Tuesday 28 September 2021

めまい

日曜の夜、または月曜の明け方、こどもに布団をかけようと思って目を覚ましたときにめまいがした。暗闇だけど分かった。

時々だが、これが起きる。視界全体がぐるーっと大きく回るような感じ。ふらふらするときに「めまいがする」というけど、本当のめまいはこっちのほうだなと思う。回るから。そして船酔いしたときのように吐き気がする。今回はちょうど真夜中、眠い時間だったのでそのまま眠った。朝起きたときはもう景色は回っていなくて、吐き気が少し残っていて頭が重かった。

このめまいがはじまって4年になる。こどもが生まれて、1歳になるころに仕事に復帰したが、ちょうどその1週間か2週間後にこの症状が出たのをよく覚えている。2017年。復帰したばかりなのでかなりいろいろなことに責任感を持っていた。その日は「ゴミ捨て当番」という大したことない仕事で、休もうと思えば休めたのに「いかなきゃ」と思っていた。朝、立ちあがろうにも立ち上がれない。横になるしかないが、吐き気がする。半日経ってから出勤したのを覚えている。こんな症状ははじめてだった。

それと同じことが、年に1回か2回、起きるのだ。メニエル病というのを聞いたことがあったので、これを機に病院に行ってみようと思った。朝一で耳鼻科に行き、目の動きをみる検査、聴力検査などを行った。メニエル病ではないだろう、と言われた。その時点でめまいがしないので、何の病気、という判断もできない。それはそうだと思った。

20日に受けたワクチンのせいか?とも思ったが、もう1週間も経っている。これまで発熱もなかったのに急に症状が出るとは思えない。やっぱり疲れと睡眠不足なんだろう。先週は土曜出勤もあった。土曜の夜はろくに眠れなかった。日曜はプールで泳いだ。久しぶりの飲酒も関係あるかもしれない。

休めというサインなのだなと思うことにした。さいわい、昨日月曜は休暇だったのですこしゆっくりすることができた。頭ではいけると思っていても、身体はついてこれないのだ。たいていのことは寝れば治る。「寝ても治らないのは本当にどこか悪いってことだよ」と以前同僚が言っていた。さらに「ためていいのはお金だけだよ」という、その同僚の名言をよく思い出す。睡眠不足も疲れも老廃物もためていいことない。時間にいたっては流れていくからそもそもためられない。

Thursday 16 September 2021

断る賢さが身に付く

しばらとある研究協力の依頼がきた。断らずにいたのだが、そもそも研究企画がわからない。書類もない。テーマもない。メインの人以外誰が関わっているか知らない。面倒なことに巻き込まれているといういやな予感しかせず、どうも落ち着かない日々。朝方目が覚めてこのことを考え出したりすると眠れなくなる。

このままではいけないと思い「企画書をまず見せてほしい」という連絡を取った。そこでやっと出てきた企画書。(普通は依頼するタイミングでこれ送るはず。)企画書を読んでも具体的なことが何もわからない。

結果、断ることにした。

失うものは何もないと考えるのであれば引き受けても良いのでは、と恩師は言った。5年前だったらとりあえず引き受けたのかもしれない。そういう勢いが失われてしまったとも言えるが、先を見通す落ち着きと知恵と経験と賢さと勇気が身についた考えることにする。権力や名声に振り回されないこと。自分にとって大事なものを見極めること。

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今朝5時半。紅茶と、きのう作ってもらったケーキ。

朝の光は、空気は、なんてきれいなんだろう。
いい季節だ。きょうもがんばろう。

Tuesday 14 September 2021

オステリア コマチーナのチョコレートケーキを作った

日曜、2ヶ月ぶりに合気道に行った。遅れてやってくる筋肉痛。イテテ…

この前の土曜、また午後を料理に費やした(BTSを聴きながら)。たぶん3時間ぐらい台所に立ち続けていたのではないか。もはやストレス解消の一手段になっている気がする。

作ったものは:

・パン(半分はあんパン)

・チョコレート・ケーキ

・ カレー

その他、豆を炊き、卵をゆで、キャベツを刻む、なども含む。

(カレーを作るときに玉ねぎを刻むとなると、子が「たまねぎ逃げないように気をつけてね〜」という。「トッチくんのカレーようび」を読んだためだ。玉ねぎを切って涙が出るのを興味深そうに見る。)

さて、中でもきょうはチョコレートケーキについて書かねばなるまい。話の始まりは「楽天スーパーセール」だった。「3800円のチョコレート・テリーヌが1900円」という記事をあるブログで目にし、ああおいしそうだなあ、買おうかなあ、どうしようかと迷っていたのはセール最終日の夜。「もともと3800円というのが高すぎるよねえ…。よし、あとから考えることにして今は別のことをしよう」と思った。その数分後、1900円のテリーヌを見たところ…

「売り切れ」!!!!

逃した魚は大きい、とはいうが、本当にそうだった。あー、買えばよかった、としばらく悔やんだ。そしてこれはこれで、諦めて、寝た。


その数日前、同じく楽天で購入した料理本が届いていた。『鎌倉 オステリア コマチーナのパスタとつまみ81皿』。(ツレヅレハナコのインスタで見てピンときた。)

[亀井 良真]のdaily PASTA book 鎌倉 オステリア コマチーナのパスタとつまみ81皿

どれも、必要な材料が少ない。手順も少ない。特徴的である。誰でもできそう、というのがポイントらしい。土井善晴さんに通じるものを感じる。偉そうじゃない、というのはほんとに大事です。高級志向のレシピを出したって、世の中のたいていの人には手に届かないわけだから。作る人に寄り添うレシピが好きです。だから、カレー粉の、箱の裏に書いてあるレシピとか、クリームチーズの箱の裏に書いてあるチーズケーキのレシピが一番信頼できる。

本の中で、チョコレートケーキのレシピがあった。その単純さをみて、これなら作れるなあと思いながら数日ながめていた。そして土曜日、買えなかったチョコレートテリーヌのことを考え、家で作ってみようと思い立った。

チョコレートさえ買えばできるので、昼にカカオ含有量72%のチョコレートを買いに行った。冷やし固めるので、出来上がりは翌日。

楽しみに食べてみたら、想像以上に私好みのチョコレートケーキだった。写真あまり綺麗にとれなかったけど、記録として載せておきます。


これは美味しい。そして簡単。濃厚なのでほんの少し食べて満足する。これは間違いなく、繰り返し作ることになるだろう。

オステリアコマチーナのレシピ本、たった一品作っただけでもこれは買って正解だったと言える。ほかのレシピもきっと美味しいに違いない。

レシピも覚えられるくらい簡単。

チョコレート125gとバターは125gを溶かす。
砂糖100gをまぜる。
溶き卵2個をまぜる。

それだけ!!

やっぱり1900円のチョコレートテリーヌは買わなくてよかったと思う。自分で作ったものがこんなにおいしいのだから。作り手に寄り添うレシピを、ありがとう、オステリアコマチーナ。

Monday 6 September 2021

料理をたくさんした週末

 料理が得意というわけではないが、時間のあるときにゆっくり料理をするのが好きだ。一般的に「料理が好き」とは言えないかもしれない。疲れて帰ってきた夕方に台所に立つ気力がない時だってある。できることなら何もせずにゴロゴロしておきたい時だってある。しぶしぶ台所に立ちながらそれを「料理が好き」とは呼べない。まず、何を作ろうかなと考える余裕は少なくとも欲しい。疲れていて時間のないときに「そうだあれをやってみよう」など決して考えないものだ。

というわけで土日には、朝から台所に立っていることがよくある。何も予定がない場合に限るが。この週末もよく料理をした。

土日ともパンを焼いた。土曜日は豆乳、日曜日は牛乳を使ってパンを焼いた。牛乳のほうがやはり出来がいい。

それから、いんげん豆を炊く。金曜の夜から水につけておいたもの。

そして久しぶりにカレーを作った。買い物しているときに思い立って、材料を揃えた。これは時間がかかった。たまねぎを2個みじんぎりしたらやっぱり涙が出た。「トットちゃんのカレーようび」という本を実家で読んでいたので、たまねぎを切ろうとしている私をみて我が子は「たまねぎ逃げないようにね〜」と言った。

あとは、かぼちゃをゆでてサラダにした。切り干し大根とハムのサラダも作った。

日曜はチーズケーキも作った。


すべてBTSを聴きながら。

「暑い暑い」と言いながら台所に立たなくてよくなった。太陽はもう少し出て欲しいけど、本当に過ごしやすい気温だ。

週末は特に何もするまいと決めていたが久しぶりにプールにだけは行った。日曜朝9時に、30分もしないくらい泳いだ。爽快だった。やっぱり水の力はすごいなあ。7月からずっと泳いでいなかったので、泳いだあとはだいぶ脚が重く感じた。そしてとてもお腹が空いた。やっぱり運動はいいなあと思った。こういうお腹の空きかたが理想的なのだと思う。スーパーに行ったらなぜか、むしょうに魚が食べたくなった。朝10時である。どうしようもなくて半額になっていた調理済みのさんまの蒲焼を買って、家に帰って食べた。珍しいことをしている、と自分でも思った。

Saturday 4 September 2021

仕事再開の疲れとコロナのおかげで得たこと

 2学期になった。授業再開。

夕方5時ごろになると自分がとても疲れているのがわかる。大したことはしていないのに、こんなに疲れている。その証拠に、この二日間は特に、こどもに笑顔で接することが減っている。これは自分でもわかる。こどもが「これみて〜」とレゴを持ってきたときに「どれどれ」と言って対応するのだが、これがまったく、楽しそうに対応できない。余裕がないというか余力がないというか。

身体がまだ8月のままなのだ。切り替えられていない気がする。しかも授業再開してまだ2日しかたっていない。そしてオンライン授業が入るので、体力の消耗はかなり少ないはずなのに。

一般的な勤め人からすると、私の生活は物理的にも精神的にもかなり余裕があるほうだと思う。自転車で仕事に行けるし、職場でも自由がきく。なのにたった2日でこんなに余力がなくなるとは。こどもの熱もあったせいか、この一週間はものすごく長く感じた。いや、九月第一週はだいたいいつもそんな気がする。「始業式が遠い昔のようですね」と同僚と話す。

土日はなにをしようかなと考えるが、やっぱりなにもしないのがいいのではないかと思うようになった。先週の土日も、なにもしなかった。この夏、コロナもあって、何日もの間、なにもしないで実家にいたわけだが、これで結構時間の過ごし方を覚えたように思う。ごろごろしていると太るんじゃないか、とか思うけど、太らないように食べる量を気をつければ良い。それでもプールぐらいは行こうかなあと考えているが、行ったとしてもまあそのくらいだ。合気道はやめておこう。コロナもあるのでちょっとひかえたい気持ちがある。というわけで、コロナのおかげで身についたことのひとつは「あきらめること」かもしれない。

「コロナが終わったら会おうね」と言い合う友人が何人もいる。去年ぐらいだと、本当に会いたいと思っていたが、最近、「本当に会いたいだろうか?」と思うようになった気がする。人に会わないことに慣れてしまった、とも言えるし、自分にとって心地よい縁がさらに見極められているとも言える。いずれにせよ、自由に人に会っておしゃべりできる日が早くきて欲しいのは事実。

涼しい。秋なのだ。先週のきょうはエアコンをつけて寝ていたのに、急に秋になった。秋になると新しい服が欲しいと思うことが多いが、ネットなどで見てもとくに欲しいものがない。これもコロナ効果か。

Friday 3 September 2021

哲学する5歳

 ビールよりワイン、アイスよりチョコレートが美味しい季節になってきました。スーパーでビールの横を通りかかってもあまり魅力を感じない。ほんの数日前までは「エアコンつけないと眠れない」とか言っていたのに、きのうきょうはもはや寒い。9月って、秋ってこういうことなのねー、という感じ。

アイスよりチョコレートと書いたけど、きのうはふと、アーモンドチョコレートを見つけて(たしかロッテだった)手に取って買い、夕方に一気に食べてしまった。美味しかったし、久々に「チョコレート食べたい」という衝動を感じた。

おとといの夜、こどもを寝せていたら「パパとママとぼくは、いっしょに死ぬの?」と聞いてきた。「そうとも限らないなあ。誰がいつ死ぬかは誰にもわからないよ」と答える。最近どうやら、人はいつか死ぬという事実がわかってきている様子。

子「どうやったらわかるの」

私「いっぱい勉強したらもしかしたらわかるかもしれないけど」

そのあと1分くらい沈黙

子「ぼく勉強してみたい」

私「そうかー してみるといいよ」

そのあとまた沈黙。

子「ぼくはパパとママが死ぬのやだ」

と言いながら、肩をひくひくさせてなんと泣き始めた。

私「心配になっちゃったの?」

黙って頷きながら涙をぽろぽろ。

子「だれも死なないといい」

私「うーん…」

子「どうやったら死なないの」

私「ちゃんとごはん食べて、いっぱい寝て、運動してたら長生きするよ」

子「あとは」

私「ひとりぼっちに、さみしく、ならないほうがいいなあ。楽しい気持ちでいたほうが長生きするね。からだの元気とこころの元気」

子「わかった」

それからしばらくして寝た。哲学する5歳は、真剣に生きている。

Wednesday 1 September 2021

耳と誕生日

 子どもの誕生日その後。

朝から39度を超える発熱。9時には小児科に連れて行ったが特に薬を処方されるでもなく、PCR検査を受けるでもなく、家に帰ることに。このとき38.8度。いつもの風邪で、よくある発熱だと判断されたのだと思う。そして私もそう思った。解熱剤もなくてたぶん大丈夫ですと答え、帰宅。

誕生日プレゼントのレゴで遊んでいたが、限界がきてソファに横になる子。それから頭をなでてあげたら寝た。苦しいだろうになあ。せっかくの誕生日なのにかわいそうになあ。布団に寝かせ直してあげた。そのあとだいぶ長く眠っていた。3時間は寝ただろう。わたしはその横に座って、イヤホンを使ってずっとBTSのMVその他動画を見続けていた。

3時前ごろだったか、目を覚ます子。このときも39度前後の熱。「ケーキ食べたい」とはいうものの見たところそれどころではない。もう少し休んだら、と言い聞かせて横にする。それから「耳が痛い」と言い出す。熱が上がるとこういうこともあるのかもしれない、と思った。解熱剤をもらっておくべきだったなあとここで後悔。保冷剤で冷やすと少し落ち着くらしいが、それでもやはり耳の痛みを訴える子。小児科に電話してみよう、ということで携帯を手に取ったのが3時半ごろ。いつもの看護師さんは丁寧に「耳鼻科に行ったほうが良い」ということを説明してくれた。中耳炎などの可能性もあるということだった。今から外に出るのは面倒だなあと思ったが子の訴えは耳に集中している。しかも右耳だけ。行く?ときくと、うん、としっかりうなずく。こんな高熱の人間を2回も外に出して、あんまりよくないよなあと思った。

余談だが、子育てをしていて自分のずるさに気づくのは、判断を子供に任せるときである。単純な2択であっても自分がどうしたらいいかわからないときに、子に一任するかのように判断を求めてしまう場合が多い。「パンかおにぎりか」ぐらいだったらいいけど、ほんとうは親が判断して当たり前のところを子供に判断させ、さらに、それで、こどもに責任のないところで都合が悪くなると「でも今〜って言ったじゃん」などと子供のせいにすることがある。子どもも困るだろうに。

近くの耳鼻科に電話してみたら、熱があってもいいからそのまま来てくださいということ。隔離しないらしい。というわけで4時半ごろだったか、連れて行ってみた。そこまで待たなかった。ベテランの先生で、右耳を見た瞬間に「わっ…」とおっしゃる。どうしたかと思ったら「先が見えないよ、おかあさん」とのこと。耳垢が詰まりすぎていて耳の中が見えないらしい。というわけで耳の大掃除をすることになった。硬くなった耳垢を柔らかくし、掃除機みたいに吸い込むことに。目薬みたいな液を耳にいれて10分くらい横になって待つ。

「きょうは誕生日なんですよ」と言ったら看護師さんたちは「あら〜そうなの〜!おめでとう」と言ってくれた。子は「レゴをもらったの。でもレゴってなんのことかしってる?」と言って看護師さんたちに話し始める。

看護師さんってどうしてこんなに人にやさしくできるんだろうなあ。大変なことがおおいだろうに。ほんとに、泣けるレベルである。

10分後、掃除機のような機械をつかって、耳垢をとりだした。巨大な。びっくりした。目を疑う大きさだった。こんなのを耳に入れて過ごしていたのかこの子は。きっとろくにきこえてなかったんじゃないだろうか、と思った。そしてよく耳を掻いていたのはこのせいだったのだとわかったし、飛行機に乗っても耳が痛いを繰り返していたのはやはりこのせいだったんだろうと思った。「耳栓を入れて過ごしていたようなものだから」と医師は言う。

ここで「親として申し訳ない」という想いも少しよぎったが、耳掃除は歯みがきと違って必須ではない。先生に、耳掃除をしょっちゅうすべきなのか、と聞いたら、いやいやそんなことはないよと言われた。こうやって耳鼻科に来てからとれば良い、とのこと。というわけで申し訳ないというよりはとれてよかったという想いのほうが大きかった。

なんだかすっきりして家に帰る。そして急に元気になる子。もしかしてこれで熱も下がるのか?と思ったが、先生いわく、耳垢をとったあとのところでそれほどの炎症が見られるわけでもないので、耳のせいで発熱してたとは言い難い、ということだった。

しかし、それにしても急に元気になっている。家に帰ってしばらくしてから熱を測ったら36.9度。だいぶ下がっているではないか。病院にいく前まで39度近くあったのに。

ケーキ食べたい、というので今度こそケーキでお祝いすることにした。パパが昨夜作った、マスカルポーネのケーキ。上に、ブルーベリーで、名前と「5さい」と書いてある。実家からもらったろうそくを立ててお祝いした。


耳…   

耳か…


と、わたしは半ばあっけに取られたような感じでケーキを食べる。「まさか、そういうことだったとは」と。耳に原因があるとは想像も、疑いもしなかった。そういえばまる1日、看病していてろくに食事をとっていなかったのでお腹が空いていた。2切れペロリとたべてしまった。

子の発熱は、まだ油断はできないのだが、やっぱり耳の影響は大きかったらしく、本当に熱は下がった。

人間の身体の神秘というか不思議についてその後ぼんやりと考えていた。不具合や反応が起きるといっても機械とは違うので、Aのボタンを押したらBのライトが光る、みたいな感じではないのだ。色々な要素が絡み合っている。そもそも個人差、個体差があり、そこに外環境(気温など)、前後の行動、ふだんの行動様式、習慣が関わってくる。脳や性格もたぶん影響するので、一概に「AだからB」とは言い切れない。以前、理科の先生が「医学は経験だから」と言っていた。たくさんのケースを積み重ねて判断基準がつくられていくのだろう。今回の件ではそれを思い知った。

「耳鼻科に行ってください」と電話でいう小児科の判断の適切さもすばらしかった。とりあえずもう一回来てください、ではなかった。たぶん親としてもこうやって経験が積み重なっていくのだろう。

100均で買ってきたHappy Birthdayと書かれたピカピカ光る風船を膨らまして遊び、満足そうに寝た。

キーワードは「耳」。一生忘れられない5歳の誕生日になった。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...