Tuesday 25 July 2017

家事サービス 第二弾


はい、じゃじゃーん、これなんでしょう?

最近このブログを読んだ人は記憶に新しいはず。
そう、家事代行サービスの第二回目を依頼しました。
子どもが1歳になる前に、チケットを使い切らねばと思い依頼したのはもう1ヶ月近く前。やはり人気の会社のようで、そんな簡単に空きは出ない。

前回は、どうしようかなーちょっとめんどいなあと思いながらの依頼だったけど今回はもはや楽しみでした。
というのも前回依頼して、これはまったく肩肘張らずにお願いしちゃっていいのだということが分ったのと、また同じ女性が来てくれるということがあらかじめ分っていたのでより安心していられた。

こっちもなんとなく要領が分ったので、朝、保育園に子どもを送った帰り道にいくらか野菜を買っておいた。そして、「前回のポテトサラダが美味しかったです」と、いくつかリクエストをしてみた。

すると、たったの1時間半で7品が出来上がった!!!
すごい、ほんとすごいよこの人…。
前回よりずっと早くなっている。たぶんうちの台所を使うのが2回目で慣れたからかなあ、とは思ったけど、それにしても早い。プロだ。

今回も「お砂糖どこでしたっけ」しか聞かれなかった。鍋とか調味料の位置が分らずうろたえるなんてことは前回同様まったくない。うーむ。手際が良いなんていうレベルじゃない。しかも、リクエストをしたことはしたが、それを差し引いても、頭の中でのプランの描き方がすごいと思う。材料を見てメニューが頭に浮かび、一時間半のうちに同時進行で7品を作るわけだから、えーっと、どうなってんだこりゃ?手は2本しかないよ?コンロも三つしかないよ?

「えーっと、30分余りましたからお掃除でもしましょうか」と言って掃除機をかけてくれた。

保存容器に入った上の写真は、ナスを入れるのを忘れていたからあらためて皿に盛ったものを;
ナスの揚げびたし
ポテトサラダ
れんこんのきんぴら
かぼちゃの煮物
ズッキーニのしょうゆ炒め
小松菜のおひたし
切り干し大根とツナの煮びたし

ぜんぶ美味しい。細胞が満たされて行く。
明日まで料理はしなくて済みそう。

Sunday 16 July 2017

出かけて正解

湿度も温度も高い。どう過ごせばいいだろう。毎年のことなのにこんなに参ってしまうのは、今年は仕事に行っていないからかもしれない。とにかくエアコンが無いと息がしづらい。同じ夏の暑さでも、これが田舎だと朝夕はもっと涼しいし、自然の風が吹くのでもっと過ごしやすい。

昨日も本当に暑かった。午前中、さて、どうしようか、と考えた。保育園が休みなので、いつものように地域の遊び場や図書館に行こうかなと思ったのだが、久しぶりに子どもと一緒に電車に乗ってどこかに行きたい気がした。実は職場にちょっと用があったのだが子どもを預けられないのなら行くのはやめようと思っていた。しかしなんだか昨日の勢いだと「一緒に連れてけばいい」という考えにすぐいたった。

ただ、この暑さではためらう。そして、行きかたが何通りもあるのだがそのうちのどれをとるか、さらに迷った。そしてそもそも行くべきかどうか、行った先での用事にどれくらい意味があるのか、考えた。正直なところ行く意味はあまり無い。

それでも、えいやっと出かけた。なんだかきょうはそうすべきな気がしたし、そういうときってある。行って、たぶん1時間も滞在せず帰ってくるだけだけど、少しイベントというか小さな冒険、的なことを子どもとしたいと思った。

迷って乗った電車の先頭車両は混んでいた。さらに久しぶりの電車にこどもはきょろきょろ、驚いている。ベビーカーはいかにも邪魔そうだったので二駅乗って降りて、うしろの車両に移動しようとした。けれどその電車で移動をするのは間に合わなかったのでもう1本待つことにした。それから一番後ろの車両に乗った。

汗がたらたら、ぽたぽた。「ごめんよー、あちこち行っちゃってね」と子どもに言う。

やれやれ、と、心の中で思った。やっぱりこういう日に出かけるとこういうことになるなあ。別のルートで行ったほうが正解だったかもしれない。こんなに苦労をしてまで行く意味があったろうか。しかしもう出てきちゃったのだから後には引けない。

目的地に着いて改札に向かおうとしたそのとき、見覚えのある姿が…

なんと、大学時代の恩師だった。お互いにびっくりした。会いたいと思いながら一年以上会えていなかった。めちゃくちゃ嬉しかった。やっと子どもに会わせることができた。

映画の「スライディング・ドア」をこういうときは思い出す。電車に乗った自分と乗らなかった自分。

やっぱり今日は出かけて正解だったのだ。1本後の電車に乗って正解だったし、このルートでよかったし、そもそも職場に行くことにしてよかった。先生に会えたというそれだけですでにきょう出かけた意味はあったと思う。

やっぱり私、センサーみたいなのがあるなあと思ったし、自分のアンテナというかセンスには自然と従うべきだと思った。

Saturday 15 July 2017

保育園でケガ

7月14日、昨日のこと。
いつものように9時に保育園に子どもを預けに行った。いつも以上に泣いていて、やはり心が痛んだが、心を鬼にして去る。

それから数時間後、保育園から着信あり。なんとこどもが怪我をしたという。目じりを切った、ということだが、どの程度なのか気になる。近くの病院にすでに診せに行っているらしいのでそれほど心配はいらないようだがやはり気が気ではない。

12時になって迎えにいき、様子を見てみるとたいしたことはないようだったが、目に影響があるかどうかはやはり気になった。念のためいつもの小児科に行くことにした。保育士もついてくるというのでお願いすることにした。小児科では、傷についてのみ診てくれた。目に関しては分らないので今日中に眼科へ、と言われた。そこから徒歩一分もかからないところに眼科があったので行ってみたら、目に傷はついていないと言われた。よかった。

どれくらい保育園を信頼してよいのか、初めての経験なので私もはかりかねるところがある。しかし信頼するほかないのだ。確かに注意して見ておいて欲しいというのは事実だが、どこにいても起こりうる怪我かもしれないなとは思う。ただ、保育園側にはこの反省を生かして欲しいと思うし同じことは起こらないといい。それ以上言いようが無い。

傷はおそらく3,4日で治るのではないかと思っている。その頃にはもしかしたら新たな傷を作っている…かもしれない。と、きょう、遊び場の棚にガンガン頭をぶつける姿を見ながら思った。

Thursday 13 July 2017

保育園に通って1週間

暑い。エアコンなしでは過ごせない暑さの日々が続いている。今週に入ってからは特に暑い。梅雨が明けたわけではありません、みたいなことをテレビの天気予報で言っていたのはどれくらい前だっただろうか。

先週から少しずつ子どもが保育園に通い始めた。今週はお昼ごはんまで食べたところで迎えに行く、ということになっている。ほんとうに少しずつ慣らしていく予定。私の仕事復帰までにはまだ時間があるし。だいたい1週間通ったことになるが、ついに「この場所に連れて行かれると親がどこかに行く」ということを理解し始めたらしく、きょうは泣き叫んでいた。後ろ髪ひかれる思いで置いて行ったが、保育園に行っていじめられるわけでもないし変なことをされるわけでもないのだから、これで良いのだ、と自分に言い聞かせている。きっとすぐに慣れるしすぐに楽しくなるはず。

24時間つきっきりではなくなったおかげで私には心の余裕ができた。たったの3時間、午前中に離れているからこそ、戻ってきたときはたくさん抱きしめてあげようと思えるし、世話をすることが以前ほど苦しくなくなった。子育てに限らずやっぱりメリハリが大事である。

3時間、何をしているかといえば、本を読んだり好きなものを食べたり美容院行ったり買い物したりウロウロしたり… という感じ。今までやりたくてもできなかったことを思う存分やらせてもらっている。こどもがどんな顔をして保育園で過ごしているのか、と考えると少し不安になるのも事実だが、せっかく手にした自分の時間は有意義に使いたいものだ。

保育園に行くようになったおかげで以前に増して生活リズムがしっかりしてきた。気のせいではなくてこれは明らか。というのも午前中の睡眠を、保育園でうまーい具合に(というのは、寝すぎずに、ちょうど30分くらい)取れていて、きっちり同じ時間に昼食を取っているので、それに合わせるかのように就寝時間と起床時間が定まってきた。

就寝時間は以前まで9時以降だったり、10時の時もあったりした。それが9時になり、きのうときょうは8時。さらに夜中に起きる回数が減ってきた。

昼寝は二時間ぐらいさせて、遊ばせて、6時にお風呂、7時にごはん。
朝はやはり、きれいに6時~6時半の間に起きる。すばらしい。これは前から変わらず。

リズムを整えることは一般的に「だいじ」とは言うものの、何がどう誰にとって大事かっておそらく本人にとってだいじなのである。きっと過ごしやすく生きやすいに違いない。

Sunday 9 July 2017

ある平和な夏の朝

朝は5時半ごろ起きた、と思う。時計を見ていないし、太陽が5時台ぽかったし、ラジオ第2は無音だったから。こどもが起きたのでそれで一緒に起きた。昨夜はよく眠れたのか何なのか覚えていない。何度か起きたような気もするが覚えていない。エアコンをつけたのもあって比較的良く眠れていたのではないだろうか。

昨夜は7時ごろから泳ぎに行った。家の近くにもプールはあるが、そっちじゃなくてもっときれいでもっと人の少ないほう。かれこれ10年ぐらい行っているんじゃないだろうか。こどもを預かってもらい、手放しで出かけた。もう、気持ち良いのなんのって!

夏の夜が好きだ。日が沈んで暑さがおさまり、プールで泳いで濡れた髪で外に出ると気持ちが良い。Tシャツ、短パン、サンダルで、つめたいビールを飲んでぶらぶらする。
こんな形の自由もある。
ささやかだけど、確実な幸せ。

やっぱり同じ時間に寝ても、運動をした後には眠りの深さが違う気がする。夜に何度か起きたとしても、そして今朝5時台に起きたとしても、きょうはいつもより目覚めが良い気がする。暑かろうが寒かろうがからだを動かすのは大事だ。

6時半にラジオ体操をしていたら汗がふきでてきた。暑い。今日は(今日も)暑い。こどもにご飯を食べさせた後、本格的に暑くなる前にと思って外に出た。7時から8時まで散歩。健康的だ。暑いだろうと思って甚平に着替えさせた。この前西友で衝動買いしたつ。や夏らしくて良い。

コンビニでアイスコーヒーを買っていたらおじさんに「早いねえ」と話しかけられた。花壇の雑草をとっている別のおじさんに「おはようございます」と言ったらやや驚かれたがおはようございますと返ってきた。八百屋さんにもおはようございますを言ったら驚かれたが返ってきた。だって朝7時だもんね、おはようぐらい言いたくなるよね。この時間に外に出てるってことはやっぱり彼らも朝の爽やかさを感じているわけで、気持ち的には「おはよう」なんだから。

公園にはすでにたくさんの人たちがいた。ジョギング、犬の散歩、などなど。みんな健康コンシャスだ。だけどこんなに小さいこどもをつれているのはどこを見渡しても私ぐらいしかいない。

公園を回っている間に眠くなったらしい、泣き始めたので帰った。ベビーカーから抱き上げた途端に頭をことんともたれ掛からせて眠りに着いた。エアコンを入れて、横にして、
いまちょうど2時間くらい眠ったところ。平和な夏の朝。

Wednesday 5 July 2017

7月5日。忙しくて暑い。

7月5日。暑くて、忙しい一日だった。
7月5日といえばちょうど産休が始まった第1日目だった、去年は。もう一年が経つのだ。

朝6時ちょうど:
子どもが目覚める。本当に健康的だ、この子は。

6:30 (いっしょに)ラジオ体操をして朝ごはんを食べる。

8:30 おしりのかぶれが気になるのと、右目の目やにが気になるので小児科へ。

少し買い物をして帰宅。帰り道のベビーカーでみごとに眠りにつく。それから10時ごろ、おきてくれたらいいなーと思って見つめていたら本当に起きた。

10:30~ 保育園入園手続き。あらためて、急だなあと思う。こどもは、いつになく警戒していた。先日も行った場所だというのになかなか動き出そうとせず、おもちゃにも興味を示さず、不思議な泣き方をする。抱っこしてしばらくすると落ち着くが、泣き方がおなかすいた、でも、ねむい、でもない。自分がここに預けられるということを察知しているのだと私は思った。なんでも分っているのだ。まさか自分をあずけるんじゃないよね、みたいな目でときどき私を見つめる。

12:00に説明が終わって、郵便局に寄ってから帰る。郵便局のお姉さんが「私はこどもが今月で1歳になるんです」と言っていた。つまり彼女はこどもが1歳になる前にすでに仕事に復帰しているのだ。思わず「復帰していらっしゃるんですね」と言ったら、微妙な表情、というか苦笑しながらだまってうなずいていた。みんながんばってる。帰り道がめちゃくちゃ暑い。

13:00から遊び場で行われるリトミックに参加すべく大急ぎで昼ごはんを食べさせた。私が口に入れたのはかろうじてCCレモンだけ。めっちゃ暑いけど出かけよう~♪という適当な歌を歌いながらリトミックへ。

リトミックって一体何なのか分ってなかった。私がイメージしていたのはもっと音楽に特化した、より専門的で高度で面白いものだった。実際は、歌にあわせて体をうごかそう~♪みたいな感じ。そんなに専門的なものでもなんでもない。

問題は、それに参加するかどうかだ。いや、こどもはその場(部屋の中)にはいるのだが、部屋中を縦横無尽に這い回っておもちゃで遊んでいるため、リトミック自体にはまったくといっていいほど興味を示さない。「はい、だっこしてみましょう」とか「ゆらしてみましょう」とか夢のまた夢というか。その場に留まっていないしほかのものに興味を示しているため抱っこどころではないし、無理に連れ戻すほどでもないなと思ってそのままにしてあきらめた。タンバリンを持ったときだけは大喜びしていたけど、スカーフみたいなのをかぶせられたりしたときは本気でうっとうしそうだった…。「はい、ではこどもと向き合って、おかあさんがこどもの視界から消えてみましょう~」といわれて、同じようにまったく輪に入ってない子のお母さんと目を合わせて笑った。「視界から消えるって、どっちの話だろう、って感じですよね」と。

2時過ぎ。お昼を食べていなかったのでセブンイレブンで冷たいうどんを買って帰る。またしても帰り道に寝てくれた。すごい。帰宅して横にして、つかの間の休息。うどんを食べる。それにしても暑い日だ。寝ているすきに、保育園の書類を書きこむ。

4時からは(私の)歯医者。これまたこどもが起きてくれたのですんなりと移動ができた。電車にのっていつもの歯医者へ。クリーニングをしてもらう。

それから帰り道大変なことが起きた。

雨が降ったのだ。大雨。しかし、乾いたアスファルトが湿っていく感じは結構好きだし、まあそのまま歩こう、と思っていたらなんとどしゃぶりになった。これは楽しむどころではない。ベビーカーには幸い、カバーがあったので取り付けた。私はというと、ずぶぬれになって帰った。いや、実を言うと少し楽しかった。中学のときに自転車で濡れながら帰ったこととか思い出した。すれ違う、かさを持っていない小学生や部活帰りの中学生を見てちょっと嬉しかった。ある意味、この季節の醍醐味かもしれない。

帰ってからすぐにこどもをおふろに入れた。

咳が相変わらず治らないのできょうこそはのど飴を買った。VC3000。つらいなあ。

忙しかったけど充実した1日だった。子どもは朝寝も昼寝もしたにも関わらず、7時過ぎにすでに眠りについた。

こうやって、産休に入って一年後の1日は過ぎて行く。きょうはアイスクリームもゼリーもヨーグルトも食べたけどまだのどがつめたくてつるんとしたものを欲している。ジュース飲みたいなあ…

Tuesday 4 July 2017

周りに感謝した日

保育園から電話がかかってきて、その内容を聞いた瞬間はまさかこどもを預けて復帰しようとは思わなかった。3月までは毎日こどもとつきっきりで過ごすつもりでいたし、そもそも復帰する予定を「やっぱり育休延長します、言うことがコロコロ変わってすみません」と職場に頭を下げてきたのが2ヶ月くらい前のこと。だから電話が来たときは、その内容を理解はできたもののなんとなく人ごとのようでもあったし、現実的に考えられなかった。ほんの数分たって、「あれ、もしかして仕事ができちゃうということか」と思った。だんだんとリアルになってくる一方で、誰かにこのことを話したかった。家族や友人に相談することにした。あまりに急すぎて、ドキドキがとまらなかった。こどもの顔を見たら急に泣けてきた。(ということはもうあの時点で、預けようと思っていたということだろう。)

結局一番最初に相談をしたのが、地域の子育て支援コーディネーターだった。ちょうど先日、一応と思って電話番号を控えておいたので、そこにかけてみた。そしたらどうやらいつも行っている遊び場の担当の方だったようだ。私のことを覚えていてくださった。よかったですね、またとない機会だと思う、と言われた。急で戸惑いはあるだろう、というのも分かっていてくださった。ごく冷静に、「保育園に連絡する前に、職場に、空きの連絡が急に来て戸惑っているという連絡をしておくべき」と言われたのでその通り、すぐに職場に連絡した。「今日中に決めて連絡します」と言った。

親とも話した。父親、母親、弟、それぞれに受け止め方も考え方も違うと思った。それでも、「答えは出ている」と父親に言われて、うん、そうだなと思った。

よく言われることではあるが、やたらと人に相談するときは実は答えが自分で決まっていて、あとはただ後押しが欲しいだけという場合が多い。昨日の場合はまさにそうだったと思う。どうしよう、と言っている割には、「こどもは親と一緒にいるに限る」などと言われると過剰に反応してしまったり、預けたほうがいい理由を一人でどんどん列挙しながらしゃべったりしていた。

それでもやっぱり大きな物事を決めるときには他人と会話するに越したことはないと思う。話すことで自分のもやもやを外に出して、考えとして整理できるから。そして特に手順を踏まなければいけないときなど、一人で慎重さが欠けそうなときはなおさら他人に話す。

そんなこんなで電話が来てから数時間後にはだんだんと「預ける」方向に考えが固まって行った。

大事なのは、職場である。この一年にわたる「ぜったい延長しません」「あ、やっぱり延長します」「あ、やっぱり延長しません」という一連の宙ぶらりんな感じを本当に受け止めてくれるのか。

電話したら管理職は「いずれにせよ決める権利はあなたにありますから」と言った。そして私の代替の方は「どちらになっても大丈夫です」と言った。理解あるどころではない、もう、頭が上がらない。すみませんしか言えなかった。いい加減にどっちかにしろよ、と言われてもおかしくないところなのに。

夕方に代替の方に「保育園に預けることにしましたので復帰します」という旨を伝えると「決まって良かったですね」とさわやかに答えてくれた。有難すぎる…

午後から、遊び場に出かけて行って、直接コーディネーターと話した。1時間近く、話ができた。仕事と育児についてが主だったがかなり深い話を聞くことができた。行って本当に良かった。こういう場や人をaccessibleに設けてくれている自治体に感謝した。そして、この10ヶ月間でこの場を見つけてこの人と知り合った自分に、でかした、と言いたかった。

それにしてもコーディネーターをはじめとした、自治体の、子育てに関わるスタッフさんたちはプロだ。経験があるというだけではない。よく勉強して、最新の情報を常に仕入れているので話がしやすい。考えを押し付けられることもない。なのに日々見守られている。よく遊び場に通っているというのもあるけど、とにかくよく理解してくれていて、覚えてくれている。道であっても声をかけてくれる。適格なアドバイスをくれる。

私自身の心がだいぶひらけた、というのもあるだろう。最初は「うちの子は他の子と違うし」という意識がやっぱりどこかにあって、地域がこんなにオープンでいてくれているのになかなか打ち解けようとしていなかった。要するに、強がっていたのだ。それがここ数ヶ月、手も足も出なくなり、発狂寸前になって助けられたのがこういった遊び場、区の施設だった。いつでも相談どうぞ、いつでも味方ですよ、と手を差し伸べてくれている。

保育園が見つかった今だからこんなに明るい気持ちになっているだけかもしれないけど、やっぱり自分もオープンになって近づいて行けば、いい環境、いい関係が自分で築ける。結局は自分次第である。どんな環境にいても自分が変わればちょっとずつでもいいことは起きる。そして受け入れてくれている周りに感謝。

さて、雨の音を聞きながら寝るとします。咳は相変わらず治らないけど昨日よりちょっとマシかな。

Monday 3 July 2017

空きのしらせ、喉が痛い

喉が痛い。数日前から痛い。
昨日は咳が止まらなかった。きょうあたり、治るだろうと思っていたのだがそうすんなりとはいかない。きょうは声が枯れている。久しぶりにこんなことになった。咳が何週間も止まらなくて困ったことが、仕事をしていたときにはあった。あのときは本当に苦しかったのだが、今までその大変さと苦しさを忘れていた。これは苦しい。ちょうど数年前もだいたい梅雨の時期だった気がする。季節の変わり目ということだろうか。何をどうすれば治るか分らないが、地道なうがいが一番効くと聞いた。そしてきょうのど飴を買うのを忘れていた。

どうして忘れていたかと考えてみると、きょうはとても大きな出来事があったから、かもしれない。午前中に留守電メッセージが入っていたので聞いてみたところ、以前見学に行った保育園からだった。もしかしてと思ってかけなおしたら、空きが出たとのこと。以前書いたとおり私は育児休業を延長することに決めていたので正直なところ気が動転するくらい驚いた。そんなつもりではなかったからだ。それでも冷静になって考えてみると、こんなチャンスはなかなか無い。つまり秋から仕事ができるわけだ。数時間の間にいろいろな人に相談をして、保育園にいかせることに決めた。これで断る理由は無い。

あさって手続きをすることになった。とにかく急だが、このチャンスにのってみることにした。

Saturday 1 July 2017

ママとかパパとかねんねとか

湿度が高い。洗濯物が全然乾かないにも関わらず新たに洗濯をして干してしまった。まあいずれは乾くだろうし、汚れて湿ったものを積み重ねておくよりはマシかと。

朝からエネルギーが有り余った子どもを遊びに連れ出し、帰り道にみごと眠らせて帰ってきた。最近は横にしただけですーっと眠るようになったので楽になった。授乳やだっこの必要がないので、深い眠りに落ちるまでずっと腕に抱いたまま待つ必要もない。焦らなくても自然と成長していくものだ。

それにしても夜に起きる回数がすごい。昨日は蒸し暑くて寝苦しかった。私でもそうだったのだからいわんや赤ちゃんをや。

きのう、「赤ちゃんが朝までぐっすり眠る本」だったか何だったか、タイトルは忘れたけどそういうのが施設にあったので手にとってみた。本屋で平積みされていたのを見たこともある。

開いてしばらくして思った。
「アウトー。」

合わない。私には合わない。というのも「睡眠」のことを「ねんね」、読者として想定される女性のことを「ママ」、そのパートナーのことを「パパ」と書いてある。

なんだよたったそれだけかよ、と思うかもしれない。
むしろ子育て本なんてそんなのばっかりだろうに、と思うかもしれない。

しかし私はこういう文言を見ただけで拒否反応が出る。(実際のところ、書いてある内容も「うーん、そうかしら」と思えるようなものばかりだったのだが。)世間では受け入れられるかもしれないけど、私はお断りだ。

どうして世の中は「ママ」と呼びたがる、あるいは呼ばれたがるのだろう。(「ママ」と「おかあさん」の違いについてはまた別の話。)私は私であって「ママ」ではないし、パートナーはわたしの「パパ」ではない。その男性は、その女性の産んだこどもにとっての「パパ」であって、彼女のパパでは決してない。「パパはこどもの泣き声が聞こえてないことが多いのです。ママには本来から察知する能力が備わっています。」と平気で書いてある。

たったそれだけのことなのだが、言葉の持つ力はとても大きいし、出てくる言葉には全てその人の根底にある意識が表れていると私は思っている。自分のことを「ママ」とか「おかあさん」にカテゴライズしてしまう女性は、そうすることが心地よいからそうするのだろう。しかしその人からママとしての役割をとってしまったら何が残るのか。こどもが生まれる前、彼女は一体誰だったのか。こどもが生まれた途端に「ママ」になることが決定して、そのあとの人生もずっと「ママ」なのか?

ママである以前に女性であり人間なのだ。私は私であり、ほかの誰でも無い。私にある魅力は、私だからあるのであって、ママだからあるものではない。子どもがいる、という事実は私についての情報のひとつに過ぎない。だから私は、どうしたって自分のことを「ママ」とか「おかあさん」とか呼ぶことができない。自然と呼ぶようになるのかと思っていたが、どうしてもその言葉は口から出てこない。

さらにこどもは私の所有物でもなんでもない。ひとりの人間であり、私とは別の個性を持つ、別の人物。制御できる部分はすでに限られている。

私は第二者の前で自分のことを「わたし」と呼ぶ。その相手(第二者)が誰であろうと、変わらない。

「ねんね」についてはまた別の話だ。
相手がこどもだからといってこども専用のことばを使うのにも私は抵抗がある。立つことを「たっち」とか、靴のことを「くっく」とか、ごはんを「まんま」とか言わない。こどもは小さいけど一人の人間であって、一対一でコミュニケーションをとるのだから、普通に話して良いしむしろそうすべきだと思っている。

ただ、これは、わたしのこどもがまだ10ヶ月で、ことばを話さないからそう思っているだけかもしれない。実際に話すようになると「たっち」とか「くっく」のありがたみが分かるようになる…のかもしれない。

まあ今の時点では、ママとかパパとかねんねとか、そういう言葉を見るたびにうんざりしてしまうのであります。賛否両論あるだろうし、もしかしたら数ヵ月後の私がこれを読んだら何言ってんだい、と思うかもしれないんだけど、今のところの正直な気持ち。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...