Tuesday 19 February 2019

パルプ・フィクションを映画館で見る

日曜に出勤して考えることと言えば当然「明日の代休何しようかな」に限る。というわけでおととい、映画館のサイトをクリックしていたら目を疑った。

「パルプ・フィクション」

まじかよ、と思って詳しく見ると、古い映画をこうやって映画館で上映するらしい。聞いたことはあったけど、そうか、パルプフィクションは古い「名作」にカテゴライズされるのか、「ふむ」と一呼吸おいた上で、自分の置かれた状況を冷静に考えた;

月曜
代休
子供は保育園
午前10時
一番好きな映画の一つ
特別料金

逃すわけにはいかない!
というわけで、最初にぼんやり立てていた予定(「歯医者に行こうか」とか「友達に会おうか」とか)を一気に頭の中から取り払い、何よりもパルプフィクションを優先させることにした。これ以上いいタイミングはないのだ。

パルプフィクションは大好きな映画の一つである。100回というと大げさかもしれないがそのくらい何回も見た。最初に見たときはVHSだったのではないかな?VHSの再生できるテレビに、ずっと入りっぱなしだった気がする。それをひたすらBGMのように流していた。おかげでセリフを一部暗記してしまったほど。

で、映画館で見た感想:

良すぎる。最初の、ハニーバニーが叫んだあとに音楽と共にタイトルが入ってくるところとか、ミアとヴィンセントの話とか昔の感情がそのままよみがえってきてだいぶ興奮した。とにかく音楽が久しぶりすぎて、もうこんないい映画ないよな〜うんうん、と思いながら思わず踊り出しそうだった。

DVDより断然良い、というかいろいろと気づかなかったことに気が付いた。そもそも久しぶりに見たので「あれ、ここってこんなんだったっけ」みたいなシーンもあったけど、それよりも細部に気が付くことが多かった。最初のレストランのシーンでも、ヴィンセントが歩いて行くのが写っているというのは知ってはいたけど、会話をよく聞いていると背景にジュールスとヴィンセントの会話が低く聞こえる。これはDVDだと気づかない。そして映画館で集中して3時間座っているというのはやはりしっかり映画に向き合っているので良い。家のDVDだと途中でお茶入れたり歯磨きしたり邪魔が入ったり小包が届いたり…と全然集中できない。

しっかし、やっぱいいよなパルプフィクションは。センスよすぎる。もう一回ちゃんと見ようと思った。

Monday 18 February 2019

消防署内見学

今週は土日も仕事だった。12日から6日間ずっと働き続けたので結構疲れた。何よりも、通常とは違う種類の業務だったのでより疲れた。頭の右側の「こり」が出てきた。昨日ですべてが終わったのでとりあえず息抜き。今日と明日は休み。長かった。

昨日は昼頃帰ることができた。疲れているはずだけど天気は良い上に仕事が終わった開放感から気分は軽かったのでこどもを連れて外へ出た。図書館に行き、公園に行き…とだいぶ動いた。気づいたら2時間歩き続けていた。

いつものように消防署へ行くと、なんときょうは特別に消防署の中へ入れてもらえることになった。文字通り毎日通いつめて一年ちょっと。中へ入れてもらうのは初めてのことである。こどもが興味あるのは消防「署」よりも消防「車」なのでより興味津々なのは明らかに子より私である。

入ってみるとカレーの調理中だった。お話を聞いたところ、常時15人がいて、全員分の食事を自分たちで作るということ。メニューも自分たちで考える。そうなのか。食事作る専門の人がいても良さそうなのに。

それからお風呂を見せてもらった。驚いたことに、湯船はつかるためにあるのではなく、体を洗っている時に出動することになった場合、飛び込んで一瞬で体の泡とかシャンプーとかを落とせるように湯船はあるらしい。なんと。これは知らなかった。びっくり。

寝室も見せてもらった。とてもいくつもベッドがあるけど並んでいるわけではなくてうまい具合に干渉しない程度にずれている。駅員さんみたいにベッドが動いて起こす、とかはなくて意外とすぐに起きれるらしい。「いつも緊張しながら寝てますけど」と言ってたけど、本当に眠れるのだろうか。

あらためて、仕事の重さというか命がけっぷりを感じた。すごい仕事が世の中にはあるものだ。

しかもこの人たちいつも爽やかで明るく優しい。常に身体は鍛えられて髪は切りそろえられとにかくかっこいいのである。精神面の構えも違うのだろうなと思う。尊敬すべきヒーローたち。こどもがいなかったらこんなに間近で毎日見ることもないのだが。

Monday 11 February 2019

連休、こどもメモ

連休3日目。

金曜…通常の仕事のあと夕方から友人が来てくれてpizzaを食べる。こども大喜び。

土曜…雪が降るということで覚悟していたがそれほどひどく降ることなかった。雪の降っていない午前中のうちにこどもを連れて図書館へ。図書館に掲示してある、先週から気になり続けている北斎のポスター。鬼が書かれているのだが怖さが少しあるものの近づきたくて仕方ない。近くまで行って「これは?」「これは?」「この人はほくさい?」を繰り返している。トイレの近くに貼ってあるので、トイレに行こうとする人をみると「あのひともほくさいみる」と言う。かわいすぎて喜ぶ図書館員たち。午前中のうちにプールへ行きひと泳ぎ。関税がなくなって安くなったワインを買い、飲みながら料理。さばの味噌煮、まぜごはん、切り干し大根のサラダ、きんぴらごぼう、などなど、ひたすら料理し続ける。

日曜…日差しは暖かいが昨日からの冷たい空気が残っている。特に予定は無いのできょうも図書館へ。それから電車に乗って無印へ行きバウムクーヘンを買う。20分とせずに帰る。目的は電車に乗ることでありそれに付随したバウムクーヘンなのでこれで良い。駅で偶然昔の教え子たちに会う。全員の名前思い出せず。帰宅後昼ごはんを食べさせて午後からプールへ。今週はこれで4回目である。新しい水着を買ったことの効果たるや、大きい。村上radioの第4回目が本日であることを朝偶然、幸運にも知ったので7時から聞く。「思い出は、たくさんあると後になってからエネルギーとなるし人生のクオリティが違う感じがするのでたくさんあったほうがいいです」みたいなことを村上さんが言っていて、本でも読んだ内容だったけど本人の肉声で言われるとやっぱり響き方が違ってそうかなるほどと思った。第五回が楽しみだ。8時半ごろにこどもと一緒に寝た。

月曜…そして今日。友達に会う約束をしている。きょうはたぶんプールには行かない。軽い風邪状態なのでちょっと控えておいたほうがいいかもしれない。

こどものメモ。

2歳5ヶ月。ものすごくよくしゃべる。イタリア語を。こうやって連休ともなると保育園に行かないのでますます、である。たぶん本人もこれが心地よいのだろう。「イタリア語で知ってるけど日本語で言えない」みたいな単語もだいぶ増えてきている気がする。ここ数日、線路の脇にある「らくがき」のことをずっと言っているのだがもちろんらくがきという言葉は知らないのでgraffito arancioneというイタリア語で表される。間投詞もほぼすべてイタリア語である。罵り言葉こそ出ないものの、ネイティブっぽい言葉が次から次に繰り出される。日本語でのコミュニケーションに困難は今の所なさそう。

The Beatlesについての知識がすごい。イントロ1秒で(たとえば)I wanna hold your hands!とかタイトルが出てくるのははっきり言って驚愕する。Youtubeでも同じ。再生前の画面が見えるだけでタイトルを言う。「次の曲」として小さい画面で出て来ているときも同じ。本当に1秒でタイトルを言う。これは特殊能力かも、と思うほど。感心する。そしてもちろん歌詞もだいぶ歌えるようになってきた。I wanna hold your handsの"And when I touch you I feel happy inside, it's such a feeling that my love I can't hide..."の部分をきのうも流れるように一人で歌っていた。すげえ。Help!もI need somebody, not just anybodyと歌える。これは放っておこう。それがいちばんいい。

生まれる前から、きっとイタリア語と日本語のバイリンガルになるだろうからそれを伸ばすにはどうすればいいのかなと考えていた。とくに英語を教えるつもりはまったくなかったし英語は嫌いにならなければたぶん自然とくっついていくのではと思っていた。イタリア語とは近いし。今もやっぱり教えるつもりはない。放っておこう。きっかけを与えるもなにも、たぶん自分で次を見つけてくるはず。

Monday 4 February 2019

いつでも、どこにでも飛んで行けるように

Travel lightというのは好きな言葉で、荷物少なく移動するという意味。イギリスにいるときに何人かのイギリス人との会話の中で出て来たのでああこうやって使うんだなと思った。

動きたいと思ったらすぐに動けるように、持ち物は少なくしておく。旅行の荷物に限らず、家の中の持ち物についても言える。いつでも、どこへでも飛んで行けるように。まずは自分の持ち物を把握すること。それからいらないものを捨てる。捨てるものをちょっと探してみると常に何かしらあるのが驚きである。不要物と一緒に暮らしているのだ。本当に必要なものを見極めるのは気持ちの良い作業だ。

一週間前に例の試験が終わって以来、ちょっと暇ができたと思っているのだがその暇を何に使っているかというと、いらないもの探しである。無意識に家のなかのものを見渡し、一箇所場所を決め、引っ張り出して「要」「不要」に分けるという作業をやってしまう。暇ができたら本を読もうとか好きなこと勉強しようとか思っていたのに、例えば、結局本を読もうと思って本棚をみるといらない本探しの作業に入ってしまう。

海外でもだいぶ有名になった「こんまり」だが私も実際大きく影響を受けている。かれこれ5年ほど前だった気がするのだが、一度本を図書館で借りて読んでから大きく考え方が変わり、何度も本を借りることになったので結局一冊買ってしまった。今も、なんとなく手にとってしょっちゅう見てしまう本のなかの一つである。

一人で住んでいるわけではないので思いっきり捨てられるものにも限界はあるのだけれどこういう考え方を持っておくことは大事だと思う。

さて、月曜がやってきた。今週はいろいろ忙しくなりそうだけど明るく楽しく生きたいですね。

Sunday 3 February 2019

合気道昇級

久しぶりに合気道へ行った。なんだかんだで行けておらず、まともな稽古は11月以来である。それでも今回はあまり「行きにくいなあ」という気持ちはなかった。なぜかはわからないけど。行ったらやっぱり「行ってよかった」と思った。とても楽しかった。稽古前にストレッチングをしていたとき、ふと「昇段、昇級者」の札に目をやった。なんと私の名前があるではないか。1ヶ月に1回くらいしか稽古に行かなくなって久しい私は昇級などこれっぽっちも期待していなかった。しかも11月からずっと来ていないのだ。これは先生たちからのメッセージがこめられているなとちょっと気が引きしまる思いがした。つまり「昇級したからがんばろうよ」と。「ちゃんと見てますから来てくださいよ」と。

合気道を始めたのは確か2015年の5月。3年以上が経つが、合気道を初めて約半年後に妊娠したため、週2、3のペースで稽古に行くことができていたのはその当時だけである。妊娠してからはもちろん稽古はできなかったし、子供が産まれてからはもっとできなくなった。それでも今のところやめる気はまったくないし、稽古代が払えないほど困窮してもいない。もしその月に行けなかったとしても勿体無いという思いはあまりない。というのもものすごい長ーい目で見ているから。何十年と続けたいから。水泳に加えて生涯における「体を動かすこと」の一つにしたいから。そもそも試合の無い武道なので、勝って賞が欲しいという欲もない。でも、なによりもやってて楽しい。自分に合っている気がする。たとえ1ヶ月に1度であれ、行きたい場所、行ける場所があるのは嬉しいことである。

今回久しぶりに稽古してあらためて思ったことだが、2ヶ月ぶりであろうともやっぱり体は覚えている。受け身ができなくなるとか、基礎からわからなくなっているとかそういうことはない。久しぶりであれ投げられたらそれなりの受け身ができるし身体は「のって」くる。もちろん周りから見たらまだまだなのだろうけどこれは自分のなかでだけわかること。

稽古後のほどよい疲れは本当になんとも言えない。筋肉痛さえ心地よい。

「行けない自分を責めない」というのはずっと前に合気道仲間から聞いた言葉で、そうだよなそれだよなと思っている。この言葉が結構心の支えになっていて、おかげで細々と続けて行くことができている。

ということで、気持ちをあらたに今後も細く長く続けていこうと思う。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...