Thursday 31 October 2019

友人に会う、子の夜泣き

昨夜は友達に会った。平日にこうやって会える相手は結構限られている。皆仕事や子供の世話で忙しいからだ。いや、平日じゃなくても皆忙しい。それでもこうやって会えるのは本当に嬉しいことだ。

ところで今、最高にいい気候だ。朝も夕も自転車に乗ったときの爽快感がなんとも言えない。ただ、10月のこの気候は残念ながら一瞬で終わる感じがある。今を満喫しておくべし。

いい気分で帰宅した昨夜、子どもがちっとも寝付かず困った。いったんは寝付いたのだがそれからまた起きてきて泣き出す。「耳がかゆい」と言う。そのあともずっと泣いていた。こんなことは滅多にない。少し寝たかと思うとまたすぐにギャーと聞こえる。なんと1時半までそんな状態。寝たい時に寝られないとこちらもストレスがたまる。参ってしまった。具合が悪かったのか、なんだったのかよくわからないが結局私はいつもの時間に起きこのとおりの寝不足である。なんなんだろうな。

そんなこんなできょうもはじまります。

Sunday 20 October 2019

日常から離れてそれを客観的に見る

郷里に戻っている。22日が祝日ということを知ってすぐ21日を休みにすることに決めて、何か月も前にチケットを購入しておいた。チケットを買う時点では、10月にどんな仕事を抱えているかもわからないし子どもも私も体調がどんな感じかは想像もつかないのだが、こういうときは覚悟を決めてスパッと購入してしまうに限る。絶対に逃がせない予定が未来にあればそれに向けて人は行動するものだから。仕事があるなら出発前までに片付けておくよう日々努力するだろうし、体調を崩す可能性があるなら(そんなの人間だから毎日あるけど)体調を崩さないように体調管理に日々気を付ける。で、幸い何事もなく、飛行機に乗ってここにやってくることができたのだ。

ほんの数泊でも、そしてお金と時間と手間がかかっても、少しだけ日常を脱することの意義は大きい。これまで何度もそのことを実感している。日々のゴタゴタから解放されて日常を少し客観的に見つめる機会になる。ゴタゴタと言っても、実際は大したことないのだ。詳しく説明しようと思っても、あれ、何がゴタゴタしてるんだっけと思い出せないくらいの、きわめて些末な日々の出来事である。些末な問題の連続。

子どもは祖父母に会えることが嬉しくて仕方ないらしく、飛行機が着陸してからも窓からずっと「おじいちゃんおばあちゃんみえる?」と言い続けていた。そして飛行機を降りてからゲートに向かうまで笑いが止まらずにいた。そのワクワクっぷりが想像以上で、少し驚いた。そうか、そんなに嬉しかったのか。今は庭をのびのびと駆け回っている。

やるべき仕事をひとつ持ってきたのでこれをさっさと片付けることにする。

Saturday 19 October 2019

ヨークシャー・ティーの季節

かれこれ10年以上、ありとあらゆるものに対する志向と思考を、ほぼ無意識のうちにヨーロッパ、とりわけイタリアに影響されながら生きている。自分でもこんなことになるとは思っていなかった。

そんな私にも確実に残っている「イギリスっぽさ」がある。


紅茶だ。


この程度のことで「ぽい」と呼んでいいのかどうか、とも思うが、ほぼ身体的なリズムとして確実に染み付いている。みなさん、朝起きて飲むものは何ですか。私は、年間の半分以上は紅茶を飲む。それも「ヨークシャー・ティー」を。つめたいコーヒーを作るのがだいたい6月〜9月だとすると、それ以外は毎日ヨークシャー・ティー。少し涼しくなってくると注文する。ブログを参考にさかのぼると、2013年に久しぶりにヨークシャー・ティーを手に入れたと書いている。2015年にも同じようなことを書いている。どちらも11月のはじめ。

2013年ごろは成城石井で買えたようだ。なんと400円未満で。それから取り扱いがなくなり、途方にくれて模索を続けていたがアマゾンで安定して買えるようになった。400円未満だったことを考えると値段はだいぶ上がるが、高いと思わないことにした。

で、今年も、先日、イギリスから箱が届いた。ロイヤル・メールのロゴが入っている。パッケージも極めて適当な感じで、箱自体がたいへん弱々しい。そしてビニールのパッケージを開けると紅茶のこまかい粉がパラパラと落ちてくる。この適当かつ雑な感じが私には心地よい。

日本とイギリスでは水の種類も違うので味もたぶん違うのだが、まあいいのです。

この季節のヨークシャー・ティー到着は、あっという間に過ぎ去った2004年から2005年にかけてのイギリス滞在を思い出す、毎年のささやかな恒例行事となっている。

貧しくて、心細くて、何も知らなかった21歳のわたし。今思い出すと涙が出そうになる。もし会えたならぎゅっと抱きしめてあげたい。「大丈夫だよ」と一言言ってあげたい。「そのままでいいんだよ」と。

Tuesday 15 October 2019

台風明け、下北沢にて

台風明けて、日曜は暑いくらいの陽気だった。なんと朝6時5分からこどもと散歩に出かけた。
子「パンかいにいく」
私「いく?」
子「うん」

本当に出かけたもののコンビニはどこも棚が空っぽで何も買えなかった。子のリクエストによりお惣菜のポテトサラダを買って帰る。

いったん帰宅して、10時ごろ、とりあえずまた出かけてみることになった。もう外に出たくて仕方なかったのだ。何しろ前日は24時間ずっと家にいたのだから。天気の良いなか、そもそも店はあいているのだろうか、電車は走っているのか、どの辺がどう営業を開始しているのかを直接見ようと、こどもとでかけた。閑散とした下北を歩くのは面白かった。子供がベビーカーを降りて歩いてもそれほど危なくないし人の邪魔にはならない。どの店も、正午ごろの開店だった。自販機で水を1本と、開店していたスーパーでツナ缶と、レーズンを買って帰った。

とにかく前日が嘘のような爽やかな天気。午後から私はプールに行き思う存分泳いだ。

それから夕方また下北を通ると午前中とは打って変わってすごい人の多さだった。だいたい週末はこんな感じだけど、この日はカレーフェスティバルが行われていたらしくさらに多かったようだ。

しばらく下北に住んでいた時期がある。秋から冬にかけてのこの時期はよくそのことを思い出す。夕暮れの空気とか色とかがどうしてもそれを思い出させて切ない気持ちになる。あれから私の生活も、下北沢駅周辺もまったく変わってしまって、下北に住んでいたのがまるでずっと昔のように感じるが、実際はたったの4年前なのだ。計算してみてその数字にだいぶ驚いた。

写真にとったわけでもないのに写真にとったかのようにくっきりと残る、描ける情景が人生にはたくさんある。そういうものを大事にしていきたいし、蓄積されるうちに人生はより深く、面白くなるのだと思う。村上春樹の言う「資料を集める」時期は私の場合はまだ続いている。

夕暮れの下北で、気持ちがあたたかくなるのを感じながら自転車をこいだ。

Saturday 12 October 2019

気象病だった

木曜朝からどうも調子が悪い。朝起きると、めまいのような、車酔いのような感じで目の前の景色がぐるーんと傾く。同じことが2年前にあった。休養をとるようにしてだいぶましになったが、まだスッキリしない。同僚からは、「三半規管の問題かもしれないから耳鼻科に行った方がいいのでは」と言われた。

で、さっき東洋経済オンラインで

台風19号の「低気圧」でで体調が悪い人の特徴

という記事を読んで、びっくりした。これだったのか、と。すべてが自分に該当している。気圧と天気のせいかなあとは思っていたのだがほんとにそうらしい。乗り物酔いもしやすいし。昨日ときょうは耳鳴りがする。やはり耳鼻科に行かねば。とりあえず台風を乗り切るまでこの不調は続くのである。

Tuesday 8 October 2019

親になって思う親と子について

ある同僚の話。娘が25歳になるらしい。もっと小さいかと思っていたのでびっくりした。そうか、もう25なんですか〜と話していた。同僚曰く、今になって「親と一緒にあまり過ごさなかった」とか「遊んでもらった記憶がない」とか言い出す、とのこと。たとえば10代の頃はそんなこと言わなかったのに、と。「そういうのてずっと記憶に残るらしいね。だから聞くたびに、あーそうか、そうだったな、って昔を悔いる気持ちもちょっとある」

そうかもしれないな、と思った。数日前に聞いたその話が私も結構印象に残っていて、よく考える。自分の親が自分をどう育てたかについて考えるのはもちろん自分が親になったからだろうけど、家を離れてしばらくした20代のころ、年子の妹と「あの時のあれはひどかったよね」「うちって実は色々変なのかもね」と話し始めた記憶がある。それぞれに忘れられないひどい思い出と光景が残っていて、話し始めると涙が出そうになるくらい、小さい子どもにとてそれは辛かった。あと、よく皮肉を言われていやな気持ちがしていた。怒られるときも「いやそれはそういうつもりじゃなくて」と言いたい場面が山のようにあった。だけど親だったからそれはもう絶対の存在で、逆らう術も弁解の余地もなかった。高校時代、何が嫌だったかって、親のお金で生きているという事実。自由がない代わりに、親にお金を出してもらっている状態をどうにかして脱したかったので早く自分で稼げるようになりたかった。

とまあ、いま思い出すとそれはそれは色々なことがある。親が望んだ通りにはならなかっただろうけど、私は、親からは切り離された、独立した人間になった。そして、また別の人間を養育する立場にある。未熟なのだ、親は。親とは言え、何をどうしたら良いかわからないことだらけである。全能でもなんでもない。この、不安定で情けない存在。

ひとつ確実に言えるのは、親も子も人であり、人として同じだけの権利と自由を持っていること。表現の自由も、ものを言う権利も、健康で安全に暮らす権利も。ただ今のところ3歳のわが子にとっては親が世界の大きな部分を占めていて、私の影響の大きさたるや、驚くべきレベル。最近は「まんまだいすきー。ぎゅー」と言いながら抱きしめてくれる。私が「この時間は貴重だな」と思っているより、子にとってもずっともっと貴重なのだろう。

Monday 7 October 2019

子と過ごす時間の質

先週はまたしても土曜出勤だった。9月は2週目を除いて全て土曜出勤だったので「またか」という感じである。さらに今回はやむをえず土曜保育を依頼することに。なるべくなら避けたい、というのは大人でさえせめて週2は家でごろごろしたいと思うのだからいわんや子どもをや。ああよくないなあこういうの、と思いながらも、こうやって罪悪感を持ちながら仕事するのもよくない。

どちらにしても割り切ることが大事で、朝早くから仕事に行くのはやめて、さっさと「遅れます」と連絡を入れ、ずっといけていなかった小児科に子を連れて行くことにした。優先順位は高い。そのまま休んでしまっても良さそうな感じだったけど9時過ぎに子どもを保育園に連れて行き、仕事へ。幸い、泣き叫んだりすることはなかったので救われた気分だった。

というわけで日曜は一日中子どもと過ごした。朝からプールに行ったが行く途中で雨が降ってきて、傘を求めてコンビニに駆け込む羽目になった。より浅い部分の多いプールだったので、より楽しめた。1時間近く遊んだあと、おなかすいたねえ、何食べようかなあと聞いたら「おもてさんどう」と答えたので連れて行くことにした。ゆっくり食事を楽しんで2時半ごろに帰宅。それからずっと室内で遊んだ。その間、保存食を作ったりごはんを炊いたりしながらのんびり過ごした。こういう日曜を求めていた。

子と一緒にいる時間の長さよりもその質が大事というのはよく聞く。なかなか一緒にいてあげられない場合は割り切って、こどもといる時間に集中する。だらだらと3日間過ごすのと違って、こちらも心に余裕があれば気持ちよく接することができる。そういうときは子どもも精神的に安定しているように見える。さて今週もがんばろう。

Thursday 3 October 2019

余裕のある水曜日

水曜はいい日だった。

久しぶりに自分が授業をできることになり、準備をしていた。朝出勤するときに自転車の上で無意識に言葉が出てきてしまうくらい。当然だが授業はうまく行った。なによりも、めちゃくちゃ楽しかった。

この感覚はほかの何にも代え難い。人生楽しいと心底思える時間は授業なのだ。たぶんいちばん自分が生き生きしている時間だと思う。この「楽しい」を分解するとなんだろうなあと考えた。人の役に立ってるという気持ち?好きなことができるという開放感?自由?いずれにせよこんなに楽しい仕事はほかにないだろうと思う。こう言うと、大げさすぎるかもしれないとも思うのだがこれが13年間続いていて変わらないどころかますますそう思うようになっているので、大げさでもなんでもなく、楽しいしそれを堂々と言える。

午後に2時間だけ休暇をとって、早めに帰った。少し買い物をしたり、洗濯物をたたんだりする時間がとれた。4時に子を迎えに行ったが、少しのわがままは笑って過ごせたのは自分に心の余裕があったからに違いない。毎日こうだといいのだけど。

保育園からまっすぐプールに行った。子、2回目のプールは、子供用に水深70cmになっている。泳ぎこそしないものの、大はしゃぎだった。たったの30分だが、楽しんだようだった。だいぶ水を飲んだようだが。ああ、平日の夕方にプールにいけるようになるとは。オムツが外れただけでできることがいっきに増えた。

それから家に帰って、さばの味噌煮を作った。プールに行ったのでおふろに入る手間がなく、だいぶ色々なことが片付いた。ああこの余裕。

仕事と家庭のバランスがとれているというのはこういうのをい言うのだろう。毎日こうは行かないが、充実感は相当なものがある。思わず「あー、きょうはいい日だなあ」と声に出るくらいだった。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...