Friday 20 June 2014

越えられないもの

コロンビア対コートジボワールのハイライトを見て思ったこと。
コロンビアの選手がドリブルしている姿を見て、こんな動きを日本人がするのは見たことが無いな、と思った。
右へ左へ、身体の動きを見ていると、それはまるでダンスをしているよう。
ダイナミックかつ伸びやかな動き。

ダンス。
ダンスか。

その違いなのかもしれない。
全身を使って自分自身を表現すること。
日本に欠けているのはそこかもしれない、と思う。

以前、イタリアで、イタリア人がこういう話をするのを聞いたことがある。

「イタリア人も、ダンスはするんだけど、南米の人って、単に踊るんじゃなくて、男女のペアで踊れるんだよねー。音楽が流れると自然と身体が動くんだよ、子どもも、お年寄りも。踊り方分かってるんだよ。なんでだろうねー。」

我々東洋人からすると「外国人」または「ラテン系」にまとめて見られそうだが、彼らの中でも違いがあるらしい。
Photo
これはゴールを決めたときの歓喜のダンス。

まあ、いずれにせよ、日本はギリシャに負けた。
色々要因や原因はあるだろうけど、サッカーをよくわかっていない私が見ても理解できたのは、とにかくチャンスを逃しまくった、ということだった。

よく「自分たちのサッカーができた」かどうか、をテレビでコメントする人がいる。
「自分たちのサッカーができたと思いますか」とザッケローニにインタビューする人がいたけど、あれって通訳はどういうイタリア語を使ったのだろう、と気になった。

なんだろうね、「自分たちのサッカー」って。なんとも曖昧で、日本的な表現に聞こえる。
リラックスして試合に臨めたかどうか、ということだろうか。


ここ数日、試合を見ながら、やっぱりどうしても越えられない壁のようなものがある気がしている。
つまり、日本に越えられないもの。

自分を表現すること。
チャンスをつかむこと。
陽気であること。

expressiveであるということはつまりそれだけ考え方に柔軟性があり、想像力の入る余地があるということである。
さらに、表現するためには、それだけ筋肉がやわらかい。
身体的にも差はあらわれる。

選手1人1人の技のレベルや実力の差はもちろんとして、もっと根本的な部分での、差があるのではと思うのである。

Tuesday 10 June 2014

だいぶ会ってないけど、友達

私のfacebookアカウントでページを開いたときに登録されている「友達」の数を見てみたらちょうど200だった。
200?

普段気に留めてもいなかったのでこれが多いのか少ないのかも分からない。
世の中にはfacebookでの友達の多さを自慢するという人もいるらしいが私はそういうことには興味が無い。

でも、200…?

果たして200人も友達がいただろうか、私に。
例えば今日、「昼ごはんを一緒に食べに行こう、誘ってみよう」と頭に浮かんだ人は1人か2人だ。
ちょっと暇のできた夕方に「一緒にビールでものみにいこう、誘ってみよう」と思える人も、たぶん、1人か、2人だ。

たぶん8割以上の人とは2,3年間、少なくとも1年は会ったことがない気がする。
それでも友達なのだろうか?
200人の「友達」…??

会わない理由はいくつも挙げられる。以下は、私がそう思う、というのもあるし、一般的に言っておそらくこんな感じだろう、というのもある。


その1:お互いに仕事や子育てをしていて、忙しい。
これが一番多いと思う。生活時間が自分とは違うかもしれない、と思う。誘ってもどうせ断られるだろうと思う。逆に、自分も仕事が忙しすぎて、平日の夜に外出する余裕が持てないので、誘いが来ても結局断らざるを得なくなる。

その2:相手の住む場所とは遠いところにいる。
会おうと思ってすぐ会える圏内に住む人はどのくらいだろう。会いたいと思う人に限って遠くに住んでいたりする。逆に、近くにいる人とは会おうとしないのは、なんでだろう?

その3:お互いに遠慮している
時間が経てば経つほど、相手の近況を「憶測で」知るようになる。
facebook上にパンケーキ食べちゃいました~、とかセレブなパーティーに出席しちゃいました~、とか、ベビたん(この呼び方、好きになれない)授かっちゃいました~なんていう写真をのせている人を見て「ああ、充実した日々を送っているのだろうな」と勝手に「憶測」をする。
直接会って、顔を見て話してもいないのに、自分の知っていたかつてのその人とは、少し遠くなってしまったような気がしてしまう。
結果、極端に美化されたり、嫉妬の対象になったりして、直接会おうとはしなくなる。
逆にその相手も同じようなことを考えていて、直接会おうとはしなくなる。
お互いに遠慮している。
facebookの怖いところでもあるが、むしろ自然な流れかもしれないと思う。

その4:ただ、面倒
ただ面倒と言っても面倒に感じてしまう理由は多々あるだろう。
話が合わない、会って話しても面白くない、会うだけの理由がない、など。
時間が経つと考え方もつきあう人々の種類も変わるのだから話が合わなくなるのは当たり前である、と私は割り切って考えている。
人の縁なんてそんなものなのだ。

あとは、自分の時間が欲しい。
朝から晩まで働いていると、家は「寝るだけ」の場所になってしまう。
私の場合、事実、ここ数年はそんな感じだ。
1人でDVDを見たりマニキュア塗ったり雑誌読んだりという時間が貴重に思えてくる。



で、あらためてこの200人を眺めてみたら、それぞれとの出会いと、思い出がよみがえった。おそらくその、過去の「記憶」をお互いが共有している。
1回会っただけの人とは友達申請が来ても承認することは無い。
あとは、facebookをやっていない友達もたくさんいる。
それらを除いても最低200人の人々と出会ってきたのだ。
最低。

数十年生きていればこのくらいの出会いはあるものなのだな、とちょっと感心する。
同時に、あらためて、会ってもいないのに「友達」であるという事実に少し奇妙さも感じるのである。

Monday 9 June 2014

なんで日本にいるんだろう

ようやく明日は休みだ。
7日も8日も仕事で、まるごと土日がつぶれたので先週の日曜以来の休みになる。
9日ぶり?
人間たるもの、やはり週に1日の休みが必要だと思う。
段々と曜日の感覚が無くなってくるし、まともに生活が成り立たなくなってくる。
つまり、掃除、洗濯、自炊ができなくなる。
実際、今週―いや、先週、はほとんど料理を作らなかった。

時間ができるとふと考え事をすることもできる。

それで、さっき思ったこと:

どうして日本で生活しているんだろう?
先日会った、留学していたころの友達が「意外だね、日本にいるなんて。てっきり海外に住むものだと思っていたよ」と言われた。
ちょっと、ハッとした。
私もそう思うから。
高校の頃から、ずっと、10年後はこの国にいない、と漠然と思っていた。
それが結局この国に住んでいる。
税金を払ったりエーユーの携帯を使ったり満員電車に乗ったりしながら、結局この国で生活している。
そんなはずだったかなあ、と思う。

でも今何のために働いているかというと、次の休みに海外へ行くお金が必要だから、と言ってもいい。
それくらい、飛行機に乗ってこの国を出ることだけを毎日考えながら生きている。
心のどこかで。
生きづらいと思うことが、あるし、これがすべてではないと思っている。

海外に住んで何をするのか、と言われると何も思い当たらないのだが、何であれ、ここを出ること自体に意味はある。
毎日同じようなものを食べ、同じようなものを見て、同じ言葉を聞きながら、同じ道を通って、同じ場所へ通っている。

そして、同じ人たちに会う。
同じ人たち。

こんなはずだったかなあ?

私の"範囲"はこの程度だっただろうか。
狭い場所に留まったままになっている自分にようやく気づいた。

Tuesday 3 June 2014

ティラミス

平日にブログを書こうとすると、疲れたとか忙しいとか、そういうことしか書かなくなってしまう。投稿数がめっきり減ったのもそういうわけだ。つまり、いつも書くことが同じになってしまうし、とくにそれ以外に面白いことがあるわけでもない。
いや、面白いことがあるのかもしれないけどゆっくり思い出したり振り返ったりしている時間が無いということだ。

そうだ、ティラミスについて書こう。
ティラミス。
いつごろからかうちでティラミスを作るようになった。
それ以前も作ったことがなかったわけではない。
クリームチーズやビスケットを使って作っていた。

では、今、どんなものを作っているのか。
レシピをイタリアのものに変えた。
卵はなんと6個。
クリームチーズではなくマスカルポーネ。
500g使うので少なくともこれに1000円はかかる。
そしてビスケットではなくサヴォイアルディというイタリアのフィンガービスケット。
これはどこにでも売っているわけではない。

はじめは卵を6個使うなんて抵抗があった。
けど、作ってみたら、なるほど、意味のあることだということが分かった。

遠慮なく、惜しみなく、材料を使って巨大なティラミスを作る。
味がほんとに全然違う。
冷蔵庫で一晩冷やして、コンパクトになったら食べる。

ところでティラミスはケーキと違って炭水化物のかたまりというわけではないのでなかなか太りにくい気がする。

さっきも、おととい作ったのを食べた。
ああ美味しかった。
きょうのエネルギー。

Monday 2 June 2014

初夏に思う

この土日はまったく仕事抜きでゆっくりすることができた。
土曜も日曜もとても天気が良かった。
自転車で昼間に表参道まで行ったが、人、車の多さと排気ガスと強い日差しとアスファルトから反射してくる暑さにやられてしまった。夏の間は自転車で表参道へ行くのはあきらめたほうがよさそうだなと思った。
そのあとはプールに行ったりピザを食べに行ったりした。

日曜、つまり6月1日は、午前中に衣替えをした。
長袖は全部しまってよい、と思ったのだがそうした直後に必要となることが多いので少しだけ残しておいた。
それから友人に会いに行った。
子どもが生まれたばかりだ。
久しぶりに会った。もう何年ぶりか覚えていないくらい久しぶり。
子どもが生まれるとそれが会うきっかけになることは少なくないと思う。

初夏が好きだ。
すべてがキラキラと輝いて見える。
特に夕方ごろからの空気が何ともいえない。

暑いけど、夏が近づくとやっぱりウキウキしてくる。
梅雨に入って雨が降ろうとも、紫外線が多かろうとも、初夏は素敵だとおもう。
過ごしやすさ、快適さとはまた別の問題。

同時にこの時期は日々の生活がとても忙しくなる。
4月から2ヶ月経って、起動に乗るからだ。
ひやっとした夕方にふと立ち止まって物思いにふけったり考え込んだりする瞬間もある。
秋よりもセンチメンタルになりやすい気がする。
私の場合。

この時期に体調を崩すことは無い。
代謝が良くなるし活動しやすい時期だから。
仕事のあとにプールへ行ったりすると気持ちがいい。

そういえば昨日、新しい水着を買った。
ビーチに必要な水着ではない。
プールでひたすら泳ぐための水着。
2年間着続けた水着はもう本当にぼろぼろになった。
少し穴が開いているのを分かっていながら着続けたら、穴が3つになってしまった。
これはもういい加減に新調しなければと思った。
1週間に1,2回、しかも1年中身につける。
2年経ってぼろぼろになるのは当然。
消耗品なのだ。

いっさいはんは最強

 1歳半。 めいは1歳半である。26日から帰省していて、弟の一家と一緒に過ごしている。姪が2人。ひとつ屋根のしたに8人がいる状態。たいへん賑やかでいつもどこかから泣き声やわめき声が聞こえている。こどもの声は高くていい。なかでも1歳半の姪は、もうどこを切り取っても、おもしろくて、た...