小さい頃から何かを製作、創作するのが好きだった。製作とはいかずとも絵を描くのも好きだったし、料理や、裁縫なども好きだった。
そして今もやはりそう。布屋さんのある街を歩いていると必ず立ち寄ってしまう。ただし、あたらしい製作物のためにミシンを出したり台所に立ったりするのは相当時間に余裕のあるときに限られる。毎日出勤していない今月は特に「さてやるか」と思うことが多い。
そんなこんなで、一昨日は、作りかけたモナリザのトートバッグにようやく持ち手をつけた。これでようやく使える状態になった。
それからきのうは、裏地のあるバッグを作ってみた。これはまだ持ち手がついていない。こんな感じ:
丈夫な生地を二枚使うとずっしり重くなった。
裏地付きのバッグってどうやってるんだろうなとずっと思っていたところ、ミシンを買ったときの附属本のなかにレシピがあったので、練習だと思って作ってみた。うちにある生地を使った。布は、こうやって使わないとどんどんたまっていく。布についてはもはや収集癖があるので遠慮なく使わなければ箱から溢れてしまう。
それから、さらに、先日買ったリバティ生地を使ってもう一つマスクを作った。最近リバティの貴重さがようやくわかり始めた(普通の記事の3倍の値段がする!)ので、表地だけをリバティにして、裏地はこどものズボンを作ったときに余った綿麻を使った。ローン生地が涼しいとは思うが、リバティは貴重なので、ちょうど正方形に残ったそれをハンカチにでもしようと思っている。
製作好きの問題点としては、こうやって「たくさん持ってるのにさらに作る」という点だ。トートバッグも、マスクも、ハンカチも、たくさんあるのに作ってしまう。食べ物も同じく。パンは食べ切れていないのに新しくパンを作って余ってしまう。ミニマリスト的な生活を送りたい自分とは相反している。
というのも喜びはむしろ、使うことや食べることではなく、作る過程自体にあるのだ。作り終わったら情熱はだいぶ冷めてしまっていることが多い。
そんな私はまた布屋さんに行きたくて仕方ない。生地をみはじめると簡単に1時間が経過している。行きたいなあ。でも暑いからなあ…。