Sunday, 3 May 2026

5月はじめの2日

 1日。鎌倉で仕事。家を出る時間はいつもと変わらないけどなにがゆううつかって、雨が降っていること。しかもしれは普通の雨ではなく豪雨であること。そして行っても途中で中止の連絡がくるってことを出発前からわかっていること。だったらなんのために。

考えても仕方ないので雨具を全身に身につけて出発した。いつもだったら上だけでいいだろうけどこの雨だったら5歩歩いただけで濡れるとわかっていたので下もはいた。それから登山靴。1時間半かけて、電車に乗る。

しめきった電車内は本当に気持ちが悪くなる。それほど混んでいなくて、座れているのに、それでもこんなに気持ちが悪い。短時間だったらいいだろうけど1時間となると、やっぱり疲れる。こんなのに乗って毎日通勤・通学している人たちがいるっていうのは、もう、わたしには信じられんのやわ。みんなもっとほかの人生あるで、と言いたくなる。

この日は何の本をかばんに入れるかがとても大事だ、ということがわかっていたので、朝、本棚の前にたってじっとながめたら、村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』が目に止まった。そもそも本棚には村上さんの本しかないのだが、なんとなくこの作品をもう一回読みたい気分になった。まともに読んだのがいつだったか覚えてないくらい昔。

久しぶりに読んだら、やっぱりかっこいいなあ!たまらんなあ!83年の話ということになっていた。そうだったのか。電話と手紙はあるけどパソコンもスマホもない時代の話。だからこそかっこいい。小説に出てくることを片っ端から真似したくなる。ローストビーフ・サンドイッチを食べたくなる。

読書というと深い意味を考えてしまう人が多いけど、わたしは何も考えない。その本から得られる教訓、などどうでもよい。20代で村上春樹の作品を読み始めたとき、そうだった。みんないろいろいうけど、わたしはこの世界と空気が心地よいので読んでいる、それだけ。そもそもほかの小説はあまり読まないので比べようもない。次から次に読んでいるうちに、根底に流れる共通したなにかが、なんとなくわかってくるようになった。わかるようになったのは、わたしが歳をとったのが大きいと思っている。

そういえば7月に、村上さんの新作が出るらしいです。といってもすでに、この3年間くらいで、雑誌「新潮」に公開されたものを順番に読んできたので、わたしはすでにぜんぶ読んでいる。「夏帆」という主人公の話。それでも本の形でまたきっと読む。

話はもどって1日は、中止の連絡が入るや否や電車にのって帰った。といってもそこから1時間半。遠いよ。おなかがすいたので駅前の蕎麦屋に行ってみた。いつか行こうと思っていたところ。きのこおろしそばを食べた。テレビでは徹子の部屋がやっていて、山本リンダが出演していた。細くてシュッとした容姿だけど顔は不自然だった。ゆがんでないのにゆがんで見えた。有名人はいろいろあるよな。

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2日。これでもかというくらいいい天気。朝は1週間ぶりの合気道。気持ちがよかった。膝や肩に負担がくるのは、受け身の取り方がおかしいのだと思う。改善の余地あり。それにしても1週間あけると、ブランクがある感じになるなあ。週2は行きたいところ。

家の掃除と洗濯をした。昼に、知人に会うことになった。久しぶりに会う人たち。たくさん話して楽しかった。やっぱり顔を合わせて話すというのは大事なことだなと思った。昼の前とあとで、具体的に何かが変わったわけでもないけど、満ち足りた気持ちになった。人とのつながりってこういうことだろう。

午後、図書館にいって新聞と雑誌を読んだ。宇野昌磨がeスポーツチームに入ることになった、など。家でやれる筋トレの紹介、など。

夕飯はどうしようもなくて結局チャーハンを作ってあげた。「あげた」というのは、子のためで、自分が食べたいものではないから。わたしは豆腐が食べたい。というのも最近とてもおいしい豆腐に出会ったから。豆腐屋さんではなくスーパーのやつだけど、これなら毎日食べたいと思う。黒酢をかけて食べる。わたしは豆腐が食べたい。

そうか、5月なのか。いつのまにやってきたんだよおまえ。

Thursday, 30 April 2026

子の発熱

29日、祝日。なにもしない日とは言いながらも図書館へ行って雑誌と新聞を読む。返す本もあったし。天気はあまり良くない。今にも雨が降りそうだった。それでもテラスに出て読んだ。こどもが2人とその母親がいて、こどもがはしゃいだり走り回ると注意していた。そんなの気にしませんから、外なんだし、少しくらい走ってもいいですよ、と言いたかったけど声は出なかった。周りのことを常に気にしながら、ほとんど息を殺して過ごさなければいけない、いや、いけないというわけでもないけどそうなってしまう、あの時期を、わたしも知っているので、わたしは気にしませんよ。どうぞ走らせておいてください。言えばよかったかもしれない。もうあれから10年近くの月日が経とうとしている。

思い出してパスポート更新用の写真も撮った。まだ期限はあるけど1年切ったということはできるときに更新しておいたほうがいい。写真撮るなんてことは億劫に感じるのが当たり前なのでこういうのは勢いでやることリストから消してしまったほうがいい。とはいえ、1000円もかかった。どんどん値上がりしているんだな。無難な写真が撮れた。42歳の肖像。

家に帰ったらこどもがぐだぐだしながらレゴやっていて、まあ休みだからいいかと思っていたけど普段にましてぐだぐだしている。どこかに食べにでかけるのはやめにした。12時前。シャキッとしなさいよと言いながらも心配になった。熱を測らせてみると37.8℃。あちゃー。

前日夜に叱ったのはよくなかったかもしれない、と思うけど、それはそれで、因果関係はない。4月で、ちょっと寒くて、疲れている、それだけ。わたしも先週具合悪かったし、そういう人たちがたくさんいる今月。おお4月よ。

午後から家で過ごす。すこし仕事をした。『すぐ役にたつものはすぐに役に立たなくなる』という本を借りたけど、あまりおもしろくない。ピンとこない。子はソファでごろごろしている。3人も家にいると煮詰まる。仕方ないけど。翌日、つまり今朝の合気道はキャンセルだなと思った。こどもが発熱していて趣味に時間を割くのはさすがに罪悪感あり。

たいして運動をせずに1日を過ごし、とくにおなかもすかなかったけど、夕方、おふろに入ったあとでビールを買いにコンビニまで出かけた。滅多にないこと。それでもなんだかそういう気分だった。帰り道に飲みながら歩く。夜風が気持ちいい。子がもっと小さい時にも、「いろいろと」限界がきて家を飛び出てビールとかアイスクリームとか買いにいったなあ。そういうのはだいたい同じ時間帯で、夜風はやっぱり気持ちがよかった。まるで駆け込み寺のように、このコンビニにはお世話になっている。

夜は意外とすぐに寝られて、8時50分には電気を消した。そして今朝は家人の咳で5時前に目が覚めた。人が家のなかにいると音がするのでよく眠れないことが多い。「家族ってそういうものよね」といつだったか母が言ったのをよく覚えていて、こういうときは思い出して「まあ、そうか、仕方ない」と思う。家族ってそういうもの。

そんなわけで今朝は合気道に行かず、おとなしく家にいる。コーヒーを飲んで、本を読んだ。"A Manual for Cleaning Women"を読んでいる。掃除婦のための手引き。電子書籍ではずっと持っていたのに読み終わってはいなくて、紙で借りた。

Wednesday, 29 April 2026

水曜祝日と、京都の衝撃

 水曜祝日は一番いい。月曜より金曜よりいい。毎週こうだったらいいのに。

きょうはとくに何もしないことに決めている。祝日ということは歯医者も病院もない。みんな休むための日。でも、ご近所さんが、朝から車でどこかに出かけようと準備していて、こういうときは少し「いいなあ」と思う。車はない。我が子が、小さいころからそうやって少し近くまで自然のあるところにでかけていろいろな体験をする、ということが、欠けていると思う。もう少しいろんなことをやってあげなければいけないんだろう。登山とか、釣りとか、川遊びとか。自分にその気力・余力がなくて、いろんな言い訳をしてこれだけの月日が経ってしまっていることを、こうやってご近所が出かける姿を見て、思う。自分の幼少期を振り返ってみて、どうだったかなあと考える。田舎ではわざわざ自然を求めて出かける必要はなかったが、ときどきお出かけはあったと思う。仕事の合間をぬって両親は連れて行ってくれたのだろう。ただ具体的にどこに何しにいったという記憶はそれほどない。とにかく妹といつも一緒にいて、縁側で祖父母とテレビを見ていたことが、時間としては長かったし、よく覚えている。たいていの時代劇は見ていたし、繰り返されるワイドショーのおなじ映像と、コマーシャル(たとえば花王の潜在とか)をよく見ていた。こどもが見ても得にはならないニュースもたくさんあっただろうに、それを隠すようなことはとくになかった。たぶん。

ニュースといえば最近ようやく京都の事件のショックから立ち直った。しばらくことばにならなくて、ここにも書けなかった。完全に立ち直っていないかもしれないけど、話題にはできるようになった。遺体が見つかった翌朝は、なにかこう、自分がからっぽになったような気がして、8時半に仕事をはじめたそのときに「あれ、わたしはここで何をしているんだろう」と思ってしまった。自分がなにものかわからなくなった。なんのためにここにいるのだろうと思った。記憶喪失というわけではないが、そういった不思議な感覚に陥った。以前にも家で、短時間だけ一度起きたのだが、これと似た感覚だった。だんだんと戻っていったが、たぶんそれくらいショックだったということだろう。動揺というものではなくて、がつんとやられてしまった、それくらい大きな衝撃だった。涙もでなくて、悲しいわけでもない。そんな感じ。ぽかんとしてなにも感じられない。このままでは精神不安定になると思ったので確かその日と翌日の朝はネットでニュースを見ないことにした。

我が子にはこのニュースをなんとしてでも知らせたくなかったが、当然ながら学校で友人から聞いて帰ってきた。わたしは知らない体で、「そうなんだ…。」と答えるしかなかった。「あなたはなにも心配しなくていいから」と添えておいた。子の「せっかく5年生までがんばったのにね」ということばが、いまだに心?頭?に響いている。毎日を懸命に生きているこの子にとっては、その日々がつみかさなって学年がすすむというのは大きなことで、5年生がおわって6年生になる、というのは、やっぱりおおきなことなのだ。「そうだねえ」と答えた。以降、この件については掘り起こさないようにした。久しぶりに、うちにテレビがなくてよかったと思った。

Tuesday, 28 April 2026

『マンションポエム 東京論』『おいしいものだけ、たべていこう』

最近読んだ本の記録。
『マンションポエム 東京論』 大山顕
これは傑作だった。90年代から今に至るまでのマンションの広告コピーを1600超集めて、分析したもの。と書くと簡単に聞こえるが、それはもう深い世界。建築、地理、社会学、言語学、歴史、ジェンダー、そのへんをいっきにカバーしてしまう。300ページを超える分厚い本だが、実際の広告も入ってくるのでさほど苦なく読める。世の中の見方が変わる。マンションの広告を馬鹿にしているわけではなく、愛あるからこそできることだろう。これぞライフワークだろう。おもしろい本を読みたい人に、ぜひおすすめしたい本。傑作だ。

『おいしいものだけ、たべていこう』登坂淳一
人気の元NHKアナウンサーの登坂さんが、いつの間にかパパになっていたらしく、家族のために料理をつくる記録。ろくに料理をしないと、こんなところにつまずくのか、とまさか想像もしない目線が加わる。登坂さんといえば、当時の人気っぷりはすごかった。東日本大震災のときに、応援として東京に戻ってきたときの、あの全国での驚きと喜びをリアルタイムで見ていた。「まろ」というニックネームがあって、テレビに出たときはTwitter上がたいへんな騒ぎだったのをよく覚えている。そして黒い髪がなぜ突然白くなったのか、とか、いろいろな憶測がとんでいた。15年前、世界はとても平和だったのだ。NHKをやめたというのはどこかできいたけど、その後どうなっていたか知らなかった。自分がテレビを持たなくなったのもあるだろう。もう54歳だそうで、こどもが生まれたのは最近。結婚するにしても、家庭を持つにしても、有名なひとは大変だろうな。。。読んでいて誠実さ伝わってくる。これに励まされて料理をはじめる人が増えればいいと思う。

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ここ1年?2年くらいだろうか、読書の仕方が変わったと思っている。
どうせ読むなら質の良い本を読みたいと思う。だけど何を読めばいいかわからない、という状況が多かった。なんとなく手にとっても大したことないことも多い。それが、たいてい「次に読んでみたい本」が常にあるようになった。

何が変わったかというと、雑誌の書評を参考にするようになったため。とくに文春の「今週の必読」は毎週必ず読む。そのほかの雑誌も読んでみると同じ本が紹介されていることがある。ピンときたものだけ、携帯にメモをとっている。思い出したら図書館で予約をする。自分の手元に回ってくるまでに半年以上かかるものもあるがそれでも気長に待っている。(わざわざ買うことはない。ものを増やしたくないため。)待ちに待った本が手元に回ってくるときの「予約確保」のメールは、じんわりと嬉しい。サプライズでプレゼントをもらうような感じがする。待ったからこその喜びもある。借りると、だいたい次に予約が入っているので、なんとかして2週間で読み切ってしまわなければいけない。これもまた借りることのメリットである。買ったらがんばって読もうとはしないから。というわけでわたしの生活に図書館は必要不可欠なのである。

Friday, 24 April 2026

めまい未然のきろく

木曜。きのうの朝は合気道の稽古に行くつもりで起きた。起きたときにわかる、少しくらっとする感じがあって、ああよくないなこれはと思いながらも家を出て、稽古に行き、仕事に行った。

くらっとする感じはそのまま「ぐらぐら」に変わってきた。こうなるとだんだんと吐き気も出てくる。自分でもわかっているあのパターンだ。昼ごはんを食べたら少し元気が出た。昼頃から雨が降ってきて、帰りはカッパを着て帰った。

家に着くと「もう無理だ」、という感じで横になる。体の向きとか頭の角度を変えるとめまいのような吐き気のような症状がある。休まなければいけない。これに気づかないでいると、あの、天井全体がグルーっと回って立てなくなるめまいがやってくる。あれが始まる兆候はだいたいわかる。回避策もわかる。寝ればいいのだ。

作ってもらったパスタを食べて、8時前から横になった。登坂淳一氏の『おいしいものだけ、たべていこう』の残りを読んだ。そして8時過ぎにはもう寝た。アイマスクをして横になったらいつの間にか寝ていた。疲れていた。

今朝は目覚ましを鳴らさずにいたけど5時半に起きた。もうめまいも吐き気もない。

そもそも今週のはじめはひどく喉が痛くなって、そのあと鼻水にかわって、ということもあったのだった。もうのどはいたくないけど、痛かった時にはほんとうにびりびり痛くて、子も数日前に同じ症状だったので、ああこんなに辛かったのかなと思った。そのあたりでもう少し緩められたものもあったのかもしれないな。

8時に寝たということは9時間半寝たことになる。毎日8時間寝ているのだが、それでもまだ少しずつ不足があってたまってくるのだと思う。「ためていいのはお金だけだよ」という元同僚のことばを思い出す。

さて、きょうまで行けば休み。あと少し、がんばろう。

Sunday, 12 April 2026

落ち着こうぜ、とNocturnes

 珍しく夜に書いている。

なんとか1週間を乗り切った。若いときよりも楽に感じるのは、恐れるものが減ったのと、慣れた職場だからだろう。世の中のみなさん、今週はたいへんでしたよね。ほんとによくやったと思います。金曜の夕方は職場で、「がんばった自分へ」ということでみんなで拍手した。たぶん1年間で一番たいへんだと思う。

日本社会にあふれる4月のエネルギーと、やる気というものはすごい。発電できてしまうんではないか、とさえ思う。気候は寒くもなく暑くもなく、桜も咲いて、気持ちがよい。さわやかさとともに、ここから切り替えていこうぜ「ワンチャン」あたらしい俺生まれる、的なという真剣さもあり、「新年」と「新年度」はまったく別の種類の新しさがある。

これがしばらく前からわたしにとってはやる気よりも「どうどう、みんなおちつけよ」と感じるようになってきた。一歩引いた目で見ている。昔からそうだったのかもしれないけど…。冷静にならないと、じきにつぶれるよ、と。平常心でいこうぜみんな。このやる気はどうしたって続かないんだから。

とは言うもののこの、4月にしかない、今しか発電できないこのエネルギーの力を借りてこそえいやっと成し遂げられるものもあるわけで、4月の勢いを否定しているわけではない。むしろ、なんかやりはじめるならチャンスだと思う。これ以上ない切り替えのときです。

さてきのうは1週間ぶりに合気道へ。1週間ぶりというのはいままでにもあったことなのだが、その前は2週間空いているので、身体はまだ慣れていない。その証拠にきょうの筋肉痛はすさまじい。珍しくふくらはぎの筋肉が痛い。そして首から鎖骨にかけて。なんでこんなところが痛むかというと、受け身のときに使う筋肉だから。これが春休みにゆるゆるになっていて、きのうはきちんと受け身をとれていない。背中から倒れたときにうける衝撃を支えられていないのだ。じょじょに戻していこう。平日の稽古も少しずつ入れていかないと。

カズオ・イシグロの”Nocturnes"を読み終えた。タイトルにもなっている"Nocturnes"という短編はとても素敵で、読み返したいと思えるものだった。おもしろかった。人生で何回か出会う「抱きしめたくなるような短編」に出会えた。村上春樹の短編集に続く。はあ、人生ってすばらしいな。架空の話でも他人の話でも、こういうのを読むとそう思えるよ。明日を楽しみに生きることができる。

Wednesday, 8 April 2026

かつおのスパゲッティ

 「まま、めざましがなってるよ」で起きました。目覚ましの音が聞こえなかった。疲れている証拠。きのうの帰りはいっきに寒くなって、風も強くて自転車が進みにくかった。帰りながら子のことを考えた。新しいクラスですごす1日はどうだっただろう、そして自己紹介はうまくいったのだろうか。早く話をききたい、早く抱きしめてあげたい、と思いながら帰った。こどもから離れるとこどものにおいとか髪やほっぺの手触りがこいしくなる。帰ったらおふろに入っていた。自己紹介どうだったかきいてみたら「実は…のところをわすれちゃったから結構ふつうの自己紹介になっちゃった」と。まあいいじゃん、それでもちゃんとできたんでしょ、よかったよかった、と言いながら、ほかにおもしろい自己紹介があったかどうか、などをきいた。

5時半に帰宅すると、そこからごはんをつくるのはつらいということがわたしもFもわかっていて、そういうときは「夕飯おねがいします」とか言う必要もなく、帰ったら何かしら準備中なのである。ありがたい。このあたりは長年のつちかわれたリズムとして両者に定着している。きのうはかつおのスパゲッティだった。ひどいけんかも繰り返しながらも、どういうポイントをクリアしていけば、ひとつの家の中で平和に暮らせるかを模索しながらここまできているので、けんかは無駄ではなかったし、あれはけんかというよりは必要なやりとりだったと思っている。過去形ではなくこれからも続くだろうけど。

これが、夕飯がすべて自分にかかっている、となったら、もうやっていけないだろうなあ。そういう人たちは世の中にたくさんいるんだろうけど。私は爆発してしまうよ。5時半から何か作り始めるなんて、それはもう冷凍のリンガーハットのちゃんぽん以外になにも考えられないよ。

さて水曜日、折り返し地点です。なにごともなく1日が平和に終わりますように。

Tuesday, 7 April 2026

新学期初日

 ネガティブになるわけではないけどさすがにきのうは「まだ月曜日か」と思わずにはいられなかった。長い1日だった。とちゅう少しめまいがするような感じがした。めちゃくちゃ疲れた。

子は新しいクラスと担任の先生が発表され、早い時間に帰宅したらしい。平和に一年過ごせることを願っている。去年までいっしょのクラスだった友達と「◯◯くんとね、クラスはちがうけど、休み時間に、できたらおえかきとかしようねって言った」と。かわいい。なんてかわいいんだろうな。「美しき友情じゃーん!」と答えた。家に帰ると子はおふろに入っているところで、なにか声が聞こえたので、いつものように歌を歌っているのかと思っていたら「ぼく、おふろのなかで自己紹介の練習してたんだ」と。ほー!と思ったけど、わざとらしい反応はせずに、ちょっとやってみてよと言ったらためらわずにやってくれた。さいごに「これでぼくのスピーチを終わります」と言ったあと、「あ!!ここがダメなんだよな、いままでスピーチやりすぎて、自己紹介、じゃなくてスピーチって言っちゃうんだよ、おもわず」と悔しがっていた。こういう、すべてがいとおしい。こどもは最高だと思う。

さて、きょうもがんばろう。まだ火曜日だけど!

Monday, 6 April 2026

4月最初の週末

3日金曜、久しぶりに仕事を再開。久しぶりでそわそわしているのは自分だけで、周りはさほど気にしない…ということを長年の経験でわかっているので、そわそわしなくてもいいということを知っている。行けばあっというまに戻る。やることが多く、結構疲れた。この季節は仕方がないのだ。すごく短い時間でたくさんのことを準備しなければいけない。デスクの配置替えを同僚といっしょにやって、気持ちがすっきりした。やっぱり移動しないと新しい気持ちにはならない。家に帰って、寝る前ぐらいになると脚が痛い。1週間以上あけて仕事にいくときはたいていそうなるので、「きたか」と思った。自転車で結構な距離を往復するため。

4日土曜。久しぶりに合気道の稽古。2週間空くとさすがにやばいなと思う。しかしこれもそわそわしているのは私だけで、周りはたいして気にしていない。久しぶりなときは長年やっているSさんの言葉を思い出す。「久しぶりなんだけど、まるでそうじゃないような気持ちで稽古に行く」。堂々と。自分に暗示をかける。毎回のことだが、稽古前には想像もしないくらいの、すごい汗をかいた。だって額からぽたぽたと汗が落ちる。2週間もあいているけど、身体は覚えていると思った。そしていつものように稽古がおわると「つまっていた栓が取れたような」すっきりしとした気持ちになる。ずっと続けていこう、とあらためて思った。昼前から雨が降り始めた。春の嵐。桜は散る。昼は家で食べた。雨が止んでから図書館に行って雑誌をパラパラと読んだ。

5日日曜。5時半ごろ起きた。へんな夢を見た。歌舞伎かなにかの舞台に出なければいけなくて、幕は開くのにセリフを何も覚えていない、という危機的な状況だった。なんの意味があるんだろう。9時ごろから子とプールへ行った。これも2週間ぶり。けのびの練習と、クロール(らしきもの)を4回。久しぶりなので少ししか泳がなかった。帰ってからお昼を食べに出かけて、2時からはいつものように子のともだちが遊びにくる。わたしは図書館で雑誌を読む。夕方、ゲームを終えた2人といっしょに近くの広場へ出かける。1時間くらいよくわからない遊びをしているのを、ママ友とともに見届ける。夕飯つくるのがめんどくて、という話をする流れで先日読んだ『世界自炊紀行』の話をしたら、なんとママ友「それいま私借りて読んでる!」と。驚いた。結局、夕飯はキャベツを炒めてツナも入れてごはんにかけたもの。「キャベツ丼」と呼んでいる。

春休み以降、クロスワードを解いている。NYtimesのゲームのなかに入っている。クロスワードがすらすらと解けるようになったらきっと人生もっと楽しくなるだろうなと長年思っているのだが、どうしてもわからない。3つか4つわかるのはあっても、あとは検索しないと答えがうまらない。そうするとやっぱり面白くない。ただ、これも訓練で、やっているうちにできるようになってくるのかもしれないなと思い、ほかのゲームのように、とりあえず取り組んでみている。Miniをまずやって、Midiにも取り組んでいる。

夕方、どうも頭が重い。不機嫌な家人がいるせいだと思っている。しかしまあ私だって不機嫌になることはあるので、こういうのは流していかないといけない。子と「マコチン」を読んで寝た。もしかしたらインプットに対してアウトプットが少ないかもしれない。友達にもさほど会っていないし。

さてきょうから新しい1週間がはじまる。やってける気がしないのと、4月のこういう時期はがんばってしまうと一気に崩れていくので、なるべく状況は「ひいて」見て、体力を分散させていくつもり。

Wednesday, 1 April 2026

4月1日です

 4月になった。明日東京に帰ります。職場のメールはきょう1週間ぶりにチェックした。私個人に宛てられているメールは1通しかなく、あとはどうでも良いものだった。思ったとおりだ。どうでも良いことをわざわざメールに書く人たちがいる。暇なのだ。信じられないくらい暇なのだ。こうやって人の時間を奪っている。そういうのはザクザク削除する。それで問題ない。

ここは雨が降ったり止んだりしている。きのうはほとんど降らなかったので、子とバドミントンをした。だんだんと記録を伸ばして行って、ようやく8回前後続くようになってきた。そしてきのうはMちゃんがこどもたちを科学館に連れて行ってくれた。去年行って怖い思いをした自転車体験に、今年はさらにレベルアップして挑戦してきたようだ。相当怖かったようだがいい表情をして帰って来た。たくさんの経験をして、成長している。

2年前の秋に、オランダからのおみやげとしてもらったチューリップの球根。なんと今年も咲いている。日本でよくみるチューリップと違って、花が小さく華奢だ。
上から降るように咲く桜と違って、下から咲くチューリップはひたすらにかわいいなと思う。桜の華やかさに比べると地道で小さい。小学1年生を連想してしまうのは日本人だからだろうか。

寝る直前までテレビを見たので、寝つきが悪かった。大画面で、京都の小5行方不明の事件を見たらなんだか怖くなった。子も同じで、不安そうだった。9時過ぎたけど、ヨシタケシンスケの「おしごとそうだんセンター」を読んでから寝たい、と言うのでまあ賛成して読んだ。読むと言ってもしごと5つ分を見るだけ。「そうしないと落ち着かないんだよ」と。本当にそう。

Tuesday, 31 March 2026

"Come Rain or Come Shine" Kazuo Ishiguro

とんでもなく良い短編を読んだ。カズオ・イシグロの"Come Rain or Come Shine"です。いま同氏の"Nocturnes"を読んでいるのだが、そのなかの2作目。日本語でも当然、翻訳が出ていて、本のタイトルは『夜想曲集』。カズオ・イシグロはいままで長編しか読んだことがなかったが、ためしに、と思って図書館で予約して借りてみたのだった。

語り手が、学生時代の友人宅を訪ねる話。誰にでもありそうなプロットなのでよけいに傑作と思える。カズオ・イシグロにはめずらしいコメディ感がいっぱいで、笑える、吹き出してしまうようなシーンもある。どうなるのか気になって本が置けない。

それでも、ただのコメディでは決して終わらない。ラストが良い。読み終わって24時間くらい経っているけど、いま、じわじわと響いている。

単語は難しくない。辞書はいらなかった。手元に置いておきたいと思うし、もう一度読み返したいと思える。傑作。「英語は上級で、何か面白いものを読みたいけど長編の体力と根気はない」という人にはぜひおすすめしたい。

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さて、きょうで3月が終わる。あっという間だったなあ。去年のきょうもここにいたはずだけど、なんだかつい最近のことだったような気さえする。去年の今ごろ歩き始めたばかりの姪が、今年は走り、両足で跳んで、言葉で意思疎通をしている。わたしは成長しているのだろうか。一年前の今と、何が変わったのか。成長、あるいは衰え。衰えるのが当たり前と思わずに過ごしたい。

ここ数日、よく眠れていて、疲れもとれている。きのうの午前中は暑いくらいだったが、午後からは予報通り雨が降った。もうすぐ満開、という桜だったが散ってしまったかもしれない。

Friday, 27 March 2026

春休みです

 きのうから郷里に帰っている。春休みだ。春休みとはいえ忙しいのにかわりはないのだから、よくそんなに休めますね、と言われそうだけど休めるんじゃなくて、休む。なにがあっても休みは、休むと決めれば、休める。わたしは仕事を始めてからずっとそう。そんなことできないと言われていても春と夏と冬はしっかり休暇を取る。事実、学生時代に海外旅行をしていたように、色についてからも海外に行っている。

休めない人というのはなにかにビクビクしているんだと思う。わたしは休むことを何ヶ月も前から、正確に言うと一つの休みが終わったそのときから決めていて、休むときは迷惑をかけないように、休む前までにすべての準備をする。高速で、効率よく、集中して仕事を終わらせる。あとは目をつぶって、すみませんが戻ってからやります、と言う。

それで困ったことは一度もないです。気づいていないだけなのかもしれないけど。そもそもわたしがいないことを意識している人なんてほとんどいない。自分の不在について周りから何か言われているのでは、なんて、それはいわゆる自意識過剰というやつだろう。だって周りの人だって毎日働いているわけではない。誰がいついないか、なんて気にしている人はほとんどいない。あなたが思うほど、周りの人はあなたについて気にしていない。だっていまは春休み。

悲しくなるほど暗い雨のなか飛行機に乗ったけど、ついたらこちらは日差しがやわらかく、空気はあたたかくて、本当に気持ちがい。そこらじゅうをちょうちょが追いかけっこするように飛び回っていて、菜の花の黄色がまぶしい。黄色がまぶしいと思えるのは周りが自然だからで、花屋さんにある黄色ではこんなにまぶしいと感じることはないよ。川の水とか、うぐいすとか、すずめとか、遠くのトラクターの音とかがきこえる。そこらじゅう、いっぱいに、春の匂いがします。

持って来た本を今朝から読み始めた。カズオ・イシグロのNocturnesにした。たまには短編集。きょうすでに一話読み終えた。カズオ・イシグロの書くアメリカ英語。皮肉も混じっていていい。まさかThe Remains of the Dayと同じ作者の英語とはとても思えないんですねー。すごいよ。さてなにしようかな。

Wednesday, 25 March 2026

3月振り返り

花粉のせいか、なんだかスッキリしない3月だった。と言ってもまだ終わっていないけど。朝すっきり起きることができずに、目覚ましが鳴って一度止めても横になったまま、という朝がたいていだったような気がする。寝ているけど寝不足。そのせいでめまいがして、そのせいで吐き気もする、というのが先週。

合気道は行った。行っているあいだは問題なかったけどちょっと休憩したくなって回数は減った。

花粉症は薬を飲んでいて、大したことなく終わった、と思ったら先週あたりからくしゃみ鼻水がすごい。ちょうど3月上旬で、飲み続けていた薬も切れたので、そのせいもあるかもしれない。そしてスギではなくヒノキなのだろう。原因はどちらなのかわからないし、どちらもあるかもしれない。いずれにせよこれは病院に行かないとやってられないと思っておとといは病院に行った。薬を飲んだおかげか、きのうはだいぶマシだった。

3月といえば、WBCは盛り上がった。テレビを見ない私にとってNetflix独占配信はありがたかった。そして、その延長でBTSの復活もライブで見ることができた。嬉しかった。BTSの曲が好きというよりは彼らの存在が嬉しい。わたしもがんばろう、と思える。それにしても軍隊に行って戻って来て、さらに年月もこれだけ過ぎているというのに、少しも衰えが見えない7人。むしろ、友人曰く、「輝きが増している」。確かに。

読んだ本

冴えない3月とは言うものの、本は読んだ。長い間かかってようやくカート・ヴォネガットの"The Sirens of Titan"を読み終えた。とても難しかった。なんども諦めかけたけど、終盤いきなり面白くなってきたので読み終えられた。それにしても辞書なしではとても太刀打ちできない語彙レベル。電子辞書の電池を何度交換したことだろう。

日本語と英語の本を同時進行している。当然ながら日本語のほうが早く読める。

『忙しいのに退化する人たち やってはいけない働きかた』を読んだ。分厚いけど文字が大きくて読みやすい。結論を読みたいのに先延ばしにされる感覚は少しイライラするけど、労働の歴史についてまとめてある箇所はよかった。週休2日が定着しているのは近年だから、であってこれがずっと常識だったわけではない。そして世の中、なくても困らない仕事がたくさんある。いなくても気づかれないような仕事がたくさんある。世の中便利になっているはずだけどそのぶん仕事は増える。増え続ける。以前は表舞台に出ている人、いわゆるエッセンシャルワーカーだけだったはずが、それを管理する裏舞台の人たちが出現している。筆者はそれをpseudowork(偽仕事)と呼ぶ。これを意識しているだけでも働きかた、生き方にいい影響があると思う。

『世界自炊紀行』を読んだ。どの雑誌でも書評が出ていて、相当評判が良いようだったので予約をしてやっと借りることができた。500ページ超でこれもかなり分厚い。しかし写真が多いのと旅の記録なのでスラスラと読める。「ふだんのご飯」を作るのにプレッシャーやストレスを感じている人はぜひ読んでほしい。日本は食について興味がありすぎる/真面目すぎるのかもしれないという考察は、分かってはいたけどあらためてまとめてあるとなるほどと思う。

ほかにも何か読んだ気がするけど、なんだったかな。

さてきょうは3月最後の勤務日。明日からも仕事はあるけど全部休むことにしている。休暇が必要だ。

Tuesday, 3 March 2026

眠れないときの過ごし方

 日曜の夜、どろぼうの夢を見た。わたしの家ではないところで、泥棒と対面して、なにか会話をしたと思う。対面といっても顔がみえない。絵本なんかでよくあるような、真っ黒な人影がどろぼうその人だった。しかもふと、「来週締め切りのあの仕事の担当はもしかして私じゃなかったか」と思い出してしまって、担当の表を確認せずにはいられなくなった。いったん気になると夜の思考は魔物のように襲ってくる。どうしても眠らせてくれない。

というわけで夜中1時すぎに起きた。担当を確認すると、わたしではなかった。よかった。これで眠れるか、というと、そんなにすぐには眠れない。そもそも9時から寝ているので、1時にはそこそこの睡眠がとれていて、うとうとするような眠さはないのだ。というわけで、眠れないときにお決まりの本を読んだ。カロリーヌ・ド・メグレの"Older, But Better, But Older"だ。(日本語のタイトルは「40歳過ぎてパリジェンヌの思うこと」といういかにもなタイトル。)

 

30代はもっと眠れない夜がたくさんあって、そういうときもカロリーヌ・ド・メグレの本にだいぶお世話になった。当時は「パリジェンヌのつくりかた」だった。20代後半から30代のまるごと、この本にどれだけ励まされ、助けられただろう。もはやバイブル的存在。永久保存版だなと確信したので、図書館の人が使うようなシール?ラベル?でコーティングしてある。

2作とも、読むというより気が向いたページから見る感じだ。

著者はわたしより年上で、40代になってから次作を書いたわけだが、続編をいまかいまかと待ち望んでいた私はすぐに買った。当時まだわたしは30代。買って読んでもいまいちピンとこなかった。

それがどうしたことか最近だとしっくりくるのである。40過ぎてから読むべきだなとあらためて思う。

それにしても最近は「うすーく」眠っているようなときが多い。なんだろう。睡眠時間の後半になると、うすーく眠って、現実なのかどうか判別つかないようなクリアな夢をたくさん見ている。そして自然と5時に起きるわけではなく、そのまま6時まで寝てしまうことができる。疲れているんだろう。仕事のストレスもある。花粉症もあるかもしれない。季節の変わり目というやつか。

週末に読んだ数々の雑誌のなかで、ためになる情報がいくつかあった。藤田晋さんだったと思うけど「謙虚で、気が利く」社員について書いていた。昇進する人の特徴だったっけ…。気が利くというのは、気を利かせようと思ってもなかなかうまくいくものではないのだ。謙虚さについては、意識するといくらか変わるかもしれない。

さて、きょうは1日雨。昼になにを食べるか、きのうの夜から考えている。

Sunday, 1 March 2026

3月になった

信じられない早さで3月がきてしまった。2月は、冗談ではなく、ほんとうに4週間しかなかった。3月を迎える心の準備ができていない…ような気がするけどおそらく毎年こんな感じなのだろう。 

金曜の夜はcotoletta panataだった。コトレッタ・パナータとはパン粉をつけて焼いた肉。日本のとんかつやチキンカツに近いけど、厚みが違う。こちらはだいぶ薄い。鶏のささみを使っているけどおそらくイタリアではほかの肉も使う。木曜から「明日はコトレッタにしよう」とFが言っていたので楽しみにしていた。帰宅するともう揚げられていた。わーい。ありがたいことこの上ない。

付け合わせのポテトも絶品。揚げたのもあるし、ローズマリーといっしょにオーブンで焼いたのもある。確か、じゃがいもを15個使ったと言っていた気がする。びっくりしながらも全部食べ終えた。

揚げる時はにんにくも一緒に揚げる。レモンで食べたり、揚げ物には必ず葉野菜がついているあたりが、なんともイタリアだなあと思いながら撮った一枚。

きのうは天気がよくて風が強かった。つまり花粉がよく飛んだ。目がかゆくて仕方なかったがなるべく触らないようにしてなんとか乗り切った。鼻水も出るけど、それほどひどくない。

朝は合気道へ行った。結構な汗をかいた。

先生のことばメモ。

「10年も20年もやっていると、ただ道場に来れば良いと思っている人がいるけど、そうじゃない。真剣な気持ちでやらないと。いい加減な形でやっている人が大半。せっかく月謝払ってやっているんですから、せっかく朝早起きして来てるんですから、指導をよく聞いて、やってほしい」

耳が痛い、というやつである。自分のことを言われているなと思う。そういえば、今年の東大の英語で「強さとは何か」という英作文の問題が出題された。合気道で毎回先生が言われていることだったので「おお!」と思った。先生は「自分に負けないこと」とおっしゃる。英語で何と言うのだろう。

合気道から始まり、パンを焼き、スーパーに行き、図書館で雑誌を読んだ。最高の土曜日。図書館は、午前と午後で別の図書館に行ったので合計で5時間は雑誌を読んだことになる。

変な夢を見た。以前の職場に戻るという夢だった。いろんな同僚が出てきて「なに、結局こっちにしたの?」と聞いて来た。懐かしい人たち。5年しかいなかったけど基礎を作ってもらった職場だった。今に生きている。転職する予定はないけどなにかしらの深層心理が反映された夢だったのかもしれないと思っている。

さてきょうも花粉に負けず過ごす!

Friday, 27 February 2026

身体の変化と、膝

数年間悩まされていた右側の背中が痛いという問題が、ここ1年くらいめっきり減った。これはとても良いことだ。2024年の10月に手足のしびれで整形外科に行き、レントゲンをとって原因がわかり、日常で気を付けるべき動作について指導をうけて以降のことだ。こんなに変わるものだろうかと思う。この痛みと一生付き合っていくのか、とさえ思っていたのに。指導された体操を毎日寝る前にやっている。ひざの裏を伸ばし、腰の側面、腹筋、背筋を鍛える運動。たったの10回ずつ。きつくないしすぐ終わるので寝る前に必ず行う。

最近は合気道に行く頻度が上がったせいか、右膝の内側が気になる。痛いとまではいかないが違和感がある。このまま同じ動きを繰り返すときっと良くないと思っている。何に気をつければよいのか、ネットで検索して読んだ。やはりねじれも衝撃もよくない。良いわけがない。

きのうは朝稽古に行った。6時に家を出るが、ついに明るくなってきた。出発するときは自転車のライトをつけるけど、ほんの10分くらいの間に必要なくなる。春がきたなあと思う。梅が咲いて、雨でだいぶ散った。だんだん暖かくなってきたので、毎日来ていたフリースは薄手のニットに変わった。ユニクロのニット。それでも下にカシミヤは着ている。

花粉症は年々楽になってきている気がする。いろいろあるだろうけど合気道のおかげだと思う。運動は良い。運動している間はそもそも花粉症のことを気にすることがない。もやもやしていたものがすっきりと取れてしまう。かゆかった目もかゆくなくなるし、鼻水は出ない。

細々とではあるが、続けることで身体の芯がだんだん強くなってきている気がする。この2年くらいでそれを実感している。今月は7回行った。明日もおそらく行くのでそれで8回。月1回でつないでいたころからすると上出来だ。でもあの時期があったからこそ今がある。

さてあとはどうやって膝を守るか。

カート・ヴォネガットのThe Sirens of Titanを読んでいる。火星がでてくるSFなので、かなり難しい。朝稽古によく行くようになったので読めない朝がある。とても時間がかかっているけど今半分くらい読んだところ。

さてきょうも1日がんばろう。

Wednesday, 18 February 2026

『恋の通訳、できますか』

2月前半は仕事が忙しかった。けど元気で過ごしています。合気道でできた擦り傷とかアザが気になることは気になるけど、あるとしてもその程度。

Netflixで『恋の通訳できますか?』を最終話まで見た。いまいちでした。期待しすぎたのもある。通訳の話なのと、コ・ユンジョンとキム・ソノが主役と聞いて見ないわけにもいかず、ほかのドラマを中断してこちらを優先させたけど、うーん、いまいち。

1、脚本がイマイチ

いつものように「ほー、よくできてるな!」と思うことがない。深みがない。主人公がどういうキャラクター・性格なのかが伝わってこないので共感ができない。泣ける場面はひとつもなかった。深みがなく、むしろ「??」となることが多い。「私、いま何か見逃した?」と思うくらいにつながりがイマイチ見えない。途中、二重人格が出てくるあたりはなんだかよくわからなくなってきて、わからない私がいけないのかな、と思ったけど分かってなくてももはや問題なさそうだったのでそのまま見た。二重人格なら二重人格でもう少しそこにフォーカスすれば面白かったのかもしれない。

2、登場人物

共感できない理由のひとつに、韓ドラおなじみの「強烈な周りの人たち」の不在があるかもしれない。見回してみても、いない。普通の人たちしかいない。主役2人はとにかくきれいで見た目がよいのだが、それ以上の何かはあまり伝わってこない。コ・ユンジョンはよかったかもしれないけど、もう少しキャラとして残るなにかがほしい。シャネルの服がオンパレードで出てくるのだがむしろそれが「シャネルを着たコユンジョン」の印象が強く残りすぎる。それを楽しみに見る人にとっては、たまらなくよいと思う。

3、海外の景色に頼りすぎ

海外ロケがたくさんあって、まあそれはドラマの設定なので仕方ないにしても、この撮影にかかったお金を考えるともう少し良いものができてもよかったはず。『愛の不時着』のスイスとか『涙の女王』のドイツとか、それなりに話の筋に必要だったので自然だったけど、今回のこれは、カナダとイタリアの景色に頼りすぎているというか甘えすぎている気がした。欧米への憧れがある人にとっては見応えがあると思う。そこでちょいちょい出てくる日本。結果的に半端な存在で終わってしまった気がする。

4、福士蒼汰

いったいこいつはなんじゃらほい。とんちんかんで損な役回り。出てくるセリフがことごとく「え?!ここでこれ言う?」と日本語話者のわたしでさえ思う不自然さ。これもキャラがつくられてない証拠だと思う。悪態をつくのも、まあそういう設定だから、わかるけど、不快になる感じの悪態。これはわたしが日本語ネイティブだからそう感じるわけで、もし日本語がわからなくて字幕だけで見ていたら別にそこまで嫌なやつだと思わなかったかもしれない。

結果:全編をとおして、結果的にわたしは福士蒼汰に同情しました。これを見る前まで、福士蒼汰がどういう人なのか何も知らず、そもそも顔さえ認識していなかった。誰だろうこの俳優と思ってたらエンドクレジットにSota Fukushiとあって、ああ、聞いたことある!と思った。そこでどんどん悪い印象が積み重なっていって、ネットで調べてみたらこの人すごい数の作品にいままで出演していて、日本ではファンもたくさんいるそうで。それを知らず初めてみた私が嫌ってしまうような演技をするのは、このポンコツ脚本のせいなんだなと思うと、なんだかかわいそうになりました。いくつかレビューをみたらたくさんの人が「福士蒼汰がこういう役というのは日本のドラマだったらまず有り得ない」と書いていて、なるほどと思った。

話はかわるけど福士蒼汰は183cmあるらしくて、高身長だな、と思うけど、主役のキム・ソノも183cmだし、韓国で180越えはそんなに珍しくもない。つまり、日本人俳優も、このくらいの高身長、見た目の人じゃないと韓国ドラマに出演して映えないだろうなとあらためて思う。

ところで福士蒼汰、韓国語うまい。発音がちゃんとしてる。ついでにいうと英語もよかった。これをきっかけに海外での活躍も期待する。

5、それでもよかったところ

第一話はよかった。これがもう少しふくらむかと思っていたんだけど。。あ、こう書いているうちに悪かったところがまた出てきてしまうな。

Wednesday, 4 February 2026

友人に会った、"Dear Life"読みおわった

3日はいつもと違う場所に仕事に行くことになっていて、2日はその経路検索などをしていた。そのとき、Aに会おう、と思った。友人Aは行き先の近くに住んでいるのでもしかしたら会えるかもしれない。ダメもとで連絡をとったらちょうど時間が合い、会えることになった。連絡してみるものだなあと思う。

久しぶりに会うようでそうでもなかったりするのだが、いつものように話は尽きず、お互いしゃべりたおした。短時間でも会えてよかったし、おかげで1日が特別にいいものになった。

この年になると、友人は、心がけて会おうとしない限り、会わなくなってくる。信じられないけど10年ぶりだね、みたいなことが簡単にある。特にこどもが生まれて家庭を持つと優先順位が変わるので、当たり前だと思う。そういえば誰にも会ってないな、と思うことがよくある。かといって働き始めて以降の新しい友人ができるかというと、大学時代ほどのくだけた間柄はなかなか築けていないので、やっぱり当時の友人は貴重だなと思う。ただしそれが誰でもいいわけではなく、自分にとって大事だと思う人、自然と会いたいと思う人はやはりそうでない人との間に線がある気がする。

日差しはあるけど北風のつめたい1日だった。そろそろ花粉症の薬を処方してもらいに行かねば、と思った。

今朝、Alice MunroのDear Lifeをようやく読み終えた。ノーベル賞作家の短編集。買ったのは、それこそ、10年くらい前だったと思う。全然入り込めず、何回挑戦しても最初の話を読み終わらない、それが続いた。長編に慣れ、読めるようになった今となっては、この本も読めるようになっていた。もっと言うと、長編に慣れると短編が物足りなくさえ感じる。慣れの力はすごいなと思う。

おもしろかった。いくつか、とても印象に残る、気に入った話がある。そうでもないのもあった。カナダが背景の話は読んだことがなかった。女性の目線で書かれているが、なるほどこれは男性に書けはしないなと思う。川上未映子を読んだときもやっぱりそう思った。自分の年齢もあると思うけど。

人生は面白いよな。なんてことない自分の毎日でさえ面白く見えてくる。事実は小説より奇なり。そんなことが積み重なってできている、人生。

さてきょうは普通の1日。はやく暖かくならないかなあ。

Monday, 2 February 2026

1月の振り返りと日曜のきろく

さて2月になった。

1月は長く感じた。知人の死をはじめいろんなことがあった。どうやったら自分がつぶれることなく、折れることなく過ごせるのか、よく考えた1ヶ月だった。体調不良にならないように毎日努力した。よく寝てよく動くようにした。合気道はこの1ヶ月で14回も稽古に行った。こんなことは今までになかったと思う。寒稽古の効果は大きい。よく動くので、お腹もすくし、ほどよく疲れてよく眠れた。食べたいものを食べたいときに食べているが、それでも体は軽かった。一年で一番寒さの厳しい月を、元気で過ごすことができた。 これは良かったと思う。


こども作のレゴ。写真も自分で撮っていた。ブログに載せてよ、と言われたので。
細部までよくできている。
これはまた別の日に作っていたものだったと思う。

昨日の午前中はいつものようにこどもとプールへ。毎週行っている。泳ぎ方は相変わらずだが、とにかく浮かんで、息継ぎしながら25メートル泳げる。

新しい椅子を買うかどうか迷い続けて数日、ネットで見ただけではなかなか決められなかったので、きのうは思い切って店舗まで行ってみた。昼を食べに出かけたあとで、渋谷へ。驚くべき人の多さ。少し暖かい日曜の午後に、渋谷に人が多くないわけはないと思っていたけど、想像以上の多さだった。正確に言うと「観光客の」多さ。日本人は半分いるだろうか?前に人がいて、道を、進めない。ハロウィンかと思うくらい。自分が何をしにここまできたのかを忘れそうになった。

本来の目的ではなかったが、久しぶりにロフトに入ってみたら売り場がすべてお土産物になっている感じがした。桜や富士山がモチーフになったものばかり。すごい。2月でこれだとすると、もっと暖かくなった花見シーズンなんて一体ここはどうなってしまうんだろうか。近寄ることもできないんじゃないかと思った。いろんな言語がきこえる。英語をしゃべる人たちが、「オマイガー、イッツソーキュート」と言いながらジブリの小さな置物のようなものへ駆け寄っていて、写真を撮っていた。そのあとも、上まで上がってみたけど日本語はほとんど聞こえなかった。

それでも、帰りにスクランブル交差点を渡りながら、ちょっと爽快な気分がした。東京という街を1人で歩くときの爽快感。私にはわかる。自由と一緒に闊歩する。私はここからどこにでも行ける、誰にも支配されない、私は自立していて、私は自由。そんな気持ち。少し傾いた日差しが暖かくて、眩しかった。もうすぐ春だ。

帰ってからいつものようににんじんラペを作ったりした。試しに座った甲斐あってどの椅子を買うか決めた。ここ数日、どの椅子にするかインターネットばかり見て考えていたのでネットを見るのはもう疲れて、本を読んだ。『ドイツ人のすごい働き方』。こう言っちゃなんだけど、すでに実践していることばかり。3週間の休暇とか、定時に帰る、とか。あとは、いわゆる会社に勤めていない私にとっては、読み飛ばすところも多かった。あっという間に読んでしまった。

ドイツ人の片付けについては参考になるところがあった。ドイツ人は片付けが好きだというのは、以前友人から聞いたことがあった。ベルリンに行ったときに借りた家が本当によく片付いていたのも覚えている。

こどもの宿題をみたり、明日の準備をしたりして、夜はバーガーキングを食べて寝た。いい日曜だった。

Friday, 30 January 2026

「自分に厳しすぎる」と、光浦の本

 先日の合気道で、先生が、門人について「自分に厳しいんですよね…」と言っていた。20代の女性が「私なんてまだまだ」と言うらしいが、これがどうも厳しすぎるようなときもある、とのこと。

少しこれについては考えた。

女性全般についてのコメントというわけでもなかったけど、もしかしてそれはあるかもしれない、と思った。「がんばって、いい子であること」を幼いときから期待されている傾向が、女の場合はある気がする。そのうちに男がある程度「あいつはまったく」で許されるところを、女は許されないどころか自分でも許さなくなってくる。先日なくなった知人のことも考えた。

女性が責められやすいのはその分期待が大きく、そういう目があるからだ、と極力意識して、それは自分のせいではないと思えばいいのだがたいていはそうはいかない。少し何かが欠けたときに、想像以上にこれがこたえてしまう人たちが、私の周りにも何人もいる。

なるべくいろんな人に会っていろんな経験をし、自分の視野を広げる努力をしていこうと思う。折れない心を育てるのは、こどもだけではなくて、年取った大人だって同じことだ。それを意識しながら生きたい。

ウクライナの友人にもらったチョコレートがとてもおいしい。物流は止まっていないそうだが、それでも、戦争下にある国から食べ物をもらっているのだから、貴重だと思う。

今朝は光浦靖子の「ようやくカレッジに行きまして」を読み終えた。相変わらずの面白さだ。この人は本当に応援したくなる。裏も表もない、さらに、気取った感じが全然ないこの文章がストレートに響く。ワークパーミットが取れた状態で今カナダにいるということがよくわかった。あと2年くらいだろうか、どうかがんばってほしい。彼女の存在がたくさんの人に希望を与えていることは間違いないだろう。

Wednesday, 28 January 2026

薄力粉をかえた

 このブログは、それはそれは長いこと続けていて、もはや人生の半分くらいにあたる。このブログの前にも、別のブログがあって、いわゆる「引っ越し」を2、3回したところでここに行き着いている。ブログというものが流行った時代からずっと書き続けていることになる。人生の記録と呼んでもいいかもしれない。たとえばあのとき何をしていたっけ、と思って昨年の今頃の記録を見返すことがある。こういうことができるようになったのはつい最近のことだ。以前は、見返すと「イタい」ことばかりで、まず振り返ろうとしなかった。目に入れるともういたくていたくて仕方なかった。だからと言って消そうとはしなかった。20代の後半から書いているので、前半のもっとも恥ずかしい時期はここにない。10代も20代も、みっともない時期だ。だけどそれでいい。存分にみっともないことをして過ごしてきた。なんの後悔もない。馬鹿だったな…と思うと同時に心があたたまる。

いまがおそらく一番寒い時期だ。冬なのにこんなに快適に過ごせているのは合気道のおかげだろうと思う。体調も良い。おととい、体調悪くなりそうだなという感じがしたのでいつもより10分早く寝た。

先日、友人に「最近の楽しみはなに」と言われて、合気道のほかに何があるだろうと考えたら、お菓子をよく焼いていることかもしれないなと思った。自分が食べたいものではあるけど、人のために焼いている。朝マフィンを焼いて、6個できる。それがだいたい1日でなくなる。同僚に持って行ったりしないの、ときかれて、可能性を考えた。手作りのものというのは「重い」ので、もらった側の気持ちを考えると押し付けがましさがあるから持って行かない、と答えた。あとは、焼くことがあまりにも日常になりすぎていて、持っていくことに特別さがない。もはやごはんと味噌汁を持っていくくらいの普通の食べ物になっている。

お菓子といえば最近、スーパーに売っている薄力粉ではなくて「ドルチェ」という、よく、お菓子教室や料理専門家が使う薄力粉を使ってみた。スーパーの名も無き薄力粉よりちょっと高いけどものは試しだと思った。

すると、やっぱり違う!これはびっくりした。食べる方はあまり気づかないかもしれないけど、出来上がったものが、より、売っているお菓子に近い感じになる。食べたあとに落ちているくずの形が違う。いちいち1kgを買ってすぐなくなるより、ネットで2.5kgのドルチェを買ったほうが良いらしい、ということがわかった。あたらしいことも思い切って試してみるべし。

Monday, 26 January 2026

生と死をかんがえる

土曜の朝も合気道に行って、そのまま仕事へ。早朝は交通量も少ないのでストレスが少ない。職場も静かで快適。ドーナッツを食べながら世間話などする。昼になったら職場を飛び出て、家族と合流しいつものそば・うどん店へ。メニューを見ずに「けんちんうどん」を頼んだ。あったかくて美味しかった。これで「冬の特別メニュー」をコンプリートした。次回は味噌煮込みうどんをリピートしたいと思う。

時系列は前後する。

先週、知人がなくなった。水曜にそれを知り、衝撃はやはり大きく、頭がついていかなかった。文字面ではわかっているのだが、理解できないし受け入れられない。夜は、いつものように9時ごろ寝たのだが、1時に目がさめた瞬間にそのことが思考に入り込んできて、ものすごい勢いで回り始めた。どれだけ寝返りをうっても眠れず、2時半ごろついに起き出した。無理に眠ろうとすることをやめた。牛乳をあたためて飲んで、じっとしていたけど眠れる感じがしなかったのでマフィンを焼いた。深夜のマフィン。混ぜるだけなら5分でできるのだ。毎日焼いているのでレシピも覚えている。3時すぎにオーブンに入れて、あとはよろしく、で寝た。浅い眠りだったが、5時ごろまで眠ることができた。

木曜は合気道に行くつもりはなかったのだが、知人の死について悶々と考えてしまうので稽古に行くことにしたのだった。朝から体を動かしたほうがいい。その瞬間に集中してほかのことを忘れるには、やはり体を動かすのが一番だ。

それから数日経った今は、ほぼ通常どおりに過ごせている。あの眠れない時間は、たぶん自分にとっては必要な時間だったんだろうと思っている。平気でいられるわけはないのだ。今となっては、当たり前だけど、いろんな想像しかできない。死んでしまったらとにかくすべてが終わったこと、過去のことなので、何もできない。今後のためも何もない。

日曜、ウクライナに住んでいる友人が一時帰国しているので会いに行った。貴重な時間だった。キーウに住んでいて、インフレはあるけど物流も止まっていないし通常通り生活できているということ。それは何よりだった。将来のこととか、いろいろ願望があるといえばあるけど、「こうやって元気で生きているっていうだけで合格点以上なんじゃないかな。」という言葉が心にのこった。前線で戦っている人のことを思うと、じゅうぶん幸せなのではないか、と。ある程度の収入があって、食べるものもあって、友人もたくさんいて、健康である、それだけで合格点以上、と。事実、本当に健康そうだった。元気でよかったと思った。

当然ながら知人の死のことを考えた。対照的なこのふたつ。

ここ最近は本当に寒い。2週間天気予報を見てもまだまだ寒さが続くようだ。体調を崩さないようにしたい。

Friday, 23 January 2026

寒稽古効果

12日から1週間続く寒稽古に皆勤した。7日間連続で、朝6時半からの稽古に参加したということだ。今までの人生になかったことだった。自分でそう言うのはたいへんおこがましいが「快挙だ、よくやったぞ」と思った。一年で一番寒い時期に、朝6時に家を出るのはとても勇気がいることだったが、なんとかやり遂げた。最初は皆勤するつもりはなかったが、1日目に行くと、おや、明日も来れそうだなと思った。3日目は休もう、と思っていたときに小学2年生から「あなたは(明日くる)?」と聞かれて、行かないと言えるわけもなく、言葉につまりながら「うん行くよ」と答えた。そこで3日目がつながり、皆勤が見えてきた、というわけだ。きっかけはどこで降ってくるかわからない。平日はドーナッツを買ってそのまま職場に行った。寒稽古中に食べたドーナッツは8個。

やってみなければわからないもので、寒稽古が終わってから、予想を超える効果を感じている。朝稽古がさほど「おおごと」ではなくなり、今週の通常稽古も火曜と木曜に参加した。7日連続参加したことが自信につながっている。自分はできるのだ、と思える。行けない理由がない。

さらに、こども。寒稽古中、平日の朝はわたし無しでこどもは過ごし、朝ごはんを食べて学校に行っている。これが不安だったけど、問題なくできているので、つきっきりじゃなくてもいいらしい、ということがわかった。私がいないことによって、父子の朝のリズムができたのかもしれない。これができたのは、やはり寒稽古前にYさんと話した、子にだんだん任せる、ということが影響していると思う。「ままが合気道に行って楽しいなら、僕はそれでいいよ」と言っていた。

そして、体。頭でいろいろ考えるより先に体が朝稽古に慣れている。1週間も続けると、体が自然と動くようになっているのだ。筋肉ができかけているのでいちいち筋肉痛になることもない。そして、当たり前だけど、体が軽くて、ごはんがおいしくて、夜はよく眠れる。少しぐらい寒くてもビクビクぶるぶるしない。体を動かして通勤すると、さわやかに1日が始まり、イライラもないし心の余裕が違う。

合気道に会えてよかったなと思う。こういう、「ずっと続けるといいことある」ことに、人生のどこで出会うか、はカギとなると思う。顔を上げて、前を向いて、息をするように行動をすること。

Sunday, 11 January 2026

ほんとは見てるんだけど、見てない

3連休初日。新年最初の合気道に行ってきた。しっかり汗をかいた。汗なんて家を出るときは想像もつかない。動くとすっきりする。肩や背中のこりがとれる。なにかしらこの2週間つまっていたものがとれた感じがする。気持ちよかった。

稽古前、Yさんに「きょうは、ジュニアは」と聞かれた。「寝てるとありがたいんですけど、まあ、朝ごはんとか、8時前に帰ったらなんとかなるかなと思って。わたしがいなくても冷蔵庫開けてくれれば。だんだん慣れてきました。」

「なるほどね。いなくても大丈夫だよ、お母さんの好きなことやっていいよってね」

「むしろいないほうがいい、みたいなこともよくあります」

「そうかもね。だんだんそうなるよね。ほんとは見てるんだけど、見てない、ぐらいがいいかもね。あんまり、あれしなさいこれしなさいって言うよりは。世話されたくなくなってくるから。特に男の子はね」

「なるほど。最近は、みないで、とか、こないで、とか多いですね」

「うん、合気道と同じで、適度な間合いが必要。相手の懐に入り込んじゃうと技かからないけど少し距離をとったぐらいがいい。離れすぎてもいけないけど」

という、たいへんためになる会話だった。もちろん自分でもわかっているつもりだけど、こうやって人と話すことであらためて気付かされることがある。人生の先輩からの言葉は貴重なのである。

帰ってから掃除、洗濯、買い物をし、クロスタータを焼いた。昼には味噌煮込みうどんを食べて、図書館で3時間くらい雑誌を読みあさった。栄養補給したような気持ちで図書館をさる。

1月の、新年があけて次の週末がとても好きだ。寒くても、好きだ。たいていの場合とくに予定がなくて、家にいてぬくぬくしながら好きなことをする。すこし新しい気持ちで家の整理をしたり作ったことのない料理を作ったりする。

きょうは少し気温が上がったようだ。太陽は出ていなくて風が強い。なのにそんなに寒くはない。変な天気。

Thursday, 8 January 2026

始業もろもろ

 寒い。さすが1月。12月とは違う。仕事は問題なく再開し、まだ2日しか働いていないのに冬休みが遠いことのように感じられる。あっという間に日常に戻った。そういうものだろう。

読みかけで返却せざるをえなかった"The Remains of the Day"がふたたびめぐってきたので、早速借りて昨日から読んでいる。久しぶりだけどすらすら読める。読み始めがあんなに読みにくかったスティーブンスの語りがいまでは心地よく感じられる。あと1章で読み終えるのが惜しい。

きょうから子の学校も再開する。上履きと、宿題と、ぞうきんを持たせて登校させる。3学期はあっと言うまに終わってしまう。

この2週間くらい、体重が正常に戻っていて、なんだか動きやすい。とくにダイエットしたわけでもなかったけど。1kg重いとやっぱり重く感じるものだ。

さてきょうも仕事。

Tuesday, 6 January 2026

冬休みを終えて

きのう東京に戻った。航空券を6月に買っていたので前方の席を選ぶことができた。これに限る。来年の航空券だっておそらく今買うことができる。

東京はいつものように晴れていてそれほど寒くなかった。いつもこうだ。年始の天気予報を見ても東京だけは晴れている。空港は混んでいたが、電車とちがって、混んでいることによる混乱はさほどない。なにしろ席が確保されているのだから。

姪っ子たちと楽しい冬休みを過ごすことができた。郷里に帰るかどうか、を何年も考えていた。これだけは答えが出なかったのだが、なんとなく私の居場所は東京のような気がしてきた。これといって決定的な出来事があったわけではないが、自然とそう感じている。考えているというより感じている。きょうだいの家族が実家に住み始めたことや、合気道が楽しいと思えていることなど、要因はいくつか考えられる。それでも、家というものを持ちたいという気持ちはある。その場所がどこなのかはまだ答えは出ない。いずれ降ってくるのかもしれない。焦ることでもないと思う。

東京の賃貸はとても小さいが、コンパクトに暮らすのが心地よくもある。わたしは多くのものを所有したくないタイプの人なので、自由に使える場所は限られたほうが良い。

時間も、スペースも、終わりや限りがあるおかげで、動きが軽くなる。

さてきょうは仕事始め。久しぶりに働くときには「ちゃんと戻れるんだろうか」と気にかかった時期もあるが、たいてい30分も経てば戻る。1年の育休から戻ったときだってそうだった。そもそも、わたしが「ちゃんと戻っている」かどうかなんて気にしている人は誰もいないのである。

Friday, 2 January 2026

私は後悔するだろうか

 あけましておめでとうございます。1日にも書けたんだけど書かなかった。

庭の見える縁側に座って毎朝読書をしている。きょうはDear LifeのなかのCorrieを読み終えた。

ブラインドをあけて空の色が変わるのをみながら過ごすのだがきょうは山の輪郭がいっこうに見えてこない。めずらしいなと思っていたらなんと雪が降っている。これは驚いた。寒いとは思っていたけどこんなことになっていたとは。

郷里で雪が降るのを見るのはいつぶりだろうか、と考えたけどもう思い出せない。きれいに切り揃えられた庭の植木はたいそう美しく、カレンダーの写真のようだ。

元日は、家族が体調不良というのもあり、初詣にはいかなかった。こういう年もあるだろう。家でおめでとうを言って、めいめいにごろごろすごした。ネットフリックスを見たり、オセロをしたりして楽しんだ。これでいい。

新しい誓いがなにかあるだろうか?と考えるが、やはりとくにかわったことはなく、健康に過ごすことに尽きる。新年だからと言って何か新しいことが降ってくるわけでもない。たいてい思いついたそのときがきっかけなので気張ることはない。毎年同じことを言っているようだけど、やっぱりそう。どんなにがんばっても「今年の目標」は出てこない。そういうもんだろうと思う。

「後悔しないように生きる」ということばをよく聞く。先日も海外の俳優がインタビューで、英語でそう言っている動画をみて、なるほどそうかと思って、ときどき思い出して考えてみるけど、わたしは果たして後悔をするだろうか。

たとえば今までの人生での後悔はない。「あのときああしていれば」と思うことはあるけどその先は「あのときああしていればどうなっただろうか」であって「あのときああしていればよかった」ではない。選んだ道を悔いてはいない。つまり今が不幸ではないから。もし今、不幸を感じていたら「あのときああしていればよかった」になるのかもしれない。

たとえばピアノがひけたらよかった、とは、確かに思う。でもピアノにかけられたかもしれない時間は別のことを経験していたわけで、その時間が無駄だったとは思わない。弾けるに越したことはないが弾けなくても楽しく生きられる。

健康に生きるためには毎日決まった時間に行うことがたくさんある。つまり習慣。習慣によって1日が成り立つので、それ以外のことが入り込む隙間はあまりない。(よき)習慣を繰り返している間に時が過ぎていく。

それによって目指すところは、結局なんだろうか。究極のところ、人の役に立つことなのかもしれない。自分がまともに立っていられることで、倒れそうな誰かを支えられるかもしれない。いや、人の役に立つこと自体が目標ではなく、子でも親でも同僚でも友人でもなく自分の人生をしっかり生きることで、そういう、おまけとしての「人のための自分」も出てくるのかもしれない。中心は自分にある。主体的に生きること。

5月はじめの2日

 1日。鎌倉で仕事。家を出る時間はいつもと変わらないけどなにがゆううつかって、雨が降っていること。しかもしれは普通の雨ではなく豪雨であること。そして行っても途中で中止の連絡がくるってことを出発前からわかっていること。だったらなんのために。 考えても仕方ないので雨具を全身に身につけ...