Tuesday 26 December 2017

いつもスペースを

ちまちまとメンテナンスをするのが好きである。いらないものを捨て、除き、あるものを把握して、使えるようにする。これをメンテナンスと呼ぶのかどうかは定かではないが、断捨離ともちょっと違う。たとえば壊れたベルトがあってそれを修理に出す、とか、電池の切れた腕時計を持って電気屋さんに行き、時計によって種類の違う電池をひとつひとつ買ってはめて動かしていく、とか、とれたボタンを縫い付けるとか。一定の時間をかけてそれを行い、持ち物を整理する。そうするといいものはずっと残っていくし、それで満足すれば、それ以上にモノは増えない。

こういうのがほとんど病的に好きである。ずっと前の古いウインドウズの「デフラグ」がすごく好きだった。いらないピース(?)壊れたピースが取り除かれていき、空いたところを埋めていく。

きょうは、たまっていた小銭を貯金しに郵便局へ行った。貯金箱が古くなっていてもう寿命だなと思っていたのだが、持った瞬間にフタが外れて小銭が流れ出た。三つある貯金箱のうち2つがもう使い物にならなくなっている。仕方ないのでタッパーと袋に入れて持って行った。全部で二万六千円もあった。それから古くなった二つの貯金箱にはサヨナラをした。

そしていらなくなったスカートがあったのでリサイクルに出した。先日新しいスカートを一つ買ったので、これで±ゼロである。引き出しにはスペースがある。

さらに、テーブルに置いた「とりあえずの書類置き」を整理した。どこに置いたらいいかわからないけど絶対使う書類が日々必ずある。これらは一つの場所に入れておかないとあとでどこに行ったかわからなくなって困る。これを2,3週間に一度チェックすると、「捨てていいもの」「まだとっておくもの」「壁に貼って置いたほうがいいもの」「ファイルにしまうもの」などに分別される。たとえば「壁に貼って置いたほうがいいもの」のなかには保育園からもらった「インフルエンザの出席停止期間早見表」があるし、「ファイルにしまうもの」には「ラベルライターの保証書」があった。

こういう作業が定期的に必要である。一般的に言って、ではなくて、私の精神的衛生には、である。

精神的にも、物理的にも「いつもスペースを」。

Monday 25 December 2017

40℃が3日間

前回、2日間発熱が続いたと書いたが、訂正。3日間でした。昨日も40℃の熱が続いた。さすがに辛そうだったがその前日よりは体力も食欲も回復していたように見えた(少なくとも泣く元気があった)ので解熱剤は使わなかった。

そしてきょう25日ようやく回復。しかしながら、40℃の熱が出た翌日なのだからさすがに様子がおかしい。突然泣いたり笑ったりする。6月もこうだったなあと思い出した。熱はなくても動きもぎこちない。

きょうまで保育園を休んで家で様子を見た。しかし結構退屈している様子で窓の外を見て手足をバタバタさせて「あーん」と泣いていた。明日、午前中だけ保育園に行かせようかなと思う。

私は、というときょうで仕事納め。9月から長いようで短い、あっという間の日々だった。二人三脚どころか、三人いても1本しか脚がないような状態のときもあったがなんとかこれで休みに入ることができる。「ありがとう」の気持ちを忘れないようにしたい。いや、気持ちだけではなくてそれを口に出すことを。

Sunday 24 December 2017

こどもの発熱について

それで(前の投稿からの続き)、この一年数ヶ月を経て、子どもの発熱について思うこと。

1. 「最近熱出してない」などと口にしてはいけない

心で思ってもこれは絶対に言ってはいけない。言った翌日に熱を出すから。11月4日に発熱して以来しばらく発熱がなかった。2週間たったころに「お、2週間たったけど元気だな」と思ったけど口にしないでおいた。それからさらに2週間。「お、一ヶ月経ったけど元気だな」と思ったけどこれも言わないでおいた。そして21日、つまり熱の出る前日に「もういいだろう」と思い、子育て支援施設のスタッフの方たちとその話になり「うちもそれあるある」と言われた。熱出てないなと思っても言わないでおいたほうがいいよね、でも一ヶ月半も熱出してないんだ、そうか、よかったね、と言って、その翌日発熱。

これは熱に限らず多くのことがそうで、たとえば「最近自転車パンクしてないね」なんて思っても絶対言ってはいけない。


2. 髪を切ると翌日に発熱

これは偶然だと信じたいのだが、6月に切ったときも翌日に40℃熱が出た。9月も発熱。そして今回も。いつも同じ場所で切っているのだが、これはきっと偶然だと信じたい。場所がよくないのか?子供がたくさんいてうつされているのか?それとも、髪切ったら頭が「すーすー」して寒いのか?


3. 子どもはタイミングをわかっている

「具合悪いな〜仕事早退するしかないな〜」と思っている時に保育園に呼ばれる、ということは「あなたも具合悪いんでしょ、だからいっしょにおうちで休もうよ」のサインだったんじゃないか、とも思えた。タイミングがあまりにもぴったり合ったのでとても驚いた。さらに22,23日に発熱ということは24,25は「保育園お休みさせるしかないな」という流れになる可能性が高い。これも「クリスマスぐらいは家族とのんびり過ごしたいよ」というサインだったのかもしれない。

さらには、これまでの(私が仕事を再開してから今までの数ヶ月間に起きた)発熱はたいてい週末だということ。そうすると私の仕事には大きな支障がでない。すべて計算済みか?と驚くくらいである。まあ単純に週末に疲れが出る、というだけとも考えられるけど。


まあ、そんなこんなで親も子もそれで慣れていくし、成長していくのである。感染性の病気ではないかぎり、本人ががんばって、食って寝て治すしかないわけで、医者にできることは解熱剤を処方することぐらいである、というのも学んだことの一つ。

40℃の熱が2日続いた

前回の投稿の翌日、こどもの調子はまあまあいいかな、という感じで、私も前日よりは体調が回復したので、お互い、いつもどおりに保育園と仕事にいくことにした。ただし、送りは頼むことにして私は家に残り、少しゆっくりと出かける準備をした。

職場に行ってしばらくすると、やっぱり気持ちが悪い。もうだめだ、というくらい気持ち悪くなってきたので管理職に、途中で帰りますと告げに行った。するとその10分後、会議中に「熱があるので迎えに来てくださいと保育園から電話がありました」のメモがすっと渡された。

なんと。

そのまま荷物を持って職場を後にし、まっすぐ保育園へ。電動自転車で職場に出かけていてよかった。迎えにいくと、ほっぺたを真っ赤にしてこどもが先生といっしょに出て来た。そうか、朝ぼうっとしていたのはこういうことだったのか。朝測った熱がいつもより高かったのも、こういうことだったのか。家に連れて帰り、とりあえず寝かせ、夕方から小児科へ。翌日が休みだしインフルエンザかどうかのテスト今しておく?と聞かれる。ただし発熱から時間がたっていないので結果はきちんと出ないかもしれないけど、と。うーんと一瞬迷ったがお願いしますということで検査してもらったら結果は陰性。病院で測った体温は39.8℃。

その後も家で様子を見るが熱は下がらず。夜中、けいれんとまではいかないけどガクガクとふるえる症状が何度か見られてどうしようかと戸惑ったが意識もしっかりあり大ごとにはならなかったのでそのまま朝まで様子を見る。

翌朝23日はまあまあ回復したように見えた。(朝は休んだ後なのでたいていの場合回復したように見える。)少し食事を取れるようになっていて安心した。午前中少し寝た。それから午後まではずっと40℃前後の熱が続く。まったく元気がない。いくらかものは食べられるようだがあまりにも熱が高いせいか寝付くことができない。いっしょにくっついて寝かせようとするが、少し寝ても寝入りのときに「ビクッ」として起きる。その結果、3分も眠れないという状況が夕方までずっと続く。

6月ごろにもらった解熱剤の坐薬を使ってみたが1℃ぐらいしか下がらず。

6時過ぎに休日こども診療所へ連れていくことにした。すぐ近くなのだがタクシーを呼ぶ。「だいぶ待ちます」とは言われてはいたが、なんと1時間半ぐらい待った。しかも病人だらけの部屋で。着いた途端、「家で休んでりゃよかった」と連れて来たことを後悔した。

しかしまああらためてインフルエンザの検査をしてもらいやはり陰性であることがわかったし医師の対応もいつになく丁寧だったので結果的には連れて行ってよかったと思った。

さらに行ったことによって、坐薬の量が少なかったということがわかった。もらった当時の体重よりも増えているので1個半は使ってくださいとのことだった。

家に帰ったのは9時すぎ。熱は40℃ちょうど。坐薬を、今度は1個半使った。それから寝せた。

今朝(24日)はだいぶ良くなっているように見えるが、朝食後にまた額が熱くなって来ているようなので油断はせずにおとなしく寝かせることにする。

Thursday 21 December 2017

こうやって今年が過ぎていく

睡眠不足です。まともに連続して眠れていない最近。

きのう、というか今朝は(たぶん)5時ごろからこどもがひどく泣いて参った。滅多にこんなことはないのでこれはもしかしたら本当に具合が悪いのではないかとだいぶ心配したが6時過ぎにみかんを少し食べたら泣き止んだ。その調子で朝ごはんを食べた。昨日よりもしっかり食べていたのでよかった。それから保育園に送って行った。朝の泣き方からすると、これは登園できないぞと思っていたのだがすっかり元気になった。それでもきょうは午後から家で休ませようと思い、昼すぎに迎えに行った。みんなまさにこれからお昼寝をしようという時間だった。なるほどこんな感じで毎日寝ているのかと感心した。すでにおとなしく寝ているのは女の子だけである。キャッキャはしゃぎながらそこらじゅうを歩く男の子たちを見て、こんなところに差が現れるのか?と思った。まあ、きょうだけ、偶然かもしれないけど。

私は、というときょうは吐き気がする。というか胃が痛いような重いような。一週間前ほどではないが、たぶん似たようなもので、原因は疲れとか睡眠不足だろう。ちょっと横になろうかな。

ノンストップで12月が、いや、今年が過ぎていく。

Wednesday 20 December 2017

こどもの体調不良

久しぶりにこどものメモ。

1ヶ月以上、発熱なしで過ごしているので、よかったよかった、と思っていたところ嘔吐と下痢が始まった。二週間前?に保育園から電話があり、嘔吐しましたという連絡だったのだがその後は吐くこともなく元気に過ごした。

始まりはそこからだったのかもしれないが、16日、17日の土日に連続して嘔吐。両日とも午後3時ごろで、何かものを食べた直後というわけではない。2回目の嘔吐のあと、休日のための診療所に連れて行った。「おなかの風邪でしょう」ということで整腸剤をもらった。熱はない。

それから翌日、翌々日とあまり食欲がない。昨日19日は、食事(おやつ)を残したという。そんなことは保育園に通い始めて初のことである。家でも、朝ごはんのバナナで遊んだりする。あれだけ欲しがってぺろりと一本食べていたバナナなのに。

そして今朝は下痢。

どうしたもんかなあと思いながらも保育園に連れていくとやはりぼーっとしている。最近これが多い。それから数時間後、仕事中に電話が来た。保育園からだ。どうしたのかと思ったら、「午前中の牛乳を飲んだあとに突然目や首を掻き始めた」という報告。牛乳アレルギー?

これはさすがにと思って夕方、小児科へ連れて行こうと思ったら、そっか、水曜日は午後休診でした。

お風呂に入ってごはんを食べたが、これもまた少食。白米、さつまいもを食べて、ピーマンは口から出した。そういえばきょう保育園でも「ブロッコリーだけ口から出してました」と言っていた。まさか、野菜嫌い?

りんごを擦って与えるとパクパクと食べた。よかった。

このままではやせ細っていくのではないか、と心配になるくらいの食欲減退ぶりである。しかし考えてみれば量、スピードともにこれが1歳3ヶ月の子どもの標準なのかもしれない。今までがガツガツ食べ過ぎていた。

7時前には抱っこしているうちにうとうと眠りそうだったので寝せることにした。

やはり心配なので明日小児科に連れて行こうと思う。幸い、私の仕事は午前中で終わる。

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それにしても、冬はいやだなあ、やっぱり。
寒いし、暗いし。
手足とか腸とか胃とか、あちらこちら動かなくなってくるし。

そういえば私も体調を崩したのだった。ちょうど一週間前。12とか13日とか、その辺だったと思う。熱はないけど吐き気がして、辛かった。睡眠不足も関係あった。疲れが押し寄せて、胃腸も弱って、なんというか、最悪の状態だった。

大人でもそうなるんだからいわんや小さなこどもをや。

さてほかにも書こうと思っていたことあったけどこの辺でやめます。ねむい。
(それにしても快適だなあ新しいパソコンは!)

Tuesday 19 December 2017

Here comes MacBook

買いました、ついに。パソコンを。
結局MacBook Airの13インチにした。というかAirは13インチしかないけど。
仕事で使っているAirの11インチがとても使いやすかったのだがしばらく前に製造されなくなり、13以外の選択肢はなかった。新しいMacBook Proにしようかとも思ったのだが、5万円も高い。その差はやはり大きすぎると思った。持ち運びを頻繁にするわけでもないし、単に家で使いたいだけなので、5万も余計に出すことはない。

というわけで快適な生活の始まり始まり〜。

ただし冬のMacはギンギンに冷えてしまって手触りが良くないので早いところカバーを手に入れねばと思っています。

Saturday 2 December 2017

必要な出費

投稿の頻度が減っているのは忙しいからとか書きたいことがないからというよりもパソコンがすぐに使えないから、というには以前も何回か書いた。書きたいことはあるのだ。山ほどある。それなのに心に浮かんだその書きたいことを記さないままに日々を過ごしているのはなんとももったいない。

というわけでやっぱりパソコン買おうと思う。そろそろボーナスも出るし。それにしても大きな買い物が続く。9月に電動自転車14万円、11月に冷蔵庫11万円。まあ、稼いでいるのだし、お金がないわけではないし、なによりも必要なものだし、意味ある出費だ。これで生活が快適になるのなら、惜しくはない。その間に、お金で買えない、つまり店には売ってない、いいものがきっと自分に入ってきている、と私は考える。自分への投資とかよく言うけどまあそういうこと。

で、今はこれiPadで書いています。書きにくいなあ、キーボードじゃないと。この先画面をタップする系が中心になっていくのかもしれないけどやっぱり私はキーボードで文章を書くのが好きです。

Monday 27 November 2017

冷蔵庫のスペース

新しい冷蔵庫が我が家に来て1週間。快適である。快適だし、なんだか嬉しい。しかしながら小さい冷蔵庫で生活することに慣れきっていた人間が突然大きな冷蔵庫を持ったからと行って特に生活習慣が変わるわけでもない。案の定、中身はスッカラカンである。そのせいでこの一週間、外に出かけるたびに「よし、食料品買うぞ」モードになってしまった。

特に冷凍庫は本当にスッカラカンである。第一、ご飯とパン以外のものを冷凍することは滅多にないのだ。(あ、あとアイスクリームね。)

冷凍食品は滅多に買わないのだが、以前セブンイレブンの冷凍シュウマイとか唐揚げが美味しかったのを思い出して、立ち寄ったときに買ってみた。

なんだか嬉しい。

が、広くて深いスペースにぽつんと二つ、袋があるだけである。

うーん。



まあ、無理に埋めなければいけないということではない。
作り置きでもした日には、少し冷凍をしてみることにしよう。

物理的にも心理的にも「いつもスペースを」がモットーなので、まあこれで良いのだきっと。

Tuesday 21 November 2017

新しい冷蔵庫

冷蔵庫が来た。

先週、冷蔵庫の電気が突然消えた。中の電気が消えただけかと思ったが、そんな都合の良いことがあるわけはない。壊れたのだ。ついに。購入したのは2002年のこと。一人暮らし用の冷蔵庫だった。それから15年の歳月を経て、ついに、壊れた。大活躍してくれた。

ホテルにあるような、小さめの冷蔵庫が1つあったので、壊れてからはそれを使っていた。夏ではなかったのが幸いで、野菜は常温保存でなんとか保つことができた。ほかにも基本的なものはその小さな冷蔵庫に入れていたのだが、なにしろ小さいので、買い物をしていて「ほしい」と思うものがあっても「どうせ入らないしなあ」と思って買うのを諦めるしかなかった。

早いところ新しいものを買いに行かねばと思いながらもなかなか暇がなく、週末を経て、結局月曜、きのうになった。開店とほぼ同時にヨドバシカメラに入る。平日の朝、電気屋へ行くなんて。こんなことは滅多に無い。

店員がおすすめしてくれたものがあって、あまり迷わずにそれを買った。351ℓの白い冷蔵庫。シャープの製品で、左右どちらからも扉が開くらしい。こんなに大きいのは要らないと最初思っていたのだが、冷蔵庫は大きいほど消費電力が少ないということを知り、「だったら…」と思ってそれに決めた。

届いてみるとこれが快適である。スペースを考えずに食べ物をいれることができる。大きな買い物だが、15年、ひとつ区切りがついたのだろうと考えると結構気分が良かった。そういえば壊れた冷蔵庫にきちんと挨拶をしなかったなあ。まあいっか。役目を終えて「やれやれ」と言っていることだろう。

突然やってきた巨大なお客さんに子どもが目をまんまるにして驚き興奮していたのが、私としてはとても面白かった。

Tuesday 7 November 2017

スピード発熱

小さな大冒険は刺激的で良かった、なんてことを書いた直後にこどもが熱を出した。日曜日の午前中、様子が何かおかしいと思ったらその38度を越えていた。昼食を食べようとしたが座っているのも難しいほどあたまがぐらんぐらんと動いていたので、これは、と思って寝かせた。12時前だったが、そこから5時半ごろまで眠った。その間、何回か起きたし、何回か水やミルクを飲んだ。熱は一時39.5度に達した。明日の出勤は無理だわこりゃと思い、何人かの同僚にメールを送っておいた。夜の時点ではまだ39度近くあった。

ところが翌朝、計ってみると36.6℃。そのあともいっこうに上がる気配は無い。仕事を休むつもりだったが、これはもしかしたら行けるのではという希望が出てきた。午前中いっぱい様子を見ようと思ったが保育園にきいてみると、できるだけ10時までに登園して欲しいとのこと。確かに、11時だろうが10時だろうがあんまり関係が無いな、と思った。4回熱を測ったが結局全部36度台なのでこれは保育園に行けると判断した。

その後も夕方まで保育園から呼び出されることもなかった。熱は結局そのまま上がらなかったらしい。本人もすっきりした顔をしている。驚異的な回復力だ。おかげでこまごまとした用事を済ませることができた。

それにしても本当に、見事に前回の発熱から2週間後である。「だいたい二週間に一回くらい発熱してます」と同僚や知人に言っていたところだったが、今回もまさにその通りであった。

しかし、この回復の早さはやはり成長して体力がついてきた証拠かもしれないと思う。今回は病院にも行く必要がなかった。スピード発熱、である。

Saturday 4 November 2017

ちいさな大冒険

昨日から今日にかけて、横浜に住む親戚を訪ねて行った。こどもと2人旅である。旅というほどの距離でも無いかもしれない。しかしこどもがこれだけ大きく(自在にハイハイで動き回り、意志がはっきりしているがためにベビーカーを嫌がったり自転車を嫌がったりする)なってから、電車での二時間近い長い移動は初めてのことである。たぶん。

天気も良く、こどもの体調もよく、これ以上無いくらいのおでかけ日和であった。「何時までに着かなければいけない」というような制限のあるお出かけではないので気持ちは楽だった。ゆっくり出発して、ゆっくり乗って行く。

どのルートで行こうかと考えたが都心は避けることにした。人が多いのと乗り換えが面倒だという理由からだ。

とったルートはゆっくりのんびりで正解だった。電車も空いている。子どもを見て「かわいー」としばらく相手になってくれた女子大生三人組はありがたかった。

各停と急行を乗ったり降りたりしながら、2時間くらいかけてようやく着いた。

いつもと違う場所、違う人を目の前にしてこどもは驚いていた。慣れるのにはしばらく時間がかかった。電車の中で寝るかなあと思っていたのだが興奮状態でそれどころではなく、寝なかった。親戚宅に着いてから寝るかと思ったがこれまたそれどころではなかった。

もっと小さいとき、例えば生後4ヶ月ごろだったら、こんなに戸惑いはなかっただろう。しかし今、いろんなことがより「わかる」ようになってきている。この変化はやはり大きい。

きょうは朝ゆっくり出発して、昼ごろには帰った。今日こそしっかりお昼寝を、と思ったのだがまだ興奮状態が続いていたのか、2時まで寝なかった。そして3時ちょうどに起きた。お昼寝一時間のみ。

案の定、夜はだいぶ眠そうだったので7時に寝かせたら簡単に眠りについた。そりゃ疲れているよねえ。結構な距離を移動した上に色々な新しい経験をした。

それで、やっぱり思うのは、場面の転換は大事だということ。大人の私にだっていい刺激がある。大したことない、些細なことであっても、いつも会わない人と会って話すだけでインプットとして入ってくる。そしていつもと違う景色を見ていると違う考えが湧いてきたりする。単純だけどこれはものすごく大事なことではないかと思う。

もちろん子どもは毎日同じ環境で、同じリズムを刻みながら生活するのが良い。そうしながらも少しの刺激はやはり必要だと思う。疲れるのは当然だが、ぐっと成長する気がする。実際、顔立ちが変わってきたようにさえ感じる。

1歳2ヶ月。まだ歩かない。表情が増えた。

Friday 3 November 2017

ヨークシャー・ティーとパソコンの話

英国から「ヨークシャー・ティー」が届いた。去年の冬に買って残ったものの続きを最近飲んでいたのだが、やはり古いので風味は落ちる。飲み終わって、新しいものを昨日あけてみたら、うんと美味しかった。ヨークシャー・ティーを手に入れるのが困難だった時期もあったが今ならアマゾンで結構簡単に手に入る。ただし倍以上の値段がするので多少のばかばかしさが伴う。何しろ箱には「£2.75」と書いてあるのだ。二千円近く(いくらだったか忘れた)払っているのがちょっとむなしくなる。たとえば納豆1パックを千円くらいかけて輸入するような感じだろうか。イギリスだったら普通に、簡単に手に入るんだよなあ。

いずれにせよ、ヨークシャー・ティーが美味しい季節です。少し肌寒くなってきたころから、春までずっと飲み続ける。コーヒーが欲しいときももちろんあるけど頻度としては圧倒的に紅茶のほうが多い。

先日、誕生日ということで、パソコンを新調しようと思い、買いに行ったのだが結局ピントこずに買わずに帰った。欲しいのはMacbook airの11インチ。ただ、もう製造・販売されていないので13インチしかない。それでもいいやと思っていたのだがいざ目の前にするとやっぱりピンとこない。11インチがいい。だからと言って新しいMac proとなると14万円もする。高すぎる。USBさす所がない。やっぱりMac Airの11インチがよかった…なくなる前に買っておけばよかった。

というわけで相変わらず古いパソコンで、キーボードだけ別で使っています。

Monday 23 October 2017

晴れた!

二週間近く投稿をしなくてもブログの閲覧が1日あたり10~15件ある。一定の読者がいるということである。ありがたい。

ようやく晴れた。これまでにこんなに待ち望んだ晴れもなかったかもしれない。いや、晴れというよりは「降らなかった」程度の晴れのだが。あまりにも長い雨だった。部屋も心もカビてしまいそうになるくらいの長い雨だった。

きょうは私の誕生日。雨が降っていないということが一番のプレゼントかもしれない、と思った。

Sunday 22 October 2017

発熱、投票、そして雨

きのう、こどもが寝ているあいだに「こどもの発熱があまり無い」と書いたらその直後、(いやもしかしたら同時かそれより早く)見事に発熱していた。書きながらちょっと頭をよぎったんだよなあ… こういうこと書くとだいたい後悔することになるんだよねー、と。予感は見事的中。夜10時ごろ、こどもの身体がとても熱くてもしやと思って熱を測ったら39℃を越えていた。1時ごろには38℃台に下がっていたのできょう1日大人しく過ごしていれば月曜には元気になっているだろう。通常の風邪であれば、だが。

そして今日は選挙日。熱のあるこどもを連れて行くわけにもいかないしどうするかなあと思ったが、今朝7時前にひとり家を抜け出して投票してきた。こんなに早い時間に投票するのは初めてだ。投票所で2人目だった。

今回の選挙は、棄権するわけにはいかない。これだけは。自民が圧勝と言われていてもやっぱり。ようやく、応援したいと思える政党が出てきた。絶対に投票したい、せねば、と思ったことなんて、たぶん人生で初めてではないか?

それにしても雨がひどい。昨日よりも強まっている。

Saturday 21 October 2017

続く雨と1年1ヶ月と21日のメモ

だいぶ時間が経ってしまった。仕事から帰宅すると、必要最低限のことだけをしてすぐに寝てしまうという生活を送っている。さらに自宅にはパッと開けてパッと書けるパソコンが無い。(今使っているこれは結構古くて、キーボードが動かないので別のキーボードを使うという手間がかかる)ので職場からでも更新しない限りブログはそのままなのである。

毎日いろいろ、あれ書こうこれ書こうと思いながら結局どんどん時間が過ぎていってしまった。

かれこれ1週間以上雨が降り続いていて、洗濯物が乾かないと嘆いていたがそれだけでは済まずさすがに精神的にも疲れてくる。こんなに長く降り続くことは珍しい。明るく過ごそうとつとめてもやはりいつものようにはいかない。そもそも光がささないのだから。朝起きて、窓をあけて、がっくりする、という日々が1週間以上続いている。今週は水曜だけが曇りだった。(それでも夜には降り始めたのだが。)

こどもはすくすくと成長している。自分で立てる時間がどんどん長くなってきた。一分間も立てないけど、30秒くらいなら立てている。今週は一歩だけ前に踏み出した。ビデオにとっておくべきだったかしら、と思ったけど、まあ仕方ない。

きょう、区の施設に遊びに連れて行って、ちょっと遠くから眺めていたら、やっぱり大きくなったなあと思った。赤ちゃんぽさはもはや無い。

今のところ、言葉らしい言葉と言えば「あちちちち」と「いたたたた」だろうか。明らかに、食べ物を触ろうとして熱いときと、手をはさんだり体の部位を打ったりしたときに「いたたたた」という。結局のところ私の真似なのだ。頻繁に言っているに違いない。それにしてもすごいなあ。あとはバナナのことを「ば!」と言うくらいだろうか。

そのほか、コミュニケーションと言えば、別れ際に手を振ったり指差したりという動作をとる。型をはめるおもちゃでうまく遊べると「ひゅー」と声を出して周囲の反応を待つ。

(そもそも今週は雨のせいで抱っこしてばかりなのだが)今月はとにかくベビーカーを拒否して困る。ほとほと困り果てている。ろくに買い物もできない。自転車を拒否されることもある。すれ違う人々が同情して「なにかしましょうか」と言うくらい困っている。何か頼みたいのは山々だが、何を頼んでよいやら分からない。

しかし十月に入ったらあまり体調を崩すことが無くなった。鼻水はしょっちゅう出ているが熱はあまり出ていない。

保育園に送って行くときに泣かなくなった。これも10月に入ってから。先生にベターっと抱かれているし、迎えに行くとむしろまだ遊びたいんじゃないかと思えるようなときもよくある。

保育園から、食材リストが渡される。一度家で食べたことのあるものしか保育園では食べさせないことになっているので、いろいろな食材を家で食べさせなければいけない。ということで今週クリアした食材は:
さば、さんま、ぶり、ゼラチン、塩昆布、抹茶パウダー

明日あたり、さわらを試してみようと思う。スーパーに買い物に行ければの話だが。

10月に入ってから、毎週末、子どもとふたりでピザを食べに行く。泣きわめいたりひどく汚したりすることはないので特に手を焼くこともない。1歳児が座っているのに気づかないほど静かに黙々と食べる。おかげで家で作る手間と片付ける手間が省ける。そして何より、私もちゃんと食べられる。外食はもちろんお金がかかるが、その価値は十分すぎるくらいにあるなあと思う。しかし2人で外食ができる日が来るとは!当然ながら成長するにつれていろいろなことができろようになるので、行動範囲も広がるはず。そしてますます楽しくなっていく。間違いない。

確かに、こどもがいると本当にいろいろと大変である。自分の時間がほとんど持てない。それでもやっぱり一人より断然楽しい。純粋な喜びに満ちている。これから何をしようか、どこに行こうか、と考えるとやっぱり楽しい。

さてそろそろねまーす。



Saturday 7 October 2017

強いストレス

久しぶりによく寝た気がする。それでもまだ完全ではなく、睡眠不足も疲労もたまっているが、数日前よりはだいぶマシになった。

先週は、ストレスがひどくて唇にヘルペスができた。大したこと無い、と思っていたのだが、原因がストレスだということにあとから気づいた。そうか、ヘルペスって強いストレスによって出てくるなそういえば、と思いだした。そして客観的にみて、私はストレスを抱えていた。爆発しそうになるほどイライラすることがあった。

ヘルペスが治りかけている、と思っていたら、舌の先にできもののようなものができ、それも1日で治った、と思っていたら今度は口蓋が痛い。まさかの口内炎。

問題なくやっていけているようで、それは気のせいで、実はたくさんストレスを抱えているのだ。自分を労ってやらねば。

と言いながらもきょうは土曜出勤。自分を癒す暇がない。

Monday 25 September 2017

「ば!」って言った

こどもの朝食は定番化している。基本的にヨーグルト、オートミール、パン、バナナである。準備しやすく、手間のかからないもの。なかでも一番のお気に入りはバナナ。

読む絵本にもバナナはよく登場する。一冊に限らない。絵にしやすく、呼びやすいもっとも身近な食べ物のなかの一つ。

毎朝、バナナをむいて切ってあげる前に、しっかり見せて「ば、な、な」と言ってみせている。必ず言ってから食べさせるようになったのがここ一ヶ月くらい。私とバナナをじーっと、本当にじーーーっと見つめていた。それからしばらくして私を真似して「ば!」と言うようになっていた。「なな」はまだ出てこないけどその「ば」がバナナの「ば」であることはよく分った。ちゃんとバナナ実物を見てから言うから。ここまでは特に驚かない。

今朝、ヨーグルトもオートミールもパンもあげて、さて今度はバナナかなと思って立ち上がってバナナを取りに行くとうしろから「ば!」と聞こえた。まさかと思って振り返るとバナナを取ろうとしている私を見ながらこどもが「ば!」と言っている。こんどはバナナが来ると分かっているのだろう。バナナちょうだいと主張しているのだ。

完全な言葉にはなっていないけどおそらく初めて発した意味のある言葉だった。少なくとも私にはそう感じられた。あの黄色い果物がバナナという名前なのだ、ということをこの人は分かっているのだ、ということが分かった。よくある話なのかもしれないけど私はこれにものすごく感動した。新しい段階に入った感じがした。大きな一歩を踏み出した気がした。だからきょうはなんとかしてこれを書き留めておこうと思ったのです。

Sunday 24 September 2017

復帰後の雑感

あっという間に九月も終わりに近づいている。保育園の集金袋を受け取って思った。仕事はゆるゆると再開できるから、それほど時間ややるべきことに追われてドタバタすることは無いだろうと思っていた。しかし思ったよりも時間が無い。物理的に、自分が自由に使える時間は少ない。

その証拠に、例えば、テーブルの横に「とりあえず入れとく書類立て」(今のところは使わないけど一月以内には必要になる用紙とかそういうのを積み重ねずに立てておく)みたいなのを置いているのだが、それを整理する頻度が減った。昨日久しぶりに整理したら案の定不要な紙がたくさんあった。

それに、平日の空き時間が無いので銀行や郵便局や役所に行く時間がない。いまのところ、保健センターと税務署に行きたいのだが「やるべきことリスト」に書かれたままでそこから進行しない。

仕方ないのだ。仕事をするというのはそういうことなのである。

確かにそれほど「追われている」という感じはしない。早く帰宅できているし、睡眠もとれている。こどもも夜中に途中で起きることはほとんどない。周囲の協力も得られている。そして育休中にのんびりできていたかというとそうでもないしむしろそのときよりは精神的な負担が少ない。それでも物理的にもう少し時間が欲しいと思うのである。

健康を害さずにやっていくため、優先順位の第一位としているのがやはり睡眠である。こどもが8時前に寝るのだが、その1,2時間後つまり9時か10時ごろには私も寝る。朝がどれだけ早くなるか分らないから寝られるときに寝ておいたほうがいい。それでも100パーセントすっきり寝られてはいないけど。

Monday 18 September 2017

三連休

三連休は何も予定を入れずに子どもと(文字通り)べったり過ごしている。金曜、仕事中にやはり少し頭が重かったので、これは休まねば、と思った。こどもがいると完全に休むこともできないが、それでも、どこかに行く用事が無いだけ気持ちが楽だ。(以前だったらこれを退屈と言っていたのに。)

子どもにとっては久しぶりに、発熱も手足口病も無く元気に過ごす週末である。きのうは朝からずっと雨がふって家にいるしかなかった。私も退屈だがこどももきっと退屈だと思った。昼寝してから3時半ごろ思い切って外に出た。といっても雨の日にベビーカーででかけるとたいてい翌日に風邪をひいて熱を出すことが多い気がするので抱っこ紐で出かけた。重いけど仕方ない。一時間、区の施設で遊ばせた。家が広いならまだしも、マンションの小さな部屋に1日中いると誰しも気が狂いそうになる。

夜は7時前から本を読んであげた。読んでしまってから数えてみたら18冊も読んでいた。短いのもあるけど、長いのもある。すごい数だ。それでも全部よく聞いていた。感心してしまう。

先日の目まいは何だったのだろう、と知人と会った時にちらっと話してみたら「めにえるびょうって知っていますか」と言われた。聞いたことはある。メニエル病。三半規管に関係ある病気らしい。いまのところ心配は無いと思うがちょっと調べてみよう。

Tuesday 12 September 2017

仕事復帰、めまい

職場に復帰して3週間。こどもと付きっ切りだった日々がもはや遠く感じる。完全に新生活が始まった。戻れる場所があるのは本当にありがたい。仕事内容は9月から本格的に再開したが大変過ぎる内容ではない。育休明けということでだいぶ色々な仕事を軽減してもらっているためだ。

しかし今週は本当に長かった。月曜日に発熱で保育園から呼び出されたのが始まりで、それから1週間、休みをとってばかり。発熱だけでなく湿疹や肌荒れなどで何度も小児科に行った。

そして昨日、月曜日。朝おきるとめまいがする。普段にない、ひどい目まいで、吐き気もする。たちくらみとは違う。天井が大きく回っている。目をつぶっても開けてもつらい。船酔いの症状を思い出させる。遠心力で何かが回っていてその先っぽにいるような感じ。昨夜変なものを食べただろうか、と思ったが、そのせいではなかったようだ。というのも、その後吐いたのだがまったく食べ物は出てこなかった。下痢でもないし、そもそも変なものを食べたのなら吐き気はその夜にくるはずだから。疲れているせいだ、と自分のなかでの結論を出した。吐いたら少しすっきりしたので仕事に行ったが午前中で終えて帰宅することにした。

同僚が「やっぱきついんだよ、自分が思う以上に気を張ってるんだよ、無理しなくていいよ」と言ってくれた。朝から何も食べてないことを知ってあたたかいミニたい焼きをくれた。食べて大丈夫だろうかと思ったけど、食べたら少し元気になった。

同僚の言うとおりである。すべてがうまく行っているように見えるが自分が思っている以上に負担はきている。何しろ一年間仕事をしていなかったのだ。いくら慣れた職場だからとは言え、知らず知らずのうちに緊張している。しかも今週は土日も勤務だったので月曜まで入れると8連勤。つらいわけだ。

今朝、「吐きそう」と言いながら立ち上がれなかったときに、「これ、一人だったらどうすんべ」と思った。こどもは元気なのである。ごはんを食べさせたりおむつを替えたり、いつもどおりにやってあげないといけないのだ。

私が倒れても誰も同情しない。というか、そういう問題ではなくて、実際問題困ることがたくさん出てくる。甘えられる時は甘えて、人に頼るしか無い。

そしてきのう、こどもは2回目の手足口病と診断された。とはいえ、ごはんも食べられて熱もなく元気なので保育園には通える。

Saturday 2 September 2017

社員マスカット、こどもの熱

うちの近くに農園がある。採れたて野菜を毎朝九時から売ってくれる。といっても野菜はおまけみたいなもので、この農園のメインはぶどうである。東京都内の、住宅地のまんなかに、ぶどう農園があるとは。去年は知らなかったけど、この季節は毎週土曜日に採れたてのぶどうを量り売りしているらしい。決して安いものではないが、マスカットを買ってみた。担当の女性が、農園のなかに連れて行ってくれて、一緒に選んでくれた。1房670円だったのでまあスーパーで売っているのとあまり変わらないのではないか。それにしても美味しかった。いわゆるマスカットの味はあまりしない気がした。社員、じゃなくて、シャイン・マスカットというそうです。いやはや、贅沢した。

こどもの体調不良が続いている。手足口病と言われたのは先週の金曜日。土日のうちに治って元気になったと思った(病院でも治ったと言われた)のだが、火曜あたりからおなかがゆるくなったり咳をしたりという症状が出た。今週のどこかの日で、覚えて無いけど暑い日があったので、エアコンを入れて寝たのだが、それもきっかけのひとつかもしれないと思っている。私ものどが痛くなったから。あとは、木曜日の登園中に少し雨に濡れたかもしれない。

体調不良が心配ではあったが8月31日、木曜日には予防接種を受けさせた。医師と話したところ、絶対にうけてはいけないというわけではないよ、と言われたし、9月に入ると仕事が本格的に始まって病院に連れて行く時間も無くなると思ったから。8月31日の時点で、熱はなかった。

木曜はこどもの誕生日だったので、おふろに入ったあとに外食をしにでかけたり、ケーキにろうそくを立てたりしたわけだが、体が熱を持っていることに気づいたのはちょうどその日の夜だった。ほてっているのがすぐにわかった。

翌日、つまりきのうは37度台だったし私の仕事も始まるので保育園に連れて行った。しかしやはり1日じゅう本調子ではなかったらしい。昨夜、38度に上がっていたのでお風呂には入れずに寝せた。

それからきょう。朝は36度台だったので治ったと思った。しかし午前中に外出したらまた38度にあがった。食欲はある。しかし結構きつそうだ。40度の時ほどでは無いにせよ。きょうもまたおふろには入れずに寝せた。

先週の土日に引き続き、こどもに付きっ切りで過ごすというのはなかなか大変なことではあるが、すべてのことに対してあきらめがつく。つまり、優先順位がめちゃくちゃ高いということ。誰に会おうかとかなにを食べようかとか、仕事が無いとなるとあれこれ脳内で計画を立てるものだが、こどもの看病となるとスパッとあきらめがつくし迷うこともない。こどもが生まれる前はこんなことなかった。自分の体調不良ならまだしも。

Thursday 31 August 2017

雨の朝

こどもの誕生日。
保育園に行こうかというときに雨が降り始めた。仕方ないのでカバーのついたベビーカーで行くことにした。体調があまりよく無さそうだ。鼻水も咳も出ている。せっかくの誕生日なのに。

いつもの道を、傘を片手に、もう片方の手でベビーカーを押しながら小雨の降る中を進んだ。雨よけカバーのなかで、なんだかもぞもぞ動いているなと思ったらこどもがベルトから抜け出してベビーカーの上で立ち上がろうとしている。

こらこら、と言いながらいったん傘を地面に置いてこどもを抱えた。その瞬間、ぶわっと涙があふれてきた。

4月の、ある雨の日。今かよっている保育園の見学をするためにこどもを抱っこして同じ道を歩いた。ストライプの傘をくるくる回すと、珍しそうに上を見上げて喜んだ。抱っこしての移動にお互いに慣れていなくて、何度か抱えなおした。重いなあと思いながらなんとか保育園へたどり着こうと必死だった。あの日の光景(葉っぱに雨があたる音と、雨に濡れた地面の桜の花びらと、少し肌寒い朝)がきょうまた、みるみるうちによみがえった。

小雨の降るなか、傘を地面に置いたまま、こどもを抱きしめた。

「お誕生日おめでとう」

そして、産まれてきてくれてありがとう、と本当に思った。心から。
この一年、どれだけの距離を一緒に歩いただろう。そしてこれからどんな日々が待ち受けているのだろう。

涙が止まらなかった。きょとんとした顔をしてベビーカーに戻った子どもと、また同じ道を前に進んだ。雨はだんだん弱まっていた。

Wednesday 30 August 2017

一年前のきょうは

仕事に復帰して2週目。まだ本格的に始まったわけではないのでまったく忙しくない。同僚からは「家にいたほうがリハビリになるよ〜」とか「きょうはもう帰っていいんじゃないの」とか言われる。実際、職場にはほとんど人がいない。先週に比べると今週はまだ増えたように見えるが、それでもまだまだのんびりしている。それでもペースをつかむために一応出勤はしている。いいタイミングで復帰できたなあとつくづく思う。

去年のきょうは、陣痛促進剤が入って苦しんでいたところだった。丸一日苦しんでも産まれなかった。あれは本当に、最悪の時間だった。どのくらいの痛さか、具体的に忘れつつはあるものの、そのときの気持ちは覚えている。そしてもう二度とあの苦しみは味わいたくない、といまだに思う。痛すぎて吐き気のような頭痛のようなものを感じたし、用意された食事も食べられなかった。(食べられなかったその食事が冷やし中華かそうめんだったのを覚えている。)

そうやって産まれたこどもが今これだけかわいいのは、あのとき痛みを感じたおかげ、とは思わない。「腹を痛めて産んだ子」とは言うが、別に腹を痛めなくてもきっと同じようにかわいいし愛しいと思うはず。だからあの痛みは取り除けるなら取り除くべき。痛いと分かっていて麻酔をしない手術は無いのになぜ出産だけが「痛いのは当たり前」で乗り越えるべき試練になるのか。無痛分娩がもっと広まることを願う。

ともあれ。

こどもは元気で一年間を生き伸び、私も元気で職場に復帰している。不安とかイライラとかあるけれど、ものごとはなるようになるのだなあと一年を経た今しみじみと感じる。

Sunday 20 August 2017

12回目の飛行機

きのう、東京に戻った。ずいぶん遠いことのように思える。わずか1日しか経っていないのに。実家にいたのもずっと前のことのように思える。

以前ほど東京の狭さに愕然としなくなった。滞在期間にもよるだろうが、一年間でこれだけ行き来を繰り返せば変化にも慣れるというものだ。

こどもはついに人生12回目のフライトを経験した。

12回(うち2回は国際線)…。

まだ1歳になっていないのに12回も飛行機に乗っているのだ。すごい。マイレージがだいぶたまるだろう、と言いたいところだが0歳なのでそもそも無料で搭乗しているのでマイレージはたまらない。

親子ともに経験を積み、2人でいかに快適に空の上で過ごすか、より良い方法を模索してきた。経験を積んで慣れてはきたものの、その都度、子どもが成長しているので対処すべき問題が異なってくる。使う神経も異なる。

例えば生後すぐだったら、いつ泣き出すか分からないという問題がある。母乳で対処できない「よくわけのわからない泣き」がこの時期はあった。周りの人にすみませんと頭を下げることが多い。そして首がすわっていない時期は文字通り「手が離せない」ので搭乗には補助が必要。

春(5月ごろ)までは比較的旅行させやすかったかもしれない。母乳でササッとおとなしくさせることができる。動きがそこまで激しくない。(とは言え、国際線は本当に辛かったけど。それはまた別の話。)

それ以降、寝返りだけではなくハイハイが始まると、動きが激しくなり1人でひざの上に大人しくさせておくのはもはや不可能。そして体重が、ひょいと抱えるにはきつい重さになってくる。そして、これは私のこどもが特にそうなのかもしれないが大人しく抱っこされている、ということがまずない。私を蹴りまくって私の上(って無いけど)によじ上ろうとする。これを機内でやられると大変。さらに、ものごとがより分かってくる時期になると、いつもと違う場所に来るため興奮してなかなか寝るどころではなくなってくる。ただし、身体がじょうぶになってきているので首のすわっていない子を連れているときほど「手の離せない」状態ではない。離せないのは手ではなく目である。空港で借りたベビーカーから脱出をはかったりする。怖い。

…というわけで今回のフライトは大変でした。しかしそれはこどもが暴れるからというよりも、ピーク時の便だったから。本当に一席も空いていなかったので、子どもを少しも「ちょこん」と横に置くことができなかった。そして席ではじっとすわらない。当たり前だ。ハイハイする自由が欲しいのだということが、肌から伝わってくる。しかし床に置くわけにもいかない。(通常はかならず空席があるので、「あの席に移動していいですか」と離陸ギリギリのところで移動する。)

ただ、それでも、たったの2時間なら余裕で耐えられる。耐えられてしまうのである。その理由は、12時間のフライトを経験しているから。あれに比べれば多少暴れようが大したことは無い。まあ何時間であってもピークは避けるに越したこと無いけど。

ちなみにこどもは、機内で泣き出すことはない。記憶するに、生後1ヶ月の時だけだった。本人も、12回目ともなると、「慣れたもん」なのかもしれない。さすがだ。

毎回思うのは、やはり協力的かつ理解のあるお客さんが近くに座っているととても居心地が良いということ。逆に、しかめっ面をされると辛い。これは成人男性に多い。

さて、これだけANA機に乗っているため、機内で差し出される子供用のおもちゃはほぼ網羅してしまった。飛行機の風船(2種類)、おりがみ、お絵描きボード、パズル… 差し出されると思わず「それどちらも持ってるんです」と言いそうになるが、ありがたくいただく。飛行機の風船はもう3回ももらった。次なる新しいおもちゃに期待。ところであのおもちゃは何歳までもらえるんだろう。

Tuesday 15 August 2017

ブログを長く続けている

ふと思い立って、このブログの最初の投稿を見てみたらちょうど9年前の8月だったようだ。開設してだいぶ長いこと経つ。これ以前にもいくつかブログを書いたことがあるのでブログ歴は9年どころじゃない。15年近いのではないか。その当時はブログがちょっとした流行りで、そのへんの友だちが次々に開設していた。ライブドアが最初は一番多かった。それから数年後、ミクシィというものができて、フェイスブックができた。インスタグラムができた。そうやってみんな段々と文章というものを書かなくなってきた。写真が中心になり、ごく簡単なことばを掲げるようになった。ことばがどんどん軽くなってきた。

ある程度まとまった文章を書くとなると時間が必要である。そして読者を意識する必要がある。そしてテーマが必要である。昔、ブログ書いてたけどやめた、という人たちはきっとそういったものに対するモチベーションを失ったのかもしれない。そしてそのうちに「いったいなんのために書いてるんだろう」と思ったのかもしれない。

でもそんなに気合を入れる必要はない。15年書いてる者として思うこと:

・毎日投稿しなくてもよい。
・気が向いたときに頭のなかを整理するつもりでキーボードに向かえばよい。
・長い文章を書く必要はない
・テーマたるテーマはなくてもよい

そして大事なのが

・読者を意識しない

ということ。もちろんある程度は意識するだろうがこの場合は「誰が読んでいる」という具体的な人物の顔を思い浮かべるほど意識しなくてよいということだ。(そうすると書けなくなる。)つまり誰が読んでも良いように書く。書くのに責任が伴う。それくらい「公」な場であると思っている。じゃあ私的なことはどこに書くのか。直接しゃべりたい相手に会ってしゃべればよい。(フェイスブックでも良いかもしれないけど、あれはどうしても偽りの姿が見え隠れするんですよね。)
ところで:
フェイスブックではあまりにもみんな幸せそうで、
インスタグラムではあまりにもみんな美しい。
そんな現実あるかよ、と思ってしまう。

その一方でツイッターは本音が出てていいよね。

Sunday 13 August 2017

場面転換によるブレイクスルー

ここ二日くらい涼しい。風がよくとおる。特に朝晩は寒いくらいだ。今朝は寒かったので窓を閉めてしまった。空気が、小さい頃に行ったキャンプ場のそれを思い出させる。二日連続で5時半に起きている。田舎の朝はとても気持ちいい。
ここに来て一週間、こどもがボールを投げるようになった。今まで知らなかっただけかもしれない。できたのに投げる機会がなかっただけかもしれない。父がプール用に買っていたビニールのボールをつかむと頭の上まで高く上げてポンと投げる。投げるといってもまだ「落とす」に近いのだが投げたあとにキャッキャと喜ぶのでやはり投げたという達成感があるのだろう。

しばらく前からこどもは手づかみで食べ物を口に運ぶようになっていたが、東京にいるあいだはその「てづかみレパートリー」とでも呼ぼうか、手づかみさせられる食べ物の種類が少なかった。が、ここに来て「あ、これもいけるのか」といろいろ試してみたらうまく手づかみで食べられた。

一週間たって思うが、やっぱり時々場所を変えるのは大事だ。子育てに限らず。6月ごろの投稿でも書いたが、ひとつかふたつ、期待もしていなかったブレイクスルー(突破)が迎えられる時がある。たとえば手づかみレパートリーとしてかぼちゃと米が加わったが、畑から穫れた新鮮なかぼちゃは東京のうちにはないし、毎日米を炊く習慣も東京のうちにはない。環境を少し変えて非日常を体験するだけでいろいろなヒントがもらえるのである。ふだん分かっていたつもりでも見る景色が変わっただけで「あ、そうか」と思えたり見方が変わったりすることがある。やっぱり旅をしたり外出したりして場面を転換するのは大きく意味のあることだ。

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きのうは友だちに会いに行った。私が、故郷で人に会いに行くなんてとても珍しいことだ。こどもを連れて、短時間だったが会えてよかった。やっぱり直接会うのは大事だ。ネットつまりSNSで分かることも多いしつながってる気にもなるが直接顔を見ることにはかなわないと思う。もちろん移動するのに時間も手間もかかるが、それ以上の価値があるし、人どうしの関係というのはそもそも「直接」である。今も、昔も。顔を見ること、声をきくことが基本だ。SNSで相手は理解できないし、あれはきわめて一方的である。


Saturday 12 August 2017

村上春樹を読んで休暇を過ごす

二日前の夜中、二時半から三時半ごろにかけてこどもが寝付けず、だいぶ泣いたのできのうは一日ずっと寝不足状態で過ごした。ところがうって変わって昨夜はほとんど起きなかった。ほとんど、というのは、10時頃に一回むくりと起き上がって少し泣いたのでミルクを160cc飲ませたから。8時の就寝から今まで、寝付けなくて泣くということはなかった。素晴らしい。昨日は涼しかったおかげだろうか。それとも日中穏やかに過ごせたということなのだろうか。やっぱり一進一退なのである。AすればBになる、のような決まり切った機械的な動き(たとえば寝る前にミルクを飲めば起きない、とか)はない。それぞれの子どもにそれぞれの育ち方があるのだろう。一進一退。

この一週間だいぶだらだら過ごしている。暑かったのもあるけど。正しい休暇の過ごし方だ。バカンスというのはからっぽという意味なのだから、休みだからと言って特別に何かをするのは間違っている、と私は思う。普段生活しているところから物理的に距離をおいていったんからっぽになる。ひとつやることを持ち帰ってきているのにそれに手も出さずにいる。

ひたすらやっていることと言えば、村上春樹の『騎士団長殺し』を読むこと。こどもを保育園に預け始めた7月からようやくちゃんと読み始めることができた。7月には上巻を読み終えていた。父親が春に買った下巻がすでに実家にあることが分かっていたので、東京で下巻は買わずに実家に帰るのを待っていたというわけ。そしておそらく今日で読み終わる。

2月の発売以来、夏になるまで本に「入り込む」ことができずにいた。やっぱり読むにはいろいろな条件が必要なのである。

・一人になること
・静かであること
・上記がそろったまとまった時間がとれること

これが、こどもが保育園に行くまでなかなかとれなかった。

きょう読み終えるのは惜しい気もするがやっぱりやめられない止まらない、でした。次の小説出るのまだかなー

Thursday 10 August 2017

故郷にいます

月曜から故郷にいる。飛行機は無事に飛んだ。期待通り、欠航を恐れた人々があらかじめ便を移動していたので満席だったはずの便に空席ができていた。いつもどおり最後に搭乗し、空いている席を見つけて移動を希望する。というわけで今回も3席分をこどもとふたりで使うことができた。

こどもは生後11ヶ月目にしてなんと11回目の搭乗である。国際線含め。ほぼ毎月飛行機に乗っている計算である。

それにしても暑い。南国である。スコールみたいなのが降る。もはや熱帯である。湿度で押しつぶされそうになる。東京でこれは無い。

Monday 7 August 2017

違う環境で刺激を受ける

きのうは少し暑さが戻った。
昼から合気道の懇親会があり、子どもを連れて道場へ行ってきた。一人一品持ち寄りということになっているが手の混んだ料理をする時間はない。スパゲティをゆでてジェノベーゼで和えるだけにした。

いつ子どもを寝せるか?いつ準備するか?
外出するとなるとこれが重要課題となってくる。そこで朝からおおまかな計画を立てておいた。

起床はだいたい6時で朝食はだいたい7時。これはいつもの通り。8時すぎにいったん外へ連れ出し、公園でぶらんこして遊んで9時には戻る。案の定眠くなってくるのでそこで寝せる。いつもなら30分程度で起こすがきょうは寝たいだけ寝せた。午後に機嫌良くいられるように、そして、その間に私が準備できるように。11時ごろまで寝たのでその間にスパゲティを茹で、「一品」の準備。それと同時にこどもの昼食を作った。11時過ぎに出発。だいたいうまく行った。

道場にはたくさんの人がいて盛り上がっていた。普段稽古に行けていないのでここでみなさんに会えて嬉しかった。こどもにとっては、こんなに大勢の人がいる場所が珍しく、最初の一時間ぐらいはだいぶ緊張しているようだった。声も出ないしびっくりしてしまって私から離れない、動かない。半年前は全然そんなことは無かったのに、と思うとこれも成長のひとつなのである。

こういう経験は貴重だなあとあらためて思った。こどもはとても良い刺激を受けている。いろいろな人に会わせると、いろいろなことを子どもにしてくる。頭を撫でたり足を触ったり写真撮ってきたりいないいないばあをしたり鼻をつまんだり抱っこしたり。神経質になると親としてそういうのも遠ざけたくなるのかもしれないけど、子どもにとってはこれもすべて経験だ。100人いれば100とおりの接し方があるし、外の世界ではもっといろいろなことがある。抗菌状態で過ごさなければいけないような新生児ならまだしも、もうすぐ1年を生き抜こうとしている人間である。普段の生活でこれだけの人に話しかけてもらうことはなかなか無い。眺めていると、扇風機へ突進する子どもを、周りの中学生が笑いながら静止してくれている。「おいそこコンセント抜いちゃって」と指示を出す男子。そうしているうちにその子の背中にがっしりしがみつくこども。いい刺激を受けている。間違いない。

Sunday 6 August 2017

欠航不安

明日からしばらく郷里でゆっくりする予定なのだが飛行機が飛ぶのかどうか心配で仕方ない。台風の影響で欠航になる可能性があるからだ。心配してもどうしようもないのは分かっている。しかし空港まで行って「欠航になりました」と言われてそのまま家へ戻る、という事態だけは避けたい。そんなのいままでに一度も無い。出発を妨げられるというのはさぞ気持ちの悪いものだろうと想像がつく。

私の予想では、心配していたほど台風の影響は無くてそのまま飛行機は飛び、欠航を恐れた人たちのおかげで満席だったフライトから少し人が減り、となりのいない席も増えてこどもをつれても気兼ねなく飛べる…のではないかと期待している。

こどもはせっかく慣れてきた保育園からしばらく遠ざかることになる。勿体ないような残念なような気持ちもするが、再び通い始めたときに保育園のことを忘れているということはないだろう、きっと。だから、ゼロからのスタートではないはず。

毎年この時期は日本を脱出して、遠いどこかで過ごしていることが多かったので、こうやって八月のはじめを過ごしているのは珍しい。(去年は妊娠していたから仕方なかった。)みんなが休んでいるときにいっしょに休む必要もない一年だったので、ピークをさけて飛行機にのることができた。何度も。

そう、もうすぐ育休が終わるのだ。とても早かった。そして結構忙しかった。ドタバタしている間にめまぐるしく過ぎて行った。初めての経験だったが、やっぱり一年間の休業はちょうど良かった。産後2ヶ月ごろ、いろいろ辛いながらも「ほらみてごらん」と言いながら子どもと見上げた銀杏の木の黄色はたぶん一生忘れないと思う。

Saturday 5 August 2017

職場復帰に向けて、11ヶ月のメモ

きのう、職場復帰に向けての打ち合わせと引き継ぎに行ってきた。話を聞いているうちにワクワクしてきた。正直なところ楽しみで仕方ない。「実際始めたらほんとに大変だから」とか「想像以上にきつい」とか人は言うけれど(そしてきっと本当にそうなのだろうけど)今現在の私の気持ちは「楽しみ」これに尽きる。そういう職業、つまり、一年ぶりに働くことを心待ちにできるような職業に出会えて本当に良かったと思う。仕事を始めて11年目。確かに嫌なこともたくさんあるけど、好きか嫌いかと言われると、好きだ。大好きだ。ほかの人に自慢できるくらい、楽しい仕事をしていると思う。

おそらく、周りの人が言うとおり、想像を超える大変さが待ち受けているのだろう。子育てと仕事を両立させるというのがいかに大変なことなのか、未知である。初体験である。何も知らない。甘く見てはいけないところもあるだろうし一体どの程度まで頑張って(あるいは頑張らなくて)よいのか分からなくなるかもしれない。いずれにせよ、正解は無い。嫌いなことに無理に耐える必要はないし、楽したけりゃ楽していい。私の人生の主役はほかでもない私である。

****************

こどもについて、11ヶ月と5日のちょこっとメモ。

今週ついに、保育園に預けるときに泣かなくなった。少し「ひひーん」と言いはするものの以前のようにひどく泣くことが無くなった。こっちが拍子抜けするくらいである。おそらくここが楽しいところで、友達に会えるしおいしいもの食べられるしそもそも自分に危害を加えるわけではないということが理解されはじめた様子。

それとほぼ同時だが、きのうとおとといはほぼ夜中起きることなく寝た。どうしても夜中に授乳しないと寝ないという状態がずっと続いていたがきのうときょうは必要なかった。今朝は4時半ごろにちょっと起きたので早過ぎると思って哺乳瓶に残っていたちょっとミルクをあげたらそれで6時まで寝てくれた。おかげでこっちもよく眠れている…はずなのだが、きょうは昼間にやたら眠い。なんだろうな。

Friday 4 August 2017

サンダルがこわれた

サンダルが壊れた。

2週間くらい前だったか、ベビーカーのストッパーを上げようと思ってサンダルをひっかけたら、鼻緒(って言わないよね下駄じゃないんだもの)がスパっと外れてしまった。「あ」と思ったが、まあ仕方ないなと同時に思った。こういう扱い方をするからだ。自分のせい。

その部分が外れていても十分にはけるのだが、やっぱりここはきちんと修理に出そうと思った。BIRKENSTOCKのサンダルなので店舗に持って行けばきっと直してくれるだろう。

店のカウンターにサンダルをのせてみて初めて思った:

「ボロボロやないか…」

痛々しいほどにボロボロである。こんなに目に近い位置で、しかも照明にあてて自分のサンダルを見たことが無かった。

それもそのはず、もはやあれはどの夏だったか忘れた、というくらい昔に買った。5年?いや、もっと前である。10年も経ってないはず。その年は(というか、「も」)ローマで夏を過ごしていた。靴屋さんで50ユーロくらいで買ったと思う。

ビルケンシュトックは日本で買うとやたらと高い。レートにもよるだろうけど2割増くらいに感じるときがある。ドイツのメーカーなのでヨーロッパで買うともう少し普通の値段で買えるのだろう。

…と、当時思ったのを覚えている。それ以降、ヨーロッパでも日本でもサンダルを買おうとしたことがなかった。というのも、そのとき買ったこのサンダルでじゅうぶん満足していて、毎年ほかに何か欲しいと思うことはなかったから。

たしかほかにもいろいろサンダルを持っていたはずなのに、この一足に足が馴染めば馴染むほど、ほかのサンダルがいらなくなっていった。じょじょに処分をして、今残っているのはヒールのある黒いサンダル(スケッチャーズとクラークス)が二つ。それとこのビルケンシュトックのみ。

で、修理の話に戻る。

きょうの夕方、こどもをお風呂に入れようとしていたら電話がかかってきた。なんと修理不可能だそうだ。というのは、この古さでは、土台もソールも総取っ替えしないと話にならないらしい。土台であるコルク部分を替えるとお金がかかりすぎるからとりあえず鼻緒(!)の部分だけ替えてくださいとお願いしていた。そうすれば1800円で済むのでこの夏でとりあえずはきつぶそうと思ったのだ。しかし総取っ替えしないといけない、と。そしてその修理代はほとんど1万円。

これは修理を諦めるしかないと思った。新しいのを買ってもだいたい1万円するのだ。

気に入ったもので質が良いものは、ちょっとずつ直して長く使うのが結構好きだ。かれこれ10年以上使っている財布も然り。質が良いと修理に耐えられる場合が多い。

しかしこればっかりは仕方ない。寿命だ。それにしても長く活躍してくれた。

調べてみると、MAYARIという種類のサンダルらしいです。紫色だった。これだけはけばサンダルも本望だと思います、とお店の人も言っていた。今度、工場から戻ってきたら引き取りに行くことになっている。ありがとう、お疲れさま、私のサンダル。

Wednesday 2 August 2017

食事エプロンを作った

自分だけは例外、と漠然と思っていることがある。そのことにすら気づいていなくて、気づくのはいつも当事者になってからなのだが。

たとえば保育園を見つけるのがいかに難しいか。待機児童問題は他人の問題だった。いずれ自分も直面する問題であることが分かっていながらもなんとなーく自分だけは例外な気がしていた。
妊娠出産に関する問題もそうだった。

世の中の人々が必死こいて、がんばって、もがいている部分を自分だけはすっ飛ばせるような気がしていた。そして今もどこかそう思っているところは、やはり、ある。

ちょっと話は違うかもしれないが保育園とか幼稚園とか小学校の準備ってそんなに大変なのだろうか、とこれも漠然と思っていた。世の中のお母さんたちが夜な夜なミシンを引っ張り出してきて「おどうぐ」をそろえるのは義務なのだろうか、あれほんとにやらなきゃいけないんだろうか、と。

で、当事者になってみて思ったのは、買えば済むものでも作りたくなっちゃうのかな、ということ。ちょこっとの裁縫で済むのであれば。

今通わせている保育園の場合はそれほどたくさんの準備するものは無かった。区立保育園でお願いされるようなシーツもいらない。ただ「エプロンを用意してください」と言われたのだが、二枚しかなくて洗濯が追いつかない。どうしようかなと思ったら、作ったほうがいいということに気づいた。手間はかかるかもしれないが、ほかのものに比べると比較的簡単にできそうだ。具体的には1,切って、2,バイアステープを縫い付けて、3,マジックテープを縫い付ける。それだけ。というわけである日、生地を買って作ってみた。これ↓
カーブのところが難しかったけど、ラミネート生地なので普通の生地よりも簡単にできる。糸の始末も不要。

ちなみにこの生地は、下北の小さな生地屋さんで買いました。ユザワヤではなく。最近下北の小さな店がつぶれてばかりなのでここぞとばかり応援しておいたというわけ。そもそもこの素敵な生地(ニューヨークの地図)はこの生地屋さんにしか無かったし。

生地がまだまだ余っているのでまた何か作ろうかなと考えている。

Tuesday 1 August 2017

8月になった

思いつくがままに最近のこと。


おととい、ついに三回目の家事サービスが終了してしまった。(終了と言ってもお金を払えばいくらでも来てもらえるのだが、回数券は何万円もする…。)今回はラザーニャと、ラタトゥイユという手の混んだものを作ってもらった。さらにリクエストしたポテトサラダとかぼちゃの煮物、それから茄子の揚げびたし。どれもこれも美味しかった!


保育園の入り口にこんな紙が貼ってあった:
「フリーの保育士の○○は結婚のため退職することになりました」
おー、めでたい、と思ったのと同時に、どこかおさまりの悪い、へーんな感じがした。それからその後ずっとこの張り紙が頭に引っかかって仕方なかった。

結婚したら仕事をやめるものなのか?
結婚は退職につながるものなのか?
たとえば保育園じゃなかったらこういう書き方をするだろうか?
しかし、ただ「退職します」と書くよりはこれがマシなのだろうか?
これがいわゆる寿退社?

30年前だったら特にこの掲示が気にならなかったのかもしれない。でも今きっとこれを見て変な感じあるいは違和感を覚える人はきっといると思うんですよね。逆に、結婚しても保育士を続けてる人はどれくらいいるんだろう、と思ったけどそれはきっと専任かどうかによるのかもしれない。掲示にあった保育士さんは「フリーの保育士」ということになっていた。

しかし、だ。

たとえば私だったらこんな書かれ方をされたくはない。いや、そもそも、子どもができたならまだしも、結婚と同時に仕事をやめるっていうのは一体どういう感覚なのだろう。繰り返すが、30年前ならまだしも、だ。せっかく始めた仕事を、体力も美しさもそろっている20代に後にするというのは、悔しくないのだろうか。それとも夫からそれを頼まれるのだろうか。え、ちょっと待って、それって夫の人生?彼女の人生?夫とうまくいかなかったら?その後どうなるの彼女は?

まあ、あれかな、夫の仕事の都合で東京を離れるのかもしれない。それだったら仕方ないけど。

女性は経済的に自立しているべきです。絶対。

んー、とは言うものの、確かに二十代のある時点では「仕事なんてやめても愛さえあればどうにかなるし平日ジャムでも煮たりしてゆっくり子育てこそが私のしあわせ」と思ってた時期があったっけなあ。今だったら当時の私に「仕事やめるなんてありえんよ」と言ってあげたいけど。

ともあれ、保育士の○○さんに幸あれ。

★子どもはだいぶ保育園に慣れてきたようだ。きょう、ついに、預けたときに泣かなかった。(もちろん最初の数日は何が何か分かっていなくて泣いてなかったけど。)だいたい一ヶ月経ってようやく次の段階まで来たと思われる。

一週間ごとに、園にいる時間を少しずつのばしてきている。先々週からは、昼寝をするようになり、起きて泣くと電話が来て迎えに行く、という具合だった。そして先週からは途中で起きようが何しようが、とにかく3時まで。そしてきょうからはついにお昼寝のあとにみんなとおやつを食べるという段階まできた。一ヶ月かけてようやく、である。本人が一番大変だったろうなあと思う。よく頑張った。きょうのおやつはヨーグルトだったらしく、喜んで食べたようだ。それもそのはず、毎朝、大人と同じくらいの量のヨーグルトを、砂糖もジャムもフルーツも無い状態でパクパク食べているのだから、おやつに出た「オレンジヨーグルト」はさぞ美味しかったはずだ。

★子どもを預けている時間を有効に使おうと、片付けをしたり買い物に行ったりしている。今のところもっとも意義あると思えるのが、水泳だ。夏休みに入ってプールの学校使用の時間がなくなり9時から一般開放になったので、預けてその足でプールに行く。やっぱり水はいい。めちゃくちゃ気持ち良い。きょうは、伸びきってしまっていたスイミングキャップを新調した。身体を動かすって最高に気持ちがいい。

★去年の今頃は逆子騒動で大変だったなあ、と思い出す。騒動というほどのことでもなかったかもしれないけど張本人にとってはあれは結構な一大事でした。詳しくは去年の記事をご覧下さい。外回転のために病院に診断にいったのが7月末だったから、去年の今頃は、回るかどうか最後の期待をかけていた一方、本当にこれやっちゃっていいのか不安につきまとわれてもいた。すんごい暑い夏だった記憶があるけど、それはたぶんおなかが重かったせいかもしれない。注射うつために毎日のように病院まで歩いたなあ。ほんっと暑かった。そしてテレビではひたすらオリンピックが放送されていた。あれからもう一年。

Tuesday 25 July 2017

家事サービス 第二弾


はい、じゃじゃーん、これなんでしょう?

最近このブログを読んだ人は記憶に新しいはず。
そう、家事代行サービスの第二回目を依頼しました。
子どもが1歳になる前に、チケットを使い切らねばと思い依頼したのはもう1ヶ月近く前。やはり人気の会社のようで、そんな簡単に空きは出ない。

前回は、どうしようかなーちょっとめんどいなあと思いながらの依頼だったけど今回はもはや楽しみでした。
というのも前回依頼して、これはまったく肩肘張らずにお願いしちゃっていいのだということが分ったのと、また同じ女性が来てくれるということがあらかじめ分っていたのでより安心していられた。

こっちもなんとなく要領が分ったので、朝、保育園に子どもを送った帰り道にいくらか野菜を買っておいた。そして、「前回のポテトサラダが美味しかったです」と、いくつかリクエストをしてみた。

すると、たったの1時間半で7品が出来上がった!!!
すごい、ほんとすごいよこの人…。
前回よりずっと早くなっている。たぶんうちの台所を使うのが2回目で慣れたからかなあ、とは思ったけど、それにしても早い。プロだ。

今回も「お砂糖どこでしたっけ」しか聞かれなかった。鍋とか調味料の位置が分らずうろたえるなんてことは前回同様まったくない。うーむ。手際が良いなんていうレベルじゃない。しかも、リクエストをしたことはしたが、それを差し引いても、頭の中でのプランの描き方がすごいと思う。材料を見てメニューが頭に浮かび、一時間半のうちに同時進行で7品を作るわけだから、えーっと、どうなってんだこりゃ?手は2本しかないよ?コンロも三つしかないよ?

「えーっと、30分余りましたからお掃除でもしましょうか」と言って掃除機をかけてくれた。

保存容器に入った上の写真は、ナスを入れるのを忘れていたからあらためて皿に盛ったものを;
ナスの揚げびたし
ポテトサラダ
れんこんのきんぴら
かぼちゃの煮物
ズッキーニのしょうゆ炒め
小松菜のおひたし
切り干し大根とツナの煮びたし

ぜんぶ美味しい。細胞が満たされて行く。
明日まで料理はしなくて済みそう。

Sunday 16 July 2017

出かけて正解

湿度も温度も高い。どう過ごせばいいだろう。毎年のことなのにこんなに参ってしまうのは、今年は仕事に行っていないからかもしれない。とにかくエアコンが無いと息がしづらい。同じ夏の暑さでも、これが田舎だと朝夕はもっと涼しいし、自然の風が吹くのでもっと過ごしやすい。

昨日も本当に暑かった。午前中、さて、どうしようか、と考えた。保育園が休みなので、いつものように地域の遊び場や図書館に行こうかなと思ったのだが、久しぶりに子どもと一緒に電車に乗ってどこかに行きたい気がした。実は職場にちょっと用があったのだが子どもを預けられないのなら行くのはやめようと思っていた。しかしなんだか昨日の勢いだと「一緒に連れてけばいい」という考えにすぐいたった。

ただ、この暑さではためらう。そして、行きかたが何通りもあるのだがそのうちのどれをとるか、さらに迷った。そしてそもそも行くべきかどうか、行った先での用事にどれくらい意味があるのか、考えた。正直なところ行く意味はあまり無い。

それでも、えいやっと出かけた。なんだかきょうはそうすべきな気がしたし、そういうときってある。行って、たぶん1時間も滞在せず帰ってくるだけだけど、少しイベントというか小さな冒険、的なことを子どもとしたいと思った。

迷って乗った電車の先頭車両は混んでいた。さらに久しぶりの電車にこどもはきょろきょろ、驚いている。ベビーカーはいかにも邪魔そうだったので二駅乗って降りて、うしろの車両に移動しようとした。けれどその電車で移動をするのは間に合わなかったのでもう1本待つことにした。それから一番後ろの車両に乗った。

汗がたらたら、ぽたぽた。「ごめんよー、あちこち行っちゃってね」と子どもに言う。

やれやれ、と、心の中で思った。やっぱりこういう日に出かけるとこういうことになるなあ。別のルートで行ったほうが正解だったかもしれない。こんなに苦労をしてまで行く意味があったろうか。しかしもう出てきちゃったのだから後には引けない。

目的地に着いて改札に向かおうとしたそのとき、見覚えのある姿が…

なんと、大学時代の恩師だった。お互いにびっくりした。会いたいと思いながら一年以上会えていなかった。めちゃくちゃ嬉しかった。やっと子どもに会わせることができた。

映画の「スライディング・ドア」をこういうときは思い出す。電車に乗った自分と乗らなかった自分。

やっぱり今日は出かけて正解だったのだ。1本後の電車に乗って正解だったし、このルートでよかったし、そもそも職場に行くことにしてよかった。先生に会えたというそれだけですでにきょう出かけた意味はあったと思う。

やっぱり私、センサーみたいなのがあるなあと思ったし、自分のアンテナというかセンスには自然と従うべきだと思った。

Saturday 15 July 2017

保育園でケガ

7月14日、昨日のこと。
いつものように9時に保育園に子どもを預けに行った。いつも以上に泣いていて、やはり心が痛んだが、心を鬼にして去る。

それから数時間後、保育園から着信あり。なんとこどもが怪我をしたという。目じりを切った、ということだが、どの程度なのか気になる。近くの病院にすでに診せに行っているらしいのでそれほど心配はいらないようだがやはり気が気ではない。

12時になって迎えにいき、様子を見てみるとたいしたことはないようだったが、目に影響があるかどうかはやはり気になった。念のためいつもの小児科に行くことにした。保育士もついてくるというのでお願いすることにした。小児科では、傷についてのみ診てくれた。目に関しては分らないので今日中に眼科へ、と言われた。そこから徒歩一分もかからないところに眼科があったので行ってみたら、目に傷はついていないと言われた。よかった。

どれくらい保育園を信頼してよいのか、初めての経験なので私もはかりかねるところがある。しかし信頼するほかないのだ。確かに注意して見ておいて欲しいというのは事実だが、どこにいても起こりうる怪我かもしれないなとは思う。ただ、保育園側にはこの反省を生かして欲しいと思うし同じことは起こらないといい。それ以上言いようが無い。

傷はおそらく3,4日で治るのではないかと思っている。その頃にはもしかしたら新たな傷を作っている…かもしれない。と、きょう、遊び場の棚にガンガン頭をぶつける姿を見ながら思った。

Thursday 13 July 2017

保育園に通って1週間

暑い。エアコンなしでは過ごせない暑さの日々が続いている。今週に入ってからは特に暑い。梅雨が明けたわけではありません、みたいなことをテレビの天気予報で言っていたのはどれくらい前だっただろうか。

先週から少しずつ子どもが保育園に通い始めた。今週はお昼ごはんまで食べたところで迎えに行く、ということになっている。ほんとうに少しずつ慣らしていく予定。私の仕事復帰までにはまだ時間があるし。だいたい1週間通ったことになるが、ついに「この場所に連れて行かれると親がどこかに行く」ということを理解し始めたらしく、きょうは泣き叫んでいた。後ろ髪ひかれる思いで置いて行ったが、保育園に行っていじめられるわけでもないし変なことをされるわけでもないのだから、これで良いのだ、と自分に言い聞かせている。きっとすぐに慣れるしすぐに楽しくなるはず。

24時間つきっきりではなくなったおかげで私には心の余裕ができた。たったの3時間、午前中に離れているからこそ、戻ってきたときはたくさん抱きしめてあげようと思えるし、世話をすることが以前ほど苦しくなくなった。子育てに限らずやっぱりメリハリが大事である。

3時間、何をしているかといえば、本を読んだり好きなものを食べたり美容院行ったり買い物したりウロウロしたり… という感じ。今までやりたくてもできなかったことを思う存分やらせてもらっている。こどもがどんな顔をして保育園で過ごしているのか、と考えると少し不安になるのも事実だが、せっかく手にした自分の時間は有意義に使いたいものだ。

保育園に行くようになったおかげで以前に増して生活リズムがしっかりしてきた。気のせいではなくてこれは明らか。というのも午前中の睡眠を、保育園でうまーい具合に(というのは、寝すぎずに、ちょうど30分くらい)取れていて、きっちり同じ時間に昼食を取っているので、それに合わせるかのように就寝時間と起床時間が定まってきた。

就寝時間は以前まで9時以降だったり、10時の時もあったりした。それが9時になり、きのうときょうは8時。さらに夜中に起きる回数が減ってきた。

昼寝は二時間ぐらいさせて、遊ばせて、6時にお風呂、7時にごはん。
朝はやはり、きれいに6時~6時半の間に起きる。すばらしい。これは前から変わらず。

リズムを整えることは一般的に「だいじ」とは言うものの、何がどう誰にとって大事かっておそらく本人にとってだいじなのである。きっと過ごしやすく生きやすいに違いない。

Sunday 9 July 2017

ある平和な夏の朝

朝は5時半ごろ起きた、と思う。時計を見ていないし、太陽が5時台ぽかったし、ラジオ第2は無音だったから。こどもが起きたのでそれで一緒に起きた。昨夜はよく眠れたのか何なのか覚えていない。何度か起きたような気もするが覚えていない。エアコンをつけたのもあって比較的良く眠れていたのではないだろうか。

昨夜は7時ごろから泳ぎに行った。家の近くにもプールはあるが、そっちじゃなくてもっときれいでもっと人の少ないほう。かれこれ10年ぐらい行っているんじゃないだろうか。こどもを預かってもらい、手放しで出かけた。もう、気持ち良いのなんのって!

夏の夜が好きだ。日が沈んで暑さがおさまり、プールで泳いで濡れた髪で外に出ると気持ちが良い。Tシャツ、短パン、サンダルで、つめたいビールを飲んでぶらぶらする。
こんな形の自由もある。
ささやかだけど、確実な幸せ。

やっぱり同じ時間に寝ても、運動をした後には眠りの深さが違う気がする。夜に何度か起きたとしても、そして今朝5時台に起きたとしても、きょうはいつもより目覚めが良い気がする。暑かろうが寒かろうがからだを動かすのは大事だ。

6時半にラジオ体操をしていたら汗がふきでてきた。暑い。今日は(今日も)暑い。こどもにご飯を食べさせた後、本格的に暑くなる前にと思って外に出た。7時から8時まで散歩。健康的だ。暑いだろうと思って甚平に着替えさせた。この前西友で衝動買いしたつ。や夏らしくて良い。

コンビニでアイスコーヒーを買っていたらおじさんに「早いねえ」と話しかけられた。花壇の雑草をとっている別のおじさんに「おはようございます」と言ったらやや驚かれたがおはようございますと返ってきた。八百屋さんにもおはようございますを言ったら驚かれたが返ってきた。だって朝7時だもんね、おはようぐらい言いたくなるよね。この時間に外に出てるってことはやっぱり彼らも朝の爽やかさを感じているわけで、気持ち的には「おはよう」なんだから。

公園にはすでにたくさんの人たちがいた。ジョギング、犬の散歩、などなど。みんな健康コンシャスだ。だけどこんなに小さいこどもをつれているのはどこを見渡しても私ぐらいしかいない。

公園を回っている間に眠くなったらしい、泣き始めたので帰った。ベビーカーから抱き上げた途端に頭をことんともたれ掛からせて眠りに着いた。エアコンを入れて、横にして、
いまちょうど2時間くらい眠ったところ。平和な夏の朝。

Wednesday 5 July 2017

7月5日。忙しくて暑い。

7月5日。暑くて、忙しい一日だった。
7月5日といえばちょうど産休が始まった第1日目だった、去年は。もう一年が経つのだ。

朝6時ちょうど:
子どもが目覚める。本当に健康的だ、この子は。

6:30 (いっしょに)ラジオ体操をして朝ごはんを食べる。

8:30 おしりのかぶれが気になるのと、右目の目やにが気になるので小児科へ。

少し買い物をして帰宅。帰り道のベビーカーでみごとに眠りにつく。それから10時ごろ、おきてくれたらいいなーと思って見つめていたら本当に起きた。

10:30~ 保育園入園手続き。あらためて、急だなあと思う。こどもは、いつになく警戒していた。先日も行った場所だというのになかなか動き出そうとせず、おもちゃにも興味を示さず、不思議な泣き方をする。抱っこしてしばらくすると落ち着くが、泣き方がおなかすいた、でも、ねむい、でもない。自分がここに預けられるということを察知しているのだと私は思った。なんでも分っているのだ。まさか自分をあずけるんじゃないよね、みたいな目でときどき私を見つめる。

12:00に説明が終わって、郵便局に寄ってから帰る。郵便局のお姉さんが「私はこどもが今月で1歳になるんです」と言っていた。つまり彼女はこどもが1歳になる前にすでに仕事に復帰しているのだ。思わず「復帰していらっしゃるんですね」と言ったら、微妙な表情、というか苦笑しながらだまってうなずいていた。みんながんばってる。帰り道がめちゃくちゃ暑い。

13:00から遊び場で行われるリトミックに参加すべく大急ぎで昼ごはんを食べさせた。私が口に入れたのはかろうじてCCレモンだけ。めっちゃ暑いけど出かけよう~♪という適当な歌を歌いながらリトミックへ。

リトミックって一体何なのか分ってなかった。私がイメージしていたのはもっと音楽に特化した、より専門的で高度で面白いものだった。実際は、歌にあわせて体をうごかそう~♪みたいな感じ。そんなに専門的なものでもなんでもない。

問題は、それに参加するかどうかだ。いや、こどもはその場(部屋の中)にはいるのだが、部屋中を縦横無尽に這い回っておもちゃで遊んでいるため、リトミック自体にはまったくといっていいほど興味を示さない。「はい、だっこしてみましょう」とか「ゆらしてみましょう」とか夢のまた夢というか。その場に留まっていないしほかのものに興味を示しているため抱っこどころではないし、無理に連れ戻すほどでもないなと思ってそのままにしてあきらめた。タンバリンを持ったときだけは大喜びしていたけど、スカーフみたいなのをかぶせられたりしたときは本気でうっとうしそうだった…。「はい、ではこどもと向き合って、おかあさんがこどもの視界から消えてみましょう~」といわれて、同じようにまったく輪に入ってない子のお母さんと目を合わせて笑った。「視界から消えるって、どっちの話だろう、って感じですよね」と。

2時過ぎ。お昼を食べていなかったのでセブンイレブンで冷たいうどんを買って帰る。またしても帰り道に寝てくれた。すごい。帰宅して横にして、つかの間の休息。うどんを食べる。それにしても暑い日だ。寝ているすきに、保育園の書類を書きこむ。

4時からは(私の)歯医者。これまたこどもが起きてくれたのですんなりと移動ができた。電車にのっていつもの歯医者へ。クリーニングをしてもらう。

それから帰り道大変なことが起きた。

雨が降ったのだ。大雨。しかし、乾いたアスファルトが湿っていく感じは結構好きだし、まあそのまま歩こう、と思っていたらなんとどしゃぶりになった。これは楽しむどころではない。ベビーカーには幸い、カバーがあったので取り付けた。私はというと、ずぶぬれになって帰った。いや、実を言うと少し楽しかった。中学のときに自転車で濡れながら帰ったこととか思い出した。すれ違う、かさを持っていない小学生や部活帰りの中学生を見てちょっと嬉しかった。ある意味、この季節の醍醐味かもしれない。

帰ってからすぐにこどもをおふろに入れた。

咳が相変わらず治らないのできょうこそはのど飴を買った。VC3000。つらいなあ。

忙しかったけど充実した1日だった。子どもは朝寝も昼寝もしたにも関わらず、7時過ぎにすでに眠りについた。

こうやって、産休に入って一年後の1日は過ぎて行く。きょうはアイスクリームもゼリーもヨーグルトも食べたけどまだのどがつめたくてつるんとしたものを欲している。ジュース飲みたいなあ…

Tuesday 4 July 2017

周りに感謝した日

保育園から電話がかかってきて、その内容を聞いた瞬間はまさかこどもを預けて復帰しようとは思わなかった。3月までは毎日こどもとつきっきりで過ごすつもりでいたし、そもそも復帰する予定を「やっぱり育休延長します、言うことがコロコロ変わってすみません」と職場に頭を下げてきたのが2ヶ月くらい前のこと。だから電話が来たときは、その内容を理解はできたもののなんとなく人ごとのようでもあったし、現実的に考えられなかった。ほんの数分たって、「あれ、もしかして仕事ができちゃうということか」と思った。だんだんとリアルになってくる一方で、誰かにこのことを話したかった。家族や友人に相談することにした。あまりに急すぎて、ドキドキがとまらなかった。こどもの顔を見たら急に泣けてきた。(ということはもうあの時点で、預けようと思っていたということだろう。)

結局一番最初に相談をしたのが、地域の子育て支援コーディネーターだった。ちょうど先日、一応と思って電話番号を控えておいたので、そこにかけてみた。そしたらどうやらいつも行っている遊び場の担当の方だったようだ。私のことを覚えていてくださった。よかったですね、またとない機会だと思う、と言われた。急で戸惑いはあるだろう、というのも分かっていてくださった。ごく冷静に、「保育園に連絡する前に、職場に、空きの連絡が急に来て戸惑っているという連絡をしておくべき」と言われたのでその通り、すぐに職場に連絡した。「今日中に決めて連絡します」と言った。

親とも話した。父親、母親、弟、それぞれに受け止め方も考え方も違うと思った。それでも、「答えは出ている」と父親に言われて、うん、そうだなと思った。

よく言われることではあるが、やたらと人に相談するときは実は答えが自分で決まっていて、あとはただ後押しが欲しいだけという場合が多い。昨日の場合はまさにそうだったと思う。どうしよう、と言っている割には、「こどもは親と一緒にいるに限る」などと言われると過剰に反応してしまったり、預けたほうがいい理由を一人でどんどん列挙しながらしゃべったりしていた。

それでもやっぱり大きな物事を決めるときには他人と会話するに越したことはないと思う。話すことで自分のもやもやを外に出して、考えとして整理できるから。そして特に手順を踏まなければいけないときなど、一人で慎重さが欠けそうなときはなおさら他人に話す。

そんなこんなで電話が来てから数時間後にはだんだんと「預ける」方向に考えが固まって行った。

大事なのは、職場である。この一年にわたる「ぜったい延長しません」「あ、やっぱり延長します」「あ、やっぱり延長しません」という一連の宙ぶらりんな感じを本当に受け止めてくれるのか。

電話したら管理職は「いずれにせよ決める権利はあなたにありますから」と言った。そして私の代替の方は「どちらになっても大丈夫です」と言った。理解あるどころではない、もう、頭が上がらない。すみませんしか言えなかった。いい加減にどっちかにしろよ、と言われてもおかしくないところなのに。

夕方に代替の方に「保育園に預けることにしましたので復帰します」という旨を伝えると「決まって良かったですね」とさわやかに答えてくれた。有難すぎる…

午後から、遊び場に出かけて行って、直接コーディネーターと話した。1時間近く、話ができた。仕事と育児についてが主だったがかなり深い話を聞くことができた。行って本当に良かった。こういう場や人をaccessibleに設けてくれている自治体に感謝した。そして、この10ヶ月間でこの場を見つけてこの人と知り合った自分に、でかした、と言いたかった。

それにしてもコーディネーターをはじめとした、自治体の、子育てに関わるスタッフさんたちはプロだ。経験があるというだけではない。よく勉強して、最新の情報を常に仕入れているので話がしやすい。考えを押し付けられることもない。なのに日々見守られている。よく遊び場に通っているというのもあるけど、とにかくよく理解してくれていて、覚えてくれている。道であっても声をかけてくれる。適格なアドバイスをくれる。

私自身の心がだいぶひらけた、というのもあるだろう。最初は「うちの子は他の子と違うし」という意識がやっぱりどこかにあって、地域がこんなにオープンでいてくれているのになかなか打ち解けようとしていなかった。要するに、強がっていたのだ。それがここ数ヶ月、手も足も出なくなり、発狂寸前になって助けられたのがこういった遊び場、区の施設だった。いつでも相談どうぞ、いつでも味方ですよ、と手を差し伸べてくれている。

保育園が見つかった今だからこんなに明るい気持ちになっているだけかもしれないけど、やっぱり自分もオープンになって近づいて行けば、いい環境、いい関係が自分で築ける。結局は自分次第である。どんな環境にいても自分が変わればちょっとずつでもいいことは起きる。そして受け入れてくれている周りに感謝。

さて、雨の音を聞きながら寝るとします。咳は相変わらず治らないけど昨日よりちょっとマシかな。

Monday 3 July 2017

空きのしらせ、喉が痛い

喉が痛い。数日前から痛い。
昨日は咳が止まらなかった。きょうあたり、治るだろうと思っていたのだがそうすんなりとはいかない。きょうは声が枯れている。久しぶりにこんなことになった。咳が何週間も止まらなくて困ったことが、仕事をしていたときにはあった。あのときは本当に苦しかったのだが、今までその大変さと苦しさを忘れていた。これは苦しい。ちょうど数年前もだいたい梅雨の時期だった気がする。季節の変わり目ということだろうか。何をどうすれば治るか分らないが、地道なうがいが一番効くと聞いた。そしてきょうのど飴を買うのを忘れていた。

どうして忘れていたかと考えてみると、きょうはとても大きな出来事があったから、かもしれない。午前中に留守電メッセージが入っていたので聞いてみたところ、以前見学に行った保育園からだった。もしかしてと思ってかけなおしたら、空きが出たとのこと。以前書いたとおり私は育児休業を延長することに決めていたので正直なところ気が動転するくらい驚いた。そんなつもりではなかったからだ。それでも冷静になって考えてみると、こんなチャンスはなかなか無い。つまり秋から仕事ができるわけだ。数時間の間にいろいろな人に相談をして、保育園にいかせることに決めた。これで断る理由は無い。

あさって手続きをすることになった。とにかく急だが、このチャンスにのってみることにした。

Saturday 1 July 2017

ママとかパパとかねんねとか

湿度が高い。洗濯物が全然乾かないにも関わらず新たに洗濯をして干してしまった。まあいずれは乾くだろうし、汚れて湿ったものを積み重ねておくよりはマシかと。

朝からエネルギーが有り余った子どもを遊びに連れ出し、帰り道にみごと眠らせて帰ってきた。最近は横にしただけですーっと眠るようになったので楽になった。授乳やだっこの必要がないので、深い眠りに落ちるまでずっと腕に抱いたまま待つ必要もない。焦らなくても自然と成長していくものだ。

それにしても夜に起きる回数がすごい。昨日は蒸し暑くて寝苦しかった。私でもそうだったのだからいわんや赤ちゃんをや。

きのう、「赤ちゃんが朝までぐっすり眠る本」だったか何だったか、タイトルは忘れたけどそういうのが施設にあったので手にとってみた。本屋で平積みされていたのを見たこともある。

開いてしばらくして思った。
「アウトー。」

合わない。私には合わない。というのも「睡眠」のことを「ねんね」、読者として想定される女性のことを「ママ」、そのパートナーのことを「パパ」と書いてある。

なんだよたったそれだけかよ、と思うかもしれない。
むしろ子育て本なんてそんなのばっかりだろうに、と思うかもしれない。

しかし私はこういう文言を見ただけで拒否反応が出る。(実際のところ、書いてある内容も「うーん、そうかしら」と思えるようなものばかりだったのだが。)世間では受け入れられるかもしれないけど、私はお断りだ。

どうして世の中は「ママ」と呼びたがる、あるいは呼ばれたがるのだろう。(「ママ」と「おかあさん」の違いについてはまた別の話。)私は私であって「ママ」ではないし、パートナーはわたしの「パパ」ではない。その男性は、その女性の産んだこどもにとっての「パパ」であって、彼女のパパでは決してない。「パパはこどもの泣き声が聞こえてないことが多いのです。ママには本来から察知する能力が備わっています。」と平気で書いてある。

たったそれだけのことなのだが、言葉の持つ力はとても大きいし、出てくる言葉には全てその人の根底にある意識が表れていると私は思っている。自分のことを「ママ」とか「おかあさん」にカテゴライズしてしまう女性は、そうすることが心地よいからそうするのだろう。しかしその人からママとしての役割をとってしまったら何が残るのか。こどもが生まれる前、彼女は一体誰だったのか。こどもが生まれた途端に「ママ」になることが決定して、そのあとの人生もずっと「ママ」なのか?

ママである以前に女性であり人間なのだ。私は私であり、ほかの誰でも無い。私にある魅力は、私だからあるのであって、ママだからあるものではない。子どもがいる、という事実は私についての情報のひとつに過ぎない。だから私は、どうしたって自分のことを「ママ」とか「おかあさん」とか呼ぶことができない。自然と呼ぶようになるのかと思っていたが、どうしてもその言葉は口から出てこない。

さらにこどもは私の所有物でもなんでもない。ひとりの人間であり、私とは別の個性を持つ、別の人物。制御できる部分はすでに限られている。

私は第二者の前で自分のことを「わたし」と呼ぶ。その相手(第二者)が誰であろうと、変わらない。

「ねんね」についてはまた別の話だ。
相手がこどもだからといってこども専用のことばを使うのにも私は抵抗がある。立つことを「たっち」とか、靴のことを「くっく」とか、ごはんを「まんま」とか言わない。こどもは小さいけど一人の人間であって、一対一でコミュニケーションをとるのだから、普通に話して良いしむしろそうすべきだと思っている。

ただ、これは、わたしのこどもがまだ10ヶ月で、ことばを話さないからそう思っているだけかもしれない。実際に話すようになると「たっち」とか「くっく」のありがたみが分かるようになる…のかもしれない。

まあ今の時点では、ママとかパパとかねんねとか、そういう言葉を見るたびにうんざりしてしまうのであります。賛否両論あるだろうし、もしかしたら数ヵ月後の私がこれを読んだら何言ってんだい、と思うかもしれないんだけど、今のところの正直な気持ち。

Friday 30 June 2017

ぎっくり肩(首)

朝起きると、肩から首にかけてがピキーっと痛んだ。首が回らない、というやつだ。以前もあったけど、それよりは肩に近い気がする。気づくと子どもが「まんまんまんま」と言いながらそこらじゅうを這い回っている。普段ならさっさと座らせて朝食をとらせるところだが、どうにもこうにもからだが動かない。参った。病院にいこうにも子供を連れて行くわけにはいかないし、雨も降っている。ゆっくり起き上がってとりあえず一連のなすべきことをする。

湿度や気圧のせいもあるとは思うが、からだの凝りがピークに達しているのだ。というのも、昨日の夜は全身がこりすぎて全然眠れなかった。痛いというか、疲れがたまっていて、眠いのにからだが休むモードになかなか入らない。スポーツが必要だと思った。同じ「からだを動かす」でも、子育てでバタンキューになるのとスポーツで汗をかくのは全然違う。そろそろ合気道かプールに行かせてもらおう。ほどよく運動をしたあとの眠りの深さがなつかしい。

Thursday 29 June 2017

家事サービスを無料で利用

はい、じゃじゃーん♪

これ、なんでしょう?
きょう、家事サービスの女性によって作られた料理。作ったのは私じゃない。だけど食べるのは私。

興味がある人もいるだろうからきょうはこれを書いてから寝ることにする。

私の住んでいる区では、産前産後の家事育児サポートサービスがある。といっても無料で利用できるのは三回まで。母子手帳といっしょに、三回分のチケットをもらう。利用できるのは産後一年まで。つまりこどもが1歳になる前までに使わないと無効になる。利用できる会社がいくつかあり、そこから自分で選んで、自分で電話をして予約をする。実際、これをもらってからだいぶ月日がたっていて、申し込もうと思いながらも、なんだか面倒というか腰が引けていて使っていなかった。

しかし、そろそろこどもが1歳になろうとしている。
さらに、最近、自分がまともに食事をとるのが困難になってきている。(本当にハイハイのスピードが速くなってきていてまったく目が離せないのと、後追いしてやってきて脚にしがみつくので身動きがとれず料理できなくなる。椅子に座らせておとなしくしている間はいいが、料理しながらあやすのも結構大変である。)

そして、先日会った女性が「もちろん3回分利用したわよ~」と軽い感じで言っていたのを見て、これは私も電話かけねば!と思ったのである。

申し込みをしたのはかれこれ2週間か3週間前。なにも予定の無い、この29日の午後にお願いすることにした。

その女性は一時に現れた。

「一体なにをお願いすればいいのか分らないんですが、とりあえずあの洗濯物をたたんでいただきたいのと、私がまだ昼を食べて無いので何か作っていただければ嬉しいです。あとは、まあこどもと一緒にいてもらえれば私の自由時間もすこしできるかなー、とか」と言ってみた。

実際のところ、何をどうお願いしていいかイマイチわからない。お願いし慣れていない、というのもある。家事代行なんてやってもらったことない。一体どれくらいの要領で、どれくらいのことをやってくれるのかわからない。でもこの会社で評判の良いらしい、料理してもらえるサービスをとりあえず頼もう、と思ったのだった。

女性は「はいはい、それでは」といいながらエプロンを身につけ、料理に取り掛かった…と思ったらものの5分か10分でチャーハンが完成していた。頭下げながらいただく。冷凍のご飯と、北海道展で何ヶ月か前に買っていた瓶詰めの鮭と、しいたけと、実家からもらってきたピーマンが使われていた。と思う。おいしい。あっという間に食べてしまった。

それから一時間あまりで、高野豆腐の煮物、ナスの揚げびたし、ひじきの煮物、にんじんしりしりが出来上がった。

すんごい。

すんごいよこの人。

すんごい手際いい。

それから「時間があったらポテトサラダつくりますから~」といいながら床に座る。洗濯物をたたみながら、こどもをあやしてくれている。残り時間が30分。「ああ十分時間がありますね」と言って、あっという間に野菜をきざみ、じゃがいもが茹でられた。あとは冷まして混ぜるだけ、というところで3時になった。時間が来てしまった。残りは私が自分でもできるので、そのままにしてもらっておいた。

女性はほがらかに帰っていった。

プロだ。さすがプロ。ある食材だけを使ってこんなに美味しくたくさんのものが作れるとは。しかも台所の勝手を理解するのの早いこと早いこと。「お鍋はどこですか」とか聞かれなかったなあそういえば。聞かれたのは「お砂糖は」と「マヨネーズは」ぐらいだった。

というわけで、このサービスすごくいいです。お掃除とか子守とかいろいろあるんだろうけど、とりあえず利用してみてよかった。そもそも我々の税金から補助が出ているわけだから、利用しない手はない。

なんで利用しなかったのかなと考えると:

1、家に誰かが来るということは、それに都合をあわせなければいけないわけで、なんだかそれって面倒、と思っていた。

2、助けなんていらない、と思っていた。というか強がっていた。

3、自分で電話したり調整したり、めんどいなーと思っていた。

そんなこんなで自分でハードル高くしていた。そしてそもそも私は人に頼るのがとても下手だ。うまく頼ればいいのに強がる傾向がある。(これは出産を経てわかったこと。)もし迷っている人がいたらこのサービスは利用すべき。実際お金にしていくら分のサービスなのかは分らないけど、価値はある。周りの、知っている産後の女性に聞いても「あ、それありますよねー 使ったこと無いけど」とか「そもそも料理なんてしてもらわなくてもいい」という人ばかりだったので私も「まあいっか」と思ってここまで放っておいた。

でもきょう早速、夕方に会った知人女性たちには勧めておいた。こどもが1歳になるまでにはぜひ、と。

やっぱり、難しいのは最初なのだ。いつも。最初の一歩がなかなかでない。
一歩を踏み出せばあとは、ものごとは思ったよりも簡単だったりする。

チケットはあと2枚残っているので、この夏で全部使い切ろうと思う。そして、いいサービスが見つかれば今後お金を出してでも利用してみたいと思った。手を抜くのは悪ではないし、それに払うお金は意味のあるお金だと思う。

寝不足、絵本

日曜に東京に戻り、あっという間にきょうは木曜日。一週間しか東京を離れていなかったというのもあって、こっちの生活に合わせていくのにそれほどの困難はなかった。私も、こどもも。ただ、戻ったその日はストレスがピークに達してキレ気味になったり涙が出たりしたけど。すべて言葉にして外に出したらおさまった。怒りとか不安とかを感じたら、外に出してしまうのが良い。内側に入れたまま悶々とするのは、良くない。自分にとっても、周りにとっても。

こどもが相変わらず、夜に何度か起きる。当然ながら私は睡眠不足だ。困ったものだ。そういうもんだよと言われても、睡眠不足が辛いのは事実であり、なんとかしたいと思うのは自然なこと。

日中の授乳はまったくなくなった。母乳を欲しがる様子もない。ただ、夜に起きたときは、早いところ寝せてしまいたいのでさっさと授乳して寝せる。これが良いのかどうかは分らないが、泣いているのをそのままにしておくと私も眠れない。

ところで先日、絵本を3冊買った。

I Want My Hat Back
Where The Wild Things Are
Carrot & Pea

洋書はやはり高い。これで5800円くらいした。
最初の2つは日本語版もあるが、原書が英語なのだからやはり原書そのものの響きがいいだろうと思った。

今のところ子どもは気に入ってくれているようだ。

最近は絵本を読んだときの反応がますます大きくて読んでいるこちらも楽しくなる。定番の「いないいないばあ」は、生後2ヶ月ぐらいから読んであげているが最近は「あはは」と声をあげて笑うようになった。対象年齢って一応書いてあるけどあんまり関係ないなあと思う。

Friday 23 June 2017

場面を換えることの大切さ

こどもについて。9ヶ月と23日のメモ。

☆ずりばいからハイハイに移行した。この家に来て二日目のことである。来た当日はおなかが床に付いていたのに、ほんの2日でおなかが離れて完全なハイハイになった。

☆はっきりと後追いするようになった。今月はじめの健診のときに「後追いしますか」と言われて、まあこんなもんだろうと思っていたので「ハイ」と答えていたのだが、今考えてみるとあのときの動きはまだまだ後追いとは呼べなかった、と思う。今のほうが、より確実に、ほんとうに後を追ってくる。泣きながら追ってくる場合、それはそれは必死に見える。

☆母乳がほぼゼロ。東京では日中ひとりでいたので、とりあえず早いとこ昼寝させるには母乳を与えるのが一番だった。そのため、おなかがすいている、いないに関わらずとりあえず食事のあいだに母乳を与えて昼寝させていた。空腹でもないのに母乳を与えるのは本望ではない。しかし抱っこして寝せる気力もなかったし、とにかくさっさと寝せたかったし、自分の睡眠時間も確保したかった。

それがここに来てから、母乳で寝せることをやめてみた。ほかにあやしてくれる人もいるし、家が広い分運動量も多くて疲れやすい。たぶん。

そうすると丸一日、母乳なしで眠りに落ちることができるようになってきた。とりわけ夜寝るときは、本を何冊か読み聞かせて自然と眠らせることができるようになってきた。

できるようになってきた、というより、本当はできるのに今までそうしようとしていなかっただけかもしれない。抱っこしたり自然と寝せたりするのに比べると、母乳で寝せるのはあまりにも楽なのだ。たぶん東京にいたらこの方法に切り替えようとはしていなかったかもしれない。

☆ここから本題:

そう考えてみると、場所の切り替えや場面転換の持つ意味はとても大きい。ローマに行ったときもそうだった。いっきに離乳が進んだ。今回はここに来てまたいっきに(ある意味)離乳が進んだ。身体的にも精神的にもこどもの成長もいっきに進む気がする。

ひとつのブレイクスルー(なにか突破すること)を迎えるには、同じ場所で同じことをやるよりは場面を転換させるほうが良いらしい。引っ越しをしたら新しい出会いがあったり新しい趣味を始める気になったりするのと同じことで。もっと単純な例だと、海外に行くと新しい視点が得られたり考え方が変わったりすること。そういうこと、分かってはいたけどここ数ヶ月、それをあらためて実感している。子どもがいる、いないに関わらずやっぱり場所を切り替えることは、ほどよい刺激をもたらす。いつもと違う人に会い、いつもと違う音をきき、違うにおい、空気を感じて、少しずつ新しい経験が増えていく。そうしているうちにいつの間にか何かを突破していたりする。

数日後、東京に戻ることはまた新しい刺激である。たった一週間でもここに来たおかげで、東京での生活はまた新鮮に感じられるはずだ。私にとっても、こどもにとっても。

Thursday 22 June 2017

郷里にいます

静かだ。

月曜から郷里に帰っている。ほんの一週間という忙しい日程だが良い息抜きになるだろうと思った。私、こども、かぞくみんなにとって。

こどもが動き回るようになってからの疲れ方が激しい。ものごとがよりよくわかるようになっているので、私がいないと分かったときの不安などがはっきりと表れる。後追いもする。3時間に一回授乳しなくてはいけなかった時期からすると楽になったような気はするが、このように追いかけられてばかりだと結構つらい。まったく自分の時間が持てない。「おねがいだからちょっと放っておいて」と言いたくなる。「おかあさーん」と追いかけられることに「母親ってやっぱり特別なのね」と感動を見出す…なんてことは全然ないです、私の場合。

separation anxietyっていうんだろうか。分離の不安。これもまた成長の一過程なのだろうが、早く終わってくれると助かる。それでも「母親なんだから」とか「やっぱりお母さんは特別」とか言われるとピキッとっとくる。それは分かってるんですよ、分かってるんだけど、とりあえずごはん食べる時間ください、お風呂はいる時間ください、ていうかトイレ行く時間ください。誰かこどもみててください。3分でいいから!
同じようなことをきっと多くの人たちが感じているんじゃないだろうか。

というわけで、郷里に帰ってきたのです。コンビニのブリトーかサンドイッチばかり食べていた、あるいは食事をとばす日々が続いていた。体重が二キロくらい減っていて、やせたねと言われてもとくに嬉しくなかった。これはもう限界だと思って飛行機にのったわけです。書類の準備とか保育園見学とかやらなきゃいけないことはたくさんあったんだけど、とりあえず飛んできた。

私の両親ときょうだいの目があるのでだいぶ助かっている。たった一週間でも、切り替えの意味でいったん帰ってきたのは正解だった。周りに人がいるってこんなにありがたい。

こうやってこどもを持ってみて初めてわかるのは、最初にも書いたとおり、大変さの種類が月齢ごとに変わっていくということ。いつも同じ「たいへん」じゃない。今は、産まれたばかりのときのような不安定さはないし、食事も排泄も睡眠もだんだんとリズムができてくるので予測できる分のラクさもある。だけどここ最近の「つきっきり感」は精神的に結構きつい。これがどうってことない、あるいは喜びだという人もいるのかもしれないが、私はやっぱりきついです。

(同時に、いろんな表情をしたり、あちこち動き回ったり、できることが一気に増えるのでかなりおもしろくなってくるのは事実ですが。)

だから、このくらいのこどものいる人に「ママがいいのよね~やっぱり」なんて、私は言わない。昔の私だったら言ったのかもしれないけど、やめてくれと思う人は絶対にいるだろう。今ならわかる。

ところで、ここは空気がきれいで、気持ちがいい。田植えがあちらこちらで行われていてなかなか見応えがあります。見渡す限り田んぼ。大きなプールが続いているかのよう。反射がきれいです。

幸せなことに桃や枇杷がいっぱい穫れている。特に育てているわけでもなくて元々ある木からわんさか穫れる。そしてめちゃくちゃ甘い。この時期に帰ってきて正解だった。

Saturday 17 June 2017

孤独な子育て

子どもがよく寝ているのでこうやって自分の時間がとれています。それにしても良く寝るな… 心配になるくらいよく寝ている。

日陰にいると涼しいけど外の日差しは結構強い。天気はいいので過ごしやすい1日。

きのう、金曜日は午前中小児科にいき、少し散歩をして、図書館に行き、おはなし会を聞いて、そのあと食事→昼寝という比較的穏やかな過ごし方ができた。夕方からはまた子どもたちが集まる場所に行った。月曜以来なので久しぶりである。実は熱を出してたんですよ~という話をする。どのタイミングで薬を使うべきなのか分らないですよね、という話になった。

私も昼寝はしたものの、やっぱり夕方から夜にかけては相当疲れていた。起きあがるのもおっくうなくらい。

きのうの午後だけで何人もの、子どものいる女性と話したのだが、そこで思ったことを書く。

やっぱりみんなほんとに大変だ、ということ。具体的に何が忙しい、というよりは、孤独なのである。ものすごい孤独。赤ちゃんがいるのに、孤独。1人じゃないはずなのに、孤独。パートナーと話せる時間があるにしてもやっぱり限られていて、1日のほとんどあるいはすべてを赤ちゃんと2人きりですごしている。可愛くないわけではないし不満があるわけではない。だけど自分の自由な時間がほぼとれない。食事もまともに作れないどころか摂れない。極めつけは睡眠。これが長期間にわたって欠けた状態が続く。(たとえば私はこの9ヶ月間、ぶっ続けで6時間とか7時間とか眠ったことがない。)体力的に結構しんどい状態が続く。

そして仕事に復帰していないと、社会に関わっている感覚がとても少ないし、何よりも、1日のうちで人と話す時間がほとんどない。これは精神的なストレス。

結果的に精神的、肉体的、どちらも結構なストレスが積み上げられて行く。

だからみんなこうやって区の施設に子どもを遊ばせに来ながら、ほかの人と話している。コミュニケーションを求めるのは誰だって同じ。だって朝からずっと黙っているのだから。そして心配事や不安は尽きないわけだから。

昨日の夕方、パスタを買って外に出ると知り合いの女性に会った。赤ちゃんとペットの犬を連れている。犬が突然言うことを聞かなくなったらしく、とてもストレスをためているようだった。「誰かに会って話したかった」とホッとした様子で話していた。そしてどうやら体調があまりすぐれないらしい。めまいがとまらないと言っていた。持病か何かか、と思ったがそうではなく、たぶんストレスと睡眠不足からくるもの。疲れているのだ。みんな疲れている。

丸一日を子どもとだけ過ごすのも「こども可愛いし、全然大丈夫」と最初は思っていた。でもそれが数ヶ月も続いてくるとやっぱり耐えられなくなる。繰返すが、かわいくないわけではない。たった一人で子どもの世話に束縛されるという状況がつらい。「あ、きょうもひとりか」と思った瞬間、絶望的になることもしばしばある。仕事と違って終わる時間も、逃げ場もない。絶対に放棄できない。話す相手がいない。ストレスがたまらないわけがない。人に会える場所も条件も限られている。

核家族はこうなるしかないのだ。おとなりにひょいっと遊びに行けるわけでもない。

そしてこういう気持ちははっきり言って当事者しか分らない。絶対にわからない。だって子どもができるまでは全然そんなこと理解できなかった。子どもが欲しくてもいない人たちにとって、子どもがいるのに文句を言っている人のことなんて理解も想像もできるわけがない。どうにかしようと思えばできるんじゃないの、くらいにしか思ってなかった。

分るようになった今、何ができるだろう。

私はちょっと疲れてしまったのでとりあえず月曜から郷里に帰ることにした。やっぱり人の手と、目が必要である。猫の手も借りたいとはよく言ったものだ。スーパーから家に帰ったときにベビーカーの下に入れておいた食材をぜんぶ自分のバッグに移して、同時に子どもも抱えて二階にある我が家に入るとき、そしてバッグの紐が肩に食い込んで行くのを感じるたびに、本気でそう思う。猫の手も借りたい、と。子どもをいったんおろして、食材を取りにもう一度下に行けばよいではないか、と思うかもしれない。数ヶ月前はそれができたけど、寝返りどころかつたい歩きをするようになった今となっては絶対に無理。目が離せない。

話がそれた。

周囲に協力をもとめ、ささいなことでも他者とコミュニケーションをとろうとする姿勢はやっぱり大事だと思う。少しでも孤独さから抜け出すためには自分がなんとかしなければいけない。

Friday 16 June 2017

40度発熱とその後

なんだかぐったり疲れている。睡眠不足と栄養不足からくるエネルギー切れ。

この疲れは火曜日以来かもしれない。

火曜日にこどもが40度の熱を出した。こどもは発熱の経験はあったものの、40度は初めてで、わたしはとにかく戸惑った。病院にいくべきか否か、坐薬は使うべきか否か。判断に困ることばかりだった。

翌日、水曜日。

熱は下がったもののやはり調子は良くなかった。半径2メートルでもわたしが離れようものなら、とにかく悲しそうな顔をして、ふぃ〜、と泣く。おかげで本当につきっきりでなければならず、トイレに行くのも一苦労だった。ふだんひるねをするのに、この日は神経が逆立っており、ほんの小さな音でも敏感に反応して起きてしまうため、日中は眠らなかった。つらいだろうに、目にクマができていた。

ひどかったのは夜で、2時間もたたないうちに起きて泣き出す。泣き声は弱いものの、ひたすらに泣く。ふだんは別々のベッドに寝かせているがこの晩だけはとなりに寝せた。それでも気がつくと起き上がって泣いている。


木曜日。
2人とも朝4時ごろにはぐったりしていた。べつの部屋に連れて行ったところついに眠りに落ちた。それからわたしも寝れたものの、たったの2時間。フラフラである。

ようやく笑顔が戻り、元気に動き回るようになった。よかった。少し散歩もできたし午後からは保育園の見学もできた。

夜は友達に会う予定があったのだがこどもの調子によってはキャンセルもやむを得ないかなと思っていた。けれどすっかり普通の様子になっていたので、泣いてはいたけど預けて出かけた。大事な友人なので会っておきたかった。とても楽しく過ごすことができた。

いま考えてみると、熱を出したその日よりもその翌日がとにかく特徴的だった。甘え方、泣き方、すべてがいままでになく、まるで別人になったかのようにさえ思えた。このまま続くのかと思ったら今は元どおりなのだから、やはり発熱はただ事じゃなかったのだろう。

Sunday 11 June 2017

駆け込み寺、9ヶ月の記録

なんだかきょうは涼しい。気持ちよいです。

ちょっとここで子どもについて:

今月で9ヶ月になった。ハイハイというよりずり這いをするのだが、その速度がどんどん早くなってきた。だいぶ進むようになったなあなんて言っていたのはちょうど先月のことだったのだが、もはや目が離せないほどの勢いで動くようになってきた。

しっかりつかまり立ちをする。脚がプルプルしながらも、ちょっと高いところに手を伸ばしてすっと立ち上がる。四つんばいのハイハイをそれほどしないまま、歩くようになるのかもしれないなと思いながら見ている。それにしてもたくましくなった。

先週の、三日間くらい、ものすごく泣く日があってだいぶ参った。私にかまってほしくて泣くといった感じだった。その泣き方が凄まじくて、頭も痛いし、耳は壊れるかと思った。勘弁してくれ、と、こっちが泣きたいくらいだった。

何が起きたのかはわからないけど、その翌日にピタッと止んだ。もちろん泣くことは泣くけど、あの凄まじい泣き方はなくなった。疲れとか、眠さとか、おなかの調子とか、いろいろな要因はあったかもしれない。とにかくここ数日は落ち着いている。

ただ、その数日間「もう家にはいられない」と思うくらい泣きがひどかったおかげで、区の施設に頻繁に通うこととなり、結果的にそれが子どもにとってよかった。同じくらいの子たちと会うのはとてもいい刺激である。家にいて私があげられない刺激。

施設というのは、こどもとその親がいつでも遊びに来ていいように開かれている部屋のようなもので、おもちゃなどがたくさん用意されている。何人も大人がいるので、ずっと見張っておかなければいけないわけでもない。

行き詰まった状態の、先週の私にとってはまるで天国のように思えた。天国…いや、逃げ場?駆け込み寺?そんな感じ。

誰かと話すだけでだいぶ気持ちが晴れる。分ってはいたけど先週は本当にそれを実感した。おかげで多くの人に知り合えたし、多くの情報を手に入れることができた。

そうやっているうちにあの泣き声も聞こえなくなってきたのだから、こどももきっと満足したということだろう。明日も行って息抜きしよう。

Friday 9 June 2017

ヨーグルト美味しい

あっという間に時間が経ってしまった。時間が経って、私の大好きな季節がやってきた。梅雨に入る直前くらいの時期がとても好きだ。特別なイベントごとも無いし、紫外線は増えてくるし、祝日もないけど、それでもこの空気が好き。ポロシャツが一番気持ちよく着れる時期。

というのを言い訳にして、久しぶりに新しいポロシャツ買おうかしらと考えているここ最近。

さて。育児にも何にも関係のない軽い話題―食べ物についての話題をひとつ。

BifiXというヨーグルトご存知ですか。数ヶ月前に始めて食べて、とにかく気に入っている。きょうなんて一つまるごと夕食後に食べてしまいました。一つ、って言ってもでっかいです。えーっと全部で375g。一回に食べる量はこの三分の一が目安だと思う。

通常、砂糖も何も入っていない、ブルガリアとかビヒダスとかを買うのだが、ある日どうしたことかこのビフィックスが目に入った。なぜ買おうと思ったのかも覚えていない。たまには少し砂糖が入っててもいいか、と思った。「ほんのり甘い」と書いてあった「ほんのり」に甘えたところもある。ほんのりくらいならいいか、と。

そしたらこれがほんとに「ほんのり」で、おいしいのだ。のどにつるっと入っていく感じがたまりません。ブルーベリーやイチゴの入ってるやつは、私にとっては量が少なすぎる。あの、四つのパックがひとつにつながって売られているやつは、どうせならぜんぶ一つのパックにしてくれ、と思うくらいだ。そしてやっぱり甘すぎる。

そんなところでこのビフィックスは理想的である。きょうはためしに「脂肪ゼロ」というのを買ってみた。脂肪ゼロと書いてあるとたいてい物足りない感じがするのだがこれは通常のものとあまり違いが感じられず、美味しかった。カロリーは100グラムあたりたったの37kcalらしいです。全然罪悪感が無い。

普通は夜にアイスクリームが食べたくなるのだが、最近はヨーグルトのほうが魅力的に感じる。

ちょうど先日、テレビでもヨーグルトの効能について特集していた。からだにいいと分ってはいるが、そういわれるとますます手が伸びる。

さて、明日もまたヨーグルト買いに行きましょう。

Monday 29 May 2017

日曜夜に文化的インプットを

夜中に眠れずに苦しむことなく夜をすごせた。久しぶりな気がする。3時にこどもが泣いて、いったん起きたことは起きたけど、そのあとすぐに眠りにつくことができた。そして今朝はこどもと一緒に6時20分起床。たいへんよろしい。

ただ、やっぱり昨日の夜もこどもがひとり修学旅行の夜状態、つまり大興奮でまったく眠ろうとせず、困った。泣くわけではないのでだいぶマシだけど。時差7時間だから、もとに戻るまでにはやっぱり一週間かかるわけか。

イタリアに行ってこどもは体重がいっきに500g増えたが私はたいして増量せずにすんだ。途中、顔が丸くなったなあとやや心配したが、帰ってきて計ってみたらたいしたことはなかった。よかった。

話はかわって。

昨日は日曜だった。夜、テレビを見ますか。私は気が向いたときはテレビを見る。ただNHKに限る。(民放で見たい番組は相当限られている。)

昨日の夜は「日曜美術館」と「古典芸能への招待」を見た。結構好きなんですねこれが。美術系の番組は小さいころから本当に好きだった。

日曜美術館はいつも変わらず落ち着いていて、特に好きな画家の特集でなくてもなんとなく見てしまう。

古典芸能への招待は、本当に時々目にするくらいなので、調べてみたら月末にしかやってないらしい。きのうは歌舞伎をやっていた。特に詳しいわけではないが、歌舞伎の音にわくわくする。鼓のリズムがたまらなくかっこいい。役者の、体の傾け方や、タイミングを見るにつけ、粋だなあと思う。

実際に見に行くに越したことはないが、チケットも安いものではないしそんな簡単には行けない。それがこうやってテレビで、しかもちょっと解説つき、かつ近くで見られるのはありがたいことだ。時間と余裕ができたら実際に見に行きたい。

日曜の夜にこうやって落ち着いて文化的なインプットを得られるのはここちよいことだと思った。ま、途中でこどもが泣いて中断されましたが。

Sunday 28 May 2017

時差ボケ続行中

はい時差ボケなおりませんー。

きのうは結局朝3時半からずっと眠らないまま、ようやく昼の3時から4時まで仮眠をとれた。それから夜になり、今度はこどもがまったく寝る様子を見せず、ベッドに寝かせてもまるで修学旅行の枕投げのようにバッタンバッタンとはしゃぎ暴れまくる。とても嬉しそうで楽しそうなんだけどおいおいもう11時だよと言い聞かせてようやく寝たのが11時過ぎ。それから三時半に一回起きただけなので、どうやらこどもは時差ボケから回復しつつある。問題はわたしで、まったく眠れない。4時にこども用のビスケット食べて外を眺めてます。朝の4時にこんなに明るいなんてねえ、無いよなあ。太陽に合わせて生活とはいうものの、明るくなるの早すぎでしょ。もしこれが仕事してたらもう少し時差ボケ回復も早かったのかもしれない。時間があるがゆえに普通のペースに戻せずにいる。つらい。このままいくとただの不規則な生活になっちゃうなあ。

Saturday 27 May 2017

みんなで時差ぼけ

あっという間に二週間が経ち、イタリア滞在は終了。日本に帰国しました。
毎度のことながら、時差ぼけがなかなかすっきり治らない。西→東の移動は、到着後の回復にかなりの時間を要する。そして時間の失い方がすごい。イタリアを出たのは火曜日。きょうはもう土曜日である。(いや、火曜から土曜にとんだわけではないです。)つまりへんな時間に寝たり起きたり食べたり、一応、日中の活動をしているものの、常時睡眠不足かつ体力ない、みたいな状況で数日を過ごすので、もはや日々が過ぎて行く感覚もなくなる。ふらふらしている間にもう土曜日?という感じなのです。

そして今回はこどもも一緒なので、回復がより大変なのは言うまでも無い。ここまで大変だとは思わなかった。夜中にどうしても眠れない。大人と同じである。昨日、というか今朝なんて3時半ごろ~ 3人で外に出る羽目になった。室内で泣き止まないので外の空気にあたらせてリフレッシュさせたわけです。それでようやく4時半ごろ~こどもは寝たのだが私は結局そこからずっと起きたまま。目の下のくまがすごいんだけど今寝てもぐっすり眠れそうにない。だって太陽昇ってるし!昨夜は9時ごろに寝たので一応6時間くらいの睡眠は取れている。まあ、何度も中断されてはいますが。

それにしても東京は明るくなるのが早い。4時ごろにはじゅうぶん明るい。九州とは一時間くらいの差があるし、ローマも、5時すぎにようやく明るくなる程度だった。東京はやっぱり朝早くから人々が働くようにできてるのかもしれない。

こどもの寝付けなさは、イタリアに着いたときよりももっとひどい。普段なら途中でないてもすっと眠れるところが、どうも眠れないらしく、ようやく寝たと思ってベッドに置いてもすぐに泣き出す。

やっぱり西→東は厳しい。朝出発して、翌日の朝到着するので、夜がないまま1日ワープするような感じなのだ。大人でもこんなにつらいのだから、あの小さな体にはもっとつらいはずだ。

一時間の時差をなおすのに1日必要だというから、まあ来週までかかる。やれやれ。

Monday 22 May 2017

イタリアのオムツ事情

イタリアも日本に負けず?少子化だとは言うが確かにあまり赤ちゃんは見かけない。

そのせいなのかはわからないけどオムツが高い。パンパースだと20個で千円近くする。高すぎる。

ん?20個?と、オムツを買った経験のある人なら思うでしょう。だって日本で買うと80個とか90個とか入っているのだ。それが20個、4分の1くらい。スーパーでまるで生理用品みたいな売られ方をしている。確かに手軽に買いやすいかもしれないけど、これではあっというまになくなってしまう。

というわけでパンパースに手を出す余裕がなく、それ以外のやつを買った。体重ごとにサイズと個数が違うのは同じだが、なんと「男児用」「女児用」にわかれている。面白かったのでそれを買ってみることにした。どうやらディズニーとコラボしているらしい。ま、どうでもいいけど。

ところでオムツの柄って一体誰に向けたものだろう、っていう投稿を知人のフェイスブックで先日読んだ。柄を誰よりも目にするのはオムツをつけている赤ちゃん本人ではない。オムツを替える人なのだ、と。ディズニーとかしまじろうで喜びはしない。まあ目印にはなるかもしれんけど。

話を戻そう。

17個入りで4€。

割引されてこの値段。うーむ。やっぱりたかい。17個なんて2、3日で使い切ってしまう。やってられんよなあ。17ですよ?17。

そして質はというと、日本の方が良い。

…当然ですよねー。容易に想像できることではあったけど。なんかゴワゴワして硬いし。それに、目盛り?がない。見たことある人ならわかると思うけど、おなかのほうに1.2.3という数字があって、テープをとめるときの目安になる。それが、このオムツにはないんですよね。でも、ないなら無いで慣れてしまうもので、特に困ってはいない。

ところでこんなに高価なのはなぜだろうと少子化以外の理由を考えたが、おそらくオムツを替える頻度がものすごく低いのかもしれない、と思った。これは本当に想像に過ぎないが。しかも、人によって差があるのでイタリアがこうで日本がこう、みたいな一般化は当然できないけど。

イタリアでオムツを買う可能性のある日本在住の人へ。もし荷物のスペースに余裕もあるなら日本から使い慣れたものを持って行くと良いです。どうせ使い切ると考えると大した荷物にはならない。でも、余るほど持って行くこともない。イタリアのも使えないことはないし、高いという点だけ我慢すれば普通にその辺で買える。ローマ以外の都市はわからないけど、日本にある、たくさん入って千円くらいっていうのは一度も見かけなかった。

以上、必と興味のない人には結構どうでもいいけどそうじゃない人には結構面白い情報でした。

Friday 19 May 2017

イタリア式離乳食(朝食)について追加

薬局に行ったらこんなのを見つけた。
普段食べさせているビスケットとおなじメーカーだがちょっと違う。
Biberonと書いてある。
ビベロンというのは哺乳瓶のこと。
哺乳瓶で溶かして与える専用のビスケット、ということ。
哺乳瓶に入れて飲ませればスプーンで与える手間がなくなるから自分の時間ができるでしょと言われたときは、なるほど、きっとこの人たちはそうしてきたんだな、と思っていたのだがどうやらミルクに溶かして哺乳瓶でビスケットを与えるのは一般的なやり方らしい。というのもこのメーカー以外のものも、哺乳瓶の絵と一緒になったビスケットを見たから。なるほどねえ。



Thursday 18 May 2017

イタリア式離乳食(朝以外)について

朝の離乳食については昨日書いたのでそれ以外について。

瓶詰めの離乳食で適当に済ますのかなー(イタリア人面倒がりそうだし)と思っていたら、結構手間をかけて離乳食を作っていることが分かった。

まあ、一例しか知らないけど。

作り方。

にんじん、ズッキーニ、じゃがいも、なんらかの葉野菜を適当に切ってゆでる。
茹で上がったら、passinoと言われる器具を使ってすりつぶす。
ここでブレンダーを使うと楽なのに!と思うが、「空気を含んでしまうからブレンダーはダメ」らしい。
なぜ空気を含むとダメなのか?
おなかに空気がたまるから、と。


うーん。

…そうかな?


このクラシックな器具を好んで使うあたり、イタリアらしい。

オートマ車よりマニュアル車、電子レンジよりオーブン、調理用の火はいちいちマッチやライターでつける…と、挙げ始めたらキリがない。あ、あと、ファストフードよりスローフード。
スタイルにこだわりを持つが故の効率の悪さ。
たまには効率を優先させても良いのでは、と思うのだが。
嗚呼、愛すべきイタリア、イタリア人たち。

話を戻そう。

こうしてできあがったスープ状の野菜はbrodo vegetale(ブロド・ヴェジェターレ)と呼ばれる。これで出来上がりかというとそうはいかない。

パスタ投入である。
期待を裏切らずに、パスタ。

イタリアだから!

どういうパスタかというと、pastina(パスティーナ)という、極小の、赤ちゃん用のパスタがあるのだ。これは驚きである。いやもうさすがとしか言いようがない。さすがイタリア。

離乳食として何種類かのパスタがスーパーには必ず売られている。4か月から、とか6か月から、と表記してある。

大人が食べるものとは成分も少し違うらしい。

極小と言ってもどれくらい小さいかというと、米粒より小さく、塩粒より大きいくらい。一見、粉だ。クスクスとかキヌアによく似ている。

これをさきほどのブロド・ヴェジェターレに入れる。スプーン三、四杯くらい。それから2分間茹でるとできあがり。

できあがったらオリーブオイルとパルミジャーノをかける。
やっぱり期待を裏切らない。

牛乳やヨーグルトは1歳になるまであげてはいけないと言いながら、パルミジャーノは「美味しいからok」らしい。

嗚呼、イタリア!

ただしオリーブオイルもパルミジャーノも大人と同じ、質の良いものを使う。

それで、このパスタが気に入ったらしく、こどもはすごい勢いで食べる。大人と同じくらいの量を、一皿ぶんペロリとたいらげる。何の味付けもしないが、素材そのままの味が美味しいのだろう。食べすぎではないのかと心配したが、イタリア人曰く、ただの野菜なんだし、大丈夫、らしい。

大人が食べるものも実はちょっと似ていて、素材そのままの味にオリーブオイルとパルミジャーノと塩、みたいな食べかたをする。

なるほどこうやってイタリア人はイタリア人になっていくのである。
イタリア人をイタリア人たらしめる要素がこうやって細胞に刻まれていく。

イタリア式離乳食(朝食)について

前回は離乳について書いた。

実際の離乳食について書くことにする。

何度か書いたことあるかもしれないが、イタリアでは朝ごはんがとにかく軽い。クロワッサンとかジャムやクリームの入ったパンとか、ビスケットとか、そういう甘いものにカフェ一杯、そのくらいだ。

あるとしても卵くらいだが、それも珍しい。野菜や魚なんて、まずありえないので、和風の朝食について教えてあげるとびっくりされる。何度説明してもびっくりされる。冗談としか思われてないのかもしれない。

で、そんなに軽い朝食をとる人たちの文化圏では、離乳食は一体どうなっているんだろうというのは前からの疑問だった。

で、わかったこと。

ビスケットをあたためた豆乳に浸して食べさせる。豆乳じゃなくて牛乳の場合もあるのかもしれないが、とにかくビスケットが一般的らしい。スーパーには、大人が食べるための朝食用のビスケットがずらりと並ぶが、赤ちゃん用のやつが必ずあります。

今与えているのはplasmonというメーカーのビスケット。まあまあ甘いんだけど、6か月から、と書いてあるので、与えて弊害はないらしい。

朝食のバランスを重視する日本人の文化からすると、そんなのありえんだろう、と思うかもしれない。なんてったってだしをとった味噌汁を朝からいただくのだから。きちんと離乳食を作っている女性やかつてそうした人たち、あるいは離乳食の指導をする人たちからすると「ダメダメ、そんなのダメよ」だろう。

だけど、イタリア人がちゃんと育ってないかというとそうじゃないですよね。朝食にビスケットを食べてた人たちも立派に成長しているし国民規模でなにか劣っているかというとそんなことは決してない。

ところかわれば、ということで、こだわりなどは捨てて、異なる方法をいったん受け入れてみる。寛容さは大事。

ふーん、これでいいのか、となかば唖然としながらもここではこのやり方に従っています。

Wednesday 17 May 2017

離乳が早い

離乳食をはじめイタリアと日本で少なからず差があるだろうと覚悟してここに来た。で、やっぱり想像通り、驚きの連続だ。一気に書くと大変なので覚えていること、気づいたことから少しずつ書くことにする。

離乳について。

どうやら想像以上にここでは離乳が早い。
「まだ母乳をあげているの?」と聞かれてはいそうですと答えると別に否定はされないし、「母乳がまだ出るんだね」「恵まれているね」「いいね」と言われる。皮肉ではなく。

先日会った人に、イタリアでの離乳事情を聞いてみたところ、6か月くらいまでで終わりだと言っていて驚いた。早いとは思っていたものの。理由を聞いたところ、母乳というのはいわゆる「赤ちゃん」が飲むもので、8か月ぐらいにしっかりしてくると飲む「イメージ」ではなくなってくる、と。だから、歩き始めてからも母乳をあげるなんてまずありえないらしい。0歳といえど、はやく自立したひとりの人間にさせる、という考え方。なるほど、イメージって結構重要なのかもしれない。

そして、母乳が出なくなるから、というのも人によっては理由の一つだと。

そういえば日本みたいに「母乳?」って聞かれることがない。母乳かミルクか、という以前に、この時点では母乳とかミルクを与えていることが前提になっていない。

日本では、離乳食がはじまったころはたいてい、食べさせたあとは母乳でシメる、みたいな指導がある。だからいつまで母乳をあげつづけるのかわからなかった。そして食事を与えるときも少し遠慮しながら与えていた。

ここでは自然と、食事の量が増える。最初、言われた通りに与え始めたのだがその量に驚いた。大人が食べるくらいの、立派な一皿を食べるのだ。与えすぎだろうと思ったのだが、実際、こどもは食べているし食べたがっている。そうすると自然と授乳量は減る。デザートまでたべると、もはや母乳でシメ、なんて必要はなくなってくる。

それでも母乳をあげてはいるが、この1週間で、ああ、こうやって離乳が進むのか、というのがわかってきた。


人から何か言われたり指図されたりすると面倒だしうるさいと感じるのは確かだが、なにかひとつ突破できる場合があるので、言うことを聞いてみる価値はある。郷に入っては…である。自分のこだわりもありはするものの寛容でいることは大事。

どちらが正解というにはないので、間をとりながら様子を見て育てていく。

Sunday 14 May 2017

コミュニケーション不足

2年ぶりのイタリア訪問だが、いったい何度目の訪問なのかというともはや数えるのを諦めるくらいだ。ローマだけならもう10回を超えているのではないか。初めて来たのが2005年だったということは確か。降り立ってからの緊張も珍しさも特になくなっていることに気づいた。

それでもあらためて思うこと、気づくことはたくさんある。特に今回はこどもを連れているので衝撃を受けることもしばしばある。それでも、When in Rome..ということで、I actually do as the Romans do. 郷に入っては郷に従え、である。

それにしてもイタリア人はよくしゃべる。この「しゃべる」というのは、単におしゃべりというのとは違うので勘違いしないでほしい。(いや、たしかにおしゃべりだけど)

わたしが思うのは、私たち日本人とは圧倒的にコミュニケーションの量と方法が違うということだ。思ったことをまったく内に溜めることなく、ひたすら外に出す。それを誰に喋るかといえば、家族、恋人、友人などに限らない。とにかく隣にいる人やレジの人、受付の人など、あった人が普通に会話をする。しかも、当然ながら相手の目を見て。


と… せっかく書いた文章がここまでしか保存されていませんでした。この倍くらい書いてたのに。なんてこったい。やっぱりその時じゃないと書く気にはならないんだよなあ。がっくり。


Friday 12 May 2017

おじいちゃんが死んだ

こどもは元気なのだがやはり時差ぼけと環境の変化による影響は出てきているように思う。眠い時にどうしても寝付けない。日本にいてもそういうことはあるのだが、ここにきてから、今日は特にきつそうに見える。疲れているだけならコトンと眠れるだろうが、そうはいかない。神経が逆立っているのだろう。機嫌のいい時との差が激しい。見慣れない場所なのでずっとキョロキョロしている。落ち着かないのかもしれない。

というわけできょうはあまり移動をせずに過ごしている。

祖父が亡くなったという連絡を受けた。きょうの午前だ。日本を出る前から、かなりあぶない状態であるということは聞いていた。イタリア行きを取りやめるべきだろうかとも思った。空港で、電話をつないでもらって、ようやく声が聞けたのが最後だった。かすれ声だったが、しっかり意識はあるようだった。いっしょに住んでいたわけではないが、やっぱり悲しいし寂しい。常に気持ちが若く、新しいことに興味を持つ、とても優しくて素敵な祖父だった。

いっしょに住んでいた父方の祖父母はわたしが中高生の頃に亡くなったが、その時と違うのは、親を亡くすってどんな気持ちだろうなと考えるということである。中高生の頃は、親を亡くした父の気持ちは想像もできなかったし、むしろ自分から見ての祖父母という存在を失ったという事実が大きかった。しかし今回は親を亡くした母は一体どんな気持ちだろうかと考える。今、自分も親になったからだろうし、自分の両親もだいぶ年老いて実際に死に近づいているのがわかるからだろう。そもそも20数年前は自分も親に守られた存在であったし、その親が死ぬなんてことはまったく現実味を持たなかった。

ともあれ。覚悟はできてはいたもののおじいちゃんが死んだということがどうしてもまだ人ごとのような気がする。こんなに遠くにいるからかもしれないし、最後の姿を見なかったからかもしれない。

しかし現実は現実なのだ。受け入れなければいけない。まるでエネルギーのかたまりのような、ピンピンした8か月のこどもを見て、90数年前はおじいちゃんもこんなだったんだよなと数日前考えていた。人の一生とは面白いものだ。こうやって、たんたんと時間は流れていく。戦争が起きようが、地震が来ようが、陽は暮れて、朝が来て、誰かが死んで、誰かが生まれる。その流れの中にふと自分は入り込んで、生を受けている。その生もいつかは終わるし、流れに抗うことはできない。おじいちゃんの命も、母の命も、わたしの命も、子どもの命も、そうなるべくしてなっている。

おじいちゃんのこといろいろ思い出す。おじいちゃんみんなのことをいつも気遣ってくれてありがとう。ゆっくり休んでください。

Thursday 11 May 2017

ローマに着いた

思い出したくもないくらいにつらい12時間のフライトを経てついに我々はローマに降り立った。こどもは元気だ。時差ボケや慣れない環境のせいで頻繁に寝たり起きたりする。だいぶ疲れているはずだ。それでも初めて会う人たちにも笑顔を返し、リラックスできているときはたくさんしゃべる。これだけ環境が違っても、泣きわめいたりすることはなく、ひたすらキョロキョロしている。人見知りたる人見知りがいっこうに無いが、それで助かっているのは事実。

まったく異なる二つの文化を、ゼロの状態から経験するのって一体どんな感じだろうなと思う。我々大人は「飛行機に乗ってイタリアに行く」とか、「この人がしゃべっているのはイタリア語」とか、もちろんわかるわけで、意識できるが、ベースがまだ出来上がっていないこのこどもにとって異文化も外国語も何も無いわけだ。すべてを、やわらかーく吸収している。たぶん。まるでスポンジが水を吸うみたいに。どんな感じなの?と聞いてみたいくらいだが、その瞳が語ることを想像するしかない。

初対面の人を見て泣かないのはおそらく、生まれて8か月の間、毎日よく外に出ていろんな人に会わせているからかなとも思うがきっと本人が生まれながらにして持っている個性によるものも大きいかもしれない。あるいはその時期がまだ訪れてないだけか。こればかりはわからない。

Saturday 29 April 2017

本当に「ごめんなさい」なのか

天気いいですね。どこに行こうかなと考えるとわくわくする。

先日、信号待ちのときだったか、ベビーカーで人の後ろを通るとき私は「すみません、ごめんなさい」と言った。男子高校生の三人組。ベビーカーに気づいて少しよけてくれた。

通り過ぎたあとでそのなかの1人が「ごめんなさい、って…」と言っているのが聞こえたところでハッとした。

たしかに。「ごめん」じゃないなあ、あの状況は。

「すみません」は比較的簡単に使える言葉だ。それに対して「ごめんなさい」は明らかな謝罪である。英語だと分りやすい。Excuse meとI'm sorryでは程度がだいぶ違う。なのに、「ごめんなさい」を「すみません」の延長ぐらいの軽さで使うようになっていた。日本語の場合は「すみません」の汎用性があまりにも広い(!)ため、並べて使っても英語ほど違和感が無いのだ。そういえばよく私の母親がこの2つをセットで言っていた気がする。しばらく一緒に過ごして私もクセになってしまっていた。

こういう言葉ってほとんど無意識に発しているけど、実は結構影響がある気がする。謝るほどでも無いのに謝られても、前に書いた高校生のように戸惑う。そして言ってるほうも無意識のうちにに恐縮しながら生きている。そして謝罪するほどの場面でもないのにとりあえず最上級の謝りを入れておく、みたいな感じになっている。言われた方が気持ちが良いかというとそうとも限らない。もちろんほとんど気にならない人がほとんどだとは思うけど。だから高校生みたいに頭が新鮮で柔軟(!)な人には気になっちゃうのだろう。さらにその男の子は外国人っぽかった。

当然ながら、ぶつかったら「ごめんなさい」である。私はよく歩いていて前の人の足(かかと)を踏むことがあるので、そういうときは「ごめんなさい」と言っている。

というわけで最近あえて「ごめんなさい」がはたしてその状況に相応しいのかを意識するようになった。ふと、「ごめんなさい」を「ありがとうございます」に置き換えてみたらどうだろう、と思ったので、状況にはよるが実践してみている。言っている本人は気持ちがいい。少し道を譲ってもらって、あるいはエレベーターで先におろしてもらって。

あの時高校生がつぶやいてくれてよかった。言葉の持つ力は大きい。

Thursday 27 April 2017

育休延長

育休延長することにした。
急だけど、きょうの昼ごろ決めた。
そしたらどっと疲れが出てきた。
いますごく身体が重い。
のどが痛くなって来て、鼻水がとまらない。風邪をひき始めたらしい。つかれた。すんごいつかれた。

毎日あちこち電話かけて子供連れてあちこち行って、はとりあえず一旦中止。がんばった。わたし。とりあえずおつかれ。

Wednesday 26 April 2017

体を動かす

子どもが長く寝ている。朝は6時15分ごろ起床し、飲んで、食べて、出して、ひとしきり活動をして8時半ごろからずっと寝ている。珍しい。

昨日は合気道に行った。めちゃくちゃ楽しかった。合気道始めてかれこれ2年になるが、途中の1年以上は稽古できていないので、ほとんど初心者に近いくらいに動きが分からないことがある。しかししばらくすると少し「ノって」くるのが分かるので、やっぱり体は覚えてるんだなあと感動する。

ここ最近ややストレスがたまっていたが汗を流してすっきりした。そしてやっぱりよく眠れた。運動はいい。体を動かすのって気持ちがいい。預かってもらえるって本当にありがたい。

体を動かす気持ちよさは、説明のつくものではない。実際に体を動かしてみないと分らないから。絶対に。呼吸して血液が巡って…という、細胞レベルでの気持ちよさなのだ。

ここ数ヶ月、体重が増えない。それどころか少し減ってきた。しかし食べまくっている。授乳の回数は減ってきたが、食べたい放題食べているのだ。あと、以前入らなかったジーンズがするっとはけるのは骨盤がしまったということなのだろうか。下腹部は相変わらずぽこっと出ているのだが。

うーん、おなかがすいてきました!

Tuesday 25 April 2017

7ヶ月と25日の記録

ようやくキーボードを買った。これで使ってなかったパソコンも復活させることができる。ただ、少しの幅が違ったりでやや慣れないためうち間違いも多い。まあそのうち慣れるかな。

久しぶりに子どもについて。

7ヶ月と25日。もう少しで8ヶ月になる。
食べる量が増えてから、便秘気味になっている。心配ではあるが、仕方ない。食べる量を減らすわけにもいかない。そもそも食べたがっているのだし。

三月のはじめに寝返りをした。そして歯が生えてきた。
今のところ下の歯が2本。なんでも口に入れようとする。すぐに手をつかんでガシガシと噛まれるので痛い。歯型がつく。

最近、グラグラするもののひとりで座れるようになった。起き上がりこぼし人形のごとくおしりをはじめとして体全体がまるっこいのですぐに倒れそうになる。

ハイハイはまだしない。腕が使えていないので、脚と頭だけで前進する。額が赤くなる。おしりがもこもこするのが可愛くて仕方ない。

生まれたときからよく声を出している。そのときによって声の出し方が変わるのだが最近はこれが「まんまんまんまんまー」と言うのが多い。両唇が発達してきている。唇をあわせて「ブー」と音を出すのが1月ごろからずっと続いている。

ブー、は良いのだが、先日は道端で中学生女子がそれをハチの羽音と聞き間違えて「ギャッ」と飛んで驚いた。きょうはパン屋でそれをやろうとするので、唾液がパンにかかりそうになり、あわててとめた。

夜になんとしてでもぶっ続けで寝て欲しいなあと思って考えた策が、夜には母乳ではなくミルクをあげる、ということ。そうすると、6時間くらい続けて寝ることがある。毎日成功するわけではないが、きのう(今朝)は夜11時ごろから朝5時半まで寝た。

問題は私である。この7ヶ月間、夜中に1~3回起きる生活に慣れてしまい、ぶっ通しで寝れなくなってしまったのだ。子どもが寝ているというのに1人で3時ごろに目覚めたり、1時ごろ朝みたいにすっきり起きてしまったりする。ある意味では睡眠障害みたいなものかもしれない、と昨日思う。

Monday 17 April 2017

こどもの前でシュークリーム

うわ、長い間ブログを放置していた。
やっぱりキーボードがないと文章を書く気にならないなあ。というわけでiPadより投稿。

激しく風のふく、ある寒い3月の日、子供を連れて実家に一時帰省した。その2週間後、桜が咲いたなあ、というころに東京に戻り、降り続く雨と寒い日々を経て、いまに至るというわけです。それにしても暑い。昨日は午前中から2時ごろにかけて水も持たずに出かけたら暑くてフラフラした。ベビーカーで「いい天気だねえ」と言いながら快適に「おでかけ」ができるのはほんの一時期なのかもしれない。暑さだけでなく紫外線も対策せねば。

こどもは7か月になった。最近ちょっと興味深いことがあった。こどものまえでわたしがシュークリームを食べると、わたしの親に「見せびらかすように自分だけ食べるのはよくない」と言われた。

最初は、冗談で言っているのだろうと思ったが、次は母親が「わたしはあなたの前でそうしたことはない」と言う。どうやら本気でよくないらしい、と思って残りのシュークリームはこどもから隠れて食べた。

そういえば離乳食の始まるずっと前からだ。わたしがこどものまえでものを食べているのを「自分ばっかりおいしそうに食べて、ねえ?」とわたしの親がわたしのこどもに言うことはとてもよくあった。

ただ、その当時は離乳食も始まってなかったしわたしも食べないわけにはいかなかったので結局その言葉はあまり気にせず堂々と食べていたのだが、離乳食が始まってからとなると、ふむ、とちょっと言葉がひっかかるようになった。

こどものまえで間食はするべきではない、みたいなことを産後2、3か月の頃に親から言われたこともある、そういえば。

私自身、正直なところまったくその考えはないし、一般的な常識(例えば妊婦は飲酒するな、とか)として聞いたこともなかった。だけど私の両親が、何の疑いもなくそう言うところを見ると、どうやら彼らの世代ではそれが常識だったのかもしれない。

だとすると両親たちはどれだけ自分に厳しかったのだろう、と思う。そうしてくれたことがどれだけ私の成長に影響を及ぼしているかはわからない。もしかしたら、堂々と私の前でまんじゅうなりシュークリームなりを食べていた場合と何も変わらなかったのかもしれない。

だけどきっとたくさんの決まりごとを自分に(そしてこどもに)課して、親としての覚悟を決めて何十年も過ごしてきたに違いない。ネットもなく、いわゆる男女の役割が今よりずっと社会から期待されていた時代のことだ。

二十代後半の若い2人を想像して、なるほどなあ、と時の流れを感じるのである。


でもやっぱりわたしはシュークリーム食べよう。
わたしを幸せにするものはきっとこどもも幸せにする。

Monday 20 March 2017

吉祥寺日和

吉祥寺日和だなあ、

としか言いようのない、温暖で爽やかで平和な祝日。
友人に会いに吉祥寺へ行った。

こどもが生まれる前、ひとりの日も、こういう天気でこういう空気の日は、まさに「ふと」吉祥寺に行ったものだった。

下北沢ではなく、吉祥寺。
渋谷でも新宿でもなく、吉祥寺。

大学時代から馴染みのある街だ、というのもあるが、いまだになんとなく行きたくなる。

ただし、以前とはだいぶ変わってしまった。住んでいる人曰く、ヨドバシが出来てから特に変化が激しいらしい。駅もすっかり変わっちゃったしね。。。ロンロンなつかしい。中央口懐かしい。もっと小ぢんまりしてたよなあ。

話は戻って。

きょうは本当に楽しかった。思い出も、いまの話も、自然体で話せる友達。
気づいたら知り合って10年以上!

井の頭公園を散歩しながらいろいろ話した。話しすぎて喉も唇も乾ききった。
池にはあのボートが浮かび、木々はきらめき、人々はあたたかい太陽を喜んでいた。

これからもお互い元気で会えますように。

Saturday 18 March 2017

寝返り、椅子

なんだか今週も忙しかった。戸籍謄本取りに行ったり、こどもの写真を撮りに行ったり、友達に会ったりした。

3月の7日ごろだったか、こどもが寝返りをした。補助なしで、ゴロンと斜め上にあるおもちゃに手を伸ばして、まわった。布団よりも固いところのほうが動きやすかったらしい。そのときは「おおお、これが始まりか」という感じがしたが、それほどバンバン寝返りするわけではない。

そしてきのう、やっとのことで椅子を買ってあげた。ストッケにしようと思っていたが、値段が高いのと、そもそもゴツすぎるのがどーも気に入らず、踏みだせずにいた。そこで知人に紹介してもらったe-chairというものにした。シンプルでスリムで丈夫で安定している。

新品を買おうとしたが、欠品していて、メーカーに問い合わせたところ、入荷未定と言われてしまった。

諦めたくないなあ〜と思ってしばらくすごしていたら、ヤフオクで中古を見つけた。これは買うしかない、と思ってすぐ買いました。結構いい状態だけど値段は3分の2くらいで買った。

座らせたらとても嬉しそうで、おもちゃの使い方も変わったし、何よりも離乳食がたべさせやすい!椅子のおかげかきょうはすごくスムーズに、いろいろなものをしっかり食べた。

やっぱり視点が変わるのは本人も嬉しいんだろうなあ。いっちょまえ感がなんとも言えない。

Saturday 11 March 2017

お皿を買った

なんだか忙しい1週間だった。あっという間に過ぎていった。
何をするのに忙しかったのかなと振り返ってみると、皿を選ぶのに忙しかった…!
いつも見ているブログでふとイッタラが紹介されていて、しかも楽天のセールだと知り、期間中になにかひとつ、と思ったわけです。
自分へのご褒美?と呼べるほど特に何かイベント的なものが起こったわけでもないけど。
イッタラのことを知らなかったわけではないけど、ふと欲しくなってしまったのです。
あと、手の届かない値段ではないなと思ったのもある。

で、この色にした。
ターコイズ。
画像ウェブサイトから借りてます。
あんまり無さそうな色にしようと思ったのと、食器ではない、何だったか忘れたけど、つい最近ターコイズの何かを見てインスピレーションを受けたため。

あと、一つ欲しいといってたものの結局二つ買った。だって、送料はらうなら、ねえ。プレートと、ボウル。

で、

きょう届きました〜‼︎
早速使ってるけど、これはいい!使いやすい!そしてターコイズきれい。食欲のわかなくなる色かもなあと懸念していましたが全然そんなことない。とても爽やか。自炊の気分がこれで上がるかな。

Saturday 4 March 2017

6か月になった

まだまだ寒い。二月の末から3月始めにかけては、どうも苦手な季節だ。花粉が飛び、冷たく寒く、風が強い。肌が敏感になり、髪の毛が顔に触れるとイライラする。春っぽいけどまだ全然春じゃ無い。そんな季節。

こどもがとんどん大きくなって、いつの間にか6か月になった。早い。寝返りをしそうでしない。よく笑う。肌荒れは一進一退。今週ちょうど歯が生え始めた。硬いものが歯茎の下にあるとは思っていたけど、ついに外に出た。ちなみに下の歯。日に日にはっきりとわかるようになってきた。なるほどこうやって乳離れをしていくのだね。離乳食を始めるタイミングと、歯が生えてくるタイミングはほぼ同じなのだ。よくできているなあ。

それにしてもかわいい。どこに出してもおかしくない、と言ったらおかしいだろうか。めちゃくちゃかわいいのだ。こっちも世話に慣れてきたし、こどもも扱いやすく成長してきたからだとは思う。さて、いい加減に椅子を買ってあげないとね。

Sunday 26 February 2017

健全な大人たち

「大事なのは、健全な大人たちに囲まれて育つということです」

以前聞いた言葉を、最近かみしめている。
いつも会ってくれる友人にしても、合気道の人々にしても。

子供に声をかけ、抱き上げてくれる。
私がトイレに行っている間にこどもを見ていてくれる。

たくさんの信頼できる大人たちに守られて、いろいろな話をしてもらうことがこの子の成長にきっと大きな助けになる。親以外の大人の存在はとても貴重だ。そもそも、私より断然おもしろい経験をしている友人が山ほどいるのに、会わせないでおく理由なんてない。

合気道の道場で、道着を着た人々に囲まれながらキャッキャと喜ぶこども。「このままだと大人っていうのは白い服を着た人たち、って疑問も持たずに思うようになりますね」と言われて確かにと思った。

希望のあさ

仕事はなくてもなんだかんだでやることはあり、忙しく過ごしている。先週は睡眠不足がたまって結構疲れのピークに達していた。が、しっかりと寝て解消。

きょうは日曜。やはり6時半に、こどもと同時に起き、カーテンを開けて朝をよろこぶ。
さわやかな1日の始まりです。

ラジオ体操の歌にあるとおり、朝は「希望のあさ」である。

あたらしいあさが来た
希望のあさだ

朝型人間は、朝日を浴びることの喜びを知っているのです。
で、こどもはいま、ラジオのクラシックをききながら二度寝している。
ちなみに曲はベートーヴェンの運命。

Thursday 16 February 2017

鯖で気仙沼のノルウェー

「気仙沼 ほぐし焼鯖」という瓶詰めの鯖を買った。試食して美味しかったから。さらにその売り子が、気仙沼の人たちが考えたんですよ〜と言っていたので、震災のことも思い出して、より買う気になった。

家で、動物性タンパク質が摂りたくなって、早速開けて美味しいなあこれ、と思ってラベルを見たら、なんと

ノルウェー産🇳🇴

と書いてあるではないか。そんなんありか…



そういえば、最近似たようなことが起きたのを思い出した。
「アレッポの石鹸」を頼まれて買った。アレッポというのはシリアのアレッポ。
買った後にラベルを見ると、「シリアの戦闘激化のため、生産をトルコに移しています」とある。そりゃそうだよなあ、よりによってアレッポで作れるわけない。

でもなー、鯖…
ノルウェー産なら、気仙沼って書かない方がいいと思う。
ノルウェー産が嫌なわけではまったくなくて、ね。


Wednesday 15 February 2017

バレンタインとオーブン

バレンタインの日の朝。
友達が来るのでクロスタータを焼こうと思ってバターを練り始めた。1時間ぐらい経って、形を整えてオーブンに入れた。

数分経って、オーブンが真っ暗なことに気づいた。ブレーカーが落ちたかと思ったがそういうわけではないらしい。

壊れたのだ。
ついに。

あれは2002年の3月。
上京を前に電化製品を揃えに親とまちの電器屋さんに行った。
あれから15年、一度も壊れることなく、休みなく働き続けたオーブンレンジ。
ちょうどバレンタインの日の朝、役目を終えた。
まさに、寿命だった。

さて、困ったのは焼きかけのお菓子である。
半端に焼かれたまま行き場を失った。

どうしようかこまったが、同じマンションの人に頼んでオーブンを貸してもらい、残りを無事に焼き終えた。そこの奥さんのアドバイスに従って、最後はトースターで焼いてみたらきれいに焼き色がついた。冷めたあとで、少し切ってお礼に持って行った。

印象深いバレンタインの1日となった。

Tuesday 14 February 2017

梅の季節

梅で有名な公園の近くに越して来てから初めて迎える2月。そうか梅の季節と花粉症の季節ってちょうどかぶるんだな、と初めてのことのように気づいた。

きのうは天気も良かったので梅を見がてら散歩に行き、行った先で梅まんじゅうと梅大福を買った。今朝食べた。おいしいとは思うが、必須では無いよなあ、と思う。つまり、梅が。あんこがあれば済む話なのだ。栗などが入っているときの喜びはない。

でも、ほら、この季節はやっぱり和菓子に手が伸びるのね。

Saturday 11 February 2017

5か月と11日のメモ

東京に戻ってから何度か水泳に行った。合気道にも行けた。
5か月経って、ようやく今までの動きを取り戻せている気がする。体重は妊娠前より少し減った。それでも先週久しぶりに泳いだ時は少し股関節がおかしい気もした。これだけの月日が経ってもまともに戻りきれていないのだ。おそるべし、出産の衝撃。

ここからはこどもについて。
5か月と11日のメモ。

ここ数日でまた変わった気がする。何がどう、と言われると説明しにくいのだが。人間ぽくなった、というか。動きが意識的になったというか。視界から親が消えた途端に泣く。が、涙は出ない泣き。

そうしてびえーーん、と泣いていたかと思えば、話しかけたりあやしたりすると急にキャッキャッと笑い出す。あれれ、さっきの泣きは一体、と腰が抜けるくらい。

腹筋の発達がわかる。クッションなどによりかかっている姿勢の時は自分から起き上がろうとする。

足が口にはいるようになってきた。

小児科のいうことを聞いてきちんと薬を塗っていたら肌荒れは治った。

そしてめちゃくちゃかわいい。通りすがりの人たちが声をあげるくらい。

Thursday 9 February 2017

和菓子の春

7日、友達をうちに招いた。
おみやげに桜餅をいただいた。ああ春だなあと思った。
この季節は特に和菓子が魅力的に見える気がする。
(…いや、一年中そうかな)

いっぽう、わたしはというと、前日に渋谷に行った際ちらっと目に入った「たねや」という和菓子屋で友人のためにどら焼きを買っておいた。

さらに、朝、郷里から届いた荷物の中には、羊羹とさが錦が入っていた。

偶然にも和菓子大集合になったね、といいながらあれこれつまんだ。紅茶ではなくて緑茶をいれた。まるで駄菓子パーティーのように、特に皿に盛ることもなく食べた。

本当なら和菓子ってこういう食べ方しないよね、と笑った。いちご羊羹なんてものはきっときれいな皿に盛って竹の楊枝を添えたりするのだろう。だけど、 まあ、10年来の友達、気にすることもないね、といって笑った。

ところでさが錦、ご存知ですか。ほんとにおいしい。今朝ぜんぶ食べてしまった。
http://www.muraokaya.co.jp/saganishiki/


Wednesday 8 February 2017

東京に戻った

パソコンが無いため、投稿がまったくできていませんでした。キーボードが無いと文章を書くきにはならないものです。同じことを書こうとしてもちっとも深まらない感じがする。

先週から東京に戻って来ている。二カ月ぶりでだいぶ腰が重くなった、と思っていたが、なんの、心配することはない。二カ月ぶんのエネルギーがたまっているのでいくらでも動ける感じがする。この2週間でいろいろな用事を済ませた。

それに、会いたかった人たちに連絡をとって会っている。たとえ数時間でも、これが活力をくれるのだ。会う予定があるとその日までを楽しみに生きれる。

こどもは順調にすくすく育っている。先日、健診に行ったが、大きすぎず小さすぎず、だと言われた。肌がカサカサしているところがあるので小児科に行ってみたら、ステロイド剤をきちんと、しかも全身に塗って、数日で治すように言われた。一歳までにそれを治しておかないとアトピー性皮膚炎になりやすいらしい。単なる乾燥による肌荒れとして放っておくところだった。立派な「湿疹」だった。

Tuesday 24 January 2017

4か月と24日のメモ

寒い。きのうは雪が降った。積もることはなかったけど。
こう寒いと散歩をしに外に出るのもためらわれる。

きょうは陽がさしているので、午前中のうちに少し外に出た。
日なたにいるうちはいい。それでも風が吹くと寒い。
ベビーカーを押す手が冷える。手袋がいる。

なんだかんだでもうすぐ1月が終わる。
一番寒い冬の時期を、こっちで過ごしながら終えようとしている。

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4か月と24日のメモ

・きのうは予防接種だった。
ヒブ3回目、肺炎球菌3回目、四種混合2回目。
東京で受けるのをこっちで受けたので、少し手続きが面倒だった。

・最近、右足と左足がよく合うようになった。
単なるバタバタではない。
すり合わせるように動かすのでとにかく靴下がすぐ脱げる。

・抜けまくっていた髪の毛が少しずつ生えてきた。
もともと髪の毛が多い状態で生まれており、抜けるとよけいに目立っていたので生えてきて何より。

・頭の形がいびつだったのがだんだん丸くなってきた。
向き癖があったためにあたまの片方がペタンとなっていたのを、円座クッションで寝せることで直した。

・肌がカサカサしている。
顔のカサカサはワセリンを塗ってその都度直しているが最近は太ももあたりの乾燥が目立つようになった。これも一応いまのところはワセリンで対策している。

Sunday 22 January 2017

4ヶ月と22日のメモ

きょうは午後から少し雪がちらついた。
午前中のうちに少し外に出ておいてよかった。

・離乳食

先週からこどもに母乳以外の食べ物を与え始めた。
まずはりんごの汁を飲ませてやった。
それからおかゆと、かぼちゃを食べさせた(というか飲ませた)。

毎朝、少しずつ試している。
特に具合が悪くなることもなさそうなので、少しずつ量は増やしている。
が、とりあえず朝だけ。

初めてりんごの汁を飲んだときは目をまんまるに開いて呆然としていた。
「この世にこんなにおいしいものがあったのか」という感じに見えた。
飲み込みきれなかったりもするけど、スプーンを差し出されて拒否する様子はない。
きょうは「もっと」と言っているように見えた。

困ったことと言えば、服やらよだれかけ(あえてスタイとかビブとか言わない)がどんどん汚れるということ。特にりんごの汁には参った。果汁ってこんなに取れにくいものだったとは。漂白剤でもお酢でも取れなかった。まあ、よだれかけっていうのは汚れるためにあるんだしな、と思い、汚れを落とすことをあきらめた。

・椅子

首がすわり、背筋が伸びて、ひざに座れるようになったのは良いが、ずっとひざに座らせているとこっちの行動も制限されてしまう。寝かせていれば良いとは思うが、やはり大人と同じ視点でものが見えるのなら見せてあげたいとも思う。寝て天井を見てばかりではつまらないだろうし。こういうときに椅子があれば良いのになと思うようになった。なるほど、ベビーチェアが欲しいと思うタイミングはちょうどこのくらいからなのだろう。

・声、笑い声

言葉こそしゃべりはしないが、いろんな種類の声を出すようになった。最近はのどをしめたような声で叫ぶことがあってびっくりする。別に泣いているわけでもない。あやすとケタケタと声をあげて笑う。いわゆる赤ちゃんの笑い声である。なんと周りを幸せにすることか。純粋な喜びにあふれている。

・手の動き

ものをつかむようになったのは結構前のことだが、最近ではさらに欲しいものの方向へ手を伸ばすようになった。きょうはおむつを替えている間にポケットに入っていたマスクをとられていた。そして力がますます強くなってきたので、いったん手を握られるとなかなか離せない。きょうはひざに座っている間に目の前にあった広告をつかみ、さらには破った。

Sunday 15 January 2017

本を注文した

とても寒い。
昨日は日中、雪(まじりの雨)が降った。東京のマンションとは違って、家が夏用にできているので、暖房を入れていてもどこからかすきま風が入ってきて寒い。

こんなときにセンター試験とは、とすこし同情する。
どうせなら1月じゃなくて12月にすれば良いのにと思う。
12月なら雪やインフルエンザの可能性も少ない。

久しぶりにアマゾンで本を注文した。
一冊はきょう届くだろう。
もう一冊は、ついさっきアマゾンで頼んだ。
NHKのラジオを聞いていたら、「本の内容を著者に聞く」みたいなコーナーがあって、鹿島茂さんという人の「悪知恵の逆襲」がとりあげられていた。
内容を聞いているうち、あまりにも内容が魅力的だったのでその場で「かしま わるぢえ」と検索をして、すぐにポチっと注文した。
とりあげられているのは「悪知恵の逆襲」なのに頼んだのは「悪知恵のすすめ」だったようだが、まあいいや。

こどもの世話でバタバタしていてしばらく本を読んでいないのだが、ここ一ヶ月でこどもの首がすわって、扱いやすくなってきたので本も読もうと思えば読めるのではと思っている。

ぼろぼろぐりとぐら

実家には大量の絵本がある。

先日、こどもに読んでやろうと思い、かの有名な、あの本を手に取った。
ページをめくると…
 これはすごい。
ぼろぼろなんてものではない。
このページ以外も、クレヨンで色塗りが施されている。
(黄色が多いのはおそらく、卵が話に出てくるから)

このページに至っては、文字の部分が欠けている↓
そのため、推測しながら読むしかない。

なかばあきれながらも、30年経った今も、ページをめくるときのワクワクする気持ちは変わらないのだ、ということに感心した。
やはり名作なのである。

いやはや、よくがんばったなあ、ぐりとぐら。
うーん、カステラ食べたくなってきた。

Wednesday 11 January 2017

4ヶ月と10日のメモ

こどもが4ヶ月になった、ということは1日のブログで書いたが。それからきょうまでの間での気付きをメモ。

・両足を完全に、しっかりとつかむようになった。靴下をつかんで自分で脱いだりすることもある。これが正月2,3日での成長。

・「あー」「うー」等の間隔がどんどん狭まってきた。より、話している状態に近くなってきた気がする。時々、歌っているように聞こえる。

・夜泣きするようになった。夜起きる回数が増えたなあとは思っていたけど、どうやらそれが必ずしもお腹がすいたという合図だけではなくなってきたようだ。1~2時間おきに起こされるとこっちの睡眠はまともにとれるわけがない。昨夜も、これは授乳か、と思ったけどためしに、授乳はせずに手を握ったらそのまま眠った。はあ、これが夜泣きか、と心の中でつぶやく。原因はいろいろと考えられるけど、まあこれも成長の一過程なのだろう、くらいに思っておこう。

Sunday 8 January 2017

チーズケーキ、こどもの風邪、おじいちゃんの誕生日

昨日の朝。

ずっと前に亡くなったおじいちゃんの誕生日だ。
なぜかよく覚えている。
誕生日だからといって何をするわけでもない。

朝起きると冷蔵庫に張り紙があった:


前日の夜に作っていたものを、朝一でいただいてよいという許可だった。
なんという愛嬌。

夜に焼いて、朝、冷蔵庫にあるということは、ケーキが焼けた後、熱が冷めるのを待っていたということだろう。


弟は料理が上手だ。
多くの人が「面倒だな」と思いそうな手順も省かず、丁寧に、手間をかけて作る。

紅茶をいれて、ありがたいなあ、さてさて、と半分食べかけた時だった。


やっぱりこどもの調子がおかしい。

夜中からおかしいとは思っていたけど朝になってもちょっと普通と違う。
せきもするし、鼻水も出ている。
毛布をかけても手足をバタバタさせない。なんだかぼんやりしている。いつもの威勢の良さがない。
夜中に高かった熱は朝には下がっていたので、もう大丈夫かなと思っていたのだが。

チーズケーキは食べかけだったがフォークを置いて、もう一度体温計を取りに行った。
すると、38.6℃。

これはやっぱり病院へ、ということになった。
薬をもらい、鼻水の吸引をして帰る。

特別なことをするわけではないが、1日安静に過ごした。

今朝にはすっかり熱が下がったので安心した。

なるほど、こどもの風邪というのはこういう感じなのか。
両親からこういうときにはこうする、という基本的な注意事項を丸一日聞けたのがよかった。
これから何年間か付き合っていくであろう「こどもの病気」の始まりだった。

Sunday 1 January 2017

4ヶ月の気付き

早速初詣に行ってきた。

行く途中で見事な初日の出が見られた。

とにかくここ数日、天気が良い。朝は霜が降りていたが今は太陽が出てぽかぽかしている。
陽を浴びていると暑いくらいである。
天気が良かったおかげか、結構な人で神社は賑わっていた。

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こどもの成長について気付きを書こうと思っていたのだが今になってしまった。

ちょうど4ヶ月になった。
2週間くらい前だったか、右手と左手がくっつくようになった。
摘んだ花をつかませようとしていたら、ふと気づくと片手でもう片方の手を握れるようになっていた。大きく一歩前進、という感じがする。

指がそれぞれ一本ずつ独立して動くようになってきた。しっかりと力強く。
指先まで力が入るということは、その分、爪が立つようになった。
だから、きちんと爪の手入れをしてあげていても、つかまれると痛い。
そしてあちこち握られるので、おむつ替えに時間がかかるようになってきた。

寝た状態で足を触ることは触るのだが、足首をしっかり持つ、とまではいかない。
寝返りもまだ。

人を以前より認識するようになってきた気がする。でも人見知りはない。
睡眠時間は減ってはいない。

夜の授乳が以前1回だったのが今月はずっと2回。
いろいろな原因は考えられるけど元気に育っているし母乳も出ているのでたぶんこれで問題はない。

「これがいわゆる夜泣きか?」と思ったときもあったが、やっぱり夜泣きたる夜泣きは無い。たぶん。夜泣きがどういう状態かよく分かっていない。そもそも。

いっさいはんは最強

 1歳半。 めいは1歳半である。26日から帰省していて、弟の一家と一緒に過ごしている。姪が2人。ひとつ屋根のしたに8人がいる状態。たいへん賑やかでいつもどこかから泣き声やわめき声が聞こえている。こどもの声は高くていい。なかでも1歳半の姪は、もうどこを切り取っても、おもしろくて、た...