

イラスト帖にしたがって描いてみる

 朝起きて最初に飲むものを、冷たいコーヒーから紅茶に変えた。今日。暖かくなってくると冷たいコーヒーにして、夏の間はずっとそれで、涼しくなると紅茶にする。寒い時期に買っておいたヨークシャー・ティーがまだあった。助かった。

図書館によく行く。一人でもいくし、子どもと一緒にも行く。自粛期間に閉館していたときは本当に困ったけど、再開して以降、結構な頻度で行っている。子どもが以前よりもいろいろな本に興味を持つようになってきたのでこちらも選びがいがある。以前はすべて車や消防関連の本だったのに。昨日は試しにかこさとしの「たべもののたび」を借りて読んであげたら大人しくずっときいていた。以前同じことをしようとしたときにはまったく興味を示さなかったのだが。

さて、先日ふと、こういう本を手にした。『ボールペンで簡単 大人かわいい季節のイラスト帖』。ふーん、と思って借りてみた。そして家に帰って、本は数日そのままになっていたのだがきのうは余裕のある日だったのでふと開いて、ボールペンではないけど万年筆で真似して書いてみた。イラストの手順が示してある。たとえば、魚とか本とかの描き方。こういうのは、本当に絵を描くのが苦手な人向けなんだろうなと思っていたのだが、どうもそういう人のみに向けられたものでもないようだ。ちなみに私は(自称)絵が得意で、何かを写したりせずともなんとなく簡単なイラストくらいなら描ける。そんな私でも、ひたすら素直に従って描いてみると、ほほうなるほどという具合に結構それっぽいものが描ける。と言っても簡単なイラストばかりだけど。お花と葉っぱの描き方、というところを少し練習して描いたあと、いろいろくっつけてみたらこんな感じ。

飾りフレームみたいなのの描き方はなかなか面白かった。手書きの賞状なんてあってもいいだろうなと思った。万年筆で文字を書く楽しみを覚えたこの一年だが、イラストもいいかもしれない。趣味とは言えずとも、なんとなくペンを動かしたいとき(会議中とか)にいくつか「描けるもの」があると楽しいなと思った。

Friday 18 September 2020

有元葉子さんの本とテレビ不要について

有元葉子さんという料理研究家がいる。名前は知っていたが特に本を読んだりその料理を作ったりすることはなかった。それが、先月、図書館で「きょう返された本」のなかにあって、ふと手にとったのがきっかけで興味を持った。一冊だけ(確か最初は『使い切る。』か『ためない暮らし』だったと思う)読んでみたところ、考え方がとても私と合う、似ている人だと思った。料理研究家ではあるが、料理についてというよりは生き方、暮らし方について。片付けと掃除について書かれてあった。

持ち物が厳選されていて少ないけどそれを長年使う、というあたりは私もそうなので納得しながら読んだ。掃除については、読んでいると、掃除したくなってくる。料理しながらあっちこっちを拭いている、というのを読んで以来、私も拭き掃除の頻度が高くなった。ためなければいいのだ。日々、ちょこちょこあちこち拭いていれば、大変な掃除にはならない。

どの本だったか忘れたけど、参考になったのは「マニキュアは一本だけ」というページ。仕事柄、マニキュアをしょっちゅうしていられないけど、使いたいときもある、だけど時間が経つと硬くなるし薄め液を使ってもそんな綺麗には塗れなくなる、だからそのシーズンで一本しか持たない、ということ。なるほどと思った。どうしても欲しくなって持っている割には使わないものの代表例、マニキュア。値段も手頃なのでつい買ってしまうが同じ色ばかりを持っていて、結局見事に使い切るのは滅多にない。子どもが産まれてからの4年間はなおさら、である。ずっと買い足してはいないものの、何年も同じものを持っている。持ってるだけ。そんなもんなのである。マニキュアについては、小さな箱を持っていて、それに入る分以上は入れていない。それでも必要以上だ。一本と決めておけばいいのか。ちなみに今数えてみたら8本ありました。

話変わって本当はこの4連休で実家に帰るつもりでした。が、9月はまだコロナで厳しいので来るな、とのこと。そんなこと言ってたら一生動けない。マスクと手洗いはするもののもはや気にしなくなった最近。感染者数も参考にしていない。気をつけた上で活動するしかないだろう。必要な情報は、自分が信頼できるソースから選び取って判断している。

実家に帰ると様子はおそらくこっちとだいぶ違うのだろうと想像がつく。あっちに行ってはいけないとか、マスクがどうのとか親に色々言われて4日間を過ごすのは簡単に想像がつくので、疲れる日々を過ごすならこれは東京にいたほうが賢明だろうなと思う。親に入ってくる情報の大半はテレビである。テレビ・フリーな生活を送っている私に言わせればあのメディアはとにかくうるさすぎるし、洗脳の威力が異常に強い。科学的根拠をもって物事を判断する力を簡単に失わせる。テレビから離れて以降、同僚や知り合いが「…ってテレビで言ってたよ」と言うときは基本的に信頼しない。

Thursday 17 September 2020

『8 1/2』をようやく見た

「ああ、ようやく涼しくなった」

 暑さがおさまると嬉しいのだが同時に少し切なくもなる。夏の終わりはこんな感じ。気温も湿度も下がってだいぶ過ごしやすい。日々のストレスが軽減されたような感じがする。睡眠の質も上がった感じがする。エアコンの温度設定が気になって途中で起きる、ということがなくなった。

昨日は仕事が休みで、映画を観に行った。ちょうど一昨日の夜、さて翌日は何をしようかなと思いながらふと、フェリーニの映画特別上映が9月まで延長だったのを思い出し検索してみた。席がある。しかもずっとみたかった映画。しかもしかも、時間も問題ない。夏休みはすべて満席だったのに、空席があるんだなあ。迷わず予約したのだった。

見たかった映画というのは8 2/1。イタリア語だとotto e mezzo、日本語だと「はっかにぶんのいち」。古い分数の読み方らしいのだが、変なタイトルだ。ダニエル・デイ・ルイス主演のNINEという映画がある。この8 1/2を元にしたミュージカル版で、原作を見ないままこれを何度か見たことがあった。

マルチェッロ・マストロヤンニがかっこよすぎた。かっこいいというのは、顔がどうのこうのではなく、全体から醸し出されるオーラが。ほかの映画も見たことあるけど、ちょうど年齢的にもこのあたりが一番かっこよかったのではないだろうか、と思った。白髪の混じったぐらいの年齢。そして飾りっ気のないアヌーク・エメが美しかった。二人とも、あのメガネがね。もう、かっこよすぎね。

過去と、現実と、想像の世界が入り混じる作品だ。と聞くとそんなのはたくさんありそうだけど、この8 1/2がそれらにもたらした影響は大きい。なんだって、最初にやった人はすごいのだ。資源や手段の限られた時代に、フェリーニはこの作品を撮った。

クラシックなスタイルは最高だと思う。部屋のインテリアも、車も。服装もそう。帽子、大きすぎず小さすぎないジャケット、きちっとした靴、着こなしにはすべて決まりがある。古い映画を見ると逆にハッとさせられるのだ。タバコを加えて、外の椅子に脚を組んで座り、新聞を広げる。それだけの動作がこんなにかっこいい。(当然だけどデジタルなものはどこにも見当たらない。)こんなにかっこいいのはなぜか?きまりを守っているから。そのきまりはどこに書いてあるのか?書かれてない。書かれてないけど知ってる。イタリアの何がいいかって、クラシックなところ。「きまり」は自然と引き継がれていく。1950年に生まれようが、2020年に生まれようが、ズボンの丈はどのくらいであるべきか、ちゃんと知ってる。

子どもが生まれて4年間、家で落ち着いて映画を見ることがまったくと言っていいほどできなくなったし習慣として遠のいてしまった。たとえ一人で家にいたとしても、2時間もじっとしていられないのだ。それは貴重な2時間であるため、次々にやらなければいけないことを思い出し、動き出してしまう。掃除、洗濯、パンの仕込みなど。それもあって映画館に行ってきちんと時間をとろうと思うようになった。と言っても、見たい映画がいつも上映されているわけではない。今回のように古い名作が特別料金で特別上映されるのはとてもありがたい。面白いとあらかじめわかっているものだと「映画館で見なくてもよかったなあ」と思うこともない。

それにしても最後まで印象にのこったのはメガネでした。かっこいいよなあ。

Saturday 12 September 2020

ピッツァと子の成長

仕事が通常通り再開すると忙しくなる。やることがいっきに増えるので物理的に時間が足りなくなる。睡眠だけは欠くことのないようにしている。

いつ頃からか、そしてどういうきっかけだったか、忘れてしまったけど我が家は毎週日曜日にピッツァを食べる。これがもう半年以上続いている。半年以上も続けばもはや習慣と呼んでいいのではないだろうか。ちなみに私が作るわけではない。食べるだけ。今週末は日曜日に忙しくて作れないだろうということがわかっていたのだが、こどものリクエストもあり、きのう作ることになったらしい。保育園にお迎えにいくとすでにメニューがきまっていた。

4歳の我が子は、ごっこ遊びをすることが多い。3、4歳らしい。遊びというほどでもないかもしれないが「はい、ピザ屋さんですよ〜」とか「はいジュース屋さんですよ〜」とか。きのうも、赤い帽子をかぶって、ソファをバイクに見立てて運転して、一生懸命「ピザのデリバリー」をしてくれた。

わたしも子もすっかりお腹がすいていて、よく食べた。子の食べたあとの、てのひらサイズのピザ一切れ↓

なんて小さな一口だろう!!ねずみさんがかじったのかな、とでも言いたくなる。

子は、身長は105cm、体重は16kgになった。100cmを超えたお祝いと言って寿司を食べたのは3月ではなかったか。どんどん、腕におさまらなくなってくる。腕におさまってもじっとしていることがほぼなくなってくる。成長は喜ばしいがやはり少し寂しい。

最近のひとこと:

朝起きて、太陽がまぶしかったのか目を押さえながら歩いてきた。おはよー、と言うと、

「おてんきバンして」

と言う。まぶしいから太陽をやっつけてということらしい。かわいすぎる。

Wednesday 2 September 2020

9月になった。4歳になった。

 9月になった。ようやく涼しくなった。耐え抜いた夏だった、と思う。郷里にも、イタリアにも行かずに東京で過ごした夏。「この暑さももう少しの辛抱」と、毎日自分に言い聞かせていた気がする。実際のところ、耐えがたい暑さというのは1ヶ月も続かない。花粉症の時期みたいなもので、二週間ちょっと我慢をしていればあっという間(でもないか…)に通り過ぎていく。

そんな夏の終わりにやってくるのが我が子の誕生日である。我が子の誕生日というのは母である私が頑張った日、ということでもある。1歳の誕生日のとき、保育園に送りながら一人で「うるうる」していたのを覚えているが、今となってはそういうことはない。思い出しはするものの、それほど泣けたりすることはない。記憶が遠くなったということだろうか?

ついに4歳になった。いつの間にか服の着脱が自分でできるようになっていた。箸はまだ握らない。読み書きも数字も興味がない。いいことはYes/Noの返事が速いこと。「〜したい?」と聞くと、はい・いいえの返事が即座に返ってくるのは、私はいいと思っている。好き嫌いもはっきり言う。「あなたと友達になりたいな」とか「ぼくマンマ大好きだよ」とか意思表示がはっきりできる。朝は自分で起きる。他人に起こされて不機嫌ということはない。2つの言語を使える。そのおかげか、その場で話されている言語や用語、話題がわからない人がそこにいる場合はわかるように説明をしてあげなければいけない、と思っているらしい。つまり外国語であるということに限らず、同じ言語でも、その話題を知らない人がいたら「それおじいちゃんわからないから」と言う。

ここからは覚悟を持って「しつけ」なければいけないことが増えてくるような気がしている。かわいい、かわいいでは済まなくなってくるなあ、と4歳という数字を見て思う。ま、めちゃくちゃかわいいんだけどね。

Saturday 29 August 2020

コンロなし生活と安倍政権と夏の終わり

まだ、コンロが使えない。カセットコンロがあるのが幸いだ。火がなくても、決定的に生活で困ることはない。もし私が一人暮らしだったらたぶん二週間、いや、1ヶ月でも火なし生活で行けたと思う。朝は例の丸いパンとかあんことか食べる。いや、食べなくてもいける。ここで火を使うことはない。昼は職場か外。夜はサラダ。となると火が必要なのは茹で卵を作るときくらい。毎日サラダでもまったく問題ない。私だけだったら、いける。しかし子どももいるとなると毎日サラダというわけにもいかない。カセットコンロ のボンベは3本目を使っている。

昨日、ようやく修理がきた。が、すぐに「あの〜」と言われ、何かと思ったら、部品が足りないという。「たのしみにされてたと思うので気の毒なんですけど…すみません」と言われた。ということでもう一度きょうきてもらうことになっている。やれやれ、である。

土日は特に予定もない。子と楽しく過ごすというそれだけなので、一大イベントとしてはコンロの取り替え、ということになる。それにすべてを合わせても良い。なんとか今週末で修理が終わって欲しい。

終わるといえば安倍晋三が辞めるらしい。長かった。いろいろ散々だったがコロナのトドメは大きかった。問題だらけの安倍政権だったのに、きっとまた短期政権が繰り返される頃になると、よかった頃の記憶として残るのかもしれないなと思う。そんなもんだろう。ここからようやく令和が始まる感じがする。

いろいろ終わる。夏も終わる。「なーつのおーわーり〜 なーつのおーわーりーには〜」というあの歌が時々脳内を過ぎるここ最近。

Friday 28 August 2020

仕事はいつから楽に感じられるようになったか

 この二週間くらいずっと出勤している。夏休みなのに。しかも、今週は実際に「やること」がある。がっつり。疲れてはいるけど、楽しい。

休み中の静かな学校が好きだ。新聞を広げたりして同僚とどうでもいい話をするのが至福の時間。

いつごろから「労働が苦」みたいな感覚がなくなったかなあ、と考えるとそれはたぶん30代に入ってからだろう。いわゆる「20代女性」にかけられる期待というのはほかと違った、というのが30代のいまは分かる。いつもきちんして、ミスもなく、すべてにyesと答えることが当たり前だった気がする。勝手に背負いすぎていたかもしれない。それでも、今より断然生きづらかった。

それとも、子が生まれてからかもしれない。仕事よりも断然大変な、思い通りにいかないことに人生で初めて直面した結果、仕事がだいぶ簡単に、かつやりがいのあるものに見えてきた。なんてったって、たいていのことは予測できるのだ。あとは、妊娠出産を経て、怖いものが減った気がする。あんなに(文字通り)「重い」ものを身体が抱えたことはなかったし、命以上に大事なものは本当に、ない、ということが身をもってわかった。まわりからどう思われるか、とか、陰口とか、そういう小さなことについては、以前以上にどうでも良いと思うようになった。

twitterで「子どもが産まれてからが人生の本番」というのをみた。もちろん子どもを持たないケースもあるので、誰でも持つべきとかそういうわけではない。そして誰でも持てるわけではないのでこういう言い方は批判を浴びるのだろうとは思う。ただ、子のいる今となってこの言葉は身に染みる。ほんとにそうだと思う。子がいることで、あらゆることにおいて視点が一気に変わる。

子はもう少しで4歳になる。あれから4年。現時点ですでに、いろいろなことが思い通りには行っていない。生まれる前に思い描いていたことは見事に、ことごとく、打ち砕かれている。自分にはこんなに精神的なゆとりがなかったのか、と初めて知っている。この歳になって、初めて。そして周りには結構偉そうにしゃべってしまうのをメタ的に見て「どうしようもないな」と、自分自身について、思う。完璧な親なんていないのだ。そして時間が経ったからといって完璧になるわけでもない。ただ、与えられた条件、環境、時間のなかで、小さくてもいいから楽しみをみつけて過ごして行こうと思っている。

Thursday 27 August 2020

それでもカメラを好む

 今月の初め鎌倉に行った。1泊2日なので大した荷物はいらない。ただ、出発直前まで迷ったことがある。それはカメラを持っていくかどうか。私はいわゆる一眼レフを持っている。ミラーレスなので小さい。荷物にはならないと思うが、手持ちのi pod(i phoneは持っていない)に比べるとだいぶ大きく重く感じる。文字通り「直前」まで迷った結果、結局カメラを置いていくことにした。記録として撮れれば写真の質は少し悪くても良いだろうと思ったのだった。

そして結局、後悔した。持ってくればよかった、と。カメラで撮ったらよかっただろうに、という場面がたくさんあった。いわゆる「カメラ」で撮り慣れている人には分かるだろうけど、フォーカスの仕方、光の具合が全然違う。というか、i podで撮ると、それらは撮った後に編集すべきことに回されてしまう。何よりも困るのが、シャッターを押す瞬間が合わない、ということだ。画面上のボタンは軽すぎて、いまいち撮った感じがしないので連写することになってしまう。そして望んだのと違う瞬間を切り取ってしまう。一応撮れたことは撮れたが、こうじゃないんだよなあと思った。

「最新のi phoneで撮れば違う」と言われるかもしれない。でも、たぶん最新機種を使ったとしても、やっぱり私はカメラのほうを好むだろう。i phoneにシャッターボタンがない限り。

Wednesday 26 August 2020

パンを買わなくなった

朝の光景の一つ。 


パンは以前から焼いていたのだが、自粛期間中に出会った新しいレシピ(エル・グルメに載っていた)で、自分でこの丸いパンを自分で焼くようになってから少し生活が変わった。パンを買うことがほぼなくなった。少なくともこの1ヶ月は何も買っていない。こんなことは今までになかったのではないか。ホームベーカリーで焼くのもおいしいのだけど、ひとつひとつ丸めたほうが水分も抜けにくくてしっとりしている。そして食べやすいし持ち運びしやすい。焼いて次の日はとりあえず2つくらい職場に持っていく。お腹がすいたなというときに食べる。だいたい午前中。こうするとお菓子をつまむことはまずない。

なによりもこのレシピが最高なのだ。コンビニでパンを買うとなるといわゆる「白パン」を選ぶことが多いのだが、ちょうどああいうのができる。白くてふわふわしている。初めて作ったときはこんなのが家でできるのか、ととても驚いた。こうすると、市販のパンがいっきに美味しくなさそうに見えてくるのだ。

一回焼くと、手のひらサイズのパンが8つできる。いろいろ試してこれがいちばん作りやすいと思った。そのうちの半分はあんこを入れてあんぱんにする。それ以外は冷凍もできるようにと何も入れないで焼く。夏なので冷蔵庫に保存しつつ、2日間くらいで私と子が食べきる。冷凍庫にすぐ入れてしまう場合もある。

レシピは覚えてしまった。何度か試しているうちに元のレシピからは少し変わってきた。

小麦粉300g
砂糖15g
塩5g
バター30g
牛乳255g
イースト5g

1. 以上をホームベーカリーに20分くらいこねてもらう。
2. 等分して90分ねかせる。
3. 形をととのえて、180℃で20分焼く。あんこ入れるならここでいれる。

シンプルで満足度の高いパンがこんなに簡単にできます。

Sunday 23 August 2020

「ヤツだけ特別扱い」

 冷やし中華について。納得いかないことがある。

私は冷たい麺が好きだ。コシのある、よく水でしめられた麺が好きだ。うどんに至っては、真冬であっても冷たいものを食べるくらいである。

この季節、冷やし中華をお昼に食べたい、と思うことがよくある。ところが、意外なことに、そんなにどこにでもあるものではない。さらにここで取り上げたい問題は、ようやく見つけてもほかのメニューよりやけに高いということである。少なくとも100円は高いというところが多い。どうしてだろう。私の同僚曰く「ヤツだけ特別扱い」。原材料費はほかと対して変わらないはずなのにやけに高いのだ。これ、納得いかない。そして当然のように「ランチセット」というお得なメニューからは除外されている。夏だから、人々はどうせ冷やし中華を求めてやってくるということがわかっている、ということだろうか。普通のラーメンだと800円あれば食べられるところを、冷やし中華となると1000円を超える場合が多々ある。別に高級じゃなくていいのでせめて他のラーメンと同じくらいの値段で食べさせてほしい。私の切なる願い。その点、吉祥寺にある「吉祥菜館」の冷やし中華はずっと同じ値段で味も量も安定していて嬉しい。妊娠中はるばる食べに行ったなあ…。写真はこちら

夏は「昼飯求めて三千里」みたいな無駄な動きをしたくないので、外出するときは「渋谷にいくなら昼はあそこ」みたいにある程度検討をつけてから動いた方が良い。どの季節だってそうなんだけど炎天下だと特にそう。

つい先日、まさに無駄に歩くことになってしまい、遅い時間に1100円の冷やし中華を食べた。おいしい。たしかに美味しいのだが、だいぶお得なほかのランチセットが同じ値段なのにどうしてこれは単品で1100円なのだろう。なぜこれには杏仁豆腐がついてこないのだろう。やっぱり納得がいかない。おいしいんだけど、あえてここを選んでもう一度食べるということはないだろう。

Saturday 22 August 2020

3歳の人間関係

今週一週間は、水曜以外毎日出勤した。在宅でもできることは多かったが、先週ほど暑くなかったのと、出勤したことが捗ることが多くて行くことにしたのだった。それに伴って子も毎日登園した。先週も、先々週も、夏休みだしねということで休ませつつの登園だったが今週は全部行った。その間、特定の子と仲良くなったらしい。楽しすぎて「迎えにこないで」と言う。保育園に行くのがより楽しみになったようだった。保育園の先生も「なんか気が合ったみたいですね」「きょうは手をつないでいましたよ」と言っていた。

3歳の子たちの人間関係というものが、実感できない。外から見たらもちろん「あら二人は仲良しなのねー」とわかるけど、本人たちの気持ちに近づくことはできない。つまり、友達というもの、そして特定の子と仲良くすることについてどう思っているのか。他のこと、たとえば、いたずらすると怒られると分かっているのにあえてする、とか、そういうときの気持ちだったら想像がつく。だけど急に気の合う仲間ができて手をつなぐ、というその気持ち。まあもちろん嬉しいんだろうけど。

実はここに至るまでには紆余曲折があった。自分は仲間だと思っていた数人の集団がいるのだが、どうしても一緒に消防士ごっこをしてくれないという。仮面ライダーごっこをしているけど、自分は仮面ライダーに興味がない。だから仲間に入れない。家でも毎日「○○くんも、消防士したらいいのにねえ」と言っていた。時々、あっちへ行けと言われるらしい。これは聞いていると親としても切なくなる。「みんなが消防士やりたいわけじゃないんだよ〜」と言って理解させようとした。

そのうちに消防士ごっこしてくれる友達が数人現れた。「ぼくはAくんとBくんの友達になってみようと思うの」と言っていた。そして登園するなりいきなりAくんに直接「ぼくね、Aくんの友達になりたいんだー」と言うとAくんが「やーだよ」とピシャリ。これはまいった!戸惑いながらも「なんで?」と会話が続く。そんなこんなで本人としても疑問が残り、納得のいかない日々はまだ続く。

つぎはBくんと仲良くなり始めた。消防士ごっこをしてくれることがきっかけのようだが、それだけではなくどうも気が合うらしい。追いかけたりあえてコケたりしながら仲良く遊んでいる。

いわゆる「親友」というものを持った経験がない私としては同性の友達とこんなにくっつくという感覚がわからない。急に仲良くなってお互いに遠慮なんてないのだろうか。それは3歳だからだろうか。これで気が合わなくなる時がきたらお互い気まずかったりしないのだろうか。そんなことまで考えてしまう。いやもちろん余計なお世話だろうけど…。

環境も、興味も変わるうちに人間関係も変わっていくのは当然だけど、おそらくこれが初めて、本人が意識している「一番仲の良い友達」なのだろうと思う。ここまで楽しそうなのは初めて見た。

もうすぐ3歳が終わろうとしている。

Friday 21 August 2020

カセットコンロを買った

 コンロが使えなくなっておそらく二週間ぐらい経つ。ある日突然使えなくなった。リンナイに対応してもらったところ、修理不可能なためまるごと交換、と。経年劣化によるものらしい。キッチンに組み込まれているタイプのコンロなので、簡単にこちらが買い換えるわけにもいかない。それからお盆に入り、業者の休みを経ているので本当に長い時間がかかっている。冷凍食品とかオーブンでなんとかなるからね、と言いながらもさすがにちくわや豆腐ばっかり食べる生活には飽きてきた。メニューを考えるのも一苦労である。私はちなみに毎日サラダで済む人間なのでいいのだが、ほかの二人が困る。そして、冷蔵庫にたくさんあった卵の賞味期限、8月20日が迫ってきた。どうしようかなと思った。とりあえずいっきに3つ卵を消費できる、シフォンケーキを作った。それでも6つ余っている。そこでカセットコンロ を買うことにした。防災の観点からも便利かもよ、と友人にも言われていた。そしてなによりも「ゆでたまご作りたい」。この卵をなんとかしなければ。ゆでれば賞味期限をストップさせられる。

ということで19日朝、ヨドバシでポチッと注文したら、なんと同日午後3時ごろには届いた。速い!エクストリーム便とは言うものの、こんなに便利なのか?早速茹で卵を作った。荷物が増えるような感じはしていたが、おかげで家でパスタが茹でられるようになった。二週間ぶりのパスタに家人はたいそう感動し写真まで撮っていた。おそらく生まれてこの方二週間もパスタを食べずに過ごしたことはなかったのではないだろうか。

いつコンロが届くのかはわからないが、とりあえずのところ、たった数日であれ、カセットコンロは大きな役目を果たしている。良い買い物だった。

Thursday 20 August 2020

『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む』から、メディアについて

 そろそろ夏の終わりがやってくる。切ないけど、あの暑さが過ぎ去ったのは喜ばしい。私の幼いころはきっとこのくらいの気温が「夏」だったのだろう。これ以上の猛暑を受け止められる余裕が、地球にはあるのだろうか。

ガスコンロが壊れて料理のできない日々が続いている。火を使わずに食べられるものを考えて調理するのにいよいよ疲れてきたので昨晩は馴染みのレストランに行った。

読みかけの本がたくさんある。きのうは「一冊でわかる イタリア史」を読んだ。読んだと言っても読みはじめは1ヶ月くらい前で、図書館で貸し出し延長手続きまでしてそろそろ返却日が迫っていたから。

ムッソリーニが処刑されるところまで読んだが、なんだろう、なんかこう読みにくいというか入ってこない。それは自分のせいなのかもしれない。18歳で、世界史選択者だったころは入ってきた情報が、不思議なことに今となってはなかなか入ってこない。それとも、本のせいかもしれない。深みが足りないというか。事実がひたすら書いてあるだけなのだが、少し感想みたいなのが入ったり考えさせたりしても良いんじゃないかと思った。そこが池上彰の本(賛否両論あるけど)とはだいぶ違う点。この手の本に関しては、やっぱり流れにのせる工夫みたいなのがあると良いなと思う。自分の勉強する姿勢さえあれば違うのかもしれないけど。

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で、本当に書きたかったのはこっち:

『スウェーデンの小学校社会科の教科書を読む』

これも読みかけだけど、面白い。10歳に向けて書かれた教科書の翻訳と、それを読んだ日本の大学生の感想が交互に書いてある。おそらく子供むけかもしれない。読むと考え方がよりクリアに、シンプルになる。そうか、そう生きていいんだよね、と思う。基本的に「スウェーデン>日本」の姿勢で書かれてあるけど、まあ事実なので仕方ない。こんな国になれたらいいな、素晴らしいなと思わずにはいられない。

その中で私がいい影響を受けられたのがSNSに関する部分。以下第2章『メディア』より。

あなたも影響を与えることができる

メディアが、あなたやあなたの価値観、そしてあなたの意見に影響を与えるのと同じように、あなたも自分のためにメディアを利用することができます。たとえば、学校のカフェや自由時間の遊び場が閉鎖されないように、あなたが誰かに影響を与え

るためには「サポート」が必要です。そのような決定にうまく影響を与えるためには、なるべく多くの人々から賛同を得なくてはいけません。

通例、このことを「世論を形成する」と言います。もし、あなたがオピニオンリーダーとなれば、より多くの人々があなたの考えを支持するようになるでしょう。

以下に、あなたが世論を形成し、それによって決定に影響を与えるためのコツを示しておきます。

・あなたの友人や親類から、署名による支援を集めましょう。

・地方の新聞に投書しましょう。

・フェイスブックでグループを作りましょう。

・人々を集めてデモを行いましょう。

・責任者の政治家に、直接連絡を取りましょう。

この若者たちは、社会の犯罪に対する世論を形成したいと考えています。


いやはや、グレタ・トゥンベリのようなリーダーが生まれる国はこういう教育をしているのだ。納得がいく。日本はおそらくあと30年たってもこうはならないだろう。「人を集めてデモを行いましょう」って。ほかの章を読むとわかるが、スウェーデンでは老若男女、すべての国民が世界に影響を与えることができ、より良い場所にできる、ということを一貫して教えている。そして「規則やきまりごとは変わるものである」という常識。目から鱗である。外に目を向けないと、頭は凝り固まっていくばかりだなあ。

ちなみにスウェーデンについては「日本よりだいぶ進んだ北欧の国」ぐらいにしか思っていなかったのだが、スウェーデンの友達ができてからやっぱりこれは「だいぶ進んだ」どころではないんではないか、と思うようになり、興味がわいた。話をきくと何もかもが、次元の違う「良さ」で、驚くことばかりである。医療や福祉に関しては「あ、それは日本も同じ」と思うこともあるのだが、その他は呆れるくらいに違う。システムだけなら日本も作れるが、そもそも人の心というか、考え方、価値観が違う。これが教育の違いなのだなと思う。そして国民が政府を信用している、というのは今までに出会ったスウェーデン人たち(10人ぐらい)を思い出しても、理解できる。だから今回のコロナウイルスに関しても、スウエーデンの人々がどう考えてどう動いているかが、遠いながらもなんとなく想像がつく。

で、話は戻って、この章を読んで「メディアは受信するもの」というより「発信するもの」ということに気づいた。どちらの役割も果たしているのだが、日本ではあまりにも前者に偏っているのではないだろうか。総務省の行った2015年の調査の結果がこの本には載っている。

「自ら情報発信することよりも他人の書き込み等を閲覧することの方が多い」が43%、

「自らはほとんど情報発信せず、他人の書き込み等の閲覧しか行わない」が41%、

「自ら情報発信を積極的に行っている」が15%

らしい。

以下訳者によって書かれた部分引用:

日本のメディアの教育といえば「どうやって有害な情報から身を守るか」が重視されているように思われます。これに対して、スウェーデンの教科書では「どうやって有益な情報を発信できるか」が重視されています。そして、その先にあるのは、メディアが「民主制の道具」であるという発想です。

このあたりを読んで「そっか、発信か」と思った。フェイスブックやInstagramをたくさんの友人知人がやるようになったこの10年間で気づいたことがある。意見や感想、写真一枚でもそこに発信すると、SNSを始めた当初よりも友人の反応が気になるようになった。理由は二つある。読む相手が多いから。そして、当時と違ってそれぞれに家庭や仕事を持っていて置かれている立場がだいぶ異なってきたことで考え方も異なり「これは誰かを傷つけないだろうか」とか「傲慢とか自慢しているとか思われないだろうか」と気を遣うようになってきたから。個人情報を出しすぎていないだろうか、という懸念もあるかもしれない。そうしているうちに私にとってSNSは受信するためのメディアになってきていた。

内容に気を使うのは当たり前だが、発信していいのだ。何に怯えて「閲覧者」になろうとしていたのだろう。意見を表明する自由は、この国にはまだ残されているのだから。これで国民全体が「閲覧者」になってしまうと、極端な例だけど独裁国家を作るのもより簡単になる。メディアは「民主制の道具」。なるほど。

私は長年このブログというものを続けているのだが、これは発信している例の一つ。どこまで個人的にするか、など、悩んだ時期を経て、バランスも取れてきて今に至る。もう少し読者を確保する方向に行ってもいいかもしれないとは思うが、読んでください、というよりは勝手に書いているゆるい感じがまた長く続く理由の一つかもしれない。

ところで、こういう海外についての本を読んで「こんな国のあり方すばらしいな、こんなふうになれたらいいな」と思うのは年をとったせいかもしれない。10年前だったらきっと「日本を出てこんな国に住みたいな」とリアルに可能性を探っていただろうから。

Sunday 16 August 2020

創作好きの問題点

小さい頃から何かを製作、創作するのが好きだった。製作とはいかずとも絵を描くのも好きだったし、料理や、裁縫なども好きだった。

そして今もやはりそう。布屋さんのある街を歩いていると必ず立ち寄ってしまう。ただし、あたらしい製作物のためにミシンを出したり台所に立ったりするのは相当時間に余裕のあるときに限られる。毎日出勤していない今月は特に「さてやるか」と思うことが多い。

そんなこんなで、一昨日は、作りかけたモナリザのトートバッグにようやく持ち手をつけた。これでようやく使える状態になった。

それからきのうは、裏地のあるバッグを作ってみた。これはまだ持ち手がついていない。こんな感じ:

丈夫な生地を二枚使うとずっしり重くなった。

裏地付きのバッグってどうやってるんだろうなとずっと思っていたところ、ミシンを買ったときの附属本のなかにレシピがあったので、練習だと思って作ってみた。うちにある生地を使った。布は、こうやって使わないとどんどんたまっていく。布についてはもはや収集癖があるので遠慮なく使わなければ箱から溢れてしまう。

それから、さらに、先日買ったリバティ生地を使ってもう一つマスクを作った。最近リバティの貴重さがようやくわかり始めた(普通の記事の3倍の値段がする!)ので、表地だけをリバティにして、裏地はこどものズボンを作ったときに余った綿麻を使った。ローン生地が涼しいとは思うが、リバティは貴重なので、ちょうど正方形に残ったそれをハンカチにでもしようと思っている。

製作好きの問題点としては、こうやって「たくさん持ってるのにさらに作る」という点だ。トートバッグも、マスクも、ハンカチも、たくさんあるのに作ってしまう。食べ物も同じく。パンは食べ切れていないのに新しくパンを作って余ってしまう。ミニマリスト的な生活を送りたい自分とは相反している。

というのも喜びはむしろ、使うことや食べることではなく、作る過程自体にあるのだ。作り終わったら情熱はだいぶ冷めてしまっていることが多い。

そんな私はまた布屋さんに行きたくて仕方ない。生地をみはじめると簡単に1時間が経過している。行きたいなあ。でも暑いからなあ…。

Tuesday 11 August 2020

好きなように泳げばいい

 暑い。朝起きて、夜の間も温度が下がっていないのがわかる。これが都会の夏か。自然さえあれば、朝晩、少しは「すーっ」とする風が通るのだがここはそうもいかないのだ。通常、真夏を東京で過ごすことのない私には分かる。逆に東京にいつもいる人たちはこれが普通だと思うのだろう。

こどもは水曜午後から保育園を休ませたのでとても長い週末(?)となった。5日間も保育園に行っていない。この休みの間は3日連続で近所のプールへ行った。とても混んでいるのではと思っていたがそうでもなかった。子はまだ泳げないけど、この3日で頭を「ざぶん」とつけられるようになった。そして最初は私にしがみついていたのに今となっては片手だけ出してあげるとそれに捕まって自分でふわふわと浮かぶ(もがく?)ようになった。

やっぱり指示を出すべきではないのだ。頭を無理につけさせなくても、つけるようになる。体も水面に平行になってくる。なにごとも、好きになることよりも嫌いにならないことが大事だとおもっている。ああしろこうしろと指図する必要は、無い。ほとんどの場合。

小学校2年生ごろだったか、スイミングスクールに通ってみたことがある。周りの子も通っていて、自分もやりたいと言い出したのだと思う。結果から言うと、自分には合っていなかった。指図されたタイミングで泳ぎ出すのが苦しかった。やけに「せわしい」そしてつめたい時間だったという記憶がある。暗い屋内と、ライト。そして思い出すと息がつきにくくなる。

一方で、夏休みの間通い続けた近所のプールはとても楽しかった。屋外なので黒こげになった。当然のように毎日通った。雨の日でも行っていた。こちらは対照的にキラキラした思い出だ。青と、光の反射と、プールをあがったあとのふわーっとした心地よさがいまだに残っている。

好きにやればいいのだ。楽しいと思うことをやればいい。

Sunday 9 August 2020

アンパンマンとあんパン

 こどもが、遅ればせながらアンパンマンにはまっている。遅ればせながら、というのは、通常こどもたちがアンパンマン好きになるのはもう少し早いからだ。生まれてまもなくからキャラクターを認識しているという場合が少なくないと思う。持ち物もおもちゃもアンパンマンで溢れている場合が多い。

それが、我が家の場合とくにアンパンマンにそれほどの興味もなくここまできた。ちなみにもうすぐ4歳。家でテレビを見ないということも理由のひとつだったかもしれない。最近どうしてこれほど興味が出てきたかというと、紙芝居を借りるようになったからだ。保育園でも読むらしいが、図書館が再開したのもあり家でもいくらでも読めるようになった。ちなみにアンパンマンをテレビで見たことはない。

かくして私は紙芝居を日々音読することとなった。やってみるとこれがなかなか難しい。登場人物が何人もいてセリフが続くときなどは、一体誰の発言かわからない。その証拠に子が「誰が言ってるの?」とよく聞く。そりゃそうだよなと思って声色を変えることを試みた。しかし二種類くらいしか出せない。かびるんるんとばいきんまんにはなれるが、ジャムおじさんとなると結構難しい。声優ってなんてすごいんだ。さらに紙芝居は絵本と違って、したのほうに「演出のポイント」というのがある。演出!そう、求められているのは演技なのだ。たとえば「遠くを見るように」とか「残念そうに」とか「説得するようにゆっくり」とか指示がある。そのとおりに、こだわって読んでみると結構それっぽくなるものだ。

こんな感じで、何を隠そう、こっちもかなり熱心になってくる。嫌いではないのだ。頼まれると「はいはいマンマ劇場〜」と言いながら適当な台の上に紙芝居を置き、背筋を伸ばして語り始める。

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子がアンパンマン好きになったのとほぼ同時期に、冗談みたいだが、私はあんパンをよく作るようになった。Elle groumet という雑誌を6月に購入して以来、簡単に作れることがわかったからだ。かなり本格的に好みのパンが焼ける。そしてまったく大変じゃない。誰のために作るわけでもなく自分のために作る。週2回くらい作っている気がする。家で作るようになってからというもの、パンを買うことがほぼなくなった。ホームベーカリーに任せっきりの食パンはいつでも作れると思っていたので以前から食パンを買うことはほぼなかったのだがあんぱんなどのいわゆる菓子パンは買うことがあった。それが、家で作るパンのほうが何倍も美味しいということを知って以来、すっかり買う気が失せてしまった。

手作りにシフトし始めたのはコロナ下の自粛生活がもたらした恩恵の一つである。

Saturday 8 August 2020

『一人称単数』

 村上春樹の「一人称単数」を読んだ。と言ってもそのなかの3話はThe New Yorkerに掲載されていたのですでに英語で読んでいた。なのできょうはそれ以外の話をいっきに読んでしまった。一番気に入ったのは最後の書き下ろし作品「一人称単数」ですかね。「らしさ」満載であるうえにクラシックで、スピード感があり、情景がありありと目に浮かんで楽しかった。これぞ村上さんと思った。

読み直したい部分は以下:

私のこれまでの人生には–たいていの人生がおそらくそうであるように–いくつかの大事な分岐点があった。右と左、どちらにでも行くことができた。そして私はそのたびに右を選んだり、左を選んだりした(一方を選ぶ明白な理由が存在した時もあるが、そんなものは見当たらなかったことの方がむしろ多かったかもしれない。そしてまた常に私自身がその選択を行なってきたわけでもない。向こうが私を選択することだって何度かあった)。そして私は今ここにいる。ここにこうして、一人称単数の私として実在する。もしひとつでも違う方向を選んでいたら、この私はたぶんここにいなかったはずだ。でもこの鏡に映っているのはいったい誰なのだろう?


あとは「ヤクルトスワローズ詩集」。ここから気に入ってメモした部分が以下:

そう、人生は勝つことより負けることの方が数多いのだ。そして人生の本当の知恵は「どのように相手に勝つか」とりはむしろ、「どのようにうまく負けるか」というところから育っていく。

こういうのを例えば10代、いや20代で読んでもピンとこなかったかもしれないなあ。あと気に入ったのは、ビールの売り子とのやりとり:

「すみません。あの、これ黒ビールなんですが。」

「謝ることはないよ、ぜんぜん。だって黒ビールが来るのをずっと待っていたんだから。」

ああ、素敵だ。死ぬまで新作を読み続けていたいなあと思うのだが村上さんは私よりだいぶ先に生まれているから先になくなるに違いないんだよなあ。なんてことを、読むたびに考えてしまう。


村上作品が出るたびにたくさん分析して批評して、たくさん対談とか執筆とかする人たちがいるんだけど、私はそういうのはどうでも良いと思っている。私が読んでいるときに私が楽しければそれでいい。「作者の言いたいこと」みたいなのが昔から好きではない。その比喩や表現に裏も面もない。なぜ分析しなければいけないのか。面白ければそれでいいではないか。読むことに対して自由になれた、あるいは本当に読みたいものを読めるようになってきたのは、いわゆる「現代文」とか「国語」とかを終えてからかもしれない。感想文も親や先生に言われて書いてはいたものの、周りからの評価を受けるために、あるいは宿題だから書いていただけだ。好きだったかというとちっとも好きではなかった。

そう考えると学校教育ってなんだろうな。



Sunday 2 August 2020

8月になった。

土曜日。8月になった。どうもsurrealな感じがする。シュール。8月か?これが8月1日なのか?と。異様に涼しいのと、普段と違うスケジュールで仕事その他動いているためだと思う。学校が終わったのは昨日。通常なら7月末はすっかり夏休みモード。

夏休みなのにどこにも行けない。Facebookが毎日「5年前のきょう」みたいな感じで過去の投稿を知らせてくれるのだが、この10年間くらいの投稿によれば7月末はすでにローマにいる、という場合がたいていである。ちなみに5年前のきょうはウクライナにいた。1年前はそろそろローマへ出発するころ…とか、たくさん思い出して「本来なら今頃…」と考えてしまう。今年は実家にすら帰ることができない。東京に残る夏、というのはこれまでの人生で3回目になる。1回目は卒論執筆中の21歳ごろ。2回目は妊娠中。それから3回目がコロナ。

しかし、だ。それほど悲観的にならずに済んでいるのは4月と5月の経験があるからだろう。4月末に緊急事態宣言延長になり保育園休園と、在宅勤務要請が出た時ほどの絶望感はない。「あと1ヶ月か!長い…」と思ったことを覚えている。それでもなんとかやっていけた、という経験と自信がある。「どこかバカンスに行けたはずの期間にじっとしている」のも二週間くらいなものだ。「どこにも行けない」こと自体よりも「夏といえば旅に出るはずなのに」という部分が大きい。そのうち涼しくなって秋がやってきて、あの夏はコロナでどこも行けなかったね、という話になっていくだろう。

さて、土曜日。きのうは朝から3人でプールへ行ってきた。最高の天気である。それほど暑くない上に、比較的カラッとしている。自転車に乗ると爽快感を得た。

こどもはまだちっとも泳げないが水の中にいるだけでやっぱり楽しい。パパとママがいる、というそれだけでとても幸せそうだ。1時間近く遊んで、3人で蕎麦を食べに行った。それからゴロゴロして過ごした。

子がアンパンマンの紙芝居にすっかりハマっていて、図書館からいくつも借りてくる。読んでと言われると断れず、読むのだが、1日に同じものを3回も4回も読むことがあり、これが結構疲れる。発声練習にはちょうどいいと思ってやっている。

Thursday 30 July 2020

ご近所さんと親しくなる

この地域に越してきたのが2016年5月。4年が経って、顔見知り、知り合いと呼べる人たちがここにも出来てきた。以前から顔見知りではあったがコロナの間により知り合うことができたと思っている。家にいる期間が長いと、近所の人と顔を合わせる頻度が増えるためだ。これもコロナの恩恵だろうかと思っている。

なかでも、Sさんとは特に親しくなった。常にご夫婦で買い物や散歩にお出かけされる。その途中にある消防署の前に私と子がいつもいるので、声をかけられるようになったのがきっかけだった。2歳ぐらいの頃だったと思う。定位置にいる私たちにいつも声をかけてくださり、家の方向が同じとわかったので一緒に歩いて帰ったりもした。

しばらく前に「もし、預け先が無かったりして困ったら電話ください」と言われて電話番号を交換した。家族が佐賀とイタリアにある私たちにとって、こういう言葉はありがたいことこの上ない。とても嬉しかった。

昨日の夕方は、実家から届いたお菓子を持ってお宅に伺ったが、中にまで入れてもらった。子はまるで自分の家かのようにくつろいで、懸命に消防車の話をしていた。

「ずっとこちらにお住まいですか」ときくと、オリンピックの次の年から、だと言う。長い。こうやって生粋の、東京の人と話すことはあまりない。あるとしても若い人だけなので、子育ても終わって引退生活を送っていらっしゃるような人とのお話はたいへん興味深いものがある。

田舎出身の私はどうしても「都会人はお高くとまっている」みたいなイメージを持ちがちなのだが、こうやって良い人たちに会うと、結局どこにいてもベースは同じだし、良い人はいい人だなと思う。時々こういうことがあるのだ。

さて、この夏は帰省を断念せざるを得ず、何をしようかと考えている。都内のホテルに一泊、海の側のホテルに一泊、というのが今のところの案。

Saturday 18 July 2020

寝付かない、万年筆、キッチンスパッター

昨夜は子が寝なくて困った。寝ないと言っても騒ぎまくるわけではない。無言でずっとゴロゴロと転がり続ける。そして足をバタバタさせる。どうしても入眠できないらしい。本人も寝ようとはしていたのだ。これがなんと2時間半続き、10時半にようやく寝た。長かった。私も一緒に寝ればいいのだろうが、冷凍庫でハーゲンダッツが待っているのを知っていたのと、次の日が休みだというのがわかっていると、あと少し起きたい。そして9時前に眠気がいったん通り過ぎてしまった。だんだんイライラしながらも子が寝るのを待ったのだった。

万年筆を使うようになってから1年とちょっとが経つ。おかげで書くことが楽しくなり、面倒さなんてなくなってしまった。「何か書きたい」とさえ思う。書く材料を探してしまう。きょうはEテレでoasisのwonderwallを歌っていたのを見て、歌詞を書いてみた。あとは源氏物語と竹取物語の冒頭部分。美しいなあ。どれも美しい。

きょうはしっかり雨が降っているのであまりいろいろ活動はしないことにする。たぶん午後から止むだろうけど。買い物とか裁縫とか料理とか、しよう。

ところで念願の「キッチンスパッター」が手に入った。ステンレス製のキッチン鋏。どうしても売り切れが続いていた。人気なのだ。オンラインで何月何日の2時に販売開始、と言われていて試みてみたが30秒くらいで売り切れになる。そうなるとますます欲しい。粘り強くネットで探し続けていたら、狙っていたよりさらに安い値段(4200円)で手に入った!なんという幸運。

昨日届いたのだが、想像通り美しい。いい重みだ。ここ数年、こういうのを買うときには「一生もの」と思って買っている。大事に長く使う。

Friday 17 July 2020

ひと段落してふりかえり。

仕事が一段落。夏休みはもうすぐだ。仕事再開からここまで駆け抜けた感がある。もっと何かできたような気もするが、実際はこれで精一杯、手一杯だった。再開といっても今までのようにできるわけではなかった。コロナ明けはこんなにいろいろなことが普通にいかないのかともどかしく思った。

マスクをして話すというのがその一つ。これは大変だった。これからも続いていくのかと思うとやや気が滅入るが慣れてきた感じもある。

そして体力が追いつかなかった。コロナ明け初回の仕事では脚がむくんだ。こんなのは就職一年目以来である。立っていることに慣れていないのだ。週2回は水泳に行くようにして、睡眠もきっちりとるようにして、ようやく回復が早くなってきた気がする。

まためまいがする。これをめまいと呼ぶのかどうかわからないけど、ときどき視界と自分の位置がガクンと合わなくなるような時がある。一瞬で終わるが車酔いのような気持ち悪さがある。数年前、これがひどかったときは起き上がれなかった。去年の秋だったかにも、同じようなことがあった。三半規管の問題だろうと思うがしっかり休めているときにはこれは起きない。気象病というのにもちょっと当てはまっていると思う。

こどもがどんどん大きくなっていく。最近は急に理由をつけて泣き出すことがあって、そのへの字に曲がった口や、「ひぃぃぃ〜」という高い声のトーンがもはや役者である。しかも突っ伏して泣く。

先日。トイレに行かないとテレビは見せないと私に言われ、最後の頼みの綱である祖父母にもついにテレビはダメと言われたものだから泣き始めたのだがその時の理由は「ぼくは眠いんだよう〜。おじいちゃんとおばあちゃんがしゃべると僕は眠くなるんだよぅ〜〜」。テーブルに突っ伏してまるでヤケ酒を飲むオヤジのよう。

そして一昨日は保育園の先生が「昼寝のときにほかの子と騒ぎそうだったのでお布団の位置を変えたんですがそれがきっかけで泣き出した」らしく、その時の理由が「冷蔵庫にあったりんごジュースを飲まずに来てしまった」らしい。先生が爆笑しながら教えてくれた。

面白い。面白すぎる3歳がもうすぐ終わる。

Saturday 11 July 2020

つらさは、じっと耐えるしかない

相談相手が欲しいと思ったときにどうするか。これまではとりあえず友達に話したいと思っていた。しかし歳をとって、子どもが生まれて、となると自然と相談相手がより年上の知人に移行してくる。ということに最近気づいた。

ただ話を聞いて欲しい、というのももちろんあるが実際ほんのちょっとでもいいので後押しとかアドバイスとか欲しいときがある。そういうときに参考にしたくなるのが年上の知人や同僚である場合が多い。年上といっても一回り以上も上の人たち。つまり自分の親に近いような年齢。

ただそういう人たちってそんなに身近にはいない。親や親戚は遠くに住んでいて、すぐに顔の見れる距離にはいない。まあそれが普通なのかもしれないけど。

かといって同年代の友達なら近くにいるかというとそうでもない。近いけど遠い、というか、そんな頻繁には会わない。それぞれに違う職につき、家族を持っていたりすると尚更、「ぶっちゃけ」られる程度が変わってくる。これが大学時代とはまったく違うところ。大学時代はみんな近くにいたし、すぐに会えたし、そもそも時間にゆとりがあった。懐かしがっても仕方ないのだが。

時々、自分がひとりぼっちになってしまったような気持ちになる。行き場のない孤独と疎外感がある。そして将来について、迷い始める。現実は直視しなければならないし、最終的に頼れるのは自分しかいない。恐れたり戸惑ったり苦しんだりしても前には進まないようだが、困難や苦しみは耐えるしかない。そういうのが人生を深くするのだ、と村上春樹も言ってたじゃん。耐えているうちに前に進んでいる。強くあれ、自分。がんばれ、自分。立ち向かえ、自分。守るべき我が子のいる今、くずれている場合ではない。強張った自分の肩を自分で抱いて寝るしかない。強がっても強がっても出てくる涙。止めなくてもいい。こんな自分と一生付き合うのは、ほかでもない私なのだ。

Monday 29 June 2020

忙しい、読むこと、料理

いよいよ夏、となってくるとどうしても旅に出たくなる。正確に言うとイタリアに行きたくなる。もう二度と行くか、と何度思っても、どうしてもまた行きたくなる。この時期に買い物に行くとほぼ無意識のうちに頭の中でスーツケースに入れるものを思い浮かべ「ほかに必要なものはないか」と考えながら歩いてしまう。子どもを連れて、となるとそんなにのんびりできるわけでもないのだが、それでもやはりイタリアの空気が懐かしい。イタリアの空があんなに青く高いのはなぜだろう。東京だって同じ空のはずなのに、ここはいつも、晴れてもなんとなく白っぽい。スモッグ?よくわからないけどこの十数年ずっとそう思っている。

話は現実に戻る。

忙しい一週間だった。金曜から通常時間割に戻ったので、同じ内容を二回行う手間は省ける。それにしても40人が教室にいるのはやはり過密だ。すごい圧迫感。こんな状態で今まで授業をしていたのかと、ほぼ4ヶ月ぶりに40人を相手に授業をして思った。ほぼ4ヶ月ぶりか…。


いつも、あれ読みたい、これ読みたい、と読みたいものがたくさん手元にある。
・購読しているthe New Yorker
・毎日職場にくるNew York Times
・kindleにダウンロード済みの西洋美術史入門はじめちくまプリマー新書の三冊。(20日までキャンペーンでなんと200円以内で買えた。finalvent氏おすすめのものをとりあえず買った。)
・外語大の入試問題。これは読むというより解くもの。

上の2点については日毎週ごとに追っかけてくるのでこれは時間内に読めないともはや諦めるしかなくなる。仕事が再開してあらためて、自粛期間中のような余裕のある時間は滅多にとれるものではなかったのだと気づく。仕事が始まってからは読むものを開くことさえできずに1日が終わる。キンドルは一週間スイッチを入れられていない。土日こそ、と思っていたが、この土日は疲れをとるのと、料理で終わった。

そう、料理。これは自粛期間中に得たことの一つで、少し料理に対して前向きになってきた。そもそも料理は嫌いではなかったが「作ってみよう」というやる気に欠けることが多かった。自粛期間中、作らざるを得ず、いろいろと試した結果、結構楽しくなってきたのだった。おすすめは「白ごはん.com」です。料理のウェブサイト。これで作るとほんとうにおいしい。料理本は出さないんだろうか。

Saturday 20 June 2020

久しぶりに『彼岸花』

珍しく一人で夜を過ごしている。映画でも見ようと思ってすぐ心に浮かんだのは小津安二郎。「彼岸花」のDVDが手に触れてすぐに「これだ」と思った。

なんて良い映画なんだろうなあ。小津映画を見始めた当時はかれこれ10年以上前で、親に結婚すると言っても何ひとつ納得してもらえなかった時期だった。なんて古い家なんだ、と思ったし、言うことをいちいち聞いていたらやっていけないと思った。当然ながら「節子」の方に感情移入するわけだ。しかしながら今回は感情移入というよりこの親たち、特に母親の演技に注目してしまう。結婚を許さない頑固な父親と、反発する娘の間を絶妙な感じで取り持つ母親(田中絹代)。この表情、しぐさ、台詞がひとつひとつ響く。前見たときはこんなこと気づきもしなかったのになあ。

そして極め付けは笠智衆との会話。「いやあ、こどもにはかなわんよ」。子育ては思い通りにいかない、と、子育ての難しさを二人で語るシーンがもう痛いほど心に響く。セリフのひとつひとつがもはや美しい。

邦画をそれほど見ない私だが、小津映画はやはり別格だよなと思う。

Thursday 18 June 2020

子ども置き去りについて

昨日の朝くらいから、起きたときの疲れが減ってきた。きょうも比較的すっきり起きた。そして体重も元に戻った。やっぱり適度に運動してそれに見合った食事をすれば良いのだ。

昨日はプールに行った。初夏のプールは最高だよな、としみじみ思う。まあプールに行かなくても初夏は最高なんだけど。そもそも。泳ぐのは30分間にしている。距離を決めるよりは時間を決めた方が良い。というのは、たぶんこの10年くらいで気づいたことなんだと思う。以前は「1.5km泳ぐ」と決めていたので。距離を決めると自分にプレッシャーがかかる。

車内に2歳の子供を置き去りにした、というニュースを今朝も見た。しょっちゅう聞くニュースだし、そのたびに「信じられない」という気持ちになる。しかし世の中にはこういう人たちがいるのだ、ということを実感したのは子供が生まれてから、である。

先日、交差点で信号待ちをしていた。そこには地下にある駅へ通じる階段がある。子供二人と、母親一人がそこにいた。母親が息子のパスモを持って、何か言っていた。母はやや怒り気味。朝ありがちな光景だ。よく聞き取れなかったが、おそらく残額がないということを言っていたのだと思う。というのも、なんとその母親は二人をそこに残して、階段を降り始めたのだ。手にはパスモ。おいおい、と思った。置き去りにするには幼すぎるよ。だけど行ってしまった。たぶん、一回やると普通になってしまうのかもしれない。二人はそこで大人しく待っていた。

別の例。保育園に子を迎えに行った時のこと。3人子供のいる女性が、自転車に乗ってやってきた。一番上の子を迎えにきたらしい。後には末っ子一人しかのせていない。真ん中の一人はどうしたのか、と聞かれると「家に置いてきた」と。ほかに祖父母などいるわけではなく、一人で家に置いてきた、と。それを聞いたほかの保護者が「それはすごいね〜、うちはそれやらせたことないわ〜」と言っていたが、内心びっくりしていたに違いない。それに対し「テレビみせとけば大丈夫」と言っていた。ワンオペの辛さはさておき、これはよくない。まったく良くない。車内置き去りではないけど、家の中でも何だって起きうる。私は会話を聞いていただけだったが、唖然としてしまった。驚きを超えて悲しくなってしまった。

というように、子供を置き去りにすることに抵抗のない人たちがいる。これは私が見たなかでもほんの一例。たぶん世の中で置き去りにしているケースの99%が「何もなかったからよかったけど」という例だろう。私は、ほんとうにこれが信じられない。二人以上子供がいたらもしかしたら「気持ち分かる」となるのかもしれないけど。そして逆にこどもがいなかったら、目線が全然違うのでそもそも置き去りにしていることにこれほど気づきもしないと思う。

こんなに小さくてか弱い存在を、置き去りにすることは絶対に許されてはいけない。大人のエゴに振り回される子供たちが少しでも減ると良い。

Wednesday 17 June 2020

疲れ、ミシン

疲れる。とにかく疲れる。その証拠として一番わかりやすいのが、朝起きた時に爽快感がない。なんだかぐったりしている。こんなに寝ているのに?暑さもあるだろうけど、今までどおりの体力を取り戻すのにこんなに時間がかかっている。職場に行って帰ってくるというこんなシンプルなことに慣れないでいる。

とはいえ、先週よりはマシだ。めまいや立ちくらみがすることはなくなった。取り戻しつつあるのだろう。なんでこんなに回復できてないんだろうなとは思うが、ほぼ3ヶ月休業状態というのは前例のないことなので、まあ仕方ないと思うしかない。決して年齢のせいだなんて思わないことにする。


ミシンを動かして二種類、作った。

一つはマスク。職業柄、しないわけにもいかない。作ってみようかとおもって作ったら簡単にできた。一つ作れば2つ目は慣れたもので、5分くらいでできた。まるで折り紙のような感じ。

2つ目は綿麻のズボン。こどものため。Fireman Samという話に我が子がハマっており、黄色いズボンが欲しいと常に言うので、作ってあげることにした。昨日帰宅してから1時間くらいでできた。

Monday 15 June 2020

体重超過

うーん、よくないな、よくない…。

きょう。朝起きてからもやもやしている。なぜか。体重が増えている。この一週間、つまり仕事が再開してから微妙に増えているなと思っていたのだが、ちっとも減る様子がない。今朝測ったらなんと61kgを超えていた!こんな数字は久しぶりにみた。私の適正体重は59.5~60.3kgぐらい。これを外れてくるとちょっと調子よくない。昨日の朝は60.5でその前は60.7だった。これでもやっぱり調子がよくない。調子がよくないというのは具合悪いのとは違って、なんか体が重くて動きにくい感じがするということ。これは私本人にしかわからない。そして今朝なんでこんなに体重が増えているかというと、きのうの夜pizzaを食べたから。そして仕事が再開して以降、筋トレとかダンベルとかする余裕が全くなくなった。疲れすぎてそれどころではないのだ。そしてお腹が空いている「気がする」ので、間食が増えた。ん〜、ちょっとゆるゆると過ごしすぎたかもしれないなあ。

Friday 5 June 2020

久しぶりのプール

職場に行って帰ってくるだけで疲れる。なのに、それに加えて授業をする。そしてマスクをする。さらに、暑い。さらにさらに、昨日は夕方にプールへ行った。約3ヶ月ぶり。疲れているんじゃないのか、と言われそうだが、ここまで疲れたらもう同じ。そして泳ぎたくて禁断症状が出そうなくらいだったので。もしこのあとまた自粛期間が始まろうものなら、次に行けるのはいつになるかわからない。せっかく再開したので行ってみることにした。

今までと違って、名前や電話番号を記入することになっていた。そして入口から入って着替えるまでは1分もないのだが、その距離であってもマスク着用となっている。プール運営側もかなり気を使っている。それはそうだろう。ここでクラスター発生となったら問題だ。閉鎖してほしくないので、ここではルールを尊重する。

水中での感染はしないと言われている。なんてったって、塩素に浸かるわけだ。全身消毒みたいなもの。プールはそれほど混んでいなかった。3ヶ月ぶりの水はとても気持ちよかった。快適、快感。まさに水を得た魚。これがないとやってけないよあ、と泳ぎながら思った。私の人生はプールとともにあると言っていい。プールが再開してくれたおかげでこのコロナ渦中でもこうやって自由を感じながらのびのびと体を動かすことができる。マスクをしたまま苦しそうにランニングをするのとはわけが違うなあと思った。いやもちろんそもそもランニングが趣味であればそれでもいいんだけど。

通常は30分泳いで終わりなのだが、昨日は20分で終わりにした。久しぶりなので、軽めのほうがいい。20分でも十分。

なぜ泳ぐのが好きなんだろう。

・一人でできる
・水がそもそも気持ちいい
・自由
・汗だくにならない
・爽快感

という、よくある理由のほかに:
「全身動かして短時間でいっきに運動ができるので、たとえば筋トレみたいに時間かけて苦しんでせっせとやらなくていい。」

というのが、私の場合、ある。家で筋トレやったり公園でランニングしたとして、消費しているカロリーは大したものではない。そして意外と時間がかかる。たとえばプール閉館中、毎日家でダンベル含めたトレーニングをしていた。これが20分かかる。20分といえば昨日泳いだ時間と同じだ。泳ぐのは、プールに入りさえすれば良い。あとは流れに身を任せてずーっと泳ぐだけ。なのに筋トレはいちいち、きつい。家という環境だととくに「さーて、やるか」と重い腰を上げなければいけない。爽快感は、はっきり言って、さほどない。

どうか今後プールが閉まりませんように。なんてったって一年で一番泳ぐのが気持ちいい季節なのだ。

Thursday 4 June 2020

本業再開

仕事が始まった。正確には先週からすでに始まっていたが、昨日からは「本業」のほうが始まった。こどもたちの声が戻ってきた。

30分の短縮x4時間連続で授業をしたらもうぐったりしてしまった。以下体育のベテラン教師との立ち話。

私「いや〜、授業ってこんなに疲れるもんだったかなと思いますよね〜」
同僚「でも疲れ方の種類が違うでしょ。大人と顔合わせて何時間も会議するのとは全然」

言われてハッとした。充実した疲れ。夜ぐっすり眠れる類の疲れ。もはや喜びである。何しろ3ヶ月以上ぶりの授業なのでこの感覚を味わうことさえ忘れていたのだ。

それにしてもマスク着用での授業はつらい。暑い。汗だくになる。マイクとか使えばいいのかもしれないけどこんなにしゃべりにくいことはない。距離をとっているんだからマスクは外してもいいんじゃないのか、と思う。しかし近くにいる人たちに不安を感じさせるようであればマスクはしなくてはいけない。

今後どうすんべ、と思いながらも、ここから変えていくしかないのだ、とも思う。今までと同じ形でやらなければいけないわけではない。できることはたくさんある。

Tuesday 2 June 2020

6月になった。

6月になった。6という数字に、冗談じゃないのか、と思ってしまう。3,4,5月をすっ飛ばして一気にここに来た。きのうが入学式だったという子どもたちもいるのではないだろうか。浦島太郎とも違う、この感覚。なんだろうな。

ポストには申請書類がいっきに届いた。

・子ども手当現況確認
・10万円申請
・こどもの歯フッ素塗布
・省エネポイントアクション申請

こういうのは封を切ったその日に記入まで済ませてしまうべし。今日やることのうちで最も優先順位が高い。



またパソコンに電源が入らなくなった。一週間前にそういうことがあって、普通通り動くようになったのでめでたしめでたしと思っていたのもつかの間、昨日また動かなくなった。そしてきょうは動く。バックアップを取っておくべし。



5月末から梅雨に入るあたりは最も好きな季節。半袖でちょうどいいけどエアコンつけるほどでもない、という、そんな気候。夕方に友達と待ち合わせてビールでも飲んで…というのが一番楽しい季節なんだけど…今年の場合はなかなかそうはいかない。



仕事が再開したのだが、少し早く出かけるだけでぐったり疲れてしまった。全然慣れない。こんなんでやっていけるのだろうか。



在宅生活で得たものの一つに、腕の筋肉がある。(こうやって書いてみると変な表現だな…。)4月から、ペットボトルのダンベルで毎日鍛えることにした。水泳に行けないのでこの方法をせめてとった。そうすると今まで鍛えられていなかった部分も鍛えられてなんだかムキムキになってしまった(笑)。

Sunday 31 May 2020

お弁当騒動

前回も書いたとおり、この一週間で二回、お弁当を作った。これが予想以上に大変だった。普段から「お弁当なんて手抜きすればいいのに」とか「一品で済ませれば大したことないはず」とか言っていた。ところがどっこい、自分がやるとなると結構凝ってしまうのである。事実、こういうのが好きだ、というのもある。保育園のシーツとかプール用タオルとか、じゃんじゃかミシン動かして作ってしまうのと同じだ。創作することについては好きな上に結構得意なところもある。

しかもこれが、自分のためではない。自分が食べるのだったら全然こだわらない。子のため、しかも初めてきちんとしたお弁当となると俄然張り切ってしまうのだった。自分でも「やれやれ」と思った。

さて、やるとなると「何を作ろうかなー」と何日も前から考えてしまう。その間、頭のなかには10個くらいメニューが浮かんでいて、スーパーに行くとあれもこれもと買ってしまうが実際に詰め込める、あるいは時間内に作り終えられるのはそのうち3割くらいなものだ。

そしてどのお弁当箱を持っていくかについても考えなければいけない。私が高校時代に使っていたものを使おうかと思ったのだが、ふと、5年前に買った曲げわっぱが目についた。子供にみせると「うん」と言う。まあどれでもいいんだと思うけど。

ものすごくがんばって調査を重ねて、浅草本店まで買いに行った白木の曲げわっぱがうちにはある。なんと1万円くらいする。妊娠中に、ヘルシーにお昼を食べようと思って買ったものの、朝から料理する余裕なんて全くなくて結局ほぼ使わずに宝の持ち腐れ状態となっていた。それがここで役に立つのである。

1日目は、オリーブ、トマト、コーンで炊き込みご飯を作っておにぎりにした。
2日目は、オムライスにした。

経験を重ねれば要領が良くなってくるのだろうが、意外なほどに時間がかかった。今回は私が半分在宅勤務のようなものだったので作ることができた。これははっきり言って平日に仕事しながらやるものではない。無理である。当然だが、自分の準備と、子供の準備(朝ごはんと着替えと保育園の準備を含める)と、お弁当の準備を同時進行で1時間くらいで行うわけなので、何かを犠牲にしない限り、やっていけることではない。

そこで睡眠を削ったりして健康を犠牲にするのは最も馬鹿らしいことだと思う。完璧を目指さないのが大事だ。ま、今回は気合を入れてしまったけど。

ともあれ、明日から区立保育園は給食が始まります。2ヶ月ぶり!嗚呼、ありがたや、ありがたや。

Saturday 30 May 2020

3歳9ヶ月のバイリンガル日記

私の仕事が再開するのもあり、練習みたいな感じで今週は水曜と金曜、こどもを保育園に預けた。ただし午前中だけ。9時から12時までなのであっという間にすぎる。いつもと違うのは、お弁当を持っていく必要があるということ。あくまでも今週は「応急保育」という扱いになっている。医療従事者やライフラインに関わる職業の人のみが預けられる、というのが先週までだったが、今週は「在宅ではあるが保育困難な人」というのが加わった。ということで、仕事に行く日に合わせて、預けることにした。

ところがこれが一筋縄ではいかない。二ヶ月間、毎日両親とべったりだった3歳児がそんな簡単に保育園モードに切り替えられるわけがない。「呼び」となるのはお弁当だけである。ぶどうとかさくらんぼとか美味しいものを入れたお弁当を用意して「行ったら食べられるよ」と言うしかない。それでも「おうちでごろごろyoutube見る」には到底かなわない。朝から泣き叫ぶ子ども。「いやだよう、行きたくないよう」とイタリア語で叫ぶ。



この二ヶ月の間、ちょうど5月の中旬ごろから我が子は「日本語<イタリア語」になった。たとえば日本語でしゃべっている途中にこういうやりとりがよくある:

子「cocomeloって日本語でなんていうの?」私「すいか」

子「lontanoって日本語でなんていうの?」私「遠い」

という、今までだったら逆(つまり「イタリア語でなんていうの」)だったはずの質問が出てくる。「ついに逆転したかー、と興味深くみていた。それはそうだろう、親といる時間がこれだけ長いのだから。保育園に毎日通っていたときは、「パパ、日本語しゃべって」と言っていたのに、ついに最近は「マンマ、イタリア語しゃべって」になってしまった。親がそれぞれ違う言語をしゃべるわけだから、子はいちいち切り替えなければいけない。だけど、できることなら周りを自分のモード、つまり自分が困難なく表現できる言語に合わせたいわけだ。バイリンガルならではの悩みと苦しみがあるんだろうなと思ってみている。「二つ話せるっていうのはとてもいいことなんだよ」「とても特別なんだよ」と話をした。

私はイタリア語母語話者ではないので普段日本語で会話している。イタリア語で話しかけられても日本語で答える…はずだったが、どうしたことか最近はイタリア語に押されることが多くなってきた。さほど不自由はないものの、気づいたら「そっちモード」に取り込まれる。

話は戻って、そんなこんなで約二ヶ月ぶりの保育園に二回通った。来週からも自粛期間ではあるものの少しずつ友達は戻って来るはずだ。そうするとあっという間に日本語優勢になってくるのだろう。

この日伊間の迷いと戸惑いに直面する我が子をみて、私はとくに哀れがったり、焦ったりすることはない。自分は経験したことがないけど、たぶんそういうものだと思う。ただ、心がけていることもある。言葉が出てこなくてつっかえたり同じことばを何度も繰り返したりするときに、急かしたり問い詰めたりしない、ということだ。あまり訂正らしき訂正もしない。いずれ分かるから。



ここ半年くらいで我が子について気づいたことの一つとして、結構慎重派なのかも、というのがある。判断してから動くタイプかもしれない。それがいいとか悪いとかいうわけではない。ほかにも気づいたことはたくさんある。お絵かきとか、工作とか、パズルとか、机でやる類の遊びにはあまり興味を示さない。文字数字もいまのところあまり反応がない。すべての車に興味を示した2歳のころは車体に書いてある文字がすべて読めたのに今は「わからない」と言う。不思議なものだ。

その代わり驚異的なほど興味を示すのが消防関連である。そして、それにまつわるいくつかの外国語。youtubeで消防士をみながらいろいろな言語をリピートする姿をみて消防と外国語の組み合わせはこの人にとって最強なのだなとつくづく思う。

Thursday 28 May 2020

在宅勤務の終わり

先週、ついに29日出勤の指示が出た。ということは、きょうは在宅勤務最終日である。長かった。うんざりすることも多々あったが、得たものも同じかそれ以上大きい。こんなのはきっと一生で一回だろうと思っている。(そしてそう願っている。)休暇でもないのに2ヶ月職場に行かないなんて、この13年と2ヶ月間仕事をしてきて初めてのことだった。

まさに自分と向き合う期間だった。いつもドタバタしてあっという間に1日が過ぎるという日々だったのが一転、急いでやるべきこともない中で家にいなければいけない、という毎日になった。そして家族が家にいる。こっちが−つまり、職場ではなくて家が−本当の自分のはずなのに家に居場所を見つけて確保することに必死になっている自分がいた。

職場の人たちと時々オンライン会議が開かれた。そこで映る同僚たちは、家にいて、背景には本棚や、カーテンや、障子や、インターホンが見える。それを見て不思議な気持ちになった。見てはいけないもの、というわけではないが、今までずっと目にするはずのなかった、同僚の私的な部分を見ている。そして、そうなんだよな、これが(自分も含めて)この人たちの普通なんだよな、と思った。私的な顔があって、はじめて仕事があるわけなのだ。カメラには映らないけど、その向こうには子どもがいたり親がいたり旦那さんがいたりするのかもしれない。洗濯物の山があったり、洗うべき食器が積み重なっていたりするのかもしれない。



この間、得たものについて考えてみる。

時間の使い方にはかなり気をつけた。朝は5:30に起きて1日のやることリストを作った。それから1時間くらい英語の記事を読んだ。家事を済ませて午前中に読書をした。午後は家で少し、ダンベルを使った運動とか、いつもやっている、背筋と腹筋に集中した10分のエクササイズをした。

食べるものにも気をつけた。仕事をしている時より圧倒的に運動量が少ない。水泳も合気道も行けない。となると摂取するカロリーは当然減るべきだし、その日に摂取すべき栄養素を最優先させて三食を作っていく必要がある。ふだん私はまったくカロリーとか糖質とか気にしない。その分、活動しているためだ。だけどこの期間は気をつけた。朝はいつも通り、大して食べない。なにかひとつ甘いもの、炭水化物を食べる。無印のバウムクーヘンがちょうどいい。あとは紅茶かコーヒー。昼にがっつり炭水化物を食べることを避けた。食べることは食べるけど納豆とか豆腐とかタンパク質を必ずとる。

それから夜はサラダ。これが昼に来ることもあった。昼夜ともサラダのこともよくあった。サラダは、たぶん見るとびっくりするくらい大量。だけどこれが一番体の調子が整う。無理しているんではないか、と思われるかもしれないけど、一番食べたいものがサラダなのだから仕方ない。これは在宅勤務だからというわけではなくて、いつもそう。勤務していても夜はサラダ。水菜を使うことが多いが葉っぱならなんでもいい。ルッコラとかケールが安く手に入るのでそれらは好んで使っている。そこに卵、ツナ、アボカド、オリーブ、コーン、あたりが加わる。これらはいつもあるとは限らない。ないこともある。あるものを使う。ドレッシングは我が家にない。オリーブオイルとバルサミコ酢と柚子胡椒を使う。夜に炭水化物はたべない。日曜のpizzaを除いて。

おかげで、この2ヶ月体重は増えなかった。二の腕が鍛えられた。脚の筋肉はかなり衰えた気がする。仕方ない。これはすぐ取り戻す。

Wednesday 27 May 2020

Youtubeとドイツ語

緊急事態宣言解除。ふぅ、と息をつきたくなる。やれやれ、というべきか。とりあえずは、一時期のソワソワ、びくびくした感じが過ぎた。今後どうなるかはわからないけど、よかった。とりあえず。とりあえず。


5月の間に三つ、Youtubeで動画を撮ってみた。Youtuberになったのではない。仕事のためだ。最初は同僚に自己紹介を頼まれて「えー、そんな」と思っていたのだが、やってみるとこれが、大したことない。一度やると二度目はさらにハードルが下がり、三度目となると撮り直しもゼロになった。ちなみに編集はしない。

三つ撮ってみて思うのが、たくさん編集しても結局内容が面白くないと視聴率は稼げない。面白いことしゃべっている人は、字幕とか効果音とかなくてもみんな見たがる。あと、編集はハマってしまうとものすごい時間がかかるので、公開のタイミングがずれると面白さも減る。


こどもがやけにドイツ語に興味を示している。我が子はここ数ヶ月、YoutubeでFireman Sam (消防士サム、というイギリスのプログラム。昔はストップモーションでBBC放映だったようだが最近ではぜんぶCG)とPlaymobil という、レゴのちょっと大きいバージョンの動画を好んで見ている。どちらもなぜか日本語版は無い。日本には入ってきていないらしい。その代わり色々な言語があるのだが、偶然(だったかなんだったか忘れた)聞いたドイツ語版を、気に入っている。いや、気に入っていると言うべきなのか、よくわからないけど、ドイツ語でもいいから見たい、と言いながら見始めた。

そうすると、当然といえば当然なのかもしれないが、いくつかドイツ語のフレーズを覚えている。「ドイツ語」と意識しているあたりがもう面白くて仕方ない。

ちょうどきのう、公園に座って豆乳ドーナツを半分こして食べていたときのこと。背の高い外国人らしき男性が二人、公園の入り口からやってきた。「何の言葉話しているんだろうね」と言いながら見ていた。だんだん近づいてきて、それがドイツ語だとわかったので「あれ、ドイツ語じゃない?」と私が言ったら子はまるで照れたようにニヤーっと笑って一生懸命観察していた。「お話しに行ってみたら」と言っても、照れていかない。それでも興味津々で、近くを横切って行く二人をずっとずっと眺めていた。見えなくなるまでずっと目で追っていた。面白い。

家でも"Chissa come si dice ごめんなさい in ドイツ語 (ドイツ語でごめんなさいってなんていうんだろうね)"と日伊まじりで言っていたので調べてあげると、そういえば私も聞いたことのあるフレーズが出て来た。教えてあげると、嬉しそうに繰り返している。

消防士が出てくるplaymobilレゴの動画をドイツ語で見ていると、セリフの最後にやたらと「マーシュ」という言葉がくっついていることにこどもが気づいた。「また、マーシュって言った」と言う。確かにどの単語にもくっついているので、なんだろうと思って調べることになった。どうやら英語のmarch(行進する)と関係ありそうだ。たぶん「行け!」「それ!」みたいな感じなんだろう、ということがわかった。

さらに「ヴァサ、マーシュ!」となんどもいうので、これなんだろう、と思っていたら、そういえばルフトハンザの機内で「水のことをヴァッサー、と言うんだな、へー。」と思ったことを思い出した。「水、行け!」ってことか、なるほど。消防士だから放水しながらみんなで言ってるんじゃない、と3人で納得。それ以降ずっと子は「ヴァサ・マーシュ!」が繰り返されている。

いやはや、勉強になる。

Sunday 24 May 2020

そろそろ解除と「寂しくなります」

先が見えてきた。

東京の感染者数は一桁になった。緊急事態宣言そろそろ解除になるな〜、と少し希望が見えてきた。

昨日の午後から東京には太陽が顔を出した。実に一週間ぶりである。冷たく、暗く、寒い一週間だった。昨日ちらっと公園に行ったらすごい人出だった。そりゃそうだよねー、と思った。油断ならないと言われても、という感じだ。確かに今までのようにはいかない、だけどそろそろ普通の生活がしたい。

先月ずっとお休みだった顔なじみのレストランが、先日ついに再開した。きょうは久しぶりに子供をつれて二人で行ってみた。混んでいるかもしれないと思って念のため予約してみたものの、実際それほど混んでいなかったし、外にいる人たちはテイクアウトを待つ人たちだった。

こどもと向かい合ってピッツァを食べた。といってもほとんど子が食べてしまった。二人分注文しないとだめだなこれはと思った。1歳から毎週のように連れてきていて、その当時は膝にのせて、細かく切り分けて食べさせていたのに、向かい合って食べられるようになったとは。そしてあちこち汚して大変だったのが、今となってはエプロンさえ要らなくなった。成長したよねえ、と言いながら食べた。

会計が終わって自転車に乗ろうとしていたら、店長さんが外まで出てきた。この店長さんにはこどもが生まれる前からずっとよくしてもらっている。「アマビエ」の金太郎飴を二つくれた。ありがとうございますー、と言っていたら、なんと6月1日から異動になるということ。これはショックだ。本当に寂しくなる。地域の知り合いが一人減る。知り合ってどれくらいになるかというとかれこれ8年。長い。私たち家族が今にいたるまでの全てを知っている。何度このレストランで誕生日会を開いただろう。料理を持ってくるタイミングとか、私たちの好みとか、すべて把握してもらっていた。水には氷を入れないほうがいい、とか。子供が生まれて2ヶ月のときも、いつ泣き出すかわからないのに、連れてきたらこころよく食事をさせてくれた。ベビーカー運ぶのも手伝ってくれた。近くを通るたびに声をかけてくれた。それがなんと異動ということ。来週のうちにせめてあと1回行っておこうと思う。こういうのは、まあ仕方ないんだろうなあ。人の縁というのは、あきらめも肝心だし、同時にいいつながりがまた近くでひょこっと出てきたりする。そのたびに寂しかったり、嬉しかったりする。「縁」にどう向き合えばいいのか?前を向いて生きよう、ただそれだけだ。手元のスマホ画面じゃなくて、背筋を伸ばして前を見る。ま、スマホ持ってないけど。

Monday 18 May 2020

晴れた日に公園で読書する習慣

早く普通の日々に戻って欲しいとは思うが、在宅勤務のおかげで得たものもたくさんある。そのひとつが読書。

私は読書家というわけではない。そんなにたくさん読まない。電車通勤をしていた頃は毎日何かしら手元に持っていて、よく読んでいたが現在の職場になって自転車通勤に変わり、本を手に取ることが減ってしまった。しかも、残念ながら読書が家で習慣付いていなかった。そこにこどもが生まれた。ますます読書どころではなくなった。生まれて当初は本当にまったくと言っていいほど読めなかった。仕事に復帰したら、(矛盾しているようだが)少し自分の時間ができた。電車でどこかに出かける時、実家に帰るときなどを利用してなんとか読んでいる具合だった。

それが今回の在宅で、読めるようになった。子も家にいるのに、なぜかというと、午前中我が子は「パパ〜」と一緒に過ごしたがるのでもういっそのこと子供の世話は任せて自分の時間をとろうと決めたのだった。

これは話し出すと長くなるが、子供が普段から一緒にいる時間が長いのはその父親のほうであり、完全に二人のペースができているのでたとえば私が強引に「ほら、公園にいこう」なんて言ってもまったく聞く耳を持たない。これにたいして在宅が始まった当初はたいへんイライラしたのだがもうあきらめることにした。感謝しつつ自分の時間をとる。

読書にはもっぱらkindleを使う。電子書籍だ。これが合わないのではないかと思いながらももう本棚に本が増やせないので、NHKのテキストを買うためにと思ってためしに買ってみたのがちょうど一年前。それからこの便利さにはだいぶ助かっている。そうだ、読書をするようになった理由のひとつにはKindleがあるのだ。Kindleじゃなかったらそもそもこれほどまで本に手を出そうとしなかった。増えても、増えないというのがいい。

何を読んでいるかというとここ数年ロアルド・ダールをずっと読んでいる。読み始めたのは産休育休のときからだ。面白すぎて読み終わるのが惜しいが、それでもまだ読む分はありそう。ちなみに全部英語。こんな職業をしているというのに英語を読むのが億劫だった。ずっと。それがダールに出会ってからというもの、それが英語であることを忘れるくらいのめりこんでいた。短編じゃないと無理、と思っていたけどダールの小説には短編じゃないのもあり、読んでいる間に結構長いものも夢中で読み終わっていたりする。実はこういう経験が仕事に直結している。

晴れた5月の公園でひとり、ベンチに腰掛けて読む。目の前には開けた空間。こどもが遊んでいる。木陰から見上げる葉っぱは、それはそれは美しい。最高の季節だ。気がつくと2時間近く経過している。仕事が再開したらこれを習慣とすることはできなくなるだろう。だけどいつか2020年の4月と5月を思い出す時、私はきっとこの光景と空気とたくさん読んだ小説のことを思い出すだろう。

Sunday 17 May 2020

一対一で二日間、やることリスト

金曜朝から土曜夜にかけまる二日間、子供と一対一で過ごした。そしたら疲れてしまった。疲れに対して睡眠が足りてない。きょう午前は本を読みながら珍しくうとうとしてしまった。早く寝なければいけない。

昔にくらべると、言うことも通じるし四六時中目が話せないわけでもないのでだいぶ楽になったはずなのだがやはり保育園も仕事もなし、図書館もプールも空いておらず電車にも乗らない(乗れない)二日間は辛かった。2人だから、思いきって小旅行、というわけにもいかない。さらに昨日は雨が降ったので外出は限られて行き詰まった。

早くいつもの日々が戻ってほしい。

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在宅の日々が始まって以来、いろいろなことが習慣化してきている。その一つは5時半に起きて「きょうのやることリスト」を書くこと。パソコンをつける前になるべく書く。万年筆を使ってその日の日付から書く。そうすると「そうかきょうは水曜日か」とか、まあなんてことないことなんだけど、思う。やることリストは、結局前の日と何も内容が変わらないことだってある。それで良いと思っている。そして全部こなせるわけがないと分かっている。最初から分かっている。それでもリストにして書き出す。少し減ったり増えたりしながらもA5のリングノートは毎日埋まっていく。

Wednesday 13 May 2020

初夏、午後3時半、消防学校(後半)

消防学校への道は長かった。大きな道路を通るからかかるストレスも多い気がする。子どもは、わがまま言った末に願いを叶えてもらっているというのもあるだろう、おとなしく後ろに座っていた。今まで通ったことのない道を通るので「これなに」と控えめに聞いてきたりした。太陽は私たちの真後ろにあった。どんどん東に向かって進んでいく。

昔よく通っていた地域なのでなんとなく土地勘がある。「もうすぐだよー」と言ってある道に入っていった。門のようなものがある。いくつか消防車が見えるがそれほど多くないしちょっとイメージも違う。子供も自転車から降りてみた。そのうち子供がもじもじし始めた。「おしっこ?」というと例によって「ううん」と答える。「おしっこでしょ、ちょっとさっきのコンビニまで戻ってトイレ借りよう」と言うと納得した。後ろに乗せてコンビニに戻ると、なんとコロナウイルスのためトイレ使用禁止と書いてある。仕方ない。「じゃあもうそのへんでするしかない」というと「だめ」と言う。いつもの流れである。

どうしようもなくてまた自転車に乗せて敷地の周りをぐるっと回ることにした。塀が高くて中が見えない。それでもあちこちに赤い消防車が見える。「ほら、あるねえ」と言いながら一周。

もう帰ろうか、と言うとまた同じところに戻るという。なんだかぐったりしてきた。「閉まってて中には入れないというところを見にいく、って言ってたじゃん、だからもうこれでいいでしょ?」と言うと「また違う消防車みる」と言う。仕方なくまたもとの門の前まで行ってみた。

それにしてもイメージと違うなと思いながら、ふとそこを通りかかった消防士(と思われる)に聞いてみた:

「一番消防車がよく見えるばしょはどこですか」

すると、

「うーん、あっちのほうかな」と指差したのはなんと我々が見ていたのとは違う方向。あ、あっちなんですか、と言うと「こっちが工場で、あっちが学校」とのこと。聞いてよかった。工場だけ見て帰るところだった。

横断歩道を渡っていってみると、あった。そこにはざっと数えて10〜12台の消防車が並んでいる。消防車のグラウンドみたいな感じ。「あらっ?!あそこにもあるよ!」と嬉々としながら子どもがフェンスにしがみついている。よかった。もうこれだけで連れてきてよかったと思った。

しかし、やはりもじもじが止まらない。「もう、ここでおしっこしていいよ」と言ってもあいかわらず「ダメ」と返す。「じゃあここでおしっこしたら帰りにアイス買ってあげる」と言うと、無言で納得し、そこでしゃーっとおしっこした。これでこっちも一安心である。

20分くらい見ただろうか。帰ることにした。まっすぐ、西陽に向かって進む。まぶしい。これが4時半過ぎ。最近「ピノ」(6こ入りのアイス)のファンになった子どもはピノを買うと言い張ったが立ち寄ったローソンで見つけたのは6個入りどころか24こ入りで、こんなの要らないよと言ってセブンイレブンへ行った。そこでピノはなかったが代わりにアイスの実を買った。ぶどう味。

二人で半分した。無言で食べた。なんてことないんだけど、そしてストレスも多かったけど楽しかった。まぶしい道路とか、木陰のフェンスとか、蒸し暑さとか、こどものヘルメットの色とか、茂みに隠れておしっこさせたこととか、アイスの実のぶどう色とか、ひとつひとつきっとあとから思い出すんだろうなと思う。思い出して切なくなるんだろうな。写真には撮ってないけど頭から離れないシーンというのがいくつかあって、そういうのの一つになる気がする。

Tuesday 12 May 2020

初夏、午後3時半、消防学校(前半)

週に1回程度、職場に行く。やるべきことを短時間で片付ける。昨日もそんな感じで行ってみた。行きも帰りも結構暑くて、夏は大変そうだなと思いながら自転車をこいだ。職場に行く日は短時間でやることを片付けようとするものだから、昼ごはんを食べるタイミングを逃すことが多い。フリーズドライの豚汁をとりあえず食べたけどそのまま2時ごろ帰った。暑い中自転車で行き来するとだいぶ疲れてしまった。毎日やっていたことなのに、これが週一回になっただけでぐったり疲れる。通常通り再開したらやっていけるのだろうか。

職場で偶然会った同僚が「そういえば、この前消防学校の横を通ったんですけど、きっとお子さん喜ぶと思いますよ、あそこは。」と話してくれた。言われて思い出した。以前その近くに住んでいたこともあったのだった。どうしてその存在をここまで忘れていたんだろうなと思った。貴重な情報に感謝した。

家に帰って「そういえばね、消防学校が…」と説明をすると、子は行きたがった。しかし泣き喚きながら絶対にきょう行く、という。しまった、今このタイミングで話を出すべきではなかった、と後悔した。決して近くはないのだ。そして両親ともこんなに疲れているのに。明日の朝にしようよ、と言っても、きょう行くと言う。眠いのと退屈しているのがあってワガママとイヤイヤに拍車がかかる。「明日の朝行ったら中を見学できるかもしれないよ」と言って、実際に予約が取れるかもしれないと思ったので電話をかけてみた。

結果:
・個人での見学予約は受け付けていない
・そもそもコロナウイルスで学校やってない
・外からなら見れるけど訓練やってない

この旨を子に説明すると

「ぼくコロナウイルスなんて知らないよ〜!!!」

と(日伊で)言いながら号泣している。閉まってるらしいから行ってもしょうがないよ、と言うと「行って、閉まってるってことを見る」と言う。

このやりとりが30分以上続き、「ええい」と心に決めた私は「じゃあ行こう」と言った。「本当に行くのか」みたいな感じで子も少し驚いた様子だったが、本当に行った。子どもを後ろに乗せていくにはちょっと距離があるのと、大きな道路があるのであまり行きたくもなかったが、このまま夕方を迎えるわけにはいかなかった。それが3時半のこと。

(続く)


Thursday 30 April 2020

バイリンガル日記

こどもメモ。

とにかく英語に興味があるらしい。最近「マンマ、英語しゃべって」と言われることがあまりにも多く、当然ながら何をしゃべれば良いかわからない状況でそれを言われるのでとりあえず
"What do you want me to say?"  (なんて言ってほしいの?)
と答えている。

我が家はイタリア語と日本語のバイリンガル環境なので、この2つに関して我が子はとにかく上手に使い分ける。住んでいるのが日本なので日本語のほうが強い。保育園で過ごす時間が長く、友達や先生とは当然日本語で意思疎通している。

が、保育園休園以来、イタリア語の流暢さが増してきたことに気づいた。それはそうだろう、日中の日本語インプット量がだいぶ減ったのだから。

これは細かい話だが、「ジェルンディオ」と言う動詞の形がある。「〜しながら」とか「〜しつつ」とか言いたいときに使える動詞の形。(英語にもある。分詞構文と呼ばれる。)ふと気づくとこどもがこの形を使うようになっていた。"Mangiando, vediamo il video." (食べながらビデオ観よう)とか。私のイタリア語学習歴を考えてみると、この形を使えるようになったのはだいぶ後だったのではないかと思う。

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で、英語に興味がある。上に書いたとおりイタリア語と日本語の環境なので特に英語を使う機会はないのだが、聞いている音楽やYoutubeの動画に使われている言葉には英語がたくさんある。意識的に聞かせているわけではなくてももはや避けられないのだなと思う。

「〜〜て、なんて言うの」と聞かれることも多く、簡単なフレーズなら英訳できるがこれが結構長かったりするので「えーと、ちょっとまって」と戸惑うこともしばしば。適当にごまかしてはいけないと思いながらも勝手に短縮して訳することもある。

そうやって、ほぼ放っておいた状態だったが、これが結構できるようになってきた、というか文法が組み立てられはじめたので驚きだ。"Mom, bus is coming!"と言う。語彙も結構増えてきた。きのう二人で散歩していると、"Look, mommy, bicycle!"と言う。「おお、すげーな」と思いながら"Yes, it's a bicycle."と答えると次はTruck, motoecycleも出てきた。モーターサイクル言えるのか…。

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"No"の言い方、発音の仕方については本人のなかできちんと区別ができているらしい。イタリア語だと「ノ」だが英語だと「ノゥ」だ、と。確かにその通りだがそこまで意識しているとは、こどもの耳はなんと素直に聞き取れるのだろうと関心した。

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きのう、遠山顕の英会話楽習を聞いていたときのこと:
こども「このひと、日本語もしゃべるの?」
私「そうなんだよね、どっちも同じくらい上手にしゃべるんだよ。」
こども「なんでイタリア語はしゃべらないの?」
私「うーん、ふたつ言葉をしゃべる人がみんなイタリア語をしゃべるとは限らないんだよねえ。●●はしゃべれるけどね」

こう答えながら、あらためて、この子はバイリンガルなんだよなと実感した。

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今のところ、他の子に比べると確かにこの点は劣っているとか優れているとか、思うことはある。保育園に行ってそういう様子を見ると比べざるをえない。「え、この子はこんなことができるのにうちの子はまだなのか」と。でもその点についてはとりあえず放っておくことにして、我が子のもつ特別なところを大事にしてあげようと思う。これまた強制するわけではなく。本人の興味関心はもはや親がどうにかできる部分ではない。個人として、その個性はとっくの昔にスタートを切っている。その関心の進む方向へ、見守りながらもいいタイミングで関わっていけると良い。

そういえばきょうで3歳8ヶ月。この、可愛くて仕方ない3歳もだんだん終わろうとしている。

Saturday 25 April 2020

コロナ後、本当に変われるのか

「これはいつの時代の話だっけ」

と、時々ふと、我に返ったように思うことがある。そして「何月何日、何曜日で、何をしているはずの時間なんだっけ」と。「あれ。」と。平日なのに仕事に行ってない。学校もやってない。保育園もやってない。そして天気は最高にいい。公園で空を見上げて「そろそろお昼だな」なんて思う。紛れもなくそれは2020年の4月24日、金曜日の午前11時40分ごろなのだが。非現実的なこの状態にだんだんと慣れ始めた気がする。学校が閉まるときいた最初、今度子どもたちがくるのはいつだろうなと思ってその2秒後に何も検討がつかないことにやはり日現実感を覚えた。あれからもう2ヶ月近くが経とうとしている。

2ヶ月。

いつもだったら、何をしていただろう。2ヶ月あればたくさんの、色々なことが進行する。しかもこの新緑の輝く、いい季節。やる気に満ち溢れた季節。それらを一切やらない状態でこうやって時間だけが過ぎていく。時間だけが過ぎていくんだけど、一応のところ生活が回っている。いつもやっていたあれやこれやの事柄はもともとやらなくてもよかったことなのか?人々に「忙しい」と言わせている多くのことは、もともとやらなくても良いことがほとんどなのかもしれない。

たとえば全員集まっての2時間以上にわたる会議。これがまったくなくなった。みんな日々「必要ない」と言いながらもこれを行わない勇気は誰にもなかった。今回コロナによってむりやり、会議の形式は変わることを余儀なくされた。これで問題ない。

コロナ後について誰もが語り出す最近。今までと同じ世界を取り戻したいとは思わない。誰だってそうなのではないか。価値観はこの数ヶ月で大きく変わった。しかし本当にコロナ後私たちは変わっていけるのだろうか。私は思う。終わったら終わったで、このことを忘れてしまいそうな気がする、と。もちろん小さな変化はあるだろう。仕事や教育でよりオンライン化が進む、とか。ただ、今抱えているこの、日々のモヤモヤした気持ちや「社会は今後こうあるべき」という考えや、「何をやってるんだあいつらは」という政治家に対する怒りは収束したら「あの時は大変だったね」の一言でまとめられてしまいそうな気がする。

それも仕方ないことなのかもしれない。コロナ後、2時間超の会議をダラダラと続けている職場の様子はやはり簡単に想像できてしまう。私たちは何を目指していくべきなのだろう。

Thursday 23 April 2020

おおかみは犬からきた

天気が良いかと思うと小雨が降ったり寒かったり、という日々が続いている。午前中は公園のベンチで本を読んだ。だいぶたくさん読んだ。

午後、子どもと一緒にまたクッキーを作ることにした。この前思うようにやらせてあげられなかったのもあるしそもそもとても美味しかったので。小麦粉をふって、生地を広げているとき、急にこどもが「おおかみは、犬からきてるんだよ」と言った。びっくりして、「え?誰から教えてもらったの?なんで知ってるの?」と言いながら、そういえばだいぶ前にそういう会話を大人同士でしていたかもしれない、と思い出した。「もしかしてあれ覚えてたの?すごいなあ〜」と頭をなでるとニヤ〜っと得意そうに、かつ照れながらうなずいた。

こういうことがよくある。タイミングを狙ったかのように、びっくりするようなことを言う。「え、そんな言葉知ってるの?」とか「すごいねえ〜」とか私が言うのを最初から明らかに期待して言っているので褒められるとこれが本当に嬉しそうな顔をする。

本当にすごいと思ったことは忘れないようにと思ってすぐに記録をするようにしている。と言っても紙ではなくこうやってブログやフェイスブックに書く。さもないとあっという間に忘れてしまうから。

さて、クッキーの続き。

生地を練って、ラップにくるもうとしていると、
子 「なんでそうしてるの」
私 「えーと」
子 「あまーくしてるの?」
私 「うーん、砂糖はもう入れてるからねえ」
子 (生地を指差して)「これ、えんぶん?」
私 「いや、塩分じゃないよ」

何気ない会話がおもしろい。

ところできょうはどんな形でも良いから好きにやらせてあげようと思った。人間型のクッキーを作った。子供が型抜きをして、自分で天板に並べていく。もうボロボロである。「はい、ここに寝せてあげて」と言うと、置いてあげた人型クッキーたちに顔を近づけて「ここに寝てね〜 オーブンができたら、ぼくが食べてあげるから」とゆっくりはっきりしゃべっている。かわいすぎて悶絶。なんて貴重な時期なんだろうなあ。

きょうはなぜかロシア語のplaymobilを見ながら "スパスィーバ vuol dire grazie in Russo! (スパスィーバ、はロシア語でありがとうの意味なんだって!)"とイタリア語で叫んでいる。

Wednesday 22 April 2020

おさんぽのおとも

きのう。朝から3時ごろまで、子供と二人で過ごした。パパが出かけるとなると子は泣きわめくことも多いのだが、きのうは出かけるときに「"Buon lavoro!"って言うんだよ」と伝えたらとても明るく「ブォン・ラヴォーロ、パパ!!」と言って送り出していた。それから前向きになったのか、私が「お買い物に行こう」と誘うとてくてく歩いてついてきた。

これはとても珍しいことで、普段だったら歩きたがらない。自転車かベビーカーを使いたがる。都会で育てているので自分の脚で歩く量と自然に触れ合う時間が圧倒的に少ないことを常々懸念している私は、ここ最近なるべく歩かせるように誘導していた。雨あがりの土曜と月曜に3人で歩いたことが良かったのかもしれない。昨日は何も抵抗しなかった。

買うものをリストに書いた。「にんじん ヨーグルト ひじき」。それから「ケーキ屋さんに、ポイントカードの後づけに行きたいんだよね」とつぶやいていたのを聞き取って覚えていたらしく「それと、ケーキ屋さんでしょ」と子供が言ったのでおおすごいなと思った。

歩いていると案の定「おしっこ」と言うので、ドラッグストアでトイレを借りて、そこからケーキ屋に行った。きょうは買わないんだよ、と言うと納得してすぐに店を出た。なんていい子なの〜、と感動していたら駅前で「セブンイレブンのサンドイッチ」と小さくつぶやいている。あまりにいい子だったのでご褒美に買って、いつものベンチで食べることにした。かわいさに負けた。

それからスーパーへ。近くに保育園があるので、行ってみたけど、庭に出ている園児は3人くらいだった。今は基本的に休園中で、ライフラインに関わる職業等の家庭のみ保育をすることになっている。入り口で園長先生に会った。庭をみながら「○○くん、いるかなあ」とつぶやいている。「お休みだとおもうよ」と言うと「うーん、たぶん、お部屋にいるかもしれない」と言う。そりゃ気になるだろう。みんなに会いたいだろう。こんなに長く、元気なのに保育園に行かないなんて今までで初めてのことだ。

保育園前で交通整備をしている工事現場のおじさんに久しぶりに会った。「はい、これお散歩のおともにね」と言って、たくさんお菓子をくれた。

それからスーパーへ。今日は逃げ回ることもなく一緒に歩いた。「マンマ、だいすきだよー」と言いながら手をつないで歩く。なんて可愛いんだろうなあ。

家に帰って、お菓子食べたいと泣きわめいたものの、こちらも断固として「後から」と譲らなかったので、諦めた様子だった。

そのあと一緒にクッキーを作った。私はこういうの、思い切ってやらせることができない。汚れるとか散らかるとか、そっちが気になってしまうし、やりかたが違うと結構イライラして結局自分がやってしまう。なんだかんだで焼けたけど。

夕方ちょっと面白いことがあった。お風呂に入れる前に子供を抱えて「かわいい人」を歌っていた。歌詞はこんな感じ:

かわいいひと
かわいいひと
ぼくの ぼくの ことも ことも
かんがえておくれ〜

それを聞いてこどもが「きょうあのおじさん、おとも、って言ってたねえ」と言った。最初はなんのことかちっともわからず、おじさん?とも?と何度か聞き返していたら、ようやくわかった。確かに「これ、お散歩のおともね」と言ってお菓子を渡してくれたのだ。歌の「僕の ことも」の部分でそれを思い出したらしい。そして「おともってどういう意味」と言うので、お散歩するとき一緒に持ち歩いて、ってことだよと教えた。こういうとき「えー、あれ覚えてたのー?すごいなあ」と言われるのがことさらに嬉しいらしく、得意げにニコニコしていた。かわいい。

Sunday 19 April 2020

やることリストに加えたこと

天気が良い。よかった。昨日は起きてすぐに雨だったのでがっかりしたけど。

在宅指示が出てから一週間と少しが経つ。ちょっとだけど慣れてきた。こどもの通う保育園は休園となった。もうどこにも逃げられない。腹をくくって3人で過ごすしかない。

こどもにイライラすることがある。当然だと思う。特に二人でいる時。イライラしない時には信じられないくらいに冷たい態度を子供に対してとっていることがある。自分でよくわかる。こどもに何の悪気もないのに、だ。機嫌が悪いのはこどもにもよく伝わっているので、そういう時はしばらくすると私の手を握ってきて「マンマ、だいすきだよ」と言う。それを聞いてああしまった、悪かった、と反省する。

朝起きて、きょう1日やることをリストにしている。しばらく前に休校が決まってとりあえず出勤しなければいけなかった時もだらだらしないようにと思って朝起きてからリストを作っていた。ただ、それは職場でやることリスト。在宅が決まってからはそのリストを作るのをあきらめていたのだが、家でやることリストも作ることにした。朝6時。まぶしい朝陽の中で、ずっしりした万年筆を手にする。いらなくなったリングノートがあるのでそこに一つずつ書いていく。縦書き。きのうできなかったことはきょうに引き継ぐ。できたら赤いマジックでチェックをつけて行く。

そしてきょうはリストの最後に「こどもに優しくする」と付け加えた。さて、がんばろう。

Friday 17 April 2020

在宅の友、ブレイブボードと初級者の気持ち

「在宅指示が出るらしい」と聞いてから一週間が経つ。平日なのに職場に行かなくなって一週間である。仕事を初めてからずっと、当たり前だけどこんなことはなかった。週末ではないのに、家にいる。私の在宅指示とほぼ同時に保育園からは自粛のお願いがきた。ということは、3人で家にいるのだ。朝も、昼も、夜も。そしてお出かけしない。電車も乗らない。これまでとはまったく違った生活が始まってしまった。

先週金曜のストレスはすごかった。頭が爆発するかと思うくらいだった。実際に頭が痛くなったような気がする。いつも家にいない人間が家にいると、居場所がないような気がする。どこに身を置いたらいいか分からない。こんなことなら実家に残って入ればよかった、と思った。実際、緊急事態宣言があと数日早かったらそれも可能だっただろう。

金曜の朝は散歩さえしなかったと思う。ずっと腹を立てたような感じだった。それから午後、いつも行ったことのない公園へ3人で行った。家のすぐ近くの小さな公園。子供達とその親が何人かいた。親のうちの一人がスケボーに乗っていた。あの、くねくねしながら前に進むタイプのやつ。実家にいるときに、父親と車のなかからみて「あれはどうやって進んでいるんだろう」と話していたのを思い出した。しばらく見ていたのだが、気になったので「それ、難しいですか」と聞いたら「乗ってみますか?」と言われた。その女性の手を借りて、上に立とうとしたが無理だった。そんなに突然できるわけない。「スノボとかやってた人ならすぐできるみたいですけどね」と言っていた。曰く、子供が6歳の誕生日に買ってあげた、と。こどもも楽しいだろうけど大人のほうが、運動不足の解消にいい感じだ、と。なるほど。興味がわいてきた。

ちょうど楽天のお買い物マラソン中だったこともあって、ネットで検索してみた。あれってなんていうんだろう、と思った。品名を知らない。とりあえず「くねくね スケボー」と入れてみたら、出てきた。「ブレイブボード」というらしい。ほかにもキャスターボードという名前もある。どれを買うべきか分からなかったのでしばらく調査していたら「リップスティック デラックス ミニ」を買えばよいのではという結論に至った。「ミニ」なので子供用だ。子供は今のところ、乗りそうにない。私が乗るのだ。

待望のブレイブボードは火曜日の昼届いた。こどもと一緒に「わーい」と言いながら箱から出して、とりあえず公園に向かった。しかし、だ。始め方がわからない。とりあえず壁で支えて立ってみても、そのつぎに何をすればよいかわからない。「先生がほしい」と思った。なんのガイドもないと、初級者は困るのだ。「がんばれ」って言われても…という感じである。語学であれスポーツであれ、初級者の気持ちになってみるのは大事なことだなと思った。

その日はそれで終わり。翌朝、初級者のための動画を5分間見てみた。それからいてもたってもいられなくなり、マンションの玄関ロビーへ下りていった。動画で見たとおりに、15分くらい集中してやっているうちに「あ、今できた」と思った。ひねりながら前に進んだのだ。これは楽しい。

天気の良い日だったので午前中3人で公園へ行った。ブレイブボードを持って。集中して練習をした。子供の世話は任せっきりである。一度、派手に転んだ。

「できるようになる」というのは何とも表現しがたい喜びがある。この純粋な嬉しさ。人に披露したくなるしもっと上手くなりたいと思う。そうか、学校で何かを習うときもこんな気持ちなのかもしれないなと思った。

どうせ在宅だったら何か一つチャレンジングなことをやりたい、達成したい、ついでに運動不足解消したい、と思った結果のブレイブボード購入。これは正解だった。運動不足という面でいうとこれはものすごい効果があると思う。走っているわけでもないのに汗をかくほど。そして何より体幹が鍛えられる。下手にトレーニングするより、楽しみながらやるほうが良い。そしてランニングとか球技みたいに広いスペースが必要なわけではない。退屈でどうしようもないという人、おすすめです!

Tuesday 14 April 2020

雨の月曜にベビーカーを押して消防署まで行く

月曜。雨。在宅勤務。保育園自粛。

これらが重なった。どうやって1日を送ろうかと前日から懸念してはいたが金土日とずっと家にいたのでなんとなく慣れてきた感じはある。朝、睡眠不足が重なっていた我が子は8時近くまで寝ていた。まあいい。私も一人の時間が持てる。

午前中「ちょっと玄関まで行ってみよう」と言ったら、「エルモとカバさんと消防署いく」ということになった。参った。実は前日、消防署からの帰り、ベビーカーを押して家まで帰る、ということをやり遂げたのだが、その時に「こんどはエルモとカバさん乗せてあげようね」という話になっていたのだった。エルモとカバさんというのは、ぬいぐるみ2体のこと。でも雨なんだよね、と思ったけど、実行してみることにした。

私と散歩すると言ってもちっとも動こうとしないのに昨日に限って(しかも雨の日なのに)やたらやる気である。普段は嫌がる真っ黄色のレインコートを羽織った。長靴が無いけどまあいっか、ということで外へ。「じゃあ、ベビーカー押すってことは、どうやって傘さすの?」ときくと「え、マンマ」と答える。参った。中から見て思っていたよりもずっとひどい雨だ。

大きな傘と小さなビニール傘を、こどもがぬれないように、そしてベビーカー内のエルモたちがぬれないように、さしながら歩いた。歩きにくい。もはやカニ歩きになっている。

消防署は近いはずだが、ずいぶん遠く感じた。横殴りの雨。「もう帰ろうか」と何度か尋ねたが「ううん」という。あと少しというところで「私がベビーカー押そうか」というと「うんいいよ」とあっさり答えた。さすがに辛かったらしい。

消防署では、2台の救急車が中身を総入れ替えしている最中だった。きのうとは別の救急隊員にたくさん話を聞いてもらって、さらに質問をうけてもらって、子供は満足そうだった。「なんでたくさん救急隊員いるの」「なんであそこにベッドあるの」などなど。

帰りはさらに雨が強まっていた。ベビーカーは私が押すことにして、それぞれに傘をさして歩くというだいぶチャレンジングなことをやった。本当はベビーカーに乗りたかったらしいがもはやずぶ濡れなので乗せるわけにはいかなかった。子は、そもそも傘をさして歩き慣れていない上にこの大雨となると、厳しいものがある。子はだいぶゆっくり歩いていて、「はい、がんばろう」「あとすこしだよ」と言いながら歩いたが、寒いのなんのって。私もだんだん口数が減ってきた。足元は川のように水が流れていて、普通の靴を履いたこどもの足はもうずぶ濡れである。

なんとか家へ着いた。「おー、よくがんばったねえ。エルモとカバさんも嬉しいって。」とぐっしょり濡れたぬいぐるみを持って私が言うと、こどもはぬいぐるみに顔を近づけて「エルモ、かばさん、たのしかった?あれが救急車って言うんだよ」とキラキラした目で話しかけた。胸がつまるような、涙が込み上げるような感じがした。なんてかわいいんだろうな。こういうの忘れないでおこう、と思った。

家に入って、全部着替えて、髪を乾かし、お昼を食べることにした。こないだの残りのカレー。

風邪気味だったのを悪化させた気もするが一大イベントはこうして終了した。1日の終わりにもこのことを語り合った。たぶん「時間が経って思い出すと泣きそうになるイベント」の一つになった。

Monday 13 April 2020

「話せてよかったです」

とにかく毎日職場に行って、やることきめてリズムを作るぞ!と意気込んだ翌日、在宅勤務の指示が出た。そうか、そりゃそうだよな。職場に来る必要なんかないわけだから。職場に来るなとは言われていないがやはり「原則在宅」である。当たり前だ。それと同時に保育園も「家に親がいられる場合は家で保育を」という指示がきた。これが10日金曜日。いや、実質その前からそんな感じだ。言われていることは特に変わったわけではない。というのも緊急事態宣言が出て1日目、水曜に保育園に連れて行ったときは結構普通に子供達がいて「あ、よかった」と安心した。ところがその翌日、木曜に行ったら様子が様変わりしていて、子供達の声がしない。土曜保育か?というくらいに少なかった。「こ、これは…」と思った。預けてはいけないのだ、と感じた。それでもその日は出勤したのだが、翌日から在宅になったので金曜はさすがに自粛した。

そして土曜の朝。公園に連れて行くとAちゃん家族がいた。Aちゃんは保育園の友達。親同士、「保育園どうしてらっしゃいますか」という話になる。当然。「親が家にいられる時は、って書いてあったけど子供がいて家で仕事なんてできませんよね」「自粛って言っても一体どの程度自粛なんでしょうかね」と言われて「そうだよな」と思った。自粛というのは控えるということなのでどの程度なのかは本人の解釈に任されているところがある。登園禁止とか休園という処置ではないのだ。たぶん区としては「禁止とまでは言わないけど、どうか察してくれ、保育士だって大変なんだし、なるべく来ないでくれ、もしお互いにうつったらそれこそ大変ですよ」というのが本当のところなのだろう。やわらかい、やさしい書き方で、本音を察してくれることを期待している。そして実際、察して登園しないあたり、おお、日本人だよなと思う。「登園禁止!」って言われてないのに。これが非常事態宣言1日目と2日目の差。「給食は食べさせたいですよね」とか「これが1ヶ月以上続くのはしんどいですね」とかしばらく話した後、Aちゃんは帰ることに。Aちゃんの親が「ああ、でも、話せてよかったです」と言った。「私もです」と言った。

翌日、日曜の朝。買うものもなかったけどとりあえず入って結局出た店の前にBちゃんの親がいた。Bちゃんも保育園の友達。「ああ!」「お元気ですか」「どうしてるんですか最近」とお互いに言い合ってちょっと話した。Bちゃんは3人きょうだい。6歳、3歳、1歳。旦那はテレワークだそうで、家のなかのカオスっぷりは説明されなくても想像ができた。「一週間いるんです、家に。3人とも。3食つくってます」と言う。親も入れると5人だろう。自転車のカゴには前後とも食料品がいっぱい入っている。あふれそうだ。これは冗談じゃない大変さだ、と思った。旦那が家で働くということはその部屋に3人は近づけられないわけだから、これまた難しい。そして公園に行くことも控えているそうで、家の前で遊んでいると、そこに子供たちが寄って来るそうだ。そして、みんなで遊んでくれるのでそれに助かっている、と。「うちなんて一人でもこんなに大変なのに」と私が言うと「逆に3人のほうが遊び相手になってくれるからいいかもしれません」と言う。なるほどそうかもしれない。一人っ子だと親が遊び相手になってあげるしかない。現状、そうである。Bちゃんの親は、自分が家にいられるので「当然、保育園に行かせられる条件がない」と言っていた。行かせようかなどうしようかな、ではなくて、こういうお知らせが出ているんだから行かせられるわけがない、という感じ。しばらく話して、「ではお元気で」と別れようとしたとき、Bちゃんの親が「なんか、話せてよかったです」と言った。「私もです」と言った。

てくてく歩きながら「あれ、このセリフどっかで聞いたな」と思った。そうだ、昨日Aちゃん親が言ってた。みんな同じなんだ。慣れない状況に戸惑っている。これ一体いつまで続くのか、と思いながらとりあえずご飯作り続けているし、こどもは保育園の友達に飢えている。普通の日々がいつ再開できるのか、誰も知らない。そんなときに同じような境遇の人に会うとホッとするわけだ。

それにしても、その辺を歩いているだけで、日々の不安な気持ちをシェアできるような相手に会えるんだな私は。これは子供がいるからなのだ。大人だけで暮らしていると、こういう出会いはないだろう。おかげさまでだいぶコミュニティというか知り合いが増えたものだ、と思った。

さてきょうは雨。どうやって1日を乗り切ろうかとすでに気持ちがめげそうになっている。

Tuesday 7 April 2020

どうやって心の安定を保つのか?

ここ3日間くらい連続で変な夢、怖い夢を見ている。起きたときにげっそり疲れている。9時、遅くても10時ごろには就寝しているので睡眠時間はむしろ長いはず。なのにぐっすり眠れた感じがしない。不安の表れなのだろう。

昨日から今朝にかけて大きなストレスとイライラを感じている。新型コロナウイルスが始まった頃は、普段どおりの日々を元気に過ごせると思っていた。しかしさすがにこれが長く続き、普段通りにいかなくなってきた気がする。変わらないと思っていた社会活動もさすがに徐々に制限されるようになってきたし行ってる場合ではなくなってきた。区のプールが閉まり、ついに図書館も閉まってしまった。そして緊急事態宣言が出る。

こういう時にどうやって精神的な安定を保つのか?

無意識のうちにこの疑問が頭に浮かぶし、答えを求めている。答えは簡単で、普段どおりのことを普段どおりにやること。と言っても、できないこともたくさんある。先に書いたとおりプールで泳げないし図書館にも行けない。それでも、だ。できることはある。

・毎日同じ時間に起きて、同じ時間に寝る
・食べる時間もだいたい毎日同じ
・朝は同じ時間に陽の光を浴びる
・掃除・洗濯・ゴミ捨て、日々の家事をこなす

そして;

・仕事に行く

仕事に行きたくない気もするが、家にいると気が滅入るので平日は短時間でもなるべく職場に行く。そして自転車で往復することはいい気分転換と運動になる。職場は、人は少ないもののコロナの危険性はあるので動き回ったりドアノブとかレバーとかあちこち触ったりしない。テレワークの指示はない。もしかしたら、このあと出るかもしれないけど。

リズムを崩してはいけない。朝は必ずやってくるし、1日に与えられた時間が24時間であるという事実は変わりない。

Monday 6 April 2020

東京に戻った

昨日、郷里から東京へ戻った。搭乗したのは20〜30人くらいだったと思う。少ない。それでも人がこれだけ集まっているのを見たのは10日ぶりだったのでちょっと緊張した。うつされてはいけないし、うつしてはいけない。こどもとのフライトは何回目だろう。もはや数えられなくなったけどこんな奇妙な飛行はなかなか無い。何と言っても大好きな「りんごジュース」が無いのだから。(ANAは現在機内サービスを全て中止している。毛布や飲み物のサービスが無いどころか機内誌さえ置いていない。目の前のカゴ(?)は緊急時の案内のみ。行きの便で「機内販売の冊子を見たいんですが」と言ったら機内販売も全て停止しているらしい。びっくり。)

東京に着いて、到着ゲートの自動ドアから出たときに「あれ、ここでいいんだっけ?」と一瞬思った。というのもあまりにも人がいなかったから。視界に入るのが2、3人だ。間違った、と思って後ろを振り返るとやはり「到着」と書いてある。間違ってない。

次のバスが12:25と言われたのだがそれまでに50分もある。これはもうタクシーにしたほうがいいと思ったのだが、今待っている間にごはんを食べてしまえばいい、と思った。コンビニにおにぎりでも買いに行こう、としたけどうどん屋が目に入ったのでそこでうどんを食べることにした。

こうやって会話をしていても、周りに誰もいないので奇妙で仕方ない。地方の、利用者の少ない空港でもこんなに静まり返ることはない。自分たちの会話を誰かに聞かれているような感じがした。そうか、空港ってBGMとか無かったんだっけ、と今更気づいた。

バスのチケットを買うにも、売り手とのやりとりがゆっくりになる。ほかに誰もいないので急ぐ必要もないし急がされることもない。

うどん屋は、言うまでも無いが、空いていた。と言ってもいることはいる。テーブルごとに2人くらいいる感じ。ただ、受け取って自分が進んでいく方式のうどん屋なので、売り手、作り手側がかなり緊張感を持って対応しているのが分かった。天ぷらは、自分でとるのではなくて、あちらに頼んで渡してもらう形。

バスで渋谷へ。高速道路から見下ろした東京の街はまるでディストピア(暗黒郷)だった。SF映画などで見るシーン。核戦争が起きたあとの、世界の終わり、みたいな感じ。曇り空の下、渋谷に着いてからはますますそんな感じがした。灰色の世界。こんな東京を見る日が現実になろうとは。

渋谷に着いてからタクシーに乗ることにした。行き先を告げるととてもハキハキと、そしてゆっくりと、いい対応をしてくれる。降りたあとに「いやはや、東京は大変ですね」と言ったら運転手さんが「そうなんです」と、ほとほと疲れ果てた顔で、しかし笑顔で返してくれた。

ここまでで、ひとつ気づいたこと:
サービス業はじめ働く人たちが丁寧で優しい。対応する相手が少ないので、余裕があるためではないかと思う。もちろんいつも丁寧で優しいとは思うが、昨日は特に目立ってそれらに気づいた。バスのチケット売り場、うどん屋、バス運転手、タクシー運転手。それとも、「大変な世の中だからみんな助け合っていきましょう」精神の表れなのか。

家に着いたら、いつもは(実家と比較しての)その狭さにうんざりするのだが昨日はシェルターに入ったかのようにホッとした。とりあえずsafe、という感じ。

とにかく東京に戻ってきてしまった。家族揃ってコロナに突っ込んでいる。

Wednesday 1 April 2020

発熱したけど検査ができず困った件について

前回の投稿からの続きになる。メモとしても書いておくことに意義はあるかと。そしてコロナウイルスのよく分からない状況のなか誰かの情報になればと思って書く。

右頬の腫れ問題が解決したその翌日3月29日、発熱した。その夜何度か起きて、ぐっすり眠れず、おかしいなと思った。起床時間はいつものように6時過ぎ。すっきりしないので庭に出て、ラジオ体操をしたのが6時半。それから体のあちこちが痛いような、ゾクゾクするような感じがして、ダウン。こどもの世話をしつつ横になったりしていたが、立ち上がるのもだんだんつらくなってきた。子どもが心配している。「なんでマンマの手あつくないの」と言う。たいてい手があったかいはずだがその時は本当に、ずっとつめたかった。ヒートテックもフリースもジャンパーも来ているのに寒い。「熱があるんじゃないの」と家族から言われながら、子どもの世話を弟に任せ、横になったらそのまま2時間3時間眠った。それから熱を測ったら38度。モコモコ着こんでいるからだろうと思ってちょっと起き上がって測ったら37度台。いずれにせよ熱はある。これはコロナウイルス来たな、と思った。やっぱり東京から連れてきてしまった。両親は初老なのに。東京にとどまっておくべきだった。これで私はニュースに出るのだ。そんなことを考えているうちに弟が昼食をつくって持ってきてくれた。ありがたい。少し起きている間熱はずっと37度台だったと思う。午後もう一度寝た。夕方には熱が下がっていた。37.1℃。とりあえず丸一日隔離した状態で過ごした。食欲はある。咳はない。少しお腹が緩いけど下痢ではない。前日に歯医者からもらった抗生物質とビオフェルミンを飲み続けていて、たぶんそのせいではないかと思う。

東京に戻る日を4月2日としていたが3日の会議に出るためだったので、3日の会議を休んでここに5日の日曜までいることにした。管理職や同僚に連絡をして、航空券を変更する。ちなみにこの1か月くらい国内線航空券はキャンセルも変更も無料。久しぶりにゴロゴロしながら「おしゃれイズム」で冨永愛を見て、11時前に寝る。少し身体が痛いような感じもした。子どもに触れることができないのが一番つらかった。子どもは祖父母といっしょに寝ることになった。

翌朝。3月30日、月曜日。7時過ぎに目覚める。体温36.3℃。下がった。頭もすっきりしていて元気そのものである。が、丸一日、隔離して過ごす。テレビ見たりネット見たり。ひたすらゴロゴロ。その後も熱は上がらない。何度測っても36℃と35℃の間を行ったり来たり。

さて、コロナウイルスの検査について、である。本題はここからと言っていいかもしれない。発熱当日は日曜だったため、電話をかけても翌日またかけなおすように言われた。30日(月)朝、帰国者・接触者センターに電話をかけてみた。「新型コロナウイルスに感染している可能性は低い」「一般の医療機関を受診してください」と言われた。つまり普通の風邪として受診してくれということなのだろう。医療機関で検査はできるのかと聞いたら「検査基準を満たしていないからたぶんできない」と言われた。「お医者さんに、保健所に連絡するようにと言われると思うんですけど、保健所からは『医療機関にかかるよう言われた』と言ってください」と言われた。なんじゃそりゃ。たらいまわしか。要するにやれることが何もないのだ。現在、元気ということは検査するに値しないのである。そもそも帰国者・接触者センターに電話する人の条件というのが「37.5℃以上の熱が4日続いている」人のみになっている。その日はよくわからなかったのでとりあえず電話をきった。

翌日3月31日。もう大丈夫なんじゃないのか、ということで子どもを抱っこしたり家族と一緒にごはんを食べたりした。散歩もした。桜も見た。もっとも、外には全く人がいないので家のなかにいるよりも迷惑をかけないのだが。

そしてきょう、4月1日。やっぱりどうにかして検査してもらったほうがいいんじゃないの、という気がしてきた。ウイルスを持っている可能性は大いにある。先日のニュースでは、成田と羽田で帰国して検査して感染が確認された20人のうち、18人は無症状患者とあった。ということは、だ。この検査基準では陽性の人たちを物凄い割合で見逃していることになる。妖精じゃない、陽性だ。検査すればわかるのだからもう一回聞いてみよう。

先日と同じ、帰国者・接触者センター(つまり保健所)に電話をした。前回よりも長く話したが結局は同じことだった。保健所で「医療機関受診してください」となった場合の手続きはこんな感じだ:
医療機関を受診
→疑いがあればレントゲンで肺炎かどうか調べたりする
→医療機関から保健所に「この人検査すべき」の連絡
→保健所で検査

しかし私の場合は熱もなく、咳もなく、元気である。おそらく病院に行っても何をしようもない。念のためと思って病院にも電話してみた。日曜に熱があったこと、東京から来ていること、などを説明する。病院としては以下のようなことを言っていた。

・この病院で検査はできない
・熱のある人は院内に入れないことになっている
・熱のある人には解熱剤を渡す
・けど熱がないのなら診察する点も特にない
・保健所に聞いてみてください


ここでやっぱり最初の疑問に戻る:

「無症状で感染してたら…?」


ここで止まってしまう。この後の行先がない。行き止まり。要するに無症状の場合にできることは何もないのだ。ゼロ。濃厚接触者と帰国者を除いて、「怪しいから検査」「不安だから検査」という人を受け入れる場所は今のところこの国には存在しない。だったら私の家族はどうなるのだろう。二日間隔離して過ごしたとは言え、同じ家にいるのである。マスクしたり別のトイレとかタオルとか使っているというだけで本当に防げているのかわからない。私が一日の発熱で済んだだけで、このあと両親は病に伏すのかもしれない。来週東京にもどったら無症状のうちに私はいろいろな人にウイルスをまき散らすのかもしれない。検査すれば済むことなのに、できない。もちろん検査が100パーセント確実ではないとか、重傷者を優先すべきだとかはわかる。だけどもし今ほかを感染させているのだとしたら私はもっときちんと自主隔離するだろう。そしてこういう人たちが世の中にたくさんいるとしたらやっぱり怖い。おそらくただの風邪だったのだろう、とは思うけどそれは思っているだけで何の証明もない。

そもそも検査について知らなかった、ということも気づいた。保険適用、ということはお金がかかるってことなのだろうか。検査は保健所で受けるって言ってたけど受けられる医療機関は本当にないのだろうか。医者によっては「無症状だけど、そして濃厚接触者でも帰国者でもないけど検査してみましょうか」という人もいるかもしれない。確かきのう厚生労働省のウェブサイトで人が殺到するから、受けられる病院名は公開していないと読んだ気がするけど、どこに行けばどうやって受けられるんだろう。どういう手順になっているのだろう。たぶん世の中には私みたいな「これって動いちゃっていいんだろうか」みたいな人たちがたくさんいる。疑いのある人がむやみやたらと医療機関に足を運ばないことが大事、というのは分かる。そうだったら、そして今のこの状況だったらむしろ家でもできる検査キットみたいなのがないと感染者は増える一方なんじゃないのか。第一、「37.5℃の熱が4日続く」まで待てるわけないだろうよ。「これってコロナウイルスかな」と思いながら4日間も過ごせと?

自分が発熱して初めて直面した「困った」について書いてみた。このまま何もないことを「祈る」のみである。祈るとか言っている場合じゃないんだけどね。

歯の3月が終わった

気が付いたら3月は2件しか投稿していなかった。書き始めると何を書いたらいいか収拾がつかなくなりそうだったというのもあるし、疲れていたというのもある。単純に書く気になれなかったというのもある。

とりあえず2020年3月を振り返る。キーワードは「歯」と「コロナ」だ。後者について書き始めると長いのでそれはまた別の投稿にする。3月は、そう、歯が大変だった。

順を追ってみていくと始まりは1月だった。私は歯科にしょっちゅう行って歯のクリーニングをしている。大きな問題はなかったのだが1月のある日クリーニングに行くと右奥がしみる。前からしみてはいたものの、やっぱりしみる。もっとしみる。何の影響か、と聞くと親不知だという。抜かなきゃとわかっちゃいたけど抜いていなかった右奥親不知、最後の一本。それがどうやら近所の歯にも影響を与え始めている。2年くらい前に紹介状を書いてもらって左奥を抜いたのは東京女子医大。再診の電話をかけても一向につながらないのでこの2年近く、行くのをあきらめていた。勇気を振り絞ってかけても「ツー、ツー」という音しかしなかったのだ。ここでやはりもう一度かけてみるか、と今年2月思い立った。やっぱりかからない。初診にかけてみるか、と思ったがこれもまたかからない。やっぱな、大病院はそうだよな、と思いながらウェブサイトにあった「大代表」というところにかけたらすぐにつながった。予約専用電話ではないのだけど、と言いながらも予約をとってくれた。決戦は3月9日と決まった。

前回の受診から時間が経過しすぎているのでまた初診扱いですと言われた。そのためにまた紹介状が要る。いずれにせよいつもの歯科にクリーニングに行く予定になっていた。2月26日、いつもの歯科でクリーニング。今度は右上の虫歯が怪しいということでレントゲン。ここ数年「怪しいけどまあいいでしょう」で見逃してもらっていた右上4番5番の虫歯についにメスが入ることに。予約取り直してきてくださいと言われる。改めまして3月2日。仕事がこの日から休校になりやることなし。だけど休みをとって歯医者へ。麻酔してドリルして詰め物して治療終了。その時はそんなに痛いと思わなかったんだけどその後1週間くらいは治療したところの周辺の歯茎がものすごく弱い感じ。歯磨きをするとすぐに血が出る。なじむまでに時間がかかるのだろう、と思っているところであっという間に1週間が過ぎ、決戦の日、3月9日がやってくる。

(この日が近づくにつれて自分のイライラが増えていくのに気づいていた。花粉症ですっきりしないのもあったと思うけどやたらと当たり散らしたり怒ったりしていた。怖くて不安だったのだと思う。)

ちなみに右下の親不知がどういう状態だったかをここで説明すると、だいぶ斜めに生えている上に、ほぼすべて歯肉がかぶさっていて、ほんのちょっとだけ表面が外に出ている状態。歯はまっすぐにしか抜けないので、切開後、歯を割って抜くしかないと聞いてずっと恐怖を抱えていた。

3月9日。東京女子医大へ。10時予約の口腔外科。コロナウイルス対策で病院の入口に入る前から臨戦態勢のスタッフたちが入ろうとする人たちを止めて熱はないかとかマスク持ってるかとか尋ねている。無理もない。

レントゲンも撮って手術開始。「チクっとしますよ~」と言われて麻酔。顎のほうまで麻酔が入って行くのがわかった。結構奥のほうまで効いている。ここで切開が始まるのだ!と気合を入れた瞬間、ドリルの音が聞こえた。「あれ?もう切ったってことか?」と思っているうちに、ドリルは進んだ。焦げ臭いようなにおいがした。「ちょっと押されるような感じしますよ~」と言われた。そうそう、「引っ張られるような感じ」じゃなくて逆の「押されるような感じ」なのだ。助手が私の顔というか頭のほうを押さえて、医師が歯を引っこ抜く。抜歯はあっという間に終わった。10分かからなかった。終わった瞬間「え?もう終わったんですか?」と医師に聞いた。医師曰く、「15分に一回抜いているからねえ」。プロはさすがだよなあ。二日分の抗生物質と痛み止めを飲んで過ごす。

翌日。右頬がポコッと腫れている。消毒しにいつもの歯科へ。「腫れているんですけどこんなもんですか」と聞くと「そんなもんですよ」と答えられる。

一週間後。いつもの歯科にて抜糸。ちなみに糸も歯も、抜くときはどちらも「ばっし」になるから歯医者さんはこういうとき「糸を抜く」と言う。日本語面白い。

気にせずそのまま過ごして一週間。実家に帰省する日が近づいてきた。念のため来週一回来てください、と言われていたのでもう一度消毒に行こうとは思っていた。が、それより懸念すべき事項が出てきた。頬がまだ腫れているのだ。抜歯翌日よりは腫れがひいている。それでもまだ顔の形が左右で違う。

3月25日、いつもの歯科へ。消毒したあと「まだ腫れているんですけど」と言うと症状を見てくれて「こうけつしているね~」と言われた。こうけつ?いろいろな漢字が頭に浮かぶ。公欠?纐纈さんという知人もいたなあそういえば。そしてどうやら「硬結」だろうということが分かった。抗生物質と痛み止めをもらって帰る。

3月26日、郷里へ。顔の形はもしかしてこのままなんじゃないかと思うとどうも不安になってくる。元気で過ごしているのだから考えるのはやめよう、とも思う。

27日朝、まだ腫れている。どうしたもんか、と言いながら、朝から東京女子医科やいつもの歯科に相談の電話をかける。とりあえず予約とったりする。

28日朝。どうもすっきりしないので家族が行っている歯科に行ってみることに。土曜午前ならあいている。「まあセカンドオピニオン的な感じでね」とそこで治すことは期待せずに行った。院長に見てもらうと「膿がたまっている」と言われた。「切って出すしかない」と言われたので、またあの大きな病院に行ってそれをしてもらうのか、と思っていたら「ここでもできますけどやりますか」と聞かれて「はいお願いします」と即答。早速麻酔をして、ちゃりっと切ってもらって、薬を出してもらって終了。なんだ、こんな簡単なことだったとは。どうやら抜歯後に入り込んだ食べ物から化膿していたらしい。それにしてもまさかここで治すことになるとは思ってもみなかった。歯医者を出たときには顔の形がだいぶもとに戻っていた。

それから4日経った今、腫れもなく快適に過ごしている。

[まとめ]
・麻酔…3回
・ドリル…2回
・切開…2回
・飲んだ抗生物質…数えられない
・かかった歯科…3件
・歯科に行った回数…6回

[コメント]
・親しらずは抜く意味がよく分からない時でも早く抜いたほうがいい
・医療機関であれ人であれいろんな人に相談することは重要
・口内の問題は、直接命に関わることはなくてもストレスを引き起こす

Tuesday 10 March 2020

「なぜイタリアで」への4つの推測

イタリアでのCOVID-19感染者がたいへんな数に達している。イタリアに縁のある私としてはこれを少し興味を持って見ている。と言うと不謹慎な感じもするが、要するにあの国民性というかあの強烈な特性を集団として持った人たちがこの騒動にどう対峙するのかたいへん気になるのである。

ちなみにイタリア人というのは「ほかの国から嫌がられる立場」というものにまずなったことがない。私の知る限りではこういうのは初めてだと思う。だいたい世界中どこに行ってもイタリアというブランドは良い印象で、イタリア人は友達を上手に作っている。何百年も前からそうだ。戦争であってもその行き先あるいは寄り道先で何かいいことを見つけて楽しく過ごしている。そういうことに長けている。(少なくとも「比較的」にとどまるが。)それが今回みたいなことになってしまった。実際この15年ぐらいイタリアに魅せられ続けてきた者としては、この状況はとても不思議な感じがする。

何よりも気になるのは、一体なぜイタリアでこれほどの感染者が出ているのか、ということである。私は専門家でもないので答えを見つけることはできないのだが、時々、まるで謎解きのように考えてみる。「なぜイタリア」と。すると色々な可能性が出てくる。以下のような感じ。


1. キスやハグをする
→しかしこれはイタリアに限らない。フランスだってスペインだってそのはず。イギリスはそこまでじゃなかった。いずれにせよ日本よりスキンシップは多い。


2. 検査数が多い
→しらみつぶしに検査しまくっているという話。これはそうかもしれない。日本は検査数が少ないので本当はもっといるはずなのがわかっていないだけ、と。


ここまでは世の中でもよく言われている理由。以下は私が最近思いついた完全に個人的な見解:

3. ワクチンを打っている人が少ない(超個人的推測!)

もちろんCOVID-19に対するワクチンはまだできていない。だけどもしかしたら、インフルエンザとかほかのワクチンを打っている人はそうじゃない人に比べて今回のCOVID-19にはかかりにくい、ということがある「かも」しれない。ここにきてイタリア人は大のワクチン嫌いである。「ワクチンは打つ必要がない」と堂々と言う人がとても多くそういう政党が勝ったりする。超自然派とでも言おうか、薬に頼らず治す系の話は普段の生活でもよく聞く。それが今回、運の悪いことに蔓延させる結果になっているのではないか。もうこれは本当に私的推測です。


4. 言うことを聞かない

私が思いついたというよりは、イタリアに住む日本人のブログをここ数日読んでいて「そういうことか」とようやく腑に落ちたのであります。たとえばtsugumi-hiragaさんのブログにはこう言うことが書いてあった。



1メートル以上の対人距離確保という首相令が出ているのにも関わらず、残念ながらこれらが守られているとは全く思えない。 人が集まる場所で、人同士が接触を避けられるよう「1メートルの距離」を保つ配慮が求められる
とあるのだが、これを守っている人は、私が目にする限り皆無である。否、正確には”私は”出来る限り他人との距離を置くようにしているのだが、なにせ向こうが近寄ってくる。涙スーパーのレジにても然り。 そして、1メートルの距離どころか、当たり前のようにハグをしながら、頬にチュッチュと挨拶をしているではないか? (中略) 発症者が出た後でも、マスク予防をしている人を未だ一人として見かけたことがないのである。まあ、これは首相令にはないのだが、、危機感の低さが垣間見れるように思ってしまう。  不要な外出は慎むべきであるのに、普通に外出をしている周囲からもあまり危機感が感じられないのが恐ろしいところ。 これでは無くなるべくものも無くならないのではないか?汗
さらに、caianinaさんのブログでも「スキー場は大賑わい」と書いてある。

ツイッターなどで見ても、これだけの状況であるにも関わらずみんなワイワイ外出している様子である。よくある比較の画像を何個か目にした。Wuhanはこうだったのにミラノは、みたいな写真。自分が感染しているという可能性を完全に脳内から排除しているのだろう。これはイタリア人の長所の一つでもある。嫌なことは考えない、後回しにする。

4の推測が腑に落ちたのにはもう一つある。finalventさんの極東ブログを読んでからだ。記事はこれ。


以下引用

なぜ、日本で終息するのではないかと当てずっぽうだが思ったかというと、世間を見るに、日本人がまるで一致団結したように感染防止の行動を取っているからだ。こんなふうに全体として指定された規律通りの行動をする国民をもった国家は、実は、日本だけなのではないか、と思ったのである。

そうなのかもしれない。この2ヶ月間、必死に手を洗いまくって外出を控えている日本人。私たち日本に住むものとしてはこれは当たり前の行動なのだがこれがイタリア人にはできていないのかもしれない。そこに1とか2と(もしかしたら3)も加わってこの感染者数なのかもしれない。

余談だが、先日3歳の我が子との会話

子「アルビコッケ(桃)食べたよね、イタリアで」
私「そうねいっぱい食べたね」
子「すいか食べたいなあ」
私「イタリア行きたいねえ」
子「イタリア行きたい」
私「でも今はコロナウイルスで大変なんだって」
子(2秒くらい私の顔を見たあと、しかめたような表情で)「イタリア人はあんまり手を洗わないかもね」
私(笑いながら)「そうかもね」

これもあんまり冗談じゃないのかもしれない。

おとといミラノが封鎖されることが決まったが、封鎖前にミラノ中央駅から外へ逃げ出そうとする人たちの映像を見た。もはや映画か何かのフィクションにしか見えない。電車に席はないと言われているのに無理やり乗り込んだりしている。もはやこんな非常事態にイタリア人がルールを守るとは思えない。やはり自分が感染しているという可能性を考えていない。こうやって外に出るから、また外で感染者が増える。

ただ、この非常時でも冗談を言ったりしながら楽しく生きようとしているイタリア人の様子が想像できる。むしろこれを機会に仕事行かずにどこか遠くに行って楽しもうとしている人もいるだろう。デフォルトでおとなしい日本人はこういう時は粛々と毎日やるべきことをやるし、そのようにおとなしいおかげもあり社会に秩序が保たれる。ミラノ中央駅みたいに、押しかけて列車で逃げ出すみたいなことはたぶん日本では起きないし、そもそも封鎖となってもたいていはその街に残りそうな気がする。

どっちがいいんだろうなあ。

これはこの15年間ずっと自分自身に問い続けていることでもある。どちらにもいいところ、悪いところがあるんだけどこういう緊急事態となるとまた見方が変わるのも事実。

繰り返すが上に書いたことは推測に過ぎない。そしてたぶん今イタリアにいたらまた違ったことを考えていただろう。さらに日本の検査数の少なさは実際おかしいと思っている。満員電車に乗っているのにこんなはずはない、と。

いっさいはんは最強

 1歳半。 めいは1歳半である。26日から帰省していて、弟の一家と一緒に過ごしている。姪が2人。ひとつ屋根のしたに8人がいる状態。たいへん賑やかでいつもどこかから泣き声やわめき声が聞こえている。こどもの声は高くていい。なかでも1歳半の姪は、もうどこを切り取っても、おもしろくて、た...