Sunday 30 September 2018

2歳と1ヶ月のきろく

ああ九月が終わってしまう。せめて月に一回は合気道に行くことにしているのだが今月は行けなかった。平日は家に直行するし週末は毎週何かしら用があった。夕方家を不在にすることにはどうしてもためらいがある。小さな子供のいる人ならわかるのでは。

そんなこんなで子供が生まれてから思うように合気道の稽古はできていない。それでもやめる気は今のところない。あの場所が自分からなくなってしまうのはあまりにも惜しい。そしてこどもはいつか必ず大きくなり私が自分の時間をとれるようになる時がくる。だから簡単にやめない。こういうのっていったんやめたら本当にもう行かなくなってしまうからね。なんとかしてつないでおくこと大事。

こどもは2歳になり、みるみるうちに「人間ぽく」なってきた。言葉がわかるようになってきたので100パーセントではないが意思疎通ができるようになってきた。「きょうなにしたの」というと「ぶどう」と答える。「そうなの、ぶどう食べたの」というと「 ぱぱ ぴっつぁ」と言う。「そっか、パパとピッツァ食べたの」と答えるとさらに「きーきーしゃ う〜」と言う。「救急車見にいったのね〜、う〜、ていってたの?見れてよかったねー」と会話ができる。

ひとりで黙って集中して遊ぶことも増えてきたので、朝早くから外に遊びに連れて行かなければいけない、ということも少なくなってきた。ブロックを手にすると20〜30分くらいひとりで遊んでいるようなことがある。その間、食器を洗ったりできるのでとても助かる。

以前のように「ぎゃああああ」と泣き喚くことが少し減った。わがままはあるけどまあ許せる程度である。言えばわかることが増えてきた。

まだオムツははずれないがトイレに行く前にしらせてくれるようになった。ものすごい助かる。

そんなこんなで一緒にいるのが楽しくなってきた。一緒に旅行に行ったり映画を見たりできる日も近いなと思うとやはり気持ちが明るくなる。絶望的に大変な時期はずっと続くわけではないのだ。

Friday 21 September 2018

セサミストリートの「自閉症のジュリア」

きのう「セサミストリートのアートとバーニーはカップルなのか」の記事が少し出回っていて、確かに自分も気になっていたことだったので「なるほどそうなのか」と思いながら読んだ。元脚本家は「そうだ」と言っていて、番組制作側は「違う」と言っているらしい。うーん。真相は誰もわからない。この「気になる」気持ちをどこに持って行こうかと思ったが結局「どっちでもいいや」という結論に達した。子ども向けの番組なので、子どもの視点から見て受けいれられ、理解されるがままの形で良い。

で、色々調べるうちに「セサミストリート」のキャラクターのなかに「自閉症のジュリア」というキャラクターがいるということを知った。かるく衝撃を受けた。確かに多様性にとんだキャラクターであふれていることは知っていたが、自閉症のキャラクター?子ども向けの?初めて聞く。

セサミストリートはYoutubeで毎日見ている。もちろん子どもの影響である。エルモが大好きなのでElmo's Worldばかり見ている。そのなかにも何種類もの動画があるがやはりお気に入りがいくつかある。それらについてはセリフを覚えてしまうほど毎日繰り返し見ている。

しかしジュリアの存在は知らなかったので昨夜、こどもが寝てから動画をひとつ見てみた。見ているうちに、シンプルなメッセージがぐっさぐっさと心にささり感動してしまった。想像以上の、良い衝撃を受けた。

話はこうだ:
ジュリアが初めて出て来る回を見たのだが。行動が他の子と違う。反応も違うので初めて会うビッグバードはたいへん戸惑う。サイレンがなるとジュリアはパニック状態になってしまう。そんなジュリアにどう接するべきか考えているビッグバードに、エルモとアニーが「みんな違う(No one are exactly the same.)」という言葉をかける。「だって私たちだって鳥と、モンスターと、妖精なんだから」と。それでみんな友達になる。この10分の動画内では、自閉症の人にどういう特徴があるのかもていねいにゆっくり説明してくれる。

ここまでストレートに、「自閉症(autism)」という言葉を出しながら自閉症について扱うこども番組がかつてあっただろうか。子供番組に限らない。あるほかの記事を読むと「レインマンしかみんな知らず、私は数字に強いと周りに思われる」と言う自閉症の人のコメントがあった。

私はマイノリティを勝手に「見ない」ことにしていたんじゃないのか。自分に関係のないものとして扱っている。それで自分の日常に支障はない。いきなりボランティアや募金に参加をするか?全然しない。まず「知る」ことから始まる世界があるよなあと思った。簡単に「みんな平等」とか「いっしょに」とか「仲良く」とか言うけど、まず知ろうとする姿勢とか知るきっかけとかあると一気に考え方が変わったりする。変わるというほどじゃないにしても、私は少なくとも昨夜のジュリアの動画だけでいっきに自閉症が身近に感じられた。今まで難しく、遠く考えていたことに気づいた。

それにしてもセサミストリートすごいなあ。子どもと見るようになってから、昔とは違う視点で見ていた。メキシコ系のキャラクターが増えたなあとか多様性へのこだわりが色々と見えて日々感心していたのだが。こんなに思い切ったことまでやっているとは、やはり理念をもった番組なのだなとますます尊敬するのである。

ところで私のお気に入りキャラクターはクッキーモンスターです。昔からなんとなくそう。青のインパクトと、単純さがいい。

Monday 17 September 2018

実家に帰っている

実家に帰っている。また?と思われるだろう。自分でもそう思うくらいだ。8月末に東京に戻ったばかりなのだから。まだそれから一か月もたっていない。それでも、春ごろに秋以降のカレンダーを見てから「お、この日はいける」と思っていたのでかなり早くチケットを取っていた。いつもそうだけど、一つ楽しみが終わったらその次の楽しみが待っている状態にしておくのがよい。旅(ともいえないかもしれないけど)の醍醐味はそこに到達するまでの、待つ時間にあるといっても過言ではない。

そもそもどうしてそんなの実家に帰りたいのか。実家が好きというよりも、子どもと過ごす日々に変化が必要だからである。だから行先は実家じゃなくてもよいのだがいちばん行きやすいのは実家である。毎週同じような日々と同じような週末だとどこかで必ず行き詰ってしまうのだ。これまでの経験から言って、そう。誰が悪いというわけでもないのにイライラして八つ当たりしてしまったりする。そういうときに少し日常を離れるだけでまた戻ってきたときに日常が別の角度から見えることがある。

というわけでこどもは生後11往復目の飛行機。だから21回目の便に乗ったことになる。今回は午後の便にしたのだが離陸と同時にすーっと眠りについたのであまりにも楽だった。機内誌などをゆっくり読むことができた。そして2歳になった今自分でとことこ歩くので機内でも空港でも必ず抱っこしていなければいけないということはない。抱っこ紐はもはや必要ない。成長が見える。

Tuesday 11 September 2018

「言い訳しないで毎日やる」

THE NEW YORKERのThe Mystery of People Who Speak Dozens of Languagesという記事を読んだ。

知人がFacebookでシェアしていたので試しに読み始めたらとても面白かった。こういう場合、全部読みきることは私の場合ない。辛抱して大量の英文を読むという作業が苦手なのだ。面白い場合は別として。

これは面白そうだぞ、と思ったので印刷して冊子状にして綴じて読むことにした。B4に二面で印刷すると7枚になる。つまりB5の大きさの本にすると13ページ分。結構長い。

何についての記事かというとhyperpolyglotと呼ばれる、たくさんの言語を話す人について。知り合いにも「色々な言葉を知っているな」という人はいるけど20とか30言語とかしゃべれる人はさすがに知らない。ところがいるのだ、世の中には。言語学習が好きで好きで仕方ないという人が。なんとpolyglot conferenceなるものまで世の中には存在するらしい。

そこでの講演を録画したものがあったのでyoutubeで見た。これも通常だったら途中で見るのをやめるがあまりにも面白くて結局全部見てしまった。Alexander Arguellesという人の講演。上記の記事にも出て来る人である。

詳細は省くが、とにかくストイックである。記事によれば人生のうち、起きている時間の40パーセントを言語学習に費やしているらしい。朝3時に起きて書く練習から始める。それぞれの言語で2ページずつ。夜があけたら外に走りに出て、その間ひたすらシャドウイング…

たくさんの言語をしゃべれると「すごいねえ」とか「いいねえ」とか言う人がいるけどすごいねえはまだ許せても「いいねえ」は失礼だろといつも思うのだ。なぜならまるでその人が努力もせずにしゃべれるようになったかのように聞こえるから。「いいねえ」と言うんだったら自分も努力をしたらどうだ、と思う。本当によく思う。

で、話は戻って、たしかにこのアレクサンダーさんも遺伝によるものとか環境に恵まれたとかいう要因があるのかもしれないんだけどこれだけひたすら勉強して実際にたくさんの言語を身につけている人を見ると、努力のほかになんもないよ、ということがわかる。

そのアレクサンダーさんの動画のなかに「アマチュアのpolyglotとプロのpolyglotの違い」というのがあって、結構興味深かった。

本人も「アマチュア」だった時代があったらしい。その当時はいつも「準備」ばかりしていたらしい。つまり、どんな本を買うかとか、どう時間を使うか計画したりとか。思い当たるフシは、うーむ、私もあるある。

いっぽうで「プロ」に到達してからはそんなことまったく考えなくなったらしい。そこで出た言葉がめっちゃ印象的でした。それは:


No Excuse, Everyday(言い訳をしない。毎日やる)


もう心底同意です。
って私はポリグロットではないんだけど、言語学習に限らずたいていのことはそうなんじゃないか、と。つまり何かをものにしたければ、言い訳せずに毎日やること。合気道しかり、ラジオ講座しかり。まあアレクサンダー氏の場合はその「やる」のレベルがすんごいわけですが。

そこまで到達しようとは思わないにしても学ぶところは多いにあった。言い訳しても誰のためにもならんよな。先述の「いいねえ」と言う人たちはきっと言い訳し続ける種類の人間である。そうならないように生きよう。やってないことに言い訳はできない。

Saturday 1 September 2018

ミッション・インポッシブル見てきた

映画の投稿に続いてまた今回も映画について。
ミッション・インポッシブル見て来ました。


感想:ヤバかったっす!!!


見終わって会場が明るくなってみんな退場していく観客から聞こえた「疲れた…」という感想に激しく同意した。だよねだよね、おもしろかった以前にこれ以上続いたら神経すり減ってなくなっちゃうよね、という感じ。というのも140分間緊張しっぱなしで、まさにハラハラドキドキがずっと続くのだ。今までのシリーズもそうだったかもしれないけど、今回さらにすごくなってないか?


【トム・クルーズすげぇ】
この作品を通して、というよりシリーズ全体を通して言えることです。トムすげぇ。ただもんじゃないよ、というよりもはや一種の変態の域にあると思う。いろんなもの超越している。前作もそう思ったけど、3年たってもっとすごくなってる。

具体的に何がすごいって、「いやこれ絶対スタントだろ」と思ってたシーンがたいてい「本当にやっている」から。見る前に何も調べずに行ったのだが、終わって、家に帰って、調べて見たら「あれはCGだろ」とか「スタントだろ」と思ってたシーンはたいてい本物でした。今回はなんとヘリコプターの操縦資格までとったという。骨折もしたらしいけど全治9ヶ月?を六週間で治したとか。

驚いたのはスカイダイビング。ただのスカイダイビングじゃないのだ。ヘイロージャンプという、もっと危険が伴うやつ。これを実際にやっている。本気で映画に人生捧げてるのだ。

いつも通りの、バイクで追っかけられるのも今回はパリの街並みの中で行われて、相当面白かった。だって、ただ見ているだけでも面白いのだ。凱旋門の逆走とかまじありえんやろと。

そして、走る、走る、走る。ロンドンの、建物の上をどんどん走る。

最後のヘリコプターのシーンまで行くともうだんだん笑いが出て来る。「おいおい…」という感じ。無理だろおい、と。映画じゃなかったら何回死んでるんだよイーサン・ハント。ミッション・インポッシブルはトムあってのものなのだなと、この人のライフワーク(と言うとちょっと軽い感じするけど)なのだなとつくづく思う。

トムは仕事について文句とか言い訳とかしないんだろうなあ。手を抜くわけもないし。少しの妥協もないのだ。これで6作目になるミッション・インポッシブルだが、最初のやつが1996年だというから、そこから22年。どんどんすごくなっていく。トムは56歳らしい。年齢なんて考えてないよなあきっと。年齢を言い訳にするやつにはろくなのいないと普段から思ってるんだけどトムみてやっぱり本当にそう思う。体力低下のせいでアクションが面白くなくなる、ということはまったくない。

というように、単純に「映画おもしろかった」というだけでなくトム・クルーズという俳優から学び考えさせられることがたくさんあるのです。これだけは譲れない、妥協できないというプロ意識を目の当たりにすると、人生そりゃいろんなことあるだろうけど言い訳とかしてる場合じゃないな、こうしちゃおれんなという気になる。いや、だからと言ってきょうから私がヘリの操縦資格とる、とかじゃないけど。

映画ってそういうきっかけを与えてくれる場合あるしそうするには十分な要素が備わっていると思う。衣食住ではないし、人生になくても生きていけるけど、でも絶対あったほうがいい。いやはやもっと書きたいことあるけど映画見に行く時間は頑張ってとろうと思いました。そして凹むこととか腹たつことあったら走るトム・クルーズ思い出そう。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...