Wednesday 28 February 2018

貴重な平日休みは博物館へ

やや時間が空いてしもうた。その間に花粉が飛散し始めました。前回「眠い」と書いたのはおそらく花粉症の薬の影響かもしれないと思いつき、ここ数日は薬を飲むのをやめていました。

が、

それでもきょうは眠い…。そして症状はひどくなってきた。だからきょうは飲もうと思います、薬を。

さてきょうは仕事は休みをとった。年度末になってだんだんとやることが減ってきている。もう少ししたらまた増えるけど。

まずは歯医者にクリーニングへ行くというのが前から決まっていたこと。前回よりもよく磨けていますと言われて嬉しかった。それからどうしようか少し迷ったが天気も悪くないのでふらっと上野に出かけた。お目当てはパンダではない。国立博物館。特別展を見るわけでもない。常設展を時々こうやってみにいきたくなるのである。そもそも日本の美術館博物館は入場料が高すぎるのだが国立博物館はそれほどでもない。600円くらいで入れる。もう何度も行っているので同じ展示ももちろんあるが、実はちょっとずつ配置や展示内容が変わっている。季節によって表に出されるものが違うので、何度行っても見応えはある。

きょうは「おひなさま特集」がなかなか面白かった。

こういう、一人で過ごせる貴重な休みの日をどう使うかというのは大きな問題である。ちょっと自分磨きの時間にしたいと思うのは当然の流れだが、それを必ずしも「服を買う」「メイク用品を買う」「美容院に行く」につなげなくてもよい。自分磨きの方法というのはいくらでもあって、私の場合、きょうはメイク等表面ではなくてもっともっと内側からの「磨き」に時間をかけようと思ったわけです。本を読んだり映画を見たりという行為は即効性はないもののじわじわとその人の糧となっていくので最終的には「オーラ」の一つを作ることになる。そういう心の余裕ってとても大切だ。

こういうふうにサッと行ける身近で質の良い美術館、博物館がもっとあれば良いのにと思う。そういう意味ではニューヨークのMETは最高だ。滞在中2回も行ったけど、今もまた行きたい。なんてったって入場料は「いくらでも良い」のだ。

Tuesday 20 February 2018

眠い

うーむいろいろ書きたいことはあるのだが今日はとにかく眠い。昨日は代休できょうは久しぶりに普通どおりの仕事だったが、これが眠いのなんのって。昨夜いつもと寝る位置を変えてみたら予想どおり子どもが途中で起きてこちらの睡眠も妨げられるという事態に陥ったため睡眠不足がひどい。座っているといつの間にか目が閉じそうになる。突っ伏しそうになる。これは早く寝ろってことだね。

明日も特にやることがないので仕事は休むことにした。最近の休日出勤の代休ということで。さておやすみなさい〜

Saturday 17 February 2018

メンタルの強さとは勇気のことかもしれない

きょうは出勤だった。午前中で終わったので家へ。

午後1:30過ぎにフィギュアスケートを見なければと思ってはいたものの、こどもは昼寝中だし、そもそも何ヶ月もテレビを見ておらずコードが外れている。音も聞きたいのだがさてイヤホン差込口はどこかにあるのか…

などなどいくつかの困難を経てテレビをつけることができた。やれやれ、である。

そして、羽生くんおめでとう。これはすごかった。完璧ではないものの、金メダル。しかも二大会連続。鳥肌が立ったし、始まるときの羽生くんの表情を見て涙が出そうになった。いや、涙だったのかなんなのかわからないけどぐわーっとこみ上げてくるものがあった。この人すごいわ。

そこで考えたことです:

羽生くんの何がほかと違うって自分を「みせてる」感じがよく伝わってくるしそもそも自分の美しさを自分でよくわかっている。日本人って自分に自信がある人を毛嫌いするというかちょっと「気に入らないなあいつ」みたいな言い方することがよくある。(私の母親なんかもそうです。)だけどそれだと今日みたいな羽生くんの演技は存在し得ないですね。うざったいと思う人もいるかもしれないけどそんなことは気にしていられないし自分の「芯」があって周りの人に何かを言われた程度でそれを曲げるような人ではない。何かひとつ成し遂げる人ってそういうところある。自分自身に陶酔しきってしまえるほどに自分自身を信頼していて、自信がある。信じているからこそ湧き起こる勇気がある。(たとえばイチローなんてそんな感じする。)メンタルの強さというのはつまり勇気なのかもしれないなあ。精神的強さは誰かから与えてもらうものではない。もしかしたら誰かがそう育ててくれるのかもしれないけどやっぱり結局は自分のなかから湧き起こってくるものだと思う。勇気は立ち向かう力で、つまり誰がどう思うとかそういうのを気にせずに「ズバッと」動ける力。誰かと同じことをやろうとしても羽生くんみたいな人にはなかなかなれない。

だったらその勇気はどこから来るのか。やっぱり「基礎」ができてるからではないだろうか。基礎的な練習をただ淡々と行うこと。これを積み重ねたところに自信が生まれ、さらにそこから勇気が導き出される。自分と向き合う時間のなかで、自信を身につけていく。
それから苦境、困難にぶち当たってそれを乗り越えたという経験があるとなおさら強いわけですが。

きょうも昨日も羽生くんから勇気をもらった。見ているうちに「わたしもこうしちゃおれんな」みたいな気持ちになった。誇りを持てる仕事をしようと思ったし毎日一生懸命生きようと思った。自分の信念を大事にしようと。「あの人すげーな」で終わらない感動と勇気をくれたと思う。


ところで「ワンツーフィニッシュ」ということばが今日は飛び回っている。これ完全な和製英語だと思っていたらなんと英語でこう言うらしいです。しらなんだー。

羽生君メンタル強い

きのうは仕事だったがはっきり言ってやることは無かった。なのにその場にいなければいけないというよく分からない、長い1日で、同僚と「一体なんのために」と何時間も文句をたれつづけた。そんな中、ひとつ大きなイベントがあった:

「男子フィギュア鑑賞」

ひとりの同僚がテレビをつけたのでどうしたのだろうと思ったら羽生君の演技だという。ふだんテレビを見ないのでオリンピックやってることすら分かっているような分かっていないような、だった私は「ほう」と思って見ることにした。話をきくと、怪我のあとの復活なるか、という重要な演技らしい。結局その場にいた同僚全員で見た。

演技は完璧だった。ミスがひとつもなかった。この人のメンタルは一体どれだけ強いんだ、と思った。

演技もすごかったが私が印象に残っているのはコーチのいるところからリンクに行く瞬間の様子だ。「よしいくぞ」みたいな感じなんだろうけど「お、スイッチ入った!」と思った。別人みたいに切り替わったことが見て取れた。

強靭な精神力の人間というのはどうやったら育つんだろうなあと思った。

壁にぶちあたっても負けない心。
倒れても自分で起き上がる力。
困難に立ち向かう勇気。

今、子どもを育てている立場としてはやっぱり気になる。今までとは見るポイントが違うなと思った。

あまりスポーツ観戦はしないが、きのうの演技にはやはりこちらも勇気をもらった。くよくよしてられないですね。顔を上げて、背筋をのばしていこう。

Thursday 15 February 2018

第10回 恵比寿映像祭

昨日はまる1日仕事が休みだったので恵比寿映像祭に行ってきた。年に1度開かれる無料の展覧会で、第3回あたりから行き始めて今年でついに第10回。場所は恵比寿の東京都写真美術館。大規模な工事を経て、きれいになった美術館で見るのはこれで2回目になる。

今年のテーマは「インヴィジブル」。つまり、見えないこと。このテーマが展示作品とよく合っていた。今までにない一致の仕方だったのではないだろうか。子ども抜きでゆっくり見られたおかげでもあるかもしれないがとにかく面白かった。

7年前、最初に見たときはそれほど興味を持っていなかったのだが、ふと、その後、展示で見た光景がよく思い出されることに気づいた。しっかりと頭にも心にも残っているのだとそのとき気づいた。そんなこんなで今まで蓄積している「あの作品」はやっぱりよく覚えている。映像のインパクトというか力強さには争いがたいものがあるのだ。映画ともまた違う感じ。そんなこんなで7年間、いろんな映像が私のなかに蓄積されている。

こういうのがあるから東京はいいよなあ、と思わないわけにはいかない。だから東京はやめられない、と思った。

Wednesday 14 February 2018

一人の時間

朝、6時10分。静かに一人起き出して、さてゆっくりしようと思ったその20分後、こどもの声がした。布団を抜け出し追いかけて来ている。そんな簡単に一人の時間は作れないですね。まあそんなもんよね。

とても元気そうだ。食欲も変わらずある。熱は36.3℃。医者に行ってくださいとは言われたものの、これは行く必要ないと判断。そしてきっと連れてこられた医者のほうも特にやることはないに違いない。

いつもより遅めに保育園に送って行って、さてようやく一人の時間。きょうは仕事が休みなので、これから最優先事項である要件をひとつ済ませにいく。この季節の最優先事項。

天気は良い。近くの公園では梅の花が咲いている。ようやく春のにおいがしてきた。

Tuesday 13 February 2018

「お迎えをお願いします」

今朝は早くから出勤だったので保育園の送りは任せてひとり家をあとにした。そして午後、保育園から電話がありましたと事務から連絡。なんと発熱らしい。やれやれ。迎えに行ってもらって本人の様子を見るとこれがまあまあ元気である。そして熱を計ると36度台。

前にも何度か同じようなことがあった。送り迎えがしばらくできないときに、ふっと、まるで思い出したかのように38度の熱を出し、慌てて迎えに行くと実は大したことなかった、ということが。

3連休のあとでもうすこし家で過ごしたかったのかもしれないし、「もっとかまって」のアピールだったのかもしれない。そしてきょう午後「やることはすべて終わったけど残りは4時半からの会議だけだな〜 面倒だな〜 帰りたいな〜」と思っていた矢先の電話だったのでこれは私の気持ちをくんでくれたとしか思えない。さらに、明日私は仕事が休みである。

すべてわかっているのだ。この人は。

Monday 12 February 2018

預かってもらえるありがたさ

きょうは祝日なのに出勤でした。こういうの本当に困るんだけどみてくれる人がいるのでありがたや、ありがたや。

土日とも、こどもにつきっきりで過ごしたあとに仕事に行くと、これがすんごい息抜きなのである。いやそんなこと言っては仕事に失礼かもしれないけど、はっきり言って仕事のほうが何十倍もラクです。だいたいのことは予測できるし。やること済ませれば休憩だってできるし。

したがって、例えば子供が二人以上いて保育所等に預けずに家で面倒見る人なんて一体どれだけの仕事量なんだろう、と思う。それだけのことができればほかに怖いものはないよ、たぶん。それ以上に大変なことってなかなかない。やりがいに替えてもたぶん自由なさすぎて爆発するなあ私は。

「仕事と子育て両立、えらいね」といろいろな人から言われるけど、いやいやなんの、私は預かってくれる存在を確保しているわけで。朝8時から5時くらいはフリーなのですよ。(いや、仕事しているんだけど、それでもフリーだと思えてしまう。)保育園、本当にありがたい。

同僚の話によれば認証保育園とか私立の認可保育園というのはシーツを入れたりとかおむつの持ち帰りとかは無い場合が多いらしい。だから認可保育園に最近転園させたという人は「なんとシーツを親が入れてあげるんですよ!そして驚いたことにおむつ持ち帰りなんですよ!」と言っていた。

「え、それいつもやってますけど…」が私のこたえである。私の通わせている保育園は、認証保育園だけどそういうサービス的なものは無い。たいてい自分でやる。

それでも細かく見てもらっているし連絡もマメなので、「比べようはないけど、認証って手厚いですよね」とその同僚に言ったら「いや、今、その保育園の様子聞いたら、特に手厚くは無いですね笑」と言われた。

それでもこんなに「私って恵まれている」と毎日思っているくらいなので、たぶんどこに通わせても大丈夫な気がしている。

そんなこんなで疲れ切って昨日は9時前に寝てしまった。きょうもそろそろ寝る。

Saturday 10 February 2018

週末ピッツァの定点観測

9月、つまり仕事に復帰してから恒例となっていることがある。週末に子どもをつれてピッツァを食べに行くこと。顔なじみのレストランであり、行くようになってから何年も経つ。オーナーにもよく声をかけてもらい、「おまけしといたよ」というようなこともしばしばある。ちょっとした集まり、パーティー、友達と会うときにはよく使わせてもらっている。

この9月以降のピッツァ通いのきっかけはそもそも「お昼作りたくない」から来ている。育休中は毎日子供と一緒だったので土日の特別な感じはなかったしそんなに「作りたくない」を毎日いい続けるわけにもいかなかった。復帰してからは平日は保育園に預けているのでお昼を作る必要もない。ただ土日となったときに育休中と同じことをするだけなのにこれが面倒で仕方ない。そして、私もいいもの食べたい。

そんなこんなで始まったピッツァはもはや習慣となっている。文字通り「毎週」行っている。9月から今までに行かなかった日は、12月に40度の熱を出した日と、郷里へ帰った日くらい。

毎週、朝は子育て支援施設に行き、そこからまっすぐ電車でレストランへ向かう。どのくらいに出てどのくらいの電車に乗れば良いか、だんだんと感覚でつかめるようになってきた。毎週同じ時間に同じ場所を通るため、少しでも変化があるとよくわかる。

もっとも変化しているのは子どもである。レストランに通うこの数ヶ月の間に歩けるようになったのだから。毎週同じ席に座り、同じものを食べている。そうするとやはり変化に気付きやすい。

まず「レストランに来たのだ」「ピザを食べに来たのだ」ということを子供が認識するようになった。場所に近づくと「っつぁ!!」を繰り返す。それが「ピッツァ」を意味するのかどうかはわからないが少なくとも「これからなにか食べる」という興奮がみてとれる。

そしてスタッフの顔を覚えている。窯の火がめらめらしている方向に行くとピッツァイオーロ(ピッツァを焼く人)がいるというのもわかる。

きょうはドアが開くと同時に、一番のお客さんとして子どもが入った。自分の足で、歩いて入って行った。食べる前と食べた後は自分から厨房のほうへ歩いて行きピッツァイオーロに挨拶をしていた。

9月の時点ではしっかり抱えてないといけなかったのに。そもそも靴さえ履いていなかった。

私もだいぶ慣れてきたので「泣いて暴れるかも」とか「皿を落として割るかも」とかいうような心配はまったくしなくなった。ひざに子供を乗せて、ちょっと遠いところにピザを置いて、切り分けてあげる。そのときにどれくらいの距離が必要かも感覚でわかるようになった。

持ち物もそんなにいらない。朝9時ごろ、遊びに連れて行くときにバッグに入れるのは:

・財布
・携帯
・鍵
・おむつ1枚
・おしりふき
・替えのよだれかけ2枚

そしてポケットにPASMO。

これだけである。それでも困らない。「いざという時」のための「モノ」類はなくても困らないということがわかっている。

もはや「訓練」である。毎日ストレッチをしたり基礎英語を聞いたりするのと同じ。規則正しい生活を送るのと同じ。リズムがひとつ作られているのだ。

そもそも子供向けのレストランではない。騒いでも良いように作られている場所とは違う。だからもし騒ぐようであればこんな小さな子供は連れていけないと思う。そうなると子どもが小さいうちは、自分一人でない限りまったく外食ができなくなってしまう。いやいやなんとかして外食できるはず、と、育休中、そして育休明けの私は思ったに違いない。(だから育休中からやたら外に連れて行っていた。)そして1歳の誕生日にピッツァを食べに連れて行ったときに上手に手づかみで食べていたのを思い出し、ほかの料理だと面倒だけどこれならストレスなく手軽に食べさせられるということに気づいたのだ。

食べた後に電車にのって帰るが、これがだいたいの場合12:10ごろの電車。ゆっくり家へ帰ると、遅くとも1時には眠りにつく。泣きわめいたりすることもなく、ふとんをしいてあげるとすーっと寝入る。そこから3時まで眠る。こうすることでお互いにストレスなく、週末を過ごすことができる。

リズムがすべてなのだ。いつも同じ時間に同じことを淡々とする意味は、時間が経たないとわからないし効果も見えない。

それにしてもピッツァ一枚では足りなくなってきた。以前は、(六等分されたうちの)せめて二切れくらいは私の口に入っていたのだがここ最近は「みみ」の部分だけしか食べられていない。あとは、あっという間にこどもの口に運ばれて行く。ワインとサラダがせめてもの救いだ。きょうも、かろうじてモッツァレッラを少し食べられたけど、あとは「みみ」だけでした。これも定点観測からの気付きの一つ。いやはや。

Tuesday 6 February 2018

忙しいアピール

「忙しい」のアピールはあんまりかっこよくない。「マジ忙しい」とか「忙しすぎて返信できなかった」とか聞く(し、わたしも言う)けど、これって自己満足に過ぎない。それを言われた側は「で、どうしろと」としか言いようがない。自分を忙しくしているのはほかでもない自分自身なのである。

そして「忙しい」のは「私の人生充実している」の裏返しなので、忙しいのをアピールしながら実は自慢しているのだ。これは本人も気づいていない場合もある。「やることがない」よりは忙しいほうがずいぶんましなのである。英語だとkeep someone busyという。あれ、最近どこかでこの話題を読んだ気がするんだけど。ラジオ英会話?うーん、忘れた。忙し過ぎて忘れた。

さて。昨日ときょうは実際のところ忙しかった。出張が2日続いたのだ。しかし、昨日は午前中で終わったので友達の家でお昼をご馳走になってきた。そしてきょうは早めにあがって保育園に迎えに行き、そこから認可保育園へ面接に行った。

こうやってこなすべきことが立て込んでいる場合は、頭の中でスケジュールを整理しながら、前もってあらゆることを準備する。そしてとにかく早く寝る。連日忙しくなる場合は特に。体調を崩しては元も子もないから。

ところで認可保育園の面接は無事に終了した。子どもはまるでずっと前からこの園にいたかのようにすぐに馴染んで大はしゃぎで遊んでいた。初めての場所で緊張するかと思いきや心配いらなかった。子どもの適応力はすごい。

Saturday 3 February 2018

料理プロのママ友

またしても楽天のワナにはまり、買わなくても生きていけるものに手を出してしまった。ウェブサイトを閲覧し始めたら止まらなくなる。物欲はそれほどないと思っていたが、子供が寝てからのネットサーフィンとネットショッピングが楽しみの一つになりつつある。普段一人で気軽に買い物に行けないぶん、そのストレスをここで発散しているかのようだ。

きょうは朝から晴れた。よかった。こどもを連れて区の施設へ。そこで「ママ友」に偶然会い、「きょう旦那いないからうちくる?お昼一緒にどうぞ。なんもないけど」と言われて、喜んでお邪魔して来た。何もないけど、と言われても、いいものが食べられることは知っている。何を隠そう、彼女は元、料理の先生なのである。ただの料理上手ではない。プロなのだ。プロ。

あっという間に出来上がったのはなんと「味噌煮込みうどん」。美味しすぎる。こんなの手作りで食べたことなかったと思う。たぶん。それから「昨日の残りでごめんね〜」と出されたのが鯖の蒲焼。どこかのお惣菜を買ったのかなと思ったけどまさかそんなわけはない。「これは鯖を小麦粉つけて焼いて、味つけるだけ」と、いとも簡単に言っていたけど、蒲焼って家庭で簡単に作るものなのか?我が子の皿に出されて3秒後、鯖は消えていた。そして私の鯖も半分以上こどもに食べられてしまった。

世の中には色々な人がいる。そしてそんな人に出会えた私は幸せ者である。

刺激されて自分も料理に熱が入る…なんてことにはなっていない。未だに。

Friday 2 February 2018

鬼に立ち向かう

きょうは朝から雪が降ると聞いていたので心の準備はできていた。そして様子をみながらゆっくり出かけようと思っていた。いつもより遅く出て、大変ではあったがこどもを前に抱え、後ろにはリュックを背負い、長靴をはいて傘をさして出た。仕方ない。こうするほかどの方法も思いつかなかった。仕事には電車で行った。

結局その後雪は止んだので積もることもなく、仕事から帰るときは自転車を使うことができた。まっすぐ保育園へ。

「きょうは節分の豆まきだったんですけど、鬼が来たらみんな怖がって保育士の後ろに隠れてたんですけど、○○(うちのこども)だけ果敢に鬼に立ち向かって行ってました〜♪」との報告を保育士さんから受けた。想像して爆笑した。いいぞいいぞー、たくましく育ってくれ。

Thursday 1 February 2018

仕事が楽しい

仕事が楽しい。こんなにやりがいのある仕事がほかにあるだろうか、と思う。自慢のように聞こえるかもしれないけど、そうですね、ほかでもない自慢です。

先日、友達と話していて気づいたが、給料のためにやっているというよりは楽しいからやっているという動機のほうが強いようだ。毎月、「あ、そういえば給料払われてる」と思う。「そういえば」なのだ。もちろん、お金はとても大事だ。一番大事かもしれないのだが、おそらく私はこの仕事、今より給料が低くてもやってしまう気がする。だって、楽しい。給料が払われなくてもやる、となるとそれはそれで問題なのだが、それもありかなと思うくらいにやりがいのほうが大きい。こんなに楽しくて、お金ももらえて、なんて幸せなんだろう、と純粋に思う。

これを天職と呼ぶのかもしれないなと思ったのはいつごろだっただろう。今年で仕事を始めて11年目になる。最初の時点ではたぶん「天職と呼ぶにはまだ早いし経験もない」と思ったのだろうと思う。あまり覚えてないけど。そして4年目あたりで「このままじゃいけない」と思い別の職の勉強をするために高いお金を払って講座に通い始めた。仕事をしながらの講座通いと勉強はなかなか辛いものがあったけど、その最中に(職種は同じだけど)職場を変えるというチャンスが巡って来た。それから講座も修了して、気づいたら今の仕事がものすごく楽しくなっていた。そして10年目を迎えるころにはこれ以外の職は考えられない思うほどになっていた。その頃あらためて「天職かもしれない」と思った。

仕事にうんざりしていた時期ももちろんあった。そのときに愚痴ったら「自分で選んだんでしょ?誰かに頼まれたの?」と他人に言われたことがあって、そのときは「なんて意地悪な」と思ったけど今となってはまったくその通りだよなと思う。誰かに頼まれてやってるわけではない。自分の選択だ。嫌ならやめればいいだけのことなのだ。

今は育休から復帰したばかりで色々と軽減してもらっているから「楽しい」だけなのかもしれない。それでも毎日これだけ笑っていられる職業もなかなかないのではないかと思う。1日あたり何回爆笑しているだろう、わたし?

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...