Monday 31 December 2018

こどもを連れて温泉、ビートルズ

今年を振り返るといってもよく覚えていないのである。ただし12月のことなら思い出せる。本当に大変だったなというのが一番の感想。こどものイヤイヤがこれほどまでにひどくなるとは思っていなかった。2歳は楽になった、というのは早まった誤りでした。だって11月くらいまでそう思っていたから。突然やってくるものである。今よりひどくならないことを願う。ここ数日実家でどうにかこうにかやっているが一対一で対応することを想像するとこれは悪夢である。絶望的である。

記録のためにひとつ書いておく:

昨日は温泉に行ってきた。こどもを連れての初めての温泉だったがとても楽しかった。短時間でもやはり温まり方が違うと思ったし気持ちよかった。こどもは最初やはり緊張していて少しも動かず、「はい服脱ぐよ」と言ったら脱衣所でするするとズボンとおむつを脱ぎ始めたのには驚いた。こんなの初めてである。これだったら毎日温泉に来たいと思ったくらいだ。

湯舟に入るのも相当びびっていてサルの赤ちゃんのごとく私にしがみついていた。決して底に足をつけようとしなかったがシャワーとの間を3回往復する間にだんだん慣れてきて最終的には自分で歩けた。お尻をつけようとしてお湯を飲む羽目になったのはかわいそうだった。

湯舟からあがると既に興奮しており調子に乗ってお客さんたちの間を縫うようにちょろちょろと走り回る。追っかけまわすのはやはり大変だった。ただこんな感じでちょっとずつ外に連れていけるようになっている。いろいろな経験をして、満足して夜も眠りについた。

最近、昼寝をするときに、座ったままで抱っこして揺らしながらなんらかの歌(たいていビートルズ)を歌うと眠ることが多い。問題は私がビートルズの歌詞をすべて知らないということだ。抱っこされながら「ハローグッバイ」とか「ペニーレイン」とかリクエストしてくるが、ごまかしながら歌って最終的には鼻歌になる。それにしてもよく曲名まで知っているものだと感心する。童謡はちっともなじみがないがビートルズならイントロ3秒でLet it beとかGet Backとか言える。2歳でここまで身についている。

Sunday 30 December 2018

眠気、体重、雑感

あっという間に30日。実家に来てぼうっと過ごせるかと言えば意外とやることは毎日何かしらあって時間は過ぎ去る。友人知人が訪ねてくることも多い。勉強をせねばと思っていても午後になると猛烈な眠気に襲われる。睡眠時間は結構とっているはずなのだがそれだけ疲れているあるいはリラックスしているということだろうか。ここに来ると空港を出た瞬間からだいたい眠気に襲われるのでやはり東京では緊張感が常にあるのだろう。気をゆるめる場所があるのはいい。いったん物理的に日常から離れると切り替えができるし日々を客観的に見ることができる。こどものわがままは相変わらずすごいのだがここには人員がいるため一対一で対応する必要がなく怒鳴り散らすまでには至らない。子育てには人数が必要なのだ。絶対に要る。「お母さんが育てる」なんて誰が決めたのだろう。中心人物さえ決める必要はないと思う。みんなでやるのだ、みんなで。

先日友人からお茶をプレゼントにもらった。予想もしていなかったのでとても嬉しかった。義務的にお土産やプレゼントを買うのは好きではない。大事なのは本当にあげたいと思う気持ちでありその日だからとかその状況だからという理由であげる必要はない。

夏に2キロぐらい体重が減ってから結局元に戻っていない。上がり下がりはしながらも結局ベスト体重マイナス2キロの状態が続いている。夏は確実に食べていなかったことが理由だが今は一応食べてはいる。ただ、これで落ち着いてきたのかもしれない。出産の前後で身体はものすごい変化した。膨張したりしぼんだりたるんだり、髪も抜けては生え変わり、肌もゆで卵をむいたようなプルンプルンの時期があったり、一人の人間の体がこれほどまでに変化をするのかと思うくらいに変化した。たった2、3年のこととは思えないくらい。妊娠したのが3年前だが、それからようやく今収束してきているのではないかなと思っている。一生戻らないのではと思っていたウエストも、水がたまったようなふくらはぎもようやく普通に戻った。産後2年。こんなに時間がかかるのである。

当たり前だが、妊娠していない状態というのは実に自由で良い。好きなものをバンバン食べてもすぐ体重に表れるということもない。そもそも好きなだけ運動ができる。水泳も自転車も合気道も制限はない。そして好きな服が着られる。だるまさんみたいな格好で妥協する必要がない。おなかに何もいないだけでこんなに自由に動けるのだ。時々妊娠期を思い出して今の自由をかみしめると同時に「あれはもうこりごり」と思うのである。

妊娠は病気じゃないという言葉があるけど、いや、病人と同じ扱いでいいよね。いつ何が起きてもおかしくないしだいたいいつも苦しい。半端ない困難を抱えて9か月くらい生きているわけで。「妊娠は病気じゃない」は死語にすべき。

Friday 28 December 2018

自分のことを話せるようになってきた

先日、初対面の人と話しているときにこどもの話を持ち出さずに話を続けてみた。こどもがいる身分であるということを言わずに話してみたということ。

すると、ともすればこどもの話に移りそうになるし、こどもの話を出さずに話を続けるのは難しいと思った。日々の生活がこども中心で回っているので、たとえば「休みの日に何をしますか」という普通の質問でさえ、土日は子どものいる私にとって休みではなく自分の時間をもって好きなことや趣味をするのはほぼ不可能に近いため「掃除と洗濯」以外の答えが出なくなってしまう。

しかし、それでも、だ。
以前よりも話せることが増えてきた気がする。つまり、自分について。子ども以外のことにまったく手が付けられなかったときのことを考えてみると今はだいぶ「自分」が取り戻せてきた気がする。

特に、仕事を一人前にこなしているから。他人に認められ、必要とされ、責任の伴う仕事をやっているおかげで自分に自信が持てる。仕事に携わる、手に職を持つというのはこんなにも素晴らしいことなのだ。育休なんてことをよくやったよなあ私、と今振り返ると思う。

2年前、近況報告なんてしようものならこどもの話題しか出なかった。どこをどうひねっても絞ってもこどもの話題しか出てこなかった。自分が何をしたいのか、普段どういうことを考えているのか、それすら言えなかった気がする。本も読めなかったしそもそもまともに眠ることが一年間ずっとできていなかったのだからそりゃ本どころじゃないよねという話で。

最近こどもが、より「別の人」に見えてきた。つまり自分の付属品(最初からそうは思ってないけど)ではなく「もう一人の人」に見えてきた。その証拠に顔がどっちに似ている、というのも考えることさえなくなってきた。この人はこの人なのだ。

そして私は私なのである。こどもがいてもいなくても私は私でしかない。こどもに合わせて人生に制限をかけない。なぜならいずれこどものせいにしてしまう気がするから。こどもの世話が忙しくて身だしなみに気を配らなかったり体重が増えたりというのはよくあることだけどそこでこどもを言い訳にしてはいけない。すべては自分次第。

Thursday 27 December 2018

こどもを連れて帰郷

故郷にやってきた。25日に今年度の仕事を終え早速26日に飛んだ。昨日の8時半に家にタクシーがやってきて、9:55の飛行機に乗った。

今回は空港に着いた後にベビーカーを使わずこどもが搭乗口まで歩いた。空港もまだピークには達しておらずそれほど混雑していなかったのでこどもとゆっくり歩くのも困難ではなかった。大きくなったなあと成長を感じる。それでも一人で勝手に駆け出すので例えばレジで支払い中に「あれ、いない!」ということは3回くらいあった。追っかけると喜んで逃げる。仕方ない。いつものように崎陽軒のシュウマイ弁当を買う。

隣に誰もいない席があったのでチャンスだと思って席変更をしたら結局最終的には埋まってしまっていた。というわけで今回は一番後ろの席に座った。ただ、新しい機体だったので画面がついていたのはよかった。2時間泣きわめくこともなく過ごせた。眠いのに眠れないのは辛そうだったし、結構揺れたので最後のほうで少し吐いてしまったのは本人としてもやはり印象に残っているらしい。着いた後にずっと「ひこうき くしゃみ」と言っているのがよくわからなかったのだが、どうやら「はいた」ということを言いたいのではないかと思った。口から何か出た、みたいなことを。

こどもにとってこの搭乗はいったい何回目なのだろう、と頭の中で数えてみたところおそらく23回目、つまり12往復目である。すごい。2歳4か月にして23回も飛行機に乗るとは。慣れたものではあるが乗せるのが大変なことには変わりはない。その都度いろいろな策を考えておかなければいけない。そのうち航空券にもお金がかかるようになるし、そのうち自分ひとりで乗れるようになるはず。たくましいのう。

祖父母に会えて子どもはとても嬉しそうで、逆もまた同じ。こどもは興奮し続けていてとてもじゃないけど昼寝なんてしなかった。近所の人たちも会いに来てくれてありがたかった。そして、想像してはいたがそれほどわがままで泣きわめくことがない。いやまだ初日なのでどうなるかはわからないけどとりあえずおむつを替えるのとお風呂に入ることに従ったのには驚きだった。いろいろな人の目があるとこうも違うのだ。

Wednesday 26 December 2018

選択可能な二者

イタリアについて。

何を今更、と思うだろうけど最近やはり私の持つ性質のなかの一つになっているのだなと客観的に見ることがあったので。私はイタリア人になりたいわけでもないしイタリア人を無条件に礼賛しているわけでもない。最悪だなこの人たちと思うこともあるしそもそもイタリアに住みたいかと言われるとすぐに肯定の返事は出てこない。それでもイタリアとイタリア人から少なくとも10年、いやもっと長い間、大きな影響を受け続けていてそれが自分という人間の一部を成している感があるようになってきた。

一般的に「海外では…」という文脈でものごとを語ることがよくあるが私は「イタリアでは…」という始め方だったら話せることが多い。それ以外についてはよく知らないし知っているうちに入らないがイタリアについては、住んでもいないのになんだかんだでよく知っていることが多い。いやもちろん浅いけど。

そして各国の「常識」についてイタリア以外の出身の人と話していると、そうかそれぞれの国で違うんだなと思う。同時にイタリア人がいかに美感覚と独創性に秀でていて洗練されたスタイルの持ち主でありチャーミングな存在であるかを一歩引いて感じることができる。

イタリア=海外ではない。イタリアの常識を「海外では」の文脈で自分がとらえ、自分のなかの二つ目の常識にしかけていたことに気づく。私が知っているイタリアという国は、別の場所から見てもやっぱりこれだけ魅力があるのか、と思う。つまり;

「私 - イタリア」の構図ではなく
「私 - 別のどこかの国 - イタリア」の三者の中で見たときに、一歩引いて客観的に見られる、ということ。

だから、たとえば「思っていることは溜めずに外に出して表現する」ことはイタリアのやり方なわけだが、それはわかっていても私のなかで「日本じゃないところのやり方」つまり選択可能な二者のうちのもう片方のやり方として認識している。ただし「思っていることはすべて表現する」文化がたとえばヨーロッパ全土について言えるのかというとそうとも限らなということに、三つ目の国を通すと気づく。

そして「選択可能な二者」のうちのひとつになってしまっているのだ、イタリアが。やり方考え方はいろいろあるけど自分のなかでイタリアだったらこう、という二つ目の基準、常識がいつの間にか出来上がっている。イタリアに初めて行った21歳当時は憧れでしかなかったかもしれないしもしかしたら「選択可能な二者」というよりは日本を否定する立場にあったかもしれない。それが最近、並列・共存している感じがある。どちらが良いとか悪い、というわけではない。上がったり下がったりしながら日伊が共存してきた。

話変わって、言いたいことをすべて口に出してしまう文化ってすごく良いです。日本の対極にあるけど。日本がそうなるのはかなり難しい。論理的にものごとを話すのがとても苦手な民族だと思うし「意見を言う」ことがいとも簡単にケンカとつながってしまう。下手すると意見の否定は人格否定みたいになっちゃったりして。そういう意味では損な集団。

Monday 24 December 2018

友人宅と色のはなし

22日昼、友人宅へ招かれたのでお邪魔してきた。こどもを置いて行くことができたので気兼ねなく一人で(身軽に)電車に飛び乗る。気分的に赤いコートを着て。

さらに、気分的にチョコレート・ケーキが食べたかったので渋谷のTopsに寄って2〜3人用のケーキを一つ買って行く。一人で休日午後に出かけるなんてこんな贅沢はない。そしてなんて身軽なのだろう。

バス停に迎えにきてくれた友人は、深緑のコートを着ていた。「やばいね、あたしたち!」と言われて並んでみると、それはもうパーフェクトなクリスマス色の組み合わせなのであった。笑うしかない。二人で歩くとそれはそれはめでたく、festiveな感じがする。友人のマンションの住人からも「あら〜 クリスマスね!いってらっしゃ〜い」と声をかけられた。

上京以来の友人である彼女は、そんなにしょっちゅう会うわけではなくてもなんだかんだで連絡を取り合っていて、性格もちょっと似たようなところがあり、同時期にヨーロッパに留学していたのもあってその経験から何かと「言わなくても分かる」レベルのことを共有していることがある。

手料理をたくさんご馳走になり、しゃべりまくって、満たされた気分で帰宅した。なんとも良い時間を過ごした。

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色について。

友人宅はリノベーションをしたので自分の好みで壁の色を変えたりしていた。黄色い壁もあった。明るい性格の彼女がものを選ぶとだいたい
・明るい色(赤、黄、青など)
・大きな柄、モチーフ
のものが集まってくるのだがこれがよく合っているしその人を表す感じがする。

(日本の)お片づけ系、インテリア系のブログを読んでいるとだいたい「モノトーン大好き」「白、黒、グレーで統一感」みたいな記事が多い。2,3年前に、今の家に引っ越してきたときちょうどそういうブログを読み始めた。そして本当にシンプルでいいと思った。影響を受け、そうだよな、モノトーンじゃないとなと思ってちょっとそっち方向にしようかと試してみたことがあった。

が、一年も経たないうちに「つまらん」ということがわかった。パペリナのラグを買うときにも、どうしても明るい色のものに目がいった(結局オレンジ色を買った)。ストウブの鍋も真っ赤。結局それが一番落ち着くのである。モノトーンは私にとっては「無理している」状態なのだと思った。もちろんそれが無難で良いというときもある。それでも私の基礎、基本は20歳ごろにイタリアで見た真っ赤なシーツのベッドルームや、黄色や緑単色のワンピースにある気がする。シンプルなデザインとパキッとした色がいまだに頭に残っていて、その後ずっと、インテリアや服のみならずものの見方や人生にまで影響を及ぼしている。

かといって何でもかんでも赤いと良いというわけではないけど。壁を塗るなら黄色は良いなと思った次第です。

Saturday 22 December 2018

声、髪、爪

ふと気づくと20日が過ぎていた。早い早い。1年が終わる。今のところ、熱が出るような風邪はひいていない。たぶん睡眠をたくさんとっているおかげだろうと思っている。食べることよりもまずは睡眠が大事だと思う。

咳が止まらず病院に行ったのが確か先週のことだった。薬を飲んで咳が止まったかわりにハスキーな声になり、それが何日も続いたけど今はもうだいぶ普通に戻った。声が違うといろいろな人に心配されるが、本当に声がかすれているだけで、鼻水も咳も熱も出ないので苦しくもなんともない。歌が歌えない、とかそのくらいしか困ったことはない。むしろちょっと違う自分になれたような気がして楽しめた。スカーレット・ヨハンソンのハスキー・ヴォイスを思い出すと、ちょっと得したような気にさえなった。

しばらく髪を切っていない。バッサリ切ったのは9月だったと思う。それから、やっぱ短すぎると困るなと思ったのと、寒くなって来たのもあって切る必要性を感じず今に至る。だいぶ伸びた今、ちょうどよくなって来た気がするが、それでもまだ短い。箸をかんざし代わりにしてぐさっと簡単にまとめていたころが懐かしくて、その頃と同じぐらいに伸ばしたいと思いながらも結局我慢できずにバッサリ切る、というのを繰り返している。今度こそ、このまま頑張って伸ばすつもり。

マニキュアを塗る余裕が少し出て来た。まるごと2年以上、マニキュアのボトルに触れることさえほぼない状態だったが、朝時間がとれるようになってきたので完璧ではないにせよ爪のケアができるようになってきた。

Thursday 20 December 2018

身軽でいること、スペースを持つこと

今朝こどもと遊んでいたら、向かい合って手をつないだ状態で逆上がりしてぐるんと回る(で、分かりますかね?)ことができるようになっていた。びっくりした。どうにかこうにか3回まわって、たいそう褒めてあげると自分でも「Bravo」と言いながら手をパチパチ叩いていた。おもしろい。そのあと、しばらくしてからもう一度やってみたら5回連続でできた。そうか、そういう年になったのか。現在体重がだいたい14kg、身長はだいたい90cm。がっしりしていて、じゅうぶん重い。しっかり走るし、ふにゃふにゃ感はもうない。

きょうは午後から、友人に会いに行った。職場近くの、いつもの肉屋でお弁当を買って行き、一緒に食べながら少し近況を話す。短時間だったがこうやって気軽に会いに行けるのは良い。私は友達が多い方ではないし、めちゃくちゃ親しい友人、みたいなのも少ない。それでも、長く会ってはいなくても「きのうの話のつづき」みたいな感じで話ができる人たちが何人かはいて、気を使わずに自然と「会おうよ」「会おうか」ということになる。一緒にいて楽しくない人たちと無理につきあう必要はないと思っているしそもそも他人に好かれようとは思っていない。

今までに2回、親しいと思っていた人から急に「縁を切りたい」とか「連絡をとらないで」と言われたことがある。どちらも文字によるものだったが。最初の人は高校の同級生だった。私もまだ十代だった。そのときはやはりとてもショックだったのだがおじに話したら「人の縁なんてそんなものです」と言われたのでそれに従うことにした。時の流れに任せることにした。そのことをよく覚えている。だから二人目の友人のときはそれほどショックを受けなかった。つまり放っておくことにした。そしたら自然と離れて行ったし、お互いに連絡を取ろうとしたことはそれ以来ない。結局合わなかったのだ。人の縁は脆いし、残るものは残って行く。新しい出会いもたくさんある。その時その時で人生を楽しむ。過去と未来についてはとりあえず考えず、楽しめるだけ楽しもう。明日死んでも悔いのないように、やりたいと思ったことはすぐに行動に移すべし。

とまあ言うは易し行うは難し、なのだが少しでも行うも易し、にするためには行動しやすくするためのスペースを持ち身軽でいることだと思う。持つものを減らす、というのはつまり良いものしか持たないようにすること。そして動き回れるだけのスペースを常に保っておくこと。引き出し、棚はギチギチにしない。つっかえたり転んだりぶつかったりしなくていいだけのスペースを持つこと。物理的なスペースができると心理的にも余裕ができる気がする。単にものを片付けるというよりは色々なものごと、人生に対してその構えでいるとよりいいことができる。より良いものが舞い込んでくるかもしれないときにスペースがなくては話にならない。

Tuesday 18 December 2018

たたかいの日々

昨日の朝。5.59に目覚ましで起きた。目覚ましが鳴るまで寝ているのは珍しい。しかも前の晩は8時に寝たのだ。10時間ずっと寝続けていたことになる。疲れていたのかなと思いながら紅茶をいれて座ってパソコンを開く。30分するかしないかのうちにこどもの足音がした。開口一番「きゅうきゅうしゃ」。いつもと同じである。しかしその後がちょっと様子が違った。いつもより断然機嫌が悪い。なにがきっかけだったか忘れたけど泣き出した。そしてミニカー類を床に投げ始めた。「いや」「いや」をずっと言っている。それからおむつを替えようとしたらさらに泣く。いつもなら放っておくが昨日はおむつがもはや吸水できない状態にまでなっていてズボンも濡れていたのでむりやり脱がせた。そうすると嫌がってさらに泣く。パニック状態に陥っている。ものすごい泣き方。耳が壊れる。新しいおむつを取って来たらそれもいやがり、なんと捨てたオムツの入っているゴミ箱へものすごい勢いで駆け出し、ビニール袋を中から引っ張り出して来た。もうこうなると手がつけられない。「ぎゃああああああ」「いやいやいやいや」放っておけないのは下半身素っ裸だから。このまま床に漏らされたらたまったもんじゃない。むりやりオムツを履かせようとするとものすごい勢いで足を動かし私を蹴る。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている。それでもこっちも負けておられずほぼ力ずくでの戦いとなったが結局、オムツもズボンもはかせても自分で全部脱いでしまうので、もう何をやっても無駄な状態となった。「風邪ひくよ。知らんよもう」と言いながら放っておくと案の定そのまま床におしっこをした。ところがそのことが本人どうやら結構ショックだったらしく「ぴぴ、ぴぴ〜〜」と言いながら号泣。ちなみに「ぴぴ」とはイタリア語でおしっこのこと。みずから足を私に差し出し、大人しくオムツを履いた。成長の過程なのだろうか。そこで泣きわめくのが終わったわけではない。すぐに「なんか食べる」というので「じゃあソーセージ焼こうか」というと今度は「そーせーじー!!!」と言って泣き出す。それから170回くらい「そーせーじ」と泣き叫び続けている間にソーセージが焼けた。ここ2週間くらい「大荒れ」である。

その「たたかい」の間、私も子も涙を流していた。相手は子どもだしイライラしても仕方ないのはわかっているのに。去年の三月ぐらいだったか、家に帰りたくないと思ったことがあったけどもしかしたら今はそれ以上なのかもしれない。家にいるのが辛い。もう無理、と思う。

案の定、こういうことを私の両親に話すとたいてい「子育てってそういうもんさ」という言葉が返ってくる。これも、こう言われると分かっているけどがっくりくる。先輩の言葉、みたいなのは本当にいらない。何を言われても嬉しくない。だったらどういう声かけをしてほしいのかと言われてもわからない。早く終わってくれ、イヤイヤ期。

というわけで現状で「こどもっていいよ」「ほんとかわいいよ」みたいなセリフはなかなか私の口からは出てきません。

Sunday 16 December 2018

忘年会に連れて行く

仕事に少し余裕が出るとこうやってブログを更新する時間もできるのだなあと11月と比較して思う。そうかもう12月は半分終わったのか。早い。

きょうの昼は合気道の忘年会があり、こどもを連れて行ってきた。最近土日はろくに昼寝をしない。よしそれなら12時開始の会にだって連れて行けると思い、行った。行ったらとても楽しかった。正解だった。広い道場で好きなものをいくらでも食べていろいろな人に声をかけてもらえる。こんな経験は滅多にない。「あいきどう」という言葉も覚えていて、「合気道ってどうやってするの」ときくと「ぱん!」と答える。まったくもってその通りだ。投げたり受けたりでパン!とかバン!とかいう音が繰り返される。同じ2歳の子がいたのだがその子はあらかじめ準備されたものを食べていた。そうか、そんな時期もあったっけな。いつだったかな。空港でお昼を食べるから、といってタッパーにごはんを詰めて使い捨てのスプーンを持って行く、みたいな時期。

ひたすらはしゃぎまくって、ちょっと早めに退出して帰った。それからひとしきり家で泣き(「おうちきゅうきゅうしゃいや」というセリフを170回くらい繰り返した。外で本物の救急車を見たい、おうちにある小さな救急車じゃなくて、という意味。)、泣きながら眠りについた。やれやれ、である。

それでもやっぱり「連れて行くと大変だよなあ…やっぱやめとこうかな」と思っていた時期に比べれば格段に楽になったと思う。

しばらく前に「子どもは衛星みたいなもの」という言葉をきいて、そうだよなと思った。今だからこそそうだよななんて思えるのだろうけど。自分の周りをぐるぐる回っている存在で、私の行くいろんなところについて行く。そしていろいろなことを体験する。美術館にも海外旅行にも合気道にも水泳にも行く。こどものために自分を犠牲にしなければいけないことは多々あるのだがそう簡単に自分のことも諦められない。自分を犠牲にしていると思い続けると、たぶんそれは危険で、いつかいろんなことを子供のせいにするようになってしまう。いや、今そうなりつつあるのかもしれない。

Saturday 15 December 2018

咳とイヤイヤ

昨日。金曜平日。仕事は木曜で終わらせているので行かないことにして貴重な平日休みとなった。映画のチケットが手元にあるので見に行こうかなと思ったが時間が合わず。咳がひどかったので病院に行ってきた。半年に1回くらいこういうことがある。病院に行くレベルの咳。半年に1回というのはつまりエアコンを使う季節でもある。乾燥に弱い。治るだろうと思って放置しておくと2ヶ月くらいそのままだったこともある。熱があったり吐き気がしたり、というわけでもないので放置しやすいのは事実だが病院に行くと結構あっさり治る場合が多いので昨日は迷わず行ってきた。実際、もらった薬を飲んだら結構すぐに良くなったし、夜中咳で眠れないということもなかった。やっぱり行ってよかった。病院で言われたのは「とにかく水分とってね」ということだった。水、全然飲んでないや、そういえば。

昨夜12時過ぎぐらいに寝ていた子供が泣き出した。何がきっかけだったか覚えていないが、消えている電気をつけてくれとかそういうことで泣き出した。「つけたい つけたい」を500回くらい繰り返した。電気をつけると別のことで泣く。「みず」とか。それで水をあげると「いや」と言う。その後「あっちいきたい あっちいきたい」を繰り返す。何をしても同じである。こっちも涙が出てきた。耐えられない。寝せてくれ。もう辛い以外のなんでもなかった。何を言っても聞かない、聞こえない。抱こうとしても振り払う。寝ればいいのに寝ない。私を蹴る、たたく。これが1時間は続いたと思う。結局子の父親がなんとかしてくれた。神様。

最近本当に「もう限界」と思うことが多すぎる。逃げたくなる。そんなこんなでまた週末がやってきた。憂鬱である。混じりっけなしの憂鬱。

Friday 14 December 2018

2歳と14日のきろく

こどものイタリア語が「すんげぇ」進化している。「どちらもしゃべるの?」と他人に聞かれると「まあ日本語が中心ですけどイタリア語もわかってるみたいです」と言っていたのがしばらく前。しかしこの1ヶ月くらいで確実に言えるのは「イタリア語が中心ですけど日本語もしゃべれます」ということ。変わってきた。家では9割くらいイタリア語をしゃべっていると思う。実家の父母と私が(もちろん日本語で)話しているとわかる言葉があればそれを横からいちいち全部イタリア語に訳してくる。たとえば

私「…で、誰もいなくてさ」
子「non c'era nessuno」
私「そう、ノンチェラネッスーノ、ね。そう、誰もいなかった」

ずっとこの調子。あと、ひとりごとはすべてイタリア語。すごいね、と声をかけながら私は本当に心から「すごいな」と思っている。

最近工事現場の用語が増え始めた。イタリア語で。ただし私も一度も使ったことない単語ばかりなので「え?なにそれ?」と尋ねることがとにかく多い。日本語でもなんと言うかわからないものがたくさんある。とにかく、おかげで私の語彙も増える。

つるはしのことをpicconeというのは知らなかった。あとはbetonieraがミキサー車。cingoloというのはなんと説明すべきか。車のキャタピラ部分?こんなの知るわけない。が、最近確実に私の語彙として加わった。furgoneというのはバスとワゴンの中間くらいの車。バン?と呼ぶのかな。

単語だけではなく文になってきたし、女性名詞と男性名詞もなんとなく使い分け始めている気がする。冠詞がつくようになる日も遠くないのだろう。すげえよ、ネイティブ。

せきどめのシロップを飲ませて、そのあと粉状の「ドライシロップ」を取り出したら「tipo...」という。tipo ~ というのは「〜みたい」というい意味で、英語だとlikeとほぼ同じ。

「tipo.. なに?」と聞くと
「tipo sale(塩みたい)」と答えた。おっとこりゃ驚いた。たしかに粉薬、塩みたいなのだけどそんなイタリア語が出てくるとは。同じことを日本語で言えるのだろうかと考えたが、たぶん「〜みたい」とはまだ言えない気がする。

イタリア語のネイティブと一緒にいる時間が長いので、こうなるのは自然と言えば自然なのだが思った以上の入っていきかたなので毎日本当に驚いている次第。

ここ数日は私も仕事に少し余裕ができて、保育園の送り迎えを父母一緒にやっているのだが、別れるときは「パパ」と涙を流して叫び、離れようとしない。「あのー マンマもいるんですけど」と言うと子供は「ちがう」と良い先生たちは笑う。二人で迎えに行っても私のことはほぼ素通り。そしてたまに私ひとりで迎えに行こうものなら「パパー!!」と言って泣き叫ぶ。「マンマが来たんですけど」と言っても「ちがう」らしい。どんどんパパっ子になっていく。

Tuesday 11 December 2018

ストウブ来たる

きのうは賞与の日だったようだが例年通りそこまで気にしていなかったので「お、そうか」と思ったときには嬉しかった。そのせいかちょっと強気になって、楽天のスーパーセールで買おうと思っていた最後の大物を買うことに心に決めたのは職場にて。それから家に帰り、そのことはしばし忘れ、ようやく訪れた今朝の一人自由時間にてポチっとしようと思ったら、あれ、楽天の画面がなんかおとなしい…なんか違う。もしかして… そう、スーパーセールは11日の午前1時ごろ終了していたのでした。ガビーン。

まあ、でも、これだけ迷うくらいのものだし、まだ迷いが残っているくらいなので、そこまでショックでは無い。いますぐ生活に必要というわけではないし。ただ、あればちょっと生活がより快適になるんではないかな、と思う。また次回に持ち越すこととしよう。

というわけで、今回楽天で買ったものは、まあいくつかあるんですがそのなかでも大きかったのが:

「ストウブ」!!!


ストーブ?ではない。暖房器具ではない。鍋です。我が家にはル・クルーゼがひとつある。おそらく22cm。これ使い始めてもう10年は経ったのだがいまだに大活躍である。鍋底も傷ついてボロボロなのだがそれでも全然かまわない。効果とそのすごさは巷で言われるとおり。

しかしこれが結構大きい。もう一回り小さい鍋が欲しいなと思うことが最近増えてきた。たとえばちょっとかぼちゃを煮たいときにこれだと大きすぎるので別の鍋を使わざるをえないのだが、やはり熱の回り方がちょっと効率悪いし時間もかかる。どうしようかなとずっと思いながら結局思い切って買うことにした。あちこちのブログでよく登場するストウブ。何ヶ月も調査(というほどではないが)を重ね、店頭でも実物を手にし、大きさもどれがいいか調査した。結果、色は(また)赤で、18cmにした。これはきっと重宝する。

届いてすぐに子供が遊び始めたので早速少し傷がついた。まあ良い。この程度で壊れるストウブではないはず。

ということで今はコンロの上に飾っている状態ですがやっぱり絵になる!

ところでそんなにものを増やしていいのかというと、もちろんちゃんと置ける場所を確保してから買った。不要なマグカップがいくつもあったのでそれらをリサイクルショップに出したらスペースできた。それから家にもう一つある土鍋みたいなのにひびが入っていて、もうすぐ壊れるだろうという見込み。私は使ってないんですけどね。心のなかでは「早く壊れろ」とさえ思い続けているここ数ヶ月。

たぶんこれから一生モノの付き合いとなる、ストウブ。使い心地についてはまたいつか。

Monday 10 December 2018

こっちが泣きたいわ

また爆発してしまいましたね、週末。怒鳴ってもどうしようもない相手に怒鳴る虚しさと情けなさと言ったら。辛い以外のなんでもないなこれはと思った。

昼寝をしたいくせに昼寝しない。疲れているものだからわがままも余計にエスカレートする。寝る用意をするとここは嫌だと言って泣き叫ぶ。そして蹴る。ものを投げる。夜はお風呂に入らないと言って泣く。むりやり入れると今度はお風呂からあがりたくないと言って泣く。

もう勘弁してくれと本気で思った。週末だけでこどもは500回くらい「いや」という言葉を言ったのではないだろうか。

ずっと目が離せなかった時期よりは確実にましなはずなのだが意志が強くなってきて体重も重くなってくるとそう簡単には「動かす」ことができなくなってくる。

日曜夜には例のごとくまったく気力がなくなり、笑う余裕もなかった。それでもこどもが布団に転がり込んでくると、それはもう暖かくていいにおいがして本当にかわいいと思う。小さな足をにぎってあげると安心して眠りにつく。愛おしい。ただこれは1日のうちのほんの一部である。

美談?を語る余裕はない。SNSでこどもと写った、キラキラした写真を投稿できるとしたら、それはやっぱりほんの一部、いや文字通り、写真を撮ったその一瞬にすぎなくて本当の私の「日々」はもっとずっとドロドロしている。散らかった部屋を片付け、食器を洗い、洗濯物をたたみ、掃除機をかけるのがここにいる時間の大半なのではないかとさえ思う。行き場のない怒りとイライラにまみれている。

通常、人生のあらゆる場面にはいくらか選択肢があってそれらを選べば次に進んでいく場合が多いのだが、こどもが「ギャー」とか「いやー」とか泣き叫んでいるのを目の前にしたとき、私にはそれを解決に導く選択肢がない。そのことに昨日気付いた。前にいくのか?後ろにいくのか?右?左?どちらもできない。というか無い。そこに置き去りにするか、怒鳴るか以外にない。それが「選択肢」だとすれば。抱きしめてあげればいい?ゆっくり話をしてあげればいい?いやいや、そんなんで済んだら苦労はしない。そんなのは今の私にはおとぎ話にしか聞こえない。抱きしめても振り払われるし泣き叫んでいるのだから話しても聞こえない。

耐えるしかないのはわかっているが、耐えられないときもある。だって私も人間なのだ。きのう泣かれて思わず出たセリフはこれでした。

「こっちが泣きたいわ!!!」

Sunday 9 December 2018

病院で土曜午前をすごす

こどものインフルエンザワクチン2回目を接種しに行かなければいけない。というのは分かっていながらもなかなか実行に移せないのはやはり自分の体のことじゃないからなのかもしれない。毎日思っているのに病院に予約と確認の電話をするのを忘れる。忘れつづけて1週間くらいたった。普段どおり元気にこどもは動いているしワクチン接種しなくても日々はいつものように平和にすぎて行くので必要性に迫られる感じもしないのだ。

とはいえ。

金曜夕方にまた思い出して電話をかけた。ということで土曜に行くことに。

しかしこども、金曜夜から咳と鼻水がひどい。これは怪しいな接種できんかもと思ったけどいずれにせよ行かなならんやろ、つまり先生に見せといたほうがよかろうという判断でこどもを連れて小児科へ。

「きょうは注射やめときましょう」

という結論。やっぱね〜。
しかしながら喉のぜえぜえがひどいので鼻水吸引と口開けて5分吸入を繰り返すことに。診察するたびに足の指に何か巻いて、体内の酸素量を測る。通常95は無いといけないのにきょうは91しかない。「ちょっともう少し待合室で遊んでおいで」を繰り返し、結局2時間以上小児科にいることになった。最終的に95を超えたので帰ってよしということになったが、そんなに数値が大事だったのだろうか?いずれにせよ親子ともぐったりだった。通常12時前に昼食をとるところがこの日は12時半。

仕方ないとはいえなかなか辛いものがありました。

ま、おかげで「ぜえぜえ」はだいぶよくなり、鼻水も出なくなった。熱はそもそもないけど、いまにも熱が出そうな感じだったのでやっぱ見せといてよかったと思った。

というわけでワクチンは来週に持ち越し。

Monday 3 December 2018

耐えるしかないのは分かっているが

やっぱり限界がくる。週末には限界がくるのだ。

と、きのう思った。こどもと1日じゅう一緒に過ごすのが本当に大変である。以前より言うことが通じるようになったとはいうものの、そんなに素直に言うことをきいてくれるわけもなく。

オムツを替えよう→いや
着替えよう→いや
手を洗おう→いや
スプーンを使って食べよう→いや
トイレにいこう→いや
お尻洗うよ→いや
おもちゃ片付けてください→いや
おふろ入るよ→いや
おふろあがるよ→いや


…だんだんイライラしてくる。
正常な自我の芽生えと意志の強さだということは十分わかっている。そして立派に成長している証拠でもあるのもわかっている。だけどやっぱりイライラしてくる。耐えるしかないのもわかっているが、やっぱりイライラする。こっちも人間なので。

そして文字通り朝から晩まで「きゅうきゅうしゃ」「しょうぼうしゃ」「パトカー」の繰り返しで、聞いているうちにノイローゼ気味とまではいかないがだんだん頭がおかしくなってくる感じがした。1日で同じ単語をこんなに何度も聞くことは日常生活であまりない。図書館から借りた消防車と救急車の本はきのうだけでもう50回くらい開かされた。「もういいよ、もうごはんたべようよ/おふろ入ろうよ」をこちらも繰り返す。しかしどこまでも追っかけてきて「ほん」と言って渡してくる。

自由時間は当然あるわけもない。ネットをゆっくり見られる時間、お茶が飲める時間は朝の5時から6時まで。昨日について言えば食事がまともにとられなかった。朝はそもそもあまり食べないのだが、昼ごはんは食べさせている間に自分が食べるものも時間もなくなった。そして夜には疲れ切ってしまって食べるより寝たいと思った。夕方に少し外を歩かせてもらいそこで買ったセブンイレブンのいくらと鮭のおにぎりを歩きながら食べたのがよかった。

辛抱するしかないのだ。こういう時期が永遠に続くわけでもないし。

それにしても疲れ切ってしまい、世話をしている二人とも夕方には無気力かつ無言になってしまった。二人がかりでもこんなに疲れる。

週末はつらい。やっぱりつらい。つらさの種類は変わったかもしれないけど辛いことには変わりない。土曜の午前は仕事だったのだがそれが「幸い」と思えるくらいである。毎週金曜に憂鬱を感じるのはやはりまだ変わらない。そして土曜の夜に「はあ、まだあと1日あるのか」と思うのも同じ。そして日曜に「早く月曜になれ」と思うのも、同じ。仕事のほうが何百倍も楽である。

だから、保育園に行かずに家で2歳児とすごす人々ってどんだけすごいのだろう、と思う。これほんとに。発狂しそうになるよね。慣れるものなのだろうか。2、3人分は手がないとやっていけないはず。正直言ってひとりの人間の精神と肉体で抱えられるものではない。

「子育てってそんなもんだから」とか
「みんなそうやってるのよ」とか
「あなたもそうやって大きくなったのよ」とか
「もっと大変な人も周りにいるから」とか
「こどものかわいさで大変さも吹き飛ぶ」とか
極め付けは「すぐに忘れるから」とか

そういう言葉ははっきり言って要らない。この大変さをリアルタイムで実感している人にとってどんな言葉も励ましにはならないと思う。以前、職場の健康診断で「子育てで疲れている」と言ったら「嬉しい叫びですね」と医者から言われて「はぁ?」と怒る寸前になったことがあった。嬉しくもなんともない。辛いものは辛い。

実際に、「手が欲しい」のだ。言葉はいいから、リアルに手伝って欲しいのだ。週末の1、2時間でいいからひとりの自由時間を与えてくれるとか、食器洗ってくれるとか、お風呂の後子供の髪乾かしてくれるとか、そういう、具体的な助けが欲しい。

…と書いていたときにこども起きてきました。はい、きょうの私の自由時間は終了。

Tuesday 27 November 2018

こどものことばメモ(2歳3ヶ月)

この週末、こどもと過ごして分かったことメモ。

7割くらいはイタリア語をしゃべっている。日本語中心だと思っていたのだがそうではないらしい。丸一日一緒にいて初めてわかった。

こちらが日本語で話しかけるとイタリア語で返ってきたり、日本語で発話したあとにイタリア語で言い直したりする。混同させないために私は日本語で通す、というのがこどもが生まれる前に思ったことだが、その後、いややっぱり3人でいるときはイタリア語だよなと思った。それでも母子の二者間では日本語のつもりだったのだがここまでイタリア語が出てくると正直、どっちで答えるべきかわからなくなる時がある。だからイタリア語で何か言われたらイタリア語で返してしまうことが多い。

独り言はたいていイタリア語のようだ。といっても救急車と消防車関連のことばかりやっているのでセリフとしてはだいぶ限られているが。

ただし、ときどき「ん?何て言ったのだろう」と思うこともある。そういうときあらためて、結局のところ、この子は「ネイティヴ」なんだよなと思わざるを得ない。「イタリア語学習中」ではなく、生まれたときから自然な環境でイタリア語(と日本語)を聞いてきたのだから、ネイティヴ・スピーカーなのである。聞き取れないときは「私がわかるわけないのだ」と思う。これから勉強させてもらうことのほうがきっと多くなるし私が知らない単語をすでにたくさん知っている。(「タンクローリー」とか、「ひし形」とか。)

イタリア語はアクセントというかイントネーションが日本語のそれよりもだいぶ強い(というか強烈)なのだがそれも自然にかつ見事に身についている。それが日本語に影響しないわけはないので、ときどきどこにアクセントを置くべきか困っている姿が見受けられる。(お〜ろ、なのかおふ、なのか、とか。)日本語はもっと平坦でいいんだよ、と言いたくなるがまあそのうちどちらも身につくだろう。

保育園でもイタリア語をしゃべって先生を混乱させることがあるらしいがこれも仕方ない。そのうち使い分けるようになる。日本語中心と思っていたはずがイタリア語中心と知ると途端に「日本語の習得は大丈夫だろうか」と不安がよぎるのも事実である。が、しかし、逆もまたそうなのだろう。つまり日本語を7割ぐらい話すようになると「イタリア語も身につけさせないと」と思うに違いない。とりあえず家で混乱させないようにだけはしてあげないといけないのだがネイティブの勢いに私が負けつつあるのでこのままいくとイタリア語の割合が増えていく気がする。それはまたそれでいいのだろう。

Sunday 25 November 2018

大学のお祭りに行って成長を感じる

誰と会う予定も立てずに母校のお祭りに行って来た。その日の朝まで「どうしようかな〜 めんどいな〜」と思っていたのだが結局行って来た。こどもをつれて。

結果、思ったよりも楽しむことができたし道中あまり苦労せずに済んだ。天気がよかったのもある。そしてやはり2歳になったから、というのもある。滞在時間はだいたい1時間くらい。往復にかけた時間のほうが長い。10時すぎに出て11時前に着き、焼きそばとサンドイッチを買って、ちょっとうろうろして、アイス天ぷらを食べて帰った。駅から徒歩20分という道のりも、問題なく過ごすことができた。楽になったなあ。やっぱり2歳は違うよなあ、2歳は。

ちょうど一年前の今日はフェイスブックにこういうメモがある:


去年は育休中で平日に行けたしこどもも寝返りさえしない状態だったので楽に行けたが今年は動きが激しいのでそうはいかない…と分かってた、けど行きました。天気いいし。
が、行ってみるとすべてが開店前。そうか9時台は早すぎるのか。
案の定、ベビーカーを拒否し、わめき、食べ物がなくなると暴れる。(2回もベビーカーから落ちた。)アイス天ぷら、チョコバナナ、タコス…分け合って食べたのはここまで。次のたい焼きとミーゴレンはまるごとこどもの胃へ。かろうじてピサンゴレン2つ食べられた。
困り疲れ果ててタクシーで駅へ。電車に乗ると前の席の人に「いないいないばあ」を自分から仕掛けてはしゃぐ。帰り道も勿論ベビーカー拒否。明大前から10㎏の子を抱え歩く。

そうだったのだ、本当に大変だったのだ。去年の今頃はまだ歩くこともできなかったし。あの時期をよく乗り越えた。こんな大変さはもう、無い。

今年は少し自分で歩いて回ることもできたし、食べ物以外にもいろいろと楽しいものを自分で見つけていた。そもそも、言葉が通じるようになった。ものすごい成長っぷりなのだ。これからもっと色々なことができるようになってくる。大変さの種類はその時々で違うのだろうけど、これからきっともっと楽しいことが増えていくに違いない。行ける場所も増えていく。

決して体によくはなさそうな「やきそば」を満足に一パック食べ終え、帰り道も「やきそば」を繰り返していた。来年のこの日はもっと楽しめるに違いないと思った。

Saturday 10 November 2018

手帳はいらない

手帳が売り出される季節。だけど手帳は買わない。ここ3年くらい?買うのをやめた。もっと前からかもしれない。理由は簡単。

1、使わない
2、処分に困る

時間をかけて、お金をかけて選んでも結局使わずに終わる。気づいたら何も書き込んでいないので、どうしようかなと思って日記のようなメモを書いたりするものの、そうすると結局個人情報の塊となってしまい、処分に困る、という訳。今年になってからだが、ここ10年間くらいの手帳をいっきに捨てた。だって十年間振り返って読むことなんて一度もなかった。たぶん。そもそも過去の予定を見て何になるのか?

忘れそうな予定はカレンダーに書く方が忘れにくい、というのもある。いちいち手帳を見てられない。つまりカレンダーには「開く」という手間がない。

そもそも私は超のつくほど荷物の少ない人間なので、手帳を持ち歩いたりしない。絶対しない。そこまでして覚えていなければいけない用件など実際ない。いついつの予定はどうですか、と言われたらその場で答えなければいけないようなこともめったにない。家に帰って、あるいは職場で、仕事の年間計画表を見て、かぶっている用件がなければそれでOKというだけだ。

というわけで手帳なし生活、まったく困っていない。売り場に並んだ手帳たちをみると、ああいいなあひとつ欲しいなあと思うことは思うが、実際買っても使い道がないことを考えると結局やっぱり買わない。

Friday 9 November 2018

「妻には迷惑かけてます」

小さい子供がいるのに遅く帰宅する男性の「妻には迷惑かけてます」の一言は言い訳以外の何にも聞こえない。遅くまで残ることに理由なんてない。自分の効率の悪さが問題であれば、それは「自分の」せいかつ「自分の」都合なわけで、遅く残る理由にはならない。帰宅途中で具合の悪い人を助けた、とか、他人が絡んでいる問題であれば別。長い会議であれば途中退席する勇気が必要だし、作業が進まないなら、帰宅すべき時間、つまり制限時間が来たら翌日に回すべき。「迷惑かけてます」じゃねーよ、だったら早く帰れよ、だ。

なぜそう強気で言えるかといえば私はそうしているから。こどもがいるので作業を長く伸ばすわけにはいかないしどうでもいいことに時間をさいている余裕はまったくない。何をやってもどこかで必ず「制限時間」がくる。ものごとには優先すべきことがある。乳幼児が家にいるのに「あー疲れたな」なんて言いながら夕方からダラダラと仕事をはじめる同僚を見て、はっきり言ってかけてやる言葉はない。家でこどもの世話をしながら家事するのに比べたら7億倍は楽なのだ、仕事なんて。だから早く帰って代わりに買い物行ってあげてよ、あるいは、買い物から子供つれて帰ってくる奥さんの荷物持ってあげてよ、あるいはベビーカー通すためにドア開けてあげてよ、あるいは、こども見てるからゆっくりおふろ入っておいでよとか言ってあげてよ、と思うのである。

さらに奥さんもどうしようもない旦那を「どうしようもないわねまったく」とか言って許してはいけない。なんでそんなやつのパンツ洗って干してたたんでやらなきゃいけないのですか。それに耐える義務は一体どこに。男が稼いでいるから?それだけ?稼いでいても家の仕事はできるよ?いろんなことに耐え続けるとどこかで爆発するので早いところ発散した方が良い。

先日あった男友達(既婚、1歳児がいる)が「お金はいくらでもやるからさ、俺に期待しないでほしいよねまったく」と言っていて、目から星が出るかと思った。そうか平気でこういうことが言えてしまうのか。もう何をどう説明しても何も理解しないだろうし、世の中の問題の縮図を見た気がしたし、こういう人は一生こういうままなのだろうと思った。あきらめるしかない。

うちはいろいろ例外的でそれを説明すると長くなるが毎日夕方5時ごろには3人そろっていて、お風呂、食事、寝かせる、というその後の一連の流れは協力しながらやる。夕方から夜にかけてを親と一緒に過ごせるのはこどもにとってとても貴重な時間だろうと思う。

Sunday 4 November 2018

食事エプロン事情

おととい夕方からこどもが熱があるらしい。らしい、というのは、結構元気そうだし結構よく食べるしそもそも1回しか計っていないから。おでこが熱いような気もするが、まあほどほどに遊ばせるようにして普段通りお風呂にも入らせている。それにしてもよく熱を出す。「こどもはよく熱出すものだから」と言われればまあそうなのかなと思うけど我が子は多い気がする。9月以降は2週に1回、最低38度に達している。39度超えているなこれ、と思ったのも3、4回ある。もはや慣れてしまっていて、たぶん一晩で結構回復するなーと思うのでとりあえず早めに寝かせる以外は特に何もしていない。そして実際一晩でたいてい回復する。そういえばインフルエンザのワクチンを打ちにいかねばならない。そろそろ季節が迫ってきた。

きのうの昼、こどもが寝ている間に、保育園用の食事エプロン2つとランチョンマットを1つ作った。あとは赤ちゃん用のロンパース?の下の部分を切って普段の下着に使えるようにした。エプロンといってもよだれかけである。100均のタオルにゴムを通しただけ。今までいろいろ試行錯誤した結果、これがたぶん一番簡単だということがわかった。昨年7月に防水、つまりラミネート生地で作ったときは、すぐにカビが発生した。4月、今の保育園に入園したときにタオルを使って作ったが首の部分のゴムを「シュシュ」みたいな感じで別の記事でくるんだところ、乾きにくかった。そして結局タオルであってもカビるのは避けられない。濡れた状態で保育園から戻ってくるので。これは使い捨てだと割り切ったほうがいいなと思い、超簡単な形にしたわけだ。ゴムは丸見えのまま、シンプルきわまりない形に落ち着いた。

ところで家で使う食事用のエプロンはけっきょく「ベビービョルン」に落ち着いた。あれ、本当にみんな使ってるようだったのだが、うちは使わずにいけるぞーと思っていた。しかし、最初に使っていたファミリアのものは手洗いが面倒な上に結局やっぱりカビた(家で使ってもカビるときはカビる)。つぎはタオルを巻いただけにしていたのだがやはり汁物やパスタは落ちまくって大変。そのまた次は知人からもらったプラスチックのものにしたら、これが洗いやすいし外に干さなくていいし食器といっしょに洗って置いておけばいい。とにかく便利で、これでいこうと思っていたらポケット部にヒビが入り壊れ始め、ついに新しいのを買おうと思ったらベビービョルンになった、というわけ。これまた使いやすい。みんな使っているのには訳があるのだ。こんなに使いやすいなら最初からこれにすればよかった。といっても貰い物だけで2年以上ももったのだからそれもありがたい話。とにかく、手で洗って外に干す、とか、洗濯機で洗う、とかそういう手間がなくてカビも発生しない、というそれだけでもう最高です。まあまだ1週間くらいしか使ってないんだけど。

以上我が子の食事エプロン事情でした。

Wednesday 31 October 2018

生活時間を少し変えた

こどものことばメモ。
語尾に「〜よ」と「〜ね」が付くようになった。
「ないよ」とか「ないね」とか。それが全て上がり調子なのでこれまたかわいい。

最後にきこえたことばをひたすらリピートする。私と一対一のときより、3人でいて子どもを挟んでイタリア人とイタリア語で会話をしているときのほうがよくそうしている。まるでからかわれているかのようだ。なのでこちらも落ち着いてしゃべれない。オウムかなにかが近くにいるような感じ。

生活時間が変わったことについて。といっても少しだけ。
こどもを寝せるのが以前ほど簡単にはいかなくなってきたのはここ数ヶ月のこと。

以前は横にして10分くらいで寝ていた。こどもが寝たら自分は起きて、自由時間を楽しんでいた。アイスクリーム食べたりツイッター見たり。

だが今は電気を消す、消さない、本をもっと読め、水くれ、など様々な要求に応える必要があり、寝かせようとしてから1時間くらいかかることがほとんどである。8時にそれは始まり、9時ごろようやく眠りにつく。それから起き出しても大したことができないと思った。というのも10時くらいには寝ないと疲れもとれないし翌日体力が続かない。そして、その1時間の寝かしつけの間に自分も寝てしまうことが最近多かった。

そこで、もはや強がる(?)ことはせずおとなしくこどもと一緒に寝てしまうことにした。9時前であっても、もう一度起きずに。アイスクリームも食べず、ツイッターも見ず。

そうしはじめたのがこの二週間くらいなのだが、体調がすこぶる良い。朝起きた時の気分が違う。5~6時ごろにスパッと目覚める。さらにひとりの自由時間はそこでとれるということがわかった。以前は6時過ぎにこどもが起きると同時に目を覚ましていたので、自分のタイミングで起きていなかったのだ。

そして朝のほうが効率よく時間を使おうと自然と心がける気がする。というのもこどもは1時間後くらいに起きてくるわけで、自由時間は限られているので。

「8時寝は人生を変える」なんてきいたことあったが、本当にそうかもしれない。9時に寝るか10時に寝るか、というたった1時間だけでこんなに差があるくらいなのだ。8時じゃなくても、とにかく早く寝るのは良い。

体調も良いので自然とその日のパフォーマンスも良くなる気がする。大した変化ではないのだ。たった1時間の自由時間を、夜から朝に動かしただけ。

今後どれくらいうまくいくかはわからないが、この調子でやっていこうと思う。

Monday 29 October 2018

「きのうはいなかった」

ついにこどものしゃべるイタリア語が動詞の活用を遂げた。
きのうかおとといの朝、私の両親とテレビ電話中にそのへんで遊んでいたこどもが

non c'era(のんちぇら)

と聞こえた気がしたので「たぶんいま、過去形になった」と言っていた。

c'e'(ちぇ)=「ある」
non c'e'(のんちぇ)=「ない」

これらは完全にマスターしていて毎日「あ〜 きゅうきゅうしゃ のんちぇ〜 ざんね〜ん」などと言っている。

non c'era というのはその過去形で「あった」という意味。
ま、聞こえた「気がした」だけで、身についているかどうかはわからんなと思いながらもすごいねえと言いながらその場は終わり。

昨日夕方のこと。さんまを買うべくスーパーに3人で出かけた。ベビーカーの上でいつものようにいろいろしゃべっている。スーパーと家の間には消防署がある。往復で1回ずつ通ることになる。買い物を終えてスーパーを出て、「きゅうきゅうしゃ ふぉるせ のんちぇ(たぶんいない)」とこどもがイタリア語で話していた。「さあどうだろうね」と答えた。ここまではいつもどおりだったのだが、そのあとのセリフに我々は仰天した。

「Ieri non c'era(いえり のん ちぇら)」=(きのうはいなかった)

思わず目を見合わせ、「きのう、って言ったね?」「過去形だね?すごくない?」とひたすら驚きあった。当の本人はけろっとして道をゆく車を一生懸命見ている。そのうち、サイレンを鳴らしながら救急車が走ってきて、「おおタイミングよかったね」と言ってながめたのだがしばらく私は驚きの余韻が残っていて、「いやまじすごいな」とつぶやきつづけていた。

こども、すごい。本当にすごい。

Saturday 27 October 2018

若い女性は「◯◯長」になれない

とにかくよく働く20代女性を見て「あー 管理職になってくれないかな」なんて冗談で言うときがあるのですが本当にいいと思うんですよね。テキパキしてて要領を得ていて。

しかしどうしてならないかというと若くて女だから。おじさんたちより完全に能力高いはずなのだがどうしても上には行けない。

そしてもう一つは本人たちにその気がない場合が多いです。これは20代に限らず、女性は、ということ。人の上に立ったり仕切ったりすることにそれほど喜びは感じないというか。「長」のつく仕事するよりも、ある程度自分の時間が確保できて日々の生活を充実させるほうが優先、みたいな人が多い気が。

あとは、環境が「なりたい」と思えるような環境じゃない、というのもある。

いっぽうで男性は「長」がつくと(表には出さないけど)やたら喜ぶ人いますね。今まで何人も見てきました。給料が上がるっていうのもあるかもしれないけど単純に「えらくなった」感が嬉しいらしい。

管理職になりたい女性が増えるといいなと思うと同時に「長」にならなくても日々幸せを感じられる男性が増えてもいいのではないか、とも思う。仕事以外のところで満たされている状態。

うーん。男性もいろいろ大変なのだろう。想像だけで言っているけど。ただ、男と女も理解しあえないし、若者と年寄りが理解し合えない、と最初から決めつけてしまうと歩み寄りなくなってしまう。

思い切って20代女性に仕切らせてみる、みたいな組織があってもいいと思いますね。いや私は頼まれてもやりたくないけど。ま、20代じゃないけど。

特に理由はないけどなんとなくそういうことを考えた朝でした。

Thursday 25 October 2018

バイリンガル記録 2歳と25日

こどもの言葉がものすごい勢いで出てくる。「増えていく」というのにも少し抵抗がある。というのも今になって身についたわけではなくずっと前からこどもの「中」には入っていたものもたくさんあるはずだから。だからそれが外に出て来ているのだと考える。もちろん増えているのも事実なのだが。

バイリンガル環境なのだが、家で話すイタリア語の割合が増えてきた。ひとりごとは日伊混合のようだ。言葉の出始めは日本語だけだったことを思い出すと、イタリア語が後から追いついて来ているかんじかもしれない。先日は、朝、一人でブロックの前に座り、それぞれを指差しながら色の名前をイタリア語でつぶやいていた。ピンク色を指差し、「ろーさ」と言いかけて、私が見ていたのに気づき、「ぴんく」と言い換えていた。arancione(オレンジ色)だけは難しかったらしく、指差してピタッと止まって私を振り返り答えを求めていたので「あらんちょーね」と言ってあげるとつたないながらも繰り返していた。

9月ごろまでは毎日youtubeを見たがっていたのだがある時からぱたっとそれがなくなった。ひたすらミニカーたちで遊んでいる。まるで車庫にいるかのように壁にきれいに等間隔に並べて横から眺め、そして「しゅっぱつ」させて、そこからまた戻る(これはイタリア語でtornaと言いながら戻す)という遊びを延々と繰り返している。きのうは「きゅうきゅうしゃ しゅっぱつ する」と言っていた。しばらくしてそれがイタリア語になり「きゅうきゅうしゃ えっしぇ(esce=出る)」と言い始めた。面白い。そしてどうやら人によって使い分けている。

しかも相手によって使い分けている。先日友達(日本人)がきたのだが、救急車を探しながら「どーゔぇ(dove=どこ)」とイタリア語でしゃべっていた子供に友達が「どうしたの」と話しかけたらすぐに「どこ」と切り替えた。コードスイッチング、すげえ、という感じである。

日本語のイントネーションがやたらイタリア語っぽいのも面白い。ゼロの状態からネイティブに習うので発音も表現の仕方も「本物」が身についていく。そのうち私のイタリア語を超えるのではないだろうか。すでに私が知らない単語を知っている、という場合があって驚かされる。ちなみに「ひし形」が「ロンボ」だとは知らなかった。

確実に言えてるイタリア語はこんな感じ:
C'e' (ある)
Non c'e'(ない)
grande(おおきい)
rosso(赤い)
bianco(白い)
nero(黒い)
giallo(黄色)
verde(緑)
uova(たまご)
pesce(魚)
cane(犬)
bici(自転車)
esce(出る)
torna(戻る)
eccolo/la(ほら、ほら来た、等)
aperto(開いてる)
chiuso(しまっている)
bagnato(濡れている)
nonno(祖父)
nonna(祖母)
libro(本)
marmellata(ジャム)
pane(パン)
treno(電車)
macchina(車)
crema(クリーム)
torta(ケーキ)
pantaloni(ズボン)
dove(どこ)
frittata(たまごやき)
mela(りんご)
acqua(水)
pista(線路)
occhio(目)
そしてもちろんciaoとciao ciao

ほかにもたくさんあるけど今思いつくのがこんな感じ。すくなくとも毎日「えっ、今なんていったの?」「この単語も知ってたの?」という驚きがあるのでメモが追いつかない。

そして恐るべきことに、もしかしたら女性名詞と男性名詞も使い分けているかもしれない。きのう、車で遊びながらeccolaと言っていたから。その物が男性名詞ならeccoloというのだがこれを使い分けているかどうかは今後観察してみよう。

まだ言葉を喋り始める前に私の父が「バイリンガル環境はきっと混乱するだろう」と言っていたのを覚えている。私もそう思ったのでなるべく混乱のないよう、と思いながら2年がたったわけだが、こどもの柔軟さはわたしたち大人の想像の域を軽く超えているのである。「おじいちゃん、マンマ、心配はいらんよ」とこどもに言われているような気がする。

Wednesday 24 October 2018

ひとつ歳をとっての感想

一つ歳をとったのだが「老いたな」という感じがますますなくなってきた。5年くらい前のほうがそういうこと、というか数字を気にしていた気がする。というのも当時は子供がいなかったから。子供が産めるかどうかというのは冗談じゃなく重要な問題で、30代を過ぎて歳をとるたびにどんどん妊娠しにくくなっていると考えると誕生日なんて喜ぶべきものでもなく、その可能性が狭まった日みたいな感じがしたものだった。肌のツヤとか体力の衰えとかそういう理由で「若い方がいい」とは思わなかった。ひたすら気にしていたのは妊娠のことのみ。

だから、子供が生まれてからは(当然だが)その考えがなくなったので、誕生日と言われてもなんとも思わなくなった。一気に楽になった。その代わり日々の大変さはその当時と比べられないほど大変である。自由はほぼない。時々、32歳頃を思い出す。ものすごい自由だったな、自分、と。何にも縛られず、行きたいところにいつでも行けた。仕事も結構自由がきいていて、大変なところもあったかもしれないけど自分の裁量でどうにでもなり、苦痛でもなんでもなかったしむしろ楽しかった。こどものことは気になっていたけど。

それでもこどもが生まれた2年前に比べると自分の自由は格段に増えた。あのとき24時間文字通り付きっ切りだったなんて今となっては信じられない。そして意思疎通ができるようになってきたのでますます楽になってきたし楽しくなってきた。そう、子どものおかげで人生が楽しい。

私の人生が2年前から「こどものいる人生」になった。それは事実。しかし私が2人になったわけではないし私に特別な何かが加わったわけではない。あくまでも私は私であり、こどもはこどもである。我々はくっついているわけではない。

日々、「おっかさん」を前面に出すのはやめたいと思っている。こどもの話をするのはいいがあくまでもクールに。化粧まったくしなくなった、とか服も買わなくなった、とか美容院にも行けないとかそういう時期もあったけど自分のことは第一に自分が気遣わないといけないし、産後の体型が戻らないことはこどものせいにはできない。(だって自分の身体!)

ところで最近誕生日を迎えた同じ歳の友人にメッセージを送るとみんな同じようなことを書いて返事がきた。それは「これからが自由なことができる時期という気がする」ということ。やっぱりみんなそう思うのだな。ひとつ、吹っ切れたというか、そういう年齢なのかもしれない。

Saturday 20 October 2018

18から互いを知る友人

久しぶりに夜外出した。大学時の友人たちに会うため。平日の夜となるとたいてい疲れ切っていて5時ごろになると既に身体は緩むモードに入る。子供の世話をして8時ぐらいに寝せると自分もあとは寝るだけ、きょうもお疲れ様、という具合で1日を終えるのが通常であるため夕方以降にさらにまた着替えてとなるとやはり疲れるし何よりも移動が面倒である。それでも会う価値のある友人たちであることはわかっていたし、こどもを預かってもらって外出できるのはまたとないチャンスである。しかも翌日の仕事はない。ということで出かけたらやっぱり行ってよかった。これでもかというくらいに笑った。大学時代にこれらの人々と特別に仲が良かったわけでもないが卒業してからも結局10年以上の付き合いがある。16年くらい?知り合っていることになる。18歳の時からお互いを知る仲間というのは、なんというか、色々許しあえるというかもう隠すものも何もないような感じがする。一緒にいて無条件に楽しい。小学校ぐらいからの友達などがいる人たちはまさにそういう感じなのかもしれない。みんなそれぞれの人生を歩んでいる。34歳とか35歳とか36歳とか。ますますおもしろくなってきた。

25歳のときの自分を羨むか?いや、今のほうが断然楽しい。若さとか体力とかそういう面では断然20代のほうがいいけど今は文句なしに楽しい。「あのころは楽しかったな戻りたいな」とは思わない。たぶん昨日会った友人も今を楽しんでいる。

さてきょうは子どもの運動会です。どうやら晴れそうで、よかったよかった。

Saturday 13 October 2018

長めの本を選ぶ、ことばの記録

金曜夜。夕飯後食器を洗っているといつものように床でこどもが遊んでいる。「きょうの夜読む本を選んだら」とすすめてみるとトコトコと本棚に行き、真剣に選びはじめた。何を選ぶかと思ったらHarry By the Seaという本。しばらく前に買っていたのだが思いのほか長かったので読んであげたことはなかった。(自分の小さい頃に「うみべのハリー」として日本語で読んだのがお気に入りだった記憶もあって買った。)本当にこんなの読むのかと思いながら食器を洗っていたら父親に読んでもらいはじめた。そして全部黙って聞いていた。しかも2回目を読んだ。そうか、こんなに長い本を読むのか。自分で選ぶということはやはり読みたい意志があるからに違いないのだがそれにしても成長を感じた。

ここ1ヶ月ぐらいだろうか、こどもがようやくビートルズ以外の歌をきくようになってきた。ずっと前にローマで買ったCafe Romaというイタリア語の古い曲がたくさん入った2枚組のCDだがその1枚目をよく聞いている。そしてよく真似して歌っている。Come PrimaとかOh mamamama...とか Mambo ItalianoとかArrivederci Romaとか。めちゃくちゃかわいい。きのうはギターをかき鳴らしながら「いぇいぇいぇい〜」と歌っていた。

こどものしゃべる日本語の動詞が活用するようになってきた。「あける」「あけて」「あいた」「あいちゃった」など。動詞の原型よりも実は「〜ちゃった」のほうが早い場合いくつかもあるような気がする。「ちゃった」はよく聞いているのだろう。そして「〜ちゃったった」と「った」が一個多い時があってかわいい。なるほどよく聞くこどもの言葉はこういう感じなのかと思う。

我が家に英語の環境はないが、いくつかこどもがよくしゃべる英語のフレーズが以下:
Oh No! (絵本の影響)
Come on come on (ビートルズの影響)
Hello, everybody (ラジオの影響。そのうち続けて「杉田敏です」と言うようになる日も近いのかもしれない)
Good bye!
Here we go! (これらすべてラジオだと思われる)

Tuesday 9 October 2018

言い訳しないこと、スペースをもつこと

合気道に行ってきた。先週の金曜日も行った。9月いっぱい行けなかったのは言い訳をしていたに過ぎないと気づいた。「行くな」と言われたことは、誰からも、一度もないのに「こどもの世話で忙しくて行けない」と言い続けていた。いいよ、行っておいでと言われたら行けばいいのだ。行った結果やはりとても気持ちよかった。そんなことは最初からわかっているのに色々と理由をつけて行かない。雨が降ったからとか寝不足だからとか。

それにしても、言い訳というものはいとも簡単に出てくるものである。人の口から。たらたらと、だらだらと。水のように。とめどなく。今自分は言い訳をしていないか?と意識するようになったのは実際のところ合気道を始めてからだと思う。とは言えもちろんそれでも十分に言い訳しているのだが。

稽古に行かないことに理由などほとんどの場合ない。師は自分に恩赦してくれるか?言い訳は通用するのか?絶対しない。どんなにきれいな言葉を並べて挨拶をしても、手紙を書いても、贈り物をしても、姿を現さない者に「それ以上」は無い。その場に顔を出すかどうか、実物として存在を見せるかどうか、これが全てである。特別なこと、扱いは何もない。

稽古に行くとこれを身につまされる。絶対やめてはいけない。がんばれ自分。やめるのは一瞬。続けるにはたいそうな忍耐力が要る。その効果は絶対ある。続けていれば絶対いいことがある。だから続けようと思うことよりもやめようと思わないことが大事かもしれない。少しくらい行けなくても自分を責めないこと。上に書いたことと矛盾しそうだが、それくらいの余裕がないと続けられない。たとえば10年ものごとを継続するには少しのすき間とを残しておいたほうが良い。パンパンに服の入った引き出しは壊れるか変形するけどすきまのある引き出しは長くもつ。物理的にも、精神的にも、スペースが大事。

Monday 8 October 2018

良品週間と物欲について

このバウムクーヘンそもそも一人で食べる用にはできていないのかもしれない。結構でかいしお腹にたまる。こどもにとっておこうかとも思ったけど結局ひとりで食べちゃっている。ヨークシャー・ティーとともに。そんな祝日の朝です。おはようございます。

ただいま無印良品週間。きょうまで10パーセント引きである。特に何かを買わなければいけないわけでもないが割引と聞くとそれではなにかを新調しようかしらと思う。無印だからと言ってすべてがいい製品とは限らないがこれまで使っているもので信頼できるものであれば二度三度買うこともある。で、今回は;

バスマット
コートスタンド
バウムクーヘン3つ(マロン、かぼちゃ、バナナ)
ステンレス製カゴ
ポリプロピレン衣装ケース

を買いました。

コートスタンドは大きな買い物なのでどうせ買うなら良品週間中にと思った。まだ手元にはない。

バスマットなんてものは古くてもどうにかなるし、もっと言うとなくてもどうにかなるのだがやっぱりいいものを使っていると気持ちがいい。足に触れるタオル生地の感覚がなんとも言えない。

ステンレスのカゴは何に使うかと言えば、シャンプー類を入れるため。「こんまり」に倣って私は浴室にシャンプー類は置かないようにしている。(自分のものに限る)それでいちいち取り出していたのだが百均で以前買ったプラスチックの入れ物にまとめて出し入れすることにした。それがおとといパキっと割れたのだ。水切りの加減からいってもステンレスのカゴはぴったりだったのでこれを買うことにした。ちなみに浴室にボトルを置かないのはとても良いです。掃除しなくていいし。ボトル自体汚れることもないし。手間かと言われれば、ぜんぜん手間には感じない。

そんなこんなで秋になり涼しくなったら物欲でてきたなあなんて思いながら夜な夜なアマゾンとか楽天とか見ている。

物欲といえば最近はやたら服とか靴とか化粧品とかほしいなと思うようになった。こどもが生まれてからしばらくの間は、それらにまったくきょうみがなかった。去年のいまごろもまったく魅かれなかったという記憶がある。買い物にいっても何も買わないし、ピンとくるものがないという状態だった。かわりに子供服ばかり見ていた。それが最近では服をほしいと思うようになったのだ。これは大きな変化だと思う。

ということを記しておこう。

Sunday 30 September 2018

2歳と1ヶ月のきろく

ああ九月が終わってしまう。せめて月に一回は合気道に行くことにしているのだが今月は行けなかった。平日は家に直行するし週末は毎週何かしら用があった。夕方家を不在にすることにはどうしてもためらいがある。小さな子供のいる人ならわかるのでは。

そんなこんなで子供が生まれてから思うように合気道の稽古はできていない。それでもやめる気は今のところない。あの場所が自分からなくなってしまうのはあまりにも惜しい。そしてこどもはいつか必ず大きくなり私が自分の時間をとれるようになる時がくる。だから簡単にやめない。こういうのっていったんやめたら本当にもう行かなくなってしまうからね。なんとかしてつないでおくこと大事。

こどもは2歳になり、みるみるうちに「人間ぽく」なってきた。言葉がわかるようになってきたので100パーセントではないが意思疎通ができるようになってきた。「きょうなにしたの」というと「ぶどう」と答える。「そうなの、ぶどう食べたの」というと「 ぱぱ ぴっつぁ」と言う。「そっか、パパとピッツァ食べたの」と答えるとさらに「きーきーしゃ う〜」と言う。「救急車見にいったのね〜、う〜、ていってたの?見れてよかったねー」と会話ができる。

ひとりで黙って集中して遊ぶことも増えてきたので、朝早くから外に遊びに連れて行かなければいけない、ということも少なくなってきた。ブロックを手にすると20〜30分くらいひとりで遊んでいるようなことがある。その間、食器を洗ったりできるのでとても助かる。

以前のように「ぎゃああああ」と泣き喚くことが少し減った。わがままはあるけどまあ許せる程度である。言えばわかることが増えてきた。

まだオムツははずれないがトイレに行く前にしらせてくれるようになった。ものすごい助かる。

そんなこんなで一緒にいるのが楽しくなってきた。一緒に旅行に行ったり映画を見たりできる日も近いなと思うとやはり気持ちが明るくなる。絶望的に大変な時期はずっと続くわけではないのだ。

Friday 21 September 2018

セサミストリートの「自閉症のジュリア」

きのう「セサミストリートのアートとバーニーはカップルなのか」の記事が少し出回っていて、確かに自分も気になっていたことだったので「なるほどそうなのか」と思いながら読んだ。元脚本家は「そうだ」と言っていて、番組制作側は「違う」と言っているらしい。うーん。真相は誰もわからない。この「気になる」気持ちをどこに持って行こうかと思ったが結局「どっちでもいいや」という結論に達した。子ども向けの番組なので、子どもの視点から見て受けいれられ、理解されるがままの形で良い。

で、色々調べるうちに「セサミストリート」のキャラクターのなかに「自閉症のジュリア」というキャラクターがいるということを知った。かるく衝撃を受けた。確かに多様性にとんだキャラクターであふれていることは知っていたが、自閉症のキャラクター?子ども向けの?初めて聞く。

セサミストリートはYoutubeで毎日見ている。もちろん子どもの影響である。エルモが大好きなのでElmo's Worldばかり見ている。そのなかにも何種類もの動画があるがやはりお気に入りがいくつかある。それらについてはセリフを覚えてしまうほど毎日繰り返し見ている。

しかしジュリアの存在は知らなかったので昨夜、こどもが寝てから動画をひとつ見てみた。見ているうちに、シンプルなメッセージがぐっさぐっさと心にささり感動してしまった。想像以上の、良い衝撃を受けた。

話はこうだ:
ジュリアが初めて出て来る回を見たのだが。行動が他の子と違う。反応も違うので初めて会うビッグバードはたいへん戸惑う。サイレンがなるとジュリアはパニック状態になってしまう。そんなジュリアにどう接するべきか考えているビッグバードに、エルモとアニーが「みんな違う(No one are exactly the same.)」という言葉をかける。「だって私たちだって鳥と、モンスターと、妖精なんだから」と。それでみんな友達になる。この10分の動画内では、自閉症の人にどういう特徴があるのかもていねいにゆっくり説明してくれる。

ここまでストレートに、「自閉症(autism)」という言葉を出しながら自閉症について扱うこども番組がかつてあっただろうか。子供番組に限らない。あるほかの記事を読むと「レインマンしかみんな知らず、私は数字に強いと周りに思われる」と言う自閉症の人のコメントがあった。

私はマイノリティを勝手に「見ない」ことにしていたんじゃないのか。自分に関係のないものとして扱っている。それで自分の日常に支障はない。いきなりボランティアや募金に参加をするか?全然しない。まず「知る」ことから始まる世界があるよなあと思った。簡単に「みんな平等」とか「いっしょに」とか「仲良く」とか言うけど、まず知ろうとする姿勢とか知るきっかけとかあると一気に考え方が変わったりする。変わるというほどじゃないにしても、私は少なくとも昨夜のジュリアの動画だけでいっきに自閉症が身近に感じられた。今まで難しく、遠く考えていたことに気づいた。

それにしてもセサミストリートすごいなあ。子どもと見るようになってから、昔とは違う視点で見ていた。メキシコ系のキャラクターが増えたなあとか多様性へのこだわりが色々と見えて日々感心していたのだが。こんなに思い切ったことまでやっているとは、やはり理念をもった番組なのだなとますます尊敬するのである。

ところで私のお気に入りキャラクターはクッキーモンスターです。昔からなんとなくそう。青のインパクトと、単純さがいい。

Monday 17 September 2018

実家に帰っている

実家に帰っている。また?と思われるだろう。自分でもそう思うくらいだ。8月末に東京に戻ったばかりなのだから。まだそれから一か月もたっていない。それでも、春ごろに秋以降のカレンダーを見てから「お、この日はいける」と思っていたのでかなり早くチケットを取っていた。いつもそうだけど、一つ楽しみが終わったらその次の楽しみが待っている状態にしておくのがよい。旅(ともいえないかもしれないけど)の醍醐味はそこに到達するまでの、待つ時間にあるといっても過言ではない。

そもそもどうしてそんなの実家に帰りたいのか。実家が好きというよりも、子どもと過ごす日々に変化が必要だからである。だから行先は実家じゃなくてもよいのだがいちばん行きやすいのは実家である。毎週同じような日々と同じような週末だとどこかで必ず行き詰ってしまうのだ。これまでの経験から言って、そう。誰が悪いというわけでもないのにイライラして八つ当たりしてしまったりする。そういうときに少し日常を離れるだけでまた戻ってきたときに日常が別の角度から見えることがある。

というわけでこどもは生後11往復目の飛行機。だから21回目の便に乗ったことになる。今回は午後の便にしたのだが離陸と同時にすーっと眠りについたのであまりにも楽だった。機内誌などをゆっくり読むことができた。そして2歳になった今自分でとことこ歩くので機内でも空港でも必ず抱っこしていなければいけないということはない。抱っこ紐はもはや必要ない。成長が見える。

Tuesday 11 September 2018

「言い訳しないで毎日やる」

THE NEW YORKERのThe Mystery of People Who Speak Dozens of Languagesという記事を読んだ。

知人がFacebookでシェアしていたので試しに読み始めたらとても面白かった。こういう場合、全部読みきることは私の場合ない。辛抱して大量の英文を読むという作業が苦手なのだ。面白い場合は別として。

これは面白そうだぞ、と思ったので印刷して冊子状にして綴じて読むことにした。B4に二面で印刷すると7枚になる。つまりB5の大きさの本にすると13ページ分。結構長い。

何についての記事かというとhyperpolyglotと呼ばれる、たくさんの言語を話す人について。知り合いにも「色々な言葉を知っているな」という人はいるけど20とか30言語とかしゃべれる人はさすがに知らない。ところがいるのだ、世の中には。言語学習が好きで好きで仕方ないという人が。なんとpolyglot conferenceなるものまで世の中には存在するらしい。

そこでの講演を録画したものがあったのでyoutubeで見た。これも通常だったら途中で見るのをやめるがあまりにも面白くて結局全部見てしまった。Alexander Arguellesという人の講演。上記の記事にも出て来る人である。

詳細は省くが、とにかくストイックである。記事によれば人生のうち、起きている時間の40パーセントを言語学習に費やしているらしい。朝3時に起きて書く練習から始める。それぞれの言語で2ページずつ。夜があけたら外に走りに出て、その間ひたすらシャドウイング…

たくさんの言語をしゃべれると「すごいねえ」とか「いいねえ」とか言う人がいるけどすごいねえはまだ許せても「いいねえ」は失礼だろといつも思うのだ。なぜならまるでその人が努力もせずにしゃべれるようになったかのように聞こえるから。「いいねえ」と言うんだったら自分も努力をしたらどうだ、と思う。本当によく思う。

で、話は戻って、たしかにこのアレクサンダーさんも遺伝によるものとか環境に恵まれたとかいう要因があるのかもしれないんだけどこれだけひたすら勉強して実際にたくさんの言語を身につけている人を見ると、努力のほかになんもないよ、ということがわかる。

そのアレクサンダーさんの動画のなかに「アマチュアのpolyglotとプロのpolyglotの違い」というのがあって、結構興味深かった。

本人も「アマチュア」だった時代があったらしい。その当時はいつも「準備」ばかりしていたらしい。つまり、どんな本を買うかとか、どう時間を使うか計画したりとか。思い当たるフシは、うーむ、私もあるある。

いっぽうで「プロ」に到達してからはそんなことまったく考えなくなったらしい。そこで出た言葉がめっちゃ印象的でした。それは:


No Excuse, Everyday(言い訳をしない。毎日やる)


もう心底同意です。
って私はポリグロットではないんだけど、言語学習に限らずたいていのことはそうなんじゃないか、と。つまり何かをものにしたければ、言い訳せずに毎日やること。合気道しかり、ラジオ講座しかり。まあアレクサンダー氏の場合はその「やる」のレベルがすんごいわけですが。

そこまで到達しようとは思わないにしても学ぶところは多いにあった。言い訳しても誰のためにもならんよな。先述の「いいねえ」と言う人たちはきっと言い訳し続ける種類の人間である。そうならないように生きよう。やってないことに言い訳はできない。

Saturday 1 September 2018

ミッション・インポッシブル見てきた

映画の投稿に続いてまた今回も映画について。
ミッション・インポッシブル見て来ました。


感想:ヤバかったっす!!!


見終わって会場が明るくなってみんな退場していく観客から聞こえた「疲れた…」という感想に激しく同意した。だよねだよね、おもしろかった以前にこれ以上続いたら神経すり減ってなくなっちゃうよね、という感じ。というのも140分間緊張しっぱなしで、まさにハラハラドキドキがずっと続くのだ。今までのシリーズもそうだったかもしれないけど、今回さらにすごくなってないか?


【トム・クルーズすげぇ】
この作品を通して、というよりシリーズ全体を通して言えることです。トムすげぇ。ただもんじゃないよ、というよりもはや一種の変態の域にあると思う。いろんなもの超越している。前作もそう思ったけど、3年たってもっとすごくなってる。

具体的に何がすごいって、「いやこれ絶対スタントだろ」と思ってたシーンがたいてい「本当にやっている」から。見る前に何も調べずに行ったのだが、終わって、家に帰って、調べて見たら「あれはCGだろ」とか「スタントだろ」と思ってたシーンはたいてい本物でした。今回はなんとヘリコプターの操縦資格までとったという。骨折もしたらしいけど全治9ヶ月?を六週間で治したとか。

驚いたのはスカイダイビング。ただのスカイダイビングじゃないのだ。ヘイロージャンプという、もっと危険が伴うやつ。これを実際にやっている。本気で映画に人生捧げてるのだ。

いつも通りの、バイクで追っかけられるのも今回はパリの街並みの中で行われて、相当面白かった。だって、ただ見ているだけでも面白いのだ。凱旋門の逆走とかまじありえんやろと。

そして、走る、走る、走る。ロンドンの、建物の上をどんどん走る。

最後のヘリコプターのシーンまで行くともうだんだん笑いが出て来る。「おいおい…」という感じ。無理だろおい、と。映画じゃなかったら何回死んでるんだよイーサン・ハント。ミッション・インポッシブルはトムあってのものなのだなと、この人のライフワーク(と言うとちょっと軽い感じするけど)なのだなとつくづく思う。

トムは仕事について文句とか言い訳とかしないんだろうなあ。手を抜くわけもないし。少しの妥協もないのだ。これで6作目になるミッション・インポッシブルだが、最初のやつが1996年だというから、そこから22年。どんどんすごくなっていく。トムは56歳らしい。年齢なんて考えてないよなあきっと。年齢を言い訳にするやつにはろくなのいないと普段から思ってるんだけどトムみてやっぱり本当にそう思う。体力低下のせいでアクションが面白くなくなる、ということはまったくない。

というように、単純に「映画おもしろかった」というだけでなくトム・クルーズという俳優から学び考えさせられることがたくさんあるのです。これだけは譲れない、妥協できないというプロ意識を目の当たりにすると、人生そりゃいろんなことあるだろうけど言い訳とかしてる場合じゃないな、こうしちゃおれんなという気になる。いや、だからと言ってきょうから私がヘリの操縦資格とる、とかじゃないけど。

映画ってそういうきっかけを与えてくれる場合あるしそうするには十分な要素が備わっていると思う。衣食住ではないし、人生になくても生きていけるけど、でも絶対あったほうがいい。いやはやもっと書きたいことあるけど映画見に行く時間は頑張ってとろうと思いました。そして凹むこととか腹たつことあったら走るトム・クルーズ思い出そう。

Friday 24 August 2018

映画はすごい

久しぶりに映画館で映画を見たら想像していた以上に大きな刺激といい影響を受け心なのか頭なのかわからないけどスカッと洗われたというかほどけたような気持ちになった。そうなんだよな、もっとカッコよく生きなきゃな、こうしちゃおれんよなという気持ちと自信と力がみなぎってきた。どこから来るのかわからんけどものすごい元気になったし気持ちが明るくなった。見た映画がよかったのもあるし久しぶりにひとりで映画を見にいくという贅沢な時間を過ごしたのもある。

で、何を見たかというと:

OCEAN'S8

です。
あのオーシャンズの女性版が撮影中、と聞いた時には「うーんなんだかなあ」と思った。フェミニズム丸出しっていうか男だけじゃなくて女もやればできるのよ、女性のみなさん輝いていきましょう(キラキラ)みたいな感じがしたし、なんつーか、キャスト見てもいかにも、な感じがしたから。

けど、想像より断然よかったです。アジア系の役者がメンバーの中で一番注目度低いっていうのは毎回気になるところではあるけど。(それ考えるとやっぱりチャーリーズエンジェルのルーシーリューは良かった…)

ケイト・ブランシェットがかっこよかった。どんな役でもやれるんだろうけどこの「ルー」役は痺れるかっこよさでした。あらためて、この人の作品ちゃんと見なきゃと思った。

あと、見ていて気持ちよかったのがアン・ハサウェイがあまりにもそのままというか適役だったこと。そして産後初めての映画ということだが、めっちゃ綺麗だと思った。明らかに身体つきが違うと思ったけど、それがきれいだった。

あまりにも映画から遠ざかりすぎている、と見た後に思った。こんなに面白いことを人生から欠かしているなんて。ほとんど唖然としてしまった。こどもにまだまだ手はかかるけどなんとかして自分の時間をとって映画を見るようにしようと思った。欠かすにはあまりにも惜しい時間である。

Monday 20 August 2018

ラジオ体操、五感を使う

今朝はこどもと一緒に、地域のラジオ体操に行ってきた。きょうから始まった。近くの公民館で行われる。私が小さいころは夏休み中ずっとやっていたような気がするのだが、こどもが少なくなって期間が短くなったのだろう。私は毎日ラジオ体操をやっている。日本にいてラジオが使える限りは。実家にいる間も6時半には庭に出て体操をする。今朝こどもは体操をする人々を少しも動かずにじっと立って見ていた。十分間ずっと。通常少しもじっとしていないのでこんなに静止していることは珍しい。緊張していたのかもしれない。

田舎の生活で子どもは五感をフルに使って生きている。と、その様子を見ながら思う。カエルやとんぼをつかまえたり土をさわったり芝生を裸足で歩いたり。こういう機会をなるべく与えなければいけないとわかっていても東京ではなかなか難しい。明日東京に帰る。なるべく自然のなかでのびのびさせる機会は失わないようにしたい。

Sunday 19 August 2018

久しぶりに読書

お盆が終わってだいぶ涼しくなった。一歩も外に出られないような暑さが嘘のようだ。また暑さは戻ってくるらしいが、この過ごしやすさはありがたい。

帰省中に本を一冊読み始めたのだがようやく半分に達した。鈴木孝夫の本。子どもを追っかけるのが大変でも一冊くらいは読めるのではないかと思って夏休みに入る前に注文した。内容は難しくないのだが、何せ読める時間が子どもの睡眠中に限られるのでなかなか読み進めない。そして子供が昼寝をする時間は当然ながら自分も眠い。読み始めて2ページくらいで寝落ちてしまう。

それでも、だ。久しぶりに読書らしい読書をしていると思う。鈴木先生のキレのある文章がなんとも言えない。大学時代に結構読んで影響を受けたのだが、今の考え方の元になっている部分がかなりある。ちなみにタイトルは『閉ざされた言語・日本語の世界』。日本語です。

小説が読みたい気もするがこれと言って読みたい小説がない。村上さんの次回作を期待しよう。いや、それだったらどちらかというとエッセイが読みたいかもしれない。

あとは、これは読書ではないのだがタイ語にちょっと興味があって、CDエクスプレスのタイ語を眺めている。眺めているだけで音声を聞いたりペンを手にしたり、はしていない。文字抜きだとだいぶ簡単に学べそうな言語だということは分かったのだが文字の仕組みに少し手をつけられないだろうか、と思って、とりあえず、眺めているだけ。

Tuesday 14 August 2018

海外に行かない長期休暇

長期の休暇は必ずと言っていいほど海外に行っていた。最低でも三週間くらいは行っていたと思う。

それが、海外に行かなくなって3年目である。2016は妊娠していたので行けなかった。去年と今年はこどもが小さくて海外行くのは絶対大変だろうということで行っていない。イタリアに行ったことはあるけど夏休みではなかった。

来年こそ行けるかなあとは思うがいずれにせよこどもを連れて、である。自由度は相当低いはず。そう考えると自分だけで、あっち行こう、こっち行こうと考えながらホテルや航空券予約して海外の道を歩く、という経験は考えてみれば2015年が今のところ最後だったわけだ。今度そういうことができるのは、と考えると少なくともあと10年、いや、15年くらい後のことではないだろうか。なんということだ。

そう考えるとやっぱり20代でたくさん海外を見ておいたのはよかったと思う。ああ、国際線の空気が恋しいなあ。

Monday 13 August 2018

こどもの生活リズム

ここに来て十日。仕事のメールを見ようと思うがURLを幸か不幸か忘れてしまっているので仕事からは本当に離れていて何も考えずに済む。

まとまった夏休みがとれていいね、とよく言われる。確かにそうだと思う。だけど日々の疲労具合は半端ない。全然休んでいない。夏休みといえどこどもも夏休みなわけで、24時間一緒にいるのである。めちゃくちゃ疲れる。いつも書くことだが仕事をしている平日のほうが断然楽なのである。今朝も6時から子どもを追いかけて外に出た。

とは言え、十日もたったらこの大変さにちょっと慣れてきた感じもある。普段こんなに長い時間一緒にいることがないので一日がとても長く感じるが、それでも一日のこなしかたとでも言おうか、しのぎ方がちょっとわかってきたような。いや、疲れていることには間違いないのだが。

こどももここでの生活にだいぶ慣れてきて、リズムが作られてきた。5:45~6:00ごろ起床、午前中いっぱい遊ぶ。買い物に行ったりもする。プールにも入る。11時半~12時ごろ昼食。1時過ぎ~昼寝。そのあとまた遊び、植物の水やり(と言ってもかなり大規模)を手伝って、お風呂に入り、6時半~7時ごろ食事。それから8時に寝る。

靴を履かないと外に出していなかったのだが裸足で出るのを「まあいっか」と一度許可したら最後、平気で外に出るようになってしまった。日中は、日の照っている地面ははだしで歩くには熱いので「あちー」と言いながら戻ってくるのだが、朝の涼しい時間帯は地面が冷たいのでどこまででも歩いていく。今朝も近くの家に犬を見に行こうとしたり山にブルーベリーを取りに行こうとしたりしたので慌てて阻止した。

ズボンをはかないのがここではデフォルトになってきた。さらにおむつさえ「まあいっか」と思うようになってきた。

いい感じに野生化してきたと思う。

Sunday 12 August 2018

二十歳過ぎればただの人

最近気に入っている言葉の一つである。
「十で神童
十五で才子
二十歳過ぎればただの人」
いやはやよく言ったものだ。誰しも「わが子は特別かもしれない」と思う。私も思う。ほかの子と違った点を無意識に探し出してしまう。特別に活発だとか比較的明るいとか。友人知人もそうだ。フェイスブックやInstagramに出てくる投稿には少なからずわが子自慢のにおいがする。「寝返りした」「えっ、早くない?」とか「これ、うちのモンスター」「やんちゃんなんだね」みたいなやりとりですら「うちの子は特別」という思いがこもっている。
昔からみんな自分のこどもについて同じように思ってきたのだろう。こどもを育てるようになるまでは「二十歳過ぎればただの人」なんて言葉は知らなかったのだがつい先日この言葉を聞いて笑ってしまった。まさに自分の考えを見透かされたような感じがしたのだ。参ったな、と。

と、同時に不思議と安心したし、それ以降いろんなことに対して楽に構えるようになった。それは育児がどうでもいいかではなくていい意味で気を張らなくなった。いずれ普通の人になるんだみんなと思ったら、寝返りとかしゃべりはじめとかおむつのはずれる時期とかどうでもよくなった。いずれできるようになる。そして三十数年たった今、だれがそんなことを気にしているか?

Tuesday 7 August 2018

疲れと川へ行ったこと

ここに来て5日目。こどもの睡眠が安定せず、なかなか苦労している。初日の発熱が原因としては大きいかもしれない。いや、睡眠が安定しなくて苦労というよりはこどもと丸一日×5日間過ごしていて疲れているだけかもしれない。ただ、私の両親がここにはいて、家は広くて人手があるので東京とは全然違うが。

いずれにせよ疲れている。一日中、ずっと眠い。なんでだろうな、いや、毎回こうか。今までたまっていた疲れがどっと押し寄せるのだ。数か月の間ずっと気を張って生きていたのだなと思う。ここに来るともちろん仕事はしなくていいし日常から物理的に離れて本気で「気を抜く」ことができる。そうやって気を抜いた結果一気に心身ともにゆるみまくり、一日中眠かったりぐったり疲れていたりする。実家に帰ると毎回こうなのである。

誰に会う予定もたてず、毎日、やることといえば子どもの世話のみ。しかも人手と物理的スペースがある。

今朝は父の思い付きで、こどもを連れて近くの川まで行ってきた。川といってもかなりでかくて緑がわさわさしているところの川なのでそんなちょろいものではない。車を15分くらい走らせると着く。着いたところには誰もいない。これぞ田舎の良さである。車を降りると、空気が違うのがすぐ分かった。涼しい。竹を切ったような、いいにおいがする。川辺に行くともっと涼しかった。子どもはとても喜んで靴のままばしゃばしゃと水に入って行った。とにかく涼しくて、ここで昼寝でもできそうだねと言いながら長居せずに家に帰った。なんとも贅沢だ。全体がキラキラしてまるで目がよくなったような感じがした。夏の思い出がひとつできた。

Monday 6 August 2018

帰省中。19回目の飛行機。

というわけで。
3日から帰省しています。「子連れ沖縄」とか「子連れビーチ」とかをSNSにアップする人がしばしばいるけど、1歳のこどもがいる状態で一番いい場所はやっぱり実家ではないでしょうか。海外に行っても人手が増えるわけではないしその旅路を考えただけで、もう。人手があって周りに遠慮がいらない、という、もうそれだけで実家は最高であります。ほかに何も求めない。

こどもはこれで19回目、つまり10往復目の飛行機である。(国内、国際線合わせて。)何回乗っても「慣れてるから問題ない」とは言い切れないが、乗ったことない場合よりは圧倒的に「慣れている」と言える。たとえば飛行機の離着陸のときに耳が不快に感じるのは大人にも起きることだが、これに関してはこどもには問題がない。ちょっと不快そうなときは耳に手を当てたりしているようだがどうやら自分なりの対処法があるらしい。生後2か月からほぼ2か月ごとに乗り続けているのだ。さすがだなあと思う。特に着陸時には「ギャー」と泣き出す子どもがいくらか見受けられるが同じタイミングで泣くことはない。

今回は席を選ぶときに通路側ではなく窓側を選んだ。というのも飛行機自体に興味が出てきたのと、外から空の様子を見て「おっ」と思えるようになってきた、と私が判断したから。春ごろから窓側でうまくいったことが何度かあった。今までだったら立ち上がってあやしたり、後ろまで歩いていったり、トイレに行ったりという必要があった。その必要がだいぶなくなってきた。

連れていくこちら側もいろいろなテクニック、コツを学んだ。どの時間帯の便が最適か、何を持っていくべきか(どのバッグを持っていくか)、どのタイミングで手荷物チェックを通るべきか、いつ何を食べさせるべきか、などなど。やはり経験がすべてなのである。だんだんと無駄がそぎ落とされてきたし、こどもの成長に応じて変化してきた。

ところできょうは、昨日聞きそびれた「村上RADIO」をyoutubeで聞いています。なんとも心地よい。村上さんの声がこうやって聴ける日が来るなんて。ああ生きててよかった。

Saturday 4 August 2018

味のないレタス麺を中心とした出来事

7月31日になんとなく自分のなかで仕事納めをした。本当は2日あたりも仕事に行こうかと思っていたけど控えめに言って本当にやることがないので行かないことにした。31日まではそこそこ我慢できる程度の暑さだったが1日になるとまた急に暑さが舞い戻ってきた。いや、舞うというほど軽やかな感じもしないな…。

1日。
久しぶりに何もない午前中ということで何かしようかと思ったが家のなかにとどまった。こどもを保育園に送った後、家でパソコン開いたりして過ごした。1時から用事があるので11時ごろにでかけて昼ご飯を食べてからと思ったもののそのまま家に残り、賞味期限の迫った中華麺とソーセージを調理して食べた。12時ごろ出かけたが、これがまた暑い。駅に歩くまでの道でだんだんと気分が悪くなってきた。用が済んで帰宅してからめまいと吐き気で動けなくなった。こどもが夕飯を食べるとなりで横になってちょっと休んだ。暑さ、睡眠不足、育児疲れ、栄養不足…そのあたり全部が症状になって出た感じ。

2日。
ぐっすり、とまではいかないがまあよく眠れて、本当に何もない平日休み。とても暑い時間に出かけてしまった前日の反省を生かしてこの日は11時ごろに出かけた。用はないけど吉祥寺へ。豆乳担々麺だったか、先日の試験の際に食べたのがあまりにおいしかったのでそれと同じものをと思って麻布茶房へ。

ここでひとつおもしろいことが起きたので書いておこう:

豆乳担々麺は残念ながらなかった。かわりに冷やしレタスなんとかという冷たい麺があったのでそれを頼んだ。去年も何度か食べたことがありおいしいことは間違いないと思っていたからそれにした。

しばらくして出された麺、レタスにドレッシングらしきものがかかっている。その下の麺を見てみると…麺しかない。つまり、タレ的なものが何もないのだ。ええっとこれは混ぜて食べろということだろうか、と思ってレタスと混ぜてみた。レタスにくっついていたドレッシングがかろうじて味を加えてくれたが、いやいやどうして、こんな量のドレッシングで全体に味が付くわけはない。麺は白いままである。どうしたって味がない。

何かかけろ、ということだろうかと思ってテーブル上を見回してみた。酢とか醤油とかそういったものは何も見当たらない。

(どうしよう)

心の中でつぶやいた。これを聞くことは失礼にあたるのかもしれない。この味のなさがこの店のこだわりというか「品」の現れなのかもしれない。聞いてみて「こういうメニューですけど」と言われたらそれで終わりだ。

無言で白い麺を見つめる私。

尋ねてみよう、と心に決めた。だって、これ、全然おいしくない。特に、去年も同じものを食べたことがあるので、こんなはずはないと確信できた。

私「あのう、これは何かかける、とか、そんな感じでしょうか。それとも混ぜるべき…」
店員(息をのんで)「全然足りないですね、というかないですね、タレが。すみませんでした、持ってくるときに気が付かなかった」

そんなこんなで私の麺は作り替えられ、しばらくしてちゃんと味のある料理が運ばれてきた。やっぱり言って良かったと思った。あれで我慢して食べていたらお金を失うだけだった。私以外にあの状況に気づけた人はいなかったのだから。コミュニケーション能力ってこういうところで大事なのかもなとちょっと思った。

それからぶらぶらと涼しいところでウインドウショッピングをして、また別の店で抹茶白玉パフェを食べて3時ごろ帰宅。

こどもを保育園に迎えに行き、それから合気道へ袴を取りに。稽古は不参加。それでも顔出せたのはよかった。

それから、翌日に北海道へ引っ越してしまうご近所の友達のところへ挨拶に。訪ねていこうとおもいながら結局前日になってしまった。連絡もせずにピンポンをしたら友達と、犬と、こどもが出てきた。仲良しが遠いところへ行ってしまうのはさみしいが、気持ちよく送り出した。

そんなこんなで慌しく過ごす8月。私たちも3日からは九州へ行く。しばらくいつもの生活場所を離れるとなると休暇前はいつも最後の後始末というべきか、やるべきことが立て込む。それでも夏のこういう感じきらいじゃない。

Saturday 28 July 2018

終日試験を受けた

試験がおわった。放送大学を受講し始めて約一年。最後の試験が終わった。本当に勉強し始めたのが先週からなのでかなり短期集中型だが全科目合格できた自信はある。というのもめちゃくちゃ楽だから…。4択または5択が10〜15問で50分である。通常の試験ならこんなの絶対ない。その分慎重にならざるを得ないのは事実。しかしゆっくり解いても開始10分程度で終わる。

それでもこんなに疲れているのは、やっぱり試験は試験だ、ということ。きょうまで気を張って過ごしていた。そしてさらに9時〜18:30まで試験というのは流石に疲れる。待ち時間と勉強する時間が長すぎる。4科目を受験したのだが1時間目と8時間目に当たってしまったので結局終日試験会場にいることになってしまった。

試験や発表など、大きな「本番」に対して、準備時間があればあるほどありがたい、というタイプの人間ではなくどちらかというとその場の決断と勢いで「えいやっ」とやってしまうタイプの人間なので、本当なら1〜4時間目に連続で4科目受けてしまいたかったぐらい。

ああ、終わったのだよ、いずれにせよ。この解放感といったら。

Monday 23 July 2018

「今日から再開したの」

きょういちばんのニュース。

職場の近くに肉屋があり、そこはお弁当屋でもある。肉屋の弁当だからおいしくないわけがない。一時期はだいぶハマっていたのだが、去年だったか「しばらくお弁当は休みます」ということになった。なんということだ。

夫婦で営んでいらっしゃるが、二人とも結構な歳である。かつても何度か弁当のみ休業していたことがあった。そうかもう食べられないのか、ついにそういう時が来たのかと思いながら数ヶ月、いや、職場復帰してからの一年近くを過ごしていた。

先日、道路でそのお弁当屋のおじちゃんが配達している姿を見かけた。お、元気なのかなあとちょっと気になった。きょうはバスで出勤の際、店のシャッターが開いているのをみた。店は、やっているのだ。やってないのは弁当だけなのだ。シャッターが開いているのはいつものことなのだ。開いているからと言ってお弁当が再開したとは限らない。

職場に着いて、11時45分。「もしかして弁当再開したかもしれない」とふと思った。同僚に言ったら「電話して確かめてみたらどうでしょう」。

電話してみた。久しぶりにかける。コール3回ですぐにおじちゃんの声。
私「お弁当、やってますか」
おじちゃん「きょうから再開したの」
私「ええ?!きょうから?」

私の声を聞いて「すげええ」と笑う周りの同僚。

生姜焼き弁当を一つ注文して15分後に取りに行った。
エアコンなんてもちろんきいていない厨房で二人は働いていた。
いかにも「昭和」な店内は、よくある「◯◯ストア」みたいな感じで、調味料をはじめとした基本的な食料品がちょっと高めの値段で売ってある。

おじちゃんに「なんとなく電話したの?」
と言われたので
「はい、なんかそんな気がしたんです。再開したかなって」
と言ったら
おばちゃんが
「なんか見て電話したのかと思ったわよ」
という。
店内には
「23日からお弁当再開させていただきます。よろしくお願いします」
と書いてあった。
「いや、張り紙も何も見ませんでした。ただそんな気がしたので。でもまさか今日からとは」
というと、
「はぁ〜 通じてるものがあるんだろうねえ」
とおじちゃんが感心していた。

久々の生姜焼き弁当はとても美味しかった。
タイミングの良さがとても嬉しかったし、自分なんかあるわと思った。
ちょっと元気が出た。

Sunday 22 July 2018

自分の子ども以外を抱っこする大人たち

暑い。きょうはこどもが5時に起きた。5時半ではない。5時。きのう寝付くのが遅かったのできょうこそは7時ぐらいまでいけるんじゃないかと期待していたが、5時だった。仕方ない。

暑かったけど出かけた。3月まで通っていた保育園で仲良しだった子の家族から「おうちに遊びにきませんか」という誘いがあり、行ってみたところ集合したのはなんと6家族。9人のクラスのうちの6家族だからもはやそこは保育園に限りなく等しい状態だった。

2017年4月から2018年3月までの一年間、それぞれの家族が、9人全員の成長を見守り続けた。全ての家族にとって「初めて行かせる/預ける保育園」であり、わずか0歳で子供達は親以外の人たちとほぼ1日を過ごした。試行錯誤、または四苦八苦、笑いあり涙ありの登園生活だったに違いないと我が家を振り返っても思う。そのせいか、お互いに共感できるところも多かったし、3月の別れはなおさら辛かった。そして見事に9人がまったく違う認可保育所に認定をもらい、離れ離れに新しい道を歩むこととなった。

年齢も職業も生まれも育ちも違う大人たち。こどもがいなかったらきっと会うことのなかったであろう大人たちがこうやって自然に顔を合わせる。

すべての大人がごく自然に、自分のこども以外を遠慮なく抱っこしたり頭を撫でたりして世話をしているという環境がとても心地よいときょうあらためて感じた。泣いている子がいれば「ほらほら」と言って近くにいる大人が相手をする。普段の(東京での)生活だとまずそんなことはないし、今の保育園でもそれほどの親しみはまだない。そして、それぞれの特徴や性格を全員がなんとなくではありながらも把握している。だってあれだけ毎日送り迎えで顔を合わせるわけだから。

こどもたちがお互いのことをどの程度覚えているかはよくわからないが、それでもやはりゼロ歳をともに生き抜いた仲間たちというのは貴重だと思う。

短い時間だったがとても満たされた気分で家に帰った。

Saturday 21 July 2018

行き詰まる週末

疲れている。とんでもなく疲れているのだ。暑さと、こどもの「イヤイヤ」に。今週に入ってからは暑さが増したのでますますイライラしている。イヤイヤにイライラ。イラついてもどうしようもないのはわかっているが、爆発しそうになる。エアコンを入れて過ごしやすくするとこどもも少し落ち着く気がするのでそうやって時間を過ごしている。

ここ2ヶ月くらいだろうか、週末が怖い。前までは「こどもと一緒に過ごすのだ」と覚悟ができたのだが最近は「ああ週末がやってくる」と金曜の夜にどんよりしてしまう。原因はきっと暑さもあるだろうがこどもの成長によるものが大きいと思う。「ごまかし」がどんどんきかなくなってくる。行動範囲もどんどん広がってくる。寝返りしなかった時期が嘘のようだ。動き回るし、その速度も速くなってきた。土曜夜現在「あああと1日あるわ」と自分を励ましている。月曜までがんばれ、自分。月曜がこんなに楽しみに思える時がくるなんて思ってもみなかった。

泣き声が聞こえると逃げ出したくなるのだ。我慢ができないほど強度のストレスが自分にかかっているのがわかる。

そして、何をしても泣く。食べ終わっても泣く。オムツを脱がせても泣く。トイレに座らせても泣く。オムツをはかせようとしても泣く。服を脱がせても、着せても泣く。

昨日の夜は(毎日のことだが)歯磨きを嫌がって泣き、歯磨きが終わると「もう一回」と言って泣く。どっちだよ、と言いながら歯ブラシをとってやると首を横に振り「だだ(やだ)」と言って泣く。じゃあ片付けるよと言って歯ブラシを元の位置に立てるとまだ「だだ」と言って泣く。それを30分ほど続けた。限界だわ…と思ってしばらく放っておくが泣き止む気配はない。かなり根気強いのだ。

きょうもひどかった。午前中は道端で自転車から飛び出そうとし、公園に戻りたがった。家に無理やり連れて帰るとドアのところでひたすら泣いていた。ものすごい声量だ。

午後は、理由はなんだったかもはや忘れたが、昼寝後にまたひどく泣いていた。

そこで、ふと、何をする気もなくなった。しゃべる気さえなくなった。この人と何をして遊べば良いのか?何を話せば良いのか?笑顔さえ出なかった。youtubeでエルモを見たいとせがまれて、普段は制限するのだが、もうエルモでもなんでも見ればよい、と思った。パソコンを与えて泣かないでおくならそれで上等だ。表情も声も出ないまま、パソコンを渡してyoutubeを見せた。そうしないともう自分がもたない、と思った。ストレスとはちょっと違う。涙も出ない。一体私は何なのだろう、と思った。

もうちょっと楽に、そして涼しくなる日を気長に待つしかない。そうなのだ、待つしかないのだ。すべては時が解決する。今日あったことはもう忘れるべし。

「ものすごい成長している時だからね」という同僚の言葉に少し励まされている。イヤイヤがひどくて家に帰るのが恐怖なんですと同僚に話したときの会話のなかでの一言。そうなんだな、脳がぐるんぐるん動いてるんだなきっと。

Wednesday 11 July 2018

自分のことを気づかう時間

こどもの発熱は先週末でおさまったのだがその後おなかがゆるい状態がずっと続いている。まあ治るでしょうと思っていたのだが考えてみれば一週間以上同じ状態なので昨日は保育園に迎えに行ったあとまっすぐ小児科へ行き整腸剤を処方してもらった。粉薬というものはきちんと飲ませるのが難しく、毎回「だましだまし」飲ませている状態なのだがまあ仕方ない、ないよりもマシでしょう。せっかくトイレに行くときは知らせてくれるようになったのに下痢気味では知らせる余裕もない。かわいそうに。早くよくなりますように。

きょうは午前中、皮膚科に行ってきた。ニキビのあとや、小さいイボなどを処置してもらってきた。ハサミとピンセットでぱちんぱちん、と。かなり長い間「ああ行かなきゃな」と思いながらも「まいっか」と放っておいたのだ。長い付き合いの先生だ。上京してからずっとここにお世話になっている。特に用はなくても「行こうかな」と思う。花粉症の薬でさえもここでもらっているくらい。きょうは息子さんの話で盛り上がった。次は紫外線の量の減る10月ごろに来院するということになった。

ちなみに昨日の午前は歯医者で歯の掃除をしてもらった。こうやって自分のことを気遣う余裕が夏休み前になって少し出てきたのだ。あとは美容院とプールに行ければ完璧なのだが。

先週職場で行われた健康診断で、医師に体の調子について聞かれたので「子どもの世話で疲れ切っている」と言ったら「嬉しい疲れですね」と言われて「??」と思ったのだが「まあ、はい」と答えておいた。こういう人は育児で疲れたことなんてないのだ、きっと。別にうれしかねーよ、と心の中でつぶやいて終わらせておいた。世の中まだこんなもん。

Thursday 5 July 2018

こども発熱

火曜朝から子供が発熱している。

3日朝 37.8℃のち36.6℃
3日夕 保育園から電話 38.4℃
4日朝 37.5℃
4日夕 保育園から電話 38.7℃
(小児科受診)
4日夜 39.7℃

1日以上熱が続くのは昨年末以来だと思う。それ以外は一晩でだいたい下がっている。だいぶ体力がついてきたのだなと思っていた。きょうは保育園で夏祭りが行われるらしいので行かせてあげたかったがこの調子だと無理だろう。残念だ。

夜中3時ごろ(つまり今から四時間くらい前)に子供が起き出し元気に動き回り始めたのでとても困った。たぶん少し寝て、体力が回復したのだろう。「ぬぬ」と言って牛乳を欲したり、例によってわざと派手にこぼしたり、おもちゃで遊んだりした。それでも咳をしていたので調子が完全に良くなったわけではない。というわけで私はねむい。それでもそろそろ仕事に行く準備をしなくてはいけない。

こどもの病気というのはかなりストレスフルだ。自分の行動にはものすごい制限がかかるし何よりもこどもが心配である。いつになく速い呼吸ではあはあと小さな肩が動いているのを見るのは耐えられない。お決まりのように「なにがいけなかったのだろう」と考えてしまうが考えても意味はない。そしていろいろな予定はキャンセルせざるを得ないし明日以降のことを考えるとため息が出る。

早く良くなれ〜。

Tuesday 26 June 2018

英語リピート

文字通り、寝ても覚めてもラジオ語学講座を聞いている私。(あれ?「寝ても」というのは寝ている間にということか?だとしたら違うけど。)

聴きたい講座がラジオを聴ける時間にやっていない場合は、今までだったら諦めていたのだがここ最近はアプリというものがある。一週間前のものだったらいつでも、何回でも聴ける。

さて、きょうの夕方、こどもとご飯を食べながら「遠山顕の英会話楽習」を聴いていた。今月のテーマは「趣味」。冒頭で出演者が"Hobbies"と言う。するとこどもがキャハハと笑いながら「あびー!」とリピートしている。ほかのなによりもこの hobbiesが楽しく響くらしい。私が何回か言ってあげたら大喜びして、また「あびー!」を繰り返している。

そのあとこどもがリピートしたのは:

"awesome!"
"I'm game."

これらがどうやら印象的だったのだろう。言ってあげるとまた喜んでいた。


1ヶ月くらい前に基礎英語2で聞いた"Hi, Sho."という一言もその時以来時々言う。
「はいしょー」と、だいぶ本当の発音に近い。もう忘れたかなと思いながらもきょうまた試しに言って見たら「はいしょー♪」の一言が笑顔とともに返ってきた。

どれも、細かい発音について言えばまだまだなところが多いが、感心するのは、イントネーションだけは完璧だということ。音の上がり方、下がり方。聴いたままに繰り返しているのだろうけど本当に聞こえたとおりに出てくる。文字をなぞって「はいしょー」と言っているのとは違うのだ。

すごいなあこども。

Sunday 24 June 2018

Latte=牛乳

きのうの話題に引き続き、「バイリンガルだ!」的なできごとについて:

牛乳のことを「にゅにゅ」とこどもは言う。
今朝、にゅにゅ、と言われたのでコップに牛乳をついであげたら明らかにわざと床にぶちまけた。

…というできごとをその後イタリア語で話していた。(イタリア語で牛乳のことはlatte(ラッテ)と言う。)「けさ牛乳をわざとこぼしたんだよ〜」と。

すると横で会話を聞いていた子供が

「にゅにゅ!」

と思い出したように叫んだ。
「うわっ、わかってるこいつ!」とまた驚いた。だって、繰り返すが、イタリア語で会話していたのだから。「ぎゅうにゅう」という言葉は一言も出していないのだ。「ラッテ」と言う言葉を聞いて「にゅにゅ」という言葉が出てきた。

とにかく牛乳が飲みたくなったらしいのでそのあと少し飲ませた。

Saturday 23 June 2018

バイリンガルはじめ

昨日に引き続きこどもの言葉の話。


「バイリンガルだ」と驚かされることが度々ある。最近特に増えてきた。
ちなみに言語環境を整理すると;

母と子 日本語
父と子 イタリア語
子と母と父の3人 イタリア語
という感じ。


覚えているのをメモ:

・"Vuoi l'acqua?(水いる?)"と尋ねられると「みじゅ」と答えた。

・これはしばらく前だがイタリア語で「きょう公園で犬を見て…」という会話をしていたらその横で遊びながら会話を聞いていたこどもが突然「わんわん」と言った。おおお、わかっとるこいつ、という感じで二人とも驚いた。
で、以前まで犬のことを「わんわん」と言っていたのだがそれを「なね」と言うことが増えてきた。発音はちょっと違うがcane(カーネ)のことである。私は「いぬ」と言わなければいけない、とあらためて思う。「そうだねカーネだね」と言ってしまうと混乱させてしまう。

・自転車のことをこどもは"Bici"と言う。自転車を見てbici, biciというので「自転車ね」というと「じてんしゃ」と言うようになった。これは「バイリンガルだ」と言う段階にはないが日本語では「じてんしゃ」と言うようになっていくためのひとつのステップ。

・ちょうどきょう、pizzaを食べに行ったのだがその時に材料として使われていたオリーブをこどもが気に入って食べていた。そのことを夜になってから寝かせる前にイタリア語で「あのオリーブは缶詰のやつだよね。生じゃないね」「そりゃそうでしょう、じゃないとランチ1200円ではやってけn…」と大人二人が会話をしていたときにそれを聞いていた子供が「ぴっちゃ!ぴっちゃ!」と言い始めた。二人とも顔を合わせて驚いた。pizzaという単語は一言も出していないのに。でも考えてみれば昼に食べている間じゅうイタリア語以外使っていないからこの場合インプットとしての"olive"はイタリア語しかない。そっか、だからこれはバイリンガルじゃなくてもあの黒い物体が「オリーヴェ」と呼ばれるものであるということさえわかれば「ピッツァ」につながるのか。じゃあ別にバイリンガルだからできるということでもないな。

うーん。こうやって書き出してみると結局はまだバイリンガルというほどではないな。

でもきっと
理解語彙…日本語、イタリア語
表現語彙…日本語

という感じなのだろうなと思っている。つまり言っていることはどちらの言語でも理解できている。圧倒的に日本語が強いだろうけどイタリア語もわかってはいる。ただしアウトプットとしてはまだイタリア語はほとんど表れない。

混乱させてはいけない、というのはすでに書いたことだが、それでもやっぱりイタリア語の語彙で言われると「そうだねbiciだね」と言いそうになるのが実際。これからこういうことが増えていくのだろうけどなんとか区別させておきたい。

Friday 22 June 2018

会話ができた

驚いたことが一つあったのでメモ:

今日の夜、こどもを寝かせる前に「きょう保育園で何したの。お散歩に行ったの。」と声をかけると、私の目をじっと見て「あじしゃい」と言った。

これは「あじさいを見た」ということなのだ。つまり私の「散歩に行ったのか」という質問がわかっているのだ。これは会話だ。感動で心が震えた。びっくりしながらも「そう、あじさいを見たのね」と言ったら「きーきーしゃ」と答えた。救急車のことだ。保育園の近くに消防署があり救急車がとまっている。みんなで見に行ったのかもしれない。

子「みじゅ」
私「はい水ね」

とか

子「まと」
私「トマトもうないよ」
子「(泣く)まと〜〜〜」

みたいなやりとりは日常によくあるのだが、きょうの「お散歩にいったの」「あじしゃい」はより会話に近かった。会話っぽい会話はこれが初めてじゃないだろうか。このあとこういうのがどんどん普通になっていくのだろうけど、今日は感動したのでここに記しておく。

Wednesday 20 June 2018

オセロ、遠山先生

言わずと知れたラジオ語学講座ファンの私は「遠山顕の英会話楽習」を聞いているのだが先週の「トランポリン上のオセロ」がツボで、月曜からもう何度も聞いている。シェイクスピアの「オセロ」のキャラクター(と同じ名前の人物)がトランポリンに熱中し始める、というダイアログなのだが、テキストのイラスト含めてシュールすぎて笑える。

かく言う私だがオセロをちゃんと読んだことない。というかシェイクスピアをきちんと読んだことがない。英語科や英文科出身でもなんでもない私は、ちっともそういう「本物」に向き合う機会がないままここまで来てしまった。いや、英語科出身じゃないというのは言い訳に過ぎませんね。一番よくない種類の言い訳。

というわけでオセロ借りてきました。高校生ぐらいでも読めるように簡単な英語で書かれたもの。いつ読み終わるかわからないけど手元に持ってみることにする。

それにしても遠山顕は本当に面白い。この人がいなかったら今の私はないです。本当に。中学から聴き続けてきたけどふと気づくとこの人もいつかは亡くなってしまうわけだ。この人がいなかったら困る。だけど今まで書かれてきたたくさんのダイアログがあるからこれをなんとか手元に置いておきたい。時間をかけて集めてみようと最近思っている。


Monday 18 June 2018

あじしゃい

洗濯物が乾かない。それを承知で洗濯機を回したのだが。汚れたものを湿ったまま置いておくよりは、とりあえずきれいにして風の通る場所につるしておいたほうが良いような気がしたので。

雨と雨の合間を縫う?ようにして出勤したり退勤したりしているここ最近。この一週間は降ったり止んだりが続くようだが、これが終わったらきっと一気に暑さがやってくるのだろう。

驚いたことをメモ。

先週だったと思うが帰宅すると、こどもが「あじさい」と言えるよ、という話を聞いた。えっ?一度か二度は教えたことがあったかもしれないけど…とびっくりして「あじさい、って言えるの?」と聞いたら

「あ じ しゃい」

と言うではないか。たまげた。食べものでも車でも人の名前でもなく、花の名前を覚えるとは。保育園の先生に尋ねたら、やはり散歩中に公園で「あじさいだよ」と言っているらしい。保育園すごいよ。おそるべし。

本当にあの花がアジサイとわかっているのだろうか、別のものかもしれないぞ、と思った。そこで、ためしに外で見た時に聞いてみるとやっぱり確実にアジサイを指して、あるいは見て「あじしゃい」と言っている。

それにしても素敵ではないか。咲き誇る6月の花を覚えたのだ。今1歳9ヶ月。この1歳9ヶ月の時期にたとえば桜が咲いていたら「さくら」と言ったかもしれない。

ほかにも驚いたことはあるがとりあえず以上一つ書いておく。

さてアイスクリームでも食べよう。

Sunday 17 June 2018

動物園

ぬおー。何が忙しかったのだろう。二週間くらいブログかけていないけどその間、一体なにがどう忙しかったのだろう。いくつか「あれとこれがこう忙しかった」とは言えるけど実際言ってみるとそれほど忙しくない気がする。平日休みもあったしきちんと寝られている。それでもやっぱりドタバタ過ぎて行ったような気がする。

きょうは子どもを連れて小さめの動物園に行ってきた。水に手を突っ込んで魚に触れたりモルモットを抱っこしたりできる。こどもはとても喜んでいた。そのあと、ピッツァを食べにいった。いつもとは違う店だが。

こどもがトコトコ歩き出すので、おっと危ないと思って追いかけたら、ペットを連れてきている人たちのところへ行き、なんと犬を「なでなで」して回っていた。終わると「バイバイ」と言って次へ行く。飼い主たちも喜び、子どもも喜び、犬は…さあどうだろう(笑)。

それにしても発話が一気に増えて驚く。急に増えた気がするのはきょうが刺激の多い1日だったためだろうか。ともあれ連れて行ってよかった。

疲れるし、大変けど、こどものおかげで人生が楽しい。まんまるな目をみると「どうもありがとう」と思う。

梅雨の合間、暑くもなく寒くもない絶好のタイミングをつかんで行ったものだ、と思った。

Wednesday 6 June 2018

豚、発熱

ロアルド・ダールの「豚」を読みおえたのだが、読後感がそれはもう、悪くて悪くて夢にも出てきそうな感じです。気持ち悪いというレベルではない。最後に入るまではトントン拍子で進んで行ってああこれは面白くてしかたないと思っていたのだけど、最後が!強烈だった…。いやしかし面白いか面白くないかと言われるとそれは面白いです。

それにしても本当に面白い話を読んでいるときはそれが英語だということを忘れてしまう。それくらい面白い。

さて。

昨夜、寝るときに少し窓を開けていたのだが、これは寒いと思った。こどもは寒くないだろうかと思って夜中に何度も起きて布団をかける、そういうことが最近続いていた。こどもの鼻水を見るたびに、成長して身体も強くなったはずと自分に言い聞かせ以前ほど心配をしなくなった。

そして今日、朝9時半ごろ発熱の連絡が保育園から入った。あれれれ…。オムツ一丁で走りまわらるのを放置していたここ最近を少し後悔した。ほんの少し。

思えば去年の6月前半もそうだった。梅雨に入るか入らないかのころの、ちょうど今のような、暑い日と、雨と、エアコンが繰り返し身体に触れるような時期に40度の熱を出したのだった。

きょうは早々に帰宅し朝、夕と寝てだいぶ回復したように見えるが油断は禁物である。

そして私もあまり調子がよくない。発熱の知らせを聞いて、カッパをきて自転車をこいで帰ってきたのだが汗をかいている上に結局はやはり雨に濡れているわけで、帰ってから急にくしゃみが止まらなくなった。職場のエアコンのせいもある。

早いとこ治さねば。というわけで寝ます。「豚」の夢を見ませんように…

Tuesday 5 June 2018

やることリスト、休暇予定

夏になった。太陽が強い。
紫外線も強いし雨も降るのにこの時期が結構好きだ。5、6月。生きてるという感じがするから。好きなのが;

・プールに行った帰り
・夜風
・ビール
・サンダル
・ポロシャツ

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残った一本の親知らずを抜くために予約を取らねばならないのだがなかなか勇気が出ずにいる。電話をしたら先日は話し中だったのだが逆にホッとしてしまってすぐ切った。きょうもう一回かけてみよう。やれやれ。

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やらねばならないことが最近大量にあったのだがそれを最初頭の中で整理していた。しかしことあるごとに忘れるしもはや整理できていなかったので全部書き出した。それから一つ一つ消して行っている。「ている」と言うのはまだ終わってないから。本当は金曜にすべて終わらせたかったのだが結局終わらなかった。それでも、こうやってやるべきことがたくさんある場合はそれらをすべて見えるようにすると良い。赤マジックで消したときの達成感もある。

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日々を楽しく生きるためのコツのうちの一つ:
次の旅先、休暇予定、destinationを決めておくこと。
と言っても子供が小さい私の場合、ほとんどが実家なのだが、それでもチケットを予約しておくと結構ウキウキして日々を過ごせる。チケットと言わずとも、先週末、親戚宅に旅したのもそのうちのひとつ。「この先に楽しいことが待っている」という事実が毎日を輝かせる。この時期だと毎年、ヨーロッパ行きのチケットを持っている状態なのだが今年の場合は仕方ない。ちなみに実家行きのチケットはすでに9月分まで予約してある。9月までは少なくとも楽しい。

Sunday 3 June 2018

週末旅と1.9歳のことばの記録

「泳ぎに行きたいのに行けない」という内容でブログを書きかけたのが一週間前のこと。それから結局書けずにいた。いろんなことがあり、泳ぎに行くことも合気道に行くこともできた。あっという間に一週間が終わった。そして5月も終わった。

合気道で汗をかいている間はすべてのことを忘れていられる。それだけに集中できる。まさに「無心」という感じ。いっぽう、泳いでいる間はいろいろと考え事をする。どちらも、終わったあとは「はぁ〜」とスッキリする。詰まっていたものがスポンと取れたような感覚を味わうことができる。これらは私にとって生涯スポーツになるだろうなと思っている。

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この週末、子どもを連れて親戚のうちに遊びに行った。片道一時間半ほどかかるのでそんな簡単な旅ではない。乗り換えも多い。子どもの食事や睡眠や疲労の調子を見ながら絶妙なタイミングで到着しないといけない。たった1泊だが、一人での移動の何倍も神経を使う。

それでも、たいそう意味のある旅なのである。まずなかなか会えないおじちゃんとおばちゃんに顔を見せ、成長を見せる。面と向かって会うのは手紙や電話の何倍も意味がある。
そして子どもにとっての通常にない刺激はいい効果をもたらす。わずか一晩を別の空間で過ごすと、
「あれ?こんなことできたんだっけ」
「そうか、こんなことが好きなのか」
「へえ、こういう反応をしめすのか」
と親であるこちらも気づかされることがある。そして別の視点から見て思うことを、普段会わない人から聞くと、なるほどと思うことが多々ある。
さらに、急に発話が増える気がする。実家に帰るとき然り。

というわけで最近(1歳9ヶ月)の言葉メモ:

ぱぱ(父)
まんま(母)
じちゃん(祖父)
ばちゃん(祖母)
ぶぶ(車)
ぱった(パスタ/パトカー)
ぱん/ばん/まね(パン)
ばっちゃ(消防車/かぼちゃ/バス)
たっち(タクシー)
びち(自転車)
ばい(バイク)
まな(バナナ)
まと(トマト)
にんな(リンゴ)
みじゅ(水)
ぬぬ/にゅにゅ(牛乳)
ぶるべり(ブルーベリー)
わんわん(犬/馬)
おむちゅ(おむつ)
じゅちゅ(ジュース)
えも(エルモ)
のーーー(No)
はい/あい(はい)
ばいばい(バイバイ)
ちゃお(Ciao)
ぴっち(ハトをはじめとした鳥類)
ねんね(ねる)
をふぉ(アンディ・ウォーホル)
びた/びと(ビートルズ)
ない(ない)
あった(あった)
あっち(あっち)

以上、今思いつく限りの言葉。

ウォーホルのハガキを見て「をふぉ」というのだが先日ためしに「アンディ・ウォーホルだよ」と教えたら「あんで をふぉ」と言ったのでびっくりした。

そのほか、言葉としては出ていなくてもこちらの言っていること(特に日常の指示等)は通じている。「はみがきするよ」と言えば逃げ出すし、「外に出るよ」と言えば玄関まで走って行き私の靴を取ってきて「まんま」と言いながら差し出す。意思疎通ができるようになってきている。

さて、長いようで短い週末が終わろうとしている。先日ハンズで買ってきた「万能透明テープ ピッチン」を使って「かいじゅうたちのいるところ」の修繕をします。(ところでハンズの店員さんはやっぱりプロです。「本の修理」と言ったらとても丁寧な口調で「はい、こういうものがございます」とすぐに案内してくれた。「少々お待ちください」でほかの店員に聞きに行く店とは違う。当たり前だろうけど対応がきちんとしていたことがとても嬉しかった。)

Friday 25 May 2018

固まって滞っている

身体がとても疲れやすいような、こわばっているような、そんな感じ、もはや不快感がここ数週間ある。仕事や育児で疲れるというのはあるだろうけど、それに加えて原因がもう一つ:
運動してないからだ。合気道にも水泳にも、何週間も行っていない。連休前から行っていないのではないだろうか。家でできるストレッチングとラジオ体操ぐらいしか身体を動かせていない。それから通勤のための自転車、それくらいだろう。肩甲骨や背筋をまったく鍛えていない感じがする。だから弱く、疲れやすく感じるのである。

なんとかして水泳か合気道に行く時間をといつも先の予定について考えているのだがまったく空きがない。親知らず騒動もまだ落ち着いておらず、週に2回くらいは歯医者に通っている状態である。

それと、最近こどもが超のつくほど早起きなのでそれに付き合って早く起きているうちに慢性的な睡眠不足に陥っている。睡眠が足りないとすべての活動が滞る。空腹はごまかせるけど睡眠不足はごまかせない。これだけは。

解消できるような「ゆっくりした時間」はまだまだやってきそうにない。夏休みはよこい〜

Sunday 20 May 2018

教えてないのにミッキー

こども1歳8ヶ月の記録。

ふと気づくと私のi padを取ってyoutubeを自分でタップし、好きな動画(セサミストリート)を再生する。最初はまあいっかと思っていたけどやはり動画の引力というのはすさまじく、放っておくと多分1時間でも2時間でも見続ける。これってよくないよなと思って最近は途中で取り上げるようにしている。

で、きのうの話。

突然私のほうに走り寄ってきて腕をつかんできた。どうしたのだろうと思ったら不安そうな目でi padのほうを見ていて、私の腕をつかんでi padのところまで連れてきた。なんだろうと思ってその動画を見てみると、なんと喋っているのはミッキーマウス。例の、甲高い声でしゃべっている。(ただし英語。)セサミストリートに関連する動画として出てきたのをタップしてしまったのだろう。おそらくこどもにとっては初めて見る、正体不明でありながらもちょっと魅力的な「生物」であり、突然の出会いに戸惑ったに違いない。

「大丈夫だよミッキーだよミッキー」と言ったかどうかあまり覚えてはいないが、気づいたらこどもが「みてぃ」と言うようになっている。えっ?教えていないのに?どうしてそんなに簡単に名前を覚えるの?と思ったが考えてみれば1年8ヶ月生きているわけで、その間にきっと何度か「ミッキー」というインプットはあったのだ。それが動画ではなかったとしても、キャラクターを見て「ミッキーだよ」と言われたことがあったのだ。それが今こうやって出力されているということ。

いつの間にか怖がることもなく、ミッキーの動画を自分で探し出して音楽に合わせて身体を揺らすようにまでなってしまった。仕方なくM-I-C-K-E-Y M-O-U-S-Eという歌を私も一緒に歌っている。(ミッキーマウス・マーチではない。)

しかしディズニーファンにさせるつもりはこれっぽっちもないんだよなあ。どこかで制限せねば。そう思いながら、やっぱり口ずさんでしまう、M-I-C-K-E-Y M-O-U-S-Eなのであった。

Sunday 13 May 2018

ごはんを取られる

ようやく土日が終わった。長かった。何度かここに書いたかもしれないが、仕事に行っている平日のほうが疲れは少ない。子どもと丸一日過ごす土日は心身共にぐったりである。自分の好きなことはまずできるわけがないのでそもそも諦めている。しょうがないとはいえストレスはたまる。そして思うように動かないのが子どもであり、「そっち行くな」「そこは開けるな」といった類のセリフを連発しながら約12kgの身体を抱えたりひっぱったり、つまり管理するのは疲れる。はっきり言って重労働である。

そして最近困ったことに、自分の食事を食べられない。いやこれは育休中からそうだったけど当時は「忙し過ぎて料理する暇も食べる暇もない」という状態であった。しかも子供は離乳食で私とは違うものを食べるとなると同時に二種のものを準備するのはほぼ不可能に近かった。もうじき同じものが食べられるようになったら一回の準備で済むから楽になるよといろんな人から言われてきた。

それから時がたち今となっては同じものを食べるようになったのだが、困ったことに、いざ一緒に座ると、さっさと自分の分を食べ終えて私の皿に手を突っ込んでくるようになった。最初は「じゃあいいよ分けてあげるよ」ぐらいなものだったが最近ではほぼ全部掴み取られてしまう場合が多い。

こうなると、一緒に食べること自体をあきらめるしかない。以前はそれで、子供が寝たあとで自分の分をつくって「やれやれ」とつぶやきながら一人でゆっくり食べていたのだが、ここ数ヶ月は寝つくのに時間がかかるようになり空腹のままその時間を過ごすのは耐えられなくなってきた。結局、子どもが遊んでいるすきに隠れて立ったまま食べたり、なにかつまんだりすることが多い。それから子どもがようやく寝ると、食欲より何より疲れが襲ってきて結局ろくに食事せずに寝ることも多い。あ、これは週末に限った話ではないです。(週末は夜に加えて昼もそんな感じ。)

週末が終わるとげっそりしているのが鏡を見るとわかる。そして体重が減っている。そして月曜には筋肉痛を感じる。

だから平日、仕事のあるうちに元気を取り戻すのである。誰にも掴み取られずに昼ごはんを食べられるのは平日のみ。やれやれ。まあ子育てとはこんなもんなんでしょう。明日の朝もおそらく5時すぎに子どもが目をさましてビートルズを聴き始めるだろうからそれに備えて今日も早く寝るしかない。以上、1歳8ヶ月の記録。

Saturday 12 May 2018

ばっし!!

火曜日、親知らずを抜いた。ついに抜いた。

生えてきたなーと思ったのはもうだいぶ前のことだがそのまま放置していた。(上の2本は10年くらい前に抜いた。)それが3年前だったか、寝不足と疲れとストレスがたまっていた時に痛み始めた。痛いというよりは腫れている感じ。左、右の順に痛くなった。これが結局一週間ぐらい続いたんじゃなかったか。その時は抜くということは考えてはいなかった。

そしてこの春、3月、こどもが「イヤイヤ」で私も「イライラ」していたとき、それはやってきた。左側だけだったが、腫れ始めた。抵抗力が弱まり細菌が入ったのだ。3年前と同じだ。こうなると日常生活に支障が出てくる。2回目となりさすがに懲りて「これは抜こう」と思った。

いつもの歯科に行くと、ここでは抜けないと言われた。というのも左右ともに歯肉が被さっていて切開が必要だから、ということ。わかってはいたけど左右とも、となるとちょっと気持ちが変わってきた。これは覚悟が必要である。上の歯はいとも簡単に抜けたのに。これはいわゆる「手術」になる。

紹介状を書いてもらって大病院へ行くことになった。予約をとるのも一苦労だった。電話ではなくファックスでしか受け付けられない。そして予約確定の電話は大病院ではなくなんと紹介元からかかってきた。しかも1ヶ月先しか空いている日時がなかった。

というわけで1ヶ月間(いやそれ以上だったな)かけて覚悟を固め、そわそわしながら過ごして来たというわけだ。

抜歯当日。だいぶ緊張したが背に腹は変えられぬ。大病院なのでまず初診の受付で30分くらい要した。見たことも聞いたこともない「科」がたくさんある。(睡眠科なんて初めて聞いた。)

私がかかるのは「口腔外科」。私のように親知らずで悩む人、その他もっと重篤または別の類の歯科の問題をかかえる人たちがたくさんやって来るのだろう。

東京近辺の、歯科の問題を抱えるすべての人々。

そうやって周りの患者を見ると、不思議と親近感が湧いて来た。名前を呼ばれて入って行くと、これは驚いた。いわゆる歯医者の椅子(リクライニングできるやつ)が、20くらい?かそれ以上並んでいる。普通の歯科だったら4つか5つなのに。異様な光景だ。

担当は私よりも若いであろう男性医師だった。ここに勤めるということは相当優秀なのだろうなあと思った。話をしたあとで、レントゲン撮影のために地下まで行く。4階からわざわざ地下まで降りるのである。データがぽんぽん飛んで行くのだ。大病院はすごいなあ。

撮影後また戻り、話をして、きょうは左のみ抜く、ということになった。二ついっきに抜いたら食事もできなくなるとのこと。了承して、抜歯にのぞんだ。

だいぶ怖かったけど、出産に比べればなんてことないはずと思うとちょっと楽になった。麻酔は痛くなかった。注射器のながーい針が見えたのは怖かったが、チクっとさえも感じなかった。そのうちに舌と喉の奥ががしびれてきた。

そのあとは、もう、あとは野となれ山となれで、完全に「任せた」。もう考えないことにした。と言ってもいろいろ想像してしまう。ああ今歯肉を切っているんだろうなとか。抜こうと医師ががんばるのはよくわかった。ひっぱるだけではなくて、当該の歯以外のところは逆に押さえつけられる。

もうこれは「大きなかぶ」と同じなのである。うんとこしょ、どっこいしょ、である。早く抜けろよ、かぶ。

あまりに長いこと口を開けていたせいか、それとも緊張と恐怖のせいか、顎がガクガク震え始めた。震えとよぶには大きすぎる動き。止まらない。手で押さえようかと思ったが看護師と医師の手がその周辺をうろうろしているのでそれはできなかった。

早く抜けてくれ…

「もうすぐですからね」という声が聞こえ、しばらくして、どうやら抜けたらしいということがわかった。口のなかは血の味がする。きっと今頃血の海なのだろう。

こういう人を1日に何人も診る仕事ってのは、うーん、どんな感じなんでしょうね。いやもちろんそんなこと考えたのは抜歯後だいぶ経ってからで、その時はそんな余裕なんてなかったですが。

顔の上にかけられた紙が取られて、からだを起こし、抜けた歯を見せてもらった。歯肉つきの。ピンク色の歯肉がついている。肉だ。これは。スーパーでパックに入っているのとほぼ同じ色をしている。ああああ…

少し説明してもらって、というか説明がなくてもわかったが、これまで歯肉に隠れていた部分はものすごく汚れていた。はっきり言って黒い。なんと。この汚れを口のなかに抱えたまま何年間も生きていたとは。おぞましい。完全に歯が隠れている場合は問題ないが、少しでも出てしまうとそこから食べもののカスが入り汚れがどんどんたまっていくのだ。抜いてよかった、と思った。

麻酔が効いている間というのはもちろん感覚がないので、知らないうちに自分の舌を噛んでしまう。怖いなあ。口の周りや顎を触っても感覚がない。不思議だ。

薬をもらって、その日はおとなしく過ごした。痛みというか麻酔がなくなっていく感覚をじっとして味わわなくて良いように街をうろうろしながら帰った。

今、糸で縫ってあるのを来週抜く予定だ。

ところで「抜歯」も「抜糸」も「ばっし」なんですね。ああそうかと思いながら、歯科医師はどう区別をつけるのだろうと思っていたら「抜糸」のほうは「糸を抜く」という表現を使っていた。そりゃそうだね、やっぱり歯が優先ですよね。

Wednesday 2 May 2018

海外旅行は贅沢なのか

きょう、同僚と話していたら4月から新しく働き始めた別の同僚のことについて話が出た。「○○さんってすごいんだよ、海外旅行に行きまくってるの。年に1回。オーロラ見に行ったこともあるんだって」と話しかけてきた。お金あるんだね、いいよね、みたいな文脈だったので、とりあえず「へーすごいですね、きっと独身でしょうかね〜」ととりあえず合わせておいたがそのあとやっぱりそのことが引っかかっていて少し考えたので書くことにした。

1. 年に一回は決して多くない
えっと、まず、年に一回くらいの海外旅行は全然珍しくない。「そんな時間よく持てるよね」という意味も含まれていたかもしれないが、持てる。実際に持てる。忙しいとはいえそのくらいの休みは取れる。私は子供が生まれてからはなかなかそうはいかないけどやっぱり年に1回か2回は海外行ってました。

2. お金がなくても海外には行ける
そりゃもちろん所持金5000円とかじゃいけませんよ。でも普通に働いていて月20万くらい稼いでいる人なら余裕で海外行ける。海外旅行自体を遠い存在に感じている人にとっては一回の旅行でものすごい額が使われるように思うかもしれないが、旅行の仕方次第でどうにでもなる。第一、行き先にもよるけど例えばアジア諸国に行こうとすると航空券は国内のほうが高い。そして一泊ほんの数千円で泊まることができる。

とりあえずこの2点は突っ込みたい。当時、親から仕送りも減らされ貧乏学生だった私でも年に2回はイタリアに行けていた。学生だからピーク時を避けられたというのもあるけど。バイトして数万貯めたらすぐに航空券を買っていました。優先順位をつければお金はなんとかなる。

たぶん海外旅行にあまり行く機会のない人にとっては、年に1回海外に行くと聞いただけで「おおすげえ」となってしまうのだろうけど、いやいや、たぶんまともに国内旅行したほうがお金かかるよ、って場合もあるわけで。

だから単純に「海外旅行」=「贅沢」と考えている人には「違うよ」と言いたい。そもそもそこで得るもの、経験、体験はお金に換算できるものではないし。まあそれでも「いやいやそうは言っても」という答えが返って来る人はいっぱいいるんだろうな。私の親なんかもそう。

ようは、行動に移すだけの気持ちがあるかどうか、である。それを勇気と呼ぶのかもしれない。優先順位をつけてパパパと動かないと人生はあっという間に終わってしまう。

さて明日からこどもを連れて短期間ですがまた実家に帰ります。こどもにとってはなんと17回目の飛行機。ちなみに1歳8ヶ月。すごいなおい。

Tuesday 1 May 2018

人のことはその人にしかわからない

腹がたつことなどいろいろあったとしてもやっぱり他人は変えられないので他人は他人だと思うしかない。私のことは私しかわからないし、他人のことはその人にしかわからないのだ。わりきれば感情的にならずに済む。

というのをこの前友達と話してあらためて「そうだよな」と思ったので一応メモ。

やれやれきょうも疲れました。疲れたことは疲れたけど、終日こどもの世話をしている時とはだいぶ違う。少なくとも大人と話せる時間があるのは良い。

Monday 30 April 2018

4月が終わる。頭痛。

わー、だいぶ時間があいてしまいました。もうすぐ4月が終わろうとしている。今日が最後の日か。

4月はやっぱり忙しかった。慣れないことが多くなるとどうしてもいつものような動きはできなくなる。ひと月経ってようやくこどもは保育園に慣れてきたし私も新しい年に慣れてきた。それでもやはり毎日の疲れは相当なものがある。

四月の第二週だったか、頭の左がひどく痛くなった。1日目、朝起きたときにおかしいと思ったのだがその日はなんとかそのまま乗り切った。寝れば治るだろうと思ったのだが翌日になってもまだとれない。朝はましだったがその後午後から凄まじい痛みに変わった。ろくに食べれない。痛すぎて他のことが何もできない。横になってようと思ったが痛すぎてまったくリラックスできない。痛くて涙がたらーっと出てくる。

これはもう緊急事態だと思い職場からタクシーを呼んで病院へ。以前、脳波の検査をしたことのある大きめの病院へ行った。だいぶ待った。そして判明したのは結局「コリ」から来るもの、ということ。まじで?と思ったがCTスキャンまでとってもらって結局まじであるということがわかった。昨年八月、仕事復帰した直後に首の左側が痛くなって首が回らなくなったことがあったが結局それと同じようなことが頭部で起きているということらしいのである。なんと。肩こりからくる頭痛というのを聞いたことはあったがまさかここまで痛いとは思っていなかった。

前回8月はこどもを預け始めたばかりだったし今回は新しい保育園に預け始めたばかり。やっぱり子供を預けながら働くというのは大きなストレスのかかることなのだなとあらためて痛感した。

頭痛とは別にものすごいイライラすることも多かった。抑えきれないイライラが発生するとどうしたら良いかわからなくなるけどとりあえずその場を離れるしかないと思う。先日久しぶりに友達に会ったり合気道に行ったりしたら、そういえば家族と職場以外の大人とまったく話していなかったなということに気づいた。イライラの原因はそこにもあったかもしれない。

Saturday 7 April 2018

たった一週間しか経ってない

ふう、週末か、ようやく、と落ち着いていったん考えてみたら、実家から帰ってきてまだ一週間なのである。たったの?一週間?実際のところ実家から帰るといつも「まだ一週間しか経ってないの」と驚くのだが今回は特に長く感じた一週間だった気がする。たったの一週間か…信じられない。ものすごいいろいろなことが起こったということなのだろう。実家にいたのがもう遥か昔(二週間くらい)のことのように感じる。

そして、ようやく週末だ〜と思ったけど、なんと仕事にはたったの三日しか行っていないのだ。しかも、そのうち二日は早めに退勤した。三日の出勤でこれほど疲労を感じるとは。

新生活なのである。職場も変わらないし、住所も変わらないのだが、これはきっと新生活のストレスとプレッシャーということなのだろう。特に、こどもが保育園を移ったことが大きい。これは、本人はもちろんのこと、我々家族全員にとって大きな変化である。こども本人にとってはもはや試練であり、親はそのストレスを受け止め、理解につとめている。なるべく生活をととのえて、安心感を与えてあげたい。そうしながらも親にだってやらなければいけないことはあるわけで、こどものことばかり考えてもいられない。そんなわけで今週はみんな疲れた。

こどもとべったり過ごしながらも、クエン酸(粉)のボトルをあけて床にぶちまけられたり化粧水のボトルをあけて床にぶちまけられたりするとさすがにこちらも限界がくる。泣きたくなる以前に声も出ない。きのうとおとといに実際起きたことだけど。

ともあれ、ものすごい勢いで成長しているのがわかる。そういえば前回の投稿に加えて「あめ!」というのは「本をもう一回読んで」ということらしい。「あみ!」に聞こえるときもある。まさか命令形で「よめ」と言っていてそれが「あめ」になっているとは思えない。謎だが、シチュエーションは決まっていて、本を読み終わってもう一度読んでほしいときに出てくる言葉。

ようやくいけた1歳半の健診で、身長が84cm、体重が11.4kgということがわかった。2ヶ月くらい前には80cmだったと思うのだが。どおりでいろいろなものに手が届くわけだ。

今朝は5時半ごろ起こされてしまったので眠い。きのうとおとといは新しい保育園に3時まで預けてみた。しかしまだ昼寝ができずにいるために、夕方になるとウトウトしてしまい、夜は早く寝てしまい、その代わり朝早く起きる、という調子だ。睡眠が安定していない。きょうは家で昼寝をさせたが、この調子だとなかなかきついだろう。保育士さんによれば「まだ布団は許さないぞ、という感じです」だそうだ。そう簡単に布団でお昼寝はしないらしい。まあ確かに慣れていない場所で眠るのは大人だって難しいからねえ。これはもう少し時間がかかりそう。

Thursday 5 April 2018

こどものことばのメモ

こどもの言葉がどんどん増えてきているのでメモ:

あーまね(友達のこと)
あーた(あおちゃんのこと)
ばばい(バイバイのこと)
ぴっちゃ(ピッツァのこと)
ぱちゃ、或いは、ぱた(パスタのこと)
ぱんぱん、或いは、ばんばん(パンのこと)
どーぞー(どうぞのこと)
しし(おしっこのこと)
びび(水のこと)
びび(ブルーベリーのこと)
うぃうぃ(キウィのこと)
わんわん(犬のこと)
だーい(ちょうだいのこと。ジェスチャーつき)
み(食べ物が料理されているところをみたいから自分を持ち上げてそのフライパンの中をみせてくれということ)
ない(ない、しない等すべての否定語)
あった(なにかがあったということ)
ばい(バイクのこと)

その他、やたらと「はい」がうまい。いつでも誰にでも言うわけではなくて返事がもとめられている時にかぎってとても短く「ハイッ!」と答える。ときどき「はーいっ!」上げ調子でいうのも面白い。一体誰をどう真似しているのだろう。

電話の真似も相変わらずうまい。というか進化している。これは上記の「はい」とはまた異なった言い方でいかにも電話っぽく「あい、あいあい、あい」と相槌をうつように発する。よく大人を見ている。

それにしてもなぜ水を「びび」と言うのだろう。つい私も言いそうになるくらいだ。

Wednesday 4 April 2018

新しい保育園、移動による刺激

認可保育園に移って3日目。かわいそうなくらいに泣き叫ぶ毎日である。口の形が四角になるまで泣いている。ここまで泣くとは想像していなかったのだがきっとじきに慣れると思う。きょうの帰りは、私は迎えに行かなかったのだが、階段ぎわの柵のところにしがみついて外に出たがっていたらしい。そういえば昨年7月、認証保育園に預け始めたときもそうだった。友達もおらず、ずっとドアに張り付いてそこから出られるのを一日中待っていた。そうしているうちにドアのところで目の際を切る怪我をしたんだったっけ。そういうこともあった。

当時に比べて今はより泣きが激しいのだが、無理もない。当時は0歳11ヶ月。今は1歳7ヶ月なのである。色々なことがより分かるようになってきている。環境が一気に変わったことへの戸惑いがないわけがない。大好きだった先生も、仲の良かった友達ももういない。場所や建物が変わったばかりか、周りはすべて知らない人なのである。仕方がないのだ。

これはこれで受け入れるしかないし、私も働かなくてはいけないのであっさりと「じゃあね、元気でね」と挨拶して去ることにしている。1歳7ヶ月がいま直面している最大の試練なのである。

ところで3月末から一週間、私の郷里にこどもを連れて帰った。1歳7ヶ月にしてなんと8往復目の飛行機である。つまり、15、16回目(国際線含む)。違った環境に身を置くとやはり本人にも刺激があるし、親である私にも刺激がある。ずっと同じ場所で同じことを繰り返しているとだんだんきつくなってくるしマンネリ化してくる。まあそれも仕方ないことなのかもしれないけど何ヶ月かに一度そこに刺激を与えるとなにかがコロっといい方向に転がる場合がある。私はそう信じているし実感しているので休暇が取れたら少なくとも一週間は別の場所に身を置いてみる。というのは別に子供が生まれたから始まった週間というわけではない。こどもが生まれる前も休みがとれるたびに海外に行っていた。海外に行くというと「いいねお金があって」とよく日本人は言うけど、いやいや少し(例えば10万)もあれば十分に旅ができるんですよ。それって仕事のある人であれば貯められる金額であって別に贅沢でもなんでもない。えーっと話それましたけど、やっぱり東京を親子揃っていったん離れたのはよかった。やっぱりいい変化がある。いやもちろん自然が多くてたくさん遊べるというのはあるけど、もっと小さなことでも。たとえばごはんを食べさせるときにいつも使っているエプロンをあえて持って行かなかったのだがその場でごく普通のタオルを使ってエプロンにしたらそれが食後のテーブル拭きまで役にたつことがわかってナイロンのエプロンを洗う手間が省けて少し楽になった。いやもちろんそのくらい東京にいたって考えられる案なのかもしれないけどルーティーン化してしまったらもはや変えるという考えすら浮かばなくなるのである。疑問さえ持たずに同じエプロンを使い続ける。そしてなんてことない移動によって別のやり方が採用されることがある。たとえばこんなに小さな刺激でも子どもにも私にもいい影響を及ぼす。

そしていったん離れてみることによってものごとの見方が変わってくることがある。海外に出ることなんてその意味ではとても大きい。だから一時的な「いくらかかった」というのは時間がたつとほとんど関係なくなる。

さてきょうも疲れました。寝るとします。

Wednesday 21 March 2018

「スタイルよくて羨ましい」

寒い。3月21日なのにこんなに寒い。きのう寒かったからきょうは少し暖かくなるかなと期待していたけど変わらない。しかも小雨が降っている。こんな春分の日もあるのだ。

さて。faceboookを見ていたら誰かの写真に対する誰かのコメントに「スタイルいい〜 うらやましい」と書いてあった。いやそんなのどこにでもあるコメントなんだろうけどなんかこれが、こう、ひっかかるものがある。

まず1点目、ここでいう「スタイル」という言葉は和製英語だ。手脚が長くてウエストがくびれていて…というような身体的なバランスの良さについてstyleとは言わない。はいでは辞書をひいてみよう。そうすると「様式、型、形式、流派、暮らしぶり」と出てくる。やっぱそうだよね、うん、だから「スタイルがいい」と聞いたり見たりすると、かっこいい生き方をしている、とか、自分にあったいいものをうまく取り入れている、とかそういう感じに聞こえる。少なくとも私には。でも和製英語の意味も知っているから「ああそうかこの人は身体的な分配のバランスの良さについて言っているのだな」といったん脳内で修正する。正しく広まるためにはやはりまだまだ時間がかかりそうな言葉だ。

そして2点目、「羨ましい」ということ。他人知人友人が身体的に美しくてそれが「うらやましい」というその感覚がどうしても理解できない。手脚が長くて顔のきれいな人はもちろんたくさん知っているけど「うらやましい」と思ったことはない。「自分もそうなりたい」ということだろうけど、こうやって「うらやましい」と聞くとその人が、自分もそうなるための努力もせずに「いいなー」「恵まれてるね」「あんたラッキー」「それに比べて私はこんな感じに生まれちゃったんだよ」「だから自分はどうしようもない」「がんばっても変わらない」と、もはや無気力にうらやんでいるように感じてしまう。何の努力もせずに。言い過ぎですかね。

でも、だって、他人なんですよ。自分は自分なのに。「そうなりたいと憧れる」ならわかるけど。他人のことは他人のことで放っておけばいい。自分には自分の頭と身体と人生、生き方がある。そこを分けて考えられないとなると人生羨んでばかりになってしまう。「お金があってうらやましい」「イケメンの彼氏でうらやましい」「英語ペラペラでうらやましい」。巷にあふれるこういう言葉は、やっぱりひっかかるのである。

Monday 19 March 2018

「機嫌は自分でなおすものだよ」

ツイッターのアカウントは保持しているがもっぱら閲覧用であり特に発信することはない。だったら意味無くないかと言うといやそれが意味あるんです。閲覧しているあいだにときどき自分に「ぴたっ」とくる言葉があるのでやっぱりやってていいことはあるものだな、と。

そこでようやくタイトルに戻る。

「機嫌は自分でなおすもの」

いつだったか、そして誰のツイートだったかも忘れたけどそういうことが書いてあった。つまり誰かに「大丈夫?」と言われて機嫌をなおしてもらうようなことを期待してはいけないと。それができなかったからお母さんは大人になってからたいそう苦労しているんだよ、みたいなことを自分のこどもに向かって言った、という内容だったと思う。

まあ当たり前のことなんだけどこれが妙に「ぴたっ」とはまって、それ以降機嫌が悪くなるとこの言葉を思い出すようにしている。目の前にいる人やものの存在は実際のところ私の「機嫌」とは関係がない。あるように感じるけどない。だから機嫌が悪いのは別に誰のせいでもない。そういう場合はそのままにしていたら誰かを傷つける可能性もあるので限界だと思ったらその場を離れるしかないと思う。(逆に、あきらかに誰かのせいであればそれを直接言うなりして解決策を探ることができる。というかそうするべき。言わないと永久に歩み寄れない。)誰のせいでもないよな、と思ったら機嫌がなおる努力をするべき。さっき書いた「その場を離れる」以外にどういう方法があるか?

・体を動かして汗をかく
・シャワーを浴びる
・アルコール摂取

いずれにせよ「水」に関係している気がしませんか。水の力ってやっぱりすごいんだと思う。アルコールはちょっと違うかもしれんけど。「水に流す」という言葉のとおり。

そして最終的には:

・睡眠をとる

これに限る。機嫌が悪い原因の一つは睡眠不足からくる疲れである場合が多い。そう、そうなんです、疲れているんです。これだけ客観的に考えられているんであれば、今寝ない手はない。ということでおやすみなさいませ。

Thursday 15 March 2018

もめんやまきのの実力

ブログを書く時はたいてい文章を書いてから最後にタイトルをつける。ところがきょうは逆です。もめんやまきのの実力。この一文が先にうかんでいた。これについて書くぞ、と思って、はい、今から書きます。

きょうは午前で仕事を終わらせ、4月からの認可保育園のためのシーツのための布のための…布、を買いに行った。いや正直なところ本当に見つかる自信はなかった。下北沢のユザワヤは小さくてあまり生地の種類がないということはわかっていた。だから明日、吉祥寺のユザワヤで最終的には見つけるつもりでいた。というわけで今いちど、一応、下北のユザワヤに行ったがやはりピンとくるものはなく。まあいっかと思いながらエスカレーターを降り、5階のダイソーと3階と2階のユニクロを見学して帰る。

そしてまだ時間があったので北口の生地屋さんまで行くことにした。これが「もめんやまきの」である。どこでも見たことないような生地を売っていたりすることがある。個人的にはユザワヤのようなどうせ潰れたりすることはなさそうな店よりも小さい店を応援したくなるのでちょっとした手芸用品(糸など)でも、こういうところで買ったりする。

そしてきょう、運命の生地(とまで言うと大げさかもしれないが)に出会ったのである。めちゃくちゃかわいい。車がかなり大きな柄で使われているが、子供向けというより大人向けである。かわいいと同時にかなりクールである。これでカーテンとかクッションカバーとか作りたい感じ。

私の前にいたアメリカ人(ぽい)カップルが大量に布を購入していたのでかなり待った。それから保育園のシーツの話をしたら、店員さんはものすごく詳しく作り方を説明してくれた。小さい紙を、布に見立てて、ここをこうやって切る、という具合に。そしてどの生地だとどういう利点があるかという話もしてくれた。そもそもミニふとんカバーがすでに作成、展示されていた。

そして私の選んだ生地について「これね」と話し始める。なんと20年以上前の代物らしい。もはや日本中探しても残ってないかもしれない、とのこと。おおおユザワヤにあるわけないよね。「あれこんなのがこんなところに」と思って、店に出してきたばかりだそうだ。「ウッドストック」と言っていたけどそれって何だろう。聞けなかった。40~50歳の男性店員だが、とにかく詳しい。作り方も、生地の種類もものすごくよくわかっている。これぞ布屋さんである。もめんやさんである。

たぶんここにはお得意様がたくさんいるんだろう、と思いながら「もめんやまきの」と検索してみるとなんと昭和29年からずっとある店だという。うおおおお。こういうの大事にせないかんやん。下北はどんどん変わっていって、小さな店がどんどん立ち退いて「クリーン」な感じになってきたけど、このごちゃごちゃ感、失うまじ。なんとしてでも残ってもらわねば。ますます「贔屓にしよう」と思ったのでした。

Tuesday 13 March 2018

「でんきつけてよ」

暖かくなるかな〜と期待しながら朝窓を開けるとまだ空気が冷たい…ということをこの一週間くらいずっと繰り返している。なかなか「春だ〜」とはいかない。明日こそ、どうでしょうね?

ちょっと今週は忙しい。やることが片付き次第ヒマになるはずなので集中して頑張ろうと思う。四月からまた新しい年が始まる。すでにワクワクしている。

こどもの変化をメモ:

寝るために灯りを小さくするとギャアギャア泣くようになってしまった。怖いのだろうか。

そのことで、どうしてもわからないことが一つある。立ち上がって、灯りを指差し、一生懸命何か言う。この、あかりを消して号泣、というパターンを繰り返すうちに、どうやら毎回必ず同じことを言っているということに気づいた。「ちしゃ!」か「ちさ!」か「きさ!」みたいに聞こえる。電気を指差して涙を流しながら「ちしゃ!」。んー。何だろう?一体なんて言っているのだろう?消したときだけ言うこのセリフ。不思議で仕方ない。いやもちろん「でんきつけてよ」って言ってるのに違いないだろうけど、読み解きたくて仕方ない。気になる。そのうちわかるようになるのかもしれないし今だけの発話なのかもしれない。レコーディングしたいなと思うけどこどもがギャンギャン泣いているときにその余裕はない。

きょうはちなみに、その立って指差しているときにそのまま抱きしめてあげたらすーっとおとなしくなって落ち着いた。相当疲れていたらしい。

Friday 9 March 2018

薬漬けの一週間

今朝、窓を開けるとむわっとした空気が入って来た。なんだこれは、熱帯かと思うくらいの湿気。そして気温が高い。部屋のほうが断然寒く感じられる。おいおいいきなりこんな天気かよと思いながら朝の支度をする。こどもに着せる服も少し薄めにした。こういう湿度の高い天気は嫌いなわけじゃないんだよなとブログを書こうと思っていたその数時間後、郵便局を出たとき肌にあたる空気がひんやり冷たい。あれ、気のせいかと思ったけどやっぱり寒いよねこれ。おいおい。体調崩すよこんなんじゃ。

事実、体調がすぐれない1週間だった。別にこの空気のせいだけじゃないだろうけど。まず月曜日に親知らずが痛み始めた。三年ぶりである。三年前に比べるとだいぶマシだとは思ったが、はっきり言って何も手につかない。同僚が痛み止めをくれた。その日は歯医者にもいかずそのまま7時ごろ寝た。翌日、歯医者に行って痛み止めと抗生物質をもらう。

そしていつ頃からか咳が出るようになっている。最初は痰の絡んだ感じの咳なのでまだマシだったが昨日ときょうあたりは結構ひどい。じっとしていると大丈夫だけどいったん咳し始めたら終わり、みたいな感じ。わかりますよね。ツボ?にはまると止まらなくなる感じ。去年の夏に1ヶ月以上つづいた咳のときにもらった薬をとっておいたのでとりあえずそれを飲んでいる。

それから花粉症。こちらはそれほどひどくはない。ただし薬は飲んでいる。

というわけで薬漬けの一週間なのである。一緒に飲んではいけない組み合わせもあるかもしれないが、どれも、飲まないわけにはいかない。早く良くなれー。

Wednesday 7 March 2018

私の言っていることがわかっている

東京は寒い。1日あたり、あったかくなったかと思ったのだが急にまた寒くなった。親子そろって鼻水たらして咳してます。

こどものこと。こういうのすぐメモしとかないとあっという間に忘れていっちゃうなと思うので。思いつくがままに。

最近「あれ、今私の言ったことが通じた」という瞬間が増えて来ている。つい先日、夕飯後に「ほら、本とっておいで」と言ったら一瞬私の顔をじっとみてそれからトコトコと本棚に歩いて行き、本を取って来た。(ちなみに「バーバパパ」。)えっなに私の言ったこと分かったの?と思って感動したんだけど同時にちょっとこわいというか、うーん、こわいって言っちゃなんだけど、そんな感覚を覚えた。これまでずっと言葉の通じない人として応対してきた相手がスッと動いたわけだから、ちょっとギョっとしたというか、呆気に取られたというか、まさか、というか。そんな不思議な感じがした。

ほかにも:

・朝、オートミールを作る時に「ブルーベリー入れよう」と言ったらサッと冷凍庫に手をかけてブルーベリーを出そうとした。

・きょう夕飯中に、「今朝、咳止めシロップのキャップをおちょこみたいにして飲んでて面白かったんだよ」という話を相方にしていたらその「シロップ」という単語を聞いてかどうなのか、ハッと気づいたように夕食を食べる手をとめて椅子から降りようとする。どうしたのかと思ったらシロップの入った棚のほうを見ている。「今、飲みたい」ということに違いない。

そして分かっているのは今だけじゃなくてもっと前からわかっていたはずなので、やっぱり子供に常に話しかけようというのはすごく理にかなったというか正しいことだと思う。そうかこういうことだったのかと最近思う。

(ここで言っているのは「言うことばが分かっている」ということであって、その他の行動についてはまた別。たとえばきょうバナナを食べたあとに残った皮を自分でゴミ箱のほうまで持って行った。それは「ことばがわかっている」というのとは違って、ゴミはここに捨てるらしいというのを学んでいるということ。)

Sunday 4 March 2018

いっさいはん

「いっさいはん」という本がある。かわいいイラスト入りで、子育てをした人は特に「ああ、あるある」と笑える本。我が子もついにその「いっさいはん」になったが、もはや笑える状況にない。「この時期は自我の芽生えが〜」とはよく言うものの自己主張の激しさにとことん参っている。少しでも自分の思い通りにいかないとここぞとばかりに泣き出す。たとえば:
・扉を開けようとして「ダメ」と言われて閉じられる
・食べようと思ったものが熱くて食べられない
・寝たくないのに寝る部屋に連れていかれる
など。

まあそれで泣くことはもちろん今までもあったのだが泣き方が尋常じゃない。声の大きさにしてもねばり方にしても。だいたい今までは諦めるかほかの興味深いことを見つけて泣き止んでいたが、最近は10分でも20分でもその場から動かず大声で泣き続ける。こちらが無視して洗濯物を片付けたり食器を洗ったりしていても、こっちに来ることはない。いつまでも(例えば玄関に)立ったまま泣き続ける。さすがに参って「こっちおいで」と言いに行っても動かない。そして突っ伏して泣く。「orz」の図そのままである。「う〜う〜」とまるで絶望の淵に立たされたかのような泣き方をする。これをもし公衆の場でされたらたまったもんじゃないなと思う。無理やりその場を動かそうとすると、全身で私を拒否する。ここまで大きくなると本当に力が強いのでもはや敵わない。全身のバネを使って私の手を逃れようとする。(なので時々ほんとうに危ない。)どうしようもなくてこちらも絶望的になる。

ハッと気づいた。もしかしてこれがイヤイヤ期ってやつか。2歳ごろとかなんとなく聞いたことあったからきっとまだまだと思っていたけどたぶんこれは突入しているのだ。2歳ごろてことは1歳半も含まれるかもしれない。区の施設にいる保育士さんに「しばらくママにとっても大変な時期が続きますけどね〜」と言われた。子育て本などを参照にしなきゃいけない時期が来るのかもしれない。今までまともに読んだことはなかったけど。だけどきっとどの本にも「ないものはない」「ダメなものはダメ」でいこう、ということが書いてあるのではないかと思う。つまり親の信念を曲げないようにしましょう、的なことが。

ついでに昨日(3/2と3/3)のことをメモ。

3/2
3時ごろ職場に電話があり「38度熱があるので迎えに来てください」とのこと。行ってみると意外と元気で、その後もずっと36度代。お風呂には入れずに6時すぎには寝せた。

3/3
いつもよりちょっと遅めに起きた。7時過ぎだったと思う。すこぶる元気なようだが一応小児科へ。ほかの要件もあったので。それからいつもの子育て支援施設へ行き、ピッツァを食べに行った。12時半ごろ昼寝をするかと思ったがしない。珍しい。たぶんほんの少しだけ寝たんだと思う。それでスッキリしちゃってそのあとまったく寝ようとしない。それから案の定夕方6時ごろには眠そうになったので7時前に寝せた。

そのあとのこと。8時半ごろだったか一人で部屋でパソコンをしていると「バン」とドアの音がした。一体何が起きたのだろう、外から誰か入って来たのかと思ってビビっていると、たたたたと足音がして無言でこどもがやって来た。少しも泣かない。無言。怖いくらいだった。もんのすごいびっくりした。だって今までこんなことなかったから。無言でここまで移動してくるなんて。それからあと、どうやら暗がりが怖いのか、布団に戻りたがらない。それどころか洗面所に立ってずっと一点を指差している。一体この人には何が見えているのか?何か取ってほしいのかと聞いてはみたがよくわからない。部屋に戻そうとすると大泣きして逃げ出す。仕方がないので洗面所で抱っこしたまま寝せることに。そこから移動すると目を覚まし、怯えたような目で泣き、また部屋を飛び出す。最終的には部屋の電気をつけたまま寝せた。

やれやれなのである。この土日、げっそり疲れた。毎週まいしゅう「こんなに大変だっけ」と思っている気がする。保育園すごい。ほんとうにすごい。あしたはいよいよ保育園…。ああありがたい。さて寝よう。

Friday 2 March 2018

目がかゆいときに目をかかないための策

3月になった。今年の冬はいつにも増して長く寒い冬だった気がする。本当に気のせいかもしれないし、毎朝こどもを預けながら働きに出るその過程が空気の冷たさをより感じさせたのかもしれない。いずれにせよ「ようやく春か」という気持ちになる。

そう、春なんです、ということは花粉症の季節。去年も一昨年もそれほど花粉症の影響は感じなかった。しかし今年は「来たな」という感じがする。薬も飲んでいるが目のかゆさはどうしようもない。目に触ったら終わりなのだ。「さわったら終わり、触ったら終わり」と心のなかで呟きながら1日を過ごしている。具体的には昨日と今日。刺激を与えるともっともっとかゆくなる。

手で触れないようにするにはどうすればよいか:

1.アイメイクを施す

これが一番手軽だ。せっかく完成したアイラインやマスカラを無残に崩すわけにもいかないので自然と目に手をあてるのを避ける。

2. メガネをかける

物理的にバリアをはるわけだが、これはメガネとってしまえば同じなので効果としてはうーんどうだろう

3. 運動する

いや運動というよりは花粉症のことを忘れられるくらいに集中できるスポーツをするということ。昨日は合気道に行って来たけどやっぱりその間はどこもかゆくないし鼻水もでない。それはそうだ。汗をかいて息が上がるくらいの運動をしているとはっきり言って花粉どころではない。

以上、3つの中からもっとも効果のあるものを選ぶとすれば、やはり3です。

ところでせっかく処方してもらった点鼻液がどこかにいってしまった。こういうとき真っ先に疑われるのは1歳半のこどもである。この前少し遊び道具として持たせたあとからなくなった。ような気がする。一番欲しいときに限って無いのだ。探し物は探さなくなったときに出て来るというのは鉄則だが探さないわけにもいかないのでさっきソファの下などを見てみたがやはり出てこなかった。仕方ない。諦めて寝るとする。

Wednesday 28 February 2018

貴重な平日休みは博物館へ

やや時間が空いてしもうた。その間に花粉が飛散し始めました。前回「眠い」と書いたのはおそらく花粉症の薬の影響かもしれないと思いつき、ここ数日は薬を飲むのをやめていました。

が、

それでもきょうは眠い…。そして症状はひどくなってきた。だからきょうは飲もうと思います、薬を。

さてきょうは仕事は休みをとった。年度末になってだんだんとやることが減ってきている。もう少ししたらまた増えるけど。

まずは歯医者にクリーニングへ行くというのが前から決まっていたこと。前回よりもよく磨けていますと言われて嬉しかった。それからどうしようか少し迷ったが天気も悪くないのでふらっと上野に出かけた。お目当てはパンダではない。国立博物館。特別展を見るわけでもない。常設展を時々こうやってみにいきたくなるのである。そもそも日本の美術館博物館は入場料が高すぎるのだが国立博物館はそれほどでもない。600円くらいで入れる。もう何度も行っているので同じ展示ももちろんあるが、実はちょっとずつ配置や展示内容が変わっている。季節によって表に出されるものが違うので、何度行っても見応えはある。

きょうは「おひなさま特集」がなかなか面白かった。

こういう、一人で過ごせる貴重な休みの日をどう使うかというのは大きな問題である。ちょっと自分磨きの時間にしたいと思うのは当然の流れだが、それを必ずしも「服を買う」「メイク用品を買う」「美容院に行く」につなげなくてもよい。自分磨きの方法というのはいくらでもあって、私の場合、きょうはメイク等表面ではなくてもっともっと内側からの「磨き」に時間をかけようと思ったわけです。本を読んだり映画を見たりという行為は即効性はないもののじわじわとその人の糧となっていくので最終的には「オーラ」の一つを作ることになる。そういう心の余裕ってとても大切だ。

こういうふうにサッと行ける身近で質の良い美術館、博物館がもっとあれば良いのにと思う。そういう意味ではニューヨークのMETは最高だ。滞在中2回も行ったけど、今もまた行きたい。なんてったって入場料は「いくらでも良い」のだ。

Tuesday 20 February 2018

眠い

うーむいろいろ書きたいことはあるのだが今日はとにかく眠い。昨日は代休できょうは久しぶりに普通どおりの仕事だったが、これが眠いのなんのって。昨夜いつもと寝る位置を変えてみたら予想どおり子どもが途中で起きてこちらの睡眠も妨げられるという事態に陥ったため睡眠不足がひどい。座っているといつの間にか目が閉じそうになる。突っ伏しそうになる。これは早く寝ろってことだね。

明日も特にやることがないので仕事は休むことにした。最近の休日出勤の代休ということで。さておやすみなさい〜

Saturday 17 February 2018

メンタルの強さとは勇気のことかもしれない

きょうは出勤だった。午前中で終わったので家へ。

午後1:30過ぎにフィギュアスケートを見なければと思ってはいたものの、こどもは昼寝中だし、そもそも何ヶ月もテレビを見ておらずコードが外れている。音も聞きたいのだがさてイヤホン差込口はどこかにあるのか…

などなどいくつかの困難を経てテレビをつけることができた。やれやれ、である。

そして、羽生くんおめでとう。これはすごかった。完璧ではないものの、金メダル。しかも二大会連続。鳥肌が立ったし、始まるときの羽生くんの表情を見て涙が出そうになった。いや、涙だったのかなんなのかわからないけどぐわーっとこみ上げてくるものがあった。この人すごいわ。

そこで考えたことです:

羽生くんの何がほかと違うって自分を「みせてる」感じがよく伝わってくるしそもそも自分の美しさを自分でよくわかっている。日本人って自分に自信がある人を毛嫌いするというかちょっと「気に入らないなあいつ」みたいな言い方することがよくある。(私の母親なんかもそうです。)だけどそれだと今日みたいな羽生くんの演技は存在し得ないですね。うざったいと思う人もいるかもしれないけどそんなことは気にしていられないし自分の「芯」があって周りの人に何かを言われた程度でそれを曲げるような人ではない。何かひとつ成し遂げる人ってそういうところある。自分自身に陶酔しきってしまえるほどに自分自身を信頼していて、自信がある。信じているからこそ湧き起こる勇気がある。(たとえばイチローなんてそんな感じする。)メンタルの強さというのはつまり勇気なのかもしれないなあ。精神的強さは誰かから与えてもらうものではない。もしかしたら誰かがそう育ててくれるのかもしれないけどやっぱり結局は自分のなかから湧き起こってくるものだと思う。勇気は立ち向かう力で、つまり誰がどう思うとかそういうのを気にせずに「ズバッと」動ける力。誰かと同じことをやろうとしても羽生くんみたいな人にはなかなかなれない。

だったらその勇気はどこから来るのか。やっぱり「基礎」ができてるからではないだろうか。基礎的な練習をただ淡々と行うこと。これを積み重ねたところに自信が生まれ、さらにそこから勇気が導き出される。自分と向き合う時間のなかで、自信を身につけていく。
それから苦境、困難にぶち当たってそれを乗り越えたという経験があるとなおさら強いわけですが。

きょうも昨日も羽生くんから勇気をもらった。見ているうちに「わたしもこうしちゃおれんな」みたいな気持ちになった。誇りを持てる仕事をしようと思ったし毎日一生懸命生きようと思った。自分の信念を大事にしようと。「あの人すげーな」で終わらない感動と勇気をくれたと思う。


ところで「ワンツーフィニッシュ」ということばが今日は飛び回っている。これ完全な和製英語だと思っていたらなんと英語でこう言うらしいです。しらなんだー。

羽生君メンタル強い

きのうは仕事だったがはっきり言ってやることは無かった。なのにその場にいなければいけないというよく分からない、長い1日で、同僚と「一体なんのために」と何時間も文句をたれつづけた。そんな中、ひとつ大きなイベントがあった:

「男子フィギュア鑑賞」

ひとりの同僚がテレビをつけたのでどうしたのだろうと思ったら羽生君の演技だという。ふだんテレビを見ないのでオリンピックやってることすら分かっているような分かっていないような、だった私は「ほう」と思って見ることにした。話をきくと、怪我のあとの復活なるか、という重要な演技らしい。結局その場にいた同僚全員で見た。

演技は完璧だった。ミスがひとつもなかった。この人のメンタルは一体どれだけ強いんだ、と思った。

演技もすごかったが私が印象に残っているのはコーチのいるところからリンクに行く瞬間の様子だ。「よしいくぞ」みたいな感じなんだろうけど「お、スイッチ入った!」と思った。別人みたいに切り替わったことが見て取れた。

強靭な精神力の人間というのはどうやったら育つんだろうなあと思った。

壁にぶちあたっても負けない心。
倒れても自分で起き上がる力。
困難に立ち向かう勇気。

今、子どもを育てている立場としてはやっぱり気になる。今までとは見るポイントが違うなと思った。

あまりスポーツ観戦はしないが、きのうの演技にはやはりこちらも勇気をもらった。くよくよしてられないですね。顔を上げて、背筋をのばしていこう。

Thursday 15 February 2018

第10回 恵比寿映像祭

昨日はまる1日仕事が休みだったので恵比寿映像祭に行ってきた。年に1度開かれる無料の展覧会で、第3回あたりから行き始めて今年でついに第10回。場所は恵比寿の東京都写真美術館。大規模な工事を経て、きれいになった美術館で見るのはこれで2回目になる。

今年のテーマは「インヴィジブル」。つまり、見えないこと。このテーマが展示作品とよく合っていた。今までにない一致の仕方だったのではないだろうか。子ども抜きでゆっくり見られたおかげでもあるかもしれないがとにかく面白かった。

7年前、最初に見たときはそれほど興味を持っていなかったのだが、ふと、その後、展示で見た光景がよく思い出されることに気づいた。しっかりと頭にも心にも残っているのだとそのとき気づいた。そんなこんなで今まで蓄積している「あの作品」はやっぱりよく覚えている。映像のインパクトというか力強さには争いがたいものがあるのだ。映画ともまた違う感じ。そんなこんなで7年間、いろんな映像が私のなかに蓄積されている。

こういうのがあるから東京はいいよなあ、と思わないわけにはいかない。だから東京はやめられない、と思った。

Wednesday 14 February 2018

一人の時間

朝、6時10分。静かに一人起き出して、さてゆっくりしようと思ったその20分後、こどもの声がした。布団を抜け出し追いかけて来ている。そんな簡単に一人の時間は作れないですね。まあそんなもんよね。

とても元気そうだ。食欲も変わらずある。熱は36.3℃。医者に行ってくださいとは言われたものの、これは行く必要ないと判断。そしてきっと連れてこられた医者のほうも特にやることはないに違いない。

いつもより遅めに保育園に送って行って、さてようやく一人の時間。きょうは仕事が休みなので、これから最優先事項である要件をひとつ済ませにいく。この季節の最優先事項。

天気は良い。近くの公園では梅の花が咲いている。ようやく春のにおいがしてきた。

Tuesday 13 February 2018

「お迎えをお願いします」

今朝は早くから出勤だったので保育園の送りは任せてひとり家をあとにした。そして午後、保育園から電話がありましたと事務から連絡。なんと発熱らしい。やれやれ。迎えに行ってもらって本人の様子を見るとこれがまあまあ元気である。そして熱を計ると36度台。

前にも何度か同じようなことがあった。送り迎えがしばらくできないときに、ふっと、まるで思い出したかのように38度の熱を出し、慌てて迎えに行くと実は大したことなかった、ということが。

3連休のあとでもうすこし家で過ごしたかったのかもしれないし、「もっとかまって」のアピールだったのかもしれない。そしてきょう午後「やることはすべて終わったけど残りは4時半からの会議だけだな〜 面倒だな〜 帰りたいな〜」と思っていた矢先の電話だったのでこれは私の気持ちをくんでくれたとしか思えない。さらに、明日私は仕事が休みである。

すべてわかっているのだ。この人は。

Monday 12 February 2018

預かってもらえるありがたさ

きょうは祝日なのに出勤でした。こういうの本当に困るんだけどみてくれる人がいるのでありがたや、ありがたや。

土日とも、こどもにつきっきりで過ごしたあとに仕事に行くと、これがすんごい息抜きなのである。いやそんなこと言っては仕事に失礼かもしれないけど、はっきり言って仕事のほうが何十倍もラクです。だいたいのことは予測できるし。やること済ませれば休憩だってできるし。

したがって、例えば子供が二人以上いて保育所等に預けずに家で面倒見る人なんて一体どれだけの仕事量なんだろう、と思う。それだけのことができればほかに怖いものはないよ、たぶん。それ以上に大変なことってなかなかない。やりがいに替えてもたぶん自由なさすぎて爆発するなあ私は。

「仕事と子育て両立、えらいね」といろいろな人から言われるけど、いやいやなんの、私は預かってくれる存在を確保しているわけで。朝8時から5時くらいはフリーなのですよ。(いや、仕事しているんだけど、それでもフリーだと思えてしまう。)保育園、本当にありがたい。

同僚の話によれば認証保育園とか私立の認可保育園というのはシーツを入れたりとかおむつの持ち帰りとかは無い場合が多いらしい。だから認可保育園に最近転園させたという人は「なんとシーツを親が入れてあげるんですよ!そして驚いたことにおむつ持ち帰りなんですよ!」と言っていた。

「え、それいつもやってますけど…」が私のこたえである。私の通わせている保育園は、認証保育園だけどそういうサービス的なものは無い。たいてい自分でやる。

それでも細かく見てもらっているし連絡もマメなので、「比べようはないけど、認証って手厚いですよね」とその同僚に言ったら「いや、今、その保育園の様子聞いたら、特に手厚くは無いですね笑」と言われた。

それでもこんなに「私って恵まれている」と毎日思っているくらいなので、たぶんどこに通わせても大丈夫な気がしている。

そんなこんなで疲れ切って昨日は9時前に寝てしまった。きょうもそろそろ寝る。

Saturday 10 February 2018

週末ピッツァの定点観測

9月、つまり仕事に復帰してから恒例となっていることがある。週末に子どもをつれてピッツァを食べに行くこと。顔なじみのレストランであり、行くようになってから何年も経つ。オーナーにもよく声をかけてもらい、「おまけしといたよ」というようなこともしばしばある。ちょっとした集まり、パーティー、友達と会うときにはよく使わせてもらっている。

この9月以降のピッツァ通いのきっかけはそもそも「お昼作りたくない」から来ている。育休中は毎日子供と一緒だったので土日の特別な感じはなかったしそんなに「作りたくない」を毎日いい続けるわけにもいかなかった。復帰してからは平日は保育園に預けているのでお昼を作る必要もない。ただ土日となったときに育休中と同じことをするだけなのにこれが面倒で仕方ない。そして、私もいいもの食べたい。

そんなこんなで始まったピッツァはもはや習慣となっている。文字通り「毎週」行っている。9月から今までに行かなかった日は、12月に40度の熱を出した日と、郷里へ帰った日くらい。

毎週、朝は子育て支援施設に行き、そこからまっすぐ電車でレストランへ向かう。どのくらいに出てどのくらいの電車に乗れば良いか、だんだんと感覚でつかめるようになってきた。毎週同じ時間に同じ場所を通るため、少しでも変化があるとよくわかる。

もっとも変化しているのは子どもである。レストランに通うこの数ヶ月の間に歩けるようになったのだから。毎週同じ席に座り、同じものを食べている。そうするとやはり変化に気付きやすい。

まず「レストランに来たのだ」「ピザを食べに来たのだ」ということを子供が認識するようになった。場所に近づくと「っつぁ!!」を繰り返す。それが「ピッツァ」を意味するのかどうかはわからないが少なくとも「これからなにか食べる」という興奮がみてとれる。

そしてスタッフの顔を覚えている。窯の火がめらめらしている方向に行くとピッツァイオーロ(ピッツァを焼く人)がいるというのもわかる。

きょうはドアが開くと同時に、一番のお客さんとして子どもが入った。自分の足で、歩いて入って行った。食べる前と食べた後は自分から厨房のほうへ歩いて行きピッツァイオーロに挨拶をしていた。

9月の時点ではしっかり抱えてないといけなかったのに。そもそも靴さえ履いていなかった。

私もだいぶ慣れてきたので「泣いて暴れるかも」とか「皿を落として割るかも」とかいうような心配はまったくしなくなった。ひざに子供を乗せて、ちょっと遠いところにピザを置いて、切り分けてあげる。そのときにどれくらいの距離が必要かも感覚でわかるようになった。

持ち物もそんなにいらない。朝9時ごろ、遊びに連れて行くときにバッグに入れるのは:

・財布
・携帯
・鍵
・おむつ1枚
・おしりふき
・替えのよだれかけ2枚

そしてポケットにPASMO。

これだけである。それでも困らない。「いざという時」のための「モノ」類はなくても困らないということがわかっている。

もはや「訓練」である。毎日ストレッチをしたり基礎英語を聞いたりするのと同じ。規則正しい生活を送るのと同じ。リズムがひとつ作られているのだ。

そもそも子供向けのレストランではない。騒いでも良いように作られている場所とは違う。だからもし騒ぐようであればこんな小さな子供は連れていけないと思う。そうなると子どもが小さいうちは、自分一人でない限りまったく外食ができなくなってしまう。いやいやなんとかして外食できるはず、と、育休中、そして育休明けの私は思ったに違いない。(だから育休中からやたら外に連れて行っていた。)そして1歳の誕生日にピッツァを食べに連れて行ったときに上手に手づかみで食べていたのを思い出し、ほかの料理だと面倒だけどこれならストレスなく手軽に食べさせられるということに気づいたのだ。

食べた後に電車にのって帰るが、これがだいたいの場合12:10ごろの電車。ゆっくり家へ帰ると、遅くとも1時には眠りにつく。泣きわめいたりすることもなく、ふとんをしいてあげるとすーっと寝入る。そこから3時まで眠る。こうすることでお互いにストレスなく、週末を過ごすことができる。

リズムがすべてなのだ。いつも同じ時間に同じことを淡々とする意味は、時間が経たないとわからないし効果も見えない。

それにしてもピッツァ一枚では足りなくなってきた。以前は、(六等分されたうちの)せめて二切れくらいは私の口に入っていたのだがここ最近は「みみ」の部分だけしか食べられていない。あとは、あっという間にこどもの口に運ばれて行く。ワインとサラダがせめてもの救いだ。きょうも、かろうじてモッツァレッラを少し食べられたけど、あとは「みみ」だけでした。これも定点観測からの気付きの一つ。いやはや。

Tuesday 6 February 2018

忙しいアピール

「忙しい」のアピールはあんまりかっこよくない。「マジ忙しい」とか「忙しすぎて返信できなかった」とか聞く(し、わたしも言う)けど、これって自己満足に過ぎない。それを言われた側は「で、どうしろと」としか言いようがない。自分を忙しくしているのはほかでもない自分自身なのである。

そして「忙しい」のは「私の人生充実している」の裏返しなので、忙しいのをアピールしながら実は自慢しているのだ。これは本人も気づいていない場合もある。「やることがない」よりは忙しいほうがずいぶんましなのである。英語だとkeep someone busyという。あれ、最近どこかでこの話題を読んだ気がするんだけど。ラジオ英会話?うーん、忘れた。忙し過ぎて忘れた。

さて。昨日ときょうは実際のところ忙しかった。出張が2日続いたのだ。しかし、昨日は午前中で終わったので友達の家でお昼をご馳走になってきた。そしてきょうは早めにあがって保育園に迎えに行き、そこから認可保育園へ面接に行った。

こうやってこなすべきことが立て込んでいる場合は、頭の中でスケジュールを整理しながら、前もってあらゆることを準備する。そしてとにかく早く寝る。連日忙しくなる場合は特に。体調を崩しては元も子もないから。

ところで認可保育園の面接は無事に終了した。子どもはまるでずっと前からこの園にいたかのようにすぐに馴染んで大はしゃぎで遊んでいた。初めての場所で緊張するかと思いきや心配いらなかった。子どもの適応力はすごい。

Saturday 3 February 2018

料理プロのママ友

またしても楽天のワナにはまり、買わなくても生きていけるものに手を出してしまった。ウェブサイトを閲覧し始めたら止まらなくなる。物欲はそれほどないと思っていたが、子供が寝てからのネットサーフィンとネットショッピングが楽しみの一つになりつつある。普段一人で気軽に買い物に行けないぶん、そのストレスをここで発散しているかのようだ。

きょうは朝から晴れた。よかった。こどもを連れて区の施設へ。そこで「ママ友」に偶然会い、「きょう旦那いないからうちくる?お昼一緒にどうぞ。なんもないけど」と言われて、喜んでお邪魔して来た。何もないけど、と言われても、いいものが食べられることは知っている。何を隠そう、彼女は元、料理の先生なのである。ただの料理上手ではない。プロなのだ。プロ。

あっという間に出来上がったのはなんと「味噌煮込みうどん」。美味しすぎる。こんなの手作りで食べたことなかったと思う。たぶん。それから「昨日の残りでごめんね〜」と出されたのが鯖の蒲焼。どこかのお惣菜を買ったのかなと思ったけどまさかそんなわけはない。「これは鯖を小麦粉つけて焼いて、味つけるだけ」と、いとも簡単に言っていたけど、蒲焼って家庭で簡単に作るものなのか?我が子の皿に出されて3秒後、鯖は消えていた。そして私の鯖も半分以上こどもに食べられてしまった。

世の中には色々な人がいる。そしてそんな人に出会えた私は幸せ者である。

刺激されて自分も料理に熱が入る…なんてことにはなっていない。未だに。

Friday 2 February 2018

鬼に立ち向かう

きょうは朝から雪が降ると聞いていたので心の準備はできていた。そして様子をみながらゆっくり出かけようと思っていた。いつもより遅く出て、大変ではあったがこどもを前に抱え、後ろにはリュックを背負い、長靴をはいて傘をさして出た。仕方ない。こうするほかどの方法も思いつかなかった。仕事には電車で行った。

結局その後雪は止んだので積もることもなく、仕事から帰るときは自転車を使うことができた。まっすぐ保育園へ。

「きょうは節分の豆まきだったんですけど、鬼が来たらみんな怖がって保育士の後ろに隠れてたんですけど、○○(うちのこども)だけ果敢に鬼に立ち向かって行ってました〜♪」との報告を保育士さんから受けた。想像して爆笑した。いいぞいいぞー、たくましく育ってくれ。

Thursday 1 February 2018

仕事が楽しい

仕事が楽しい。こんなにやりがいのある仕事がほかにあるだろうか、と思う。自慢のように聞こえるかもしれないけど、そうですね、ほかでもない自慢です。

先日、友達と話していて気づいたが、給料のためにやっているというよりは楽しいからやっているという動機のほうが強いようだ。毎月、「あ、そういえば給料払われてる」と思う。「そういえば」なのだ。もちろん、お金はとても大事だ。一番大事かもしれないのだが、おそらく私はこの仕事、今より給料が低くてもやってしまう気がする。だって、楽しい。給料が払われなくてもやる、となるとそれはそれで問題なのだが、それもありかなと思うくらいにやりがいのほうが大きい。こんなに楽しくて、お金ももらえて、なんて幸せなんだろう、と純粋に思う。

これを天職と呼ぶのかもしれないなと思ったのはいつごろだっただろう。今年で仕事を始めて11年目になる。最初の時点ではたぶん「天職と呼ぶにはまだ早いし経験もない」と思ったのだろうと思う。あまり覚えてないけど。そして4年目あたりで「このままじゃいけない」と思い別の職の勉強をするために高いお金を払って講座に通い始めた。仕事をしながらの講座通いと勉強はなかなか辛いものがあったけど、その最中に(職種は同じだけど)職場を変えるというチャンスが巡って来た。それから講座も修了して、気づいたら今の仕事がものすごく楽しくなっていた。そして10年目を迎えるころにはこれ以外の職は考えられない思うほどになっていた。その頃あらためて「天職かもしれない」と思った。

仕事にうんざりしていた時期ももちろんあった。そのときに愚痴ったら「自分で選んだんでしょ?誰かに頼まれたの?」と他人に言われたことがあって、そのときは「なんて意地悪な」と思ったけど今となってはまったくその通りだよなと思う。誰かに頼まれてやってるわけではない。自分の選択だ。嫌ならやめればいいだけのことなのだ。

今は育休から復帰したばかりで色々と軽減してもらっているから「楽しい」だけなのかもしれない。それでも毎日これだけ笑っていられる職業もなかなかないのではないかと思う。1日あたり何回爆笑しているだろう、わたし?

Wednesday 31 January 2018

保育園の内定通知が来た

きょう11時ごろ、携帯が鳴った。今預けているところとは別の保育園から。まさか、と思ったらなんと4月からの内定通知だった。なんということ。てっきり手紙が届くものだと思っていたので驚いた。

今通わせている園で何の問題もなく、むしろ内定しなければそのまま来年もここに通わせる決意ができるのにとさえ思っていたところだった。だから通知が来るのがかなり怖かった。

というわけで電話を受けたときは驚きと戸惑いでいっぱいだった。そもそも通らない可能性も大きいと思っていたのだ。どうしようどうしようと思いながら言われるがままに面接と健康診断の予定を決めた。

電話直後に同僚に話したら、おめでとう〜と言われた。そうなんだよな、めでたいんだよ。あんなに入りたかった園じゃないか。ここに入れたらいいよな〜と長い間まさに夢のように思っていたところから電話がきたのだ。

今預けている認証保育所に愛着が湧いてしまっているし、そもそも移すと精神的にも子供には影響があるかも、という話をしたら、「こどもは全然大丈夫」と同僚から言われた。心配なのは親だけ、と。

今は園庭のない保育園なのだが、これが0歳児ならまだ良いとして1歳以上の動ける年齢になるとだいぶ狭く感じてくる、と。思いっきり動くことのできる場所が良い、と。なるほど。

「どうしよう」と口で言う割には心は決まっていた。7月に今の保育園から電話が来た時も似たような感じだった。いざ移ってしまえばそれでなんとかなるものだ。

書類をもらいに認可保育園に寄ってから帰った。戸惑ったという話をすると「迷うなら今う〜んと迷って、決めたらスパッと、その方向で動いちゃったがいいかもしれませんね」と園長から言われた。確かに。ぐだぐだしていると子供にも影響が出るから、と。

家に帰ると子どもは風邪気味だった。今朝、熱が37.1になっていたのでちょっと心配である。早めに寝せた。

Tuesday 30 January 2018

防寒具は登山用品が一番いい

少し暖かくなったかと思ったけどきょうもやっぱり寒い。天気予報の気温は見ていないけど寒い。

こんな寒い日、何を着ますか。私は登山用品。いつ頃からか、それだけで過ごせるようになった。他と比べて、いや、比べ物にならないくらい保温力が高い。

ミレーとモンベルのフリースを職場と家で着ている。そして自転車に乗るときはミレーのダウンジャケット。これだけで十分に暖かいのである。ほかに何か買い足したり着込んだりする必要がない。

あとはもちろんユニクロのヒートテック。これはもう言うまでもないです。必須。そしてユニクロのカシミヤ。ほかのカシミヤと違って安いので少し荒い使い方をしても気にならない。

さて、きのうは歯医者に行く前に、自転車と靴を磨いた。こういうメンテナンスが好きです。ちょっとしたことだけどスッキリする。歯は磨けていないけど自転車と靴は磨けている。と書くべきだったのは昨日だったかもしれない。

Monday 29 January 2018

一見磨けているようだが実は磨けていない

きょうは晴れてよかった。寒いことは寒いが、ここ数日の寒さに比べるとだいぶましだった。子どもを保育園に送ったあと、歯医者へ。虫歯になっているけど様子を見よう、ということになっていて、治療中というわけではないが、クリーニングと経過観察のために行くことにしていた。そのうち行こう、と思うと結局2ヶ月でも3ヶ月でも先延ばししてしまうというのが毎回のことなので今回は、先月のうちから予約を取っておいた。

虫歯については「まだ様子を見ましょう」ということになり、あとはいつものクリーニング。だが、特に急いで仕事に行かなければいけないわけではないという旨を告げると、どれだけ磨けているかみてみましょう、というテストをやることになった。赤と言うより紫色のなにか(!)を歯に塗って、口をゆすぐと、磨き残しがはっきりと現れた。これはショッキングである。こんなに磨けていないとは。鏡を見ながらゆっくりと、どう歯ブラシを使うべきか習った。一本ずつ磨く、という当たり前といえば当たり前のことを今まで知らずにいた。フロスももちろん大事だがそれ以前のようだ、これは。今まで全然知らなかった。

電動歯ブラシ欲しいなー買って見るかなーとふと思った。ああこうやってまた楽天(とかアマゾン)のワナにはまってゆく…

Sunday 28 January 2018

良き友に乾杯

おお、一月が終わろうとしている。きょうはもう28日。1月最終週が始まる。

土日はべったりこどもと一緒に過ごしている。午前中遊びに連れていって、お昼を食べたら2時間くらい寝かせて、3時におやつを食べさせて、そうしているうちにお風呂の時間がきて、寝る時間がくる、というのが1日の流れ。

昨日は夜に友達が遊びに来てくれた。外出となると、誰がどう子どもの世話をして何時頃バトンタッチするか、などの都合あわせが大変なのだがこうやって来てもらえると子どもがいようがいまいがゆっくり話すことができる。そしてこどもが寝たあとであっても近くにいるとなるとこちらも安心していられる。

仕事に復帰してからは思うように友達に会えなくなって来たのだがそれでも会おうとする努力は必要だと思っている。「会いたい」「話したい」ばかり連発する人がいるが、さすがにそれが何年も続くだけだと、その人が本当に会って話したがっているとは到底思えなくなる。本当に会いたいと思うなら自分から連絡をとるべし。礼儀とは言わないまでも真摯さのひとつの表現だと思っている。

というわけでとても楽しい夜が過ごせました。良き友と素敵な時間に乾杯。

乾杯といえば、保育園の先生から「かんぱーい」が言えるようになりましたよ、との報告を受けて驚いた。家ではそんなの聞いたこともない。保育園すごいなあ。仲間の力はすごいなあ。そしてやっぱり[kampai]は発音しやすいんだろうなあ。

Friday 26 January 2018

ためていいのはお金だけ

愚痴を言う前に飲み込もうとしているんですよー、と年上の同僚に話したら即座に「よくないよそれ」と返された。そして「ためていいのは金だけだよ」と。

大事なのでもう一度。

「貯めていいのはお金だけ」。

いやはや、まったくです。
疲労もストレスも手放さないと。睡眠は貯められると思ったら大間違いで、たくさん寝てスッキリするのは睡眠負債を返しているだけ、だと。これも同じ同僚から以前聞いたんですが。

あっという間に1週間が終わりまた週末がやってくる。こどもがあまり調子がよくない。鼻水と咳と、という症状が2週間くらい前からあるのに放置したまま今に至る。明日はなんとしてでも小児科に行くつもり。

ああ疲れた。寝ます。

Wednesday 24 January 2018

愚痴を飲み込みレイモンド・カーヴァーを読む

腹たつなあと思って愚痴りたくても愚痴らずにいるのって難しいよなと最近よく思います。「ていうか」と始めたくなるんだけどそれを飲み込もうと、ぐっと抑えている。この一言を発しても誰の特にもならんよなー、と。

だいぶベテランの同僚でいつも朗らかな人がいるがその人は滅多に愚痴らないし仕事量がフェアじゃないときでも文句言わずにささーと済ませてしまう。だからやっぱりその人のことはみんな好きです。いやべつに好かれたいわけではないけどそういうところそろそろ大人にならなきゃいけないかなとようやく思うようになった。親になったからでしょうか。

それでもだいぶ愚痴(というか口)の数は多いんですが。

さてさて、昨日も今日も電車で通勤。だいぶ疲れた。冗談じゃない疲れ方です。朝から電車に乗るってこんなに疲れるんだっけ?しかも凍った道をおそるおそる歩くから余計に疲れるわけで。

しかもきょうは朝から電車が動かなくなってちょっと待たなくてはいけない時間もあり参った。軽めの本を一冊、と思ってRaymond Carverをバッグに入れておいたのだが、動かない電車のなかでようやくWhat We Talk About When We Talk About Loveのなかの、書名と同タイトルの一話を読んだ。といっても最後の一ページがまだ読み終わってないけど。難しい言葉はほとんどない。

バードマン、というアカデミー賞受賞作品のなかで演じられていた劇はこれだったなと思い出した。もうだいぶ前に見たのでちょっと覚えてないんだけど読んでいるうちにいくつかのシーンが思い出されてきて、映画も見たくなって来た。映画か… うーん。だいぶ見ていない。(遠い目)

さて、寝ます。

Tuesday 23 January 2018

長靴が最強

きょうも疲れた。雪は止んで、空は晴れた。しかしだいぶ積もっているのでその中を保育園まで子どもを抱えていくのはなかなか困難であった。それから電車に乗り、さらに歩いた。雪のなかを歩くのは疲れる。凸凹しているためだけではなく、滑らないように神経を使うためもあると思う。

きょう歩いていると「まあーすべらない靴、いいわねえ」とおば(あ)さんに声をかけられた。長靴が最強ですよ、という話をしたら「やっぱり一足は持っておくべきね、ありがとう」と言いながらおそるおそる歩いて行った。

長靴を手にいれたのはかれこれ五年以上前だと思う。プレゼントにもらったのだがこれが大正解であった。

それまで、雨が降るたびに「まあなんとかなる」と思いながら普通の靴で歩き、そのあと靴下まで濡れて…というパターンが毎回のことだった。その日には「よし長靴買おう」と思うものの次の日晴れると特に必要性を感じないので買おうとはしない、というのが何年も繰り返されていた。

それが、長靴を手にいれてからはその問題もなくなった。そして長靴ってゴムの塊だから歩きにくそうに思うのだが実は歩きやすい。そして滑り止めの効果も抜群である。

さらに毎日履くわけではないので壊れることもまずない。

(あ、長靴じゃなくてレインブーツって言うのかなもしかして。いいじゃない、長靴で。そんな長いカタカナ語使わなくても。)

さて明日は道路が凍結するのだろうか。きょう晴れてだいぶ溶けたように見えたが。早く寝るとしよう。

Monday 22 January 2018

ストレスフルな雪の日

なんとも疲れる1日であった。

先週から「月曜は休もうかな」と思っていたのだが雪の予報を聞いてますますその思いは強くなった。午前中は雪の中、子どもをつれて遠くまで出かけた。これがこたえた。本当に途中で引き返したくなるほどストレスフルな移動だった。

寒いと怒りたくなってくる。昔からそうだ。どうしようもなくストレスがたまるのである。雪なんて降ろうものならますますそうだ。

なんとか用事は済んで、午後から雪はどんどん激しくなってきた。やっぱり仕事を休むことにしておいて正解だった、と思った。

明日にはきっと雪はやむだろうが朝の通勤通学はおそらく、いや、間違いなく困ったことになるはず。幸い、11時すぎまでは仕事がないので明日は様子をみながらゆっくり行こうと思う。保育園まで歩ける道なのかどうか、にもよる。こういうときはやっぱりスキーとかソリとかがいいんでしょうね。ああ、速そう。

Sunday 21 January 2018

子どもがいないときの気持ちを忘れかけている

なんと、1週間もブログを書けずにいた。忙しかった、というほどやることが多かったわけでもない。それでもやはりいっぱいいっぱいの1週間だったきがする。思い出してみよう:
15日(月) 本当は出勤しなくてもいい日だが金曜に発生した仕事を片付けるべく終日勤務。
16日(火) 保育園に送り届けたあと自分の病院(御茶ノ水)へ。そこから職場へ。夜、合気道へ。(平日の稽古参加がついに叶った!)この1日はすごい移動距離。
17日(水)  通常通り仕事。この日は送り迎えとも私。
18日(木) やること多い1日。この日も送り迎えとも私。
19日(金) やることさらに多い1日。この日もまた送り迎えとも私。
20日(土) 試験。

そうなんです、試験を受けたのだ。試験。この歳になって試験される側になることなんて滅多にない。三つ受けたうちの一つは「ああ失敗した」と思ったがあとはたぶん大丈夫だった。なんてったって三つとも10〜20問の四択問題。50分の試験時間ははっきり言って余る。そのうちの一つは「持ち込み可」。そもそも一般常識で解けるものも多いのでテキストまで持ち込んだら間違いようがない。三つとも合格でありますように。

話は変わって、「こどもが欲しいけどいない」ということについて。最近、その立場だったときの気持ちを忘れてきているかもしれない、と思った。

と気づかされたのは、ある女友達がこう言ったことがきっかけ。

「職場のデスクに子どもの写真を貼られても自慢にしか見えないしうんざり。しかもそういう人は当然、育児が大変だからという理由であまり仕事を引き受けないしこちらも頼めない」

それを聞いてまず思ったのは「まあ子どもは可愛いから写真飾っちゃう気持ちはわかるなあ」ということ。私は、子どもの写真を飾ってはいないけど自慢したくなる気持ちはものすごくよくわかる。

しかしそのことを思い出しながらふと、3年くらい前の自分だったらなんと言うだろう、と思った。私の場合、男性の同僚が多いので今まで同じこと(デスクトップがこども、とか、机上に写真スタンドとか)があっても特に腹を立てたりすることはなかったがこれが同年代の女性だったらきっとひとたまりもなかった。妊娠したい、子どもが欲しい、その切実さは、それはもう心がキリキリ痛くなるほどだった。焦るなとか考えるなとか言われてもやっぱりずっと心にひっかかっている最大の件だった。これは本当に女性しかわからないし子どもが欲しいのにいない人しかわからないと思う。同じ女性でも全然焦らない人ももちろんいると思う。だけど私は「妊娠」とか「赤ちゃん」とかが話題に出るだけでも「ビクッ」とするくらいだった。このままこどもを産まずに一生過ごすのかも、と思うと次から次へと涙が出て来た。フェイスブックなどで次々にあがってくる友人のこどもたちの写真は「かわいいんだけど見るの苦しい」と思っていた。

そんなふうだったからこそ自分が妊娠と出産を経験したときに「子どもが欲しくていないという人の気持ちは絶対に、絶対に忘れない」と心に誓ったのだ。

なのに。すっかり忘れている。「絶対忘れない」と口で言っていただけだったのだ。友人の言葉を聞いて「もうちょっとこどものいる人の気持ちもわかってあげないと」ということさえ考えていた。子育ての大変さは、それはもう尋常じゃなく大変、ということは(一年ちょっとの経験で言わせてもらえば)理解できる。でもその「大変なのよ」はときに優越感を帯びて響くことがある、ということを忘れてはいけない。実際、どんなに大変でも、日々には笑顔があふれ、描くべきこれからの未来がある。簡単に「子育てサイコー!」みたいなことを口にすることはできないのだ。

もしかしたらこれからどんどん忘れていくのかもしれない。でも30歳ごろの自分を思い出すように心がけたい。人を傷つけたり不快にするのはいとも簡単で、無意識的に行われるのである。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...