Friday 28 April 2023

一年生協奏曲

 我が子が小学1年生になって三週間が経った。

最初の一週間、学校のことを何も話さず、様子が分からないまま過ごしていた。通い始めて3日くらい経ったころ、昼に電話が鳴り、出てみたら担任の先生だった。「鉛筆が目に入ったというのですが見てみたところおそらく大丈夫かと」という、保育園でもよくあったような電話だった。ついでに普段の調子についてきいてみるとやはりうまくいっていなかった。家でも、学校は嫌だ、学校はつまんない、学校にはいかない、の繰り返し。どうしようかと思っていたときの電話だった。

悩みながらのそれから一週間、また電話がきた。20日のことだったと思う。「その後おうちではどうですか」というフォローの電話。前の週より少しマシではあったので、そのことを伝えた。学校での様子をきくと、なかなかまっすぐ座っていられないし、反発をするらしい。やはり先生はだいぶ苦労をされている。「一度面談をしたほうがよいかと」と言われて、早速5月に日程を決めた。そして、「一度その前に授業も見られるとよいかと」と言われたので、翌週月曜の24日に見ることにした。偶然21日金曜も仕事がなくなったので、急だったが対応してもらい、授業を見に行くことにした。

想像してはいたものの、本当に話をきいていない。そしてじっとしていられない。1人だけ水筒を肩からかけている。机の上にあるものが周りの子と違う。これは大変だと思った。見ながら自分の顔がしかめっつらになっていくのがわかる。

そのうち、子は私に気づいて「あっちいけ」という。それはそうだろう。サポーターとして授業を見てくださっている、卒業生の保護者の方が「大丈夫ですよ、うちも大変でしたから」と声をかけてくださった。これがとてもありがたかった。

そのあと、家で待っていると、見事に宿題を忘れて帰ってきている。一緒に取りに戻ることにした。ぶつぶつ怒る。

面談は5月まで待たない方がいい、と思って、26日に時間をとってもらうことにした。その間も、先生とすこし電話で話した。

「きょうは一度も注意しませんでしたよ。そして健診のときに静かにしてました。褒めてあげてください。」と言われた。電話をきってすぐに褒めると、「いぇいいぇいいぇーーーい!!」と言いながら、見たこともないような喜び方をした。両手を上げてソファで跳ねている。びっくりした。

26日。仕事を早めに終えて、雨のなか面談へ歩いて行った。1時間以上話をきいて/してくださった。今までのことや、学校での様子、アプローチの仕方について。

「同じことを褒める」

これが一番、残った。先生と親が、同じことについて褒めること。「いっぱいいいところがあるので、よくできたねってほめてあげてください」と言われた。

学校で起きたダメなことについて、私が「すみません、家でも言ってきかせます」と言ったら、「それはもう言わないでください」と言われて「?」となった。

「本当にダメなことだったら、それは私が電話してお伝えします。そうじゃなくて学校で解決できることであれば、そこで終了、でいいです。」

…ほう。と思った。

27日。連絡帳に、先生にきのうのお礼を書いておいた。するとその倍以上のメッセージが書かれてあった。きょう起きたことのなかで、よかったことが3点書かれてあった。

・ひらがなのプリントの裏はいつも宿題になっているので授業中にはやらないきまりになっている。それをいつもやってしまっていたのだが、きょうは説明を聞いて、宿題として残しておけたこと。

・水筒の水を飲むときに、「今飲んでいい?」と聞けたこと

・算数の時間に手をあげて発言ができたこと

連絡帳を読んで、この3点を「先生が褒めてくださいって」と我が子に伝えると、とても喜んでいた。その後、驚くべきことに、急になんでも自分でやり始めた。宿題のみならず、洗濯物も自分でたたみ、片付ける。「ぼくはいいこだからね〜」と言いながらご機嫌である。夕飯もおかわりをしてきれいに食べてしまった。

人間ってすごいなあと感心してしまう。私が今まで要求しすぎていたかもしれない、ということが今回の件でよくわかった。怒る以外のことをしていなかったのと、できたことについて認めていなかった。褒めすぎもよくないかもしれないけど褒めなさすぎた。あの反発は承認欲求の表れだったかもしれない。人が成長するのを見るのはとても面白い。そして人を変えようとしても変わらないけど、自分が変われば相手が変わる場合がある。

それにしても良い担任の先生に出会ったものだ。こちらも学ぶことが多い。こうして紆余曲折の4月が終わろうとしている。

Tuesday 4 April 2023

佐賀に行ってきた

1日〜3日まで、佐賀に行ってきた。姪っ子を抱っこすることと、(東京にはない)春の空気を吸うことが主な理由である。我が子は東京に置いてきた。こうやって離れてみるのもたまには良い気がする。一緒にいるといつも怒ったり注意したりの連続でお互いに疲れてしまう。離れるとありがたみがわかるというものだ。

実家の裏の山を、5分〜10分いくと、少し開けたところに出る。森と呼ぶほど茂ってはおらず、かと言って原っぱでもない。小さい頃はここにわらびをとりに行っていた。この季節になるとどうしても行きたくなる。今回もすこし行ってみた。少しだけだがわらびが取れた。あまりにもきれいだったので、いったん家に戻ってレジャーシートと本とカメラを持って出直した。そこでしばらく座って読書をした。

これだけでもじゅうぶん来た甲斐があると思えた。

5ヶ月の姪っ子がいる。最初は私を見て泣いていたがしばらく一緒にいるうちに慣れてくれた。すべてがかわいくて尊くて、目が離せない。次に会うときには今とは全然違う感じになっているんだろう。ほんの少しでも会えてよかった。

きのうの2時ごろ羽田に着き、家に帰る。そのあとニュースを見たら、なんと3時ごろにANAでシステム障害があったとのこと。欠航便もあるらしい。ギリギリセーフだったと胸を撫で下ろす。

これで「どこかに移動したい欲」はいったんおさまった。時間があってコロナの制限もないのにどこにもいかない春休みなんて信じられなかった。こどもが生まれる前だったら必ずと言っていいほど海外に行っていた。春休みは最高のタイミングなのだ。佐賀に行かなくても新年度を迎えられたかもしれないが、いったん日常を離れたことで、少し切り替えの気持ちが働く。そして日常がよりありがたいものに思えるのだ。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...