Wednesday 29 December 2021

何が当たり前か

 Duolingoでフランス語を学び始めてきょうで272日目。少しずつ力がついてきたのが分かる。といっても猛特訓をしているわけではなく、一日たったの5分くらいだ。それでも、272日間、毎日やっていれば、自然と馴染んでくるものだ。継続は力なり。

もうひとつ、この数か月間継続してきたことがある。英単語テストを受験すること。私の同僚が、英単語の問題を日々配信し続けていた。週に1回のときもあれば毎日のときもあった。生徒向けだったがそれに登録させてもらい、日々とりくんだ。全問正解できたことはない。25点満点のテストでだいたい20点前後。

Duolingoも単語テストも、朝取り組んだ。起きて一番最初にやること。どちらも10分以内で済ませる。どんなに忙しくても朝の10分が確保できないような忙しさではない。

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「おなかがすいた」状態を意識して作ろうとしている。お腹に何も入らない状態が最低12時間くらい必要だと思う。おそらく、「少し飢餓」ぐらいの状態が人間にはちょうど良いのではないか。

一日三食が人間に必要だというのはいったい誰がいつ決めたことなのか。なんとなく、現代に至ってそう落ち着いているが、昔はそうではなかったはず。たとえば「毎日体を洗う」ことは常識のように言われているが最初はそうではなかったはず。髪の毛を洗う回数なんかもそう。

いつかの時点でなんとなくそうなってきただけのことだ。そしてそれが地域によって異なる、となると、常識とか当たり前っていったい何だろうなと思う。

我が家のイタリア人は「毎食米を食べるのは偏りがありすぎる」という。だけど彼らにとって「毎食パンを食べる」のは偏りのあることにはならない。逆に、毎食米を食べて生きている人にとって、イタリア人の食は「毎食パンなんて偏っている」と感じられるだろう。

結局偏っているのは考え方なのである。偶然生まれ落ちたその地での生活習慣や文化にからめとられているだけだ。問題は自分がそれで心地よいと思っているか、だ。世界を見回し、歴史を学ぶべきだ。たとえば1日2食だった時代は不健康だったのか。そしてパン、または米ばかり食べている人が不健康なのか。

個人的には、成長期を終えた人間にとって、炭水化物はそれほど必要ないと思う。一日一回でもいいのではないだろうか。

Tuesday 28 December 2021

ふるさとの冬

 郷里に帰った。26日の飛行機に乗る予定だったが27日に変更した。というのも「悪天候のため変更等出る恐れあり」というしらせがあったためだ。24日にメールで届いた。なんだかんだで飛行機は飛ぶだろう、と予測していたが、万一を考えて変更した。少しでもリスクがあって、少しでもそれを避ける方法があるのならそれを選ばない理由はない。

27日の羽田は人が多かった。こんなに人の多い空港はここ数年で初めてだったと思う。

実家は、建物の構造上とても寒い。家の中も外もあまり変わらないのではないかと思うくらいだ。それでも、2年ぶりに年末年始をここで過ごす喜びは大きい。どれだけ疲れる長旅でも、帰ってくる意味は大きい。

人生の半分以上を東京で過ごしている。帰る場所があるという素晴らしさを実感している。

Monday 20 December 2021

最近の我が子(5歳4ヶ月)

 12月になったなあ、なんて思っていたらもう20日。なんということだ。忙しい日々は先週で過ぎ去った。15日水曜午前にはさっさと仕事を片付けて、木金と休みをとり、連休に入った。

こどものいない平日を満喫した。3日連続でプールで泳いだ。日を追うごとに泳ぐのが楽になる。筋肉が鍛えられるので、当たり前ではある。が、これが実感を伴うことはなかなかない。美容院に行ったりラーメンを食べたりミシンで縫い物をしたりした。充実していた。

土日に子供と一緒になると、これが「休み」という感じでもなくなる。ことに、最近子のわがままがひどい。週末ごとに我慢大会を行なっているような感じがする。自分の身体からちょっとずつ神経が飛び出ているんじゃないかと思うくらいにイライラすることがある。ブチ切れの寸前を二日間のうちに何回も体験する。何を言っても「やーだよ」とか「あっかんべー」とかで返される。かと思うと突然「ぼくはマンマ大好きだよ」と言ったりする。かわいいけど疲れる。疲れるけどかわいい。泣き方は昔のようにかわいくない。あからさまに「狙った」泣き方をする。本当にうるさい。でもちょっと面白いので実は笑いをこらえながらプルプルしているときもある。毎朝、トイレに行かせて、着替えさせて、歯磨きをして、という作業が永遠に続くような気がする。まったく言うことをきかない。自分の子だけど放棄してどこかに行きたくなるくらいだ。辛抱。

昨夜、面白かったことをメモしておく。5時半ごろ。

私「そろそろお風呂に入るよ」

子「やーだよ」

ここまではいつものやりとり。

私「入ろうよ」

子「もう気持ちがすでにおふろに入ってるの」


!!!


腰が抜けた。何かの歌詞か。笑いながら「誰かがそんな言い方してたの?どこで覚えたの?」と聞くと、「おしえてあげないよー」と、いつもの返し。いやはや、面白かった。

さて、きょうは久しぶりの出勤である。背筋を伸ばして、がんばりましょう。

Tuesday 30 November 2021

英語に触れる機会が少ない

コーパスで有名な投野先生のセミナーを聞いた。あわせて4回を聞いたが、この前の日曜が最終回だった。最後に言われたことが印象的だったので忘備録を兼ねてここに書く。

「先生たちも英語の勉強をしないと伸びません。一番いいのは授業で英語をしゃべることです。下手でもいいからしゃべってください。それから、最低でも1日30分、英語で読んだり書いたりする時間を持つこと。生徒の先を行く学習者であってください。」

だいたい、こういうことを言っていたと思う。反省した。

というのも今年になって、杉田敏さんと遠山顕さんがラジオ番組から引退し、続きの番組を聞く気になれない私は明らかに英語に触れる機会が減っている。お二人のラジオからの引退が英語不足につながる、というのは言い訳にすぎないかもしれない。ただ、20年以上聴き続けていた私にとっては、まさにat a lossというべきで、まったくどうしていいかわからないくらい途方に暮れてしまっていた。

しかしこれを一生言い訳し続けるわけにもいかない。投野先生のことばを聞き、何か一歩踏み出そうと思った。というわけでなんとなく、だが、今朝はBBCのポッドキャストを聴いている。定期的に、生活に入れ込んでいけるような、何かを見つけなければいけない。

Friday 26 November 2021

私は何を成し遂げたいのか

また冬がきた。いっきに寒くなった。空気が乾燥している。それでも素敵な季節だなあと思う。銀杏のピークは過ぎた。

時々、私は何を成し遂げたいのだろうなあ、と考えることがある。生涯をかけて成し遂げたいこと。こどもが生まれてからは特に、毎日を回していくのに一生懸命だ。「このまま何が残っていくのだろう」と思うことがあるのは、もしかしたら怒涛の日々のおかげなのかもしれない。子はいずれ大きくなる。生まれてからもう5年も経った。だんだんと手がかからなくなってきた。子は手元には残らない。子育ては楽しいし、大変だけど、それは私の生涯ではない。子は、私を、通り過ぎていくだけだ。とどまるのは自分だけなのだ。そんな時に、何が残るのだろう。私はハッピーな年寄りでいられるだろうか。自分に問いながら日々を過ごしている。

Monday 15 November 2021

風邪をひきやすくなった

11月が半分終わった。いつものことながら2学期は忙しい。いや、忙しいというよりは常に何かに追われている気がする。夏休みが明けてからの9、10、11月は「ドドドド…」と毎日を駆け抜ける感じだ。土日が来るとホッとする。といっても、子どもにそれほど手がかからなくなった今だからこそそう言えるわけで、2、3年前までは土日が憂鬱で仕方なかったのだが。

子どもが生まれてからの変化について挙げはじめるとキリがない。が、その中でも体調を崩しやすくなったのは大きな変化だと思う。年齢のせいでもあるのかもしれない。それにしても簡単に風邪を引くようになった。そもそも仕事を始める前、つまり15年前までは風邪ってどんな感じだろうと思うくらいだった。学生時代に熱を出したこともなかったので、発熱がどんな感じかもわからなかった。今となって、発熱はそれほどしょっちゅうではないにしても、「風邪ひいてしまったな」と思うことはしょっちゅうである。まず、喉からくる。それから鼻。そのあとしばらく咳として残ることもある。

原因は何だろうか。やはり、こどもが生まれる前と比べて、自分のことを気遣っている時間が減ったせいだろうと思う。ストレスフリーな状態にはなかなかなれない。

木曜の夜から喉の調子がおかしく、週末は鼻水とくしゃみが止まらない。1日でもぼーっとして過ごせば良いのだろうがなかなかそうもいかないものだ。

Saturday 6 November 2021

15年経って授業の流れが落ち着いた

 きょうでDuolingo220日達成。習慣として形成されたなあと感じる。朝起きて最初に学習することにしている。ほんの2分で良い。仕事に行くとその後はもはや取り組む時間がなくなる。もうここまできたら1000日達成も夢ではないと思っている。天変地異がない限りは。

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仕事の話。

金曜日は忙しい。朝から5つ授業がある。疲れる。疲れるが、昔(10年ほど前)に比べれば疲れないようになってきたと思う。担任をしていないので結構余裕があるせいかもしれない。授業だけに集中させてもらえてありがたいことである。それに加えて、理由として考えられるのは「1人でがんばる授業」をやめたおかげだと思う。具体的にいま、授業をどういう流れにしているか、書いてみる。

★レッスンの最初のセクションの場合

*1. 内容についてイントロ

2. 本文きく

3. 黙読

4. 単語(英英)

5. Q&A5つくらい(生徒どうしで)

6. 注意する箇所いくつか

*7. 音読

このあとは時間の残り方により、パラグラフチャートを口頭で埋めたり、ディクテーションをしたり文法のまとめ問題を扱ったりする。

*第2セクション以降であれば1の時間は復習に充てる。前の時間にできなかったパラグラフチャート、ディクテーションシートを使ったり音読したりする。

*コロナでは7の音読を省いていたが最近復活させつつある。

*2を省いて3から始めることもある。いずれにせよ簡単なQを3つくらい提示してから始める。


以上の間に私が単独で最も長く「しゃべる」場面は6だろう。それでもせいぜい3分間ぐらいだ。人の集中力が続くのは、5分、どんなにがんばっても10分ぐらいじゃないかと思っている。この時間をいかにして短くするか、それが教員になってからずっと課題だった。それがいつの間にか自然と短くなってきた。

この部分にすべてを詰め込もうと思わないことだ。時間内にすべてを言い切らねばというプレッシャーから解放されるとだいぶラク。自分がしゃべったことでよしとするならそれは教える側の傲慢だろう。生徒に押し付けて「わかった」ことにさせている。実はその間、生徒の頭はほぼ動いていない。

「ひとりでがんばる授業」をやめた、と書いた。「がんばって」いたのは上記の「説明の時間」のほかに「オーラルイントロダクション(OI)」もある。キーワードを拾って、英語で内容を「イントロ」してあげる手法。

それ(OI)にともなって最後の活動はリテリングとなる。これをセットでやらねばならないという固定観念というか義務感のようなものがまるで怨念のように長年取れなかった。大学ではそれ以外習ったことがなかった。

ふと気づくと生徒は自力で文章を読めていなかった。読む機会さえ与えていなかった。そこでだんだんとやり方を変えていき、今の手順に至った。

今のところ、これで落ち着いている。簡単に書いたがここに至るまでに10年以上がかかっている。授業前にドキドキ、ヒヤヒヤしなくなった。

しかし、度胸と自信と経験がついた分、準備不足なところはきっとある。「初心」を忘れてはいけないのだろうがもはや思い出すのが難しくなってきている。戒め。

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珍しく、仕事のことについて書いてみました。報告書や実践記録を書くとなると結構気を張らねばならない。だからこうやって日々思ったことを綴るのがいいのかもしれないですね。

きょうは天気がよかったので、昼は家族でピクニックをした。ただのおにぎりなのに、外で食べると特別においしい。わかりきったことでも実践を伴うと感動さえする。

Thursday 4 November 2021

『イカゲーム』を見た

水曜祝日は最高だ。2日働いて1日休み、それから2日働いて土日がやってくる。昨日、外に出ている人たちが多かったように感じた。すれ違う人たちも心なしか幸せそうに見えた。天気が良かったからだけではないだろう。週末に出勤することもあるという人でも昨日はしっかりと「休み」だったのではないかと思う。こういう祝日はいい。

私は朝から水泳に行き、洗濯や買い物をして心穏やかに過ごした。

ある一件を除いて。


見てしまったのだ。あれを。

「イカゲーム」を!


第一話だけ見た。面白かった。続きが気になる。食事とか掃除とか他のことをしているときでもどうも思考が落ち着かない。怖い映画が嫌いな人には向かないとわかっていながらも、見ないわけには行かなかったのだ。知らない人のために言うと、これは映画じゃなくてnetflixのテレビドラマです。韓国の。

緊張し過ぎて最後の5分を直視できず、思わず一時停止してしまった。

「もう無理」と思った。

PCから目を話す。はあー、と息をつく。空を見上げる。

それから3分間くらい、別のことをやっていた。


…が、やはり気になる。「これで見るのをやめるということはこの後に続くエピソードも見ないのか?」と自分に問うた。

(この5分間における私を観察していたらきっと面白かっただろう。)

そして結局再生した。そりゃしますよね。


そして夜中に目が覚めてから、イカゲームを思い出してしまった。そして眠れなくなった。当然の流れである。「パラサイト」を見たときもそんな感じだった。眠れなくなるってことはわかっているのだ。見る前から。それでも見たいと思わせるイカゲーム。これが世界的なヒットであるゆえんなのだろう。

しかし韓国すごい。音楽も映画もドラマも、どこもかしこも韓国だらけだ。そしてとにかく質が高い。圧倒的なのだ。世界が魅了されている。

さらに、すべてが「あくまでも韓国」であり韓国語である、というところが良い。爽快。

こんなことは前例がなかったわけですね。つまり、英語圏ではない文化圏のものがここまで世界を席巻するということが。誰もが注目せざるを得ない。およそ20年前、韓国語を専攻した私は先見の明があったのかもしれない、と最近思っている。

きょうのニューヨークタイムズにも韓国について記事が出ていた。有料記事なので読めないけど、ニュースレターを引用しておく。


A cultural powerhouse

For decades, South Korea’s major global exports were cars and cellphones from companies like Hyundai and LG, while its movies, TV shows and music were mostly consumed at home and in nearby regions.

Now K-pop stars like BTS and Blackpink, the dystopian drama “Squid Game” and award-winning films such as “Parasite” feel as ubiquitous as any Samsung smartphone.

South Korea’s directors and producers say they have been studying Hollywood and other entertainment hubs for years, adopting and refining formulas by adding distinctly Korean touches.

In the last few years alone, South Korea has made its cultural mark with “Parasite,” the first foreign-language film to win an Oscar for best picture. It has arguably the biggest band in the world with BTS. Three of Netflix’s 10 most popular shows right now are South Korean.

“When we made ‘Mr. Sunshine,’ ‘Crash Landing on You’ and ‘Sweet Home,’ we didn’t have a global reaction in mind,” said Jang Young-woo, the director and producer who worked on all three hit shows. “We just tried to make them as interesting and meaningful as possible. It’s the world that has started understanding and identifying with the emotional experiences we have been creating all along.”

The growing demand is inspiring more and more independent creators to take part.

Sunday 31 October 2021

選挙に行くようになった

きょうは選挙の日。

(先日作ってもらったピッツァ。内容とは何も関係ありませんが。おいしかったです。小麦粉が値上がりすると我が家は影響を受ける。)

正直な話、20代の頃は「行っても行かなくても同じでしょ」「誰がやっても同じでしょ」と思っていた。行かなかったこともあるし、いざ投票所に行ったときも、鉛筆を持って、(さて、何と書こうか…)と止まってしまったこともある。結果、何も書かなかったこともある。そのくらい遠いことだったし、何一つ心に響くこともなかった。

そもそも住民票が、上京依頼ずっと実家にあったというのも問題だったと思う。そのせいで、大学時代、投票に行くことは一度もなかったし、当然ながら誰に投票するかなんて真剣に考えることはまったくなかった。親は「子の住民票を動かしたくない」と言っていたけど、住民票のある場所によって人どうしの関係が変わるとは思えない。さっさと動かすべきだったのだ。というわけで25歳くらいになって急に投票のための封書が届くようになったのだ。遅い。惜しい5年間だったと思う。

この数年、ようやく危機感を持つようになったし真剣に考えるようになった。要因はいくらでも考えられる:

1. 子が生まれて考え方が変わった

2. ツイッターをはじめとしたソーシャルメディアで政治が身近になった

3. 実際にこの国がよくない方向に進んでいる感じがする

このなかで2の影響は大きい気がする。今までわかっていなかったことがわかるようになった。こんなこと恥ずかしくて聞けないよなあということが、ネットを通じて解明されやすくなった。そしていろんな人の考えに新聞テレビを通じなくても直接触れられるようになった。なるほどこの人はこう考えるのか、と直接の声を聞ける。

さて、きょうはそれ以外にもいくつかやることがある。良い日曜になりますように。投票率上がりますように。

Wednesday 27 October 2021

たがめの理由、誕生日の買い物

 「おたまじゃくしの101ちゃん」というかこさとし作の絵本がある。子の保育園ではそれをもとに「101ちゃんごっこ」をやっているらしい。きっとこれで12月の発表会が行われるのだろう。ストーリーの一部に、「101ぴきのおたまじゃくしのおかあさんが、ざりがにとタガメのあらそいに巻き込まれ、死にかけるのだが、こどもたちが泣いていると生き返る」というところがある。

さて、子に何の役をやるのかきいてみたら「たがめだよ」という。ザリガニだったこともあるらしい。役の振り分け方は、先生が振り分けるのではなく、こどもたちが自分の好きなものを選んでやる。毎年そういう感じだ。「ほかの役にはなりたくなかったの?」ときくと、「うん」と。

しばらくして、ふと、

「ぼくはおかあさんが死んじゃったところで泣くのがいやなの。だからおたまじゃくしやりたくないの」

と言った。

「なるほど、そうなのね」

と言うとそれ以上何も答えなかった。小さいなりにきちんとした理由があるらしい。泣きたくない理由が何なのかはわからないが、そこで私も納得した。いいぞ、行け、たがめ。

それにしても、たがめがどんな生物か知っているのだろうか。考えてみれば私だって実物を見たことはない。

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先日、誕生日だった。久しぶりに買い物をしてみようと思って電車に乗った。なんと2ヶ月ぶりの電車である。大した距離でもないのに車酔いみたいになった。そして人がいるのが疲れる。そして電車の待ち時間と乗っている時間がとてつもなく長く感じた。

さらに、買い物に行っても欲しいものがない。何もないのだ。アップルストアに行ったら店舗で買うよりオンラインで買ったほうが早いですと言われた。服も特にピンとくるものがなかった。「ユニクロのほうが品質いいんじゃないか」と思える。結局買ったのは、手ぬぐい一枚。しかも、同じ柄の手ぬぐいを買うのがこれでなんと3度目である。ちなみにたまごの柄。一枚目の色がくすんできたときに、2枚目を買って、今2枚目を使っているところだが、結局また3枚目を買うのだろうとわかっているので、同じものを買った。あんなにたくさん柄があるのに信じられないと思うだろう、普通の人なら。

選ぶ楽しさ、もあるけど、選ぶことでエネルギーも使っている。自分の好きなものが確定している場合はそれを貫けば良いと思う。ちなみに私はまったく同じスニーカーを三足持っている。黒いニューバランス。少し違う黒いニューバランスも入れると四足になる。それでも、黒のニューバランスが一番好きだというのは10年以上変わらない事実なので、ここは迷わず買っておいた。黒が発売されない時に買い替え時期が重なると、困るのは目に見えている。

誕生日記念に新しいiPadでも買おうかと思っていたのだが、そのために今持っているものの容量を空っぽにしてみたら、快適に動くようになったので、新しいものが欲しいと思う気持ちもなくなってしまった。

それにしても、ほんの2、3時間街を歩いただけでこんなに疲れるなんて。目的なくふらふらするのもかつては楽しかったはずなのに。コロナによる変化のひとつだろう。オンラインで買い物したほうが断然いいと思った。

Tuesday 19 October 2021

虫歯発見

私は「日頃から熱心に歯を磨いている人」の部類だと思っている。なのに、虫歯が一本もないかというとそうでもない。ショックなことがあった。虫歯が見つかったのだ。8月に定期検診を受けたのにもかかわらず、なぜこんなのが今頃見つかるのだろう。8月の検診で見逃されていた可能性は大いにある。なんで気づいてくれなかったの、というよりは今自分で気づけて何より、と思うことにしよう。それとも8月から今までの間に急に進行したのかもしれない。やれやれ。きょう、歯医者に立ち寄ってみることにする。あまりにもショックで昨夜は落ち込んでいた。こんなにがんばって歯磨きしているのになあ。いわゆる「初期虫歯」というやつで、削らずに治れば良いのだが。

10月になったら急に街に人が増えた。緊急事態宣言の影響はやっぱりあったらしい。私の場合それほど生活は変わらない。仕事も普通どおりだし、必要な外出は緊急事態宣言下でもしていたし。この時を待っていた!みたいな人たちが結構いるのかもしれない。こどもの通う保育園もついに保護者会が行われるらしい。2年ぶりである。

それにしても急に寒くなってしまった。先週まで半袖を着ていたのに。引き出しに入れていたポロシャツをすべてカシミヤと取り替えた。気持ちの良い秋の日は、ほんの数日しかないのだ。昔もこうだったのだろうか。今年もまた「出番を逃した服」がいくつかある。春と秋の、ちょうどいい時期にしか着られない服。

Monday 18 October 2021

Duolingo200日、『世界で活躍する人が大切にしている小さな心がけ』

Duolingoでフランス語を学習しはじめてきょうで201日目。(画像はきのうのもの。) 

3月から毎日欠かさずに続けている。もう一年の半分が過ぎた。効果はどうかと言えば、結構身についていると思う。フランス語母語話者と会話をする機会はこの200日でゼロなので、試しようがないが、少なくとも200日前の自分よりできるようになっている。文法はイタリア語ととても近いのでだいたいわかる。仕組みが同じだろうと期待していて「えっ、こんなに違うのか」と驚くこともある。

文法でいうと今は過去形がいくらか作れるようになった程度だ。200日経ってまだそのくらい。このあときっと条件法とか未来とか出てくるんだろうなと思うけど進もうとはしていない。定着していないまま先に進むのは気が進まない。

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『世界で活躍する人が大切にしている小さな心がけ』という本を読んだ。石倉洋子さんが書いたもの。線を引きたくなる箇所がとても多く、ためになる本だった。図書館の本だったので線は引けなかったけど。

「はじめに」の部分を引用。

これまで重要と思われてきた考え方、アプローチで今や時代遅れになりつつあると私が思うのは、次の4つです。
①既存のフレームワークを用いて世界を整理すること。
②過去のデータを分析して正しい答えを探すこと、よく考えて答えを見つけてから行動に移すこと。
③まず日本という身近な場で考えて、それから世界を目指すこと。
④日本社会で通用する基準があり、それに従って自分の力やポジションが評価・判断されるという考え方。よほど才能がある人や地位が高い人などでないかぎり、普通の個人にはあまり力がない、という考え方。

これは2015年に書かれた本で、コロナ前なのだが、今読んでもかなり面白い。「完璧は目指さない」「一に体力、二に体力」「すぐ行動すること」など、頷きながら読んだ。元気とやる気が湧いてくる本だ。

さて、今日は晴れた。洗濯日和だ。

Monday 11 October 2021

パネットーネとめい

食欲の秋。夏の間は楽天のお買い物マラソンを見ても「買いたいものないなあ」と思っていたのに今は購買意欲が湧いてくる。ただし対象は食べ物。ほぼ無意識に美味しいものを探している。

ということで買いました。パネットーネ! 

イタリアでクリスマス前に食べるパンのようなケーキのような、要は小麦粉の塊。本場イタリアだってまだ売り始めてないのに、ネットで見つけた。もしかしたら去年のかもしれないけど、賞味期限は3月までとある。

送料無料にするには10個くらい買わなきゃいけなかったので、それには手が出ず、とりあえず3個買った。一つで1kg。値段は1,300円。

パネットーネの季節、つまり一年の後半が始まった〜。本場は12月だけなのに〜。

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妹に子供が産まれた。私にとってはじめての「めい」である。これは不思議な気持ちだ。「叔母」になったのだ。すでに「おばちゃんになんでも言ってごらん」みたいな気持ちになっている。かわいがってやろうという気持ちがあふれそうだ。「人の子なのに親族」というのはこんな感じなんだなあ。自分の子にはフルに責任が伴うし、かわいい以前に「たいへん」がやってくるが、第一責任者ではない立場としてはとにかくかわいがりたい、ただそれだけである。孫となるとまた別の感じなんだろう。人生、どの時点になっても「はじめて」はあるものだなあと我が事ながら感心している。

Friday 8 October 2021

「ばばあ」とBTSと地震

 昨夜。保育園からもらってきたさつまいもを揚げることにした。年長さんたちが掘ったらしい。毎年こうやって各家庭にもおすそ分けされる。ありがたい。

5時ごろ、さつまいもを切って下準備。

子はいつものように、息を吐くように下品なことばを発しながら、くるくるまわる椅子の上におなかをのせてくるくる回っている。「すべてはち◯こ〜」というわけのわからない歌を歌っている。「おふろにはいろうか」というと「やーだよ」という。いつものことなのだがこれにはがっかりさせられる。

そしてついに発された言葉がこれだ。

「ばばあ」


!!!

カチンときた私が「ちょっといまなんて言った」とまじめな目で、怒って言ったところ、子はびっくりした様子で私をじーっと見つめた。その目をみて私も戸惑ってしまった。いつものようにいたずらっこの顔をするかと思っていたのに。

子にとっては「ばばあ」は「う○こ」「ち○こ」と同じような下品な言葉のひとつであり、全く悪気がなかった。つまり「ばばあ」は私に向けられたことばではなかったのだ。ほかのことばに対する私のリアクションは「ちょっとそれやめてよー」程度なのに、「ばばあ」に対してだけ激怒されるというのはよくわからないはずだ。それなのに急にしかられることになって、なぜこの言葉がこれほどこの人にひっかかったのだろう、という目で私を見つめたのだった。

ということが、説明をきいてよくわかった。

なるほどなあ。

平和におふろに入って、ぬか漬けをかじりながら芋を挙げた。揚げ物がそれほど面倒に感じられなくなった最近。

国連で歌うBTSをみながら:

子「このひとかっこいいねえ」

私「ねえ、かっこいいよねえ」

子「なんでかっこいいんだろうねえ」

私「うーん、いい質問だなあ。なんでだろうねえ。せかいじゅうみんなおもってるんだけど。」

子「マンマはBTSかっこいいとおもう?」

私「おもうよ。○○もおもうでしょ?」

子「うん」

私「かっこいいねえ」

子「うん」




そして今朝6時ごろ。ニューヨークタイムズのメールマガジンのなかに「パキスタンで地震」と書いてあるのをみて「ああそういえばこの前寝てるときに地震があったような。2日くらい前だったかな」と思った。

そのあとふと開いたヤフーニュースで「首都圏で地震」という見出しをみて、地震は昨夜だった、ということがわかった。寝ている時間帯だったのでもはや夢の中のようになっていて、数日前のような気がしていたのだった。

見ると、帰宅困難者がたくさんいたらしい。10時ごろ、外にこんなにたくさん人がいるのかと写真を見て驚いた。10時だよ?家帰ろうよ?

首都圏は弱い、とつくづく思った。少しの打撃でポキッと折れる感じがする。

ちょうどきのうの昼間、同僚に「そういえばずっと電車に乗ってない」という話をしていたところだった。おそらく最後に乗ったのは、8月に東京に戻ってきたときだと思う。それからあと、一度も乗っていない。

「帰宅できずにタクシーを待つ人たち」の写真を見ながら、この人たちはつまり歩いて帰れる距離に家はないだろうし、自転車があるわけでもないんだろうなあと当たり前のことを想像した。

職場まで片道5km、毎日自転車通勤を10年続けている私。雨の日でも自転車に乗る。もし自転車がないなら歩いたほうがましだとさえ思う。朝晩の電車通勤・通学ほど人のエネルギーを奪うものはない。電車通勤は5年間経験したことがあるけどもう2度とあの日々には戻りたくない。あの5年でどれだけの時間とエネルギーを失っただろう。職場近くに住むより郊外に住んだほうが家賃は低いだろうが、私は時間をお金で買えるなら買うし、その意義は大きい、と思っている。時間は戻らないし増えない。

それにしても地震一回でこんなに困る人たちが出てくるのだ。やっぱり東京に未来はないなあとあらためて思う。田舎を知っているからこそ思う。なのに住んでるこの矛盾。やれやれ。

Tuesday 28 September 2021

めまい

日曜の夜、または月曜の明け方、こどもに布団をかけようと思って目を覚ましたときにめまいがした。暗闇だけど分かった。

時々だが、これが起きる。視界全体がぐるーっと大きく回るような感じ。ふらふらするときに「めまいがする」というけど、本当のめまいはこっちのほうだなと思う。回るから。そして船酔いしたときのように吐き気がする。今回はちょうど真夜中、眠い時間だったのでそのまま眠った。朝起きたときはもう景色は回っていなくて、吐き気が少し残っていて頭が重かった。

このめまいがはじまって4年になる。こどもが生まれて、1歳になるころに仕事に復帰したが、ちょうどその1週間か2週間後にこの症状が出たのをよく覚えている。2017年。復帰したばかりなのでかなりいろいろなことに責任感を持っていた。その日は「ゴミ捨て当番」という大したことない仕事で、休もうと思えば休めたのに「いかなきゃ」と思っていた。朝、立ちあがろうにも立ち上がれない。横になるしかないが、吐き気がする。半日経ってから出勤したのを覚えている。こんな症状ははじめてだった。

それと同じことが、年に1回か2回、起きるのだ。メニエル病というのを聞いたことがあったので、これを機に病院に行ってみようと思った。朝一で耳鼻科に行き、目の動きをみる検査、聴力検査などを行った。メニエル病ではないだろう、と言われた。その時点でめまいがしないので、何の病気、という判断もできない。それはそうだと思った。

20日に受けたワクチンのせいか?とも思ったが、もう1週間も経っている。これまで発熱もなかったのに急に症状が出るとは思えない。やっぱり疲れと睡眠不足なんだろう。先週は土曜出勤もあった。土曜の夜はろくに眠れなかった。日曜はプールで泳いだ。久しぶりの飲酒も関係あるかもしれない。

休めというサインなのだなと思うことにした。さいわい、昨日月曜は休暇だったのですこしゆっくりすることができた。頭ではいけると思っていても、身体はついてこれないのだ。たいていのことは寝れば治る。「寝ても治らないのは本当にどこか悪いってことだよ」と以前同僚が言っていた。さらに「ためていいのはお金だけだよ」という、その同僚の名言をよく思い出す。睡眠不足も疲れも老廃物もためていいことない。時間にいたっては流れていくからそもそもためられない。

Thursday 16 September 2021

断る賢さが身に付く

しばらとある研究協力の依頼がきた。断らずにいたのだが、そもそも研究企画がわからない。書類もない。テーマもない。メインの人以外誰が関わっているか知らない。面倒なことに巻き込まれているといういやな予感しかせず、どうも落ち着かない日々。朝方目が覚めてこのことを考え出したりすると眠れなくなる。

このままではいけないと思い「企画書をまず見せてほしい」という連絡を取った。そこでやっと出てきた企画書。(普通は依頼するタイミングでこれ送るはず。)企画書を読んでも具体的なことが何もわからない。

結果、断ることにした。

失うものは何もないと考えるのであれば引き受けても良いのでは、と恩師は言った。5年前だったらとりあえず引き受けたのかもしれない。そういう勢いが失われてしまったとも言えるが、先を見通す落ち着きと知恵と経験と賢さと勇気が身についた考えることにする。権力や名声に振り回されないこと。自分にとって大事なものを見極めること。

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今朝5時半。紅茶と、きのう作ってもらったケーキ。

朝の光は、空気は、なんてきれいなんだろう。
いい季節だ。きょうもがんばろう。

Tuesday 14 September 2021

オステリア コマチーナのチョコレートケーキを作った

日曜、2ヶ月ぶりに合気道に行った。遅れてやってくる筋肉痛。イテテ…

この前の土曜、また午後を料理に費やした(BTSを聴きながら)。たぶん3時間ぐらい台所に立ち続けていたのではないか。もはやストレス解消の一手段になっている気がする。

作ったものは:

・パン(半分はあんパン)

・チョコレート・ケーキ

・ カレー

その他、豆を炊き、卵をゆで、キャベツを刻む、なども含む。

(カレーを作るときに玉ねぎを刻むとなると、子が「たまねぎ逃げないように気をつけてね〜」という。「トッチくんのカレーようび」を読んだためだ。玉ねぎを切って涙が出るのを興味深そうに見る。)

さて、中でもきょうはチョコレートケーキについて書かねばなるまい。話の始まりは「楽天スーパーセール」だった。「3800円のチョコレート・テリーヌが1900円」という記事をあるブログで目にし、ああおいしそうだなあ、買おうかなあ、どうしようかと迷っていたのはセール最終日の夜。「もともと3800円というのが高すぎるよねえ…。よし、あとから考えることにして今は別のことをしよう」と思った。その数分後、1900円のテリーヌを見たところ…

「売り切れ」!!!!

逃した魚は大きい、とはいうが、本当にそうだった。あー、買えばよかった、としばらく悔やんだ。そしてこれはこれで、諦めて、寝た。


その数日前、同じく楽天で購入した料理本が届いていた。『鎌倉 オステリア コマチーナのパスタとつまみ81皿』。(ツレヅレハナコのインスタで見てピンときた。)

[亀井 良真]のdaily PASTA book 鎌倉 オステリア コマチーナのパスタとつまみ81皿

どれも、必要な材料が少ない。手順も少ない。特徴的である。誰でもできそう、というのがポイントらしい。土井善晴さんに通じるものを感じる。偉そうじゃない、というのはほんとに大事です。高級志向のレシピを出したって、世の中のたいていの人には手に届かないわけだから。作る人に寄り添うレシピが好きです。だから、カレー粉の、箱の裏に書いてあるレシピとか、クリームチーズの箱の裏に書いてあるチーズケーキのレシピが一番信頼できる。

本の中で、チョコレートケーキのレシピがあった。その単純さをみて、これなら作れるなあと思いながら数日ながめていた。そして土曜日、買えなかったチョコレートテリーヌのことを考え、家で作ってみようと思い立った。

チョコレートさえ買えばできるので、昼にカカオ含有量72%のチョコレートを買いに行った。冷やし固めるので、出来上がりは翌日。

楽しみに食べてみたら、想像以上に私好みのチョコレートケーキだった。写真あまり綺麗にとれなかったけど、記録として載せておきます。


これは美味しい。そして簡単。濃厚なのでほんの少し食べて満足する。これは間違いなく、繰り返し作ることになるだろう。

オステリアコマチーナのレシピ本、たった一品作っただけでもこれは買って正解だったと言える。ほかのレシピもきっと美味しいに違いない。

レシピも覚えられるくらい簡単。

チョコレート125gとバターは125gを溶かす。
砂糖100gをまぜる。
溶き卵2個をまぜる。

それだけ!!

やっぱり1900円のチョコレートテリーヌは買わなくてよかったと思う。自分で作ったものがこんなにおいしいのだから。作り手に寄り添うレシピを、ありがとう、オステリアコマチーナ。

Monday 6 September 2021

料理をたくさんした週末

 料理が得意というわけではないが、時間のあるときにゆっくり料理をするのが好きだ。一般的に「料理が好き」とは言えないかもしれない。疲れて帰ってきた夕方に台所に立つ気力がない時だってある。できることなら何もせずにゴロゴロしておきたい時だってある。しぶしぶ台所に立ちながらそれを「料理が好き」とは呼べない。まず、何を作ろうかなと考える余裕は少なくとも欲しい。疲れていて時間のないときに「そうだあれをやってみよう」など決して考えないものだ。

というわけで土日には、朝から台所に立っていることがよくある。何も予定がない場合に限るが。この週末もよく料理をした。

土日ともパンを焼いた。土曜日は豆乳、日曜日は牛乳を使ってパンを焼いた。牛乳のほうがやはり出来がいい。

それから、いんげん豆を炊く。金曜の夜から水につけておいたもの。

そして久しぶりにカレーを作った。買い物しているときに思い立って、材料を揃えた。これは時間がかかった。たまねぎを2個みじんぎりしたらやっぱり涙が出た。「トットちゃんのカレーようび」という本を実家で読んでいたので、たまねぎを切ろうとしている私をみて我が子は「たまねぎ逃げないようにね〜」と言った。

あとは、かぼちゃをゆでてサラダにした。切り干し大根とハムのサラダも作った。

日曜はチーズケーキも作った。


すべてBTSを聴きながら。

「暑い暑い」と言いながら台所に立たなくてよくなった。太陽はもう少し出て欲しいけど、本当に過ごしやすい気温だ。

週末は特に何もするまいと決めていたが久しぶりにプールにだけは行った。日曜朝9時に、30分もしないくらい泳いだ。爽快だった。やっぱり水の力はすごいなあ。7月からずっと泳いでいなかったので、泳いだあとはだいぶ脚が重く感じた。そしてとてもお腹が空いた。やっぱり運動はいいなあと思った。こういうお腹の空きかたが理想的なのだと思う。スーパーに行ったらなぜか、むしょうに魚が食べたくなった。朝10時である。どうしようもなくて半額になっていた調理済みのさんまの蒲焼を買って、家に帰って食べた。珍しいことをしている、と自分でも思った。

Saturday 4 September 2021

仕事再開の疲れとコロナのおかげで得たこと

 2学期になった。授業再開。

夕方5時ごろになると自分がとても疲れているのがわかる。大したことはしていないのに、こんなに疲れている。その証拠に、この二日間は特に、こどもに笑顔で接することが減っている。これは自分でもわかる。こどもが「これみて〜」とレゴを持ってきたときに「どれどれ」と言って対応するのだが、これがまったく、楽しそうに対応できない。余裕がないというか余力がないというか。

身体がまだ8月のままなのだ。切り替えられていない気がする。しかも授業再開してまだ2日しかたっていない。そしてオンライン授業が入るので、体力の消耗はかなり少ないはずなのに。

一般的な勤め人からすると、私の生活は物理的にも精神的にもかなり余裕があるほうだと思う。自転車で仕事に行けるし、職場でも自由がきく。なのにたった2日でこんなに余力がなくなるとは。こどもの熱もあったせいか、この一週間はものすごく長く感じた。いや、九月第一週はだいたいいつもそんな気がする。「始業式が遠い昔のようですね」と同僚と話す。

土日はなにをしようかなと考えるが、やっぱりなにもしないのがいいのではないかと思うようになった。先週の土日も、なにもしなかった。この夏、コロナもあって、何日もの間、なにもしないで実家にいたわけだが、これで結構時間の過ごし方を覚えたように思う。ごろごろしていると太るんじゃないか、とか思うけど、太らないように食べる量を気をつければ良い。それでもプールぐらいは行こうかなあと考えているが、行ったとしてもまあそのくらいだ。合気道はやめておこう。コロナもあるのでちょっとひかえたい気持ちがある。というわけで、コロナのおかげで身についたことのひとつは「あきらめること」かもしれない。

「コロナが終わったら会おうね」と言い合う友人が何人もいる。去年ぐらいだと、本当に会いたいと思っていたが、最近、「本当に会いたいだろうか?」と思うようになった気がする。人に会わないことに慣れてしまった、とも言えるし、自分にとって心地よい縁がさらに見極められているとも言える。いずれにせよ、自由に人に会っておしゃべりできる日が早くきて欲しいのは事実。

涼しい。秋なのだ。先週のきょうはエアコンをつけて寝ていたのに、急に秋になった。秋になると新しい服が欲しいと思うことが多いが、ネットなどで見てもとくに欲しいものがない。これもコロナ効果か。

Friday 3 September 2021

哲学する5歳

 ビールよりワイン、アイスよりチョコレートが美味しい季節になってきました。スーパーでビールの横を通りかかってもあまり魅力を感じない。ほんの数日前までは「エアコンつけないと眠れない」とか言っていたのに、きのうきょうはもはや寒い。9月って、秋ってこういうことなのねー、という感じ。

アイスよりチョコレートと書いたけど、きのうはふと、アーモンドチョコレートを見つけて(たしかロッテだった)手に取って買い、夕方に一気に食べてしまった。美味しかったし、久々に「チョコレート食べたい」という衝動を感じた。

おとといの夜、こどもを寝せていたら「パパとママとぼくは、いっしょに死ぬの?」と聞いてきた。「そうとも限らないなあ。誰がいつ死ぬかは誰にもわからないよ」と答える。最近どうやら、人はいつか死ぬという事実がわかってきている様子。

子「どうやったらわかるの」

私「いっぱい勉強したらもしかしたらわかるかもしれないけど」

そのあと1分くらい沈黙

子「ぼく勉強してみたい」

私「そうかー してみるといいよ」

そのあとまた沈黙。

子「ぼくはパパとママが死ぬのやだ」

と言いながら、肩をひくひくさせてなんと泣き始めた。

私「心配になっちゃったの?」

黙って頷きながら涙をぽろぽろ。

子「だれも死なないといい」

私「うーん…」

子「どうやったら死なないの」

私「ちゃんとごはん食べて、いっぱい寝て、運動してたら長生きするよ」

子「あとは」

私「ひとりぼっちに、さみしく、ならないほうがいいなあ。楽しい気持ちでいたほうが長生きするね。からだの元気とこころの元気」

子「わかった」

それからしばらくして寝た。哲学する5歳は、真剣に生きている。

Wednesday 1 September 2021

耳と誕生日

 子どもの誕生日その後。

朝から39度を超える発熱。9時には小児科に連れて行ったが特に薬を処方されるでもなく、PCR検査を受けるでもなく、家に帰ることに。このとき38.8度。いつもの風邪で、よくある発熱だと判断されたのだと思う。そして私もそう思った。解熱剤もなくてたぶん大丈夫ですと答え、帰宅。

誕生日プレゼントのレゴで遊んでいたが、限界がきてソファに横になる子。それから頭をなでてあげたら寝た。苦しいだろうになあ。せっかくの誕生日なのにかわいそうになあ。布団に寝かせ直してあげた。そのあとだいぶ長く眠っていた。3時間は寝ただろう。わたしはその横に座って、イヤホンを使ってずっとBTSのMVその他動画を見続けていた。

3時前ごろだったか、目を覚ます子。このときも39度前後の熱。「ケーキ食べたい」とはいうものの見たところそれどころではない。もう少し休んだら、と言い聞かせて横にする。それから「耳が痛い」と言い出す。熱が上がるとこういうこともあるのかもしれない、と思った。解熱剤をもらっておくべきだったなあとここで後悔。保冷剤で冷やすと少し落ち着くらしいが、それでもやはり耳の痛みを訴える子。小児科に電話してみよう、ということで携帯を手に取ったのが3時半ごろ。いつもの看護師さんは丁寧に「耳鼻科に行ったほうが良い」ということを説明してくれた。中耳炎などの可能性もあるということだった。今から外に出るのは面倒だなあと思ったが子の訴えは耳に集中している。しかも右耳だけ。行く?ときくと、うん、としっかりうなずく。こんな高熱の人間を2回も外に出して、あんまりよくないよなあと思った。

余談だが、子育てをしていて自分のずるさに気づくのは、判断を子供に任せるときである。単純な2択であっても自分がどうしたらいいかわからないときに、子に一任するかのように判断を求めてしまう場合が多い。「パンかおにぎりか」ぐらいだったらいいけど、ほんとうは親が判断して当たり前のところを子供に判断させ、さらに、それで、こどもに責任のないところで都合が悪くなると「でも今〜って言ったじゃん」などと子供のせいにすることがある。子どもも困るだろうに。

近くの耳鼻科に電話してみたら、熱があってもいいからそのまま来てくださいということ。隔離しないらしい。というわけで4時半ごろだったか、連れて行ってみた。そこまで待たなかった。ベテランの先生で、右耳を見た瞬間に「わっ…」とおっしゃる。どうしたかと思ったら「先が見えないよ、おかあさん」とのこと。耳垢が詰まりすぎていて耳の中が見えないらしい。というわけで耳の大掃除をすることになった。硬くなった耳垢を柔らかくし、掃除機みたいに吸い込むことに。目薬みたいな液を耳にいれて10分くらい横になって待つ。

「きょうは誕生日なんですよ」と言ったら看護師さんたちは「あら〜そうなの〜!おめでとう」と言ってくれた。子は「レゴをもらったの。でもレゴってなんのことかしってる?」と言って看護師さんたちに話し始める。

看護師さんってどうしてこんなに人にやさしくできるんだろうなあ。大変なことがおおいだろうに。ほんとに、泣けるレベルである。

10分後、掃除機のような機械をつかって、耳垢をとりだした。巨大な。びっくりした。目を疑う大きさだった。こんなのを耳に入れて過ごしていたのかこの子は。きっとろくにきこえてなかったんじゃないだろうか、と思った。そしてよく耳を掻いていたのはこのせいだったのだとわかったし、飛行機に乗っても耳が痛いを繰り返していたのはやはりこのせいだったんだろうと思った。「耳栓を入れて過ごしていたようなものだから」と医師は言う。

ここで「親として申し訳ない」という想いも少しよぎったが、耳掃除は歯みがきと違って必須ではない。先生に、耳掃除をしょっちゅうすべきなのか、と聞いたら、いやいやそんなことはないよと言われた。こうやって耳鼻科に来てからとれば良い、とのこと。というわけで申し訳ないというよりはとれてよかったという想いのほうが大きかった。

なんだかすっきりして家に帰る。そして急に元気になる子。もしかしてこれで熱も下がるのか?と思ったが、先生いわく、耳垢をとったあとのところでそれほどの炎症が見られるわけでもないので、耳のせいで発熱してたとは言い難い、ということだった。

しかし、それにしても急に元気になっている。家に帰ってしばらくしてから熱を測ったら36.9度。だいぶ下がっているではないか。病院にいく前まで39度近くあったのに。

ケーキ食べたい、というので今度こそケーキでお祝いすることにした。パパが昨夜作った、マスカルポーネのケーキ。上に、ブルーベリーで、名前と「5さい」と書いてある。実家からもらったろうそくを立ててお祝いした。


耳…   

耳か…


と、わたしは半ばあっけに取られたような感じでケーキを食べる。「まさか、そういうことだったとは」と。耳に原因があるとは想像も、疑いもしなかった。そういえばまる1日、看病していてろくに食事をとっていなかったのでお腹が空いていた。2切れペロリとたべてしまった。

子の発熱は、まだ油断はできないのだが、やっぱり耳の影響は大きかったらしく、本当に熱は下がった。

人間の身体の神秘というか不思議についてその後ぼんやりと考えていた。不具合や反応が起きるといっても機械とは違うので、Aのボタンを押したらBのライトが光る、みたいな感じではないのだ。色々な要素が絡み合っている。そもそも個人差、個体差があり、そこに外環境(気温など)、前後の行動、ふだんの行動様式、習慣が関わってくる。脳や性格もたぶん影響するので、一概に「AだからB」とは言い切れない。以前、理科の先生が「医学は経験だから」と言っていた。たくさんのケースを積み重ねて判断基準がつくられていくのだろう。今回の件ではそれを思い知った。

「耳鼻科に行ってください」と電話でいう小児科の判断の適切さもすばらしかった。とりあえずもう一回来てください、ではなかった。たぶん親としてもこうやって経験が積み重なっていくのだろう。

100均で買ってきたHappy Birthdayと書かれたピカピカ光る風船を膨らまして遊び、満足そうに寝た。

キーワードは「耳」。一生忘れられない5歳の誕生日になった。

Tuesday 31 August 2021

誕生日なのに発熱

 夏の終わり。きょうは子の誕生日だ。5歳になる。あれから5年経つのだ。嵐のなかタクシーで病院に行ったのが2016年、8月29日の夜。そこから31日まで陣痛に苦しんだのだった。思い出すだけで痛い。同時に、もう2度と、と思う。

さてせっかくの誕生日なのに本人は発熱している。きのうは37.3度ぐらいだった。保育園は休んでいる。今朝は39度を超えていた。かわいそうに。それでもプレゼントのレゴをもらって嬉しそうだが、やっぱり辛そうだ。夏風邪は1ヶ月前にもあったが、長引くと嫌なのでしっかり休ませたい。きょうは病院に連れていこうと思う。

Sunday 29 August 2021

残暑あれこれ

仕事に行かないとなると、ここぞとばかりに色々なこと(プールに行ったり合気道したり買い物に行ったりミシンを動かしたり)をしたくなるものだが、この夏はそれほど欲張らずに過ごしている。最初からあきらめている日が多い。休みなんだから何もしなくていいんじゃないか、と。コロナというのもあるが、実家で何もせずに過ごしたおかげだと思っている。焦らずに休日を過ごすのだ。

そもそも色々なことを詰め込みたくなるのは、それで身体がゆるんでしまったり太ったりするのが嫌だから、だったのだが、実家で三週間近くなにもせずに過ごしたが特に太ったりはしなかった。食べる量と活動のバランスはとれるのだ、とわかった。

残暑が厳しい。8月後半になって東京に戻るということはもう暑さのピークを経験しなくてもよいしエアコン生活もしなくて良いのでは、という期待があったのだが、なんのことはない、すごい暑さである。35度を超える日が今週は何度かあった。今朝はどうやらましなのではないか、と思っているが、さてどうだろう。残暑ってこんなに厳しいものだったっけ、と思う。

ろくに活動していなくてもフラフラする。ちゃんと食べなきゃなあと思ったのできのうはゴーヤチャンプルーを作った。スーパーできれいなゴーヤを見つけたらそれにあわせてほかのものも買う。豆腐一丁、豚肉、卵。こればっかりは「家にあるもの」ではできない。4時過ぎごろからヘッドホンでBTSをききながら時間をかけて豆腐を焼いて、ゴーヤを切って、豚肉はきちんとひろげて、全部一緒に炒めた。ゴーヤチャンプルーを作るときは2日か3日分の分量になる。それでも結構美味しいので保存食みたいな感じで作る。ただの炒め物と違ってちょっと手間がかかる。

ゴーヤと同時進行でかぼちゃのサラダを作った。北海道産かぼちゃを数日前に百円で買っていたのでそれを大きめに切る。ホクホクさせつつもサクッと作るのがいい。熱いうちに塩と胡椒をふって、しばらくしたらマヨネーズとレーズンを入れて混ぜる。土井善晴さんの言い方だと「和える」に近い。つぶさずに、ちょうどいいところでとめて、ステンレスの容器に入れて保冷剤を上下にあててキリッと冷やす。

そういえばパンも焼いた。全粒粉とココナッツオイルを使った。35度の気温だと面白いように発酵する。丸いパンではなく立方体の型を使ったのだが、ふくらみすぎて型におさまらなかった。

きょうはワクチン接種第一回目の日。ちょっと緊張する。近所の会場で受けられるのは本当にラッキーだ。

Saturday 21 August 2021

東京に戻った

東京に戻った。18日間、ひたすら実家で予定のない日々を過ごした。やるべきことは一応済ませた。それでもまだやるべきことはあったけど急いでやらなければいけないほどではなかったので思い切ってゴロゴロすることにした。18日の間には:

・大雨が降り

・オリンピックが終わり

・小田急線内の殺傷事件があり

・東京都のコロナ感染者数5000人を超え

・タリバンがカブール制圧し

・どこかの知事がメダルをかんだ

大雨以外の全てが遠いところで起きているように感じた。雨については、私の実家は被害はなかった。それでも雨が止むのを待ち続けるのは辛いと思ったし、まる4日間豪雨が続くと、だんだん不安になってきた。雨って、降らなくても困るけど降り過ぎても困るのだと(当たり前だけど)感じた。九州出身の私にとって災害といえば台風だが、台風はいくらか防御のしようがあり、いずれ通り過ぎることがわかっている。いっぽういつ止むかわからない雨は、もうただひたすらに止むのを待つしかない。台風がまし、というわけではないけど大雨の怖さを今回は実感した。

東京に戻ってきて、狭い家にイライラはするものの、なんとか普通の生活を再開している。コロナは相変わらず注意しなければいけないが。しばらくここを離れたおかげですこし切り替えができた。

特に我が子に対する接し方については少し考え直すことができた。祖父母と遊ぶ様子を見ながら、「そうか、こうするべきなのかもしれない」「こうしたらいいのかも」と、いろいろなヒントを得ることができた。

風が少し涼しくなってきた。夏はあっという間に終わる。8月後半。夏の終わりのこの空気はいつもせつない。

Thursday 5 August 2021

「安心安全な」帰省と外国語の勉強


2日から帰省している。一年半ぶりの帰省。両親が二回ともワクチン接種を済ませているので来ることができた。私は未接種である。空港でPCR検査を受けてきた。飛行機に乗るのが久しぶりである上に、朝の便に乗るため前日から空港のホテルに泊まり、PCRを受け、加えてこの暑さ、という、ストレスのかかった帰省だ。着いたのは2日なのに、使い物にならないほどぐったりゴロゴロしている。実家に帰るとたいていそうなのだ。これまでに抱えていた疲れがいっきに出てくる感じがする。PCR検査の心的ストレスは特に大きかったと思っている。なにせ、そこで陽性が出たらすべてを取り消して家に帰らなければならないのだから。陰性でよかった。

しごとをはじめ取り掛からねばならないことはいくつかあり、ここにも持ち帰ってきているのだが、読書すらする気にならないほどである。睡眠不足のような、熱中症のような、車酔いのような、頭がぼけっとしてどうもエンジンはかからない。まあこういうもんだろう。慣れて、さて何かやるかというときには東京に戻る日になっている。唯一、やっているのはフランス語と朝鮮語の勉強。フランス語は相変わらずDuolingoを使っている。きょうで連続127日達成。韓国語もDuolingoでやりはじめたら意外とやれるということが分かった。というのは、ハングルの読み書きをDuolingoで見た時に、これじゃ全然意味がないと思っていたのだが、読み書きのあとの作文や文法をみたら、じゅうぶんに学ぶ価値があった。そしてかれこれ18年前に学んだ「朝鮮語の入門」を勉強しなおしている。左ページに韓国語、右ページに日本語が並んでいる形の教科書。一度(みっちり)やったことがあるので、なんとなく記憶は残っている。勉強の仕方はこういう感じ:ノートに、右ページの日本語を見ながら韓国語を書いていく。わからなくなったら「ほうほう」と思いながら左ページで確認する。どうしてこういうふうになるんだっけと思ったら次ページの文法事項を確認する。これは写経のようで写経ではない。いや、これも写経に入るのだろうか?昔との違いは、万年筆を使っているということだ。大きくなったなあ、私。韓国語のモチベーションは完全にBTSのおかげである。BTSの「タリョラ・バンタン!」が面白くて見ているのだが、日本語字幕に追いつかない時が多く、これはやっぱり聞き取りたいものだよなと思っている。18年間苦手意識しかなかった韓国語にまさかやる気が出るとは。(ありがとうBTS。)聞き取れないのはなぜか?語彙が足りなくて文法も足りなくて音声をまだ聞きなれてないから…など、自己分析している。

こうやってあらためて外国語に向かい合うと、やっぱり文法シラバスに基づいて、読み書きも踏まえながらきっちり順番にやっていったほうが効率的に身につくよなあ、と、最近の英語教育のトレンドについても考えてしまう。会話ができる以前に言いたいことが組み立てられるぐらいの語彙と文法がないといけない。


数日前にtwitterで見た「帰省」についてのネタが面白すぎたのでここでシェア。

政府「頼むから、お盆の帰省はやめてください」 

国民1「中止の考えはない。強い警戒感を持って帰省に臨む」
国民2「バブル方式で帰省する。感染拡大の恐れはないと認識している」
国民3「帰省を中止することは一番簡単なこと、楽なことだ。帰省に挑戦するのが国民の役割だ」
国民4「安心安全な帰省に向けて全力で取り組む」
国民5「コロナに打ち勝った証として帰省する」
国民6「(帰省は)今更やめられないという結論になった」
国民7「『帰省するな』ではなく、『どうやったら帰省できるか』を皆さんで考えて、どうにかできるようにしてほしいと思います」
国民8「もしこの状況で帰省がなくなってしまったら、大げさに言ったら死ぬかもしれない。それくらい喪失感が大きい。それだけ命かけて帰省する為に僕だけじゃなく帰省を目指す国民はやってきている」
国民9「家族に感動を与えたい。帰省はコロナ禍収束の希望の光」
国民10「我々は帰省の力を信じて今までやってきたた。別の地平から見てきた言葉をそのまま言ってもなかなか通じづらいのではないか」
国民11「(帰省中止要請は)自主的な研究の成果の発表ということだと思う。そういう形で受け止めさせていただく」
国民12「言葉が過ぎる。帰省中止を決める立場にない」
国民13「帰省が感染拡大につながったエビデンスはない。中止の選択肢はない」
国民14「(帰省について)政府は反発するだろうが、時間が経てば忘れるだろう」
国民15「帰省することで、緊急事態宣言下でも帰省できるということを世界に示したい」
国民16「帰省について限定的、統一的な定義は困難」
国民17「実家を訪問するという認識。帰省するという認識ではない」


Tuesday 27 July 2021

白くまと、にわかに韓国


 白くま。

先日、レジに並ぶ直前に見つけて買ってしまった。見た途端にこどもと「これ買っちゃおうか」と意見が一致した。

こどもとスーパーに行くと、あれも買ってこれも買ってとなるが、ダメ、と言い続けるのに少し疲れる。時々「あれも買っちゃおうか」とパーティー前の買い出しみたいなテンションになると自分も楽しくてよい。時にはこういうのもいいなと思う。

にわかに韓国にハマっている。7月のはじめ、BTSのビデオをちらっと見たことがきっかけだった。こんなにいいものを今まで知らずにいたのか、と思った。BTS以外の歌手はよくしらない。でもそれがきっかけで韓国の映画を7月だけで3本観た。

この10年ぐらいで韓国が大躍進しているというのはわかってはいたのだが、特に見ようとはしていなかった。観てみると、音楽も映画も、実際にこれほど良い質のものを出しているとは。私の世代以上の人々は「最近の若者はK popが好きらしいよね」ぐらいの認識でいるが、実際の"若者"にとって、どうやらそれは想像を超えたレベルであると近年感じていた。私たちにとって「日本じゃなくて韓国なんだって」という感じだが、若者にとっては生まれたときからあるジャンルの一つであって、あまりそこで「韓国」という国として意識している感じがしない。「同じような顔をしているのに言葉も文化も違って異国っぽさが漂う」わけだ。私が18歳の時にはじめて韓国の歌手のミュージックビデオを見たときに感じた「なんだこれは」という新鮮さを、最近になってあらためて思い出している。

というわけで韓国語をまじめに学んでみようと思った。BTSのインタビューなどみてみると、わかる単語がたくさんある。なにしろ私は韓国語を専攻として大学を卒業しているわけで、基礎は出来上がっているのだ。卒業以降もあまりにも苦手意識が強すぎて、「できない」と言い続けてきたが、やろうとしていない言い訳を続けていたにすぎない、と最近思った。もったいないことをしている。BTSのおかげでいっきにやる気が出てきた。そして不思議と韓国語を聞くのが心地よくなってきた。動画をみるにも、自然な韓国語が聞きたい、と思って韓国の映画を選ぶ。韓国行きたいなあと思いながら過ごしている。この夏やることが少し増えた。

Tuesday 13 July 2021

ANAマイレージに再度方向転換

 暑いと肌がベタベタするし、かゆいし、髪の毛がチクチクするし、イライラする。ここ数日で一気に「夏」感が増した。

コロナでどこにも行けなくなって、ANAのマイレージを貯める意味がなくなり、クレジットカードをはじめとした支払い関係を楽天に切り替えていた。しかしようやく郷里に戻ることができるようになったのをきっかけに、またANAマイレージに方向転換することにした。

この夏のために、こどもと自分の分の航空券をマイレージで支払ったら、やっぱりこのお得さはすごいなと思った。通常、2人分で往復航空券を買うと、8万円近くかかる。格安の片道1.5万円くらいだったとしても、6万はかかる。それがすべてマイレージで支払えたのだ。いままで飛行機を使っていなかったのもあって、マイレージは4万マイルほど貯まっていた。2人で3万マイルを使って往復が買える。

持ち歩くカードを楽天ではなくANAにするだけだが、これだけでたまり方はだいぶ変わるのだ。ただし、楽天デビットカードをここ数ヶ月使ったが、クレジットカードみたいにあとからまとめて払うというストレスがないのは本当によかった。だから、かわりにANAのEdyチャージで、クレジットというよりその場の支払いで済ませていく。先日もどーんと一万円チャージしておいた。

ともあれ、出費は減ったなあと思う。具体的に計算していないけど、日々の出費といえばスーパーで食料品を買うぐらいしか思い当たらない。外食の機会はそれほど変わっていない。人に会わなくなったのと移動が減ったのは大きいだろう。それに伴って、なのか、服、美容にもお金をかけなくなった。それでも良いのだ。じゅうぶんに満たされている。

Sunday 4 July 2021

なんてことない土曜日

何もない土曜日。暑くもなく、寒くもない。夏の間じゅうこのくらいの気温だったらいいのに!

朝方に雨も上がったのでようやく一回分の洗濯ができた。でもあと三回分はたまっている様子。朝10時ごろから子とその父は外に出た。「雨が上がった」と思った瞬間に玄関へ走る子。外に出るのが楽しいらしい。自転車にも乗るようになってよかった。ちっとも外に出ないなあと心配していた時期もあったけどそれはただ外が寒かったから、なのだと今は思う。そりゃそうだ。

たいていのことは心配しなくていい。心配しなくてもなんとかなる。わかっちゃいるんだけどね…。

朝のうちに、遅ればせながらコート三つを(やっと)クリーニングに持っていった。それからスーパーで2割引のオリーブオイルなどを買って家に戻る。パンを焼き、卵を茹で、豆を炊く。万年筆のインクを入れる。掃除機をかける。

時間があるとたいていこういうことをやっている。

昼はいつものように3人で蕎麦屋に行く。勝手知ったる店、とでも言おうか、毎週行くので顔馴染みである。店員さんもやさしい。休みの日の昼はいつもこうやって外で食べる。

家に戻って、先日もめんやまきので買ったイタリア国旗の端っこを三つ折りして縫った。すでにテーブルクロスとしては使っていたのだけど。ミシンを動かす暇と余裕があるという幸せ!

それから4時ごろ3人で近所のプールへ。人が多かった。30分くらい水につかっているだけなんだけどこれで良い。もはやお風呂代わりである。プールのシャワーをあびて、きょうのお風呂は終了。 

夕飯はおうちでピッツァ。

バジルをのせるだけで、ぐっときれいに、おいしそうになる。実際おいしい。

これは最近買った九谷焼の皿。(食べかけ失礼。)一目惚れした。丸い皿にこの四角たちというコントラストがグッときた。

なんてことない土曜日だけど充実していた。満たされて寝た。

Friday 2 July 2021

雨、短冊

ケーキ。ヨーグルトとマスカルポーネが入っていて、上にはオーガニックのクランベリーがのっている。おいしい。飽きの来ないおいしさである。 


ケーキ屋さんのケーキよりも甘さが控えめなので飽きないのだろう、きっと。

さて、7月になった途端に雨が降り始めた。しかも結構な雨だ。だいぶ前から梅雨には入っていたがちっとも雨が降らないので「空梅雨だなあ」なんて言っていたのに。先日、帰りに近所の老夫婦が歩いているところに会った。「7月1日がワクチンの接種だから、会場を下見しておこうと思って」と、徒歩でふたり、歩いているところだった。そして7月1日、しっかり雨が降っている。朝から、「ふたりは無事に行けるのだろうか」と考えていた。そして無事にワクチン接種できたことを願う。郷里の両親は、2人とも2回の接種を終えた。早い。

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保育園で、七夕のための短冊が配られた。こういった季節感のある行事はたいてい保育園によって思い出される。「そうか、ひなまつりか」とか「そうか、七夕か」とか。こどもがいなかったらこういうこともないだろう。

短冊を前にして、クレヨンで色つけたり好きなようにかいていいよとまず言ってみたものの、どうしてもやろうとしない。「私はみないから」と言ったときにピンクで2本線を引いた。いいじゃん、それでいいんだよ、とほめてみたものの「いや〜だ〜〜〜」と言う。

「おねがいごとはなにかな」ときくと、

子は「コロナウイルスがなくなりますように」と言った。

きっとレゴが欲しいとか消防車がなんとかとか、そういう願い事だろうと思っていたので驚いたと同時に本質をついた、全世界共通のこの願望に、むしろ自分はどうして気づかなかったのだろうと思った。

子はまだ文字を書くどころか読みもしないので、いっしょにクレヨンを握って書くことにした。これはたいそう満足そうだった。

最後に自分の名前を書く。どうも、本名のあとに「ファイヤーマン」をつけたがる。いつものことだ。自分の名前の一部というか称号のように思っている。空いたところに「ファイヤーマン」と書いてあげた。


短冊を見るたびに思う。「まじそれな」と。はやくなくなってくれ。コロナ。

きょうも雨のため、保育園のプールびらきは延期だ。仕方ない。来週を楽しみにしよう。

Wednesday 30 June 2021

ワクチン、ゆで鶏

もうすぐワクチンの接種権が配られるはず。待ちきれない。少しでもこの状態から脱する方法があるなら一刻も早くその手をとりたい。

ワクチン反対派の人たちというのは相変わらずいて、職場でもくよくよと「でもねぇ、ワクチンはねえちょっと」とか言ってる人たちもいる。家族にもそういう人がいる。これは考えを変えることができない一件だろうなとあらためて思う。わかりあうことを前提にはできない気がする。ワクチンが不審、という人は誰が何と言おうと不審なのだから。だから説得しようとは思わない。だけど、そういう人には周囲の人に対する責任は?と問いたい。

しかしまあ分断が進んじゃったなあ、この一年半で。本当に会いたいと思う友達もだいぶ限られるようになってきた。まあ歳もあるだろうけど。

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さて、まったく関係のない料理の話をひとつ。

私は全くと言っていいほど肉を買わない人だった。家で肉を調理することがまずなかった。最後に買ったのは、冬に筑前煮を作ろうと思って鶏肉を買った時ぐらい。あとは日常生活で、家で肉をまったく食べることがない。

そんな私が、ためしにと思って「蒸し鶏」あるいは「ゆで鶏」を作ってみたのは二週間くらい前。スーパーで、鶏むね肉が安く手に入った。なんとなく鶏肉が食べたい気分だったというのもあるだろうけど、珍しく買ったのだった。

「蒸し鶏」と、適当に検索して出てきたのは本当に適当なレシピばかりで、とにかくゆでれば良いということがわかった。鍋にいくらか酒と、鶏がらスープをパラパラと入れてゆでた。これが美味しい。しかも2、3日はもつ。

かくして我が家の常備菜となった。夕飯も手間がかからずたんぱく質がとれるようになった。

Sunday 20 June 2021

水中じゃんけんで水に顔をつけた話


久々に子供メモ。

6月からプールが再開して以降、一緒にプールに行くようになった。冬だと嫌と言っていたが、今は嫌と言わなくなった。季節というのもあるかもしれないけど嫌っていないということは、これは貴重なことであると思っているので、この事実は大切にせねばと思っている。

私はしょっちゅうプールに行きたい人間なので、しょっちゅう子を誘う。そうすると土曜の午後に「おふろ代わりに」行くことが多くなった。

泳ぐことはできないが腕輪(?リサイクルからもらってきた)みたいなものをつけて浮かんでいるだけで楽しそうだ。去年の今頃は私がずっと抱っこしてなければいけなかったのだが腕輪で浮かんでいる分本人の自由があって嬉しいのだと思う。

以前まではこどものための「水深70cmの日」を狙って行く必要があったのだが今はこの腕輪のおかげで水深1.1mの普通の日でも行ける。

「顔をつけてみたら」とか言ってみるもののいっこうにやろうとしないので、半ば諦めていたのだが、最近、だんだんと顔をつけるようになってきた。

先週は、プールサイドからじゃぼんと入ることが楽しかったらしくて、それがきっかけで顔が水の中に入った。そしてきのうは、私と水中じゃんけんをすることにしたら、いっきに顔をつけ始めた。びっくりだ。きっと、ずっとやらないと思っていたのに。

焦らなくていいんだなあ、となかば呆れたように感心する私。1人の人間の、なにかを学ぶ姿というものをこうやって見せつけられている。

通常のスイミングスクールなどで教える手順はほかにもたくさんあるんだろうなと思う。足をバタバタさせる練習とか、浮かぶ練習とか。顔をつける段階ももっと早いんだろうと思う。だけどこの人にはこの人のスピードと順序いうものがある。そしてなにより、強いることで上達することはない。強制は逆効果にしかならない。

それがわかっていても焦るのが親なのだろう。「どうしてこの子は〜ができないんだろう」と知らない間に考えていることが多い。

4歳10ヶ月の今、水に入ることが楽しいと思えているだけで上出来なのだ。きっとそのうち泳ぐようになる。

ケーキの飾り付けにみる美的感覚

家人作、いつぞやのケーキ。 

そしておとといのケーキ。↓

美味しいのであっという間になくなる。
このケーキのデコレーションで気づくことは何か?
フルーツを同じ割合で置こうとしないところですね。2色または3色に分けるところ。こういうのってほんとイタリア的な感覚だなーと思った。
たぶん、日本の感覚で行くと等間隔にそれぞれのフルーツを置いていって、どこから切っても同じような割合でどちらのフルーツも食べられるように〜とか考えるんじゃないかと。
どうだろう、そうじゃないかもしれないけどこの二つの写真を見て少なくとも私はそう思った。
さあ、いよいよオリンピックがわけわからないことになってきた。本当にやるんだろうかと思って、ふと今まで見たこともなかった競技スケジュールをみたらきちんと書いてあった。一応。そうか、場所とか日程とか決まってたのか、と、ここで初めて知った。

「聖火リレーのための通行止め」のお知らせが、職場で、なんと職員一人一人に配布された。カラーの紙。オリンピック聖火リレー実行委員会、みたいなところからの紙。いらない。本気でいらないよ…。どこかに貼ってれば十分だろうに。1人1枚って。何やってんだろう??

そろそろワクチン回ってくるかなあ。打てる日を楽しみにしている。もうマスクは懲り懲りである。

Friday 18 June 2021

コロナで変わった生活


ぬか漬け。黄色いズッキーニとにんじん。

自分がそれほど漬物好きではないと思っていたけど、いざ作ってみるとこれは本当に美味しい。なぜ美味しいかというとそれが自然の味だからだ、と思った。菌によって発酵した味は、調味料を使って出せる味ではないから。ことばではわかっているものの実際に作って食べてみるとあらためて実感できる。

もう何度も書いたことだが、コロナのおかげで生活が一気に変わった。なんてことない日々の小さなことをきちんとやるようになってきた気がする。たとえばぬか漬けを作ってみよう、と思うようになったし、台所を拭きあげたりすることが多くなった。冷蔵庫とレンジの中を1日1回、さーっと拭くのが週間になった。ゆでた豆を冷蔵庫に常備するようになった。そしてもうかれこれ一年以上、パックに入ったいわゆる「菓子パン」を食べていない。美味しいと感じなくなったし、自分で作るようになったから。

既製品をみると「これって作れるんじゃないか」と思うようになった。食品は特にそうだけど。そのおかげか、うちはゴミが少ない。3人暮らしで週2回のゴミ出しだが、たいていビニール袋1つに収まる。

さて、ゴミ出し行ってくるか。

Wednesday 16 June 2021

ぬか漬けを始めた

先週、ラザニアを作ってもらった。肉使ってないけどとても美味しかった。 

これはきのうの夕飯。ケール、蒸し鶏、白いんげん豆、酢とオイルで漬けておいたズッキーニ。白いバルサミコ酢と、オリーブオイルと、マスタードで和える。それから左上はなすのぬか漬け。

こういうの食事が一番美味しいと感じる。

ぬか漬けは、自分には関係ないことだと思っていたのだが、先日、とある蒸し暑い日にスーパーで簡単にできるぬか漬けのもと(?)を見つけた。300円くらいだったので試しに買ってみた。難しいかと思っていたら、特にかき混ぜたりする必要もないらしい。ズッキーニを切って漬けてみたら翌日には美味しいぬかづけができていた。そんなに美味しいものだと思っていなかったのでそもそも始めようとさえしていなかったのだが、これはおいしい。シンプルな酸味が身体に染み渡る。ということで次はにんじん、なす、と日替わりで楽しんでいる。挑戦してみようと思えたのもコロナ効果かもしれないなあと思っている。

Monday 7 June 2021

皿とものづくりについて

 

じゃじゃーん!ケーキです。

…ただし、作ったのは私ではない。家人がケーキ作りに凝り始めて、回を追うごとに、よりきれいにおいしくなっていく。土台の完璧さは見ての通り。私はスポンジ系よりもこういうタルト系のほうが好きなので嬉しい。中のクリームは、マスカルポーネとヨーグルトとカカオ、らしい。上にクランベリーをのせている。

つい最近、お気に入りの皿(iittalaのターコイズとハニー、21cm)が割れてしまった。いっきに2枚。(私は割ってない。)いつものように、それほどショックではない。というのも新しい皿を選ぶのが楽しいから。楽天スーパーセールもあることだし、どの皿を買おうかワクワクしながらずっとネットを見ている。

が、ふと食器棚を見て考える:

本当に皿が必要なのか?

割れた分を補わなければいけないのか?

そもそも割れたということは出し入れが不便だったために割れたのであって、持っていた数が与えられたスペースに対して多すぎたとも考えられる。さらに、割れた2枚の皿はほとんど使っていなかった。iittalaは使い勝手が良い、と思うけど21cmの大きさを使うことはあまりない。使うのは17cmばかり。21cmは重すぎる、というのもあるかもしれない。

ということで新しい皿をネットで買おうとしたが、このように冷静になり、いったん手を止めている。

ちなみに写真に写っているのはiittalaの26cm。本当に大きくて重い。これはこれで家に1枚は必要。


最近、物を買うときに生産者のことを考えるようになった。当たり前かもしれないけど、生産者の苦労とか時間のかけ方とかを考える。この前、自分で自分のパジャマを作ってみたのもあるかもしれない。全然楽ではなかった。作ってみたら、ものづくりの大変さが少しわかった。ユニクロで、2000円もせずに買って、だめになったら捨てて、を繰り返すのが常だったが、少し考え方が変わった。

さらにタイミング良く、先日亡くなったデザイナーの高田賢三氏の自伝を読んだのも影響している。なかには山本 耀司氏のインタビューも載っていた。安く作られるものの陰には、苦しんでいる人たちがいるかもしれない、と書いてあったのが、分かっちゃいたけど印象的だった。

今ネットの「買い物かご」に入っているのはイタリアの皿と、波佐見の皿と、有田の皿。デザインとしてはイタリアのほうが良さそうな気もするが、どうやって作られたかとか手元に届くまでの過程とかを考えると、やはり波佐見、有田に軍配が行きそうだ。値段は後者が倍ぐらいする。おっと、その前にまず本当に皿が必要かどうかを考えるんだった…。

Monday 31 May 2021

Duolingo 61日目。

語学学習アプリDuolingoでフランス語を学び始めてきょうで連続61日を達成した。3月の春休みに帰省できず、なにかひとつ新しいことに取り組もうと思ったのがきっかけだった。Duolingoは今までも何度も使ったことがある。「かじる」程度だがいろいろな言語をやった。ただ、仕組みもいまいち分かっていなかったのもあり、長く続けたことはなかった。それが、一日も欠かさずに61日目を迎えたのだ。だいぶ習慣づいてきた。

フランス語は大学時代に1年ほど講義を取ったことがある。文法も語彙もイタリア語と良く似ていて、イタリア語がわかる者にとっては、かなりお得に、楽に学べる言語だ。そしてフランスとその文化には長年関心がある。ほかのどの言語よりも、「このフランス語が読めたらなあ」と思うことが多いので学ぶことにしたわけだ。無理のない程度に、1日最低2レッスン、10分間くらい勉強している。

なにごとも、初級というのは楽しい。特に外国語学習は。どんどん身に付く感じがするのは快感だ。それがある時点でつまずく。どこかで理解していなかったり、あるいは理解しているのに身についてなかったりする。そこに新しい事項を積み重ねると見事にぐらつく。ジェンガとか、ああいう積み重ねてタワーを作る感じに似ていると思う。だからどうしても復習をしないといけない。レッスンが完了すると次に進むことができるが、少しずつ戻って復習をする。まさに水前寺さんの歌った通りだ。

「一日一歩 三日で三歩 三歩進んで二歩下がる」

すると見事に過去の単語を忘れていることがある。いや、忘れているというよりは「ああそんなのあったな」と思う。

今のところ身近に話せるフランス人もいないので自分のフランス語がどの程度通じるのかはわからない。ただ、私の場合、学習動機は「フランス人と話したい」というよりは「フランス語を読めるようになりたい」のほうが強い気がする。

イタリア語と似ている、と先に書いたが、学習するうちに英語とのつながりもだいぶ見えてきた。英語はフランス語の影響を多大に受けてできた言語だ。ずーっと昔の英国の王様は、フランス語話者(というかフランス人)だったという歴史を考えると英仏のつながりは本当に強い。

今のところこのDuolingo学習にゴールたるゴールもないのだが、とりあえずは100日連続学習を目指そう。1000日連続を達成、という人もいるくらいなので道はまだまだ長い。

Monday 24 May 2021

パジャマを作った。

パジャマできた。連休終わりごろにいつものように「もめんやまきの」をうろうろしていたときのこと。ふと思い立ってパジャマのレシピを買うことにした。本当は子のズボンをつくるための綿麻の生地を買いに行っただけだったのだが、店員さんの声にのせられてつい買ってしまった。本当に作れるのか?と思いながらもやってみた。おそらく40年以上前に作られたのではないか、と思うようなレトロで不親切な説明書と格闘すること数日間。ついに完成した。
襟のところが発狂レベルに難しかった。あらためて、服作る人ってすごいなと思った。それにしても洋裁というのは料理と違って適当が許されない。もう少し経験をつめばその「適当」具合もわかってくるのかもしれないけど。横着なことをすると痛い目に遭う。直線縫いのバッグぐらいならいいけど。

ということでこの一着を作ってみて学んだのは「とりあえず言うことを聞け」ということ。

平日はミシンを出す余裕がないので毎週末ごとに少しずつ作っていった。大変だったんだけど、ふしぎと「次はどの生地で作ろうかな」とすでに考えている私。自分で作るのは楽しい。これは料理も同じですね。 

Thursday 20 May 2021

合気道の帯をなくした

 梅雨が始まったとしか思えない。毎日ジメジメしている。洗濯物は2日かかっても乾かない。

そんな中でもカッパを着て自転車で出勤している。公共交通機関にはまったく頼りたくない。しかもこの程度の雨で。朝から、そんなに他人とくっつきたくはない。首都圏の人々の抱える多くの不調の原因は電車通勤にあると思うのだが、電車通勤している人々はそれが当然になっているので疑問に思うことすらないだろう。

合気道の帯をなくした。道場にも忘れていないらしい。その日は、リュックに道着を入れて帰り、帰り道には図書館とスーパーに寄った。図書館とスーパーにも聞いてみたけど帯の落とし物はなかったということだった。財布等と違って誰かが盗むなんてことは到底考えられない。だって帯なのだ。

道着をリュックから取り出してカゴに入れたところまでは覚えている。そのときに帯があったかどうかは覚えていない。洗って干したときに「そういえば帯がない」と思った。たぶん。全然覚えていない。

これが気になって仕方ないのだ。ここ数日そのせいで悶々としている。どうしてなくしてしまったんだろう。ショックが大きい。いくつかの可能性を探ってみるがちっとも見当がつかない。

こういうときは考えるのも探すのもやめたときに出てくる場合が大きい。先日も、病院の診察券をなくして、探し続けていたがもう見つからないので再発行の手続きをとったらその翌朝になくしたほうの診察券が出てきた。そういうこともある。とりあえず探すのをやめて別のことに集中しよう。

Monday 17 May 2021

ケール、合気道

おとといの夕飯。ケールです。ついここ2、3年でスーパーでも簡単に手に入るようになった気がする。ほかの葉野菜に比べると割高だけど。 

栄養価がすごいというのはよく聞く話だが、何かがきっかけで食べてみたらとても美味しかった。苦くも固くもない。そしてレタスなどに比べると扱いやすい。洗いやすいし、切りやすい。ハサミでぱつん、ぱつん、と切ってちょうどいい。
これを自分で育てたいなあとよく思う。今のところ私の家にはそんなスペースはない。小さくていいので自分のための庭が欲しい。畑から収穫して野菜を食べることができたらどんなにいいだろう。

さて、緊急事態宣言延長により相変わらず近所のプールが閉まっている。こんなに、泳ぐには最適の季節だというのに残念で仕方ない。泳ぎたくて仕方ない。気がつくと「およぎたいなあ〜」とつぶやいている最近。

たいてい日曜の朝は9時ちょうどからプールに行っていたが、そうもいかないこの1ヶ月は、代わりに合気道に行っている。生活から水泳がなくなるとほんとうに運動量が足りないということがわかる。心拍数が上がるくらいの運動をしていないとどうも体が鈍ったような感じになる。というわけで合気道の頻度が上がった。といってもそんなに熱心に通っているわけではなく、珍しく先週と今週、2週連続で行った、というくらい。普段は「月に1回行けたらok」と思っている。

合気道をはじめてもう6年になる。「行ってない自分を責めない」がテーマで、ずっと続けている。月に一回行けたらok。

行くとこれが本当に気持ち良い。マスクしながらの稽古なので息が上がると辛いが、稽古が終わったときの爽快感はほかの何にも変え難い。そしてそのあとから来る疲労がまた気持ちいいのだ。夜はぐっすり眠れる。稽古後の昨夜は久々に夢を見ずに寝た気がする。そして今朝は筋肉痛。この程度の筋肉痛はちっとも痛くない。痛い部分の筋肉を普段使っていなかったということだ。これもまた気持ちいい。普段の生活にも知らないうちにメリットがある。たとえばどこか自信がついたような、精神的に強くなったような感じがして、姿勢もきれいになる。さらに合気道をしている間は余計な考え事をしない。ほかにそういうことってない気がする。

2ヶ月くらい行けないときもあるけど、とりあえず10年続けてみる、というのは自分で心に決めていることである。10年くらい続けないと「合気道やってます」と一丁前にはまだ言えない。やめない限りは続けていることになる。

Saturday 15 May 2021

ピッツァ、コロナ、「スマホ脳」

これは先週のpizza。なんと4種類。右半分は有機全粒粉100%が生地なので夕方に炭水化物を摂取する罪悪感が減って良いです。

口を開けばもはやコロナ関連の不満しか出てこないここ最近。もう少しパッと明るく生きたいものだなと思う。しかし文句言うのもこの国に住む一員としてやるべきことの一つであるようにも思う。ぼーっと生きてたらとんでもない方向に進んでいくのです。


プールに行きたいのにプールが閉まっている。前回の緊急事態宣言では開いてたのに。そして図書館も閉まっている。もういい加減にしてくれ…一年前と同じことやってるよ…。実家にも帰れるわけもなく。近くに住んでいる友達にさえ会えない。最近、疲れもあってズドーンと気持ちが沈むときがある。特に夕方。こういう波は以前はなかったと思う。抜け出したいのに抜け出せないような感じ。たくさん寝て朝になったら元気になっているんだけど。こういうときは運動するに限る。

先日、アンデシュ・ハンセンの「スマホ脳」を読んだ。これはもっと早く読むべきだった。めちゃくちゃ面白かったです。スマホを持ってない私ですら「こりゃいかん」と背筋が伸びる思いになったので、スマホの奴隷になっているそこのアナタにはぜひ読んでいただきたいと思います。といってもスマホに限らず脳についての有益な話が盛りだくさん。

その中にあった、「やっぱり運動はいいですよ」という話を読んでますます体動かすことを意識せねばと思うようになった。具体的には一週間に45分間x3回の運動。それ以上やってもあまり効果はないらしい。ウォーキングでも良いんだけどある程度心拍数が上がるような運動、だそうです。そうすると合気道なんて完璧にこの条件に当てはまっている。水泳もなんだけどね、本当は…。週三回もできてないけど私の場合は30分近くを自転車に乗って職場に通っているので、これもある程度運動だろうと思っている。

さて、ピッツァは美味しかったです。一回で食べ切れるわけもなく。朝も晩も風が気持ちいいなあ。なんていい季節なんだろうなあ。そろそろポロシャツを出そうかなと思っている。

Wednesday 5 May 2021

連休5日目。特別なことをしなくてもよい。

やろうと思っていた万年筆の手入れ。インクを変える前に一晩、水に漬けておく。毎回、ガラス瓶と色水が美しくて写真をとってしまう。面倒でも楽しいのが万年筆いじりである。

さて、5連休最終日。

どうなることかと思っていたが平和に終わりつつある。よかった。どこにも行けずに毎日同じことをするしかないけど「毎日同じことができる」という喜びもある。

だいたい毎日天気が良く、公園へ行っている。朝10時ぐらいに私が先に出て、公園のベンチで1時間くらい本を読み、子たちは後からくる。保育園の友達と会えることが多く、喜んで遊んでいる。どんなおもちゃより遊び道具より、友達に勝る魅力的なものはない、というのが見てわかる。どの子を見てもそうだ。友達に会うと表情がいっきに変わる。この4日間でだいぶ転けて怪我したりしているのだが、それもよかったと思う。というのもこの数日でより活動的に、よりたくましくなったように見えるから。


どこか、近場の子供向け施設へ連れて行ってあげたほうがいいのだろうかと考えることもあるが、それは大人の思い込みなのかもしれない。何か特別なことをしてあげるのが「子」孝行であり理想の親である、みたいな固定観念があるだけなのかもしれない。

というのも本人はもうじゅうぶん楽しそうで、そもそも「おやすみ」がこれだけ続き、親と一緒にいられるということだけでこんなに幸せそうである。何がしたい、と聞くと「自転車で公園に行きたい」と言う。

普通が一番しあわせなのかもなあ、と思う。これはコロナでもたらされた考え。いやもちろんそんなことは、言葉では分かっているんだけど、実感できたのはコロナのおかげ。ちょっといいアイスクリームを買ってあげようかと思うんだけど本人が欲しいのはあくまでもいつもの「ピノ」。

さて、おかげで読書がはかどった。土井善晴さんの「くらしのための料理学」と「料理と利他」をいっきに読んだ。それからロアルド・ダールのAn African Storyを読み終え、A Piece of Cakeを読み直した。そして今はアンデシュ・ハンセンの「スマホ脳」を4割くらい読んだ。これらすべて、公園のベンチで読む。どの場所よりも私にとっては読書がはかどる。少しだけ人の話声が聞こえてくるぐらいの場所。こどもが駆け回っていたり、時々ボールが飛んできたり、いろんな世代の人が散歩で通る場所。見上げると5月の空はこんな感じ。最高の季節である。

Friday 30 April 2021

モナリザの修復

布一枚で作っていたために破れかけていたモナリザのトートバッグを作り直した。

経験ある人はわかると思うが一度縫ったものを解体するのはたいへん面倒、かつ気の進まない作業である。なにしろ、せっかく作ったものをゼロに戻すのだから。糸を外したくないなあと思っていたが、裏布で別に袋を作って入れ込み縫い付けるとなると、きっとゴワゴワするだろうということは分かっていた。もめんやまきのさんにも相談したところ「面倒だけど一回元に戻す方がいい」と言われた。ということでしばらく前に黒い布を買ってきた。そして全部解体した。

作ったのは去年。布一枚で薄いからこそ使いやすかったが、せっかくのきれいな生地がくしゃくしゃになるのがもったいなくもあった。いわゆるエコバッグ的な使い方をするのはこの生地には向いていなかったのだ。今回、解体したのをきっかけに接着芯を貼ることにした。

すでに切った布を使うので裏地も接着芯も寸法が分かっていて、扱いやすかった。こどもが西部劇を見ている間に出来上がった。完成品はこの通り。うむ、やっぱり生地2枚のほうがいいです。しっかりしているので本とかも入れられる。あらためて気に入った。

隣の食べ物はパネットーネと紅茶。今朝5時。ヨークシャーティーの出番もそろそろ終わるなあ。

朝日が出るのが早すぎて困る。きょうは子供が5:40に起きてきた。それより早く起きようとする私は5時。どんどん早くなる。

以下おまけ:
きのうの夕飯はpizzaでした。


Tuesday 20 April 2021

「きょうはな〜に〜」

 毎日、保育園に迎えに行くと、子どもたちが「きょうはな〜に〜??」と言いながら私のところにくる。何かというと、私のピアスを見たいらしい。「きょうはお花だよ」と言うと、そーっと触りながら「かわいい〜」と言ってくれる。そのうちに私も「きょうはこれだったら喜んでくれるかな」と思いながら選ぶようになってきた。たくさんのコレクションがあり、毎日違うものをつけているのだが、どんなに気に入っていてもなるべく前日とは違うものをと思うようになった。

昨日はふと、新しい石を買ってみた。選ぶ間も当然頭にあるのは保育園の子供達のこと。極度にキラキラしたものを選んでしまった。家に帰ってペンチを使ってピアスにする。どんな反応をするだろうかと思いながらお迎えに行ってみたらきょうはいつもより大勢の女の子たちがいっきに群がってきた。「かわいー」「かわいー」といいながらみんな触っていく。「ありがとう〜 みんなもかわいいよ〜」と言いながら頭を撫でる。

これが私の日常である。どんなに疲れていても、植物が水を与えられるように、一気に心が潤う。

こどもは最高だ。裏がない。すべてが本物なのだ。相方と「大きくなってしまうのが残念でもある」と言いながら保育園を後にする。

Tuesday 13 April 2021

かけがえのない4月の疲れ方

 

いやー、忙しかった。先週は本格的に仕事が始まり、毎日疲れた。

だけど!疲れるんだけど!この疲れ方がいい。授業の疲れ方はいい種類の疲れ方です。夜はとにかくよく眠れる。5時間授業するのと5時間会議または作業するのでは全然違う。

去年の自粛期間中、「あれ、疲れてないな」とふと思った。人前に立つことがまず無い。そして50分間、座らずにいることが1日のなかで一度もなかった。

こうやって、4月の爽やかさを全身で感じ、疲労を感じられているのはかけがえのない喜びだと思います。ちょっと肌寒いくらいで、みんなの目がキラキラしていて緊張で肩がこわばっていて…という4月。やっぱりいいよね。

マスクが残念だけど、変化がマスクで済むなら(つまり4月をこうやって迎えられるなら)こんなにありがたいことはない。

というわけで雨始まりのようだけど今週もがんばろう。

きのうは休みだったので、自転車の空気入れたり髪切ったり、お気に入りの公園で読書をしたり坦々麺を食べたりしました。エネルギーチャージできた。

Tuesday 6 April 2021

咳は病院で治す

 咳がひどくて眠れないことが3日ばかり続いた。睡眠が妨げられるのはほかのなにより辛い。日常生活に支障が出る。きのうの朝、病院に行ってみることにした。少し待って、診察。念のためレントゲンもとる。採血もする。痰を出しやすくする薬と、アレルギーの薬(花粉症のときと同じ)と、吸入器を処方してもらった。吸入をするのは初めてなので怖かったが、寝る前に恐る恐るやってみた。するとみるみるうちに息がしやすくなる。すごいなこれは。それからよく寝た。本当によく寝たと思う。9時から5時45分まで。夢は見たけど、それでも途中で起きなかった。朝起きたときに気持ちよかった。

咳が出るときはどうしてもイライラする。話したくても話せない。話すと咳き込む。イライラは周りの人にもよくない影響を及ぼすのでやっぱりすぐに医者に行くべきである。治るだろうと思ってもちっとも治らないのが咳。そしてこのくらいは大丈夫だろう、と毎日思ってしまうのが咳。

Monday 5 April 2021

「かじゅえんゼリー」を作った

毎週末、こどもと一緒に図書館に行って本を借りていた。しかし、毎晩読むとなると私もさすがに新しいのが読みたいなと思うようになる。いくら面白くても毎日同じものを読むのは飽きる。家にもたくさん本はあるが一度読んだことあるので「どういう話だろう」という楽しみもない。そんなわけで仕事の行き帰りに図書館で2,3冊借りて帰ることが多くなった。なにせ図書館は近所なのだ。

子はすべてが気に入るわけではない。これは好きだろうなと思って借りた本でも「これもういや」と言うときもある。理由は不明。その反対に、毎日読みたがるような本もある。借りた本のなかでどれがヒットするかわからない。「ポテトむらのコロッケまつり」というのは最近のヒットだった。延長してまで借りた。

もうひとつ、これは意外なヒットだったのだが、「おいしいものつくろう」という本。あらいぐま一家と、うさぎ一家が、朝ごはん、昼ごはん、夕ご飯をつくる。「ぱっくりドッグ」とか「オムレツ・フラメンコ」とか料理名もかわいい。作り方が載っているのだがそれは詳しいレシピではない。

そのなかで「かじゅえんゼリー」というのがあって、これをつくりたいと以前から言っていた。金曜の夜に読んだときにまた言っていたので、よし、明日はゼラチン買いにいくか、ということになった。牛乳とゼラチンと砂糖とフルーツ。

さて、土曜。ふたりでスーパーへ。「ゼラチンはどこかなー」とか「桃がいいよ」とか言いながら材料を買った。「ぜんぶある?」と材料がそろっているかを訪ねるこども。かわいい。「大丈夫だと思う」と答えた。

いくつかのウェブサイトに載っているレシピを比較しつつ作ってみた。練乳を買ってくりゃよかった、と思ったが砂糖にした。

メモがわりに以下にレシピ:

・ゼラチン5gを水大さじでふやかす。

・牛乳250ccと砂糖大さじ3 ⇨ 火にかける。沸騰させない。

・ゼラチンを入れて溶かす。

・みかんの缶詰1/2といっしょに容器に入れ、あら熱が取れたら冷蔵庫へ。


所要時間はたぶん10分くらい。まあこんなもんかなー、ゼラチンなんて久しぶりに使ったなー、と思いながらほぼ半信半疑でやってみた。

夕飯後、デザートにと冷蔵庫から出したらこれが美味しい。プリンみたいだった。こんなに簡単なのか。これだったら、出来上がったものを買うより断然おいしい。最初は牛乳なんて入れなくていいんではないかと思っていたのだが、このコクがなんとも言えない。これはリピートして作ろうと思った。子は無言で食べていた。

コロナがはじまってこの1年間、「だったら自分で作れば良い」と、手作りに時間をかけることが多くなった。パンがその代表である。慣れてしまえばなんてことはない。単純に、やったことがなかったため大変だと思っていたというだけである。家庭料理だって、レトルトを使ったほうが楽だと考えていたし外食が美味しいと思っていたのだが、ここ数ヶ月で土井善晴さんの本を読んでガラリと考えが変わり、急に手作りが苦ではなくなった。こどもに何が食べたいかときくと「おにぎりとみそしる」と答えるようになった。結果、レトルトは買っても減らない。これはやはりこどもがいるおかげというのもある。

よく「丁寧な暮らし」と言うが、実はそれが当たり前だったはずなのだ、ずっと昔は。ゴマは摺るものであり、最初からすったゴマが売ってあることはなかった。忙しい忙しいと雑多なことがらに追われて、「食べる」という、生きるための基本的な行為をほぼないがしろにしている現代人。コロナ禍でパンを焼くようになった人たちは多いと聞くが、やはり自分の生活を見直すという点においてはコロナがもたらした恩恵はかなり大きいのではないか。

Thursday 1 April 2021

イタリア大使館へ

3月さいごの日、我々はイタリア大使館へ。コロナで外出の機会が減っているせいか、とても遠くに出かける気がした。
東京タワー周辺、三田とか麻布とかいう地域。まったく慣れない。同じ東京とはいうものの雰囲気がだいぶ違う。写真は大使館入口。 

大使館でのやりとりは当然イタリア語。そこにいる人たちもイタリア人。となると子の話す言葉がこの日に限ってはイタリア語の割合が多い。

大使館の入り口ではまた例によって警備の人と会話が始まる。こどもは消防士の格好をしていったのでそのことついて一生懸命説明していて、警備の人もいっぱい質問してくれるし、しっかり目を見て笑っている。

お昼にふらりと入ったLa Giocondaというトラットリアがめちゃくちゃ美味しかった。正直言って、やっぱりほかの「イタリアン」レストランは本物から程遠いということがわかった。イタリアで食べたことがあればすぐにわかるレベルの違い。

そこで働いている人もイタリア人。周りにやってきたお客さんもおそらく大使館勤務のイタリア人。

ただのランチなんだけど対応の柔軟さがまさにイタリアで、いわゆる、用意されている「ランチメニュー」にないものを頼んでもだいたい作ってくれる。そしてだいたい、こどもには「なまえは?」と聞いてくるし、みんな優しい。メニューにないはずのシャーベットをおまけにくれた。最後にはお互い自己紹介しあって、レジのところで握手して別れる。これは、「美味しかったし、サービスもよかった。満足した」という証なのだ。

こうやってイタリア的な環境に身を置くと、ふだん東京にいて、周りからどう見られるか、嫌がられたりしないかをどれだけ気にしているか、つくづく思い知る。そういうつもりはなくても東京にいると公共の場でビクビクしているのだ。

知らない人と会話をすることがごく日常のイタリア。これが日本人にとってとてつもなくハードルが高い。

さて、きのうの、こどもの夕飯。

ホットドッグです。まったく手間がかからない割に、子は喜んで食べるので時々必殺技として繰り出している。4歳にしてはめずらしくマスタードを食べる。


Wednesday 31 March 2021

園長先生さようなら

 

今朝6時。クロスタータをみつめるレゴ消防士さんたち。

3月末ということで保育園の職員さんたちも異動になる。担任の先生や園長先生の異動が月曜に発表され、少し寂しい気持ちになった。

特に園長先生は保育園の始まりから2年間お世話になった。統合した園をあらたに作り上げていくことの難しさは計り知れない。大規模園での責任の大きさもあっただろう。そして途中でコロナ休園という打撃。それでもこの2年間、保育園はとても明るく楽しい場所だった。一度も「ここは大丈夫なんだろうか」とか対応に「?」と思ったことがなかった。

職員の保育士さんたちはいつも楽しそうで、風通しのよい職場であることが見て取れた。これは管理職の力だろうとはっきりとわかった。

そして透明性のある園で、何から何まできちんと説明がある。隠しているところがないことで保護者の信頼はますます得られたと思う。

それにこれは当たり前なのかもしれないが、職員が「一枚岩」であること。人によって違うことを言ったりしない。対応がきっちりと一貫している。これは本当にすごいことだと思う。とても若い先生などいる中でこの対応が組織でできるということは指導も行き届いているということだと思う。連絡も、1人の先生にしておくとほかの担任にもしっかり伝わっていて、この横の連携の速さと正確さにはいつも感心した。こどもを通わせる保育園は現在で3園めになるので、どの園もこういう連携ができているわけではないということを知っている。

いいことを挙げ出したらキリがないのだがこれは園長先生に伝えておきたいと思って昨日朝、手紙を書いて渡しに行った。涙ぐみながらとても喜んでいらっしゃった。保育士ってなんて素晴らしい職業なんだろう。次の園でもたくさんの子どもたち、保育士、保護者を笑顔にしてほしい。

Tuesday 30 March 2021

クロスタータ、「ひ」

 久しぶりにクロスタータを作った。これは、自分が食べたいから作る。パンはどちらかというと食べたいからというより焼きたいから焼くのだが、これは純粋に食べたいと思う。チーズケーキもそう。

そしてきのうの夜はpizzaでした。ピッツァを見つめるレゴ消防士さんたち。

ちなみに赤と、白と、銀のヘルメットのチームがいる。ここに集まったのはすべて「カスキ・ビアンキ」らしい。イタリア語で「白いヘルメット」の意味。

子が文字を読んだりお絵描きをしたりということに手をつけないのでこれはなんとかせねばと思った。まずは家のなかにあいうえお表を貼った。おふろにも貼った。それから約一週間、相変わらず興味は示さないしみようともしない。ただ一文字、どうやら覚えたものがある。それは「ひ」。教えてあげてもたいてい「わからない」とか逃げ出したりするのだが、これだけは拒否しなかった。消防士にとって「ひ」は大事な字だよね、と教えてあげた。きょうになったらまた忘れているのかもしれないけど、とりあえず一歩前へ。

Monday 29 March 2021

3月末の雑感

週末はストレスがたまる。日曜の朝、起きてから「あ、なんだまだ休みか」と思う。月曜が楽しみなのだ。こんな日が来るとは。家はなにかと疲れる。

良い季節なんだけど、桜が咲くのが早すぎる。新年度の準備をしながら、見上げると満開の桜が…というのが例年だけど今年はそれより一週間早い。とても変な感じがする。そして春休みはたいてい26日あたりから一週間ほど子供をつれて両親のところへ帰るのだが今年はそうもいかない。

こどもが生まれる前は海外に行っていた。どんなにやることがあってもしっかり一週間休みを取る。だらだら働くより仕事にもたらす効果が大きい。これまで春休みに行ったのは、ベトナム、カンボジア、フィリピン、ニューヨーク、イタリアなど。成田に着く4月の3日あたりの光景はだいたいいつも同じだった。肌寒く、空はだいたい灰色(東京はいつもそう)。ちょうど成田空港からのリムジンバスで、高速道路を走り、都心に近づいて外をみると満開の桜があちこちに見える。千鳥ヶ淵の見応えのある桜。時差ぼけの頭で激しい眠さがあってもその時だけはしっかり起きて窓からの景色を堪能しようとしたものだった。

今考えると夢のようだ。ずっと東京にいるため、どうも区切りがないような、ぼんやりした感じで3月末を迎えている。物理的にその場を離れると日常のありがたみが分かるし仕切り直しができるので好きなのだが今年はそういうわけにはいかない。

移動することが稀になってきたら、いつの間にか移動が億劫になってきた。いや、億劫というか、移動することのデメリットを無意識に考えようとしている。飛行機はどうせ酔うし、とかお金がかかるし、とか、海にいったらいつ津波が来るかわからないし、とか。いずれも正当化という行為だろう。自分が毎日毎日同じ場所にいることの意味を見出そうとしているんだろう。

こんな毎日を支えてきたもののひとつにNHKラジオがある。中一のころから聴き続けてきたけど家にいる時間が長いこの一年は特によく聞いた気がする。そんななかで「実践ビジネス英語」の講師、杉田敏さんが3月でラジオを引退されるという。これはショックだった。いつまでもあると思っていたので来年あるのかなど疑いすらしなかった。4月からどうやって生きていけばいいんだよとさえ思ったくらいだ。NHKのウェブサイトには早速「杉田ロスにはさせません」と書かれてあった。そこで売られているCDブックなどを有効に使って勉強を続けたいとは思うが、それにしても毎週更新されるラジオにかなうものはない。

せっかく時間があるのでduolingoに取り組んでみようと思っている。duolingoは他言語学習アプリで、これは結構力がつく。ゼロからスウェーデン語をやったときは結構身についた。で、何をやるかというとフランス語。やったことはあるし、結構知ってる単語も多いし、映画見ていて聞き取れる表現もあったりするのだが曖昧なまま終わらせているのでこの春もう一度やってみようと思う。

読みたいと思っている本もいくつかあるのだが、まずは読みかけのを終わらせてしまおう。今読んでいるのは「世界史をつくった海賊たち」。これは面白いです。まだ半分も読んでないけど。

Saturday 27 March 2021

東京国立博物館へ

御茶ノ水の病院に乳がん検診を受けに行ってきた。人生初である。この年齢だったらエコーで良いでしょうということで痛みを伴うこともなくあっという間に終了。結果は来月送られてくる。

身体、家、モノ、なんであれメンテナンスと修繕をすることが好きだ。今月は特に、時間に余裕があるのでそれらに時間がかけられる。

天気も良く、差し迫った用事もなく、桜も満開ということで、ふと上野に行ってみた。せっかくこっち側まで来たんだから行ってみようと思った。ちょうどきのう知人が上野の桜をインスタで紹介していたのも思い出した。

と言っても目当ては桜よりも博物館。東京国立博物館はお気に入りの博物館である。常設展はいつも混んでいないし安いし見応えもある。今回はキャンパスメンバーズというやつで無料で入ることができた。

お花見特集で、浮世絵がいつにもまして粋だった。館内は当然ながら空いている。ミュージアムショップで旧版の美術書セールがあり、「すぐわかる」シリーズのキリスト教絵画についての一冊を550円で手に入れた。実際は2000円。

美術館や博物館はこうやってふらっと行けるのが望ましい。人気展となるとごった返して展示を見るどころではなくなるのだが、国立博物館はたいていいつも空いている。

Friday 26 March 2021

レゴに夢中

きのうの夜、こどもが熱心に作成していた「しょうぼうしょ」。



とてもよくできている。消防士さんたちはちゃんと寝ている。サイレンが鳴ると飛び起きるらしい。
近くで見るとこんな感じ。
手前にならんでいるものは「ジュース」。

逆側から見るとこんな感じ。

そして注目のポイントはここにあるそう。外に出るとヘルメットがかかっている。芸が細かい!レゴの小ささをわかる人ならこれがどれだけ細かいことかわかるだろう。「きれいなおはなも咲いている」らしい。
ゴーストバスターズはもうそんなに好きじゃないらしい。やっぱり消防署がいい、と言っていた。

その一方で、いっこうにクレヨンをもったり折り紙やパズルで遊んだりということに興味を示さない。無理強いしてはいけないと思いながらも少しずつきっかけをつくってあげたいとは思う。そしてどうやら本人の中に「ぼくはどうせできない」コンプレックスがある。

 

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...