Friday 4 February 2011

Firenze、フィレンツェ

どうもここのところフィレンツェが恋しい。
ここ3年くらい行っていない。
フィレンツェ在住の人のブログを見ると街の写真がある。
恋しくて「ううう」と1人うなっている。

私にとって、あんなに「歩きたくなる街」は、ほかに無い。
地図を持たずにだいたい道が分かる唯一の異国の街でもある。
あの小ささにしては、退屈しない。
店のセンスも良い。
食べ物がおいしいのは言うまでもなく。
人懐っこい人たちが多い。

何よりも街が素敵だ。
道も、建物も、街灯も、くらくらするほどに素敵なのだ。
あの街にいると自分まで素敵になったかのような気分になる。

ほかの街に対するあこがれのようなものとは違う。たとえばパリとか。
フィレンツェに対しては、もはや旅の緊張感というものが無い。
あの空間にいることがむしろ安心感をくれるのだ。

今までの二十数年間においてフィレンツェを超える魅力的な街はほかに無く。

具体的に何が恋しいわけでもない。
ただフィレンツェを歩きたい。




と、ぼんやり考えるここ最近。

Wednesday 2 February 2011

先生はすごい

今日はお休み。
太陽が見えないからちょっと寂しいのだけれど。

「特にでかけたりせずに、おうちで掃除したり洗濯したりケーキ作ったり本読んだりしてゆっくり過ごす」と昨日の時点では言っていたのだが、もう既に「どこか行きたい」モードに入っている。
せっかくの平日休みだし、街に人少ないんだし。

そういえば先日、小学校5,6年生の時に担任してもらってた先生と電話で話した。
先生は酔っ払ってたこともあり、とてもご機嫌な口調で、始終嬉しそうだった。


いきなり

まだ自分の能力を信じきってないんじゃないか?
本当はもっと色んなことがやりたいんじゃないか?

と言われてとても驚いた。
まさに最近私が考えていたことだったから。
別に誰かに相談したわけでもなかったし、先生と話すのは実に1年以上ぶり。
10年以上会っていない。

なのにこのタイミングで、先生からこれを言われるとは。
さすがだ、と思った。
見抜いてらっしゃる!!



小学校時代というのは人生でとても大事な時期だった、と思う。
まだ人生終わってないし、ほかにも大事な時期はあったけど。
一番よく言い表せる言葉があるとしたら

「濃い」

時代だった。

目にするもの、聞くこと、触れるもの、一つ一つが新しく、神経はびんびん反応し、感覚はは研ぎ澄まされ、ありとあらゆる事象にアンテナは届き、脳みそがぐるんぐるん活動していた。
めくるめく、小学校時代。


先生とは高学年の2年間を過ごしたわけだが、今となっても先生は実に大きな存在である。
2年間どころじゃなく、ずっと先生だ。
先生のことは、私が死ぬ瞬間まで絶対覚えているという自信がある。

小学校を卒業して、中学、高校と進み、この先生が自分に与えた影響について振り返った。
「めっちゃすごい職業だ」とあらためて思った。

「教師」というのは小さい頃から、一番身近にある職業だった。
そして、いい意味でそれを「重い」職だと思っていたし、たいへん意味のある職業だと思っていた。

今になっても、やっぱりそうなのだ。
この前、酔っ払った先生の声を聞いて、純粋に、まるで小学生みたいに、

「やっぱり先生ってすごいな」

と思った。
尊敬できる先生に、会えてよかった。
10歳の、4月のあの瞬間から、この人を「師」としたのだ。
それが先生でよかったです。

どうか、遠くから見守り続けてください。
立派な大人になります。

いっさいはんは最強

 1歳半。 めいは1歳半である。26日から帰省していて、弟の一家と一緒に過ごしている。姪が2人。ひとつ屋根のしたに8人がいる状態。たいへん賑やかでいつもどこかから泣き声やわめき声が聞こえている。こどもの声は高くていい。なかでも1歳半の姪は、もうどこを切り取っても、おもしろくて、た...