Saturday 17 October 2020

ユニクロで冬支度

この季節になると冬支度が楽しい。寒さに備えることが楽しいなんておかしな感じもするがやっぱり楽しい。具体的にはユニクロのウェブサイトをみるのが楽しい、ということなんだけど。

ヒートテックやカシミヤを使った商品や、期間限定の新商品を眺めながら送料無料ラインを超える程度の買い物をする。この秋すでに3回もした。

1回目はオンライン限定のウルトラストレッチジーンズ。しかもハイライズ。しかもヒートテック!すべての条件を備えている。買わないわけにはいかない。それに、オンライン限定のフリース 。毛のたってないやつ。これはユニクロだと太すぎるので脇のあたりを自分で縫ってしぼった。いずれも黒。

2回目はブロックテックコート。これもオンライン限定。冬支度というほどではないけど。買おうかどうしようか毎年悩んで結局買っていなかったが今年はついに買った。というのも、防水加工で軽めのコートがあれば突然雨が降り出したときに便利だ。自転車に乗る私のような者にとっては、突然の雨のときに雨具を持っていない状況は困る。「しまったー」となるので、毎朝、天気予報を見てから出勤しないといけない。逆に雨具さえあればなんとかなる。ということで思い切って、雨具としてだけではなく普段も使えるブロックテックのコートを買った。これが大正解だった。軽い。なのに防風で寒くない。防水、なのに暑くない。これすごい機能性じゃないか?スポーツ用品店で買うと「万」は軽くするよ、と弟に言われたのを思い出す。確かにそうだと思う。ちなみに7900円だった。これは意外と冬まで行けそうな気がする。

3回目は、これも冬支度ってわけではないけどエアリズム のかけ布団カバー。ユニクロの「寝具」はほぼ毎日ネットで確認している。新商品が出たとしても確実にオンライン限定なので、見ていないと見逃す。そして結構すぐに売り切れる。私と子供のシーツはここ数年ずっとエアリズム である。とにかく乾きやすい。そして真っ白なのに汚れていかない。綿じゃないから、なのだろうけどそれにしても使いやすい。このカバーも2つ持っているのだが、あと1個欲しかった。春から夏にかけては売っていなくて、まだかなーと思っていたら10月中旬発売の文字がついに出た。待ち構えていた昨日、ついに発売開始になったのですぐに買った。ちょうど5000円くらいだった。届くのを楽しみにしている。

このように、オンライン限定品には良いものがたくさんある。店舗で試着等できないので少し「賭け」な部分もありながらも、サイズについてはほかの商品が大いに参考になるので、大きく外して失敗することはない。もう少ししたら、ヒートテックの靴下を買う予定。お金はかかるんだけどやっぱりワクワクするのです。

Tuesday 13 October 2020

そっかおじいちゃんいないのか

時々、「あ、そっか、おじいちゃんはいないんだ」と思うことがある。それ以上は何もない。「そっかそっか」と思うだけ。毎日会っていたわけでもなく、亡くなる時に一緒にいたわけでもないので余計にそう思うのだろう。

母方の祖父は数年前になくなった。子供が8ヶ月ぐらいだったか、イタリアに連れてっている間に亡くなった。5月だった。わたしのブログをよく読んでくれていた。「そぞろうた、ね」とこのタイトルを言っていたことを時々思い出す。それから「そっかもういないんだ」と思う。

人の死って、うーん。なんだろう。先日亡くなった友人とか、竹内ゆうことか三浦春馬とかのことも考える。消えてしまう命。終わってしまったら、もうそこまで。ぷつっ、と途切れる感じ。

Monday 12 October 2020

ガチャマシーンとバッグを作った

 最近の作品二つ。

先日こどもに「めばえ」を買ってあげた。8月に買って、買う価値はありそうだということがわかったのでなんだかんだで毎月買ってあげている。今回で三冊目。付録が毎月変わる。今月は「アンパンマンのハロウィン ガチャガチャマシーン」だった。とんでもないものがきたぞ、と組み立て前の紙類を見て思った。雨の夕方、仕事のあとでかなり疲れていたので「ちょっとさ、もう少し元気のあるときに作るからさ」と言ったものの「作って作って」という子供。まあそりゃそうだよねえ、買ったばかりでこんなのが入ってるんだから作って欲しいのは当然だろう。意を決して、いっちょやってみっかと腰を上げたが最後、1時間近くかかった…。かなり複雑かつ根気のいる作業であった。出来上がったのはこんな感じ。紙でできているのにかなりしっかりしている。作りながら、この設計?デザイン?をした人はすごいよなあとつくづく感心した。

作品その2。トートバッグ。

またトートバッグかよ、という感じがする。作っても作ってもキリがない。しかし一つずつ、ややこれを目指して実験的につくってきたとも言える。

去年の冬だったか、ユザワヤで「名画シリーズ」が売っていて、とりあえず気に入ったのを買っておいた。モナリザとフェルメール。それからちっとも縫わず、月日は経つ。暇な時に縫えると思って実家に持っていってとりあえず横だけ縫ったりしたのが3月。なぜここまで長い間縫わなかったかというと、暇がないというのは理由の一つだが、もっと大きな理由は、気に入った生地なので納得のいくものを作りたい、というのがある。

春ごろ、モナリザを使ってひとつトートバッグを作った。裏地なし。大変使いやすい。くしゃっとなるのでエコバッグ等に最適。

それから時が経ち、夏。裏地をつけたものを縫ってみることにした。ミシンを買ったときについてきたレシピがあり、それを参考にした。家にある生地を消費すべく、こどものシーツを作ったときの余りと、クッションカバーを作ったときの余りを使った。それについては前にも書いた。そこで、使ってみてわかったが、裏地を使うと、やたらかさばるというか布の塊みたいになって使いにくい。「もめんやまきの」の店主に相談するとやはり接着芯というものを使うといいらしい。

接着芯…。

いろんな本に書いてあるし、使うといいんだろうけど使ったことがない。以前、服を縫おうかと思って(結局作ってない)買った接着芯があるのでそれの出番がついにやってくるわけだ。

ついにフェルメールに手を出すことになった。しかしこれは絶対に失敗が許されない。どこか間違って切ったりしたら取り返しのつかないことになるし。

そこで裏地探しから始まる。なんとなーく構想を練りながら何週間も経過。とりあえず30cmくらいの赤い布を買ってみた。その名もイタリアン・レッド。すごくきれいな赤で、ほかに何か作りたくなる。イタリアではこの色確かによく使われているかもなあ、と思った。この色のベッドもキッチンも見たことある。で、フェルメールと合わせてみたら、うーんなんとなくしっくりこない気が。縫わないままにまた何週間も経過。

暇さえあればユザワヤにいく私。なんとなく「青はどうだろう」と思った。そもそも表布が黒なのだから黒にしておけば問題ないものの、それは避ける。なぜか?バッグの中が暗いと何を入れているかよく見えないからだ。だから赤、と思っていたんだけど。話は戻って、青を買ってみた。真珠の耳飾りの少女は青いターバンをしている。だからたぶん合うはず、と。

これが正解だったようだ。昨日(日曜)、子は父と連れ立って遊びに出掛けたのでふと自由時間が手元に転がってきた。暑くもなく寒くもない最高の週末。ミシンは子のいない時しか稼働できない。よっしゃいっちょやってみっか、と重い腰を上げた。表地を買ってからおそらくほぼ一年が経つ。

寸法その他はバッグの場合適当にできるので良い。当然だが型紙もいらない。裏地のある場合の縫い方、というのをレシピ通りに作る。結局一番時間がかかったのは接着芯をつけることだった。思った以上に時間がかかった。面倒というより時間がかかる。しかしこういうのは慣れというもので、一回やってみると「なるほどこういうものね」と思える。

完成品はこちら。

これは想像以上の出来。青い裏地が正解だった。ちょうどいい。そして接着芯は(用途によるけど)絶対入れるべき。出来上がりが全然違う。もめんやまきのの店主に聞いてよかった。気に入って、昨夜はずっとこれをながめていた。きょうの仕事はこれで行くことにする。芸術と一緒に歩く秋。

Saturday 3 October 2020

ばばばあちゃんで思い出した草にまつわる思い出

 歳を経るごとに、あるいは子育ての最中であるせいか、両親が自分をどう育ててきたかについてよく考えるようになった。特に嫌なことを思い出すことが多い。まあそういうもんだと思う。娘が25歳だという同僚が「今になって、『私を育ててくれたのはおばあちゃん』とか言うんだよね〜。いやまいったよね〜」と言っていた。

昨夜、こどもに「ばばばあちゃん」シリーズの「よもぎだんご」を読み聞かせていた。子どもたちがいろいろな草を採る場面で、ふと小学校一年のときに宿題をしていなくて母親にとてもひどく怒られたことを思い出した。宿題というのも、確か、オオバコという植物をとってくる、という内容だったと思う。なぜその宿題をやっていなかったのか、思い出せない。悪意はもちろんなかった。面倒だからさぼろうとか、そういうことはない。なんてったって小学1年生だ。30年前の記憶だが、悪意はなかったということだけはわかる。号泣しながら家の近くの、オオバコの生えているところに、摘みに行った。場所までしっかり覚えているし光景が今も頭に残っている。涙で景色がにじんでいた。

今考えてみると、先生が軽く出した宿題が我が家ではおおごとになってしまったのだなあ。親から受けた指導のなかで「嫌な記憶」として残っているので、その記憶が思い出されそうになった瞬間に頭のなかで考えを必死に追いやろうとしたのだが、無理だった。なぜ嫌な記憶なのか。なぜ宿題をしなかったかとか宿題の意義を考えるのではなく、一方的に怒鳴られ続けたせいだと思う。人を叩くのが悪いこと、とかいうのはわかる。それとはちょっと違う。当時の私には、宿題をやらないということが悪いことだとさえわかっていなかったのかもしれない。ぼけっとした、ありがちな小学校一年生の春。反論さえできない、7歳の、その怒られたことに対する理不尽さみたいなものがいまだに刻み込まれている。

子どもに読み聞かせながらも頭ではそういうことを考えていた。機械的にひらがなをなぞって声に出しているだけでも読み聞かせることはできるので読み聞かせ中はこういうことが時々おきる。

子どもっていうのはそういうことがあるのかもしれない。今振り返って思う。悪いことを叱られるとき、心の中では「ちょっと待ってよ」みたいな感じなのかもしれない。子どもの気持ちに歩み寄る、寄り添う、と言っても大人になって忘れてしまった感覚を取り戻すのはなかなか厳しい。

ばばばあちゃんの世界に出てくる「のびる」とか「よもぎ」とかの、たくさんの草の名前を読みながら、今住んでいる環境にはそれらに出会うのは極めて珍しいことを悲しく思った。私の子供のころは植物と一緒に暮らしているようなものだったので大人になった今も草の特徴がわかる。私の子はそれらを肌で感じることなく育つのだろうか。早く田舎に連れて行って遊ばせてあげなければ、と思うが今年は3月以来一度も帰省できていない。3〜4歳のこの時期に田舎の秋を感じずにこの子は過ごす。だんだんとそれが当たり前になっていくのだろう。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...