Monday 29 May 2017

日曜夜に文化的インプットを

夜中に眠れずに苦しむことなく夜をすごせた。久しぶりな気がする。3時にこどもが泣いて、いったん起きたことは起きたけど、そのあとすぐに眠りにつくことができた。そして今朝はこどもと一緒に6時20分起床。たいへんよろしい。

ただ、やっぱり昨日の夜もこどもがひとり修学旅行の夜状態、つまり大興奮でまったく眠ろうとせず、困った。泣くわけではないのでだいぶマシだけど。時差7時間だから、もとに戻るまでにはやっぱり一週間かかるわけか。

イタリアに行ってこどもは体重がいっきに500g増えたが私はたいして増量せずにすんだ。途中、顔が丸くなったなあとやや心配したが、帰ってきて計ってみたらたいしたことはなかった。よかった。

話はかわって。

昨日は日曜だった。夜、テレビを見ますか。私は気が向いたときはテレビを見る。ただNHKに限る。(民放で見たい番組は相当限られている。)

昨日の夜は「日曜美術館」と「古典芸能への招待」を見た。結構好きなんですねこれが。美術系の番組は小さいころから本当に好きだった。

日曜美術館はいつも変わらず落ち着いていて、特に好きな画家の特集でなくてもなんとなく見てしまう。

古典芸能への招待は、本当に時々目にするくらいなので、調べてみたら月末にしかやってないらしい。きのうは歌舞伎をやっていた。特に詳しいわけではないが、歌舞伎の音にわくわくする。鼓のリズムがたまらなくかっこいい。役者の、体の傾け方や、タイミングを見るにつけ、粋だなあと思う。

実際に見に行くに越したことはないが、チケットも安いものではないしそんな簡単には行けない。それがこうやってテレビで、しかもちょっと解説つき、かつ近くで見られるのはありがたいことだ。時間と余裕ができたら実際に見に行きたい。

日曜の夜にこうやって落ち着いて文化的なインプットを得られるのはここちよいことだと思った。ま、途中でこどもが泣いて中断されましたが。

Sunday 28 May 2017

時差ボケ続行中

はい時差ボケなおりませんー。

きのうは結局朝3時半からずっと眠らないまま、ようやく昼の3時から4時まで仮眠をとれた。それから夜になり、今度はこどもがまったく寝る様子を見せず、ベッドに寝かせてもまるで修学旅行の枕投げのようにバッタンバッタンとはしゃぎ暴れまくる。とても嬉しそうで楽しそうなんだけどおいおいもう11時だよと言い聞かせてようやく寝たのが11時過ぎ。それから三時半に一回起きただけなので、どうやらこどもは時差ボケから回復しつつある。問題はわたしで、まったく眠れない。4時にこども用のビスケット食べて外を眺めてます。朝の4時にこんなに明るいなんてねえ、無いよなあ。太陽に合わせて生活とはいうものの、明るくなるの早すぎでしょ。もしこれが仕事してたらもう少し時差ボケ回復も早かったのかもしれない。時間があるがゆえに普通のペースに戻せずにいる。つらい。このままいくとただの不規則な生活になっちゃうなあ。

Saturday 27 May 2017

みんなで時差ぼけ

あっという間に二週間が経ち、イタリア滞在は終了。日本に帰国しました。
毎度のことながら、時差ぼけがなかなかすっきり治らない。西→東の移動は、到着後の回復にかなりの時間を要する。そして時間の失い方がすごい。イタリアを出たのは火曜日。きょうはもう土曜日である。(いや、火曜から土曜にとんだわけではないです。)つまりへんな時間に寝たり起きたり食べたり、一応、日中の活動をしているものの、常時睡眠不足かつ体力ない、みたいな状況で数日を過ごすので、もはや日々が過ぎて行く感覚もなくなる。ふらふらしている間にもう土曜日?という感じなのです。

そして今回はこどもも一緒なので、回復がより大変なのは言うまでも無い。ここまで大変だとは思わなかった。夜中にどうしても眠れない。大人と同じである。昨日、というか今朝なんて3時半ごろ~ 3人で外に出る羽目になった。室内で泣き止まないので外の空気にあたらせてリフレッシュさせたわけです。それでようやく4時半ごろ~こどもは寝たのだが私は結局そこからずっと起きたまま。目の下のくまがすごいんだけど今寝てもぐっすり眠れそうにない。だって太陽昇ってるし!昨夜は9時ごろに寝たので一応6時間くらいの睡眠は取れている。まあ、何度も中断されてはいますが。

それにしても東京は明るくなるのが早い。4時ごろにはじゅうぶん明るい。九州とは一時間くらいの差があるし、ローマも、5時すぎにようやく明るくなる程度だった。東京はやっぱり朝早くから人々が働くようにできてるのかもしれない。

こどもの寝付けなさは、イタリアに着いたときよりももっとひどい。普段なら途中でないてもすっと眠れるところが、どうも眠れないらしく、ようやく寝たと思ってベッドに置いてもすぐに泣き出す。

やっぱり西→東は厳しい。朝出発して、翌日の朝到着するので、夜がないまま1日ワープするような感じなのだ。大人でもこんなにつらいのだから、あの小さな体にはもっとつらいはずだ。

一時間の時差をなおすのに1日必要だというから、まあ来週までかかる。やれやれ。

Monday 22 May 2017

イタリアのオムツ事情

イタリアも日本に負けず?少子化だとは言うが確かにあまり赤ちゃんは見かけない。

そのせいなのかはわからないけどオムツが高い。パンパースだと20個で千円近くする。高すぎる。

ん?20個?と、オムツを買った経験のある人なら思うでしょう。だって日本で買うと80個とか90個とか入っているのだ。それが20個、4分の1くらい。スーパーでまるで生理用品みたいな売られ方をしている。確かに手軽に買いやすいかもしれないけど、これではあっというまになくなってしまう。

というわけでパンパースに手を出す余裕がなく、それ以外のやつを買った。体重ごとにサイズと個数が違うのは同じだが、なんと「男児用」「女児用」にわかれている。面白かったのでそれを買ってみることにした。どうやらディズニーとコラボしているらしい。ま、どうでもいいけど。

ところでオムツの柄って一体誰に向けたものだろう、っていう投稿を知人のフェイスブックで先日読んだ。柄を誰よりも目にするのはオムツをつけている赤ちゃん本人ではない。オムツを替える人なのだ、と。ディズニーとかしまじろうで喜びはしない。まあ目印にはなるかもしれんけど。

話を戻そう。

17個入りで4€。

割引されてこの値段。うーむ。やっぱりたかい。17個なんて2、3日で使い切ってしまう。やってられんよなあ。17ですよ?17。

そして質はというと、日本の方が良い。

…当然ですよねー。容易に想像できることではあったけど。なんかゴワゴワして硬いし。それに、目盛り?がない。見たことある人ならわかると思うけど、おなかのほうに1.2.3という数字があって、テープをとめるときの目安になる。それが、このオムツにはないんですよね。でも、ないなら無いで慣れてしまうもので、特に困ってはいない。

ところでこんなに高価なのはなぜだろうと少子化以外の理由を考えたが、おそらくオムツを替える頻度がものすごく低いのかもしれない、と思った。これは本当に想像に過ぎないが。しかも、人によって差があるのでイタリアがこうで日本がこう、みたいな一般化は当然できないけど。

イタリアでオムツを買う可能性のある日本在住の人へ。もし荷物のスペースに余裕もあるなら日本から使い慣れたものを持って行くと良いです。どうせ使い切ると考えると大した荷物にはならない。でも、余るほど持って行くこともない。イタリアのも使えないことはないし、高いという点だけ我慢すれば普通にその辺で買える。ローマ以外の都市はわからないけど、日本にある、たくさん入って千円くらいっていうのは一度も見かけなかった。

以上、必と興味のない人には結構どうでもいいけどそうじゃない人には結構面白い情報でした。

Friday 19 May 2017

イタリア式離乳食(朝食)について追加

薬局に行ったらこんなのを見つけた。
普段食べさせているビスケットとおなじメーカーだがちょっと違う。
Biberonと書いてある。
ビベロンというのは哺乳瓶のこと。
哺乳瓶で溶かして与える専用のビスケット、ということ。
哺乳瓶に入れて飲ませればスプーンで与える手間がなくなるから自分の時間ができるでしょと言われたときは、なるほど、きっとこの人たちはそうしてきたんだな、と思っていたのだがどうやらミルクに溶かして哺乳瓶でビスケットを与えるのは一般的なやり方らしい。というのもこのメーカー以外のものも、哺乳瓶の絵と一緒になったビスケットを見たから。なるほどねえ。



Thursday 18 May 2017

イタリア式離乳食(朝以外)について

朝の離乳食については昨日書いたのでそれ以外について。

瓶詰めの離乳食で適当に済ますのかなー(イタリア人面倒がりそうだし)と思っていたら、結構手間をかけて離乳食を作っていることが分かった。

まあ、一例しか知らないけど。

作り方。

にんじん、ズッキーニ、じゃがいも、なんらかの葉野菜を適当に切ってゆでる。
茹で上がったら、passinoと言われる器具を使ってすりつぶす。
ここでブレンダーを使うと楽なのに!と思うが、「空気を含んでしまうからブレンダーはダメ」らしい。
なぜ空気を含むとダメなのか?
おなかに空気がたまるから、と。


うーん。

…そうかな?


このクラシックな器具を好んで使うあたり、イタリアらしい。

オートマ車よりマニュアル車、電子レンジよりオーブン、調理用の火はいちいちマッチやライターでつける…と、挙げ始めたらキリがない。あ、あと、ファストフードよりスローフード。
スタイルにこだわりを持つが故の効率の悪さ。
たまには効率を優先させても良いのでは、と思うのだが。
嗚呼、愛すべきイタリア、イタリア人たち。

話を戻そう。

こうしてできあがったスープ状の野菜はbrodo vegetale(ブロド・ヴェジェターレ)と呼ばれる。これで出来上がりかというとそうはいかない。

パスタ投入である。
期待を裏切らずに、パスタ。

イタリアだから!

どういうパスタかというと、pastina(パスティーナ)という、極小の、赤ちゃん用のパスタがあるのだ。これは驚きである。いやもうさすがとしか言いようがない。さすがイタリア。

離乳食として何種類かのパスタがスーパーには必ず売られている。4か月から、とか6か月から、と表記してある。

大人が食べるものとは成分も少し違うらしい。

極小と言ってもどれくらい小さいかというと、米粒より小さく、塩粒より大きいくらい。一見、粉だ。クスクスとかキヌアによく似ている。

これをさきほどのブロド・ヴェジェターレに入れる。スプーン三、四杯くらい。それから2分間茹でるとできあがり。

できあがったらオリーブオイルとパルミジャーノをかける。
やっぱり期待を裏切らない。

牛乳やヨーグルトは1歳になるまであげてはいけないと言いながら、パルミジャーノは「美味しいからok」らしい。

嗚呼、イタリア!

ただしオリーブオイルもパルミジャーノも大人と同じ、質の良いものを使う。

それで、このパスタが気に入ったらしく、こどもはすごい勢いで食べる。大人と同じくらいの量を、一皿ぶんペロリとたいらげる。何の味付けもしないが、素材そのままの味が美味しいのだろう。食べすぎではないのかと心配したが、イタリア人曰く、ただの野菜なんだし、大丈夫、らしい。

大人が食べるものも実はちょっと似ていて、素材そのままの味にオリーブオイルとパルミジャーノと塩、みたいな食べかたをする。

なるほどこうやってイタリア人はイタリア人になっていくのである。
イタリア人をイタリア人たらしめる要素がこうやって細胞に刻まれていく。

イタリア式離乳食(朝食)について

前回は離乳について書いた。

実際の離乳食について書くことにする。

何度か書いたことあるかもしれないが、イタリアでは朝ごはんがとにかく軽い。クロワッサンとかジャムやクリームの入ったパンとか、ビスケットとか、そういう甘いものにカフェ一杯、そのくらいだ。

あるとしても卵くらいだが、それも珍しい。野菜や魚なんて、まずありえないので、和風の朝食について教えてあげるとびっくりされる。何度説明してもびっくりされる。冗談としか思われてないのかもしれない。

で、そんなに軽い朝食をとる人たちの文化圏では、離乳食は一体どうなっているんだろうというのは前からの疑問だった。

で、わかったこと。

ビスケットをあたためた豆乳に浸して食べさせる。豆乳じゃなくて牛乳の場合もあるのかもしれないが、とにかくビスケットが一般的らしい。スーパーには、大人が食べるための朝食用のビスケットがずらりと並ぶが、赤ちゃん用のやつが必ずあります。

今与えているのはplasmonというメーカーのビスケット。まあまあ甘いんだけど、6か月から、と書いてあるので、与えて弊害はないらしい。

朝食のバランスを重視する日本人の文化からすると、そんなのありえんだろう、と思うかもしれない。なんてったってだしをとった味噌汁を朝からいただくのだから。きちんと離乳食を作っている女性やかつてそうした人たち、あるいは離乳食の指導をする人たちからすると「ダメダメ、そんなのダメよ」だろう。

だけど、イタリア人がちゃんと育ってないかというとそうじゃないですよね。朝食にビスケットを食べてた人たちも立派に成長しているし国民規模でなにか劣っているかというとそんなことは決してない。

ところかわれば、ということで、こだわりなどは捨てて、異なる方法をいったん受け入れてみる。寛容さは大事。

ふーん、これでいいのか、となかば唖然としながらもここではこのやり方に従っています。

Wednesday 17 May 2017

離乳が早い

離乳食をはじめイタリアと日本で少なからず差があるだろうと覚悟してここに来た。で、やっぱり想像通り、驚きの連続だ。一気に書くと大変なので覚えていること、気づいたことから少しずつ書くことにする。

離乳について。

どうやら想像以上にここでは離乳が早い。
「まだ母乳をあげているの?」と聞かれてはいそうですと答えると別に否定はされないし、「母乳がまだ出るんだね」「恵まれているね」「いいね」と言われる。皮肉ではなく。

先日会った人に、イタリアでの離乳事情を聞いてみたところ、6か月くらいまでで終わりだと言っていて驚いた。早いとは思っていたものの。理由を聞いたところ、母乳というのはいわゆる「赤ちゃん」が飲むもので、8か月ぐらいにしっかりしてくると飲む「イメージ」ではなくなってくる、と。だから、歩き始めてからも母乳をあげるなんてまずありえないらしい。0歳といえど、はやく自立したひとりの人間にさせる、という考え方。なるほど、イメージって結構重要なのかもしれない。

そして、母乳が出なくなるから、というのも人によっては理由の一つだと。

そういえば日本みたいに「母乳?」って聞かれることがない。母乳かミルクか、という以前に、この時点では母乳とかミルクを与えていることが前提になっていない。

日本では、離乳食がはじまったころはたいてい、食べさせたあとは母乳でシメる、みたいな指導がある。だからいつまで母乳をあげつづけるのかわからなかった。そして食事を与えるときも少し遠慮しながら与えていた。

ここでは自然と、食事の量が増える。最初、言われた通りに与え始めたのだがその量に驚いた。大人が食べるくらいの、立派な一皿を食べるのだ。与えすぎだろうと思ったのだが、実際、こどもは食べているし食べたがっている。そうすると自然と授乳量は減る。デザートまでたべると、もはや母乳でシメ、なんて必要はなくなってくる。

それでも母乳をあげてはいるが、この1週間で、ああ、こうやって離乳が進むのか、というのがわかってきた。


人から何か言われたり指図されたりすると面倒だしうるさいと感じるのは確かだが、なにかひとつ突破できる場合があるので、言うことを聞いてみる価値はある。郷に入っては…である。自分のこだわりもありはするものの寛容でいることは大事。

どちらが正解というにはないので、間をとりながら様子を見て育てていく。

Sunday 14 May 2017

コミュニケーション不足

2年ぶりのイタリア訪問だが、いったい何度目の訪問なのかというともはや数えるのを諦めるくらいだ。ローマだけならもう10回を超えているのではないか。初めて来たのが2005年だったということは確か。降り立ってからの緊張も珍しさも特になくなっていることに気づいた。

それでもあらためて思うこと、気づくことはたくさんある。特に今回はこどもを連れているので衝撃を受けることもしばしばある。それでも、When in Rome..ということで、I actually do as the Romans do. 郷に入っては郷に従え、である。

それにしてもイタリア人はよくしゃべる。この「しゃべる」というのは、単におしゃべりというのとは違うので勘違いしないでほしい。(いや、たしかにおしゃべりだけど)

わたしが思うのは、私たち日本人とは圧倒的にコミュニケーションの量と方法が違うということだ。思ったことをまったく内に溜めることなく、ひたすら外に出す。それを誰に喋るかといえば、家族、恋人、友人などに限らない。とにかく隣にいる人やレジの人、受付の人など、あった人が普通に会話をする。しかも、当然ながら相手の目を見て。


と… せっかく書いた文章がここまでしか保存されていませんでした。この倍くらい書いてたのに。なんてこったい。やっぱりその時じゃないと書く気にはならないんだよなあ。がっくり。


Friday 12 May 2017

おじいちゃんが死んだ

こどもは元気なのだがやはり時差ぼけと環境の変化による影響は出てきているように思う。眠い時にどうしても寝付けない。日本にいてもそういうことはあるのだが、ここにきてから、今日は特にきつそうに見える。疲れているだけならコトンと眠れるだろうが、そうはいかない。神経が逆立っているのだろう。機嫌のいい時との差が激しい。見慣れない場所なのでずっとキョロキョロしている。落ち着かないのかもしれない。

というわけできょうはあまり移動をせずに過ごしている。

祖父が亡くなったという連絡を受けた。きょうの午前だ。日本を出る前から、かなりあぶない状態であるということは聞いていた。イタリア行きを取りやめるべきだろうかとも思った。空港で、電話をつないでもらって、ようやく声が聞けたのが最後だった。かすれ声だったが、しっかり意識はあるようだった。いっしょに住んでいたわけではないが、やっぱり悲しいし寂しい。常に気持ちが若く、新しいことに興味を持つ、とても優しくて素敵な祖父だった。

いっしょに住んでいた父方の祖父母はわたしが中高生の頃に亡くなったが、その時と違うのは、親を亡くすってどんな気持ちだろうなと考えるということである。中高生の頃は、親を亡くした父の気持ちは想像もできなかったし、むしろ自分から見ての祖父母という存在を失ったという事実が大きかった。しかし今回は親を亡くした母は一体どんな気持ちだろうかと考える。今、自分も親になったからだろうし、自分の両親もだいぶ年老いて実際に死に近づいているのがわかるからだろう。そもそも20数年前は自分も親に守られた存在であったし、その親が死ぬなんてことはまったく現実味を持たなかった。

ともあれ。覚悟はできてはいたもののおじいちゃんが死んだということがどうしてもまだ人ごとのような気がする。こんなに遠くにいるからかもしれないし、最後の姿を見なかったからかもしれない。

しかし現実は現実なのだ。受け入れなければいけない。まるでエネルギーのかたまりのような、ピンピンした8か月のこどもを見て、90数年前はおじいちゃんもこんなだったんだよなと数日前考えていた。人の一生とは面白いものだ。こうやって、たんたんと時間は流れていく。戦争が起きようが、地震が来ようが、陽は暮れて、朝が来て、誰かが死んで、誰かが生まれる。その流れの中にふと自分は入り込んで、生を受けている。その生もいつかは終わるし、流れに抗うことはできない。おじいちゃんの命も、母の命も、わたしの命も、子どもの命も、そうなるべくしてなっている。

おじいちゃんのこといろいろ思い出す。おじいちゃんみんなのことをいつも気遣ってくれてありがとう。ゆっくり休んでください。

Thursday 11 May 2017

ローマに着いた

思い出したくもないくらいにつらい12時間のフライトを経てついに我々はローマに降り立った。こどもは元気だ。時差ボケや慣れない環境のせいで頻繁に寝たり起きたりする。だいぶ疲れているはずだ。それでも初めて会う人たちにも笑顔を返し、リラックスできているときはたくさんしゃべる。これだけ環境が違っても、泣きわめいたりすることはなく、ひたすらキョロキョロしている。人見知りたる人見知りがいっこうに無いが、それで助かっているのは事実。

まったく異なる二つの文化を、ゼロの状態から経験するのって一体どんな感じだろうなと思う。我々大人は「飛行機に乗ってイタリアに行く」とか、「この人がしゃべっているのはイタリア語」とか、もちろんわかるわけで、意識できるが、ベースがまだ出来上がっていないこのこどもにとって異文化も外国語も何も無いわけだ。すべてを、やわらかーく吸収している。たぶん。まるでスポンジが水を吸うみたいに。どんな感じなの?と聞いてみたいくらいだが、その瞳が語ることを想像するしかない。

初対面の人を見て泣かないのはおそらく、生まれて8か月の間、毎日よく外に出ていろんな人に会わせているからかなとも思うがきっと本人が生まれながらにして持っている個性によるものも大きいかもしれない。あるいはその時期がまだ訪れてないだけか。こればかりはわからない。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...