Sunday 31 October 2021

選挙に行くようになった

きょうは選挙の日。

(先日作ってもらったピッツァ。内容とは何も関係ありませんが。おいしかったです。小麦粉が値上がりすると我が家は影響を受ける。)

正直な話、20代の頃は「行っても行かなくても同じでしょ」「誰がやっても同じでしょ」と思っていた。行かなかったこともあるし、いざ投票所に行ったときも、鉛筆を持って、(さて、何と書こうか…)と止まってしまったこともある。結果、何も書かなかったこともある。そのくらい遠いことだったし、何一つ心に響くこともなかった。

そもそも住民票が、上京依頼ずっと実家にあったというのも問題だったと思う。そのせいで、大学時代、投票に行くことは一度もなかったし、当然ながら誰に投票するかなんて真剣に考えることはまったくなかった。親は「子の住民票を動かしたくない」と言っていたけど、住民票のある場所によって人どうしの関係が変わるとは思えない。さっさと動かすべきだったのだ。というわけで25歳くらいになって急に投票のための封書が届くようになったのだ。遅い。惜しい5年間だったと思う。

この数年、ようやく危機感を持つようになったし真剣に考えるようになった。要因はいくらでも考えられる:

1. 子が生まれて考え方が変わった

2. ツイッターをはじめとしたソーシャルメディアで政治が身近になった

3. 実際にこの国がよくない方向に進んでいる感じがする

このなかで2の影響は大きい気がする。今までわかっていなかったことがわかるようになった。こんなこと恥ずかしくて聞けないよなあということが、ネットを通じて解明されやすくなった。そしていろんな人の考えに新聞テレビを通じなくても直接触れられるようになった。なるほどこの人はこう考えるのか、と直接の声を聞ける。

さて、きょうはそれ以外にもいくつかやることがある。良い日曜になりますように。投票率上がりますように。

Wednesday 27 October 2021

たがめの理由、誕生日の買い物

 「おたまじゃくしの101ちゃん」というかこさとし作の絵本がある。子の保育園ではそれをもとに「101ちゃんごっこ」をやっているらしい。きっとこれで12月の発表会が行われるのだろう。ストーリーの一部に、「101ぴきのおたまじゃくしのおかあさんが、ざりがにとタガメのあらそいに巻き込まれ、死にかけるのだが、こどもたちが泣いていると生き返る」というところがある。

さて、子に何の役をやるのかきいてみたら「たがめだよ」という。ザリガニだったこともあるらしい。役の振り分け方は、先生が振り分けるのではなく、こどもたちが自分の好きなものを選んでやる。毎年そういう感じだ。「ほかの役にはなりたくなかったの?」ときくと、「うん」と。

しばらくして、ふと、

「ぼくはおかあさんが死んじゃったところで泣くのがいやなの。だからおたまじゃくしやりたくないの」

と言った。

「なるほど、そうなのね」

と言うとそれ以上何も答えなかった。小さいなりにきちんとした理由があるらしい。泣きたくない理由が何なのかはわからないが、そこで私も納得した。いいぞ、行け、たがめ。

それにしても、たがめがどんな生物か知っているのだろうか。考えてみれば私だって実物を見たことはない。

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先日、誕生日だった。久しぶりに買い物をしてみようと思って電車に乗った。なんと2ヶ月ぶりの電車である。大した距離でもないのに車酔いみたいになった。そして人がいるのが疲れる。そして電車の待ち時間と乗っている時間がとてつもなく長く感じた。

さらに、買い物に行っても欲しいものがない。何もないのだ。アップルストアに行ったら店舗で買うよりオンラインで買ったほうが早いですと言われた。服も特にピンとくるものがなかった。「ユニクロのほうが品質いいんじゃないか」と思える。結局買ったのは、手ぬぐい一枚。しかも、同じ柄の手ぬぐいを買うのがこれでなんと3度目である。ちなみにたまごの柄。一枚目の色がくすんできたときに、2枚目を買って、今2枚目を使っているところだが、結局また3枚目を買うのだろうとわかっているので、同じものを買った。あんなにたくさん柄があるのに信じられないと思うだろう、普通の人なら。

選ぶ楽しさ、もあるけど、選ぶことでエネルギーも使っている。自分の好きなものが確定している場合はそれを貫けば良いと思う。ちなみに私はまったく同じスニーカーを三足持っている。黒いニューバランス。少し違う黒いニューバランスも入れると四足になる。それでも、黒のニューバランスが一番好きだというのは10年以上変わらない事実なので、ここは迷わず買っておいた。黒が発売されない時に買い替え時期が重なると、困るのは目に見えている。

誕生日記念に新しいiPadでも買おうかと思っていたのだが、そのために今持っているものの容量を空っぽにしてみたら、快適に動くようになったので、新しいものが欲しいと思う気持ちもなくなってしまった。

それにしても、ほんの2、3時間街を歩いただけでこんなに疲れるなんて。目的なくふらふらするのもかつては楽しかったはずなのに。コロナによる変化のひとつだろう。オンラインで買い物したほうが断然いいと思った。

Tuesday 19 October 2021

虫歯発見

私は「日頃から熱心に歯を磨いている人」の部類だと思っている。なのに、虫歯が一本もないかというとそうでもない。ショックなことがあった。虫歯が見つかったのだ。8月に定期検診を受けたのにもかかわらず、なぜこんなのが今頃見つかるのだろう。8月の検診で見逃されていた可能性は大いにある。なんで気づいてくれなかったの、というよりは今自分で気づけて何より、と思うことにしよう。それとも8月から今までの間に急に進行したのかもしれない。やれやれ。きょう、歯医者に立ち寄ってみることにする。あまりにもショックで昨夜は落ち込んでいた。こんなにがんばって歯磨きしているのになあ。いわゆる「初期虫歯」というやつで、削らずに治れば良いのだが。

10月になったら急に街に人が増えた。緊急事態宣言の影響はやっぱりあったらしい。私の場合それほど生活は変わらない。仕事も普通どおりだし、必要な外出は緊急事態宣言下でもしていたし。この時を待っていた!みたいな人たちが結構いるのかもしれない。こどもの通う保育園もついに保護者会が行われるらしい。2年ぶりである。

それにしても急に寒くなってしまった。先週まで半袖を着ていたのに。引き出しに入れていたポロシャツをすべてカシミヤと取り替えた。気持ちの良い秋の日は、ほんの数日しかないのだ。昔もこうだったのだろうか。今年もまた「出番を逃した服」がいくつかある。春と秋の、ちょうどいい時期にしか着られない服。

Monday 18 October 2021

Duolingo200日、『世界で活躍する人が大切にしている小さな心がけ』

Duolingoでフランス語を学習しはじめてきょうで201日目。(画像はきのうのもの。) 

3月から毎日欠かさずに続けている。もう一年の半分が過ぎた。効果はどうかと言えば、結構身についていると思う。フランス語母語話者と会話をする機会はこの200日でゼロなので、試しようがないが、少なくとも200日前の自分よりできるようになっている。文法はイタリア語ととても近いのでだいたいわかる。仕組みが同じだろうと期待していて「えっ、こんなに違うのか」と驚くこともある。

文法でいうと今は過去形がいくらか作れるようになった程度だ。200日経ってまだそのくらい。このあときっと条件法とか未来とか出てくるんだろうなと思うけど進もうとはしていない。定着していないまま先に進むのは気が進まない。

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『世界で活躍する人が大切にしている小さな心がけ』という本を読んだ。石倉洋子さんが書いたもの。線を引きたくなる箇所がとても多く、ためになる本だった。図書館の本だったので線は引けなかったけど。

「はじめに」の部分を引用。

これまで重要と思われてきた考え方、アプローチで今や時代遅れになりつつあると私が思うのは、次の4つです。
①既存のフレームワークを用いて世界を整理すること。
②過去のデータを分析して正しい答えを探すこと、よく考えて答えを見つけてから行動に移すこと。
③まず日本という身近な場で考えて、それから世界を目指すこと。
④日本社会で通用する基準があり、それに従って自分の力やポジションが評価・判断されるという考え方。よほど才能がある人や地位が高い人などでないかぎり、普通の個人にはあまり力がない、という考え方。

これは2015年に書かれた本で、コロナ前なのだが、今読んでもかなり面白い。「完璧は目指さない」「一に体力、二に体力」「すぐ行動すること」など、頷きながら読んだ。元気とやる気が湧いてくる本だ。

さて、今日は晴れた。洗濯日和だ。

Monday 11 October 2021

パネットーネとめい

食欲の秋。夏の間は楽天のお買い物マラソンを見ても「買いたいものないなあ」と思っていたのに今は購買意欲が湧いてくる。ただし対象は食べ物。ほぼ無意識に美味しいものを探している。

ということで買いました。パネットーネ! 

イタリアでクリスマス前に食べるパンのようなケーキのような、要は小麦粉の塊。本場イタリアだってまだ売り始めてないのに、ネットで見つけた。もしかしたら去年のかもしれないけど、賞味期限は3月までとある。

送料無料にするには10個くらい買わなきゃいけなかったので、それには手が出ず、とりあえず3個買った。一つで1kg。値段は1,300円。

パネットーネの季節、つまり一年の後半が始まった〜。本場は12月だけなのに〜。

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妹に子供が産まれた。私にとってはじめての「めい」である。これは不思議な気持ちだ。「叔母」になったのだ。すでに「おばちゃんになんでも言ってごらん」みたいな気持ちになっている。かわいがってやろうという気持ちがあふれそうだ。「人の子なのに親族」というのはこんな感じなんだなあ。自分の子にはフルに責任が伴うし、かわいい以前に「たいへん」がやってくるが、第一責任者ではない立場としてはとにかくかわいがりたい、ただそれだけである。孫となるとまた別の感じなんだろう。人生、どの時点になっても「はじめて」はあるものだなあと我が事ながら感心している。

Friday 8 October 2021

「ばばあ」とBTSと地震

 昨夜。保育園からもらってきたさつまいもを揚げることにした。年長さんたちが掘ったらしい。毎年こうやって各家庭にもおすそ分けされる。ありがたい。

5時ごろ、さつまいもを切って下準備。

子はいつものように、息を吐くように下品なことばを発しながら、くるくるまわる椅子の上におなかをのせてくるくる回っている。「すべてはち◯こ〜」というわけのわからない歌を歌っている。「おふろにはいろうか」というと「やーだよ」という。いつものことなのだがこれにはがっかりさせられる。

そしてついに発された言葉がこれだ。

「ばばあ」


!!!

カチンときた私が「ちょっといまなんて言った」とまじめな目で、怒って言ったところ、子はびっくりした様子で私をじーっと見つめた。その目をみて私も戸惑ってしまった。いつものようにいたずらっこの顔をするかと思っていたのに。

子にとっては「ばばあ」は「う○こ」「ち○こ」と同じような下品な言葉のひとつであり、全く悪気がなかった。つまり「ばばあ」は私に向けられたことばではなかったのだ。ほかのことばに対する私のリアクションは「ちょっとそれやめてよー」程度なのに、「ばばあ」に対してだけ激怒されるというのはよくわからないはずだ。それなのに急にしかられることになって、なぜこの言葉がこれほどこの人にひっかかったのだろう、という目で私を見つめたのだった。

ということが、説明をきいてよくわかった。

なるほどなあ。

平和におふろに入って、ぬか漬けをかじりながら芋を挙げた。揚げ物がそれほど面倒に感じられなくなった最近。

国連で歌うBTSをみながら:

子「このひとかっこいいねえ」

私「ねえ、かっこいいよねえ」

子「なんでかっこいいんだろうねえ」

私「うーん、いい質問だなあ。なんでだろうねえ。せかいじゅうみんなおもってるんだけど。」

子「マンマはBTSかっこいいとおもう?」

私「おもうよ。○○もおもうでしょ?」

子「うん」

私「かっこいいねえ」

子「うん」




そして今朝6時ごろ。ニューヨークタイムズのメールマガジンのなかに「パキスタンで地震」と書いてあるのをみて「ああそういえばこの前寝てるときに地震があったような。2日くらい前だったかな」と思った。

そのあとふと開いたヤフーニュースで「首都圏で地震」という見出しをみて、地震は昨夜だった、ということがわかった。寝ている時間帯だったのでもはや夢の中のようになっていて、数日前のような気がしていたのだった。

見ると、帰宅困難者がたくさんいたらしい。10時ごろ、外にこんなにたくさん人がいるのかと写真を見て驚いた。10時だよ?家帰ろうよ?

首都圏は弱い、とつくづく思った。少しの打撃でポキッと折れる感じがする。

ちょうどきのうの昼間、同僚に「そういえばずっと電車に乗ってない」という話をしていたところだった。おそらく最後に乗ったのは、8月に東京に戻ってきたときだと思う。それからあと、一度も乗っていない。

「帰宅できずにタクシーを待つ人たち」の写真を見ながら、この人たちはつまり歩いて帰れる距離に家はないだろうし、自転車があるわけでもないんだろうなあと当たり前のことを想像した。

職場まで片道5km、毎日自転車通勤を10年続けている私。雨の日でも自転車に乗る。もし自転車がないなら歩いたほうがましだとさえ思う。朝晩の電車通勤・通学ほど人のエネルギーを奪うものはない。電車通勤は5年間経験したことがあるけどもう2度とあの日々には戻りたくない。あの5年でどれだけの時間とエネルギーを失っただろう。職場近くに住むより郊外に住んだほうが家賃は低いだろうが、私は時間をお金で買えるなら買うし、その意義は大きい、と思っている。時間は戻らないし増えない。

それにしても地震一回でこんなに困る人たちが出てくるのだ。やっぱり東京に未来はないなあとあらためて思う。田舎を知っているからこそ思う。なのに住んでるこの矛盾。やれやれ。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...