Wednesday 30 December 2015

帰省中

おとといから故郷にいる。北国ではないけど東京より寒い気がする。陽が出ているときとそうでないときの気温差が激しい。家のなかも寒いので、なんと部屋で、ダウンコートを着ている。

持ち帰った仕事がいくらかあるがそれ以外は特にやることがない。これで良いと思う。ゴロゴロしすぎてぜい肉がつくのは懸念されるが、一年のうちのたったこれだけの期間なのだから、いいだろう。

相変わらず7時前に目が覚める。冬休みだからと言って遅くまで寝ると、生活のリズムが一気に崩れる。といっても自然に目が覚めるので心がける必要もそれほど無い。

のんびりできて良いけど、すでに、東京に戻ったらやりたいことを考えている。映画とか、美術館とか。誰もが故郷に帰っている間の東京はとても静かで、人が少なくて、動きやすい。

Sunday 27 December 2015

友達について

25日で仕事たる仕事は終わり、昨日は特に何も無い日だった。朝目覚めて予定が何も無いと分かる瞬間、嬉しくなる。この自由さは何にも替えがたい。

天気も良かったのでひたすら洗濯機を回した。確か、3回くらい。そのうちの1回は袴。手洗いをすると良いと聞いていたのだが、あの大きさを全部洗いきれる自信がなかったので洗濯機の「手洗いコース」に任せることにした。乾いてからはアイロンをかけた。プリーツがだんだん消えかけていたので。

夜は友人に会いに出かけた。遅くまでいろいろ話して帰った。

友達について。


私は友達が多い方ではないし、小さいときから友達との付き合い方(に悩むほどではないにしても)分からなかった。小学校の時に、リーダー格の女の子―たいてい、美人でスポーツが得意―の周りに何人かの女子が集まり、グループを形成しているのがとても苦手だった。苦手と思っている一方で、実はうらやましくもあったし、グループに入れず、特定の友達がいないことに引け目を感じていたのかもしれない。

たいてい行事のとき、宿泊ともなれば、布団に入ったまま女子が、こそこそと、好きな人の話などを続けるのはお決まりだった。これは小学校から高校までずっとそう。話は嫌でも耳に入ってくるし、そういう「イケテる」女子からすると自分がすごく「遅れて」いるような気がした。

そういう女子の集団からはひたすら距離を置いて生きてきた。彼女たちが「親友」という言葉を使うのを見て、「私には親友がいない」ことに気づかされた。実際、誰かを親友と呼んだことはない。

仲良くなりたいと思うような友達がいたとしても、あるいは友達というものが欲しかったとしても、距離の取り方が分からないがために、他人に対してあえて冷たい態度を取るという結果になることもあった。

これが高校までの話。

大学に入り、グループというものに相変わらず違和感を抱きながら、好きなように生きるようにした。1人暮らしを始めたのもあって、近くにいる人たちと色々なことを話し、色々な経験を共有した。

それから10年以上経った今、ようやく、自信を持って友達と呼べる人たちができた。些細なことを、気を張らずに食事をしながら話す関係の人といえば、家族だけだった、そんな私に。

仕事を始めて5年間くらいは、ドタバタしていて友達に連絡を取ろうとすることも少なかったのだが、少し余裕が出て来た今は頻繁に友達に会えるようになった。

家族とは「血縁」というものがあり、夫婦には「婚姻」というものがある。一生続いたり、手続きをして解消したり、書類上でも証明できる関係が存在するが、友達には証明書も何も無い。「友達」という関係はどこにも書いていない。いつ始まっていつ終わるか分からない。だから終わることを恐れてはいけないし、終わらせないような努力もある程度は必要なのではないかと思う。そして新しい関係に対して常にオープンであること。人間同士の関係なんて本当に脆い。血縁関係のある人たちでさえろくにコミュニケーションが取れないことも普通にあるのだ。いわんや友人をや、である。

努力というのはつまり、「がんばる」ほどのことではなくて、声をかけてみるとか、連絡を取るとかそういうこと。学生時代であれば同じキャンパスにいるし、同僚であれば同じ職場にいるので、顔を会わせるが、仕事を始めると、意識して会おうとしない限りはまず顔を合わせることがない。会いたくない人に会う必要は全く無いし、お互いにそう思っている場合は自然と距離が開いていく。だけど自分にとって大切な存在であるということがお互いに分かっている場合は、時間をとって会おうとする気持ちは大事だと思う。結果的に、良いものは自然と、ずっと残っていく。

以上、決して人付き合いが得意ではない私がここ数年間で分かった、友達との関係について、でした。あくまでも、私の場合、です。

Thursday 24 December 2015

23日のこと(そうじ、クリスマス会)

おお、早い早いあっという間に24日になってしまった。今年ももう終わる。一年前に起こったことが、結構最近のことのように思える。

23日、天皇誕生日は色々なことが重なってかなり忙しかった。あっちこっちに移動して一日を過ごした。

合気道の大掃除を終えて昼ごろ家に帰ったが、お昼はそばにした。特に迷いもなく蕎麦屋に入った。

今年になってからの味覚の変化として:
1. かけそばではなくせいろそばをよく食べるようになった
2. 一杯300円前後のそばではなく、ちゃんとしたそばやのランチセットをよく食べるようになった。
3. 蕎麦湯の意味と飲み方がようやく分かった。

500円以上する蕎麦はやはり美味しい。そして、美味しいそばとなると、せいろのほうがコシが分かる。

3時からはクリスマス会に参加をした。

夜、友達と会った。今年の夏に東京から引っ越してしまった友達。食べたり飲んだりしながらだいぶ笑った。楽しかった。雨の中、自転車で帰った。

Tuesday 22 December 2015

しょうがパワー

冬の夜、家で暖かくしてごろごろするのは、まさに至福のときであえる。
Netflixで見られる映画はまだまだ少ないのだが、それでも「何見ようかな〜」と探しながらパスタをゆでるのは、完全に自由な気分になって嬉しい。

昨日は月曜日で、いつものように「何でも閉まっている日」だ。合気道も休み、プールも休み。街もなんとなく大人しい。こういうときは大人しく家にいる。

お風呂からあがってしばらくしたら、くしゃみと鼻水が止まらない。髪がぬれていたり、靴下をはいていなかったりしたことが身体を冷やすのにつながったのだと思う。良くない。

身体を毛布でくるんでソファに寝転がったがそれでも鼻水が止まらない。「身体をあたためる」とかグーグルで検索してみたが、まあ想像できるようなことしか書いていない。

こういうときは、アレに頼るしかないな、と思った。

アレ、というのは、そう、しょうが。


水を沸騰させ、しょうがをすりおろしたものとはちみつを入れて、飲んだ。すると、あっという間に身体が温まった。完全に自然の力だが、本当にすごいと思う。

ぽかぽかしたまま寝たのだが、よく眠れたし、さらに寝汗まで書いていた。
しょうがを取り入れることを習慣にすると、通常の体温もきっと上がるだろう。

さてと、それでは仕事に行く準備をします。

Monday 21 December 2015

江ノ島、水族館

週末、江ノ島と鎌倉に行って来た。
知人に誘われての1泊2日。それはそれは楽しかった。
近いようで遠い、遠いようで近いエリア。
滅多に行くことは無い。誘ってもらって良かった。


都心から1時間も離れれば人ごみに出くわすこともないだろうと思って水族館に入った。
が、そんな考えは甘かった。
江ノ島くらいじゃ、甘い。
見渡す限りの人、人、人…。
そこらじゅうで子どもが泣きわめく。
しかも水族館というものはそもそも暗いので、列や人ごみとなると余計に圧迫感がある。
江ノ島の水族館に行くのはこれが初めてではない。
大水槽のイワシの大群を見たかったのだが、見るのに少しの隙間もなかったのであきらめた。


イルカのショーも、アシカのショーも、何も見えない。
人しか見えない。
こんな中で子どもを連れて移動をする人たちは本当に大変だろうと思った。

それでもやっぱり、小さい頃に親がどこかに連れて行ってくれた思い出というものはよく覚えていて、家族がみんなそこにいるというだけで、それはそれは嬉しかった記憶がある。
水族館で駆けたり、こけたり、泣いたりしていた子どもたちがあと2,30年後に同じように自分の子どもたちを水族館に連れて行ってあげるのだろう。

Saturday 19 December 2015

今を楽しむ

今週は3回合気道に行った。火曜日と水曜日はかなりハードで、永遠に終わらない45分間のような気がした。ところが昨日はとても楽しかった。45分間があっという間に過ぎて行った。不思議なものだ。

始て7ヶ月が経過するが、本当に楽しい。社会的身分も、年齢も、性別も、まったく関係ないのが良い。これがどこの道場でもそうなのかというと、どうやらそういうわけではないということをほかの門弟さんから聞いた。「道場に入ったらみんなフラット」な関係になる。一番大事なのは礼儀正しくさえあること。相手のことを考えること。それだけでこんなに気持ちよく過ごせるものなのだ。このせわしい、殺伐とした―例えばすれ違い様にバッグがぶつかって舌打ちをされるような―東京という街にこんなに気持ちのよい場所が存在するのである。このオアシス的存在を得たことは大きな収穫だったと思う。本当に私は運が良かった。

その運をつかんだのは私であり、私をそこに導くまでの過程にはおそらく様々な要素があった。それに気づいたのは自分。すべては自分次第である。周りの環境に文句を言うのは簡単だが、それだけでは何も解決しない。

今日も明日も、どこに何が転がっているか分からない。きょう、人生を変えるような出会いがあるかもしれないし、明日、死ぬかもしれない。ということは今、人生楽しむしかないのであります。

Friday 18 December 2015

Noと言えるか

昨日の夕方、「明日5:30~臨時会議があります」というメールが入った。なんで5:30なんだろう。勤務時間は5:15までである。ひどいもんだ。言えばみんな残って当然だと思っている。そんなに振り回されてたまったもんじゃない。そしてそんなに暇じゃない。仕事だけに人生を費やしているおじさんたちとは違う。所用があるので途中退席するつもり。ここで大人しく言うことを聞く必要はない。なぜって、勤務時間外だから。途中退席したり欠席したりすることにうしろめたさを感じてはいけない。

仕事のストレスで精神的にも肉体的にもダメになった人の話をよく聞く。もちろんそんな人たちばかりではないと思う。だけど少なくともこの首都圏に住む多くの人たちの生活がほぼ仕事のみによって成り立っていることは、確かだと思う。友達と会いたくてもろくに会えなかったりするのがそれを示している。

さらに問題なのは、楽しくないのにそれの仕事をやっていること、そして「生きるために働く」のではなく「働くために生きる」状態になっていることに当事者たちがほとんど無意識だということだ。

疑問に感じずにそのまま生きて行ける人はいい。だけど心身が不調を訴え始めたらそれは危機だと思わなければいけない。

調子が悪くなるのは、特に若い人たちに多い。

会社やその集団が年齢を基準に動いているという場合は特にそうなりやすい。若い人はNOと言えないから。声をあげずに、周りと同じように行動するように日本では小さい頃からしつけられていて、そういう人たちが年功序列型とか先輩-後輩文化が強い組織に入るとどういうことが起きるかは目に見えている。

ひどいものだ。

というわけで昨日のメールを思い出して今日は朝から「怒」です。
怒りは悪いことではない。ほかのエネルギーにつながるから。

今は人に雇われている身分だけど、いつか自由業になりたいなあとこういうときに思う。そのためにはやはり手に職がないと。スキルをこつこつ磨こう。

私は、おかしいと思ったらNOと言える人間でいたいし、それが周りに勇気を与えられたらと思う。

Thursday 17 December 2015

レディース・デーに映画を見る

水曜日、平日だというのに休みが取れたので、映画を見ることにした。レディース・デーなので1100円で見ることができる。

レディース・デー。

単純に考えて、やっぱり変なものだ。なぜ女性の日があって男性の日が無いのか?その分、ほかの面において女性が損をしているということだろうか。通常のチケットが1800円だから、つまり700円分の損を…?

確かに女はいろいろ大変である。生理とかストッキングとかブラジャーとか…(というようなことは村上春樹もどこかで列挙していた)。そのくらいの苦労はねぎらってあげなければいけないのかもしれない。そもそも始まりは、きっと主婦層を狙ったものなのだろうと思うけど。

ま、いずれにせよ。

11:25からの『コードネーム U.N.C.L.E』を見ることにした。実は2週間前の水曜日も休みだったので映画を見に行こうと思ったのだが、そのときは特に面白そうだと思う映画が無かった。この映画にしても、トレイラーを見てもピンと来なかった。

だけど友達が「おもしろかった!」と言っていたのを聞いて、「それじゃあ行ってみるか」という気になった。我ながら、人って単純なものだなあと感心してしまう。こんなに簡単に変わってしまう。

インターネットで予約しようとも思ったが、席はたくさんあるようだったのでわざわざそこまでしなくてもいいかなと思った。映画館に行く直前まで何が起きるか分からないのだから。ちょうど開演時間ぐらいに到着するように出かけた。

するとどうだろう、エスカレーターを上がったところに出現したのは長蛇の列。もちろん、99%が女によるものである。おそるべし、レディース・デイ。

(予約しとけばよかった…)と心の中でつぶやいたのは言うまでもない。

それにしても平日の朝11時に映画を見ることができる人がこれだけたくさんいることに驚いた。まあ私だって暇があるから来ているわけだけれど。

映画自体はまあまあ良かった。スパイ映画というと007とかお決まりのやつばかりを見るわけだが、別の視点から見るのもまた良い。あと、役者が超有名というわけでもないのが逆に良かった。そんな中で1人だけ超有名なのがヒュー・グラントだったわけだが、やはり彼はブリティッシュ・エージェントとか言われたってヒュー・グラントにしか見えない。アバウト・ア・ボーイとかブリジット・ジョーンズのイメージがどうしても拭い去れない。

主役のナポレオン・ソロは「わー、スーパーマンっぽいなー」と思ってみてたらどうやら本当にスーパーマンの役者だったらしい。

この冬休みはたくさん時間があるので、たくさん映画を見ようと思う。

Tuesday 15 December 2015

Bass Pale Aleの夕べ

"There's nothing like a bottle of Bass Pale Ale after a bath time."
("バス"タイム後の"バス"・ペール・エールに勝るものは無い)

これは誰の名言かって?それはもちろん私です。たった今考えました。特に合気道の稽古の後はもうpleasantとしか言いようが無い。pleasantって日本語で何と言うのでしょうね。「喜ばしい」?「幸せ」?うーん、ちょっと違う。やっぱりpleasantはプレザントとしか言いたくない。

ビールにもいろいろあるけど私はBass Pale Aleが一番好きです。というのは最近ようやく分かったこと。エールとラガーの違いを友達に教えてもらい(もう忘れたけど)、それがきっかけで自分が好きなのはエール・ビールであるということが分かり、エールに限って飲んでいたらいつの間にかバスばかりになっていた。濃すぎず、重すぎず、強すぎず、といった感じ。そしてビンのデザインもいい。

調子に乗って2本も飲んでしまうとお腹が「たぽたぽ」して満足感というものを超えてしまうので、1本だけ飲む。至福のときだ。

稽古ですごく疲れている時は特に、それだけで眠くなり、たちまちのうちに身体がお休みモードに入ってしまうので、夕飯すら必要がなくなる。今日は、何か作ろうと思いながら、もずく、めかぶ、ソーセージ、納豆、豆腐、そしてリンゴを食べたら、細胞が満たされた感じがするので、今日はこのへんで寝ようと思う。はー、きょうも充実してた。

明日は平日なのに休みなので、わくわくしている。ここ数日がんばったご褒美だ。冬休みが近づいてfeeling festiveなのでした。

Sunday 13 December 2015

仕事以外の時間の過ごし方について

金曜日、合気道が終わって、スーパーで買い物をして、自転車に乗っていると、電話が鳴った。自転車を止めて電話に出ると、友達からで、「ヒマ?」と訊いてきた。これ以上無いほど良いタイミングだったのもあり、その15分後には会って、30分後にはビールを片手にしていた。

こういうのができる友達は、実は限られていて、あらかじめ予定を立てていないと戸惑う人が多い。大学時代ならまだしも、社会人となるとますますそうである。子どものいる友達となると、1ヶ月くらい前から予定(というか予約)をとっていないといけない。

いっぽうでイタリアで同じくらいの年齢の人々を見ていると、むしろこういう「今日あいてる?」というような急な誘いばかりである。特に大きなパーティーでもない限り、その日の夜まで何も決めていなかったりする。1週間先の予定を立てるとなると「そんな、来週まで生きてるかさえ分からないのに」と言う。(これまで何度もこのセリフを聞いた。)

まあ、世の中に色々な人がいるんだけど、柔軟であればあるほど友達として遠慮もなく、付き合いやすいと思う。

その条件として、都心に住んでいるというのはやはり大きい。呼び出されてから、30分以上をかけてはるばる動くとなると、ちょっと腰が重くなるだろう。家賃は高くとも、自由をお金で買っている。価値は大きい。だから、昔からひょいひょい動けたわけではない。

ここ数ヶ月、週末がとても充実している。いや、週末だけではなく平日も。職場と自宅の距離が縮まったのもあるし、合気道を始めたのもあると思う。体力がついたのかな?以前だったら平日に人と会うとなると「明日の朝早いからごめんなさい」と言っていたのだが、ここ数ヶ月、そういうことがない。次の日6時半起床であれ、平日の夜、人に会うことを負担と思わない。仕事のためにほかを犠牲にして生きるのは勿体ない。

昨日は久しぶりにクロスタータを作った。きれいにできましたとさ♪

Thursday 10 December 2015

身体をきたえる

寒いと動きが鈍くなる。身体のあちこちが凝るし、背中が丸くなる。

背中。

最近、太っているように見えないのに、体重が増えていて、一体どういうことかなと思っていた。友達と話していたら「それはきっと背中に肉がついているってこと」といわれて、ハッとした。あまり考えていなかったなあ。20代の身体とは違うのだ。だんだんと丸みを帯びてくる、とは言うものの、30過ぎたら身体は下り坂に入っている。放っておいて同じ体型が保てるわけはないのだ。もう少し気にするべきだ。

帰宅すると、たいてい疲れ過ぎていて、腹筋も背筋もサボってしまうことが多い。せめて背筋ぐらいはやらないといけない。一番大事なのはもちろん普段の姿勢だろうけど、意識して鍛えなければ。

そういえば何ヶ月か前、夏に、自分の背中を見たら肩甲骨が見えないということに気づいた。骨っぽさがまったくない。きれいに肉で覆われた感じ。いよいよこうなってしまったかと思った。

ついでに言うと、おなかもたぷたぷしてて当然になってきた。簡単にぜい肉がつかめる。

合気道には週に2、3回通っているので、定期的に汗をかく運動はしている。自転車には毎日乗っている。水泳と、日々の腹筋背筋運動が足りない。

寒くなればなるほど、背筋を伸ばして運動の量を増やそう。放っておいたらどんどんおばさんになる。

ここで一度も触れていないのが食べ物について、だが、はっきり言って食べるものは変えたくも減らしたくもない。食べたいものを食べたいときに食べるのが一番健康的だから。と言っても、ジャンクフードは滅多に食べないし、身体が欲するものを食べれば自然と健康的な食事になる。要は、バランスである。

Sunday 6 December 2015

ラジオの講師と話せた

昨日はたくさんの新しい人たちに出会って、とても楽しかった。

講座で出会った人たちとお昼を食べに行くことになった。初対面の人たちなのに緊張も変な気遣いも無いのはきっと、イタリア語がしゃべれてイタリアに行ったことがあるという共通点があるからだろう。それから、これまた残る予定の無かったスピーチコンテストを見ることになった。イタリア語のスピーチコンテスト。

たくさんの著名な先生方に出会ったのだが、中でも朝岡直芽先生と話すことができたのは嬉しかった。ラジオイタリア語の応用編担当の先生。イタリア語の放送はこれまでなんとなく聴いていたのだが、10月からの応用編はとにかく面白い。応用というかかなり上級なのだが、ごく普通のスピードで話されるイタリア語を何度も聞き取り、書き取り、リピートするというもの。

実は今までこういうのが無かった。文献を読んだり、きれいな発音を目指したりというものばかりであまり面白くなかったのでなんとなく聴いていただけだった。基礎編から飛躍し過ぎているし、文献や物語の講読であればわざわざラジオでやらなくても良いような気がする。

ところがこの朝岡先生の講座は、まさにリスニングを鍛えるもので、その材料もいろいろな種類がある。天気予報や、サッカー中継や、CMや、占い。そして、本物のスピードで聴ける。これぞ、やりたかったことだ、と思った。

先生に直接話せる機会は貴重だと思ったので「先生、ラジオ聴いています、とっても面白いです」と伝えると「あら、嬉しいです」。写真で見るよりも小柄で、細身の方だと思った。「あのラジオの形式は私が考えたものではなくて、色々な人たちにアドバイスをもらってこうなったのです」とおっしゃっていた。「速くても、何度も聴くしか無いものね」とも。

短時間だったが、直接話したことでまた少しモチベーションが上がった。集中的に勉強をする時間が無いにしても、細く長くでもいいから今後もイタリア語やっていこうと思った。

Thursday 3 December 2015

平日休み

村上さんのレイキャビク紀行を読んでいたら旅に出たくなって来た。ただ、予算的にあまり余裕が無いし、そもそも冬に海外航空券を買うことは私の人生においてこれまであまり無い。イギリスからスペインに友人を訪ねて行った2004年の冬ぐらいだ。あれからちょうど10年が経つ。旅をすることに慣れていなかった当時の私は、今では信じられないくらいに重い荷物を持って移動していた。必要なものを見極めることができていなかった。それから旅慣れた友達にいろいろと教えてもらい、あちこちを旅するようになってから、だんだんとスリム化されていった。実践してみないとこういうのは身に付かないものですね。

水曜だけど昨日は仕事が休みだった。特に予定もなく、しかし天気もあまり良くない。だけどせっかくの平日休みを何もせずに過ごすのはもったいないと思った。色々と済ませようとした用件のなかの一つが、運転免許の住所変更。初めて免許を取って以来、一度も住所を変えておらず、このままでは通知が届かないという状態になっていた。前回の更新時は、引っ越ししてちょうど一年以内だったので転送してもらえたけど、今回はそうはいかない。更新まであと1年を切った。

とりあえず交番にいってみた。ここでなんとかなると思っていたのだが、そうは行かなかった。「警察署に行って下さい」と言われた。えーっ、面倒…と思ったが、平日しか受け付けていないらしく、今日は住所変更のまたとないチャンスであった。ほかの用件もあったので、出かけることにした。どの警察署でも良いと言われたけど、新宿警察署に行ってみた。都庁でもできると言われたのだが、都庁は行ったことがある。せっかくなら行ったことの無い場所に行きたいと思った。だから警察署。

手続きはあっという間に済んだ。こんなに簡単で良いのかなあと思うくらいだった。それにしても、担当のおじさんの愛想の悪いことと言ったら!ま、結果オーライということで。これで通知が届くはず。

今日はあまり天気がよくないようだ。
昨日とおととい、合気道を頑張ったのできょうは休憩することにする。本当ならプールに行きたい。もう1ヶ月行けていない。11月とか12月とか、こうも暗くて寒いと動く気が失せるというものだ。今週1回くらい行けるといいなと思っている。

Monday 30 November 2015

コスモポリタンで九州人

金、土、月と夕飯にピッツァを食べました。ビールと、ピッツァ。
それでも飽きないんだけど。

そもそも週に1回は食べているのだが、ここ数日はさすがに連続しすぎかなと思う。だけど特に太ったりはしていない。目に見えるところでは。

ところで最近、自分のことをコスモポリタンだと思うことにした。

日本人という意識がそもそも薄い。

ここ10年ぐらいの間に日本人の集団を見ると、一歩も二歩も引いたところから分析するようになった。日本人を見て、自分がその一部であると思いたくなくなる。まさに非国民的なのだが、日本人の集団の中にいるときはとてつもない違和感を感じる。かなり昔からそうなのだけど、それを意識して、さらに、それでも構わないと思えるようになったのはここ数年。初対面の人に「100%日本人ですか?」とまじめに尋ねられることがここ数年増えて来た。生まれだけ海外、とか、育ちが海外、とか、ハーフとか、そもそも完全に外国籍とか、思われることがある。見かけだけではなくて、何かそうさせているものがあるのだろう。

その一方で、海外にいると、自分が日本人であることが結構誇りに思えることがある。それに肌を露出しまくりでアメリカ英語をしゃべるだらしのないブロンドの女の子たちなどを見ると、本気でうんざりするし、自分がこんな感じでよかったとさえ思う。いつの間にか日本人スピリットが芽生える。ほかにも、海外で中国人韓国人と会うと、そこに決定的な差を見つけ出そうとするし、別の国で生まれ育ったことを意識する。「日本ってすばらしい」とまではいかずとも、日本に「粋」を感じる。奥ゆかしさとか、空気の察し方とか。まあ、結局、いいところしか見えないのだろう。

そんなわけで、どっちつかずの自分を、何年間も、「一体私の所属はどこなのだろう」と思って過ごして来た。日本では西洋かぶれ、西洋では国粋主義者…というのは極端な言い方だが、まあそんな感じでここまできた。

それでこの前、村上さんの本を読んでいたときに「僕はどちらかといえばコスモポリタン」と書いてあったのを見て「おお、コスモポリタン!」と思った。別にそれ以来、という訳でではないけど、自分はどこにも属さないと思うことにした。地球人であり、世界人である。そう思うようになってから、少し楽になった気がする。

どこにいても、何語をしゃべっても、私は私である。
その場の環境、文化を客観的に見る。一歩も二歩も下がって見るのは特に悪いことでもない。帰属意識は別に無くても良い。どこかの文化に合わせなければいけないこともないし、どこかの文化を「一番」だとして、賞賛しなければいけないわけでもない。そして自分がいずれかの属性にタイプファイされなければいけないこともない。

あえて言うなら、私の帰属意識は日本ではなく九州にある。「日本人です」という人に海外で会った時よりも、「九州出身です」という人に東京で会ったときのほうがだいぶ嬉しいのがその証拠。こればっかりは死ぬまで変わらないのではないか。

私はコスモポリタンであり、九州人である。


さーて、寝ますかね。
明日の朝ごはんは、さっき焼き上がったレーズンのパン!

Wednesday 25 November 2015

くたばれ!無責任

まったくと言っていいほど邦画は見ない。
植木等と、小津安二郎と森繁久彌の社長シリーズを除いては。
すべて、私が生まれる前の映画だ。
かつての日本と、その時代に生きた人々のことがよく分かる。
無理がなく、自然体で、表情にあふれる人たち。

ふと思い立って「くたばれ!無責任」を見ることにした。何度か見たことはある。
愉快・痛快。とにかく楽しい映画だ。何も考えずに見ることができる。
この時代、つまり60年代の日本に生きてみたかった、とよく思う。

ハッスル・コーラを飲んで専務に言いたい放題言う田中太郎を見ていると胸がスカッとしますね。やっぱりロックに生きねば、と思う。いや、ハッスル・コーラは存在しないけど。「くたばれ」と思ったらその勢いで動くべし。

Monday 23 November 2015

財布が直った

この3連休、これといったことはしてない。だけど不思議とお金は使うものだなあと通帳の記入をして思った。何に必要かと言えば、生活に必要なものにお金が必要。洗剤とか、ティシュペーパーとか、トマトとか、小麦粉とか。快適に暮らすための数々のものにお金が要る。無駄遣いしているつもりは決して無いが、財布から千円札が次々に飛んで行く感じがする。

財布。

今日はひとつ、嬉しいことがあった。

修理された財布が戻って来たのだ。財布が壊れたのはかれこれ2年以上前になる。ファスナーの部分が閉まらなくなってしまった。修理してくれそうないくつかの店に持って行くと、ファスナーの全体交換には1万円近くかかります、と言われた。1万円もかかるのなら、新しい財布を買ったほうがいいと思って、だいぶ吟味した結果新しい財布を買った。

それから2年。

数週間前、家の片付けと掃除をしていた時にまたその財布が目に入った。また別の店に見積もってもらおうと思って持っていってみた。別に今の財布が嫌な訳ではない。だけど、やっぱり、前の財布の方が良い。例えば手触りとか。

スライダー交換なら3000円、ファスナー全体交換なら9000円と言われた。やはり以前と同じである。しかし9000円払ってでも修理してほしいと思ってそのまま預けて行った。

どうしてここまでこだわるのか。

この財布を買ったのは今から10年以上前。イギリスの、湖水地方で買った。ブランドものではない。革製品が売ってある、小さな店だった。財布も小さい。シンプルなデザインが気に入って、買うことにした。覚えている当時の感情としてはそんなものだ。もっといろいろ考えたかもしれないけど、とにかくその当時、ちゃんとした財布を持っていなかったのも事実。そのときお金が足りなくて、友達にお金を借りて買った。と言っても、いくらだったのかも覚えていない。売っていたのは、おじいちゃんだった気がする。これも確かではない。(もしかしたら後から自分が美化して作り上げた話という可能性もある。)

だいたい、たくさんモノを持つのが好きでないので、財布もポケットに入るくらい小さいほうがいい。とても使いやすくて、ずっとそれを使っていたし、ほかの財布には見向きもしなかった。時間が立てば立つほど、愛着が湧いた。

それが2年ぐらい前のあるときから、ファスナーがきちんと閉まらなくなった。それでも使い続けていたが、やはり小銭がこぼれ出るのは困った。

使いものにならないのなら捨てようかと思ったことも何度もあったのだが、結局直ってよかった。しかも、ファスナー交換ではなく、スライダーのみの交換で済んだ。なんだ、こんなに簡単な話だったとは。お店の人も嬉しそうだった。これからも末永く、大事に使おうと思う。今度壊れても、また直して使うと思う。これ以上の財布はほかに無いから。古いほどに価値が出てくる。

10年の歳月を経て、まだ私と一緒にいる財布。これから11年目に入る。

Saturday 21 November 2015

村上さん新作、書道展

今日は村上春樹の新作発売日です。

ここ数年は頻繁に作品が出版されるので、読み手としては嬉しい限り。村上春樹を読んで以来、まったくもってほかの作家の書いたものを手に取らなくなってしまった。ほかの作家の作品と言っても、日本語の書籍。

つまり、村上春樹を読むようになってからの変化は2つ。
①村上さん以外読まなくなってしまった
②洋書をよく読むようになった

おかげで本棚にはだいぶ洋書が増えた。
でも、どうしてだろう?

文体が心地よいからかもしれない、と思う。村上さんの書く文章は、日本語ではあるがとてもシンプルですっきりしていて、主語と述語がはっきり分かる。その文体が、英語と似ているからかもしれない。ほかの作家の書いたものをここ数年読んでいないので、一概には言えないけど。これに慣れてしまうと、英語のほうが読んでいて心地よく感じられるようになる。

話変わって、先日、東京都の高校生による書道展を見に行きました。
毎年行っているのですが、やはり今年もすごかった。だいぶ練習を積み重ねたのだろうなと思う。
何事も、稽古がすべてだ。くり返し、鍛錬を重ねること。そうすると、できなかったことができるようになってくる。想像以上にシンプルなのだ。繰り返す。「稽古を続けると、できなかったことができるようになる」。才能ももちろん関係ある。だけど努力で補える部分は相当大きいと信じている。

少し痛いこと、苦しいことでも避けようとせず、乗り越えられるかどうかは人間の器の大きさに関わってくる。

Friday 20 November 2015

会議4.5時間、のど痛い

昨日は3:50~始まった会議がなんと8:30ごろまで続いた。4時間半だ。恐ろしい。どうしてこんなに無駄なことができるのだろうか。そして無駄を省こうとしないのだろうか。資料に書いてあることは「読めば分かる」のに、それをいちいち声を出して読み上げるということは、そこにいる人たちはまったく信頼されていないということになる。ほかにもいろいろ要因はあるのだが、この団体の頭の悪さにはうんざりする。しかも5時以降は給料が払われていない。時間外労働の分をどこか別の日で休みをとって下さいと言われたが、朝から晩まで、どこを見ても休みの取れる日が無い。ちょっと予定を見てみたら12月3日は午後が空きそうなのでこの日に代休を取ろうと思う。はあ。うんざりです。

昨夜はのどが痛くて目覚めた。乾燥した会議室に4時間以上も閉じ込められていたのだからそりゃ具合も悪くなる。ちょっと喉の調子がおかしいなとは思っていたけど本当に痛い。きょうは一日マスクをして過ごすことになる。週末こそいろいろやりたいことがあるのに。平日の仕事のせいで調子を崩して、週末に好きなことができなくなるなんて本末転倒である。なんとしてでも治したい。そのためには今日仕事を休むことが良いのだろうが、私がいないと困ることがたくさんある。せめて夕方、早めに仕事を出られるようにはしたい。

Monday 16 November 2015

3秒ルッコラ

今日から久しぶりに通常の仕事に戻った。
毎日忙しいことに変わりはないが、家に帰ってゆっくりすることができて、好きなものが食べられる。
自由な時間があるのは素晴らしいとあらためて思った。
文字通り"OFF"できる時間は必要不可欠だ。
スイッチ・オフする時間があるからこそ、普段の活動にも集中することができる。
職場での立場はもちろん大事だが、それ以前にわたしは私であるわけで。

月曜は合気道も、プールも休みの日で、何もしない(というかできない)日で、それこそオフ。いやもちろん仕事はありますけど。だから夜の時間が比較的ゆっくりしている。

というわけで、たこ焼きを買い食いして帰った。そして昨日買ったエリンギと、にんじんを炒め、水で戻しておいたひよこ豆を茹で、さらに9月から地道に育てていたルッコラを採ってオリーブオイルと塩で食べた。

ルッコラ。

種を手に入れたのが8月で、育て始めたのが9月。
少しずつ大きくなって、ようやくルッコラらしい見かけになってきた。
で、何枚か葉っぱを採ったら一気に減ってしまった。
まあ、少ないけど一食分はこんな感じかなというくらいの量を採って皿に載せて、食べた。
文字通り一口で食べてしまった。
時間にして3秒。
あっけなかった。2ヶ月間がんばって育てて、3秒で口の中に放り込まれてしまうルッコラたち。
それでも味は濃くて美味しかった。イタリアの味がする。
種はまだ残っているし、また蒔いても良い。
それに今日摘んだおかげで間引きされてほかのルッコラもより育ちやすくなったことだろう。

さて、眠いです。おやすみなさい。

Saturday 14 November 2015

水族館

水族館に行った。これも仕事で、ですが。
 小さい頃にも何度か行ったことのある水族館で、最後に行ったのはいつだっただろうと思い出そうとしていたけど分からなかった。だいたい20年ぶりじゃないだろうか。
それだけ久しぶりに行っても、とても楽しかった。


時間はあっという間に過ぎて行った。
アシカとイルカのショーは、小さい子たちと同じくらいに楽しんだ。

Wednesday 11 November 2015

韓国にいます

仕事で韓国は釜山にいます。

8月末に来たばかりなのでなんだかしょっちゅう来ているような感じがする。
結構気を張って過ごしているので普段より活動量は少ないにも関わらず疲れる。
特に観光ができるわけでもないのだが、きょうの昼は少しチャンスがあったので外に出た。テレビで紹介されて話題になったというトッポッキの店に行ってみた。5個入りで300円ぐらい。
話題になっているだけあって、列ができていた。地元の人曰く、ソウルなど別の場所からわざわざ来ている人もいるらしい。なぜなら列の中からソウル方言が聞こえるから。

東京在住で年に1度トッポッキを食べるか食べないかという私のような者にとっては比較の基準がほぼ無いに等しいので「ここが一番」と言って良いかは分からない。でもくり返し食べに行きたくなるような美味しさだった。辛さもちょうど良い。

食堂に行って食べるのも良いが、市場や街角でこういうのを立って食べるのも良い。ちょっと観光客気分を味わうことができた。

プライベートで11月に国外旅行をすることはまず不可能なので、仕事ではあれ、いわゆる旅行シーズンに旅行に出ているというのはまあ有り難いことなのだろう。ここは日本とそれほど気候が変わらず、寒くもなく暑くもなく、過ごしやすい。木々が赤や黄に色づいてとてもきれいだ。

ところでホテルの朝食に温野菜があったのだが日本語でも表記されていて「暑い野菜」と書いてあったのには思わず笑ってしまった。

Sunday 8 November 2015

紅茶日和

雨の日曜なんてこんなにつまらんものはない。
というわけで紅茶日和。

午後3時という、何をする気にもならない、どうしようもない時間帯に紅茶を入れて、とてつもなくバカげた映画―オースティン・パワーズ―を見ることにした。

実はすることが無いわけではない。
明日から金曜まで韓国に行くのでその荷物を準備した。
今回もまた、最低限にとどめる。
何か足りなければ現地で買えば良いのだ。

さて、明日は早いので寝ることにします。
と言っても眠くないんだけど。

りんごを焼いて朝食

昨日から空がどんよりしている。今日は朝から雨が降っている。せっかくの週末なのに気分が沈む。でも、考えてみればこれまで晴れ続きで、気持ちよく秋を楽しんでいた。

最近は朝、りんごを焼いて食べている。
寒くなってくると朝からつめたいものを食べる気がしないので、いっそのこと焼いてしまえ、と思ったのがはじまり。

1, 冷凍保存しているパンにココナッツオイルを塗って、
2, りんごと一緒にフライパンに放り込む。
3, しばらくすると柔らかくなるので、仕上げにシナモン・シュガーをかけてできあがり。
紅茶といっしょにいただきます。

しばらく前にたくさんのりんごが届いたのだが、今日さいごの一個を食べてしまった。

栄養価は上がるのか下がるのかよく分からないけど、美味しいからいいや!と割り切っています。

Wednesday 4 November 2015

お片づけ文化の日

昨日は文化の日だった。とても天気がよかった。
文化の日に私は何をしたか?

朝早くから、ひたすら掃除をした。
1日、おとといもひたすら掃除をしたのだが、それの続き。
10月はほとんど家におらず、外で活動してばかりだったので家が少し放ったらかし状態になっていた。と言っても目で見て分かる散らかり方ではない。私にしか分からない。捨てるべきものがあるのに捨てていないとか、家にあるありとあらゆるものが整理されていないままに積み重なっているとかそういう状態。

まず、本をすべて引っ張り出して、本棚を水拭きし、本を入れ直した。その結果、6冊の本を捨てることにした。近くの古本屋に持って行ったら140円になった。そして冬服と夏服の整理をした。毛玉のついたニットをひとつ、ユニクロのリサイクル箱に入れに行った。愛用してはいたものの、毛玉のついていないやつも持っているわけだし、なんとなくみすぼらしい印象がしたから。こういうのは勢いに乗らないと、ずっととっておくことになる。

古いものを手放すと、新しいものが入るスペースができる。

それから電気屋に行って、使えなくなった電池を受け取ってもらった。さらに、電池の切れた自転車のライト、時間が止まったままの腕時計を持って行って、それぞれ新しい電池を買った。

あとは、電気カーペットの毛玉をとって、外に干した。もう1枚のカーペットもまるごと洗濯して干した。
片付けや衣替えは天気の良い日にやるに限る。

土、日、月、火と運動をしていない。合気道も水泳もしていないので、どうも睡眠の質が悪い。疲れ方も良くない疲れ方をしている。今日こそ合気道に行けるといいと思っているが…。

Tuesday 3 November 2015

風呂塩でイタリア語音読

友達からバスソルトというものをプレゼントにもらった。「おいせさん お浄め風呂塩」と書いてある。風呂塩。バスソルト。
入浴剤的なものを特に好んで使うことは無かった。ただ、嫌っているわけでもない。もらったのでありがたく使ってみることにした。

大量の湯水の中にこの、数十グラムの塩を入れるだけで一体どのような効果があるというのだ、というのが私の、これまでのバスソルト、いや、風呂塩に対する態度であった。

せっかく入れるんだしと思って、お風呂に長居してみることにした。しばらく前に買った村上春樹のL'arte di Correreをお風呂で読むことにした。「走ることについて語るときに僕の語ること」のイタリア語版。これを2ページぐらいだけど、ひたすら音読する。しばらくすると汗が滴り落ちてくる。

浄められているかどうかは定かではないが、どうやら本当に身体の温まり方は違うようだ。というのは、バスソルトを使ってお風呂に入った日は、寝ているときにも汗をかいている。むしろ以前より寒くなっているというのに。もらった3袋は昨日で使い切ってしまった。

ところで、お風呂で声を出すのは良い。英語でも日本語でも、お風呂で本を読むと思わず声を出して読みたくなってくる。口の筋肉は疲れているというのにたったの2ページしか進んでいないということに少しがっかりするけど。

イタリア語について。
イタリア語の会話については、専門的なことでない限り大きな問題無くできる。しかし、読み書きとなるとまったく別で、インプットもアウトプットも全然足りていない。読む量を増やさなければと思うものの、日本語、英語の場合と同じで、これに対してあまり辛抱が無い。知っている話で、しかも村上さんのだったらなんとかなるかもしれないと思って買ったのがL'arte di Correreである。全部読むことはないけど、気が向いたときに手に取って開く。毎日少しずつやって、慣れて行けばいいと思う。

そのためには新しいバスソルト、否、風呂塩を探さねば!新しい楽しみができた。

Sunday 1 November 2015

ヨークシャー・ティーふたたび

一週間以上も書くことから遠ざかっていた。それなりに忙しい一週間だった。
先日、注文していた品が届いた。
このマーク。懐かしい。
イギリスに長期間滞在したことのある人なら見覚えがあるはず。この、ロイヤル・メイルのロゴを見て「あー」と思わず声を出してしまった。
郵便物にはこのマークが付いている。

で、肝心の、届いた品は何かというと、これ:
ヨークシャー・ティー。
数年前に成城石井が売らなくなってからはPGを買うしか無かった。
最初は「PGかー」と思っていたけど結局は慣れの問題で、PGでもじゅうぶんに満足していた。
が、今年はきゅうすを買ったのもあって、パックに入ったものではなくてお茶っ葉を買うようになった。
そろそろお茶っ葉なくなるなーと思っていた矢先、ネットでさほど高くないヨークシャー・ティーを見つけたのだ。
イギリスからの輸入ということでしばらく時間がかかると書いてあった。
どれくらいで着くかなーと楽しみにしつつ、残りのお茶っ葉を使い切ったちょうどその日、ヨークシャー・ティーが届いた。

おかげで毎日、朝から至福のときである。
お湯がわくのが嬉しい。
ほかに何がなくてもいいから朝食(?)にはこれさえあればいい。

そういえばいつだったかこの紅茶についてブログ書いたなと思って探してみたら、あった。2013年の11月3日。ほぼ同じ季節であることに驚いた。そして当時はまだ成城石井で手に入り、しかもたったの390円で購入していたらしい。うーむ。

Thursday 22 October 2015

スタバかセガフレードか

segafredoというカフェをよく利用する。
片付けるべき仕事があるとき、ぼんやり考え事にふけりたいとき、書きたいものがあるとき、このカフェに行く。

かつて、東京のカフェでぼんやりするという習慣は無かった。
というのも、いつも、どこに行っても人だらけで、しかも一人分のスペースがほぼ無くて、座っていると、まるで養鶏場のニワトリになったような気持ちがするから。
必要がある場合―ほとんどそれは、知人友人と会って話すとき―には、場所をとるけど、それでも隣の人たちが近すぎてあまり心地よいとは言えない。

なのにどうしてこのsegafredoに行くのか?

それは単純に、心地よいから。
混み過ぎていることもないし、だいたい席はとれる。そして外の席は一人分のスペースがしっかりある。ストレスを感じることもない。

この東京において珍しく、less Japaneseだ、と思う。つまり、日本っぽくないということ。のんびりしている。

カフェと言えばスターバックスだが、私はあまりスタバには行かない。というのも、日本の場合、スタバは「スタバに憧れる人々」が行くところであり、わたしは別に憧れてもいないから。あまりにもブランド化されすぎている。のんびりしに行くところではない。客層もミーハーで、子どもっぽい印象。日本のスタバには独特の雰囲気が漂っている気がする。と言ってもあまり行ったことがないのであくまでも印象だけど。

少なくとも、私の近所にあるカフェについてはそういうことが当てはまる。ほかの場所では違うかもしれませんね。

さて、肝心の味についてはどうだろう。これは特にこだわりがない。だけどイタリア人いわく、やっぱりセガフレードのカフェが断然美味しいらしい。あまり比べたことはなかったが、値段もどうやらスタバより高いらしい。

この気持ちよい季節に外の席でぼうっと人間観察するのは最高に気持ちがいい。ひとつ、良い場所を見つけた。

Wednesday 21 October 2015

ゲルマン魂!!

合気道は世界中で人気があるが、私の知る限りでは欧米での人気が特に高い。道場に来る人たちはヨーロピアンが多い。オランダ、セルビア、イタリア、ロシア…。そしてドイツ。半数以上がドイツ人だ。

ドイツ。

この、長身の、肌の白い人々の集団を見ていると「ゲルマン魂…」とつぶやきたくなる。見たことも無いかつてのナチスとかドイツ軍とかヒトラーとかを身近に想像できる。いや、ドイツ人としてはそんなの連想されても困る、と思うかもしれないけど、身近に感じることが無い極東の国の者としてはそうせずにはいられない。たぶんドイツ人が日本人を見てサムライを連想するのと同じ?

そして平均身長が本当に高い。そして独特の顔立ち。圧倒されてしまう。(イギリス人も背が高かったけど、顔立ちがあんまり強そうではない。)ちょっとやそっとひねったぐらいでは痛くも痒くもないし倒れないだろう。

そしてドイツ語をしゃべるとますます強そうに見える。そう、めちゃくちゃ強そうなのだ。フランス語、イタリア語、スペイン語にはまず無い響きを持っている。

ここで私とドイツの関わりを振り返ってみる。

ドイツ語は勉強したことがない。特に勉強に取り組んだこともないし、趣味程度に始められる場合はたいていロマンス語系の言語に手を出すことが多かった。というのもドイツ語をしゃべれなくて困ることはまず無い。(私の経験では)英語のしゃべれないドイツ人に会うのは稀だから。相手が日本語をしゃべらないとしても英語で事足りる。

ドイツには行ったことがある。ただしベルリンにしか行ったことが無いので、ドイツがどういう国か、という自分の感想みたいなのは語れない。東京にしか行ったことの無い外国人が日本のことを語れないのと同じだ。

ドイツ人の友達はいるし、ドイツ人と結婚した日本人の友達もいる。ドイツ語が流暢な友達もいる。私自身、興味が無い訳ではないのだ。ただ、周りにあるちゃらんぽらんないくつかの国々が気になってしまって放っておけないのでドイツに手が回ってないというだけ。

というわけで私にとって少し遠いように思えるドイツという存在だが、ひとつ、10年以上にわたる深いつながりがある。

それは…ルフトハンザ!

日本からヨーロッパ(というかイタリア)に行くときは常にドイツ経由で行く。そのため、フランクフルトやミュンヘンに降り立った回数はもう数えきれない。ルフトハンザは、スターアライアンスでマイルがたまる。さらに、これも勝手なイメージだが、ドイツの会社なので(他より)なんとなく信頼できるのだ。

ルフトハンザとの関係はこれからも続いて行くと思う。

ゲルマン魂に圧倒されたのを機会に、もう少し知ったり勉強したり調べたりしたいと思った。

Tuesday 20 October 2015

ヨーロッパに憧れる米国人

きょうは午後から休みをとった。いつぶりだろう?土日以外で休みを最後にとったのがいつだったか思い出すことができない。休みを取ったとは言え、持ち帰って仕事をした。

それでも、だ。同じことをやるのに、職場の外にいるだけで気分は違う。天気も良いのだから、昼間から部屋のなかでじっとしている気にはなれなかった。

ウディ・アレンのVicky Christina Barcelonaを見ている。これも一度見たことがあるのだが、BGM的にずっと流している。

ヨーロッパの前では、アメリカが小さくみじめに見える。これが、一度ヨーロッパとアメリカに行ったことある人なら分かるはずだ。米語がちっとも魅力的に聞こえない。スカーレット・ヨハンソンがいくら魅力的でも、ペネロペ・クルスの存在感にはその魅力も少し薄れてしまう。

スペイン語で怒鳴り、怒り、やりたい放題のわがままで男を振り回す役は、やっぱりブロンド白肌のアメリカ人では務まらない。本能のままに動き、ストラテジーもなにも感じさせないラテン人。

あくまでの私の感想ですが、まあ二者はまったく別のものなのです。
ウディ・アレンの映画は、ヨーロッパに憧れるアメリカ人の図がよく描かれていて、私はとても好きです。

さてそろそろ寝ようかな。

Monday 19 October 2015

オーバーコート

気持ちの良い季節だが、これまたあっという間に終わってしまう。たぶんあと二週間もせずに「寒い」という言葉を口にするようになるのだろう。

昨日は、その予定もなかったのだがコートを買った。誕生日も近いし、というのは後づけの言い訳なのだが、まあまあいいやつを買った。
画像はウェブサイトより拝借しました。

結構「きゅっ」としたタイプのコートを好んでいた。しかし下に厚みのあるものを着込んだとき(たとえばスーツ)にコートを着ると身体のうごきに制限が出てしまってあまり気持ちよく過ごせないので結局大きめのコートを選ぶことになる。

というわけで数週間前から気になっていたオーバーコートを買いました。はやく寒くならないかな〜。

いや実はね、本当に欲しいのはシャーロックのコートなんですが。
ネイビーだったらこの形もあったけど、そうなるとなんだか銀河鉄道とか宇宙戦艦ヤマトみたいになっちゃうのでやめておいた。

久しぶりにシャーロック見たくなってきました。今日帰ってから見ようかな。さて今週もぼちぼち行きましょー。


Sunday 18 October 2015

J Lawを見て楽になる

昨夜Breaking Badで血まみれのシーンを見たせいかもしれないけど、夢の中にも血が出て来た。

休みの日の午前中はあっと言う間に終わってしまう。さて、出かけるか、と思うと12時になっていることが多い。

昨日はサックスの発表会だった。言い訳にしか聞こえないかもしれないけど、できるはずのことが、ステージに立つとできなくなる。「場数を踏む」ことがいかに大事かがよく分かった。つまり、いくら練習しても人前に立たなければ結局同じことなのだ。次回の発表会にはきっともっと上手になっているはずだ。

Netflixで"Silver Linings Playbook"を見た。(放題は『世界でひとつのプレイブック』。)
だいぶ前に一度見たことがあったのだが、結構気に入った映画の一つ。この映画がきっかけでStevie Wonderの"Don't you worry 'bout the thing"を知った。懐かしくなって、いくつかのシーンだけを、スキップしながら見た。やっぱりこの役者たちが何とも言えない。当たり役だ。特にジェニファー・ローレンスが良い。この奔放な感じが。

役者としてはまだ若いのだろうが、すごい存在感だと思う。飾らないところが良い。まさにgirl-next-door imageである。近くに住んでそうな感じ。

本人なりに悩みとかはきっとあるはずなんだけど、こういう人を見ていると気持ちが楽になる。ああ、これで良いんだな、と。

自分を、自分の芯をしっかり持つこと。要は、自分がどうしたいかであって、周りじゃない。どう見られるかは関係ないのだ。息をするように、行動すること。

Saturday 17 October 2015

パーティーでのふるまい

二週間ぶりに土曜休み。朝から天気が良くない。そして寒い。
今週は月曜日が祝日で休みだったので4日間しか仕事をしていない。
それにも関わらず、長く感じたし、たくさん働いた気がする。
実際のところ労働時間は長かった。

家でぼうっとしている時間はほとんどない。しいて言うなら朝起きてから出かけるまでぐらいだ。
せっかくNETFLIXに加入したというのに、映画を鑑賞する時間もない。昨日、久しぶりにBreaking Badの続きを見ていたところ、ウトウトし始めた。ベッドに入っていないのに眠くなるというのは、一般的によくあることなのかもしれないけど、私の場合はあまり無い。相当疲れている、休みたがっている、という身体からの貴重なサインとして受け止める。

というわけで早めに休んだ。今朝はアラーム無しで8時半に目が覚めたので、9時間ぐらい寝たことになる。たぶん毎日、やく1時間ずつ睡眠が不足していて、それを週末に取り戻しているということだ。あんまり良いこととは言えない。

先日、100名規模のパーティーに参加した。パーティーと言ってもまったく気取ったものではない。参加費1500円の交流会。参加者の9割は外国人だった。そこで思ったこと。

1.話し始め
話しかける/始めるタイミングというものが当然ある。どうやって会話が始まるのか?視線が自然に合って初めて、である。それから名前を聞いて、出身を聞いて、握手をする。普通の手順。これがごく自然にできるかどうかというのはやはり慣れと、その人の性格のオープンさによる。

2.話している間
そこで必ず相手の目をしっかり見て話すこと。これは必須だと思う。「日本ではあんまり相手の目を見すぎると逆に失礼にあたる」と聞いたことがあるが、私はそもそもそう思ったことは無いし、それはただ日本人が目を見つめることに慣れていないだけだと思う。

3. 会話の終わり
立食パーティーで、しかも100人以上がその場にいて、時間も限られている。あなたなら誰と話したいと思うか?たいていの人が、1人と会話してその時間を終えようだなんてもちろん思っていないはずだ。できるだけ多くの、面白い人たちと知り合ってみたいと思う。

だから、知り合って話し始めても、どこかで話を切りたいと思っているのは確かなのである。お互いに。こういう時は自然と場所を移動する。「飲み物取りに行ってきます」とかそんな感じでフラっといなくなるのが理想だ。

ところが、ずっと話し続ける人がいる。どうしても離してくれない、しかも話も面白くない、場合によっては追いかけてくる。これは困る。

それでもやはりその人だけに時間を費やすのは勿体ないので、話を真剣に聞く必要は無い。適当に受け流して、悪いことは無い。そして無駄に笑顔を見せるのもやめる。


…ということを考えました。
パーティー自体はとっても楽しかったし、意外なところで共通の知人を発見して、世界は狭いと思った。

Thursday 15 October 2015

5ヶ月経った

きょうは10月15日。もうすでに10月が半分終わろうとしている。早いものだ。シルバーウィークが終わってから、息つく暇も無く、働き、遊び続けている。

忙しくても、週に最低2回は合気道に行くことにしている。
今週末は合宿がある。それに伴い、海外から大勢の門弟が来日している。おそらく100人近い人たちが道場にひしめいている。
驚くべきことに、これほど混んでいても、稽古ができるということだ。周りの人にぶつからないか、恐る恐るやることにはなるのだが、それでも、できる。先生曰く「混んだ電車のなかでも技をきめることができる」のが合気道。なるほど。

合気道を初めて5ヶ月が経つ。ようやく、最初ほど頭で考えずに動けるようになってきた気がする。少し楽になった。もちろん、long way to goだが、「楽しい」と思うポイントが少し変わって来た気がする。

具体的には、受身をとるときに痛いとか怖いとか思うことはほぼ無くなった。むしろ受身をとるのがとても気持ち良い。これから長く続けて行きたい。

Wednesday 14 October 2015

故郷とは何か

Pico Iyerという人のことを最近知った。

New York Style Magazineという雑誌を呼んでいた時に"In Japan, History Has No Place"という記事を見つけた。写真が大きくて興味深かったので読み始めたのだが、じっくり読んでみると、とても良くできた、魅力的な文章であることに気づいた。

それで偶然、作者であるピコ・アイヤーさんのことを知ることになったわけだ。どうやらTED talkにも出ている人らしかったので、少し見てみた。「故郷とは何か」というスピーチをひとつ見た。なかなか興味深い。

"Where do you come from?" means, "Which place goes deepest inside of you?"

という部分を聞いて少し考えてしまった。「心のもっとも奥深くにある場所」とは、どこだろう?

もちろん私にとってのそれは生まれて18年間を過ごした場所であり、それを私は故郷と呼んでいる。今のところそれは揺るがないが、これはもしかしたら時間が経つと変わるのかもしれない。故郷を故郷として意識しているのは、そこから離れて過ごしているが故のことかもしれない。東京を故郷とは到底呼べないし呼ばないが、もしかしたらここから離れて数年間を過ごすと、故郷として見なすのかもしれない。故郷とは何だろう。そもそも故郷が無ければいけないのか。故郷を持っていたいというのはどこかに属していたいという勝手な考えの結果なのかもしれない。「故郷」に帰りたいとは今のところ思わないし、今、もう一度住もうとは思えない。故郷というのは帰る前提で存在するものなのか?私は故郷とどのくらいの距離を保っているべきなのか?かれこれ10年以上自分自身に問い続けている。

ところで「故郷」のこの季節はとても過ごしやすい。コスモスが「激しく」咲き乱れ、栗や柿がこれでもかというほどに実り、空は澄んで、すすきがサワサワと音を立て始める。それを思い出すと、やはり東京にいて季節を感じるのは無理だ、と思う。

Monday 12 October 2015

週末のこと

充実した週末だった。
と言っても、それほど多くの人に会った訳でもないし、特別なことをした訳でもないのだが、心は結構満たされている。

忙しかった平日できなかった仕事をこの2日間で終わらせた。なかなか苦しいものがあったが、職場でやるより、家でやるより、カフェに閉じこもった方が仕事がはかどる、ということがここ数ヶ月で分かったこと。人間観察をしつつ、ネットから遮断された環境にあえて身を置く。

サックスの発表会までもうちょっとだ。昨日の練習も楽しかった。色々な人と会話をするのは良い。重いサックスをかついだまま、うろうろとウインドウ・ショッピングをして回った。村上春樹のL'arte di Correreを買った。イタリアで買い損ねたのだ。イタリアだと11ユーロで買えたが、ここでは2000円。まあそんなものか。読むかどうかは別として、手元に置いておきたい。

今日は、まぶしいくらいの天気の良さだった。そういえば後輩の誕生日だ、と思い出した。髪を切りに行った。昨日から、今日の午前中は髪を切ると決めていたのだ。縮毛矯正をかけていた部分をすっかり切り落としてもらい、量も減らしたので、前髪を除いて完全に天然パーマに戻った。我ながら感心してしまうほど、髪の毛が見事にらせんを描いている。うねりでもなく、ウェーブでもなく、らせん。そうか、自分の髪はこんなだったのか、と数年ぶりに触って確かめる。
自分に偽らずに生きること。

夕飯には久しぶりにフライパンでsugoを作ってからのパスタにした。トマトとアボカドとオリーブオイル、とか、簡単で手早いものばかり作っていたけど、今日はちゃんと包丁で玉ねぎを刻んだ。何ヶ月ぶりだろう??時間をかけて、自分で料理をすると、やっぱり美味しいし、心も身体も喜ぶ。
もう口内炎はごめんだ。

Saturday 10 October 2015

忙し過ぎる

ああ、もう今週が終わろうとしている。あっという間だった。

予想通り、木曜と金曜は尋常じゃない忙しさだった。昼ご飯を食べる時間と、トイレに行く時間が無い。昨日は結局昼を食べることができず、持って帰る羽目になり、結局それが夕飯になってしまった。

2日合わせて、24時間以上は労働をしたことになる。家が職場に近くて良かったと最近よく思う。どうにかして寝不足は免れているが、今週は口内炎に悩まされている。すこしニキビもできている。疲れ過ぎである。

きょうも先週に続き休日出勤。少し頭が痛い。4時になるや否や自転車に飛び乗って帰宅した。

私は、身体にガタが来ないようにセーブしながらなんとかやっている。たとえば同僚が10時まで残っていようとも、9時前にはその場を去る。それでもこれだけ身体の不調が現れているのだから、いわんやほかの同僚は、である。ただ、自分を守るためなので、先に帰ることを申し訳ないとは思わないようにしている。でないと、全てが崩れる。

給料は5時までの分しか出ない。それを超えて働き続けるのはもはやボランティアであるわけだが、同僚の99%がボランティアを実行している形である。そうしないと成り立たない。

組織としてこれはどうなのか、と問うことは可能だが、それ以前に自分の生活を守るという意識を失ってはならないと思う。

Thursday 8 October 2015

その日を生きる

毎日がいっぱいいっぱいである。めちゃくちゃ忙しい。
日中、座ってゆっくりする時間がほとんどない。
昼ご飯を5分間連続で食べられれば上出来である。
今週はずっとそんな感じだ。

それでも、である。

月曜日は友達に会った。
火曜日と水曜日は合気道に行った。
どちらも、行けるかなー、どうかなと思っていたけど、あえて予定を優先させるのも時には大事だと思う。
周りがどう思うか分からないが、自分のことを最優先させる。こうやって私は私を守る。
さもないと、感覚が麻痺してしまう。

今日だけは合気道をあきらめて、8時半すぎまで仕事に残った。
たぶん明日もそうすることになりそうだけど、そこで奪われた分の自由は土日に取り返す。

ここ数ヶ月、平日の夜でも人に会ったり好きなことをしたりできるようになった。疲れきって家に帰って寝るだけが生活ではなくなった。大きな変化だと思っている。

きょうという一日は、一回きりしかやってこない。その日を、精一杯に生きるべし。
会いたい人に会って、好きなことをして過ごす。
明日死んでも悔いが無いように!

ところで、合気道でまた昇級した。
これは嬉しい。大人になってから誰かから客観的に評価されることがあまり無くなっていたが、これは本当に嬉しい。
努力が認められるというのはこれほどまでに嬉しいものなのだ。
また明日からも頑張ろう、という気になれる。

Monday 5 October 2015

何よりも先にやること

やりたいことをすべてやるのに時間が足りない。

・新しい外国語の勉強
・イタリア語の勉強
・読もうと思って買った英語の本を読む
・会いたい人に会う
・サックスの練習
・新しい楽器を習う
・料理

など。
しかしこれらすべてに先立つのが:
「捨てて整理すること」
である。これはもう生理的に身体が動く。
つまりは掃除と洗濯とお片づけなのだが、これをやらないと気持ちが新しい方向に動かない。まるで「人生がときめく〜」のようですね。だけど彼女が言うことは本当だと思う。片付けるとスイスイ動ける。

さて、仕事行かなきゃ。
今週もぼちぼち行きましょう。

Sunday 4 October 2015

「演奏止めないと警察呼ぶよ」

あっという間に週末が終わってしまった。とても過ごしやすい天気だった。今日は暑いくらいだったけど、明日は今日より6度ぐらい低くなるらしい。10月は最高だと思う。ちょっと肌寒くて切なくなるけど、それでも過ごしやすさとしてはこの上ない。

ここ最近はほぼ毎日出かけていたので、家でろくに掃除や洗濯ができなかった。今朝は目覚ましをかけずに7時すぎに目覚め、気持ちよく掃除と洗濯をした。ChicagoのSaturday in the Parkをきょうもまた聴いた。それからLooking GlassのBrandi, you're a fine girlなど。確か、チャーリーズ・エンジェルズのサントラ。ああ、素敵な曲だ。ドゥールル・ドゥルル…♪
午前中のうちに泳ぎに行った。合気道ばかりやっていたら、脚が太くなってきた気がするので、水泳も週に1回はやってバランスを取ろうと思う。水に入るとすっきりする。こんなに爽快なスポーツはなかなか無い。午後は少しサックスの練習をした。10月の公園は気持ちがいい。

で、ここからが本題。
夕方、下北沢にて、ギターを演奏している男性がいた。どうやらジャズを弾いている。私の好きなタイプの音楽というのもあるかもしれないが、とても上手かった。人が寄って来て、拍手をしている。

私もそこに聴きに行った。

近くで聴いていた男性はどうやら日本語がしゃべれない。どうやったらきみの演奏をもっと聴けるか、と、演奏している男性に英語で尋ねていた。たいそう気に入ったらしい。

このミュージシャンは、プロでもなんでもなく、会社員だそうで、あべさんと言う。"I am a lawyer."と言っていた。確かに、弁護士事務所の名刺を持っている。かつてプロ・ミュージシャンを目指した法律家。ほほう。

その音楽を聴いていた外国人が流暢な英語で私の名前を尋ねてきた。あとから、彼は韓国人であることが分かった。少し韓国語をしゃべったらとても喜んだ。

ちょうどそのとき、黒い服を来た人が、ギタリストに歩み寄って来た。何か言われて、そのあと演奏をやめた。何だろうと思ったら、「怒られちゃいました」だって。

「今すぐ止めないと警察呼びますよ」って言われたらしい。

えっ??こんなに上手いのに?そしてみんな聴いているのに?確かに、許可を取って演奏しているわけではないかもしれない。けど、うまいよ、彼?路上でこんなに素敵な音楽が聴けるというのに、追い払うだなんて。

もしかしたら常識が無いのは私のほうかもしれない。けれど、ギターの音色が響き渡る駅前は、下北沢をよりシモキタっぽくさせていた。

耳に入れるのが苦になるほど下手なら、あるいは、パンクロックみたいなタイプの音楽なら(ファンの人、失礼!)、注意して演奏を止めさせるのも分かる。

しかし、とても耳に優しい。
近くの店にとっても、邪魔になっているとは到底思えない。
騒音ではないのだ。

そこで、ニューヨークを思い出した。路上で、公園で、地下鉄の構内で、堂々とコンサートばりの演奏を始める人々。

あのパフォーマンスを誰か止めようとするだろうか?
警察呼びますよと脅したりするだろうか?

結局ギタリストは、懲りずに別の場所へ移動して演奏していた。路上で弾いていると怒られるのは日常茶飯事らしい。許可もとらずに公共の場で演奏するということは怒られるのかなとなんとなく分かってはいたものの、実際に目の当たりにしたら、とてもショックだった。

こんなことで文化は育たない。
日本の、なんでもかんでもルールに当てはめようとするところがどうしても受け入れられない。
ゼロか100かの判断を下そうとする柔軟性の無さが、人が本来持つクリエイティビティをどれだけつぶしてしまっていることか。演奏をやめろと指示したあの男性は一体どういうつもりで言ったのだろう。正直なところあの音楽に対してどういう感想を抱いていたのかとても気になるし、冷静に話をしてみたいくらいだ。

いったん私はその場を離れたものの、久々に大阪屋のたこやきを買ってから、またギターを聴きに行った。今度こそは誰かに止められている様子は無かった。「枯葉」を弾いてくれて、周りの人々も拍手をした。ギタリストよ、素敵な夜をありがとう。理不尽なことの多い、行きづらいこの世だけど、音楽の喜びは世界共通です。これからも人々の心を満たして欲しいと思った。

Saturday 3 October 2015

休日出勤前に

いよいよ新しいパソコンを買おうかなと思っている。
NとBが使えないもどかしさをどうにかしたい。
ブログは、ちっとも書けない。

今日は休みのはずだったが、仕事が入ったのでこれから出かける。やれやれ、だ。
そのあと何人かと会う予定だ。実は結構忙しい。

昨日もおとといも人に会った。そのかわり、合気道には行けていないけど。
会いたい人に会って、美味しいものを食べるという行為は自分にとって必要で意味のあることだ。私にとってのソーシャル・イヴェントである。

さて、そろそろ出かけようかな…。

Monday 28 September 2015

週末、あらためて

週末のこと。

[あらためて・その1]
ふと気づいたら、下北沢のTHE BODY SHOPが閉店していた。
本当に「あれっ、なくなってる」という感じ。「ふと」である。というのも、調べてみたら、7月末にはすでに閉店していたということが分かった。2ヶ月間まったく気づかずにあの通りを通っていたらしい。スーパーなどとも違って、頻繁に必要とする店でもない。考えてみると、確かに儲かる場所ではなかったかもしれない。

日曜は久しぶりに公園へ行った。短い時間だけど。
思っていたほど人は多くなかった。
サックスの練習をした。
秋の気持ち良い期間はとても短い。あっという間に過ぎてしまう。

[あらためて・その2]
土曜の夜にBreaking BadをみていたらSaturday in the Parkが流れてきた。
とても久しぶりだったのであらためて聞いてみた。
それからずっと口ずさみ続けている。
考えてみれば、昨日公園に行ったのはその影響だったかもしれない。
SaturdayならぬSunday in the Parkだけど。

[あらためて・その3]
セロニアス・モンクを聞いてみた。
そういえばちゃんと聞いたこと無かったので。
結果、これは響いた。
ジャズと言ってもなんでも良い訳ではなくて、ピンとくるのとそうでないものがある。
セロニアス・モンクは前者のほうだった。
アルバムをひとつ買ってみようかと思っている。

Saturday 26 September 2015

自分と向き合う

この2日間はとても忙しかった。文字通り朝から晩まで、やることづくしだった。
今日は朝起きたら9時だった。こんなに寝るとは、よほど疲れていたんだろう。
今日は何も予定がないのでとりあえず掃除をして、身体を動かすことにする。

ここ数日、ちょっと気が滅入るようなことが多かった。
特に何か悪いことが起きたわけでもない。

幸せとは何だろう。
全力で生きるとはどういうことだろう。
私は人生を楽しんでいるだろうか。
そもそも人生はどうやって楽しむものなのだろうか。

気が滅入ってしまうのは、周りが幸せそうに見えるからかもしれない。
Facebookには「いいね」が飛び交い、みんなが笑顔で近況報告をする。
だけど誰しもFacebookには、基本的に「いいね」がつきそうなことしか投稿しない。

実は誰もが心の闇みたいなものを抱えていて、孤独と不安に向き合いながら生きているんだと思っている。
辛くて寂しくてつぶれそうになるとき、途方に暮れてどうしたらいいか分からなくなる。
そんな弱くてどうしようもないこの自分と、向き合って行くしかない。
これからもずっと。

私は私でしかない。それ以上でも以下でもない。
ほかの誰かになることも、誰かのものになることもできない。

自分が何をしたいか、好きなことは何か、心の声を聞いてあげられるのは私しかいない。
からだを動かして、よく笑い、よく寝ること。
まずはそこから始める。

さて、晴れて来たことだし、外に出よう。

Thursday 24 September 2015

連休最終日の記録

昨日は朝8時頃に家を出て、空港へ向かった。
出発地も到着地も、人が多かった。連休最終日だ。
それにも関わらず、とてもスムーズに、定刻どおりに到着した。
飛行機が着陸して30分後にはモノレールに乗っていた。素晴らしい。

アマゾンに注文しておいた水が届く予定になっていたので、2時から4時までの間は家の掃除をした。整理整頓。
放っておくといろいろなものが増える。
毎日片付けても、すぐに散らかる。
私は片付けが好きだ。勢いをつけて一気に片付け、要らない物を探し出して捨てるのは気持ちがいい。

夕方からプールへ。
だいぶ久しぶりだ。とても気持ちがよかった。
やはり30分がちょうど良い。身体を動かすことがこんなに気持ちがいいなんて、知ったのは「学校」を出てからだ。

水泳は間違いなく、私にとっての生涯のスポーツである。合気道もそうなれば良い。

少しカフェで仕事をした後で帰宅し、パスタをゆでて、Breaking Badを見た。つくづく、日本では絶対に公開されない作品だと思う。それにしても良く練られている。Season 3のエピソード10まで見終わった。まだまだ先がある。村上さんの「シドニー!」を久しぶりに少し読んで、寝た。

身体を動かすとこんなに気持ちよく眠れる。朝の目覚めは最高に良い。今日はどうやらとんでもなく忙しい一日になりそうだ。こういうときこそ自然体で過ごす。具体的には:
①深呼吸をして
②気を張らず
③走らず
過ごす。周りに振り回されず生きるコツ。

Wednesday 23 September 2015

滞在の終わり

あっという間にここでの滞在が終わってしまった。
書くべき物は、結局書き終えなかったけど少しだけ形になったので良かった。
ここにいるととても静かで、これといってやることも無いので色々なことを考える。
私の日常は東京にあり、ここには無い。だから、お正月はまだしも、こういう時期(つまり、連休とは言え、世の中が動いている感じがする)に帰ってくると、周りに置いて行かれるような感じが少しする。
やるべき活動と会うべき人が私を待っているのではという気になってくる。

いつも東京であれだけ活動的なのだから少しぐらい時間を止めるのは良い。

家族のために作られた食事はバリエーションが広い。色々な品目を食べる。一つの皿にいろいろな野菜が入っている。普段、どれだけ偏った、ワンパターンの食事をしているか思い知らされる。

Tuesday 22 September 2015

『職業としての小説家』

ここは静かで良い。彼岸花とコスモスがいたるところに咲き乱れている。
天気も良く、空は晴れ渡り、空気は澄みきっている。
最高の環境である。
ひとつ、書かなければいけないものがあるのでマックを持って来たが、なかなかはかどらない。書くべきことが無いから。困ったものだ。

先日、村上さんの『職業としての小説家』を読んでしまった。
買ってから数ページしか読んでいなくて、そのあと時間がなかったのだが、土曜日に全部読んでしまった。
とことんストイックである。分かってはいたけど感心させられた。
小説の書き方については、今まで書かれてこなかった詳細さで記されていた。
一日あたりに書くページ数とか。

興味深いのは、書き直しについてである。
とことん書き直しをする人だとは知っていたけど、その程度が結構すごい。
「最初からごりごり書き直す」らしい。
しかも何回も、かなりの時間をかけて書き直すそうだ。
最初の直感を消しちゃったら勿体ないなどという考えは無いのだろう。

そして一日のリズムが完全に定まっている。きちんと運動をして、野菜をたくさん食べて、早寝早起きをする。良く知られた村上春樹の健康的な生活リズム。

彼にとって書くことは「仕事」なのである。
なんとなく書く人は世の中にたくさんいるし、小説って結局誰でも書ける。村上春樹は年を追うごとに読者を増やしてきた。これはやはり彼の、書くことに対する、ほかに無いプロ意識とストイックさからきていると思う。

次の小説が楽しみで仕方ない。
さて、私も書きますか。

Sunday 20 September 2015

隣の女とハンバーガー

9月に入ってから伸び盛りのゴーヤとアサガオ。ゴーヤも花を咲かせた。
この二者は互いに絡み合っているので、葉っぱも蔓も、もはやどちらのものなのか区別がつかない。蔓植物は強い。
さてただいま羽田空港。
これから故郷へ帰ります。
連休2日目、予想通りの混み具合だけど、それでもスムーズに進むあたり、さすが羽田。さすが日本。

スタッフが本当にくるくるとよく働く。
それに加えてこの清潔感。
こんなにたくさんの人たちが利用しているのに、ほとんど問題なく運行できている。
夏休み中のフィウミチーノを思い出すと、これがやはり奇跡に見えてくる。

羽田でお昼を食べることにした。
何を食べようかなと地図を見たら、なんとウエスト・パーク・カフェ(WPC)がある。
そういえば聞いたことあった。けど利用したことはなかった。
代々木上原のWPCがリニューアルのため1年以上閉まっているので、懐かしくなって、行ってみることにした。

もう値段を覚えていないけど、たぶん代々木上原と同じ値段。
席に着くと、隣に座っていた20代前半とおぼしき女性がアボカドバーガーを食べていた。
なんとフォークとナイフを使ってちょっとずつ切り崩しながら(?)食べている。
半分くらいは食べてしまっている。

そんなんじゃ美味しさも分からんだろうにと思っていたところに私のアボカドバーガーが届いた。
言うまでもなく、フォークやらナイフやら使わずに、手で持って食べる。
当たり前だ。
ハンバーガーはそうやって食べるようにできているのだ。

ケチャップとマスタードを、びゅー、とかけてあっという間にたいらげてしまった。
ぺろり、だ。
やっぱり代々木上原のほうが美味しかったし、もっと大きかったように思う。
気のせいだろうか。

で、ふと、隣の女の子を見たら… 


まだ食べている…!!!

信じられない。ハンバーガー一個に30分くらいかけている。
まあ、私が食べるのが速過ぎるというのは認める。
それにしても、だ。
せっかくの牛肉が冷めきっていてちっとも美味しそうじゃない。

最初のデートでハンバーガーは避けるべしという話を聞いたことがある。
大きな口をあけて頬張るのが恥ずかしいから、と。
いやいや、そんなことで恥ずかしがっているようでは、きっとその彼と良い付き合いはできません。

ところで代々木上原のWPCは一体いつ再開するのだろう??

Friday 18 September 2015

NとBが動かない

ああ、いつの間にか金曜の夜になってしまった。
今週一週間、確かに忙しかったけど、ブログの更新をできなかったのは忙しかったからという訳ではない。
パソコンのキーがいうことを聞かないからだ。
やっぱり「半角/全角」と「n」と「b」が壊れてしまった。
特にNには困っている。Bが無くて困ることはそんなに無いけどNは使う頻度も相当高いので困る。
何か書こうと思っても、すぐに止まってしまう。
または、書く前に「今から書こうと思っていることにNは必要か?」を先に考えるという変な癖がついてしまった。
今日は別のパソコンを使って書いている。サクサク書けるって気持ち良い。
キーが動かないパソコンは、3年以上使っているので、そろそろ新しいものに変えても良いかもしれない。自分への誕生日プレゼントということにしようかしら!

Monday 14 September 2015

あさがおとひまわり

5月に蒔いたひまわりとあさがおが、ようやく咲いた。
この写真ではまだひまわりは咲いてないけど、今朝見たらつぼみが開いていました。
夏の花なのに、夏の間はまったくつぼみができなかった。
もうこれで終わりかなと思っていたら9月になってようやく咲きました。
 3週間、日本にいなかった間に面倒を見てくれていた友達に感謝。
植物を育てるのは楽しい。
ベランダも狭いし、できることは限られているけど、毎朝、植物の様子をうかがうのは朝起きて一番最初の楽しみである。
さて、今週もがんばっていきまっしょー。

Sunday 13 September 2015

9月12日のこと

昨日は気持ちよく晴れた。友人の家に行くことになっていたので午前中に掃除を済ませて出かけた。
秋だけど、夏の格好をして行った。
なんとなく終わらせたくない夏。
チョコレート・ケーキをお土産に買って行った。

駅の花屋にて、いが栗を売っていた。なんと一個378円。
郷里に帰ればこんなのいくらでも転がっているのに。
そもそも食べる目的以外で栗を売る/買うという考え方自体が私にはいまいちピンと来ない。
都会では何でもお金を出して買わなきゃいけないんだなあ。分かっちゃいたけど。
うーん。思わずうなってしまった。

友人のところには2ヶ月前に産まれた子どもがいる。
ぷくぷくしていて可愛かった。抱っこしたら壊れそうでこっちがびくびくした。この子はお客さんが来るたびに、いろんな人からいろんなことを言われ、いじられ、抱っこされているのだなあ。つき合ってやってるんだぞ〜 みたいな顔をしていた。本当に可愛かった。

ここ数日、気温が上がったり下がったりの中、雨の中を自転車で行ったり来たりしていたこともあって、少し風邪気味である。少し喉が痛かったりくしゃみが止まらなかったりということがあった。昨日、家に帰ったらなんだかぼーっとするので、大人しく家で過ごすことにした。「夏の格好」をするべきではなかったかもしれない、と思った。ご飯を作る気にも食べる気にもならず、友達がくれたハーゲンダッツを2つも食べて、市川染五郎のドキュメンタリを見ながら眠りについた。

Friday 11 September 2015

ようやく晴れた

あれれ、ブログ2日に1回更新のはずが3日に1回になりかけている…。

今日はようやく晴れた。本当にようやく。
今日は少し遅く出勤したので朝のうちに大量の洗濯物を外に出した。
洗濯は気持ちがいい。時間さえあれば毎日でも洗濯したいぐらいだ。

(もう終わったけど)夏に大量に汗をかいて、そのTシャツを洗濯機に入れ、ガンガン洗濯機を回すのは本当に気持ち良い。ただし、気持ちがいいのは、乾くからである。洗った物が乾かないのなら、洗濯の楽しみは無い。

今日も一日よく働いた。疲れたことは疲れたけど、気持ちの良い疲れ方だ。

合気道で少し足を痛めたのもあって、夜はサックスの練習をした。夏の間、楽器に触れてさえいなかったのもあって、1時間ずっと吹き続けると口の周りが痛い。だんだん息が続かなくなり、息が漏れるようになり、だんだん暑くなってくる。練習を続けたいのは山々だったが、限界を感じたので断念した。

明日も晴れるといいな。

Thursday 10 September 2015

大雨で早めに帰宅

昨日は雨の影響で少し早めに帰宅できた。
ものすごい大粒の、大雨だったが、なんと自転車で帰った。自分のたくましさに感心する。中学時代、自転車通学だったがどれだけ雨が降ってもやはり自転車という手段しか無かったのでカッパを着て通ったものだった。濡れても、死ぬ訳ではないし、ゆっくり行けば、滑ることもない。

家でひとりダラダラする時間は最高でした。

それにしても読書をしなくなったなあ。習慣づいてないとなかなか難しいものだ。夏からずっと読み終えてない本がたくさんある。

洗濯物が乾かないので困っている。わざわざコインランドリーに持って行くのも面倒だ。何日も湿ったままの状態である。というか部屋の中が湿っている感じがする。

以上、思いつくままに書きました。さて、今日はどうやって通勤しようか…。

Tuesday 8 September 2015

雨の、とある火曜日のこと

夏休みが終わったら、ブログの更新が2日に1回になった。
特に書くべきことも無いうえに書く時間も無い。

今楽しみにしていること:

・2日後に出る村上さんの新刊
・冷蔵庫の中にあるハーゲンダッツ
・シルバーウィークに飛行機にのること

そんな感じ。地味だけど先の楽しみがあるのは良い。

新刊ってみんな予約するけど、売り切れましたなんてことはまずない。
もし売り切れたとしても少しくらいなら待てる。だから予約はしない。

と思ってたんだけど、どうやら予約っていうのは家に配達してもらえるということみたいなので私もしようかと思う。

先日友達がたくさんハーゲンダッツを買ってきてくれた。
冷蔵庫にこれだけたくさん並んでいるのはこの上ない幸福である。
これをいっきに食い尽くさなくなっただけ私も大人になったなあという感じがする。(今までどれだけ子どもだったんだろう?)

期間限定のマロングラッセのクリスピーサンドを昨日食べたのだが、ほんとうにマロンが入っていてびっ栗した。

(……なんちゃって。)

冗談はさておき、とても美味しかったです。はい。

きょうは一日中雨で、しかもむしゃくしゃすることがあった。
目覚まし無しで6時半に目覚めたのに、午前中は結局何もしなかった。
雨が降っていると、外出する気も失せるというものだ。
それから外に出たものの、長靴(最近ではレインブーツと呼ぶのでしょうか)を履いて出たうえに雨も激しかったので、足が疲れて長い間歩くこともできず、たいしたことはできなかった。

夕方、小雨が降ってはいたものの、合気道に行った。
ほんとうにむしゃくしゃしていたので、どうしても身体を動かしたかったのだ。
ところがどっこい、稽古中に足の指を傷めてしまった。
そのときはとても痛かったのだが、先生に治してもらったら、どうやら治った。

やっぱり外に出ていろいろな人と会話をするのは良い。だいぶ気分が晴れた。

Sunday 6 September 2015

趣味のこと

今日は久しぶりにサックスの練習に行った。1ヶ月以上も休んでいたので本当に久しぶりだった。
10月の発表会で使う曲は一体何になったのだろうと思いながら行った。
7月の発表会は仕事で出ることができずとても残念だった。
アレンジしなおしたスコアというものをいただいた。Fly Me to the Moonをやるそうだ。
実に1ヶ月以上ぶりに楽器に触った。

しばらく吹くと、慣れていないのでやっぱり口の周りの筋肉が少し痛い。
音符に着いていけないどころか、追いかけることができていない。
ま、こんなもんです。10月を目指して練習を積み重ねて行こう。

イタリア語のレッスンにも通いたいと、長い間思っているのだが今のところ一歩踏み出せていない。
というか、合気道とサックスで、十分に多い気がする。イタリア語もやろうと思えばやれないことは無いのだが、趣味にかけているお金はそもそも、仕事があってこそのものであることを忘れてはいけない。時々自分に言い聞かせる。仕事をないがしろにして、趣味に手が届かなくなることだけは避けたい。

Saturday 5 September 2015

難民のニュース

今日は合気道も休んで夕方以降は買い物をしたりしてゆっくりと過ごした。たまにはこういう日も必要だ。

日本のニュースサイトよりも国外のものをよく読む。読むといっても、見出しだけざっと目を通し、写真を見るだけのことが多いので読むうちにはほとんど入らない。Daily Mail, Mirror Online, Guardianなど。あとは、ロイター。イタリアのLa Repubblica。

ここ最近、ヨーロッパに流れ込む難民のニュースがものすごい。
毎日、どのサイトでもトップニュースだ。
そして、日本ではほとんど取り上げられない。
日本のマスコミがとりあげるニュースは8割ぐらい国内についてのものばかりな気がする。

難民問題は、今に始まったものでは無い。
戦争や飢餓を逃れてアフリカや中東から、毎日多くの人たちがヨーロッパに押し寄せている。
高いお金を払って船に乗るものの、途中で船が沈んだりして命を落とす人たちもいる。
映画で見たような話が実際に繰り広げられているわけだ。

先日、3歳のシリア人、アイランくんが亡くなった後、海辺に打ち上げられている写真が世界中を駆け巡った。
こういうときだけ「かわいそう」と言うのは簡単だし、写真がきっかけでいっきに騒ぎ出す世の中を見ると、まるで難民問題が今始まったばかりかのようにさえ見える。
同時に、世界中の意識を問題のほうへ向けた、この写真の意義と、写真家の使命についても考えさせられる。


難民についてはヨーロッパ各国が受け入れの体制を整えるべきだということは分るが、これって私のような日本人にとってはなかなかピンと来ない。見る限り、イタリアもギリシャもよくやっているように思えるのだが、それでも受け入れ切れてない。勉強不足なだけだとは思うけど、まず最初に責められるべきなのは果たして受け入れ国なのか??という疑問がわく。

これ以降も続いて行く問題なので注目しておきたい。
ただ、こういうものは、日本のテレビでニュース見てるだけではまったく追いつきません。ほんとに。
日本にいて、海外のニュースにアクセスしてみると、日本だけ時が止まったかのような、外界から自分が閉ざされているかのように見えてくる。情報過多による思考停止状態の人たちでいっぱいです。

Thursday 3 September 2015

筋肉痛、睡眠

今日はどうしたことかキーボードの調子が良いのでパソコンでブログが書けます。
昨日は、キーの掃除をしてみたらnとbが動いたんだけどその3分後にはだめになってしまったので諦めた。

夏休みが終了し、仕事が始まった。
始まってまだ3日しか経ってない…!!!

カレンダーの数字を見て愕然としてしまった。ずいぶん長く感じる。
3日連続で合気道に行ったが、3日連続して行くのが1ヶ月以上ぶりなので、身体がいまいちついていってない。入門したての時みたいな疲れ方をしている。というか筋肉痛が凄まじい。

たぶんこれでまた、身体のどこかが太くなっていくのだろう。今日きいた話では、指と上腕二頭筋が太くなるらしい。ううう…。とりあえず、膝のあざをおさめるためにも明日は休もうと思っている。

ただ、おかげさまで夜はこれでもかというぐらいよく眠れている。仕事の疲れに加えて肉体的な疲れもあるので、バタンと倒れこむように眠る。
この感覚が久しぶりである。夏休みのダラダラしている間はどうしても夜遅くまで眠れなかったりした。ぐっすり眠れるというのは嬉しい。

netflixにさっそくお世話になっている。Breaking Badをシーズン3から再開させた。面白い。1日1話を楽しみに見ている。

Tuesday 1 September 2015

黒船Netflixとキーボード

Netflixがようやく日本で解禁になった。huluに入るならNetflixだよなーと思っていた。3月頃にその存在を知ったので、だいぶ待ったことになる。
私は2日からサービス開始だと思っていたのだが、NHKのニュースで今日からだと聞いて、検索してみたら本当だった。
ようやくこれでbreakingbadが見られる。

ちなみにアナウンサーが「黒船」と紹介していたのが面白かった。なるほどと思った。

その直後、パソコンのいくつかのキーが言うことをきかなくなった。nとかbとか。
あ、そうだ、今朝一部に紅茶をこぼしたからだ。ブログも書けない。

というわけでこれはiPadで書いてます。

3年以上使っているパソコンなので確かにそろそろ寿命かもしれない。

ただ、Netflixは見られるはず。


あ、でもNの文字が打てない…‼︎
悲劇だ。

Monday 31 August 2015

夏休み終了

さて明日から仕事に戻る。
だいぶ長く休んだので同僚に忘れられているかもしれない。
私も同僚の名前を覚えていないかもしれない。

明日のために今日は少し早めに起きた。
今日は夏休み最後の日だと思ったら、いろいろなものを整理したい気分になった。

引き出しの中でぐちゃぐちゃになっていたタンクトップを床に出して丁寧に畳み直した。そうしているうちに不要なものが出て来たりする。そうやって身軽になる。

持ち物が多いと、それだけで人生が重い。

いくつか用件を済ませて、あまり必要も無いかもしれないけど髪を切りに行った。儀式的なものだ。気分がすっきりすればそれで良い。

それから友人と会った。
月曜は合気道も、プールも休みなので、少しのんびりしている。

昨日はプールに行った。

数日前に自分の背中を鏡で見たら、肩甲骨が無いことに気づいた。
贅肉に覆われている…!!
最近プールに行ってなかったからだろうかと思ったけど、そもそも自分の背中を鏡でちゃんと見たことがあっただろうか?
身体は動かさない限り、いくらでも、いつまでもたるんでゆく。

それにしても夏の終わりは切ない。
ただ、31日ともなると、もはや諦めがつくし、こういう秋みたいな天気だとなおさらだ。
さて、現実に向き合わねば。

Sunday 30 August 2015

『ミッション:インポッシブル ローグ・ネイション』

考えるべきこともあったのだがそれはすべて置いておいて、映画を見に行った。雨も降っていたことだし。

ほとんど無意識にミッション:インポッシブルを選んでいた。


いやこれがもう大正解でした。
めちゃくちゃ面白かった。
映画館は満員でした。

冒頭のこのシーン↓を見ただけで既に「見に来て良かった」と思った。
トム・クルーズについては「ちょっと変わった人」というイメージを持っている。そしてあまりいいイメージではない。あの、娘のスリをゴシップ記事などで目にするたびに、ろくな大人に育たないだろうなあと思う。

久しぶりに映画館で彼の演技を見て、これぞプロフェッショナルだ思った。何人の美女とつき合おうが/結婚しようが/フラれようが、子どもがわがままに育とうが、別にいいのだ。誰が何と言おうと、トムは自分の好きなことを、誇りを持ってやっている。これほどのものを創り上げ、世界中の、何億人という人々を、(おそらく)世紀を超えて楽しませるんだから、彼はもう、これでいいのだ。

ちなみに彼は53歳らしい。
年齢なんて本当に関係ないと思わざるを得ない。気持ちがすべて。
きっと彼は自分のことを「おじさん」なんて呼ばないはず。

単にドンパチやってるだけのアクション映画もたくさんある。
CGに頼りきっていて一体何を見ているのか分からなくなるような映画もたくさんある。
でもこの映画は違う。

アクションのレベルがとことん高い。
モロッコのハイウェイと、水中のシーンはすごかった。
もうほんとにこっちも息が止まるかと思いました。

ちょっと調べてみたら、トム・クルーズはスタントを使わずにかなりのシーンを演じているらしい。

最初の『ミッション:インポッシブル』が1996年だから、それから約20年、質を落とさずに(というかさらに面白く)5作目まで続けている。スタッフの苦労は相当なものだろう。金をつぎ込む価値のある映画だと誰もが信じているからこそできる。

あらためて、20年前の『ミッション:インポッシブル』を見てみたくなった。

やっぱり映画は良い。今日は心が満たされている。

ルーコラ!

気づいたら昨日は何も投稿してなかった。投稿すべきことがなかったのだと思う。インプットが無いと、アウトプットも無い。

昨日の朝驚いたことがひとつ。
ルーコラの芽が出ている…!!
しかもすごい勢いで。葉野菜は簡単とは言うけど、こんなに簡単とは…。
韓国に行く前日に種を蒔いたので、3日ぐらいで出てきたということだ。


このあとどうなるのだろう。とても楽しみだ。
ルーコラの味は独特なので好き嫌いはあるかもしれないが、私は結構好きなので、これでわんさか食べられるようになると良い。

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昨日は一日中特に何もしなかった。
朝9時過ぎに、玄関のチャイムで目覚めた。アマゾンの再配達。
こんなにたくさん寝るとは。

いくつかの用事を済ませるべく、小雨のなかを自転車でうろうろした。
夕方から合気道へ。
身体を動かして汗をかくのは本当にいい。

じょじょに身体の調子を整えないといけない。

きょうは雨が降っているのでウロウロする気にもならない。
今日は昼から映画を見に行くことにした。贅沢な休日。

Friday 28 August 2015

日本に帰った

日本に戻りました。たったの二泊三日だったけど、この「ようやく」戻ってきた感は大きい。
これからしばらくは東京の家に落ち着く。9月からは仕事も始まる。ようやく普通の日々に戻ろうとしている。これだけ移動が多いと疲れる。

旅行会社の添乗員なんて、すごいと思う。
(当たり前だけど)文句一つ言わずに、しゃきしゃきとほかの人を責任持って連れて行ってくれるんだから、もう本当に感心する。しかも時間はきちんと守るし。集合の20~30分前には身動きのできる状態でいるように見える。

脚がむくむとか肌があれるとかお腹すいたとか隣の人が太ってて席せまいとか寝不足でイライラするとか、常に何かしら文句を言うべきことがあるというのに!
これを仕事にできる人が世の中にはいるのだ。

それを得意とする人が、それをやれば良いと思う。
数字が好きな人が数字を扱う仕事をすればいいし、パソコンが好きな人がプログラマーになればいい。世の中そうやってできている。

成田から帰るときにどうやって帰るべきか迷った。
通常、ヨーロッパから帰る便が多くて到着はたいてい早朝着なのだが今日は午後4時過ぎ。
人が多い。

以前にも聞いたことがあった、東京駅までの1000円バスを使おうかと思ったら、あと40分近く待たなければ行けないといわれた。同じ会社なので、たとえばほかの方面行きも1000円だろうと思ったら、なんと3000円だそうだ。

「???」

なんで?
おかしくない?

「えっ、東京駅以外は同じ会社でも3000円なんですか」
「はい、東京駅だけです」

どういうわけか分らないけど、別のバス会社に変えて、「ええい」と思って3100円払い新宿まで向かった。渋滞で長くかかったが、電車よりはストレスが少ない。

やっぱりこの方法よりいいのは無いかな…。

7時すぎに家に着き、ゆっくりお風呂に入ってパスタをゆでた。
トマトと、モッツァレッラと、バジル。きょうはリガトーニ。これがいちばんシンプルで、世界中どこに行こうとも一番食べたくなる食事。これだけで満足。

Thursday 27 August 2015

韓国2日目

昨日は涼しかったのに今日は暑かった。
歩き回って結構疲れた。
[今日のお昼1]
[今日のお昼2]

初めて韓国に行ったのが2002年で、当時はまだ韓国ブームの始まる前だった。
その翌年ぐらいからものすごい勢いでブームになり、日本人観光客が激増したのだが、近年になって以前ほどの騒ぎではなくなったようだ。

理由はいろいろある。
単純に、韓国への熱が冷めたというのは、ひとつ。
それに、MERSの影響も、ひとつ。
それから、去年あった大型船の転覆も、ひとつ。
さらに、日韓関係も、ひとつ。


 海辺にあるお寺というものに行ってみたが、あまりにも新しく、人工的すぎてまったく感動が無い。眺めは良かったのだが。
ヨーロッパで数々の遺跡、遺産群を見た後だからかもしれない。

デパ地下は日本に似てはいるのだが、統一感が無いというか、雑多な感じで、まあそこが韓国の良いところでもある。高級ワイン売場のすぐ隣に強壮剤とかビタミン剤が売っていたりする。

そして、面白かったのがこれ。
[デパ地下にて]

フォションという、日本にもある高級パン屋ベーカリーなのだが、雰囲気が全然違う。
おしゃれさや高級さのかけらも感じさせない。
店から飛び出して、売り場を作っていて、さらに試食天国みたいになっている。
「らっしゃいらっしゃ〜い」という調子で、まるで道端で団子でも売っているような感じ。

話によると、最初は店の中におさまっていたのだが、隣にあるこれまたパン屋ベーカリーが通路に出て売り始めたため、フォションも同じ作戦で販売を始めたとか。いやー、韓国らしい。

 [今日の夕食]

いい意味で「洗練されてなさ」が韓国の醍醐味だと思う。
品良く食べたら韓国料理じゃない。

だけど!ますますイタリアが恋しい。西洋かぶれと言われても仕方ない。
洗練された、イタリアのスタイルが恋しい。もう、すべてにおいて。

ここではサラダのドレッシングが変な味がするやつしかない。
オリーブオイルと、バルサミコ酢と、塩が、どうして無いのだろう?

ここでは平気で音を立てて食べる人だらけだ。老若男女。
品とかマナーとかいうものは存在しないのだろうか?

売ってるものが全然「素敵」じゃない。
欲しい買いたいと思わない。

10年前だったら気にならなかったはずのことが、気になって仕方ない。
日本も大して変わりません。
だけど私にとっての「外国」として韓国イタリアを比較してしまってるんだと思う。

そして、もしこれが、例えばタイとかベトナムだったらきっとこんなことは思わない。
完全な「異国」だから。
タイとかベトナムは、国を挙げて欧米化を目指したりしてないのが分かるから。

でも韓国は日本と限りなく近くて、似ている点がたくさんあるからこういうふうに思う。
日韓、東アジアの国どうし、欧米にこれだけ憧れていながらも、素敵さに欠けることを惜しいと感じる。

言葉にしにくいですね、難しい。
こんなこと書いたら嫌な感じですね。
単なるpost-holiday syndromeです。
これはこれとして受け入れないといけない。
一時的な私自身の問題。

Wednesday 26 August 2015

韓国より

仕事で韓国にいます。
飛び回ってばかりで全然落ち着かない。
[ホテルの窓から]

昨日、一日だけでも家で過ごすことができて良かった。
ほぼ一ヶ月ぶりに合気道に行った。
行く前はとても緊張した。
久しぶりすぎて、色々忘れているだろうし、1人だけ変な動きをしたりするのではないかと思っていたから。
だけど、着いたらいつものようにたくさんの人が声をかけてくれた。
自然と、お互いに「夏はどうお過ごしですか」と会話が始まる。

ああ、素敵だー!

こういう大人どうしの、ゆるいつながりが日常に存在するなんて。
本当にありがたい。文字通り。

稽古は久しぶりなので、やっぱり戸惑いはしたものの、すぐに感覚は戻った。
「遠ざかって」はいるかもしれないけど「消えて」はいない。
言葉の勉強と同じ。
「忘れる」というのは「消える」ことではない。

今朝は5:30に起きて成田へ向かった。
この前も成田にいたのに、一週間も経たないうちにまた戻っている。
先日は個人の旅行だったので贅沢に行き帰りともリムジンバスを使ったのだが、今回は出張でバス代が全部出してもらえるとは思えなかったので、がんばって電車で行った。

が、やっぱり辛い。

2時間かかる。
空港到着時点でげっそり疲れている。
そして飛行機に乗っている時間は2時間未満なのだから、それを考えるとますます疲れてしまう。

韓国は日本と同じで肌寒い。
昨日台風が通り過ぎたからですね、とこっちの人が言っていた。

仕事ではあるものの、気持ちはほとんど旅行である。
広いホテルの部屋を1人で好き放題使って良いし、何よりも、日本にいない。

この際楽しむしかない。

Tuesday 25 August 2015

マウスピース事件

数ヶ月前、マウスピースを無くした。

(画像はどこかの歯医者さんのウェブサイトから借りてきました。)

が、マウスピースというのは、私が最近始めたボクシングとかホッケーやるときに使うものです。
というのは冗談で、私の場合はスポーツ用じゃなくて、寝る時に歯ぎしり防止のためのもの。

どれだけ探しても無い。そもそも部屋はそんなに散らかっている方ではないしそんなに広い家に住んでいる訳でもないので探す場所も限られている。それなのに見つからない。
探し物は、探さなくなった瞬間に見つかるものだ、と思って探すのを諦めた。

それで、この夏、イタリアにいる間に寝ている間の歯ぎしりを感じた。たぶんすごい勢いで歯ぎしりをしている。本人は寝ているわけだからそこんとこ確信は持てないんだけどそんな気がした。

一時期歯ぎしりをしなくなっていたようだったが、どうやら復活している。

長年の歯ぎしりにより私の犬歯はすり減っていて、いわゆる犬歯の形をもはやとどめていない。それに気づいたことでマウスピースを作ったのがかれこれ7年か8年前。

で、ここ最近、まあ無くても大丈夫かなと思っていたんだけどそうも行かなくなったというわけ。先日思い切って歯医者に予約をとった。

「すみません、使っていたマウスピースをなくしてしまったので新しいのを作りたいんですが」
と、名乗ってもいないのに電話口の人が
「あらぁ〜 だめじゃないですか ○○(私の名前)さ〜ん 笑」
と言われてびっくりした。
「えーっ、声で分かるんですか?!」と訊いたら
「分かりますよ〜♪」と。

この歯科衛生士さんは、長いこと知っていて、とても元気が良く、明るく接してくれる。25歳ぐらいだと思う。あっちは私の名前をこうやって呼んでくれるんだけど、私は彼女の名前を知らない。

ちなみに私は、しょっちゅう虫歯になっているわけではなくて、3ヶ月に1回ぐらい、歯のクリーニングに行っているのでよく顔を合わせる。

* * * * * *

というわけで今日は歯医者に行くことになっていた。
昨夜は結局2時すぎまで眠れず、今朝もかなり身体が重く感じた。
だるいな〜 と思いながら、近くにあったマウスピースのケースを見つめた。
ふと手に取ってみると、中に何か透けて見える。

あれれ…??

中に何か入っている。
まさかと思ったら…

あった。

そこにマウスピースが、あった。


今まで私は何をやっていたんだろう?
毎日、目に入る場所にこのケースがありながら、一度も開けてみようとしてなかった。
入ってないよなあと思ってケースを振ってみたことはあったのだが、音がしなかったので入っていないと決めつけていたのだ。この数ヶ月間…!
ちょっと違う方向に入れていたらしくて、ケースとマウスピースの隙間が無くなっていて、カタカタという音がしなかったのだ。
ただそれだけのことだった。

思い込みって怖いなと思った。
そして探し物は探すのを諦めたときに見つかるというのは本当だと思った。

しかも歯医者の予約2時間前に見つかるとは。何というタイミングだろう。
巡り合わせというか、世の中よくできてるなあと思わないわけにはいかない。

間もなく、歯医者に予約取り消しの電話を入れたのでした。
今日は数ヶ月ぶりにマウスピースをして寝よう。

話変わって、この投稿、ブログ始まって700件目の投稿らしいです!

Monday 24 August 2015

睡眠が不安定

泊まりがけの仕事から帰った。たった一泊だし、と思っていたけど23日の朝早く出て、今日の夜9時ごろに帰宅したので、まるまる2日間は働いたことになる。結構疲れた。

疲れた原因としては22日の夜にまったく眠れなかったことがある。夜中2時に目が覚めてしまい、その後から6時ごろまでまったく眠れなかった。本当に辛かった。時差ぼけだけが原因では無いと思う。少し「考え事」を始めてしまったらノンストップになってしまった。

そのおかげでこの昨日と今日はこれでもかというくらい眠い。昨夜はしっかり眠ったはずなのに、それでも足りない。毎年のことだが、調子を整えるにはだいぶ時間がかかる。

しっかし睡眠が安定しないというのは辛いなあ。さてそろそろ寝ます。

Saturday 22 August 2015

16.8 ローマは夜

話は遡ります。
書いておかないと書かないまま終わってしまうから。自分のメモとしても。

8月16日のこと。名残惜しくはあったがフィレンツェを出てローマへ。
天気は良くなかった。15日にフィレンツェを出ても良かったのだが、Ferragostoは祝日で、避けておいたほうが色々と良いと思ったので16日にしておいた。
電車はFrecciarossaでとても快適だった。日本で新幹線に乗ることがほとんど無いのでちゃんと比較できていないかもしれないけど、ここまで快適とは。途中で飲み物とお菓子のサービスみたいなのまで来たんだけど、当然有料だと思って断っておいた。そしたらどうやら無料だったらしい。びっくりですね。新幹線でもここまでのことはしない。ちなみに片道39ユーロ。90分で移動できる。

ローマに来るのは何回目だろうな、と毎回思うんだけど、もう数えきれない。途中までは数えていたけどもう忘れた。10回は来ている気がする。
となると回数はフィレンツェよりも意外と多いのかもしれない。

5時ごろに着いてホテルにチェックインをすませた。昼を食べてなかったのでフロントの人にすすめられるがままに近くのトラットリアに入ってツナのサラダと、きのこのタリオリーニとビールを頼んだ。

それから少し休んだ。イタリアの馬鹿っぽいテレビがとても好きだ。いちいちツッコミを入れたくなる。それにしてもニュースを聞いても、コメディを見ても、たいてい分かるようになった自分に感動する。「オチ」の面白さまで結構分かる。

そしてジェラート片手に散歩に出かけた。夏はやっぱり夜に限る。ローマは夜がとにかくきれいだ。街灯の色がこの上なく素敵だと思う。

「春はあけぼの」
「ローマは夜」

Via Cavourをまっすぐ歩いて行く。

するとコロッセオに突き当たる。
何度見てもすごい。圧巻である。そしてやっぱり夜に見るのが断然いいと思う。


観光客は朝から晩まで絶えることがない。


ローマには地下鉄が2つしかない。A線とB線。だけどC線を作ろうとしている。コロッセオの前あたりに。もう何年も前から。2年前の夏も同じ光景を見た気がする。何も変わっていなかった。工事中、歩道は狭い。
 「C線 ローマの新しい地下鉄」

夜であれ昼であれ、誰かが工事をしている姿は見たことが無い。少し掘るたびに遺跡が出て来てストップ、を繰り返しているらしい。10年前にも「生きている間に完成を見るのは無理だね」とローマの人が言っていたのを覚えている。先日、イタリア人の友達に聞いた話だが、そもそも戦後からずっとC線の話は出ているらしい。戦後…70年経った。

2年前に無かった気がするのが、この説明。読んでなかっただけかもしれないけど、少し概要が書いてあった。
「工事開始日:2013年4月、工事期間、83ヶ月」だそうだ。本当だろうか。


 

近くまで行ってみて分かるけど、ほんとにびくともしません。
養老孟司が「トラウマ的」とか言ってたっけなあ。こんなでっかいの抱えて生きて行くんだなこの街は。日本は何でもさーっと消えちゃうし取り壊されちゃうんだけど、それがまた良いところでもある。桜みたいに。
 重いですよね確かに。
[コンスタンティヌス帝の凱旋門]

フォリ・インペリアーリに行ってみた。そういえばここまともに歩いたこと無かった気がする。これは「○○帝のforo」とそれぞれに書いてあって、まあつまりここが政治とかなんとかの中心だったわけですね。foroというのは「フォーラム」の語源で、広場みたいな感じ。皇帝たちはここにいたわけ。
はやりのプロジェクション・マッピングもやっていた。

 光の中に浮かび上がる遺跡群はやはり鳥肌モノである。こんなん残っちゃってるのー、という感じ。
 同じ場所を、紀元前(つまり2000年以上前)に、カエサルやアウグストゥスが歩いていたわけだ。いや、歩いていただけだったらそんな場所は世界中にどこにでもあるんだけど、それが、残っちゃってるんですね。
こういうののすぐ横に道路があって車が走ったり、普通の店やら事務所やら立ってたりする。やっぱりローマには敵わん、と思う。ほかのどの都市にもこんなのはない。

 トラウマ的である、確かに。





この遺跡群の向かいに「ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂」がある。
これまためちゃくちゃでかい。
昼に見ると、もっと真っ白な感じで、まばゆいのだが、夜はいっそう荘厳な感じがする。
[ Monumento Nazionale a Vittorio Emanuele ll]

[ディオクレティアヌス帝の浴場]
via Nazionaleをまっすぐ歩いて帰る。
ディオクレティアヌス帝の浴場はテルミニ駅の目の前にある。街に遺跡が溶け込んでいるのを見ると、まず、ローマに来たなという感じがする。

というわけでローマを歩くなら夜です。夏は特に。
危なくないのか?
危なくないです。危ないところを避ければ。そして自分さえしっかりしていれば。

10年前、初めてローマに行ったときはもっと変な人たちが多くて、東洋人もすごく少なくて、街を歩くだけでからかわれたりしていたし、危険そのものだったのだが、最近ではそんなことは無くなった。街も以前に比べたらだいぶ整備されたのではないかと思う。

当然のことながら初めて行ったときは他の都市と比べてローマに良い印象を持てなかった。カオスな感じがしたから。でもその手に届かない感じこそが魅力でもあった。だからこそ何度も足を運んだ。まだ地図無しでは歩けないけど。

たいていのものが歩ける範囲にあるので、地図を片手にウロウロしてみると良い。迷ったら道を聞けば良い。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...