Wednesday 31 December 2014

インフルエンザ

29日に38度の熱が出た。
26日から29日まで泊まりがけの仕事で新潟へ行っていた。
そこでインフルエンザにかかった人々に接触することが多かったのだが、その間に感染したに違いない。
30日朝には熱が下がった。29日昼からひたすら寝たおかげだと思う。
食欲は無くならなかった。

30日午前中だけ開いているという病院がいくつかあったので、以前行って先生の印象がとても良かった病院に行ってみた。
「もう熱が36度まで下がってるから検査はしなくてもいいんだけどねえ…」と言いながら先生自ら検査をしてくれた。

インフルエンザA型。

すっかり元気なのだが、人との接触は避けるように言われたのでその日の予定はキャンセルした。
その医師曰く「ヨーロッパなんかでは、インフルエンザっていうのは、とにかくよく寝て休めって言われるだけだからね。日本みたいに薬あげたりなんかしないんだよね。」
確かに。

10日ぐらい前にも一度熱を出していたので、そもそも弱ってはいたし、睡眠不足と栄養不足も重なっていた。
そもそも熱が出ることはあまり無いのだが、熱の出た経験を思い出してみると、すべて年末である。
その年に背負った全ての疲れを解消できていない場合こうなるのだろう。どんなに頑張ろうとしたって身体には限界があり、いつかは滅びるのだ。

Saturday 20 December 2014

デロンギの電気ケトル

身体がぞくぞくする。
節々が痛い気がする。
風邪をひいたようだ。

昨日はなんと10時まで仕事だった。(夜です、夜。)
途中で帰れなかったのかというと、帰ろうと思えば帰れた。
ただ、これを済まさないと職場全体が月曜を迎えられないという大規模かつ重要な作業だったため、同じ部屋に午後2時から同僚8,9名とこもった。
10時まで。
部屋が乾燥していたせいかどんどん喉が痛くなってきた。
マスクをして帰った。

同僚の8割は男性である。
同じ体力で着いていくのは到底無理だとは思うが、つべこべ言わずに働いている。
こういう場面に限って「女」を出す人もいるが、同じ女として、見ていて気持ち良くはない。

今朝は、喉もどうってことないと思ったので、雨の降る中、お昼を食べに外へ出かけた。
クリスマス前の土日だから人が多いのは覚悟していたが、新宿は「パねぇ」混みようだった。
最近は出かける前に、やることリストを作っていくようにしている。
無駄なことをしないようにという目的もあるが、ただ単純に、何をすべきだったか忘れてしまう場合が多いからだ。

きょうの大きな収穫はこれ:

それこそ、無くても暮らせるのだが、あると便利な電気ケトル。イギリスにいたときに、各キッチンに必ずあった。
tea drinkerにとっては必需品である。

うちには、上京したときから愛用している小さなやかんがある。
毎朝それを使ってお湯を沸かしている。
特にそれで問題は無かったのだが、ついに取っ手の部分が片方外れてしまった。
熱で溶けたのだろうか。
いずれにせよ、使えなくは無いのでまだ使っている。

が、この寒さでは1回に沸かすお湯の量では足りない場合が出てきた。
もういっそのこと買ってはどうだろうかと思って、思い切ったわけだ。
本当は赤いのが欲しかった。
好きな種類の赤だったというのもある。
しかしながら赤は1リットル用のみだった。
あまりにも大きすぎるのでこれにした。
うちの場合はこの色が合うだろうと思った。
(オレンジにしようかとも思ったが、なんだか飛びぬけている感じがした。)
持って帰って置いてみたら周りと調和した。

ちなみにティファールにしようかとも思った。
値段もデロンギの半分ぐらいで済む。
ただ、機能があまり変わらない場合、重視するのは何か。

もちろん「デザイン」である。
毎日使うものともなればなおさらだ。

早速お湯を沸かしてカモミール茶を飲んでいる。
冬を乗り切るためにはお金と手間が要るが、快適さを求め、手に入れるのは同時に楽しくもある。

Wednesday 17 December 2014

プラネタリウム

何かしら書かなければ。
時間があるのなら。
書かなくても生きてゆけるし、ものを書かないからといって何も考えていないわけではない。
けれど、書く作業は頭の中を整理してくれるし、より考えるようになる。
いや、自分の心の中を俯瞰するようになる。
今何を考えているのか。
ほかの部分を取り去ってそれだけを自分に問う。

で、今考えているのは宇宙のことです。

昨日プラネタリウムに行って来た。
2年ぶり。
天体のことがちっとも分かっていない私でも、楽しめる。
地球から離れて、銀河を飛び出して、ずーっと遠くまで行くのが面白かった。
そんなことが絶対できる訳は無いし、人類が存在する間にだってそれは多分不可能らしいから、結局、仮想空間を見たことになる。

星座の並びというものは地球から見た場合のみ成り立つ。
あれらの星たちは2次元ではないのだ。
だから地球を飛び出したら、全然違う形になる。
ということに昨日気づいた。

それと、昨日学んだこともう1つ。
北極星というのは動かないわけではない、らしい。
つまりいつも自転軸にあるわけではない。
5000年前は、別の星が今の北極星の位置にあったという。
それを「歳差運動」という。

毎日、絶対、何か学ぶことがある。

話のスケールが大きすぎるのだが、実際自分たちがその中にいるんだから、やっぱり面白いと思わずにはいられない。

昨年のラジオ英会話6月号が1冊まるごと宇宙の話題だったことがあった。
それを思い出してテキストを引っ張りだしてぱらぱらと眺めた。

何千年も前の人間が、星を線で結んだものに名前をつけた。
大航海時代、船乗りの手がかりは星と月と太陽の動きだった。
清少納言は「星は、すばる」と書いた。

人類はは星を眺めてきたのだなあ、としみじみする。
イルミネーションなんてものに浮かれてないで、夜空を守らないと、人類に未来は無い。
ほんとうの意味での未来。

Tuesday 16 December 2014

ココナッツオイル

私はセレブにあこがれるタイプなどではない。
たとえばどこかのモデルがテレビで話題にしていたからと言ってやたらグリーンスムージーを飲むようなタイプではない。
モデルはスムージー飲まなくったって細くてきれいで、ブスはスムージーどんだけ飲んだって変わらないと思う。

しかしながら。


ココナッツオイルが家にある。
こういうやつ。
毎日使っている。
というか口にしている。

どこかのモデルを真似したわけではない。
うちにこの瓶がたどり着いた経緯について書く。

話題になっているなあとは思っていたが自分で買おうとはしていなかった。
そんなときに、知人がくれた。
しかも使いかけ。

こんなんもらってもなあ、と思いながら棚に納めた。
オイルというくらいだから液体なのかと思いきや、全然違う。
白い塊である。
何に使おう、と思いながらしばらく時がたった。

あるとき、ラベルに書いてあるとおりにトーストに塗ってみることにした。
冷凍のパンの上に、塊のままのせて、焼いた。
はちみつをぬってみたら、ココナッツの味はほとんど感じられなかった。
次に、焼いたあとにシナモンシュガーをふりかけてみた。

…これは美味しい!

そんな調子で毎日使っていたらどんどん減ってきた。
なくなったらネットで買おうかなと思っていたときに、今日ちょうどお店で同じものを見かけた。
1600円。
まあこんなもんだろうと思って買った。

バターがまったく手に入らない今となってはたいへんありがたい存在である。
(と言ってもバターをトーストに塗ることなんてまず無いのだが。)

夏になったらこれ溶けちゃうんだろうなあ。
まあ、今から夏の心配をしても仕方ないか。

Friday 12 December 2014

「サニー」を見て

テレビをつけたら韓国映画の『サニー 永遠の仲間たち』をやっていた。
一度見たことあったけど、しっかりもう一度見た。
別に女子校出身じゃないんだけど、なんかこう、いわゆる「ベタ」なことを、これだけしっかりドラマとして見せられると、感情移入せざるを得ない。
ベタだと分かっているのに、だ。
涙が出そうになる。
冬ソナ見たときにも思った。
日本のドラマだとそういうことはあまり無い。
なんだろうなこのパワーは。
映画論が語れるほど詳しくもないし、そうするには見ている映画の数が断然少ないのだが、私みたいに思う人はほかにもいるだろう。
確か内田樹がそういうこと書いていたような気もする。
言葉でうまく説明がつかない。
年齢も関係あるだろうか?

ところで、驚いたことが一つある。

*以下ネタバレ*

エンディングが、私が思っていたものと違った。
数年前に見たときはあの、最後の友達の姿は見えないままで終わった、と私は記憶していた。
だけど今日見たら最後に顔も出て来て、本人が葬儀場に現れた。
あれー?こんなんだったっけ?
たぶん記憶を勝手につくりかえていたのだろう。
この数年で最後が変わるわけはないので。

さて、そろそろ眠くなって来た。

Thursday 11 December 2014

ハンバーガー休暇

今日は休みを取った。
10時過ぎまで寝ていたようで、びっくりした。
普段も7時間は寝ているはずなのだが、それでも不足しているんだろうなと思った。
つまり、疲れを取るにはもっと休息が必要なのだ。
「身体には終わりがある」。限界がある。いつか滅びる。

紅茶を飲んだ。
ヨークシャー・ティーがもう少しで終わろうとしている。
日本で見つけられなかったのでPGを飲み続けていたのだが、今年の夏カナダに行ったときに一箱買ったのでそれを毎朝飲んでいた。
何としてでも、やはり、この紅茶を飲みたい。

午前中、1、2時間ぐらい仕事をした。
職場のPCをMacBook Airの11インチにしてもらって以来、意地でも職場で仕事をしなくても良くなった。
というのは、軽いので家に持って帰れるからだ。

お昼はクレヨンハウスに行こうかと思っていたのだが、ランチ終了に間に合いそうになかった。こんなに早く起きた朝は、2時頃にならないとお腹がすかない。

新宿のそば屋に行ったあとで博物館へ行こうと考えた瞬間、あることを思い出した。

「そうだ、今日は整骨院に行こうと誓っていたのだ」

…!!

昨日まで考えていたことをこんなに簡単に忘れてしまうとは。
今までにこんなことはあまり起こらなかった。自分に驚く。

小雨が降った今日は、あんまり寒くない。
代々木上原へ。
駅構内のそば屋に行こうかと考えたが、ふと、West Park Cafeのことを思い出した。
数日前の夜中、10時すぎに、相方が買って来てくれた。
たいそうおいしかった。
相方はよくここのテイクアウトを利用している。

私も雑誌や本で聞いたことある店だったので、行ってみることにした。
と言っても一度も行ったことが無いし、場所は「だいたい」しか知らない。
適当に駅の近くを動き回ること10分。

見つけた。

中には客が誰もおらず、「お好きなところにどうぞ」と席をすすめられた。
アボカドバーガーのセットにした。
1500円。
テイクアウトでも食べたことはあったが、できたては、やはり2割増で美味しかった。
肉汁が、文字通り、したたる。
この牛肉のかたまりだけでおそらく1000円はあるのではないか。
こういうときにジューシーな写真を撮るのがお決まりなのだろうが、食べ物の写真を撮りまくる「よくある」日本人の図があまり好きではない。
というよりも、カメラらしきものを何ひとつ所持していなかったため、何も撮らなかった。撮れなかった。

そして今、その食べ物について、こうやってブログを書くとなると、やはり写真を撮っておけばよかったと後悔せずにはいられないのである。
(↓写真は、お店のwebsiteから拝借しました。)
テイクアウトと違うのは、ドリンクとスープかサラダが付くところ。
ランチメニューということだろう。
寒かったのでスープにしたが、これまた美味しかった。
適当な(よくある)コンソメスープが出てくるのかと思っていたのだが、全然違った。
具だくさんのクリームスープだった。

ほかに誰も客がおらず、待ち時間ももちろん無く、居心地の良いカフェだった。
また行こうと思った。

私は食べ物屋さんに対してオシャレ感よりも美味しさを求める。
純粋な美味しさ。
West Park Cafeのハンバーガーは満足度が高い。

結局ハンバーガーの美味しさとは何だろうか。
結局のところ、肉によると思う。
パンだけだったらARMSのほうが美味しいと思うのだが、どちらが好きかと言われたらWest Park Cafeを選ぶ。

本当においしいハンバーガーを食べると、ファストフード店のハンバーガーは食べられなくなってしまう。
値段は何倍もするわけだが、それでもその価値はあるのだ。

それから整骨院に行った。
この整骨院は初診である。
整体コースでやってもらったのだが、このおにいちゃん本当に大丈夫かいなという疑念が最後まで離れなかった。
髪、刈り上げているあたりが怪しい。
伊勢谷友介しか似合わないということを、人類はいつになったら学ぶのだろうか。

で、以前通っていたところのほうがうまいと思った。
技術的に、やっぱり違う。

家に帰り、豆を煮て、キャンティ飲んで、今に至る。
良い休日だった。

Sunday 7 December 2014

Burt's Bees撤退

MacBook Airがギンギンに冷える季節となりました。
少しだけ忙しい日々が落ち着いてきたのでブログでも書こう。
結構どうでもいいようで大きな問題を1つ。

Burt's Bees日本撤退の話。
この顔に ピンと来たら なんとやら
みたいに怪しい顔のおじさんなのだが実際ピンと来る人は多いはず。
オーガニック製品が流行り始めたころに日本にやってきた。
2009年だったらしいけどもっと前だったような気がする。
中でも評判よかったのがハンドクリームやリップクリームだったと思う。
私は特にファンというわけでもないのだが、2年くらい前に買ったリップクリームは使い勝手が良かった。

tinted lip balm
つまりは、色付きリップバーム。
口紅というものは、塗ると「ハイ塗りましたー」みたいになる。
4歳ぐらいの子どもがお母さんの口紅使ってみた時のような。
そしてそれ以上に問題なのが、すぐに落ちるということ。
で、塗り重ねていくと唇の感覚?が不自然になる。
つまりたいして潤ってもいないところに化学製品だけをどんどん重ねるのだから結果的に口紅だけが浮いたようになる。

とは言いながらも口紅も使うのだが、より良いのはリップクリームと口紅の1人二役をこなしてくれるもの。

というわけでこのバーツビーズは優秀だった。
ほかの会社の色付きリップクリームも使ったことはあるのだが、あまり発色しなかったり、変にべたべたしていたりして長くは使わなかった。

毎日使うわけでも無かったので、なんだかんだで長い間所持していた。
最近使う頻度が増えたかなと思ったらついにこれ以上くり出せなくなった。
指でえぐって使うよりも新しいの買おうと思ってさっさと捨てた。

それから数週間、どこの店を探しても見当たらない。
Burt's Beesだけすっぽり取り除かれたかのように、どの店からも姿を消してしまっている。
ついに店員に聞いてみたところ、残念そうな顔で
「日本から撤退してしまったんです」
と言われた。

なんということだ。
それならカナダに行った時に買っておけば良かった…!!
アメリカのブランドなので、おそらく北米には簡単に手に入る。
ネットでも探したが、2本以上買わなければいけなかったり、ショップ会員登録しなければならなかったりと面倒だったので買うのをやめた。

これまで製品を買ったことはその1回きりだったにも関わらず、この国から撤退してしまったと聞くと妙に惜しく、残念きわまりなく思えてくる。
人間というものは勝手な生物だ。

それにしても、いつか復活してくれないかなあ。

Saturday 22 November 2014

『フランス人は10着しか服を持たない』

服の整理に関する部分だけ興味があった。
書店に行くたびに手に取って立ち読みしていたので、これはもういっそのこと買ってしまえと思って買った。

後半の部分は読み切ってはいないが、読んでしまったことにしよう。

フランスに語学留学したアメリカ人女性がそこで感じ学んだことをまとめたもの。
質の良い暮らし方について書かれてある。
おなじみのことばかりが書かれてある。
服の部分を除いては。

10着という数字はあまりにも印象的である。
しかし、文字通り10着しか持たないのではなくて、ジャケットやコート、下着などを除いた、しかもその季節のワードローブを10着にする、という考え方らしい。
それでも、10着にするのは無理だと思ったものの、読んでいる間に服の整理をしたくなってきた。
ポイントはこれだ:

・本当に気に入ったもの、似合っているものだけを着る。
・良い服は特別なときにとっておかない。普段から着る。

耳が痛い。
さっそく、ばっさばっさと要らない服、特に気に入っているわけではない服を引き出し、クローゼットから取り除いた。

これまでは古着屋に売りに出していたのだが、最近はユニクロのリサイクルに出すことにした。古着屋は、使えないものはきっとそのまま捨ててしまうだろうけど、ユニクロに出せば、服を必要とする人々のところへ届くことになっている。信じることにしている。

先週、第1弾を実施。目に見える範囲での要らない服を持って行った。
それで終わるはずだったのだが、昨日ちょうど佐藤可士和のオフィスの様子なんて見ちゃったもんだから(しかも今朝とても天気が良かったもんだから)ますます片付けたくなってしまった。

夏服の入っている箱?コンテナ?を引っ張りだし、全部出して、もう一回たたみ直した。
要らない服を取り除き、今日また第2弾としてリサイクルに持って行った。

だいぶ気持ちがいい。
代わりに(というのかどうか)先週と今週で新しいジャケットとカーディガンを調達した。質の良いものを。それでも余計なスペースをとっているわけではない。

そもそも片付けることは好きなほうである。
本の全体が参考になったわけではなかったが、あの1章分だけでも、本を買った価値と効果は大きかったと思う。

Tuesday 18 November 2014

NHKのラジオ講座について

聞くつもりは無くても基礎英語を聞いてしまう。
毎日。

というのも、ラジオ英会話を毎日聞いているから。
ラジオ英会話は朝6:45に始まるのだがそれに合わせて起きて身支度をしているとちょうど基礎英語2、それから3を聞くことになる。

そして夜、家に帰ってからラジオをつけると基礎英語の再放送にあたる場合が多い。

いろいろとツッコミどころは多いのだが、昔とは変わったなあと思う。
気づきをいくつか箇条書きにする。

・Can Do だらけだ。1も2も3も。毎日「今週のCan Do は…」と言っている。基礎1に至っては「できるよ♪できるよ♪きゃーんどぅー!!」みたいな歌まである。教えている側が意識しているのは分かるが、リスナーとしてはそんなに連発されてもどうしようもないのではと思うのではないだろうか。

・主人公も場面も、「アメリカ人inアメリカ」ではない。基礎英語3にはイギリス人とアメリカ人が出てくる。しかも冒頭に"Let's enjoy American English!" "And, British English, too!"と言う。毎日。

・さらにイタリア人が出てきたりもするのでもはや何がなんだか分からない。私はそもそもこんなに英語のうまい生粋のイタリア人には会ったことがない。ダイアログに"Ciao!"が出てくる。なんということだ。そしてその場面はときどきローマだったりするから、もうほんとに意味が分からない。

・きょうの、基礎英語3の最初の一言は"Hello friends, I like Tuesday better than Monday."だった。ダイアログの内容ではない。講師の挨拶だ。「こんにちはみなさん。私は月曜より火曜が好きよ」と。
なんという唐突さ。

・でも、中3の時点で使える単語は限られているので仕方ないのかもしれない。

・でもでも、出てくる単語は結構難しいものが多い。先日は X is antonym for Y とか X is synonym for Y とか言っていた。これは高校3年間に文科省の言うとおり勉強していたところで出てこない単語ではないだろうか、と思った。

・基礎英語2のテンションが高すぎる。困るくらいに高い。冒頭で "LET'S ROCK TOGETHER!!!" と言っていた。こりゃ参った。「ロックしようぜ」とは。最初も最後も、挨拶がとにかくうるさい。テンション高いだけなら分かるけど。学習者にとってはこれが良いのだろうか?基礎英語2に関しては、流れた瞬間に思わずラジオを消してしまう。

・だから私はラジオ英会話のシンプルさが好きだ。形式が同じなので安心感がある。

・とかなんとか、いろいろあるんだけど、ラジオ英会話に限らず、これらのラジオ講座を聴いていて毎日思うのだが、毎日何かしら知らない表現がある。必ず。ほんとうに勉強になるなあと思う。中1の時からお世話になっているけど、たぶんこれは死ぬまで続くだろうなと思う。

Tuesday 28 October 2014

師と呼ぶには

大学時代の先生に会った。
私が彼を「師」と呼ぶには、当時あまりに勉強しなさ過ぎたのだが、それでもやはり尊敬してやまない。
先生が尊敬に値するかどうかは、肩書きも権威も関係ないと思う。
その人柄に尽きるのである。


大学時代、周りの教授は変な人ばかりだった。
この世に存在する、多くの研究者たちがそうであるように。
こういう人と仕事をしたら困るだろうというような人。
社会には適応できないだろうなというような人。
会社にはまず雇ってもらえないだろうなという人。

いっぽう、私が選んだ先生は、常識的な大人だった。
まったく偉そうではなかった。
権威を振りかざしたり、怒ったりもしない。

偶然か必然か、先生の研究分野での職に就くことになった。
ろくにその当時勉強していなかった自分を悔いる日々だが、それでも、先生に教えを請いたいと思うのは、やはり先生の人柄にひかれてのことだろうと思う。

この人が死んだら泣くだろうな、と思う。
親に対してはそう感じたことがあるのだが、先生に対して感じるこの気持ちはなんだろう。

Monday 20 October 2014

TOEICの結果届く

仕事中にgmailからメール着信の合図があった。
「TOEIC 9月28日受験結果」

きたーーーー


そろそろだよなー、と心待ちにしていたのだが、ついに、来た。
ネットで申し込んだのでネットで結果を閲覧できるようになっている。
おそるおそる(というほど恐れてはいないが)ログインして確認した。

手ごたえがあったのでむしろ意気揚々としていたかもしれない。


結果を見た。


よっしゃー前回より上がった!
これでいつでも転職できる。
ってまあ転職するつもりは今のところ無いが、スコアを持っておくに越したことは無い。
ちなみにリスニング満点だった。

これってまた近いうちに受験したらまた上がるんだろうか。
前回より30点上がっただけなのだが、これがまた結構気分がいい。
受けている間は全然楽しくないけど、結果を待つ間の1ヶ月間は結構楽しかった。
そして結果を見ると嬉しい。

初めて900点を越えたときは、「900越えたらおなじこと」とさえ思っていたのだが、920と950ではやはりだいぶ差があるように感じられる。
今になるとはっきり分かる。
だから950と990の間には、たかが40点と言えどとてつもなく厚い壁があるというのが、ここまできてやっと、感覚として分かる。

うーむ。
990目指せるかもなあ、という気がしてきた。


日本人ははっきり言ってTOEIC病とも言っていいくらいみんな本当にTOEICを受ける。
中学校とか高校にまで導入されて「○○点取れば就職に有利」みたいな話を大学に入る前からしている様子を見るとやはり何かが間違っているとしか思えない。
はっきり言ってみんな受けすぎだろと私は思う。

だけどこうやって時々、点検みたいな感じで受けるのはアリかもなあと思う。
自己満足に過ぎないけど。

Monday 13 October 2014

フランス映画を見て思った

映画の感想を一つ。
『美しいひと』 (La Belle Personne)


DVDのジャケットがこんな感じなものだから、ホラーかサスペンスかエロか、と思っていてなかなか手が出なかった。
どこかでみた「おすすめ映画」の中にあったので、あ、別に普通の映画なのかなと思って手に取った。

しかも、昔のやつかと思ったらそうでもない。2008年だって。

で、感想は、というと。
いやはや。久しぶりに「フランス映画らしいフランス映画」を見た。
満足。

フランス映画というのは好き嫌いが分かれる。
「アメリ」は好かれる方。
一方、「嫌い」を生み出してしまうタイプの映画というのが、私は好きだ。

その特徴として;

・坦々と話が進む
・(爆発とか地球滅亡とか)大きな出来事が起こらない
・CG等は無く、いかにも製作費低そう
・主人公が悶々と(特に恋に)悩む
・街に霧か靄みたいなのがかかっている
・全体的に暗い感じ
・全体的に静か
・カフェで哲学的な会話
・つまり、ハリウッドの対極

例えば、アルノー・デプレシャンの「そして僕は恋をする」とか。

この「美しいひと」は、話は単純で、転校生の女の子にみんなが夢中になるが、先生まで好きになってしまう、という話。
この、先生のオーラがすごい。
タイトルの「美しいひと」というのは一体どっちのことをさすのか、とさえ思ってしまった。
元のタイトル確認したら、女性名詞だったので、これは女の子のほうをさすのだと分かったけど。
どこかで見た俳優だと思ったら、モニカ・ベルッチと共演していたことがあるルイ・ガレルだった。
もはや、「カッコいい」とか「イケメン」とかいう形容の仕方では追いつかないのだ。

話は変わるが、この人ほんとに髪の毛ぐしゃぐしゃなのだが、それがまたいい。
見ている間に、天然パーマに戻そうという決意を新たにした。
あと1年以上はかかるけど。

普通の、パリにある高校の様子を描いてあるのだが、まあ日本の高校からは想像すらできないほど生徒たちが大人びている。
よくドラマなどで見るアメリカのハイスクールとも違う。
飾り気が無く簡素な感じ。

それぞれにきちんと恋愛していて、干渉し合わない。
先生もきちんと恋愛している、というのがいいなと思った。
まあ、普通なんだろうけど、これ日本ではありえないんだよなあ。

(「フランスでは」という文脈で語るのは良くないかもしれないけど、)例えば先生やクラスメートに恋人がいてもそれはそれとして、生徒は個人のこととして認めている。
むしろ素敵な大人として尊敬に値する。
個人には個人の生活があり、ドラマがある。

日本では「○○と△△が付き合ってるんだって。ヒューヒュー♪」という流れが定番だが、これは高校生に限ったことではない。
大人になってもずっとそうだ。
芸能人が「お泊り」しただけでニュースになる。
(いつだったか丸刈りして謝罪したアイドルもいた。)

そういうのを見るたびに日本人の精神年齢の低さというか幼稚さを感じずにはいられない。
他人のことがどうしてそんなに気になるのか。

まあフランス映画見ていると、日本人のそういった様子を同じレベルで語ることさえ憚られる。
次元が違うのだ。
そもそも「視線で会話し合う」感じが、ここではまず無いし、感覚としてだいぶ理解されにくい。

カップルで手をつないで歩くことさえ憚られるこの国で、やっぱりこういう映画は生まれないし、たぶん理解されない。


また別の美しさを出していくしかないのだろう。


んー、日本のいいところをもう少し探そうとは思っているのだが、ついこういうことを書いてしまう。
やっぱり私自身、馴染んでいないとどこかで感じているからなのだろうけど。

Wednesday 8 October 2014

英語以外の外国語講座についてある朝思った

ラジオ英会話を毎朝聞いている。
小型のラジオをつけて朝の身支度をするのだがその間に基礎英語3とラジオ英会話を聞く。
基礎英語は、特に聞く気は無いしあまり好きでもない。
そもそもはしゃぎすぎである。
それに講師の発音が悪い。
まあ、この人、私が中3のときも講師やってたんだけど。
あと、設定が不自然すぎる。
アメリカ人とイギリス人とイタリア人が出てくる。
こんなネイティブ英語をしゃべるイタリア人なんてそもそも会ったことないんですけど。

基礎2なんてもっとひどい。
ギャーギャー言ってるだけでポイントが分からない。
それに比べラジオ英会話は自然で、面白い。

で、ここからが本題。
ラジオ英会話が終わると、ドイツ語講座が始まる。
今週からまた新しい講座になった。
聞こえてきたタイトルに鳥肌が立った。

入門編(月~水)
「きっと新しい私に出会える“大人な女”のひとり旅 Mihos Traumreise」
旅先での出会いを通して、新たな未来への扉を開く主人公美穂…。ホームパーティーにレストラン、雑貨屋さんなど、様々なシチュエーションで、すぐに使える初歩のドイツ語を身につけます。
(2012年4月~9月の再放送)

冗談だろう。
なんだこの限定的なタイトルは。
「大人な女の一人旅」なんていうタイトルをつけるとは、一体誰をターゲットにしているのか??
大人じゃない男でしかも1人旅をしない人は?
少なくとも、そういう人にとって「聞いてみようかな」と思える講座ではない。
限定的というかもはや排他的。
しかも2012年の再放送…。

以前から思っていたことだが、英語以外の言語については、ラジオもテレビもかなり手抜きである。
こうやって2,3年前の再放送をドカーンと持ってくることがとても多い。
それにリスナーが最初から少ないと思ってのことだろうけど、テキストなんて「これはページの無駄では」と思えるような適当なつくりの時がよくある。
講座の仕組み自体もあまり工夫されていないと思う。
和訳練習??みたいな時がときどきある。
テレビで、たとえば「イタリアのポップス紹介」にすごい時間が割かれていたりすると、ああほかにネタが無かったのだろうなと思う。
テレビは、ほんとにいろいろ気に入らない。
出てくるタレントのやる気の無さと適当さとチャラさが、んもー、本当に好きじゃない。
いかにも「ふつうの日本人」たちに迎合しているあたりが。
まあ、それはまた別の話か。

だからドイツ語講座でこういうタイトルつけたところであまり注目を浴びたりしないのだろう。
うーん。
こういうのすごく気になっちゃうんだけどね、わたし。
「大人な女」とか言う人は大人じゃないんですよ、そもそも。

で、あと、言いたいのは、英語以外の言語となると、「入門」レベルがあまりにも多すぎる。
ラジオとテレビの講座を見てるといつまで「トイレはどこですか」「奥に行って右です」を繰返すのだろう、とうんざりしてくる。
それ以上のことを話せるようになる人がいる、という前提がそもそも、無い。

テレビラジオに限った話ではない。
本屋に行って、イタリア語の本を買おうとすると、たいてい「入門」ばかりである。
中級以上が、ない。

中国語を話せる友達が以前同じようなことを言っていた。
中国語となると、最近では変わったのかもしれないが。

だから一定レベル以上となると、結局自分で映画見たり新聞読んだりしながら伸ばすしかないんだろうと思う。そもそも外国語学習ってそういうもので、逆に、英語に関して丁寧にレベル分けがされた色々なものが用意されすぎているだけかもしれないけど。

一気にここまで書いたら、仕事に行く時間になりました。
ではまた。

Tuesday 7 October 2014

眠れなかった

やはりいつもの台風であった。
友人の言い方だと「肩透かし台風」。
雨がやみ、11時ごろから急に空が明るくなってきた。
晴れきっていない間に洗濯機を回し始め、窓をあけて、掃除機をかけた。
仕事に行かなかったわけだが、だいぶ得した気分である。
これは出かけてしまえ、と思って、いつも行きたくても行けなかった皮膚科へ久しぶりに電話をかけた。
3時あいてます、というので予約をとる。
それから銀行にも行った。
平日休みは貴重なのだ。

ハモニカキッチンに行ったら、ランチのお客さんは私だけだった。
台風のせいかなと思ったら、なんとここの周りに「ランチバイキング千円」の店が3つくらいできていた。以前は無かったと思うのだが。
そちらには人がいたので、客をとられたのかもしれないなと思った。

今更書くことでもないけど、吉祥寺はうろうろするのにちょうどいいサイズである。
結果的に、新宿や渋谷で歩くよりも歩きつかれる気がする。

それでも夜は眠れなくて困った。
昨日は仕事が無いと分かってから9時ごろまで眠ったのだが、そのせいか夜全然眠れなかった。
普段は7時前に起きるのだ。
さらに、仕事をしない上に、プールにも行かないとなると、身体があまり疲れていない。
ぐっすり眠るためにはある程度の運動が必要なのである。
一体何時まで眠れなかったのか覚えていない。
眠れないたびに、やっぱり、こんなに辛いことは無いよなと思う。
ハーブティーを飲んでもストレッチをしても、解決されない。

で、今朝は睡眠不足状態で目覚めている。
爽やかな朝なのだが。
そうか、もう10月も7日なのか。

Monday 6 October 2014

東京に台風

台風なので仕事を休むことにした。
本来休みだったはずの土曜に出勤しなければならなかったので、その分の振替休日をきょうとることにした。
突然舞い込んだ平日休み。
だが、電車の動き方?がよくないのであまりウロウロはできない。

九州出身の私にすれば、これを台風と呼び学校が休みになるのは、あまい、と思う。
今、避難勧告の出ている地域は別だろうけど。
ただ、ここ東京都心のこの状況を「ピーク」と呼ぶのか?
風さえ吹いていないのに?
今のところこれはただの大雨である。

上京して10年以上が経つが、そもそも台風らしい台風を経験したのは1回か2回ぐらいである。
九州は、もっと、どっかーん、て、大きいのがくる。
小学生の記憶だから、勝手に脚色されている部分もあるかもしれない。

だけど、そもそも台風の来る直前の様子から違う。
生暖かい風がふく。
登下校中の女の子のスカートがふわーっとまいあがる。
空の色が、へんになる。
台風のにおいがする。

家に帰ると、保存食になりそうなチョコチップパンとか食パンが買って備えてある。
ラジオと、懐中電灯と、ろうそくが準備してある。

小学生でも、台風の接近を肌で感じる。
普段と様子が違うので私たちきょうだいはワクワクしていた。
不謹慎だと父親に怒鳴られた。

父親は、家の瓦に網をかぶせる。
祖父母が、縁側の窓に戸をつける。
シャッターじゃなくて、木製の戸で窓を保護する。
花や植木を家の玄関に入れる。

台風が来たら、絶対に家の外に出てはいけない。
もう、それは、絶対に。
家が壊れるんじゃないかというぐらいの風がふく。
だって、本当に色々なものが飛んでくるから。
停電もする。
小型ラジオが大活躍する。

翌日学校で台風どうだったかという話になると「瓦全部飛んだ」とか「工事中の家から便器が飛んできた」とか言ってるクラスメートがいる。

もう、一大イベントなのである。
だから、台風なのに外に出て写真とってるとか、外の様子を見に出ているとか、ニュースで聞くたびに家族と「どんだけバカなんだろうか」という話になる。
自然の力を、なめているよね、と。

東京で台風となると、交通機関を含めて周りはこれでもかというほどの大騒ぎになる。
しかし結果的に被害が出るのはその周りの地域だけで、東京都心が台風により大打撃を受けるということはまず無い。
そんなものだ。

雪国出身の人たちが、東京で大雪が降ったときに「備えが全然できていない」とか「歩き方が下手」とか言うのが、少し分かる気がする。

さて、この平日休みという恩恵にありがたくあずかることとしよう。

Sunday 5 October 2014

雨の休日

ハードな一週間だった。
週のど真ん中に公開研究会があり、翌日は会議が3時間半。
その翌日も週末の準備のために仕事終わったのが7時過ぎ。
そして昨日は休日出勤。
本来ならきょうも出勤なのだが、義務ではない。
義務ではない出勤とはどういうことなのか、私も聞きたいくらいなのだが、ボランティア精神にあふれる人は2日連続出勤する、と理解している。
私にとっては仕事より家族や1人でリラックスする時間のほうが大事なのでもともと今日、日曜は休むことにしていた。
そしたら、ほれみたことか、雨が降っている。
いかないことにしておいて本当に良かったと心の底から思っている。
それにしてもしっかり降る雨だ。
ここまで降ると気持ちよいくらいである。
こんな雨は久しぶりではないか。

朝方、寝ているときに雨の音を聞いて、なんだか嬉しくなった。
出かける予定などはまったくキャンセルしてしまって、おうちでDVD鑑賞の日である。
むしろ都合が良い。

ところで昨日、おとといの帰宅後の眠気はすごかった。
昨日の場合眠いというのはただ睡眠不足で眠いのではないと思った。
疲労から来るのである。
もう、これが、漬物石でものせられたかのようにずっしりと重いものが頭の後ろにある。
倒れるとそのまま眠ってしまう。
良くないなあ、これ、と思いながら、ソファに寝転がって、自分の両親についての話をし始めた。
子どもたちをコントロールしする親であったこと。
それはそれとして、今となっては1人の大人として事実を受け止めている。
だけど私たちきょうだいの成長にとって、あのやりかたが良かったかどうかはわからない。
私は自分が親になったときにああいう育て方をしようとは思わない。
私が外の世界に出られたのは、育ちとかしつけとか関係なく、私の中ある意志の強さがそうさせたからである。

ま、いずれにせよ。

今日は休みだ。

Sunday 28 September 2014

TOEICを受けて思ったこと

きょうはTOEICの日だった。

前回に「TOEICを受けることにした」という題でエントリして以降のことを告白しよう。
結局何も勉強しなかった。
問題集も買わなかったし、正直に言うと、たったの1問も解かなかった。
カナダにいる間に何かしらやるかもしれないと思ったのだが結局それどころではなかった。
日本に戻って来てからは、「もっと」それどころではなかった。
何年も前に買った問題集(しかもpart5と6だけ)を部屋の中の目につくところに置いておいた。
しかし開きさえしなかった。
時間が無かった。
そもそも、やって効果があるのか?とすこし思った。
つまり、時間の無駄かもしれないと。
問題をひたすら解くんだったらシャーロックを字幕無しで見たほうが断然楽しいしためになるような気がした。

で、本番。今日。
昨日撮りに行った証明写真を受験票にはりつけて、鉛筆を数本と消しゴムを2個もって出かけた。
身分証明証というので、保険証で良いだろうと思って持って行ったわけだが、あとからよくみたら写真付きの身分証明証に限定されていた。
それでも受け付けてもらえたのでよかった。助かった。

11時45分から受付開始ということで11時40分には会場に着くようにした。
隣のビルに○亀製麺があったのでだいぶ早いなと思いながらもそこで昼を食べることにした。終了時刻が3時なのにそれまで何も食べずにもつとは思えなかったから。
いくら飢餓状態のほうが頭が冴えるとは言ってもね。

会場の空調が効きすぎていて、氏名等を記入している間も寒くて仕方なかったのでそのことは係の、というかバイトのお兄ちゃんに言っておいた。
そしたら少し温度をあげてくれたらしい。
助かった。

1時試験開始。
リスニングほど緊張するものは無いな、と思った。
早く終わってくれ、と思った。自分のペースで解くこともできないし、これを1回聞き逃したら終わりなのだ。
たとえば「明日から仕事か」とか「これ終わったらなにしようかな」なんて考えた瞬間にその問題は終わり。
で、やっぱりそういうことを考えた。
だからたぶん3〜5問は落としたと思う。
ハッと気づくと放送が終了しているのだ。
こんなに神経をすり減らす作業は無いなと思う。

1:45。リスニング終了。
リーディング開始。
文法問題がすいすい解けた。
おかげでその後の問題に余裕ができた。
終了10分前に全て解き終わった。
こんなのは初めてだと思う。

そこで思ったのは、特に勉強していないように見えても、毎年英語の語彙力、というか総合的な英語力は伸びている、ということだ。
留学していたときのほうがしゃべれた、とか、18歳ごろのほうがいろんなことを覚えられた、とか思うことは思う。
それでも全体的に4技能のバランスは今のほうがとれている。
そして3年前よりも今のほうが、あきらかに語彙力が増えている。
さらには、すべてにおいて流暢さを増している気がする。

こういう仕事についているからだろう、とは思う。
もっと言うと、単純に「英語をバンバン使う」ビジネスマンよりも今のこの仕事のほうが「総合的な」力は付くような気がするのだ。

最後に受けたのはいつだっただろうと思って過去の記録を見てみた。
手元にあるのは、届いたofficial score certificateが2つ。

1つ目。
-2009/1/11
-Listening 465
-Reading  455
-Total 920

2つ目。
- 2011/6/26
-Listening 460
-Reading  460
-Total  920

2つとも同じ点数である。
セクションごとの得点を見るかぎり、ほんの1問を正解したかどうか、というのがいかにリアルに点数化されるかが分かる。
いつもこのcertificateを見るわけではないので、自分の持ち点はだいたい915から930の間だと思っていたのだが、930は盛り過ぎだったようだ。

最後に受けたのが3年前。

今日の手応えから言えば、過去最高得点を打ち出しているはずだ。
そうでなければここまで書いたことがとてつもなく格好悪いではないか。

試験終了後、ものすごい疲労感に教われた。
だいぶ緊張していたらしい。
プールに行くのはやめにした。

で、今またシャーロック見ながらタンドリーチキンを焼いて、明日の準備をはじめようとしている。

Saturday 27 September 2014

代々木公園厳重立ち入り禁止

渋谷、原宿、表参道に自転車を使って行くには、代々木公園を突っ切って行くのが一番早い。
しかしながら最近はデング熱騒ぎのせいで代々木公園が立ち入り禁止になっていると知っていたので、自転車で行くのは避けていた。まあ、あとは、排気ガス吸いたくないとか暑いとか色々な理由はあるのだが。

それでも今日は、寒くもなく暑くもなく、太陽も出ておらず、自転車以外の手段は無かろう、と思わせるような天気だったので自転車で行ってみることに決めた。

公園内に入らなくても公園沿いに進んで行くことにした。

デング熱で立ち入り禁止、とは言うものの、公園の一部くらいはさすがに立ち入りできるだろう、なんて思っていた。

ところがどっこい、どの入り口を見ても、張り紙と柵がある。
同じ張り紙が、1つの門に5枚以上は貼られている。
しかも門番みたいな人まで立っている。

ここまで厳重だったとは…!!

どうやらホームレスのおじさんたちまで追い出されているようだった。
東京の人たちにとっては、狭いながらも、かけがえのない憩いの場である。
土日に公園を奪われた市民は一体どこへ向かうのか。
ゴーストタウンとまでは言わないが、敷地はなんだか暗くて寂しい感じだった。

Sunday 14 September 2014

Somehow I miss England

カナダから帰ってからというもの、英語をしゃべる環境を欲している。
おととい久しぶりにイギリス人の同僚と会って話したらこれが非常に心地よかった。

英語をしゃべっているときのほうが自由を感じる。
ただし相手がネイティブに限る。
日本人を相手に話したり1人で話したりするのではない。
ネイティブを相手に、するする、と言葉が出て行く感覚が本当に気持ちいい。

そして最近BBCのドラマ「シャーロック」にはまっているのもあり、強烈にイングランドが恋しい。
寝てもさめてもシャーロックのことばかり考えている。
まさに"I AM SHERLOCKED" 状態だ。

イングランド行きたいわー、と思っていたら、ふと、あることに気づいた。
イングランドに初めて飛び立った日からちょうど10年である。
あれは2004年の9月13日か14日だった。
10年…。

片道の航空券でシンガポールを経由しマンチェスターへ行った。
すべてが動き出した日、だと思っている。

その1年後に日本に戻って以来、イングランドには行っていない。
だけど、
PGかYorkshire Teaを飲み、
Daily Mailを読み、
SherlockやThe Officeを見ている。

いつも心のどこかにイングランドがある。

Wednesday 3 September 2014

SAHALE

カナダにいるときのこと。
ちょうど道端ジェシカのブログを見たらこのスナックの写真があった。
わー、おいしそうだなあと思った。
翌日スーパーに行ったらふと目に飛び込んできたのは同じ図像だった。
特にこれを探しにスーパーに行ったわけでもない。

ためしに買ってみた。
確か、5ドル未満だったと思う。
それはそれは美味しかった。
カロリーは相当高いだろうというのが分かった。
内容量はそれほど多いわけではないのだが、明らかに一回で食べる量ではない。
しかしこれがやめられない止まらないの美味しさである。
甘いだけではない。
少し塩味もする。

メープルだし、カナダ産だろうか?と思って袋の後ろを見ると、アメリカだった。
こういう、濃い感じとカロリーの容赦なさは、日本ではなかなか見受けられない。
さすがはアメリカである。
アメリカ人はこれを1度で食べてしまうのだろう。たぶん。

同じものを日本でも買えるのだろうかと思って調べてみたら、900円くらいするらしい。
なんと2倍だ。
そこまでして買わなくてもいいかなと思う。

北米に行く機会があれば買おう。
または日本でも人気が出てもう少し手に入りやすくなるとありがたい。
そのためには道端さんにもっと宣伝してもらうのが一番だろうか。

Tuesday 2 September 2014

料理?した

少しだけどちゃんと料理をしたので写真をとっておいた。

①これは料理というかできる前の写真。
実家からもらってきた野菜を刻んだらイタリア国旗になっていた。
行きたいなあイタリア。
これを炒めて、麩を入れて、酢を使ってさらに炒めてみたのだが結局のところ何がしたいのか分からない系の料理になってしまった。


②これも料理というか刻んだだけ。
実家からもらってきたオクラを、たった1本のオクラをきざんでしょうゆをかけて食べた。
ちなみにこの器は5月に陶器市で買ったもの。


③昨日の夕飯。これは美味しかった!!
スーパーで、イキのいいしめじ100円を見つけたので買って炒めた。
大きめのツナと小さなピーマンをさらに炒めた。
ほうれん草のタリアテッレが家にあったのでそれをゆでて混ぜたら、これはおいしい!
ほかにも作ったことは作ったけど、写真があるのはこの3枚だけ~。

Back to School

夏休み―それが長かろうが長くなかろうが― が終わり9月に学校が再開する。
これは日本に限らず、世界の多くの国でそうだと思う。
英語圏ではよく "Back to School" というフレーズを目にする。
衣料品、文具に限らず食べ物まで"Back to School Special"などと名づけられているのをよく見る。
新学期になると日本のスーパーマーケットで「朝ごはん特集」を組むのに似ているかもしれない。
ただ、欧米では日本ほど夏休みが短くない場合が多いので、同じ「学校に戻る」のでも、感じ方が違うのかもしれない。

私も夏休みを終えて仕事に復帰している。
スタートして2日目を、元気に終えた。
調子は良い。そして楽しい。
やはり1ヶ月くらい物理的に職場から遠ざかるのは正解だと思われる。


ところで今日ラジオを聞いていて知った単語をメモ:

amazable
all brawn and no brain

「毎日絶対に一つは知らないことがある」とラジオ英会話について大学の先生が言っていたのだが、これって本当に本当だと思う。
だからきっと死ぬ瞬間まで偉そうな顔はできないんだろうと思う。
新しいことを得る機会はそのときまで失われない。

Monday 25 August 2014

帰国しました

昨夜、日本に着いた。
家に着いたのは日付が変わってからだった。
出発も真夜中だったが到着も真夜中だ。

今後のために記録をしておく:
シアトルからのフライトは10時間未満だった。
客がとても少なくて、乗っていたほぼ全員が隣の席を独り占めできた。
シアトル発時刻は8PM。
乗っている間に体内時計は就寝時間に入る。
それにしたがって、眠った。

飛行機に乗ってすぐに「グランド・ブタペスト・ホテル」を見たのだが、途中でつまらなくなった。
この監督の作品っていつもそう。
「絵的」に素敵で、雰囲気がいいので「おしゃれ」と騒がれる。
しかし内容がイマイチよく分からない。

そのあと「The Other Woman」を見た。
これはたぶん日本でも公開されていないのではないだろうか。
3人の女が、1人の男に復讐するという話。
トレイラーは前にも見たことがあった。
お決まりのキャメロン・ディアスで、びっくりするほどバカバカしい話なのだが、思ったよりも面白かった。
というかこういうくだらないのが見たい気分だったし。

そのあと、アイマスクとイヤプラグをして横になったら眠ったのだと思う。
ぐっすり寝たつもりも無いしずっと姿勢がとれずにもごもごしていたのだが、気がつくと残り時間があと2時間と少しになっていた。

最後にウディ・アレンの「ブルー・ジャスミン」を見た。
これは日本で公開されているのかな?
なかなかこれもいつものように、よかった。

そのあとバックギャモンをやって遊んでいたら日本についた。

着陸前に、あ、そういえば、と思って窓のシャッターを開けて下を見ると、ギランギランした東京の街が目に飛び込んできた。
夜に飛行機に乗るっていうのは、こういうところがいい。
まばゆかった。
圧巻だった。
帰ってきたのだと思った。

空港に到着したばかりという客は多かった。
国際線ターミナル大繁盛だなあと思った。
いずれ成田の出番が無くなる日が来るのかもしれない。

重い荷物を引きずりつつモノレールに乗り、1時間ぐらいで帰宅。
特に何も食べず、お風呂に入って、1時過ぎに寝た。
たぶん1時過ぎだったのだと思う。

そのままぐっすり寝て、朝7時前に目が覚めた。
それから今日は、普通に日本時間にあわせて動いている。
特に問題ない。

常に問題なのは西から東へ向かう場合であった。
だけど今回はカナダに着いたときも特に時差ぼけが無かった。

行きにも帰りにも共通していることと言えば、機内で寝たということだろう。
少しであれ、目を閉じて睡眠をとったからだ。
帰りの便なんて「ちょっと長い夜が来た」ぐらいに思っておけばなんとかなる。

でも今日はもう眠いです。
そろそろダウンだわ。

Sunday 24 August 2014

カナダ滞在終了

カナダを発つ。
あっという間に3週間が過ぎてしまった。
過ごしやすい気候で、朝晩は寒いくらいの毎日だった。
これから日本に戻ってその湿度と気温の変化に耐えられるのか不安である。
ここではいつも厚手のパーカーやカーディガンが手放せないのだが、日本に着いた途端にこれらは急に魅力的に見えなくなってくるのだろう。

これだけの期間いて気づいたことの一つをメモしておく。
英語を読む速度が上がった。
話すことと聞くことのレベルが上がるのはまあもちろんなのだが、「読み」も上がった気がする。

そもそも心理的な壁が無い。
つまり、苦だと思わない。
スイスイ言葉が入ってくる。
情報を得るために目を通す、という作業が早くなった。

やはり慣れなのだろうと思う。
イギリスにいるときもそうだった。
滞在後しばらくしてから、英文テキストを見るのが苦ではなくなったことに気づいたのを覚えている。

***********************************************

さっき書いてから数時間後。
今はシアトルの空港にいます。

東京行きの便が8時発なので、待ち時間が3、4時間ある。
気のせいか、周りの人たちがless friendlyになったような気がする。
あと、いろんなものが、でーん、と大きくなったような気がする。

この滞在で、カナダはアメリカと全然違う、ということが分かった。
以前聞いたジョークで「カナダ人とは洗練されたアメリカ人である」というものがあった。彼らは決してアメリカ人ではないが、本当に、うんと洗練されているし、とても常識的な人々である。
困っている人を助ける、欲張らない、譲り合うー
そういったことがカナダでは「普通」なのだ。

ありとあらゆるものがニュートラルで、"in between"という感じがした。
つまり、食べ物や人間のサイズも大きすぎない。
英語も世界中のいろんな人に対して聞き取りやすい。
どこをとっても極端なところがない。

「個性が無い」とも表現できる。
だが、「異」なものに対してとにかくオープンであり、人々が共存していくための妥協点を見つけた結果なのだと思う。
住んでいる人たちはそのようなことを意識さえしていないのだが。

ゴミのリサイクルや分別は推進されているし、健康志向の人々が多い。
資源も土地も、有り余るほどある。
だからだろうか、人間にあまり欲があるように見えない。
これを見ると、東京人がいかに殺気立っているかを思い知らされるのである。
東京という場所では、神経質にならざるを得ない。

カナダの人々が特別に何かを行っているわけではないと思う。
すべてが自然なのだ。
人と人とのつながりを大切にするだけで、人間はここまで“豊か”になれるのである。

Friday 22 August 2014

映画館が一つの身体になる

今日はカナダ滞在で最後になるであろう映画鑑賞をしてきた。
"CHEF"という映画。
アメリカで2014年の3月に公開されたらしい。
日本に来るのはおそらく来年だろうか?
とにかく日本での公開はひどく遅れるのは確かである。たいていの場合。

ここの、キャンパス内にある小さな映画館では今日から3日間だけ公開される。
今日が初日のためか、驚いたことに映画館は満員だった!!

いつもはこんなこと無いのに。
有名な役者が出るということもあるだろう。
単に、面白そうだ、というのもあるだろう。

7時ぎりぎりに入って、空いている席をさして「ここいいですか」と聞いたら、右脇のおじさんが"Sure"と言って、左側のおばあさんが"It's all yours."と言った。

こういうさりげない一言がとにかくあたたかい。
ますます帰りたくなくなる。

一番後ろの列に座ったのだが、見渡す限り、観客は中高年だった。
髪が白い。

こんなに超満員の状態で映画を見るのは初めてだった。
さらに周りの年齢層がこれだけ高いのも初めてだった。

みんな、とにかくよく笑う。
しかも同じタイミングで"Hahaha"と笑うので一斉に映画館がどよめく。
笑うだけではない。
切ないシーンを見ると"Awww"と言うし、気持ち悪いシーンを見ると"Ewww"と言う。
シェフの話なのでとにかくおいしそうな食べ物が次から次に出てくるのだが、皆が一斉にため息をついたり"Ohh"と言ったりする。
間投詞が飛びまくる。

日本でも映画を見たことはあるけど、ここまで観客が一斉に反応する中に身を置いたことは無い。

映画館が、一つの身体になったような感じがする。

映画館で映画を見ると面白い、という人はつまりこういうところに魅力を感じるのだろうと思った。
同時に、イギリスにいたときも映画館がこれに近い感じだったのを思い出した。

日本人はやはり静かだと思う。

映画自体はとにかく面白かった。
ここで見る最後の映画にふさわしいと思った。
サントラが良かった。
ラテン音楽をすごく久しぶりに聞いて、目がさめたような、血が沸くような感じがした。

Monday 18 August 2014

バンクーバー

ああお盆だなあそういえば、なんて思っている間に、カナダ滞在期間の3分の2が終わってしまった。早いのなんの。

週末はバンクーバーへ行ってきた。
ユースホステルに1泊して、学生時代と似たような行動をしてきた。
ホテルだと、1泊2万円くらいする所しか残っていなかったので、まあユースホステルでいいか、という感じ。

ゆっくりしながら行動したかったので、観光地と言えばアートギャラリーとUBCの博物館くらいしか行かなかったのだが、それでも十分満喫できた。

聞こえてくる言語が、英語に限らず様々で、本当にどこにいるか分からなくなる感じがした。国際都市と聞いてはいたが、本当にそうだと思った。

アジア系の顔をしていても、移民としてここに渡ってきたのが三代前の話であれば、もはや孫としてここに暮らす人たちのことを移民とは呼ばないだろう。

その辺の感覚が、日本に暮らしている限りあまり無い。
ということもやっぱり日本を出てみないと気づかないわけだ。

日本っていったいどこまで「均一」なんだろうか、と思ってしまう。

さ、眠い。
寝よう寝よう。

Thursday 14 August 2014

雨が降った

今日は朝から雨が降っていて、困った。
傘を持ってきていない。
どうしようと思ったけど一歩外に出たら、心配するほどの雨でもなかったのでパーカーのフードをかぶって歩いた。
それでも、ここにあと1週間くらいいるわけだしなあと思って傘を買うことにした。
傘を選んでいたら、カナダ人(と思われる)男性が、傘について色々話しかけてきた。
「世界で一番いい、しかもタダの傘を知ってるかい」と。
2、3分話して、青い傘を買うことにした。

イギリスにいるときは、1年間で1度も傘をささなかった。
霧のような雨がほぼ毎日降るので、いちいち傘をさす必要はなかった。
日本にいても傘を買ったことがない。
もらったものが多い。あるいはいつの間にかどこからか出現するものが多い。
または、ゴミとされる傘のなかには新品同様のものがたいていある。
だから、自分のお金を出して傘を買うのなんていったい何年ぶりだろうか、と思ったけど最後に買ったのがいつだったかもはや思い出せなかった。

それにしても寒い。
太陽が出ないと、10月ぐらいの寒さになる。
しかも雨となるとさらに寒く感じる。
半袖では、とてもじゃないけど、いられない。
長袖を2枚着て、スカーフを巻いても、まだ寒い。
今は8月であるということを時々忘れている。

今日はDesert Runnerという映画を見た。
世界にある4カ所の砂漠で行われるマラソン大会のドキュメンタリ。
ばかばかしいようで、これがなかなか面白かった。
いやはや、人間はいろんなことを考えだすなあと思った。
借りている住まいである地球を、ここまで隅から隅まで使おうとするとは。
最後に、おまけの写真ひとつ。

カナダのお札はきれいだ。
色分けの仕方もいいし、サイズもいいし、デザインもすっきりしている。
紙じゃない部分が間にあって、そこにさらにデザインが施されている。

Wednesday 13 August 2014

見知らぬ人と話すことは難しいか

カナダに来てのんびりできているかというと意外とそうでもない。

もちろん東京にいるより何倍もくつろげてはいます。それは事実。
一人分のスペースが広いので、すぐに芝生(こういうところ↓がいっぱいある)に寝転がったり外で物書きしたりすぐにできる。最高。

だけどスケジュールは結構"つめつめ"な状態で、たとえば日本の大学生なんかと比べたら断然忙しいと思う。
どういうスケジュールかというと、午前中は8時半〜12時半まで講義が2つ。
間に20分の休憩が入るのみなので、1コマなんと110分。
長い。
それからお昼を食べてホッとしたのもつかの間、1時半か2時ごろ〜次のワークショップが始まる。
これは日によるのだが、少なくとも2時間は続く。
今日なんて1時半〜4時半までだった。
これはさすがに疲れる。

だから、終わってからスーパーに買い物に行ったりでかけたりしようと思っても、もう時間が無い、という場合が多い。
昨日はかろうじて、ほぼ一週間ぶりにスーパーに行って買い出しすることができた。

だけどもし洗濯をしようと思ったら、ランドリーまで行って仕上がりを待たなければいけないのでその間ここを離れることはできない。

今日こそダウンタウンに行こうと思っていたのだが、これまた時間がなかった。
というよりも、余裕が無くなるのがいやで、あきらめた。

少し書き物をしてから、シャワーをあびて、映画を見に行った。
映画と行っても、キャンパス内に映画館があるのだ。
きょうはとても変な映画を見た。
stress positionというカナダの映画。
チケットを買うときに「これ、怖いですかね」と聞いたら
"Yeah, maybe, but I think it's rather intense. I wouldn't say 'scary'." と言われた。

なるほどこういうときにintenseという言葉は使うのか、と思った。
やっぱりただ単純に単語を丸暗記しても意味は無いのである。
どういう状況で、どういう感じで使われた語なのか、というのは結構、これが一生記憶に残る。ほんとに。

で、「せっかくカナダにいるんだからカナダ映画を見ようと思って」と言ったらとても喜んだ様子だった。
日本にいてカナダ映画なんてなかなか見ることはない。

ちなみに今日はその監督が直接、映画館にやってきて挨拶やQ&Aをするという特別な日だった。
どのくらい人が来るかなと思って行ってみたらなんと全部で10人未満だった。

話の内容は書かないけど、それにしても変な映画だった。
確かに、怖いのとは違う。けど、結構、不快。
途中で抜け出そうかと思ったぐらい。

だけど、映画が終わったあとのQ&Aは結構よかった。
政策秘話みたいなのを聞いたら、「面白い映画だったな」という感想に変わった。
シアターの様子はこんな感じです。↓
(ほらね、人いないでしょう。)

で、私は主人公に関して根本的なことを理解していないかもしれない、と思ったのでこれをQ&Aで聞いてみようかと思ったのだがあまりにも根本的すぎて聞くことができなかった。

ちなみに、質問ありますか、と言われてどんどん手が挙がる。
途切れないまま30分以上みんな聞きたいことを聞いていた。

監督に個人的に聞こうかとも思ったのだが直接話をしたいほかのお客さんたちがたくさん周りにいたのであきらめた。
出口のところにいた、どうやら映画を見ていた女の人に尋ねてみたら丁寧に説明してくれた。
私はかなり大きな勘違いをしていたらしい。
結構笑った。
最後に "I hope you liked it. Have a good evening." と言われた。
笑顔で分かれた。

これもうほんとに冗談じゃなくて、ここにいると、面識の無い人と会話することが、全然難しくない。
30秒くらいの会話を誰かと交わすことが、日常生活でごく普通にある。

なんでこれが日本だとあんなにハードルが高いんだろう??
お店で店員は「お客さま」を扱う用の顔しか見せない。
自分の考えをしゃべることを許されていない。
マニュアルに書いてあること以外は。

1対1の、普通の人間どうしの会話がどうして生まれにくいんだろう??

知らない人には話しかけない、話しかけられても答えない、それが当たり前です、と言われてしまうかもしれないけど、私の考えでは全然当たり前じゃない。

なんかやっぱりすごく大きな部分が欠けていると思わざるを得ないのである。

Tuesday 12 August 2014

1週間経って気づき

ここに来て1週間が経った。
気づいたことを書いておく。

・物価が高い
最初に行ったスーパーがあまりにも高かったので、ほかのところにも行ってみたけど、やっぱりあちらこちら見てみて、日本よりも高いと思う。
日本の、東京の、その中でも青山とか銀座とか、その辺の、特にいいところで生活をするとこういう感じなのかもしれない。
水を買おうと思ったら500mlが少なくとも200円はする。
1.5lは300円。
ただ、話を聞いたところでは、水がきれいなので特に買う必要が無いから、らしい。
だが、日本でも東京じゃないところでは水道水をペットボトルに入れて持ち歩いても、変なにおいがしたりしない。それでも売ってる水はこんなに高くない。
これはやはり高すぎると思う。
ちなみに、バスは250円。サンドイッチは500円が標準。
洗剤が1200円するのにはぶったまげた。

まあ、ある程度の稼ぎがあって家があればこのくらいの出費はたいしたことないのかもしれない。

・オーガニック志向
スーパーにはかなりオーガニック食品が多く置いてある。身体にやさしい食べ物を売っているところが多い。
そして、グルテンフリー食品も必ずある。この点においてはかなり先進的な気がする。そしてもちろん高い。

・英語が聞き取りやすい
何回も言うが、本当に、教科書どおりの英語である。
リスニングテストを聞いているようだ。
こんなにきれいに聞き取れるとは。
もはや感動である。
治安も良いのでここを留学先に選ぶまたはすすめる理由がよーく分かる。
「勉強したのに!聞き取れない!」と裏切られたような気分になることは、まずない。

・すべてがいい
人もよし、空気もよし、言葉も食べ物も問題なし。

...それでも、だ。
ここの環境にさらされればさらされるほど、ヨーロッパが魅力的に感じられる。
イタリアのむちゃくちゃさが懐かしくなるし、くせの強いイギリス北部の英語が聞きたくなる。
国ごとの、強烈な個性がここでは感じられない。
ドロドロした歴史とか、醜いほどのプライドとか。

この前、博物館に行ったのだが、まあ、当たり前なんだけどローマに比べると歴史がほとんど無くて、なんというか、深いところまで感動の波がやって来なかった。

いや、カナダは何にも悪くないです。
ほんとに。
めっちゃいい国です。

Sunday 10 August 2014

何やろうかなと考えてから何かする

今日は土曜日なので講義なし。
4日月曜に出発・到着し、5日火曜から講義が始まり、今日が土曜日。
とりあえずプログラムの1/3が終わったことになる。

朝11時過ぎからマーケットに行こうと考えていたのだが、起きたら午後の1時半だった。
12時間以上寝たことになる。
日本にいてもこんなに寝ることは無いので驚いた。
疲れていたのだろう。
夕方から、ほかの日本人と一緒に参加する活動があるので5時頃まではどこにも行かないことにした。
コーヒーとマフィンを持ってテラスにいる。

とにかくここは気候が最高だ。
朝とよるは寒いくらいだが、陽射しがあると本当に爽やかで気持ちがいい。
ちょうど良いそよ風がふいている。
湿気も無い。
日本でいうとおそらく10月のはじめごろだろうか。
こういう気持ちの良い天気が日本でも少し続きますよね。
ああいう感じ。

そしてこの、図書館に併設されているカフェは、静かで、居心地が良い。
周りには緑があふれている。
噴水の音と、誰かの話し声が、少し、する。

こうやって一人でぼうっと考え事をしたり人間観察をしたりするのが好きだ。
外国に来たのだから!といって予定を詰め込みたくなるものだが、こういう時間もあっていい。

むしろこういう時間が足りないんだろうなあ、普段。
つまり、何をするかがはじめから決まっているからそれをやるわけじゃなくて、さて何をしようかなと考えてから何かをする時間。

とか言っていたらもう行かなければいけない時間になってしまった。
このプログラムは絶対に日本人、日本人用に作られているぞ、と最近思っている。
あまりにもゆっくりする時間が少ない。
同じスケジュールをヨーロッパ人に強いたら絶対に破綻する。
I need more free time.

Friday 8 August 2014

住みやすさとは人のよさ

夜中に目が覚めた。
時計も見ずに夜中だ、と思っていた。
暗かったから。
おなかがすいたのだろうか、と思ったのでパンとかチョコレートとかバナナとか食べた。
でも本当の原因は空腹ではなく、時差ぼけだろうと思う。
こちらに着いてから時差ぼけたる時差ぼけは今のところ無い。
飛行機の中で半端に眠って、到着してからさらにぐっすり眠ったので、ごく普通に朝起きて、夜寝て、という生活ができている。
が、思い返してみると確かにほぼ毎日、暗い時間に一度ぱちっと目が覚める。
それで、今日は起き出してしまった。
時計を見ると5時でもう朝に近かったのでこのままでいようと思う。

で、今日書きたいことは、ここは本当に住みやすいところですよ、という話。

もう、なにより、人間が良すぎる。
一般化はしないとしても、圧倒的なまでに明らかなのは、人が人に対して心理的な壁を作らない、ということだ。

一人でうろうろすると色々な人と少しずつ会話する機会がある。
いや、もちろんこっちが口を開かなければ会話は始まらない。
イタリア人みたいに、こっちが黙っていてもあちらから話しかけてくるなんていうことは無い。

こちらから何気なく話題を振ってみるのだ。
日本ではまずありえないことかもしれないが私の連れ合いはいつもこうやって色々な人に話しかけるので世界中の人とすぐ知り合いか友達になる。その様子を日々見ているのでなんとなく私もそれができてしまう。いや、彼と知り合う前から実際そういう人間ではあったが。

お店の人なんかはもちろんあちらから話しかけてくるのだが、問題はそのあとどう会話を続けるか、である。
用が済んだら話しかけないのが日本では普通だ。

だけど、むしろその後から会話をどう続けるかがカナダという社会でうまくやっていけるかどうかのカギなんですよ、と昨日、先生が言っていた。
small talkの重要性。

どこの大学を出たか、ももちろん見られるだろうけど、カナダについて言えば、その辺はカウントされないに等しいらしい。
仕事を得るためには、30秒から1分くらいの会話を毎日色々な人と普通に続けられるスキルが絶対必要だ、と。

だから少しだけ話しかけてみると、その返し方がとにかく自然で、少しだけの会話が必ず続く。
昨日もスーパーの店員と5分くらい話した。

「よその国だと多分スーパーの店員なんて人と話す気もないでしょ?だけどここでは普通なのよね〜。フレンドリーであることに慣れてる。本当にいろんな人たちがいるからさ。」

と、ゴス系のお姉ちゃんは言った。

カナダしか知らない人だと、これが普通だと思うのだろう。
そして、一般的にも、欧米人が「ハーイ」とか挨拶をするのは当たり前またはよくあると思うかもしれない。実際、ヨーロッパにいても、すぐ隣の人と簡単に話すという文化は、ある。

だけど、例えばイギリスだったら、人種によって扱い方が変わる場合が多い。
また(これはまた別の話題として書こうと思うが)イギリスだったら、並大抵の英語のでき方だと話についていけないし、相手にされない。

それがどうだろう、移民を多く受け入れていることもあり、アジア系だろうがアフリカ系だろうが、カナダでは、軽蔑する様子が少しもない。
まず、じっと見られることがない。
黒髪でアーモンド型の目なんて全然珍しくないのだ。

さらに、つたない英語であっても、ちゃんと耳を傾けてくれるのだ。
そして分かりやすい英語で答えてくれる。

んま〜、これは留学先としてはいいだろうなあ、というのを身をもって感じる。

さて、顔でも洗おうかな。今は朝の6時ぐらいです。太陽が出てきた。

写真は、ここで作ったパスタ。モッツァレラがイタリアよりだいぶおかしな味するけど。

どこに行ってもこれだったら作れるし、一番食べたいと思うし、食べて一番おいしいと思えるもの。

Thursday 7 August 2014

カナダ、日本人

カナダに来ている。

どうしても私とカナダという組み合わせにピンと来ない。いまだに。

カナダという国は「いつか行く機会がきっとあるだろう」という気がしていて今まで訪れ
ようともしていなかった。
というか、意識したことも無かったと思う。
ここ10年くらいの傾向として海外旅行の行き先としてまず考えようともしないのが、オーストラリアとカナダ。(シドニー行ったことあるけど。)

理由は単純で;
・平和だろうし
・英語しゃべる国だし
・物価もだいたい日本みたいなもんだろうし
・食べる物には困らないだろうし
・なんとなく街の様子が想像できちゃうし
・人間も常識的だろうし
・歴史にそれほど魅力を感じないし
・まあ年とってからも行けるし

で、来てみたらまあだいたい予想は当たっていた。
ヨーロッパほど強い個性もプライドも感じられない。
まあとにかく平和である。
念のため言っておくがカナダを馬鹿にしているわけではない。
つまりは、めちゃくちゃ良い国なのである。
若さが無くなっても問題なく行けそうな国に今わざわざ行こうとはしない、ということ。

研修で来ているのだが、そもそも周りにいる人たちが全員日本人なので、実はまだカナダに来た実感がわいていない。
日本人同士ですべて情報交換が行われ、英語を使う必要はほぼ無いので、初めて来る国なのに困ることが一つもない。

それが嫌なので、着いた翌日からひたすら単独行動をしている。
経験上、一人で動くといろいろな人と話す機会ができるということを知っている。
昨日と今日だけで、色々な人たちと会話をすることができた。

おとといの夜着いて、昨日が研修初日なのだが、集団で行動することに耐えられなくて極度のストレスを感じていた。
同時に、ちょっとぐらいの我慢ができない自分を不思議に思いもした。

思えば最初の記憶は幼稚園のときである。全員でマイムマイムを踊ることになっていたその日、集団で同じ動きをすることに一人激しく抵抗と疑問を感じていた私は、どうしても足(脚)が上がらなかった。円になることまでは受け入れられても全員同時に脚を上げることに違和感を感じており、適当な動きしかしていなかった。「適当でいいや」と思った。とりあえず動いてりゃおこられることはない、と。
そのことは、今もまだ覚えている。

幼いころ何かトラウマ的な経験があったのだろうか?
集団行動に関してはそれが求められていると頭では分かっていても身体が拒否反応を示すことがあるのだ。
頭痛とかじんましんとかが出そうになる。

昨日はそれで、また日本人の集団と一緒に午後行動していたら目の前にバスがやってきたので、ほとんどそれに飛び乗るような形でそこから離れた。
それから運転手に「ダウンタウンに行きたいんですが」と伝えたらちゃんとそこでおろしてくれた。

一人になって、街を歩いて、生き返ったような気がした。
有名な議事堂前にたどり着いた。
議事堂はもう閉まっていて入れなかったけど、芝生に寝転がった。
高い高ーい空の下で、いっぱいに空気を吸い込んだ時、初めて自分がカナダに来たと感じた。
ああ、私は自由だ、と思った。


今日はスーパーの先へてくてく歩いて行ったら海が見えてきたので、そのまま進んだら砂浜に出た。
こんな感じ↓

そこのベンチで知り合った86歳のおじいちゃんと友達になった。
1時間くらい話した。
主に、人生について。


細かい気づきその他はまだまだあるけどとりあえず今日はこれでおしまい。
また明日書く。

Sunday 3 August 2014

リラックスできない体質

逃げ場が無い。
この暑さからの逃げ場が。
一日中室内で冷房とともに暮らしたくはない。
いや、もっと広い家だったら良いのだろうが、この家では勘弁である。

それでも、カナダへの出発を明日に控えて、さすがに何も準備をしていないのはよくないと思ったので、今日は朝から準備をした。
といっても午前中の数時間であきらめた。

「無くて困る」ものは、もうない。
なんでも、たいていそろっている。
逆に言えば、パスポートとクレジットカードがあれば、行き場のなくなることは無い。

そんな感じで午前中ずっと家にいたら、だんだん悲しくなってきた。
仕事に行かなくなって(というか正式には夏休みが始まって)約1週間が経つ訳だが、社会に関わっていない感じがして、とても孤独に思えてきた。
この家だって灼熱の牢屋か単なる箱のように見えてきた。

もう職場に戻りたがっている自分...。

働いているときはあんなにブーブー文句言っているくせに、仕事から離れるとこの通りだ。

そもそも、同じ場所にずっといると、何をしたら良いか分からなくなる。
本当の意味でのリラックス方法を分かっていないんだと思う。
頭をからっぽにする方法を知らない。
(同じ場所にいても落ち着いていられるのは実家に帰った時ぐらいだ。)
掃除も洗濯も食器洗いもやりたいわけではないのに、どうしてもやってしまう。
「やること」を自分で作り出している。
少しぐらい放っておいてもいいはずのことなのに。

例えば映画を見ていても、途中で洗濯機がピーと鳴ろうものならすぐに立ち上がって一時停止を押し、洗濯物を干す。

やっぱり母親の子だなあ、私。
私の母親はいつも何かやってないと気が済まない人だ。
そしてその父親である私の祖父もそんな感じ。

完璧主義というわけではない。
常に「次、次」のことばかりを考えている。
いま、この瞬間を生きる、ということをどうしても覚えられない。
頭では分かっていても、身体が。

結局、慎重なのだ。
そしてそれは良いことだ。

まあ、それでも現在の連れ合いと知り合ってからはだいぶ変わってきたと思うのだが。
だから、旅の準備、パッキングにしても、「なんとかなる」なんて強気なことを言いながらも、実はかなり入念だし、神経を使う。

それもあってかここ数年間「荷物の少ない人」であるわけだが。

話の内容とは関係ないけど珍しく写真を撮ったので貼っておく。
一週間前に友人宅でごちそうになったものたち。
全部手作りだ。
写真を撮るのも忘れて食べていたのでなくなりかけているのもあるけど。
友人の手料理を食べる度に「よし、家に帰ったら私もこういうの作ろう!!」と触発される。
今回も例のごとくそうだった。

しかしながらあれから1週間経ったが結局パスタ以外料理できていない。
これだけ暑いと料理する気にもならない、とは言ってみるが、暑くないときには代わりに時間がないし、結局のところ年がら年中言い訳ばかりしているのである。

いや、もう、ほんとに、パスタ茹でるので限界なのよ、この暑さ。

とは言うが、今日の夕飯はバーガーキングで終わり。
たまには良いさ〜。

明日の出発は夜なので、パッキングは明日やろう。

Thursday 31 July 2014

夏休み、ドライヤー

カナダへ出発する日がいよいよ近づいてきた。
ぼちぼち準備を始めている。

月曜に仕事を終えてしまい、それから一週間は完全に休むことにした。
準備もあるし、と思ったから。

さらに、これだけたくさんの時間を自由に使えることも滅多に無いので、ここぞとばかりに友人知人に会っている。
会いたい誰かに連絡をとって平日の昼間に会えるというのは、たいそう贅沢なことだ。
ちょっとおいしいものを食べて近況報告をし合う。
それだけのことが、こんなにシンプルなことがどうして普段できないのだろう、と考えると、やはり物理的にも精神的にも余裕が無いということに尽きる。

夏休みに限らずこういうことができると良いのにと本当に思う。

ところで今日はドライヤーを買った。
海外国内どちらでも使えるものを。
カナダの電圧は日本とあまり変わらないとか、ドライヤーならそのまま使えるとかいろいろな情報を耳にした。
かつてイギリスで、日本のドライヤーを変圧器なしで使って火花を出した経験がある私は、これを機に1つ買おうと思った。

その地域の電圧によって切り替えられるものを一つ買った。
同じようなものを確か母親がかつて買っていたような記憶がある。

これさえあれば、どの国に行くときも、ドライヤー問題にぶつからない。
つまり、ドライヤーが借りられるかどうか、とか、持っていくべきかどうか、とか、心配する必要がない。

ちなみに去年の今頃は、髪の毛が完全な天然パーマの状態に戻って(つまり縮毛矯正を2年間くらいかけなかったということ)いて、長さもだいぶ短かったので、ドライヤーたるものの必要すらなかった。
あれは楽だったなあ、と、1年前を思い出す。
また髪を天然パーマに戻そうと思っている。
これから少なくとも1年以上は辛抱である。

Monday 28 July 2014

TOEICを受けることにした。

9月末にTOEICを受けることにした。
世の中のTOEICに対する騒ぎ様はちっとも気に入らないし、あんなので英語の力が分かるわけはないとは思っている。
でも受けてみることにした。

理由は:

①最後に受けてからだいぶ時間が経ったから

TOEICの公式ページにログインしても、もうデータは残っていない。確か2年間しか残してもらえない。最後に受けたのは、3年以上前のことだと思う。とりあえずデータが欲しいと思った。

②今の職場に一生いるとも限らないから

これは①から続いている。ふと職場を変わりたいと思ったときに、新しいデータがあるに越したことはない。実力を示す、客観的な証拠が欲しい。

③夏は時間が取れるから

来週から3週間カナダに行く。だからと言って点数が伸びるとは期待できないのだが、まったく休みを挟まない状態で、普段のように仕事をしながらだとあまり余裕が無い。この夏なら問題集一冊くらい解く時間があるだろうと思った。

④なんとなく

以上をまとめて一言で表すと、これだ。なんとなく。
①も②も③もそれほど強い理由ではない。
なんとなく、そろそろ受けるか、という気になった。



もう長い間テキストを買って勉強したことがない。
問題の傾向ももしかすると変わったかもしれない。
新しいテキストを買おうかなと思っている。


Saturday 19 July 2014

だったら出て行けば良い

イタリア行きたいイタリア行きたいイタリア行きたいイタリア行きたい



何度叫んでも叶わないのだからもう諦めるしかない。
だけど、ひたすらイタリアに行きたくて仕方ないここ最近。
この季節は特別にイタリアに行きたくなる。
フィレンツェで過ごしたあの7月からもう10年近くが経とうとしている。
日々に満足していないわけではない。
だけど、どうやったら戻れるかなあなんていつも心のどこかで考えている。
それは逃げなのかもしれないし、新しい一歩となりうるのかもしれない。
行ったら行ったで日本が良かったなんて言いだすのかもしれない。
でも、今何がしたいですか、と言われたら真っ先に答えるだろう、イタリアに行きたい、と。

明日から5日間、家を空ける予定だ。
荷造りをしなければいけない。
朝から、それだけは分かっているのにどうしても気が向かない。
現実逃避をし始めてかれこれ10時間が経つ。

昨日は仕事が終わり、帰宅後、夕飯も食べずに、9時ごろ横になったらそのまま眠りに落ちていた。
明日にひかえている仕事とその責任が重過ぎて、ここ数日はろくに眠れていなかった。
そのためだろう。
疲れすぎている。

最近は今やっている仕事に文句ばっかり言っている。
だったら辞めてしまえば良いのではないか?

最近はこの国の文句ばっかり言っている。
だったら出て行けば良いのではないか?

それを決める権利も、または現状を変える可能性も、すべては自分にある。
私を動かすのは私だ。

Saturday 5 July 2014

ツール・ド・フランス!

世界はいよいよワールドカップの準決勝に盛り上がっているらしい。
しかし、それとは「別の」ワールドカップに盛り上がっている場所が、世界にはある。

別のワールドカップ。
サッカーじゃなくて、自転車だ。

「ツールドフランス」という名前は聞いたことがあってもあまりよく知られていないのがここ日本での現状だと思う。
なぜかはよく知らないのだが、日本ではあまり自転車レースの人気と知名度は低い。
いや、というよりも、ヨーロッパでは自転車が盛ん、といったほうがいいのかもしれない。
まあ、自転車の発祥はヨーロッパだし。

今日から、ツールドフランスが始まった。
日本での知名度が低いため、テレビをつけても生中継をしていることはまず無い。
去年もこれで困った。ただ、第1ステージと第2ステージだけはJ SPORTSで放映する。

             
そんなわけで、きょうは夕方6時過ぎからずっとテレビの前にいる。
私自身はそんなに自転車ファンというわけでもないのにどうして見ているのかというと、スタート地点が今年は、リーズだからだ。

リーズ。LEEDS。

10年くらい前にその街に住んだことがある。
テレビを見ていて、「ああこの場所は知っている」という瞬間があるかなと期待したのだが、無かった。
見覚えがありそうな気はしたのだが。

Harewood Houseというところで、キャサリン妃たちが待っていて、そこで集団全体が止められる。
これが結構おもしろかった。
止められるんだけどそこで全員がロイヤルファミリーをじーっと見ている。

実況と解説の人が「みんな…ただ…見てますねえ」「ははは」と言っている。
そのあと、セレモニー開始、なのかどうなのか、全員がヘルメットを取る。
フランス、イギリスの順に国歌が演奏される。
レッドアローズが航空ショーをはじめる。
トリコロールが空に描かれる。
王子と妃が選手と話し始める。
先頭にいる選手は、ほとんどイギリス人選手。
意図的なのかどうか。
ここでキャサリン妃、テープカット。
(画像はDaily Mailからもらいました)
まあしっかしヨークシャーのきれいなこと。
リーズからバスで近くの街に移動するとき、こういう風景を見たなあそういえば、と懐かしく思い出した。
何百年か前のの修道院があって、なだらかな丘があって、羊が走っている。

テレビを見る限りでは、相当天気がよさそうだ。
実はこの季節にイギリスに行ったことが無い。
だけどちょうど今の季節がイギリスの一番いい時期だと言われる。
湿気が無くて、太陽がある。

選手を見るのももちろん面白いのだが、選手の目線で道をゆくのがなんとも面白い。
周りの景色がどんどん変わっていく。
上空からの撮影が気持ち良い。

旅行しているような気分になる。
んー、旅に出たいなあ。

景色が綺麗だから、見ていて面白いのだと思う。
これが、同じような道路ばかりで、脇にはチェーン店が並ぶような景色だと、面白くないと思う。

しばらくして、スキップトンが出てきた。
日帰り旅行をしたことがある。
小さな小さな町だ。
スキップトンの人口は2万人にも満たないらしいのだが、応援をしている人たちはすごい人数だ。
これはおそらく全員が外に出てきている。
それにしてもこの実況、解説、ゆるーい。
選手のスポンサーである会社が作っている電器製品の使い方なんかをとりとめもなくしゃべっている。
ラジオみたいなノリだ。
あと、嬉しいのは、歴史上のできごとをきちんと説明してくれる。

今ちょうどButter Tubsという山岳地帯を集団が通過している。
「たぶんこのバタータブスは…地球ができて以来一番人が多くいるんじゃないでしょうか」
と、解説が言っている。
面白い。
まあそれにしてもすごい人だ。
自転車に乗っている人から前が見えないくらいに人がいる。
山が人で埋め尽くされている。
観客が選手に触っている。
それを制する人もいない。
こんなのアリなんだね~。

いつの間にかロイヤルファミリーの式典が始まったり、この気楽というかゆるい感じがいい。
こういうのたぶん日本では実行できないんだろうなあ、と思います。
道路に応援メッセージを描いたりするんだけど、これはたぶん日本だったら「~~法に違反するためダメ」とかになりそう。
箱根駅伝が、まあ「ロードレース」という意味では近いんだろうけど、あれは2日で終わる。
ツールは、23日間だ。
いくつかの国と地域が会場となる。
23日間のレースなんて、やっぱりヨーロッパでしかできないだろうなあ。
ほかのところだと「結果が出るまで待てない」というようなことを言うかもしれないし、23日間も管理し続けられない。

まあ、23日間も色々な道を走っていると、途中で何が起こるか分からないし、どんな道に変わるか分からない。
例えばいきなり細くなったり、観衆が一緒に走ってきちゃったり触ってきちゃったりするわけで。
ドラマがある。
予測不能だけど、それでいいじゃないの、というわけだ。
そこがまた面白いところなのだと思うし、そのくらいの構えじゃないと、100年以上も続けられないだろう。

ちなみにきょうの観客数は200万人らしい。

とまあ、楽しみながら見ているんだけど、第3ステージ以降、どうやって見よう?
スカパー契約するしかないのか。
オンラインでサイトを探すか。
うーむ。困ったなあ。

Wednesday 2 July 2014

塩と、オリーブオイル。

もう7月か。
それにしては涼しい日々が続いている。少し今日は暑かったけど。
きょうは久しぶりに5時台に仕事が終わったので、帰ってから荷物を置いて、少し休んで6時半ごろからプールへ行ってきた。
30分もないくらい泳いだ。
泳ぎながらいつも頭に浮かぶのが「水をえた魚」という言葉。
別に泳ぎが得意というわけでもないし元水泳部というわけでもない。
それでもこんなに、水に入るとよみがえったような気分になるのはどうしてだろう。
身体の70パーセントは水分でできているという。
だからなのか?

そして何が気持ちいいかと言うと、自転車に乗ってゆく帰り道だ。
夜風を切りながら、すー、と自転車で走るのが、どうしようもなく気持ちいい。
夏の夜の醍醐味。

このあたりに住むようになってかれこれ7年か8年が経つが、少しずつ、自分が落ち着ける時間と場所と状況が分かるようになってきた気がする。

家に帰ってパスタをゆでよう、と思いながら帰るとすでにパスタができあがっていた。
ありがたすぎる。
疲れた脚で立ったまま料理をするのはしんどい。

パスタ。

パスタについて。
いつの間にか、主食がパスタになっている。
米が無くても生きていけるだろうなと思うのだが、パスタが数日食べられなくなると「ああ食べたいなあ」としきりに思う。
米の減り方よりパスタの減り方のほうが早い。

パスタを食べたときのほうが満たされた感じがする。
そして、野菜もたんぱく質も炭水化物もいっぺんに摂ることができる。
和食を準備するほど時間がかからない。
作り方も単純。
さらに、太りにくい。
夜遅く、または寝る前1時間以内に食べても次の日の朝体重が増加しない。
GI値が低いからだろうか。
何よりも、おいしい。
家で作ってじゅうぶんにおいしいので、いや、むしろ家で作ったほうがおいしいから、外食するときに食べることはまずない。

仕事柄、宿泊を伴う出張などが多いのだがそのときに何が辛いかってパスタが食べられないことだ。
厳密に言うと、ちゃんとしたパスタ。
いや、パスタをサーブしてもらえるときもある。
しかし、普段自分で作っているものと違いすぎる。
先日は「なんじゃこりゃ」というような、給食のソフト麺にシチューみたいなのがかかったやつをサーブされた。
シチューだと思って「具」だけ食べて、麺は、食べるのをやめた。

単純に、オリーブオイルとトマトとモッツァレッラだけの、アルデンテの、パスタがいちばん美味しい。

そんなこんなでやめられない止まらないのパスタなのだ。

ちなみに昨日はアサリのリングイネ。
今日はズッキーニとトマトのスパゲティでした。
もう少しいろいろな種類を試してみてよいだろうとは思うのだけど、何しろ、シンプルが一番美味しい。

塩と、オリーブオイル。

食べ物に限らない。物事はシンプルが一番、と思っている。

考え方は食べ物にも影響を及ぼすのだろうか?
それとも食べ物が考え方に影響を及ぼすのだろうか?

Friday 20 June 2014

越えられないもの

コロンビア対コートジボワールのハイライトを見て思ったこと。
コロンビアの選手がドリブルしている姿を見て、こんな動きを日本人がするのは見たことが無いな、と思った。
右へ左へ、身体の動きを見ていると、それはまるでダンスをしているよう。
ダイナミックかつ伸びやかな動き。

ダンス。
ダンスか。

その違いなのかもしれない。
全身を使って自分自身を表現すること。
日本に欠けているのはそこかもしれない、と思う。

以前、イタリアで、イタリア人がこういう話をするのを聞いたことがある。

「イタリア人も、ダンスはするんだけど、南米の人って、単に踊るんじゃなくて、男女のペアで踊れるんだよねー。音楽が流れると自然と身体が動くんだよ、子どもも、お年寄りも。踊り方分かってるんだよ。なんでだろうねー。」

我々東洋人からすると「外国人」または「ラテン系」にまとめて見られそうだが、彼らの中でも違いがあるらしい。
Photo
これはゴールを決めたときの歓喜のダンス。

まあ、いずれにせよ、日本はギリシャに負けた。
色々要因や原因はあるだろうけど、サッカーをよくわかっていない私が見ても理解できたのは、とにかくチャンスを逃しまくった、ということだった。

よく「自分たちのサッカーができた」かどうか、をテレビでコメントする人がいる。
「自分たちのサッカーができたと思いますか」とザッケローニにインタビューする人がいたけど、あれって通訳はどういうイタリア語を使ったのだろう、と気になった。

なんだろうね、「自分たちのサッカー」って。なんとも曖昧で、日本的な表現に聞こえる。
リラックスして試合に臨めたかどうか、ということだろうか。


ここ数日、試合を見ながら、やっぱりどうしても越えられない壁のようなものがある気がしている。
つまり、日本に越えられないもの。

自分を表現すること。
チャンスをつかむこと。
陽気であること。

expressiveであるということはつまりそれだけ考え方に柔軟性があり、想像力の入る余地があるということである。
さらに、表現するためには、それだけ筋肉がやわらかい。
身体的にも差はあらわれる。

選手1人1人の技のレベルや実力の差はもちろんとして、もっと根本的な部分での、差があるのではと思うのである。

Tuesday 10 June 2014

だいぶ会ってないけど、友達

私のfacebookアカウントでページを開いたときに登録されている「友達」の数を見てみたらちょうど200だった。
200?

普段気に留めてもいなかったのでこれが多いのか少ないのかも分からない。
世の中にはfacebookでの友達の多さを自慢するという人もいるらしいが私はそういうことには興味が無い。

でも、200…?

果たして200人も友達がいただろうか、私に。
例えば今日、「昼ごはんを一緒に食べに行こう、誘ってみよう」と頭に浮かんだ人は1人か2人だ。
ちょっと暇のできた夕方に「一緒にビールでものみにいこう、誘ってみよう」と思える人も、たぶん、1人か、2人だ。

たぶん8割以上の人とは2,3年間、少なくとも1年は会ったことがない気がする。
それでも友達なのだろうか?
200人の「友達」…??

会わない理由はいくつも挙げられる。以下は、私がそう思う、というのもあるし、一般的に言っておそらくこんな感じだろう、というのもある。


その1:お互いに仕事や子育てをしていて、忙しい。
これが一番多いと思う。生活時間が自分とは違うかもしれない、と思う。誘ってもどうせ断られるだろうと思う。逆に、自分も仕事が忙しすぎて、平日の夜に外出する余裕が持てないので、誘いが来ても結局断らざるを得なくなる。

その2:相手の住む場所とは遠いところにいる。
会おうと思ってすぐ会える圏内に住む人はどのくらいだろう。会いたいと思う人に限って遠くに住んでいたりする。逆に、近くにいる人とは会おうとしないのは、なんでだろう?

その3:お互いに遠慮している
時間が経てば経つほど、相手の近況を「憶測で」知るようになる。
facebook上にパンケーキ食べちゃいました~、とかセレブなパーティーに出席しちゃいました~、とか、ベビたん(この呼び方、好きになれない)授かっちゃいました~なんていう写真をのせている人を見て「ああ、充実した日々を送っているのだろうな」と勝手に「憶測」をする。
直接会って、顔を見て話してもいないのに、自分の知っていたかつてのその人とは、少し遠くなってしまったような気がしてしまう。
結果、極端に美化されたり、嫉妬の対象になったりして、直接会おうとはしなくなる。
逆にその相手も同じようなことを考えていて、直接会おうとはしなくなる。
お互いに遠慮している。
facebookの怖いところでもあるが、むしろ自然な流れかもしれないと思う。

その4:ただ、面倒
ただ面倒と言っても面倒に感じてしまう理由は多々あるだろう。
話が合わない、会って話しても面白くない、会うだけの理由がない、など。
時間が経つと考え方もつきあう人々の種類も変わるのだから話が合わなくなるのは当たり前である、と私は割り切って考えている。
人の縁なんてそんなものなのだ。

あとは、自分の時間が欲しい。
朝から晩まで働いていると、家は「寝るだけ」の場所になってしまう。
私の場合、事実、ここ数年はそんな感じだ。
1人でDVDを見たりマニキュア塗ったり雑誌読んだりという時間が貴重に思えてくる。



で、あらためてこの200人を眺めてみたら、それぞれとの出会いと、思い出がよみがえった。おそらくその、過去の「記憶」をお互いが共有している。
1回会っただけの人とは友達申請が来ても承認することは無い。
あとは、facebookをやっていない友達もたくさんいる。
それらを除いても最低200人の人々と出会ってきたのだ。
最低。

数十年生きていればこのくらいの出会いはあるものなのだな、とちょっと感心する。
同時に、あらためて、会ってもいないのに「友達」であるという事実に少し奇妙さも感じるのである。

Monday 9 June 2014

なんで日本にいるんだろう

ようやく明日は休みだ。
7日も8日も仕事で、まるごと土日がつぶれたので先週の日曜以来の休みになる。
9日ぶり?
人間たるもの、やはり週に1日の休みが必要だと思う。
段々と曜日の感覚が無くなってくるし、まともに生活が成り立たなくなってくる。
つまり、掃除、洗濯、自炊ができなくなる。
実際、今週―いや、先週、はほとんど料理を作らなかった。

時間ができるとふと考え事をすることもできる。

それで、さっき思ったこと:

どうして日本で生活しているんだろう?
先日会った、留学していたころの友達が「意外だね、日本にいるなんて。てっきり海外に住むものだと思っていたよ」と言われた。
ちょっと、ハッとした。
私もそう思うから。
高校の頃から、ずっと、10年後はこの国にいない、と漠然と思っていた。
それが結局この国に住んでいる。
税金を払ったりエーユーの携帯を使ったり満員電車に乗ったりしながら、結局この国で生活している。
そんなはずだったかなあ、と思う。

でも今何のために働いているかというと、次の休みに海外へ行くお金が必要だから、と言ってもいい。
それくらい、飛行機に乗ってこの国を出ることだけを毎日考えながら生きている。
心のどこかで。
生きづらいと思うことが、あるし、これがすべてではないと思っている。

海外に住んで何をするのか、と言われると何も思い当たらないのだが、何であれ、ここを出ること自体に意味はある。
毎日同じようなものを食べ、同じようなものを見て、同じ言葉を聞きながら、同じ道を通って、同じ場所へ通っている。

そして、同じ人たちに会う。
同じ人たち。

こんなはずだったかなあ?

私の"範囲"はこの程度だっただろうか。
狭い場所に留まったままになっている自分にようやく気づいた。

Tuesday 3 June 2014

ティラミス

平日にブログを書こうとすると、疲れたとか忙しいとか、そういうことしか書かなくなってしまう。投稿数がめっきり減ったのもそういうわけだ。つまり、いつも書くことが同じになってしまうし、とくにそれ以外に面白いことがあるわけでもない。
いや、面白いことがあるのかもしれないけどゆっくり思い出したり振り返ったりしている時間が無いということだ。

そうだ、ティラミスについて書こう。
ティラミス。
いつごろからかうちでティラミスを作るようになった。
それ以前も作ったことがなかったわけではない。
クリームチーズやビスケットを使って作っていた。

では、今、どんなものを作っているのか。
レシピをイタリアのものに変えた。
卵はなんと6個。
クリームチーズではなくマスカルポーネ。
500g使うので少なくともこれに1000円はかかる。
そしてビスケットではなくサヴォイアルディというイタリアのフィンガービスケット。
これはどこにでも売っているわけではない。

はじめは卵を6個使うなんて抵抗があった。
けど、作ってみたら、なるほど、意味のあることだということが分かった。

遠慮なく、惜しみなく、材料を使って巨大なティラミスを作る。
味がほんとに全然違う。
冷蔵庫で一晩冷やして、コンパクトになったら食べる。

ところでティラミスはケーキと違って炭水化物のかたまりというわけではないのでなかなか太りにくい気がする。

さっきも、おととい作ったのを食べた。
ああ美味しかった。
きょうのエネルギー。

Monday 2 June 2014

初夏に思う

この土日はまったく仕事抜きでゆっくりすることができた。
土曜も日曜もとても天気が良かった。
自転車で昼間に表参道まで行ったが、人、車の多さと排気ガスと強い日差しとアスファルトから反射してくる暑さにやられてしまった。夏の間は自転車で表参道へ行くのはあきらめたほうがよさそうだなと思った。
そのあとはプールに行ったりピザを食べに行ったりした。

日曜、つまり6月1日は、午前中に衣替えをした。
長袖は全部しまってよい、と思ったのだがそうした直後に必要となることが多いので少しだけ残しておいた。
それから友人に会いに行った。
子どもが生まれたばかりだ。
久しぶりに会った。もう何年ぶりか覚えていないくらい久しぶり。
子どもが生まれるとそれが会うきっかけになることは少なくないと思う。

初夏が好きだ。
すべてがキラキラと輝いて見える。
特に夕方ごろからの空気が何ともいえない。

暑いけど、夏が近づくとやっぱりウキウキしてくる。
梅雨に入って雨が降ろうとも、紫外線が多かろうとも、初夏は素敵だとおもう。
過ごしやすさ、快適さとはまた別の問題。

同時にこの時期は日々の生活がとても忙しくなる。
4月から2ヶ月経って、起動に乗るからだ。
ひやっとした夕方にふと立ち止まって物思いにふけったり考え込んだりする瞬間もある。
秋よりもセンチメンタルになりやすい気がする。
私の場合。

この時期に体調を崩すことは無い。
代謝が良くなるし活動しやすい時期だから。
仕事のあとにプールへ行ったりすると気持ちがいい。

そういえば昨日、新しい水着を買った。
ビーチに必要な水着ではない。
プールでひたすら泳ぐための水着。
2年間着続けた水着はもう本当にぼろぼろになった。
少し穴が開いているのを分かっていながら着続けたら、穴が3つになってしまった。
これはもういい加減に新調しなければと思った。
1週間に1,2回、しかも1年中身につける。
2年経ってぼろぼろになるのは当然。
消耗品なのだ。

Saturday 31 May 2014

カメラを持って東京を歩く

久しぶりにカメラを持って外へ出た。
と言っても仕事で、なのだが、この日に限ってはカメラを手に持つ気になった。
私が最近写真を撮らなくなった理由について。

①今の職場に勤め始めて、3年目になる。
カメラを持って走り回る同僚がとても多いことに気づいた。
やたらと何でもかんでも写真を撮るわけだが、被写体の気持ちを初めて理解した。
写真を撮るほうはいいけどそんなにしょっちゅう撮られるのは気持ちのよいものではない、と思った。身内ならまだしも。それで、自然と控えるようになった。

②一眼レフを重く感じるようになった。

③スマホ、タブレットでの写真の普及。
一眼レフでピントをあわせたり光を調節したりしていたのだが、インスタグラムなどで、いとも簡単に加工されていく写真を見て、ああ写真って何なんだろうなと思うようになった。写真家でもない人が写真家みたいな写真を撮れるようになった。あまりにも簡単に撮れるのでアートというよりは記録媒体なのかもしれないと思うようになった。色々とこだわってきたものが簡単に打ち破られるような気がした。

それでも昨日は撮る気になったので、たくさん写真を撮った。
晴れの日の東京。
まぶしくて、とても暑かった。

 大久保利通が殺された場所はこの辺だったらしい。
それは知っていたのだが、小さな公園みたいになっているのは全然知らなかった。
記念碑もあった。



赤坂見附というのは非常に入り組んだ、不思議なつくりをしている。
地下鉄で乗り換えるときはこの地下をうろうろしているだけなのだ。
地上に出るととても面白い。
見附という言葉の意味を初めて知った。
日本橋。
この橋の真上に高速道路を作るという、日本人の(と言ってしまったら一般化しすぎだろうか?)神経を疑う。いつ何度見ても思う。
景観というものに対するセンスが無さ過ぎる。
短絡的な言い方で申し訳ないが、ヨーロッパだったら絶対にこんなことはしない。
歴史的価値を知ってのことだろうか。
大切なものがぐしゃぐしゃとつぶされていくような、そんな感じがする。

Tuesday 20 May 2014

作る気にならない

ごはん食べなきゃいけないんだけど作る気にならない~
というか立つ気がしない~
帰ってから荷物を置いて、食べるものを買おうと思って外に出た。
モッツァレッラとかズッキーニとかトマトとか水菜とか買ったんだけど、洗う気がしない~
切るのがめんどい~
食べたいけどむしろ寝たい~
つまり食べるのさえめんどい~

先週は土曜も仕事だったから全然休めていないのだ。
日曜日は一応休んだけど、やっぱり週に1日じゃ足りてない。
人間だものね。もう少しゆっくりごろごろする時間が無いと。

さて料理をしよう、と張り切るのは時間と心にゆとりがあるときだ。
会いたい人たちもたくさんいるんだけど、その前にまずは自分の身体に休息が必要だ。
余裕が無いなあ。

5月も気づいてみたら半分が終わった。
そういえば去年の5月は忙しすぎて熱を出したりしていた。
あれっきり、発熱は無い。
丈夫になったのだろう。

Sunday 18 May 2014

カンヌ国際映画祭2014

今年もカンヌ国際映画祭が行われているようだ。
残念ながら出席するチャンスに恵まれたことは一度も無いが、その様子を写真で見るのが楽しみだ。
アカデミー賞をはじめこういった華やかな(特に映画の)祭典は年中どこかで行われているのだが、とりわけカンヌはオープンエアで5月の爽やかさが写真から伝わってくるような気がする。
個人的に、今まで見たところでもっとも"stunning"なのは、白いドレスのブレイク・ライヴリー。

What a dazzler! Blake Lively wows in a sequined Chanel dress at the Mr Turner premiere in Cannes on Thursday eveningTaking the plunge: The actress posed with her hands in her pockets as she walked up the steps to the event

別にファンでも何でもないんだけどこれを見たときにハッと息をのむようだった。
ドレスはいたってシンプル。
これだけウエストを締めているけど、自然。
あと、やはりブロンドには白系が合うということが証明される。
これ、ほんとに印象に残るなー。
今回のカンヌではダントツでBest Dressedだろうなーと思って少し検索したらやっぱり世界中同じことを言っているようでした。
ちなみに"Cannes 2014 Fashion"で検索をするとブレイク・ライヴリーの写真ばかり出てくる。
Such a pro: The star perfected her over-the-shouder look as she posed for photographers


その他、写真を見ていくと…
She's got it down pat! The actress knew just how to pose to flatter her figureNot her best look: Karlie Kloss made a rare fashion fail at the opening of the 67th Cannes Film Festival on Wednesday evening
エヴァ・ロンゴリア、カーリー・クロス、

Quirky: The large glittering shrimp - or prawns as Australians typically call them - featured different coloured jewels hanging off the ends of the creature's long antennaeDramatic: Nicole caught the attention of the crowd in her dramatic jewelled Armani gownSparkling star: Cate Blanchett was rocking the sequin scales when she attended the How To Train Your Dragon 2 premiere in Cannes on Friday night
ニコール・キッドマンとケイト・ブランシェット。

この2人が出てくると一気に会場の華やかさが増す気がするし、祭典としての格がつく。
写真で見てもこれだけ貫禄があるんだから、隣に立ったら一体どんなもんだろう。
以前、映画好きの友人(日本人の男の子)が、
「僕はニコール・キッドマンなんて目の前にしたらたぶん直視できない気がするよ」
と言っていたのを思い出す。
大女優の迫力。
ちなみにニコール・キッドマンは46歳、ケイト・ブランシェットは45歳だそうです。
30ぐらいになると日本人が「おばさん」と自分のことを言ったりしますが、うーん、話になりませんな。
むしろ30から人生始まる、くらいじゃなかろうか。

PhotoWorking it: The stunner accessorised with a clutch bag and patent beltBe careful! Zoe looked a little uneasy as she made sure not to trip up on the hem of her dress
ブレイク・ライヴリー、ジュリアン・ムーア、ゾーイー・サルダナ。
ジュリアン・ムーアの髪の色が好きです。

PhotoFeeling blue? Jessica donned a royal blue frock featuring a diagonal neckline and high slit which revealed her legs and matching heelsPhotoGreen goddess: Lea Seydoux looked lovely in an elegant emerald gown
イネス・ド・ラ・フレサンジュ、レア・セドゥ、ナガサワマサミ、ジェシカ・チャスティン、…
ん?ざーっと見て行っていきなり顔が大きめな人が現れたので驚いた。
長澤まさみだ。
日本人もカンヌによく招かれる。
日本ではとにかく脚の長くてスタイルのいい女優ということで有名なのだがこの赤いカーペット上においてはそれが全然目立たない。
ファンに怒られるのを承知で言うと、ウエストも太く見える。
ちょうど、サマンサ・タバサの広告で、板野朋美が公開処刑にあったという写真を思い出してしまった。
これ。まあここまでひどくは無いけど。



Working it: Watts looked incredible from every angle and certainly looked confident as she took in the momentWorking it: Watts looked incredible from every angle and certainly looked confident as she took in the moment

ナオミ・ワッツ。Hollywood's most glamorous couple? Ryan Reynolds and Blake Lively arrive for The Captive screening at Cannes Film Festival on Friday 
最後にもう一つブレイク・ライヴリー。ライアン・レイノルズと2人で。日本ではこうやってカップルで公然とかつ堂々と登場するというのは考えられないし、芸能人となると、少し一緒にいるのを見られただけで「熱愛」などという騒がれ方をする。まあ一口に「文化の違い」と言ってしまえばそれまでなのだが、カップルを見て小学生が「ヒューヒュー」と言ってからかうのに似ている。やはり幼稚だと思う。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...