Wednesday 30 June 2021

ワクチン、ゆで鶏

もうすぐワクチンの接種権が配られるはず。待ちきれない。少しでもこの状態から脱する方法があるなら一刻も早くその手をとりたい。

ワクチン反対派の人たちというのは相変わらずいて、職場でもくよくよと「でもねぇ、ワクチンはねえちょっと」とか言ってる人たちもいる。家族にもそういう人がいる。これは考えを変えることができない一件だろうなとあらためて思う。わかりあうことを前提にはできない気がする。ワクチンが不審、という人は誰が何と言おうと不審なのだから。だから説得しようとは思わない。だけど、そういう人には周囲の人に対する責任は?と問いたい。

しかしまあ分断が進んじゃったなあ、この一年半で。本当に会いたいと思う友達もだいぶ限られるようになってきた。まあ歳もあるだろうけど。

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さて、まったく関係のない料理の話をひとつ。

私は全くと言っていいほど肉を買わない人だった。家で肉を調理することがまずなかった。最後に買ったのは、冬に筑前煮を作ろうと思って鶏肉を買った時ぐらい。あとは日常生活で、家で肉をまったく食べることがない。

そんな私が、ためしにと思って「蒸し鶏」あるいは「ゆで鶏」を作ってみたのは二週間くらい前。スーパーで、鶏むね肉が安く手に入った。なんとなく鶏肉が食べたい気分だったというのもあるだろうけど、珍しく買ったのだった。

「蒸し鶏」と、適当に検索して出てきたのは本当に適当なレシピばかりで、とにかくゆでれば良いということがわかった。鍋にいくらか酒と、鶏がらスープをパラパラと入れてゆでた。これが美味しい。しかも2、3日はもつ。

かくして我が家の常備菜となった。夕飯も手間がかからずたんぱく質がとれるようになった。

Sunday 20 June 2021

水中じゃんけんで水に顔をつけた話


久々に子供メモ。

6月からプールが再開して以降、一緒にプールに行くようになった。冬だと嫌と言っていたが、今は嫌と言わなくなった。季節というのもあるかもしれないけど嫌っていないということは、これは貴重なことであると思っているので、この事実は大切にせねばと思っている。

私はしょっちゅうプールに行きたい人間なので、しょっちゅう子を誘う。そうすると土曜の午後に「おふろ代わりに」行くことが多くなった。

泳ぐことはできないが腕輪(?リサイクルからもらってきた)みたいなものをつけて浮かんでいるだけで楽しそうだ。去年の今頃は私がずっと抱っこしてなければいけなかったのだが腕輪で浮かんでいる分本人の自由があって嬉しいのだと思う。

以前まではこどものための「水深70cmの日」を狙って行く必要があったのだが今はこの腕輪のおかげで水深1.1mの普通の日でも行ける。

「顔をつけてみたら」とか言ってみるもののいっこうにやろうとしないので、半ば諦めていたのだが、最近、だんだんと顔をつけるようになってきた。

先週は、プールサイドからじゃぼんと入ることが楽しかったらしくて、それがきっかけで顔が水の中に入った。そしてきのうは、私と水中じゃんけんをすることにしたら、いっきに顔をつけ始めた。びっくりだ。きっと、ずっとやらないと思っていたのに。

焦らなくていいんだなあ、となかば呆れたように感心する私。1人の人間の、なにかを学ぶ姿というものをこうやって見せつけられている。

通常のスイミングスクールなどで教える手順はほかにもたくさんあるんだろうなと思う。足をバタバタさせる練習とか、浮かぶ練習とか。顔をつける段階ももっと早いんだろうと思う。だけどこの人にはこの人のスピードと順序いうものがある。そしてなにより、強いることで上達することはない。強制は逆効果にしかならない。

それがわかっていても焦るのが親なのだろう。「どうしてこの子は〜ができないんだろう」と知らない間に考えていることが多い。

4歳10ヶ月の今、水に入ることが楽しいと思えているだけで上出来なのだ。きっとそのうち泳ぐようになる。

ケーキの飾り付けにみる美的感覚

家人作、いつぞやのケーキ。 

そしておとといのケーキ。↓

美味しいのであっという間になくなる。
このケーキのデコレーションで気づくことは何か?
フルーツを同じ割合で置こうとしないところですね。2色または3色に分けるところ。こういうのってほんとイタリア的な感覚だなーと思った。
たぶん、日本の感覚で行くと等間隔にそれぞれのフルーツを置いていって、どこから切っても同じような割合でどちらのフルーツも食べられるように〜とか考えるんじゃないかと。
どうだろう、そうじゃないかもしれないけどこの二つの写真を見て少なくとも私はそう思った。
さあ、いよいよオリンピックがわけわからないことになってきた。本当にやるんだろうかと思って、ふと今まで見たこともなかった競技スケジュールをみたらきちんと書いてあった。一応。そうか、場所とか日程とか決まってたのか、と、ここで初めて知った。

「聖火リレーのための通行止め」のお知らせが、職場で、なんと職員一人一人に配布された。カラーの紙。オリンピック聖火リレー実行委員会、みたいなところからの紙。いらない。本気でいらないよ…。どこかに貼ってれば十分だろうに。1人1枚って。何やってんだろう??

そろそろワクチン回ってくるかなあ。打てる日を楽しみにしている。もうマスクは懲り懲りである。

Friday 18 June 2021

コロナで変わった生活


ぬか漬け。黄色いズッキーニとにんじん。

自分がそれほど漬物好きではないと思っていたけど、いざ作ってみるとこれは本当に美味しい。なぜ美味しいかというとそれが自然の味だからだ、と思った。菌によって発酵した味は、調味料を使って出せる味ではないから。ことばではわかっているものの実際に作って食べてみるとあらためて実感できる。

もう何度も書いたことだが、コロナのおかげで生活が一気に変わった。なんてことない日々の小さなことをきちんとやるようになってきた気がする。たとえばぬか漬けを作ってみよう、と思うようになったし、台所を拭きあげたりすることが多くなった。冷蔵庫とレンジの中を1日1回、さーっと拭くのが週間になった。ゆでた豆を冷蔵庫に常備するようになった。そしてもうかれこれ一年以上、パックに入ったいわゆる「菓子パン」を食べていない。美味しいと感じなくなったし、自分で作るようになったから。

既製品をみると「これって作れるんじゃないか」と思うようになった。食品は特にそうだけど。そのおかげか、うちはゴミが少ない。3人暮らしで週2回のゴミ出しだが、たいていビニール袋1つに収まる。

さて、ゴミ出し行ってくるか。

Wednesday 16 June 2021

ぬか漬けを始めた

先週、ラザニアを作ってもらった。肉使ってないけどとても美味しかった。 

これはきのうの夕飯。ケール、蒸し鶏、白いんげん豆、酢とオイルで漬けておいたズッキーニ。白いバルサミコ酢と、オリーブオイルと、マスタードで和える。それから左上はなすのぬか漬け。

こういうの食事が一番美味しいと感じる。

ぬか漬けは、自分には関係ないことだと思っていたのだが、先日、とある蒸し暑い日にスーパーで簡単にできるぬか漬けのもと(?)を見つけた。300円くらいだったので試しに買ってみた。難しいかと思っていたら、特にかき混ぜたりする必要もないらしい。ズッキーニを切って漬けてみたら翌日には美味しいぬかづけができていた。そんなに美味しいものだと思っていなかったのでそもそも始めようとさえしていなかったのだが、これはおいしい。シンプルな酸味が身体に染み渡る。ということで次はにんじん、なす、と日替わりで楽しんでいる。挑戦してみようと思えたのもコロナ効果かもしれないなあと思っている。

Monday 7 June 2021

皿とものづくりについて

 

じゃじゃーん!ケーキです。

…ただし、作ったのは私ではない。家人がケーキ作りに凝り始めて、回を追うごとに、よりきれいにおいしくなっていく。土台の完璧さは見ての通り。私はスポンジ系よりもこういうタルト系のほうが好きなので嬉しい。中のクリームは、マスカルポーネとヨーグルトとカカオ、らしい。上にクランベリーをのせている。

つい最近、お気に入りの皿(iittalaのターコイズとハニー、21cm)が割れてしまった。いっきに2枚。(私は割ってない。)いつものように、それほどショックではない。というのも新しい皿を選ぶのが楽しいから。楽天スーパーセールもあることだし、どの皿を買おうかワクワクしながらずっとネットを見ている。

が、ふと食器棚を見て考える:

本当に皿が必要なのか?

割れた分を補わなければいけないのか?

そもそも割れたということは出し入れが不便だったために割れたのであって、持っていた数が与えられたスペースに対して多すぎたとも考えられる。さらに、割れた2枚の皿はほとんど使っていなかった。iittalaは使い勝手が良い、と思うけど21cmの大きさを使うことはあまりない。使うのは17cmばかり。21cmは重すぎる、というのもあるかもしれない。

ということで新しい皿をネットで買おうとしたが、このように冷静になり、いったん手を止めている。

ちなみに写真に写っているのはiittalaの26cm。本当に大きくて重い。これはこれで家に1枚は必要。


最近、物を買うときに生産者のことを考えるようになった。当たり前かもしれないけど、生産者の苦労とか時間のかけ方とかを考える。この前、自分で自分のパジャマを作ってみたのもあるかもしれない。全然楽ではなかった。作ってみたら、ものづくりの大変さが少しわかった。ユニクロで、2000円もせずに買って、だめになったら捨てて、を繰り返すのが常だったが、少し考え方が変わった。

さらにタイミング良く、先日亡くなったデザイナーの高田賢三氏の自伝を読んだのも影響している。なかには山本 耀司氏のインタビューも載っていた。安く作られるものの陰には、苦しんでいる人たちがいるかもしれない、と書いてあったのが、分かっちゃいたけど印象的だった。

今ネットの「買い物かご」に入っているのはイタリアの皿と、波佐見の皿と、有田の皿。デザインとしてはイタリアのほうが良さそうな気もするが、どうやって作られたかとか手元に届くまでの過程とかを考えると、やはり波佐見、有田に軍配が行きそうだ。値段は後者が倍ぐらいする。おっと、その前にまず本当に皿が必要かどうかを考えるんだった…。

ありがとうとカルボナーラ

 新学期スタート。 子が帰ってくる時間に家に人がいる、というこの幸せ。保育園は4時とか5時まで預けていたのでこんなことはなかったけど小学校は本当に「帰ってくる」ので誰かいないといけない。自分が仕事していてその時間に家でFが子を迎えてくれているというこの安心感は、あらためて、ほかの...