Sunday 31 May 2020

お弁当騒動

前回も書いたとおり、この一週間で二回、お弁当を作った。これが予想以上に大変だった。普段から「お弁当なんて手抜きすればいいのに」とか「一品で済ませれば大したことないはず」とか言っていた。ところがどっこい、自分がやるとなると結構凝ってしまうのである。事実、こういうのが好きだ、というのもある。保育園のシーツとかプール用タオルとか、じゃんじゃかミシン動かして作ってしまうのと同じだ。創作することについては好きな上に結構得意なところもある。

しかもこれが、自分のためではない。自分が食べるのだったら全然こだわらない。子のため、しかも初めてきちんとしたお弁当となると俄然張り切ってしまうのだった。自分でも「やれやれ」と思った。

さて、やるとなると「何を作ろうかなー」と何日も前から考えてしまう。その間、頭のなかには10個くらいメニューが浮かんでいて、スーパーに行くとあれもこれもと買ってしまうが実際に詰め込める、あるいは時間内に作り終えられるのはそのうち3割くらいなものだ。

そしてどのお弁当箱を持っていくかについても考えなければいけない。私が高校時代に使っていたものを使おうかと思ったのだが、ふと、5年前に買った曲げわっぱが目についた。子供にみせると「うん」と言う。まあどれでもいいんだと思うけど。

ものすごくがんばって調査を重ねて、浅草本店まで買いに行った白木の曲げわっぱがうちにはある。なんと1万円くらいする。妊娠中に、ヘルシーにお昼を食べようと思って買ったものの、朝から料理する余裕なんて全くなくて結局ほぼ使わずに宝の持ち腐れ状態となっていた。それがここで役に立つのである。

1日目は、オリーブ、トマト、コーンで炊き込みご飯を作っておにぎりにした。
2日目は、オムライスにした。

経験を重ねれば要領が良くなってくるのだろうが、意外なほどに時間がかかった。今回は私が半分在宅勤務のようなものだったので作ることができた。これははっきり言って平日に仕事しながらやるものではない。無理である。当然だが、自分の準備と、子供の準備(朝ごはんと着替えと保育園の準備を含める)と、お弁当の準備を同時進行で1時間くらいで行うわけなので、何かを犠牲にしない限り、やっていけることではない。

そこで睡眠を削ったりして健康を犠牲にするのは最も馬鹿らしいことだと思う。完璧を目指さないのが大事だ。ま、今回は気合を入れてしまったけど。

ともあれ、明日から区立保育園は給食が始まります。2ヶ月ぶり!嗚呼、ありがたや、ありがたや。

Saturday 30 May 2020

3歳9ヶ月のバイリンガル日記

私の仕事が再開するのもあり、練習みたいな感じで今週は水曜と金曜、こどもを保育園に預けた。ただし午前中だけ。9時から12時までなのであっという間にすぎる。いつもと違うのは、お弁当を持っていく必要があるということ。あくまでも今週は「応急保育」という扱いになっている。医療従事者やライフラインに関わる職業の人のみが預けられる、というのが先週までだったが、今週は「在宅ではあるが保育困難な人」というのが加わった。ということで、仕事に行く日に合わせて、預けることにした。

ところがこれが一筋縄ではいかない。二ヶ月間、毎日両親とべったりだった3歳児がそんな簡単に保育園モードに切り替えられるわけがない。「呼び」となるのはお弁当だけである。ぶどうとかさくらんぼとか美味しいものを入れたお弁当を用意して「行ったら食べられるよ」と言うしかない。それでも「おうちでごろごろyoutube見る」には到底かなわない。朝から泣き叫ぶ子ども。「いやだよう、行きたくないよう」とイタリア語で叫ぶ。



この二ヶ月の間、ちょうど5月の中旬ごろから我が子は「日本語<イタリア語」になった。たとえば日本語でしゃべっている途中にこういうやりとりがよくある:

子「cocomeloって日本語でなんていうの?」私「すいか」

子「lontanoって日本語でなんていうの?」私「遠い」

という、今までだったら逆(つまり「イタリア語でなんていうの」)だったはずの質問が出てくる。「ついに逆転したかー、と興味深くみていた。それはそうだろう、親といる時間がこれだけ長いのだから。保育園に毎日通っていたときは、「パパ、日本語しゃべって」と言っていたのに、ついに最近は「マンマ、イタリア語しゃべって」になってしまった。親がそれぞれ違う言語をしゃべるわけだから、子はいちいち切り替えなければいけない。だけど、できることなら周りを自分のモード、つまり自分が困難なく表現できる言語に合わせたいわけだ。バイリンガルならではの悩みと苦しみがあるんだろうなと思ってみている。「二つ話せるっていうのはとてもいいことなんだよ」「とても特別なんだよ」と話をした。

私はイタリア語母語話者ではないので普段日本語で会話している。イタリア語で話しかけられても日本語で答える…はずだったが、どうしたことか最近はイタリア語に押されることが多くなってきた。さほど不自由はないものの、気づいたら「そっちモード」に取り込まれる。

話は戻って、そんなこんなで約二ヶ月ぶりの保育園に二回通った。来週からも自粛期間ではあるものの少しずつ友達は戻って来るはずだ。そうするとあっという間に日本語優勢になってくるのだろう。

この日伊間の迷いと戸惑いに直面する我が子をみて、私はとくに哀れがったり、焦ったりすることはない。自分は経験したことがないけど、たぶんそういうものだと思う。ただ、心がけていることもある。言葉が出てこなくてつっかえたり同じことばを何度も繰り返したりするときに、急かしたり問い詰めたりしない、ということだ。あまり訂正らしき訂正もしない。いずれ分かるから。



ここ半年くらいで我が子について気づいたことの一つとして、結構慎重派なのかも、というのがある。判断してから動くタイプかもしれない。それがいいとか悪いとかいうわけではない。ほかにも気づいたことはたくさんある。お絵かきとか、工作とか、パズルとか、机でやる類の遊びにはあまり興味を示さない。文字数字もいまのところあまり反応がない。すべての車に興味を示した2歳のころは車体に書いてある文字がすべて読めたのに今は「わからない」と言う。不思議なものだ。

その代わり驚異的なほど興味を示すのが消防関連である。そして、それにまつわるいくつかの外国語。youtubeで消防士をみながらいろいろな言語をリピートする姿をみて消防と外国語の組み合わせはこの人にとって最強なのだなとつくづく思う。

Thursday 28 May 2020

在宅勤務の終わり

先週、ついに29日出勤の指示が出た。ということは、きょうは在宅勤務最終日である。長かった。うんざりすることも多々あったが、得たものも同じかそれ以上大きい。こんなのはきっと一生で一回だろうと思っている。(そしてそう願っている。)休暇でもないのに2ヶ月職場に行かないなんて、この13年と2ヶ月間仕事をしてきて初めてのことだった。

まさに自分と向き合う期間だった。いつもドタバタしてあっという間に1日が過ぎるという日々だったのが一転、急いでやるべきこともない中で家にいなければいけない、という毎日になった。そして家族が家にいる。こっちが−つまり、職場ではなくて家が−本当の自分のはずなのに家に居場所を見つけて確保することに必死になっている自分がいた。

職場の人たちと時々オンライン会議が開かれた。そこで映る同僚たちは、家にいて、背景には本棚や、カーテンや、障子や、インターホンが見える。それを見て不思議な気持ちになった。見てはいけないもの、というわけではないが、今までずっと目にするはずのなかった、同僚の私的な部分を見ている。そして、そうなんだよな、これが(自分も含めて)この人たちの普通なんだよな、と思った。私的な顔があって、はじめて仕事があるわけなのだ。カメラには映らないけど、その向こうには子どもがいたり親がいたり旦那さんがいたりするのかもしれない。洗濯物の山があったり、洗うべき食器が積み重なっていたりするのかもしれない。



この間、得たものについて考えてみる。

時間の使い方にはかなり気をつけた。朝は5:30に起きて1日のやることリストを作った。それから1時間くらい英語の記事を読んだ。家事を済ませて午前中に読書をした。午後は家で少し、ダンベルを使った運動とか、いつもやっている、背筋と腹筋に集中した10分のエクササイズをした。

食べるものにも気をつけた。仕事をしている時より圧倒的に運動量が少ない。水泳も合気道も行けない。となると摂取するカロリーは当然減るべきだし、その日に摂取すべき栄養素を最優先させて三食を作っていく必要がある。ふだん私はまったくカロリーとか糖質とか気にしない。その分、活動しているためだ。だけどこの期間は気をつけた。朝はいつも通り、大して食べない。なにかひとつ甘いもの、炭水化物を食べる。無印のバウムクーヘンがちょうどいい。あとは紅茶かコーヒー。昼にがっつり炭水化物を食べることを避けた。食べることは食べるけど納豆とか豆腐とかタンパク質を必ずとる。

それから夜はサラダ。これが昼に来ることもあった。昼夜ともサラダのこともよくあった。サラダは、たぶん見るとびっくりするくらい大量。だけどこれが一番体の調子が整う。無理しているんではないか、と思われるかもしれないけど、一番食べたいものがサラダなのだから仕方ない。これは在宅勤務だからというわけではなくて、いつもそう。勤務していても夜はサラダ。水菜を使うことが多いが葉っぱならなんでもいい。ルッコラとかケールが安く手に入るのでそれらは好んで使っている。そこに卵、ツナ、アボカド、オリーブ、コーン、あたりが加わる。これらはいつもあるとは限らない。ないこともある。あるものを使う。ドレッシングは我が家にない。オリーブオイルとバルサミコ酢と柚子胡椒を使う。夜に炭水化物はたべない。日曜のpizzaを除いて。

おかげで、この2ヶ月体重は増えなかった。二の腕が鍛えられた。脚の筋肉はかなり衰えた気がする。仕方ない。これはすぐ取り戻す。

Wednesday 27 May 2020

Youtubeとドイツ語

緊急事態宣言解除。ふぅ、と息をつきたくなる。やれやれ、というべきか。とりあえずは、一時期のソワソワ、びくびくした感じが過ぎた。今後どうなるかはわからないけど、よかった。とりあえず。とりあえず。


5月の間に三つ、Youtubeで動画を撮ってみた。Youtuberになったのではない。仕事のためだ。最初は同僚に自己紹介を頼まれて「えー、そんな」と思っていたのだが、やってみるとこれが、大したことない。一度やると二度目はさらにハードルが下がり、三度目となると撮り直しもゼロになった。ちなみに編集はしない。

三つ撮ってみて思うのが、たくさん編集しても結局内容が面白くないと視聴率は稼げない。面白いことしゃべっている人は、字幕とか効果音とかなくてもみんな見たがる。あと、編集はハマってしまうとものすごい時間がかかるので、公開のタイミングがずれると面白さも減る。


こどもがやけにドイツ語に興味を示している。我が子はここ数ヶ月、YoutubeでFireman Sam (消防士サム、というイギリスのプログラム。昔はストップモーションでBBC放映だったようだが最近ではぜんぶCG)とPlaymobil という、レゴのちょっと大きいバージョンの動画を好んで見ている。どちらもなぜか日本語版は無い。日本には入ってきていないらしい。その代わり色々な言語があるのだが、偶然(だったかなんだったか忘れた)聞いたドイツ語版を、気に入っている。いや、気に入っていると言うべきなのか、よくわからないけど、ドイツ語でもいいから見たい、と言いながら見始めた。

そうすると、当然といえば当然なのかもしれないが、いくつかドイツ語のフレーズを覚えている。「ドイツ語」と意識しているあたりがもう面白くて仕方ない。

ちょうどきのう、公園に座って豆乳ドーナツを半分こして食べていたときのこと。背の高い外国人らしき男性が二人、公園の入り口からやってきた。「何の言葉話しているんだろうね」と言いながら見ていた。だんだん近づいてきて、それがドイツ語だとわかったので「あれ、ドイツ語じゃない?」と私が言ったら子はまるで照れたようにニヤーっと笑って一生懸命観察していた。「お話しに行ってみたら」と言っても、照れていかない。それでも興味津々で、近くを横切って行く二人をずっとずっと眺めていた。見えなくなるまでずっと目で追っていた。面白い。

家でも"Chissa come si dice ごめんなさい in ドイツ語 (ドイツ語でごめんなさいってなんていうんだろうね)"と日伊まじりで言っていたので調べてあげると、そういえば私も聞いたことのあるフレーズが出て来た。教えてあげると、嬉しそうに繰り返している。

消防士が出てくるplaymobilレゴの動画をドイツ語で見ていると、セリフの最後にやたらと「マーシュ」という言葉がくっついていることにこどもが気づいた。「また、マーシュって言った」と言う。確かにどの単語にもくっついているので、なんだろうと思って調べることになった。どうやら英語のmarch(行進する)と関係ありそうだ。たぶん「行け!」「それ!」みたいな感じなんだろう、ということがわかった。

さらに「ヴァサ、マーシュ!」となんどもいうので、これなんだろう、と思っていたら、そういえばルフトハンザの機内で「水のことをヴァッサー、と言うんだな、へー。」と思ったことを思い出した。「水、行け!」ってことか、なるほど。消防士だから放水しながらみんなで言ってるんじゃない、と3人で納得。それ以降ずっと子は「ヴァサ・マーシュ!」が繰り返されている。

いやはや、勉強になる。

Sunday 24 May 2020

そろそろ解除と「寂しくなります」

先が見えてきた。

東京の感染者数は一桁になった。緊急事態宣言そろそろ解除になるな〜、と少し希望が見えてきた。

昨日の午後から東京には太陽が顔を出した。実に一週間ぶりである。冷たく、暗く、寒い一週間だった。昨日ちらっと公園に行ったらすごい人出だった。そりゃそうだよねー、と思った。油断ならないと言われても、という感じだ。確かに今までのようにはいかない、だけどそろそろ普通の生活がしたい。

先月ずっとお休みだった顔なじみのレストランが、先日ついに再開した。きょうは久しぶりに子供をつれて二人で行ってみた。混んでいるかもしれないと思って念のため予約してみたものの、実際それほど混んでいなかったし、外にいる人たちはテイクアウトを待つ人たちだった。

こどもと向かい合ってピッツァを食べた。といってもほとんど子が食べてしまった。二人分注文しないとだめだなこれはと思った。1歳から毎週のように連れてきていて、その当時は膝にのせて、細かく切り分けて食べさせていたのに、向かい合って食べられるようになったとは。そしてあちこち汚して大変だったのが、今となってはエプロンさえ要らなくなった。成長したよねえ、と言いながら食べた。

会計が終わって自転車に乗ろうとしていたら、店長さんが外まで出てきた。この店長さんにはこどもが生まれる前からずっとよくしてもらっている。「アマビエ」の金太郎飴を二つくれた。ありがとうございますー、と言っていたら、なんと6月1日から異動になるということ。これはショックだ。本当に寂しくなる。地域の知り合いが一人減る。知り合ってどれくらいになるかというとかれこれ8年。長い。私たち家族が今にいたるまでの全てを知っている。何度このレストランで誕生日会を開いただろう。料理を持ってくるタイミングとか、私たちの好みとか、すべて把握してもらっていた。水には氷を入れないほうがいい、とか。子供が生まれて2ヶ月のときも、いつ泣き出すかわからないのに、連れてきたらこころよく食事をさせてくれた。ベビーカー運ぶのも手伝ってくれた。近くを通るたびに声をかけてくれた。それがなんと異動ということ。来週のうちにせめてあと1回行っておこうと思う。こういうのは、まあ仕方ないんだろうなあ。人の縁というのは、あきらめも肝心だし、同時にいいつながりがまた近くでひょこっと出てきたりする。そのたびに寂しかったり、嬉しかったりする。「縁」にどう向き合えばいいのか?前を向いて生きよう、ただそれだけだ。手元のスマホ画面じゃなくて、背筋を伸ばして前を見る。ま、スマホ持ってないけど。

Monday 18 May 2020

晴れた日に公園で読書する習慣

早く普通の日々に戻って欲しいとは思うが、在宅勤務のおかげで得たものもたくさんある。そのひとつが読書。

私は読書家というわけではない。そんなにたくさん読まない。電車通勤をしていた頃は毎日何かしら手元に持っていて、よく読んでいたが現在の職場になって自転車通勤に変わり、本を手に取ることが減ってしまった。しかも、残念ながら読書が家で習慣付いていなかった。そこにこどもが生まれた。ますます読書どころではなくなった。生まれて当初は本当にまったくと言っていいほど読めなかった。仕事に復帰したら、(矛盾しているようだが)少し自分の時間ができた。電車でどこかに出かける時、実家に帰るときなどを利用してなんとか読んでいる具合だった。

それが今回の在宅で、読めるようになった。子も家にいるのに、なぜかというと、午前中我が子は「パパ〜」と一緒に過ごしたがるのでもういっそのこと子供の世話は任せて自分の時間をとろうと決めたのだった。

これは話し出すと長くなるが、子供が普段から一緒にいる時間が長いのはその父親のほうであり、完全に二人のペースができているのでたとえば私が強引に「ほら、公園にいこう」なんて言ってもまったく聞く耳を持たない。これにたいして在宅が始まった当初はたいへんイライラしたのだがもうあきらめることにした。感謝しつつ自分の時間をとる。

読書にはもっぱらkindleを使う。電子書籍だ。これが合わないのではないかと思いながらももう本棚に本が増やせないので、NHKのテキストを買うためにと思ってためしに買ってみたのがちょうど一年前。それからこの便利さにはだいぶ助かっている。そうだ、読書をするようになった理由のひとつにはKindleがあるのだ。Kindleじゃなかったらそもそもこれほどまで本に手を出そうとしなかった。増えても、増えないというのがいい。

何を読んでいるかというとここ数年ロアルド・ダールをずっと読んでいる。読み始めたのは産休育休のときからだ。面白すぎて読み終わるのが惜しいが、それでもまだ読む分はありそう。ちなみに全部英語。こんな職業をしているというのに英語を読むのが億劫だった。ずっと。それがダールに出会ってからというもの、それが英語であることを忘れるくらいのめりこんでいた。短編じゃないと無理、と思っていたけどダールの小説には短編じゃないのもあり、読んでいる間に結構長いものも夢中で読み終わっていたりする。実はこういう経験が仕事に直結している。

晴れた5月の公園でひとり、ベンチに腰掛けて読む。目の前には開けた空間。こどもが遊んでいる。木陰から見上げる葉っぱは、それはそれは美しい。最高の季節だ。気がつくと2時間近く経過している。仕事が再開したらこれを習慣とすることはできなくなるだろう。だけどいつか2020年の4月と5月を思い出す時、私はきっとこの光景と空気とたくさん読んだ小説のことを思い出すだろう。

Sunday 17 May 2020

一対一で二日間、やることリスト

金曜朝から土曜夜にかけまる二日間、子供と一対一で過ごした。そしたら疲れてしまった。疲れに対して睡眠が足りてない。きょう午前は本を読みながら珍しくうとうとしてしまった。早く寝なければいけない。

昔にくらべると、言うことも通じるし四六時中目が話せないわけでもないのでだいぶ楽になったはずなのだがやはり保育園も仕事もなし、図書館もプールも空いておらず電車にも乗らない(乗れない)二日間は辛かった。2人だから、思いきって小旅行、というわけにもいかない。さらに昨日は雨が降ったので外出は限られて行き詰まった。

早くいつもの日々が戻ってほしい。

******************

在宅の日々が始まって以来、いろいろなことが習慣化してきている。その一つは5時半に起きて「きょうのやることリスト」を書くこと。パソコンをつける前になるべく書く。万年筆を使ってその日の日付から書く。そうすると「そうかきょうは水曜日か」とか、まあなんてことないことなんだけど、思う。やることリストは、結局前の日と何も内容が変わらないことだってある。それで良いと思っている。そして全部こなせるわけがないと分かっている。最初から分かっている。それでもリストにして書き出す。少し減ったり増えたりしながらもA5のリングノートは毎日埋まっていく。

Wednesday 13 May 2020

初夏、午後3時半、消防学校(後半)

消防学校への道は長かった。大きな道路を通るからかかるストレスも多い気がする。子どもは、わがまま言った末に願いを叶えてもらっているというのもあるだろう、おとなしく後ろに座っていた。今まで通ったことのない道を通るので「これなに」と控えめに聞いてきたりした。太陽は私たちの真後ろにあった。どんどん東に向かって進んでいく。

昔よく通っていた地域なのでなんとなく土地勘がある。「もうすぐだよー」と言ってある道に入っていった。門のようなものがある。いくつか消防車が見えるがそれほど多くないしちょっとイメージも違う。子供も自転車から降りてみた。そのうち子供がもじもじし始めた。「おしっこ?」というと例によって「ううん」と答える。「おしっこでしょ、ちょっとさっきのコンビニまで戻ってトイレ借りよう」と言うと納得した。後ろに乗せてコンビニに戻ると、なんとコロナウイルスのためトイレ使用禁止と書いてある。仕方ない。「じゃあもうそのへんでするしかない」というと「だめ」と言う。いつもの流れである。

どうしようもなくてまた自転車に乗せて敷地の周りをぐるっと回ることにした。塀が高くて中が見えない。それでもあちこちに赤い消防車が見える。「ほら、あるねえ」と言いながら一周。

もう帰ろうか、と言うとまた同じところに戻るという。なんだかぐったりしてきた。「閉まってて中には入れないというところを見にいく、って言ってたじゃん、だからもうこれでいいでしょ?」と言うと「また違う消防車みる」と言う。仕方なくまたもとの門の前まで行ってみた。

それにしてもイメージと違うなと思いながら、ふとそこを通りかかった消防士(と思われる)に聞いてみた:

「一番消防車がよく見えるばしょはどこですか」

すると、

「うーん、あっちのほうかな」と指差したのはなんと我々が見ていたのとは違う方向。あ、あっちなんですか、と言うと「こっちが工場で、あっちが学校」とのこと。聞いてよかった。工場だけ見て帰るところだった。

横断歩道を渡っていってみると、あった。そこにはざっと数えて10〜12台の消防車が並んでいる。消防車のグラウンドみたいな感じ。「あらっ?!あそこにもあるよ!」と嬉々としながら子どもがフェンスにしがみついている。よかった。もうこれだけで連れてきてよかったと思った。

しかし、やはりもじもじが止まらない。「もう、ここでおしっこしていいよ」と言ってもあいかわらず「ダメ」と返す。「じゃあここでおしっこしたら帰りにアイス買ってあげる」と言うと、無言で納得し、そこでしゃーっとおしっこした。これでこっちも一安心である。

20分くらい見ただろうか。帰ることにした。まっすぐ、西陽に向かって進む。まぶしい。これが4時半過ぎ。最近「ピノ」(6こ入りのアイス)のファンになった子どもはピノを買うと言い張ったが立ち寄ったローソンで見つけたのは6個入りどころか24こ入りで、こんなの要らないよと言ってセブンイレブンへ行った。そこでピノはなかったが代わりにアイスの実を買った。ぶどう味。

二人で半分した。無言で食べた。なんてことないんだけど、そしてストレスも多かったけど楽しかった。まぶしい道路とか、木陰のフェンスとか、蒸し暑さとか、こどものヘルメットの色とか、茂みに隠れておしっこさせたこととか、アイスの実のぶどう色とか、ひとつひとつきっとあとから思い出すんだろうなと思う。思い出して切なくなるんだろうな。写真には撮ってないけど頭から離れないシーンというのがいくつかあって、そういうのの一つになる気がする。

Tuesday 12 May 2020

初夏、午後3時半、消防学校(前半)

週に1回程度、職場に行く。やるべきことを短時間で片付ける。昨日もそんな感じで行ってみた。行きも帰りも結構暑くて、夏は大変そうだなと思いながら自転車をこいだ。職場に行く日は短時間でやることを片付けようとするものだから、昼ごはんを食べるタイミングを逃すことが多い。フリーズドライの豚汁をとりあえず食べたけどそのまま2時ごろ帰った。暑い中自転車で行き来するとだいぶ疲れてしまった。毎日やっていたことなのに、これが週一回になっただけでぐったり疲れる。通常通り再開したらやっていけるのだろうか。

職場で偶然会った同僚が「そういえば、この前消防学校の横を通ったんですけど、きっとお子さん喜ぶと思いますよ、あそこは。」と話してくれた。言われて思い出した。以前その近くに住んでいたこともあったのだった。どうしてその存在をここまで忘れていたんだろうなと思った。貴重な情報に感謝した。

家に帰って「そういえばね、消防学校が…」と説明をすると、子は行きたがった。しかし泣き喚きながら絶対にきょう行く、という。しまった、今このタイミングで話を出すべきではなかった、と後悔した。決して近くはないのだ。そして両親ともこんなに疲れているのに。明日の朝にしようよ、と言っても、きょう行くと言う。眠いのと退屈しているのがあってワガママとイヤイヤに拍車がかかる。「明日の朝行ったら中を見学できるかもしれないよ」と言って、実際に予約が取れるかもしれないと思ったので電話をかけてみた。

結果:
・個人での見学予約は受け付けていない
・そもそもコロナウイルスで学校やってない
・外からなら見れるけど訓練やってない

この旨を子に説明すると

「ぼくコロナウイルスなんて知らないよ〜!!!」

と(日伊で)言いながら号泣している。閉まってるらしいから行ってもしょうがないよ、と言うと「行って、閉まってるってことを見る」と言う。

このやりとりが30分以上続き、「ええい」と心に決めた私は「じゃあ行こう」と言った。「本当に行くのか」みたいな感じで子も少し驚いた様子だったが、本当に行った。子どもを後ろに乗せていくにはちょっと距離があるのと、大きな道路があるのであまり行きたくもなかったが、このまま夕方を迎えるわけにはいかなかった。それが3時半のこと。

(続く)


万年筆、外出

なくなったと思っていた万年筆が職場の引き出しから出てきた。一本千円のものなので、なくなってもあきらめはつくのだが少し気になっていたのは事実だった。中のインクは空っぽだが一体何色を入れていたのかさえ判然としない状況だった。家に連れて帰って洗うことにした。  翌朝の万年筆カートリッジ...