仕事の話。
金曜日は忙しい。朝から5つ授業がある。疲れる。疲れるが、昔(10年ほど前)に比べれば疲れないようになってきたと思う。担任をしていないので結構余裕があるせいかもしれない。授業だけに集中させてもらえてありがたいことである。それに加えて、理由として考えられるのは「1人でがんばる授業」をやめたおかげだと思う。具体的にいま、授業をどういう流れにしているか、書いてみる。
★レッスンの最初のセクションの場合
*1. 内容についてイントロ
2. 本文きく
3. 黙読
4. 単語(英英)
5. Q&A5つくらい(生徒どうしで)
6. 注意する箇所いくつか
*7. 音読
このあとは時間の残り方により、パラグラフチャートを口頭で埋めたり、ディクテーションをしたり文法のまとめ問題を扱ったりする。
*第2セクション以降であれば1の時間は復習に充てる。前の時間にできなかったパラグラフチャート、ディクテーションシートを使ったり音読したりする。
*コロナでは7の音読を省いていたが最近復活させつつある。
*2を省いて3から始めることもある。いずれにせよ簡単なQを3つくらい提示してから始める。
以上の間に私が単独で最も長く「しゃべる」場面は6だろう。それでもせいぜい3分間ぐらいだ。人の集中力が続くのは、5分、どんなにがんばっても10分ぐらいじゃないかと思っている。この時間をいかにして短くするか、それが教員になってからずっと課題だった。それがいつの間にか自然と短くなってきた。
この部分にすべてを詰め込もうと思わないことだ。時間内にすべてを言い切らねばというプレッシャーから解放されるとだいぶラク。自分がしゃべったことでよしとするならそれは教える側の傲慢だろう。生徒に押し付けて「わかった」ことにさせている。実はその間、生徒の頭はほぼ動いていない。
「ひとりでがんばる授業」をやめた、と書いた。「がんばって」いたのは上記の「説明の時間」のほかに「オーラルイントロダクション(OI)」もある。キーワードを拾って、英語で内容を「イントロ」してあげる手法。
それ(OI)にともなって最後の活動はリテリングとなる。これをセットでやらねばならないという固定観念というか義務感のようなものがまるで怨念のように長年取れなかった。大学ではそれ以外習ったことがなかった。
ふと気づくと生徒は自力で文章を読めていなかった。読む機会さえ与えていなかった。そこでだんだんとやり方を変えていき、今の手順に至った。
今のところ、これで落ち着いている。簡単に書いたがここに至るまでに10年以上がかかっている。授業前にドキドキ、ヒヤヒヤしなくなった。
しかし、度胸と自信と経験がついた分、準備不足なところはきっとある。「初心」を忘れてはいけないのだろうがもはや思い出すのが難しくなってきている。戒め。
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珍しく、仕事のことについて書いてみました。報告書や実践記録を書くとなると結構気を張らねばならない。だからこうやって日々思ったことを綴るのがいいのかもしれないですね。
きょうは天気がよかったので、昼は家族でピクニックをした。ただのおにぎりなのに、外で食べると特別においしい。わかりきったことでも実践を伴うと感動さえする。