Sunday 30 August 2009

「責任を取らねばと思っています」

イタリアの新聞 La Repubblica. itを見たらトップニュースになってました。たぶんイタリア語が分からなくても、なんとなく、何が話題になっているか分かるんじゃないかな… 以下
TOKYO - I democratici giapponesi (Minshuto) spediscono i liberaldemocratici (Jiminto) all'opposizione dopo 54 anni di potere quasi ininterrotto. E' quanto indicano gli exit poll della tv pubblica incoronando come uomo della svolta Yukio Hatoyama, ex membro del Jiminto, figlio dell'establishment nipponico che fondò il Partito democratico proprio per scalzare i suoi ex colleghi. L'attuale premier Taro Aso si dimette: "E' colpa mia". Gli exit poll. La televisione nazionale giapponese e il sito internet del quotidiano Yomiuri Shinbun hanno pubblicato le stime subito dopo la chiusura delle urne alle 20 locali (ore 13 in italia): il Partito democratico, nato 11 anni fa dalla confluenza di diverse anime politiche, dovrebbe ottenere oltre 300 seggi sui 480 in palio. Hatoyama, secondo la prassi che vuole il leader del partito di maggioranza diventare premier, dovrebbe formare un nuovo governo in coalizione con altre piccole formazioni: il Partito socialdemocratico (tra i 4 e i 15 seggi), il Nuovo partito del popolo (3-6) e i comunisti (7-18). La maggioranza potrebbe quindi contare su un blocco di 302-350 seggi sui 480. Una svolta storica. Il risultato, ampiamente previsto dai sondaggi delle scorse settimane, rende per la prima volta il Jiminto partito di minoranza: la continuità al Governo era già stata interrotta nel 1993-94 per 11 mesi da una coalizione coagulatasi attorno a Morihiro Hosokawa, ma i liberaldemocratici erano comunque usciti dalle urn81�?私は全然行く気になれなかったんですが、昨日会った友達の言っていたことを思い出して、8時前ギリギリに行ってきました。

サンダルが壊れるという節目

こんばんわ。だいぶ更新が滞っているのだがそれは、

せっかく書いたのにエラーが出て、うまく投稿できないというショッキングなできごと

がここ最近、数回起こったためである。いや、まあ単にサボっていただけではあるのだが、これも一因である。なんと言っても、ショックだ。せっかく書いたのが消えるショック。もう味わいたくない、と思うわけだ。

さて、8月も29日になってしまった。あと少しで夏が終る。今週は仕事が大変だったのだが、大変だった分、とても楽しかった。毎日やりがいを感じて帰宅した。これからもこんな感じだといいなと思った。1年目にも思ったけど、疲れと、よろこびは共存できるんですよね。本当に合った仕事を見つけたと思っている。

怒涛の一週間がそうやって今日終わりを告げたわけだが、今日、駅まで友達を迎えに行く時に、サンダルが壊れた。帯?ベルト?が見事に切れた。それから後、片方は裸足で歩いた。まさかこの道を裸足で歩くことになろうとは。みんな変な目で見ていた。5年以上?使っているサンダルなのだが、もう寿命なのだろうと思った。妙に、タイミングが良い。

今日は、
手紙が届いた。
サンダルが壊れた。
友達と笑った。
夏が終る。

Wednesday 19 August 2009

夏の終わり

昨日東京に戻った。イタリアから戻ってきたときほど暑さを感じない。お盆を過ぎてからだいぶ涼しくなってきたようだ。暑さ寒さも彼岸まで、と言うし…あ、それはお彼岸の話か。

夏の終わり、である。夏がもうすぐ終わる。どうしてもセンチメンタルな気分になる。他の季節が終わりを告げようとするとき、こういう感じ方はしない。春も、秋も、冬も、「ああいよいよだな」と思う。

なのに夏に限ってはどうも名残惜しいような、複雑な気持ちになる。それはつまり「夏休み」が終わるからなのかもしれない。他の季節の終わりには、休暇は無い。

いや、休みが無くても私はさみしがっているんじゃないだろうか。夏のあいだ普通に働いていたとしても。涼しくなりはじめたころは、まだいい。問題は8月20日を過ぎたあたりからだ。日の沈みかけた時間帯に、外をぼうっと眺めることが多くなる。やたらと人に会いたくなる。さみしい。祭りの後みたいだ。みんな忘れないで、みたいな気持ちになる。別に、なにを、というわけでもない。

だんだんあきらめがついて、結局は9月への切り替えを始めるのだが、やっぱりこの季節はセンチメンタルになる。夏が過ぎ去るのは、早い。7月下旬にピークを迎えたかと思いきや、もう哀愁漂っている。

さて。

身体のリズムをもとに戻すべく、今日は6時過ぎに起きて、8時過ぎから仕事に来ている。これに慣れていないと、後からきつくなると思ったから。おなかすいたなあ。

Wednesday 12 August 2009

田舎に帰る

両親の家に帰省している。さっき着いた。 家が劇的に改造されていて多少びびっている。父親が以前から言っていた大改造が今年ついに実行されたのだ。5月に帰省したときには一体何が起こるのだろうと思っていたが完成形はなかなかすばらしいものがある。この家はとてつもなくでかい。 田舎は、空気が綺麗で、風がよく通る。静かだ。一週間ほど滞在するが、もうとにかく寝ることしか頭にない。寝る。寝る。嫌というほど寝る。そのつもり。 10日に日本へ帰ってきて、すさまじい時差ぼけに苦しみながら今日またフライト、という忙しいスケジュール。今日の飛行機の中では本物の爆睡だった。ぽかーんと口をあけて寝る様はいわゆる馬鹿の図だった。寝ていて分かった。 さて…寝ようかな。

Tuesday 11 August 2009

jet lagged 2

結局昨日の夜は寝なかった。朝になっても寝なかった。昨日夕方に3~4時間寝たきりで、今朝はシャワーを浴びて地震を感じて7時に家を出て仕事に行った。と言っても1時間で用件を済ませて、さっさと退勤した。ヨドバシカメラに、調子の狂ったソニーαを持っていく。レンズの問題だそうだ。1ヶ月くらいしないと直らないようだ。しかたない。しばらくの間はコニカミノルタのデジカメで過ごすことにする。ローマでも思ったけど、こういうときに他の媒体があるのはとても助かる。

とりあえず寝てみることにする。

jet lagged

無事に日本に着いた。着いたら雨が降っていてびっくりした。あまり暑くなくてよかったけれど期待していた8月とはちょっと違った。帰りの飛行機でもとにかくバックギャモンをやりまくった。楽しい。この夏に学んだことのうちの一つである。

帰りのフライトはあまりいいフライトではなかった。眠らなかったのが原因ではあるが、それ以前に体調がよくなかった。胃がひっくり返って、さらに収縮したように気持ち悪く、中に巨大な空洞ができたように部分的に腹痛がした。それに加えて寝不足、そしてタービュランス。節約して電車で帰ろうかとも10パーセントくらいは考えていたんだけど着いたら即、リムジンバスのチケットを買った。バスの中でふと横になったのだが、気付いたときには新宿についていた。バスの中から眺める東京が、ツアー気分で結構好きなのに。ちょっと残念だった。

帰ってからすぐに寝ようと思っていたのだが、シャワーをあびたり写真の整理をしたりしていたらどんどん時間が経った。毎回同じだ。眠いはずなのに、すぐには寝ない。めずらしく、ラーメンを食べた。今日は電話でいろいろな人たちと話した。世間は平日、昼間、みんな仕事中なのだ。

4時間くらい眠った。深く眠った。夢も見なかったと思う。考えるべきこともいろいろあったしやることもいろいろあったんだけど、睡魔はあっさりそれらをぶっとばした。

___________

いろいろな意味でこの夏を境に、心機一転、成長する。何年間も気付いていなかった、自分の、変わらなければいけないいろいろな点がやっと見えてきた。ちょっと遅いけど、やっと気付き始めた。具体的には書かないけど、とにかく、まっすぐに生きる。そういうことを学んだ夏でした。

ってまだ、終ってないね夏は。明後日から郷里に帰省する。2時半だけど時差ぼけで頭が冴えてるよまったく。

Saturday 8 August 2009

明日ここをでます

まだローマにいます。今日も暑いけど7月よりマシ。
あっという間に時間が過ぎていよいよ明日イタリアを発ちます。早かった。本当にいろいろなことがおきたけど、結果的に価値のある滞在でした。帰りたくないなあ。うーむ。人生愛がすべて、です。なによりも、愛がなくては生きていけない。10日の朝に成田空港につきます。迎えにきたい人いますか。オーストリア航空ですよ。

ではまた。

Monday 3 August 2009

お金の話

投資、という言葉を時々聞く。金融のニュースじゃなくて、「自分への投資」というやつだ。

読書は自分への投資だから、借りるのではなく買って読むべきだ、と、以前何かで読んだ。

高い化粧品を使っている友達が、以前、自分のブログに「これは将来の自分の肌への投資だから」と書いていた。

今日、おじちゃんのブログを読んでいたら「身体への投資」というテーマで書かれていた。

全部、なるほどと思う。そして、お金って一体なんだろうな、と考える。私は比較的、節約をしてつつましい生活を送る家庭で育った。贅沢はなるべく避けるような文化の中で育った。家族だけではなくて、地域的に見てそういう文化があった。だから、金銭感覚についてさほど気にすることはなかった。人と少し違う、と気づいたのは東京で暮らすようになってからだ。人々の生活水準が違う。土地の値段が違う。お金も、時間も、流れ方が違う。まるで異国であるこの場所で、金銭感覚に違和感を感じないわけにはいかなかった。

自分で稼ぐようになるとさらに変わってくる。つまり「自分に投資」の余裕も出てくる。ただしそれが自分への投資なのか、ただ使いたいだけなのか、そこのラインが自分でもわからなくなるときがある。自分で稼ぐようになって3年目の今、ちょうどいい地点に立てているのではないかと思う。

やはり現在の自立は、今までの生活で身につけられたある程度の堅実さに負うところがあると思う。将来を心配しているというわけではないが、その先を見ることなくバンバン使いまくることは、どうしてもできない。

それで、だ。


イタリアにいると、さらに「お金って一体」と思えてくる。本当に紙切れくらいにしか見えてないんじゃないかと思うときがある。お金を使うことに対して日本人が抱く「ためらい」というものがない。一般的な、「ためらい」。あるいは「こだわり」。

前から思っていたのだが、日本でカフェに入るときは、たいてい値段がわかった上で入る。コーヒー一杯いくらなのか。だけどここでは、あまり気になる事項ではない。値段の表っていうものがそもそも存在しない。広告だってもちろん存在するが、日本ほど派手ではない気がする。

問題は自分がしてもらったサービスが、お金を払う価値のあるものだったかどうかだ。(ひどいサービスに対して「払えない」とすっぱり言い切ることもありうる。)細かい値段は、どうでもいいらしい。

その証拠に、スーパーの店員はおつりを簡単に間違える。いや、間違えていないときもある。1セント単位になると、わざわざとって出すのがもはや面倒らしくて、くれない時がある。この前も、おつりが1.1ユーロだったはずなのに1ユーロしかくれなかったので一応言ってみたら、軽く笑って1セントのおつりをくれた。「やっぱ日本人は細かいな」と思っていたに違いない。そういう感じの笑みだった。

そういうところはきちっとしてほしい、と思うあたりは、やはり日本人である。


先日イタリア人の友達の話で:

「たとえば100円の品物を買って、全部1円玉×100枚で払ったとしたら、日本人の店員は全部カウントするか」
これを試してみたい、と言っていた。

そんな冗談だろ、追い返されるに違いないよ、と言う別の友達に対して私は
「いや、本当に数えるんじゃないかな…」と答えた。
だって、日本人のコンビニの店員がそれで「出直してきてください」なんてことを言うとは思えない。
時間がかかっても数える気がする。200枚だって数えると思う。
イタリアだったらまず無い、と友達は言っていた。

みなさんはどう思いますか。
むしろ、一緒に試してみたい人はいますか。

Sunday 2 August 2009

「彼女が花子さんです」

プールサイドでの日々が続いている。
ぶよぶよ太ったアメリカ人のおばさんの太ももとか、
生真面目に泳ぎ続けるイギリス人(ぽい)のおじさんとか、
ひっきりなしに回転飛び込みをするスペイン人の兄弟や、
もう少し周囲を見てちょうだいよと言いたくなるキャッチボールに夢中のティーンエイジャーたちや、
キスし始めたらとまらないフランス人カップル

などなどを眺めながら、1日に5時間くらいは太陽を浴びてゴロゴロしている。

1Q84の第一巻を半分以上読み終えているのだが、読み進めるのがもったいなくなってしまって、ちょっと遠慮気味に読んでいるつもり。スピードを落としているつもり。だけど面白い。読みすすめるほどにはまっていく。村上さん以外読む気にならない、(なれない)と、やっぱりそう思う。そういうときはあえて本を閉じてちょっと泳いだり昨日の日記を書いたりする。

スピーカーから流れるのは、チープな印象が否めないイタリアの歌謡曲。結構な音量で流れているので、うまい具合に集中力を乱してくれる。日本の演歌に似たような感じのするときがある。食事とか、ファッションとか、いろいろな点で個人的にイタリアは好きだけど、歌謡曲だけはあまり受け入れきれてない。ガツンと心に響いてくることがあまりない。どうしてだろう。言葉がわかっちゃうから?いや、それだったら英語も日本語も該当するはずだ。なぜだか、イタリアの歌謡曲は、古くさいような田舎っぽいような感じがしてしまう。全部が全部じゃないけど。

プールではときどきそれが子守唄代わりになって、浅い眠りに落ちる。ごく浅い眠り。

昨日、プールで35ユーロ拾った。今まで拾ったなかでは最高額である。受付に言ったって誰も「じゃあ預かっときます」なんてことは言わない。「マジか」「よくやった」とむしろ褒められた。

今日はそれを使って豪華にお昼を食べることにしている。なんてったって日曜日だ。

今のところ何も買い物をしていない。セール中であったにもかかわらず、何も買っていない。実際、ここ1,2年はそんな感じだ。最後の最後になって、「とりあえず」ということでコーヒーとパスタを買って帰る。服も靴もかばんも買わない。別にそれを目的としていないから、購買欲もほとんどわかない。

話は変わって:

ここではよく、新しく会う人に紹介をされる。つまり、初めて会った瞬間に、そのお互いを知っている第三者が「彼は太郎で、彼女は花子」みたいに、立ち会って紹介をする。そしてお互いに握手して「はじめまして」となってお互いの紹介終了。

日本ではこの流れがあまり定着していないと思う。同じ場所にいるというのに、見知らぬ者同士、紹介をされないままそわそわしている、という場合が少なくない。日本人だからしょうがないんだろうか。間にいる人がお互いを紹介してくれるだけでだいぶその場の雰囲気が変わると思う。紹介してその後どのくらい会話をするのかはその当人たち次第だ。そして紹介しあうタイミングは、会った最初の瞬間であるべきだ。それを逃すとなんだかおかしな感じになる。気まずいような、へんなかんじ。
自分が知っている二者を初めてあわせるときは、紹介をする。あるいは紹介をされなくても、自分から名乗る。その場の一員としての、マナーなのだ。黙っているとまるで他人みたいで「ああ、やっぱり日本人だからねー」と言われてしまう。逆にそういうの上手な人を見ると、気持ちがいい。社交的である最低条件だし、まず、第一印象がとても良い。

いいことも悪いことも、日本人が彼らから学ぶことは山ほどある。その中の、ひとつ。

さて、プール行ってこよう。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...